かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

2001年

Stand Up / 倉木麻衣

2001_Stand Up_倉木麻衣



今回の1曲セレクトは、「Stand Up」倉木麻衣です。

まずはデータです。

・タイトル    Stand Up
・アーティスト  倉木麻衣
・作詞      倉木麻衣
・作曲      徳永暁人
・編曲      徳永暁人
・リリース日   2001年4月18日
・発売元     GIZA Studio
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   47.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位  1位
・ベストテンランクイン期間:2001年5月3日〜5月31日付
・タイアップ:日本コカ・コーラ「爽健美茶 Natural Breeze 2001 happy live」CM曲

あー、ゴールデンウイークが終わっていく。。。 まあ、厳密に言えば今週、土日もゴールンデンウイークの範疇なんだろうから、まだ終わっていないんだろうけど、明日、普通に仕事だかんね。

個人的な中では、今日でゴールデンウイークも終わりだぁ〜 っていう意識なんだよなぁ。

あー、ユ・ウ・ウ・ツ。   

五月病なんてさあ、社会人なりたての若い方がかかるもんなんだろうけど、ワタシみたいな50過ぎのロートルおっさんでも、そういう気分になるもんなのよ。

特に明日は、普通に出勤しなきゃいけないしさあ。。 ここ3年、すっかりテレワークに慣れきってしまった身には、早起きして、満員電車に揺られなきゃいけないと思うと、出勤・・ということだけでもユ・ウ・ウ・ツなのよね。

これは、定年を迎えるまでは、毎年そういう気分が続くんだろうね。


・・・なんて、暗い話題のマクラになってしまったけど、今回は2001年ゴールデンウイーク明け頃のヒット曲を一つ。

倉木麻衣さんの「Stand Up」

アーカイブを調べてみたら、倉木さんの曲って1曲セレクトで、まだほとんど書いてなかったんだな。

うーむ、どうも、この年代あたりになってくると、本当に「昨日」な感覚なんだよね。
でも、冷静に見ると、20年以上経ってるんだよなぁ。 そろそろこの辺りの曲も書いていかないとね。

まあ、2001年は、すでに自分のサイトをオープンしてから1年過ぎてたし、恐らくこの曲なんかは、当時のBBS に「新曲」の寸評として、当時一度書いてたと思うんだけどさ。

そのBBS も既に過去の遺産。 ブログで再度残すのもいいしね。



個人的に、この曲好きだったのよ。 倉木さんにはしては珍しく、ギターを前面に出したラフなサウンドだったじゃん。

5月病の憂鬱な気分を吹き飛ばしてくれるような・・・。まあ、そんな単純な理由からだったけど・・・。

いや、実際、あの年(2001年)のゴールデンウイーク明けは、個人的に大変な目に合った時期でさ。 まあ、あまりにも愚痴になってしまうから、詳しくは書かないけど、兎も角、精神的にはどん底だったのよ。

そんなどん底の気分を吹きとばしてくれた1曲ですね。この曲。

この曲までの数曲の倉木さんの曲って、個人的には、それほど触手が伸びなかったのよ。

具体的には、前年秋の「Simply Wonderful」なんかは、キラキラとした面白い音色の曲だな・・とは思ったけども、その後の「Reach for the sky」も「冷たい海」も今一つ、はっきりしない印象が先に立ってたし。。

そんな流れから倉木麻衣ってヒトは、「2000年」に限定した人で、2001年以降・・・というか2000年代をリードしていくヒトではないのかな・・とも思えて来ていたんだよね。

ここでもよく書いてるけど、その年、その年でヒット曲の傾向、カラーって変わってくるじゃない

倉木麻衣ってヒトは、2000年っていう時代のカラーにはドンピシャ嵌っていたけど、2001年っていう時代のカラーからは外れているんじゃないか・・・なんて思えてたんですよ。

そんな折、↑で書いたように、それまでの倉木さんの曲にはなかったようなラフなギターサウンドだったからさ。

そそそ、この乾いた空気感なのよ2001年のカラーって。
どこまでも続く青い空と、乾いた空気を思わせてくれる。まるで、カリフォルニアの乾いた空気なような。。。

そう思えたのは、やっぱLOVE PSYCHEDELICOとかが出てきたからなんだろうな。

向こうのアーティストで言えば、Sheryl Crowのような独特の乾いた空気感。

そんな時代の空気感に旨く嵌ったような手ごたえがあったんだよね、この「Stand Up」って曲。

でも、そう思えたのは、実際「爽健美茶」のCMが、そんなどこまでも続く青空だったから・・・と、ずっと記憶してたんだけども・・・。 どうも、実際は違ったみたいですね

↓ コレ


ウーン、この曲から浮かんでくる、あの青空と、乾いた空気感は、一体どこから連想したんだろうな。。。 


ところで、今回この曲を書くにあたって、ネット上を物色していたら、倉木麻衣の制作サイドはパロディ好きだ・・・って趣旨のブログに出くわしたりして

↓ コレ



なんか、いろいろと批判的なことが書かれたりするけど、本人はあくまで倉木さんファンのようですね。

その中にこの曲の下敷きにした曲ってのが書かれたりしてるけど

↓ コレ




なるほど、やっぱ下敷きにしてる曲があったのね。
まあ、いきなり曲調が変わったんで、なんかあるんだろうな・・とは当時から思えたけど。。。
個人的には、この曲が下敷きで間違いなさそうとは思えるけど、真相は如何に。。。


昔だったら、パクリだぁ・・・とワタシも騒いだだろうし、↑のブログが書かれた2009年頃も、まだパクリ疑惑があった頃でもあるから、記事にもそのように書かれたりするけどさ。
今や、サンプリングって言う概念も一般的になったし、J-POPって下敷きになっている曲が多いってことが、今となってはみんな知ってるようになりましたからね。特段騒ぎ立てる事でもなくなりましね。 






ところで、↑でこの曲がヒットしていた2001年のゴールデンウイーク明けは、個人的に大変な目に合った時期でさ・・・って書いたんだけども、この1か月後に、その後の人生に関わって行く、某C社の求人広告を目にすることになる。

もし、この曲がヒットしていた頃の自分に会えるとしたら、あと1か月後に人生変わるぞ・・と言ってあげたいですねぇ。。。

そんな人生のターニングポイントに差し掛かるほんの少し前ってことでも、印象に残ってる曲だな、この曲は。 

まあ、あくまで個人的なことですけどね。。。


蛇足だけどさ、倉木さんのwikipediaには、各シングルとアルバムの詳細売上げ枚数出てるけど、オリコンさんに怒られないんですかねぇ。
ボキは、昔、怒られたけどさ〜。


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キミノヒトミニコイシテル / 深田恭子

2001_10キミノヒトミニコイシテル_深田恭子


今回の1曲セレクトは、「キミノヒトミニコイシテル」深田恭子です。

まずはデータでするん。

・タイトル     キミノヒトミニコイシテル
・アーティスト   深田恭子
・作詞       小西康陽
・作曲       小西康陽
・編曲       小西康陽
・リリース日    2001年10月3日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  8位
・売上げ枚数    4.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ:コーセー「Facio」CM曲

うー、やっと、今月の「超繁忙期」から解放された。。。
1、4、7、10月の各四半期は「繁忙期」と分かってはいるけど、これらの月は全く動きが取れなく。特に今期は、精神的にもきつかったですねぇ。
そのあおりを受けて、「1曲セレクト」も暫く書けなかったりしたんだけども。。。

まあ、これは毎年の事なんでこれらの月のヒットの曲って、これまで結構1曲セレクト、手薄なんですよね。

今回の引っ張ってきた曲も、本来ならば、今頃はヒットチャートも下降線に入っていたわけで、本来ならば10月半ばには書きたかったんだけど。。。。 まあ、ご勘弁あれ・・ということで。。。

その曲は、 深田恭子「キミノヒトミニコイシテル」。

2001年10月リリース。 丁度20年前の今頃のヒット曲ですわ。

うーむ、この曲、以前一度書いたような気がしてたんだけどなぁ・・・。
過去に書いたアーカイブを見る限りではなさそうなので。。。。

以前一度書いたのは、まだ自分のサイトでBBS(掲示板)をやってた頃だったかなぁ。

少し前、三木道山の「Lifetime Respect」の時に、散々書いたんだけども、20年前と言えば、個人的には「着メロ」サイトの楽曲運用で業界に入った頃ですわ。
10月は、3か月の試用期間が終わって本採用になった頃ですね。 
それと共に、本格的に「昼夜区別なし」の生活が始まった頃ですわ。毎日終電は当たり前、土曜日曜区別なし。 加えて何かエラーが起これば夜中でも対応しなきゃいけないっていう、第三者から見れば「ブラック」そのものの生活が本格的に始まったのがこの頃だったなぁ。

でもそんな公私区別がないような生活でも個人的には「ブラック」とは思わなかったんだよねぇ。やっぱ好きなことやってたからなんだろうね。
ほぼ、毎日終電で帰ってきて、帰ってきてからは自分のサイトのアクセスログのチェック、ページ更新、当時やってた掲示板にレス書き・・・などなど明け方近くまでやって・・・っていう生活。

もっとも、当時在籍していた某C社は、スーパーフレックスで出社時間が決まってなかったんで、朝は10時くらいまで寝てて、当時午前中放送してた「太陽にほえろ」の再放送見て、13時半ごろ出社。。。
なんて、傍から見れば重役出社か・・・みたいな生活だったんだけども。。。。

で、この「キミノヒトミニコイシテル」を初めて聴いたのも、そんな生活が始まった頃ですわ。
今でも覚えてる、終電で帰ってきて最寄りの駅から家に向かっている車でのラジオの深夜放送ですわ。
番組は忘れちゃったけど、「オールナイトニッポン」の前番組だったと思うなぁ。

♪ 深田も〜 なんちゃら〜 ♪ なんて自分の名前を一人称として呼んでる歌詞にも、確かに刺さったんだけども、これは80年代にすでにキョンキョンがやってたことなんで目新しさは感じなかったな。

まあ、それも含めてなんか変な曲だな・・・・っておもったのは覚えるわ。

でも、もし音楽関係の仕事についてなかったら、「変な曲」だけで終わってたかもな。

当時、ワタシは32才。 さすがに30過ぎのおっさんが「アイドル」じゃねーだろ っていう意識はあったんだよね、それまでは。 一応世間体の目は気にしてたしさ。

今でこそ、30であろうが 40であろうが アイドルでも堂々と聴ける世の中になったけども、20年前は、まだそういう雰囲気でもなかったしね。

でも音楽の仕事を始めた訳だからさ、アイドルであろうがヒット曲を聴くのも「仕事」になったわけでさ。周りからなんか言われたら「仕事なんで・・・」と言えるからさ。

本音を言えば「これで堂々とアイドルの曲も聴ける」なんて思ったんだけどもね。。。

だからさ、この曲を聴いたときも「変な曲」と思ったとともに、変な曲でも引っかかんだから、ちょっとちゃんと聴いてみるか・・などと思っちゃったりもしたのよ。

で、すぐにレンタル屋でシングルCD借りたな。 そそそ、この曲と あややの「LOVE 涙色」。



この曲、小西康陽氏のプロデュースなんで、ベースは60年代のオールディーズなんだろうけど、あくまでベースの部分のみで、手触りは全く新しいものに感じたよなぁ。

ピチカートファイブとはサウンド的には似た部分も感じたけど、実際は別物でしたよね。

そそそ、この前の年にヒットした慎吾ママの「慎吾ママのおはロック」だっけ? あれと、全く同じ感覚。

でも考えてみれば、例えば同時期にヒットしたTommy feruary6の「EVERYDAY AT THE BUS STOP」とかさ、表層的にはユーロビートだったけど、根っこの部分はオールディーズっぽかったじゃん。
そう、この「キミノヒトミニコイシテル」もそんな感覚だったんですよ。

だから、あの時代、あくまでも根っこの部分なんだけども「オールディーズ」っていうのがトレンドだったのかもしれないな。今考えると。そういう音楽が時代とシンクロしてたのかもしれないですね。

2001年10月と言えば「9.11」直後の、世相としては暗い時期だったけど、だからこそ、この手の甘くて煌びやかなキャンディーのような曲をみんな欲していたのかもしれないですね。

いずれにしても、この甘ったるい感じのサウンドは、2001年の今頃を感じるんだろよなぁ、個人的には。

ちなみに、あややも、この後、小西康陽氏のプロデュースで「ね〜え?」(2003年)をリリースすることになる。
ただ、この曲にはあんまりオールディーズの匂いは感じなかったなぁ。 わずか2年後なんだけども、それは、やっぱ2001年と2003年という時代の匂いの差だったんだろうね。





↑で、この曲、小西康陽氏だけどピチカートファイブとは別物だよね・・・って書いたけど、MVはピチカートっぽい作りだったな。。。
それにしても、深きょんも20年前は、それなりに「いけいけねーちやん」っぽかったのね。
最近はすっかり落ち着いて、いいおねー様になりましたが。。。


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Lifetime Respect / 三木道三

2001_06_Lifetime Respect_三木道三



今回の1曲セレクトは、「Lifetime Respect」三木道三です。

まずはデータです。

・タイトル    Lifetime Respect 
・アーティスト  三木道三
・作詞      三木道三
・作曲      三木道三
・編曲      三木道三
・リリース日   2001年5月23日
・発売元     徳間ジャパン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   89.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:2001年6月21日~8月16日 8月30日付

私事で恐縮なんだけど、音楽配信業界に携わって、今日で丸20年になるんだよね。

そそそ、某D社の子会社で、当時「16メロミックス」という着メロサイトを運営していた、某C社に
着メロ用の楽曲選曲をメインに、楽曲運用管理全般担当ってことで入社したのが2001年7月1日なんで。
某C社が「16メロミックス」をサービスインしたのが2001年6月。 なので、サイト立ち上げメンバーではないけど楽曲運用は僕から立ち上げたのよ。
あれから20年。 なんかあっちゅう間・・・だったような気もするし、長かったような気もする。

まあ、途中、バックレて音楽配信の世界から少し離れていた時期もあったんで、厳密に言えば、通して20年と言うわけじゃないんだけどね。

でも、兎に角濃密な20年だったと思う。 特に某C社(最後はD社に転属になったけど)にいた5年弱は、めっちゃ濃密な時間だったな。

そもそも某C社に入社したきっかけは、今から思えば冗談から駒のような話だったんだけども。。。

それまでの1年間、ぷー太郎をしながら、自分のサイト(THE HITCHART NOW AND THEN)を運営。 でも、それじゃ食えないから手に職をつけようと、1年間、UNIX系ネットワーク管理者養成の専門学校に通ってたんだけどさ。

それが修了して、就職先を探していたんだけども、なかなか見つからなくてね。 

兎も角、従業員数人の零細企業で構わないから、どっかIT系会社に潜り込もうと、mixiが運営してる「Find Job」っていう転職サイトを頻繁に見てたんだけどさ。

・・・と言っても、自分で音楽系サイトを立ち上げてたこともあって、出来れば音楽に関係する仕事がいいなぁ・・・と、思ってたら、あったのよ、某C社の求人広告が。

職種は、 着メロサイトで配信する楽曲の選曲と音源ファイル運用管理 。

なんか変な職種募集だな・・・とは思った。 

当時、着メロブームだったこともあってdocomoをはじめとした携帯キャリア公式の着メロサイトがボコボコ立ち上がってた頃で、Find Jobを見てると、音楽系サイト運営会社の求人募集って意外とあったんですよ、あの頃。

でも、音源ファイル制作とか、ユーザーサポート要員募集が大半。しかも大抵は契約かアルバイトで、正社員雇用ぢゃなかった。楽曲の選曲と音源ファイル運用管理なんて変わった職種の募集なんてC社くらいじゃなかったかなぁ。 しかも正社員での募集。

それまで楽曲選曲の実務経験なんてなかったし、募集年齢も過ぎてた(募集年齢は、確か30歳未満だったと思う。当時ボキは31歳)けど、正社員っていうのが魅力的だったし、ダメもとで応募してみたんだよね。
選曲に関しては、自分のサイトで、現在の1曲セレクトのような形で、楽曲レビューはしてたから、何とかなるべ・・とか思ってたりしたし。。。

でさ、面接に伺ったら、なんと、社長(・・といっても僕と同い年だけど・・・)が僕のサイトの常連だったんだよね。    

何でも始めてみることだよね。 もっとも、まだネット黎明期だったことも幸いしてたんだと思うし、いまじゃ、こんなことはまずありえないと思うけど。。。。

あん時のやり取り今でも覚えてるわ。

履歴書を渡して、いの一番に「もしかして、THE HITCHART NOW AND THEN やってるひと?」 
「そうです。」 
「やっぱり。。。。で、いつからこれる?」 

で採用  

ものの1分で決まっちゃった。 

ちょっと信じられなかったけどね。普通そんなことってありえないじゃん。

一瞬、ブラック企業か? ・・とか思ったりもしたけど。。。

あのころ、いや、今でもあるのかもしれないけど、ITブームということもあってIT系企業がやたらと立ち上がってたけど、ブラックな企業もかなりあったんだよね。
事実、通ってた専門学校で紹介されたIT系人材派遣会社もブラックだったしさ。本当はそこで、大手通信会社のデータセンターのネットワーク管理の仕事を紹介されてて、半ば決まってたんだけども、どうも話が胡散臭いんで、契約する直前に辞退してたのよ。

そんなこともあったんで、C社もヤバイかもなんて一瞬思ったんだけど・・・。 

でも、話をしていると、僕のサイトの常連だということがわかったのと、 僕のサイトを見てて、どうも僕と組んでみたいと思っていたようなんだよね。

楽曲の選曲の仕事として、楽曲の知識量が豊富な人はたくさんいる。 けど、知識量はさりながら音楽のトレンド、ヒットを予測し、長年にわたってヒット曲を追いかけてるヒトはあんまりいない。

着メロと言っても、重箱の隅をつつくようなマニア向けの曲ではなく、あくまでトレンドを「先読み」してこれからヒットする曲を確実に選曲できる人が欲しいってことで、どうも僕に注目してくれてたみたいなんだよね。

そんなところに僕の方から、のこのこやってきたんで、向こうも舞い上がっちゃったみたいで、即採用っていう運びになっちゃったみたいなんですよ。

嘘のような話だけど、実際こんなこともあるんだねぇ・・・。

いや、その前に、自分の見えないところで自分を見ていてくれる人って確実にいるんだな・・と
、こんときばかりは感じせずにはいられなかったな。


ちなみに、C社と並行して、同様に音楽配信の草分けの某M社の面接も受けることになっていた。
たしかC社の次の日じゃなかったかなぁ。
でも、C社に採用が決まったのと、M社は非正社員採用だったので、即日に面接を辞退した。
たださ、M社は、今の会社の直の「上司」が在籍してた会社なんだよね。
それを考えると、なんか不思議な縁を感じるというか、 業界内は狭いな・・と感じるというか。。。

結局、C社(D社)には5年弱しか在籍しなかったんだけどね。 
でも、濃密な5年だった。なんせ、サイト会員数が限りなく0に近いところから、500万近くまでの急拡大に携われたなんていうのは、IT業界広しと言ってもなかなかできる経験ではないですから。
喧嘩別れではないんだけどね。兎に角、5年間走り続けたんで疲れてたこともあった。
居心地はすごくよかった。とりあえず、仕事の成果は上げていたんで、みんな良くしてくれたし。
でも、当時まだ35才前だったし。。 このまま居心地がいいところにずっといたら、ダメになっちゃうような気もしたんだよね。 それで辞めたんだけどね。
 

あー、前置きがめちゃくちゃ長くなってしまった。

でも、20年前のあの時に、もっとも旬なヒットだったのが、今回引っ張ってきた「Lifetime Respect 」だ。

この曲は、最初どこで聴いたんだろう?  あんまり思い出せない。

でも、ぷー太郎で金もなかったあの頃、音楽との接点と言えば、bayfmの「パワーカウントダウン」くらだったんで、きっとパワカンで聴いたんだろう。

妙な曲だった思ったんだよなぁ。 関西弁のレゲェってところが。 でも、妙に引っかかる。

やっぱ、「結婚宣言」的な歌詞にも引っかかんだろうな。 さだまさし氏の「関白宣言」ほど上から目線ではないところが、2001年的でもあったし。

でもやっぱり、この手の「婚約宣言」的な曲っていうのは、嵌ると一気に火が付きますよね。

件の「関白宣言」もしかり、92年の平松愛理さんの「部屋とYシャツと私」しかり。

それと、この曲と。 3大「婚約宣言」ソングですわな。

まあ、そのほかにも、はしだのりひことクライマックスの「花嫁」とか、まともな結婚ソングはありましたが・・・。

やっぱり、結婚式で歌う、歌われる曲は、広く受け入れらけ安いんだろうね。


じつは、個人的にあの頃、「あ、いいな」と思える女性がいたのよ。 件のネットワーク管理者講座で、たまたま、僕の机と隣り合わせたコで。
その講座で何人かとウマが合って、その一人が経営していた電気工事会社にネットワーク部門を新設使用かみたいな話になったこともあった。その人の家に泊りがけで仮想ネットワークを作っていろいろサーバー立ち上げて遊んでいたときもずっと一緒にいたり。 もしかするとこれは、このまま一緒になるのかも・・・なんて思ったこともあった。

そんな折に聴いたこの曲だったからさ。 これは、この曲をあのコに捧げなければ・・・。とか思ったりして、関西弁でレゲェで、なかなかノリについていけない、この曲を必死こいて覚えたりしてね。

それこそ、♪ 一生 一緒にいてくれや~ ♪ なんて、あのコの前でかましたろか なんて本気で思ってたもの。

結局、その矢先に、↑で書いたような某C社に就職が決まって、すぐに忙しくなったもんでさ。すれ違いが多くなって、フェイドアウトしちゃったけどさ。

あれから、全く会ってないけど、今頃どうしてるんだろうなぁ・・・なんて、この曲を聴くたびに、未だに思ったりしてね。

僕と同い年だったんで、すでに「大台」は超えてるはずだけど。。。。。


まあ、兎も角、ぷー太郎で就職先も決まってなくて、不安だらけだった上半期から、180度世界が変わった下半期・・・という、個人的は大激動だった2001年の今頃。NO.1ヒット曲として、ワタシを見てくれていたような曲が、この曲。。。 なんて思えたりするんだよね。








そういえば、これの「女編」ってやつもあったな

↓ コレ



こっちのRSP版は 2007年だったか・・・。もっと前、D社にいたころだったと思ってたんだけどちがってたな。
体調崩して2回目のぷー太郎し始めたころだったか。。。。



traveling/ 宇多田ヒカル

2001_traveling_宇多田ヒカル


今回の1曲セレクトは、「traveling」宇多田ヒカルです。

まずはデータでする。

・タイトル    traveling
・アーティスト  宇多田ヒカル
・作詞      宇多田ヒカル
・作曲      宇多田ヒカル
・編曲      河野圭 宇多田ヒカル
・リリース日   2001年11月28日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   85.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位  1位
・ベストテンランクイン期間:2001年12月13日〜2002年2月7日付
・タイアップ:NTT docomo「FOMA」CM曲

さっきラジオを聴いてたら、今日12月9日は宇多田のデビュー日だったんだな。
1998年12月9日に「Automatic」でデビューしてから22年。
22年かぁ。。。。早いもんだよなぁ。 初めて「Automatic」を聴いたときの「衝撃」は、以前書いた「Automatic」に委ねるとして。。。。
今考えると、あの当時、個人的には宇多田のシングル曲と共に過ぎていたように感じるなぁ。
当時のシングルを聴くと、その時々に感じていた「絵」や精神状態がフラッシュバックするんだよね。すでに30過ぎたおっさんだったけど、それだけ身近にあったのかもしれない。

かといって、それほどヘビーローテーションで聴いてたわけでもないんだけどね。
それだけ、当時の宇多田の曲には、強烈な色彩、個性、インパクトがあったんだろうな。

今回引っ張ってきた「traveling」。
2001年初冬にリリースされた、宇多田の9枚目のシングルだ。

当時、ワタシは某D社の子会社C社にて、D社運営の公式着メロサイトの主に楽曲配信運用のディレクター兼プロデューサーだった。 
着メロサイトがローンチされてから半年、順調に会員数を伸ばした2001年12月、新たに「ボイスサイト」をローンチすることになった。

この時が大変だったんだ。

実際にサイトのページhtmlやコンテンツが納品されてきたのがローンチギリギリだったと思う。
で、早速テストサイトに上げてみたところ・・・・。 html、コンテンツ共にバグだらけで話にならない。 しかもローンチは目前。。。。
兎に角、ローンチまでには間に合わせなければならない・・ということで徹夜でバグつぶし。
でも「1徹」ぢゃ終わらなくてねぇ・・・。 結局私は「3徹」。 いや実際は「3徹」でも終わらなかったんだけども、当時、一番年長だった私は「3徹」で免除してもらったんだよね
若手は、もう「1徹」し〜の、「4徹」して、何とか公開できるようになったんだよな。
ただ結局、本来のローンチ日までに間に合わなかったんだよね。

あの時、ワタシの頭の中でグルグルと「ヘビーローテーション」で流れていたのが、この「traveling」だ。 突発的だったのかもしれないけど、あのとき「着メロ」のダウンロードNo.1だったのが、この「traveling」だったこともあり、ワタシの中でこの曲が大きく占めていたのもあったのかもしれない。

兎も角、以来というものの、この曲が聴こえてくると、真っ先にフラッシュバックするのが、あの時の「3徹」の時の情景だ。 情景ばかりではなく部屋の温度感も思い出すんだよね。 12月の寒い日でさ、室内のエアコン暖房をガンガンに付けていた湿気がある温度感。 それも思い出させるな。
「3徹」から解放された帰りの京葉線で死んだように爆睡したのは言うまでもない。

フラッシュバックというよりも、もはや半ばトラウマって感じですね。

ちなみに、この曲の後の「SAKURAドロップス」の時も大変だったんだよな。 
ちょうどdocomoの「504i」リリース対応の時で。この時も 徹夜だった。この時は「2徹」で済んだけど。。。

あ、でもこの時も帰りの京葉線で、つり革掴みながら死んだように爆睡したっけ。。。

で、やっぱり、今「SAKURAドロップス」を聴くと、あの時の情景がフラッシュバックするんだよな。

こんな感じで、当時は宇多田の曲がリリースされるごとに、何かしらの印象に残る出来事が起きていたような気がする。仕事の事であったり、生活の事であったり、個人的な病気であったり・・・。

だから、個人的にはあの頃は宇多田の曲と共に過ぎたように感じるんだろうなぁ。

特に今回引っ張ってきた「traveling」の時の「3徹仕事」は、ホント未だに強烈に印象に残っていますね。

たださ、だからと言ってあの時の仕事って決して嫌いだったわけじゃないんだよね。
「ブラック」「社畜」と思えるような拘束時間だったけど、今思えばそんな徹夜仕事も楽しかったのよ。なにより、2次著作物ではあったけども、モノをクリエイトしてるっていう充実感があった。
まあ、30代前半で若かったから出来たんだけども。 今「3徹」したら確実に死ぬだろうな。。。。





↑で書いたように、この曲を聴くと「トラウマ」のようにあの日がよみがえってくるんで、未だにこの曲、落ち着いて聴けなかったりするんだよな。
でも決してキライではないんだけどね。 単に落ち着いて聴けないという事で。。
むしろ、それまでの宇多田の曲の中では好きな部類だなぁ。

個人的には宇多田の曲は、スローな曲よりも、この曲のようなBPMが速い、アップチューンの方が好きだった。
セカンドシングルの「Movin'on without You」とか2000年4月の「Wait&See〜リスク〜」がお気に入りだったしね。 

もう一つ、この曲が良かったのは、それまでのR&Bの香りが大分消えてストレートに、よりポップになったことですね。
もっとも完全に消えたわけではなく底辺には、まだR&B臭が残っていたわけだけど、ポップになった分、聴きやすくなったし。

ただ、ポップになった分それまでのくどい様なインパクトは少なくなったかもしれない。 この曲がミリオンに届かなかったのはその辺りが大きかったかもな。


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ザ☆ピース! / モーニング娘。

  2001_08_ザ☆ピース_モーニング娘。

今回の1曲セレクトは「ザ☆ピース!」モーニング娘。なのら〜

まずはデータでする。


・タイトル     ザ☆ピース!
・アーティスト   モーニング娘。
・作詞       つんく
・作曲       つんく
・編曲       ダンス☆マン
・リリース日    2001年7月25日
・発売元      ゼティマ
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   68.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:2001年8月9日〜9月13日付

先週に引き続き、「平日」に書いてる1曲セレクト。 
なんかね、ここに来て、書きたい曲が溜まって来ちゃってるんだよね。 「あの曲も書いとこう」と思ったら、ちょっと土日だけじゃ捌き切れないような気がして、火曜日なのに書いちゃったりしてます。

うん、まあ、仕事終わりに書くのは、肉体的にゃ、ちょっと辛いけどね。 

今回引っ張ってきた曲、2000年代の曲ですわ。 

モーニング娘。「ザ☆ピース!」。

正確には2001年の今頃のヒットですわな。 ちょっと前までは、2000年代の曲なんて「昨日ぢゃん」・・・って思ってたんだけども、振り返ってみれば、17年も経ってるんだよな、あれから。

この曲がヒットしてた頃生まれたヒトは、今や高校2年生ですわ。 そう考えると、そろそろ「昨日」とも言いづらくなってきたかなぁ・・・なんてね。

もうこの時代ともなれば、ワタシが書かなくてもいいじゃん・・・、って言う考えもあるんだけども、「昨日」とも言いづらくなってきた今日この頃、そろそろ、引っ張って来てもいいよな・・・っつうことで、今回引っ張ってきたんだけども。。。

うん、まあ、単純に、この曲好きなんですよ〜、個人的に

モー娘。の曲の中では、いっちゃんのお気に入りと言っていいかも。

なんかね、それまでのモー娘。には無かったような新鮮さがあったんだよな、この曲。

まあ、この曲の前の「恋愛レボリューション21」のリリースから、8カ月ものインターバルがあったことも影響しているかもしれない。

で、この8カ月の間に、ワタシ的にも、激動に環境の変化があったからなぁ。 具体的には、この曲がリリースされるちょっと前、某C社に入社。 着メロの配信曲のセレクターになったんだよな。

つまりさ、ヒットしそうな曲を選んでナンボな役割になった訳。 ということは、ヒット曲を聴くのも仕事のうち
・・・っちゅう訳で、大手を振ってヒット曲を聴けるようになったんだよなぁ。

いや、それまでは、ちょっと後ろめたかったの、ヒット曲を追いかけるのって。  

この時、既にワタシゃ32才ですわ。 32才にもなってヒット曲・・・、ましてやアイドル追っかけてるのって・・どうなのよ ってところじゃん。世間一般からしてみれば。

最近は、30だろうが、40だろうが、普通にアイドル追っかけてる会社員も多いどさ、20年前は、やっぱ後ろめたかったのよ。

それが、全く逆転した訳だからねぇ。。 しかも、ヒット曲聴いてお金もらえるんだから、こりゃやめられんわい・・・って感じで、怒涛のごとくラジオのベストテン番組の聴取を再開したのが、この時期だったなぁ。

この「ザ☆ピース」が「新鮮に聴こえた」っていうのは、そんな環境の変化が大きかったんだろうな。


ただ、実際的に、8か月間のブランクがあっただけに、細かく見ると曲調的な変化はあったとは思うんだよな。
それまでの数曲のモー娘。って、どうしても「LOVEマシーン」の勢いを引きずったところがあったと思うのよ。

なんていうのかな、ちょっとゴーインな猥雑さっていうんでしょうか。 そんな流れにちょっと「飽き」が来ていたところはあったかもしれない。

そんな猥雑さをこの曲では感じ無かったんだよなぁ。 カラッとしたシンプルさっていうのかな。 少なくとも「恋愛レボリューション21」までの数曲のような、ゴチャついたようなところは感じなかった。
そんなところも新鮮だったのもだったんだろうな。 

ただ、ファンって言うのはやっぱり保守的なもので、 曲調がシンプルになった変化があった分、、売り上げ枚数にも変化が見られましたよね。 ミリオン近くの売り上げがあった前曲までに比べると、約30万枚の売り上げ減。 ベストテンのランクイン期間も短くなりーの、チャートアクションまで「シンプル」になっちゃったところはあったんだよな。
こんな動きから、アーティストパワーは右肩下がり・・・って言う印象はどうしても否めなかったんだよな、残念ながら。




あー、どうしても安部なつみの「丸顔」に目が行ってしまう 
やっぱ、アイドルは「丸顔」の子が好きやなぁ。おまんじゅうみたいな

You Tubeに多くのコメントがあるけど、9人体制だったこの当時のモーニング娘。がメンバー的には一番最強だったと思うわ。ここから人数が増えるけど、それとともにアーティストパワーがみるみる落ちて行ったしな。


曲調、やっぱ新鮮だわ。

♪HO〜 ほら 歌おうぜ〜 ♪ から始まる、いわいる「ピースラップ」のとかさ。初めて聴いた時はちょっとピックりしたもんな。 逆に、終わりそうで終わらない、最後の部分とか。

詞にしても、訳分かんない歌詞だったじゃん。 なんで、♪ 選挙の日には 投票行って 会食するんだ〜 ♪とか、
♪デリバリピザ LかMで悩む〜 ♪ とかさ。なんで、こんな事強調するの? って言う詞が続くじゃん。 しかも詞の内容に一貫性が無いのよ。歌詞を見ると、4行ずつで場面が、全く変わるんだよね。 
なんて言うのかなぁ、チャンネルをザッピングしながら見てるテレビのような感じで・・・。

それでいて、なぜか引っかかってくる。 もしかすると、こんなところが新しかったのかも。

いずれにしても、型にはまらない遊び心があったと思うのよ。、この曲は。


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LOVE涙色 / 松浦亜弥

  2001_09_LOVE涙色_松浦亜弥


今回の1曲セレクトは、「LOVE涙色」松浦亜弥です。

まずはデータです。

・タイトル     LOVE涙色
・アーティスト  松浦亜弥
・作詞       つんく
・作曲       つんく
・編曲       渡部チェル
・リリース日   2001年9月5日
・発売元     ゼティマ
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 17.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:2001年9月20日〜10月4日付

暫く全然書いてなかったのに、昨日今日と、なんか怒涛のように1曲セレクトを書いてるワタシだったりして・・・。もしかするとこれアップする頃は日にちが変わってると思うけど、書いてるのはまだ土曜日・・・本日2曲目の1曲セレクトでございまする。。。

えー、前回は岡田有希子さんの「リトル・プリンセス」だったわけだけど、今頃80年代のアイドルの曲を書いた時には一緒に書こう・・・と思ってた曲があるんだよね。

今回はその曲を

松浦亜弥「LOVE涙色」

ジャジーン、なんだ2000年代の曲じゃんか・・・なんて言わないでね。

この曲最初に聴いた時は、これはつんく氏にしてやられた・・・って思った1曲だったなぁ。
いや、だって、もろ80年代アイドルポップスだったからさあ、この曲。

あややにとっては、デビュー第3弾になる訳だけど、その前の2曲は、正直良く分かんなかったんだよね個人的には。
つんくプロデュース、アップフロント・・・ってことで、なんだモー娘。の妹分なんじゃん・・・なんてしか思えなかったし・・・。

現に、この曲のちょっと前には、いわいる「シャッフルユニット」として、モー娘。の辻と加護との3人で三人祭なるユニットで、「チュッ!夏パ〜ティ」なる曲を歌ってじゃん。 中学生だったはず・・なのに、もろ小学生の「お子ちゃま」向けのような曲。

この「LOVE涙色」の前の2曲も、そんなお子ちゃま向けの曲の延長線のような気がしてたんだよね。 
当時32歳で、すでに「オヤジ」の域に達していたワタシとしては、これは完全に世代じゃないなぁ・・・・ということで、積極的に聴いてなかったなぁ。

でもさあ、この「LOVE涙色」を聴いた時は、「いやいやいや、これは我々世代の曲」ってモロ思ったものなぁ。

つんく氏もいきなり、時代を遡るような、もろアナクロな雰囲気の曲を持ってきたりして、どういう心境の変化なのかしらん とも思ったりもしたけどさ、この曲でオリコンのベスト3入りを果たし、売り上げも急激に伸ばした訳でさ、本格ブレイクと言っても過言じゃないくらい「松浦亜弥」ってヒトが浸透した訳だからさ、この曲調の変化は成功だったよね。

まあ、曲調的には、さすがにつんく氏、ワレワレと同世代・・・って、まずもって言いたくなる訳でさ。

うん、これは80年代中盤だよなぁ。 そそそ、前回書いた岡田有希子さんの頃の時代の曲。

・・・って書くと、反論もされそうな気もしないではないし、「具体的にどこが」って追及されると、ちょっと堪え煮詰まりそうなところもあるんだけどさ。 実際のサウンドとしては2001年当時の「音」だったりもするしさ。
でも曲の「匂い」なんだよな。80年代を感じるのは。

前回の岡田有希子さんでは、84年はアイドルとして時代の変革期だったということで、シロート感の強いアイドルとして菊池桃子さんを引き合いに、時代の流れを比較したんだけども、 この曲はと言えば下世話的なシロートアイドルが流行る前・・・、つまりは84年以前の正当派な80年代アイドル曲の匂いがするんだよな。

まあ、その辺も、つんく氏とワレワレは同世代だよなぁ・・・ってつくづく思えるところだったりするんだけどさ。

やっぱアイドルポップスを一番聴いてたのは、中学生の頃だろうしさ。 ワタシより学年が1つ上の「つんく」は、83年が中学3年だったわけで、 年齢的におニャン子が出てくる前なんだよねる中学時代は。

・・・ということは、やっぱり「正当派」な80年代アイドルポップスがより色合いが強いだろうしさ。

個人的にもそちらの曲の方が、より聴いてたからさあ、ウレシイ訳なんですよ。

 いずれにしろ、この曲によって、個人的にも「松浦亜弥」ってヒトを、本格的に知ったし、それ以後数年、曲を追いかけたきっかけの曲でもあったな。 うん、当時としても、いわいるソロの「正当派」アイドルの曲を続けて追いかけたのは何年ぶりだ・・・って感じだったんだけどさ。

 ↑で書いたように当時、既に30過ぎのオッサンだったわけだからさあ。90年代以降、アイドルの曲とはすっかり疎遠だった訳だからさ。
まあ、丁度、当時「着メロ」配信曲のセレクターを始めた頃だったからさ、名目上は「仕事の一環」っちゅうことで聴いてた訳なんだけど。。。





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白い恋人達 / 桑田佳佑

2001_11_白い恋人達_桑田佳祐


今回の1曲セレクトは、「白い恋人達」桑田佳佑です。

まずはデータなのだ。

・タイトル     白い恋人達
・アーティスト   桑田佳佑
・作詞       桑田佳佑
・作曲       桑田佳佑
・編曲       桑田佳佑
・リリース日   2001年10月24日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   123.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:2001年11月8日〜2002年1月24日付
・タイアップ:コカ・コーラ「No Reason」キャンペーン曲

ここのブログとは別にtwitterとかFBでは既にツイートしたんだけども、桑田氏の年末ライブのチケット、ファンクラブ先行リリースの抽選に漏れまして。。。。。

 うーーーーむ、正直、サザンを含め、桑田氏のライブチケットをとるのは、最近富に難しくなってきてるんだよな。ワタシなんてねぇ、今回を含め、前回のサザンの年末ライブも「選」に漏れてしまいましたからねぇ、「連敗」ですわ。
 うん、昨年のサザンの全国ツアーには当選したんだけどね。年末ライブは、ここんところ殆ど漏れてる。

正直、年会費払ってファンクラブに入ってんのに、どうなってるねん・・・なんて言いたくなるんだけどねぇ。
安くないのよ、年会費。サザンくらいのビッグネームになるとさ。
まあ、同じような感じてる方も多くいるだろうから、ぐっとこらえてたりするんだけどね。

考えてみれば、昨年の全国ツアーは、どこも「ハコ」(会場)はでかかったしな。それだけキャパが大きかった訳で、チケットの競争率もそれほど高くなかったんだろうな。
 でも、年末ライブは、4日間とは言えど、横浜アリーナ、1か所だからなぁ。 横アリのキャパは満杯で1万7千だから、4日間で6万8千。 昨年の全国ツアーのキャパの比ぢゃないんだよね。 なんせ東京ドーム3daysだけで10万人以上行った訳だから。。。。

それをかんがえると、年末ライブの競争率は如何に高かったのか・・・っていうのが想像できる訳で、まあ、落ちてもしょうがないのか・・・


・・・・・・うんにゃ〜 やっぱ悔しいのよ〜 

なんて、出るのはグチばかり・・・


・・・っつうわけで、せめて、今回の1曲セレクトは、桑田氏の曲で。

そんでもって、この時期の桑田氏・・・と言えば・・・、ソロ第1弾の「悲しい気持ち」、93年の「真夜中のダンディ」・・・とか思いつくんだけど、どちらとも既に書いちゃったんだよな。

・・・・なので、今回は2001年の「白い恋人達」。

2001年ねぇ、流石にこの位の時代の曲ともなると、特にワタシが書かなくても・・・って感じもするけど、まあたまにはいいよね。

2000年代ともなると、ほんとつい最近・・・っていう感じなんだけども、気が付いてみれば、リリースから15年経ってんだもんな。
 
 15年前といえば、既に社会人でしたわ。。。 つか、32歳だもんな当たり前ですわ。

うん、当時、人気急上昇していた某着メロサイトで、選曲と配信運用の仕事を始めていた頃。 
兎に角、毎日が忙しくてねぇ。 IT業界の洗礼とでも言うべき、「徹夜」仕事は当たり前になっていた頃ですわ。
 最近の感覚で言えば、完全に「ブラック」・・・といってもおかしくないんだけども、まあ、好きでやってたからなぁ、徹夜でも全然苦にならなかったな。
 まあ、今だったら死んじゃうけどね。当時は若かったからな。3〜4日徹夜も出来たんだよな。

そんな状況の頃だったからねぇ、この曲、正直言うと「聴きこむ」というほど、聴いてはいなかったんだよな。
もちろん当時から音源は持ってたんだけど、如何せんじっくり聴いてる余裕がなかったからなぁ。
仕事のBGM的に聴いてたって感じなんだよな。

最初の印象は、「あ、真面目な曲だ〜」って事だったかなぁ。 だってさ、タイトルの「白い恋人」っていったら、どうしても札幌の「お土産」を思い出しちゃうじゃん。
ま、季節的に、北の国の「白い季節」の曲なんだろうなぁ・・・っていう想像は出来たものの、それ以前にタイトルのネーミングがね。

だからね、そういうちょっと「おふざけな曲」なのかも・・・なんて言う思いもあったんだよね。
でも、パイプオルガンっぽい音色のイントロを聴いた途端、そんな思いは消えましたねぇ。 

たしかに、「白い季節」のイメージなんだけども、それ以前にクリスマスソングのイメージの方が強いんだよな。
サザンのクリスマスソング・・・・そそそ、92年のアルバム「世に万葉の花が咲くなり」に収録されていた、「CHRISTMAS TIME FOREVER」。

曲調からするとこの曲に近いよな。

ただ、ちがうのは、この曲の方が本気度が高い・・・って感じかなぁ。 兎に角、これでもか・・・って言う位キャッチーなメロディーのオンパレードでしたもんね。

恐らく、もう少し若かった・・・当時、高校生とか大学生とかだったら、即嵌まっちゃてたんだろうなぁ・・・なんて思いますね。 ただ、何分すでに30過ぎで、感性が摩耗し始めてたからなぁ、そこまではこの曲に傾倒しなかったんだよな。

ただ、この曲を聴くと、上で書いたような「徹夜」で仕事していた日々がフラッシュバックしたりするんだよね。
それと同時に、どこからともなく、石油ストーブの匂いもしてきたりして

うん、記憶でははっきり覚えてないんだけども、恐らく、石油ストーブをたいた部屋で、この曲聴いてたんだろうな、きっと。
 ま、それ以前に、白い雪とともにストーブを焚いた部屋の暖かさを感じたりもするんだよね、この曲を聴いてると。

ちなみに、桑田氏ソロとしては、この曲が最高売り上げなんだよね。 この曲の前の「波乗りジョニー」もミリオンだったんで、この年にリリースした2枚は、共にミリオン。桑田氏ソロとしては絶頂の年でしたね。
・・・というか、それ以前のソロ曲がミリオンじゃ無かった方が不思議感じもするけど。。。



サザン関連の曲って、ことごとく動画消されてるけど、最近(・・・と言っても2000年代以降だけど)の曲は、若干PVを公開されいてるのもあるんだよね。

・・・といっても「1コーラス」だけだけど。。。。 ということで、この曲もこ多分にもれず。。。

でも、探してみれば、フルコーラスもあったりして

http://www.dailymotion.com/video/x4x87wa_%E6%A1%91%E7%94%B0%E4%BD%B3%E7%A5%90-%E7%99%BD%E3%81%84%E6%81%8B%E4%BA%BA%E9%81%94_music

でも、ここでURLバラしちゃったら、すぐに消されちゃうかもな。。。。
世の中、(余計な)「親切」な方がいらっしゃるから
なので、見たい方はお早めにどうぞ。。



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Can You Keep A Secret ? / 宇多田ヒカル

2001_02_CAN YOUR KEEP A SEACRET_宇多田ヒカル








今回の1曲セレクトは、「Can You Keep A Secret ?」宇多田ヒカルです。

まずはデータです。

・タイトル      Can You Keep A Secret ?
・アーティスト    宇多田ヒカル
・作詞        宇多田ヒカル
・作曲        宇多田ヒカル
・編曲        西平彰 本田優一郎
・リリース日     2001年2月16日
・発売元       東芝EMI
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    148.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:2001年3月1日〜4月12日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「HERO」主題歌

今回セレクトしてきたのは2001年の曲。
この間書いた、松浦亜弥「桃色片想い」もそうだけど、mixiに書いてた頃の「1曲セレクト」では2000年代の曲はほとんど書いてこなかったけど、気がついてみればあれから15年経ってるんだもんな、これからは書いていきますぞ。

・・・とはいうものの、この間も書いたけど、2000年当時は、すでにネット上に自分のサイトを持ってたし、だから新曲レビューと言う形で、すでに1曲セレクトの原型のようなことはやっていたんだよね。

今回セレクトしてきた曲は、ヒッキーの「Can You Keep A Secret ?」。

だから、この曲も当時、1回書いてたはず・・・なんだけどな、どうも、この曲については、はっきりとした記憶が無い。

言えるのは、当時、この曲あんまり聴いてなかった・・・・ような気がするんだよな。

この曲と言えば、フジテレビの月9ドラマ「HERO」の主題歌・・・っていうのは、余りにも有名だし、未だにスペシャルや再放送では流れてるもんね。

でも、個人的には、当時、「HERO」見てなかったのよ。 その後、「再放送」では何度も見てるけどね。

それもあってか、印象に薄かったりするんだよね。

どうも、この曲は引っかからなかったんだよな、個人的に。なぜだかは、良く分かんないんだけども。。
前年の「Wait&See〜リスク〜」なんてのは、好きでPV何度も見まくってたけどなぁ。

恐らく曲の出来、不出来ではなく個人的な環境も少なからずあったのかもしれないな。

前年の2000年は、「充電期間」を割り切って1年間、仕事もせずに遊んでいたんだよね。
ま、全く遊んでいた訳ではなく、1年間「ネットワーク」の専門学校に通ってサーバーやネットワーク管理の勉強をしつつ、自分のサイトを立ち上げて、いろいろな方との人脈を広げたりしてたんだけどね。

でも、1年間の充電期間も終盤、専門学校も終了間近となり、働き口を探し始めていたのが、ちょうど、この曲がヒットしていた頃なんだよな。

まあ、そんなこともあり、正直、ヒット曲をゆっくり聴いてる心の余裕もなくてさ、この頃は、あんまりヒット曲を聴いてなかった・・・ってのはある。
だから、総じて2001年前半のヒット曲は、未だに印象に薄いんだよな。
前年は、遊んでたんで、ヒット曲を聴きまくってたしね、だから、印象深い曲も多いんだけどさ。

でもさあ、再就職口がなかなか決まらなくてさあ、焦り始めていたんだよね。

だから、この曲を聴くと、いまでも、どことなく、あの当時の「焦り」が甦って来ますね。
ヒット曲って、そういうところをどうしても感じるからなぁ。

おそらく、この先もこの曲を聴くと、あのころの「焦り」が甦って来るんだろうなぁ。

そして、某着メロ運営会社に巡り合うのが、これから3か月後だったんだよね。。





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