かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

trf

YOU ARE THE ONE / TK PRESENTS こねっと

1997_01_YOU ARE THE ONE_TK PRESENT こねっと


今回の1曲セレクトは、「YOU ARE THE ONE」TK PRESENTS こねっと どぇす。

まずはデータどぇす

・タイトル     YOU ARE THE ONE
・アーティスト   TK PRESENTS こねっと
・作詞       小室哲哉 MARC DJ KOO and hitomi
・作曲       小室哲哉
・編曲       小室哲哉
・リリース日    1997年1月1日
・発売元      こねっとプラン事務局(クラウン)
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   122.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年1月13日〜2月17日付

えー、この間から、新年恒例()の「1月1日」リリースの曲を書いて来ましたが、そろそろお開き・・・のつもりでいたんだけどもね。
 でも、昨夜風呂入りながら、次、何書くべ・・・といろいろ思考していたら、まだ書いてなかった「1月1日」リリースの曲が浮かんできてしまった。。。

TK PRESENTS こねっと「YOU ARE THE ONE」

この曲、覚えてます?  まあ、アーティスト名から「小室哲哉」氏のプロジェクトだったよな・・・っつうのは一目瞭然なんだけども。。。
 そそそ、「小学校にインターネットを普及させよう」キャンペーンと題し、小室ファミリーが一同に会したコラボレーション企画の1枚ですわな。
まあ、日本版「ミニ」、「WE ARE THE WORLD」っていう感じですな。

この曲がねぇ、1月1日リリースだったんだよね。 さすがにそこまで覚えてた方も少ないだろうなぁ・・・。現に書いてるワタシも記憶の蚊帳の外だったんだけどさ。。

1997年というから、今から丁度20年前だよね。 というか、その方が衝撃だったりして。。97年から20年経つんだよな。。。 え? 早えーよなー・・・。って思う方も多いんじゃないんですかねぇ。

この曲上で書いたように、「小学校にインターネットを普及させよう」キャンペーンソングというくらいだから、当時は、まだインターネットもそれほど普及していなかった時代ですわ。
 総務省統計のインターネット普及率推移をみると、日本でのインターネット普及率は1997年末時点で、まだ人口比の9%強、実数としても1000万人にも達してなかったんだよね、当時のインターネットの普及率。

ネットと繋がっているのが、「デフォルト」の昨今からみると、ちょっと想像もつかないような状況だったわけだけど、実際にそうだったんだよな。
正直、こんな事書いてるワタシでさえ、この曲がリリースされた1997年1月の時点では、まだネットをやってない。
うん、この年の12月だからさ。ネットを始めたの。 だから、人口比で、ギリギリ1割程度普及した所から始めたって感じなのかな。(それでも某IT系D社に居た頃は、始めたのがかなり遅かった部類ですが。。。)

まあ、そもそも、ネットへのアクセス速度も、今からするとめちゃくちゃ「貧弱」だったんだけどもさ。 
なんせ、一番普及していたのが「28.8kbps」の「アナログモデム」だったからさあ。

覚えてます? モデムって。 そそそ、通常の電話回線はデジタルではなくアナログだったからさあ、当時は。パソコンと通信させるためにPCのデジタルをアナログに変換させる必要があったんだよね。そのためのデジアナコンバーターですわな。
 その通信速度が、当時一番普及してたので、28.8Kbps。 当然、音楽のやり取りや。ましてや動画のやり取りなんて出来ないくらいのよ。
1枚の「静止画」受信するのだって、まあ、イライラするくらい遅かったし。。。。

そんな状況、当時勤務してた会社での状況を知ってたんで、ワタシは、アナログモデムは使いたくなかったんだよね。 なので、当時「最速」だった、ISDN(64kbps)の普及を待つべく、個人的にネットを始めるのを、少し我慢していた時期でもあるんだよな。
そそそ、ISDN回線は、一般のアナログ回線とは別回線だったからさ、この回線が自宅周辺まで引っ張ってこられるまでは契約できなかったからさ。 それわまってたら、結局、この97年の末になっちゃったってわけで。。。


・・・・いやいや、曲とは全く関係ない個人的なネットの話になっちまった。。。。

と言うかね、20年前、この曲がヒットしていた最中は、この曲、全く認めてなかったんだよね。正直言って。。
いや、この曲だけではなく、いわいる「小室系」っていう音楽を認めていなかった・・・と言うのかなぁ。
・・・なんてはっきり書いちゃうと、「反論」が来ちゃうかもしれないけどさ。
まあ、それも覚悟の上で書くけどね。

最初のうち、うん95年くらいまで・・・具体的に言えば、 globeが「Departure」を出すまで・・・だから、96年1月か・・・までは、認めてたんだよな。

でも、96年に入って、どうも耳触りになってきたんだよなぁ。。。
まあ、ヒットチャートのほとんどが「小室系」に占領されつつあったこともあった。

個人的に、そういう「独占」的なチャートになるとダメなんだよね。突然「アンチ」になってしまうのよ。 90年代前半の「ビーイング」系の時もそうだったしさ。

やっぱりね、ヒットチャートたるもの、いろんな色合いのアーティストが種々雑多な状態で競い合うからこそ良いんだよね。
独占禁止法ではないけど、一人のプロデューサーで似たような音楽が並んでいるチャートってツマンナイのよ。
飽きちゃうんだよな。

そんなこともあって、96年くらいから少しひっと曲から距離を置くようになっていたんだけども、この「YOU ARE THE ONE」って曲を聴いて、それも決定的になっちゃったような感じだったんだよな。

モチーフを「WE ARE THE WORLD」に求めた事は良い。 でもさ、やるんだったら、もう少し、きっちりとやって欲しかったんだよな。

・・・あ、主語が抜けたね。。。

うん、最初に書いたように小室ファミリーのヒトたちが一同に会して、少しずつ、数フレーズずつ、リレーしてうたっていくんだけど、ほとんどのヒトが歌いきれてないんだよな。
 まあ、それぞれの方で「キー」が違うって事もあり、歌いきれない部分もあったんだろうけど、それにしても、なんか聴いてて痛々しいんだよね。

肝心の曲にしても、掴みどこがなく、淡々と流れて行くような感じだし。 

そう言う掴みどころがない曲が、小室ファミリーだからと言って、簡単にミリオンセラーになってしまうって言う現実に、やっぱり、なんかおかしいよな・・・っていうところは感じたんだよな。
96年頃からヒットチャートから距離を置き始めていたっていうのは、この部分も大きいかもしれない。

80年代のミリオンセラーが出ない時代、いや、それ以前に「ミリオンセラー」っていうものが特別だった時代からヒットチャートを見てきた者にとって、時代感のずれ・・・っちゅうのかなぁ。
ミリオンセラーになる曲って、他のヒット曲とは別の特別なものがあるように感じているんだよね。

曲が持つオーラっていうのかなぁ、普遍性っていうのかなぁ・・・うまいコトバが出てこないんだけども。。

この曲からは、そういう、それまでのミリオンセラーになる楽曲が持つ「オーラ」を感じなかったんですよ。
曲としては、あくまで「中途半端」さだけでさ、感じるのは。

それでいいのかなぁ・・・って言う疑問が、先に立っちゃうんだよね。 それがいやで、この時期、ヒット曲から距離を置いてたんだよな。
(単純に、個人的に好みの曲がヒット曲には無かったというのも大きいか。。。)

そんな感じで90年代終盤までのヒット曲には「疑問」を持つようになったワタシだけど、その本格的な始まりは、この曲から始まった・・・なんて言っても過言ぢゃないかもなぁ。


・・・と言ってもですよ、あれから20年経ちーの、いまや、ヒット曲クロニクル的見ても、「90年代後半」という歴史になったこの当時の曲を、「今」も毛嫌いしている訳ではないんだけどね。

曲として「中途半端」な時代として、この時代〜90年代後半〜は、それはそれで認めるようになったんでね。

だから、当時あれだけ絶対に認めない・・・なんて、音源を持つのも持ってのほか・・・って思ってたこの曲だけど、今は、音源手元にあるしなぁ。

とは言っても個人的な好みだから・・というよりは、ヒット曲の時代を語る上での「資料」って言う感じで音源があると言った方がいいんだけども。





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Boy Meets Girl / trf

1994_06_BOY MEETS GIRL_trf






今回の1曲セレクトは、「Boy Meets Girl」trfです。

 まずはデータです。

・タイトル   Boy Meets Girl
・アーティスト trf
・作詞     小室哲哉
・作曲     小室哲哉
・編曲     小室哲哉
・リリース日  1994年6月21日
・発売元    エイベックス
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  128.6万枚 
・THE HITCHART HOT30最高位 2位 
・ベストテンランクイン期間:1994年7月11日〜9月26日付
・タイアップ:コカコーラ94年夏のキャンペーンソング


 ムシ暑い日ですね。ここなところ涼しい日が続いてた関東地方も一昨日あたりりかにやっと夏らしい日になってきたわ。
 で、もって、昨日は炎天下の中、庭木の伐採作業をやってたら完全に熱中症でダウン。兎に角頭と首周りをアイシングして、早々と寝ちゃったら、とりあえず、今日は熱中症も収まり、こうして、また1曲セレクトを書いてたりします。。

 さてさて、今回の1曲セレクトは

 ♪夏が来れば思い出す〜 ♪

ではないけど、昨日今日のように暑くなると、決まって聴きたくなる曲のうちの1曲を持ってきましたわ。

 trfの「Boy Meets Girl」

 この曲聴くと、あのバカみたいに暑かった1994年の夏の日を思い出す。

 もう何回もここでは書いてるけど、あの年の夏は「猛暑」だったのですよね。
 今では猛暑日ってなったいるけど、あの年の夏は、東京でも連日35℃以上の猛暑日が続いてさあ。 最高気温39℃の日にシロアリ駆除やったの覚えてるワ。。。 

  あの年は社会人1年目の年で、まだ、音楽の仕事はやってない。衛生環境管理会社にいたからなぁ。1年目のペーペーだったから、猛暑だろうがなんだろうが毎日毎日外回りでしたわ。

 そんな時の行き帰りの車で、よくこの曲を聴いてたなぁ。、うん、あのころは車通勤してたんだよね。

 この曲、この年のコカコーラのキャンペーンソングだったじゃん。
 あの年の夏の間、コカコーラの増量キャンペーンやってて、通常の350ml缶が500mlに増量してたんだよね。値段据え置きで・・・。だから、500mlで110円だったかな? いやちょっと、プラスで130円だったかもしれない。

 兎に角、ペットボトルの500mlより安かったんですよ。

 だからよく飲んだよなぁ。あの年は増量の缶コーラを。

 外回りでノドがカーラカラになるんで、会社の帰り、決まった自販機で必ず買って帰って、車の中で、この曲聴きながらコーラのガブ飲み。。。 よく覚えてるよ〜。

 まあ、その時の影響で、後年、痛風になった・・とも言えるけど。。。。


 しかし、この曲は不思議な曲でしたね。イントロの最初から入ってる、謎の言葉・・・・あれ、なんつってるの?
 日本語じゃないみたいだけど・・・。宇宙人語?? まあ、あれからして不思議なインパクトだったな。

 メロディラインは、まあ、いつもの小室哲哉だったわけで、特段、変わった仕掛けはない。

 だから、本来だったら、なんだよまたかよ・・・っていいたくなっちゃうところを、あの不思議な言葉が絡んでくることで、ついつい、耳が行ったちゃうんだよね。

 まあ、それでなくても、あの「小室節」的なメロディ、リズム体自体が、「1994年」っていう時代そのものにマッチしていたって言えるんだろうな。今からすると、これらtrfの曲が抜けると、どうしても1994年を語る上で、空白が出来ちゃう感じがするもんね。

 それだけ、一般性があったとも言えるわけだけどさ。まあ、それでなくてもミリオンセラーなわけだから、否が応でも一般性はあったわけだけども。

 この曲が凄いのは、オリコンで最高3位にも関わらず、ミリオンセラーオーバーだったことですね。

 それだけ、ベストテンに長く居座ったっていうことなんだけど、オリコンでは計11週ベストテン入りを果たしている。その間2回のベストテン返り咲きをしていて、100位内には34週もランクインしている。
 ベストテンランクイン期間は、trfの中では最も長期間な曲ですね。

 まあ、それだけ、広く受け入れられていた曲だったことですね。 やっぱし、あの不思議な「宇宙語」の効果だったのかなぁ。。。。

 でも、そこが「今」のエイベックスとは違うところなんだよね。そう、曲のヒットに一般性があるか、局所的なファンのためのものなのか・・・っていう違いですよ。

 やっぱり、ヒットを狙うからには一般性がないと、曲が軽く感じるよね。


 売上げ的には、この次の「CRAZY GONNA CRAZY」で頂点を迎えるんだけど、瞬発的なヒットに移行しつつあったし、だから、ある意味、この一つ前の「Survival dAnce」と、この「Boy Meets Girl」がtrfの一番脂が乗り切ってた黄金期だった・・・とも言えるんじゃないかな。




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survival dAnce〜no no cry more〜 / trf

1994_06_Survail dance_trf






今回の1曲セレクトは、「survival dAnce〜no no cry more〜」trfです。

 まずはデータです。

・タイトル     survival dAnce〜no no cry more〜
・アーティスト   trf
・作詞       小室哲哉
・作曲       小室哲哉
・編曲       小室哲哉
・リリース日    1994年5月25日
・発売元      エイベックス トラックス
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    137.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1994年6月6日〜7月25日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「17才」主題歌

 昨日に引き続きいての「trf」ですが、お付き合いくだされ。

 大ブレイクする時ってさ、やっぱり、それまでの曲とは全然違うインパクトってあるもんなんだよね。
 それまである程度つみかねてきた物とは、また、違う、一ランク上のインパクトって言うのかなぁ。

 スコーンと直感的に抜けるようなインパクトなんだよなぁ。

 まあ、そういう曲って今までいろいろ見てきたけど、今回引っ張ってきた、この曲も個人的にはそんなインパクトを受けた1曲だったな。

 最初、あんまり期待してなかったんだよね。正直言って。この前の曲「寒い夜だから」から半年振りの新曲・・・ってことで、trfなんて半ば忘れ欠けてたしさ、だいたい、上り調の時に間が空くと、それまでの勢いがそぎ落とされるような曲って多いし、なにより二番煎じっぽい曲が多いからさぁ。

 この曲の出だしの部分

♪no no cry more 泣かない 思いで作ったら〜 ♪

って、マイナー調で初めて聴いた時のイメージって「寒い夜だから」だったの。 確かに温度感は季節もあって高いところがあったけど、でもヤッパシ イメージがねぇ・・・


・・・・と思ってたところ・・・・


♪ Yeah Yeah Yeah Yeah Yeah wow wow wow wow wow・・・♪

って始まったじゃん!

これで、180度イメージ変わりましたね、私の中では。

 うん、正直言ってまったく予期してなかった展開だったんだよね。プラス、trfっていうユニットのイメージもガラリと変わった瞬間だったなぁ。

 ある意味、衝撃的だったんだよなぁ。

 とにかく、「夏〜」を先取りしたかのような、ギラギラ太陽の下で〜っていうサウンドと温度感。これですよ!

 それと、イメージがよかったのは、この年の「猛暑」だよなぁ。この「猛暑」がこの曲を一層引き立ててくれたよなぁ。とにかく、この年の夏のイメージにピッタリはまってたんですよ。

 まあ、そういう感じを持ってたヒトが多いんだろうね。確かにフジテレビのドラマの主題歌っていうところはあったけど、「寒い夜だから」の累積67万枚のいきなり二倍以上も売れたっていうのは、ドラマ人気だけではないよね。


 とにかく、この曲でtrfっちゅうのは、押しも推されぬ超人気ユニットになりあがったわけで、いよいよ「エイベックス」時代の到来を告げたわけですわ。

 いやいや、この夏はtrfの・・・というよりも小室な夏だったよな。

 とにかく、このヒトの「ターンターンターンタタ」っていうリズムを聴かない日はなかったような・・・。

 あの忌まわしい猛暑の暑い夏とこのリズム・・というと
いやがおう無しに94年の夏を思い出しちゃうんだよね。





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EZ DO DANCE / trf

1993_06_EZ DO DANCE_trf






今回の1曲セレクトは、「EZ DO DANCE」trfです。

 まずはデータでーすぅ。

・タイトル     EZ DO DANCE
・アーティスト  trf
・作詞      小室哲哉
・作曲      小室哲哉
・編曲      小室哲哉
・リリース日   1993年6月21日
・発売元     エイベックストラックス
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数   78.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位
・タイアップ:「シーブリーズ」CM曲

今回は、ストレートに曲紹介に入るよ〜。ひさびさにtrfです。
まえまえから、この時期になったら書こう書こうと思ってたんだよね。この曲。

 1993年ってこの時期まで、正直言うと印象に残っている曲ってあまりないんだよね。
 時代はビーイング卿の終盤。兎にも角にもビーイングの時代で、かなりヒット曲に対して食傷気味だった時期なんだよね。個人的には。

 そんな時聴いた、この曲。 ヒトコトで、ショックでしたねぇ。


 いきなし、 「3.2.1 BREAK DOWN !!」 でしょ。。。

 それに引き続く、緊張感たっぷりのイントロ。

 たしかにね、それまで2、3年間のビーイング時代とは異なる、緊張感タップリの異質な空気が漂っていたんだよね、この曲には。

 時にビーイング系がそろそろ「緊張感」もとけて、「馴れ合い」的な曲が多くなってきてた時期だけに余計に異質な感じだったなぁ。

 サウンドは、ま、下世話的に書くと、ホディコン、ジュリセンの”ジュリアナ〜s東京”の延長線。
 ただ、あの時代、そろそろ「ジュリアナ」も下火になりかけてたころだったからなぁ。

 それを考えても、ちょっと時代が過ぎてた・・というか、異質な感じはしたんだよね。

 同時に確かに、インパクトはめっちゃつよいし、印象に残るんだけど、このあと連続大ヒットで、「エイベックス」系の一大時代がやってくるとは、この頃はまったくもって考えてもいなかったですよ。

 それを反映してか、この曲は、オリコンではベストテン入りしてないんだよね。まあ、まだ、ホントの初期ブレイクだったから、固定ファンがほとんどいなかったのもあるけどね。

 でも、決定的なことは、この曲がいかにも、攻撃的(アグレッシヴ)な曲調だったこと。これは、大きかったんではないかなぁ。
 ビーイング系全体的にが、「守り」な曲調に入ってきてた時期で、全体的なヒット傾向もやや、中だるみな曲調が主流だった時期だから、この「姿勢」なこの曲が際立ってるんだよね。

 まあ、そういうこともあってか、この曲の「口コミ」効果というのはでかくて、おかけで、ベスト100には約1年間ランクインという、異例のロングセラー。オリコンでは、最高位15位なのに、セールス枚数は78万枚強なんていう、とんでもない数を記録してたりするんだよね。

 いつの時代でも、「アグレッシヴ」な曲はヒトを動かすよね。ま、こればっかになってもすぐ飽きちゃうわけで、「キャッチー」な曲とのバランスってのは、大事なんだけどさ。

 個人的には、とにかく、少しでもビーイングの呪縛から逃れたいという気持ちだけでしたねぇ。当時は。

 だから、この当時はエイベックス系の曲も素直に聴けたんですよ
 インパクトだらけの曲なのに、なぜか、一服の清涼剤のように聴こえたりして。。。。

 あのころは、それだけ「きゃっちー」路線に飽き飽きしてたんだろうね。
 とにかくインパクトが欲しかったんだよね。

 エイベックスの躍進は、大多数の人が丁度、そんな気持ちになりかけたと同時にはじまったんだよね。
 今から考えると、ある意味必然的だったのかも。。。。




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CRAZY GONNA CRAZY / trf

1995_01_CRAZY GONNA CRAZY_trf



今回の1曲セレクトは、「CRAZY GONNA CRAZY」trfです。

 まずはデータです。

・タイトル    CRAZY GONNA CRAZY
・アーティスト  trf
・作詞      小室哲哉
・作曲      小室哲哉
・編曲      小室哲哉
・リリース日   1995年1月1日
・発売元     エイベックストラックス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   158.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1995年1月16日〜2月27日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「我慢できない」主題歌

昨日、昼間1995年のヒットを聴いてたんだけど、で、聴いてるうちに、なぜか、trfの「CRAZY GONNA CRAZY」を引っ張ってきたくなって、引っ張ってきちゃいました。。。(これも大人気ないねあせあせ

 ここのところ、1月1日リリース曲を何曲か引っ張ってきてたでしょ。
でも、なにも1月1日リリース曲は、80年代までではないわけで、90年代、いや、今でも続いているわけだからね。

 そういう、trfの「CRAZY GONNA CRAZY」も95年の1月1日リリースだったわけだ。

 このころのtrfの「勢い」はすごかったからなぁ。もしかすると、同じエイベックスでも、そのあとの安室、globe、浜崎・・・よりも、一時的な勢いはあったかもしれないな、今考えると。

 そのピークは、ちょうど、この曲リリースの頃かな。前日の12月31日、第36回日本レコード大賞優秀賞受賞、同日、第45回紅白歌合戦初出場・・・で、盛り上がってたところに、新曲リリースだったかんねぇ。

 このころ、ウチラ「オリコンチャート研究会」のメンバーは、大晦日にワタシのうちに来て、レコード大賞〜紅白を見ながら、一晩中ワイワイやるのが恒例になっていて、もちろん、この年もやってたな。

 で、朝方、ちょっと仮眠して、元日の昼頃から、ボーリング⇒カラオケという、ちょっと強行スケジュールが恒例になってまして・・・。

 そういえば、1995年元日ボーリング場で、もうこの曲がかかってたんだ。

 だからか、どうも、個人的には、この曲⇒1995年元日のボーリング場っていうイメージがこびり付いて離れないなふらふら


 さてさて、曲は・・・というと、正直言って、trfの中でも一番「歌謡曲」に近いと思う。一言で言えば、一番分りやすい。

 うーん、なんていうのかな、尖ってないんだよね。まるいというかマイルドというか、小室哲哉の曲の中でも、聴きやすい部類の曲だとおもう。

 ただ、そんな分りやすい曲でも、音色は輝いている。うーん、なんていうのかな、寒空の中で輝いている白色&青色LED電飾のような、クールな輝きっていうのかな、そうそう、ちょうどクリスマスのLED電飾のような輝きを感じさせるような曲なんだ。

 白熱電球ではなく、あくまでLED電球。つまり「眩しい輝き」は感じるんだけど「暖かみ」は感じない輝きを放っているような曲っていうのかな。

 個人的には、そんな感じを受けるな。


 まあ、曲はどうであれ、この曲がtrfの中では、一番「売れた」曲っていうのも、やっぱり、このころのtrf人気を象徴していますわね。


 ただ、その伝説もこの曲をもって早くも崩れる。この曲から3ヶ月連続リリースをかけたんだけど、あっという間に売上げが落ちてったもんねぇ。

 結局は、連続して「出しすぎ」が原因でしょう。人気が最高潮、熱狂的な人気のときに短時間で矢継ぎばやにリリースすると、あっという間に「飽きられる」っていう典型的なパターン。

 結局さ、旨いもんを連続して食うと、すぐ飽きるのと同じなんだよね、生理的に言って。

 旨いもんはたまに食うから、旨いんであってさ。そりゃ、毎日食ってたら飽きるでしょ。

 それと同じ原理だと思うのよ。





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寒い夜だから / trf

1994_01_寒い夜だから_trf






今日の1曲セレクトは、「寒い夜だから」trfです。

まずはデータッス。

・タイトル     寒い夜だから
・アーティスト   trf
・作詞       小室哲哉
・作曲       小室哲哉
・編曲       小室哲哉
・リリース日    1993年11月21日
・発売元      エイベックストラックス
・オリコン最高位  8位
・売上げ枚数    67.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1994年1月24日〜2月14日

 いやいや、別トピでもたてたけど、昨日の雪は、うちらがすんでいる所としては、ほんと、ひさしぶりでの「大雪」どしたわ。

 で、雪がやんだら、寒いのなんのって。まさに、「寒いよるだから」。。。そのまんまやんけ! という「罵声」が聞こえてきそうですが。。。

 だってぇ〜、あんまりに寒くて、この曲しか、浮かんでこなかったんだもん。。(⇒おこちゃま口調)

 というのは、冗談で、たしかに、今夜は、すごく冷えるんで、この曲はピッタリだし、昨日の大雪、この曲がヒットしてたころも、大雪だったんだよねぇ。ワタシんところ。
 
 なんか、そういうところって、何年経っても忘れないもんなんだよね。
 だから、大雪っていうと、この曲って浮かんでくる曲の中には、この曲は外せないわけです。

 まあ、個人的な問題ではありますけどね。

 trfは、この2曲前、「EZ DO DANCE」ででてきた、ダンスユニットですわね。 まあ、みなさん、既によくご存知でしょうから、詳しくは書かないっすけど、「EZ DO DANCE」が出てきた時は衝撃的だったなぁ。
 
 90年代の初頭って、曲調的には「メロディアス」ものが流行ってたわけで、ダンスものは、どちらかといえばマイナー物だったんだよね。
 そこに、いきなり、超インパクトのある、この曲が出てきたもんだから、ちょっとビックリだったわけで・・。
 曲調は、あのころ流行ってた、マハラジャ、ホディコン、お立ち台系のオネーサンが、もろ好みそうな曲でしたわね。

 あ、この曲に関しては、私もキライではなかったんですけどね。 本来はキライなんですが、このテは。 でも、この曲に関しては、近々、何か起こりそうだなという予感っぽいものを感じたのかなぁ・・。いまとなってはの話ですが・・。

 で、この「寒い夜だから」で実質ブレイクとなったわけですね、trfは。
 いやいや、「前ブレイク」といった方が正しいのかな。
 たしかに、ランキングこそ、オリコンでは最高8位だけど、けっこう長い間、チャート上位にいたもんねぇ。

 既に、ある程度はtrfっていうアーティストは、この頃は認知されていたし、なりより、ほんとに寒かったかんねぇ。この年の冬は。曲がマッチしてたんだよね。

 この曲、ご多分にもれず、「コムロ」作品ですが、まだ、このころは、個人的には新鮮に聴こえたな。まだ、好きだった。
 あ、94年頃はなんとも思ってなかったな。
 このじきは、丁度ビーイング系全盛からの時代の境目で、わりといろいろな曲があったし、そのなかの1ダンス系って言う感じだったかんね。エイベックスも。

  それに、また、素直なんですよね、曲が。 あ、いや、この曲はって言ったらいいのかなぁ。
 とにかく聴きやすかったな。 サウンドは、イマイチだったけど。

 個人的には、大学卒業⇒就職っていう間際のヒットで、毎日不安に打ちひしがれておりました。
 見に来てくれてる方の中にも、今年、大学から社会人になられる方もいらっしゃると思いますが、同じですよ。あの独特の不安感は。

 この曲って、内容的に淋しいでしょ。だから、余計、不安になっちゃったりして。
 94年初頭という、あのころを思い出させてくれるには、一番の曲だなぁ。





※2006年1月に書いたものを再掲載しました。



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