かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1991年

BELIEVE IN LOVE / LINDBERG

1991_08_BELIEVE IN LOVE_LINDBERG



今回の1曲セレクトは、「BELIEVE IN LOVE 」LINDBERGです。

まずはデータなのだ。

・タイトル   BELIEVE IN LOVE
・アーティスト LINDBERG
・作詞     渡瀬マキ
・作曲     川添智久
・編曲     LINDBERG   須貝幸生 神永弘一 佐藤達也 井上竜仁
・リリース日  1991年7月3日
・発売元    徳間ジャパン
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  40.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1991年7月22日〜9月2日付
・タイアップ:フジテレビ系 「夢で逢えたら」オープニング曲

音源集め。 もうね個人的には生活の一部ですね。 
なんせ小学5年生の頃から続けてるからねぇ。かれこれ45年近く続けてるから。

今でこそ、サブスクというものがあるんで、わざわざレコードとかCDから別のメディアに音源を落として・・・っことをやんなくても、手元に音源を置いておくことも出来るわけだけどさ。
しかもめちゃくちゃたくさんの音源を。

ワシらが若いころは、サブスクなんてなかったしさあ、手元に音源を置いて、いつでも好きな曲を聴きたい・・となると、ラジオからカセットに録音(エアチェック)するか、レコードとかCDから録音するしかなかったからさあ。

その習慣がいまだに抜けないで続けてるわけですわ。

なんて書くと、なに非効率なことやってんの? とか思われちゃうかもしれないけど、やっぱりサブスクの「音質」には満足できないしさあ。 逆にレコードとかCDから録音すれば、自分好みの音質にカスタマイズしやすいじゃん。 

そんなわけで、いまだにCD音源を手に入れては、せっせとリッピングして自分好みの音に変換しつつ、音源を集める日々が続いているわけですわ。 
まあ、自分の好みの音を納得するまで自分で作るのが好きなんでしょうね。 

ただ、最近の曲は、配信のみっていうのも多くなってきたんで、CD音源を手に入れるのも、ちょっと大変になってきたりして。 ま、大体の曲は最終的には手に入れるんだけども、それでも、リリース直後、すぐ手に入れる・・っていうのは、だんだん難しくなってきますわ。 うん、リリースからタイムラグがどうしてもできる。

なので、どの曲の音源が欲しかったんだっけ・・・っていうのも把握しづらくなってきたこともあり、今は欲しい音源とすでに手に入れた音源のリストを作って管理してますねぇ。


いや、でも、欲しい音源がすぐに手に入らない・・・っていうのは、今に始まったことじゃないんだけどね。
欲しい音源、全部レコード、CDで「購入」してたら、いくら金があっても足りないからさ。結局多くはレンタル頼みになるわけよ。
ただ、レンタルで借りようとしても、借りたい音源がすべて「貸し出し中」になってることなんて日常茶飯事だし、これは今に始まったことじゃないからさあ。 まあ、そんなこともあるんで「音源リスト」を作るようになったわけなんだけども。。。

でも、昔、まだパソコンをやってなかった頃は、欲しい音源と、すでに手元にある音源の曲名を、すべて頭の中で整理してたわけよ。まあ、若かったしね。

・・とはいっても、時々忘れちゃったり曲があるんだよなぁ。 特に、レンタルで手に入れようとしたんだけども、いっつも貸し出し中になっててなかなか借りられなかった曲なんかは。


今回の1曲セレクトは、そんなレンタルで借りようと思ってて、なかなか借りられなかったがゆえに、音源を手に入れるのをずっと忘れてた曲を一つ。


LINDBERG 「BELIEVE IN LOVE」

うー、ここまでたどり着くのに前置きがめっちゃ長くなっちまった。。。

いや、でも、この曲、ホント、レンタルで全然借りられなかったのよ、借りに行くと、いっつも「貸し出し中」のタグが下がってて。。。

この曲がリリースされたのは1991年7月。 うん、個人的に一番レンタルを活用してた頃かなぁ。
CDもビデオ(VHS)も。 どちらもですね。

ただ、うちの近くのレンタル屋は、あんまりデカくなかったし、 貸出枚数が少なかったのね。シングルCDは、リリース直後は複数枚あったけども、すぐに1枚だけになっちゃったりして。。。
しかも最寄りの駅の近くだったんで、高校生も多く利用してたから。 あの頃の高校生はワタシらよりも3〜4つ下の世代で第2次ベビーブームの頂点の世代だったから、めっちゃ人数が多かったのよ。
なので、いっつも借りたいCDは争奪戦だったのよ。

こちとら大学生で暇だったから、頻繁に店にいったりしたけども、それでも貸し出し中のタイトルがなかなか戻ってきてなかったりして。。。 で、そのうちに、借りたい曲が別に出てきたりして、直に忘れちゃう。

今回の「BELIEVE IN LOVE」はそれのまさに典型でしたねぇ。

いや、あの頃、LINDBERGって、真の音楽ファンからは敬遠されていたところがあるけども、バンドを始める上での「入門バンド」として、当時の中高生に人気あったからなぁ。 
ワタシらの世代がBOOWY、レベッカだったように、当時はLINDBERGだったんじゃないか・・と。




こんなブログ記事があったりするくらいだし。

で、肝心のワタシ本人は・・というと、うーん、「神」というほどの存在ではなかったんだけど、でも、売れてたらからさあ、やっぱ、音源は押さえておきたい・・・って感じだったのかなぁ。

だから、手に入らなんだったら、暫く手に入らなくても困らない・・っていう意識もあったのかもしれないな。

特に、この「BELIEVE IN LOVE」は、前年のブレイク曲「今すぐKiss Me」に「元気印」という点では似てたし、曲調も似てたからなぁ。 手元になければ絶対的に困る曲でもなかったんだよね。


・・・とはいうものの、無ければ無いで、なんか寂しいというのも事実で。 うん、1991年夏のヒットシーンを彩った1曲っていうのは、まぎれもない事実でしたからね。

で、結局、この曲の音源を手に入れたのは・・・、あれ、いつだったのかなぁ・・かなり後。

しかも、この年の夏のヒットっていうのすら忘れてて、秋のヒットと勘違いして、件の音源リストに登録したくらいだから・・・。

あ、ワタシ、手元の音源はヒット順に並んでないと、どうも落ち着かない・・ってめんどくさい性分でして。。。 
だから音源ファイルはヒット順にNo.を振って管理してたりするのね。 

で、この「BELIEVE IN LOVE」は、今て元のリストでは、1991年夏のNo.じゃなくて、秋のNo.を振っちゃってるんで。。。   いやいや、ちゃんと直さなきゃ。。。





・・・っつか、この曲、1991年4月リリースのアルバム「LINDBERG IV」からのシングルカットだったか。。
っていうのも、今知った(?) いやー、ずっと忘れてたわ。

そそそ、だから、タイアップのフジテレビのバラエティ「夢で逢えたら」のオープニングとしては、この年の3月末から使われていたのに、シングルリリースは3か月も後になったんだよね。

個人的に「夢で逢えたら」は見てたなぁ。 うん、あの頃は、まだフジテレビのバラエティは見てましたね。
そそそ、それで、この曲に引っかかったのよ。
めっちゃわかりやすかったし、LINDBERGって、やっぱり「今すぐKISS ME」ってイメージが個人的には強かったから。

 だから、シングルとしてリリースされたら、すぐに借りよう・・・と思ってたら、↑で書いたようになかなか借りられなかった状況になっちゃったわけよ。。。




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遠い街のどこかで・・・ / 中山美穂

1991_12_遠い街のどこかで_中山美穂






今日の1曲セレクトは、「遠い街のどこかで・・・」中山美穂です。

 まずはデータでーす。

・タイトル    遠い街のどこかで・・・
・アーティスト  中山美穂
・作詞      渡辺美佳
・作曲      中崎英也
・編曲      中崎英也
・リリース日   1991年11月1日
・発売元     キング
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   67.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1991年11月11日〜1992年1月13日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「逢いたい時にあなたはいない・・・」主題歌

 これはじめてから、4ヶ月くらいになるのかなぁ・・。いままで、全然意識してなかったんだけど、ミポリン、中山美穂の曲を書くのは、今回が初めてだったんだ・・・。
 いや、書かなかったわけではなくて、9月、10月、11月って中山美穂ってなぜかリリース曲が少ないんだよね。
 リリース間隔のちょうどエアポケットに入っていたって言うか・・。いや、実際は、85年の「生意気」とか、もうちょっと解釈すれば、86年の「ツィてるねノッてるね」も8月リリースだから、書けないこともないんだけどね。なんとなく、素通りしちゃったわけです。

 理由は一つ。どう書いたらいいかわかんなくてねー。

でも、11月終わりから12月にかけは、毎年のようにリリースしてたから、この先、いろいろ書いていきますよん。多分。

 まずは、クリスマスソングということで、91年11月リリースの「遠い街のどこかで・・・」から。

 90年頃からの中山美穂って、なんか、ちょっとイメージと違ったんじゃないの? って気がするんだよね。
 ワタシのイメージからすると、もっとお嬢さんぽいと思ってたのね。
 まあ、最初が「毎度おさわがせ〜」で「小悪魔」役(のどか役)だったでしょ。
 だから、なんか、ずっと、本来のイメージとはちょっと違った曲が続いていたじゃん。
 特に90年〜91年にかけては、随分、冒険してるなって感じで見てたな。ノド酷使したのか、声もよく出てなかったのに、わざわざ、「歌いにくい」曲をうたってたナっていう印象が強いのね。

 ただ、個人的には、このころの曲って好きなんだけどさ。まあ、そのあたりは、ファン真理としてはうまくいかないところなんだけどさ。1つ前の「Rosa」なんてのは、ゼッサンものでしたもんね。
 これは、ミポリンの曲の中でも最高傑作の1曲に入るんではないですかねぇ。

 それを受けての、この「遠い街のどこかで・・・」。正直ね、初めてこの曲聴いたとき、ホッとしたのよね。
 やっと、「本来」の中山美穂に戻ったなっていうね、安心感が最初だったなぁ。

 メジャー系のミディアムバラード。これが、いちばん、このヒトには合ってる気がするんだな。
 
 正直言って、歌ってる本人がいちばんホッとしてたりして・・。だからかなんか知らないけど、上で書いたように、このころ声があんまりでなかったのにも関わらず、いちばん、声に艶があるように感じるのは、気のせいですかねぇ。。。
 
 曲は、タイトルを見る限りでは、全然、そんな感じしないんだけど、ストレートなクリスマスソングだよね。

サピの部分もストレートに

♪Happy Merry X'mas あつい思い届けて いちばん好きなヒトにそっとつぶやく〜 ♪

ですもんね。
 
 うーん、個人的には、ハッピーなクリスマスなんぞ、過ごしたこと、ほとんどないんで、どっちかというと、「ひとりぼっちのクリスマス〜」のような曲のほうがシンパシイを感じる、天邪鬼な奴なんだけど、この曲は別だね。
 珍しく、「ハッピー」なクリスマスでも共感を感じるな。
曲の雰囲気が暖かいんだよね。

 クリスマスソングならではの暖かさっていうのが、やっぱし、このテの曲では基本だと思うしさ。


 うん、だけど、この曲タイアップ付いてたんだ?・・・いま調べて初めて知ったワ。
 どうも、91年10月期の月9の主題歌だったみたいね・・。
って、そのまえは、あの「101回目のプロポーズ」じゃん。
 これは、見てたな。毎回「アホらし」と思いながらも。ついつい。。。。ワタシ基本的には、アンチ月9派だから。。。


 個人的には、このころ何やってたんだろ?? 
22歳。まだ、大学2年の頃だ。理系ではあったけど、まだ本格的な実験もあまりなく、この頃になると、週休5日くらいで、ほとんどガッコへは行ってなかったけど・・。
ボーリングと、カラオケと、競馬とヒットチャート作成の毎日だったような気がするな。
ヒットチャートについては、bay fmでやってた「COUNTDOWN JAPAN HOT30」を毎週聴くようになったのがちょうどこの頃でしたね。

就活のことも全然頭になく、ワタシにとっては、充実した日々やったわ。。。
この曲聴くと、あののほほんとした気分の頃を思い出すんだよなぁ。

そんな1991年のクリスマス・・・・、たしか2日前の有馬記念、ダイユウサクの大番狂わせのショックで一人寂しいクリスマスを過ごした‥様な気がする。。。

最近は、ボーリングと競馬は足洗ったけど、ヒットチャートに関しては、このころと今と、やってることほとんど変わんないな。既に、いまの「THE HITCHART HOT30」、通称「かじやんチャート」は毎週作ってたし・・・。
 ただ、インターネットなんてなかったんで、「オリコンチャート研究会」の集まりんときに、メンバーだけに閲覧させるっていった、ごくごく、内輪だけのものだったんだよね。


 ・・・って最後の部分はどうでもいいことですけど・・。





ちなみに、こちらは2005年12月にmixiに書いたものをそのまま再掲載ということで移植したものです。
なので、冒頭「これはじめてから、4ヶ月くらいになるのかなぁ・・」などと書いてますが、2005年当時はそうだった・・ということで、ご了承ください。。。
文章の書き方とか内容が今よりも若い。。。
そりゃ18年も経てばね。。。

はじまりはいつも雨 / ASKA

1991_06_はじまりはいつも雨_ASKA






今回の1曲セレクトは、「はじまりはいつも雨」ASKAです。

 まずはデータでーす。

・タイトル     はじまりはいつも雨
・アーティスト   ASKA
・作詞       ASKA
・作曲       ASKA
・編曲       澤近泰輔
・リリース日    1991年3月6日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    116.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位  1位
・ベストテンランクイン期間:1991年3月18日〜9月2日付
・タイアップ:パナソニック「コンポhalf」CM曲

 ロングセラー。いまぢゃ、まずほとんど聞かなくなった言葉だけどね。
 いや、たしかに、いまでもロングセラーっていう単語は時々使うんだけど、そうは言っても、あっという間にチャートから消えていく大多数の曲に比べたら「ロングセラー」というだけであって、ベストテンに10週前後ランクインしている曲でさえ、昔のロングセラーという比ぢゃないよね。

 こんな状態は、90年代後半ごろから、ジワジワと見えつつあったわけだけど、ぢゃ、90年代前半はどうだったのか・・・というと、これが「さにあらず」。
 これが逆に、ロングセラーの天下だったわけだ。特にハイライトは、1991年。

 この年は、とみにロングセラーが多かった1970年代を凌ぐくらい、ロングセラーが多かった年なんだよね。
 いわいる「メガヒット」の始まりの年だったわけだけども、90年代後半以降の「メガヒット」とは、様子が異なり、たしかに初動集中型になりつつはあったものの、その後の粘り⇒ロングセラーぶりは、最近のヒット曲には全く見られなかったような感じなんだよね。

 そんな1991年のなかでも、この「はじまりはいつも雨」は、特にその粘りぶりが際立っていたよなぁ。
 なにせベストテン内に「半年」も居座ったわけだからねぇ。
 とにかく「安定」度といったら、とんでもなかったんだよねぇ。

 どうしてなんだろ? とは思うんだけど、たしかに、あの時代「カラオケ」で歌われる曲っていうのは、ひとつ大きかったんだろうね。
 ただ、今のように、まだ、情報伝達速度は早くなかったから、口コミによって広がって行ったってのは、また、大きいだろうなぁ。

 この曲、たしかにパナソニックのコンポのCMに使われていたけど、これもヒットしてからの話で、リリース時には、ほとんど、プロモーションらしいプロモーションもあまりなかったからねぇ。

 すでに音楽番組は、テレビの世界では衰退していたし、まだインターネットも無かったわけだから、タイアップがないとしたら、ラジオくらいしかメディアは無かったわけだし。。。

 ただ、そういう状況だったから、余計、「曲のデキ」が注目されていたっていうのは、あるかもしれないなぁ。


 このころのASKAの曲は、CHAGE&ASKAも含めて、ほとんどクラシックに近いんですよね。賛美歌というかね、ちょっとそれまでのポップスには無かったようなコード運びとメロディラインが特徴でしたよね。

 それと、サウンド全体のイメージというかね。どちらかというと、バンドサウンドというよりは、大編成のオーケストラ的なスケールのでかい曲が中心になっていましたよね。

 そのあたり1989年に一時、CHAGE&ASKAの活動を休止して、ロンドン生活を送った後あたりから、変わったように思うなぁ。

 それ以前、ことにキャニオンに移籍した1986年あたりからは、どちらかというと、リズム主題のロックポップスといったような曲が多かったからねぇ。

 その辺の変化に時代が付いてきた・・・って言うのが、この1991年あたりで、結局、時代を味方につけたのもでかかったかもしれないですよねぇ。

 
 たけど、この曲は難しい。キーが高いってのもあるけど、これはカラオケぢゃなかなか歌えないですよ。

 いや、このあとの「SAY YES」もそうだけどさ。メロディラインが複雑だし、コード進行も、ポップスと思えない進行の仕方があったりして、まず、音が取りにくいんですよね。

 ただ、そういうところが逆に耳新しいって言うところはありましたよね。
 さすがにイギリスに行ってただけあって、音が「濡れている」というか・・。

 「はじまりはいつも雨」っていうタイトルにはぴったりはまるサウンドなんだよね。



 個人的には、この曲がヒットしてた頃・・・・、ランキング(ヒットチャート)に本格的にのめりこみ始めたころだなぁ。  自主チャートを毎週出すようになったのもこのころですわ。
 それと、「オリコン研究会」のサークルでで頻繁に動いてた頃かなぁ。

 だから、この曲っていうと、ヒットチャート作ってたか、千葉の中央郵便局で夜中、郵便物の仕分け作業のバイトしてたころの風景が浮かんでくるんだよなぁ
バイトしてた作業場にあったラジオから、この曲、よく流れてたんですよ。

 それとともに大学には徐々に足が向かなくなってきてた頃の曲ですねぇ

 「仕事」的な考えとしても、いまのワタシの根幹的にあるような曲なんですよねぇ。




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ひとすじになれない / 米米CLUB

1991_12_ひとすじになれない_米米CLUB



今回の1曲セレクトは、「ひとすじになれない」米米CLUBです。

まずはデータでーす。

・タイトル    ひとすじになれない
・アーティスト  米米CLUB
・作詞      米米CLUB
・作曲      米米CLUB
・編曲      米米CLUB
・リリース日   1991年9月21日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   65.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1991年10月7日〜11月4日付
・タイアップ:ソニービデオカセットV CM曲

2021年の1曲セレクトは、恐らくこれが最後なんじゃないかな・・・。
今年も1年間、「1曲セレクト」を読んでいただきありがとうございました。まあ、年々、書く頻度も少なくなってきましたけど、来年も一つよろしくお願いします。

ところで、昨日、ワタシメのランキング、2021年の年間チャートベスト200を公開しました。
年間1位は、優里の「ドライフラワー」。 
まあ、1年52週あったうち、49週ベストテン入りなんていう、とんでもない超ロングヒットになったわけで、年間1位も頷けるところではあるんですけどね。

ただ、、この曲、よく分かんないって方が結構いるんだよね。
曲調として派手なわけでもないし、強烈なインパクトがあるわけでもない。でも、なんで、こんな超ロングヒットになっているのかがよくわかんない・・っていう理由ですね。

確かにそうなんだよね。 例えば、BTSの一連ヒットなんかもパッと聴きはそういう所があるんだけども、BTSの場合は中毒性がある。 何回か聴くといつの間にか嵌っちゃうんだよね。
まあ、ひげだんの「Cry Baby」なんかは、それこそインパクトの塊だったりするけどさ。

これらの曲に比べると、「ドライフラワー」って曲は、今一つよく分からない・・というのも理解できたりするんだよな。

ただ、そういうよくわかんない曲が、得てしてロングヒットすることっていうのも、ときどきあるわけなのよ。

今回の1曲セレクトは、同じように、強烈なインパクトがあるわけでもないけど、ロングヒットになった曲を一つ。

米米CLUB 「ひとすじになれない」。

この曲、もちろん覚えていらっしゃる方もいらっしゃると思うけど、いやー、覚えてないなぁ・・っていう方も多いんじゃないかなぁ。

今となっては、米米CLUBと言ったら、「君がいるだけで」と「浪漫飛行」の2択だけっていう感じになっちゃってて、他の曲にスポットが当たることは少ないもんなぁ。

ましてや、地味な存在のこの曲なんて、今となっては忘れられててもしょうがない。

時代的には、1991年9月リリース、今からちょうど30年前の曲ですわ。

1991年9月と言ったら、チャゲアス「SAY YES」と、槇原の「どんなときも。」が超大ヒットを続けており、 バブルガムブラザーズの「WON'T BE LONG」が、この2強に肉薄してきていた頃だ。

そんな中リリースされたこの曲。 上記3強の間隙を縫ってオリコン初登場は3位であったものの、それが精いっぱい。そこからはランクは下降線をたどっていき、1991年の年末、ちょうど今頃には、オリコン30位台まで一度落ちるのよ。

でも、年をまたいで1992年1月に入ると、オリコン10位台まで回復。 2月以降、再び30位台から20位台を行ったり来たりし、結局、1992年5月25日付まで、オリコン左ページ、つまりは50位以内をキープ。
リリース以来、8か月間ベスト50をキープするという、ロングヒットになる。

紅白で歌われたというならば、紅白効果で、年明けチャートが一時的にでも上向きになるということは珍しいことではない。 そういう曲は、未だに毎年のように出てくるしね。

でも、この曲は紅白では歌われていないし・・・。 っつうか、1991年時点で、米米は紅白には1度も選ばれていない。
・・にも関わらず、年が明けて、再浮上してきたわけよ。

まあ、確かに、今年の「ドライフラワー」に比べるとロングヒットの規模は小さいものの、似たようなヒットだったって言えるんじゃないのかなぁ。

あの時代、演歌でのロングヒットっていうのは、それほど珍しくなかったけど、ロック・ポップス系で8か月間オリコン左ページを維持した曲って多くなかったしね。

ぢゃ、なんで、こんなロングヒットになったのか?

当時のカラオケブームっていうのが、大きかったんじゃないのかなぁ・・・。なんて思うわけなのよ。

この曲、オリコンのCDセールスは地味な動きだったけど、有線チャートの動きは比較的良かったんだよね。
つまりは、飲み屋の有線なんかじゃ、よくかかっていたのよ。  

あの頃、有線発のロック・ポップス系ヒット曲って増えて来てましたからね。 ↑で書いたバブルガムの「WON'T BE LONG」なんかはそうだったし。 この1991年は、他に沢田知可子さんの「会いたい」なんてぇのは、典型的だったな。
有線で耳にした曲をカラオケで歌う。 そんな流れも出来ていたんですよ。
この曲なんかも、そんな流れの1曲だったと思う。


で、さあ、この曲、実際カラオケで歌うと気持ちいいのよ。 少し音程が取りにくいところがあるけど、米米の曲の中ではまともな曲だし。。 これは「カラオケで歌う曲を前提」にした曲なんじゃないか・・とも思えたりしてね。

個人的に、そうだったけど、あの頃、兎に角飲み会にカラオケは鉄板、必須でしたからねぇ。 この曲当時、カラオケで何回歌ったか分かんないもの、個人的に。

そういう方も多かったんじゃないのかなぁ、今の40代、50代の方の中にもさあ。

そういう時代の流れに支えられてのロングヒットだったと思うんだよね。 この曲は。

結局ね、今年のワタシのチャートの年間1位だった、優里の「ドライフラワー」っていう曲も同じ様な理由なんじゃないかなと思うんだよね。

いまの時代だったら、有線発ではなく「ようつべ」とか「TIK TOK」なんかの動画発のヒットという違いはあるんだろうけど、そういう時代の流れに支えられたロングヒットであることは間違いない訳なのよ。
それに、最近の曲としては、比較的素直でわかりやすい曲ではあるしね。

まあ、動画見て、どの程度カラオケに流れたのかはよくわかんないけど。。。。




ウーン、カールスモーキー石井自ら「カラオケで歌われること前提」のようなコメントしてたりするな

カラオケでは、Cメロの ♪ 軽く愛してるよ なんて 言えないから〜 ♪ が決まると気持ちいいのよね。 

しかし、なんじゃ、この切れ方は。。。。。。

仕切り直しに CD音源動画を




すぐ消されちゃうかもしれないけど。。。。


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伝説の少女 / 観月ありさ

1991_05_伝説の少女_観月ありさ


今回の1曲セレクトは、「伝説の少女」観月ありさです。

まずはデータですら。

・タイトル   伝説の少女
・アーティスト 観月ありさ
・作詞     尾崎亜美
・作曲     尾崎亜美
・編曲     佐藤準
・リリース日  1991年5月15日
・発売元    コロムビア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  22.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1991年6月3日〜6月10日 6月24日付
・タイアップ:キリン「シャッセ」CM曲

ここんところYAHOOニュースとか、ネットニュースみてると、観月ありさ、14歳「伝説の少女」から30年・・・なんて記事が目に飛び込んできますね。
そうかあ、全然意識してなかったんで、すっかり忘れてたけど、今年は1991年から30年なんだよな。

ホント、月日が流れるのは早い。月並みな表現だけど、1991年なんてホントつい最近のように感じるけどねぇ。。。

30年前。ワタシゃ大学2年。 
大学生活にも慣れ、かといって就職のことも、まだ頭になく、一番「だらけてた」時期かなぁ。
そろそろ、大学には「実験」(理系だったもので。。。)と語学などの出席を取る授業くらいしか顔を出さなくなってきてた頃ですね  

いまでも覚えてるけど、月曜1限目の「生化学�機廖�1年通しての必修科目だったけど、出席を取らないことを良い事に、1年間で3回くらいしか授業出なかったもの

バイトと、ボーリングと、カラオケと、件の自主サークル「オリコンチャート研究会」、これらに没頭してたころですわ。 

週末は、ボーリング、カラオケ、それにサークル活動で、「終電」ってことも多かったんで、月曜日のしかも「1限」なんて「朝早く」にゃ、起きられるわけも無く

試験は友達から過去問を借りてびゃーっとコピーして、前日に解答を必死に暗記。
これで乗り切ったりして。。 しかもヤマが全部当たって、年間3回しか授業出なかったのに「優」をもらったりして。。  大分、チョンボしてた頃だなぁ。

それなりに「充実」(?)したキャンパスライフを送っていたわけね。

ちなみに、今も続く自主チャートの76年〜の過去チャートの作成に、平日、大学の授業がない日には、ずっと国会図書館通いしてましたね。このころ。

うむ、全く勉強もせず、遊び呆けてたわけではないのよね。

もっとも、本来の「生物」の勉強ではなく、全く畑違いの「ヒットチャート」の勉強をしてたわけだけど。。。



そんな充実したキャンパスライフを送っていた30年前の今頃。
・・・と来れば、今回の1曲セレクトは、この曲しかないわなぁ・・・

観月ありさ「伝説の少女」

なんか、30年前の今頃、さぞかしこの曲に注目してたような書き方になっちゃっいましたが・・・。

実際は、全く逆で。 正直、あんまりこの曲には深入りしてなかったんだよね。

正直、オリコンで何万枚売れて、最高位が何位まで行った・・・っていうのは、後付けて知ったような気がする。

おいおい、当時はオリコンチャートの研究をしてたんぢゃなかったのかい?

なんて言われそうだけど、あの頃の時点での「今」、つまり1991年当時のランクは、あんまり追ってなかったんだよね。
たしかに、オリコンウイークリーは毎週購入してたけど、ランキング自体は、ちゃんと見ないで眺めてたっていう感覚かなぁ。。。


過去の自主チャートを作成していたということもあり、むしろ70年代、80年代の「過去」を掘り下げてたというところが大きかったのよ、当時は。

件の自主サークル「オリコンチャート研究会」でも、当時のヒットチャートとかヒット曲を追いかけるということよりも、70年代、80年代のヒットチャートやヒット曲を掘り下げるってことがメインだったし。

1991年って、今でこそ振り返ってみると、「ラブストーリーは突然に」とか「SAY YES」などの超メガヒットに湧いた年と言えるけども。
それとは別の流れとして、平成と言う新たな時代に入り、過去(昭和)を総括するといえば聞こえはいいけど、70年代、80年代を振り返るっていう流れも盛んだったんだよね。

まあ、今となっては、これについては忘れてる人も多いだろうけど。。。 
TBSの「テレビ探偵団」が一番象徴的でしたよね。
歌番組では、例えばフジテレビの夜中にやってた「19××」とか「カノッサの屈辱」とかさ。特番でも「懐かしのアニメ主題歌」とか「アイドル〇〇年史」のような「過去」を振り返る番組。 これは、今でも続いているけど、この手の番組が出てきたのも、この頃からだったのよ。
「良き昭和」と言う時代を振り返る・・っていう番組ですわ。

あれから30年、いまだに「良き昭和という時代を振り返る」という番組が続いているのは、なんだかなぁ・・・と思ったりもするんだけども。。。 
でも、ついつい見ちゃうからなぁ・・・。あんまり強く言えないけど。。。。 
まあ、ついつい見ちゃう人が多いから、未だに続いているんだろうけどね、この手の番組。

で、個人的にも・・というか、関わっていた自主サークル「オリコンチャート研究会」としても、そういう「70年代、80年代を振り返る」と言う動きにコミットしてたところが大きかったんだよね。

確かに、当時、テレビ番組的にそういう動きが出て来ていたところもあるけど、昨今の「昭和歌謡ブーム」として70年代、80年代を振り返るというのが流行ってきているところを考えると、かなり時代を先行してたかな・・というのはあるかな。

で、今回の「伝説の少女」と言う曲。

この曲は、そんな当時の「良き昭和という時代を振り返る」という流れの延長線上にある曲だったな・・今になってみるとそんな感じがするんだよなぁ。

尾崎亜美さんっていう、70年代から活動してきていた、いわいる大御所の作品だったし。 そういうこともあって70年代的な匂いも強い作品。

90年代という新たな時代を予感させるような作品ではなかったですよね。

いや、今考えてみると1991年っていう年は、全体的なヒット曲的な流れとしてそういう時代だったんだよね。
ヒット曲としても70年代、80年代の残像を追いかけていた年・・とでも言いますかね。1990年代という新たな時代を彷彿とさせる年ではなかったんだよね。

いつか80年代を振り返って、1982年までは1970年代の後追い。本当の1980年代は1983年以降と書いたことがあった。

1990年代も同じで、個人的には、80年代末からのバンドブームが一段落し、ビーイング系が台頭してきた1992年以降が本当の1990年代と思っていたりするんだけどね。 1990年、1991年は1970年代、1980年代の後追いの時期でさ。

この「伝説の少女」っていう曲なんかは、まさにそんな匂いがする1曲ではなかったかなあ・・なんて思ったりするのよ。


曲に対して、1976年生まれ、当時14歳観月ありささんって、 今から思えば、異星人から来た宇宙人のようなイメージがあった。

超大げさな表現だけど、 いや、ホントにそういうイメージがあったのよ。 すらりとした長い脚。14歳とは思えない大人びたマスク。

ホントに14歳? って感じでしたよ。 中学生でこれはヤバイでしょ。

80年代アイドルにはなかった、90年代の新たなアイドル像っていうのかなぁ。 

それ以上に1976年生まれ、 昭和50年代生まれかよ〜 ・・・。 っていう衝撃は大きかったのよ。

昭和50年代生まれ・・っていう、「昭和年代」が、ワタシよりも一つ下のアイドルが出てきたのは、このヒトが最初だったような気がするのよ。

なんか一気に老けたような感覚になったりして・・・

昭和51年っていったら、ワシゃ小学校に上がってたぞ〜 ・・・っていうところに大きなジェネレーションギャップを感じた・・っていうのが、一番デカかったんだよね。

自分の年よりも年下のアイドルの子たちが、 この数年前からボチボチと出て来てはいたけど、正直、どう接していったらいいものか・・というのも分からなくなってきていた時期ではあった。

それまでアイドルと言えど、自分より年上とか同年代っていう人の方が多かったですからね。年下のアイドルって、どうもよく分かんなかったのよ。 「宇宙人」を扱うかのような感覚があったのね。

そんな「宇宙人」なニュージェネレーションの観月ありささんが、尾崎亜美さんっていう、70年代の「大御所」の曲を歌う。。

うーむ、まあ、前例がない事だったりするし、1976年生まれの観月ありささんが、 1976年デビューの尾崎亜美さんの曲でデビューするってこと自体、話題性があったのかもしれないけど、個人的にはあんまりピンとこなかったのは、正直なところなんですよね。

ニューヒロインと言う割には、曲的に「ニュー」なところは少なかったですし。
90年代のアイドルと言うからには、もっと斬新な新しい切り口があったんじゃないのか・・とも思ったりしたし。

個人的には、観月ありささんバージョンよりも、尾崎亜美さんが、1992年にアルバム「POINT-3」でセルフカバーしたバージョンの方が刺さったし、しっくり来たんだよね。





やっぱり、この曲は70年代の匂いの曲なんだ・・観月さんバージョンが刺さらなかったのは、ジェネレーションギャップだったんだ・・・というのが、改めて確認できたわけなんだよね。

その点から見ると、次の年1992年にリリースされた「TOO SHY SHY BOY!」は、90年代という新たな年を時代を彷彿させるような曲でしたしね。。
さすがはTK氏。時代感覚が新しい・・なんてこの時は素直に思いましたね。 





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Good-bye My Loneliness / ZARD

1991_02_Good-bye-My Loneliness_ZARD



今回の1曲セレクトは、「Good-bye My Loneliness」ZARDです。

まずはデータです。

・タイトル   Good-bye My Loneliness
・アーティスト ZARD
・作詞     坂井泉水
・作曲     織田哲郎
・編曲     明石昌夫
・リリース日  1991年2月10日
・発売元    ポリドール
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「結婚の理想と現実」主題歌
       クラリオンレーザーカラオケCM曲

先ほどラジオを聴いてたら「今日はZARDデビュー30周年」なんて出て来て、思わず不意を打たれた。
1991年2月10日デビュー
そうだぁ、そうだったぁ。そんなことは全く意識の外だったぁ。 

たしかにね、1981年から40年、2001年から20年ということは意識してたんだよね。 この「1曲セレクト」のネタになりそうな予感がしてたんで。。。

でも、1991年から30年というのは、ほとんど意識の外だった。

いや、実は1991年の今の時期にヒットしてた別の曲を2曲ほど頭の隅にはおいていたんだけども、この曲は、全く意識の外だった。 いやいや不覚だったなぁ。。


なんて、今は亡き坂井泉水さんへのお詫びのしるし・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、このZARDのデビュー曲を持ってきましょうか。


Good-bye My Loneliness

1991年の今頃だったか、もう少し後だったか、この曲はよく耳にしてたんですよ。

いや、CDを聴いてたわけじゃない。 テレビのCMでよく耳にしてたんだよね。

↑のタイアップには、第1にフジテレビのドラマ「結婚の理想と現実」主題歌と書いたんだけども、個人的にはこのドラマは見てなかった・・・ような気がする。

それよりもクラリオンのCMでこの曲、よく耳にしてたんですよ。

あの当時、まあ、よく流れてましたよね、CM。

実際に比較したわけではないけど、夜中のカメリアダイヤモンドと、このクラリオンのカラオケのCMは双璧・・・って思えるほどよく聴いた記憶があるなぁ。

でさ、あの頃は、まだZARDって何者なのかよくわかってなかったんですよ。 そもそもテレビには出なかったし。

私ねぇ、クラリオンのCMで、マイクもってこの曲を歌ってた(? 口パクだったよな・・・)、大河内志保さんをZARDだとばっかり思ってたの

そう思ってたの、ワタシくらいか・・と思ってたんだけども、ネット調べてみると同じように思ってた方、他にも結構いらっしゃるようですね 

ただね、曲としては妙に引っかかったな。

・・というか、どうも、この頃の「ガールズポップ」な曲って、一時的に区別がつかなくなってきてたんだよね。

個人的にはこの曲と、同時期にスマッシュヒットしてた平松愛理さんの「素敵なルネッサンス」とかね。

いや、たしかに全然違うんですよ曲調は。 違うんだけど、なぜかごっちゃになってたんだよな。

うーん、イメージなのかなぁ。  

このころは今ほど、音源聴き込んでなかったですからねぇ。 

そうそう、この頃音源手に入れるの苦労してたんだ。 
このころ、近くのレンタルビデオ兼CD屋からCDを借りてカセットに落としてたんだけども、シングルCDの入荷が悪くてさあ。めぼしいシングルは、いつも貸し出し中になってたんですよ。だから気になる曲をなかなか借りることが出来なくてさ。。。

そんなこともあって、この当時の曲っていまだに、あんまり聴き込んでないんだよね、実をいうと。

さすがに、今はこの「Good-bye My Loneliness」と平松愛理さんの「素敵なルネッサンス」の区別は付きますけど。。。

でも、「Good-bye My Loneliness」や「素敵なルネッサンス」もそうだったけど、丁度この頃はガールズポップが元気になり始めてた頃ですねぇ。

他にも永井真理子さん、辛島美登里さんなどが元気でしたしね。 
革新的に新しい音楽ではなかったんだけども、明らかに80年代とは違う香りがするポップスという印象を受けましたね。

個人的には、あ、時代が動いてきたな、90年代に入ったんだな・・という感覚はあったな。

もっとも、1991年といえば、ちょうど今頃は、「東京ラブストーリー」主題歌の小田和正氏「ラブ・ストーリーは突然に」が超バカ売れしてたし、 夏には「101回目のプロポーズ」主題歌のチャゲアス「SAY YES」と、フジの月9主題歌の超ド級ヒットに湧いた年だった。 そんなブームの陰に隠れてしまっている感があるけど、ガールズポップと言うムーブメントも確実に流れ出していた年でもあるんだよね。

ただそういうムーブメントが流れ出していたものの、まだ確実に「実」をつけていたわけではないんだけどね。

たしかにこの「Good-bye My Loneliness」ではオリコン最高9位とデビュー曲としては申し分ないヒットと言えなくもないけど、その後の大ブレイクからみると、まだまだ物足りなさを感じるわけでさ。

ZARDが「眠れない夜を抱いて」で、平松愛理さんが「部屋とYシャツと私」で共に大ブレイクするまでは、この時点から、まだ1年余り待たなくてはいけないわけで。。。。





うわっ、今聴くと、なんか新鮮。
・・というのも、じつは、ワタシ、この曲の音源未だに持ってないんですわ

↑で書いたように、ヒット当時、なかなかCD借りられないでいて、ずっとそのままになっちゃっているんだよな、30年も。。

たとえば、今だったらサブスクリプションでいつでも聴けるようになったわけなんだけども、どうも、いつでも聴ける、音源が手に入るようになると、逆に、いつでもいいや・・・っていう気になっちゃったりしてね。 ・・・で、30年が過ぎた・・と。

今、改めて聴くと、イントロがポリスの「見つめていたい(Every Breath You Take)」だな・・・・とか、新たな発見があったりしてね。
・・・というか、ネット調べると、タイアップドラマのプロデューサーであった亀山千広氏の要望でこうなったという確信犯だったようですね。


坂井さんのボーカルも、まだまだ初々しい。
坂井さんのボーカルは、その後もずっと変わらない・・・っていう認識でいたけど、それでも、後年の堂が入ったボーカルとは明らかに違うな。
ただ、コーラスで参加していたという、大黒摩季、姐さんは、よくわかんなかったですね。

なにより1993年頃には辟易していたビーイング系のサウンドも、この頃はまだ新鮮でしたねぇ。

2007年に40歳という若さで亡くなった坂井泉水さん。もし今も生きていれば、つい先日54歳になったばかりだったはず。。。。。



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太陽の行方 / ribbon

1995_03_太陽の行方_ribbon


今回の1曲セレクトは、「太陽の行方」ribbonです。

まずはデータなのだ〜

・タイトル     太陽の行方
・アーティスト   ribbon
・作詞       原真弓
・作曲       清岡千穂
・編曲       西脇辰弥
・リリース日     1991年3月3日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数  5.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

久々に、なんの予定のない「休日」
・・・ということで、久々に「真昼間」から1曲セレクトを書いてるワタシだったりして。。。

今回は「アイドル」の曲を持って来たい・・・っていうのがちょっと前から頭にあって、さていつ書くか・・・なんて、時を測ってたりしたんだけど、丁度お誂え向きでしたね。

その曲というのが ribbon「太陽の行方」 

さざーん

ってか、果たしてこの曲をどくらいの方が覚えているのか・・・っていうのは全く持って自信が無いんだよなぁ。

「この曲をどの位の方が覚えているのか」・・・っちゅうのも、ココのところの1曲セレクト書く時の「常套句」になって来ちゃってるけど、この曲はホント自信ない。

まあ、タイトルを見て、このページにアクセスしてくださってる方は、少なからず「あの曲だ〜」ってことでアクセスしてくださってるんだと思うんで、そのつもりで書こうかと思うんだけど。

この曲、最初に聴いた時はぶったまげたんだよな。 

サルサ歌謡。

ラテン系のサルサのリズムにのっかってアイドルポップスを歌う・・・っちゅう。 なんちゅうミスマッチな組み合わせ。

もちろん、それまでのアイドルポップスにゃ、こんな曲は無かった・・・・ような気がする。

それ以前にリズムを重視した、もろダンス系の女性アイドルポップっていうのも当時はそれほど多くは無かったんだよね。
もちろん、荻野目洋子やWinkなど、ユーロビート系やディスコ系はあったものの、少なくともラテンのリズムにノッカッたアイドルポップスっていうのはあんまり記憶にない。
しかしも、サルサって言うのもな。

その代わり、かなり「ゴーイン」な作りだったんだよな。この曲。

まずもって、バックのサルサのリズムと、メロディラインがシンクロしていないんだよね。

意外とゆったり流れるメロディラインに対して、バックのサルサのリズム、特にAメロなんかずれまくりだったりしてさ。

ホント、初めの頃は、「なんじゃこりゃ」って思ったもんなぁ。 

まちがって録音したんじゃねぇの とかさ

いつかも書いたかと思うんだけど、この曲がリリースされた90〜91年頃、ラジオのニッポン放送の交通情報って、バックでアイドルの曲が流れてたんだよ。

もち、フジサンケイグループのニッポン放送だから、同じフジサンケイの「ポニキャ」(ポニーキャニオン)のアイドルばっかだったんだけどさ。

そんな訳で、このribbonもバンバン流れてたし、もちろん、この「太陽の行方」もめっちゃ流れてたんだよな。
交通情報だからさぁ、朝夕なんか1時間に何回もやるじゃん。その度にこの曲が流れてくるんだもの。。。FMのヘビーローテーション以上の頻度ですよ。 それが毎日でしょ

当時、FMが入らず、カーステもヘッドがダメになっててカセットも聴けず、サーモスタットが壊れててクーラー入れるとオーバーヒートしちゃうようなボロいカローラ�兇望茲辰討織錺織靴磧⇒蠅澆旅砲�AMだけだったんで、そりゃ、もう何回も聴いたよな、この曲。

で、その度に、メロディとバックのサルサのリズムがずれまくってるこの曲に違和感を感じちゃったりしてさ

いやでも覚えちゃったもんなぁ。

もう、体に染みついちゃってる感じで、この曲を聴くと、そんなボロいカローラ�兇捻鷯茲蠅靴討榛△鮖廚そ个垢鵑世茲福� 当時はまだ大学。春休みで暇だったんで、時間だけは余ってたからなぁ、あの頃。

ただ、この頃のアイドルポップスって、この曲のようにリズム的にはちょっと変わった傾向に走ったようなキライはある。
例えば、田村英里子の「誘惑のチャチャ」は同じくラテンのマンボ系だったし、和久井映見の「アキラが可哀想」は4ビートなジャズ・・・と変則的なリズムを強調した曲が多かったのも91年のアイドルポップスの特徴だったかもしれない。

普通なアイドルポップスじゃ売れない・・・っていうのが作り手の方も身に染みて来てたのかもしれない。 
それでも、強力なカンフル剤にはならなかったっていうのは、時代が証明してるんだけどさ。



それにしても、この曲の5.8万枚っていうオリコン公式の売り上げ枚数が、ribbonにとってデビュー曲の「リトルデイト」に次ぐ売り上げだったんだよね。 これって意外かなぁ

↑で、なんか変な曲・・・って書いた割には、そこそこ売れてたんで個人的には意外だったんだけどなぁ。。。 まあ、どの曲も売り上げ的にはドングリの背比べ的ではあったけど。。。。

ただ、ランキング的には、それまでの4枚はいずれもベストテン入りしてたのに対して、この曲からはベストテン入りならず。 まあ、ベストテン入りと言っても、4枚いずれともベストテン下位ギリギリでのベストテン入りだった訳で、いわいる「大ヒット」と言うような曲は持っていなかったribbon。

その辺りからも、「アイドル冬の時代」って言われてた当時のヒット曲トレンドがよく分かるよな。 

当時はロック・ニューミュージックな時代だったからねぇ。 91年〜92年頃って言うのはアイドルポップスにとってはもっとも「氷河期」だったころだ。

後に国民的アイドルとなるSMAPがデビューしたのも91年だけど、さしものSMAPもデビュー後1〜2年は目立って売れてなかったからねぇ。 そんなところからも当時の音楽のトレンドが見て取れる訳ですわな。

結局さ、80年代型アイドルっていう「くびき」が取れないまま90年代に突入したっていうのが一番のネックだったんだろう。ribbonにしてもそうだったじゃん。
時代は90年代に入り音楽のトレンドも変わりつつあったっていうのにさ。

そんな80年代型っていうくびきが取れ、90年代型の新しい形の「アイドル」が登場するのは、もう2〜3年後になる。



それにしてもribbonの3人は、そこそこ「ウタ」うまかったんだな。
当時は、そんな感じ無かったんだけども。
声の発音の仕方が意外としっかりしてる。
普通アイドルのコたちって、発音がきちんとしてない事が多いじゃん。だから、何歌ってんだか歌詞が聴きとりにくい事も多い。
このコたち(っちゅうか、もういいお年ですねぇ3人とも)はキチンとしてたねぇ。

ちなみに、松野有里巳がよかったな。個人的に。


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ヒゲとボイン / ユニコーン

1991_11_ヒゲとボイン_ユニコーン


今回の1曲セレクトは「ヒゲとボイン」ユニコーンです。

まずはデータです。

・タイトル    ヒゲとボイン
・アーティスト   ユニコーン
・作詞      奥田民生
・作曲      奥田民生
・編曲      ユニコーン
・リリース日   1991年10月25日
・発売元     ソニーレコーズ
・オリコン最高位 23位
・売上げ枚数  5.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 30位

またまた、「2週間ぶり」 の1曲セレクトです
あー、やっとここまで来れた・・・。そんな気分ですねぇ。 ずっと書こう書こう・・と気ばっかり焦って、いざPCの前に座ると、「ま、明日でいいか・・・」ってなんて萎え萎えになること2週間。
ようやく、ここまで筆を進めてきましたわ。

どうもねぇ、「書かなきゃ」っちゅうのも強迫観念のようにもなってきてるんだよなぁ。 なら、ちょっと時間を置けばいいのに・・・とも思うんだけど、ブログのアクセス数の変化を見ると「書かなきゃ」って言う気分にもなる。
だから、ネットっちゅうのは「麻薬」なんだよなぁ。こうやって中毒になる訳ですわ。
まあ、自分のサイトを開設して以来19年。 ずっとそんな感じなんだけども。。。

さてさて、いつもながら今回なに書くべーな、と悩んで絞り出してきたのが、この曲。

ユニコーン「ヒゲとボイン」。

変なタイトル・・・っちゅうのは、まあ、リリース当時から感じていた訳だど、Wikipediaらよると小島功氏のマンガ「ヒゲとボイン」からとったわけね。 その関係で、この曲のシングルのジャケ写も、小島功氏の「ヒゲとボイン」のイラストになっていね訳ですわね。

タイトルも変だけど、歌詞の内容も変なの・・・とか思ったなぁ

ユニコーンのシングルって、「会社」物・・・っちゅうかサラリーマン物が多いじゃん。 ブレイク曲の「大迷惑」にしかり、「働く男」にしかり。

なんちゅうのかな、そそそ最近で言えば「サラリーマン川柳」ですよね。 サラリーマンの悲哀な曲。

その中でも、一番分かりやすかったのが、この「ヒゲとボイン」でしたね。

曲調とメロディラインが、一番分かりやすい・・・というか、キャッチーなんだよ、だから、歌詞の内容がスッと入ってくる。

ただ、そうであるが故、「なんじゃこれ」感が、それまでの2曲に比べると、いっそう深くなる。

そんな感じだったかなぁ。

ま、兎も角、個人的には、リリース当時、どうにも気になる1曲だったんだよなぁ、この曲。

それまでユニコーンってなんとなくキライだったの。 ・・・というか、あんとき、平成初期のバンドブームでブレイクしてきたヒトたちって、どうも好きになれなかった。

お茶らけてて、歌詞も表層の部分だけで深みも感じられないものが多かったし。なにより煩いのがね。ただノレれば良い・・・って感じだったじゃん、あの時のバンドブームって。 まあ、それは今でもたいして変化は無いのだけれど。。。

だからね、この曲の前までは、積極的には聴いて無かった。 ラジオで流れてきて「変な曲・・・」で素通りしちゃったんだよな。 つまりは引っかかりもしなかったんだよな、当時のワタシの中では。

それでも、この曲は引っかかった。

タイトルも、歌詞の内容もそうなんだけど、サウンドとメロディだよね。 

特にイントロのインパクトもそうだけど、♪ ああ  男には〜 ♪ って言うサビのメロディラインだよね。 

なんだ、この壮大さと、キャッチーさは

以前も何回書いたけど、ワタシ、この当時、千葉中央局で郵便物振り分けの夜間バイトをやってたんだけど、一晩中、ポータブルのラジオから FMが流れてるような環境だった。

よくかかったんだ、この曲。 ヘビロテになってたのかいな・・・と思うくらい。

その度に、この曲のイントロとサビに引っかかっては、壮大な風景を夢想してたりしたな。 

なんかさ、宇宙的規模な壮大な儚さを感じちゃったりするんだよ、この曲。

それと、ヒゲとボインってどういう関係があるの? っていう表層の部分で一見、なんの関係も無さそうなところがこの曲の面白さなんだろうねぇ。

ただ、♪ ああ 男にはつらくて長い二つの道が ああ永遠に深いテーマさ〜 ♪ っていうサビの歌詞、深層的なところでは、宇宙規模的な儚さを表しているんだろうな・・

まあ、勝手に解釈すると・・・だけど。。。


それより、なにより、当時、この曲を聴くたびに、 タイトル、歌詞以上に、なーんか引っかかったんだよなぁ。
「うーむ、この曲」のこの感じどっかで聴いた事があるよな・・・。 

・・ってところから、この曲の「下敷き」がある事に気がついたんだけども、その元曲が思い出せなかった。

・・・って言う事をずーっと引きずったまま10数年。 ドラマ「電車男」でこの謎が解けたんだよな。

そそそ、「電車男」の主題歌だった Electric Light Orchestraの「Twilight」、これなんじゃん。。。

↓ コレ


この宇宙的壮大さ儚さ。・・・というか、イントロから、サビから「お借りしました〜」ってくらい、まんまなんたけどさ。。。

Electric Light Orchestraの「Twilight」は81年リリースだから、当然91年リリースの「ヒゲとボイン」の頃はすでにあった。

いや、「Twilight」も、それ以前に聴いた事はあった。それなりに引っかかってた。

Vagelisの「Chariots of Fire(炎のランナーテーマ曲)のように、宇宙的な規模感を感じるような、当時の壮大な「エレクトロミュージック」って好きだったんだよ、個人的に。 

でも、当時、洋楽にはとんと疎かったワタシにゃ、結びつかなかったんだよなぁ。

それにしても奥田民生ってヒトは「E.L.O」好きなんだよね。 この曲を皮切りに 自らプロデュースしたPuffyの「アジアの純真」もE.L.Oだもんね。 ユニコーンの活動休止前のラストシングルとなった「すばらしい日々」も、メロディラインは言うまでもなくエフェクトのかけ方とか系統的にはそんな感じだったしな。



うーむ、今改めて聴くと、たしかに表層的には「E.L.O」だけど、間奏部のエフェクトをかけたボーカルは、Y.M.Oの「Behind Mask」だし、最後のInst部分もY.M.Oっぽいなぁ。
さしずめ80年代の日英、エレクトロミュージックの共演ってところか。
超大げさに書くと。。

ところで、この動画は2009年の武道館ライブのものだけど、音はカラオケ
ドラムの川西氏、スネア叩いて無いのにスネアの音すっぞ〜


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アキラが可哀想 / 和久井映見

1991_07_アキラが可哀想_和久井映見


今回の1曲セレクトは、「アキラが可哀想」和久井映見です。

まずはデータです。

・タイトル    アキラが可哀想
・アーティスト  和久井映見
・作詞      康珍化
・作曲      小倉博和
・編曲      門倉聡
・リリース日   1991年7月1日
・発売元     ポリスター
・オリコン最高位 39位
・売上げ枚数  1.6万枚

「秀樹」効果・・といいますか、西城秀樹氏が亡くなった直後にアクセス数が急激に増えた「1曲セレクト」ですが、それも一時、最近はあの時に比べたら、アクセス数も大分落ち着いてきた感じですねぇ。

まあ、最近は週に1〜2曲書くか書かないか・・・って言う更新頻度も少ないしさ。そうなるのも、当然かなぁ・・・なんて、長年ネットサイトを運営していると当たり前のように思えたりするんだけど。。

いや、それ以前に、最近書く曲がちょっとマニアックに走ってるかなぁ・・というキライも否めない。 うん、いわいる「大ヒット」した曲は大分書いて無い気がする。。。といっても、特に80年代、大ヒットと言われた曲は、演歌以外は、もうほとんど書きつくしちゃったんでねぇ・・・。

・・と言ってて何なんですが、今回セレクトしてきた曲も大分マニアックな曲になっちゃったなぁ・・・。


和久井映見 「アキラが可哀想」

この曲、覚えてらっしゃる方、どのくらいいるんかなぁ・・・。それ以前にヒット当時聴いてた方すら、あんまり居ないかもしれない。

オリコン最高位39位と、一応の「左ページ」には入ったものの。売り上げ枚数が1.6万枚ですからねぇ・・・。 ベスト100にも僅かに3週間しかランクされていない。

CDの普及で相対的な売り上げ枚数が急激な右肩上がりに差し掛かって来た91年当時、売り上げ1.6万枚なんてさあ、全く売れなかったのと等しかったし。。。

いわいる「ヒット曲」と呼ばれる曲を主にターゲットに長年追い続けているワタシだったりするわけで、この程度の売り上げの曲は、通常だったらターゲットに聴いたりする事って殆ど無いんだよな。

いや、本来だったら、この曲も全く耳にしないで終わっちゃっていただろうと思う。

でも、知ってるんだよね、 しかも手元に8cmのシングルCDもあったりする。

なぜ?

1991年夏。 まだ大学生だったワタシゃ、夏休み終わりに北海道旅行に行こうと思っててさ、それまでの2カ月はバイトに明け暮れてたんだよねぇ。

場所は千葉中央郵便局。いわいる郵便物の「仕分け」作業のバイト。なんかジミーなバイトだったけど、深夜勤務だったんで時給は良くてさ、一晩働いて残業1〜2時間やれば日給1万越えてたな、この当時。
学生にとっては比較的割がいいバイトだったと思う。 逆に昼間は睡魔で辛いんで休みの時しかできなかったけど。。

でさ、深夜勤だったんで、当然職員はあんまり居なかったし、夜中で眠くなるんで、誰かがポータブルのラジオ持ちこんで来てて、一晩中ラジオが流れてたんだよね。 

大体はbay fmだったな。それか午前3時過ぎるとオールナイトニッポン第2部。

で、さあbay fmで、今回引っ張って来た「アキラが可哀想」が、まあ、良くかかったんだよな。いわいるヘビーローテーションってやつで。。。

そんな訳で、自然と覚えちゃったんだよ、この曲。

初めは、和久井映見さんが歌ってるってことすら知らないで、「だれ? これ?」って感じだったんたけど。。。でも、ジャジーロックっうのかな、4ビートな曲調がなんか斬新だったんだよな。 当時、このテのジャジーな曲って、少なくともヒット曲路線では少なかったしさ。

あ、いや、そう言えば、この曲の2年前の少年隊の「まいったね、今夜」は、これに近い路線だったか。ビッグバンド風4ビートで。 でも、そのくらいだったんじゃないかな。

ましてや、アイドル路線なんかじゃさ、まず聴かなかったしな。。。  だから、・・と言う訳でもないんだろうけど、徐々にこの曲に嵌まっちゃったワタシが居たりしてさ。
バイト現場で、早くこの曲かかれ・・・なんて思うようになっちゃったり。。。


今のアイドル・・とくに女性アイドルでは、この手のある種特殊な緊張がある曲はほぼ絶滅って感じだよな。 最近は本当に毒が無い感じだものアイドルの曲って。 安心感があると言うか。。。

まあ、アイドルの曲に安心感がある曲が多いっていのうのは今に始まった事ではなく昔からあるんだけどさ。
ただ、アイドル「冬の時代」と言われた、この91年頃っていうのは、逆に結構斬新な曲も多かったのよ。

うん、リズム的に斬新だったっていうのかな。 ribbornの「太陽の行方」はサルサ、田村英里子の「誘惑のチャチャ」はラテン・・・って感じでさ。 ただ、いずれも大ヒットとは呼べない曲だったんたけどさ。 
兎に角、普通にやってたんじゃ売れない時代だったからさアイドルは。 いろいろと試行錯誤したんだろうねぇ。
この系統の曲はそれなりにインパクトはあったんだけどね。

リズム的に斬新なインパクトがあって、しかも大ヒットしたっていのうは、ミポリンの「Rosa」ぐらいだったんじゃないかなぁ。

そんな当時の斬新系なアイドル曲のひとつが、この曲だったかもしれない。

うーむ、今でこそ女優で「母親」役っていうのが定番になっちゃった、和久井映見さんも、当時はアイドル路線だったんだよね。 ただ、当時から大人っぽかったことは大人っぽかった。 たしか年はワタシより1つ下なんだけどさ、どう見ても年上に見えたもの。





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ALONE / B'z

1991_12_ALONE_B'z


今回の1曲セレクトは、「ALONE」B'zです。

まずはデータです。

・タイトル     ALONE
・アーティスト   B'z
・作詞       稲葉浩志
・作曲       松本孝弘
・編曲       松本孝弘 明石昌夫
・リリース日    1991年10月30日
・発売元      BMGビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   112.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1991年11月11日〜1992年1月20日付
・タイアップ:関西テレビ系ドラマ「ホテルウーマン」主題歌


やっぱりというか、昨日書いた上戸彩さんの「ウソツキ」は、今一つ反応が悪かったですな。
90年代以前の曲では、いつもそこそこのアクセスをいただいている1曲セレクト、、そろそろ2000年代の曲も本格的に書いていきたいと思っているんですが、なかなか難しいですねぇ。

やっぱり、2000年代以降の曲は、みんなで聴く・・というよりは、よりパーソナルになり、ホント知ってる人しか知らない曲が多くなっている事で、今なっては知ってる人しか知らないっていうのが、なかなかアクセスとして伸びない理由なんだろうねぇ。

そんなこともありーの、今回は90年代に遡りますわ。

B'z  「ALONE」

うーむ、B'zなんて書くの、めっちゃ久しぶりなんですけど。。。 個人的に、B'zの曲、大好きかっていうと、正直言えば、曲によるんだよね。好き嫌いがはっきりしてるっちゅうのかなぁ

 B'zに関しては、個人的に昔いろいろありましたからね。 そそそ、例の「今夜月の見える〜」でのリリース「逃げ」事件とか  それによって、掲示板(BBS)が「炎上」した事があったりさ。
それもこれも、B'zの1位連続記録ってのが、発端ではあるんだけど。 いやね、オリコンでの1位連続記録が途切れないんでねぇ、飽きちゃってたんだよね、個人的には。 特に2000年代以降は。。

個人的にはB'zは、95年くらいまでなんだよなぁ。 95年の「LOVE PHANTOM」。この曲で完全に昇華しちゃってるんだよね。だから、その後はどの曲も一緒・・・なんて書くから「炎上」しちゃうんだよな

でもね、それ以前はキライじゃなかったんだよ。90年の「Easy Come Easy Go」からは毎曲音源も買ってたしさ。 

ただね、そうは言っても、最初、「太陽のKomachi Angel」でブレイクしてきた時は胡散臭かった。 どう聴いてもTM NETWORKの二番煎じって感じで。。。

ま、ギターの松本孝弘氏は、昔TM NETWORKのサポートメンバーとしてギターを弾いてた訳でさ。
そそそ正式メンバーでギターの木根尚登氏が「ギター」弾けなかったからさ

そんなわけで、初期のB'zがTM NETWORKの二番煎じっぽくなるのも無理は無かったのかもしれないけどさぁ。

そんな「TM臭」を感じ無くなった最初の曲が、今回の「ALONE」ぢゃなかったかなぁ。 まあ、次の「BLOWIN」で、再度 TMにコミットしたような曲に戻るわけで、だから「TM臭」が完全に無くなった訳ではなかったんだけど。

確かに、ロックバラード調の曲には、最初、驚いたけどさ。

けど、なるほど、本当はこういう事がやりたかったんだな・・・っていうのは理解できたし、後年にわたる本来の「B'z」を見せてくれた最初のシングルだったんだよね、この曲が。

ただ、前曲の「LADY NAVIGATION」で見せて来ていた、ポップで、それこそTMっぽい曲に慣れて来ていた身としては、初めは、今一つ取っつきにくかったんだけどさ。

それでも、なんていうのか、アメリカ南部を彷彿させる様な、骨太のサウスロックは、個人的にも嫌いじゃなかったんでね、馴染むのも早かったような気がする。

それよりも何よりも、この曲を吸収できたことで、完全に80年代と決別できたような気がしたんだよなぁ。これからが本当の90年代だ〜。そんな気分になれたんだよね。 だってさ、この曲の前の1位が長渕剛氏の「しゃぼん玉」で、その前がチャゲアスの「SAY YES」で・・・って感じで、80年代を引きずっているような感じだったんですよ。アーティストの顔ぶれ的にも、曲調的にも。

でもB'zはブレイクが前年の90年だったし、この「ALONE」なんかは曲調的にも80年代の、少なくとも邦楽ヒットを引きずったような感じではなかったからさ。まあ洋楽的に見れば全然新しいサウンドでは無かったけど、邦楽では、この手のサウンドって少なくともヒット曲としてはなかったからさ。

そんな意味で、本当の意味で新たに90年代がスタートした・・・そんな気分になれた1曲なんだよな、この「ALONE」って曲は。




それにしても、この曲を聴くと、当時、しょっちゅうやってたボーリング場とカラオケボックスの匂いを感じるんだよなぁ。当時はまだ大学生。
あの頃は、ボーリング良くやってたからなぁ。 ボーリングの後は、朝までオールでカラオケって言うのがお決まりのコース。
・・・と言っても途中で声が出なくなって、朝4時ごろカラオケ屋出て、「マイアミ」なんかの深夜営業の喫茶店で一番電車を待つのが定番だった。 深夜割り増しで1杯1000円位もする、「ぼったくりかよ」なんて思えるコーヒー頼んだりしたりしてさ。

中島みゆきの「悪女」の一節ぢゃないけど、 ♪ 夜明けを待って 一番電車 凍えて帰れば〜 ♪の世界ですよ。

そそそ、この曲を聴くと、その頃の光景がフラッシュバックするんだよな。 辛い事なんかまるで考えてなかったあの頃の自分が甦ってきたりしてさ。。。いい時代だったよな。



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かじやん