かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

NHK

だんご3兄弟 / 速水けんたろう 茂森あゆみ ひまわりギッズ だんご合唱団

1999_03_だんご3兄弟



今回の1曲セレクトは「だんご3兄弟」速水けんたろう 茂森あゆみ ひまわりギッズ だんご合唱団れす。

まずはデータれす。

・タイトル   だんご3兄弟
・アーティスト 速水けんたろう 茂森あゆみ ひまわりギッズ だんご合唱団
・作詞     佐藤雅彦 内野真澄
・作曲     内野真澄 堀江由朗
・編曲     堀江由朗
・リリース日  1999年3月3日
・発売元    ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  291.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1999年3月15日〜4月19日付
・タイアップ:NHK「おかあさんといっしょ」より

最近の常套句になっていますが、久しぶりの「新規・1曲セレクト」です。
って、過去のアーカイブみたら、先月、平田隆夫とセルスターズの「悪魔がにくい」を書いてたんで、1か月ぶりか。。。

いやー、もっと間が空いてたような気がしたんだけどね。

いずれにしても、テレワークのおかげで仕事でメールとかチャットをすることが多くなり、その分「ビジネス文章」を書く量も半端なく多くなったんでね。 仕事以外で文章を書くのがどうも億劫になってきたこともありーの。 
なんで、空いた時間にこうして曲のレビューを書くことも少なくなってきたんだけども。。。

まあ、たまにね、こうして書きたくなることもあるわけで。。。 


・・ということで、「予期せぬブーム」っていうのはあるもんで、うーん、最近の「大谷ブーム」っていうのも、予期せぬブームなんでしょうかね。 それとも必然なんでしょうかね。。。

今回引っ張ってきた、この曲「だんご3兄弟」っていうのは、全くの予期せぬブームだったんじゃないんかなぁ。。。

今から25年前、1999年の3月。 その日は突然やってきた・・・。

っていう印象があるんだよな。個人的には。

オリコン初登場は1999年3月15日付。 週間売り上げ枚数は 初動で102万5700枚。

そうそう、ぴっくらこいたのを覚えている。 個人的には全くの想定外・・というか、たしかあの時点でまで、この曲の存在すら知らなかったような気がする。今思い返せば。

もっとも、あの頃は生業の仕事のことで頭がいっぱいで、ヒット曲からは やや距離を置いていたこともあった。 加えて、その後ずっと付き合うことになる「痛風」っちゅう持病が、初めて発作を起こしたのも、ちょうどこの頃だったんだよな。

なので、あんまり曲について深堀していなかったっていうのもあるな。

・・にしてもよ、初動でいきなりミリオンセラーっちゅうは、やっぱり想定外だったよなぁ。

まず感じたのは、やっぱり、「子供」向けの曲は、発火するととてつもなく大きな爆弾になるってことだよなぁ。

そもそも僕らが子供の頃の「たいやきくん」なんて、まさにそうだったわけじゃん。 そそそ「およげ!たいやきくん」。

あの曲が、まさか450万枚のこれまでの日本の最高売り上げシングルになる・・なんて、誰も予想もしてなかったわけでさ。

全く同じ現象だったですよね。

でも、考えてみたら、「たいやきくん」ブームが1976年で、 この「だんご3兄弟」が1999年。
23年の時が流れていたわけで。 
そそそ、ちょうど「たいやきくん」の頃のブームの中心世代だった子供が大人になり、そのお子さんたちの世代が「だんご3兄弟」っていう方も多かったんぢやないかのなぁ。

つまりさ、「たいやきくん」のジュニア世代が、この曲に飛びついた・・と。

そう考えると、時代は巡り巡る・・っていうんかなぁ。

まあ、まさか、それを見越して、この曲をプッシュした・・・っていう人は、おそらくいないとは思うんだけどね。 

・・というか、全くの偶然だったからこそ、ここまで刺さったんだと思うし。。。 マーケティング的に見こして、もし、この曲をプッシュしていたんならば、ここまで大きなブームにはならなかったんじゃないんですかねぇ。

うん、ブームなんてもんは意識して作れるもんじゃないですしね。

あとは、子供向けなのに大人が共感できるかどうか。 

「たいやきくん」の時だってそうだったわけじゃないですか。

♪ 毎日毎日 僕らは鉄板の上で焼かれていやになっちぇうよ〜 ♪ っていう歌詞が、「毎日毎日、マイン電車に揺られて 会社という鉄板の上で上司からやんや言われていやになっちゃうよ〜」っちゅうサラリーマンの哀歌だってさぁ。

まあ、「だんご3兄弟」の場合は、あそこまでは暗い気分にはならなかったと思うけど やたらと「〇〇〇3兄弟」なんて揶揄されたしなぁ、大人の間でも。

♪ 朝になって固くなりました〜 ♪ って言った何のこと? とか言われたりも。。。

いずれにしても、子供向けの曲に大人が共感すると、とてつもない爆発てきなブームになるってことは、時代を超えて共感できたってわけで。。。

で、いずれの大ヒットで、一番ホクホクだったのは、もしかすると、ポニーキャニオンさんだったかもな。。。

「たいやきくん」、「だんご3兄弟」 いずれもポニーキャニオンさんからのリリースだったわけで。。。





動画、どうも、いつものYOU TUBEには「歌ってみた」のような動画しかなかったので、今回はニコ動から。。。。


ところで、個人的に、この曲と言って、真っ先に思い出すのは、仕事さぼって、営業車の中で1日本を読んでたあの日だな。

1999年のあれはいつだったんだろ? めちゃくちゃいい天気だった。仕事するふりして営業車で外回りに出たんだけども 途中で仕事する気がなくなって。。。 あれは、佐倉のどこかだったと思うんだけどなぁ。ショッピングモールの本屋で立ち読みしてたら、1冊の本が目に止まったのよ。

田家秀樹氏著の 「読むJ-POP 1945-1999私的全史」 

↓コレ




田家秀樹氏の生まれた時から、1999年まで自身の音楽体験を、その時々の社会情勢と絡めたJ-POPの通史。

ぺらぺらめくってたら、これが面白くてね。 
2〜3ページ読んたところで購入。
田家氏の、平易だけども巧みな文章に、自分の子供の頃からの音楽体験記と完全に一体になっちゃって。。。 営業車の中でも止まんなくなって最後まで読み切ってしまった。

読み切った後、真っ先に感じたのは、「やっぱり音楽の仕事をやりたい」という思いと、「自分はいったい、ここでなんやってんだろう? 」 ・・という思いだったなぁ

仕事さぼったりするくらい、本気でやりたくもない仕事に、いつまでぶら下がってるんだろう・・・

いや、あの時点では、いつ辞めようか・・という気持ちにはなっていたんだけども、今一つ踏ん切りがつかなかったんだよ。

あん時、すでに30歳になってたのよ。 30になると転職先は一気に減るよ・・とか言われてたし。。。


でも、この本に出合ったことで、踏ん切りがついたんだよね。 
で、結局のところ2000年2月いっぱいで、新卒で入社した会社は退職することになるんだけどさ。 


あんときに、ラジオから流れていたのが「だんご3兄弟」だった。これは、よく覚えてるんだよね。

だからさ、この曲聴くと「曲の内容が〜」とか「歌詞の内容が〜」っていう前に、いまだに「決断の思いに」になった、あん時の光景がフラッシュバックするんだよなぁ。


あれ「だんご3兄弟」がヒットのピークだった、1999年の3月だと、ずっと思ってたんだけども、今、手元にある「読むJ-POP」の巻末を開けてみると「第1刷 1999年8月31日」とある。

・・ということは、あれは、1999年9月だったのかなぁ。。。。

新卒の会社に「辞表」を提出したのが、1999年9月末っていうのは覚えてる。

なので、この本に感化された、すぐ後に「辞表」を出したんだな、きっと。
それだけ感化されたんだろうと思う。この本には。  ・・というか感化されたのよ。

いまでも、いつも手元にあり、なんかの折にはいまだに読み返しているし。。。

この1曲セレクトにしても、楽曲のレビューにしても、この本があったから書いてる・・っそんな気もするんだよね。そのくらい個人的には影響があったな。


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【キニナル曲】あの空に立つ塔のように / 大泉洋

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・タイトル  あの空に立つ塔のように
・アーティスト 大泉洋
・作詞     大泉洋 月光テツヤ
・作曲     玉置浩二
・編曲     トオミヨウ
・リリース日  2023年10月31日
・発売元    A-Sketch

12月に入り、今年もいよいよい大詰め。・となると、やっぱり紅白のことが頭をよぎる。
ジャニーズ無しの今年の紅白。

視聴率が取れない云々など、いろいろ言われてますな。まあ、毎年のことだけども。。。

で、ここんところそんな「いろいろ言われる」ターゲットになってきた感があるのが大泉洋だったりして。。。

今年の紅白の「司会」から落選した大泉洋が、なぜにヒットもしていないのに「歌手」として選ばれた?
・・と大分、クレーム的な意見が出てきている。




個人的にも、最初は司会は落ちたけども「SONGS」やってるわけで落とせない・・という出来レースか?  なんて思ってたんだけどもね。


で、多分紅白で歌うであろう、新曲「あの空に立つ塔のように」を聴いてみた・・

・・というか、1日ラジオかけてると、最近結構かかるのよ、この曲。

・・・で、何度も聴いてるうちに、いい曲じゃん。。と思えてきたりして。。。😅😅

玉置浩二プロデュースということだけども、ゴスペル調で聴きやすい。あんまり玉置浩二節を感じないけど、それがいい。

今は、そこまで盛り上がって来てないんで、知らない人の方が多いと思うけど、どうなんだろ?
紅白効果を起点にして、ヒットにつなげて行く・・・って考えているんでしょうかね。
え? そんなこと出来んの? と思われてしまうかもしれないけど、爆風スランプの「Runner」なんかは、もろそんなパターンだったし。。。過去になかったわけではないんだよね。

なんて、書いてたら、こんなニュースも出てきたりして。




そーいえば、爆風スランプも、その昔、アミューズ所属だったんだっけ。。。 
ヒットの陰に事務所とNHKの力とタッグの匂いあり。これは、まことしやかかもしれんなぁ。 
今後の動向に注目・・・かもね。。。 





第73回紅白歌合戦は大健闘だったと思う

この間の12月31日に放送された、第73回紅白歌合戦の視聴率速報値が出ましたな。



若者はテレビは見ないといわれている中、ほぼ「2022年」主体のアーティストで35.3%は大健闘。正直、30%割ると思ってたもの。
それからすると、成功だと思いますね、個人的には。

特に10代の伸びには注目した方がいいと思いますよ。

この数字を見てNHKはどう判断するか。 まさか前年の35%割れから、いきなり40%復活は望んでいなかっただろうし。
マスコミ各社「40%割れ」の見出しが出てるけど、これは、読者を引き付けるための「寄せ餌」的な言い回しだよね。本気で40%復活はだれも見込んでなかったろうし。。。

ワタシがPだったら、次の「第74回紅白」も、また「2023年」主体のアーティストで行くけどなぁ。

ここは、守りじゃなくて、攻めの一手ですわ。

切手のないおくりもの / 財津和夫

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今回の1曲セレクトは、「切手のないおくりもの」財津和夫です。

まずはデータです。

・タイトル     切手のないおくりもの
・アーティスト   財津和夫
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       青木望
・リリース日    -
・発売元      -
・オリコン最高位  -
・売上げ枚数    -
・タイアップ: NHK「みんなのうた」より

昔から耳馴染んでいた曲が、意外な作曲者だったことがある。
まあ、最近では、「生業」としての仕事柄、まずは作詞・作曲者を調べてから、実際の曲を耳にするってことが多くなったんで、そういうことも少なくなったんだけども、昔はあったんだよね。

特に、学校の教科書に載ってた曲には、そういう曲が多かったなぁ。
以前、ここでも書いた、トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」、赤い鳥「翼をください」なんてのは、典型的な曲ですね。

そもそも、これらの曲って、音楽の教科書に載っているということで、いわいる「唱歌」だと思ってたもの。 もともとは一般の「ヒット曲」だとは思ってなかったんだよね。

今回引っ張ってきた、この曲もそうだったなぁ。


財津和夫「切手のないおくりもの」

この曲、当初どういう経緯で書かれた曲なのか・・という細かいところは良く分からないんだけども、wikipediaを見る限りでは、1977年NHK「歌はともだち」という番組で発表されたのが最初だったとか。

うーむ、個人的には、このこの番組は見た記憶はないんだけども、いかにも、当時の「NHK」を彷彿とされるようなタイトルですな。

で、この番組で発表されるや否や、NHKに問い合わせが殺到し、 翌78年6月〜 のNHK「みんなのうた」で、作詞、作曲した財津和夫氏、本人が歌ったバージョンが流れた訳ですね。

恐らく、一般的には、この時に広く知られるようになったんだと思う。

個人的に、この曲知ったのはいつだったんだろう? 少なくともこの時ではなかったような気がするが・・・。 いや、この時だったのかなぁ。

あれは小学校5年生の頃だったか、音楽の教科書の「副読本」として、ポケットサイズの「歌集」が配られた。 そこにこの曲が載ってたんだよね。恐らく存在自体はその時知ったんじゃないかとは思うな。
 で、音楽の授業で、この曲もやったのかなぁ・・・・。その辺、ちょっと記憶が定かではないんだけども。。。。

確実に覚えているのは、1982年11月。叔父の結婚式で福島に向かっている道中で、ラジオから流れてきた財津和夫氏バージョンのこの曲だった。

この時点では、財津和夫氏が、チューリップのリーダーで、松田聖子さんなどのヒット曲も手掛けられているヒットメーカーということも分かっていたんだけども。

そんな財津和夫さんが、この曲を歌っているっていうのは、意外だった。

そそそ、この時点では曲は知ってたけど、誰が作った曲なのか・・・っていうのを知らないで聴いたからさ。うん、音楽の教科書に載ってたんで、「唱歌」だと思ってたんだよね。

で、後日、この曲が歌っていた財津さん本人の作詞、作曲だと知って、びっくりしたんだよなぁ。
まさか、チューリップや松田聖子さんのヒット曲を手掛けているメロディーメーカーの作曲だとは思って見なかったし

まあ、音楽の教科書にも作詞、作曲者くらいは載ってるから、見れてばわかるもんだけど、小学生の頃は、そこまでは興味なかったからなぁ。


恐らく時期的に考えて、この曲聴いたのは、1982年10月〜11月にかけての2回目の「みんなのうた」で放送されたときのバージョンだったんじゃないかと思う。

改めていい曲だと思った。

1982年、福島から千葉に引っ越した私は、友達も出来ず、孤立無援状態。精神状態はどん底だったからあ。音楽に頼る事しかなかったんだよね。

その時に聴いた、この曲は凍みたわけよ。 心に響いたのよね。

元々、「みんなのうた」で流され、小学校の音楽の授業でやるくらいだから、本当にシンプルで簡単なメロディラインですよ。 でも、簡単なメロディなのに琴線に響く。 財津和夫さんが紡ぎだすメロディの一番の特徴なんじゃないかなぁ。

それに最初に気が付いたのは、松田聖子さんの「チェリーブラッサム」〜「白いパラソル」の一連の3部作の時だったなぁ。

特に「チェリーブラッサム」は、Key=Cだったし、メロディラインからコード進行からとてもシンプルだったんで、譜面を見ると、本当、音楽の教科書に載っているような感じだったしね。

それでいて、実際に聴くと、琴線にぐいぐいと刺さるんですよ。 

それとともに心が温かくなるようなメロディ。 

だれでも出来そうなんだけども、これがなかなか出来ない。 だから天性のメロディメーカーなんだよね。

この曲なんかは、その最たる曲と言えるんじゃないのかなぁ。

もっとも、本人は、「You Are My Sunshine」のような誰でも口ずさめるようなメロディということで、この曲を書いたらしいですけど。。。。。

まあ、言われてみれば、たしかに「You Are My Sunshine」にクリソツか。。。。。






これは、wikipwdiaから考えると、これは1982年10月から「みんなのうた」で放送された「第2回目」のバージョンだと思いますね。

でも音が小さいな・・・。↓の動画は音が大きいです。(ただし1996年放送の「第3回放送バージョン」ですが。。。)




1978年に放送された「第1回目」のバージョンはNHKにも映像が残っていなかったんだとか。ただ、2011年に放送された「みんなのうたフェスティバル」での「みんなのうた」発掘プロジェクトで、第1回目のバージョンが発掘され、放送されたわけですね。

↓ コレ




ちなみに、この曲の音源自体、長年CD化されていなかったわけだけど。。。もちろんシングル化もされていない。

なので、↑のデータでは、売り上げ枚数。 発売日等のデータは無しです。

1曲セレクトではかなり珍しいパターンですね。 まあ、そんなこともあって、今まで書こう書こうと思って、ちょっと躊躇していたところがあるんだけども。。。。。


そんな長年CD化されていなかったこの曲ですが、2012年にリリースされた「「財津和夫ワークス」〜40周年を記念して〜」というアルバムに、初CD化音源が収録されていたりします。

なので、今回のジャケ写は、このアルバムのもので。

ただ、申し訳ないんだけど、これを書く段階で、果たして「みんなのうた」で歌われたときのバージョンであるかどうかの確認が取れていないのですよ。

・・と思ってたら、TSUTAYA DISCUSで、レンタルして確認取れました。

1978年 第1回放送バージョンですね。 財津さんのソロというよりも、チューリップの皆さんで歌っているバージョン。 なるほど、これは儲けものだったかな?


なお、「Spotify」などサブスクで聴けるバージョンは、ギター1本での弾き語りバージョン。「みんなのうた」のバージョンとは別バージョンですね。
「なんだこりゃ」なんていうコメントも多くみられますが。。。。


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山口さんちのツトム君 / 斉藤こず恵

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今回の1曲セレクトは、「山口さんちのツトム君」斉藤こず恵です。

まずはデータです。

・タイトル    山口さんちのツトム君
・アーティスト  斉藤こず恵
・作詞      みなみらんぼう
・作曲      みなみらんぼう
・編曲      千代正行
・リリース日   1976年6月15日
・発売元     フィリップス
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  49.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1976年8月2日〜8月16日、9月6日付
・タイアップ:NHK「みんなのうた」より

たまにちょっと変化球な曲を書きたくなる時がある。いわいるコミックソングとかさあ。
あららら、今回の曲のフリですね。。。

まあ、コミックソングではないし、どこまで変化球なのか分かんないですが、この曲。

斉藤こず恵「山口さんちのツトム君」

はいはい、今50才前後の方には懐かしい曲なんじゃないですねぇ。 人によっては記憶の中の「最古」の曲って言う方もいらっしゃるかもしれない。

現に、ワタシとしても、自分の記憶の中では、「タイムリー」で聴いた曲の最古の記憶に近いですね。

ワタシャ、この時、7才。小学校1年生。

大人しくて、泣き虫で、どんくさくて、影が薄くて・・・。学校ではイジメられっ子の典型のような子供でしたね。
大勢と野球したり、カンケリしたりするより、「一人遊び」してる方が好きな子供でしたね。

このころはオフクロもパートで働いてたんで、学校から帰ってきても誰も居ない事が多かった。
だから、一人で「午後ドラ」見たり
そそそ、なぜか電話帳とか道路地図を一人で見てるのが好きだった。

電話帳の数字の羅列と、住所みてると、その土地の情景を夢想したり、 これは、道路地図見てるときもそうだったんだけど。。

一言で言えば、子供らしくない、ヘンな子供だったんだよ。

数字の羅列を見てるのが好きだった・・・っていうとろこは、後年、チャートマニアとしてオリコン収集にいそしむことになる事に繋がってるんだけどさ。。


そう言えば、かなり前に、伊武雅刀「子供達を責めないで」を書いた時、作詞した、秋元康氏曰く、これは子供の頃を自分を書いた曲・・・・ということを書いんだけども、ワタシも似たところはあったんだよね。

天真爛漫、無垢な子供というよりは、リアリズムなところがあって、ちょっと下から目線で、子供のクセしてお子様ランチが嫌いで。。。

あ、これは、今でも根っこの部分は変わってない。 

そんなヘンな子供だったけど、当時から音楽は好きだった。 なんとなくやってみたくなって、自分から親にねだってヤマハのエレクトーン教室に通い出したのも、たしか、この「山口さんちのツトム君」が巷に流れ始めた頃だった。

それが縁だったのかどうかは忘れたけど、個人的にこの曲、よく歌ってたなぁ。

だけど、どこで覚えたんだろう? 7才で当然と言えば当然だけど、76年当時はいわいる流行り歌の世界に足を踏み入れていない頃だ

この曲は、NHKの「みんなのうた」で流れていた曲だけど、個人的には「みんなのうた」も見てなかったしな。
だからね、この「山口さんちのツトム君 」って、どこで知ったんだろう? っちゅうのは、今となっては謎なんだよね。

誰かが歌っているのを覚えたんだと思うんだけど・・・。 幼馴染だった、となり家のユキちゃんだったかもしれない。やっぱり、音楽が好きで、よく歌うたってたからなぁ。

子供向け番組としては、フジテレビの「ひらけ!ポンキッキ」は見てたんたけどね。

以前、書いた子門真人「およげ!たいやきくん」も、のこいのこ「パタパタママ」も「ポンキッキ」からの曲っていうのは、既書したとおりでさ、こっちの曲は「ポンキッキ」で、よく見てたし、好きだったよなぁ。

しかしねぇ上記のポンキッキの2曲を含め、いずれもオリコンでベストテン入りしてたって言うのは今となっては信じられない事だよな。

ハイライトは、「パタパタママ」と「山口さんちのツトム君」が同時にオリコンでベストテン入りした、1976年8月23日〜9月20日付の1カ月間だったと思う。

童謡とはまた別ではあるけど、いわいる「子供向け」の曲ですよ。 当時の一般の歌謡曲に交じってオリコンのベストテン内でチャート争いをしているっていうのは、今、当時のオリコンチャートをみても、一種異様な光景であったりもするんだよね。

この斉藤こず恵さんの「山口さんちのツトム君」にしたって、オリコン最高3位、売り上げ50万枚ですからねぇ。
今考えると、ちょっと信じらんない。
もっとも「およげ!たいやきくん」は、これでの日本のレコード史上、最大売り上げのシングルとして、未だに燦然と輝いている訳だけど。。。

まあ、それだけ「子供」の数が多かったって事ですよね、当時は。 

1970年代初頭の第2次ベビーブームで生まれた子供達が、ようやく物心がつき始めたっていうのが、丁度この頃でしたから。 チルドレンパワーが今とは比較ならないくらい大きかったんですよね。

そんなチルドレンパワーがこの直後、ピンク・レディーで爆発する訳だけど。 そんな現象を予感させる「前哨戦」だったのかもしれない、この「山口さんちのツトム君」とポンキッキ発の一連のヒットは。

最も、この渦中にあった当時は、そんな事は知る由もなかった訳だけど。。。。




あれ? 動画でバックに流れてる「みんなのうた」とはちょっと違うな・・・と気がついた方は「みんなのうた」通ですね。
 
そそそ、↑のデータには、タイアップとして「NHK みんなのうた」って書いちゃったけれど、実際の「みんなのうた」は斉藤こず恵さんバージョンぢゃなく、川橋啓史さんバージョンだったんだよね。

↓ コレ



つまりは、斉藤こず恵さんバージョンの方が後付でのリリースなんだよね。
結果、川橋啓史さんバージョンより売れちゃった・・・と。

それでも、「川橋」さんバージョンも約30万枚も売れたんだけど。。。
ただ、こちらのバージョンのリリースはちょっと変わってて、コロムビア、ポリドール、CBSソニー、RVC4社競合でのリリース。(結局はコロムビアからリリースされたものが圧倒的に売れたましたが。。。)

いやいや、実はその他にも歌ってるヒトは別に、計11社から当時リリースされたんだよね。
まあ、それだけ当時この曲が注目されてたって訳ですね。

競作ヒット。 80年代、「氷雨」「釜山港へ帰れ」「浪花節だよ人生は」「秋冬」・・・などなど一時、競作ヒットがチャートをにぎわした時期があったけど、この曲は、そのさきがけ的な曲だったんだよね。


それにしても、子供向けの曲って、当時だから売れたけど、少子化が進む今じゃ、もう売れないよな・・・なんて、長年思ってたんだけど。。。
まさか2011年に、斉藤こず恵さんと同じく「天才子役」で、薫と友樹、たまにムックとしてでてきた「マルマルモリモリ」が、あそこまでヒットするとは予想も出来なかったな。

いや、まさに今もFoorinの「パプリカ」がロングヒットしてたりして、チルドレンパワーは現在も健在ってところなんだよね。


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Heart and Soul / 浜田麻里

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今回の1曲セレクトは、「Heart and Soul」浜田麻里です。

まずはデータですぅ。

・タイトル     Heart and Soul
・アーティスト   浜田麻里
・作詞       浜田麻里
・作曲       大槻啓之
・編曲       大槻啓之
・リリース日    1988年9月7日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   15.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1988年10月31日〜11月7日付
・タイアップ:NHK「ソウルオリンピック放送」テーマ曲

ここんところ、続けて古めの曲が続いたんで、今回は80年代に戻って来ますか。

少し前、リオオリンピック開催中の時分にも書いたんだけども、今年のNHKのオリンピック放送のテーマソングは、安室奈美恵の「Hero」ってことで、この曲、未だにチャートの上位で頑張ってたりしてロングヒットになってるけどさ。
NHKのオリンピック放送のテーマ曲って、毎回好評なんだよな。
4年に一度って言う事もあるんだろうけど、アーティストにとっても「栄誉」な向きもあるしね。 まあ、なにせ「天下」のNHKに認められたって言う向きもあるしな。暮れの紅白も当確間違いなしって言う事もあるし。。。アーティスト・・・うんにゃ、「事務所」にとっては、1粒で何度もおいしい・・って訳ですわな。

だけんどね、昔からNHKのオリンピック放送で、アーティストの曲を使っていたのか・・・というと「さにあらず」なんですよね。

初めてNHKのオリンピック放送にテーマ曲が使われたのは、1984年のロスアンゼルス五輪の時なんじゃないのかなぁ。

 そそそ、今でも時々聞くけど、ロス五輪のファンファーレandテーマ

↓ コレ


タイトルは知らなくても、ま、聴けばだれでも分かりますよね。「あ、これか」って。
そそそ、「スターウォーズ」「E.T」「シンドラーのリスト」などなどアメリカ映画音楽の巨匠、John Williams氏作曲のお馴染みのファンファーレですわ。
蛇足だけど、当時、ブラスバンドやってたワタシャ、これが憧れでしたねぇ。いつかやりたいよなぁ・・・なんて思っていたものの。ここまで吹けるヒト達が集まった部活じゃなかったからなぁ。。。

・・・とと、話がずれた。

そそ、このロスアンゼルスオリンピックは、「商業五輪」元年なんて言われた訳で、このオリンピックファンファーレを含めた、アルバム「L.Aオリンピック公式アルバム」なるアルバムまで発売されて、日本でもオリコンでベストテンに入る大ヒットを記録したもんだよな。

そんなわけで、NHKのオリンピック放送でも、このファンファーレが使われてた・・ような気がする。
で、もって、公共放送のNHKが商業主義に加担するとは何事だ・・なんて言われてた様な気もする。。

でも、そんな流れを受けて、次の1988年「ソウルオリンピック」では、オリンピック放送でアーティストの曲をテーマソングに・・・なんて事になったのかどうか・・・は分かんないけど

でも、1988年の「ソウルオリンピック」からはテーマ曲にアーティストの曲を・・・となったのは間違いない事なんだよね。

で、選ばれたのが、今回引っ張ってきた、浜田麻理さんの「Heart and Soul」。

うむ、ソウルオリンピックだったんで、タイトルにも「Soul」って引っかけてたわけだよね。

ただね、この曲・・・・というか浜田麻理さんがソウルオリンピックのテーマソングに・・・って聴いた時は、意外だったよなぁ・・。いや、マジで意外だった。

浜田麻理さんと言えば、日本での女性ヘビィメタルの草分け的な存在だったしさ。そんなハードロックの女王・・・いやいや、当時の年齢的に言えば、アイドル的な存在だった訳でさ。

・・・なんて書くと、今の「BABYMETAL」か・・・なんて思っちゃう方もいるかもしれないけど。。。
そうぢゃない、アイドルっぽいヘビメタじゃなく、ヘビメタ界のアイドル。

女性とは思えない、ハードかつパワフルなボーカルには定評があったヒトですわ。

まあ、それまでヒット曲らしいヒットはなかったんで、いわいるゴールデンタイムの歌番組にも出てなかったし、幅広く知られた存在ではなかったんだけどさ。

ワタシもね、この「Heart and Soul」以前、たまたま、夜遅くやってた歌番組に、このヒトが出てて「CALL MY LUCK」だったかな、・・を歌っててさ、思わず引っかかっちゃったんだけど。。
だから、たまたまそれを見てなかったら、恐らく、この曲が出てくるまで、このヒトの事は知らなかったと思う。

・・・ってくらいの知名度のヒトだったってこともあるけど、何より、天下のNHKがさ「ハードロック」のアーティストを起用したってところが驚きだったんだよな。

うむ、それまでのNHKだったら、もっと「安全パイ」なところからアーティストを起用してきたはずだね。
なにせ「皆様のNHK」なんで。。。

ま、今でこそ、NHKがハードロックだろうが、アイドルだろうが、ジャンルを超えてアーティストを起用することは「普通」になったような感があるけど、こと30年前は、まだまだお堅い「お役所」のイメージがあったからなぁ。

それを考えると、浜田麻里さんを起用する・・・ってことは、相当な勇気があったんじゃないんですかねぇ・・・なんて想像するんだけどね。
 でも、それまでの前例を打ち破り、このヒトを起用したからこそ、ソウルオリンピック以後は、テーマ曲、映像が一体化した躍動感あるオリンピック放送に変わった・・・ような感じはするよなぁ。

この「Heart and Soul」は、それまでの浜田麻里さんの曲に比べると、ハードロックとは言えども、まだまだ大人し目に抑えた曲調だったんだけどね。今聴くとポップにも聴こえるしね。

いずれにしても、この曲がきっかけで、浜田麻里さんもブレイク。その次の「Return to Myself」の大ヒットに繋がるって訳でさ。

まあ、時代は、アイドルからロックへ・・・っていう流れが加速して行っていた訳だし、その流れにうまく乗れたって言っても良いんだろうけどな。
そんな時代の流れをしっかり見据えていたでしょうかねぇ、NHKも。




ちなみに、1972年の札幌オリンピックでは、NHKで、トワ・エ・モアさんの「虹と雪のバラード」が使われてたんだよな。
でも、この浜田麻里さんからみると、如何にも「皆様のNHK」って感じですもんね。
そこからみると、この時の起用は如何にぶっ飛んでたか・・・って事ですよね。


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熱くなれ / 大黒摩季

1996_08_熱くなれ_大黒摩季


今回の1曲セレクトは、「熱くなれ」大黒摩季です。

まずはデータです。

・タイトル      熱くなれ
・アーティスト   大黒摩季
・作詞        大黒摩季
・作曲        大黒摩季
・編曲        葉山たけし
・リリース日    1996年7月8日
・発売元      ビーグラム
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数   83.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1996年7月22日〜9月2日付
・タイアップ:NHK「アトランタオリンピック放送」テーマソング

リオオリンピック盛り上がってますねぇ〜。
次は東京ということで、そちらに重点が置かれているという感じで、当初はそれほど期待してなかったんだけど、最初の水泳の頑張りで、俄然、盛り上がっちゃいましたね。
 メダルが獲れた獲れなかったは別として、これほど色々な競技でメダル争いに絡んでくるとはね、最初は思っても見なかったもの。

・・・・ということで、やっぱね、これだけオリンピックが盛り上がってきては、過去のオリンピックに関係する曲を持ってきたくなっちゃうわけです。

・・・ということで、今回は、この曲。

大黒摩季「熱くなれ」

この曲は1996年、今から20年前の「アトランタオリンピック」の時の、NHK「オリンピック放送」のテーマソングでしたね。
 ふむ、今回のリオでのテーマソングは、安室奈美恵の「HERO」だけど、それに当たる曲が20年前は、この「熱くなれ」だったわけですな。

ちなみに、NHKのオリンピック放送で「テーマソング」ということで、一般のいわいるヒットソングが使われるようになったのは、1988年ソウルオリンピックの時、浜田麻理さんの「Heart and Soul」からでしたね。
 で、次の1992年バルセロナの時は寺田恵子さんの「PARADISE WIND」。
それらに続いて1996年がこの「熱くなれ」・・・ということで、テーマソングが使われ始めてからは3回目のオリンピックだっただけども、こうしてみると、初めのうちは「熱い」曲が多かったんだよな。

今でいえば、いずれも「肉食系女子」なロックアーティストが、それぞれの持ち味を出した「熱い曲」だったもんな。

だからねぇ、NHKも変わったよな・・・なんて思ったもんよ。80年代当初じゃ考えられなかったもんな、こういうロックアーティストが、世紀の祭典であるオリンピック放送のテーマ曲に使われるとはさ。

その中でも、一番「熱」かった曲が、今回セレクトしてきた「熱くなれ」だったんじゃないですかねぇ。

なにせ、イントロの ♪ Everybody Go Everybody Go Everybody Go〜 ♪から、インパクトの塊じゃないですか。

ま、それでなくても、それまでもインパクト旺盛な曲が続いてきた大黒摩季の曲の中でも、ひときわインパクトが強い曲だったもんな、この曲。

そんなインパクトの塊のような曲が、オリンピック期間中、NHKから流れ続けていた訳でさ。そりゃ、熱いオリンピックになる・・・・筈だったんだけどな。。。。。。

曲はインパクトの塊で熱い曲だったのに、実際のオリンピックといえば、日本勢は低迷してましたからねぇ。
金メダルは、柔道の3つのみ。銀銅と合わせても計14個のメダル獲得に留まってたりしたしな。

このインパクトの塊の曲がバックに流れるそばから、ことごとく「予選落ち」の報道がされていた事が想い出されるワ。 なんか、拍子抜けのような感じがしたりね。

NHKのオリンピック放送のテーマソングもここ最近・・・と言うか、2004年の件の、ゆずの「栄光の架橋」以来、N落ち着いた、ドラマティックな曲が多くなりましたな。今回の安室奈美恵の「HERO」もそうだもんね。

やっぱ、この「熱くなれ」までの「熱い曲」で、思ったほど日本勢の活躍が見られなかった反省なんでしょうかね。
ちなみに、ゆずの「栄光の架橋」のテーマ曲だった、2004年のアテネオリンピックでは、金メダル13個、銀銅あわせて計37個も獲得したんですよね。
そこに来てゆずの「栄光の架橋」がよりドラマティックな演出になったからなぁ。その流れが今に続いているって言う感じなんだよね。

売り上げ的には、この前後は、低迷が続いていた大黒摩季さんでしたが、流石にオリンピック放送のテーマ曲と言う全国区な露出があったため、この曲だけは、V字復活しましたね。
 ただ、これが最後の盛り上がりって感じでしたね。ま、ビーイング系から小室系へって言う時代の変化もありましたし、売り上げも右肩下がりでしたね。




そう言えば、先日のRISING SUN FESTIVALで久しぶりの復活を見せた大黒摩季女史でしたね。
全盛期の頃の声には到底至らなかったようですが、盛り上がったようですねぇ。


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