かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1982年

♡じかけのオレンジ / 大滝詠一

1982_03_ハートじかけのオレンジ_大滝詠一


今回の1曲セレクトは、「♡じかけのオレンジ 」大滝詠一です。

まずはデータなのだ。

・タイトル    ♡じかけのオレンジ
・アーティスト  大滝詠一
・作詞      松本隆
・作曲      大瀧詠一
・編曲      CHELSEA
・リリース日   1982年3月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 70位
・売上げ枚数   1.8万枚

ここの所、ショートトピックスばかりアップしていたので、久々の1曲セレクト。

故・大滝詠一氏の不朽の名作「A Long Vacation」リリースから、今日2021年3月21日で丸40年ということで、ネット上やラジオをはじめとしたマスコミ各局では「ロンバケ」づいておりますなぁ。

一番の目玉は、やはり大滝詠一氏の曲の「サブスク」解禁ってやつでしょうか。なんか、これで、一段と火が付いたような様相があるような気もしますが。。。

たださ、もし大滝氏が生きていたら・・・、とにかく音質に煩かった大滝氏が、CDよりも音質が一段も二段も劣るサブスクリプションを許諾したかというと、ちょっと疑問ですわな。

山下達郎氏が頑なにサブスクリプションを許諾しない一番のネックはそこですから。師匠筋の大滝氏が許諾したかどうかというのは疑問だよね。

確かにサブスクリプションな世の中、恰も「ロンバケ」リリース40周年という話題に引っ掛ければ、ビジネス的な話題作りにはこれ以上にない目玉コンテンツであることは間違いないところだろうけど。。。。

ところで、ワタシが「A Long Vacation」と出会ったのは。。。 今でもよく覚えてますよ。
実は、リリースされた1981年じゃないんだよね。1981年当時、大滝詠一氏はまだ聴いてなかった。
出会ったのは、リリースから2年後、1983年の確か暮れだったと思う。

ワタシは当時14才 中2.

あのころ、クラス対抗の合唱コンクールがあって、その練習用にと、誰が持ってきたのか、教室にラジカセがあったのよ。アイワ製の真っ赤なWカセット。
で、本来は合唱コンクール用のカセットを聴くためにあったんだけども、実質は自分たちがダビングしたカセットを持ってきては、休み時間に流してたりしたわけよ。

そんなカセットの中に、この「A Long Vacation」があったんだよな。

持ってきたのは、当時、親友だった「お寺」の息子でさ 坊主頭の。。 
お寺の息子が大滝詠一氏・・・・。そのミスマッチングさによく覚えているのよ。

でも、実際聴いてみたら・・・・。 もうね、いっぺんで気に入っちゃった

一番の発見は、「カナリア諸島にて」でしたね。 この曲、リリースされた81年頃に、たしか紅茶のCMで使われていてさ。一発で気に入っちゃったんだ。

♪ 薄く切ったオレンジをアイスティーに浮かべて 海に向いたテラスで ペンだけ滑らす〜 ♪

絵が浮かぶじゃん。 いいなぁ、こういう体験したいなぁ・・・と。

でもさ、それまで誰の曲だか分かんなくて、ずっと探していたんだよね。 そしたらロンバケのこの曲だったんじゃん。

衝撃的だったよなぁ。

で、一もにもなく、その「お寺の息子」の家に遊びに行って、カセットをダビングさせてもらって、まあ、何度も何度も聴きましたね、「A Long Vacation」。

ウォール・オブ・サウンド という音楽にじかに触れたのもこの時が初めてだったんだけど、意外にも死んだオヤジが引っかかっちゃたんだよ、この大滝サウンドに。

オヤジ曰く、なつかしい、未だにこんな音楽やってるやつがいたんだ・・・ってことで。

意外にも古い向こうの音楽が好きで、50'S、60'Sオールディーズをタイムリーに経験していたオヤジにとっては、この60'sぽい、ウォール・オブ・サウンドは、自分の青春時代の音だったらしい。

なるほど、だからなのか、ワタシが初めて聴くのにどこか懐かしいと感じるのは・・・、なんて合点がいってしまったり。。。血は争えないんだよな。 
兎も角、それ以降、オヤジの車のカーステの必須アイテムになったことは言うまでもないわけで。。

もし、あの時、お寺の息子が、「A Long Vacation」のカセット持ってこなかったら、大滝氏本人の曲との出会いもずっと後になっていただろうな、きっと。


いや、逆を返せば、それまではそのくらい、大滝氏本人の曲って聴いてなかったのよ。

たしかに、「A Long Vacation」を聴く少し前に、 薬師丸ひろ子さんの「探偵物語」を聴いていたわけだし、それ以前に松田聖子さんの「風立ちぬ」で大滝氏の音楽には接していたはずなのに、どうも、大滝氏本人の曲には触手が動かなかった。 
アーティストというよりは、プロデューサー。 そんなイメージが強かったのかもしれないな。

だからね、今回、引っ張ってきた「♡じかけのオレンジ」っていう曲も、当時は全く聴いたことなかった。

ぢゃ、曲の存在を知らなかったのか・・・。 というとさにあらず、じつは、曲の存在自体は知ってたんだよね。

1982年の「ナイアガラトライアングルVol.2」。言わずと知れた、大瀧詠一、佐野元春、杉真理 3氏によるスペシャルユニット。 
この「♡じかけのオレンジ」は、このアルバム「ナイアガラトライアングルVol.2」の1曲として収録。アルバムがリリースされた同日、1982年3月21日にシングルカットと言う形でリリースされた曲ですわ。

ちなみに、シングルとしてのこの「♡じかけのオレンジ 」はオリコン最高70位 売り上げ1.8万枚しかなかったけど、、アルバム「ナイアガラトライアングルVol.2」としては、 オリコンLPチャート 最高位2位 売り上げ枚数31.4万枚を記録。
当時のアルバム売上水準を考えると、十分大ヒットの部類だ、

まあ、これじゃシングルは売れなくても当然。 ただ、逆に言えば当時、7インチシングル買ってた方は貴重かもなぁ。今となっては。


1982年当時、音楽情報誌といっても、月刊・明星くらいしか読んでなかったワタシだけど、「明星」の付録の歌本「Young Song」にも、「ナイアガラトライアングルVol.2」特集として、楽譜入りでこの「♡じかけのオレンジ」も掲載されていたからさ。

だから、楽曲の存在だけはリリース当時から知っていたんだよね。

でも、丁度小学校を卒業したばかりの「おこちゃま」には、まだ触手が伸びなかったんだよな。


♪ テキーラの夢のあと〜 ♪ っていう歌詞には、どことなく興味が行ったんだけどね。 うん「テキーラ」っていうアイテムに引っかかったんだよな。 

テキーラって、中南米の度が強いお酒っていうのは、どことなく当時から知ってたみたいなんだよね、ワシ。

だから、この曲、そういう中南米のラテン系の曲を、想像していたところはあったな。

で、実際聴いたのは、いつだったんだろ・・・・。 大分後、 大人になってからでしたね。

それまで想像していた曲調と全く違うんで、かなり拍子抜けしたのだけは覚えてる。

ただ、すでに「ロンバケ」とか「Each Time」で、大滝氏の曲を充分理解したうえで聴いたんで、実際聴いたときは何の抵抗もなかった。

なるほどね大滝さんらしい曲だな。 と思いましたね。

・・とともに、「あ、この曲・・・どっかで聴いてたぞ」 と言う感覚もあったんだよな。

1982年春 まだ千葉に引っ越してくる前、福島のいわきに居たころだ。

家から車で20分くらいったところにあったゴルフ練習場の喫茶コーナー。 あそこでレモネード飲んだ時の情景だ。

恐らく日曜日だったと思う。 天気がいい、レモン色の日光が振りそそいだ日曜日の午前中。 

・・と一瞬にしてイメージがフラッシュバック。

そうだ、特別に意識はしてなかったんだけど、あの時、有線のBGMで、この曲が流れてたんだ。

だからなのか、この曲タイトルには「オレンジ」と入ってるけど、ワタシの中のイメージは「うすいレモン色」だったりするんだよね。

この後、突然、千葉に引っ越すことになるとは全く思って見ず、 引っ越して来てからの大変な半年が待っていようとは 想像も出来なかった、幸せな日曜日の午前中のひとときだったんだよ。

ヒット当時は意識してなくても、後年きちんと聴いてみると、情景がフラッシュバックしてくる。
ここが音楽のいいところだし、素敵なところなんだよね。

まあ、他にもこういう曲がたまにあったりするんだけどさ、この曲は、そういう曲の中でも特に、はっきり情景がフラッシュバックしてきたんだよなぁ。

・・・ということで、個人的には、なんか忘れられない1曲だったりするんだよね。




Youtubeに動画が落ちてなかったんで、 久々にニコ動にリンク。
いつ消されるかわかんないけど、どうぞ。

ちなみに音が小さいので、ボリュームを上げてどうぞ。




ぶりっ子Rock'n Roll /紅麗威甦

1982_02_ぶりっ子ロックンロール_紅麗威甦


今回の1曲セレクトは、「ぶりっ子Rock'n Roll」紅麗威甦です。

まずはデータでするぅ〜。

・タイトル   ぶりっ子Rock'n Roll
・アーティスト    紅麗威甦
・作詞     翔
・作曲     翔
・編曲     T.C.R.横浜銀蠅.R.S      若草恵
・リリース日  1982年1月20日
・発売元    コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  16.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1982年2月22日〜3月1日付

Adoの「うっせぇわ」。ワタシのランクでも1位を取っちゃったりして、ヒット曲と言う意味ではホントにホンモノになっちゃったなあ。
この曲は、表向きの顔と、ウラの顔と二面性について歌われているわけじゃん。 よく言えば「ホンネ」と「タテマエ」というかさ。
まあ、だれでも持ち合わせてるといえば、そうなんだろうね。だから、これだけ広く共感を持たれて刺さった方が多いんだろうなぁ。

でもさ、今からしてみれば80年代に見られた「ぶりっ子」っていうのも、もしかすると、そんなホンネとタテマエとしての表現の一つだったんだろうね・・・とトートツに書いちゃったりして。。。

・・・なんて今回引っ張ってきた曲の「前フリ」だったりして。。。

はい、今回引っ張ってきた曲は、紅麗威甦「ぶりっ子Rock'n Roll」。

紅麗威甦としてのデビュー曲ですね。

その前に紅麗威甦  だれじゃい、一体・・・。

なんて方は、ここ読みに来てる方には、・・・居ないですかね〜。

1980年代前半 時代を味方に一世を風靡した「横浜銀蝿」の弟分としてデビューした「バンド」ですね。
今や、性格俳優としてNHKの大河ドラマにまで出演してしまうような大物になった、杉本哲太氏がボーカル、ギターだったあのバンドですわね。

横浜銀蝿の弟分ということで、当たり前のように「ツッパリリーゼント」に黒の革ジャンという、いでたち。しかも全員、当時高校生・・・だったのかな? 杉本氏の最終学歴は中退になっているけど、この当時は・・・。

同じく横浜銀蝿の弟分として、このすぐ後に、嶋大輔氏がソロデビューをすることになるわけだけど、同期のような存在でしたよね。

あの頃、リーゼントに、ドカンに、短ラン、長ランの、トッポそうな、見た目にツッパリの方ですよね・・・と分かるお兄さん、お姉さん、いっぱいいたよなぁ。

いや、正確には、この曲がリリースされた頃は、個人的には、まだ福島にいたんで、身近にはこのような「いでたち」の方たちは居なかった。 なんせ、中学生は男子は強制的に全員「坊主」だったんで、リーゼントなんて考えられなかったから。。

でもさ、すぐ後に千葉に引っ越して来たら、強制「坊主」ではなかったんで、居ましたねぇ、うちらの中学校にもツッパリファッションの方々が。。
特に、うちらの中学校と、俳優・石丸幹二氏が卒業した隣の中学校は、共にマンモス校で荒れてましたからねぇ。 まるで金八先生第2シリーズの「荒屋二中」みたいな感じで、しょっちゅうガラスが割られたり、トイレの個室に仕切りが無かったり、警察が介入してきたり・・・という感じで。。。

いずれにしても、そういう中学校だったんで、見た目この「紅麗威甦」のようなチリチリリーゼントのお兄さんや、長ーいスカートひきずったお姉さんがいっぱいいたわけよ。

ワタシゃ、平和だった福島からそういう環境にいきなり放り込まれたんで、ある意味カルチャーショックだったよなぁ。。。


あー、話がすれてきた。

そんな「紅麗威甦」のメンバーのなかでも、個人的には杉本哲太氏って怖かったんだよなぁ。
このヒト、当時は目が笑ってなかったからさ。
例えば嶋大輔氏なんかは、確かに喧嘩させたら強そうだよなぁとは感じたけど、意外と優しい目をしてたりするんだよ。

ツッパリのファンシイ化。 「歌謡界 一発屋伝説」で著者の宝泉薫氏は、当時のツッパリのフッション化をそう例えているけど、嶋大輔氏なんかは、まさにそんな感じだったんだよね。

でもさ、杉本哲太氏はちょっと違ったような印象があったんだよなぁ。このヒト、怒らせたらマジでヤバイ様な雰囲気があったのよ。
下手するとマッポ(警察)の「お世話」になってもおかしくなかったような。。。

だから、40年後の今、「相棒」シリーズで警察官僚役をやってる杉本氏を見てると、隔世を感じるよなぁ。

でもまあ、中学校の時ことを振り返ると、そんなツッパリファッションのお兄さん、お姉さんたちって、実際接してみると、見た目に反していいやつが多かったんだよ。
まあ、ワタシの周りでは偶然にもそうだったのかもしれないけど、でも、当時、めっちゃ強面でヤンチャしてた方で、今やいいオッちゃんやオバチャンになってる人って、結構多いじゃん。

それを考えると、杉本哲太氏も、同じなのかもなぁ。。。 若気の至りってやつでさ。



だけんどさあ、この曲にしたって若気の至り感、満載だよなぁ。
なんすか ♪ブリブリ ブリッ子ROCK'N ROLL〜 ♪っていう出だしは・・・
今となっては、ほとんどギャグでしかないような曲だったりもするんだけども。。。 

いやいや、個人的には当時からして、ほとんどギャグにしか思えなかったんだけども。。。

・・というか、少し前の銀蠅の「ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)からして、ギャグだったりしたからなぁ。 この曲はその延長のように感じたし。

それ以上に「歌謡曲」だよね、この曲は。たしかに表面的な形式はロックンロールではあるけども。

若草恵氏という歌謡ポップスの王道のアレンジャーが絡んできていたわけで、そうなるのも必然なんだろうけどね。

若草恵と銀蠅というと、前年、西城秀樹氏に贈った「セクシーガール」のアレンジが若草氏だった関係もあり、そこからの流れなんだろうけど、なぜこの曲で若草氏だったのかと言うのは、ちょっと理解が難しいんだよな。

銀蠅ってストレートな3コードのロックンロールがバイクでぶっ飛ばしているような疾走感があってサイコーっていうところから、族の連中を中心に、ツッパリの方々とかに受けて出てきた人たちじゃん。

それから見ると81年の「羯徒毘薫'狼琉」なんてのは、サイコーな1曲だと思うんだけどさ。

でも、そういうストレートな3コードのロックンロール一本やりでは、この後きつくなるのはわかり切っていたわけでさ。
それとツッパリお兄さん、お姉さんたちだけではなく、一般のお客さんを取り込むには、ある程度の歌謡曲化もやむなしと考えていたのかもしれないけど。。。。

ただ、杉本氏なんて、当時はこの曲どう思って歌ってんだろ?  ・・・・なんて、思えてしょうがないんだよな。
「やってらんねぇよ」とは思わなかったのかねぇ・・とかさ。 まあ、それ以上に銀蠅の嵐さんや、事務所社長の大坂氏がおっかない存在だったんだろうけどね。

それにしても、それまで、ツッパリって硬派だと思ってたところがあるのよ、個人的には。
族って組織的なタテ社会なところから硬派っていうイメージが強かったし。でも、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)」につづく、この曲をみると、どうしてもナンパなイメージしか出て来なかったんだよな。
まあ、この曲あたりの時点では、まだ銀蠅一家のツッパリイメージに嘘臭さまでは感じてなかったけどさ。
でも、この年1982年の年末ごろになってくると、だんだん嘘臭さを感じたりしてね。 それとともに銀蠅一家の人気も急激に衰えていくんだけど。。。


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ねじれたハートで / 桃井かおり 来生たかお

1982_09_ねじれたハートで_桃井かおり 来生たかお


今回の1曲セレクトは、「ねじれたハートで」桃井かおり 来生たかおです。

まずはデータです。

・タイトル    ねじれたハートで
・アーティスト  桃井かおり 来生たかお
・作詞      来生えつこ
・作曲      来生たかお
・編曲      星勝
・リリース日   1982年7月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   16.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

いやいや、久々の「1曲セレクトですわ」。書き方忘れてしまっていそうですねぇ。
ここの所、リアル仕事が詰まっていて、週末も「自主的」に仕事しててなかなか1曲セレクトを書く時間がなかったわけなんですが。 たまたま今週末は時間が空いたんで、久々にPCに向かってたりします。

食べ物でもそうなんだけど、子供の頃は嫌いだったけども、大人になるとおいしく感じる食べ物ってありますよね。
音楽も同じなんだよなぁ。
子供の頃嫌いだった曲でも、大人になるとなぜか受け入れられる曲ってありますよね。 まあ、演歌の世界なんてのはそういう曲が多いかな。
この世に生を受けてから数十年。紆余曲折しているうちに、好みの音楽も変わってくるってやつですかねぇ。

今回引っ張ってきた曲も、そんな1曲ですね。

桃井かおり 来生たかお 「ねじれたハートで」

この曲、子供の頃(と言ってもヒット当時、すでに中学1年になっていましたが)、どうもキライだったのね。キライというか、生理的に受け付けたくなかった・・というか。

今考えると、どうしてだったんだろう? なんて首をひねりたくなったりもするんだけど。。。

あの頃、大人の世界に反感があったんですよ。 まあ、反抗期ってやつですね。
小学生の低学年の頃、あんなに早く大人になりたいなんて大人の世界に憧れがあったのがウソみたいに嫌だったんだよな、あの頃。

1982年夏。 ここでは、もう何度も書いてるけど、それまで住んでいた福島から千葉に越してきたという大きな環境変化があったころですわ。
親父が勤めていた会社の寮暮らしという、急に周りが大人ばかりの環境に放り込まれたというのが大きかったのかもしれない。

兎に角、一時、大人の世界が煙たくてしょうがなかった時期があった。

転校生という事ですぐには友達も出来ず、千葉の生活にもなじめず、水も合わずずっとおなかの調子も悪い・・1982年の夏。

そんなイライラもたまっていたのもあるんだろうな。兎に角、このころ、大人の世界が煙たくてしょうがなかったんだよな。

そんな中、流れてきた、4ビートのジャジーな調べが、この「ねじれたハートで」だった。
4ビートのジャジーな曲は、詞の内容からして大人の世界そのものだった。

鬱陶しかったかったんだよな。 この曲が醸し出す大人の世界観が。

そんな個人的感情とはウラハラに、この曲はヒットし、ラジオのヒットチャートを含め頻繁にかかるようになったのが、38年前の丁度今頃だったと思う。

来生たかおさんがキライだったわけじゃないんだよね。この年の年頭に大ヒットした「夢の途中」なんて大好きだったし。 
デュエット相手の桃井かおりさんは、大人の女の色気ムンムンで、当時13歳の私にはちょっと近寄り難い雰囲気ではあったけど。

でもまあ、アダルトと言っても、今の私の年齢から見ると、当時の2人は全然年下なんですけどね。

ちなみに、当時、来生たかお氏 桃井かおりさん 共に31歳。
いやー、あの時の私からは、もっともっとアダルトに見えましたけどねぇ。。。。。

プロデュースは、CBSソニーの酒井政利氏。
 
たださ、キライキライというても、今から思うと本心からではなかったんだと思う。 
うん、どっか引っかかってはいたんだよね。

結局さ、今から思うと大人の世界を拒否したかっただけなんだよ。曲に罪はなかったんだよ。

これは、ちょうど同じ時期に同じようにヒットしていた、五木ひろし氏の「契り」にも同じような感情を覚えてたなんだよね。やっぱり、アダルトな路線を拒否したかったという一時の感情だったんだと思う。


それにしても、来生たかお氏の実姉の来生えつこさんの詞っていうのは、ホント性的だよね。
この曲のちょっと前に大ヒットした大橋純子さんの「シルエットロマンス」の「モロ」性行為ってところから見ると、この曲はまだマシではあるけど。
男と女の色恋物語であることは違いないわけで。。

まあ、当時13歳だったワタシは、まだ「性」に目覚め切っていなかったころだったけど、もう少し後に、この曲なんてヒットしてたら、この曲だけでご飯2杯くらい食えたかもなぁ 

え? エロ話のことですよ。。。。

いまは、こういう性的な色気があるヒット曲って、ホント少なくなっちゃったですからね。
最近のヒット曲に魅力が少なくなったと感じるのは、やっぱりこの部分−エロエロ−を感じる曲が少なくなったからなんだろうな。


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アンサーソングは哀愁 / 早見優

1982_11_アンサーソングは哀愁_早見優


今回の1曲セレクトは、「アンサーソングは哀愁」早見優です。

まずはデータでする。

・タイトル      アンサーソングは哀愁
・アーティスト    早見優
・作詞        阿久悠
・作曲        馬飼野康二
・編曲        萩田光雄
・リリース日     1982年10月19日
・発売元       トーラス
・オリコン最高位  29位
・売上げ枚数   4.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 34位


あー、今回セレクトしてきた曲は、どう捉えたらいいんだろう? って言う曲なんですよね。
どうも、出だしのマクラがなかなか思いつかない。
そのくらいヒット当時、関わり合いが薄い曲だったんだよね。 ・・・うーん、関わり合いっていうのも変な表現だな。。。
単純に、あんまり聴いて無かったと言った方がいいのかな。

早見優さんの「アンサーソングは哀愁」。

花の82年組の1人っていうのは、ここ読んでくださってる殆どの方は周知の通りだと思うけど、そんな82年組の早見さんのデビュー第3弾がこの曲ですね。

「花の82年組」ということで、たくさんのアイドルが華々しくデビューを飾った訳だけど、第3弾シングルともなると、順調に伸びトップアイドル街道をまっしぐらのグループと、すでにネタ切れ・・・というか息切れ気味のグループと大きく分かれて来てたような印象があるな。

その中で、早見さんはというと、・・・・ 正直、82年組のトップグループの中でも、とりわけ存在感が薄いな・・・82年の秋も深まる今頃は、そう言う感じに今頃はなって来ていたような印象が強い。

それもこれも、第3弾シングルであるこの曲がジミ過ぎたっていうのが大きかったよなぁ。

確かに、同期の同い年くらいの他のアイドルよりも、見た目年上、やや大人っぽくは見えた。 
だから、少し子供っぽさが残るデビュー曲、「急いで初恋」はちょっとイメージと違うな・・って言う印象はあった。でも、第2弾の「Love Light」は、その辺りを修正してきたように思えたし、だから、個人的には「Love Light」って曲は好きだったんだよね。

そして第3弾のこの曲ですよ。たしかにミディアムの落ち着いた佇まいの曲調は、さらに大人っぽさを前面に出したような曲調ではあるけど、これはちょっと背伸びが過ぎるんじゃないか。

当時13歳のワタシでも、そう感じたな。

まあ、実際は、そんなオヤジっぽいストレートな批評感はさすがになかったけど、、なんか違うなって言う違和感は大きく感じてたんだよね。

曲だけ見るとこれがデビュー第3弾の曲とは思えない、デビュー5年目くらい、すでに20歳を過ぎた女性歌手が歌うような落ち着きがあるんだよな。

・・・なんか回りくどい書き方になっちゃったけど、簡単に言えば、ポップじゃないのよ、この曲。

同期の82年組の、少なくともトップグループの人たちは、みんなポップだっじゃん、曲調が。 
それなのに、この落ち着きだからさ。 まるで、早くもアイドル路線を諦めて歌謡曲路線の路線変更したかのような・・・。

あ〜、アイドル路線から脱落したか、残念だけど・・・

率直なところ、そう感じた部分が大きかったんだよ、個人的には。


それ以上に、この曲自体の問題ですよね。

今、手元に月刊明星付録の歌本「Young Song」の1982年12月号がある。

この「アンサーソングは哀愁」が新曲として掲載された号ですね。 

当然、お決まりの近田春夫氏の「新曲激評」の対象曲となっていたんだけど、こんときの近田氏のコメント


「あ、モロ「カサブランカ」と同じメロ。堂々としてるなァ。そもそも「アンサーソングは哀愁」ってタイトル、悪ふざけじゃん。これは日本歌謡界への皮肉だよね。こういう作家としてのメッセージがハッキリ出た曲を歌うのって、早見さんしんどいだろうねぇ」 (原文ママ)


そうなんだよね、 この曲、ジミとかポップではなく歌謡曲っぽい・・・と言う前に、Bertie Higginsの「Cassablanca」、まんまなのよ、曲調が。

あ、「Cassablanca」で分かんなかったら、郷ひろみ氏の「哀愁のカサブランカ」

近田氏が「アンサーソングは哀愁」ってタイトル、悪ふざけじゃんって言っているのは、曲調が似てる上に郷ひろみ氏の「哀愁のカサブランカ」をもじったようなタイトルだったからなんだけどさ。

いや、はっきり言ってワタシもこの近田氏のコメント通りと思ってたのよ。 これは、ちょっと悪ふざけじゃんっていう・・・。

ただ、当時・・・いや、最近まで意味が分かんなかったのは、「これは日本歌謡界への皮肉だよね。こういう作家としてのメッセージがハッキリ出た曲」っいう後半の部分。

これってどういう意味だったんだろう?   っていうのがずーっと引っかかってたのよ。
まあ、深い意味はないのかもしれないけど・・・。


でさ、この機会に、再度、自分なりにちょっと考えてみた。

で、浮かんできたのが・・・。

もしかしてさ、Bertie Higginsの「Cassablanca」って、郷ひろみ氏のカバーが決まる前に、早見さんサイドがカバーするつもりでいたんじゃないか・・・ってこと。

そう考えれば、1曲前の「Love Light」が外人の作曲だった意味も分かる。つまりさアイドルの王道路線ではなく、より洋楽ポップに向かうって言うベクトルだよね。

そう言う路線を画策していた時に、郷ひろみ氏のカバーが決まってしまった。
(ちなみに、郷氏のカバーは、当時ニッポン放送のアナウンサーだった、はたえ金次郎氏が郷氏サイドに売り込んで決まったとなっている)

相手はアイドルの大先輩でありアイドル界のスーパースター。こちらは一介の新人。
当然だけどダイレクトに抗議も出来ない。

そんな事があったがための抗議と言う意味をこめての「アンサーソングは哀愁」って曲でありーの、近田氏のコメント。

もちろん、これは、ワタシの妄想でアリ、事実であるかどうかは全く分からないんだけどさ。

でも、こう考えれば、 

・タイトルからして悪ふざけな事 
・メロディがモロ、「カサブランカ」な事
・近田氏が「日本歌謡界への皮肉だよね」と言ってる意味 
・そういう皮肉を込めた曲を派手にする訳にも行かず、ジミな曲にするしかなかった事

・・・など全ての流れの辻褄が合うような気がするんだよなぁ。


ただ、タイトルとしては、近田氏が言うように「悪ふざけじゃん」ってダイレクトに分かるんだけど、歌詞内容は正直良く分かんない。

大御所・阿久悠氏の作詞だけど、正直、最近まで阿久悠氏が作ったとは思わなかったもの。

♪ 奪われる 奪えない 奪うもの 奪え〜 ♪とかさ、国語文法の五段活用か  なんて思える、なんじゃこりゃ・・って言う歌詞だったりするし。。。

この曲を「リリース」する事が前提で、歌詞の内容はさほど重要じゃない・・・って言っているようにも思えたりしてさ。

尤も、阿久氏は、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」の♪ リンリンリリン〜♪ などのように「擬音」を歌詞に多用したりするところもあったりするんで、五段活用的な歌詞も、ある意味阿久氏らしさと言えるのかもしれないけど。。。



この曲のような地味な展開もあり、一時はアイドルとして死んだ・・・と思えた早見さんだっただけに、次の年の「夏色のナンシー」は、アイドルとして起死回生、一発逆転ホームラン的なインパクトがありましたね。

洋楽路線とはならなかったものの、そんな早見サイドの方向性を感じ取り、第2の南沙織にしようとした、筒美京平ってヒトは、やっぱり天才なんだな・・・と思わずには居られなかったよな。


ちなみに、当時は、ジミーで触手が伸びなかった、この「アンサーソングは哀愁」も、今はいいんだよね。
ワタシもそれだけオヤジになり、ポップな曲よりもシブい曲の方が安心できるようになったって事なのか。。

いや、その前に、今となっては完全に忘れ去られている、この曲は手垢が少ないってことで、それだけ、未だに新鮮に聴けるって事が大きいんだろうな。
早見さんって言ったら、みーんな判を押したように「夏色のナンシー」とか「誘惑光線クラッ!」などばっかなんだもん。 今となっては、この曲なんかセレクトするヒトってほとんど居ないから。。。。


あ、それから、どーでもいい事なんだけど、↑で引き合いに出した、「Young Song」1982年12月号の新曲激評には、同じく当時新人だった原田知世さんの「ときめきのアクシデント」の近田氏の評があるんだけど、この時の評が「ひでぇ下手な歌だな。これじゃ作家のヒト怒るぜ。」とバッサリ。
今だったらネットで炎上ざたのようなコメントだけど、当時は、これはこれで見方の一つとして「アリ」だったんだよね。


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MOMOKO / 近藤真彦

1982_07_ハイティーンブギ_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「MOMOKO」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル      MOMOKO
・アーティスト    近藤真彦
・作詞        松本隆
・作曲        山下達郎
・編曲        山下達郎
・リリース日    1982年6月30日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 −位
・売り上げ枚数  −位
・THE HITCHART HOT30最高位 −位
・タイアップ:映画「ハイティーン・ブギ」挿入曲
※シングル「ハイティーン・ブギ」片面

今週はジャニーズ事務所「総帥」のジャニー喜多川氏の死去と言うニュースが、各ワイドショーのみならず一般のニュースにも広く報道された1週間でしたわな。
年齢的にもそうだし、先月くも膜下出血で倒れたという報道からも、もしかしたら・・・と言う予感が高まっていた訳ではあるんだけども、いざ来てみると、その存在の巨大さに改めて気づかされた1週間でもあったな。
改めて、ご冥福をお祈りいたします。

そういうこともあり、今回の1曲セレクトもジャニーズの曲を外すけにゃ行けないだろ・・と言う思いがあり、真っさいに浮かんだ曲がこの曲だったんだな。

まっち先生の「MOMOKO」

この曲覚えてる方ってどのくらいいるだろ? 昔、まっち先生のファンだった方は当然知ってるかな?

そう、シングル「ハイティーン・ブギ」の片面だった曲ですね。 当時まっち先生が主演した、たのきん映画第4弾「ハイティーン・ブギ」の挿入曲。 まっち先生演じる主人公「翔」の相手役 「桃子」を歌った曲ですわ。

なぜ、この曲が真っ先に浮かんだのか

もちろん、タイトル曲の「ハイティーン・ブギ」が丁度今頃のヒットだった事も大きい。
けど、それ以上に大きいのは、今年のこの夏の天候不順なんだよな。 

これは昔、「表題曲」の「ハイティーン・ブギ」書いた時にも触れた事なんだけども、この曲がリリースされた1982年夏ってさあ、今年同様、天候不順な夏で、気温が低く、雨の日が多かったんだよ。
典型的な「冷夏」な夏だった訳で。

あの時と同じような天気が続く、ここ暫くの天気。 今日も同じような天気か続いている訳で。。
今頃の雨の日の日曜日というと、どうしてもあの1982年の夏とオーバーラップしてしまう。
その時決まって耳の奥から聴こえてくるのは、この「MOMOKO」だったするんだよ。

そんな天候不順だった1982年夏を彷彿させるこの曲は、文字通り「珠玉のバラード」と言ってもおかしくないような、名曲なんだよね。
山下達郎氏が紡ぎたす、名バラードが、決してウマくない、まっち先生の歌唱を包み込むって言いましょうかねぇ。

今聴いても、到底、当時のアイドルの曲の範疇を超えてるような本格的なバラードだもんね。

http://yamashitatatsuro.blog78.fc2.com/blog-entry-218.html?sp

によると、演奏メンバーは

・G. 山下達郎
・B. 伊藤広規
・Dr . 青山純
・Key. 難波弘之

とある。

もろ当時の「達郎バンド」のメンバーやん。。。 そりゃ、アイドル曲の範疇を超えてるクオリティだよな。。
いや、82年当時の水準で言えば・・・の話だけど。
これが80年代も中盤を過ぎると、これが「デフォルト」になる。 例えば86年の中森明菜の「DESIRE」なんかもこの系統人脈のレコーディングだったはずだ。

イントロの優しい、フェンダーローズの音色からして、これはちょっと違うと思わせてくれる。 当時アイドルの曲で、これだけフェンダーローズが前面に出てる曲ってあんまりなかったし。
どちらかというと、70年代と言う時代を彷彿させる様なニューミュージック系アーティストの必須アイテムだった。

つまり、匂いは完全にニューミュージックなんだよね。  そもそもテンション系コードをふんだんに使ったコード進行からして、アイドル曲というよりニューミュージックそのものなんだけどさ
テンションコードに 前年の寺尾聰氏のミリオンセラーアルバム「Refrections」で多用され、耳の奥に刻む込まれていた世界が、この曲でも展開されてるんだよな。

それにも増して耳が行ってしまうのは、間奏部の達郎氏直々の、泣きのギターソロ。
これがめっちゃブルージーなのよ。

正直、今聴くと「すげぇ」って驚嘆するようなプレイでは決してない。(もしかして本人が一番分かってたりして。。)
今剛氏や、矢島賢氏の方が、もっと確実性のあるギターソロだったかもしれない。
現に、表題曲の「ハイティーン・ブギ」のギターソロは、矢島賢氏がプレイしてたりする。
でも、味があるんだよな。少なくとも、ワタシにはあの時の沈んだ心模様にはマッチする。

そう、1982年夏っていうのは、個人的にもさらに特殊な環境の夏で。 つまりは1982年の7月の頭に福島から千葉に越してきたっていう、大きな環境変化があった夏でもあったんだよね。

今だからカミングアウト出来る事だけど、あの年は本当に辛かったんだよ。 友達も全然いないし、自分をアピールしようと思っても全然理解してもらえず友達も出来ない。所詮はよそ者扱いに過ぎなかったんだよ。
孤独だった。ずっと福島に帰りたいってばかり思ってた夏だった。

そんな個人的に辛い時期だっただけに、この曲の達郎氏の泣きのギターソロには、ひときわグッとこみ上げるものがあったし、それは今でも変わらない。


それ以前に、そもそもこの曲を知ったきっかけは、月刊明星付録の「ヤンソン」に楽譜付きで載ったからなんだよな。
「ハイティーン・ブギ」の「片面」ということは通常B面なわけで、あまり世間一般には表に出てこない。
ただ、この曲は「両A面」扱いだったんだよね。 
まあ、「ハイブギ」人気と相まって、ヤンソン側も譜面付きで載せたんだろうけど、そうじゃなきゃ今頃完全に死角に入っちゃってただろうな。 今となっては感謝ですね。


 


ところで、当時、「たのきん映画」って好きでさ、第3弾の「グッドラックLOVE」まで、全部映画館で見たんだけど、この「ハイブギ」から見なくなっちゃったんだよな。
 この作品については、もう見なくてもどうでもいいとは思わなかったけど、やっぱ引っ越したばっかってことが大きかったんだよな。 千葉の事、全然分かんなかったし。

今になって、当時の配給収入を調べたりすると、この「ハイティーン・ブギ」、1982年度の邦画配給収入は18億で、薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」について2位だったんだねぇ。

http://www.eiren.org/toukei/1982.html

どうやら一連の「たのきん」映画の中では一番ヒットした作品だったらしいんだよね。


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スニーカーぶる〜す(別テイク) / 近藤真彦

1982_04_ふられてBANZAI_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「スニーカーぶる〜す」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル     スニーカーぶる〜す
・アーティスト   近藤真彦
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       戸塚修
・リリース日   1982年3月31日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 -  位
・売上げ枚数     - 万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 - 位

・・・と書いて、ちょっと待て〜〜  って普通思いますよね。 少なくとも80年代を知ってる方なら。

そもそも、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」のリリースは「1980年12月12日」であり、↑のリリース日も違ってるじゃん。
それ以前に、なに? オリコン最高位も売り上げ枚数も 「−」になっているのは

もっと、細かい所を指摘するなら、アレンジャーが「馬飼野康二」氏ぢゃないじゃん。。。

・・・なんて、あたりがクレームが来そうな所かなぁ。。

But But 、間違ってないですから。

うん、当時の事をちょっと知ってる方なら、このタネあかしは、知ってますよね。

これは、まっち先生のデビューシングルとして、公式にリリースされたテイクとは別テイクの「スニーカーぶる〜す」のことを指している訳です。
そそそ、シングル「ふられてBANZAI」のB面に収録されているバージョンの「スニーカーぶる〜す」。

いや、正式に言えば、元々・・・というか、最初に出来あがったテイクの「スニーカーぶる〜す」は、こちらの戸塚修氏がアレンジしたテイクであり、世に出ている「スニーカーぶる〜す」は、このテイクからさらに手を加えた「後発」テイクということになる。

ちなみに、このバージョンを「スニーカーぶる〜す Part2」って言ってるヒトもいるけど、これは間違い。
「スニーカーぶる〜す」の大ヒットからの続編作って訳じゃないんだよね。

たしかにこのテイクは、歌詞も違えば、もちろんアレンジも違う。メロディはほぼ同じではあるけどメロディ進行も違うし、尺も違う。
まあ、続編⇒Part2と勘違いするしてもおかしくは無いけど・・・。

こちらのテイクの方が、尺が長い。歌詞も ♪ Buzのレコード聴いてた寒い夜明けが懐かしい〜 ♪ とか、大人っぽいし、これ生かすようなドライブがかかったアレンジは、ほとんどニューミュージックなんだよね。
少なくともアイドルのデビュー曲とは到底思えないような・・・。

ただし、音楽的にはほとんど完成された仕上がりにはなっている。 うん、まっち先生のボーカルも、「通常」の「スニーカーぶる〜す」よりも数段上手いしさ。


こんな音楽的に見てほぼ完成されたテイクを、当時のまっち先生のプロデューサーだった、小杉理宇造氏は切ったわけだ。

で、今、普通に聴かれるテイクの「スニーカーぶる〜す」に作り替えた。

今普通に聴かれる「スニーカーぶる〜す」は、当初のテイクから比べると、正直言ってダサい。 まっち先生のボーカルもシロウトっぽい。

ただ、初めのテイクに比べ、余計なフレーズが削られメロディ進行もシンプル。

当初のテイクと詞、メロディとも全く同じなのはCメロの ♪ 街角は雨 ぶるーすのようさ・・・♪ の部分のみだ。


ぢゃ、なぜ当初の音楽的に完成されたテイクを切って、「ダサい」テイクに作り替えたのか?

この辺は、ネット上で他の方も大分書かれてるけど、1981年11月号の月刊「明星」の歌本「Yong Song」の「'81 MUSIC PEOPLEインタビュー」と言う連載企画での小杉氏へのインタビューによると、

「アイドルにとって、最初からクオリティが高すぎるのは危険だから」と言ってる。

つまりさ、デビュー曲であまりにクオリティが高い所まで持って行ってしまうと、2作目以降の行き場が無くなるってことなんだよね。
駄作でいいと言う訳ではないんだけど、デビュー曲は音楽的にはある程度のところでよく、2作目以降徐々にクオリティを上げて行けばいい。

そういう考えのもと、敢えてダサいテイクに変えたって言う訳だ。



ただ、「スニーカーぶる〜す」の場合は、他にもしがらみがあった。ジャニーズ側からのとんでもなく高いハードル要請だ。

「オリコン初登場1位。 売り上げ枚数ミリオンセラー」

これが、小杉氏に求められた絶対条件だったと言う。

オリコン初登場1位。 たしかにハードルが高い条件であったものの、当時のまっち先生の人気の超沸騰度から考えれば、楽曲のクオリティどがえしでも、これはある程度は予測できたかもしれない。
その保険のために、オリコン集計期間とレコード店頭販売時期を考慮して、店着日とオリコン集計期間を最大限生かしきるために12月12日なんていう、当時の通常のリリース日ローテーションから外し、敢えて「臨発」扱いにした訳で。

しかしながら、 売り上げ枚数ミリオンセラー、 この条件は当時の「アイドル」のレコード売り上げ傾向から見ると、めっちゃ高いハードルだったわけだ。

いつかも書いたけど、1980年当時、レコードは今に比べると高価なものだったんだよね。 シングル1枚、700円。 今のCDシングルよりも安いじゃんと思われがちだけど、相対的な物価が約40年前とは違う訳で・・・。

1980年の大卒初任給の平均は11万5千円。 ここから現在の価値に変換すると、シングルレコード1枚、1250円程度となる。

しかも、当時のアイドル・・・特にまっち先生のファン層の中心は、当時の小〜中学生(つまりは我々の世代ですわな)。 小学生、中学生が、例え1250円でもシングルレコードを買うっていうのは、それ相応の「覚悟」が必要だったんだよね。

そのため、当時のレコードの購買中心層は大学生から上の世代。 

それいえに、当時、オリコンでのミリオンセラーは演歌、ニューミュージックで占められてあり、アイドルでそれまでミリオンセラーを記録していたのは、ピンク・レディーだけだ。

当時すでに伝説的なアイドルであった、山口百恵、西城秀樹、沢田研二、岩崎宏美、太田裕美・・・だれもミリオンセラーを達成していない。

つまり、アイドルでミリオンセラーを記録するのは、超至難の業。しかも、それをデビュー曲で達成させるなど、一見すると無謀なハードルだったんだよ。まさに「鬼」のジャニーズと思える条件。

ただ、ジャニーズとしては、絶対にクリアできないハードルとは思っていなかったらしい。 
・・というのも、トシちゃんのデビュー曲「哀愁でいと」の売り上げが70万枚を記録。
で、当時、まっち先生のファンレターは、トシちゃんの1.5倍はあったとのこと。 
それから考えれば、まっち先生のデビュー曲でミリオンセラーは可能であるんじゃないか。そう言う考えだったようだ。実際、70万の1.5倍って言ったら105万になるから・・・。

うむ、確かに机上の数字ではそうだ・・・。
でも、実際はそんな単純なもんじゃない。

そこで引き下がらなかったのが、小杉氏が根っからのプロデューサーだったところなんだよな。

デビューを12月にしたのも一つの作戦であったと思う。
お年玉狙いって訳ですわ。 いつものお小遣いではなく、正月、お年玉使えば700円のシングルも買いやすくなるって言う狙い。

もう一つは、楽曲を分かりやすく、より多くのヒトに刺さりやすくするっていう狙い。 これが↑で書いた最初のテイクを切ったという所につながる。

この当時、より売れる楽曲にするためには、より大衆的な音楽にするのが一番の命題だったんだよね。
「音楽的にクオリティが高い」っていうのは、2の次だったんですよ。

以前NHKで放送された、「名盤ドキュメント、井上陽水「氷の世界」」で、70年代陽水氏のプロデューサーであった多賀英典氏も、「心もよう」と「帰れない二人」、どちらをシングルのタイトル曲に切るか・・・という問題で、音楽的完成度が高い「帰りない二人」ではなく、寄り大衆的な「心もよう」をタイトルシングルに切ったと言う話をされている。

つまりは、「大衆性」というのが一番だったわけだ。

結果、それらの狙いが全て嵌まり、「スニーカーぶる〜す」は、ミリオンセラーを達成する。

奇しくも、売り上げ104.8万枚っていうのは、ジャニーズが当初考えていた、トシちやんのデビュー曲「哀愁でいと」の約1.5倍だったっていうのは、事後の結果から見ると偶然であったのか目論見通りだったのか・・・・

いずれにしろ、ジャニーズのそういうところがコワイところなんだろうし、だれも文句が言えないところなんだろうな。

逆に言えば、最初のテイクでリリースされていたら・・・・、複雑な曲進行、アイドルとしては長い曲調と言うところがネックとなり、果たしてどれだけ大衆的に刺さったのか・・というのはギモンなところだ。当然、ミリオンセラーまでは行かなかっただろう。



プロデューサー感覚。 一時流行ったコトバではあるが、今プロデューサーと呼ばれる方で、本来の意味でのプロデューサーと言える方はどのくらいいいるのだろう?
確かにセルフプロデュース的なヒトは、今や業界人に限らず一般のヒトにもたくさんいる。 プロデューサーは、1から100を生み出すヒトではある。
ただ、ビジネスにおいての真のプロデューサーはヒット作を生み出し、それによって「会社」や依頼主への利益を生み出すヒトでもあるんだよね。ココが一番難しいところなんだよ。
自分へのプロデュースは出来ても、第三者をプロデュースするってことは並大抵では出来ない。

第三者へのヒット作品を生み出すにはどうするべきなのか? 
・・と言われた時、ココまで書いたように大衆的感覚が大事な訳なんだけど、ヒット作を生み出せないプロデューサーはこの感覚が欠けてるんだと思うな。独りよがりというか・・
たしかに拘りというのは大事だけど、それがどの程度大衆的なのかというところを客観視するのも大事なんだよね。


時に、ワタシも一時、某着メロサイトでプロデューサーの真似事をしてた時期があったけど、やっぱり一番心がけてたのは、「大衆的感覚」だったな。
・・・というか、実は、今回の「スニーカーぶる〜す」の小杉氏の精神っていうのが根底にあったんだよね。

当初、業界経験者がゼロ、しかも、業界でも後発のサイトでもあったため、会員数100万人突破なんて、到底夢物語といわれた某着メロサイトが、最終的に数百万人の会員数を集められた事・・・まあ、ワタシだけの力ではなく、多くのヒトの力の結集によってなんだけど・・・・なぜ達成できたのか・・・といえば、ココを最も大事にした事に尽きる・・・と今でも思ってるなぁ。
当時、第三者からは「奇跡」とか言われてたけど、当時者としては奇跡ではなかったと思っています。





ちなみに、通常版の「スニーカーぶる〜す」は↓ コチラ
http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52049707.html



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気絶するほど悩ましい / 沖田浩之

  1982_10_気絶するほど悩ましい_沖田浩之


今回の1曲セレクトは、「気絶するほど悩ましい」沖田浩之です。

まずはデータでする。

・タイトル     気絶するほど悩ましい
・アーティスト   沖田浩之
・作詞       阿久悠
・作曲       梅垣達志
・編曲       鷺巣詩郎
・リリース日    1982年9月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 37位
・売上げ枚数  2.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 29位

カバー曲。 昔も今も変わらずある「形態」の曲だわね。
日本よりも海外の方が、その数も頻度も多いのかなぁ・・・。まあ、海外の場合は、オリジナルリリースの自国ばかりでなく他の国でのカバーも頻繁に行われているしね。もしかしたら、流通している楽曲をまとめると、オリジナル曲よりもカバー曲の方が圧倒的に多いかもしれない。

それに比べると、日本ではカバーっていうのは、そこまで頻度は高くないのかなぁ・・とは思える。まあ、昔に比べると最近はカバーっていうのも多くなってきたけどね。

でも、海外と日本のカバーの最大の違いと言ったら、カバー曲のクオリティだよなぁ。オリジナルを超えるようなカバーって少ないんだよね うん、これは今に至るまで。

向こうのカバーって、オリジナルを超えるようなクオリティのやつなんか、いっぱいあるじゃん。

どうしてなんだろうなぁ、やっぱり文化と歴史の違いなんですかねぇ。 

先人をたてる・・ってところがあるじゃないですか。先人をリスペクトするようなところ。日本人はさ。 そんな文化が、オリジナルを超えるのを躊躇させているのかなぁ。

まあ、カバーする側のアーティストが、テクニック的にオリジナルを越えられるような技量を持っていないって言うこともあるけどさ。

いや、その場合が、意外と多いんぢゃないかなぁ。

以前も書いたように80年代初頭、81〜82年にかけてカバーブームってあったんだよね。 大半が当時、デビューしたてのアイドルが、70年代のアイドルポップスをカバーする・・・ってパターンが多かったんだけどさ。

 でもまあ、その大半が、お世辞にもオリジナルを超えるようなクオリティとは言えなかったんだよね。 そもそも歌唱力から言って、70年代アイドルと80年代アイドルでは差があったしさ。 

ま、今思えば・・の話だけど。

そう言えば、今回の「気絶するほど悩ましい」もそうだけど、82年ごろのカバーブームは、CBSソニーが多かったよな。しかも酒井政利氏チームが。こん時のカバーブームは酒井氏主導だったんでしょうかねぇ・・・。

蛇足だけど、この間の石川秀美の「ゆれて湘南」でもちらっと触れたけど、このカバーブームが、「80年代」ならではのカラーを遅らせたと思うんだよね。 70年代の曲をカバーするってことは、まだ70年代を引きずっていたって事でもあった訳だからさ。

それでも、「お、これは!」なんて、引っかかったカバー曲もあったんだよね。 今回はそんな曲をセレクト。

沖田浩之「気絶するほど悩ましい」。

「気絶するほど悩ましい」っていったら、どうしてもオリジナルのCharのイメージが強いわな。
・・というか、この曲、沖田浩之がカバーしてたの? って思われる方の方が圧倒的に多いと思う。

それだけ印象に薄いとは思う。 まあ、オリコンでも最高位30位にも行かなかったしな。今となっては知らないヒトが多いのもしょうがないとは思う。

But But、個人的に「気絶するほど悩ましい」と言ったら、こっちの沖田浩之バージョンなんだよねぇ。

簡単に言えば、こちらの方を最初に聴いたんで、こちらの方が耳馴染みだったって言うこともある。 
うん、オリジナルのCharバージョンの方が後付なんですよ、ワタシは。

ただ、仮にCharバージョンの方を最初に聴いてて、こちらを後付けだったらどうだったか・・・というと、もしかすると、沖田氏のバージョンも良かったと思ったかもしれない。

うん、正直言うと、同じ曲なんだけども、全く別物って言う感じなんだよね。

オリジナルのCharバージョンは、若干R&Bがかったソウルっぽいサウンドだったじゃん。 それにCharのギターがフィーチャーされてる。 個人的にはやや薄味な味付けにも感じる。 

対して、沖田バージョンはブラス&キーボードが全面的に出ており、濃い味づけ。 それよりも個人的に感じたのは、そのドラマティックな展開なんだよな。よりエンテターテイメント性が強いって言うかさ。
特にブラスの使い方が独特なんだよね。

この曲、根のキーはマイナーだけど、サビで一度、メジャー系に転調するじゃん。 その流れがドラマティックなんだよな。 それまで薄暗い雨の中を進んでいたような展開なのに、転調するところで、いきなり太陽の光がさして来る。 ・・と思ったらサビ終わりでマイナーにも戻るところで、また薄暗い雨交じりの天気になる。。。

そんな昨今の天候変化にも似たような目まぐるしい展開が一層、この曲をドラマティックなものにしている。

オリジナルのCharバージョンは、そこまでドラマティックな展開じゃなく、サラッと流したような展開、その差が、それぞれのバージョンで、別物の曲のように感じさせられちゃうんだよな。

ちなみに、沖田バージョンのアレンジは鷺巣詩郎氏。 当時の鷺巣氏のアレンジとして松本伊代さんの「TVの国からキラキラ」でも感じてたけど、この当時の鷺巣氏のブラスの使い方は独特なんだよね。それまでの歌謡ポップスのブラスには無かったようなフレーズが出てくる。特に「TVの国からキラキラ」のサビ前のフレーズにはビックリしたよな。 ここまでスピード感がある音の重なりなんてそれまでは無かったからさ。

この「気絶するほど悩ましい 」では、「TVの国からキラキラ」のようなスピード感はないんだけど、やっぱりサビの裏から入るブラスのフレーズが斬新、かつ引っかかりがあるんだよなぁ。

この当時、特にブラスの耳に行くようになったのは、丁度この頃、ブラスを始めたってのもあるだろうけどさ。とにかく、この2曲のブラスは印象に深いんだよね。



「夜ヒット」だけど・・・・うーん、今一つレコードで聴くより弱い。
レコード音源はもっと、ドラマティックなんだけどなぁ。。。。

ちなみに、この曲のオリジナルのCharバージョンは、かなり昔に既に書いてます。

http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52046491.html

うーむ、この時も半分は、今回の沖田浩之バージョンについて言及して、今回と同じような事書いてたな。。。。
よっぽと、この沖田バージョンが印象に深いんだろうね。。。


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ゆ・れ・て湘南 / 石川秀美

1982_09_ゆれて湘南_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「ゆ・れ・て湘南」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル    ゆ・れ・て湘南
・アーティスト  石川秀美
・作詞      松本隆
・作曲      小田裕一郎
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1982年7月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 29位
・売上げ枚数  8.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位

一昨日、小田裕一郎氏が逝去されましたね。 享年68歳。
全くの突然の逝去のニュースであったので、ちょっとビックリしてしまったワタシなのですが。。
確かに、昨年刊行された「大村雅朗の軌跡」に掲載された小田氏の写真の風貌が、昔とは全く違っていた事には違和感を感じていましたが、まさかね・・・。こんなに若くしてお亡くなりになるとは。。。

それよりも、先週、石川秀美さんの「バイ・バイサマー」を書いたばっかりなのに・・って言う思いもあったし、ちょっと小田氏を卑下した書き方になっちゃったんで、申し訳なかったような思いが交錯した昨日今日だったり。

・・・ということは、やっぱり、今回の1曲セレクトは、小田裕一郎氏の曲で行きたい。。。

とは思ったものの、今頃のヒットで小田氏の曲って、ほとんど、既に書いちゃってたりするんだよな。

・・と、一度は諦めかけたものの、何気に1曲セレクトでの石川秀美さんのアーカイブを調べてみたら、なんと、この曲をまだ書いて無いではないか。。。。    

「ゆ・れ・て湘南」

ガーン

ワタシの中では82年の晩夏といったら、この曲・・・って言うぐらい、ワタシの中ではスタンダードなこの曲をまだ書いて無かったとは。。。。

これは完全に不覚だったな。

それに本来は連続して、同じアーティストの曲は書かないようにしてたんだけど、今回は小田氏の追悼ということもあり特別・・・と自分に言い聞かせて、引っ張って来ました。


先週の「バイ・バイサマー」でも書いたんだけども、この曲は、もろ82年の今頃"晩夏〜初秋" を象徴しているような曲なんだよね。

パッと聴き、この曲に、夏の太陽、青い空、青い海・・っちゅうもろ「夏の湘南」のイメージを持っている方はいないですよね。 
ポップではあるものの、マイナー調のこの曲は、どうしても、どん曇り、あるいは小雨交じりの〜 っていう、うす暗い夏の午後を連想してしまう。

個人的には、小雨交じりの、鎌倉の七里ガ浜っていうイメージかなぁ。

というか、実際、この曲がヒットしていた82年の8月の終わりか、9月の初めごろに七里ガ浜に行ったんだよね。

当時、まだ福島から千葉に越して来たばかりで、友達も無くて、よく一人電車で放浪してたんですよ。 首都圏内ほとんどの鉄道路線はあのころほとんど制覇したんじゃないかってくらい放浪してたな。 
当時は「乗り鉄」だった事もあるんだけど、電車に乗って放浪してると、友達がいない寂しさを紛らされるっていうかさ。
で、ちょうど、この曲の頃、「江ノ電」で鎌倉から藤沢まで行ったんだよな。 その途中、七里ガ浜に寄ったんだったと思う。

どん曇りの小雨模様だったのを覚えてるわ。

そんな時、脳裏で鳴っていた曲が「ゆ・れ・て湘南」だったんだよね。 

それからというもののこの曲と言ったら、あの時の、海は鈍色、空は薄暗く、かつ肌寒かった、あのときの情景が浮かぶんだよなぁ。

ともかく、この曲から感じた情景と、あの時のリアルの情景がピッタリ一致したんだよな。

でもさ、この時がたまたま、小雨模様だった・・・って言う事でもないんだよね。 

ここでは、もう何回も書いてるけど、82年の夏って冷夏で天候不順な夏でさあ、雨の日が多かったんだよ。

まさにこの曲自体のイメージにぴったり嵌まった・・・と言うような。

そんなこともあって、ワタシの中では、82年の晩夏といったら、この曲って言うイメージが定着しちゃったんだと思う。

まあ、この曲だけじゃ無いけどね、中森明菜の「少女A」とか、サザンの「夏をあきらめて」とか、マイナー調の曲がしっくりきた夏だったんだよ。 だから、82年の夏といったら、全体的に「曇天の雲の下の〜」っていうイメージがいまでもこびりついちゃってたりするんだよね。



うんにゃ、この動画の画像のような「真夏の青い空の下〜」っていう、もろ湘南の夏のイメージぢゃないんだけどなぁ、この曲は。

ただ、いわいる「湘南ソング」って昔から、いっぱいあるけど、大体いつも、夏の太陽、青い海〜・・・っていうイメージだよね。 往年の若大将、加山雄三氏にしても、もちろんサザンにしてもチューブにしても、みんなそうじゃん。

曇天、小雨交じりの湘南・・・なんて曲は、この曲と、↑で書いたサザンの「夏をあきらめて」ぐらいじゃないのかなぁ。 調べればもっと出てくるかもしれないけど、パッとなかなか思い出せない。
湘南ソングからすると、かなり稀有な曲かもしれないな。
まあ両方とも82年の曲ということで、それだけあの年の天候不順さが分かるんじゃないかなぁ。


どうでもいいことだけど、この曲のタイトル「ゆ・れ・て湘南」・・って「ゆれて」の間に「・」が入るんだね〜。 あれから36年。いま頃気が付きましたわ〜



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あまく危険な香り / 山下達郎

1982_06_あまく危険な香り_山下達郎



今回の1曲セレクトは、「あまく危険な香り」山下達郎です。

まずはデータです。

・タイトル     あまく危険な香り
・アーティスト   山下達郎
・作詞       山下達郎
・作曲       山下達郎
・編曲       山下達郎
・リリース日   1982年4月5日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数 23.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位
・タイアップ:TBS系ドラマ「あまく危険な香り」主題歌

なかなか理解しがたい曲。長年ヒット曲を追って来ると、必ずそう言う曲に遭遇するんだよね。
大体はそれまでに自分の中に無かったような曲の場合が多いんだけど、理解するだけの知識、経験が無かったって事もあるなぁ。
 特に、まだガキの頃には、理解するだけの経験・・というか、この場合は理解力っていうのかなぁ・・それが無かったために、よく分かんなかった曲っていうの往々にしてあったな。 まあ、それは、生理的にキライっていうのと、また違った感覚なんだけどさ。

今回は、そんな曲を持って来ましょうかね。

山下達郎 「あまく危険な香り」。

1982年の4月にリリースされたこの曲。TBS系金曜22時〜、いわいる「金ドラ」で同時期放送されていた「あまく危険な香り」っちゅう、同名タイトルのドラマの主題歌でしたよね。

当時、ワタシは中学1年に上がったばかり、12歳でしたわ。 もちろん、まだこのドラマは見てない。
うん、個人的にドラマに嵌まりだしたのは、この約半年後、同じくTBS系で放送されていた火曜日の「大映ドラマ」からだったからなぁ・・・。

おーっと、話が脱線しちゃうぞ・・・。元に戻す。

でね、この「あまく危険な香り」って曲。 曲自体は当時から知ってた。 うん、当時の月刊・明星付録の歌本「Young Song」にも譜面付きで載ってたしなぁ。

それに当時、すでにTBSラジオの「ザ・ヒットパレード 毎日がベストテン」は聴いてたしね。そこでもこの曲は流れてたような気がする。

でもさあ、当時は、この曲全然理解できなかったんだよねぇ。

ジャズでもない、ニューミュージックでもない軽いノリ。ラウンジっていうのかなぁ。いわいるAOR的なサウンドだよね。 抑揚も少ない、分かりやすいキャッチーなノリでもない。

12歳のワタシにとっては、一体どこが良いのかさっぱり分かんなかったなぁ。

あの当時はといえば、やっぱ「まっち先生」でありトシちゃんであり、聖子ちゃんであり、奈保子ちゃんであり・・・やっぱアイドルだったんですよ、ワタシの中のメインストリームは。

そそそ、山下達郎氏の同時期の曲といえば、この「あまく危険な香り」よりも、まっち先生の「ハイティーン・ブギ」だったからなぁ、当時のワタシは。

なんと言っても分かり安かったからさ。特に何も考えなくても自分の中にスーッと入って来たっていうかね。
キャッチーということは、やっぱり何も考えなくても浸透力があったしね。 そそそ、アブラを吸うスポンジのような音楽ですよね、言ってみれば。

それに比べると、この曲は、なかなか体の中には浸透してこなかったんだよなぁ。 それがねぇ、もどかしいところであったのかもしれない、今思うと。

上でも書いたように、決してキライな音楽じゃ無かったんですよ。 ラヴンジ系っぽい音楽ってオヤジの車で良く流れてたからなぁ。 カーステというよりはラジオから。 どのチャンネルを聴いてたのかはよく覚えてないんだけど、ラウンジ系っぽい曲とか、AORっぽい、小ジャレた大人向けの音楽っていつも流れてたんだよな。
だから、生理的にキライぢゃなかった。

けど、当時、まだ福島の田舎にいたワタシにとっては、こういうオシャレな雰囲気は日常には無かったからなぁ。そんな環境下にいたこともこの曲をいまひとつ理解し難くさせていたのかもしれない。

まあ、それよりも何よりも、テンションコードだらけ、右脳で整理しないと理解できないようなこの曲を租借出来るだけの音楽解釈が、当時はまだ出来なかったんだよね
 
正直言って、この曲、「あ、いい曲だな」って思えてきたのは、最近だもの

最近はウルサイ曲も聴き飽きたしさ、ましてや子供向けのアイドル曲もアニメ曲も受け付けなくなってるし。
逆に、こういう抑揚の少ない大人の雰囲気の曲の方が落ち着く。
まあ、最近は、この手の大人向けの曲が、ヒットチャートの上位に少なくなっちまったっていうのは残念なんだけどね。

ただ、大人向けの曲っちゅうても、当時、達郎氏って29才なんだよな。うん、まだ30前だったのよ。
それを考えたら、今でもこういう大人っぽい曲が出て来ても全然おかしくないんだけどねぇ。 当時のミュージシャンが今よりも大人だったのか、今が子供っぽくなったのか、それは分かんないんだけど・・・。



ときに「あまく危険な香り」ってどんな香りなんでしょうかねぇ・・・。
少なくとも「シャネルの5番」ぢゃねーよなぁ。

・・・ってか、それも理解できない事には、本当の意味でこの曲を理解できないか。。。

個人的には、「ムスク」の香りを想像しちゃったりするんだけど。。。っつか、この匂いが、未だにワタシにとってのPerfumeなんだよなぁ、完全にガキっぽいけど。。。

え?  Perfumeっつても、ノッチ、あーちゃん、かしゆかぢゃねーよ。





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憧れのスレンダー・ガール / シャネルズ

1982_04_憧れのスレンダーガール_シャネルズ


今回の1曲セレクトは、「憧れのスレンダー・ガール」シャネルズです。

まずはデータから

・タイトル     憧れのスレンダー・ガール
・アーティスト   シャネルズ
・作詞       田代マサシ
・作曲       鈴木雅之
・編曲       シャネルズ 村松邦男
・リリース日    1982年3月21日
・発売元      エピックソニー
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数   11.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位

あー、サンデーシンドローム。 日曜日の夜はユウウツだよなぁ。
昔は「サザエさん」が始まると、この「日曜日のユウウツ」が始まったもんだけど、「サザエさん」を見なくなった今、大河ドラマが終わるころには、ユウウツになるのよね。
「また、明日から会社か〜」と。。。
考えてみれば、幼稚園に入園して以来、約45年間。ずーーーーっと、この「日曜日のユウウツ」には悩まされてきた訳で。。 あ、大学の時は別だったけど・・・。
これからも定年まではずっと、これに悩まされるんだろうなぁ・・・。

 まあ、これも小学生の頃まではそれほど大したユウウツではなかったけど、中学校に上がるころからか・・・なんかユウウツが大きくなったような気がするな。

いや、振り返ってみれば、中学校に上がったころが、一番、サンデーシンドロームがはっきりしていたような気がする。

やっぱさ、前の年、小学6年の時って、一番上級生ってことで「王様」だったわけじゃん、ある意味。 それが、中学に上がる事で、一番「下っ端」になるってことがねぇ。 しかも中学生に上がると、より「タテ社会」になるわけじゃん。先輩は絶対だったし。。。。 
そんな環境の変化は「ユウウツ」を増大させたんだよな。

 しかも、この時期、うちのオヤジの仕事がうまく行かなくなってきて、家じゅうがギクシャクしてきてたんだよな。そんなことで、千葉に引っ越すの引っ越さないの・・・って言う話が出始めたのが、中学校に上がったばかりの頃だったと思う。

1982年4月。 今から36年前ですわ。

今回の1曲セレクトは、そんな環境の変化で「ユウウツ」が増大していた1982年の今頃のヒット。

シャネルズ「憧れのスレンダー・ガール」なぞ一つ。

いやいや、80年代特に81、82、83年あたりの主要なヒット曲なんぞ、もうほとんど書きつくしたぞい。もう書ける曲がないわい・・・。

なんて思って、当時のオリコンをひっくり返してたら、あったんですねぇ・・・。それが、今回引っ張ってきた「憧れのスレンダー・ガール」。

まあ、今まで書いてなかったって事は・・・。 そうなんですねぇ、当時は、それほど引っかからなかった曲って訳なんですわな・・・。

それまで、湯川れい子、井上大輔による、もろ、ドゥアップ路線で来ていたシャネルズが、始めてメンバーによる作詞、作曲でリリースした曲。 それがこの曲だったんだよね。

そんな事もあってか、それまでの50年代〜60年代前半を彷彿とさせるようなもろドゥアップという、言ってみればある種の泥臭さっていうのが、この曲ではなりを潜めたっていうのかなぁ。よりポップな路線に移行したんだよね。

よく言えば、新たな挑戦・・・って言うところなんだろうけど、個人的には、この路線が、上手く嵌まっているようには思えなかった。

いや、やっぱ、それまでのドゥアップって言う印象が、あまりにも今日連れ立った訳で、いきなりポップな路線で来られても馴染めなかったっていうのが、正解だったのかなぁ。

なんかね、82年って言う時代に染まっていなかったようなというか、カラーではなかったような・・・って言う印象があったんですよ、この曲には。

個人的な当時のヒット曲って、もっとドス黒いようなイメージがあってね。 いや、これはきっと忌野清志郎、坂本龍一の「いけないルージュマジック」の印象があまりにも強かったんだと思うんだけど。 うん、個人的に当時の「いけないルージュマジック」って、どす黒いイメージがあってね、「あー不快だ」って思いながらも、なんか当時、頭の中を支配していたカラーに近かったんだよな。

でもこの「憧れのスレンダー・ガール」ってポップなメジャー系で、より健全な感じがしたんだよなぁ。 その違いが、この曲の方に違和感を感じたんだよね。

だからと言って、この曲、当時あんまり聴いてなかった訳じゃないんですよ。 この頃、既にラジオのランキング番組は聴き始めていたし。 そそそ、TBSラジオの平日の夜毎日放送していた、「ザ・ヒットパレード〜毎日がベストテン〜」の、特に月曜日の「ニューミュージックベストテン」では、毎週のように流れてたしさ。

それでも、時代のカラーには染まらなかった・・・というか、あんまり引っかからなかったんだよね。個人的には。



オリジナルのシャネルズではなく、後年の「ゴスペラッツ」での動画しかなかったんで、これでメンゴ。
でも、リードボーカルのマーチン、バスの佐藤氏、 トランペットの桑まんは、そのままなんで、オリジナルと全く遜色ないしね。

 上で書いたように82年当時は、時代のカラーに合わなかったって書いたけど、今になって聴けば、もろ82年っていう時代を彷彿させるような曲・・に感じるなぁ。
メロディラインとにしても、コード進行にしても、あの時代だよね・・・っていう印象がねぇ。
やっぱり、環境、立場、時代の違いによって、同じ曲でも全然違うように聴こえるからなぁ。だから、音楽って言うのは不思議というか、奥深いというか・・・切り離せないもんなんだよね。

それにしても、この曲、桑マンのペットは頑張ってるかよなぁ。 それまでのシャネルズの曲って、この曲ほどペットのフレーズって多くなかったしさ。

そうそう、たしか、この曲を聴いて中学では、吹奏楽でペットやりたいと思ったんだったっけ・・・。
結局はトロンボーンに回されちゃったけど。。。



ちなみに、個人的には、「スレンダー」な女の子はちょっとね。。。。。やっぱね女の子は、少しぽっちゃりした子に限りますっ 
もっとも、この曲がヒットしたころは「スレンダー」って意味も知らなかったんだけど。。。。





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