かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

BOOWY

B・BLUE / BOOWY

1986_11_B・BLUE_BOOWY






今回の1曲セレクトは、「B・BLUE」BOOWYです。

 まずはデータです。

・タイトル    B・BLUE
・アーティスト  BOOWY
・作詞      氷室京介
・作曲      布袋寅泰
・編曲      布袋寅泰
・リリース日   1986年9月29日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   13.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1986年10月27日〜11月3日付

 先日、氷室の「DEAR ALGERNON」の時にも書いたばっかなんだけど、ワタシャどうもね、「新しいモノ」が苦手なところがあるのね。そういう意味では、充分、保守的なんだよな。
 うーむ、ここでは散々、保守的はいかん・・・とか書いときながら ふらふら

 それはもちろん、音楽でもそうよ。


 今回引っ張ってきた、BOOWYの「B・BLUE」なんかもそうだったな。正直ね、この曲初めて聴いたときは、「なーんとも」思わなかった。

というより、どちらかといえば毛嫌いしてたかもしれない。

 このサウンドがねぇ、当時は鼻についたのよ。いまは、何ともないけど、このエッジの効いた、独特の硬い音っちゅうの? ワクに嵌ったような音・・・。まずね、これがどうもね。。。

 まあ、当時としては「新しい音」だったのよね、日本のロックとしては。
 しかも、テレビにも出ないで「生意気だ」とか、オヤジみたいな考えもあったりして ふらふら

 兎に角、86年当時としては、BOOWYは無いものだったね、ワタシの中では。

 実質、この曲でブレイクを果たしたって感じのBOOWYなんだけど、でもさあ、これがやたらと人気があったのよ・・・ってか、後年の「伝説化」を考えても、それは納得のいくところだったんだけど。。  

 以前も書いたけど、次の年の、我等が某S高校の文化祭のバンドは、みーんなBOOWYだったもの。。。

 なんか、それではいかん・・・みたいな感じで、後おいで聴いたんだよねぇ、この「B・BLUE」って。

 80年代も押し迫って、88年、89年くらいになると、こういうエッジの効いたサウンドって普通になりましたからねぇ。
 当時のニューウェイブ系の双璧のもうひとつレベッカもそういう音になったからねえ。
 あ、レベッカは好きだったのよ、ワタシ。生理的には受け入れられたし。。

 ま、そういうわけで、今では普通に聴いてる「B・BLUE」だったりするんだけど、一体、86年当時の生理的に受け付けなかったのは、どうしてかねぇ・・・とか思っちゃったりするわけです。

 それもこれも、新しものは「ダメ」っちゅう、保守的なところがネックなんだろうねぇ。。。 
 ワタシャ、新しもの好きな広告代理店の社員にはなれないだろうなぁ。。。



 上で書いたように、実質的にはこの曲で大ブレイクしたBOOWYだけど、この曲から解散まで、2年も無いんだよね。まさにあっという間に駆け抜けた・・・って感じで。。。だから「伝説」のバンドとも言えるわけでね。


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マリオネット / BOOWY

1987_08_マリオネット_BOOWY






今回の1曲セレクトは、「マリオネット」BOOWYです。

 まずはデータです。

・タイトル   マリオネット
・アーティスト BOOWY
・作詞     氷室京介
・作曲     布袋寅泰
・編曲     布袋寅泰
・リリース日  1987年7月22日
・発売元    東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  24.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1987年8月3日〜9月28日付

 いつかも書いたような気がするけど、もしさ「80年代」にROCK IN JAPANがあったら・・・なーんて、たまに思うことがあるわけよ。

 もちろん、当時から、ROCK FESを開催しても全く、今と遜色のないアーティストスペックでのROCKイベントは開催可能だった。

 けど、当時は縦割り社会だったからなぁ、音楽業界は。 違うレコード会社同士のアーティストは、一緒のステージに立たない・・とか、変な不文律があったりして。
 それに、ROCK FESっていうノウハウも日本にはまだまだなかったってのもある。
 すでに海の向こうでは、80年代には今と同じような規模、スタンスのロックフェスは開催されていたんだけどさ。
いずれにしろ、当時からROCK FESがあったら、面白かったろうになぁ。
そんな架空「80年代ROCK FES」には、BOOWYは絶対的だったろうねぇ。

 あ、弁解するようだけど、80年代にも野外でのROCK FESはあった。ただ、今と違うのは会場の規模の違いと、ほとんどが単発開催だったんだよね。今のように毎年、ルーティン的に行われるものではなくて。

 事実、86年夏に九州の阿蘇外輪山で行われた、「BEAT CHILD」という、ロックイベントには、BOOWYも参加している。
 その他、尾崎豊、佐野元春、ハウンド・ドック、ブルーハーツ・・・なんていう、今考えたら、そうそうたる面々が一同介したロックイベントだったんだよね。

 いや、ワンマンではなく、ロックフェスだったら、BOOWYも見たかったな・・なんて、今となっては、個人的にも思ったりしてさ。

・・・・ということで、今回は、87年のまさに今頃ヒットしてた「マリオネット」を持ってきましたわ。

 上で「今となっては・・・」って書いたのは、これも以前、同じBOOWYの「ONLY YOU」を書いたときにも書いたんだけどさ、当時、ワタシ、BOOWYっていうヒトたちが、どうもキライでねぇ。。

 っていうか、今となっては「ヤキモチ」なんだけどさ。

 ワタシらの世代は、まさに「BOOWY」世代のど真ん中なのよ。
高校んときの文化祭バンドっていったら、みーんな「BOOWY」のコピーばっか。みーんな「マリオネット」。

 それがなーんかヤでさあ。 頭きたから、この「マリオネット」は「反骨」で何回も聴いて、ドラムは完コピした。

 で、文化祭でこの曲やって、ドラムがへたくそだと、へたくそ・・・なんてほくそえんだりしてさあせあせ  暗い子だったのですよ、あのころのワタクシは。


 もちろん、今は、この曲「キライ」ってことは全く無い。むしろ、87年の曲の中ではベストソングの一つですわ。
 当時、好きになれなかった理由の一つとしては、この独特のドライブ感なんだろうなぁ。うーん、なんていうのかなぁ、それまでの日本の音楽にはなかったような、ドライブ感なんだよねぇ。それに対応できなかったのよ、当時のワタシは。

 今となっては、この感じが「87年の匂い」だっていう感覚になったんだけどさあ。

 それから20年後。 付き合いということもあるけど、ソロになった氷室のライブで、生「マリオネット」を聴くことになるとは、当時は夢にも思わなかったわけで・・・。




当時はまだ、あんまりなかったPVで・・・。 えれえ、音がクリアなんで、ちょっと引っ張ってきましたわ。

 氷室っていうヒトは、昔から全然変わんないな・・・なんて思ってたけど、いまこうしてPVみると若いな。 やっぱ28年っていう年月はでかいな。 布袋氏は、あんまり変わんないけど。。


 しかし、今となっては、この曲の売上げが24万枚そこそこなんて信じられないよなぁ。。。そのくらいの超人気バンドだったんだけどねぇ、BOOWYって。
 まあ、あのころはまだ、シングル「CD」はなかったわけで、全部「アナログ」だったわけだけど、世間はレコードからCDへっていう時代のまっただ中での24万枚だったからねぇ。


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ONLY YOU / BOOWY

1987_04_ONLY YOU_BOOWY






今回の1曲セレクトは、「ONLY YOU」BOOWYです。

まずは、データでーす。

・タイトル     ONLY YOU
・アーティスト   BOOWY
・作詞       氷室京介
・作曲       布袋寅泰
・編曲       布袋寅泰
・リリース日    1987年4月6日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    11.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1987年5月4日付

 高校の文化祭。 まあ、大抵はバンドってやるじゃん。
で、年代によって、誰の曲が一番コピーされたかって変わって来るよねぇ。
 うちらの年代・・・・、えーと、今年46歳になる方としておきましょう・・・は、もうね、めっちゃ、はっきりしてましたよね。
 ボーカルが女の子のバンドはレベッカ、男だけのバンドだったらBOOWY
 
 ・・・・・もう、こればっかり。。。。

 ワタシが通ってた、某私立のS高校は酷かったですよ。ワタシが高校3年の文化祭。10組くらいバンドでたのかな。その10組中9組がBOOWYのコピーよ。。。。

 おいおい、おめーら、少しは「オリジナリティ」と「アイデンティティ」を確立してこいよ・・・・・って言いたくなるようなラインナップ。

 当時、ワタシは個人的にドラムはやってたけど、バンドは組んでなくてさ。会場の体育館の後ろの壁に寄りかかりながら、「へたくそー」と叫んでいる、いやなガキだったんだけど、さすがにどのバンドもBOOWYばっかだと飽きちゃってね。。。

 まあ、そのくらい人気があったんだよね。BOOWYって。

でもさぁ、あの当時、個人的にはBOOWYって大っきらいでさ。「こんなもん、どこがいいんじゃい!!」ってホンキで思ってたんですよ。 
 なんせ、当時ワタシはGSに走っちゃってたんで・・・。ほんの一部のブームだけど、ネオGSっていうブームがあって、ワタシは、そっちの方に傾倒しちゃってたんだよね。
 だから、BOOWY聴くなら、ゴールデンカップス聴いてたほうがかっこいいじゃんってマジメに思ってたワケさ。

 まあ、そんな感じで、天邪鬼に音楽聴いてたから、いっしょにバンド組んでくれるような奴がいなかったんだけどさ。。。

 BOOWYがキライだった理由・・・・、どうもね、この独特の硬質感と、グルーヴ感が生理的にあわなかったんだよね。当時は。
 ワタシは、本質的に土臭いダサイ曲が好きだからさ。カッコよすぎるんですよ、BOOWYって。
 まあ、一種の「やっかみ」ですよ。正直言って。

 もちろん、今は違いますよ。だから、この当時、BOOWYのCDって1枚も持ってなかったんだけど、大人になってから買いましたし、この曲の音源も当然持ってますし
 
 でね、いまになって、かなり遅ればせながらだけど、「へぇ、いいじゃん」って思えるようになってきたんだよね。
 今になって思えば、27年前もっとちゃんと聴いてればよかったな・・・とか反省したりして。。

 いつだったか、業界でワタシの師匠格の方が、氷室に関与していたことがあって、「関係者」席で見せてもらった代々木体育館での氷室のライヴ。ソロではあったけど、この曲も演奏したんだよね。
 もう、トリハダが立つくらい熱かったね。 やっぱし、シロートが演奏するのとはワケがちがう・・・・って比べる方も比べる方だけど。。。。

 とにもかくにも、キライな曲でも真正面から向き合った方がいいよな・・・と思わせれくれた1曲ですよ。
今になっての反省としてさ。
 



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