かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1987年

渚のファンタシィ / 酒井法子

1987_06_渚のファンタシイ_酒井法子


今回の1曲セレクトは、「渚のファンタシィ」酒井法子です。

まずはデータです。

・タイトル   渚のファンタシィ
・アーティスト 酒井法子
・作詞     竹花いち子
・作曲     タケカワユキヒデ
・編曲     新川博
・リリース日  1987年5月21日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  6.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1987年6月8日付

今回の1曲セレクト、引っ張ってきた曲から、なんで今まで書いてなかったんだろう? シリーズに入るんかなぁ。。。。

のりぴーの「渚のファンタシィ」。

80年代でベストテン入りした曲は、もう、大分書いたしなぁ。この曲なんかは当然書いててもおかしくないよなぁ・・・。

・・なんて思われかもしれないな。。。

でもさ、ワタシ、のりぴーって、まだ、ほとんど書いてなかったんだよな。。。。

現状、自分のところに音源がある曲・・・をこれまで優先的に書いて来たっていうのもあるんだろうな。

そこから見ると、ワタシ、いまだにのりぴーの曲って音源、ほとんど持ってないのよ。。

なんでなんだろうねぇ・・・って、これは理由が簡単。当時、音源購入するのが恥ずかしかったから。。

今でこそ「アイドル」っていう存在って、一般認知されて、我々のような大人でさえ、躊躇なく購入できるようになったけどさ。
1987年当時は、高校生にもなってアイドルかよ・・・って思われるような時代だったのよ。

・・・って、同年代の方じゃなきゃわかんないか。。。

1987年といったら、ワタシゃ17〜18歳。高校3年。

いや、根っからのアイドルファンならば、割り切っていただろうけども、どうも、ワタシは割り切れなかったんだよな、あの頃。

あの頃、ワタシの周りでは、当然のようにみんな音楽って好きだったけども、大半はロック系派だった。アイドル系派だった友達って居なかったのよ。

中学生の頃には、大半がアイドル系派だった友達も、高校生にもなると、みんなロック系に行っちゃってたからねぇ。
前にも書いたけども、1987年、周りはみーんな「BOOWY」だった。 あとは「ブルハ」とか、「渡辺美里」。 浜田省吾の「J BOY」なんか聴いてる人も多かったな。

高3にもなって、まだアイドル系にはまってた人って、ごく少数。 

大抵、マジメで、暗くて、いつも教室の端の方にいて、友達がすくなそーな「オタク」って相場が決まってたような。。。

そそそ、あの頃でいえば「宅八郎」みたいな。。。

そういえば、あの当時、オリコンウイークリーにも「暗い子クラブ」ってオタクの集いのような書き込みコーナーがあったじゃん、あんな感じ

あ、あくまで、ワタシの周りではよ。 全国的にはそうじゃなかったかもしれんけど。。。
でも、あの後、バンドブームが本格化してきてことを見ると、全国的にそうだった・・・とみてもいいのかもしれないな。


で、アイドル系の曲を聴いてると、みんなに馬鹿にされたもん。

だから、アイドル系の曲って、少なくとも外では聴けなかった。

もっとも、家でもアイドル嫌いなオヤジが「いい年こいて・・・」ってバカにするし、、家でも聴けなかったんだけども。

まあ、個人的にも、アイドル系の曲からは、ちょっと距離を置いていたところはある。
オリコンは毎週読んでたけどね。

何分、前年の「おニャン子」旋風に辟易し、アイドルに食傷してたのは大きいですね。

それよりも、時代を遡って、それまで知らなかった曲を掘っていく・・・っていう作業のほうが面白くなってたんだよねぇ、あの頃のワタシは。

小遣いも限られていたわけだから、あれもこれも音源を買う訳にもいかず、何を削るか・・・って考えた時に、当時のアイドル系を削ったわけよ、ワタシは。

アイドル系の曲は「ベストテン」からウタの部分を録音したやつでいいや。。。って感じでさ。


そんなわけで、のりピーも、音源は当時から買ってなかった。

正直、あの当時のヒットチャート上位に行った曲でさえアイドル系の音源を集めるようになったのなんて、ごく最近だもの。
ただ、まだ、のりピーの曲まで手が延ばすることが出来てない・・・っていう状況で、いまだに音源がほとんど手元にないのよ。


もちろん、本音を言えば当時からキライではないんだけどさ。

正直1987年は、新人賞は、のりぴーの年に間違いない・・・とデビューで出てきたときから思ってましたよ。

・・・っつうか、この頃から、自分よりも「年下」のアイドルが普通に出てくるようになったんだよね。なんか変な感じだったな。
のりぴーは、ワタシらよりも1学年下になる。


デビュー曲の「男のコになりたい」も、悪くはなかったと思うけども、真の勝負は第2弾のこの曲だろうな・・というのは、リリースされる前から分かってたんだけどね。

もう、この頃になると、デビュー第2弾で売れたヒトはビッグになる・・・っていうシングスは分かってたからね。

そそそ、聖子さんにしかり、明菜にしかり、頂点を極めたアイドルって、デビュー第2弾で爆発した人が多かったから。

それで出てきたデビュー第2弾が、この「渚のファンタシィ」。

正直、悪い曲とは思わなかったんだよね、あの当時も。ただ、これでブレイクが「決まり」とも感じなかったな。

たしかに、初夏を思わせる爽快感は、コンパクトにまとまった「男のコになりたい」よりは、あの当時のアイドルポップとしては出来は良かったと思うし、ヒットしそうな予感はあった。

ただ、だからと言って、大ヒットに繋がりそうなといえば今一つ弱いのよ。なにより、フックになりそうなフレーズがないし、その分インパクトが弱い。
これでは、並のアイドルソングの域を出してないな・・・っていうイメージなんだよね。

・・かといって、それじゃ、どうすれば、もっと大ヒット狙いできたのか・・というと、今一つはっきりとした答えも出てこない。

結局のところ、のりぴーっていうタレント性のポテンシャルの大きさだったんだろうな。

たしかに、かわいらしいい、ウタも他の同期アイドルの中では、まずます巧い。
だからといって、強烈に引き付けられるカリスマ性を感じるかというと、そういうわけではないしさ。


80年代前半に確立した「80年代アイドル」の成功で、80年代後半は、アイドルの数は飛躍的に増えた。
あの頃一番重要だったのは、強烈な個性とかタレント性よりも素人性だったわけじゃん。

そそそ、となりのクラスの「〇〇ちゃん」という。。

そんなわけで、結局曲も強烈な個性とかインパクトというよりも、誰でも歌えそうな素人性の方が重要になってきてたんだろうね。

インパクトが薄い曲では、売り上げがなかなか上がらないのも当然。結局みんな、個性的で強烈なインパクトな曲を買いたくなるわけだからさ。

それを考えると、あの当時レコードが売れなくなって来ていたのも当然だと思うんだよね。

当時は、アナログレコードからCDに切り替わる端境期。 だから、レコードは売れなくなってきてたのよ。。。っていうのが今までの通説だったけども、必ずしも、それだけの理由じゃなかったんじゃないか・・・とも思うわけなのよ。

だってさ、このちょっと後、光GENJIが出てきて、明菜が「難破船」を出したころからレコード売り上げが少し回復傾向にあったわけじゃん。

底だったのは、この「渚のファンタシイ」が出た87年のちょうど今頃でさ。
ぢゃ、なんで「底」だったの? と言ったら、たしかに季節的な物もあるとは思うけども、結局は強烈なインパクトの曲が少なかったからと思うわけなのよ。

それにしても、このころ、タケカワユキヒデ氏は、頻繫に曲提供してましたね。
そそそ、ゴダイゴのボーカルのタケカワユキヒデ氏。

この年の頭には、浅香唯の「STAR」、で、この曲でしょ。 同時期に池田聡の「Jealousy」なんてヒットもあったな。 まあ、長年、他の方に提供し続けているタケカワ氏だけども、特に1987年っていう年はヒットが集中してたな、

タケカワ氏にとっては当たり年だったのか、タレントの巡りあわせがよかったのか、本気で小銭稼ぎをしていたのか・・・・理由はよくわからないけどさ。





むむむ、この曲「PV」作ってあったんだな。

PVっていっても、今でいう「Music Video」というよりは、文字通りの販促プロモーション用のVTRって感じですね。

どこで流してたんだろ? って感じだけども、そういえば、この頃、地元の新星堂にプロモーション用のモニターが置いてあって、定期的にプロモーションビデオ流してたな・・・っていう記憶がありますね。そういうレコードショップでの販促用に作ってあったんだろうな。

確かに原宿、表参道ってことで、いかにもアイドル向けのPVって感じだけども、そもそも、ビクターの「近所」だし。。。。金かかってねぇな。。。。

ただ、1987年(昭和62年)の原宿、表参道の様子はよくわかりますね。 
「昭和好き」な今の若い子には、結構刺激的なんじゃないかなぁ。。。

時折通る、学生服のお兄さん、お姉さん、きっと私らと同年代に違いない。。。
今頃は50代になっていると思われ、あれからどういう人生を送っているんだろう・・・とか。。。
余計なお世話だけど。。。。


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じれったい / 安全地帯

1987_05_じれったい_安全地帯



今回の1曲セレクトは、「じれったい」安全地帯です。

まずはデータです。

・タイトル    じれったい
・アーティスト  安全地帯
・作詞      松井五郎
・作曲      玉置浩二
・編曲      星勝、安全地帯
・リリース日   1987年4月21日
・発売元     キティ
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   12.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1987年5月4日〜6月1日付
・タイアップ:太陽誘電カセットテープ「That's」CM曲

テレビの歌番組からカセットに録音するとき、ラジカセをテレビの前において録音した。
ワタシらの世代では、かなりの方がやった経験があるんじゃないかなぁ。

うん、ライン録音なんか知らないからさ、ラジカセを直接テレビの前においてさ、歌の部分だけ録音したりして。。。

録音最中に電話が鳴ったり、オヤジが「へたくそ!」なんてヤジを飛ばしたりして、それが録音されちゃっりしてさ。。。

もちろん、ワタシもやってしましたよ。ベストテンから新曲がランクインするたびに録音してさ。

録音を始めたのが1979年2月だったかなぁ。最初はコレクションするつもりは毛頭なくて、あくまで曲を覚えるためだったんだよね。 それがいつの間にか曲をコレクションするために変わったりしたなぁ。

いつかも書いたけど、あの当時、レコードは高かったんでおいそれとは買えなかったし、始めたころはレンタルもなかったし・・・。ましてやサブスクなんてあるわけがなし。。。

結局、「ヒット曲」をコレクションするには「ベストテン」から録音するのが一番手っ取り早かったんだよね。

もっとも、ラジオセの内臓マイクで録音するから、音はモノラルで音質もよくなかったし、↑でかいたようにいろいろ雑音も入っちゃったりしたけどさ。それでも当初は満足だったのよ。

ただ、中学生にもなって、みんなラジオを聴き始めると、ラジオからエアチェックし始める人が増えたんだよな。FMから録音すればそこそこ音が良かったし。。。

でも、ワタシはといえばベストテンからの録音を続けてたなぁ。

あの頃は、一つのことをやりだすと、他のやり方を考えられなかったんだよな。。。頑なというか保守的というか・・・。

そんなことをするうちに、音的にも満足しなくなってきたんだよね。

80年代も中盤になると、曲時代のデジタル化が進んで、モノラル音質だと物足りなく感じちゃったりしてきたのよ。 曲によっては、全く違った印象に感じちゃったりしてさ。


今回引っ張ってきた曲は、そんな感じで、当時ベストテンから録音して、全く満足できなかった曲を一つ。

安全地帯「じれったい」

この曲は今から36年前の1987年のちょうど今頃ヒットしていた、安全地帯15枚目のシングルですわ。

wikipediaを見ると、ブラコン(Black Contemporary)、デジタルファンクに分類されているように、エッジが立った硬質かつ鋭角的なサウンドに、タイトなビートが絡んだミディアムチューン。

かっこよく書けばよ。 

まあ、あの頃、80年代後半の軽薄短小な時代の音楽トレンドを象徴するようなサウンドの曲ですわね。

それまでの安全地帯って、玉置浩二のたっぷりとしたボーカルを中心とした、ミディアムバラードを中心としたバンドだったから、こういうエッジがたったタイトなビートの曲っていうのは、少なくともシングルでは、それまでなかったような気がするな。

確かに、それまでも85年の「熱視線」とか、86年の「プルシアンブルーの肖像」のようなややエッジがたったアップビートな曲はあることはあった。

けど、この曲ほど、ブラコンの匂いが強い、さらにタイトなビートの曲ってほどではなかったしさ。

いや、この曲が出るまでの時点では、やっぱ、バラードの安全地帯っていうイメージの方が強かったのよ。少なくとも個人的には。


だからなのかなぁ。 この曲は、ヒット当時は、理解できなかったんだよなぁ。。

そもそも、この手のエッジがキツイ硬質で鋭角的なサウンドが、あの頃は生理的に受け入れられなかったのよ。

いや、今から思えば、本当の音でちゃんと聴いてなかったのもあるんじゃないかなぁ・・と思うのよ。

そそそ、↑で書いたように、あの頃、まだ、ベストテンから録音した「モノラル」の音で聴いてたからさあ。

モノラルで聴くと、音そのものが大分削られてしまうんで、本来の曲の良しあしが伝わってこないのよ。

この「じれったい」のほんの少しあとにヒットした、C-C-Bの「2 Much I Love U」なんかは、もろそうだったな。

後年、CD音源と、ベストテンから録音したモノラル音質の「2 Much I Love U」を聴き比べると、全く別物だったもの。曲自体が。。。

この「じれったい」もそうだったと思うんだよね。 

いや、他にも当時の、いわいるニューウェーブ系といわれた曲の多くって、生理的にダメだったんだけども、そんな風に「本当の音」でちゃんと聴いてなかったんで、本当の曲の良さを感じ取れなかったんじゃないかな・・・なんて、今になって思ったりして。

もっとも、これら、ブラコンやニューウェーブ系の音を咀嚼するほどの理解力もなかったっていうのも大きいんだけども。。。。


前回のブラピ「タイミング」の時と同じように、だからという訳ではないんだけども、今になって、この頃・・・80年代後半・・・のニューウエーブ系の曲をちゃんと聴き始めたりしてる、ワタシだったするのよ。。。 さすがに、あれから37年、その間にいろいろなヒット曲を聴き続けて、
あの当時に比べれば、この手のブラコンなどのニューウェーブ系な曲を咀嚼できるくらいの理解力はついたと思うんでさ。。。




この間のテレ朝「ニンチド調査ショー「昭和世代が伝えたい名曲・スポーツ名場面!」」の同年代で歌のうまいと思う男性アーティストで、玉置浩二氏が60代のNo.1に選ばれてましたね。

まあ、同業者のアーティストの皆さんが、こぞって玉置氏のライブに行きたがっていると聞くし、ミュージシャンも惚れる歌唱力をお持ち・・というのは、誰もが認めるところだろうな。

それは、玉置の代名詞ともいえるバラードは言うに及ばず、この曲のようなアッパーな曲でも発揮されてますよね。

ただ、個人的には、この曲を改めて聴くと、歌の巧さよりも、そのセクシーさに舌を巻いてしまいますわ。

Aメロ出足の、囁くような、ファイルセットとでも地声ともつくような声質なんて、めっちゃセクシーなのよ。

多くの方、特に女性の方にとっては、そんなフェロモンにやられちゃうんじゃないのかなぁ。

そういえば、うちのオカンも、あの当時、玉置氏の「フェロモン」にやられちゃってた一人だったりしたもんなぁ。。。

この「じれったい」っていう曲は、もろバラードの曲よりも、そんなフェロモン性をより感じるような気がするんだよね


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Again / 工藤静香

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今回の1曲セレクトは、「Again」工藤静香です。

まずはデータです。

・タイトル     Again
・アーティスト   工藤静香
・作詞       秋元康
・作曲       後藤次利
・編曲       後藤次利
・リリース日    1987年12月2日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  3位
・売上げ枚数    15.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位  6位
・ベストテンランクイン期間:1987年12月21日〜1988年1月25日付
・タイアップ:フジテレビ系「桃色学園都市宣言!!」エンディングテーマ


明日は、毎年恒例の「COUNTDOWN JAPAN FES」参戦なんで、31日に書かなかったとしたら、もしかしたら、これが今年最後の1曲セレクトになるかもしれぬ。
・・ということで、年末にあたり。。。
皆様、今年は、あんまり書けなかったけど(書かなかった?)、1曲セレクトを閲覧していただきありがとうございました。来年も引き続きヨロシクお願いいたします。

もし、31日も書いてしまったらゴミンネ。。。。


・・・ということで、今回の1曲セレクトは、何でこれまで書いてこなかったんだろう? シリーズの1曲になりますかね。

工藤静香「Again」。

おニャン子クラブ解散の日、同時にソロデビューした工藤さんの、第2弾シングル。

現在のブログのアーカイブスはもちろんのこと、mixi時代の「日記」をひっくり返してみたけど、どうも、この曲は、今まで1度も書いたなかったようだ。。。。

ウーン、なんでなんだろうなぁ。。。。 

単に忘れていたか、ヒット時期を見誤っていたか・・・。だと思うんだけとなぁ。
決して、キライじゃなかったんだよね、この曲。

たぶん、ヒット時期を今ではなくて、1987年11月と1か月前倒しで記憶していたのかもしれない。

1987年といえば、ワタシゃ18才。高校3年ですわ。

しかも12月といったら、大学受験もボチボチ始まっていたころだ。 
うん、一般入試ではなく推薦試験。

ワタシ、某大学の推薦試験を受けたんだけども、そんとき、頭の中でずっと、ヘビロテで流れていたのが、この曲・・・だったと思ったんだけどなぁ。。。

で、推薦試験は確か11月末か12月頭だったと記憶しているんで、この曲のヒットって1987年11月と勘違いしていたのかもしれない。

いや、頭の中でヘビロテで流れていたのは、一般試験の時だったかな。。。

うーむ、35年も前の話じゃ。。。今となってはあいまいな記憶ですわ。。。

そもそも、推薦試験の時期さえ定かに覚えてないんだから。。。。

ちなみに、推薦は落ちたのよ。 ・・・なんてさ。。。

推薦受けるくらいだから、さぞかし高校の成績よかったのでしょ・・と思われがちだけど、逆なのよ。
高校のころは、部活に明け暮れ、授業はひたすら寝てたからさ。成績はケツですよ、ケツ。
で、一般試験ぢゃ受かんないと思ったんで推薦受けたの。

通ってた高校は一応、進学校だったけど、成績はケツでも、意外とすんなり推薦出してくれたのよ。
もっとも、こいつは一般じゃ受かんないだろうな・・・っていうんで、どっかに押し込めたいがために推薦出してくれたんだろうけど。。。今考えると。。 

ちなみに通ってた高校、成績表は、表向き5段階評価だったけども、実質は3〜5しかつかなくてさ。
そそそ、優が5、良が4、可が3 1、2は赤点よ。

推薦を取るためには、たいていの大学で足切り評価があるじゃん。 成績5段階評価で平均3.5以上とか 4以上とか。
ワシ、総合では学年ケツだったけど、地理と生物だけはめちゃくちゃ強かったんで・・・
特に地理は某K塾模試で県内トップとったことあるんよ。。
なんで、ほかの教科で赤点さえ取らなきゃ3以上確定なんで、学年でケツでも、上位大学でなきゃ、足切り評価は、たいていはクリアなのよ。 まあ、その辺は学校側も考えていたんだろうけど。。。

でも、落ちた。。。

いや、受かるわけないのよ。 11月まで部活やってて、受験勉強なんて全くやってなかったんだから。。。ほぼぶっつけ本番で試験受けたから。

まあ、推薦なんて禁じ手を使ってまで楽して大学入ろう・・・って思っていた、アマアマのワタシだったりもしたからなぁ。。。あの頃は。。。

そんなワタシなんで、一般試験なんかに受かるわけがなく、早々と浪人が決定した・・というか、推薦落ちた時点で、半ばあきらめていたんだけども。。。。


だからね、この工藤静香さんの「Again」を聴くと、アマアマだった、あの頃の自分を、ついつい思い出したりしてね。

あ、考えてみれば、あんとき、なまじっか推薦で大学受かっても、大学に入って授業についていけなかっただろうな・・と思ったりもするな。

人生最初の試練だったからもしれないけども、その後の人生を考えるといい経験だったかもしれん・・・と、今は前向きに感じたりもするんだけどね。
長い人生、一度や二度の挫折 あるいは1年や2年の回り道なんてどーってことないのよ・・っていうのが分かっただけでも、よかったのよ。


・・・なんて、このままいくと曲とは全く関係ないことを、ずらずら書いてしまいそうなんで。。。

この曲、基本的には、ソロデビュー曲である、前曲「禁断のテレパシー」と曲調的には、あまり変化ない。 当時のアイドルから考えると、ヘビーなロックテイスト満載な1曲ですわな。

ただ、個人的には、「禁断のテレパシー」よりは、拒否感を感じずにすんなり入っていけたな当時も。

うん、「禁断のテレパシー」は、どこか受け入れがたかったの。

おにゃん子はもちろん、3人ユニットだった、うしろ髪ひかれ隊 のソフトポップ路線ともだいぶ違ったからねぇ。 

工藤静香さんって、ワタシよりも1つ年下だけども、ちょっとお水っぽくも見えて、あの頃から大人っぽかったからな。よく言えば翳があるというか・・・。 そんなところが、すこし山口百恵さんを思わせるところがあったりして、だから、こういうハードロックテイストなのか・・・と思ったりもしたんだけどな。

うん、曲想的には、百恵さんの「絶体絶命」あたりを感じさせるところがあったりもしたからな。

ただ、いかんせん、「禁断のテレパシー」は、まだ歌唱力が伴ってなかった。 
特に、出だしの ♪ 夜明けに抱かれて〜 ♪ の部分。

テレビで歌うたび、いっつも調子っぱずれだったじゃん。 ベストテンで、出演回の歌唱を全部重ねたら、不協和音になった・・・なんて余計な企画もやってたりしたし。。

まあ、そんなこともあって、このヒト、ソロで大丈夫なのか? なんて思えるところもあったのよ。

ただ、第2弾のこの曲では、だいぶ変わったんだよなぁ。歌唱力的には、テレビでは、まだ若干不安定なところがあったけども、板にはついてきていたし。

もしかすると、このヒトはこのまま行けるのかもしれない。。。 

なんて、思い始めたのもこの曲だったんだよね。 ただ、まだ確信的ではなかったな。 
なんせソロ第2弾だったからさ。 次でコケるかもしれないし。。。。

確信的にこのヒトは行けると感じたのは2曲先の「FU-JI-TSU」でしたね。

 


秋元康氏の歌詞って、個人的には、内容が薄いなぁ・・・と感じたりして、触手が伸びないところもあるんだけどね。
放送作家出身ということで、コトバが直接的と感じることがあるのかもしれん。そこに嫌悪感を感じることがあるんだろうね。
ただ、時代を感じるところもあるのよ。

例えば、93年の国武万里「ポケベルがならなくて」なんてのは、93年っていう時代だったからこそ成り立つ曲だったりするわけじゃん。

この「Again」の前曲、「禁断のテレパシー」に出てくる「プールバー」っていうコトバも、87年っていう時代じゃなきゃ成り立たないよなぁ。

「プールバー」・・なんて、若いコにゃ理解できないですかねぇ。 プール付きのバーぢゃないですよー なんて、一応ボケてみる。。。

ビリヤード台が置いてあるバーですね。 そそそ、ビリヤードをやりながらお酒が飲める、ちょっとおしゃれなバーですわ。

あのころ、映画「ハスラー」の影響で、猫も杓子もビリヤードだったらなぁ。 当然「プールバー」もかなり流行りましたよね。

今考えると、「プールバー」っていうのも、バブル時代の一つのアイテムだったかもしれないですね。


残念ながら、当時18で未成年だったワタシは、「表向き」は酒が飲めないことになっていたんで、(飲んでたけど。。。)、「プールバー」は体験したことがないのよ。
大っぴらに飲める頃には、大分下火になっていた気がするし。。。

ただ、ビリヤードは、あの頃はちょっとだけやりましたね。 でも全然うまくならないんで、大分やってないけど。。。。

・・・・なんて、この曲を聴くたびに、ついつい、この言葉に引っかかって、時代を感じてしまうワタシだったするんですわ。

31日、久々に紅白出演する工藤さん。 35周年メドレーをやるらしいけど、この曲もやるんですかねぇ。。。




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オリコンウイークリー通巻400号(1987年6月8日号)

またまた、凝りもせず、オリコンウイークリー記念号!
今回は通巻400号(1987年6月8日号)

●表紙 荻野目洋子さん
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前回の300号同様、一目で「記念号」と分かる表紙でしたね。
300号の時は、オリコンウイークリー創刊号の復刻掲載が「目玉」だったけど、400号での目玉は、何と言っても筒美京平氏のスペシャルインタビューだったろうなぁ。

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マスコミには出ない・・と公言し、当時マスコミのインタビューはほとんど断り続けていた筒美京平氏でしたからねぇ。
その筒美京平氏がオリコン誌のインタビューに登場する。これだけでもスゴいことだったしね。まあ、筒美京平氏の作曲家デビュー20周年と、オリコンウイークリー400号というタイミングがうまい具合に重なったことと、あの頃はバブルが始まっていたし、お金をかけることも出来たこともあったんだろうね。そういうことで、こんな豪華インタビューが実現したんだろうなぁ。
一時は、「幻」なんじゃないか、何人かで構成されるゴーストライター集団の総称なんじゃないか・・なんてささやかれていた筒美氏だったし、ご尊顔を拝見して感激しましたねぇ。

もう一つの、スぺシャル特集はこの当時時点までの、オリコン歴代売上げランキングの掲載でしたね。シングルについては、それまでも何度か目にしていたものの、アルバムの歴代売上げランクについては、この時がはじめて目にしたような気がする。
併せて、1968年のオリコンスタート以降の年度別の年間ランキング、シングルTOP20&アルバムTOP10の年間売り上げ枚数入りでの掲載と、データについては大盤振る舞いしてくれましたね。


●今週のランキング
えー、毎度毎度のことですが、週間ランキングの写真掲載はメンゴ。
▼シングル
1位は、おニャン子クラブ「かたつむりサンバ」が初登場首位。

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表紙の見出しにもなっているように、おニャン子クラブとして6作目の1位。
とはいえ、次の週は9位に急降下。ベスト100位内にわずか5週しかとどまれない・・というように、1位獲得したものの、この頃になると人気も完全に「一般性」を失っていた訳よ。
件の「夕ニャン」の視聴率もだだ下がりで、これから2か月後の8/31を持って終了。同時に、おニャン子クラブは解散。
・・というわけで、この曲がおニャン子クラブとしては最後のシングル1位獲得曲というわけですな。

その他ベストテン内を見ると

3位 サマードリーム チューブ
7位 IT'S TOUGH 渡辺美里
8位 モノトーンボーイ レベッカ
9位 Get Wild TM NETWORK
10位 Strangers Dream ジャッキーリン&パラビオン
と半分はロック、ニューミュージック勢と、再びロック・ニューミュージック勢の躍進が目立ってきていた頃。 
まあ、ジャッキーリン&パラビオンをロック、ニューミュージック勢の範疇に入れていいかは微妙だと思うけど、昨今で言えばシティポップスなので。。。
いずれにしても70年代終盤〜80年代初頭にかけてのニューミュージックブームの頃の、ロック第2次世代とはまた違う、ダンスビートや鋭角的で独特なグルーヴが特徴のロック第3世代の台頭が本格的になってきていたのよ。
逆にアイドルはマニア向け化が進行。いわいるB級、C級といったマニア向けアイドルの拡大が進んできていた頃ですな。
そんな音楽トレンドの変化がランキング上でも目に見えて分かるようになってきた頃ですね。

▼アルバム
1位は、 松田聖子「Strawberry Time」が前週からの1位を堅持。

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この週 
2位 SUMMER DREAM チューブ
3位 JOY AND PAIN 池田聡
4位 Mr.ASIA チャゲ&飛鳥
といったいずれも強力ラインナップの「初登場」勢を抑え、2週連続での首位。
これは、結婚以来一時活動休止していた、聖子さんが本格活動再開した際にリリースされたアルバムですわな。
前回300号の時の「The 9th Wave」でも書いたけど、聖子さんはアルバム強かったんだよね。
ちなみに、シングルの「Strawberry Time」は、前週までの1位は死守できずにこの週は2位
なお、ここに書いたのは「LP」ランキングだけども、他にCD、カセットチャートでも1位。 いわいる「3冠」達成週というわけですな。

1987年6月第1週時点では、アルバムチャートは、まだ、LP、CD、カセット、それぞれ個別のチャートとして掲載されていたけど、この年の10月からは、これら3チャートの合算ランキングとして新たにアルバムチャートがスタートすることになる。
この頃になると、LPよりもCDの売り上げの方が確実に高くなっていて、いわいるアナログレコードの下火が顕著になってきていましたしね。
ただし、シングルCDは、この時点ではまだリリースされていない。なので、シングルは、この時点ではすべてアナログの売り上げ。
CDの売り上げが拡大している中で、全体的なシングル売上げ低下が進んでいるのも当然で、一時はこのままシングルCDの発売が無ければ、そのうちシングルは無くなるんじゃないか・・なんて個人的には思っていたなぁ。
そんな危惧も、翌年2月末のシングルCDリリース開始で一気に解決しましたが。。。

でも、あの頃のアナログレコードが置かれた状況を知っているだけに、昨今のアナログレコード復権の兆しは不思議な現象・・・に感じるんだよね。
まあ、これも時代の流れなんだろうけどね。


●その他のトピックス
前回の300号でも書いたように、いわいるオリコン読者向けのための、「オリコン通信」のページ数が多くなっている時期ですね。 

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その中からオリコン読者有志による「読者集会」なるイベントが盛んになってきていたのがこの頃。今で言えば「オフ会」だよね。
まあ、ほとんどがアイドルファン同士の交流の場であったこともあり、チャートファンだったワタシは参加したことは無い。
ただ、これら「読者集会」を取りまとめていた一人である、当時奈良県在住だった「THE CHARTER☆7」さんとは、件のオリコンチャート研究会を通して、この後、知り合うことになる。
ハンドルネームでも分かるように、もともとはアイドルファンというよりは、チャートマニアでオリコンを読み始めていたこともあり、うちらのグループにも接触してくれたとの事だったかなぁ。
もう久しくお会いしていないけど、元気でしょうかね。 

ちなみに、ワタシは、この時17才 高校3年。
半年後には大学受験というのに、まだのほほんとしていた頃。
そりゃ、受験失敗するよなぁ〜。

KID / 田原俊彦

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今回の1曲セレクトは、「KID」田原俊彦です。

まずはデータでする。

・タイトル    KID
・アーティスト  田原俊彦
・作詞      阿久悠
・作曲      井上ヨシマサ
・編曲      清水信之
・リリース日   1987年1月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   6.5万枚
・THEHITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1987年2月2日〜2月16日付

昨夜、NHKBSプレミアムで放送された「田原俊彦“還暦前夜!”スぺシャルワンマンライブ」、なかなか良かった。
90分にわたって、久しぶりにデビュー曲「哀愁でいと」からの数々のヒット曲を聴けたし。 なにより、今日2月28日で、トシも60才になったんですねぇ。
デビュー当時から「赤」が似合っていたトシではあるけど、まさか、「赤いちゃんちゃんこ」を着る年齢になってしまうとは・・・。
デビュー当時のトシから思うと、全く想像がつかなかったよなぁ。
BUT、昨日のライブでは、そんな年齢−還暦−には、全く思えないような「踊り」を披露。
「哀愁でいと」のサビ前の♪I SAY〜!♪の足上げポーズや、「原宿キッス」の、♪一度お願いしたい〜♪の開脚もみごとでしたね。
ま、確かに本人自ら指摘していたように、ターンのスピードとか、踊りの「切れ」は、20代のピーク時に比べると少し落ちていたように思えたけど。。。でも60才でここまで踊れるのは、素直にスゴイと思いましたわ。

・・・ということで、トシちゃん還暦〜60才〜を記念して、今回の1曲セレクトはトシちゃんの曲を持ってきたい。。。

・・・と意気込んだものの、さっすがに、トシの曲・・・特に今頃の時期にヒットしていた曲は、すでに大体、書いちゃったんだよな・・・・

・・・と言い訳しようかと思っていたら、1曲ありましたわ、まだ書いてない曲が。。。

「KID」 

1987年1月にリリースされ、今の時期にかけてヒットしていたこの曲、覚えてられる方、どのくらいいらっしゃるでしょうねぇ。

ま、当時、トシちゃんファンであった方には、常識的な曲ではあると思いますが、トシちゃんファン
以外の方は、すでに死角に入られている方も多いかもなぁ。

前年から4作続けて、阿久悠氏作詞、プロデュースのもと、アイドルから脱皮、大人のアーティストへのアプローチを試みたプロジェクトの最後の曲、それがこの曲になるわけですね。

デビュー7年目を迎え、アイドルから大人のアーティストへの脱皮と言うこの試みは、今となっては理解できるけど、当時は、今一つピンとこなかったな。

理解しようと思う前に、ヒット規模が以前にもまして縮小していたし、なにより、86年当時のおニャン子旋風の前に、今一つ時代との折り合いがついていないようにも映っていたんだよね。

もしかすると、このままトシちゃんはフェイドアウトしていくのかもしれない。。。なんて感じてたなぁ。

そんな中でのこの「KID」のリリース。

通常だったら、このまま引っかからなかった今間通り過ぎていたのかもしれないけど、どういうわけか、この曲にはひっかかった。

なんでなんだろう?・・・ってところなんだけど、 やっぱりジャニーズでの盟友、まっち先生と久々にヒット時期が重なったっていうのも大きかったんだろうね。

そそそ、まっち先生の「愚か者」のリリースが1987年1月1日。しかも、まっち先生にとっても久々の大ヒットだったからさ。これは、トシも一つ、久々に大ヒットで、まっち先生とのヒットチャート上の共演を・・と言う気分になった様に思いますね。

まあ、それ以前に、この曲の音の分厚さ、音圧のすごさ、ただ疾走感あふれる曲調だけに、重すぎない独特な重量感についつい耳が行っちゃったんだよな。

トシの曲って、ここまで音が厚くて音圧が凄い曲、それまでのシングルではあんまり感じたことなかったからさあ。 
イントロ最初のファンクベースに続いて、ブラス隊の分厚い音の運び。 これにやらちゃったところもあるな。
ま、当時、個人的にもブラスをやっていたこともあってブラスには耳が行っちゃってたところはあるけど、ここまでの分厚いブラスは、少なくともアイドルソングではあんまりないしね。

あ、ダークなラテン風なイントロの流れにも引っかかったと思う。
作曲の井上ヨシマサ氏による、ダークで小悪魔的、かつ音圧の高いイントロ、サウンドというと、個人的には、どうしても、91年のミポリンの「Rose」を思い浮かべてしまうんだけども、そこに至るまでの最初の曲と位置付けてもいいんじゃないのかなぁ・・なんても思ったり。


確かに82年の「原宿キッス」のイントロでの分厚いファンクベースなど局所的には音圧を感じた曲がそれまでもあったことはあった。

けど、ここまで曲全般にわたって音が厚い曲って、それまで無かった・・に少なくとも当時の時点では感じたんだよね。


兎も角、この頃になると、おニャン子のお気楽な曲調に個人的には辟易していて、もっと刺激のある曲を聴きたい・・そういう気分になっていたんだよね。
そこに持ってきて、この曲のような刺激のある分厚い曲が来たわけでさ。 引っかかったのも当然だったかもしれないな。





ちなみに、この曲って、作曲者 井上ヨシマサ氏による、曲、アレンジ同じ、歌詞違いの別曲が存在するんだよね。

↓ コレ 「赤と金のツイスト」



リリースは、この「赤と金のツイスト」の方が1か月後だけど、楽曲作成はこちらの方が早かったため、「赤と金のツイスト」の方がオリジナルだそうですわ

なんてかいてるワタシも、今回、初めてこの曲の存在を知ったんだけども。。。。

ちなみに、著作権上は「赤と金のツイスト」と「KID」は別曲扱いIになってる
(「赤と金の〜」作詞者の川村真澄女史、「KID」作詞者の阿久悠氏いずれもJASRAC会員なんで著作権使用料分配のために別曲扱いになっているんじゃないかな)けど、楽曲管理はいずれもジャニーズ事務所になってたりして。。。ちょっと変わったパターンの曲ですな。

それにしても、井上ヨシマサ氏も長いですね。 未だにAKBグループなどに曲を書かれているし。。。



ところでさ、1986年あれだけ全盛を誇っていた、おニャン子関係も、年が明けて1987年になると、やや求心力が落ちて来てたんだよね。

まあ、今考えると、時代の流れなんだけどさ。
そんなタイミングで、今回のトシちゃんの「KID」をはじめ、まっち先生の「愚か者」とか、明菜さんの「TANGO NOIR」、キョンキョンの「水のルージュ」とか、マイナー系ではあるけど音圧が高い、おニャン子とは毛色が違う、対極的な曲が相次いでリリースされて来てたじゃん。 

今考えると、おニャン子の他の陣営も仕掛けて来ていたんだな・・というのがよくわかるんだけども、当時は、そこまでは見えてなかったんだよね。

まあ確かに1987年っていう年はレコード売り上げは底だったんだけど、これはあくまでシングルCD化が遅れた代償であってさ、今になってみると、次のステップへの「種」は確実に蒔かれていたんだな・・っていうのが分かりますね。

そういう意味もこめて、1987年の曲については、今一度見直してみようかなぁ・・なんて思っているんですよね、個人的には。


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Dance With You / TUBE

1987_09_Dance With You_チューブ


今回の1曲セレクトは、「Dance With You」TUBEです。

まずはデータから。

・タイトル    Dance With You
・アーティスト       TUBE
・作詞      亜蘭知子
・作曲      栗林誠一郎
・編曲      長戸大幸
・リリース日   1987年8月26日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   11.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1987年9月14日〜10月12日付

昨日、夏の終わりを感じさせる曲ということで、C-C-Bの「不自然な君が好き」を書いたんだけども、本当は、今日引っ張ってきた、この曲が本命だったのね。

TUBE 「Dance With You」

正確には「夏の終わりを感じさせる」というよりも、「秋を感じる」というほうが正しいんだけども。

なぜにこの曲が「秋を感じさせる」のか・・と言ったら、やっぱり、ザ・ベストテンでの黒柳さんの「秋でも売れるチューブになってよかったですね」っていうコメントに尽きますね。

前年の「シーズン・イン・ザ・サン」のブレイク以来、「チューブ=夏」っていうイメージが定着して・・・うんにゃ、んな生易しいもんじゃなく、夏以外は活動してないようなイメージになっちゃったじゃん。

まあ、現実に前年の86年については冬はシングルリリースしてなかったしな。 いや、正確に言えば
9月に「ビコーズ アイ ラブ ユー」っていうバラードをリリースしてたんだけども、ベストテン入りできずに、今一つ不発だったために、一層「チューブ=夏」っていうイメージが強くなっちゃったんだよね。

そんなわけで、翌87年は、秋にリリースしたこの「Dance With You」も、めでたくベストテン入りし、件の黒柳さんのコメントに繋がったんだろうね。

たださ、やっぱり、私的には勘違いしてたんだよなぁ。 

「秋でも売れるチューブ」ということで、やっぱり9月リリースの10月のヒット曲とずっと思いこんでたんだよなぁ。

そしたら、実際はリリースが1987年8月26日の、9月のヒットだったんだよね。

うーん、そうだったかなぁ。 やっぱり昨日書いたC-C-Bの「不自然な君が好き」同様、この曲と言ったら、スズムシの鳴き声っていうイメージが強いんだけどねぇ。。。

そそそ、当時、この時期になると毎年、おふくろがどこかからか貰ってきて飼ってたスズムシ。

その証拠に、ベストテンから録音したカセットの後ろにスズムシの鳴き声も入ってたんだけどなぁ。。

いや、あれは、徳永英明の「輝きながら」だったかなぁ・・・・。

ただ、今、この曲のベストテン入り期間を改めて調べたら、確かにランクインしてきたのは、1987年9月14日と、丁度33年前の今頃だったわけだけど、それから1か月間ランクインしてたわけで、やっぱり10月までベストテン入りしてたんだよな。

恐らく、ワタシの中では、そんなベストテン入り終盤の頃の記憶が残っていたのかもしれないな。

昨日のC-C-B「不自然な君が好き」はニューウェーブっぽくて、当時は引っかからなかったと書いたんだけども、この「Dance With You」は好きだったな。

まさか、TUBEがこんなダンサブルなポップチューンをやってくるとは思っても見なかったし、これがダンスナンバーが合うんですわ。

デビュー曲からそうだったけど、この人たちはもっと土臭い曲の方があってるようなイメージだったんだけどね。

その証拠に、前年秋にリリースした「ビコーズ アイ ラブ ユー」は、いわいるシティポップっぽいバラードだったじゃん。どこかオメガトライブを意識したかのような。
だからあんまり売れなかったのか・・とも思えちゃったりするし、 そうなるとやっぱり土臭い、どこかダサい曲の方がこの人たちには合ってるのか・・ともますます思えたりしてたんだよね。

そこにきて、このダンスチューン。 でも、予想に反してこの人たちにもあってたんだよなぁ。

やっぱり、オメガトライブになり過ぎてなかったのがよかったんだろうな。 つまりダンスチューントイッテもシティポップにより過ぎなかったところかよかったんではないかってこと。

作詞 亜蘭知子  アレンジ 長戸大幸 っていうのは、「ビコーズ アイ ラブ ユー」と同じ布陣だけど、勉強したんだろうね。 同じ轍は踏まないってところは、さすがはビーイングの中心メンバーというところですかねぇ。

ただですよ・・・。オリコン最高位は前曲の「サマードリーム」と同じ3位まで行ったものの、売り上げが半減なんだよなぁ。
うーむ、このあたりがちょっと個人的には納得しがたいんですけどねぇ。。。。

秋でも、ベストテン入り、売れてよかった・・というても、やっぱりTUBEは「夏」っていうイメージが俄然強いって事だったんだろうね。




「ザ・ベストテン」の初登場の時のだ。
うーん、スタジオで歌った時があったんだな。 どうも、この曲って野外で歌っているイメージが強かったんでね、ちょっとこれは意外だった。
しかも、キーが半音低いよな。 だからなのかレコードで聴いたときのスピード感、独独のドライブ感も今一つですねぇ。

それでも高々2分半のワンハーフ(TV用)でも、ここまで生演奏でノせてくれるとはね。メンバー一人一人は、まだまだみんな若かったけどテクニックはあったんだよね。
さすがはビーイング系というべきですかね。


関係ないけど動画の冒頭は、年末にジャニーズ退所を発表した少年隊のニッキ。「君だけに」でランクインしてた時ですね。


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WANDERER / チェッカーズ

1987_08_WONDERER_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは「WANDERER」チェッカーズです。

まずはデータでする。

・タイトル     WANDERER
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞        藤井郁弥
・作曲       鶴久政治
・編曲       THE CHECKERS FAM.
・リリース日   1987年7月8日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  20.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1987年7月20日〜9月7日付

毎度毎度〜な事ですが、やっとここまで辿りついた・・・って感じだなぁ。
何の事かって? いや、こうやって1曲セレクトを書くためにPCに向かうまでが長かったって事なんですが・・・。
たしかに、最近は同じようなマクラをいつも書いてるような気がするけど、今回はいつも以上にここまで来るまでが長かったような気がするなぁ。

いや、実は前回ブルーハーツの「情熱の薔薇」を書いた直後から、次はこの曲もってこよーっと・・・って言うのは決めてたんだけどね。

そこから実際に、こうやって「書こう」と思ってPCに向かうまでが長かった。

なぜにそんなに時間がかかったのか

答えは簡単で、この曲、どう書いたらいいのか、良く分かんなかったんだよね

バーローそんな曲持ってくんな・・・なんて言われそうだけども、正直、個人的にこの曲にめちゃくちゃ思い入れがあるか・・というと、それほどでもないんだよな。

・・かといって、ヒット当時全く聴いて無かった・・・と言う事でもない。 現に、手元にこの曲のシングル音源はある。

ただ、どうも今一つ、流しちゃうんだよね、気分的に。

どうしてなんだろうねぇ。 いや、1985年の「俺たちのロカビリーナイト」もそうだった。 当時、チェッカーズはキライじゃ無かったし、曲ごとにそれなりにどっぷりと曲に浸かってしな。

どうなんだろう? 個人的に、チェッカーズの夏の曲には、生理的な「鬼門」なところがあったのかもしれないな。

現にこの後、1990年夏の「夜明けのプレス」も、チェッカーズ久々の大ヒットになったにもかかわらず、流してしまったんだよな。おかげで、つい最近まで音源を持ってなかったし。

特に「夏らしい」夏の年のチェッカーズの曲とは、あわなかったような気がする。 

だからという訳でもないだろうけど、「冷夏」だった1988年夏の「Jim&Janeの伝説」は大好きだったりする。。

まあ、単純に曲調と個人的な好き嫌いの巡り合わせなんだろうけど。。。。


ただ、この「WANDERER」。本当に引っかかりが無かった。 
上で書いたように曲調的な引っかかりを感じなかったっていうのもあるだろう。 

でも、それ以上に、この曲がヒットしていた1987年夏当時、個人的にヒット曲全体に対して興味が薄れ来つつあったって言うのも大きかったかもしれない。

その一番の原因としては、やっぱりヒットチャートが壊れてたよね、この頃って。 

いわいるアナログレコードからCDへの移行期っていうことで、アルバムはそこそこに売り上げが回復しつつあり、ヒットも出つつあった。

ただ、シングルは、この時点ではまだシングルCDは発売されておらず、依然としてアナログドーナツ盤頼みな状況。そんな中、全体的なシングルの売り上げは急激に減少してましたよね、この当時。

当然、ヒットらしいヒットは少なくなっている状況。 1987年夏は、そんなシングルの売り上げ状況が一番「底」だった時期なんだよね。

ヒットチャートを一番のモノサシに「ヒット曲」を追いかけるっていう、ちょっと変わった音楽の聴き方をしてるヒトなんで、ヒットチャートに元気が無くなると、途端にワタシも曲を追いかける気力が薄れてくる。

ちょっと因果な音楽の聴き方してるよね。

だからさ、当時、この曲を流し聴きにしてたのは、当時のヒットチャートの流れからすると、ある意味当然だったのかもしれない。


ただ、ヒットチャートとして特にシングル盤の売り上げは、この1987年7月を「底」にV字回復をする。

この次の年、シングルCDが発売を開始したと言う事もあるけど、その一番の要因は・・・、そう、光GENJIの登場ですね。 彼らの登場が劇的なカンフル剤になったんだよね。

逆に時を同じくして、おニャン子クラブが解散。 ある意味ヒットチャートをぶっ壊した当時者であった、おニャン子クラブの解散と同時にシングル売り上げが回復するっていう流れは、ヒット曲界全体を見ても「ヒニク」だったよな。

で、当のワタシはというと、光GENJIの登場と共にヒットチャートの回復、シングル売り上げの回復という状況を見て、ヒット曲への追いかけ熱が再燃したのは言うまでもない。


ちなみに、今回引っ張ってきた「WANDERER」、ヒットチャート的に見ると、チェッカーズ唯一のオリコン1位獲得曲なんだよね。

・・・なんて書くと、恐らく「何言ってんですか、このヒトは」って言うクレームがたちまち来るんだろうね

いやいや、チェッカーズが「自分たち」でシングルを書くようになってから唯一のオリコン1位獲得曲ってことですね。 
もちろん、自分たちでシングルを書く以前、売野−芹澤コンビの頃は、それこそオリコン1位は多数(8作)獲得してるけど。
でも、自分たちでシングルを書くようになってから、この曲が唯一のオリコン1位獲得曲っていうのも、今思うと、結構意外な流れだったのかなぁ。

この曲の1曲前の「I Love You SAYONARA」の方が、当時はスタンダードだったし、実際、「WANDERER」よりも枚数的に売れたしね。

でも、この曲は結局オリコンでは最高2位止まり。 リリースが少年隊の「Stripe blue」とパッティングしたんだよね。 チェッカーズの初動も強かったけど、さしもの少年隊には、超僅差ながら初動で敵わず。
逆に、この「WANDERER」の時は、ミポリンの「50/50」とリリースがバッティングしたけど、この当時のミポリンは、トップアイドルへ驀進していたとはいえ、まだオリコン1位をとった事が無かった。まだ上り調子の真っただ中だったんだよね。

そんな、バッティング相手の違いがランキングにも大きく影響してくる。 これは、今でも基本変わらない事だけど、最近は、強豪アーティスト同士のバッティッング・リリースは避け、チャート1位を分け合うって言う流れが強いからね。 この時のような競合ランキングは起きにくい。 
まあ、そんな「仲良しこよし」的なリリースがランキングをツマラナくしている要因なんだけどね。

いずれにしても、オリコン1位獲得となったものの、初動で首位を獲得出来るような瞬発的なアーティストパワーは、既に限界に来てたって事なんですよね。

 ただ、普通のアーティストであれば、一度アーティストパワーが落ちてくれば、その後立て直すのが難しんだけど、チェッカーズはその後もベストテン入りを維持してきたってところが凄いんだよね。
結局は、92年の解散まで全てのシングルでオリコンベストテン入りを果たした。これは並のアーティストではない事の証明なんじゃないかな。



うーん、当時、引っかからなかったって言うのは、デビュー以来一貫しての、50〜60sロックンロールを下敷きにした、オールディーズ寄りの曲調に飽きが来てたっていうのは、否めないだろうね。

だからさ、この曲の直後にCBCB(キュートビートクラブバンド)名義で、ブリテッシュ寄りの曲を演ったことは、すごく新鮮だった。
それをきっかけに、徐々にUK的な匂いが増していったチェッカーズだけど、それはそれで正解だったんじゃないかな。 あのままオールディーズに固執してたら、果たして92年まで持ったかどうか、疑問なところだ。


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駅 / 竹内まりや

  1991_05_駅_竹内まりや


今回の1曲セレクトは、「駅」竹内まりやです。

まずはデータです。

・タイトル     駅
・アーティスト  竹内まりや
・作詞       竹内まりや
・作曲       竹内まりや
・編曲       山下達郎 服部克久
・リリース日   1991年3月25日
・発売元     エムエムジー
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数 10.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 16位
・タイアップ:映画「グッパイママ」主題歌

先日の「関ジャム」(テレビ朝日系」での竹内まりやスペシャル、けっこう反響がでかかったようですね。
ネットニュースなどでもそうだけど、あの後Twitterでの「竹内まりや」さんに関してのツイートも急上昇してましたしね。
実際、コノ、ブログでも、放送後竹内まりやさん関係へのアクセスが一時的に上昇したりしてたなぁ。

実際的な活動は少ない、まりやさんではあるけど、こんな風に各メディアでの動きを見ると、未だに幅広く根強い人気がある事は分かりますね。

仮に、もしライブツアーをやるなんて発表されたら、チケット入手はかなり難しくなるだろうな。 まあ、今のところそんな発表はされてないけど・・・・。

関ジャムでは、竹内まりやさんの人気曲をベストテン形式で発表されてましたけど、その中での人気1位が、今回引っ張ってきた「駅」。

客観的に見ても順当と言えば順当なのかなぁ。個人的には、ちょっと違和感なんだけども。。。。 

いや、どうしてもこの曲ってアルバム「リクエスト」での中森明菜さんに提供したセルフカバーっていう印象が強いじゃないですか。言ってみれば「アルバム曲」であって元々シングル曲ではない。 

あくまでシングル派なワタシにとっては、その辺がちょっと引っかかったりしてね。 実際のところは88年と91年2回シングルとしてアルバムからカットされているんだけども、個人的には今まで書いて無かったんだよな、この曲。

でも、先日の「関ジャム」の反響を見てて、ちょっと、この反響に乗っかってみようか・・・という「スケベ」心と、何人かに書いてって言うリクエストをもらったもんで。。
本来は、あくまで自分で書きたい曲を書くスタンスなんでリクエスト貰っても書かないんだけど、↑のような「スケベ」心もあって、今回引っ張って来てみました。



この曲、いままで書いて来なかったのは、↑のようにシングルではなく「アルバム」の1曲っていう印象が強いのと、あとはやっぱり曲調ですねぇ。 

使い古しないい方だけど、50〜60年代のオールディーズが似あう、あの濡れたちょっと甘く舌足らずなアルトボイス。 やっぱり、竹内まりやってヒトの真骨頂は「リンダ」や「恋の嵐」のようなオールディーズなポップスだと思ってたんだよね。
少なくとも90年代の初めごろまでは。

そんな折、セルフカバーした「駅」は、歌謡曲寄りの曲だったわけでさ、なんか違うな・・・って言う思いは、当時、常にあった。

そう言う思いから、例えば89年の「シングル・アゲイン」にしても同様な違和感があったし、だから長い事「シングル・アゲイン」は手元に音源も置いて無かったしな。


ただ、この考えはあくまで個人的な生理的な欲求であって、曲自体は駄作ではないんだよな。

3分間の短編映画。 それが「流行り歌」である。  その最たる曲がこの曲なんじゃないかなって思えるほど、ドラマ性溢れる「視覚」的な曲なんだよね、この「駅」って曲は。

♪ 身覚えるある〜 ♪ と曲が始まった途端、脳内ドラマが視覚的に始まる。 

2年前に別れた男性との電車内での思わぬ再開。きっと渋谷あたりなんだろう。電車は(渋谷は地上にホームがあった頃の)東急東横線。。。   別れた男性と1両後ろの車両のワタシ。

MVがまだ一般的ではなかった80年代後半。いや逆にイメージが限定される MVなんて無い方がいい・・そう思わせるような、3分間の自由発想なドラマが、この曲を聴くたびに脳内で展開される。

ただ、当時10代後半〜20代になりたてだったワタシにとっては、まだ経験をした事の無いちょっと大人の世界だったな。 いや、まだ経験をした事が無かった大人の世界だったからこそちょっと刺激的だったのかもしれない。

逆にまだ、経験をした事が無かった、ちょっと大人の世界だったからこそ、100%この楽曲の世界にのめり込め切れなかったという部分もあったかもしれない。 
もしかすると、それが上で書いた、この曲に対する「違和感」だったのかもしれないな。



ところで、ヒットチャート的に言えば、この曲はCDの売り上げでヒットしたと言うよりも別のメディアからのヒットと言うところが強い。

・・・なんて遠回しに書いちゃったけど、もともとは「有線」から火がついたんだよね。

当初、87年8月にリリースされたアルバム「リクエスト」に収録されたこの曲ではあったけど、この年の11月には有線チャートで30位にランクされている。
 当時のオリコンウイクリーをひっくり返してみると、そこからジワリと有線リクエストを集めつつ、翌88年3月には有線チャートでベストテン入り。 そのまま7月まで、計36週にわたりベスト30内をキープしている。

個人的には、曲内容云々と言う前に、有線チャートの上位をロングランしたチャートアクションが、真っ先に印象に残るんだよな。この「駅」って言う曲は。

それまで有線ランキングって言えば「演歌・歌謡曲」の天下だった訳でさ。 仮にも竹内まりやさんのような、ポップスミュージック系アーティストがランキングに長躯君臨する世界ではなかったんだよね。

いや確かに松田聖子さんや中森明菜さんなど、ポップス系でも有線チャートの上位にランクする事が珍しくなかったヒトたちも、それ以前にもいた。

ただ、1位をロングランするなどの派手なチャートアクションを展開すると言う訳ではなく、ベストテン内前後にジワリと「長期間安定」するようなチャートアクションを展開したポップス系の曲って、この曲以前って多くなかったんですよ。

ま、87年の「ロンリーチャップリン」(ラッツ&スター 鈴木聖美)など皆無ではなかったけど。。。特に注目したいのは、アルバムの中の1曲だったって言う事で、これは異例だったんだよな。

この「駅」って曲がそんな流れの分岐点だったんじゃないのかなぁ。この曲あたりを境に、有線でもポップス系でもジワリとランキングを上げつつ、上位をロングランする、ロック・ポップス系の曲が増えて行ったんだよね。
90年代初めには「有線発」のヒットっていうのも珍しい存在では無くなって行ったしさ。

で、それらの曲で共通しているのが、兎に角ロングヒットだったってことですね。 有線って言うメディアに特化していると言えるんだろうけど、有線って基本「口コミ」により少しずつ広がりを魅せるメディアだからさ、そう言う動きになるって事でもあるし、そんな口コミに耐えうるような曲の良さ、大衆性がある、何年たっても色あせない曲でもあるって事なんだよね。

だからこそ、この「駅」のように、あれから30年以上たったいまでも広く支持されているエバーグリーンな曲が多いわけなんだよね。



サザン、達郎氏と並んで、オリジナル動画の数が少ない竹内まりやさんですが、この曲はありましたね。


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ハロー・レディ / 島田奈美

1987_11_ハローレディ_島田奈美

今回の1曲セレクトは、「ハロー・レディ」島田奈美です。

まずはデータです。

・タイトル     ハロー・レディ
・アーティスト   島田奈美
・作詞       松本隆
・作曲       財津和夫
・編曲       西平彰
・リリース日    1987年11月11日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  3.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 21位
・タイアップ:TBS系アニメ「レディレディ!!」挿入曲

12月です。速いもんですねぇ。今年も後1カ月弱ですわ。今年は一体何やってきたんだろ? 
・・・なーんもやんないまま、1年が過ぎたような気がするなぁ、あーあ。
なんて、ブルーな気分が仕切り。。。

さてさて、気を取り戻し・・・。

ここのところ、直球気味のセレクトが多かったような気もするんで、今回はちょっと変化球気味の1曲セレクトにしましょうかねぇ。

島田奈美さんの「ハロー・レディ」。

どうなんだろう? この曲、覚えてらっしゃる方ってどの位居るんだろ? ちょっと自信ない。
曲云々の前に、島田奈美さんを覚えてらっしゃる方がどのくらいいるんだろ? っていうのも不安だったりして。。

前年86年デビュー組の、80年代アイドルの一人だった訳だけどさ、86年デビュー組のアイドルって、アイドルとしては粒が小さいんだよな、全体として。

まあ、少年隊が86年組デビュー組ではあるけど、少年隊だけがずば抜けてて、あとはその他大勢・・・って感じだったしな。。。  
いや、それ以前に、少年隊が86年組っていうイメージも少なかったんだけどさぁ。レコードデヒューする5年も前からテレビのレギュラー持ってたし。

それに86年って言うと、どうしても、おニャン子抜きにゃ成り立ってなかったしねぇ、アイドル界も。

よく80年代アイドルについては、おニャン子以前、おニャン子以後・・・って言う言い方をするけど、それは、おニャン子以後のアイドルは、個々として粒が小さく、それぞれが霞んで見える・・・って言うイメージが強いからなんだよね。それがあたかも地盤沈下を起こしたように、ワタシ的には思えたりしてさ。 

そんな中の一人が島田奈美さん・・って訳で。 ワタシも正直、ずーっと眼中の外だったんだよね。

確かにベストテンギリギリって言うラインで「ザ・ベストテン」にも何曲かランクインした。 その点は、86年の中でも上位人気だった・・・って事なんだろうけど、それで如何せん、ベストテン入りも1週が良いところであっという間にランクから消えちゃうようなチャートアクションを繰り返してた訳で、だから、曲を覚える暇もなかったんだよな。

ま、そう言う事で良いも悪いも、全然分かんなかったっていうのが、本音のところなんだよね。

今回引っ張ってきた、「ハロー・レディ」って曲は、デビュー2年目の 87年11月にリリースとれた曲ですわ。

この曲も1週だけだけど、「ザ・ベストテン」にランクされた。それで辛うじてタイトルは覚えてたんだけどさ、全体的な曲もよく覚えてなかったんだよな、30年近くずーっと。

恐らく、何もなかったら、このままずーっと記憶の外のままだったんだろうなぁ・・と思うんだけどさ。

今年の頭、この1曲セレクトを書くのに、たまたまYOU TUBE見てたら、島田奈美さんの「Free Ballon」が出て来て、冷やかし半分見てたら、これが結構、引っかかっちゃたんだよな。。。

30年前は、ほとんど引っかからなかったのなぁ。 人間の心境の変化は何が起こるか分かんない。

まあ、確かに30年前、「Free Ballon」がリリースされた17才の頃は、全然曲の聴き方も浅かったしな・・ってのもある。

とりあえず、ルックスは可愛いけど、ウタはヘタだよな・・・ってくらいの聴き方だったしさ、だから、肝心の曲まで耳に行ってなかったのはある。

でも、ちゃんと聴くと、結構、引っかかりがあるんだよな、メロディラインが。 それで、今年に入って、超遅ればせながら、改めて掘り返りしてたり、ワタシなんですわ。

今回の「ハロー・レディ」っていう曲、作家陣として、作曲者は「Free Ballon」が林哲司氏だったのに対して、この曲は財津和夫氏・・・っていていう違いはあるものの、全体的な曲調のイメージは、大きく変わっていない。

なんていうのかなぁ、当時のアイドルでも希薄になりつつあった「清楚」っていうイメージかなぁ。

おニャン子以後のアイドルって、より「隣の席の○○さん」って言うイメージに加速がついた、つまりは、より親近感があるような存在だったじゃん。 まあ、それがスター性を失わせ粒が小さく見える最大の要因だったんだけども。 で、となりの○○さんって言うイメージは、同時に神秘性も失わせていったわけで、「清楚なお嬢様」って言うところも無くなってきてたんだよね。

この島田奈美さんも、たしかに隣の「○○さん」って言うところはあるんだけども、たた、ちょっと違ったのは、当時に清楚なお嬢さんって言うイメージも、この頃の曲にはあった。

おそらくは、最近改めて聴いて、その辺を感じちゃったんじゃないかなぁ、ワタシ。

つまりは、80年代アイドルでも、曲のイメージは、おニャン子以前・・・って感じの曲なんだよね。具体的に言えば82〜83年っていうイメージなのかなぁ。

でも、そこがプロデュースしていた松本隆氏の狙いだったのかもしれないし、だから、作曲者も、この曲のように財津和夫氏であり、林哲司氏だったのかもしれない。

具体的に言えば、松田聖子さんフォロワーっていうのを狙っていなのかもなぁ、松本隆氏は。 そんな感じも今となっては受けるな。

でも、松田聖子さんフォロワーはなれなかった・・・っていうのは歴史がモノがったっている訳で・・・。
それ以前に、この「ハローレディ」以後は徐々に尻つぼみになって行く。

以前はね、↑で書いたように、単純に、ウタが下手だったから伸びなかった・・・って言う印象があったんだけども、でも、同じ86年組で、同じくウタが下手だった、西村知美さんは、未だにゲ―ノー界に残ってたりするからねぇ。
その辺も時代のアヤというか、摩訶不思議なとこではあるんだけども。。。。

一見、島田さんの方が芯が強い・・というか我が強そうな印象はあるんだけども、実際はトローンとしてイメージの西村知美さんの方が我が強かった・・・って事なんだろうなぁ。





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Somebody Loves You〜明日の恋人〜 / Babe

1987_08_Somebody Loves You_Babe


今回の1曲セレクトは、「Somebody Loves You〜明日の恋人〜」Babeです。

まずはデータでーす。

・タイトル     Somebody Loves You〜明日の恋人〜
・アーティスト    Babe
・作詞       さかたかずこ
・作曲       中崎英也
・編曲       大村雅朗
・リリース日    1987年7月22日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   9.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1987年8月24日〜8月31日付

昨日今日と、週末は比較的過ごしやすかったな。 昨日は湿度も低くてカラッとしてたし・・・。夜なんか寒かったもんね。この夏の「酷暑」で、ここ暫く夜も布団かけないで、クーラーも26℃設定で一晩中点けっぱなしにしてたんだけど、昨夜はいつ以来だ? ってくらい久々にクーラー無しだったし、それでも寒くてタオルケットをかけて寝たもんな。
明日から8月下旬だけど、そろそろ「秋の気配」ってところなんでしょうかねぇ。 まあ、週明けは、また暑さがぶり返して来るような天気予報だけど・・・。

だけどさあ、8月も下旬になると、昔っから、そろそろ秋の気配を感じさせるようなヒット曲が出てくるよなぁ。

この間書いた稲垣潤一の「夏のクラクション」もそうだけど、他にも結構いろいろと「夏の終わり」を彷彿とさせる曲って多いですわな。

今回引っ張ってきた曲も、そんな「夏の終わり」を連想させる1曲かなぁ。

Babe「Somebody Loves You」。

この曲は、Babeにとってはデビュー3作目のシングル。 前作が大ヒットした「I Don't Know!」だったわけでさ。
「元気印」を標的にデビューしてきたし、「I Don't Know!」も、まさに元気印の塊のようなハジケタ曲だったからさ、この曲もその路線で来るんだろうな・・・なんて思ってたんだけどさ。

でも、実際のところは、そんな予想に反してミディアムテンポだったじゃん。 これは、意外だったんたよな、個人的には。
リリースも7月22日と夏本番だったからさあ。季節的にもさらに元気印がヒートアップしてくるものと思ってたからさあ。初めて曲を聴いた時は「え?」って感じだったのを覚えてるわぁ。

ただ、曲調が曲調だっただけに、夏本番的・・というよりは、夏に終わりに向けて・・・っていう印象は受けたけどな。

そんな印象もあってか、ヒットのピークは、意外と遅かったんだよな。ワタシのチャートでも、リリース直後はそれほど勢いは無かったんだよ、この曲。
ヒットのピークは8月の終わりだったもの。 リリースからピークまで1カ月ほどかかったって事になる。

確かに、人気が上り調子だった「I Don't Know!」でもヒットのピークまでは意外と時間を要した。 ただ、この時は人気上昇中って言うのが目に見えてたからなぁ。

でも、この「Somebody Loves You」の時は、それほど人気に上積みは感じなかった。
まあ、オリコンでは、Babeにとっての最高ランク獲得がこの曲だったりするけど、売り上げは下がったしね。

じゃ、なんでヒットノピークまで時間がかかったのか? っていうと、やっぱり曲調のせいだったんじゃないのかなぁ。

どう聴いても「夏真っ盛り」って言うイメージじゃ無かったしな。 稲垣潤一氏の「夏のクラクション」でも同じ事を書いたんだけど、夏の午後のイメージなんだよなぁ、同じように、夏の白っぽい午後の日差しを感じるんだよ、この曲。 夏休みの午後、シエスタでウトウトしてた時に感じた、カラっとした午後の日差しってところかなぁ。

この曲から感じる印象は。



元ネタは、Sheena Eastonの「9 to 5」ってところですかねぇ。 イントロなんかモロですよね。
まあ、それまでのユーロビート路線にくらべると、大分落ち着いたよね・・・って言う印象は強かったし、時代を遡ってくれた分、個人的には聴きやすかったってところはあるな。

ただ、ちょっと落ち着き過ぎたかなぁ・・・って言うキライはやっぱり、あったんだよね。 実際、↑でも書いたように人気の上積みは感じられなかったし、逆に言えば止まっちゃったようにも思えたし。。。。

まあ、実際、この曲を最後に「ザ・ベストテン」ではベストテン入りから遠ざかっちゃりしたしね。

結局は、「元気印」でしか行けなかったんだよね、Babeって。 幅が狭かったんだよな。 そこが短命に終わっちゃった一番の泣きどころだったんだよな、このヒトたちは。


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