かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2002年

そうだ!We're ALIVE / モーニング娘。

2002_02_そうだ!We're ALIVE_モーニング娘。



今回の1曲セレクトは、「そうだ!We're ALIVE」モーニング娘。なのだ。

まずはデータでする。

・タイトル   そうだ!We're ALIVE
・アーティスト モーニング娘。
・作詞     つんく
・作曲     つんく
・編曲     ダンス☆マン
・リリース日  2002年2月20日
・発売元    ゼティマ
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  44.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:2002年3月7日〜3月21日付
・タイアップ:TBS系「ソルトレークシティ五輪」テーマソング

米津玄師の「KICK BACK」が昨年11月のリリース以来、今だヒットチャートの上位守りを続けている。僭越ながら、ワタクシのランキングでも、最新のランキングで、まだ2位を守っていたりして。
2018年のあの「LEMON」以来のロングヒットの兆しが・・・っつうか、実際にそうなってきているますね。
アニメ「チェンソーマン」の大ヒットのオープニングに起用されてというのもでかいだろうし、何といっても曲調がね。

ラフなサウンド、鬼気迫るようなスピード感と圧迫感のせめぎあいのようなシュールな世界観は、さすが、King Gnuの常田氏とのコラボというべきか。
これだけでも、ロングヒットの条件はそろっているわけなんだけども、そのほか、この曲がモー娘の「そうだ!We're ALIVE」をパクった。。。。

いやいやいや、サンプリングしたってニュースが話題の拍車をかけたような気もするんだよね。








っつうか、はじめは、「え? この曲でモー娘。なんて使われてたっけ?」 ・・・っつうくらい、よくわかんなかったんだけども。。。。

歌詞をよくよく見ると、 イントロの部分でぶつぶつ言ってるラップのような部分で

♪努力 未来 A BEAUTIFUL STAR・・・

と「そうだ!We're ALIVE」のメロ冒頭のフレーズが引用されてるんじゃん。

そのほかにCメロの

♪ 幸せになりたい 〜 ♪ のフレーズもそうだわな。

なるほどよくよく聴いてみると、確かにサンプリングされているのがわかる。
パッと聴いただけでは、原曲の「そうだ!We're ALIVE」との楽曲の世界観が180度違うんで、全く気が付かなかったんだけども。。。。

しかも、こんな感じで、パっと外観だけでは見過ごしてしまいそうなサンプリングでも、米津玄師側のスタッフは、「そうだ!We're ALIVE」のフレーズ使用の許諾をきちんと、つんく氏に取ったという。

その話を聞いて、「うわっ、律儀」と思ってしまった私なんだけども。。。

いやいや、これが正式なやり方・・・というか「スジ」の通し方なんだよね、本来は。

以前は「ぱくり」という言い方で揶揄されてきた、まあ、曲を作る上で昔からの、ある種の「手法」なんだけども。。。
昔は揶揄されたぐらいだから、「ずる」な方法とも取られていたわけで。。。「ドロボー歌謡曲」なぞという本も上梓されたくらいなんで。。。
あれから時が流れ、今では「サンプリング」という言い方に代わって、この手法もある意味「合法」的に見られているようにも感じるんだけども、厳密にいえば、いまでも「違法」なんでね。

もっとも、あくまで「原曲者の許可なく勝手に使えば〜」にという枕詞がついてですけど。。。。

でも、意外と、それ知ってか知らずか、ちょいと他の曲のフレーズを「お借り」したような曲って意外と多いからさ。

本来は、今回の例のように、サンプリング元の「そうだ!We're ALIVE」の作詞作曲者の「つんく」氏に事前に許可を取って、そのうえで、著作権使用料もつんく氏に支払うというのが「スジ」の通し方なんだよね。

で、今回、この曲は、こんな「本来」のやり方で「スジ」を通したって聞いて、米津氏なかなかやるじゃん・・なんて思ったわけですわ。
某JASRACさん的には、「KICK BACK」を利用するときには、「そうだ!We're ALIVE」との2曲利用扱いになっているんで、使う方はご注意を。

まあ、米津氏が所属するのは、天下のソニーだし、その辺のスジの通し方は、コンプライアンスがうるさい、このご時世ですからね。なんかあった場合に大変なことになる・・ということも考えての上での、今回のやり方だと思うんだけどね。
それでも、まだまだ本来のスジの通し方をやらていない曲も多いですから。。。

なぜかって? そりゃ、著作権法自体が「申告罪」だからですね。 つまりは、訴えられないと実質的な罪にならないってこと。 だから、バレなきゃいいや・・・見たいなところもあると思うのよ。

まあ、一昔前だったら、そういう理由が最も強かったんだろうね。
なんせ「Far East」の日本の曲なんて、向こうの人はほとんど知らなかったわけじゃん昔は。
だからというわけでもないんだろうけど、向こうの曲をサンプリングしたフレーズの曲で、今聴くと、今だったらアウトっていう感じの曲って、結構ありますからね。

もっとも、サンプリングする場合は、本来だったらサンプリング元に許諾を取って、詞・曲をサンプリングする場合は著作権使用料を払うというのを知らなかったりすることは、以前から多かったんだろうし、今でも多いんだろうけど。。。。

ただ、今はネットっちゅうもんのおかげで、世界中どこでも、リアルタイムで曲が聴けるしね。だから、勝手にサンプリングすればバレることも多くなっているはずなんでね。もし、これ知らなかった方はご注意を。。


あー、またまた、マクラが長くなっちてしもた。。。。

・・・っつうことで、本来の「そうだ!We're ALIVE 」。

なんか、最近、モーニング娘。ばっか書いてるじゃんとか言われそうなんだけども、↑のように米津くんの曲と引っ掛けるのにちょうどタイミングが良かったんで、ご了承くだされ。。。


この曲を初めてきたのって、今でもよく覚えてる。

あれは、2002年の2月の頭だったと思うんだけども・・・。前にも何回か書いたように、当時、某着メロサイトのディレクターをやってたワタシゃ、例のごとく、午前1時20分着の京葉線の終電で蘇我駅へ。で、そこから車で30〜40分かけて家まで帰宅してたんだけども。。。

なんで、最寄りの駅ではなく、わざわざ車で30〜40分かけて蘇我まで行っていたか・・というと、京葉線の終電が、最寄りの駅までの終電に比べて1時間30分ほど遅かったからさあ・・・。

入社後、はじめ、それで終電に乗れなくて「朝まで会社」コースをしたことが何回かあったんで、わざわざ蘇我まで車で行ってたわけなのさ。

で、車を止めてたち勇者場の近くに「セブン」があってさ、決まって腹が減るんで、帰りがけによるのが日課になってたわけで。。。

そんな時に車で夜食の焼きそばを食べながら聴いてた「オールナイト」でかかったのが、この曲を初めて聴いたときだ。

だから、なんだろうけど、いまだに、この曲を聴くと、あんときの光景と「焼きそば」の匂いがフラッシュバックする。

なんか、因果なもんですな。。。。

初めて聴いた時、ブリッジのインストの部分で「ジンギスカン」っぽいリズムになったり、スピードが上がったり変則的なアレンジだったりするんで、 「なんか変な曲」と感じたのが第一印象だったな。

それでも、また聴きたくなったりして、個人的には引っかかったのよ、この曲にも。

ただ、前曲「Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜」での「ヅカ風」なミュージカルアレンジよりは、とっつきやすさを感じたけど、統一感という意味ではさ。
こんな変則的なアレンジで、印象がとっ散らかるような曲がどこまで売れるのか・・というのは、少し疑問だった。

当然売れるよな・・・というよりは、売れてほしい・・・っていう感じの曲って感じだったかなぁ。

でも、結局、CD売り上げという点で「Mr.Moonlight〜愛のビッグバンド〜」を7万枚ほど下回り、50万枚割れ。 CD売り上げだけではなく、ベストテン入り期間も短縮と、ヒット規模自体の縮小にも歯止めがかけられなかったわけでね。

モーニング娘。という「時代の波」は本格的に過ぎてきたな。。と「数字」の上でも実感した曲でもありましたね。





それにしても、米津玄師くんが、この曲をサンプリングしたってことは、米津くん自体この曲を聴いてたってことだよね。ってことを感じた時に、日本の音楽界も変わったなぁ・・・と思わずにはいられなかったワタシだったりして。。。

いや、ワタシらの世代の感覚からすれば、いわいるシンガーソング系の「アーティスト」が聴く音楽って向こうの曲オンリーで、日本の曲、ましてやアイドルの曲は、ほとんど聴かないって頭があるからさあ。うん、自ら作ることはあってもさ。

件の「LEMON」を聴いていても、アイドルの匂いなんて全然しないし、当然、向こうの曲メインで聴いてるんだろうな・・なんて感じたりしてたんだけどさ。

もっとも、もともと米津くんって、ニコ動から出てきたアーティストだし、アイドル、アニメ系から音楽に入ってきていたっておかしくないんだけどね。
そういう頭がないワタシからすると、世代間ギャップを感じずにはいられないですよ〜。

もっとも、細野晴臣氏だって、Y.M.Oのころからアイドルの曲を掘っていたらしいし、桑田氏だって大瀧詠一氏だって昭和歌謡が好きだったわけだし。。。
昔からアイドル好きなシンガーソングライターもいたわけで、特段驚くことじゃないんだけどね。


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One Night Carnival / 氣志團

2002_06_One Night Carnival_気志團


今回の1曲セレクトは、「One Night Carnival」氣志團どぇす。

まずはデータだぜぃ。

・タイトル    One Night Carnival
・アーティスト  氣志團
・作詞      綾小路翔
・作曲      綾小路翔
・編曲      氣志團
・リリース日   2002年5月29日
・発売元     EMIミュージック
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   18.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位

この時期になると、脳裏に浮かぶ曲がある。
ま、普通は梅雨の時期なんでも「雨」にまつわる曲とかさあ。そうなるんかなぁ。ラジオ聴いてると、大体そんな感じだもんね。
あとは、無理やり入れれば、ジューンブライド・・・っつうことで、ウェディング・ソングとか。。。

あ、いや、これは、最近あんまり聞かなくなったのかなぁ。。。

でもさ、個人的にこの時期と言って、未だに脳裏にこびりついているのは、ケータイの新機種対応なんだよなぁ。

あー、またもや仕事関係の話で申し訳ないですが。。。

特に、docomoの新機種対応。 503i から504i へ、504iから505iへ っていう新機種リリースがいつも決まってこの時期だったのよ。 

ま、実際のリリース日は、もうちょっと前だったんだけどね。

でもねぇ、これら新機種対応で、ワタシら着メロ業界で何が大変だったかといえば、新機種に合わせた音源ファイルのカスタマイズ、いわいる再ミックスですわ。

503i の16和音から504iでは40和音へ  さらに505iでは64和音へ 音数も音色も進化するのに伴って、これらに合わせた音源ファイルの再チューニングを行ったからさあ。

とりわけ、初めて再チューニングを行った、2002年の503i の16和音から504i 40和音への作り替えは大変だった。

あの当時で、1万曲以上配信していたと思うんだけど、それら全曲に対して504全機種用のファイルを作るってことでさ。

まあ、ほとんどの曲は機械的にファイルコンバートしていくだけの作業だったんだけども、これが上手くコンバートしない曲かあったりしてね。。。

最終的にファイル数、数えてみたら機種によってファイル数が合わなかったりして・・・。
で、どの機種の、どの曲がエラーになっているか・・調べて作り直したりして。。。
結局、あの時も2日ばかり徹夜したような記憶がある。

そうそうそう、3日目の夕方、社長が気つかって、いっちゃん高いユンケル差し入れてくれたの覚えてるワ。。。 

それでも、3日ぶりに解放された、帰りの京葉線でつり革につかまりながら、半分気絶してたもん、ワタシ。

あの気絶する直前に、ウォークマンのイヤホンで流れていたのが、氣志團の「One Night Carnival」だったのは、やけに記憶にこびりついてるんだよな。

だから・・・というわけでもないんだけど、氣志團の「One Night Carnival」を聴くたびに、2002年5月の504i対応の時の光景とか、京葉線でつり革につかまりながら気絶する直前の光景が、いまだにフラッシュバックするんだよな。。。。

だけど、氣志團の「One Night Carnival」ってどこで、初めて聴いたんだろう・・・?

・・それが思い出せない。

CDリリースを調べなおすと、2002年5月29日とある。  いや、この時にはdocomoから504iシリーズは、すでに発売されていたはずだ。

・・ということは、もうすこし前だったハズなんだけども。。。 でも、私のウォークマンに曲が入っていたということは。。。

うーん、どこでこの曲の音源仕入れたんだ? ワシ。。。

さらに、初めてこの曲の存在を知ったのも、よく覚えていない。

この曲、EMIからリリースされる1年前に、インディーズから別バージョンでリリースされていたじゃん。 恐らく、初めに聴いたのはそっちのバージョンだったと思う。

あのころ、着メロの音源情報を仕入れるために、日ごろから、いろいろなサイト巡回していた時に、たまたま氣志團を見つけたんだったけなぁ。。。

まずもって、ビジュアルからインパクトだよね。 今どき時代錯誤なツッパリ ヤンキーグループですかい

ま、たしかに、80年代の横浜銀蝿よりも、当時のチーマー的なものほんのヤンキーっぽくは一瞬見えたけど。

あの頃、ヒップポップ系の兄ちゃんのなかには、ホントに怖そうな兄ちゃんもいたからねえ。 ついにロック界にもそういう輩が出てきたかと一瞬思ったりしたもんよ。

でも、曲を聴いてぶっ飛んだ。 演奏力がある。 各パートともにテクニシャンなのよ。
これだけのテクニックがあれば別にこんなビジュアルにしなくてもいいじゃん・・・と思えるほど。

それ以前に曲自体 キャッチーだし、一発で刺さったもの。

でも、これが、売れるための彼らなりの戦略だったんだよね。 

まあ、それまでのいろんなヤンキーがごっちゃになっているところがあったけど。。。

出だしの 「俺んところこないか」っていうセリフは、杉本哲太「On the machine」(1982年)から拝借したもの。

・・・かと思えば、 「とにかくもう 学校や家には帰りたくない」って、尾崎豊の「15の夜」(1983年)になったり。。。

さらにさらに、「行こうぜ ピリオドの向こうに」っていうセリフは、チェッカーズの「Jim & Janeの伝説」(1988年)からのパクリ・・・うんにゃ 引用だったりして。。

加えて、全体的にお茶らけたお祭りムードは、アラジンの「完全無欠のロックンローラー」っぽいよね。。

・・・ってな感じで、80年代のツッパリ方面の曲がごっちゃに引用されてる。

もろ、その世代のワシにとっては、一発でそれと分かるわけで、一気にノスタルジーな気分になったり。

逆に、ワシら世らよりも若いコたちには、あの変なパラパラ踊りと相まって、新鮮に映るんだろうな。。

そんな充分に計算された曲だし、バスるのも必然だったのかもしれないな、この曲。

加えて、丁度同時期に放送されていた、ドラマ「木更津キャッツアイ」で、木更津⇒ヤンキー っていう認識が再燃してたからなぁ。 そんな時期に、「房総ヤンキー」ってことで「氣志團」が現れたのは、めっちゃ、タイムリーだったっていうのもありましたよね。

氣志團、木更津から出てきた・・・ということもあって、急に親近感が沸いたりして。。。

え、だって、ワシも高校は木更津だもの。 同じ「JR内房線同盟」としては親近感ですよ。

・・と同時に、ツッパリヤンキーなビジュアルなのかが、すぐにわかった。この手のあんちゃん、多かったもんね、木更津周辺には。 

いや、少なくとも、ワシらが高校生の頃の木更津駅周辺には、この手のあんちゃん、いっぱいたむろしてたけどなぁ。

しかしね、綾小路君は、ワタシらより丁度10才年下ですわ。10才年下の頃でも、この手のあんちゃん多かったんですかね〜。 高校卒業以来、あまり木更津にはいかなくなったんで、何とも言えないんだけども。

それにしても、綾小路君、ワタシらと同世代? ってくらい、ワシらの世代の風俗とか、ヒット曲知ってるからな。最初は、ホントに同世代か・・・って思ったもの。


・・・なんて書いてたら、「One Night Carnival」の制作秘話なる動画が出てきた。

↓ コレ




うむ、もしかしたら、これ見てくれた方が、ワシがちまちま書くよりも、「One Night Carnival」については正確に分かるかもな。。。

・・・ということで、ワシはここいらで撤退。。。。







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I can't stop my love for you ♥/ 愛内里菜

2002_04_I can't stop my love for you_愛内里菜


今回の1曲セレクトは、「I can't stop my love for you ♥」愛内里菜です。

まずはデータでっす。

・タイトル    I can't stop my love for you ♥
・アーティスト  愛内里菜
・作詞      愛内里菜
・作曲      川島だりあ
・編曲      尾城九龍
・リリース日   2002年4月10日
・発売元     GIZA studio
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 10.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:2002年4月25日〜5月2日付
・タイアップ:日本テレビ系アニメ「名探偵コナン」オープニングテーマ

只今、4半期に一度の「繁忙期」でして。。。 毎度のことだけど、この繁忙期になると胃が痛くなるんだよね。
そんな中、昨日今日と、ぽっかり穴が空いたような「一息」日って感じで、割と落ち着いていたんで、久しぶりに平日に「1曲セレクト」を書いてたりします。

でもまあ、「忙しい」っ中のは、IT業界・・・っつうか、エンタメ系IT業界に入ってこの方、「毎度〜」の事なんでね。
逆に言えば、毎日必ず「家に帰れる」だけ、昔よりは全然マシってところかなぁ。

昔、この業界に入りたての頃、そそそいまは「ncnc動画」の成功で超有名になっちまった「D社」の子会社Cで、着メロサイトをやってた頃は、めちゃくちゃ大変だったもんなぁ。

最低週1回は徹夜が当たり前。週2〜3回徹夜のこともザラだったもんね。特に新しいサービス、サイトを立ち上げる時は戦争だったもんよ。 4日連続で徹夜とか。。。  あんときはね本気で死ぬかと思ったもん。
4日ぶりに「解放」された帰りの京葉線で吊革につかまったまま「失神」してたから

今でいえば完全にブラックって言われてもおかしく無かったですよ。 まあ、それに比べたらね。

そんな状態でも「ブラック」と言わずに働いていたのは、やっぱ、より好きなことをやってたからなんだろうな。
コンテンツをリリースするまでは辛いけど、リリースしてユーザーの受けがいいと辛さも一気に吹き飛ぶんですよね。 その快感を味わってしまうとねぇ〜。

そんな訳で、徹夜続きでも、不思議と精神的な辛さはあんまり感じなかったし。まあ、体力的には辛かったけどね。

あれから、もう15年経つんだよな。 まだ30代になったばっかの頃ですわ。 まあ、だから出来たんだけどね、4日連続徹夜なんで無茶なことも。 いまそんなことやったら確実に死にますわ。


今もそうだけど、当時も帰宅の電車の中ではウォークマンは必須アイテム。 

・・・ということで、今回は「激務」をこなしていたあの頃よく聴いていた曲をひとつ。

愛内里菜 「I can't stop my love for you ♥」

この曲は、今から15年前の丁度今頃ヒットしていた曲だ。 ↑で書いたように仕事が一番忙しい頃で、帰り・・と言っても毎日決まって「終電」だったけどさ、そんな「終電」の中でよく聴いていたなぁ。

だからね、未だにこの曲を聴くと、あの頃の「激務」が思い浮かぶんだよね。

2002年の4月。  そそそ、この前から何曲か書いてきたけど、個人的に2002年の「春ウタ」っていうと、真っ先にこの曲が浮かんでくるんだよな。

イントロの全音符で伸ばすシンセの音色。温度感が実に「春」っぽくてね。 コトバにはなかなか表すのが難しいんだけど、気持ち落ち着くっていうか。。。

ま、そんなシンセの音色以外に、愛内里菜さんの曲の中では、比較的落ち着いた、まとまりのある曲であると思うんだけどね。

うん、正直言うと、GIZAの曲って、全体的に言うとそれほど得意じゃなかったんだけどさ、当時。 でも、この曲は例外的に引っかかった。
 それは、やっぱりまとまりがあったからじゃないかなぁ。 それと分かりやすさね。 一度聴いたらすんなり入ってくるような素直さっていうのかなぁ。そこが良かった。

世間的に言えば、「名探偵コナン」の当時のオープニングテーマってことで、覚えてる方の方が多いと思うんだけどさ。
でも、個人的には、そう言うタイアップが無かったとしても、この曲は受け入れられていたと思うな。



今PVを見ると硬質的な無機質感なPVっていうのが、この時期の流行りだったのかなぁ。例えば、宇多田の「光」にも、同じような質感を感じたりしたんだよな。
本来なら、この手の手触りの曲って苦手のはずなんだけども、なぜか、この時期に限っては許せたんだよなぁ。

いつも書いてるように、本来はもっと有機的な泥臭い曲が好きなんだけどね。


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桃色片想い / 松浦亜弥

2002_02_桃色片想い_松浦亜弥








今回の1曲セレクトは、「桃色片想い」松浦亜弥です。

まずはデータでーす。

・タイトル     桃色片想い
・アーティスト   松浦亜弥
・作詞       つんく
・作曲       つんく
・編曲       高橋愉一
・リリース日    2002年2月6日
・発売元      ゼティマ
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   22.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:2002年2月21日〜2月28日付
・タイアップ:エフティ資生堂「ティセラ」CM曲

 えー、この1曲セレクト、70年代、80年代の曲が大半で、続いて90年代ってところな訳で、2000年代以降の曲は、まだ数えるほどしか書いてないんだけど、まあ、たまにはいいよね・・・って自分に言い聞かせたりして、セレクトしてきたりしましたわ。

松浦亜弥「桃色片想い」。

2002年の丁度今頃のヒットなんだけど、さすがにこの位の時代だと、ここ読んでくださっている大半の方は「昨日」って感覚でしょうかねぇ。 ヒトによっては、数時間前・・・なんて感覚の方もいらっしゃったりして。。。

 でも、振り返ってみると、もう14年も経ってるんだよね。 いやいやいやいや、月日の経つのはマジ早い。

 大体ですね、この曲がヒットした頃は、ワタシの場合、すでに今の自分のサイトを運営していたしね(丁度開設2周年の頃ですね)、今とほとんど変わらない環境下に居たよなぁ。

 ただ、当時はまだ「ブログ」は一般的ではなく、もっぱら「掲示板」でしたよね。「BBS」ってやつで。。。

当然、ワタシも、このブログ同様なヒット曲とか、ヒットチャートについて、みんなで意見できるような「チャートBBS」って言うのを開設してて、一番盛り上がっていた頃かなぁ。

で、当時、すでにこの曲のレビューは、一度、その「BBS」で書いたんだよね。

その他、当時リリースされた「新曲」については、あらかた、そのBBSで一度レビューを書いたこともあって、今まで、この「1曲セレクト」では、この当時の曲はあんまり書いてこなかったんだよね。

まあ、まだリリースされて、それほど年月が経って無い・・・ってのもあったけど。。


でも、 ↑で書いたように、考えてみれば、この当時から既に15年内外経っちゃったんだもんねぇ、そろそろ、また書いてもいいよな・・・っとは思ってたりする今日・・・なんだよね。


で、まあ、当時、BBSで、この曲について、どう書いたか・・・って内容は全然覚えてないんだけど、かなり「好意的」な事を書いたような・・・・気がするなぁ。。。

当時、すでに某有名IT系企業C社で、某有名着メロサイトの配信楽曲の選曲をやってた関係で、この曲なんかも、結構早く聴いたんだけど、初めて聴いた時から、「あ、これはホームラン」って感じたんだよね、この曲。

兎に角、早く、着メロにしたいっていうのは、思ってたなぁ。
ま、そう言うところは、着メロ作ってるクリエーターの方にも、伝わるもんでさ、この曲の着メロ、すんごくデキが良かったのを覚えてるワ。

蛇足だけど、この曲がリリースされた頃、その某IT企業で新たにボイスサイトを開始したんだけど、立ち上げが大変だったんだよな。確か、4日徹夜でしたよ。
当時は、まだ30代前半で若かったからさ、あー、IT企業ってそういうところか・・・って感じだったけど、この曲聴くと、あの時の「徹夜」のシーンが鮮明に脳裏に浮かんでくるよ、今でも。
まあ、好きだから出来たんだよな。


話が脱線した。。。

 まあ、年齢的に、30過ぎのオッサンがいつまでもアルドルじゃねーだろ・・・って感じで、当時も、それほど積極的にアイドルの曲を聴いてたわけじゃないんだけどね。だから、当時のハロプロ系も、それほど積極的に聴いてたわけじゃないんだよね。でも、あややは良かったぁ。

 90年代、よく高橋由美子さんが、最後の「正当派アイドル」なんて言われてたけど、実は、このヒトも正統派アイドルだったんだよね。 恐らく、その辺りが、安心できたんだと思うな、ワレワレの世代としては。

「新しさを感じない」って言うかね。 例えば、前々曲の「LOVE涙色」なんて、もろ80年代アイドルだったじゃん、曲が。ま、その辺は、流石につんく、同年代 ってところなんだけど。。。

でも、このヒトは、曲は80年代だけども、アナクロさを感じさせてないんだよね、きちんと2001年当時の空気に溶け込んでたりしてね。そこがいい。

 この曲にしたって、曲自体は50〜60年代のロックンロールのパロディだし、だから、下手すると古臭い曲で終わっちゃうところなんだけど、しっかりと2002年って言う空気に溶け込んでたよな。

 でも、一番よかったのは、このヒトの「鼻から抜ける」声だったりして 

♪ んももいろの〜 ♪ って感じで鼻から抜けるところが許せないって方は、恐らくこのヒトはダメなんじゃないかなぁ。

いやいや、ココはアイドルとして、重要よ。 なんせ、平山みきさんに始まり、麻丘めぐみ、松本伊代、高橋由美子・・・と、一つのアイドルの系譜がありますからねぇ、「鼻から抜ける」声なアイドルっていうさあ。

本来、そこは、筒美京平氏が大好物な系譜なんだよね。 だから、個人的には、あややも1曲でいいから、シングルを筒美氏に書いて欲しかったんだよな。面白い曲が出来たと思うけどなぁ。


だけどさあ、久々にこの曲のチャートデータを確認したんだけど、それほど思っていたよりも売れた訳じゃないんだよね。22万枚ねぇ。 うーん、なんか、もっと売れたような感覚があったんだけどなぁ。
しかも、ベストテン内にゃ2週しかいなかったんだよな。

今は「初動だけ」っていうチャートアクションが、ゴクゴク普通になってるけど、当時も、その傾向は強かったんだよね。





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無色 / 上原あずみ

2002_10_無色_上原あずみ





今回の1曲セレクトは、「無色」上原あずみです。

まずはデータです。

・タイトル      無色
・アーティスト    上原あずみ
・作詞        上原あずみ
・作曲        K's letters
・編曲        徳永暁人
・リリース日     2002年9月11日
・発売元       GIZA
・オリコン最高位   5位
・売上げ枚数     4.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:2002年9月26日付
・タイアップ:日本テレビ系アニメ「名探偵コナン」エンディングテーマ

 今回の1曲セレクトは、つい最近の曲ですあせあせ   2002年ですからねぇ。 久しぶりに2000年代の曲だな。いつ以来だろ? 
・・・まあ、と言っても、もう13年前の曲になるんですねぇ。

 いつもは、70年代〜90年代を中心に書いてるんだけど、もう少し「アーリー00's」の曲も書き始めたほうがいいのかな・・・・なんて、つい、思っちゃったもんだから、たまにはいいか・・・と。


 まずもって、この曲を引っ張ってきた理由なんだけど、まあ、いつもの通り、「今ごろ」ヒットしてたのもあるんだけど、この曲のシュールさが、すんごく印象に残っててさ。

 2002年って言ったら、すでに自分のサイトも立ち上がっていたんだけど、当時、サイトの1コンテンツとしてあった、「CHART BBS」っていう掲示板に書いた記憶があるな。この曲。

あ、そそそ あの時の「CHART BBS」の発展形が、今のこのブログになるんだよね。
当時書いた時は、新曲レビューとして書いたんで、さしずめ、このブログの「キニナル曲レビュー」ですね。


その時書いた内容ってのが、こんなシュールな内容の詞の曲を、ゴールデンタイムの「アニメ」の主題歌に流して大丈夫なんか?

 ってことですねぇ。 それは、今でも印象に残ってる。


 詞の内容は、要約すると、好きな人が死んじゃって、何もかも失った気持ちで茫然自失な自分 だよね。

 場所は、星空がきれいに広がった日の夜のビルの屋上。


これだけでも、充分に内容的にシュールなんだけど・・・。


 ま、たしかに、こういう、好きな人が死んじゃって茫然自失な自分 って感じの曲ってそれまでもありましたよ。

 暗黒ソングって言われるくらいで・・・。森田童子とか山崎ハコ・・とか。。。

 ただ、アイドルっぽいコが、この手の曲を歌う・・・っていうのは、それまでは、あまりなかったはず。。

 その前に、上原あずみがアイドルって言うのが当たっているかどうかは、ちょっと疑問な部分もあるけど。。。何分、このヒト、詞は自分で書いてたからね。


 「亡くなった恋人への挽歌」っていう曲はありましたけどね。ほとんど99%は、「あなたが死んじゃって、私はこれからどうして生きていけばいいの・・・・ヨヨヨ泣き顔」と泣き崩れておしまい・・・っていうパターンだったんだよね。

 例えば、中森明菜の「難破船」とかさ。


 でもさ、この曲は、最後に一線を越えてしまう・・・・・。たらーっ(汗)

曲の最後の部分の詞

♪ そして今 この世界から星空に向かって旅立つ 
  やっと会えるね。。。   ♪


 ここが、すんごく、個人的には衝撃的だったんだよね。


え? そこまで行っちゃう?  

 このコ、カワイイ顔してるけど、けっこうヤバイくないか・・・って、あの時でさえ思ったもんなぁ。

 いや、これで曲調も暗黒フォーク調だとか、逆に、めちゃくちゃアバンギャルドな曲だったら、ある程度理解できるんですけど・・・。
 何分、あくまでフツーのいかにもGIZA系な曲だから、逆に余計コワイんだよね。しかも、このテの曲としては、「異例」のメジャーキーな曲だしさ。

 なんか、ほんとに、このコ、深く考えないで、この詞の通りのことやっちゃうんじゃないか・・・・っていう怖さ。



 事実、上原あずみ って、この曲を最後に、しばらく第一線から退いてしまった。もちろん、今でもGIZAに所属して、CDもリリースはしてるんだけどね。

 でも、GIZAさんのアーティストが必ずタイアップする、「名探偵コナン」の主題歌、エンディングテーマは、この「無色」以来、1度もやってない。

 その前に、この曲から次のシングルまで3年も、ブランクを空けてたりする。


 やっぱし、この曲で、なんかあったんだよね、きっと。ひと悶着が・・・。
 その辺の事情は、よくわかんないんだけどさ。



 またまた、蛇足だけど、「むしょく」ってキーを打つと、「無職」って、最初に変換されるんだけど・・・。
 なんか、その言葉に敏感になっている、今のワタシ。。。
やっぱ、「ムショク」の時代が数年前まで続いてたからなぁ。。。。。





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〜Midnight Dejavu〜色彩のブルース / EGO-WRAPPIN

2002_色彩のブルース_EGO WRAPPIN'






今回の1曲セレクトは、「〜Midnight Dejavu〜色彩のブルース」EGO-WRAPPIN'です。

 まずはデータです。

・タイトル    〜Midnight Dejavu〜色彩のブルース
・アーティスト  EGO-WRAPPIN'
・作詞      中納良恵
・作曲      森雅樹 中納良恵
・編曲      EGO-WRAPPIN'
・リリース日   2001年11月28日
・発売元     ユニバーサル
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数   19.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 17位

 先月、キンモクセイの「二人のアカボシ」を書いたからってこともあるんだけど、「二人のアカボシ」と来たら、個人的に、この曲っていうコンビになってる曲を引っ張ってきた。

 〜Midnight Dejavu〜色彩のブルース /EGO-WRAPPIN'

 この曲は、それまで個人的に持ってた「インディーズ」っていう概念を、いい意味で根本から覆してくれた曲だったな。

 この曲リリースは、表記上2001年11月28日になってるけど、インディーズでは、2000年9月に既にリリースされていたんだよね。

 もちろん、その頃は、ワタシも全然知らなかったわけだけど・・・。

 でさ、丁度2001年の10月頃かなぁ・・・、例の某着メロサイトでも、「CD売上げはそうでもないけど、一部で熱狂的に受けてる曲」をやろうってことになったのね。
 丁度、あのころ、HIPHOPやクラブものが本格的に流行り出した頃で、その頃ライバル視していた、某着メロサイト「C」に対抗するためっていう理由からだったんだけど・・・・。

 でもさ、ワタシその頃、そっち方面の音楽に全く疎くてね。なんせ、クラブなんて、行ってなかったし・・・。

 でもね、役に立つものは、探せばあるもんなんですよ。

 丁度、あのころ、渋谷FMとニッポン放送がタッグを組んで「SHIBUYAランキング」っていう番組を放送してたの。(正式には「SHIBUYA MUSIC TOWER」って番組だったらしい・・・)
 たしか、渋谷FMとニッポン放送の同時放送だったかなぁ。

 タワレコ渋谷店が提供ってこともあったんだけど、兎に角、インディーズものしかランクしないのよ。いや、全く知らないヒトたちばっかでさぁ、一種のカルチャーショックだったね。

 で、そのころ、ずっと1位を走ってたのが、このEGO-WRAPPIN'の「〜Midnight Dejavu〜色彩のブルース」だったんだよね。
 それに続くのが、キンモクセイの「二人のアカボシ」だったな。

大体、どんなグループなのか、全く知らなかったわけで、最初はどんな「タテノリ」バンドなんだ? って思ってたもんよ。

 ワタシは「イカ天」世代だからさあ、インディーズ⇒あんちょこなタテノリバンドorパンクロックっていうイメージしかなかったのよ。

 まあ、確かに、2001年当時でもそういうバンドが多かった、実際。

 でも、この人たちの曲聴いて、吹っ飛んだね。

 「昭和歌謡」なんだもん。それも、ちょっとやそっとの昭和歌謡ぢゃない。昭和初期、まだ戦前の匂いがする「ブルース」じゃないの。
 もろ、淡谷のり子の世界。

 いまどき、こんなヒトたちも居るんだ。。。。

 って、めっちゃカルチャーショックだったねぇ。その直後ですね、ユニバーサルからリリースされたのは。

 それから、というもの、インディーズのイメージがガラッと変わったね。ちょうど、あのころ、モンパチとか、もう少し後にHYとか、インディーズ発の大ヒットが出るようになって、インディーズっていう位置づけが音楽業界の中でもガラッと変わった時期だったよね。

 ギリギリだったけど、その波に個人的には乗れたのは、幸運だったかもしれない、今考えると。

 もし、それ以前の見方しか出来てなかったら・・・って思うと、そら恐ろしいですわ。いま、こんなして「音楽」について書いてないかもしれん。
 もちろん、毎年ロックフェスにも行ってなかったと思う。

 そのくらい、個人的には変化をもたらしてくれた1曲だね、この曲は。


 大体において、初めてFUJI ROCK FESTIVALに行って見るかな・・・と思ったのは、確かに、あの頃勤務してた、某C社内で野外フェス熱が盛り上がっていた・・・ってのもあるんだけど、EGO-WRAPPIN'のライブ見たさにって言うところが一番大きかったとおもう。

 いや、でも、今考えても「死ぬ」かと思う体験をするんだけどね。

 まさか、EGO-WRAPPIN'のライブがあんなに「過激」なものだとは、露知らず・・・。

 ワタシ、丁度、ステージ中央の前から2列目に居たのですよ。。。。

 ・・・だもんだから、まあ、大変、前からは押され、後ろからは押され、左右からは押され、上からは「ヒト」が降ってくるわ(モッシュ、ダイブってやつよ)、押された瞬間、後ろからペットボトルの破裂する音が聴こえたと思ったら、「甘い雨」が降ってくるわ・・・。

 ライブの間、40分間ぐちゃぐちゃになってました。。。。酸欠でマジで死ぬかと思ったんだから・・・。ふらふら 特に、この曲の次の「くちばしにチェリー」は「危険曲」だよ〜。。げっそり

 教訓、野外フェス初心者は、くれぐれも前列方向中央に居ないように・・・。ウッシッシ モッシュ、ダイブの嵐でキケンです。。ふらふら

 もうね30歳過ぎたら、野外フェスではオヤジ組よ。20代の体力にゃかなわんわ。(ちなみに当時、ワタシ34歳)

 一緒に行ったヒトに「チャレンジャー」って言われたなふらふら

 もうね、忘れたくても忘れられない経験だよ〜。

 だから・・・って訳ぢゃないけど、もう一回、このヒトたちのライブみたいんだよなぁ。
 今度は、野外フェスぢゃなくて、座って見れるとこで・・・。

 グラスを傾けながら、聴くには最高にいいと思うんだけどねぇ。



さあ、大人の時間ですよ〜。おこちゃまはさっさと寝なさい。。
と言いたくなりますな。こういう「大人」のヒット曲がもっと増えて欲しいですねぇ


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二人のアカボシ / キンモクセイ

2002_二人のアカボシ_キンモクセイ





今回の1曲セレクトは、「二人のアカボシ」キンモクセイです。

 まずはデータです。

・タイトル    二人のアカボシ
・アーティスト  キンモクセイ
・作詞      伊藤俊吾
・作曲      伊藤俊吾
・編曲      キンモクセイ 澤近泰輔
・リリース日   2002年1月8日
・発売元     BMG
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   23.1万枚

 個人的には、このヒトたちは好きだったんだよなあ。メジャーデビューは、この「二人のアカボシ」だったけど、この曲、初めて聴いた時は新鮮だったなぁ。

 あのころ、猫のも杓子もHIPHOPかR&B、またはエイベックス系っぽい曲が流行っていた中で、いきなり、思いっきりAORじゃん。

 時代が20年くらい遡ったもの。それがシンセの硬い音質が主流だった時代にあって、逆に新鮮に聴こえたんだなぁ。
 知らないヒトが聴いたら、70年代っていっても、まったく違和感がなかったかもしれない。


 このヒトたちって相模原出身だったぢゃない? ちょうど、このころ、よく相模原に行ってたんだよなぁ。
 
 今から15年前の2000年にネットワークの専門学校に通ってたって書いたことがあるんだけど、そこで知り合った方が、相模原でちっちゃい会社を経営してて、ネットワーク管理部門をやりたいって言うんで、ちょっと実験的に、LinaxをOSにしてネットワーク組んで管理の遊びみたいなことをやってたことがあるんだよね。それがこの曲がヒットしてたころだったな。

 ワタシは既に後に「大手」になる某着メロサイト運営会社にいたんだけど、その頃は、まだ、社員が20人もいないくらいのちっちゃい会社だったし、時間も融通が付いたころだったので、週末になると、相模原に行ってネットワークを作って遊んでた頃だな。

 まあ、結局、その直後から、某着メロ会社が「3徹(夜)」するほど、忙しくなっちゃったんで、ネットワーク管理の話は立ち消えになっちゃったんだけどさ。

 そんなころの相模原の帰りによく、この曲聴いたな。夜中の3時頃の首都高横浜線のベイブリッジあたりで聴くと、いいんだこれが。

歌詞に ♪ 眠る埋め立て地と 化学工場の煙突に〜 ♪ ってあるじゃん。これがピッタリはまって。
 
 この曲って、横浜から川崎あたりのの情景を曲にしたよね・・・っていうのが、よく分ったりしてさ。

 この曲の次の「七色の風」では、AORから、フィルスペクターの「音の壁」サウンドをやってみたり、サウンド面からみると、生理的に通じるところがあったヒトたちだったな。

 だから、この人たちが活動停止したときは、淋しかったなぁ。

 でも、まあ、音楽業界で長くやっていくことは、至難の業・・・特にメジャーレーベルにいるとさ・・・って言うことはよく分っているから、これも時の流れ・・・ということでしょうがない部分なんだろうね。
 特にバンドで長く持たせることは、各々の音楽性の乖離も時が経つと見えてくるし、6年間の活動で休止っていうのは、仕方ないところも多分にあるわなぁ。

 それにしても、あの「3徹(夜)」劇から、もう13年も経つのか・・・。
あのころは、週1回は必ず徹夜だったけど、仕事楽しかったんだけどねぇ。

 ♪ あのときボクは若かった〜 ♪

なんて、思わず歌っちゃうぞ。 いま「3徹(夜)」したら・・・死にます。まちがいなく。。。。

 いやいや、無茶はしてはいけません。あんまり頑張りすぎると、じきに燃えつき症候群から、ワタシみたいに鬱病になっちめぇますよ。


 蛇足だけど、そういえば、あの時ソフマップで3万で買った中古PC、まだ相模原に預けたままなんだよな。ふらふら
 ・・・・・なんて、もう時効だよな。。。スペックが古すぎて、今はもう使えないわ。。多分。。
 Linaxのままなら、まだ使えるかもしれないけど・・・。なんせ、もともとWindows95が入ってたPCだから・・・・。あせあせ




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