かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1997年

WHITE LOVE / SPEED

1997_11_WHITE LOVE_SPEED


今回の1曲セレクトは、「WHITE LOVE」SPEEDです。

まずはデータなのですら。

・タイトル    WHITE LOVE
・アーティスト  SPEED
・作詞         伊秩弘将
・作曲      伊秩弘将
・編曲      水島康貴
・リリース日   1997年10月15日
・発売元     トイズファクトリー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   184.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年10月27日〜1998年2月2日付
・タイアップ:資生堂「ティセラエンジェルドロップ」CM曲


クリスマが近づいてきましたね。 毎年この季節になると定番のようにクリスマスソングが巷・・・というか、特にラジオから流れてくるわけですが。。。
まあ、流れてくる曲は、毎年ほとんど決まっていますど。。。。
そそそ、マライアキャリーの「恋人たちのクリスマス」に、ワム!の「ラストクリスマス」、ジョン・レノン&オノ・ヨーコの「ハッピークリスマス」、日本勢だったらヤマタツの「クリスマスイブ」。

これらの曲は鉄板ですわな。

年によっては他の曲もかかったりするけど・・・。 去年だったらBand Aidの「Do They Know It's Christmas ?」あたりも頻繁にかかってた印象があるな。

ただ、今年は昨年までに比べると、これらのクリスマスソングがラジオから流れる頻度は、やや少ないかなぁ・・・という印象がありますね。恐らくはこれからが本番なんだろうけど。。

そもそも最近は、「新曲」としてのクリスマスソングのリリースも一時に比べると少なくなったような気がするなぁ。 一時期、20年くらい前までは、なんだぁかんだあ・・と毎年のように「新手」のクリスマスソングがリリースされていたもんだけどねぇ。

おかげで、「鉄板」なクリスマスソングは、いつまでたっても「鉄板」のままなわけで。。。

↑ で上げた曲、マライアキャリーの「恋人たちのクリスマス」でさえ、今から27年前っすよ。1994年だから。。。


今回引っ張ってきた曲も、一時クリスマスソングとして定番だった・・・ような気がするな。

SPEED 「WHITE LOVE 」。

うーむ、この曲、今まで何回か書いたような気がするんだけどなぁ。。。
過去のアーカイブを見てみたら、どうも、まだ書いてないようなので。。。 こんな大ヒット曲を。。


リリースが、1997年10月15日ということもあり、クリスマスソングとしては、いささかフライングなリリースでもあり、厳密に言えば、クリスマスソングっていうカテゴリーに入れるのもどうなの?

・・・という気もするけど、やっぱミディアムバラードという曲調と、楽曲の曲想からそういうイメージも強いんだろうなぁ。。。

ちなみに、この曲はSPPEDとしては、デビュー5枚目のシングルであり、売り上げ枚数184万枚というのは、SPEEDの最高売り上げのシングルとなる。

まあ、まずもってロングヒットになりましたからねぇ。 
オリコンで13週ベストテン入り(うち年末年始2週集計があり)というのは、SPEEDではシングル最長のベストテン入りではなかったかな。
加えて、週間売り上げ10万枚上も、7週(うち年末年始2週集計があり)というのも、SPPEDとしては最長。
高レベルの売り上げを長期間キープすることで、SPEEDとして最高の売り上げを記録したわけですわ。

まあ、SPEEDとして勢いが上がっている時に来て年末に向けてのリリースという、時期的な幸運も重なっていたんだろうけど。

今でもそうだけど、秋も深まり年末に向けてテレビの歌番組特番も多くなるわけで、それだけ露出も多くなるからねあ、コアなファンだけじゃなく、一般の人たちにも浸透しやすくなりますからね。

加えて何と言っても「紅白」という一大イベントがあるわけで。。。

紅白効果。 紅白出演後の週に売上げが再上昇するっていうのは、あの頃だではなく、今もありますからね。
もっとも、当時の方が効果は大きかったわけで。  

当時のオリコンチャートを見ると、この曲、1997年12月22日付で一度、ベストテンから落ちてるんだよね。
でも、次の12月29日付で再度ベストテン入りを果たし、1月19日付では4位まで再浮上している。

恐らくは、紅白見て、お年玉でCD買った方も多かったんだろうね。


ただ、SPEEDの場合は、顕著な紅白効果が見られたのはこの「WHITE LOVE」だけで、次の年の「ALL MY TRUE LOVE」では、顕著な紅白効果は見られなかった。 

1997年「WHITE LOVE」で紅白に出場した時は「初出場」ということと、それ以上に人気が上昇気流だったことも大きかったんだろう。
でも、それ以上に、やっぱり、キャッチーで分かりやすい曲調が、より多くの人たちに刺さったんだろうね。

だって、当時28才。さすがにSPEEDの曲を堂々と聴くには、年かさが行ってた私でさえ、この曲は刺さったもの、当時。

でも、正直当時、堂々とは聴けなかったのよ。 少し前にも書いたけど、あの頃は、少なくとも20代後半でアイドル・・っていうのは、立派なオタクだったからねぇ。 そそそ、一般的に冷ややかな目で見られる時代だったのよ、まだ。

だから、例えば当時の会社の同僚とも、そういうアイドルのヒット曲の話もできる雰囲気でもなかったんだよね。


個人的には、ちょうどこの曲がヒットの真っただ中だった、1997年12月に、自宅PCをインターネットにつないだのよね。今からちょうど24年前ですね。


当時最速だったISDN利用で。常時接続は高くて無理だったからさあ、もちろんダイアルアップで。
昼間は従量制で通信代がかかるんで、23時以降定額になるテレホーダイ利用というのは、あの頃ネットしてた方々にはデフォルトでしたよね。

考えることはみんな同じなんで、テレホーダイの時間になると、めちゃくちゃ回線が重くなったりして。。。

でも、ネットを始めようと思ったのは、当時のヒット曲や過去のヒット曲について語り合える人を探したいと思ったのが最大のきっかけだったかもしれないなぁ。

もっとも自分のランキングをネットを利用して作るためという理由もありましたけどね。
この頃になると、オリコンウイークリーに有線チャートもラジオチャートも掲載されなくなっていたからさあ。 自分のチャートを作るには、いちいち国会図書館に行ってコンフィデンスを見なきゃいけなくなっていたのよ。
さすがにそれは面倒なんで、なんとかネットで、これらの要素のランキングを作れないかということで始めたんだよね。
案の定、USENのチャートも、各ラジオ局のランキング番組のランキングもネットには出てたからね。
わざわざ国会図書館に行かなくても作れるようになったわけですわ。

ただ、そうやって作った自分のチャートをネットを使って公開しよう・・とは、まだこの時点では考えも無かった。あくまで自分用に作っていたのよ。

これを現在のように一般公開しようと思い立ったのは、もう少し後になってからですね。


あー、話がずれてきた。。。
この「WHITE LOVE」を聴くと、当時は、部屋に暖房がなかったんで、ブルブル震えながら設定したネット、なかなか設定がままならずネットに繋がらなくて悪戦苦闘したことや、初めてネットに繋がって感動した光景がフラッシュバックしてくるな。

もっとも、あの頃は、その後ネットの音楽関係の仕事に就くなんて思っても見なかったけど。。。
音楽については完全に一ユーザーだった頃ですね。
いずれにしても、個人的なネット人生に関わり始めた時の思い出の1曲なのよね。





初めにこの曲、すでに書いたつもりだったのに、まだ書いてなかった・・・っちゅうのは、やっぱ気恥ずかしさが先に立っちゃっうからなんだろうな。

だから、SPEEDの曲って、まだ、あんまり書いてないんだよな。 もっとも当時それほど聴き込む・・・という程は聴いてないっていうのもあるんだけども。

なんせ、SPEEDのメンバー全員、一回り以上年下だからさあ。
当時、新垣仁絵さん以外は中学生でしょ。 やばいよね当時28歳のおっさんがSPEEDなんて・・っていう強迫観念は未だにあるんだよね。

今は、おっさんでも一回り以上年下のアイドルの曲を聴いても、もうそういう目で見られることも少なくなっただろうけど、この曲がヒットしてた頃の「オタク」という冷ややかな目で見られるっていう感覚は、未だにあるからさあ。

それにしても、当時中学2年生だった今井絵理子さん、まさか今、参議院議員とはね。。。。 隔世の感ですよ。。。



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風が通り抜ける街へ / ZARD

1997_07_風が通り抜ける街へ_ZARD


今回の1曲セレクトは、「風が通り抜ける街へ」ZARDです。

まずはデータですよ

・タイトル    風が通り抜ける街へ
・アーティスト  ZARD
・作詞      坂井泉水
・作曲      織田哲郎
・編曲      徳永暁人
・リリース日   1997年7月2日
・発売元     ビーグラム
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   28.1万枚
・THE HITCAHRT HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1997年7月14日〜7月21日付
・タイアップ:JRA 夏競馬CM曲

少し遅くなってしまいましたが、梅雨が明け「夏本番」! それと共に、猛暑の到来。
皆様、お暑ございます。

つい先日の1曲セレクトで今年は長雨の夏か!? なんて書いたような気がするけど、昨年同様、どうやら猛暑の夏になりそうですね。

ヒット曲の世界でも、この曲を聴けば「夏本番」って思える曲が、昔から毎年のようにリリースされてますな。
個人的には、古くは天地真理の「恋する夏の日」(1973年7月1日リリース)、松田聖子の「白いパラソル」(1981年7月21日リリース)、岩崎良美「バカンス」(1982年7月21日リリース)、堀ちえみ「青い夏のエピローグ」(1983年7月7日リリース)なんかは、夏本番を連想させる曲だったりするな。
大体は、7月リリースのポップスですね。で、これらの曲でそれぞれの年の夏のイメージが出来上がったりしてね。

リリースローテーションから、第1四半期末月の6月リリースにも「夏」の曲が多かったりするけど、どういうわけか6月リリースの曲は、たとえタイトル「夏〜」とついても、今一つ「夏本番」を感じさせる曲は少なかったような気がする。

曲調的には、河合奈保子の「夏のヒロイン」(1982年6月10日リリース)あたりですかね。

たしかにモロ夏を感じさせるようなサンバ調のアップチューンだけど、リリース時期と1982年の長雨の影響もあって、今一つ「夏本番」の感じは出し切れなかったようなイメージがあるな。

やっぱり、6月リリースは、梅雨の時期と重なり、夏本番と言うには少し早かったし、アイドルの場合、昔はプロモーション開始・・・ラジオで曲を書けるタイミング・・・時期って早かったですからね。6月リリースの曲でも、早い曲では5月中にはラジオで流れたりしたから、まだ「夏」っていうのは、ちょっとピンぼけだったりしたんだよね。

まあ、そんなこともあって、夏「本番」を感じる曲は7月リリースが多かったんだろうな。


今回引っ張ってきた曲、ZARDの「風が通り抜ける街へ」。

この曲のリリースは1997年7月2日。  個人的には1997年の夏本番を感じさせた曲は、この曲だでしたねぇ。 この曲と、吉村由美(Puffyの片割れ)の「V.A.C.A.T.I.O.N.」。この2曲ですね。

いずれも、当時ニッポン放送の朝のワイド番組「高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団」でかかったのを聴いて、ビビビッと来ちゃったんだよね。

当時、千葉市内の会社に勤務してたワタシは、毎日、車通勤してたのよ。 今はFMの方をよく聴いてるワタシだけど、当時はAMオンリーの人だったんでね。

良く晴れた緑のまぶしい朝。兎に角 すがずかしい夏の朝でさ、窓全開にして、この曲を聴いたのを覚えてるなぁ。

緑がまぶしい夏の朝ってイメージは、天地真理さんの「恋する夏の日」と被るんだけども、この曲を聴くと未だにの日の朝の光景がフラッシュバックしますわ。


90年代も後半に入り、ビーイング系には飽き飽きしていたワタシだけど、この曲は一発で気に入りましたね。ビーイングの夏の曲を気に入ったのは、94年の「瞳そらさないで」(DEEN)以来だったような気がするな。共にすがすがしさから気に入っちゃったんだけども。

ただ、気になったのは、この曲、音がスカスカだった事。
それまでZARD・・・というか、ビーイング系の曲って、一聴でそれと分かるような独特なサウンドと音圧が、ほとんどの曲であったじゃん。

まあ、個人的にはそこに飽きを感じていたんだけども。。。。

この曲は、そんなピーイング特有の「音圧」がなく、音がスカスカなのよ。 サウンドはビーイング特有でしたけどね。

夏本番ということで、聴きやすさを優先したのかしらん!? そこは分からないけど、音がスカスカなのは気になった。
音数が少なかったということもあってか全体的なインパクトも薄かったし、だから、これはあんまり売れないかもな・・・とはリリース当初から思ったな。

まあ案の定、 前曲「君に逢いたくなったら・・・」の64万枚から、この曲では28万枚セールスに一気にダウン。

そんなセールスの動きから、さしものZARDもここまでか・・・と思ったら、この曲の1か月半後にリリースされた「永遠」では63万枚にV字回復したわけだけど。。。

「風が通り抜ける街へ」とは逆に、ZARDの曲の中でも音圧が高い「永遠」でセールスが回復・・ということで、やっぱりビーイングには、独特のサウンドと音圧が必要なのか・・とは、当時思ったりしたな。

もっとも、「永遠」は当時、社会現象化してたドラマ「失楽園」の主題歌だったこともあったけど。。。 逆に言えば、だから、もっと売れても良かったとも思えたりもしたんだけどね。

でも、そんな不安は的中したようで、「永遠」のセールスV字回復を最後に、売り上げは下降線となったわけだけどね。




それにしても、この頃って、ZARDと、MY LITTLE LOVERが交互にシングルリリースしてたイメージが強いんだよね。

ZARDのこの曲の少し前にマイラバは「ANIMAL LIFE」をリリース。 で、この曲を挟んで、8月にマイラバが「Shuffle」をリリースしたと思ったら、ZARDが「永遠」をリリース・・・と。
両者リリース間隔が、ほぼ同じになっていたんだよね、この時期。

ZARDの「永遠」以外の3曲は、いずれもスマッシュヒット止まりということもあり、今となっては死角に入ったような曲ではあるけども、個人的にはいずれの曲も好きなんだよなぁ。

これは、スマッシュヒット止まりということもあって、未だに手垢が少ないということも含めてだけど。。。

97年の音源っていまだに、持ってる曲数が少ないんだけども、この4曲の音源は当時から手元にありますね。


で、この4曲を最後に、個人的には暫くヒット曲の世界から少し距離を置くことになるんだよね。

まあ、当時の仕事が忙しくなった事もあるんだけども、将来的なことを考えだしたのもこの頃だったと思う。
特にインターネットに急速に興味を持ち始めて、いろいろと調べ始めたのが97年夏ごろだったな。
で、97年の秋にISDN回線を導入し、インターネットにつないだのがこの年の年末。

それと共に、暫く曲を置いていたヒット曲の世界に、再びコミットすることになるんだけどね。



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くじら12号 / JUDY AND MARY

1997_03_くじら12号_JUDY AND MARY



今回の1曲セレクトは、「くじら12号」JUDY AND MARYです。

まずはデータです〜。

・タイトル      くじら12号
・アーティスト    JUDY AND MARY
・作詞        Tack and Yukky
・作曲        TAKUYA
・編曲         JUDY AND MARY
・リリース日    1997年2月21日
・発売元      エピックソニー
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   44.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間 :1997年3月10日〜3月31日付
・タイアップ:本田技研工業「ライブ・Dio」CM曲

やおら、先週のオリコンを見ててちょっとぶっ飛んだんだよな。
NMB48の新曲のタイトルが「床の間正座娘」だって・・・・・

なんじゃこりゃ  ・・・な世界じゃん 

秋元氏もついにおかしくなったか。それともネタぎれでなりふり構わなくなったか・・・ なんて勘ぐったりしてさ。

まあ、これも戦略の一つなんだろうけどさ。 ワシみたいなロートルオヤジでもタイトルに引っかかるっちゅうことは、若いコにとっては、もっと引っかかる・・・っちゅう。。。

でもまあ、考えようによっては今に始まった事ぢゃ無いんだけどさ。 例えば1983年のキョンキョンの「艶姿ナミダ娘」なんちゅうのも、今考えてみれば「なんじゃこれ」って感じのタイトルだしな。

・・っちゅうことで、今回の1曲は、同じようにヒット当時「なんじゃこれ」って思ったタイトルの曲をひとつ

JUDY AND MARY  「くじら12号」

うーむ、初見のインパクトからすると「床の間正座娘」よりも、「なんじゃこれ」っていう衝撃は上だったかもしれん。

なんじゃこりゃ・・・の局地だったよなぁ。 全く意味不明。 なんなの くじら12号って。。。 なんで、くじら13号ぢゃ駄目なの・・とかさ

いろいろと勘繰りたくなっちゃったわけです。

wikipwdiaによると、サッカーのサポーター番号が12番なんで、くじら12号と付けたとあるが、本当なんですかねぇ〜・・・。

いずれにしろ、タイトルには強烈なインパクトを感じたこの曲なんですが・・・。

ただ、実際の曲としては、正直、個人的にはそれほど強烈なインパクトは感じなかったな当時。

ジュディマリの曲は、この曲の前の「クラシック」って曲は好きだったんだよな。 それ以前のジュディマリってキャッチーではあるんだけども音が汚ねーな・・って言う印象が先に立っちゃって、積極的に聴きたいとは思ってなかった。 

でも、「クラシック」って曲は、「これはいいな」と思えたジュディマリの曲だったな。 それまでのジュディマリに比べるとソリッドで聴きやすかったし。

そこからすると、この「くじら12号」っちゅう曲は、それ以前のジュディマリに戻っちゃったな・・・て言う印象の方が強かった。

ま、当時既に20代半ばを過ぎていたワタシは、「素直」に音楽聴けなくなってたんだよなぁ・・というところもある。
どこか斜に構えちゃったりしてさ。

当時、ジュディマリって、ティーンとか、20代前半向けって感じだったじゃん。 つまりさ、ワタシよりも年下向けの「おんがく」って感じだったんだよな。 ま、そこが素直にこのヒトたちに向き合えなかった原因に一つだったんだけどさ。

特にこの「くじら12号」って、そんな感じだった。 そもそも「くじら12号」なんておちゃらけたタイトルからして、完全にティーンを意識した・・・って言うような感じだったじゃん。
だから、当時20代半ばを過ぎていた私からすると、ちょっとこっぱ恥ずかしかったんだよな。


それでも、どことなく気にはなってたりしてさ。

この曲、曲的にはそれほど、目新しいところは感じなかったんだけども、CD自体の音がそれ以前と変わったような気がするんだよね。 

それ以前と比べてシャープというかさ、音の輪郭がはっきりとしたな・・・っていう印象がある。
実際的にはどうなんだろ? 個人的な耳の錯覚かなぁ。

いや、でも、1996年の音と、1997年の音って、やっぱり違うんだよね。他の曲を聴いても。 1997年の曲って全般的に音の輪郭がはっきりしてると思うんだよな。 その魁がこの曲だったような印象があるなぁ。

それと、個人的にはインターネットに興味を持ちだしたのもこの曲の頃だ。 今に続くSOMETHINGが少しずつ動き出したのも丁度この曲の頃だったな。
そう言う意味では、今に続く道の第一歩という意味で、どことなく新鮮に聴こえる曲でもあったりするんだよな。





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a walk in the park / 安室奈美恵

1997_01_a walk in the park_安室奈美恵


今回の1曲セレクトは、「a walk in the park」安室奈美恵です。

まずはデータです。

・タイトル    a walk in the park
・作詞      小室哲哉
・作曲      小室哲哉
・編曲      小室哲哉
・リリース日   1996年11月27日
・発売元     エイベックストラックス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  106.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1996年12月9日〜1997年2月10日付
・タイアップ:日立マクセル「maxell UD2」CM曲

先週のサプライズの一つで言ったら、金曜日。小室氏の突然な「引退」宣言でしょうかねぇ。
一体何なのよ・・・って感じだったし。
本人曰く「不倫疑惑」のケジメと言う事も理由の一つということなんだけどさ、これについては、別途Facebookに「友達」向けに書いて不評だったんで、ここでは割愛するけど・・・

もう一つの理由としては、「才能の枯渇」という点。 まあ、これについては分からないでもないんだけどね。
そりゃ、まあ、90年代あれだけ「馬車馬のごとく」作品を発表すれば、誰でも枯渇するってもんですわ。

本人曰く、「時代はもう小室哲哉を必要としなくなったんじゃないか」というのも引退の理由の一つらしいけど。
まあ、自分の曲が受けない時は、たれでもそう思うもんだよね。
90年代のあの飛ぶ鳥を落とす勢いの小室氏から考えれば、そんな事を考えるなんで想像も出来ない事だけど・・・。

同じ日本のヒットメーカーの巨人、筒美京平氏の昔のインタビュー記事にもこうある。

「ぼくのカラーじゃないヒトが元気な時ってある。でも、そう言う時って、元気なヒトの一生懸命マネをする訳。そうしているうちに、また自分のカラーが時代に必要とされてくる時がする訳」

つまりさ時代は常に動いている訳で、小室カラーが必要とされない時期もある。そりゃ時代と折り合わなくなる時期もあるのよ。

でも、そんな時元気なヒトに近づこうと頑張ってみる。 そうしているうちに、また時代は自分に近づいて事があるんだよ。

・・・って事。

恐らくこれは、70年代後半から終盤かけてニューミュージック全盛の頃、歌謡ポップス側である、さしもの筒美氏も苦戦していた頃と、80年代、見事なV字回復を見せた頃の事を振り返っての意見なんだけけどね。

それを鑑みてみるとさ、なんで、もうちょっとカンパれなかったのかなぁ・・・なんて思うのよ。
上の筒美氏の例で言えば、今、時代に受け入れらけないと感じるなら、今時代のメインストリームの音楽に近づこうとしなかったんだろうって事。

まあ、ここが小室氏ならではの「プライド」なんだろうけどさ。
なにせこれまで、「自分の音楽」が時代を動かしていたわけでさ。なかにし礼氏のコトバを借りると、自分の音楽こそが「時代の巫女」だったわけじゃん。そのプライドを曲げてまで音楽はしたくない・・・って事。

 結局さ、そこが「職業作家」の筒美京平氏と、「アーティスト」の小室氏との大きな違いなんだろうけどさ。

意地悪な言い方をすれば、時代を見極める柔軟な考えの筒美氏と、あくまで「自分の才能」にこだわる小室氏の違いって言うのかなぁ。
でも、そこで挫けて欲しくなかったよなぁ。まあ、これは第三者として言える意見なんだけどさぁ。

ちょっと考えを広ければ例えばアイドルへの曲提供なんかも出来た訳だし。 80年代はアイドルへの曲提供もしてた訳だしさ。
例えば「坂」グループに曲を提供してみるとかさ。やろうと思えば出来るわけじゃん。
どうしてそういう方向も模索しないで、引退というコトバを使ってしまったのか・・・っていうのは、やっぱ残念なんだよな。


あ〜、今回の1曲セレクト前置きがめちゃくちゃ長くなっちまった。。。  
小室氏への「提言」の場ぢやないよなぁ、1曲セレクト。

でもまあ、小室氏の引退をかけて、やっては、今回は小室氏の曲だろうな・・・ってことで、この曲を引っ張って来ましたわ。

安室奈美恵「a walk in the park」。

まあ、小室氏の音楽について、ここでは、これまでも何度も書いてるけど、個人的にはそんなに影響が無かったんだよね。引っかからなかったっていうのが正しいか。
このヒトのメロディって、感情むき出しっていう「喜怒哀楽」なところがあんまりないじゃん。 よく言えば「ドライ」。
無機質ってところだよね。
そこが個人的にはあんまり引っかからなかったんだと思う。

だから、当然、小室プロデュースになってからの安室さんの音楽も殆ど触手が伸びなかった。

うん、小室氏プロデュース以前、まだ「スーパーモンキーズ」の一員だった頃の安室さんには興味があったんだけどね。そそそ「TRY ME〜私を信じて〜」でブレイクしてきた頃の安室さん。

これは凄いヒトが出てきた・・・ってさ。 でも、そのすぐ後、東芝EMIからエイベックスに移籍して、小室氏プロデュースになったじゃん。 その途端に興味が無くなった・・・っちゅうかねぇ。。

あー、こんな書き方するから「敵」を作るんだよなぁ。 
でも、個人的な本音の部分であり、だから「天邪鬼」なんて言われるんだけどさ・・・。

いや、個人的に好きだった安室さんは、もっと「ストレート」なポップを歌う安室さんだったんだよな。
「TRY ME」なんてのはリズム体と複雑だけどユーロビートじゃん。ストレートなんですよノリが。いってみれは分かりやすい。 ココが良かったのよ。

でも、「TK」化されてからは分かんなくなったんだよな。
確かにエイベックスに移籍することで国民的なアーティストヘ大ブレイクしたことは間違いないんだけど・・・。

そんな安室さんの曲だったけど、エイベックスに移籍して以来、個人的に納得できたのが、今回の「a walk in the park」だったなぁ。

初めて聴いたのは、確か、ミュージックステーションだったかなぁ。

Aメロはいつもの小室節っぽくて、「あ、またか」・・・と思ったものの、2分音符を多用する、サビへのブリッジとなるBメロの ♪ 想いが届けば〜 ♪ のところから考えが変わったんだよな。

細かい譜割りが特徴的な小室メロディにあって、2分音符を多用するメロディって、あんまりなかったからさ。

で、そのまま、♪ A Walk in the Park〜♪っていうサビに入って行く。

この流れがね自然だっんたですよ。恐らくそんな所に反応したんだろうねぇ。

それにサビの♪ A Walk in the Park〜♪ ってところを中心に聴いてて絵が浮んで来るんだよな。 その浮かんでくる絵がね、シカゴの「Saturday in the park」だったりしてね。
つまりさあ、シカゴの「Saturday in the park」を彷彿させるくらいの自然な流れのポップスだったって事なんだよね。




ちなみに、97年の頭頃のミュージックステーションって「あ、これは」っていい意味で裏切られる曲に出会う事があったんだよな。 昔書いたけど河村隆一の「I love you」もそうだったもの。




ちなみ、この曲マクセルの「カセットテープ」のCM曲だったんだよね。
当時、音楽録音用メディアとしては「MD」が主流で「カセットテープ」なんて、すでに時代遅れの感じだったんだけどね。
そんなカセットのCMで使われていたのが、時代の「最先端」だった安室の曲っていうのも、なんかアンバランスな感じでしたよね。



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YOU ARE THE ONE / TK PRESENTS こねっと

1997_01_YOU ARE THE ONE_TK PRESENT こねっと


今回の1曲セレクトは、「YOU ARE THE ONE」TK PRESENTS こねっと どぇす。

まずはデータどぇす

・タイトル     YOU ARE THE ONE
・アーティスト   TK PRESENTS こねっと
・作詞       小室哲哉 MARC DJ KOO and hitomi
・作曲       小室哲哉
・編曲       小室哲哉
・リリース日    1997年1月1日
・発売元      こねっとプラン事務局(クラウン)
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   122.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年1月13日〜2月17日付

えー、この間から、新年恒例()の「1月1日」リリースの曲を書いて来ましたが、そろそろお開き・・・のつもりでいたんだけどもね。
 でも、昨夜風呂入りながら、次、何書くべ・・・といろいろ思考していたら、まだ書いてなかった「1月1日」リリースの曲が浮かんできてしまった。。。

TK PRESENTS こねっと「YOU ARE THE ONE」

この曲、覚えてます?  まあ、アーティスト名から「小室哲哉」氏のプロジェクトだったよな・・・っつうのは一目瞭然なんだけども。。。
 そそそ、「小学校にインターネットを普及させよう」キャンペーンと題し、小室ファミリーが一同に会したコラボレーション企画の1枚ですわな。
まあ、日本版「ミニ」、「WE ARE THE WORLD」っていう感じですな。

この曲がねぇ、1月1日リリースだったんだよね。 さすがにそこまで覚えてた方も少ないだろうなぁ・・・。現に書いてるワタシも記憶の蚊帳の外だったんだけどさ。。

1997年というから、今から丁度20年前だよね。 というか、その方が衝撃だったりして。。97年から20年経つんだよな。。。 え? 早えーよなー・・・。って思う方も多いんじゃないんですかねぇ。

この曲上で書いたように、「小学校にインターネットを普及させよう」キャンペーンソングというくらいだから、当時は、まだインターネットもそれほど普及していなかった時代ですわ。
 総務省統計のインターネット普及率推移をみると、日本でのインターネット普及率は1997年末時点で、まだ人口比の9%強、実数としても1000万人にも達してなかったんだよね、当時のインターネットの普及率。

ネットと繋がっているのが、「デフォルト」の昨今からみると、ちょっと想像もつかないような状況だったわけだけど、実際にそうだったんだよな。
正直、こんな事書いてるワタシでさえ、この曲がリリースされた1997年1月の時点では、まだネットをやってない。
うん、この年の12月だからさ。ネットを始めたの。 だから、人口比で、ギリギリ1割程度普及した所から始めたって感じなのかな。(それでも某IT系D社に居た頃は、始めたのがかなり遅かった部類ですが。。。)

まあ、そもそも、ネットへのアクセス速度も、今からするとめちゃくちゃ「貧弱」だったんだけどもさ。 
なんせ、一番普及していたのが「28.8kbps」の「アナログモデム」だったからさあ。

覚えてます? モデムって。 そそそ、通常の電話回線はデジタルではなくアナログだったからさあ、当時は。パソコンと通信させるためにPCのデジタルをアナログに変換させる必要があったんだよね。そのためのデジアナコンバーターですわな。
 その通信速度が、当時一番普及してたので、28.8Kbps。 当然、音楽のやり取りや。ましてや動画のやり取りなんて出来ないくらいのよ。
1枚の「静止画」受信するのだって、まあ、イライラするくらい遅かったし。。。。

そんな状況、当時勤務してた会社での状況を知ってたんで、ワタシは、アナログモデムは使いたくなかったんだよね。 なので、当時「最速」だった、ISDN(64kbps)の普及を待つべく、個人的にネットを始めるのを、少し我慢していた時期でもあるんだよな。
そそそ、ISDN回線は、一般のアナログ回線とは別回線だったからさ、この回線が自宅周辺まで引っ張ってこられるまでは契約できなかったからさ。 それわまってたら、結局、この97年の末になっちゃったってわけで。。。


・・・・いやいや、曲とは全く関係ない個人的なネットの話になっちまった。。。。

と言うかね、20年前、この曲がヒットしていた最中は、この曲、全く認めてなかったんだよね。正直言って。。
いや、この曲だけではなく、いわいる「小室系」っていう音楽を認めていなかった・・・と言うのかなぁ。
・・・なんてはっきり書いちゃうと、「反論」が来ちゃうかもしれないけどさ。
まあ、それも覚悟の上で書くけどね。

最初のうち、うん95年くらいまで・・・具体的に言えば、 globeが「Departure」を出すまで・・・だから、96年1月か・・・までは、認めてたんだよな。

でも、96年に入って、どうも耳触りになってきたんだよなぁ。。。
まあ、ヒットチャートのほとんどが「小室系」に占領されつつあったこともあった。

個人的に、そういう「独占」的なチャートになるとダメなんだよね。突然「アンチ」になってしまうのよ。 90年代前半の「ビーイング」系の時もそうだったしさ。

やっぱりね、ヒットチャートたるもの、いろんな色合いのアーティストが種々雑多な状態で競い合うからこそ良いんだよね。
独占禁止法ではないけど、一人のプロデューサーで似たような音楽が並んでいるチャートってツマンナイのよ。
飽きちゃうんだよな。

そんなこともあって、96年くらいから少しひっと曲から距離を置くようになっていたんだけども、この「YOU ARE THE ONE」って曲を聴いて、それも決定的になっちゃったような感じだったんだよな。

モチーフを「WE ARE THE WORLD」に求めた事は良い。 でもさ、やるんだったら、もう少し、きっちりとやって欲しかったんだよな。

・・・あ、主語が抜けたね。。。

うん、最初に書いたように小室ファミリーのヒトたちが一同に会して、少しずつ、数フレーズずつ、リレーしてうたっていくんだけど、ほとんどのヒトが歌いきれてないんだよな。
 まあ、それぞれの方で「キー」が違うって事もあり、歌いきれない部分もあったんだろうけど、それにしても、なんか聴いてて痛々しいんだよね。

肝心の曲にしても、掴みどこがなく、淡々と流れて行くような感じだし。 

そう言う掴みどころがない曲が、小室ファミリーだからと言って、簡単にミリオンセラーになってしまうって言う現実に、やっぱり、なんかおかしいよな・・・っていうところは感じたんだよな。
96年頃からヒットチャートから距離を置き始めていたっていうのは、この部分も大きいかもしれない。

80年代のミリオンセラーが出ない時代、いや、それ以前に「ミリオンセラー」っていうものが特別だった時代からヒットチャートを見てきた者にとって、時代感のずれ・・・っちゅうのかなぁ。
ミリオンセラーになる曲って、他のヒット曲とは別の特別なものがあるように感じているんだよね。

曲が持つオーラっていうのかなぁ、普遍性っていうのかなぁ・・・うまいコトバが出てこないんだけども。。

この曲からは、そういう、それまでのミリオンセラーになる楽曲が持つ「オーラ」を感じなかったんですよ。
曲としては、あくまで「中途半端」さだけでさ、感じるのは。

それでいいのかなぁ・・・って言う疑問が、先に立っちゃうんだよね。 それがいやで、この時期、ヒット曲から距離を置いてたんだよな。
(単純に、個人的に好みの曲がヒット曲には無かったというのも大きいか。。。)

そんな感じで90年代終盤までのヒット曲には「疑問」を持つようになったワタシだけど、その本格的な始まりは、この曲から始まった・・・なんて言っても過言ぢゃないかもなぁ。


・・・と言ってもですよ、あれから20年経ちーの、いまや、ヒット曲クロニクル的見ても、「90年代後半」という歴史になったこの当時の曲を、「今」も毛嫌いしている訳ではないんだけどね。

曲として「中途半端」な時代として、この時代〜90年代後半〜は、それはそれで認めるようになったんでね。

だから、当時あれだけ絶対に認めない・・・なんて、音源を持つのも持ってのほか・・・って思ってたこの曲だけど、今は、音源手元にあるしなぁ。

とは言っても個人的な好みだから・・というよりは、ヒット曲の時代を語る上での「資料」って言う感じで音源があると言った方がいいんだけども。





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硝子の少年 / KinKi Kids

1997_08_硝子の少年_KinKi Kids


今回の1曲セレクトは「硝子の少年」KinKi Kidsです。

ますはデータです。

・タイトル    硝子の少年
・アーティスト  KinKi Kids
・作詞      松本隆
・作曲      山下達郎
・編曲      山下達郎
・リリース日  1997年7月21日
・発売元    ジャニーズエンタテインメント
・オリコン才最高位 1位
・売上げ枚数 178.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年8月4日〜10月20日付

 不安定な天気ですなぁ。晴れ間が出てきたと思ったら、いきなり土砂降りになったり。。。あ、晴れ間が出てきたと言っても基本「雨」の時間が多い今日ですが・・・。
それにしても蒸し暑い。ここホントにニッポン・・・なんて歌が居たくなるほど「熱帯」的な天気だよな。

ま、熱帯的な蒸し暑いのは置いておいて、この時期「雨」と言うと、浮かんでくる曲がいくつかあるんだよな。

今回はそんな曲をひとつ。

KinKi Kids「硝子の少年」

ふむ、KinKi Kidsのデビュー曲にして、これまでKinKi Kidsの中で最高売り上げを記録しているこの曲は、まあ、ここ見に来ていただいている方だったら、誰でも知っている曲ですよね。

個人的には、この曲と言ったら、真っ先に「雨」・・という情景が浮かんでくるんだよな。

まあ、♪ 雨が踊るバスストップ〜♪ ・・・なんて「雨」で始まる歌詞のおかげか、当時歌番組では「雨」のセットが多かったからかもしれないんだけどさ。
 正確には、今日のような「蒸し暑い」熱帯な雨・・・ではなく、シトシト降る「九月の雨」のような情景なんだろうけどね。だから、正確にはちょこっとイメージからずれてるかもしれないけど・・・。ままいいか

この曲と言ったら、なんと言っても、作曲の山下達郎氏だよなぁ。
アメリカンポップスを書かせたら右に出るものは居ない・・・って言うくらいの洋楽的センスが光る山下達郎氏なわけで、業界を含め、恐らく多くのヒトは、そう言った洋楽的なポップスを期待していたんだよね、KinKi Kidsのデビュー曲には。まあ、80年代ならともかく、90年代のこの時期のジャニーズは、基本「踊り」と言うモノは外せない雰囲気があったからな。

でも、実際出てきた曲といったら、これが、当時の感覚から言うとアナクロ・・・80年代「初頭」・・・の雰囲気なダサダサポップス。

当時、週刊「文春」に掲載されていた、近田春夫氏の「考えるヒット」によると、
イントロのコード進行が Em→Am→D7 ときたんで、いやな気がした所、案の定 Gm7に行く循環コード・・・・と、まるで、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」の頃のヒット曲のようなコード進行に、ほとほと愕然としたとのこと。

まさかね、洋楽的センスが光る、山下達郎氏がねぇ、こんなダサダサ歌謡ポップスなコード進行の曲を持ってくるとは、予想もしていなかったようなんだよね。

ま、当の山下達郎氏によると、こういう曲調になったは、ジャニーズ、作詞、松本隆・・・と言う陣営から考えて、仮想 筒美京平を意識したとのこと。
 KinKi Kidsのデビュー曲、作詞が松本隆氏・・と来れば、どういう楽曲を持ってくるのか・・・と言うところを意識した時、やっぱり、こういう歌謡ポップスの王道的な曲で来るのではないか・・・と想定したようなんだよね。

90年代当時・・・というよりも、70年代、80年代にかけて、ニューミュージック側のアーティストにとっては、筒美京平氏は仮想敵な存在でしたからねぇ。
 特に、ニューミュージックアーティストがアイドルに曲を提供するようになってからは、ニューミュージックのアーティストにとっては、筒美京平って言う名前はとてつもなくでかいぞんざいだった訳で。

だから、筒美氏を仮想敵・・・と思っていたヒトも多かったようなんだよね。まあ、逆に言えば、筒美氏も、これらのニューミュージックアーティストは、怖い存在だったらしいけどね。

でも、実際に「仮想敵」として、筒美氏だったら、どういう曲を持ってくるか・・・と想定して曲を作っていたヒトは、意外と少ないんだよね。
 まあ、曲を分析し、それに近い曲を作るっていう技量がある人も数少ない訳で、恐らく、山下氏、大瀧詠一氏、桑田佳佑氏くらいしか居ないんじゃなかろうか・・・と思いますけどね。
 結局、仮想敵といいながら、筒美氏をいかにリスペクトし、曲を聴きこんでいるか・・・ってところにも寄りますしね。

はっきりと筒美氏を仮想敵として曲を発表し、結果的にオリコン1位を獲得した曲なんてのは、この曲が最初じゃなかろうかね。

山下達郎氏の場合、KinKi Kids以前にも、ジャニーズでは、まっち先生の「ハイティーンブギ」を書いてたりする。この時も作詞は、松本隆氏で、この「硝子の少年」と状況は同じだった訳だけども、「ハイブギ」の時は筒美京平臭は感じなかったんだよな。それほど意識もしてなかったんじゃいのかなぁ。
むしろ、c/wの「MOMOKO」なんて、まるで山下達郎氏っぽい曲だったしな。

まあ、当の山下達郎氏も、この曲はまんざらではなかったようで、後にセルフカバーしたものね。

↓ コレ


あらら、本人が歌っていると、やっぱし、筒美京平というよりは達郎・・・っていう気になって来るな。
まあ、達郎節が凄いですが。。。


でもさ、ダサダサ曲が大好物なワタシとしては、この曲は「ビンゴ!」だと思ったなぁ。
こういう耳馴染んだ80年代初期的なサウンドには安心感があるんだよな。
その点では、やっぱり近田氏とは、意見が異なるんだけどさ。

・・・・というか、やっぱり、初めの頃は、この曲、山下達郎氏なんて知らなくてね、筒美京平氏と勘違いしてたもの。


ただ、売り上げを見る限りでは、こういうダサい曲を持ってきて正解だったんだろうね。
最初に書いたように、売上げ178万枚はここまでのKinKiの中でも最高売り上げなんだけども、これも、この「ダサい」曲のお陰なんじゃないのかなぁ。
 ワタシらの世代のヒト達は、なんだかんだ言っても、こういうダサい80年代初期的なポップスっていうのが、一番しっくりきますからねぇ。 それだけ幅広い世代に受けた・・・っていうことが言えるんだろうね。
 ま、当時のKinKi人気って言うのもあるだろうけど、幅広い世代に受けたっていうところが大きかったんじゃないのかなぁ。




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LOVE LOVE SHOW / THE YELLOW MONKEY

1997_05_LOVE LOVE SHOE_THE YELLOW MONKEY








今回の1曲セレクトは、「LOVE LOVE SHOW」THE YELLOW MONKEYです。

まずはデータです。

・タイトル       LOVE LOVE SHOW
・アーティスト     THE YELLOW MONKEY
・作詞         吉井和哉
・作曲         吉井和哉
・編曲         THE YELLOW MONKEY
・リリース日      1997年4月19日
・発売元        ファンハウス
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    47.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1997年5月5日〜5月26日付

昨日からイエモンの「復活」ライブツアーが始まってますねぇ。
正直、ライヴに行きたい・・・と言う気持ちが「半分」くらいあったんだけど、今回は東京公演が「平日」っていうこともありーの、チケット申し込みを「回避」しちゃったワタシなんですよね。
 
 今まで、ROCK IN JAPANとかCOUNTDOWN JAPANで、「吉井和哉」ソロのライヴは、何度か見てるんだけど、イエモンとしては、ライブ見てないんだよね。 なので、一度見たい・・・という気持ちも強いんだけどね。

まあ、半分は、8月の「ROCK IN JAPAN」に出ることを期待して・・・っていう目論みもあるんだけどさ。
ツアースケジュールを確認すると、8月の夏フェス期間にはライブの予定が入っていないし。 ・・・・ということは、各夏フェスへの参戦もあるんじゃないかなぁ・・・なんてのも、密かに思ってたりするもんでね。
まあ、今のところ、ROCK IN JAPANを初め、サマソニ、RISING SUNへの出演予定は出ていないけど・・・。

とりあえず、明日のROCK IN JAPANの出演アーティスト第2弾発表を見たいと思っているところです。

・・・・ということで、今回はイエモンの曲をセレクト。

イエモンの曲で、「今頃」のヒットといえば、やっぱ「LOVE LOVE SHOW」だよね。

・・・っつうことで。。。   ここんところ、毎日のように頭を悩ませている曲セレクトも、今回はすんなりと決まったわ。。。というか、安易に決めた・・・というか

その前に、イエモンの曲っていままであんまり書いてきてなかったんだよな。 かなり前に「JAM」を書いて以来・・・って事になるんかなぁ。

まあ、イエモンも人気のピークは90年代後半ということで、今までレビューをあんまり書いてこなかった「時代」だからねぇ、必然的に書いてなかった・・・って言うのもあるんだけどさ。

 積極的に触手を伸ばそうと思っていたアーティストが極端に少なくなっていた90年代後半にあって、個人的にはイエモンっていうヒト達は、キライじゃなかった。 
 いや、やってる音楽が結構ダサ坊だったからさ、それが良かったんだよな。ダサい音楽が好きなワタシにとっては。 
 
今手元に「歌謡曲完全攻略ガイド」っていう本があるんだけど、この中で、吉井和哉が、自身曰く、「歌謡曲」が好きだってカミングアウトしているんだよね。
 しかも、70年代〜80年代前半の歌謡曲「LOVE」ってことを力説してたりして。

なるほど、「波長」が合うはずだよなぁ・・・なんてシンパシイを感じたりしたってのもあるなぁ。
・・・うん、「よっ同年代」って感じなのよ。 まあ、吉井氏は、ワタシらより3つ年上なんだけど。。。

今回の「LOVE LOVE SHOW」にしても、外見からして「ダッタダサ」なロックじゃん。いわいる「ラウド」系って言う感じでもないし、本来は「グラム系」なロックをやっているはずなのに、そんなに洗練もされてないし、かといってビジュアル系でもない。

んじやなんなの? っていうとやっぱり「歌謡ロック」っていうネーミングが嵌まっちゃう気がするんだよなぁ。

メロディラインもいわいる「ウレ線」だしね。 ロック系なヒトたちが通常キラうような路線をあえてやっている・・・って言うような。 その辺に潔さも感じたりしてね。

もう少し線が太くて土着っぽい音楽だったら、一昔前の甲斐バンドに近かったかもしれない。 そう言う意味では90年代じゃなくても、80年代でも、70年代でもこのヒト達は通用したんじゃないのかなぁ。
 たまたま、このヒト達の年齢的に90年代に流行ったって言うだけどさ。



これは、イエモンじゃなくて、2006年に吉井和哉氏がソロで出演したROCK IN JAPANですね。
うん、こんとき、ワタシもこのステージ見てるんだけど、この曲が始まるまでは、ステージ周辺は、かなり空白が目立ったんだよね。
 でも、この曲のイントロが流れた瞬間、「どーっ」大勢のヒトたちがステージ周辺に大挙してきたのを覚えてる。
やっぱ、みんなイエモンを聴きたがってるんだ・・・ってのが、分かった一瞬だったな。
 ただ、この次の出番が矢沢の「エーちゃん」だったんで、吉井氏は大分きつそうだったのを覚えてる。
なんせ、天下の「エーチャン」の前座的な位置だったから。。。


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渚にまつわるエトセトラ / Puffy

1997_04_渚にまつわるエトセトラ_PUFFY














今回の1曲セレクトは、「渚にまつわるエトセトラ」Puffyです。

まずはデータです。

・タイトル    渚にまつわるエトセトラ
・アーティスト    Puffy
・作詞      井上陽水
・作曲      奥田民生
・編曲      奥田民生
・リリース日   1997年4月16日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  88.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年4月28日〜6月9日付
・タイアップ:キリンビバレッジ「天然育ち」CM曲

この間書いたばっかなんだけど、またまたPuffyです。

「渚にまつわるエトセトラ」。

うーむ、この間書いた「サーキットの娘」の時は、アクセス数悪かったからなぁ。。。
今回はリベンジのつもりで。。。  ってか、「サーキットの娘」よりかは、今回の「渚にまつわる・・・」の方が認知度は高いんで、前回のリベンジはなるかな

ま、じっさい、リリース間隔が無かったですからねぇ、「サーキットの娘」と、今回の「渚にまつわるエトセトラ」では。2カ月連続のリリースということで。

「サーキットの娘」は、それまでのpuffyと若干毛色が違ったかな・・っというところもあり、思ったほどの売り上げも記録しなかったんたけど、この「渚にまつわる・・・」は、売り上げを戻しましたからねぇ。
まあ、どらかと言えば、2カ月連続リリースといっても、こちらの方が「売り手」としても本命だったんでしょうね。

個人的には、逆にこっちの曲の方が売れないなぁ・・・なんて最初は思ったりもしてたんだけどさ。

だってさ、もろ西城秀樹の「Young Man(Y.M.C.A)」のパクリじゃん。 うーん、民生くん、堂々としてるなぁ。
同郷の大先輩の秀樹をパクリとは。・・・なんてさ。

加えて、井上陽水氏の、まったく意味不明な歌詞がね・・・。 初めは、悪ノリしすぎじゃねーか・・・なんてところもあったんだよね。

それに時代は90年代も後半だった訳じゃないですか。そんな時代に、70年代ディスコなノリってどうなの? 感じもしたし・・・・。


BUT BUT、そう言ったマイナス面は、全くの杞憂でしたね。

まあ、このヒト達は理屈じゃねーんだなぁ・・・っていうのが、この曲でよく分かりましたわ。

それとともに、なんか「時代」がよく分かんなくなって来たってのもあったかなぁ、個人的に。


それにしてもさあ、ROCK IN JAPANなんかのフェスでは、もう何回もPuffy見てきてるけどさ、この曲は、未だに「鉄板」ですね。 もうね、この曲と「アジアの純真」はやんないと許さない・・・みたいな空気があったりして。
これまで何回見てきたか分かんないくらい見たよなぁ。事実、この曲が一番盛り上がるんだよね、未だに。
もう19年も前の曲だし、そろそろ、この曲をリアルタイムで聴いたことない・・・って世代もフェスに参戦して来ているのにねぇ。
やっぱ、ノリが全てな曲ってことなんだろうね。歌詞の意味なんて無くたっていい、気持ちよくノレれば・・・
って感じの曲なんだよね。





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サーキットの娘 / Puffy

1997_03_サーキットの娘_Puffy










今回の1曲セレクトは、「サーキットの娘」Puffyです。

まずはデータでする。。。

・タイトル     サーキットの娘
・アーティスト   Puffy
・作詞       奥田民生
・作曲       奥田民生
・編曲       奥田民生
・リリース日    1997年3月12日
・発売元      エピックソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   70.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年3月24日〜4月28日付
・タイアップ:ヤマハ スクーター「Vino」CM曲

あー、今日は書きたくないよう・・・と、いつもながらもう一人のワタクシが、ずっと囁いていまして、さっきも今日は1回休もうか・・・と思ってたんだけどねぇ。。。
でも、うんにゃ、やっぱり、書いとこう・・・・と奮起しまして、どうにかPCに向かってたりしてまする。。。

こんな「ふざけた」()状況じゃ、「マジメ」な曲は気分的にムリだなぁ・・・・と思いまして、「ふざけた」曲をひっぱってまいりましたぞ

Puffy 「サーキットの娘」

あ、やばい、この曲のどこがふざけてんだよ ・・・っていうPuffyファンの怒りの声がどこからか聞こえてくる。。。。

いや〜、でも、眉間にしわを寄せて聴くような「マジメ」な曲じゃ、少なくともないでしょ 

でも、そこがPuffyらしいんですよね。 このヒトたちの曲は、なにも考えないでもいいところがいいですわ。


さて、そろそろマジメに書きましょかね。

この曲はデビュー3曲目なんだけど、前曲の「これが私の生きる道」から、曲調が60年代調に遡ったりして、この曲もその流れを踏襲しましたね。
うむ、「これが私の生きる道」は、完全にビートルズのパロディだったけど、この曲はさらに遡って、50年代のロックンロールですわね。
 しかも、かなり純粋なロックンロール。こんなに純粋なノリのロックンロールなんて、ヒット曲では、横浜銀蝿以来じゃないんがなぁ。

まあ、前曲が60年代っぽい雰囲気で大成功だったんでね、次もそんな流れで来るんだろうな・・・なんては思ってたりしたんで、この曲の路線は、ある程度は「想定内」だったかもしれない。
だから、この曲を初めて聴いた時は、それほど驚きはしなかったなぁ。
 
ま、その辺は、リスナーも同じように思ったのか、前曲が157万枚なんて、Puffy最大のヒットになったのに比べると、この曲はその半分以下だったもんね。 これは、ちょこっと想定「外」だったどね。

ただ、「あっさり」はしてたよね、曲自体は。ロックンロールっていうとアクが強い曲があったりするけど、この曲は全然アクは強くないしな。その分インパクトも弱かったかもしれない。 その辺が売り上げにダイレクトに繋がってきたんだろうね。

それよりも、詞がねぇ、ふざけてますねぇ。奥田民生氏っぽいですねぇ。

♪ あせってエンストこかないでね〜 ♪

だもんね、ヤマハのスクーターのCM曲なのにさ  民生、堂々としてるなぁ。。。

まあ、♪ ころんで骨おったりしないように〜 ♪ ってのは、この曲をリリースするちょっと前に自転車でころんで骨折った、吉村由美への「オマージュ」なんですが。。。

それと、1番後のインストから最後まで、バックで延々と流れている「ギロ」が笑える。

そそそ、よく聴くとずっと、「ギロチチ〜」とギロがなってるのが聴こえたりして

なんで、ロックンロールに「ギロ」がなってるんだ? なんて普通だったら考えちゃうんだろうけど、まあ、その辺は民生らしいちゃ、らしい「ミスマッチ」だったりするんだけどさ。

50年代、ロックンロールの前にマンボブームがあった訳で、もちろん、そんなラテンなリズムにゃギロも使われていた訳で。。。。そんなブームを一色多に混ぜてみました・・・なんてぇ、事までは考えてないよね、民生氏も。





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CAN YOU CELEBRATE ? / 安室奈美恵

1997_02_CAN YOU CELEBRATE_安室奈美恵













今回の1曲セレクトは、「CAN YOU CELEBRATE ?」安室奈美恵です。

まずはデータです。

・タイトル      CAN YOU CELEBRATE ?
・アーティスト    安室奈美恵
・作詞        小室哲哉
・作曲        小室哲哉
・編曲        小室哲哉
・リリース日     1997年2月19日
・発売元       エイベックストラックス
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    229.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1997年3月3日〜4月21日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「バージンロード」主題歌

 ここ何日か70年代の曲を続けたので、今回の1曲セレクトは{90年代」に戻って来ましょうかね。。。
ちなみに、この先も暫くは70年代の曲が中心になりそうな予感なんだよね。 って事を予め書いとこうかしらね


・・・っつうことで、今回おもむろにセレクトしてきた曲が、

安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE ?」

おお、久々にダブルミリオンの超大ヒットじゃんか〜

・・・っつか、いままで、この曲書いてなかったのね。。。

・・と、突っ込まれそうなほど90年代を代表する曲ですよねぇ。
いや、それ以上に、オリコン史上、ソロの女性アーティストとしても最高セールスを記録した曲なわけでね。

なんで、そんな曲を今まで書いてこなかったのか?

まあ、答えはいつも同じような理由なんだけど、一つは、リアルタイムのヒットから、まだ、それほど時間が経って無かった事。
もう、一つは、ヒット当時、この曲、あんまり聴いてなかったのよ、個人的に。

・・・・なんて書くと、ヒット曲ウォッチャーのくせに信じらんない・・・なんて思われるかなぁ。

まあ、1997年当時の仕事の状況とか、個人的な環境もあったんだけど、1997年〜1998にかけて、ほとんどヒット曲を聴いてなかったんだよね。
 だから、この2年間の所有音源は未だに少ない。 もちん、この「CAN YOU CELEBRATE ?」も未だにシングル盤などの音源を持ってない。 200万枚オーバーの曲なのにね。
もしかすると、オリコンで200万枚以上の曲で、音源持っていないのは、この曲だけかも知れん。
そのくらい当時は音楽聴いてなかったんだよなぁ。

でもね、当時、あまりヒット曲を聴いてなかった最大の理由は、例の「小室ブーム」だった・・・んだよね。いや、これは確実に。

trfのブレイクから一気に加速した「TKブーム」は、この年にピークを迎えることになるんだけどね。
前年からこの年にかけて小室がプロデュースしたCDの総売り上げ枚数が、「演歌・歌謡曲」のカテゴリーに分類される曲の総売り上げ枚数よりを越えたと分かった時、これは異常事態と思ったのよ。

確かに、この頃時代の寵児だったといえば否定はしないんだけど、小室一人で、演歌の総売り上げを超えるっていうのは、音楽業界全体の市場構造としては、やっぱ歪だと思うのよ。

目先の事しか見えないヒトは、「勝てば官軍」って感じで「売れれば勝ち」って言うけど、そうじゃない。
確かに売れることは悪い事じゃなけど、それは、いろいろな人たちがいて、その中で切磋琢磨しての売れることに意義があるんだよね。そそそ、市場の多様性ですよ。 それがこの頃は完全に崩れてましたよね。

 個人的に、大学は生物の「生態学」を専攻してたんで、無意識にそう感じたのかもしれないけど、例えば生物の種が繁栄するには「多様性」っていうのは重要なファクターなんですよ。いろいろな多様な種が切磋琢磨、競争してこそ種の繁栄が維持できる。一つの種だけが抜きん出てる種は、逆に絶滅が近い種なんだよね。

 それは、市場経済にも言えることで、それはヒット曲の世界でも同じことなんですよ。

だから、小室が一人勝ちしていたこの時代は、ヒット曲の市場経済上、歪な時代だったんだよね。

まあ、そんなこともあって、96年の前半までは小室の曲は、暗黙のうちに支持していたワタシは、小室の独り勝ち状態に将来的なヒット曲界全体への危機を感じて、一転してアンチ小室になったわけなんですわ。

小室の曲は聴かない、CDは買わない。

って無意識のうちに決めてたんだよね。 

この「CAN YOU CELEBRATE ?」、当時ほとんど聴いてなかった・・・っていうのは、そんな所があったからなんだよね。

まあ、この曲のちょっと前に伏線もあった。 TK presents こねっと名義でリリースされた「YOU ARE THE ONE」って曲。
ワタシねぇ、この曲は失敗作だとおもったのね、一度聴いて。まあ、確かにチャリティ用の曲として、ありがちなんだけど、みんな歌いきれてないし、これはヒドイ曲だな・・と感じたんだけど、それでも軽くミリオンを突破したでしょ。
これはねぇ、絶対に間違ってると感じたんだよね。 うん、ここからですね完全に「アンチ小室」になったのは。
 

とはいうものね、あれから19年の月日が流れ、件の「TKブーム」も遠い過去の話となったわけで・・・。
今になって、この頃の曲を掘り返しているって感じてのワタシなんだよね。


で、肝心の「CAN YOU CELEBRATE ?」ですけど、今聴くと、なるほど、この曲はいい曲だ・・・とようやく思えるようになりましたねぇ。
 なるほど、当時の女子中高生が、この曲聴いて、ウルウル来ちゃってたのも分かるわな・・・というか、ダブルミリオンまで行ったのも分かる。

 TKの曲としてはこの曲は分かりやすいんだよね。正直、TKの曲を避けていた要因の一つが、このヒトの曲って、今一つ分かんない所があったんだよね。華原朋美とか鈴木あみの曲は特に。
抑揚が少ないし、掴みどころが分かんない。「で、一体何なの?」で終わっちゃうんですよ。
でも、この曲は、イントロの最初からして、がっちりと掴まっちゃうんだよね。曲全体がキャッチー。

まあ、フジの「月9」の主題歌と言う効果もデカかったんだけどね。 仮にタイアップが無かったとしても、この曲は相当売れただろうね。




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