かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

G.S

これがそうなのね仔猫ちゃん / ジューシィ・フルーツ


1981_07_これがそうなのね仔猫ちゃん_ジューシィフルーツ


今回の1曲セレクトは、「これがそうなのね仔猫ちゃん」ジューシィ・フルーツどえす。

まずはデータどえす。

・タイトル   これがそうなのね仔猫ちゃん
・アーティスト ジューシィ・フルーツ
・作詞     近田春夫
・作曲     近田春夫
・編曲     ジューシィ・フルーツ
・リリース日  1981年5月1日
・発売元    コロムビア
・オリコン最高位 29位
・売上げ枚数  6.1万枚
・タイアップ:サッポロ「グイミー」CM曲

ここんところ、過去に書いた曲のアーカイブスを検索してて、過去に書いたはずなんだけど、アーカイブス検索にひっかからない曲が何曲か出できた。

いや確実に書いたはずなんだけどなあ・・・と思いーの、「mixi」の日記のアーカイブスを検索すると出て来てたり。。。。

そそそ、以前から何回か、書いたんだけども、ここのブログ、元はといえば、mixiに2005年から書いてきた日記のうち、「1曲セレクト」とか「ライブレビュー」にあたるものを、2015年に移植したものなんですよね。

もっとも、2015年以降は、それまで書いてこなかった曲を新たに書いてきたんだけども。。。

なので、ブログの底の方に沈んでいる、「初期」の記事は、ほとんどmixiに書いたかなり古いレビューなのよね。

で、mixi時代に書いた曲のほとんどは、このブログに移植したんだけども、中には移植しなかった曲があるのよ。

内容的にかなり古くて、さすがに今じゃ通用しないだろうなぁ・・・と思われ、新たに書いた方がいいか・・・と思われる曲なんだけども。。。

ただ、それがどの曲なのか・・・、今となってはわかんなくなっちゃったんで、ここんところ毎回、ひっくり返してみているわけです。。。。


今回は、そんな、mixi時代に一度書いたんだけども、移植してなかったんで新たに書き直そうと思った1曲。


ジューシィ・フルーツ 「これがそうなのね仔猫ちゃん」。

この曲、覚えてますかねぇ。

1981年5月にリリースされた、ジューシィ・フルーツ4枚目のシングル。

楽曲は覚えてなくても このCMは覚えてる方はいらっしゃるんじゃないのかな?



そそそそ、当時サッポロから発売されていた、「グイミー」っていう果汁飲料のCM
いわいるつぶつぶ果実入り、果汁飲料の走りですな。

・・というか、最近は、あんまり頻繁に見かけなくなったような気もするけど。。。この手のつぶつぶ果実入り飲料って。

私があんまり飲まなくなっただけで、いまでも売られているのかしらん?

・・その辺、よく分からないんだけども、当時は、結構売られてましたよね。

個人的には「グイミー」は、あまり飲んだ記憶がないんだけども、はごろもフーズの「こつぶ」がお気に入りで、いつもウチの冷蔵庫に入ってた記憶がありますねぇ。




オレンジのつぶづぶがたくさん入っているはうれしいんだけども、うまく飲まないと、つぶつぶが缶の底にへばりついて残っちゃうっちゅう。。。

そそそ、今でも売ってる、つぶコーンポタージュ缶と同じで。。。



たださ、この「グイミー」のCMは、インパクトあったんだよな。特に曲がさ。。

♪ 青空に星がピカピカ 背中駆け抜け ショック これがそうなのね ありがとう〜 ♪

一見「なんだこりゃ?」と思えるへんちくりんなフレーズなんだけども、一度聴いたら刺さってしまうような。。。

あの頃は、へんちくりんなんだけども、強烈なインパクトなCMって結構あったよなぁ。

CM曲で言ったら、この曲の前年、ブームになったミノルタの「いまのきみはピカピカにひかって」とかさ。

フレーズの勝利っていうのかなぁ、CMで使われている部分のフレーズは、兎に角強烈なインパクトがあるんだけどさ。

ただし、元々はCM用の曲として作られたところがあり、CMの部分以外はとってつけたようで、全然面白くなかったりしてね。

上記の「いまのきみはピカピカにひかって」なんてのは、その典型だったよね。

そんなじゃ、この「これがそうなのね仔猫ちゃん」はどうだったのか?

正直言えば、近い部分があったと思うのよ。

上記のCMで使われた、 ♪ 青空に星がピカピカ 背中駆け抜け ショック これがそうなのね ありがとう〜 ♪ っていう、出だしサビの部分は、強烈なインパクトだったとおもう。

とにかく、一聴して「なんじゃこりゃ?」と思わず引き込まれちゃうようなインパクト。

・・・に比べると、曲の本編と言えるその先のAメロ、Bメロは、今一つインパクトが弱い。

まあ、「
いまのきみはピカピカにひかって」のような取ってつけたようなメロディではなく、これはこれで曲として成り立っている。
実験的といえば実験的なんだけども、ぎこちなさも感じたりして。

ジューシィ・フルーツって、本来、近田春夫氏のバックバンドとして結成した「BEEF」というグループが原点だけども、近田氏のレコード会社移籍問題で、曲のリリースできなくなって、間をつなぐために急遽作られたバンド。

なので、まともに勝負というよりは、実験的なことをやる・・というのが、根底にはあったようなんだよね。

そんな実験というか遊び心が、デビュー曲「ジェニーはご機嫌ななめ」でのイリアのすっとんきょうなファルセットボイスになるわけなんだけども。 ま、それが思いもがけない大ヒットにつながったわけで。。ただまあ、だからこそイロモノ風にも見られたところは強いけども、イロモノと見られたことで、実験的なことはやりやかったんじゃないのかな。

そんな実験的なところが「これがそうなのね仔猫ちゃん」にもみられるわけなんだよね。


もっとも、実験的なことをやり続けた結果、売上げ自体は、次第に尻つぼみ。
前年6月リリースの「ジェニーはご機嫌ななめ」がオリコン最高位5位 売上げ37万枚の大ヒットだったに対し、この曲は、オリコン最高位29位 売上げ6.2万枚まで落ち込む。 1年も経ってないのにね。


当時、ヒット曲の情報源は「ザ・ベストテン」がメインだった私なんで、本来ならば、この曲なんて、知らなくて普通・・・だったのに、当時からこの曲に引っかかっていたのは、やっぱCMの影響と、なんといっても、月刊・明星の影響が大きかったんだろうな。

うん、明星本誌というよりも、付録の歌本「Young Song」。 この本のおかげで、ヒット曲の見方も大分広がったしね。 オリコンの存在を知ったのもヤンソンだったし。。。

確かに今のワタシを形成しているのは、「ベストテン」の影響が一番なのは間違いないんだけども、ヤンソン、オリコンからの影響もかなりでかい。

そもそもヤンソンも、小5の冬にクラスの「お楽しみ会」でのど自慢大会をやったときに、誰かが持ってきたのを拝借して読んだのをきっかけにして買うようになったわけでさ。

そう考えると、あん時の「お楽しみ会」が、今のワタシの原点であり、今メシ食ってんだ・・・なんても思えたりして。。。 人生なんてわかんないもんなんだよね、そう考えると。。。





ところで、ジューシィ・フルーツは、この曲の後、急激にガレージバンド化していく。ガレージというよりは、G.S的といったほうがいいのかな。
この曲の2年後、サザンの「そんなヒロシに騙されて」のカバーなんかは、典型的な例だよね。

まあ、たしかにこの「これがそうなのね仔猫ちゃん」にも、そんな匂いを感じるし、同時期にリリースされたベースの沖山優司氏の「東京キケン野郎」なんてのは、完全なガレージだったしね。
サーフロック的なガレージというのかなぁ。もろベンチャーズというような。






ただ、時代は60年代懐古のような雰囲気があったのよ81年頃って。 
寺尾聰氏の突然のブームは、その一つと言えるし、ブーム終焉から丁度10年が過ぎたG.Sに再びスポットが当たり始めたのもこの頃。ジュリーが「G.S I LOVE YOU」というコンセプトアルバムをリリースしたのもこの年だったしね。

ジューシィ・フルーツのガレージバンド化っていうのもそういう時代の流れが影響していたんだろうなぁ。 もっともセールス的には成功しなかったけど。。。。




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君に会いたい / ザ・ジャガーズ

1967_07_君に会いたい_ザ・ジャガーズ


今回の1曲セレクトは、「君に会いたい」ザ・ジャガーズです。

まずはデータなのだ。

・タイトル   君に会いたい
・アーティスト ザ・ジャガーズ
・作詞     清川正一
・作曲     清川正一
・リリース日  1967年6月1日
・発売元    フィリップス
・オリコン最高位 - 位
・売上げ枚数   - 万枚

今回はマクラなしで、のっけから本題。
久々にG.Sなど持ってきましょうか。

ジャガーズの「君に会いたい」

この曲、ずっと持ってこようと考えていたんだけども、今一つきっかけを思いつかなかったんで、ずっとストックしてた曲なんだけども、前回の、吉田拓郎氏の「イメージの詩」を書くにあたって、いろいろネットみてたら、なぜか、この曲にあたったんだよね。

この曲がリリースされたのは1967年6月。 まだ、オリコンは始まっていないんで、実際のヒット時期というのが分からないんだけども、あの頃は少なくとも「初動のみ」のヒットということは、ないだろうからさ。
・・ということは、1967年夏にかけてヒットしていただろうという「推定」で引っ張ってきたんだけどね。

もっとも、黒沢進氏著「日本の60年代ロックのすべて」によると、

爆発的なヒットではなかったが、67年夏から秋にかけてヒットした

・・とあるので、もしかすると、実際のヒット時期は、もう少し後だったかもしれないけど。。。


うん、1967年(昭和42年)といえば、ワタシゃ、−2才。 まだ生まれておりません。。。

なので、リアルタイムでは聴いてないし、実際にヒットしていた時期も体験していないので、、資料がない限りは推定で考えなきゃいけないんだけども。。。。

・・・ということで、この曲がヒット当時してた頃は、まだ生まれていなかったわたしが、初めてこの曲を知ったのは、実は1981年だったりするんだよね。

なぜ?

覚えてないですかねぇ、1981年夏、アサヒミニ樽のCMでこの曲が使われていたのを

↓ コレ




そういえば、真行寺君枝さんっていましたねぇ。いまはどうなさっているんだろう?
それよりも、風間杜夫、平田満の「蒲田行進曲」コンビでこのCMに出てたのは、知らなかったわ。
ちなみに映画「蒲田行進曲」が公開され、一大ブームを巻き起こすのは、この次の1982年になる。

まあ、いずれにしろ、なんか知らないけど、81年当時、このCMら引っかかっちゃったんだよな。
CMだけでなく、BGMの「君に会いたい」にも引っかかった。

なんで、当時、この曲に引っかかっただろうねぇ・・とも思ったりしたんだけども、考えてみれば、時代はG.S回帰だったんだよね。 1981年って。

G.Sの一大ブームを作った、いわいる「A級」のG.Sグループが相次いで解散、ブームの終焉を迎えたのが1971年。

それから丁度10年・・ということで、G.S回帰の動きを見せたのが1981年だったわけなんだよね。

ワイルドワンズが、夏限定で再結成したのが1981年だったし。 そもそも、ジュリーが「G.S I LOVE YOU」というアルバムをリリースし、これを契機にタイガース再結成に向けて動き出したのも1981年だったし。

ま、初めは1981年の1月に、数々のG.Sグループが出演した、「ウエスタンカーニバル」の舞台となった有楽町の「日劇」(日本劇場)が閉館したのが1981年1月。と同時に「さよならウエスタンカーニバル」という特別公演が1981年1月にあり、それを受けて、夏にかけて一時的ではあるけど、G.Sが盛り上がったわけなんだよね。

実際のヒット曲の傾向としても、ジュリーの「おまえがパラダイス」をはじめとした、50's〜60'sのオールディーズっぽい曲とか、それこそG.Sの頃のガレージっぽい曲とか、今考えると、結構多いんだよね、1981年って。

それを考えるとさ、この年1981年の「顔」である、「ルビーの指環」をはじめとした一連の寺尾聰ブームっていうのも、あながち偶然ではなかったような気がするんだよね。

うん、寺尾氏も、もともとは「サベージ」っていうG.Sのベーシストだったわけだしさ。G.Sとは切っても切れない訳じゃん。


そんな傾向にあったからさ、G.Sをリアルタイムには経験していなかったワタシは、このテのガレージっぽい音が、逆に新鮮、 先端の曲のように思えたんだよね。

だから、↑のサントリービア樽のCMで使われていたこの「君に会いたい」って曲が、まさか、
あの時点で10数年前の曲とは知らなかったからさ。新曲だと思ってたの。

いつリリースされるんだろうな。。。とか。。。

まあ、その前に、あの当時曲名すら知らなかったんだけども。

今、昭和歌謡が若いコたちの間で流行っているけど、、恐らくは、1981年頃、ガレージっぽいG.Sの曲を聴いて新鮮に思えるのと、同じような感覚なんだろうな。

まあ、1981年の時のG.S熱は、実際に「タイガース」が再結成したことで一旦終焉したんだけども、その後1986〜1987年にかけて、ネオG.Sという形で、再度、ガレージブームが来たじゃん。

あのとき、ワタシも本格的にG.Sに嵌って、CD集めてたら、この曲が収録されててさ。
そのとき、「あの曲だ」と思うとともに、初めて、曲名、アーティスト名、いつのリリースだとか、もろもろ知ったわけなんだけどもね。



いまでも、G.Sのガレージっぽい音って好きなんだよなぁ。
なんでなのか、よくわかんないけど、血が騒わぐというかさぁ。 

考えてみれば、死んだオヤジが、「ベンチャーズ」か好きでさあ、車のカーステでよく聴いてたからなぁ。 その影響なのかしらん!?

なにより無国籍な音楽っぽいところがいい。 洋楽と言えば洋楽だし、 歌謡曲と言えば歌謡曲だし、ロックといえばロックだし。。。
どう解釈しても、あながち間違いではないというがいい。 節操がないんだよね。
それが、実に日本っぽいじゃん。

このジャガーズの「君に会いたい」って曲にしても、ぱっと聴きは、歌謡曲っぽいけど、100%歌謡曲とも言えない。かといってロックでもない。
バックのギターのリフはアラビア風だったり、口笛の旋律が怪しげだったり、一見よくわかんない世界なんだよね。それでいてメロディが刺さってきたりしてさ。

そんな一見バラバラな世界観が混ざり合うと、あーら、不思議。 いいじゃないの? って曲になる。 
これこそがG.Sの真骨頂だったりするんだろうな。 

ジャガーズとしては、デビュー曲のこの曲は違うけど、3枚目シングル「マドモアゼル・ブルース」からは主に筒美京平氏が作曲を担当するようになる。

それによって、ややガレージ感が薄れてきたように感じるのは、私だけでしょうかねぇ。。。。




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海は恋してる / ザ・リガニーズ

1968_09_海は恋してる_ザ・リガニーズ


今回の1曲セレクトは、「海は恋してる」ザ・リガニーズです。

まずはデータです。

・タイトル     海は恋してる
・アーティスト   ザ・リガニーズ
・作詞       垣見源一郎
・作曲       新田和長
・編曲       ありたあきら
・リリース日    1968年7月1日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位 37位
・売上げ枚数   5.7万枚

昨日、車を飛ばしつついつものように、FM東京「山下達郎・サンデーソングブック」を聴いてたら、The Amarriesの「From A Distance 」がかかった。

「From A Distance 」、邦題では、「孤独の世界」。 P.Fスローンが歌って、日本でもヒットした曲ですね。

でも、何? 「The Amarries」って。。。 またまた、ヤマタツお得意の、超マニアックバンドですか?

なんて思われがちだけど・・・。実は日本人なんだよね。 

「ジ・アマリーズ」。 68年当時、早稲田の学生だった3ピースフォークグループ。彼らがP.Fスローンの「孤独の世界を」日本語でカバーしてた曲だ。

・・・ってサンソンで邦楽がかかるのもあまりないんで、思わず聴き入ってしまったんだけども、正直「ジ・アマリーズ」なんてグループ知らなかったぞ。

調べたら、早稲田から出てきた「ザ・リガニーズ」の弟分のグループだったんですね。

ああ、「ザ・リガニーズ」なら知ってるぞ・・


・・・っちゅうことで、今回はザ・リガニーズのこの曲を持って来ましたわ。

「海は恋してる」

いや、ザ・リガニーズっつったらこの曲でしょ。。っちゅう、代表曲ですね。

まあ、今から51年も前の曲なんでねぇ、タイトルだけ見たら、「え? 知らなーい」って思う方もいらっしゃるかと思うけど、

♪ 君はきれいな 海の恋人 やさしく抱かれて 夢をごらんよ〜 ♪ 

って言うお馴染みのサビのフレーズ。
曲を聴いたら、「あー、この曲ね」って思うんじゃないかな。 

リリースは1968年 昭和43年7月。 

当然、ワタシゃ、まだ、この世に居ない。「-1才」 だったからねぇ。。

そんなワタシなんだけど、この曲は、結構早くから知ってたんだよな。 恐らく小学生の頃から知ってたと思う。

たしか、何かのコマーシャルのCMで使われてたのかなぁ。 何のコマーシャルだったのかは忘れたけど。。
当時、まだ福島のいわきに住んでたんで、もしかしたら福島のローカルCMだったかもしれない。

あ゛、でも、完全に覚えてるのは、小学6年の夏ですね。

1981年夏、かつてのG.Sでの人気グループ、ワイルド・ワンズとザ・ジャガーズが相次いで再活動を始めてたんですよね。
ジャガーズの「君に会いたい」は、たしか「サントリー・生ビール」のCMに使われたんじゃなかったっけな。

それぞれのグループとも、60年代〜70年代初頭のG.Sブームの終息から丁度10年ってことで、再活動の動きが活発になったんだけどさ。

ま、この時の再活動開始は、それほど大きな「波」にはならなかったんだけども、でも、これが呼び水となって、この年の年末の「ザ・タイガース」の再結成に繋がったのは、間違いないところだよね。

で、そんなG.Sグループ再結成の動きに併せて、この「海は恋してる」も再発されたんだよね。

いや正確に言えば、再発ではなく、当時人気俳優だった、広岡瞬が、この曲のカバーをリリースしたんだよね。
個人的には、その印象が色濃いんだよなぁ。

オリジナルの「ザ・リガニーズ」の音源を手に入れたのは、確か高校生の頃だった。
まあ、それでも年齢的に早かったかな・・とは思うけど、高校の頃、時代を遡ってヒット曲を追いかけてたんでね、このころ60年代、70年代の音源も大分取得してたんだよね。

それで、音源を整理する上で、ヒット順に曲に整理番号(ID)を振って並びかえるって言う現在に続く音源整理を始めたんだけど、ヒット順に曲を聴いて来ると、この「海は恋してる」って言う曲は、G.Sとはちょっと違うな・・って思えるようになったんだよね。

逆に言えば、それまでは当時のグループの曲って、全部G.Sなんだろうって言う認識でいたんだけども。

ちょっと毛色が違う。 そもそも、サイケ、ガレージ感が無いし、健全なイメージ。 少なくとも夜に向かった音楽ではない。

そそそ。当時は、慶応、早稲田、青学、成城・・・と大学のサークルから出てきたグループが多かったんだけども、それら大学から出てきたグループのうち、東芝からリリースしたグループは「カレッジフォーク」と呼ばれるようになった訳なのよ。

 これは、当時の東芝音工の名物ディレクターだった、高嶋弘之氏(高嶋ちさ子のお父さん、故・高島忠夫の実弟)が名付けた・・というかシリーズの呼称なんですよね。

まあ、当時の大学生は知的エリートだし、そもそも音楽なんぞやってるのは、そのなかでもいいとこのおぼっちゃまだった訳で、いわいるG.Sのサウンドとは違ったんだよねぇ

やっぱり、育ちが音が出る・・・っていうかねぇ、 上で書いたようなガレージ感、というか不良性が無い訳よ。

だから、サウンド的にG.Sとは異なるんだよね。 その辺を高嶋氏は見抜き、G.Sとは一線画した「カレッジフォーク」というシリーズを立ち上げんだろう。

でも、それは正解だったんじゃないかなぁ。 

後年、ニューミュージックと呼ばれるようになった音楽は、70年代初頭に突然出てきたかのように、ものの本には書かれる事があるけど、実際は、このカレッジフォーク路線が基盤になって発展した音楽なんだよね。

はっぴいえんどだって、ティンパンアレイだって、それ以前に、ユーミンを発掘した村井邦彦氏だって、早稲田・慶応閥な訳じゃないですか。 結局はカレッジフォークからの流れなんですよね。

それを考えると、今のJ-POP、特に今をときめく、米津玄師や、あいみよん、髭ダンなどのシンガーソングライター系アーティストの流れを辿って行くと、源流の一つはココにたどり着くと思う。そういう意味ではJ-POPの「祖」と言うべき音楽だったんじゃないかなぁ。

もちろん、G.Sからの流れも、亜流となってではあるけど、今のJ-POPに繋がっているんだけどね。




この曲のキモは、サビのメロディラインもさることながら、Interludeでのセリフだよね。

「海も失恋するのかな? 涙をいっぱいためるかな? でも、溢れだしたら困っちゃうな 
だって俺 泳げないんだもん 」

なんて、間抜けなセリフなんでしょ 。今だったら、バカヤロッ って思わず張倒したくなっちゃうような

でも、結局こういうところがG.Sとは異なるんだよな。いいとこのおぼっちゃまって言う感じじゃん。


ちなみに、件の「ザ・リガニーズ」、メンバーは

・新田和長(VO. G)
・武藤敏史(G)
・内山修(B)
・吉田光夫(G)
・常富喜雄(G)

・・・すげぇメンバーだって思う方は、「業界」通ですね。

そそそ、新田和長氏は、グループ解散後、東芝EMIに入社し、チューリップ、甲斐バンド、長渕剛、稲垣潤一らを育てた名ディレクターとして活躍後、ファンハウス社長
武藤敏史氏も東芝EMIに入社後、オフコースを育て上げ、寺尾聰の件の「Refrections」をプロデュースした名ディレクター。 

いや、「ザ・リガニーズ」に限らず、この当時のカレッジフォーク、G.Sには、後にレコード会社の名ディレクターになられた方が実に多い。
カレッジフォークからは、その他に、「ザ・ランチャーズ」の渡辺有三氏(元キャニオン名ディレクター)が有名ですよね。

結局さ、そういう流れから見ても、この頃のカレッジフォークから、今のJ-POPに繋がってる部分って言うのも大きいんだよね。

ちなみに、ベースの内山氏とギターの常富氏、最初に書いた「ジ・アマリーズ」の田口氏は、後に「猫」と言うグループを結成し、「雪」「地下鉄にのって」「各駅停車」などのヒットをとばしましたよね。

ついでに、後にワイドショーのリポーターになった所太郎氏もグループに在籍。でも、本人はあまり語らなかった見たいですが。。。



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小さなスナック / パープルシャドウズ

  1968_08_小さなスナック_パープルシャドウズ

今回の1曲セレクトは「小さなスナック」パープルシャドウズです。

まずはデータです。

・タイトル     小さなスナック
・アーティスト   パープルシャドウズ
・作詞       牧ミエコ
・作曲       今井久
・編曲       林一
・リリース日   1968年3月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  47.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1968年6月24日〜9月9日付

いやー、今日は最高に暑い。 昼間の家のダイニングの室温計は35℃を指しておりましたわ。。。。
チケケチ生活のワタシは、クーラーは自分の部屋しか入れてないんで、自分の部屋以外、他の部屋は熱帯なのよ。そんな訳で、今日は1日部屋でダラダラ。。。。 外になんか全く行く気無しですわ。。。
まあ、考える事はみんな同じなのか、日中、外を歩いてるヒトもほとんど居なかったし。。。静かな日曜でしたわ。

それはそうといつまで続くんですかね〜、この暑さ。 来週末はもう9月なんですけど。。。。
「夏の終わり」の兆しが見えないですねぇ。

本当はね、そろそろ夏の終わりを想定して1曲セレクトを書きたかったんだけど、そんな雰囲気じゃねーよなー。


・・・っつうことで、曲を変更。

で、引っ張ってきた曲がこの曲。


パープルシャドウズ「小さなスナック」。

しかし、なんで、この曲が「夏の終わりの兆しが見えない」曲なんやねん ってところなんたけど・・・。

先週、ビリーバンバンの「さよならをするために」の時に、ヒットまで時間がかかった曲って言うお題で書いたんだけど、この曲もそうなんだよね。

リリースは1968年3月25日。 ・・・っちゅうことはちょうど50年前ですわ。 半世紀前になるんですねぇ。
ワタシもまだ生まれてない。。。。

だけど、ヒットのピークは、50年前の丁度今頃、8月だったんですねぇ。 リリースから約5カ月かけてのヒットと言う訳ですわ。

まあ、今のヒットチャートからすれば、ちょっと考えられないようなロングヒットなチャートアクションではあるけど、当時は、こういったヒットまで時間を要した曲なんてザラにあった訳で、この曲が特段珍しいヒットの仕方と言う訳ではないんだけどさ。

結局さ、50年前は、日本の隅々まで曲が認知されるまで、それだけ時間を要したって事でもあるんだよね。
まだ、インターネットがある訳じゃないし。。。日本全国即時に情報が広まる・・・って言う時代じゃ無かったんだよね。

ちなみに当時のテレビの普及率は、白黒テレビが96%に対し、カラーテレビは5.4%っていう数字が残ってたりする。 

そんな時代なんですよね50年前は。 


ところで、この「小さなスナック」は、いわいるG.Sに分類されている訳だけどさ。。うむ、パープルシャドウズ自体、ギター2本、ベース、ドラムっていう、今でいえば4ピースバンドだったわけで、立派にグループサウンズだった訳なんだけども。

ただ、立ち位置としては、他のG.Sと比較してもかなり特殊だったんだよね。

・・・というのも、G.Sではあっても、やってる音楽は、もろ「歌謡曲」だったから・・・なんだけど。

G.Sは、現在に続くロックの源流・・っていうのが、一般的な見方だろう。 そりゃそうだ、G.S⇒グループサウンズ、いわば「バンド」であり、エレキを掻きならすような音楽であった訳だから。

でも・・・ですよ。実際は、その裾野はめっちゃ広いんだよね。 その名の通り、もろ・ロック系統のグループもいれば、アイドルバンドなグループもいる。 その中でも歌謡曲系の最右翼だったのが、このパープルシャドウズだったんじゃないか。

だったんじゃないか・・・って、ワタシ、まだ生まれる前の話なんでさあ、、実際に体験した訳じゃないんで、はっきりとは言えないんだけどモノの本からすれば、そんなイメージですよね。

ちなみに、G.Sを体系的にまとめた、黒沢進著「日本の60年代ロックのすべて」によると、ロック的な観点から見ると、G.S史上、最も「駄作」だった曲がこの「小さなスナック」・・・と言われていたようだ。

70年代初頭のころが一番顕著だった事なんだけど、ロック側の人間からすると、「歌謡曲」は最もダサい音楽だった訳ですよ。 いわいる「体制側」(⇒あっち側)の音楽ってことで。 ロックの精神は自由だ・・・これこそがナウイ音楽だ・・見たいなところがあったんだよね。

たださ、歌謡曲っぽかったからこそ、売れたともいえるんだよな。
↑のデータによると、この曲の売り上げ枚数は47万枚となっている。 この売り上げ枚数って、1968年当時のG.S全体の売り上げ枚数でも、トップクラスなんだよね。 この曲を上回っているのはタイガースくらいなんですよ。

さしもの、テンプターズの「エメラルドの伝説」でさえ、これより下回っていた訳で。

1968年っていうのは、G.Sブームが最高潮の年だった訳なんだけども、とは言っても、やっぱり歌謡曲の時代なんだよね一般的な傾向は。

そもそも個人的に言っても、G.Sと言われる曲で一番最初に覚えたのは、この曲だったと思う。 
いや、まだG.Sとかなんとか、そう言うしがらみが全然分かんなかった頃。 恐らくまだ物心がつくかつかないかの頃から知ってましたねぇ。

どこで覚えたのか、最初はどこで聴いたのかは全然覚えてないけど、いつの間にか知ってたもんなぁ。

「スナック」っていうタイトルが如何にも昭和40年代を彷彿させるんだよね。 

いつかも書いたんだけど、当時(昭和40年代)、ワタシの幼馴染で家族ぐるみで付き合ってたオヤジさんが、(常磐線)湯本駅前で「スナック」をやってて、夜な夜な、ウチのオヤジ、オフクロがここに入り浸ってたんだよね。
とうぜん、ワタシもよく連れてかれてた。 で有線から流れていたのが、当時の歌謡曲でさあ。 恐らくこの曲もそこで初めて聴いたんだと思う。

兎も角、この曲のタイトルもそうだけど、曲自体を聴くと、あの「スナック」の匂いが鼻腔に漂ってくるんだよな。
お酒とコーヒーが入り混じったような独特の匂い。ジントニックを始め、いろいろな種類のお酒の瓶。 緑色のソーダー水と浮かんでる真っ赤なチェリー。

ワタシの物心つくかつかないかの頃の「昭和の原風景」がこれなんだよな。

いまリアル仕事で働いているのが神田神保町。 今はだいぶ少なくなっちゃったけど、ごく僅かに、こんな昭和40年代の原風景そのままの一角があるんだよね。
それこそ、この曲のタイトルちゃないけど、小さなスナックが数件並んでいる一角。 昭和40年代にタイムスリップしたようでね、個人的にこの一角が大好きなんだよな。
そこを通るたびにどこからとなく浮かんでくるのが、この「小さなスナック」だったりもするんですよね。 



リードギターで、この曲の作曲者の今井氏は、もともとハワイアン・バンド出身なんで、
この曲のイントロのギターソロは、如何にもハワイアンっぽいですよね。
G.Sっていうと、イコール、ガレージロックって言う印象が強い。
この曲も、まあ、サウンド的にはガレージ的なんだけど、そんなガレージなサウンドとハワイアン的なギターソロのマッチングが結構新鮮だったりするんだよね。
この曲に引っかかるのは、その辺なのかもしれないな。

・・・というか、後年、G.S的な・・・っていうとこのイメージだったりするんだよね。

80年代中盤、ネオG.Sブームってことで一時ワタシもこの手の音に嵌まった事があったし、その頃、堀ちえみのシングルで「夏咲き娘」って、もろガレージな曲があったんだけども、結局はこんな感じだったもんね


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