かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1992年

雪が降る町 / ユニコーン

1992_雪が降る町_ユニコーン






今回の1曲セレクトは、「雪が降る町」ユニコーンです。

 まずはデータです。

・タイトル    雪が降る町
・アーティスト  ユニコーン
・作詞      奥田民生
・作曲      奥田民生
・編曲      ユニコーン
・リリース日   1992年12月2日
・発売元     ソニー
・オリコン最高位 4位
・売り上げ枚数  23.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1992年12月28日付

 いや〜、今年も、いよいよ押し迫ってきましたなぁ。1曲セレクトも、年内はこれが最後とあいなりまする。
今年は早かった、1年が。 なんか、毎年、そんなこと書いているような気もするけど、いや、マジで早かったわ。あっちゅう間に過ぎた感じやね。
うーん、こんな感じで、年取っていくのかねぇ。。あ〜やだねぇ。。

 
 うん、さてと、気を取り直して。。。

 年末といえば、年末らしい曲を持って来たいものですわ。。

 っつうことで、今回の1曲セレクトは、ユニコーンの「雪が降る町」で決定!

 いや、だけど、この曲、今まで、もって来てなかったんだな。。うーん、「年末」といえば、この曲がすぐ浮かんでくるんだけどねぇ・・。

なんせ、歌詞に

♪ 今年も終わるけど〜 ♪ ってあるしね。
 
ま、だけど、丁度、都合がいいのでね。

 しかし、この曲聴くと、ホント、年の瀬・・って感じがするよなぁ。もうね、条件反射。「雪が降る町」って言うんだから、本来なら、それこそ「雪が降っているさま」を歌ってんだろうけど、でも、

 ♪ 今年は久しぶり田舎に帰るから〜 ♪

とかあると、どうしても、帰省→年末 っていう雰囲気になっちゃいますな。

それと匂いだよね。年末ってなんか独特の匂いがあるんですよ。その匂いが、この曲からは感じるんだよなぁ。

 個人的には、この曲、COUNTDOWN JAPAN FEF04/05の印象が深いんだなぁ。 うん、初めて、「COUNTDOWN JAPAN」に参戦したときだ。たしか2004年12月29日だったな。 大雪だったのよ、外は。

  で、奥田民生、本来はこの曲の予定はなかったんだけど、セットリストを変更して、急遽、この曲、やってくれたんだよなぁ。 いや、この曲の歌のまんまの情景。

 いや、良かったね〜。

 そういえば、あれ以来、この曲、「COUNTDOWN JAPAN」でやってない やった
やっぱ、「雪」が降ってないと、この曲の意味が半減するからなぁ。





それでは、皆様、よいお年を〜 

ってか、今年、まだ続きます。。。おそらく。。。



よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

クリスマスキャロルの頃には / 稲垣潤一

1992_12_クリスマスキャロルの頃には_稲垣潤一



今回の1曲セレクトは、「クリスマスキャロルの頃には」稲垣潤一 なのだ。

まずはデータです。

・タイトル   クリスマスキャロルの頃には
・アーティスト 稲垣潤一
・作詞     秋元康
・作曲     三井誠
・編曲     清水信之
・リリース日  1992年10月28日
・発売元    ファンハウス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  140.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月16日〜1993年1月18日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「ホームワーク」主題歌

先日から、以前すでに書いたクリスマスソングのうち、ずっとアクセスが多めの曲、ブログの底に沈んでいたのを表に引っ張り上げることを何曲かやってきた。

いつだかも書いたけども、1曲セレクトを始めた2005年、まだmixiに書いてた頃だけど、2週間くらいずっとクリスマスソングだけ書いてたことがあった。 

当時は、文字通り「1日1曲書く」ってことを目標にやってたんで、それこそ一気に10数曲書いたのかなぁ。 あの時点での過去の、めぼしいクリスマスヒットは、あん時、あらかた書いたんだよね。

ただ、後先考えずに書いたんで、その後、クリスマス時期に書きたい曲が無くなって、毎年難儀してるんだけども。。。。

でも、あの時も、それ以後もまだ書いてなかった クリスマスソングももちろんあるんだよね。


今回は、そんな、まだ書いてなかった「大ヒット」のクリスマスソングを一つ。


稲垣潤一「クリスマスキャロルの頃には」

じゃじゃーん。 1992年のクリスマスソングとしてリリースされ、当時、ミリオンセラーも記録した大ヒットをまだ書いてなかったとは。。。。

いやいや、書いてなかった・・というよりは、あえて書いてなかったといった方がいいのかなぁ。

リリースされた1992年当時、個人的には、どうも今一つ、この曲が好きになれなくて。。。 そういう記憶がずっと残っていたりするのよ。

生理的に好きになれなかった・・というよりは、あの時点で、この時期、毎年のようにリリースされるクリスマスソングに飽きてたって言った方がいいだろうな。

なんか、またか? ・・・って気持ちも強くてね。

それと、少し前に書いた、佐野元春氏の「約束の橋」と同じで、ドラマの主題歌にならないとみんな聴かないのか?  っていう現象に飽きてきてたんだよね、この時点で。

90年代に入り、70年代、80年から活躍してきた「大物」アーティストも、時代の流れの中で、苦戦をしれられてきていたアーティストも、ドラマの主題歌となると、約束されたようにミリオンセラーになる。

この曲は、ドラマ「ホームワーク」の主題歌。当時、上記にかいたような現象を起こしていたフジテレビ系ではなく、TBS系の金曜9時ドラマだけども。 結果的には同じような現象が起きた。

これを見てて、なんだかなあ・・・と思ってたのよ。

周りの盛り上がりとはウラハラに、なんか冷ややかな目で・・というと聞こえが悪いけども、冷静な目で見てたワタシがいたりしてね。。。
まあ、周りの風潮に流されすぎるのも嫌だった・・・っていうのもあったかもしれない。あの頃の心境として。

時代は90年代も丸々2年が過ぎようとしていた頃だったじゃん。 
件の「約束の橋」の時にも同じことを書いたけども、90年代をけん引していくような新たなアーティストもそろい始めてきていたし。個人的には、そちらの方に新鮮味を感じていたんだよね。
やっぱり、新鮮味を感じる方向を支持したくなってたし。。。

あ、これは、今でもそうだけども。。 

これって普遍的な物なんだよね、特にポップス、ロックなど、いわいる「流行歌」を聴く上ではさ。
これらの曲には、ある意味、新鮮さを求めているわけじゃん。 だからこそ新しい曲を聴きたくなるし、長いこと聴き続けていられると思うのよ。


確かにこの曲を聴く限りでは、90年代の匂いがするし、80年代の頃とは違うカラーの稲垣氏を感じさせてくれる。

だけど、ワタシの中では、稲垣氏と言えばどうしても80年代のカラーなんだよね、一番しっくりくるのは。
やっぱり、「ドラマティック・レイン」であり「夏のクラクション」なのよ。ワタシの中の稲垣氏は。
90年代・・というか、特にこの曲の稲垣氏は曲が大ヒットしたこともあって、特にアナクロに映ってしまう。

恐らく、そんなところから、当時は生理的には今一つ触手が伸びなかったのかもな。

だからね、ミリオンセラーではあるけども、長いこと、手元には、この曲のCD音源はなかったのよ。
むろん、bay fmの「パワーカウントダウンJAPAN HOT30」からエアチェックしたカセット音源はあったけども。 

それだけで十分だったんだよね。




当時は生理的に合わなかったものの、あれから30年が過ぎ、今では、手元にこの曲のCD音源はあるんだけども。
まあ、過去の大ヒットのアーカイブとして、最近中古で購入したモノなんだけどね。

あのころの個人的な好き嫌い別として、時代を飾った1曲であることは間違いないですからねぇ。


あ、そうそう、↑で、当時80年代のアーティストがドラマ主題歌を歌って大ヒットことに飽きていた・・と書いたけども、もちろん全てではないですね。

たとえば、同じ1992年10月期のTBS金ドラだった「十年愛」の主題歌を担当した大江千里氏の「ありがとう」なんかは、個人的には当時から好きだった。

まあ、大江氏の場合、80年代には稲垣潤一氏ほどの「代名詞」になるような大ヒットが少なかったこともあり、80年代のカラーっていう印象が少なかったからかもしれない。
だから、当時曲を聴いて新鮮味を感じたし、時代の風も感じたんだろうな。



よろしかったらポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

CHRISTMAS TIME FOREVER / サザンオールスターズ

1992_12_CHRISTMAS TIME FOREVER_サザンオールスターズ






今回の1曲セレクトは、「CHRISTMAS TIME FOREVER」サザンオールスターズです。

 まずは、いつものようにデータです。

・タイトル      CHRISTMAS TIME FOREVER
・アーティスト    サザンオールスターズ
・作詞        桑田佳祐
・作曲        桑田佳祐
・編曲        サザンオールスターズ 小林武史
・リリース日     1992年9月26日
・発売元       ビクター
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     179.1万枚
・タイアップ 丸井クリスマスキャンペーンソング
※アルバム「世に万葉の花が咲くなり」より。


 一つ前に、サザンの「クリスマス・ラブ」を持ってきたんだけど、やっぱり、どうも納得しないんだよな。
いや、「クリスマス・ラブ」の本文でも書いたんだけど、個人的、「クリスマス・ラブ」は認めてないんですよ。なんか取ってつけたような曲なんで。。。

 ・・・ということで、今回は、サザンオールスターズのクリスマスソングといえば、これよ・・・っつう曲をセレクト

 CHRISTMAS TIME FOREVER

 ・・・って書いても、「えー、そんな曲知らねーよ」っていう方、いっぱい居るだろうなぁ。

 まあ、それも、見越して、是非、ご紹介したいと思って引っ張ってきたところもあるんだけど、この曲は、1992年秋にリリースした、サザン、11枚目のオリジナルアルバム「世に万葉の花が咲くなり」に収録されている曲ですね。

 まあ、と、言うことは、どうしても、サザンファンでなければ、なかなか引っかかりはないかなぁとも思うんだけどね。
 
 ところがどっこい、これがまた、なかなかの佳曲なのですヨ!

 曲調は、如何にもクリスマスをイメージ、髣髴とさせるようなミディアムバラード。
 そうだなぁ、桑田佳祐のソロで、「白い恋人達」って曲があるよね。イメージ的には、あの曲にかなり近い。

 いや、逆に、あの曲が、この「CHRISTMAS TIME FOREVER」に近いって言ったほうが正解なのかな。
 とにかく、あんな感じの、優しく、正当、真っ正面なクリスマスソングなんですねぇ。

 特にサビの部分

♪Merry Christmas to the world now stars shine forever〜♪から続く部分は、涙もんのメロディと曲構成ですわ。

 全体的に心癒されるっていうか、安らかな気持ちになれる1曲だなぁ。

まあ「クリスマス・ラブ」同様、丸井のクリスマスキャンペーンソングにも使われてたんで、曲を聴けば、「聴いたことある」ってかたもいらっしゃるかもなぁ

 ワタシとしては、この曲をシングルに切って欲しかった。是非に!


でもね、これを契機というか、サザンって意外とクリスマスソング歌ってんだよね。
 そのほか、以前紹介した、「シャララ」でしょ。桑田ソロでは、「白い恋人達」・・・・と。

 うーん、これは、ヤマタツ氏を意識した、桑田氏の「心意気」なのかなぁ。
 それとも、単にクリスマスソングが好きなのか!? その辺はよくわからないですけど、それにしても、多いよなあ。
 ユーミンの「スキー/雪」関係の曲にひってきするんでない?


 だけどさ、この曲が収録された「世に万葉の花が咲くなり」ってアルバム、サザンファンを公言するワタシのファイバリッドアルバムなんだなぁ。

 ほぼ、全編にわたって、「サイケデリック」な内容なんですよ。
 あの時期、90年代の初頭って、アンダーグラウンドなところで、一時、サイケがリバイバルしたことがあるんだよね。ファッションとか。
 それを、目ざとく引っ張ってきたっていうかね。 

 たしかに、前兆はあったんだよね。91年のシングル「ネオブラボー」なんて、メロディはビートルズで、サウンドは、サイケが一部、顔出してましたもんね。
 でも、まだ、それほど、「サイケ度」は強くなかったけど。

 でも、このアルバムは、かなりサイケ度がきついんですよ。
最初聴いた時は、かなり違和感を感じたけどね。もう、すでに、そこには、シンプルな「アメリカンロック」っていうテイストは、存在してないもんなぁ。

 特に、ハラ坊のソロ曲の「ポカンポカンに雨が降る」とか、「HAIR」なんては、サイケ度が高い。
 いや、だけど、「HAIR」って言う曲の完成度は高いよ。この曲、個人的には大好きですわ。脳みそグルグルかき回されている気分になる。 あー、それって、ドラッグな状態?

 でも、この曲知ってるヒトがすくなくて、ちょっとつらいんだけど。。。
「涙のキッス」のC/Wの「ホリデイ〜魔の休日より〜」にいたっては、完全に曲が壊れてるし。。。

 えー、さっきからサイケ、サイケって書いてるけど、これがなかなか説明しづらいな。
 
 えーと。。。。そうだなぁ・・・、由紀さおりの「夜明けのスキャット」を思い出してもらえると分かりやすいかな。
 いや、別に「スキャット」ってわけではないですよ。サウンドだよね。
 イメージ的にどぎつい原色カラーっぽい、それでいて、一部、セピアがかっているっていうか・・。
 うーん、現実離れした「夢の中の世界」って感じかなぁ。
 多分、ドラッグとかやると、こんな妄想の世界にはいるんでないの? って感じかな。
 まあ、ワタシゃ、ドラッグどころか「アンパン」もやったことないんで、その辺はよくわかんないですけど。。。

 ああ、そうそう、「トランス」の「イメージ」に近いかな。音色ではなく、イメージね。あれも、「トランス」って言うくらいだから、ドラックによる「トランス」状態っぽいサウンドだから、ああいう「名称」なんでないの・・・・?
 
 あれ? ちがう? テキトーに書いたんだけど・・

 兎に角、この「世に万葉の花が咲くなり」って、そんな感じで、ドラッグやってないのに、ドラッグやったようなある種、興奮状態(?)な気分になっちゃうんですよ。現実離れしてるっていうか・・・。

アルバムのなかでは、唯一「CRISTMAS TIME FOREVER」と、1曲前の「IF I EVER HEAR YOU KNOCKING DOOR」って曲が、そういう、サイケな色合いが無い、ノーマルな曲なんだよね。

 この2曲は、クールダウン用の曲なんだよね。この2曲があるからこそ、現実の世界に戻ってこれるって言うかね。

 そういう意味でも、貴重な曲なんですわ。

 ちなみに、「IF I EVER HEAR YOU KNOCKING DOOR」って、全編英語詞、かつ、アカペラの曲なんですよ。一切、楽器は無し。
 サザンのアカペラ曲、ほかに、映画「稲村ジェーン」で使われた、「忘れられたBIG WAVE」は有名だけど、この曲は、さらに、コーラスが複雑になっている。
 英語詞なんで、この曲の作詞は、元ゴダイゴの「トミーシュナイダー」なんだよね。


 あれれ、最後は、「CHRISTMAS TIME FOEVER」とは、全然違う話になっちゃったな。。

ともあれ、機会があったら、是非、聴いてみてくだされ。

 
 あー、ちなみに、プロフィール写真、「世に万葉の花が咲くなり」のジャケ写なんだけど・・・。
 どっかから引っ張ってきた、「絵」ではないからねぇ。
 ジャケットまで、「サイケデリック」だったんだよね。


えー、当然ながら動画は無し! でも↓のリンクから「音」だけは聴けます。
良かったらどうぞ・・・と以前は書いてたけど、 最近はようつべにも動画が落ちてるのね。。。
いつまで聴けるかわからないけど、一応リンク。。


 


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

約束の橋 / 佐野元春

1992_11_約束の橋_佐野元春


今回の1曲セレクトは、「約束の橋」佐野元春です。

まずはデータです。

・タイトル    約束の橋
・アーティスト  佐野元春
・作詞      佐野元春
・作曲      佐野元春
・編曲      佐野元春
・リリース日   1992年10月28日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   70.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月16日〜1993年1月25日付
・タイアップ:フジテレビ系 月9ドラマ「二十歳の約束」主題歌

トレンディドラマ・・・。我々世代にとっては、80年代終盤から90年代前半にかけての「バブル」絶頂期を思い起させるキーワードの一つでしょうかねぇ。
この期間、ドンピシャで「大学生」という「青春と快楽」な時間を過ごしてきた、我々世代にとっては特にそんな思いを起こさせるんじゃないのかなぁ。。。

ワタシは・・というと、トレンディドラマが出てきた当初の2年間は、「バブル」の世の中を尻目に、「浪人」という暗黒時代を過ごし、それを抜け出した、後半も、青春を謳歌するっていう大学生生活でもなかったんで、正直、「バブル」の恩恵を受けたっていう記憶はほとんどないんだよなぁ。

まあ、今となったら、つまんない青春時代を送ったような感じもするけど。。。

ドラマも、トレンディドラマの「祖」、フジの「月9」はほとんど見てなかった。 うん、91年の「101回目のプロポーズ」くらいじゃないのかな? 見てたの。

いや、これも、最初は、面白そうなんで見ようと思ったわけじゃなくて、 夕飯後、ベッドで寝落ちしちゃって。。。目が覚めたら、つけっぱなしだったテレビでたまたまやってて、半分ぼーっとしながら見てたら、なんとなく嵌っちゃった・・・って感じだったしなぁ。

あのころは、TBSの金ドラの方が、「月9」よりは、もっと心理面を深堀してて個人的には面白かったんで見てたな。


・・・なんてトレンディドラマの話をしたいわけぢゃなくて。。。。

今回引っ張ってきた、佐野元春氏の「約束の橋」ですわな。

この曲、もともと89年リリースアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」の先行シングルとしてリリースされた曲。 で、後年、92年10月期の「月9」ドラマ「二十歳の約束」の主題歌として、再リリースされたわけですな。
今回は、時期的に、その「再発」のシングルについて、ちょいと書いていこうかと。。。


アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」については、ちょっと失敗したな・・・って思うのよ。

佐野元春氏を意識したのは、中学生の頃だったか。。。 同じブラスバンドでトランペットを吹いてた、同級生で親友だったやつが、元春好きだったんだよ。

音楽的に優れてた奴とは思わなかったけども、3つ上の兄貴の影響か、ブルース・スプリングスティーンとか、明らかに私なんかよりも大人びた曲を聴いてんだよな。
で、日本のアーティストでは、元春氏だった。

あの頃から、なかなかチケット取れないといいながら千葉でのコンサートにも行ってたしな。

でも、当時、ヒット曲中心、当然アイドル中心のワタシには、元春氏の良さは分からなかったんだよな。

そもそも、いつもここで書いているように、80年代初期から中盤にかけては、いわいる「ニューウェイブ」系の音は、生理的にダメだったんだよね。

80年代の元春氏は尖がってたしね。 84年の「VISITORS」では、時代に先がけてヒップホップを取り入れたり、サウンドそのものが尖がってた。 「ニューウェイブ」系の寵児的な存在だったじゃん。

ダメだったんだよね。時代にコミットしていないとは言わないけども、時代の先端を行く「音」って。
それよりも、一歩引いて、フォーマットが確立して聴いてて安心・・っていう音楽が個人的には好きだった。うん、おこちゃまだったのよ。

はじめて、元春氏にコミットしたのは、86年のアルバム「カフェ・ボヘミア」だった思う。

それまで、あんなに時代の先端の音がダメだったのに、「カフェ・ボヘミア」で元春氏にコミットしたくなったのは、よくわかんないんだけども。。。

まあ、「VISITORS」よりは、とっつきやすいアルバムだったことはありますね。

それと、以前、ここで何回も書いたけども、86年って、個人的に時代を遡って音楽を掘りだしたころ。
そそそ、1978年以前、リアルタイムで接していなかった時代の曲を掘りだしたころですわ。
その反動だったのかもしれないな。

もちろん、最初は抵抗があったんだけども、何度もアルバムを聴いていくうちに、徐々に理解できるようになった。 理解してくると、その良さも分かった来たりしてね。
徐々に次のアルバムも聴いてみたいと思うようになった。

で、3年の時を超えて、ようやくリリースされたのが「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」。

ここで、迷ってしまったのよ。 ちょうど同じころ、長渕剛氏のニューアルバム「昭和」のリリースもあってさ。

あの頃アルバム1枚3000円っていうのは、19歳だった若造のワタシにはデカかったですから。

浪人の身だったし、バイトもしてなかったから、まだ小遣いをもらう立場ったし。。なんで、まずはどちらか1枚買おうと思ったわけで。。 結局買ったのが長渕剛氏の「昭和」。
「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」は、またいずれ・・と思っていたんだけども、あの頃、他にも欲しいと思える音源が次から次と出てきて、いつの間にか立ち消えになってしまった。。

そんな時にシングルととして再リリースされたのが、今回の「約束の橋」だった。

うん、もちろん、アルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」に収録されていた曲っていうのは、あの頃から知っていた。

なんか、忘れ物を思い出したような気分だったな。

ただ、この曲が「月9」の主題歌に採用されたのには反発もあったのよ。

↑でも書いたように、ワタシにとっての元春氏は時代の先鋭だった。 テレビという「大衆娯楽」にはコミットしない存在だったのよ。

それがいきなり、「月9」っていう当時の大衆娯楽の極みのコンテンツの主題歌なんだもの。

いやいや、元春氏だけじゃなかったんだけどね、これの前に、浜田省吾の「悲しみは雪のように」が、ドラマ「愛という名のもとに」の主題歌に起用された時も同じような感覚だったな。

80年代の「大物」アーティストが、90年代のドラマ主題歌で再ブレイクする。

初めの頃、例えば、小田和正氏が、「東京ラブストーリー」の主題歌として「ラブストーリーは突然に」が起用される・・ってころは、まだよかった。 まだ新鮮味があったから。

でも、同じような手法で、チャゲアスが、米米が、中島みゆきが、浜田省吾が、・・なんて続くとさ。。。
しかも、いずれも、80年代の自身の曲とは比較にならないほどのメガヒット。

これって良いことなの?  なんて、だんだんと、このやり方に懐疑的になってきたりしてね。

ついには、佐野元春氏もか・・・という気分だったな。

特に、浜田省吾氏の「悲しみは雪のように」とか、元春氏のこの「約束の橋」は「新曲」ではなく、80年代の再リリースだったわけだから。。

wikipediaに、

『なんで最初にこの曲に気付いてくれなかったの?』って感じですよね。『ドラマの主題歌にならないと聴いてくれないんですか?』

・・・(当時は) 怒ってました

と、元春氏のコトバが掲載されているけども、ワタシも同じような感覚だった。

もちろん、今は、「これがあったから今でも歌ってこれたのかもしれない」・・と考えているようですが。。。


結局、今考えてみると、1992年頃の音楽って、まだ「90年代」を象徴するような確固たるフォーマットが確立されていなかったのかもしれない。
・・と同時に、90年代をけん引していけるようなアーティストも、ようやく揃い始めてた頃だったしね。

WANDSの「もっと強くきみを抱きしめたなら」が大ブレイクし、 ZARDが「眠れない夜を抱いて」「IN MY ARMS TONIGHT」の連続ヒットで一躍注目を浴びだしたのがちょうど、1992年のちょうど今頃。

先行していた「B'z」とともに、「ビーイング系」のコマが揃い、時代を席巻するのは翌年のことですわ。

それとともに、70年代、80年代の「大物」アーティストがドラマの主題歌に・・・という機会も徐々に減っていった訳なんだよね。
70年代、80年代の「大物」アーティストや、楽曲の焼き直しによるドラマ主題歌の顕著な大ヒットは、翌年1993年4月期の月9ドラマ「ひとつ屋根の下」の主題歌、財津和夫氏の「サボテンの花」あたりが最後だったような気がする。
・・・・あ゛、まだ大瀧詠一氏がいたか。。。。
もちろん、サザン、ユーミン、中島みゆき嬢は、その後も孤軍奮闘していったわけだけども。





余談だけども、↑で書いたように、中学校の時の元春好きの親友の話から、元春氏のコンサートは、チケットが取れない・・・ってずっと思い込んでいたのよ。

それは、大人になってからもそうで・・・、もしかしたら、頻繁にライブに行くようになった今でもそうかもしれない。

でも、そんな元春氏も、最近ではロキノン系、特に「COUNTDOWN JAPAN」には頻繁に出演するんだよね。

ずっとチケットが取れない・・と思っていた元春氏のライブを「COUNTDOWN JAPAN」で見る、80年代では、考えられなかったことかもしれないな。

実際、「COUNTDOWN JAPAN」ではこれまで何度も元春氏のライブを見た。
もちろん、30分程度のライブだけども。。。それでも昨年の「COUNTDOWN JAPAN」のラストで「アンジェリーナ」が聴けたのは、やっぱりトリ肌でしたね。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村


BLOWIN' / B'z

1992_06_BLOWIN_B'z



今回の1曲セレクトは「BLOWIN'」B'zです。

まずはデータでする。

・タイトル   BLOWIN'
・アーティスト B'z
・作詞     稲葉浩志
・作曲     松本孝弘
・編曲     松本孝弘 明石昌夫
・リリース日  1992年5月27日
・オリコン最高位 1位
・発売元    BMGビクター, バーミリオン
・売上げ枚数  176.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1992年6月8日〜8月31日付
・タイアップ:カルビー「ポテトチップス」CM曲

2023年の今年はデビューから数えて「周年」アーティストが結構多いんだよね。
1998年デビュー、25周年のaiko、椎名林檎、Misha、宇多田ヒカル、藤井フミヤはチェッカーズ時代を含めると、1983年デビューなんで40周年。 1978年デビューのサザンが45周年。。。

先週、東京FMの「THE TRAD」




でも、これらデビュー周年アーティスト特集として特集が組まれてましたけど。

今回引っ張ってきた「B'z」、この人たちも1988年のデビュー以来、今年で35周年っていう、そんな周年アーティストの一組なわけなんだよね。

手元に、月刊「歌謡曲」 1988年11月号がある

IMG_20230617_150206

これ、個人的に当時リアルタイムで初めて買った「ゲッカヨ」なんだけども、この号に「今月デビューの新人」として「B'z」のデビュー曲「だからその手を離して」が掲載されていたりする。

IMG_20230617_150155


90年代に超ブレイクし、いまや国民的なアーティストに昇華した「B'z」もデビュー曲のこの曲を含めて、暫くはヒットチャートの前線に現れることはなかったんで、ずっと忘れていたんだけどさ。

後年、改めて「ゲッカヨ」を開いてみて、気が付いたりしてさ。。。



・・っつうわけで、今回引っ張ってきた曲は

B'z  「BLOWIN'」

まだ「1曲セレクト」で書いてなかった大ヒット曲・・・。探してみると、まだあるもんですね。
今回引っ張ってきた曲も、176万枚の超ミリオンセラーを記録しておきながら、まだ書いてなかったか・・・っつう曲ですわ。
うーむ、こうしてみると、やっぱ90年代の曲はまだ「抜け」が多いな。。。って感じですわな。

まあ、これにはいくつか理由がありまして。。。
「1曲セレクト」を始めた当初・・・2005年あたりは、90年代からは、まだあんまり時間が経っていなかったんで、あえて、90年代の曲は外していた。
それとYoutubeに参考動画があんまり上がってなかったから・・。

そんなわけで、90年代の曲は、まだ意外と書いてない曲が残ってたりするのよ。

でも、90年代も過ぎてから、少なくとも4半世紀は過ぎたわけでさ。今後は「1曲セレクト」での割合は多くなっていくんだろうな・・という予感。


今回引っ張ってきた「BLOWIN'」のリリースは、1992年5月。
ワタシゃ当時22才。

ここでも、これまで何度も書いたけども、あの頃は 当時結成していた自主サークル「オリコンチャート研究会」のメンバーと遊び惚けてた頃かなぁ。

週末は、ほぼ毎週のように、歌舞伎町界隈で、今でいう「オフ会」を開いて、あの当時のヒット曲をはじめ、70年代、80年代のヒット曲、ヒットチャート談義を繰り広げてたよな。

今でこそ「昭和歌謡」としてもてはやされている70年代、80年代の曲だけども、ワシらこの頃からすでにやってたからさ、「昭和歌謡」の見直しを。

最近、「昭和歌謡」から脱却を考え始めているのも、あの頃からずっとやってきたんで、「今更」っていう気持ちと、そろそろ飽きちゃった・・っていうところもあるかもしれない。。。


でもって、夜は夜で、新宿三丁目にあった「てあとろん'88」っていうカラオケバーでグダグダになるまで酔っぱらっていたような気がする。。。
「オール」でカラオケもだいぶやってたよな、この頃。


若かったし、個人的に大学3年の初夏・・っていう、就職活動にはまだ少し早い時期。
学校の方は、必修科目はあらかた単位を取ってしまい、(理系だったんで)実験実習がないときは「週休5日」・・とか 、 めちくちゃいいキャンパスライフだったころですわ。

・・あ、ちなみに、22才で大学3年・・とは計算が合わない・・と思われるかもしれないですが、勉強が好きだったんで(???)、ワタシャ、ヒトよりも2年遅れているのね。。。。

ただ、あの頃の「ツケ」が今になって「痛風」ということで出てきているわけで。。。
本当は「酒」が弱い体質なのよ。でも、あの頃はそんなことも知らずに、かなりハメ外してたからなぁ。。。 後になってわかる、若さゆえの「過ち」ですわ。。。。


・・・といつものごとく、話が脱線していく。。。

えー、B'zの「BLOWIN'」ですね。

「1曲セレクト」を始める以前、まだ、自分のサイト に「CHART BBS」っていう「ネット掲示板」を載せていた頃から、読んでくださっている方ならば、わかると思うけども、自分のサイトを始めた、2000年前後って、個人的にアンチ「B'z」派だったのよ。。 

あ、これまで1曲セレクトでB'zをあんまり書いてこなかったのは、その影響もあるかもしれない。

まあ、「アンチ」になった理由はいろいろあったんだけどさ。。。


ただ、この「BLOWIN'」がリリースされた90年代の初めから中盤ごろまでは、普通にB'z聴いてたのよ。 

ま、ブレイクしてきた90年ごろは、「TM NETWORK」の二番煎じの匂いが強く、どこかうさん臭さも感じてたのであんまり好みぢやなかったんだけどさ。

前曲「ALONE」あたりから、サザンロック的なB'z独自の匂いが強くなり、俄然、良さを感じられてきたんだよね。

それを受けての「BLOWIN'」

初めて聴いたときから、「あ、これ、いい」と思ったな。

この曲からは、前曲の「ALONE」のような大陸的な「サザンロック」の匂いは感じられない。

・・・けども、ポップで、なにより分かりやすかったから。 あの時点でのシングルでは一番わかりやすかった曲だと思うな。

ポップといっても、90年の「太陽のKomachi Angel」とか「LADY NAVIGATION」のようなTM NETWORKの匂いもあまり感じない。

うん、「これ、いい」という前に、「これは売れるよね」・・・っていう予感だよね。

あの頃は「カラオケで歌える」っていう要素は、ヒット曲としては最重要ポイントだったわけでさ。

ただ、あの時点で、それまでのB'zって、カラオケで歌える曲って限られてたからなぁ。。。
まあ、B'zファンならともかく、ワシみたいな一般のヒット曲ファンとしてはさ。

その点、この「BLOWIN'」は、シャウトする部分があるわけでもなく、 サビの ♪ BLOWIN'   BLOWIN' IN THE WIND〜 ♪ からもみんなで歌えたしさ、ノレるしさ。


↑で書いた、「てあとろん'88」は、カラオケボックスではなく、客席の前方にライブハウスさながらのステージがある飲み屋でさ。他の客が歌っているところを見ながら酒を飲むっていう空間だった。
あの当時としては、普通のカラオケボックスにない曲のカラオケもおいてあるってことで、カラオケボックスで歌えない曲を歌うためによく行ってたんだよね。

余談だけども、今でこそカラオケも「通信カラオケ」になったんで曲数も飛躍的に増えたけども、92年当時はまだ通信カラオケは発達しておらず、ディスクカラオケが主流だったからさ。曲数も今に比べると大分限られていたのよ。
歌いたいのにカラオケボックスにはない・・・っていう曲もかなり多かったんだよね。
だから、「てあとろん'88」のようなカラオケバーは重宝してたんですよ

それでも、この当時、「てあとろん」でも「BLOWIN'」歌ってた人が多かった・・・記憶があるなぁ。

これらを考えると、176万枚っていう、この時点でのB'zの最高売り上げを記録したこと。
2か月間ベストテン内を維持と「浮動票」を巻き込んだような、当時としては比較的ロングヒットになったことは、納得だったんだよね。


ところで、この曲カルビー「ポテトチップス」のCM曲だったんだよね。。

なんか記憶ねぇなあ。。。とおもったら、動画が落ちてた




宮沢りえさんねぇ。。。。 うーん、やっぱり、記憶がない。。。。






なんか、すぐに消されそうなんで、一応「公式動画」もリンクしておく。1分半しかないけど。。。





よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

ステップ・バイ・ステップ / 島田歌穂

1992_03_ステップ バイ ステップ_島田歌穂



今回の1曲セレクトは、「ステップ・バイ・ステップ」島田歌穂です。

まずはデータでする。

・タイトル   ステップ・バイ・ステップ
・アーティスト 島田歌穂
・作詞     CARLY SIMON
・作曲     CARLY SIMON
・日本語詞   秋元康
・編曲     義野裕明
・リリース日  1992年2月5日
・発売元    キング
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  20.3万枚
・THE HIT CHART HOT30最高位 40位
・タイアップ:TBS系ドラマ「HOTEL」オープニングテーマ

 時代を象徴する曲っていうのは、必ずあったりするよね。まあ、それは、ヒトによって変わってくるとは思うんだけどさ。

 個人的には、1992年「春」っていうと、なぜか、今回引っ張ってきた、島田歌穂の「ステップ・バイ・ステップ」が浮かんできたりする。

 ・・・と書くと、さも、当時から、この曲好きだったんだろう・・・なんて、思われたりするかもしれないけど、正直、リリースされた当初から刺さっていたわけではないんだけどね。

 ・・・っつかさ、この曲、当時の人気ドラマだった「HOTEL」のオープニングテーマだったじゃん。
 でもさ、なんか、個人的には、このドラマ、最初はあんまり好きじゃなかった。。

 ・・・・とういのも、まあ、早く言えば「食わず嫌い」なんだけどさ、このドラマ、TBSの木曜21時からだったじゃん。 

TBS木曜21時っていったら、あーた、「ザ・ベストテン」しかないじゃん・・・なんて、思ってたのよ、まだ、このころは。

 まあ、未練がましいっちゃ、そうなんだけど、でも、まだ、当時は、その「幻想」が抜けきれない時代だったのですよ、私にとっては。


・・・といいつつ、時々は見たりしてね。 

いや、たまたま見た・・という方が正確かな。

あの頃、夕飯のあと、テレビ見てるとすぐ寝落ちしちゃう癖があってさ。

あんときも、寝落ちして、目が覚めたら、たまたまこのドラマやってて、見てたら嵌っちゃったんだよな、確か。

で、ドラマ人気も手伝って、主題歌だったこの曲、チャートを上がってきてたのもあったんでね。
ちょうど、あの頃、bay fmの「パワーカウントダウン」をエアチェックし始めてたこともあって、本格的に聴き始めたんだよな、確か。。

で、何回か、聴いてるうちに、「あ、いいな」って思えるようになったんだよね。
 
聴いてて、気持ちいいじゃん、この曲。さわやかだし・・・。

 まあ、ちょっと、道徳過ぎるって感じもしないでもないから、このテの曲はどうも、っていうヒトもいるかもしれないけど、個人的には好きですよ、この手の曲は。


・・・ってか、この曲、この曲、カーリーサイモンの「LET THE RIVER RUN」って曲だったんだ。。。映画「ワーキング・ガール」の主題歌の。。。

なんて、今頃、知ったりして。。。。。 

 ↓ コレ




まあ、よくこんな曲、見っけてきて、島田歌穂に歌わせたね、なんて、言いたくなったりもするけど。。

たけど、この曲、みっけてきて、島田歌穂っていうヒトに歌わせたヒトは、秀悦なヒトだと思う。正直、オリジナルのカーリーサイモンより、いいと思うもん、味があって。

何より、島田歌穂っていうヒトはウタが達者だから、安心して聴いてられるっていうのもある。

訳詞が、秋元康氏っていうのも、意外っちゃ意外なんだけどさ。

90年代に入って、アイドルも冬の時代に入り、時代の第一線から離れたような感じだったんだけどね。当時の秋元氏は。。

でも、この曲もそうだけども、次の年の「ポケベルが鳴らなくて」、そのまた次の年の「愛が生まれた日」・・というスポット的な大ヒットは出していたわけだし、常に第一線にいなくても、要所要所で顔を出してはいたんだよね。



・・・っつうわけで、島田歌穂の方を聴いてみますか






ちなみに、オリコンでは、カップリングの「FRIENDS」が表題曲となってたりする。


↓ これね




これは、、同じくドラマ「HOTEL」のエンディング・テーマでしたね。

CDシングルは、こちらが「表題曲」扱いだったこともあって、ワタシのランキングでは、こちらの曲の方が正式な順位対象となっていたこともあって、こちらは最高位14位まで上がっていたりする。

↑のデータで「ステップ・バイ・ステップ」が最高40位までしか上がっていないのは、このためですね

個人的には、サビで、どこかゴスペルっぽいシングアウトになるこっちの曲ほうが好きだったんだよな、当時は。


ちなみに、これも、カバー曲で、オリジナルは、Mike & The Mechanics の「The living Years」って曲なんだよね。 
 っつか、こっちの方が、よく、見っけてきたよな・・・って感じなんかねぇ。

 ↓コレ







・・・っつうわけで、姉さん事件です。。。


神様からもらったチャンス / 三浦理恵子

1992_09_神様からもらったチャンス_三浦理恵子


今回の1曲セレクトは、「神様からもらったチャンス」三浦理恵子です。

まずはデータです。

・タイトル     神様からもらったチャンス
・アーティスト   三浦理恵子
・作詞       及川眠子
・作曲       都志見隆
・編曲       渡辺格
・リリース日    1992年9月18日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  13位
・売上げ枚数    5.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 23位

エアチェック。 
我々の年代には懐かしい響きだよなぁ・・・って方、多いんじゃないのかなぁ。
そそそ、気に入ったラジオ番組をカセットに録音した、あれですね。
で、エアチェックしたカセットから、気に入った曲を、さらに別のカセットにダビングして「マイソング集」を作ったりしてさ。

まあ、ラジオからの録音なんで、もともと音質は期待できない上に、さらに別のカセットにダビングするんで、さらに劣化しちゃってたけど、なんせ、お金がなかったからねぇ若い頃は。

そうそう、気安くレコードとかCDは買えなかったしさ。 いわんや、昨今のようなサブスクなんかなかったし。。。。

兎も角、なんとかお金を浮かせて、出来るだけたくさん曲を集るにゃラジオから曲を録音するのが一番手っ取り早い。 ってことで、ワタシもやってましたねぇ、エアチェック。

恐らく、多くは70年代とか80年代にティーンだった方が、その当時やってたと思う。でも、ワタシは結構遅くて、実は90年代に入ってからなんですわ、やりだしたの。

確か91年だったと思うけど、遅まきながらダブルカセットのCDラジカセを購入したのと、当時、地元のbay fmで放送していた、「パワーカウントダウンHOT30」というカウントダウン番組が重なって、エアチェックから「マイソング・カセット」を作る条件が整ったからなんですよね。

91年と言えば、ワタシゃ20代になっていたし、バイトもしてから、ある程度自由になるお金はあったんで、CDをレンタルすりゃ事欠かないじゃん・・・とも思えるんだけどさ。
当時、シングル1枚、1泊借りて確か150円くらいだったかなぁ。10枚も借りると1500円は取られたわけで、毎度毎度べらぼうな枚数借りるわけにもいかなかったんだよね。

しかも、あの頃1タイトルのCDの枚数ってそれほど多くなくて、人気曲はいつも全てレンタル中になってたんで、借りたいときに借りられない曲も結構あったし。。。

そういうわけで、エアチェックを始めたわけよ。 パワーカウントダウンは、毎週30位からチャート発表してたんで、毎週結構な曲数OAしてたし、毎週欠かさずエアチェックすれば、少なくとも30位以上のスマッシュヒットの曲は網羅できるわけでさ。

エアチェックから編集したカセットの中で、特に気に入った曲だけを、改めてレンタルして高音質で聴けるようにすれば、レンタル代も浮くしね。

そういうわけで、エアチェックを始めたんだけども、これが面白くてね。2001年に音楽配信の世界に入るまで、丸10年くらい続けたと思う。 エアチェックから編集したテープも50本くらいになったのかなぁ。

だからと言うわけではないけど、90年代の曲の音源はやたらとあった。 ・・というか、今でもある。
もっとも、今は手元にカセットプレイヤーがないんで聴けないけど。。。。


ただ、↑で書いたように、あくまで、もとはFMから録音したカセットを、さらに曲の部分だけを別のカセットにダビングしてあるんで、音は劣化しているし、しかも1コーラスだけっていう曲もかなり含まれている。
さらに自分が気に入った、気にいらないに関係なく、チャートに入った曲をかたっぱしから録音したんで、今となっては自分の好み外の曲も含まれているし。。。


逆にさ、あの時、エアチェックしてたからこそ、「なんだこれは・・・」と刺さった曲があったりするんだよね。


今回、引っ張ってきた曲は、そんな1曲ですわ。 

三浦理恵子「神様からもらったチャンス」。

この曲、覚えている方いらっしゃりますかねぇ。

まあ、90年代アイドルファン、とか、CoCoのファンだった方は、覚えている方が多いだろうけど、一般的には、恐らくすでに「死角」に入っている曲なんだろうな。

そそそ、1989年、フジテレビ「パラダイスGOGO」から派生したアイドルユニット、CoCoのメンバーだった、三浦理恵子さんがソロでリリースした、5枚目のシングルですわ。

正直、個人的には、この頃になるとアイドルにはあまり興味を持たなくなってきていたし、そもそもバンドブームの中で、アイドル自体アナクロな存在になり、いわいる「アイドル冬の時代」に向かっている時代だったしさ。アイドル⇒オタク化 してた頃じゃん。

なので、エアチェックしてなかったら、おそらくスルーしてたと思う。 

そもそも、この曲オリコンでベストテン入りしてなかったしさ。 三浦理恵子さんのシングルとしては、前曲の「Jokeにもならない恋」がオリコン10位で。これが最後のベストテン入りだったんで、人気も下降線に向かっていた時の曲だったしさ。

でも、エアチェックしたカセットを聴いてたら引っかかっちゃったんだよね。

この曲、イントロが、何気にかっこいいのよ。

イントロの初めの8小節が、16ビートのコンガのリズム。 ほとんど寺尾聰の「HABANA EXPRESS」の世界だし、続く8小節は1986 OMEGATRIBEだし。 リゾートミュージック   っていう感じで、おおよそアイドルソングっていう感じがしないのよね。

どうも、そこに引っかかっちゃったんだよね。

初めて聴いたとき、またOMEGA TRIBEみたいなグループが出てきたのかいな? なんて思ったもの。

そしたら、いきなり三浦理恵子さんの、あの「ベビーボイス」だもの。 
思わずひっくり返っちゃいましたわ。 

全体的な曲想と言えば、80年代のリゾートミュージックぽいのね。 まるで林哲司氏の世界のような。

すでに、そのフィルターを通ってきた私なんかには、なじみ深い音だし、だから刺さりやすかったのかもしれない。

ただ、リゾートミュージックにしては今一つ勢い、華やかさには欠けてたりするけどさ。

もっとも、ヘビーボイスで、パンチがない三浦さんの声質では、勢いがありすぎると埋もれちゃうだろうし、このくらいが限界だったのかもしれないけど。。。。

それと、9月中旬リリースと言う時期的に、この手の音はどうだったんだろう? もう半月早かった方が良かったんじゃないかなぁ・・・とは、当時から感じたりしましたね。

まあ、いずれにしても、この曲のイントロに、ちょっと驚いちゃったワタシなんですが。。。。




しかしさ、↑で「この頃になるとアイドルにはあまり興味を持たなくなってきていたし」とか書いてる割には、三浦理恵子さんの音源は当時から持ってたりするんだよな。
この曲の前の「Jokeにもならない恋」も持ってたりするし。。。。
やっぱり、この頃始めたエアチェックの影響は大きかったんだよね。

ちなみに、あの当時のエアチェックにあたる部分が、今はSpotifyに置き換わってますね。
結局、Spotifyなどのサブスクって、圧縮音源だし、音質的にはFMよりも、やや良いっていう程度だからさ。 私にとっては音楽のメインのツールとまでは言えないんだよね。
Spotifyで昔の曲はあんまり聴かないしさ。

あくまで、90年代当時、新曲の音源をかき集めるためにFMからエアチェックしていたことが、今はSpotifyに置き換わっただけと言う感じですね。

で、今はSpotifyで聴いて気に入った曲だけを、CDなり、ハイレゾ音源でダウンロードしてコレクションにしている・・・と。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

君がいた夏 / Mr.Children

1992_09_君がいた夏_Mr.Children


今回の1曲セレクトは、「君がいた夏」Mr.Childrenでする。

まずはデータでする。

・タイトル    君がいた夏
・アーティスト  Mr.Children
・作詞      桜井和寿
・作曲      桜井和寿
・編曲      Mr.Children 小林武史
・リリース日   1992年8月21日
・発売元     トイズファクトリー
・オリコン最高位 69位
・売上げ枚数   2.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 52位

どうも、ここ何日か体調がすぐれない筆者だったりします。
朝晩になると、空咳が頻繁に出てきたり。。。。
あるいは、コロナに感染しちゃったかなぁ・・・とも思ったりもしたんだけども、熱はないし、食欲も普通にある。どうも、急性アレルギー性の気管支ぜんそくに罹ったようだ。 
先日、毎月通ってる持病の痛風の診察の際に、かかりつけ医に相談の上、気管支を広げる薬と咳止め薬はもらってきたんだけども、今一つ、よくならんのね。
しばらく様子を見て、改善しないようならば他の呼吸器科に相談しようと思っています。

・・・なんて言っている間に、今年も夏が終わっていきますな。
ここ数日、残暑が振り返したと思ったら、今日なんかは、涼しかったり。

毎年の事なんだけども、この時期になると「夏の終わり」の曲をなんか引っ張ってきたいなぁ・・とし思ったりするんだよね。

で、真っ先に浮かぶのが、件の山下達郎氏の「さよなら夏の日」だったりするんだけども。。。

でも、いつかも書いたように、今となっては、夏の終わりの超定番曲なこの曲、実は、リリースもヒットも、今の時期じゃないのよ。 リリースは5月だったりするしさ。。。

なので、「今の時期のヒット」には当たらないんで、引っ張ってこれない。。。。

まだ書いてない曲で、「夏の終わり」を彷彿とさせる曲は、他にないもんかねぇ〜。

・・・と考えてたんだけども、ありましたわ。


Mr.Children  「君がいた夏」。

いまや押しも押されぬ、超ビッググループとなった、ミスチルの記念すべきデビューシングルだ。

ヤマタツの「さよなら夏の日」ほどは、超定番ではないけども、

♪ また 夏が終わる もうさよならだね〜 ♪  というサビの歌詞から、もろ夏の終わりを象徴とする曲には変わりない。

リリースは1992年8月21日。 歌詞にそぐわず、夏の終わりのヒット曲に間違いない。

しかしね、いまや押し押されぬ〜 超ビッググループのデビュー曲を、今まで書いてなかったわけで。。。

なぜ?

理由は簡単で、今でこそ「超ビッググループ」であるミスチルも、デビュー曲であるこの曲の頃は、ほとんど無名だったからですわ。

なにせ、オリコン最高69位だからねぇ〜。

今では考えられないほどの低調ぶりなんだけども、そのくらい、まだ無名だったんだよね。

ワタシも、この曲がリリースされた、92年当時は、ミスチルの存在は全く知らなかった。

でも、そんな、まだ無名だったミスチルを、当時からNext  Breakerに推してた人がいるのよ。


何を隠そう、当時、ワタシが属していた、自主サークル「オリコンチャート研究会」でいっしょに活動していた、コバヤシ君。

彼は、サークル結成当初から先見の明があるっていうのかなぁ。兎に角、これからブレイクしそうなアーティストを掘り起こすのに長けてたんだよなぁ。 彼が、次に来るって言ってたアーティストは、それまでもほとんどブレイクしてきてたから。

あれは、確か1993年正月に、ワタシんちで、恒例のサークルの新年会を開いたときに、「今年(1993年)ブレイクしそうなアーティストは・・・・」っていう話になって、 それぞれ何人かずつ上げていったんだけども、コバヤシ君は、 迷わず「ミスチル」を挙げたのよ。

絶対に、この人たちが来るって断言したのを覚えてるなぁ。

でも、1993年頭の時点で、ワタシ、まだミスチルって知らなくてさ。 半ば「はあ?」って感じで聞いてたんだけども。。。。

コバヤシ君は当時、「日本レコードセンター」に勤務していて、白盤とかよく聴かせてくれたんだけど、その中にミスチルもあってさ。 確か2ndシングルの「抱きしめたい」だと思うんだけども、聴いてみた。

でも、あの時点では、今一つピンとこなかったんだよな、ワタシ。 カラーとして1993年っぽくなかったら。

たしかに瑞々しさはあるんだけども、少し洋楽っぽいなとは思ったのを覚えてるな。 でも、あの当時は、まだ、既存のヒット曲っぽい、分かり安いキャッチーなメロディが主流だったからさ、これは主流ではないな・・っていう思いが強かったのかもしれない。

それから、1年もしないうちに、4枚目の「CROSS ROAD」で大爆発しちゃったじゃん。

うわっ、本当に来た・・・。 ってビックリしちゃってね。

コバヤシ君の眼力は、これは凄いな・・・と感心するのと同時に、これからブレイクしそうなアーティストを掘っていくっていうのも、面白いかもなぁ・・・って思ったんだよね。

それまでは、あくまで、ベストテン番組を通して、ブレイクしてきたアーティストを追いかけるってだけだったからさ。

聴き方が広がったっていうのかなぁ、 次はだれが来そうっていう意識の広がりだよね。

「CROSS ROAD」が大ブレイクしたあと、改めて遡ってミスチルを聴いてみた。 恐らくそのとき初めて、この「君がいた夏」を聴いたと思う。

その時、コバヤシ君が、次はミスチルが来るって言った意味が、分かったような気がしたんだよなぁ。

当時ヒットの主流だった、誰にでも分かりやすいキャッチーなメロディ。

ただ、でも、やっぱりあの当時のカラーは感がなかった。 けど、結果的には、「次の主流」となるカラーを持ち合わせていたんだよね。

これは、ある種の勘としか言えないんだけども、 「あ、これ」っていう感覚を感じる時ってあるんですよ。 どこか懐かしいんだけども、実際的には今まで無かった新しいカラー、匂いを感じる、独特の感覚。

これを感じた時に新しい波が来るんだよね。

まあ、これは、本当に感覚的なところでしかなく、文字ではうまく表現できないのが歯がゆいんだけどさあ。

コバヤシ君って、この感覚というか嗅覚に長けてたんだろうなぁ。

不肖ながらワタシも、「CROSS ROAD」の後、遡って、この「君がいた夏」を聴いたときに、まさにそんな感覚を感じたのよ。

ぱっと聴き、どこか懐かしい感じがするんだよ、この曲。
でも、実際的なところ、この曲以前にこの曲のようなカラーの曲ってなかったんだよね。 だから、瑞々しい新鮮さを感じるし。

ただ、惜しいかな、全体的なインパクトがまだまだ弱い。 そこが今一つヒット戦線に乗らなかった要因なんだろうな。


まあ、僕の場合は、次にミスチルがくるって断言したコバヤシ君が羨ましくもあり、ミスチルのブレイクを事前に見抜けなかった自分が悔しくもあったりしたんだけどさ。

で、自分もこういう感覚を持ちたいと思ったんだよね。 

以来、これからブレイクしそうなアーティストを掘っていくような聴き方をしていったわけなのよ。
そういう聴き方が、後に「着メロ」のセレクターの仕事にむずび付いたわけなんだけどさ。

ただ、確証はなかったんだよね。 その後も、出来る限り「これから来そう」って曲を意識的には聴いてきたつもりなんだけども、空振りっていうのも多かったしさ。

いや、それは、今もそう。

そこそこ「あ、当たった」と思ったのは、以前書いた、平原綾香の「Jupiter」と大塚愛の「さくらんぼ」ですね。

ただ、これらの曲でさえ、ミスチルの時に感じたほどの確証っていうのは、なかなか得られなかったんだけど。。。。

でも、あれから四半世紀、この「君がいた夏」を初めて聴いたあの時と全く同じ感覚を感じた人たちが出てきた。それが実はヒゲダンだったんだよねぇ。

そそそ、ヒゲダンがまだ、メジャーデビュー前に聴いた「LADY」。 これ初めて聴いたときは「ビビビ」と電流が走ったもの。 真っ先に感じたのが、そうミスチルの「君がいた夏」を聴いたときの、あの感覚ですわ。

同時に、もしかするとこいつらは「凄いかも」と、真っ先に「キニナル曲」に書いたのを覚えてるな。

まさか、ここまでのビックバンドまで昇華するとは、思っても見なかったけど。。。。

もっとも、ミスチルだって、「CROSS ROAD」を聴き、遡ってこの「君がいた夏」の曲を聴いたときも、現在のような「超ビッグバンド」まで昇華するとは思っても見なかったんだけどさ。




だけど、あれから30年近く経とうとしているのに、この曲のメロディは、いつ聴いても切ない。
どうして、夏の終わりっていうのは、こうも切ないんだろうねぇ。

そういえば、この間だれか言ってたけど、季節の区切りとして、「〜の終わり」ってつける季節は夏だけですわ。 春の終わりとも秋の終わりともあまり言わない。 今の時期〜夏の終わりっていうのは、それだけ特別な季節なんじゃないかな・・・と思うわけなんだよね。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

もう恋なんてしない /槇原敬之

1992_06_もう恋なんてしない_槇原敬之


今回の1曲セレクトは「もう恋なんてしない」槇原敬之です。


まずはデータでしゅら。

・タイトル     もう恋なんてしない
・アーティスト   槇原敬之
・作詞       槇原敬之
・作曲       槇原敬之
・編曲       槇原敬之
・リリース日    1992年5月25日
・発売元      ワーナーミュージック
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    139.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1992年6月8日〜9月14日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「子供が寝たあとで」主題歌

コロナ禍での緊急事態宣言終了に伴い、自粛解除的なムードになりつつある今日この頃。
この影響で、今年は自粛一色の春〜初夏にになってしまいましたなぁ。
テレビのワイドショーでは、飲食業の営業自粛の他、パチンコ、ホウリングセンター、カラオケボックスなどの娯楽施設の営業自粛の場面を多く見たような気がする。

うーん、個人的に引っかかったのが、そんな場面だったんかなぁ。 特にボウリング、カラオケボックスの営業自粛を見るたびに、今から25年以上前、20代前半の頃、頻繁にこれらの娯楽施設に出入りしてた頃を思い出す。
その中でもボウリングとカラオケだよなぁ。 まさか2020年の御世がこんなことになっているとは、あの頃は夢にも思う由もなし。。。

ボウリングは、昨年、サザンの桑田氏の音頭によって一時的にブームの兆しが見られたけど、90年代前半、一時、私も嵌ってたんだよね。 テレ東の夜中にやってた「スターボウリング」なんて見ちゃって研究したりね。 あの頃月3〜4回は必ずやってたんじゃないかなぁ。アベレージは一時期160以上行ってたな。マイボウルを作ろうかと思ったこともあったしさ。
それより嵌ってたのが、やっぱりカラオケだよね。ボックスに頻繁にかよってたのは勿論だけど、
以前から何度か書いた、当時、新宿三丁目にあった「てあとろん'88」っていうカラオケバーを根城のようにしてたからさあ。

で、「てあとろん」が確か1時くらいに閉店しちゃうんで0時過ぎに出て、その後、ラーメンで腹ごしらえして、朝までボックスで第2ラウンド。。。こんな感じで大抵「オール」でしたね。
いや、実際は朝4時前には疲れちゃってさ、ボックス出て、大抵は近くの「マイアミ」(深夜喫茶)で始発が出るまで死んでたんだけど。。。

若かった。。。。

今回の1曲セレクトは、そんな、私の中でオールでカラオケ全盛期だった頃の「大ヒット」を一つ

槇原敬之「もう恋なんてしない」

この曲のリリースが1992年5月。 ちょうど今頃から秋口までの超ロングランヒット。
前年の「どんなときも。」に続く2曲目のミリオンセラーということで、名実ともにトップアーティストの地位を不動のものにした1曲ですな。

ただ、オリコンでは1位獲得ならず。最高位は2位。 ちょうどB'zの「Blowin'」とバッティッングしちゃったんだよな。
初動で28万枚も行ったけど、「Blowin'」がその倍も売っちゃったからな。ダブルスコアでの2位止まり。 その代わりロングヒットだったわけですな。 でも、結果的にはそれが功を制したんでしょうかねぇ。この曲、未だにカラオケでは人気高いんだよな。 


1992年。浪人なしにストレートで大学まで進んでいれば、本来ならば社会人になっていたころだ。
けど、私ゃ、勉強好き だったんで 大学はいるまで人一倍時間がかかったわけで、この年、まだ大学3年だったんだよね。

最近の大学3年っていったら、すでに就活を考える時期なんだろうけど、当時の大学3年って言ったら、まだお気軽な時期だったからさあ。 しかも大学は必修をほぼ終えて、残りは選択科目だけだったし、理系のくせに前期はほとんど実習も実験もなかったんで、週休4日なんて大学時代の中でも一番お気軽な時期だったんだよね。 まあ、そんなわけで、ボウリングに競馬にカラオケ、おまけにドライブ・・・と遊び呆けてたわけよ。

だから・・というわけでもないけど、槇原の「もう恋なんてしない」を聴くと、今でも、あの遊び呆けてた頃を思い出すな。

でもね、そんなカラオケ三昧で、新曲をいち早くカラオケで歌うことを第一にしてた私でも、この「もう恋なんてしない」はカラオケで歌わなかったなぁ。 
いや、正確に言えば、歌えなかったんだよね。

この曲、難しいんだもの。 たしかに音域が広いし、キーが高いっていうのもあるんだけど、一番戸惑ったのは「譜割」だよなぁ。

コトバの区切りをどこで取ったらいいのか、ブレスはどこで取ったらいいのか・・・わかんなくてさ。

ワタシらの親世代が難しいといっていた、それまでのヒット曲で、こんな経験はしたことなかったんでさ。 
 確かにそれまでも、渡辺美里の「My Revolution」のような小室哲哉独特の、アーフタクトから16分音符で入る、いわいる裏打ちのメロディはあった。 でも、この曲あたりからそれに輪をかけてメロディラインが難解になってくるんだよなぁ。 歌詞の文節を無視したようなメロディラインってやつですねぇ。
それがきっかけ・・というわけでもないんだけど、新たな世代が出てきたな・・・っていう実感を感じたのも確かですね。

少し前に、本当の80年代は83年4月以降のヒット曲で、それまでは70年代へのオマージュって書いたんだけど、それと似たような感覚を感じたんだよね。

つまりさ、本当の90年代の曲って、この曲あたりからって思えるんですよ。

まあ、実際この曲が出てくるまでチャゲス、浜省、米米、あるいは徳永と、80年代の「大御所」がチャートを席巻していたこともあり、本当の意味での90年代っていうのが、この時期まで希薄だったというのもあるけど。


いずれにしてもメロディラインの変革。 これは、その後、ミチスルなんかでも見られるようになったし、それは、現在のヒゲダンにも続くんだけど、その始まりは、この曲あたりだったんじゃないのかなぁ・・なんて感じるんだよね。

ま、本当は譜割が難しい曲って、もっと前からあって、私が遭遇しなかっただけかも知れないけど。

ミチスル・桜井の歌詞の文節無視なメロディラインは、何曲かは克服できたんだけども、この曲は未だにダメですね。 




いや、今聴くと、ミスチル程、文節無視のメロディラインではないし、ヒゲダンの「pretender」とかの最近のヒット曲に比べると、むしろ平易なメロディラインに感じるんだけど、28年前の戸惑いっていうのがいまだに頭から離れなんだろうな。

しかしねえ、槇原氏は、一人で作詞、作曲、アレンジまで手掛け、こんなに完成度が高い曲をつくっちゃうんだから、大した才能なんだよな。
同じ昭和44年生まれの同級生としては、やっぱ敬服するところですわ。
これでクスリ漬けにならなかったら、本当にすごいやつなんだけどね。

ちなみに、ミスチルの連中もワタシらと同級生でしたね。

それよか、オールナイトでカラオケなんていつ以来やってないだろ  コロナが収束したら、またやりたいね。
・・・ってか、今オールでカラオケなんてやったら、確実に死ぬだろうな。。。。 
20代の頃とは違うっての。。。。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへ
にほんブログ村

IN MY ARMS TONIGHT / ZARD

1992_10_IN MY ARMS TONIGHT_ZARD

今回の1曲セレクトは、「IN MY ARMS TONIGHT」ZARDです。

まずはデータです。

・タイトル     IN MY ARMS TONIGHT
・アーティスト   ZARD
・作詞       坂井泉水
・作曲       春畑道哉
・編曲       明石昌夫
・リリース日   1992年9月9日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数   32.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月2日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「学校があぶない」主題歌


やおら、残暑見舞い申し上げます。。。と言いたくなるくらいの暑さですわ、本日は。
まあ、台風が運んできた熱波というものの、ちょっち10月にしては暑過ぎるんぢゃないかい
なんて、グチりたくなってる本日です。
本当は、秋ですね〜・・・なんて書きだしにしたかったんだけどなぁ。

さてさて、音源は持っているものの、今となっては存在が希薄・・・って言う曲もあるんだよな。
本来は、自分で持ってる音源は、通勤途中にヘビロテでしょっちゅうかけてるんで、存在が希薄ってことはない筈なんだけどさ。。。

でも、この間、92年の今頃の曲をWALKMANで改めて聴いてて、「あれ? これってなんだったっけ・・・」なんて思っちゃった曲があったのよね。

今回はその曲をセレクト。

ZARD 「IN MY ARMS TONIGHT」

あれだけのヒット曲を飛ばしながら、ZARDの曲も、今まであんまり書いて来なかったな。
まあ、代表曲って言われる曲は、流石に既に書いたけどさ。

どうもね、イメージがダブるんだよね、ZARDの曲って。 そいで、今まであんまり筆が向かなかったところもある。

イメーがダブるってことは、それだけ希薄な存在の曲もあるって事でさ
この「IN MY ARMS TONIGHT」にしても、今となっては言われなかったら、「なんだっけ?」なんて思ったりしません?
個人的に、この曲と、次の年の「もう少し あと少し・・・」のイメージがダブるんだよね。同じ9月リリースだったし。
それで、どっちがどっちだったけな・・・とか思ったりして。。。

うーん、ワタシだけかなぁ。

この曲はリリースが1992年9月。 ZARDの実際上のブレイク曲となった「眠れない夜を抱いて」このわずか1か月後にリリースされ、チャート上では、同じような時期に同じようなチャートアクションをしてた・・・っていうイメージが強い。

個人的には両曲とも、bay fmの「パワーカウントダウン」で知ったのかな? いや、92年当時と言えばパワカンが唯一の「音源」情報源だったんで、ほぼ間違いないと思う。

実は当時、パワカンからエアチェックしたカセットが未だに残ってるんだけど、ちょっと聴いてみたら、「眠れない夜を抱いて」の次が、この「IN MY ARMS TONIGHT」なんだよな。 

・・・ということは、ランキングもほぼ並んでたんだと思う。

そう、陽の「眠れない夜を抱いて」 に対して 陰の「IN MY ARMS TONIGHT」 そんなイメージだったんだよな。

でも、個人的には、やっぱり「眠れない夜を抱いて」の方に軍配を上げてたんだよな。 やっぱりカラーがはっきりしている分、曲が分かりやすかったし、親しみやすかったしね。

それに対して、この「IN MY ARMS TONIGHT」は、よく分かんなかったんだよ。
メジャー系の「眠れない夜〜」に対してマイナー系の曲だったし。シングルのタイトル曲というよりは、カップリング・・・そんなイメージだったと思う。

それでも、ちゃんと手もとに音源があるって事は、なんか引っかかるもんがあったんだよな、きっと。

それが思い出せない。

もしかすると、意外と単純に、坂井泉水さんの「美貌」に魅かれて ・・・だったのかもしれないけど。。。 

後年、テレビに出なくなった坂井泉水さんだけど、この曲の頃は普通に歌番組に出てたんだよ。
坂井さんの可愛らしさと、不思議な魅力に、「これは〜」と思ったもんだったよな。

ただね、当時は、まだ、立ち位置が良く分かんなかった。 アイドルなのか、アイドル外のポップスなのか、ロックなのか・・。 そもそもビーイング系っていうのも、まだ良く分かってなかったし。。。。
92年の夏時点では、まだビーイングも「ブーム」と言うほどの勢いぢゃ無かったんだよ。その後、ビーイングブームを牽引して行くこととなるWANDSが大ブレイクするのは、この僅か後となる(まあ、ほぼ同時期と言ってもいいが・・・)

ガールズポップ。 
ZARDがデビューした頃、一つのムーブメントとして、そんな立ち位置のジャンルが確立しようとしていた。 ただ92年の夏ごろになると、このムーブメントも下火になりつつある頃でさ、もしかすると、このヒトもそのまま消えるのかもな・・・なんて思いもあったしさ。

この曲の次が、超ブレイク曲となった「負けないで」。 
庶民的な親しみ感があり、それいえに絶大な求心力が漂っていた「負けないで」に比べると、「眠れない夜を抱いて」にしても、この「IN MY ARMS TONIGHT」にしても、そこまでのインパクトはなかったしね。 それいえに、その先があるとは言えないって言う不安定さはあったよね。

特に、「IN MY ARMS TONIGHT」は、インパクト的に弱かったしさ。 このままフェイドアウト・・・ってなってもおかしくなかったんだよ。




そうだ、この曲で引っかかったのは、サビのコード進行だ。
いま、↑の動画を見つつ、当時の「ゲッカヨ」の譜面をみてて思い出した。

サビの ♪ 夢を見させて 時間をとめて ねえ少年のように〜 ♪ の

♪ねえ、少年のように〜 ♪ でC#m7 から Cdimに行く不安低なコード進行。 ここが気になっちゃってね。

それまで、普通のポップスだったのが、どういうことかクラシックっぽい壮大な響きなんだよね。 全体的にインパクトが弱いきょくではあるけど、この1点が、他の曲のような響きになる。 ここに引っかかったんだろうな。

まあ、それでなくても、最後の

♪ Let me hold you in my arms tonight〜 ♪ 

のキャッチーなまとめ方は、めっちゃビーイング系らしいよな・・っとは思うけどさ。


ちなみに、この曲のバックコーラスは、大黒摩季 姉さん。(ってか大黒さんとは同い年なんだけど・・・
うーむ、これはずっと知らなかったな。姉さん大分、声抑えてるよね。 

大黒さんが、「初めてのH」っちゅうマルちゃんのカップラーメンのCM曲で衝撃的なブレイクを飾るのも、この曲がリリースされた僅かに後。
つまりは、92年の秋、ビーイングブームを牽引する屋台骨が揃う訳ですね。 


よろしかったら、ポチッと押してね

にほんブログ村
記事検索
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
livedoor プロフィール

かじやん