かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1983年

オリコンウイークリー通巻200号(1983年7月8日号)

少し前に出した「通巻100号」に続いて、性懲りもなく
オリコンウイークリー通巻200号!
1983年7月8日号

〇表紙
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この頃のオリコンは、アーティストの表紙から、ごくごく初期のように「新聞記事」のような表紙に戻ってたんだよね。
(ちなみに裏表紙は「ビクター」の広告でしたね)
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・・・・なので、特に一組をズームアップしていたわけではないけど、この週は、サザンの"NEW"アルバム「綺麗」の特集と、ジェニファービールスが取り上げられていますね。
時は映画「フラッシュダンス」公開直前。タイムリーな話題だったわけです。

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「創刊200号」って文字が「100号」の時よりも大きくなりましたな。 ただし、200号だからと言って、特集記事がそれほど大きくなく、比較的ひっそりと200号を迎えたのは、「100号」の時と同じ。


〇今週のチャート
前回の100号に続いて、最近、オリコンさんが煩いので、写真掲載はメンゴ。
シングル1位は 薬師丸ひろ子さん「探偵物語/すこしだけやさしく」が5週目の1位。

1983_06_探偵物語_薬師丸ひろ子

映画「探偵物語」の主題歌で、超話題になったあの曲ですわな。
初動週間売り上げ14万枚は、直近では前年のあみん「待つわ」の週間売上げ17万枚に次ぐ数字じゃなかったかなぁ。
それだけにミリオンセラーが期待されたけど、最終的には84万枚止まり。 レンタルレコードの影響とか言われましたね。
レンタルレコードの影響により、全体的なレコード売り上げ減少が顕著になってきたころですね。
なお、「探偵物語/すこしだけやさしく」は7週連続1位。
あ、「すこしだけやさしく」は、TBS「わくわく動物ランド」エンディングテーマでしたね。
ちなみに、当初は「すこしだけやさしく」が「探偵物語」だったんだけども、どうも薬師丸さんがお気に召さなかったようで、カップリング予定だった「海辺のスケッチ」という曲を「探偵物語」にしたというのは、作者の大滝詠一氏の弁。

アルバム(LP) 1位は 山下達郎「MELODIES」が前週に引き続きいての首位。

MELODIES_山下達郎jpg


今や超スタンダートナンバーとなっている「クリスマスイブ」がラストに収録されている、8枚目のオリジナルアルバム。
前作「For You」、前々作「RIDE ON TIME」に引き続いてのオリコン首位獲得で、トップアーティストの座を揺るぎないものにした1枚ですね。

ちなみに、2位には松田聖子さん7枚目のアルバム「ユートピア」が付けているんだけども、「MELODIES」の前の首位が「ユートピア」で、この週の週間売り上げ枚数も「MELODIES」と大きな差が無い。

ユートピア_松田聖子

この頃にもなるとアイドルは「シングル」・・という以前の常識は覆され、「アルバム」も売れることがトップアイドルとしての証明になってきていましたね。

〇その他のチャートアラカルト

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100号の頃4ページにわたっていろいろなランキングの掲載があったけど、この頃は大分削られ2ページに。。。。
その中でテレビ視聴率の掲載は健在。

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音楽  ザ・ベストテン TBS 27.9%
ドラマ おしん     NHK 52.1%
バラエティ クイズ面白セミナール NHK 35.7%
アニメ  サザエさん  フジ 29.3%
がそれぞれこの週の首位(いずれも関東地区)
音楽番組は「ザ・ベストテン」が依然として強し。 ただし前回100号(1981年)に比べると視聴率は下がりつつあるころですね。
この週は関西地区では30%を上回ったようですが、30%を上回ることは少なくなってきたころ。
音楽番組が成熟していく中で、ベストテンも「全盛期」は過ぎていましたね。

ドラマは、「おしん」が強し! この週の最高視聴率は52.1%❗️ 関東地区全世帯の2軒に1軒以上は見てた・・と。 
ちなみに、番組最高視聴率はこの年11月12日放送の62.9%。
この週の52.1%は、まだ、最高視聴率に向かう「賭場口」に過ぎなかったわけですね。さすがに社会現象になったドラマだけありまして。。。

2位はこの年の大河ドラマ「徳川家康」。
100号時(1981年)の「おんな太閤記」(豊臣秀吉が主人公)もそうだったけど、大河は「織田、豊臣、徳川」に勝るものなしっていうのが、よく分かるんだよな。
やっぱ、分かりやすいからなぁ。 来年も「松潤」で徳川家康やるらしいけど、どうなりますことやら。。。
いずれにしても、この年もNHKの朝ドラ、大河が他のドラマを圧倒した年になりましたわな。

バラエティ NHK「クイズ面白ゼミナール」が首位。
うーん、これって当時の視聴率ランクを常に見てなかった方にしてみると意外なのかなぁ。。。
個人的には、意外に感じたんだけども・・・。、日曜19:20〜と大河の前番組だったんだけども、次の大河の視聴率が良かったこともあって、つられて見てたって方も多かったんじゃないかなぁ。。。いわいるぶら下がり健康番組という。。。
その他では、やっぱり「欽ちゃん」が強かったんだよね。
当時の冠番組である「欽どこ」「欽ドン!」「週刊欽曜日」、いずれも20%越え。 視聴率100%男と言われていたのがこの頃ですね。 ちなみに「欽ドン」では、「良川先生」をギバちゃんがやってた頃。

〇そのほかの特集記事
この週はなぜか「ハンバーガーショップ」の特集。

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当時、巷に展開していたハンバーガーチェーン店の比較特集でしたね。
「マック」はさておき、「ウェンディーズ」「ロッテリア」「森永ラブ」「ファーストキッチン」「サンテオレ」・・と今では名前を聴かなくなったチェーン店が。。。。逆に「モス」は取り上げられていない。
当時すでにチェーン展開していたはずだけども、まだまだマイナーな存在だったわけですわ。


ちなみに、この200号の時、私は13才。中学2年。
いわきから千葉に越して来て丁度1年が過ぎ、千葉の生活にもだいぶ慣れてきたころだ。
めちゃくちゃラジオ小僧で、週末「6本」ものラジオのランキング番組にかじりついていたのもこの頃。
オリコンウイークリーの存在も既に知っていて、あちこち、本屋を探し回ったけど、なかなか見つからなくてね。。。
本当は、行きつけの「新星堂」においてあったんだけども、当時のオリコンってサイズがでかくて、ポスターのように丸めて売ってたのよ。 それわかんなくて、ずっと見逃してたんだよな。。。😅😅😅


前回の100号あたりは、ヤフオクでもなかなか出ないけど、この200号辺りは、比較的出品されますね。
この頃になると、オリコンも部数が大分増えていたんで、それだけ現在でも存在しているものと思われます。
ヤフオク、注意深く閲覧していれば落とせる確率は高いですね。 興味がある方はどうぞ。

写真の冊子は、ウチにあるやつだけども、実はワタシのではないんだよね。
以前、一緒に「オリコンチャート研究会」という自主サークルを組んでいた時にリーダーが所有していたもの。
リーダー、2000年に33歳の若さで早逝してしまったんだけども、その際、形見分けということで、通巻102号〜240号までを私が引き継いで、自宅に持ち帰ってきたもの。
なので、正確に言えば預かり品ということで。。。
まあ、そんな大事なものならば、もっとキレイに扱えよ・・・ってとこなのですが。。。😵😵😵😵








哀愁のワインディングロード / 横浜銀蝿

1983_12_哀愁のワインディングロード_横浜銀蠅


今回の1曲セレクトは、「哀愁のワインディングロード 」横浜銀蝿だぜい!

まずはデータ

・タイトル    哀愁のワインディングロード 
・アーティスト       T.C.R.横浜銀蝿.R.S.
・作詞      翔
・作曲      翔
・編曲      T.C.R.横浜銀蝿.R.S.
・リリース日   1983年12月5日
・発売元     キング
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数   11.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

今回引っ張ってきた曲は、「すでに書いたと思ってたけど、実際まだ書いてなかった曲」な曲だなぁ。

横浜銀蝿の「哀愁のワインディングロード」。

この曲、とっくの昔に書いた・・・ような気がしてたんだけどなぁ。

いつもの如く、次の1曲セレクト候補を探しつつ、昔のオリコンチャートと、自分のブログのアーカイブを見比べていたら、引っかかってきたんだよね、この曲。

うーむ、これは完全に慢心だったな。  

銀蝿としては8枚目のシングル。この曲をリリースする前には、解散を発表しており、 事実上のラストシングルだったわけなんだよね。

それもあって、「哀愁のワインディングロード」と書いて、「わかれのワインディングロード」と読ませる。

リリースは1983年12月5日。 そして、12月31日の新宿コマライブを持って解散。

果たして、ラストシングルも、それまで同様、3コードの単純明快なロックンロールで行くのかと思ってたけど、、実際は、イタリアンツイストをベースにした、G.S風なガレージっぽいナンバーだったんだよね。

デビュー時、3コードのロックンロールで、突っ走れるところまで突っ走る・・と明言していた銀蝿だけども、それまでのシングルから、少し変化球なナンバーに、当時は少し戸惑ったのを覚えてるな。

それでも、「哀愁の〜」のというタイトル通り、サビれた男の哀愁感がもろにじみ出ていて、それまでの銀蝿のシングルでも、個人的には印象に残る1曲ではあったんだよね。

少なくとも、もろコミックソングっぽかった、前曲の「お前にピタッ!」 とか、その前の「あせかきべそかきRocn'Roll run」の近田春夫氏曰く、道徳的な1曲 に比べると、カキワリが一切ないストレートな1曲だったしな。

ただ、最後の最後に来て、それまで貫いてきた単純明快なロックンロールから、少し変化球な曲調であったのは、やっぱり少し寂しかったことは寂しかった。

正直、それまで何があってもロックンロール1本で突っ走る・・と 文字通り「ツッパリ」通してきた意地はどうしちゃったの? なんて気分にもなったりしたなぁ。

まあ、考えるにロックンロール1本では限界が見えたから、潔く解散を決意したんだろうし、最後の最後に来て、少し変化球な曲調を持ってきたんだろうけど。

それでも、1980年のデビューから実質3年間で武道館満杯、オリコンアルバム1位獲得というデビュー時の公約は果たしたわけで、音楽界に足跡を残したことは間違いない。
ただ、オリコンシングル1位獲得という公約を果たせなかったのは、心残りなんだろうね。
最高は、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」の3位。

それもあって、ラストシングルのこの曲には賭ける思いもあったようだけど、さすがにそこまでのアーティストパワーは残っていなかった。 シングルではデビュー以来最低の16位に沈む。


蛇足だけど、オリコンではシングル1位が取れなかったけど、「ミュージックラボ」では、82年の「あせかきべそかきRock'n Roll run」で1位をとっていたりする。
でも、「ミュージックラボ」の1位ぢゃ、満足しなかったんだろうなぁ、きっと。


デビューの1980年から、一貫してドカンに革ジャン、リーゼントという「ツッパリ」スタイルで通してきた銀蝿。 たしかに校内暴力が横行し、族、リーゼント、ツッパリが、ファッションとして一世風靡していた81〜82年頃は、このスタイルが時代の先端にあった。

だけど、時代の流れは速いわけでさ。 1983年くらいになると、このスタイルもアナクロになっちゃってましたからね。族、リーゼント、ツッパリ・・といういわいる、ブルーカラー的なファッションは、さらにエスカレートして「極悪」な世界に昇華してたし。
うん、84年の「少女に何が起こったか」あたりからの「大映ドラマ」見りゃ一目瞭然だよね。
まあ、あくまで「ドラマ・劇画」の世界ではあるけど、それでも84年くらいなると、それがイマイかったわけで。。。

だからこそ、時代の流れを見極める嗅覚がある彼らは、そんな時代の流れをいち早く察知したんだろうね。
この曲、最高16位と、デビュー以来シングル最低ランクだったけど、この順位だったら、まだまだ先もやれたはずだし、展開次第では巻き替えも図れただろうけど、潔く1983年を持って解散っていう運びになったんだろうけどね。






1983年12月31日、新宿コマ解散ライブでの「哀愁のワインディングロード 」。

まずもって、気が付くのは、女の子たちの黄色い声援。
当初、そのスタイルに共感していた、ツッパリ兄ちゃん、ツッパリ姉ちゃんたちの希望の星の存在だった銀蝿も、最後はアイドル的な存在だったことが、この映像からも分かったりする。

もしかすると、時代の流れ云々の前に、そんなファン層の変化にも限界を感じていたのかもしれないな。

まあ、1983年に一度は解散した横浜銀蝿だけども、90年代後半頃からはちょくちょく再結成もしてますけどね。昨年もデビュー40周年ということで、再結成してツアーもやってましたね。
キングレコードのお偉いさんに出世していたギターのJohnnyも参加してオリジナルメンバーがそろっての再結成になったし。


ちなみに、1983年12月31日(土)。 私は、福島・いわきの、母方のばあちゃんの家にいた。
少し前にじいちゃんが倒れて、ばあちゃんは病院に付きっきりになったため、うちの家族3人で留守番を頼まれてたんだ。
めっちゃ寒い夜でさあ、ストーブのないコタツだけの居間で、ブルブル震えながら、家族3人で紅白歌合戦見たのを、よく覚えてるわぁ。
結局、最初から最後までちゃんと紅白見たのって、あれが最後だったような気がする。次の年は高校受験前で紅白どころじゃなかったし、高校に入ったら紅白はもういいやと見なくなった・・・以来、ちゃんと見てないような気がする。

なんで、1983年12月31日は土曜日だったのか、覚えているかといえば、次の日1984年1月1日。
ワタシと父親は、一足早く自宅に帰ってきたんだけども、帰りの車のカーラジオで、文化放送「決定!全日本歌謡選抜」を聴いた記憶があるから。あの頃は元日でも放送してたんだよね。

まあ、どうでもいい事ですけど。。。。。


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14歳で聴いた音楽がその後の音楽好みが形成する!?

LIFE TIME AUDIO MY PLAY LIST 14歳のプレイリスト

人は14歳の時に聴いた音楽で その後の音楽好みが形成されるという記事をヒントに、14歳の時に聴いていた 好きだった音楽をテーマにお届けするプログラム
いま、ましゃ(福山雅治)が14歳だった→1983年 の時に聴いていた曲として、THE MODSの「激しい雨が・・・」を語っているけど、やっぱ同い年ですね。 ワタシもこの曲を聴くと、1983年の情景がフラッシュバックしますわ
1983年 私もモロ14歳でしたわ。
中学に入学したころの緊張感もなく、かといって受験のプレッシャーもなかった中学2年生。
たしかに何にも考えずに音楽に没頭してた1年だった・・ような気がする。
そもそも、「はしご」でラジオのヒットチャート番組聴いてたの、1983年が頂点だったな。
・土曜日
FM東京 「コーセー歌謡ベストテン」(13:00〜14:00)
ニッポン放送 「オリコン全国ヒット速報」(14:00〜16:00)
文化放送 「全国歌謡ベストテン」(16:00〜17:00)
・日曜日
ニッポン放送 「学校ぐるみ放課後ベストテン」(8:00〜8:30)
ニッポン放送 「不二家歌謡ベストテン」(9:00〜10:00)
文化放送 「決定!全日本歌謡選抜」(13:00〜16:30)
・野球シーズン外 月〜金(木曜日以外)
TBSラジオ 「ヒットパレード毎日がベストテン」(21:00〜21:45)
・木曜日
TBS 「ザ・ベストテン」(21:00〜21:54)
土曜日は、午後からどっぷりとベストテン漬けだったからなぁ。
アホですか・・なんて言われそうだけど。。😅😅😅
もっとも土曜日は、部活があったから上記全部聴けたのは
定期テスト前後の部活がない時だけだったけど。。。
定期テスト前後は、本来は勉強するために部活がなかったんだけども、あのころ勉強しなくてもそこそこの成績取れてて「学校の勉強は馬鹿がするものだ」とか訳わかんない理屈をつけて、勉強そっちのけでベストテン漬け。
まあ、そこそこの成績って言っても、私の中のそこそこだったんで、第三者から見ればたかが知れてる成績かもしれないけど。。。😵😵😵
でも、おかげで、今の私が出来上がりました。
あんとき、ちゃんと勉強しとけば、もう少しましな人生を送れた・・・とも思ったりもするんだけど。。。
ちなみに、この時点では、まだ「オリコン(ウイークリー)」には出会ってない。もし出会ってても、もう少し違った人生になったかもな。
・・・というわけで、この番組が言うように「14歳の時に聴いた音楽で その後の音楽好みが形成される」というのは、モロあってますね。 それどころか、その後の人生も形成してしまったわけで。。。😅😅😅😅😅😅

きめてやる今夜 / 沢田研二

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今回の1曲セレクトは、「きめてやる今夜」沢田研二です。

まずはデータでする。

・タイトル     きめてやる今夜
・アーティスト   沢田研二
・作詞        沢田研二
・作曲       井上大輔
・編曲       吉田健
・リリース日    1983年9月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   13.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

ネット上で揶揄されますなぁ〜、ジュリー。 例のライブ「ドタキャン」騒動で。
さいたまスーパーアリーナ、当初9千人の入りと言われたところ、実際は7千人しか入らなかったので開演直前になって中止になったとか・・・。
その理由が、「客の入りが少なかったから」・・・だとか

まあ・・・・叩かれますわな。 客が少ないと言っても7千人は集まっていた訳だから・・・。

その前に、果たして、今のジュリーに「さいたまスーパーアリーナ」を満杯にするだけのアーティストパワーはあるのか? っていう意見も出ている。

さいたまスーパーアリーナは、ステージの形式によって、「アリーナ」部分の客席数は変動するんで、一概に「何人」とは言えないけど、最大で約3万7千人収容と言われている。 もっとも実際はステージ設置等で、客席数はそれよりは少なくなるけど、それでも2万弱の収容人数になると思う。

そんな会場で、9千人ですか・・少なっ! なんていわれてもしょうがないわなぁ。 

そもそも、日本のみならず、世界でも超一線級のアーティストがライブ会場として使用するスーパーアリーナを、40年近くベストテンヒットから遠ざかっている、ジュリーが使用する・・・っていうのも、たしかに驚き・・というか、半分「あきれ気分」になるけど、確かに。

ちなみに、今回客が集まらなかったのは、今回のライブツアー、 ツアータイトルが「70YEARS LIVE OLD GUYS ROCK」という、いかにもジュリー70才記念で、往年のヒット曲オンパレードの内容に思えるタイトルであるのに、実際は、「今歌いたい曲しか歌わない」と、ヒット曲はほとんどやらず、誰も知らないような曲ばかりなため評判が悪く、客が遠のいているため・・・と言う事のようだ。

「今、歌いたい曲しか歌わない」っていうジュリーの姿勢・・いいなぁ、突っ張ってるなぁ、なんて、個人的には思っちゃったりもする。だけど、こういう姿勢は、こういう「大会場」の、ましてやツアー最中に見せちゃアカンわな。
うん、小規模のコンサートホールや、ライブハウスならいざ知らず、大規模会場では、必ずしも超固定ファンばかりじゃない訳なんだから。 


ところでさ、現在のジュリー程度のアーティストパワーのヒトが、なぜスーパーアリーナのような、大規模会場でやるのか・・っていうと、通常の各地の市民会館位のキャパの会場では、いわいる「親衛隊」と呼ばれる人たち・・・そそそ、いまや良い年をした「おば様たち」なんだけど・・・に占領されてしまい、他の一般の人たちがなかなか席が取れない・・っていう苦情もあるからなんだよね。

そう言うこともあって、こういう大規模会場でもやらざるを得ないところもあったのかも。。。 
まあ、スーパーアリーナが、そう言う状況を払拭するだけの適当な会場であったのか・・と言うのは別だけど。。

でも、熱狂的な固定ファンじゃなく、そういう一般の人たちがどういう曲を聴きたいか・・・っていうと、やっぱり、往年のヒット曲な訳だからさ、 やっぱり、そう言うヒトたち向けに、例えばスーパーアリーナのような超大規模会場だけでも、ヒット曲のオンパレードにセットリストを変えるとかはやって欲しいわな。

もしよ、例えば、ジュリーが「今歌いたい曲しか歌わない」・・・とかツッパッたことを言わないで、往年のヒット曲中心のライブツアーであれば、スーパーアリーナでも充分行けたんじゃないかな。



おーっと、前置きがめちゃんこ長くなっちまった。

・・ということで、今回の1曲セレクトも当然ジュリーの曲を持って来たい・・というわけで、

「きめてやる今夜」

・・・へへん、ネット上で他の人が取り上げてるような曲は持って来ないよーだ

・・というか、他の人が取り上げてるような曲は、もう既に書いちゃったんで・・・

この曲は83年の今頃のヒットですね。

83年は、ジュリーにとっては「分岐点」となった1年ですわ。 ソロデビュー以来でも10数年、ずーっとベストテンをキープし、オリコンで初の売り上げ1000万枚突破を記録した、文字通りのスーパースターだったジュリーが、一度もベストテン入り出来なかった年。

それが1983年ですわな。 つまりは、人気の下降線があらわになった年・・とでも言いましょうかねぇ。

それは突然やってきた・・・って感じだったな。 前年82年9月にリリースした「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」なんて、「ザ・ベストテン」では最高3位まで行ってた訳だから、 まさか、次の「背中まで45分」がベストテン入りしない・・なんてことは思ってもいなかった訳だし・・・。

まあ、結局は、難解、かつ新たな試みとして「ニューウェーブ系」な曲にシフトしたことが大きかったんだろうな。

今回引っ張ってきた「きめてやる今夜」の前曲の「晴れのちBLUE BOY」なんて、当時のヒット曲レベルから考えれば、まず、ベストテン入りは難しいだろうな・・と思える曲調、リズムだったし。 

 ジャングルビートと呼ばれた、あんな殆どリズム体だけの曲がベストテン入りしてたら、日本のヒット曲レベルは飛躍的に進化してただろうな・・・とも思えるけど、実際83年当時のレベルでは、それもちょっと難しかった。

たしかに、実験的だったんだよね。82年までの何が何でもベストテン入り、一時期のジュリーの代名詞にもなっていた何が何でも「1等賞」を目指すんであれば、もっと保守的な曲でも良かったのかもしれない。

そこから一歩進みたいって言うジュリーの姿勢は、保守化が進んでいた当時のヒット曲界からみるとアッパレだったのかもしれなかったけど、ヒット曲と言うところから見ると、実際的には、それに足元をすくわれた・・というかね。

それらの83年のシングルから見ると、今回引っ張ってきた「きめてやる今夜」は、シンプルだったなぁ。
ポップだしね。 簡単に言えば「分かりやすい」1曲。ポップという傾向としては、前年の「おまえにチェックイン」の方向に近い。

そんな1曲だったからさ、この曲では「ベストテン入り復帰」も可能なんじゃないかなぁ・・・

・・とは当時感じてましたね。

でも、実際的には、売り上げ的には、「背中まで45分」、「晴れのちBLUEBOY」と2曲連続で10万枚切れを起こしたのが、この曲では10万枚オーバーと上向き傾向も見られたんだけど、ベストテン入り復帰はしなかった訳で・・・。

売り上げが回復したのは前2曲よりも「分かりやすい」ってところが大きかったんだろうね。 やっぱり、ヒット曲の世界では「分かりやすい」って言うのは、大きな要素なんだな・・っていうのは、この傾向から分かったりしてね。

それでも、一度下降傾向が進むと、それを回復させるのは並大抵のパワーでは難しいんだな。

・・・そんな事を痛感した1曲ではありましたねぇ。 ワタシ個人でもそうだったけど、もしかしたら、それを一番痛感していたのはジュリー本人だったりしてね。。

いずれにしても、この後、ベストテン入りに返り咲くこと無く、いわいるヒット曲の世界からは下降線が進んでいくことになるわけですわ。



分かりやすいとは言っても、この曲も基本はニューウェーブ系ではあるんだよね。 
だから、本来ではあれば・・いや、前回の吉川晃司の「ラ・ヴィアンローズ」で書いた内容であれば、個人的には、この曲も苦手であるはずなんだけど、でも、実際はこの曲は好きだったなぁ。

83年の10月っていうと、自分の頭の中では、かなりの割合でこの曲がヘビーローテーションだった覚えがあるしさ。だから、83年の10月っていうと、この曲から感じたカラーが浮かんでくるし・・・。

サウンド的にはニューウェーブ系だったけど、ポップで聴きやすいっていうのが、大きかったんだろうな。
その辺は、作曲が井上大輔氏っていうのも大きかったんだろうな。完全な洋楽志向ではなく、あくまで「和」のテイストを織り込んだ分かりやすいメロディと言うところがさ。



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バイ・バイ・サマー / 石川秀美

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今回の1曲セレクトは、「バイ・バイ・サマー」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル     バイ・バイ・サマー
・アーティスト  石川秀美
・作詞        竜真知子
・作曲        小田裕一郎
・編曲        入江ジュン
・リリース日       1983年9月1日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  11.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位

昨日に引き続きいての1曲セレクトですが、どうもねぇ、昨日の安室さんの1曲のイメージが残っちゃってましてねぇ。今日は各ワイドショーも、ラジオ放送も昨日に増して「安室引退」の報道が多かったからなぁ。
うーむ、上手く気持ちが変わらないなぁ。 こういう時に安室さん以外の曲を持ってくる来るのも、本音を言えばキツイんだけどね。
でも、そうも言ってらんないんで、今回は安室さんじゃないヒトの曲を引っ張って来ますよ。

今日は、事前の天気予報では、気温が上がるって事だったんだけど、昨日同様、秋めいた1日でしたわ。おまけに秋雨もシトシトと・・・。

これは、本格的に「夏」ともオサラバ・・・ってことでいいでしょうかねぇ。
・・となると、ようやっと「夏の終わりの・・・」って曲を持ってきたくなるもんですわ。

・・ということで、今回はダイレクトに「夏の終わり」を歌ったこの曲を・・・


石川秀美「バイ・バイ・サマー」

うわっ、またマイナーな曲を・・って感じなんだけどさぁ、もうね、80年代の曲ってこの辺しか残ってないのよ。。

この曲は、今から35年前、1983年の今頃のヒット曲ですわ。 

ちょっと前にも稲垣潤一の「夏のクラクション」でも書いたけど、この年1983年はワタシャ14才、中学2年の時ですわ。

 うむ、「最も」ヒット曲を聴き漁っていた頃ですね。 まあ、兎に角、何でもかんでも聴いてたですわ。よく1日中ラジオの前に居られたもんだよなぁ・・・ってくらい、日曜は朝から夕方までラジオの前にかじりついて、明星の歌本「Young Song」を片手に、ベストテン番組の梯子。 日曜だけで3つのベストテン番組聴いてたもんなぁ、この頃は。

今思うと、よく、それだけの体力があったもんだよなぁ・・・なんて感心する。 今は、1つのラジオ番組も最後まで聴いてらんないもん。

ともかく、だからね、この頃吸収した曲が、今のワタシの血肉になっている事は間違いない訳で、それだけ刺さった曲も多かったんだよな。

ただ、そう言う曲って、もうすでに大半は1曲セレクトで書いちゃったわけで、それでも、まだ残っていたってことは・・・。

そうなんですねぇ、この曲、当時、あんまり刺らなかったんだよね。

まずもって、1983年当時からして、ちょっと古臭よなぁ・・っていう印象が強かったんだよな。 

いつかも書いたかもしれないけど、この当時って、ヒット曲も、まだまだ発展途上のところがあって、新しい試みの新曲も次々とリリースされていた。

だからね、新曲がリリースされるたび、新鮮な気分になれたし、なにより、年ごとにカラーがあったんだよね、ヒット曲の。 ヒット曲の色合いって言うのかなぁ。 だから、今も曲を聴けばどのあたりにヒットしたのかっていうのも大体分かるしね。

個人的には、例えば、1982年の夏は「どんよりとした曇り空」、 1983年の夏は、「夏のクラクション」の時も書いたけど、「夏の午後の透明な光」のイメージがある。

大体こんなイメージに沿った曲が多かったって事ですね。

それじゃ、この「バイ・バイ・サマー」はどうだったのか・・・っちゅうと、まあ、タイトルからも想像できるように「夏の午後の透明な光」の・・って言うイメージは到底ない。

どちらかと言うと、前年82年の「曇天の下の・・・」って言うイメージなんだよね。

そんなところから、どうしても「古臭い」イメージが、まず初めてに出て来てしまう。  そそそ前年の秀美さんのシングル、「ゆれて湘南」。 あの延長線のイメージなんだよ。

だからさ、仮にこの曲が、前年の82年にリリースされていたら、もっと刺さったのかもしれない。 

明星歌本の「新曲激評」で近田春夫氏も、「2年前の・・・って言うイメージ」って書いてたりするしさ。


結局さ、作詞の竜真知子女史も、作曲の小田裕一郎氏も、ヒットメーカーとしての旬は過ぎていたのかもなぁ・・・。

80年代でも、82年と83年の間にはヒット曲の傾向に大きく変化が見られたんだよね。 これもちょっと前に書いた事だけど、82年って、まだ70年代の「残像」のような曲が多かったんだよ。

ま、82年の「70年代」のヒット曲のカバー、リメイクブームを見れば顕著なんだけど。 でもね83年には、そういう70年代のくびきは一掃され、本当の意味での80年代的なヒットが始まったって言えるんだよね。

これも時代の流れな訳なんだけども、そんな80年代的な新たな流れにうまく乗れなかった作家の方々も多かった訳ですわ。それが、竜真知子さんであり、小田裕一郎さんだったって事なんだろうね。

まあ、小田裕一郎さんは、この「バイ・バイ・サマー」と同時期に、杏里の「キャッツ・アイ」を大ヒットさせていたわけがら、必ずしもそうも言いきれなかったのかもしれないけど、でも、ヒットメーカーとしては、このころが最後の頃でしたしね。




うーん、聴きようによっては、85年の・・・っていうイメージも感じられたりしてね。
でもね、↑で書いたようなヒット曲のカラーは、85年の夏と、82年の夏って似たようなイメージがあるんだよなねワタシの中では。
どちらの年も「曇天の下の〜」っていう、少し薄暗い、秋の始まりのような肌寒いイメージ。

うん、82年も、85年もどちらの年も夏は冷夏で長雨が続いた年ですわ。実際の天候がヒット曲のカラーも決める。
でもね、酷暑の年は蒸し暑い曲がヒットするし、寒い年は寒々しい曲がヒットする。そう言った実際の天候とヒット曲の傾向ってリンクしてるんだよね。 



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夏のクラクション / 稲垣潤一

1983_08_夏のクラクション_稲垣潤一


今回の1曲セレクトは、「夏のクラクション」稲垣潤一です。

まずはデータです。

・タイトル     夏のクラクション
・アーティスト      稲垣潤一
・作詞       売野雅勇
・作曲       筒美京平
・編曲       井上鑑
・リリース日    1983年7月21日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 25位
・売上げ枚数   8.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位

個人的な「夏のイベント」が終わっちゃったなぁ・・・。そう、「ROCK IN JAPAN」っすね。
毎回参戦する度に終演後、「ああ、終わっちゃったなぁ」って言う脱力感に襲われたりするんだけど、今回は大トリのサザンがめっちゃ凄かったからさあ、例年以上に脱力感がきたりしてね。

今は、夏の終わり・・・

そんな気分ですね。

今回は、そんな「夏の終わり」を感ずる1曲を一つ。

稲垣潤一「夏のクラクション」

夏の終わりを彷彿させる曲は、多々あるけど、個人的には、この曲もその一つだなぁ。

1983年の夏の終わり間近。 当時、ワタシは中2。 自由だった、あの夏。

この曲を聴くと、決まってあの夏の光景が夢想される。 自由だった、あの夏・・・って↑では書いちゃったけど、実際、自由だったのは2週間ぐらいだったんだけどさ。 

うん、部活やってたからなぁ。、吹奏楽部。 ワタシが通っていた中学校は夏のコンクールは出てなかったものの、毎年9月に定演(定期演奏会)をやってたんで、全く練習が無い日は夏休み中でもそんなに無かった。

それでもお盆前後の2週間位、部活も休みがあった。 それだけでも、とてつもなく自由を感じた夏の終わり近くだった夏休み。

8月の午後の白い光、乾いた空気、独特の夏の匂い。 その下で描いてた夏休みの宿題の風景画。 

そんな光景がフラッシュバックする。

不思議なもので、夏休みのカラーって、7月と、8月ではガラッと変わる。 7月はもっと色が夏色でももっと色が濃いイメージ。 でも、8月に入った途端、そのカラーが白っぽく感じるんですよ。

そうだなぁ、1日に例えると、7月は午前中の日差し。 8月は午後の白っぽい日差し・・・そんなイメージかな。

この曲は、後者なんだよね、午後の陽ざしを感じるんだよね。 まあ、実際ヒットのピークは、今頃8月の中旬過ぎだったわけで、ヒットの時期的にそう言うイメージが強かったんだろう。


個人的に、この曲好きだったんだよな。 ↑のデータのように、必ずしも大ヒットした訳でもない。いわいるスマッシュヒットで終わった曲なんだけど・・・。

シャレてたんだよね。 それまでのニューミュージックとは、ちょっと違った空気感。 うーむ、今一ついいコトバが出てこないんでまどろっこしいんだけど・・・。

いや、確実に、前年の1982年までには感じられなかった、カラッと乾いた空気感っていうのかなぁ・・・。

そうそう、例えば、扇風機で暑さをしのいだ1982年、それに対して、クーラーの中で過ごす1983年・・・っていう違いかなぁ。

つまりさ、1982年の夏の曲って、めっちゃ湿気感があったんだよね。そそそ、熱帯感っちゅうのかなぁ。 まあ、実際、82年の夏は「長雨と冷夏」だったんだけとも、ヒット曲のイメージね。

対して83年夏、特にニューミュージック界に於いては、カラッとした空気感の曲が多かった。 そう感じたのは、この曲のイメージが大きかったから・・・って言っても過言じゃないんじゃないかなぁ。

中流階級志向。 これは70年代にユーミンが言った言葉だけど、このコトバに現実味があらわてきたのが83年頃だったと思う。 
まだバブルな時代ではなかったけど、確実に生活のステータスは上がったよね・・・って実感できた頃って言うのかなぁ。
そんな時代感覚に間髪をいれず、ヒット曲にも変化があったんだよね。 いわいるシティポップス的なオシャレ感覚な音への変化、それが83年だったんだよね。

いや、個人的にはそう感じてたりするんだよな。

兎も角、70年代の残像が完全に払拭され、完全に80年代のカラーに移行された年、それが83年だったんですよ。

まあ、それとなんと言っても、ワタシは中2だったからさあ。 いわいる「中2病」って言われる年代だったじゃん。大人っぽく背伸びしてみたい年頃でもあったんだよな。
 本当に意味が分かってんだか分かってないんだか、この曲シャレてんじゃん・・・なんて、リリース早々、シングル買っちゃったりしたもんなぁ。 



この曲と言ったら、 ♪ 夏のおうおうお〜 ♪っちゅうサビの譜割りだったするんだろうな。やっぱり、このメロディラインはどうしても耳に行っちゃったりするもんね。

一見、歌詞とメロディがシンクロしてないんじゃん・・・なんても思えたりするけど、そうじゃない。やっぱりこのメロディラインありきだったんだろうなと思えるもんね。

ただ個人的には、ここもそうだけど、 この後の ♪ ベイビィ もう一度〜 ♪ の ♪ ベイビィ〜 もう一度〜 ♪から ♪ In my Heart〜 ♪ のメロディラインに、ピンと来ちゃったんだよな。 なんて事無い譜割りだし、コトバなんだけどセクシィなんだよね。 
このフレーズだけで、シングル買っちゃった・・と言っても過言じゃ無かったりして・・・。

ちなみに、さっき、ラジオ日本の「続きの続き」で、売野氏が出演されていて、この曲について言及してたけど、この曲のモチーフは、湘南の国道134号沿いだとか。

出だしの ♪ 海沿いのカーブを きみの白いクーペ〜 ♪ って部分だよね、モロ。

ああ、やっぱりそうなのか・・・。 ナットク。

このオシャレな感覚は、やっぱりあのあたりのイメージだよなぁ。 
チバにも、例えば内房沿いの127号にも海沿いのカーブはあるけど、 チバの海じゃ、こうオシャレにはならんもんなぁ。。。

そもそもチバの海に「白いクーペ」なんてアイテムはねぇ・・・・。 なんて書いたら元も子もないが・・・千葉県人のワタシとしては。。。



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カム・フラージュ / 柏原芳恵

1984_01_カム・フラージュ_柏原よしえ

今回の1曲セレクトは、「カム・フラージュ」柏原芳恵です。

まずはデータです。

・タイトル     カム・フラージュ
・アーティスト   柏原芳恵
・作詞       中島みゆき
・作曲       中島みゆき
・編曲       萩田光雄
・リリース日    1983年12月1日
・発売元      フィリップス
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  19.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1983年12月19日〜1984年1月23日付

1曲セレクトを書くとき毎回困るのが、ま、確かに「どの曲を書くか」っていう曲選びもそうなんだけど、いざ、書こうと思った時の文章の出だしがね〜、これが困るのよね。
何か「引っかけるモノ」があればいいんだけど、なーんも引っかけるものが無い曲の時が困る。

実は、今回引っ張ってきた曲もそうなんだよなぁ。

柏原芳恵「カム・フラージュ」。

いや〜、困ったねぇ。。。。困ったんで、↑のような出だしになってしまったんだけど。。。

そんなトピックスに困る位、ヒット当時のこの曲のエピソードっていうのが無いんだよなぁ・・・。というか、思い出せないって言うかねぇ・・・。 まあ、思い出せないっていうのは、個人的な事で、もしかすると人によってはこの曲で忘れられない想い出がある方もいらっしゃるかもしれない。

でも、個人的には・・・・う〜ん、何もないんだよなぁ。。 

まあ、だから、約20万枚も売れたこの曲を今まで書いてなかったのかもしれないけど・・・。

この曲、作詞、作曲が中島みゆき女史なんだよね。 いや、もしかすると、そんなことすら今となっては忘れ去られた事実かもしれない。 いや、考えて見れは、ヒット当時も、それほどの話題にならなかったんだよな。

中島みゆきさんと、柏原さん・・・といえば、この年(1983年)頭に大ヒットした「春なのに」であり、 翌年1984年にヒットした「最愛」であり・・・ってとろこが話題だったからねぇ。

だからね、この年1983年の柏原さんは、中島みゆきさんに始まり、中島みゆきさんで終わった年だったんだよね。

まあ、ほんのちょっとヘビーなサウンドと、アップテンポな曲調からして、中島みゆきさんっぽくなかったからなぁ、確かに。
で、当の柏原さんにしても、そんな上記のような曲調が柏原さんっぽくなかったってところはあったしね。

当時の柏原さんと言えは、上記の「春なのに」もそうだけど、「夏模様」「タイニーメモリー」など、ちょっとスローな落ちついた曲って言うイメージが定着してたしね。

 確かにこの年の春に出した「ちょっとなら媚薬」は、完全に山口百恵さんを意識したアップテンポだけったけど、正直、柏原さんにあっているとは、あんまり思えなかったしなぁ。
それが証拠に、その前曲の「春なのに」があんなに大ヒットだったのに対して、売れなかったからねぇ、それほど。
この曲の場合は、曲調があまりに山口百恵さんだったんで、「狙い過ぎ」なんていう酷評もあったわけなんだけどもね。 
ただ、個人的に言えば、柏原さん自身にそんなにあってたとも思わなかったなぁ。 メロディライン、サウンド云々というよりも、アップチューンな柏原さんがねぇ、どうもイメージとずれるんだよね。

だから、この曲にしても。そんなに売れるとは思わなかったんだよな、だから、そんなに注目してなかったところもあったんだと思う、当時は。

そもそも、♪ 悪い噂隠すために ワタシを呼び出させないで〜 ♪ っていう出だしAメロの部分、 特に♪ ワタシ〜 ♪って言う部分がさあ、ぶっきらぼうなんだよ、歌い方が・・・。

当時としては、「あー、そんなに歌いたくないか・この曲」なんて思っちゃってたんだよな、ワタシ。

でも、フタを明けたら、前曲「タイニーメモリー」を上回る、売り上げ約20万枚。 

いやいや、正直、これは予想外だったんだよなぁ。

でもねこの曲の場合は、曲調云々・・というよりも歌詞の深さが良かったんだろうねぇ・・・って言うのは今になって思えばの話なんだけどね。
中島みゆきさん独特の、男間における心理をついた歌詞。これが売り上げに結びついたんだろうなぁ。

サウンド重視、歌詞内容は深いところまで見てないワタシだからさ、当時はそう言う深いところまでは見てなかったんだよね。
 もしかすると、この曲は女子受けは良かったんじゃないかなぁ。まあ、はっきりとした資料がある訳ではないんだけどさ、そんな気がする。

でも、この曲あたりの男女間における、女性から見た心理戦をついた歌詞っていうのは、その後の工藤静香さんに提供した一連のヒット曲に結実しているよね。
逆に見れば、工藤さんの一連のヒット曲の歌詞のもとを辿れば、この曲あたりに行きつくんじゃないかなぁ。



うーん、やっぱり、この曲も所々、百恵さんの面影がチラリチラリと見えたりするんだけど、それはやっぱ、アレンジャーの萩田氏っていうのも多分にあるんだろうなぁ。エレキのフレーズとかさ、どうしても百恵さんなんだよね。


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家路 / 岩崎宏美

1983_09_家路_岩崎宏美

今回の1曲セレクトは、「家路」岩崎宏美です。

まずはデータです。

・タイトル    家路
・アーティスト  岩崎宏美
・作詞      山川啓介
・作曲      木森敏之
・編曲      木森敏之
・リリース日   1983年8月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  32.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1983年9月12日〜10月17日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「火曜サスペンス劇場」エンディングテーマ

最近はタイアップと言えば「アニメ」が圧倒的に多く、ドラマのタイアップは昔に比べるとかなり「下火」になりましたよね。
まあ、昔はドラマタイアップというだけで、「大ヒット」が約束されていた訳だけど、最近はドラマの視聴率が下落する一方で、タイアップだからって売れるとは限んなくなったからなぁ。 それよりはアニメタイアップの方が「売れ筋」という点では動きが良い・・・・っちゅうことですわな。
 うん、タイアップの数は変わんないと思うんだよね。昔ほどヒットしなくなったったんで少なくなったような錯覚になるだけでさ。

 ドラマタイアップも、ドラマの方が好調で、タイアップ曲の方も「第1弾」が大ヒットとなると、続けて第2弾も同じアーティストが担当する・・・って事は少なくない。
たださ、 第1弾よりも、第2弾タイアップの方がヒットする・・・ってことは、これは少ないんだよね。 いや、今までそういう事例って無いような・・・。 あれ? あったっけなぁ・・・。 ちょっとすぐに浮かんでこない。。。

やっぱり、第1弾のイメージっていうのは深いからねぇ。 これを払しょくするのは並大抵じゃないですからね。

今回は、そんな、第1弾タイアップが大ヒットし、続けて第2弾タイアップも・・・となった曲を一つ。

岩崎宏美「家路」。

はいはいはい、そうですねぇ。 この曲は、日テレで80年代絶大的な人気があった、「火曜サスペンス劇場」のエンディング・テーマ。
で、もって「火サス」、「岩崎宏美」と言ったら、第1弾タイアップの「聖母たちのララバイ」ぢゃないですか。

この曲は、その「聖母たちのララバイ」の後を受け、83年5月から「火サス」のエンディング・テーマとなった曲ですわ。

でもねえ、やっぱり難しかったですよね。 兎に角「聖母たちのララバイ」のイメージがあまりにも強烈だったじゃないですか。

かく言うワタシも「火サス」は見てたんだよね。
あ、そそそ、この頃自分の部屋に「テレビ」が来てさぁ、だからそれまで見てなかったドラマもこの頃は大分見てたなぁ。
「火サス」も「聖母たちのララバイ」から、この「家路」に変わったころも見てたんだよね。

当時、中学2年の・・今からして見ればまだまだガキだった訳だけど、当時からしてみても、「軽くなっちゃったなぁ」・・・って言う印象が拭えなかったな。

っつか、何度も書くように「聖母たちのララバイ」の印象があまりにも強かったんだよね。

まあ、「聖母たちのララバイ」の頃は個人的に・・・というより家庭環境的に大分色々あったからね。その分余計印象に強いんだよね、少なくとも他の方に比べると。 そう言う印象もプラスされているからなぁ。

それより何より、曲調がね、いかにも「ドラマの主題歌」っぽくなっちゃったな・・・っていう印象が強かったんだよね、この「家路」については。


当時・・というか、それ以前も含めてだけど、ドラマ主題歌って独特な感触があったんだよな。

ドラマ主題歌って、華やかでヒットの「主軸」で、時代を作って行く・・・っていうイメージが強いと思うんだけど、それはあくまで80年代中盤以降の話であってさ。 そそそ「金妻」とか「毎度おさわがせ〜」とか、もっと言えば「トレンディドラマ」以降の話なんだよね。

それまでのドラマ主題歌ってさあ、ま、確かに大ヒットした曲もあったけど、大抵はなんか垢抜けなくてさ、ジミーな印象の曲が多かったんだよね。「洋モノ」よりのポップスというよりも「和」がかったB級歌謡的な、コトバ悪く言えば「安全パイ」な曲っていうのかなぁ。特に日テレのドラマの主題歌ってそう言う曲が多かった。

ま、早い話がそう言う曲になっちゃったなぁ・・・って言う印象だったんだよなぁ、「聖母たち〜」から変わった頃の印象って。

だからねぇ、これは売れないだろうな・・・っていうのが当初の大方の見方だったんだよね、個人的には。

そもそも、♪ワインカラーの黄昏は〜♪っていうAメロからして弱く感じたんだよなぁ。 「聖母〜」の時の出だしAメロの ♪さあ 眠りなさい〜 ♪っていうメロディの、あのゾワゾワッとした独特の小悪魔感、それから曲に引き込まれていく・・・っていう感覚が感じられなかったし。 


・・・とは言うものの、実際はオリコンでは最高4位。32万枚っていう、当時のヒット基準から言っても「大ヒット」の部類に入った訳なんだけどね。

それでも個人的には、クリスタルキングと同じだよなぁ・・・って考えだったなぁ。 

クリキンもデビュー曲の「大都会」でいきなりのミリオンなんちゅう超大ヒットを記録したじゃん。そそそ、あの独特のアクの強さがあった「大都会」。 でも、第2弾の「蜃気楼」では、そんなアクの強さは無かった。
当然「一発屋」だろうな・・・という見方が強かったところ、第2弾の「蜃気楼」も50万枚オーバーの大ヒットを記録した。

・・・つまりさ、第1弾の大ヒットの「余熱」が、第2弾のころもまだ残ってた、それで引きずられるように第2弾もヒットした・・・ってあれですね。

この曲についてはこの現象と全く同じ・・・ だからね、曲の出来不出来云々ぢゃない・・・ってずっと思ってたんだよな、ワタシ。




でもさあ、あれから34年の月日が経ち・・・。 今あらためて聴くと、これはこれでアリだったな・・・って思えたりして   ・・・なんて自分も大分丸くなったよなぁ。

やっぱさ、なんやかんや言う手も、この手の「歌謡曲」が自分の一番の原点なんだよな。 うん、これはどうしても切り離せない訳でさ、やっぱり聴いてて「安心」なんだよね、なんにも考えなくていい分。

でも、当時は若かったからさあ、尖がってたし、常に新しい曲調を欲してた部分が強かったからなぁ。 だから、こういう「安心感」が強い曲では、物足りなかったんだよね。




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高気圧ガール / 山下達郎

1983_05_高気圧ガール_山下達郎


今回の1曲セレクトは、「高気圧ガール」山下達郎です。

まずはデータです。

・タイトル     高気圧ガール
・アーティスト   山下達郎
・作詞       山下達郎
・作曲       山下達郎
・編曲       山下達郎
・リリース日    1983年4月23日
・発売元      アルファムーン
・オリコン最高位 17位
・売上げ枚数 12.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 24位
・タイアップ:全日空「リゾートピア沖縄」キャンペーンソング

いい天気ですわ。気候も暑くも無く寒くも無く丁度いい塩梅だし、もうね、どこかに逃亡したくなるよなぁ。
まあ、現実問題逃亡することなんても出来ないし、せいぜいリゾートミュージックでも聴きながら、現実逃避な日曜日を過ごしますか。。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな「リゾート」感たっぷりな1曲を

山下達郎「高気圧ガール」。

この曲は、1983年の全日空(今の「ANA」ね)の「沖縄」キャンペーンソングとして、春先からTVCMでガンガン流れてた1曲ですわ。

タイトルの「高気圧ガール」ってどういう意味やねん  って感じだけど、インパクトは感じたよなぁ。タイトルを見ると、CMで流れてたサビの

♪ 高気圧ガ〜ル〜 ♪ って部分のメロディが、まだ山下達郎氏の音楽なぞ聴いてなかった、当時中学2年のワタシでも、脳裏に浮かんだもん。

↓ コレ



そそそ、当時は、まだ山下達郎氏の「音楽」は聴いてなかったんだよな、ワタシ。
この曲なんかは、CM効果もあってスマッシュヒットになった訳で、だからラジオでもちょくちょく流れてたと思うんだけども聴き流しだったんだよね。 ほとんど聴いたそばから右から左に抜けてたような感じだったもん。

やっぱさあ、当時はアイドル中心だったから聴いてたのは。 まだお子ちゃまだったんだよね実際の部分は。
業界人にして、「これは本物だぁ」て言わ占めるような音楽は、まだまだ敷居が高かったわけですわ。

・・・かといって、通ぶって、達郎氏の「師匠」にあたる大瀧詠一氏なんぞ聴いて、「いいねぇ」なんて言ってたり。   まさに中2病。

山下達郎氏の音楽を理解出来るようになったのは、ホントに最近だもの。 いや、本音を言うと、山下氏のライブに行くようになった今でも、ちょっと敷居の高さを感じたりしてるんだけどさ。

なんかさ、BGMとして聴き流しちゃいかん、ちゃんと正座して曲と対峙しなくては・・・なんていう気分にさせされるんだよな。 うん、本気で聴かなきゃバチがあたる・・・なんて感じで。そんな気分にさせられる音楽なんですよ、山下氏の音楽は。

兎に角、音に対するこだわりが強いでしょ。 この曲にしたって、♪ トゥルルル〜 ♪ってアカペラコーラス始まるイントロの部分からして、一人山下達郎って言われる例の「多重録音」。 どこを切っても山下氏・・・って表現はよくないか コーラスの全てが山下氏1人でやってるこだわり様だしさ。 やっぱ、これはちゃんと聴かなきゃ・・・って思っちゃうんだよね。

曲を聴くのに結構なエネルギーを使うし、だから、ついつい「ながら」で聴ける音楽に流れちゃうんだよな。

まあ、リゾート感が強いこの曲は、そんな山下氏のなかでも軽い気持ちで聴ける1曲ではあるんだけどさ。

この曲は、ANAのCM曲と言う事もありシングルとしてリリースされた訳だけども、もともとはこの年にリリースされたアルバム「Melodys」の中の1曲。 「Melodys」アルバムの先行シングルですね。
このアルバムでは、夏のリゾート感が強いこの「高気圧ガール」と、まさに対極にあるのが、アルバムのラストナンバーとして収録されている「クリスマスイブ」なんだけども。この曲も、例のカノン部のアカペラコーラスは、「一人山下達郎」な多重録音なのは有名すぎるくらい有名だしね。
つまりはと言えば、多重録音で始まって、多重録音で終わるアルバムなんだよね。

これだけ多重録音を多用したのも、このアルバムからだし、いろんな意味で、その後の山下氏を決定づけたようなアルバムなんだけとさ。

まあ、個人的に、それに気が付いてきたのは、85年の「風の回廊」からかなぁ。 この曲の複雑なコーラスワークによる多重録音の発展ぶりは、この「高気圧ガール」の比ぢゃ無かったですからねぇ。

そういう「技術」的な所を含めたこだわりぶりは、この曲がリリースされた時点では見抜けなかったんだよなぁ。
というか、音楽に対してそう言う聴き方も出来なかったしな。



むむむ、リンクが無効になってやがる。。。 申し訳ないんですが、上に張られてるようつべのリンクから聴いてね。

しかしねぇ、今聴くと、ホント、この曲がリリースされた辺りから当時のヒット曲の曲想が変わってきたのは、当時も感じてたなぁ。
まず、この曲はもろそうだけど、 ↑でちょろっと書いた大瀧詠一氏。「いいねぇ」って思ったのは、この頃、三ツ矢サイダーのCMで使用されていた「Cider'83」って曲なんだけど

↓コレ


たかが30秒CM用のこの曲からもリゾート感を感じたんだよなぁ。

それまでの80年代、特に前年の82年のヒット曲ってもっと泥臭い曲が多かったんだよね。 まあ、銀蝿一家全盛だったし、なんていうのかな、ブルーカラーっぽい汗と油にまみれた・・・のような。
そう言う意味では、まだまだ70年代の流れを引きずっていた所はあったと思う。

そんな状況が今回の「高気圧ガール」とか、大瀧氏の「Cider'83」が出てきた頃には一掃されたって感じでさ。
ニューミュージック界だけでなくアイドルのヒット曲も、それまでのジトッとした空気感から、カラッとした曲が多くなったしな。
 世の中が全体的に「都会的」になって来たというかね。例のカフェバーが流行り出したのもこの頃からだし。世間的な雰囲気が、前年までとはだいぶ変わったな・・・っていう思えたのが、この頃からなんだよね。
80年代も新たな一面を見せてきた頃ですわ。


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ドキドキHeartのバースディ・パーティ / 岩井小百合

  1983_03_ドキドキハートのバースディパーティ_岩井さゆり


今回の1曲セレクトは、「ドキドキHeartのバースディ・パーティ 」岩井小百合です。

まずはデータでする。。。

・タイトル     ドキドキHeartのバースディ・パーティ
・アーティスト      岩井小百合
・作詞       翔
・作曲       Johnny
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1983年3月9日
・発売元      キング
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数   6.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 22位


1週間ぶりのご無沙汰でした。。。 などと、まるで「ロッテ歌のアルバム」での玉置宏氏のような書き出しになってしまいましたが。。。
うむ、1曲セレクトもすっかり「週末更新」の様相になっちゃいましたねぇ。。。うーむ、平日も更新したい・・・っていう頭はあるんですけどねぇ・・・。 相変わらず腰が重いワタシだったりします。。。
 ま、世間は3連休ですからねぇ、この期間は出来るだけ、更新したい・・・と頭では思っているワタシです。。

さてさて、今回は何を書くべーな。。。
・・・などと思ってたら、今BS日テレで、1983年のベストテンなんぞやってる。。。 日テレで「ベストテン」ってコトバはねぇだろ・・・日テレっちゃ「トップテン」だろ。。。。なんて文句言いながら見てるんだけども。。。

ああ、そうだ、丁度いい ちょっと前に思いついた曲を持って来ますか。

岩井小百合「ドキドキHeartのバースディ・パーティ 」

ふむふむ、1983年の今頃のヒット曲  いつものごとく、至極発想は安易なワタシどぇす。。


・・・などと、書き始めたのは良いですが。。。  今となっては、この曲を覚えている方ってどの位いらっしゃるんでしょうかねぇ・・・。 うーむ、疑問だ。。。

・・・といっても、目ぼしい曲が減りつつある今となっては、オリコンベスト20に入ったこの曲も「貴重」な曲なので。。。

ふむ、この曲は岩井小百合さんにとって、デビュー第2弾シングル。

・・・とか書いて、もしかして岩井小百合さんも知らない方も多いかなぁ。 
最近でもたまにレポーターとして、テレビに出演してたりするんだけどさ。 1983年、昭和58年、期待の新人として、1月に「ドリーム・ドリーム・ドリーム」でデビュー。
いきなり、オリコンで最高19位。売り上げも10万枚突破と、期待の新人として、まずは成功だったわけですわな。

・・・つか、「ドリーム・ドリーム・ドリーム」は昔書いてたんだけどさ
↓ コレ
http://livedoor.blogcms.jp/blog/kajiyan0777/article/edit?id=52012914

ま、このデビュー曲続く、第2弾シングルつうわけで。。。

ただ、当時シングルは、いわいる「3ヵ月ローテーション」でリリースするのが「通例」の音楽業界・・・つうか、レコード業界にあって、この曲、前曲から2カ月で、早くもリリースされたんだよね。
 しかも、次の「いちごの片想い」は、この曲の次月の4月リリース・・・と、 当時の感覚で言えば、まあ、なんて「矢継ぎばや」にリリースするんだ〜・・・って感じだったよな。それだけ期待の新人って事だったんでしょうね。

というか、リリースされた83年3月の時点では、まだ、デビュー曲の「ドリーム・ドリーム・ドリーム」の頭でいましたからねぇ、当時のラジオのチャート番組では。

だからなのか、正直、当時、この曲はあんまり真剣に聴いたような記憶が無い。

確かにラジオでは聴いてたような気がする。うん、例の「決定!全日本歌謡選抜」では、結構流れてた・・・ような記憶がある。

でも、真剣に聴いてなかった・・・っていうのは、もしかしたら「ドリーム・ドリーム・ドリーム」より、引っかからなかったのかもな、この曲。

ウラを返せば、「ドリーム・ドリーム・ドリーム」は、結構好きだったんだよね、個人的に。
なんと言っても、このヒトの声質がねぇ、当時としては新鮮な感じだったし、古臭い曲調とマッチしていたし・・・。

この「ドキドキHeartのバースディ・パーティ」はと言えば、曲調がさあ・・・・。ダサいんだよね。

いや、本来、ダサい曲、大好きなワタシなんだけども、それでもどうも引いちゃうんだよな・・・。

まあ、タイトルからして、思わず引いちゃったんだけどね。

それに加えて、銀蝿のアニキたちが、あの「ダミ声」で、 ♪サユリちゃ〜ん♪ って親衛隊よろしくコール入れちゃったりしてるじゃん。

思わず 「うわっ ダサッ」って感じだったんだよなぁ。

このダサさ、シングルのA面というよりもB面・・・って感じだったんだよね。 曲調的に「ココ」という見せ場がないし、インパクトも今一つ弱いしね。

あ、そそそ、岩井小百合さんって、「横浜銀蝿」の「マスコットガール」としてデビューしたアイドルだったんでね、当然、曲も当初は銀蝿のアニキたちがとっかえひっかえ書いてたんだよな。

まあ、どういう顔して「アイドル」だった、岩井小百合さんに「ツッパリ」銀蝿のアニキたちが曲を書いてたのか・・・って想像すると、ちょっと笑えるんだけども。。。
ただ、銀蝿解散後、Johnnyはキングレコードでアイドルの原石の発掘、TAKUも日音(音楽出版社)で同じような仕事をしていると言う事を考えると、この辺りから「その道」の勉強はしてたんだな・・・って言うのも分かったりしてね。


で、そんなインパクトの弱い、岩井小百合さんの第2弾シングルだけど、なぜか、今、手元に音源があるんだよな。
いつ買ったんだ  って感じなんだけどさ。。。

この曲ね 出だしAメロからいきなり 

♪ Shake hand  もじもじ しないで〜 ♪ っていうサビから始まるんだけどもね。

デビュー曲と同じく、舌たらずのベイビーボイスなんだけどもね、サビの ♪ Shake hand  〜 ♪ ってところの発声がところどころ「オバちゃん」っぽいんだよな

うちのオフクロも、ばあちゃんもそうだったんだけども、息を吐き終わるくらいの発声って、どこか詰まったような感じになるじゃん。 アレっぽいのよ、この♪ Shake hand  〜♪って部分。

いや、それに気がついたのは、最近なんだよね、うん、ここ数年前。

それがなんかねぇ、妙に引っかかったんだよな。 それで、この曲の音源買っちゃった・・・ような気がする。。曲自体がいいとか悪いって言う感じではなくて。。。

こう文章に書いてみると、我ながら無駄にお金使ってるかなぁ・・とも思えたりもするんだけどさ。。。。




こうしてみると、今もコノテのアイドルって、よく見かけるような気がするなぁ。
これ34年も前なんだけど、そうしてみるとアイドルって30年来、変わってないんだよな。



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