かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1990年

夜明けのブレス / チェッカーズ

1990_07_夜明けノブレス_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは、「夜明けのブレス」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル     夜明けのブレス
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       藤井郁弥
・作曲       鶴久政治
・編曲       THE CHECKERS FAM.
・リリース日    1990年6月21日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    28.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1990年7月2日〜8月13日付
・タイアップ:映画「タスマニア物語」キャンペーンソング

元チェッカーズのフミヤこと「藤井郁弥」氏も今週7/11で60才「還暦」になられたということで。。。
えーって感じだよなぁ。
フミヤまで「赤いちゃんちゃんこ」を羽織る年齢になっちゃったか・・・ってことで。
ちょっと衝撃。

そりゃ、こっちも年取るはずだよな。。。

1984年、折からのチェッカーズ旋風で、フミヤの、前髪垂らす「チェッカーズ」カットにあこがれてた、中3のころ。 
個人的な意識では、つい最近の出来事だったようなイメージがあるんだけども、冷静に考えると、あれから38年も経ってるんだよな。。。。

ロスアンゼルス五輪も遠くなりにけり・・・・だよなぁ。

そんなようなネット記事が、7/11に数多く上がっていたんで、本当は11日当日に、この曲を書こうかと思ったんだけども、ついつい遅くなってしもうた。


チェッカーズ「夜明けのブレス」

この曲は、あのチェッカーズ旋風だった1984年から6年後、1990年のリリースの曲だ。

その間、いわいる売野、芹澤コンビの曲提供を脱し、自分たちで曲を作るようになりましたね。
自分たちで曲を作るようになったのが、86年10月リリースの「NANA」だから、それからも4年が経とうとしていた頃だ。

その間何が変わったか・・・。 一番の変化は、80年代から90年代になったということだろうなぁ。。。

まあ、文字で書いてしまえば、なんてことない違いだけども、こと音楽、ヒット曲に関して言えば、
80年代から「1990年」への変化は、やっぱり、大きかったと思う。

時代の空気感っていうんですかねぇ。 1990年に入った途端、どことなく80年代とは違った空気感を感じたな。 個人的には。

そもそも、90年に入って、ヒットチャート、ことにベストテン入りしてきている顔ぶれも変わってきましたからねぇ。 LINDBERG、ドリカム、B'z、 ま、いずれも80年代終盤にデビューはしていたものの、1990年に本格ブレイクをしてきた面々だ。

その他、たま、ジッタリンジン、などのいわいる「イカ天」系バンドの躍進・・と。

ここに、ビーイング系ブームの先駆けてして、B・Bクイーンズ「おどるポンポコリン」の大ヒットと。

少なくとも、前年89年とは、ヒットチャート上位の顔ぶれも大分変化してきていたわけなんだよね。

時代の空気の変化を感じたのは、そんなヒットチャート上のアーティストの顔ぶれの変化という所が、やっぱり、大きかったんだろうね。


そんな時代の変化の中、今回のチェッカーズ「夜明けはブレス」リリースされたわけで。

個人的に初めてこの曲を聴いたのはいつだったろう? はっきりとは覚えていないけど、初めて聴いて真っ先に思ったのは「時代からズレている」っていう感覚だったなぁ。


曲としては、申し分ないくらいの佳曲だったと思う。 
隙の無い、キャッチーなメロディライン。ミディアムバラードだけど、メジャー系のミディアムバラードは、それまでのチェッカーズのシングルではあんまり前例がなかったんではないか。
それだけに新鮮味はあった


ただなぁ、曲想が1986年の・・・っていうイメージだったんだよなぁ。

つまりさ、80年代のチェッカーズ全盛に近い頃の・・っていうイメージの曲なのよ。

売野、芹澤コンビの「Song for U.S.A」がミディアムバラードといってよいのであれば、あの曲のような曲想な感じてしまう。

まあ実際的にメロディラインは全然違うんだけども・・・。曲を聴いたときに浮かんでくる風景だとか・・空気感だとか・・。 そういう曲想だよね。

それが、どうも1990年・夏 ではなく 1986年・夏 ないイメージなんだよなぁ。

最近の夏は猛暑っていうのがデフォルトになっているんで、全然ピンとこないけど、1990年夏は猛暑でさ。
太陽を感じさせる、黄色、白、あるいはクーラー下で涼んている清涼感を連想させるような「透明」が、この年の夏のヒット曲のイメージなんだけども、 この「夜明けのブレス」は、そういうイメージがなかったからねぇ。

だからなんだろうね。どうしても、この曲については、アナクロなイメージを感じてしまい、当時は、今一つ触手が伸びなかったんだよね。個人的には。

だから何だうろけどさ、この曲が、オリコン2位。 売上げ30万近くまでに達する大ヒットになったのは、個人的には違和感だったんだよなぁ。。。

なんせ、「NANA」以降、メンバーだけで作詞、作曲するようになってから、この時点では最高売上げを記録したわけだから。。。 余計違和感だったのよ。
(最終的には、解散時の最後のシングル「Present for you」の36万枚が、メンバーだけでの作詞・作曲シングルでの最高売り上げ)

もしもだけどさ、「NANA」以降、この曲に至るまでの約4年、確かにベストテン内を外すことは無かったけど、それ以前の売り上げからみると、今一つだったわけでさ。
敢えて、「NANA」以前のチェッカーズをイメージしてのこの曲となった・・・ということはさすがに無ないよなぁ。。。 
もし意図的に売野、芹澤コンビ時代の曲想をイメージして・・・というのであれば、それはそれで才能があるなと思うんだけどさ。


いずれにしても、アナクロなイメージ云々というよりも、曲の良さが勝ってっことなんだろうけどね、この売り上げ枚数は。

いやいや、wikipediaによると、同時期にフミヤの結婚があり・・・とあるので、その影響も大きかったのかもな。

もちろん、今は、あの当時に感じた違和感はない。むしろ、当時聴いてなかった分、新鮮に聴けますね。。
ようやっと、この曲の良さも分かってきたところですわ。





ところで、初めのフミヤの還暦から、チェッカーズ再結成について大分言及されていたようだけども、まあ、まずないんだろうね。
ネットニュースにもあったように、ドラムのクロベエ亡きあとの、チェッカーズ再結成はあり得ないというのは、フミヤの本音だろうし。

ファンも、BOOWYとチェッカーズは再結成して欲しくないという声も多いようだからね。
ファン心理としてもこのまま、80年代のままのチェッカーズでいて欲しいってことなんだろうな。

まあ、今は、ようつべがあるから、いつでも当時のチェッカーズを見れるからなぁ。。


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ZUTTO / 永井真理子

1990_11_ZUTTO_永井真理子


今回の1曲セレクトは、「ZUTTO」永井真理子です。

まずはデータです。

・タイトル    ZUTTO
・アーティスト  永井真理子
・作詞      亜伊林
・作曲      藤井宏一
・編曲      根岸貴幸
・リリース日   1990年10月24日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   54.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1990年11月12日〜1991年2月11日付
・タイアップ:フジテレビ系「邦ちゃんのやまだつてないテレビ」エンディングテーマ


この間から、書こう書こうと思って、なかなか筆が進まない曲がある。
自分では、理解していたつもりなんだけど、いざレビュろうと思うと、なかなか頭の中で整理が付かない。
結局は、まだ消化しきれていないんだろうな・・・。

それが今回引っ張ってきた曲。永井真理子さんの「ZUTTO」。

この曲は、今から31年前 1990年のちょうど今頃のロングヒット。 そして永井真理子さんにとっての最大のヒットでしたわね。

まあ、あの時代大人気だった、フジテレビ系バラエティ「邦ちゃんのやまだつてないテレビ」のエンディングテーマだったことも大きかったんだろうね。

なんせ、この曲と、ほぼ同時にこの番組からKANの「愛は勝つ」なんていう、ダブルミリオンが出たくらいだから、あの頃の番組の人気がうかがえる。

それなのにいまだに消化しきれていないっていうのは、31年前の今頃、個人的にあんまり真剣にヒット曲聴いてなかったっていうのもあるんだろうな。

31年前の今頃と言えば、大学1年の秋。大学生活も落ち着いてきて、ちょうど千葉の中央郵便局で深夜の仕分けのバイトを始めたころだ。
・・・それとともに、半ば昼夜逆転の生活サイクルになり始めた頃かなぁ。

朝方寝て、昼から学校に行って、夜バイト・・・なんていう生活サイクルの中で、ヒット曲まで頭が回んなかったんだよな、あの頃。

ただ、バイト先では、夜中ずっとラジオが流れてたんだよな。 覚えているのは3時ごろまで地元のbay fmで、3時過ぎるとオールナイトニッポンの2部が流れてた。
水曜日の真璃子さんと、木曜日の渡瀬マキさんのオールナイトは、よく覚えてますわ。

そんな真璃子さんとは、今facebookでつながっていたりして、なんか不思議な感覚なんだけどさ。

ただ、今回引っ張ってきた、永井真理子さんの「ZUTTO」も、あの頃よくラジオでかかってたんだよ。

だから、この曲を聴くと、あの時のバイトの風景がフラッシュバックするし、自分の中で消化していたつもりだったんだけどなぁ・・・。


ただ、今から思うと、音源はずっと手元に持ってなかったのね。 もちろん、今は、手元に音源持ってるけど。。。

なんせ31年前の事なんで記憶が不鮮明なんだけども、結局は、手元に音源を置いておきたいと思う程は刺さらなかったのかもしれない、当時は。

確かに、あの当時、この曲のようなミディアムバラード系の曲には、あまり触手が伸びなかった。

この曲だけでなく、同じごろヒットしていた森高千里さんの「雨」。この曲も当時の森高さんにしては珍しく、同じような正統派のミディアムバラードだったけど、触手が伸びなかったし、辛島美登里さんの「サイレントイブ」にも触手が伸びなかった。

うーん、どうなんだろうねぇ。

考えてみれば、当時のカラオケブームというのが、一つのネックになっていたのかもしれないな。

この手のミディアムバラードの曲って、あのころ、みんな競うように歌ってたじゃない? いや、みんなに歌われていたからこそ、ヒットしていたわけでさ。

そそそ、あの頃は、ヒットの最大の条件は、カラオケで歌われることだったからさあ。
その一番の条件として、キャッチーなミディアムバラードだったんだよね。

なんか業界の戦略に乗せられているような気がしてさあ。
天邪鬼なワタシは、そんな風潮に背を向けて、だから、あんまり積極的に聴けなかったのかもしれないな。

ただ、これを書くにあたって、譜面を見ながら再度聴いてみた。

たしかに、サウンド、特にエレピは、いかにも90年代前半な音色なんだよね。
なんていうのかなぁ、オルゴールのようなチャイムのようなコロンとした音色。 うーん、うまく言葉で言い表せないけど、最近だとJRの電車接近チャイムで使われているような。
そんなサウンドからして、紛れもなく90年代前半を彷彿とさせる。

ただ、メロディラインだけをとると、どことなく昭和な匂いがするんだよなぁ。

いつかも書いたと思うんだけども、90年代って、92年頃までは昭和へのオマージュなんだよね。全体的なヒット曲の傾向は。

チャゲアス、小田和正、サザン、ユーミン、中島みゆき、浜田省吾、長渕剛・・・・とあの頃のミリオンセラーを見ても、ずらりと「昭和」からの「大御所」アーティストが並んでいるわけで、まだ「平成」という匂いは薄かったわけじゃない?

そもそもこの頃、時代を仕掛けたビーイング系だって、90年のB・Bクーインズからして昭和的だったし、そこから派生したMI-KEは、もろ昭和のオマージュだったわけじゃん。

全体的なヒット曲のメロディラインにしてもしかりだったんだよね。 まあ、その走りは竹内まりやさんの89年の「シングル・アゲイン」あたりだったかもしれないけど。。。


昭和時代のミディアムバラード的なメロディライン。そうね。例えば欧陽菲菲さんの「ラヴ・イズ・オーヴァー」のような・・と言えばわかりやすいかなぁ。 あの手の昭和のエンターテイメント歌謡を彷彿させるような、メロディラインの曲。

それがこの90年あたりから復活しだしたのよ。 いわば平成の「昭和なエンターテイメント歌謡」的な曲。

今回引っ張ってきた「ZUTTO」にしても、そんなメロディラインに近いような気がするんだよね。

その根底は、やっぱりカラオケなんだろうな。

昭和のエンターテイメント歌謡は、飲み屋やスナックでのカラオケが主流だった。 だから、酒の匂いとタバコの匂いがきつかった。 それは大人の匂いでもあった。

90年代前半、カラオケの主流はカラオケボックスに変わった。カラオケと言う文化は同じだったけど、飲み屋から、カラオケボックスに変わったことで、カラオケはよりカジュアルになったんだよね。

カジュアルになったカラオケに合わせて、同じミディアムバラードのサウンドもよりカジュアルになった。 それが森高千里さんの「雨」であり、この「ZUTTO」だったんじゃないのかなぁ。

今思うとそんな風にも思えるんだよね。

その後、同じような、平成の「昭和なエンターテイメント歌謡」は、「会いたい」、「最後の雨」、「ロード」と受け継がれ、いずれも大ヒットを記録。
いずれの曲もカラオケではなくてはならない曲という点では共通だったしね。

そんな流れの最後の大ヒットが藤谷美和子・大内義昭の「愛が生まれた日」あたりだったんじゃないかなぁ・・。

でも、これを最後に平成の「昭和なエンターテイメント歌謡」は下火になる。
時は1994年。 結局、これを最後に、ヒット曲界は本当の「平成」の時代に入ったってことだったんじゃないかな・・・と個人的には思うんだよね。





↑では、この曲は昭和歌謡的だ〜・・・と何回も書いちゃったけど、 

♪ あなたがいれた エスプレッソ〜 ♪ っていう歌詞には、新時代・・というか90年代の香りを感じたな。

 少なくとも80年代には、まだエスプレッソと言うコトバは「イマく」なかった・・というか、メジャーじゃなかったよね。
個人的に知らなかっただけかもしれないけど。。。

ちなみに、スタバが日本で初めて出店したのは1992年。この曲の2年後ですわ。
当然、1990年の今頃はエスプレッソもカフェ・ラ・テも、一般的にはまだあまり馴染深い飲み物ではなかったんだよね。カフェ・ラ・テは、カフェ・オ・レだったし。。。



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情熱の薔薇 / THE BLUE HEARTS

1990_08_情熱の薔薇_THE BLUE HEARTS



今回の1曲セレクトは「情熱の薔薇」、THE BLUE HEARTSです。

まずはデータなのだ〜

・タイトル     情熱の薔薇
・アーティスト   THE BLUE HEARTS
・作詞       甲本ヒロト
・作曲       甲本ヒロト
・編曲       THE BLUE HEARTS
・リリース日    1990年7月25日
・発売元      エム・エム・ジー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   51.1万枚
・THE HICHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1990年8月6日〜10月15日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「はいすくーる落書Part2」主題歌

あ〜、あちぃあちぃ。 体がとけちまうよ〜 ・・・なんてボヤいていたのはいつの話か。
昨日までと打って変わって、今日は比較的涼しい1日でしたわな。

こう涼しくなると、あー、そろそろ夏も行ってしまうのか〜、なんて感傷的になったりして

いや、そもそも、個人的な夏は、先週のROCK IN JAPAN終了と共に、半ば行ってしまった・・・ような気分であった訳なんですが。。。

今年の夏フェス、ROCK IN JAPANと、サマソニが共に20周年という節目でしたね。 もうね、「夏フェス」っていうのも、ずっかり日本の夏の風物詩の一つになった感が今更ながらに強いな。

・・・というと、そんじゃ、夏フェスが始まる前はどうだったの? なんて言う方もいらっしゃるかと思うけど、今の夏フェスって言うスタイルではないにしろ、昔から、夏の野外ライブっていうのは、あったんだよね。

まあ、今ほど大規模ではないけど、南こうせつさん主催の「サマーピクニック」なんかは有名だし、それ以前に、中津川のフォークジャンボリーって言うイベントも70年代初頭にはあったわけだし。。。

いずれにしろ、1969年にアメリカで行われた「ウッドストック」がお手本となるイベントではありますな。

ちなみに、1969年のウッドストックの集客数は4日間で延べ40万人と言われているけど、今年のROCK IN JAPANの集客数は5日間で延べ33万人だとか。 わたしもその中の3人なんだけど(3日参戦したんで。。。)

いよいよウッドストックの集客数が見えてきた・・・と主催のロッキン・オンも鼻高々でしたね。 
いやはや、日本の夏フェスも巨大化したもんだ。。。。

だけどさあ、個人的にも約20年にわたって、夏フェスに参戦し続け、いろんなアーティストを見てきたけど、そう考えると、今の夏フェス以前の野外ライブにも参戦して、当時のアーティストを見てきたかったなぁ・・・なんて今更ながら思ったりするんだよな。

今回は、そんな「当時」、野外ライブで見たかったと今になって思う曲を一つ。


THE BLUE HEARTS「情熱の薔薇」。

この曲に限らず、やっぱブルハの野外、90年代当時見たかったよな。。。なんて今更ながら思ったりして

しかしね、この曲を聴くと、どうしても、あのめちゃくちゃ暑かった1990年の夏の日を思い出してしまう。

1990年と言ったら大学に入学した年だ。 この年、オヤジが寮長をしていた、某企業の寮が新しくなって、それまで住んでいたところから移転したんだよな。まあ、近くなんだけど。。。
それまでは、ポロんボロんの「あばら家」という表現がピッタリの建物だったのよ。当然、クーラーなんてなくてさぁ、夏場は扇風機だけでまんじりとした生活を余儀なくされてたんだけど、新装した寮は冷暖房完備。
その上、大学に入って、やることもなくてさあクーラーの下で1日を過ごす夏だったなっていう印象が強い。

たださ、同時に自分用の車も買ったんだよな。ココでも何回か書いた、中古の「カローラ供廖コイツがさあ、カーステのカセットはヘッドがいかれてて聴けない。おまけにサーモスタットもいかれてて、クーラー入れるとすぐオーバーヒートしてしまう・・・っちゅう、まあ、「きかん坊」な輩でね

それでも「学生の身分」で手に入れたマイカーだったんで、文句も言わずに乗り回してたな。

うん、この夏は車を転がしていたか、家の自分の部屋でクーラーに当たっているか・・どっちかの夏だった。

そんなカーステも聴けない「きかん坊」の車では、もっぱらAMラジオを流し、クーラーをかけるとオーバーヒートしちゃうんで、窓を全開にして汗でびしょびしょになりながら千葉県内を走りまわってたなぁ。

そんな時に流れてきたのが、このブルーハーツの「情熱の薔薇」ですわ。 

たしか、初めて聴いたのは、文化放送の「全日本歌謡選抜」だったと思う。

全開の窓から入り込んでくる熱風と、この曲から醸し出される「熱さ」。 この曲を聴くたび、あの時の独特な夏の匂いがいやがおうにも思い出せれるんだよな。

うん、ハードコアな音楽につきものの汗臭さではなく、夏特有のあの匂い。 この曲から感じたのはそんな夏そのものであり、必ずしも不快さは感じなかったな。

この頃になると、それだけ、のちにラウド系と呼ばれるようになるこの手のハードロックにも慣れて来てたんだろうね、個人的にも。
いや、それ以前に、この手の曲が普通にヒットチャートに上がって来るようになったって言う、「大衆音楽」の流れの変化も大きかったんだとろ思う。

一見、単にうっせーだけの音楽も大衆的になったと言うかねぇ。その証拠に、この曲、ベストテン内に2カ月も居座り続けてたんだよな。 これ書くまでワタシもすっかり忘れてたんだけども。。。

これより2〜3年前は、この手のハードロックは単にうっせーだけの音楽にしか感じなかったんだよ。
だから、全然触手が伸びなかったんだけどもね。

まあ、食わず嫌いっていうのもあったんだけどね。 特にブルーハーツなんかはさ、ちゃんと正面から聴いて無かったしな、このヒトたちが出て来て頃は。

完全に意識が変わったのは、やっぱり前年の「TRAIN-TRAIN」だよね。聴けば聴くほど沁みてくる、あの感じ。

それまで聴いてた、いわいるヒット系ロックとは違ったグルーヴ感から沁み込んでくる独特の感じ。そこにある種の新鮮味を感じたってのは大きかったんだろうね、当時の感覚からして。

昭和の時代とは違う、平成って言う新しい時代のグルーヴ感って言うのでしょうかねぇ。 

ま、ハードコアなんていう音楽は必ずしも当時の新しい音楽と言う訳じゃないんだけども、少なくともそれまで自分の中には無かった音楽だったしね、個人的に。


ちなみに、 この「情熱の薔薇」って曲は、曲構成が面白かったのよ。

サビがどこだか分かんない。

まあ、普通にみれば、最後の ♪ 情熱の真っ赤に薔薇を〜 ♪ って部分なんだろうけど、ここ、1回しか歌ってないんだよね。

普通、1番、2番 共に、Aメロ、サビっていうのはある訳なんだけど、この曲は、サビが1回しか歌われない。

いや、Aメロ、Bメロ・・って言う曲構成の区分けっていうのが、無いに等しいんだよね。

言ってみれば、曲全体がサビと言ってもいいような・・・。 

そんな「一筆書き」 な曲の作りが、この曲の面白さの一つかもしれないな。

いや、この曲に限らず、90年頃の曲って、それまでの形式にこだわらない曲って言うのが結構あったんだよ。
ユニコーンなんかもそうだったしね。 「働く男」とかさ。

そんな部分からも90年代って言う新たな時代が見えたような気がするなぁ。



 

これ1992年7月に開催された、「JR東日本」主催の「POP ROCKETs '92」という野外ライブだそうだ。

え?そんなイベントやってたの? ってところなんだけど。。。 うん、個人的には全然覚えてない・・・というか知らなかった。

動画を見ると、時々映る観客に、なぜにワタシがいないんだ・・・なんて思ったりして

当時、ワタシは23才。きっと同年代のヒトたちだよね。 

当時は、野外ライブ・・・どころか、ライブ自体、蚊帳の外だったからなぁ、個人的には。

うーむ、当時から、野外ライブの「面白さ」を知っていれば。。。  そそそ、個人的に野外ライブの面白さを知ったのは、30過ぎだったからなぁ。 20代の頃に野外ライブの面白さを味わっておきたかった。

それを思うと、今の20代のコたちは幸せだよなぁ。 こんなにいろんな巨大夏フェスが毎年開催されてさ。


ちなみに、この時の出演アーティストは、ブルーハーツの他には、DIE IN CRIES、BY-SEXUAL、ユニコーン、LINDBERG、LUNA SEA、LA-PPISH、長澤義塾。

めっちゃ、90年代前半だよなっちゅうメンツだけど。。。

場所は、湯沢町中央野球場だったそうな。。。 なんかジミーなところでやってたのね。。。。

それでも、個人的に、当時、すでに今の感覚だったら、当然ながら参戦してたよな、きっと。。

さすがに、現在はこの野外ライブは存在しないけど、場所から言えば、今のフジロックの前身といってもいいかもしれないな。


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恋はタヒチでアレアレア! / 森口博子

1990_09_恋はタヒチでアレアレア_森口博子

今回の1曲セレクトは、「恋はタヒチでアレアレア!」森口博子です。

まずはデータです。

・タイトル    恋はタヒチでアレアレア!
・アーティスト  森口博子
・作詞      西脇唯
・作曲      西脇唯
・編曲      藤原いくろう
・リリース日   1990年8月21日
・発売元     キング
・オリコン最高位 32位
・売上げ枚数 2.3万枚
・THE HIRCHART HOT30最高位 53位

地方によっては、そろそろ本格的に「秋」めいて来ているところもあるかと思いますが、ここ千葉は、まだまだ夏ですわ。今日も「夏」の日差しが降り注いだ1日となってるしね。
こりは、なかなか「夏の終わりの・・・」って言う感じの曲、まだ引っ張ってこれないわなぁ・・・

っちゅうことで、今回の1曲セレクトも、まだまだ「夏」っぽい1曲を持ってきちゃいました。

森口博子「恋はタヒチでアレアレア!」

うーむ、ちょっとマイナーな曲でしたかねぇ  

一応1990年っちゅう、「90年代」の曲ではあるんだけど、なんせオリコン最高位32位ですからね。

・・というか、これ、今調べて、個人的に意外だったんだけどさ。 オリコン最高位、もう少し上だったよな・・・っていう感覚だったんだよな。
まあ、ベストテン入りしていたとか、そう言うレベルではなく、20位台には居たような感覚なんだけどさ。

それとヒット時期ですねぇ。 前回のミスチルの「シーソーゲーム」も全く同じ事書いたんだけど、ヒット時期ずれて覚えてたんだよな。
リリースは8月21日。 うーむ、8月後半だったか。。。 そう言うイメージが全くないんだよな。

なんせ、ウキウキサンバ調、めっちゃリゾート気分の曲じゃん、この曲。 どうしても、夏の始まりを予感されるような曲だしさぁ。 リリース7月だったよな・・・って言う感覚だったんだよな。

この年、1990年っていうのは、今年同様「酷暑」の夏でさあ。ヒット曲もそれを予感させる様な「夏色」全開っていう色合いの曲が多いんだよな。
アイドル系では、ribbon「あのコによろしく」とか、田村英里子「リバーシブル」、中森明菜「Dear Friend」あたりかなぁ。 とくに明菜「Dear Friend」は、自身のシングルとして初の「メジャー」展開の曲だったしさ。

ただ、「夏色全開」といっても、昨今のような汗まみれの・・・って言うようなイメージではない。 あくまでリゾート感覚な温度感の曲が多かったんだよね。

この辺は、「夏フェス」全盛の今と、「バブル」全盛だった90年当時との夏の「生活感」の違いですかねぇ。

当時は、今のような大規模な夏フェスなんて無かったしさ。逆に夏は海外にリゾートっていうのが、「若者」(っちゅうか、もろ、ワタシら世代だよな)の夏の過ごし方の主流だったからなぁ。
汗のかき方が違うんだよな。 まあ、それ以前に金の使い方が違うんだけど・・・。

そんなリゾート気分な世相をもろ反映したような曲が、今回引っ張ってきた「恋はタヒチでアレアレア!」だったよなぁ。

お、森口さん、鋭いところついてきたなぁ・・・なんて当時思ったもんだけどね。 しかも、曲も「サンバ」調16ビート。 めちゃくちゃリゾートな気分にさせてくれるような1曲。 分かりやすい曲だったんだよな。

だからね、この曲はもしかするといいところまで、ヒットするかもなぁ・・・なんても思ったんだけどね。

おりしも、森口さん自身、例の「バラドル」として人気上昇中の頃だったからなぁ。 うむ、このころテレビに出てない日は無いんじゃない? って感じだったんじゃん。 

それもあったからさデビュー曲の「水の星へ愛をこめて」は抜いてくるんじゃない  とかね。

でも、実際はそこまでは売れなかったんだよなぁ。

やっぱ、リリース時期の間違いぢゃね  なんて思ったりもするな。 



むむむ、またまたリンクを蹴られてしまった・・・。
動画を見たい方は、「この動画はYou Tubeでご覧下さい」リンクをクリックしてくだされ。

森口さんってウタ、達者なんだよな。 この曲メロディラインが難しいんだよ。 リズム体が16ビートに加え、メロディラインも16分音符の応酬だしさ。
それでもそつなく歌ってるしさ。まあ、16分のメロディラインに少しコトバが詰まってるところもあるけどさ。
 ただ逆に、アイドルとしては、ちょっと達者すぎるかな・・っていうキライが無かった訳じゃ無いんだよな。 うん、それまでアイドルとして辛酸をなめてきたのは、意外とこの歌唱力があるが故だったから・・とかさ。

アレンジの藤原いくろう氏って、この手のリゾートっぽい曲って言うイメージがあるな、個人的に。この曲もそうだけど、82年の柏原よしえの「渚のシンデレラ」も、こんな南の島的な温度感だったじゃん。
 実際は日芸音楽科出身の、ホンマモノのミュージシャンってことで、南の島のリゾートミュージックだけの方ではないんだけどね。


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雨 / 森高千里

1990_10_雨_森高千里


今回の1曲セレクトは、「雨」森高千里です。

まずはデーダどぇす!

・タイトル    雨
・アーティスト  森高千里
・作詞      森高千里
・作曲      松浦誠二
・編曲      斉藤英夫
・リリース日   1990年9月10日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 18.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 
・ベストテンランクイン期間:1990年10月1日〜10月8日付

雨です。。。寒いです。。。。なんか一気に季節が進んじゃいましたねぇ。。。 というか、一昨日までが暑かったと言うべきなんでしょうが。。。 ようやく「秋らしい」気候になったと言うべきなんでしょうね。

秋っぽくなるとヒット曲も秋っぽい曲が聴きたくなってくる。 特に今日のように、どんよりとした「雨」には、やっぱり「雨」の曲だよなぁ。

でもね、秋の「長雨」を連想させる、 この季節にヒットしたさめざめとした「雨」のヒット曲って、過去を振り返ってみると、意外と少ない・・ように思えるんだよなぁ。うーん、ワタクシの勉強不足なんでしょうかねぇ。
そんなに多く浮かんでこない。

すぐ浮かんでくるのは、例えば、75年甲斐バンド「裏切りの街角」、76年丸山圭子「どうぞこのまま」、77年太田裕美「九月の雨」・・・くらいでしょうか。

うーむ、70年代に偏ってるな。。。 いや80年代で雨が出てくるこの季節の曲って・・・何かあったっけな? って感じなんだよな。  まあ、ちゃんと掘り返せば出てくるはずなんだけど。。。

・・・ということで、今回は90年代の「雨」をモチーフにした、この今頃のヒットです。

森高千里「雨」

ここんところ、70年代の古めの曲が多かったんで、知ってる人しか知らないでしょう・・・っちゅう危惧が多かったんだけど、さすがにこの曲は知ってる方の方が多いかな。
特にワタシと同年代・・・・今の40代後半・・・の方は大体知ってますよね〜。

最近、ライブまで再開して、完全復活をアピールしてる森高だけど、その人気が一般化して「不動」なものになったのは、この曲あたりからじゃ無かったかなぁ。

いや、87年のデビューから、この「雨」がリリースされる90年の秋までもそこそこ人気はあったんだけどね。
リリースされる曲もコンスタントにベストテン入りさせて来てたし。

ただ、如何せん「イロモノ」の雰囲気が濃かったんだよなぁ。 なにせ、あの「美脚」にフリフリのミニスカートでしょ。これで食いつかない「オトコ」はいないでしょ・・・って感じのセックスアピールな存在だったしなぁ。
そこに持ってきて、ふざけた()内容の曲が多かったからなぁ。 加えて、あの口先だけのボーカルが堪らんって思えたりする方もいらっしゃいましたしね
良く言えば当時の「進化系」アイドルって言う存在でしたよね。

でもね、そういう「ニューエイジ」な存在をなかなか認められないワタシは、どうも「目の上のたんこぶ」的に感じていたってのもあるんだよな、デビュー当時の森高って。
まあ、それまでの「イロモノ」系って概して、人気も一過性のヒトが多かったし、森高もそんな存在なのかも・・・とは、どこかで思ってましたが。。。

ただ・・・この「雨」って曲は、その後の森高を考えると、やっぱり大きかったんだろうなぁ。

うむ、「まとも」って言っちゃアレだけど、本格的バラードの曲でしたね。 

タイミングも良かったんだよな。↑で書いたようにそれまでは、おふざけ的な曲が続いていたし、 「秋」って言う季節柄にもあっていたし、 なにより、この年の「秋」って今年同様、「雨」の日・・というか曇りがちの日が多かったんだよね。 まあ、そう言うイメージが個人的には強いってところで、実際どうだったかっていうのは忘れちゃったけど。。。

そう言うイメージがあったからなのか、この曲は、季節的、時代的、どちらを取ってもピッタリ嵌まっていたように、今でも思えますねぇ。 うん、1990年秋って言っていうと、この曲が浮かんでくるもの。

言ってみれば、タイミングがいいイメージチェンジが出来たって言うところなのかなぁ・・・。まあ、それが功を奏してか、この曲で初めてオリコンベスト3入りだったんですよね。(オリコン最高2位)

そう言うこともあってなのか、個人的にも、この曲、結構な大ヒットだった・・・って言うイメージがあったんだよな。
でも、実際は売り上げ18万枚。 ま、確かに売り上げとしても、あの「17才」に匹敵するくらいだった訳だけども、でも、思ったよりも売り上げは伸びてなかったんだよね。

ちなみに、森高がこの後、オリコンでベスト3入りしたのは、3年後の「風に吹かれて」。 これが初めてのオリコン1位だったんだけども、それまで待たなくちゃいけなくなる。 これも今となっては意外だったかなぁ。
今となっては伝説的な「私がオバさん〜」も「渡良瀬橋」もベスト3入りしていないんだよね。「私がオバさん〜」に至ってはオリコンでベストテン入りもしてないし。。。

90年代初頭はアイドルにとっては冬の時代。バンド系が悉くミリオン以上のメガヒットを飛ばす中、アイドルは地盤沈下していた時代。 そう言う意味でも、当時、森高はアイドルって言うカテゴリーに属していたと言っていいかもしれない。




ぢゃ、個人的には、当時、この曲をどう思っていたのか・・・というと、正直言って、まだ認めていなかった部分が大きいな。 やっぱりイロモノはイロモノだったんだよね、ワタシの中では。

まあ、あれから27年経った今となっては、認めている部分が大きいんだけどさ。

個人的に森高を認めるようになったのは、この曲から丁度1年後の「ファイト!」からだったなぁ。
そそそ「坊主頭の太郎君」ですよ うーむ、「雨」に比べるとよっぽどイロモノ的な感じだけど、曲が良かったんだよな「ファイト!」は。

この曲、いい曲ではあるんだけど、なんかねぇ「如何にも変わりました」っていう感じが自分の中ではしたんだよな、当時。
「雨」っていうと、AOR調の中に少し「和」がかったバラードっていう曲調が当たり前のようにも思えたし。


それにしても森高千里ってヒトは、年取らないよなぁ。 今でも、この当時と遜色ないしなぁ。声質も全然変わんないし。。 48歳ですぜ。2人の子供の母とは思えないもんなぁ。
大体50近くなりゃ、昔はヨボヨボになってもおかしくなかったしさあ、50っていったら、自分の若い頃のイメージなかでは、完全にジジィ、ババァだったもの。。

・・・っていうワタシは、森高と同い年なんだよね

そう言えば、石田ゆり子も 鈴木杏樹も同い年だったっけ。。。。 このヒトたち、ホント年取らないんだよな。

だからなんだ ってところだけど、このヒト見てると、自分も年取ってらんねぇな・・・なんて思えたりしてね。




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虹の都へ / 高野寛

1990_03_虹の都へ_高野寛


今回の1曲セレクトは、「虹の都へ」高野寛です。

まずはデータです。

・タイトル    虹の都へ
・アーティスト  高野寛
・作詞       高野寛
・作曲       高野寛
・編曲       高野寛
・リリース日   1990年2月7日
・発売元    東芝EMI
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 27.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1990年2月19日〜4月2日付
・タイアップ:MIZUNOスキーウェア「ケルビンサーモ」CM曲

ここのところ、ランキング物の曲を殆ど聴かなくなったな。
まあ、個人的に「聴きたい」とそそりそうな曲が少なくなってきたからに他ならない訳なんだけども。
・・・とは言うものの、最近も「直近」の曲は漁り続けているんだけどね。。。

・・・となんのこっちゃ? って感じだけど、つまりね、最近、「シングル」の曲で聴きたい、音源手に入れたい・・って思える曲がとんと少なくなった・・・って事なんだよね。
 逆に言えば、「あ、これいいね」・・・と思える曲は、アルバム内の曲だったり、配信限定だったしてさ、シングルCDにならないような曲も増えてきてる。

今さっきもTSUTAYAに行ってCD借りてきたんだけども、シングルCDのコーナー見ると、曲層が薄いんだよなぁ・・・。 シングルCDのレンタルランキングのコーナーみても、もうね、ほとんどヒットチャートって感じしないんだよね。

こんなんでいいんでしょうかねぇ、日本の音楽業界。

まあ、形態としてシングルからアルバムへ、そしてネット配信での個別売りへ・・・って感じで変化していく最中なのかもしれないけどさ、なんかしっくり来ないんだよねぇ、今のヒット曲の状況って。

日本のヒットの構造って、やっぱりシングル曲ありきだと思うからさあ。 これは誰がなんと言おうとも譲れないところなんだよな、個人的な見方としては。
 世界的に見れば、今や特殊な傾向であることは間違いないんだけども、でも、これき、日本独自の音楽文化だし、傾向だからねぇ、ガラパゴカス化だのなんだの言われても、誇示していくべきだと事項だとおもうんだよな。。


・・・・などと・・・、1曲セレクトと全く関係のない話に流れてしまったけど。。。

えーとね、最近、ヒット曲をとんと聴かなくなったって言う事だけども、これはヒット曲の世界に片足を突っ込んだ、約40年前からこの方、最近になっての傾向なんだよな。

ま、個人的な「ヒットチャート」は、未だに欠かさず毎週作ってるけどね、ヒットチャートに乗ってくるような曲はほとんど聴いてない。。。

これまでは、まあ、聴き方の濃淡はあったとても、それなりには聴いてきたんだけどもねぇ。。。

いや、振り返ってみると、短期間ではあるけど、「全く」と言っていいほど、ヒット曲を聴かなかった時期がある。
うん、「受験」の時ですねぇ。

以前も何回か書いたんだけども、ワタシ、大学受験に2回失敗してるもんで。。。
流石に2浪目の受験の時はケツに火がつけまくりだったからさあ、大学受験期間中は、一切の音楽を絶ったんだよね。 

それが1990年の1月の終わりごろから、2月いっぱいにかけてだったな。

不思議なもんで、受験だけで気持ちが張り詰めていたためか、音楽を聴きたいとも思わなかったしね、この期間。

でぇ、ついにと言うか、やっと・・というか、晴れて「サクラ」が咲きまして 

嬉しかったし、・・・と同時にそれまで切りつめていた気持ちが、一気に切れましてね、どどどっとヒット曲の世界に舞い戻ってきた訳なんですが・・・。
1ヶ月ちょっとの間のブランクの間で、ヒット曲も大分様変わりしてたんだよなぁ。 まるで「浦島太郎」状態ですよ。それはよく覚えてる。

今回の1曲セレクトは、そんな「浦島太郎」状態のの時期に、一番耳に残った曲をひとつ。

高野寛「虹の都へ」

正直言ってね、浦島太郎状態だった、当時の私にとっては、「一体、誰?」って感じだったんだよな。

この当時、既にデビュー3年目だった高野寛氏だけど、それまで目ぼしいヒットも無かったしさ、全く知らなかったのよ。
だけど、気がついてみたらオリコン2位なんかになってるしさ。。。

曲も、正直言うと個人的には、あんまり得意な感じではなかった。 うん、洗練されたサウンドだったからさあ。
洋楽志向なんだよね、サウンドが。ま、実際にプロデューサーが向こうのヒトだったりするわけで、根本からして違うんだけどさ。ダサい音楽がすくなワタシにとっては、ちょっと棲む世界が違ったような印象を、まず受けんだよね。
生理的に、「あ、これは違うな」・・・っていう印象かなぁ。

ただね、その割には、妙に耳に残ったりしてさ。 Aメロでもあり、サビでもある出だしの

♪ 君と僕はいつでも ここで会ってるのさ〜 ♪ のメロディラインが妙にキャッチーだし、独特のリズム感を感じたりしてさ。

だから、生理的な嫌悪感を感じながらも、ずっと頭のどこかにはこの曲があったし、90年の今頃というと、まず、浮かんでくる曲はこの曲だったりもしたりね。

ただ、でもでも、生理的な違和感は拭えないものあった訳で、音源はだいぶ後になってからなんだよな、手に入れたのは。
 まあ、あれから27年も経ってるしさ、楽曲傾向もだいぶ変わったしね。あの時代、洋楽傾向だよね・・って思えた曲でも普通に邦楽の一部として昇華しちゃった部分もあるしさ。だから、今となっては普通に聴けるようになったな。

恐らく当時としては、この「淡い」感じのサウンドに違和感を感じてたんだろうなぁ。。。
この曲もそうなんだけども、丁度同時期に大ヒットしていた、徳永英明の「夢を信じて」も同じようなサウンドなんだよな。

シンセを中心として、音の色彩が原色ではなく、淡いパステル調なんですよ。 
パステル調のなかでも、冷色系ではなく、ピンクを中心とした暖色系っぽい色合いのサウンドでさ。

それが「春」っていう今頃の季節に実にマッチしてたりするんだよな。


まあ、この曲は、MIZUNOのスキーウェアのCM曲だったわけだけどさ、当時大人気番組だった、とんねるずの「ねんとん」がMIZUNOがスポンサーだったんで、頻繁にながれてたんだよな。
 それが一番大きかったわけなんだけどもさ、でも、仮に「ねるとん」で頻繁に流れてなくても、この曲がもってるキャッチー具合と、上で書いたようなサウンドの完成度からしてみれば、そこそこ売れたんではないかなぁ・・・とは思う訳なんだけどさ、





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サイレント・イヴ / 辛島美登里

1990_12_サイレント・イヴ_辛島美登里


今回の1曲セレクトは、「サイレント・イヴ」辛島美登里です。

まずはデータですよ。

・タイトル    サイレント・イヴ
・アーティスト  辛島美登里
・作詞      辛島美登里
・作曲      辛島美登里
・編曲      若草恵
・リリース日   1990年11月7日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  80.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1990年11月19日〜1991年1月28日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「クリスマス・イブ」主題歌

前回書いたブリグリの「angel song」、あんまり響かなかったようだなぁ。クリスマスソングは、クリスマスソングでも、最近あんまり流れてないクリスマスソングってことで、引っ張ってきたんだけども、ちょっと変化球過ぎたかな。
 ・・・ということで、少し軌道修正。 クリスマスソングでも、今回はもうちょっとストレートに行ってみましょうかね。

辛島美登里 「サイレント・イヴ」。

他のヒトのブログを見ると、クリスマスシーズンの昨今、他にもこの曲書いてる方を結構見かけるんだよな。
なので、「いまさら〜ワタシが書くのも〜」とか思ったりもしたんだけども、まあ、たまには他のヒトと被ってもいいか・・・などと思ったりして引っ張って来ましたわ。

それ以前に・・・この間も、2005年にmixiで「1曲セレクト」を書き始めた時、2週間近くクリスマスソングばっかりセレクトしてたって書いたんだけども、その中にこの曲は無かったんだよな。

1990年のクリスマスシーズン、ヤマタツの「クリスマスイブ」と並んで、ダントツに人気があったこの曲だった訳でさ。
オリコン1位、80万枚もの大ヒットとなったこの曲なのに、書いてなかったんだよな。

なぜか?

最近の1曲セレクトの流れで行けば、個人的にあんまり好みじゃなかったから・・・・と言いたくなりそうなんだけども。。。

この曲の場合は、それ以前だったんだよね。

うん、当時、ほとんどこの曲聴いてなかったんだよね。
だから、個人的に好き、キライ・・・・って言う以前の話だったんだよね。
当然、この曲の音源は未だに持ってない。。。

80万枚セールスのこの曲の音源を持ってないとは・・・とか言われそうだけど、いままで、今一つ縁がなかったんだよなぁ、この曲とは。

この曲が大ヒットした背景として、TBSの「金ドラ」の主題歌っていうのも大きかったんだよな。
当時、TBSの金ドラの主題歌は、フジの月9主題歌と並んで、「大ヒット」はほぼ約束されたようなもんだったからね。
 
フジの月9は、あんまり見てなかったワタシだけども、TBSの金曜ドラマはずっと見てたんだよな。
月9はさあ、今一つリアリティを感じなかったからなぁ。いい女、いい男のカタログを見てるみたいだったしさあ。ドラマの内容自体は、それほど面白いとは思わなかった。それに比べると、TBS系の金ドラは内容的に面白かったからさ。

ただ、この「サイレント・イヴ」が主題歌になった、90年10月期の金ドラ「クリスマス・イブ」は見てなかったんだよな。

丁度、郵便局で深夜勤で仕分けのバイトを初めて頃でね。そそ、年末の超繁忙期に向けて、郵便局もバイトの数を増やしてた時なんだよな。だから、この当時、ほとんどテレビを見てなかったんだよ。

逆に、超繁忙期が一段落して、ちょっと余裕が出てきた1月終わり頃には、ドラマは終わっちゃってたし、この曲もチャートを下降してたからなぁ。

そそそ、すれ違いだったんだよ、ちょうど。それ以来、なんかずっとすれ違いだったんだよな、この曲とは。

確かに、パッと聴き、派手な曲では無いし、メロディアスではあるけどもジミな印象が強かったんで、積極的に触手を伸ばそうと思ってなかったところもあった。辛島美登里さん当人にしてもルックス的に華やかな感じでは無かったしね。

なので、丁度いい機会だから、真面目に聴いてみた。

確かに派手な曲ではなし、メロディにしてもどこかで聴いたような・・・っていう印象が強いけど、やっぱり染みるよね、心に。
アレンジは若草恵氏。

なるほど、どうりで「ニッポンの編曲家」(川瀬泰雄 他 著)の若草氏の項目で、辛島美登里さんがインタビューされていたんだ。。。

うん、なんで辛島さんがインタビューされているのか、よく分かんなかったんだけどね。いま謎が解けましたわ。

そもそも、この「サイレント・イヴ」が若草氏のアレンジっていうのも、今、知ったんだけどもね

若草氏というと、もう少し歌謡曲よりなアレンジャーっていう印象が強い訳で、このテの、思いっきりニューミュージック系っていう曲では珍しいとは思うんだけど、でも、この曲に関して言えば、まったく、そう言った歌謡曲の匂いは感じない。音色といい、完全にニューミュージックのそれなんだよね。
いや、それだけ、この曲に関して言えば、それまでの若草氏の歌謡曲にコミットした音楽ではないって事なんだけど。。

ま、完全にニューミュージックと書いたけど、ちょうど有線発のニューミュージック系が増えつつあった時代なんだよな、この頃。
 そう言った曲の共通項として、一つはメロディアスであること、一つはニューミュージック系といえど、下地の所で歌謡曲の匂いがする事、例えばストリングスを多用するとかね。

この曲は、そう言う、他の有線発のニューミュージック系楽曲に近い雰囲気はあったんだよな。 その辺が大ヒットに繋がったもう一つの要因だったかもしれない。

ま、この曲は有線発のヒットではなかったけどね。

ただね、よくよく考えてみれば、若草氏って、その昔、研ナオコの「かもめはかもめ」のアレンジで注目されたんだよな。
メロディラインには、あまり音数を入れないアレンジ。 それだけにダイレクトに詞もメロディも伝わってくるという。

そう言う意味で、この曲「かもめはかもめ」に近いんだ。

奇しくも、「かもめはかもめ」を作った、中島みゆきさんも、この辛島美登里さんも、元はといえばポプコンでグランプリ獲得っていう共通項もあったりするんだけどね。

そそそ、もしかするとあんまり知られてないかもしれないけど、辛島美登里さんって、ポプコン出身なんだよね。
調べてみたら1983年、第26回ポプコンでグランプリを獲得。

時代的に言えば、あみんの1年後、TOMCATの1年前って感じで、ポプコンとしてはかなり後期の時代に入るんだけども。
グランブリ獲得後、すぐデビュー。大ヒットを飛ばした、あみんやTOMCATと比べると、この曲で大ヒットを飛ばすまでには、かなり時間がかかったと言えますね。
ポプコングランプリ獲得後、84年にレコードデヒューしたものの、ずっと泣かず飛ばずで。。
でも、そう言う不遇の時代を経験し、ブレイクまで時間を要したからこそ、未だに「現役」シンガーでいられるってことはあるだろうな。

紆余曲折した経験があるからこそ、シンガーソングライターとしての深み、多様な引きだしって言う強みが備わったわけでさ。 やっぱり下積み時代って言うのは大事なんだよね。




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P.S I LOVE YOU / PINK SAPPHIRE

S I LOVE YOU_PINK SAPPHIRE 











今回の1曲セレクトは、「P.S I LOVE YOU」PINK SAPPHIREです。

まずはデータです。

・タイトル     P.S I LOVE YOU
・アーティスト   PINK SAPPHIRE
・作詞       石田美紀
・作曲       小路隆
・編曲       P.S I LOVE YOU 土方隆行
・リリース日   1990年7月25日
・発売元     ハミングバード
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 45.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1990年8月20日〜10月22日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「キモチいい恋したい!」主題歌

ガールズバンド。まあ、今では当たり前になりましたわな。
昔は、「非力」な女子が、ブォンブォン爆音をぶっ放す・・・なんてあんまり考えられなかったですけどねぇ。
なんせ「なでしこ」の国ですからニッポンは。女子は「おしとやか」っていうのがニッポン女子の基本でしたからねぇ。

でも、いまは、「肉食女子」っていうのも、普通になりーの、逆に「草食」に成り下がった男子の代わりに・・・って言う訳でもないんだろうけど、 ガールズバンドが増えたよなぁ。
 しかも、草食の「なよっ」・・・としたオカマみたいなボーカルが多くなった男子バンドよりも、より「ロック」な感じがするバンドもあったりしてね。

まあ、それとともに、「ガールズバンド」の「アイドル化」も進行して、バンドなのにアイドル・・・って感じのオジさんの世代では、意味が良く分かんないスタイルのガールズバンドが増えているのも事実だけど・・・・。

・・・ということで、今回は、そんな日本における「初期」のガールズバンドの曲を持って来ますか

PINK SAPPHIRE 「P.S I LOVE YOU」

さすがに、今の40代以上の方は覚えてますよねぇ。 デビュー曲である「同曲」が、いきなりフジの「月9」主題歌に抜擢されて大ヒット。
 昨日まで、普通のオネーチャンたちだった、彼女たちだけど、いきなりスターダムに躍り出た1曲ですわな。

まあ、普通のオネーチャンとか書いたけど、この曲がリリースされる1年前に、TBSの「イカ天」に出場してたりするから、全くの「ぽっ」と出のオネーチャンたちではないんだけどね。

当時は、プリプリが超大ブレイクし、ガールズバンドの先輩格だったSHOW-YAも注目を浴びる・・・って感じで、ガールズバンドが注目されだした時代。
バンドではないけど、キャンディロックって形で、浜田麻理さんもブレイクしてたしね。

そんな感じで、ロックの、それもヒット曲界にも「女子」の進出がどんどん進んていた時代ですわ。

そこに、このヒトたちがタイミングよく滑りこんできた・・・って感じだったよな。


まあ、曲については、サウンド的には、ギンギンギターノハードロックテイストだたけど、メロディラインはキャッチーな完全なウレ線・・・って感じで、まあ、あくまで「売れる」ことを前提にしたような曲ではあったよな。

時代がもう少し前だったら、ロックのこういう路線は「けっ」なんて、毛嫌いされていたんだろうけど、この頃はロックも売れてナンボ・・・って言う感じになりつつあったからなぁ。 こういう曲調でも許されてたような感じだったよなぁ。

ただね、演奏が思ったよりも達者だったからさあ、最初は、本当に本人たちが演奏してるの? ってのはギモンだったりしたな。

いつかも書いたけどプリプリだって、最初はめちゃくちゃ「ヘタ」だったからさあ演奏。 それを、ひたすら「練習」で、上達して行った人たちだったしね。
 それから比べると、このヒトたち、最初からそれなりの演奏力だったからなぁ。 この「P.S I LOVE YOU」だって、女子からすれば、必ずしも易しい曲ではなかったはずだけどね。

だから、余計ギモンに感じたりして。

しかも、メンバーそれぞれ、濃いルックスだったからなぁ。 ガールズロッカーというよりも、「お水」の・・・って言うイメージだったじゃん。 それで、結構叩かれてましたよね、週刊誌界隈では。 本当はロッカーじゃなく、お水のオネーチャンじゃないのか・・・とか

でも、一応、イカ天にも出てたわけだから、それなりに演奏力はあったんだろうしな・・・ってか、イカ天に出た時、どの程度の演奏力だったは知らないけどさ。


でもね、デビュー時、急激にスターダムになりあがったヒト達は長続きしない・・・・っていうジンクス通り、結局は、このヒトたちも、ヒットという点では長続きしなかったよな。
 一応、この「P.S I LOVE YOU」から4曲連続で、オリコンでベストテン入りを果たしたものの、売り上げは急落。
今となっては、「一発屋」のようなイメージが強いしね。

同じガールズバンドでも、第2のプリプリには成り切れなかった・・・・そんな感じのヒト達なんだよな。




ちなみに、全員、ワタシとは同世代。当時は21才〜23才でしたねぇ。
そそそ、画像見ると、20代前半に見えないほど落ち着いた感じだけどさ。
特に、ボーカルの塚田さんとベースの石田さんは、共に昭和44年生まれで、ワタシと同い年なんだよな。
まあ、当時流行りの「ワンレン」なんで、余計大人っぽく見えるんだけどさ。今の感覚からすると。


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Dear Friend / 中森明菜

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今回の1曲セレクトは、「Dear Friend」中森明菜です。

まずはデータです。

・タイトル     Dear Friend 
・アーティスト   中森明菜
・作詞       伊東真由美
・作曲       和泉一弥
・編曲       和泉一弥
・リリース日    1990年7月17日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  54.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1990年7月30日〜9月24日付

ここ暫く殆ど常套句となってしまっているけど、週末も暑かったですわな。猛暑。
ワタシの住んでる所は、都心から比べると2〜3度は涼しいんだけども、それでも昨日は35℃近くあたりましたからねぇ。
とても家でメシ食う気にもなれず、ソバ屋で冷たいそばでも食おうと思って外出したものの、いつもの土日に比べるとホント人通り少なかったもんな。 こりゃ、クーラーが利いた家に居なきゃ、外に出たら熱中症になっちまうわ・・・って方が多かったんだろうね。

・・・ということで、これまで何曲も書いてきたけど、そんな猛暑を思い浮かんでしまう・・・って言う曲を今回も持って来ますか。

中森明菜「Dear Friend 」

今から丁度26年前。1990年の夏も、今年同様「猛暑」の夏だったんだよな。
この年大学に入ったワタシは、今頃は暑さにやられて外に出る気にもなれず、1日中クーラーガンガンかけた部屋で引きこもってた頃だ。

そんな折、この軽快なサウンドが耳に入ってきた・・・っていうのを覚えてるな。

確か、始めて聴いたのはミュージックステーションだった・・・と思う。
ただ、今wikipediaで調べたら、ミュージックステーションに出演したのは、8月13日とある・・・。

うーむ、そんなに遅かったかなぁ。。。。7月17日にリリースされたこの曲。なんか、もっと早い段階でこの曲、耳にしてたようなような気がするんだけどな。。。。

でもね、間違いなく全く予想外な曲調でさ、「唖然」としたのは、良く覚えてるんだよな。

まさかね、明菜嬢がメジャーキーの、こんな軽快な軽いポップスを持ってくるとはねぇ。
ちなみに、デビュー曲の「スローモーション」以来、この曲までのタイトル曲を調べてみたら、シングル24作目にして、初めての「メジャーキー」の曲なんだよね。
だからね、まさかね、メジャーな曲調で来るとは全く眼中になかったんだよね。

この曲の前が89年4月リリースの「LIAR」。この曲もご多分にもれずマイナーキーだったわけじゃん。デビュー初期・・少なくとも「ミ・アモーレ」位までの曲はべつとして、それ以降の曲は、どこか冷めたような感じの曲を淡々と歌うようなイメージが定着していたわけじゃん、明菜って。
だからね、この曲も、もちろんそう言う感じの曲だろうなんて思っていた訳なんだよね。
・・・というか、そう言う曲調しか、当時の明菜からは浮かんでこなかったんだよね。

それは、明菜のキャラクターなんだろうな。メジャー系を歌わせるだけの「陽」な部分が見えなかったっていう・・・。
 その昔、陽の吉田拓郎と陰の井上陽水  同じく 陽の桜田淳子と陰の山口百恵、・・なんて、ライバル同士、月と太陽のように比較される事がままあった歌謡界だけど、明菜も、陽の松田聖子と陰の中森明菜・・・って言う比較はあったしね。
 それは、やっぱり、このヒトが持ってるキャラクターがそう思わせてしまうんだろうな。だから、自然と曲もマイナー系中心になってしまう。
 それが、レコード大賞受賞以後、重圧から陰の部分がより多くなっていった・・ように感じたりしたんだよね
それに加えて、この曲がリリースされるまでの1年数カ月の間にいろいろあった訳でさ。 
そんないろいろあった中での「再出発」の曲・・ということで、それまでは無かったような曲⇒メジャー展開の曲・・・て、新たな門出をイメージングしたかったんだろうね。

 うーむ、なんか、ありきたりなことを書いてしまった感じだけど、でも、この曲の場合は、それしか感じられないんだよな。 
 兎に角、この曲がリリースされるまでの1年数カ月というものの、「陰」の部分しか表面に出てこなかったからな明菜って。

でもね、この曲でそんな部分は完全に吹っ切れたのかなぁ・・・・。そんな事を感じさせるような1曲であったことは間違いなかったな。

ただ、外見上はまだまだ、骨と皮だけってくらいやせ細っていたのが痛々しかった・・・っていう印象もあったのは拭えなかったけどな。だから、本当にこれが「復活」なのかな・・・っていうのは、疑問に思えたっていうのは、正直なところだったかもしれない。

いずれにしろ曲は文句なく良かった。 軽いスピード感のあるメロディ、清涼感のあるサウンドアレンジ、どこをとっても夏向けの良質なポップスとなっているしね。
 そそ、清涼感があるんだよな、この曲。だからね、個人的には、この曲と言うと、もちろん、あの夏の猛暑と言う事とともに、クーラーの清涼感をどことなく感じてしまうんだよな。
 恐らく、初めて聴いた時、そんなクーラーをガンガンかけてた部屋の中で聴いた・・・っていうあの空気感が脳裏に残っているんだと思うわ。


 


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おどるポンポコリン / B・Bクイーンズ

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今回の1曲セレクトは、「おどるポンポコリン」B・Bクイーンズです。

まずはデータです。

・タイトル    おどるポンポコリン
・アーティスト  B・Bクイーンズ
・作詞      さくらももこ
・作曲      織田哲郎
・編曲      織田哲郎
・リリース日   1990年4月4日
・発売元     BMGビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 164.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1990年5月14日〜10月29日、11月12日、1991年1月14日〜1月28日付
・タイアップ:フジテレビ系アニメ「ちびまる子ちゃん」エンディングテーマ & オープニングテーマ

ブームはいつやって来るかわからない。 いや、だから、熱狂的なブームって来るんだろうね。最初っから、これ流行るってわかってたら、それほど熱狂的に大多数のヒトが食いつく訳がない訳で。。。

・・・・なんて、いつもとはちょっと毛色が違うマクラから始めてしまいましたが・・・。 はい、今回は、そんな「予期」もしてなかった一大ブームとなったこの曲を。

B・Bクイーンズ「おどるポンポコリン」。

言わずと知れた・・・ってくらい、ほとんどの方が知っているであろう、アニメ「ちびまる子」ちゃんの「初代」エンディング・テーマ曲ですわ。

・・・・なんて書くと、「え?」なんて思う方もいらっしゃるかなぁ・・。 そうね、最近の「ちびまる子」ちゃんでは、この曲エンディングではなく、「オープニング」曲になってるもんね。

でも、当初は、紛れもなく、この曲は「エンディング」曲だったのですよね。

ぢゃ、初代オープニング曲は? ・・・っていうと、

↓この曲


関ゆみ子さんの「ゆめいっぱい」。

あっ懐かしいなぁ・・・って言う方は、それなりのお年かなぁ。
なんせ、今年で26年も続いているアニメな訳で、当初から見てる・・・・って方は、少なくとも26才以上だもんね。

個人的には、この曲の方が「ぽんぽこりん」よりも、90年の「夏」を思い出すなぁ。
90年の夏、この曲が頭んなかをヘビーローテーションしてたんだよなぁ。

ワタシねぇ・・・っていうと、意外と最初の頃から見てるんだよね、「ちびまる子ちゃん」って。
放送開始が1990年1月でしょ。 ワタシねぇ、この年の3月には確実に見てるんだよね。

大相撲の流れで、NHKからフジテレビに合わせていたのが、当時のルーティーンだったからなぁ。
だから、大相撲の1990年の3月場所の後にフジに回したら、たまたまやってた・・・って感じだったんだよな。確か。そそ、予備知識もなんも分かんないで見始めたんだよ、たしか。

で、エンディングの「おどるポンポコリン」だよね。 オープニングの「ゆめいっぱい」は如何にもアニメのオープニングだったのに対して、「ポンポコリン」は一体何もんなんだ? なんて当初から気になったのは確か。

まさかね、ビーイングのアーティスト集合体、いわば「覆面バンド」なんて思いもしなかったからな。

まあ、その前に、この曲の当時は、後の「ビーイング」時代・・・と呼ばれるほど、ビーイングは一般的ではなかったんだよな。B'zも、まだ本格的ブレイク目前の頃だったし、TUBEぐらいか、ビーイングでメジャーだったのは。

しかも、ビーイングの中でも「実力」肌と名高かった、ギターの近藤房之助氏を筆頭に、ボーカルの坪倉唯子、ベース、栗林誠一郎、コーラス Mi-ke とその後のビーイングの中心人物となって行く方々が参加。

・・・・とどう見ても、こんなコミックソングを歌うような人たちが歌っているとは考えられなかった陣容だったよな。

まあ、だから、そんな意外性が大いに受けたんだろうしね。 なにより、音楽を知っているヒト達がやってる「おちゃらけ」だったからこそ、おちゃらけでも音楽的には崩れてなかったっていうのも良かったんだろうな。

なんせ、あの頃の主な「支持者」といったら、当時の「おこちゃま」達でしたからねぇ。
ま、最初からそれが狙いだったのか 意外にもそうなっちゃったのかっていうのは、よく分かんないんだけどさ。

ただ、少なくとも「子供」が一番のお客さんだった事には変わりはなかった訳で。。。
でも、子供って言うのは、逆に言えば大人以上に「シヴィアー」だからねぇ。音楽だって、「ホンモノ」ぢゃないとすぐそっぽを向く所ってあるじゃん。
 でも、そこは「音楽のプロ」集団だった事が長期間にわたって「子供」に受け、結果的に超ロングヒットになった要因なんだろうな。


・・・なんてのは、後付的に言える事であってさ、少なくともヒットする前から見てると、まさか、ここまでヒットするとは考えなかったよな・・・っていうのき正直なところなんだよね。
 おりしも、この時は、あの「およげたいやきくん」からは15年だったわけで、・・・そう言う意味では、忘れた頃に子供が絡んだ大ブームっていうのはやって来るんだよねぇ・・・って感じだったよなぁ。




それにしても、近藤房之助氏、よく手袋してギターが弾けるよな・・
うそうそ、弾いてないやん


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かじやん