かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1979年

舟唄 / 八代亜紀

1979_11_舟唄_八代亜紀






今回の1曲セレクトは、「舟唄」八代亜紀です。

 まずはデータデス。

・タイトル     舟唄
・アーティスト   八代亜紀
・作詞       阿久悠
・作曲       浜圭介
・編曲       竜崎孝路
・リリース日    1979年5月25日
・発売元      テイチク
・オリコン最高位  15位
・売上げ枚数    38.4万枚

 タイトルをみてどうしちゃったの? と思われる方もいらっしゃるでしょうけど、先ほどの山本譲二に続いて、演歌です。

 はい〜 八代亜紀 の「舟唄」。

 でもさ、冗談抜きで、八代亜紀の唄が「染みる」年頃になってきちゃいましたよ、ワタクシも。
 この「舟唄」なんて聴いてシミジミしちゃう、お年頃ですよ。30代も半ばを過ぎると・・・。 あ、これ冗談ぢゃなく・・。

 大体において、酒を飲むにも、みんなとワイワイというよりも、この唄のように場末の酒場で、ぬるめの熱燗と肴にスルメで一人酒・・・っていう雰囲気の方が最近はいいんだよね。

 そういう雰囲気には演歌ですよ。でもさ最近の演歌はダメよ。雰囲気がない。やっぱし、八代亜紀でなくては。

  ほら、昔、とんねるずも「迷惑でしょうが・・・」で歌ってぢゃん。あの雰囲気ですよ。

 この曲は79年の今ごろから、80年の頭にかけて大ヒットしたんだけど、考えてみたら、当時から、この曲、臆することなく聴いてたよなぁ。高々の10歳のガキでも。。

 いや、あのころは、演歌は普通に耳に入ってきてたし、子どもながらにも普通にうけとめていたよねぇ。
 ま、それが、普通の歌謡曲とうけとめていたし・・・。

 だから、個人的には必ずしも演歌も生理的にダメでは本来はないはずなんだよね。
 でも、最近の演歌はダメなんだよなぁ・・・。なんでだろ?
時代的にシックリこないって言うのもあるかもしれん。 それと、聴いてる環境もあるかもしれん。

 やっぱし、演歌はド田舎で聴くべし。少なくとも都会のど真ん中できく音楽ではないもんなぁ。

 そそ、この「舟唄」がヒットしてたころは、私ゃ、福島のド田舎におりましたしね。
 田舎の、さらに、「大衆食堂」とか「そばや」のAMラジオから流れてくる演歌っちゅうもんが、本当の演歌なんぢゃなかろうかねぇ。
 NHKBSで「ステレオ」できく音楽ぢゃないですよ。。。 やっぱ、「モノラル」ラジオから流れてくるシケた音じゃなきゃ、グッと来ないですね。 
 うーん、この辺の感覚は、「平成」生まれの若い方には分かんないかもなぁ。やっぱ、昭和の産物なんでしょうねぇ、これは。

 おっとっと、「舟唄」からずれましたね。

この曲ってすごく、視覚的な唄ですよね。
 しょっぱなの

 ♪ お酒はヌル目の燗がいい 肴はあぶったイカでいい ♪

・・・ってとこで、すでに曲の中の情景が立体的な視覚となって浮かんでくるぢゃないですか。
 しかも、浮かんでくる絵は、とっても貧乏臭い。 これですよ、演歌の世界は。人間の心の隅にあるしみったれた世界。

 時に年取ってくると、なぜか、このしみったれた世界が恋しくなってくるんだよね。

 ま、それでも気分的なところもつよいから、いつも、そういう気分になっているわけではないですけど・・・・。
 
 たまには演歌もいいよね・・というところで・・。




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ポーラー・スター / 八神純子


1979_08_ポーラースター_八神純子



今回の1曲セレクトは、八神純子の「ポーラー・スター」です。 

まずは、データから 

・タイトル     ポーラー・スター 
・アーティスト   八神純子
・作詞       八神純子 三浦徳子
・作曲       八神純子
・編曲       大村雅朗 
・リリース日  1979年7月25日 
・発売元     ディスコメイト 
・オリコン最高位 8位 
・売上げ枚数   24.5万枚 
・ザ・ベストテン最高位 5位
・ザ・ベストテン ランクイン期間:1979年8月30日〜10月18日放送分


9月に福岡のキャナル・シティホールで開催される、「大村雅朗 25th Memorial Super Live」




出演アーティスト 9/23 ばんばひろふみ / 八神純子 / 渡辺美里 / 中川翔子
9/24 大澤誉志幸 / 川崎鷹也 / 槇原敬之 / 南佳孝
バックバンド 山木秀夫(Dr) / 今剛(G) / 石川鉄男(Manipulator) / 斎藤有太(Key) / 佐橋佳幸(G) / 亀田誠治(B)
トークゲスト 松本隆(9/23 24)、 木崎賢治(9/24) ゲストDJ 砂原良徳

3連休だし、キャナルシティのキャパ数と、この出演者の面々を考えると、多分チケット取れないだろうな・・・と思っていたけど、思いがけなくチケットが獲れた。
うあ、思いがけない誤算。。・・・ということで、今、急ぎホテルを予約したり準備を始めていたりします。   
コロナの影響が出なければいいですけどね。。

個人的に楽しみなのは、やっぱり八神純子さんですかね〜。 ワシ、八神純子さん大好きなんだぁ。
あ、「大好きだった」って言ったほうがいいかな。。。 


そもそも、私が「この道」(ヒット曲道)に嵌ったきっかけは、「ザ・ベストテン」を見てしまったから・・というのは間違いないんだけども、中でも八神純子さんの「みずいろの雨」は、衝撃的だったよね。

当時、ベストテンのスタッフでも八神さんファンが多かったようで、八神さんが出演した時のセットの力の入れようが違ってたでしょ。そんな効果も曲を盛り上げていたし。

個人的には、ちょっと嵌り過ぎてさ。 当時、八神さんって、サンバホイッスルがトレードマークだったぢゃないですか。 私、当時、わざわざ地元のYAMAHAまで行って、同じもん買ってもらいましたもんね。わがまま言ってさ。 

大村氏がアレンジを手掛けた「みずいろの雨」は、有名すぎるくらい有名だし、今度のコンサートでは、当然やるだろうけど、他にも大村氏が手掛けた、初期の八神さんのヒット曲、やってくれないかなぁ・・・と期待しているところなんだけどね。


今回は、そんな「大村雅朗 25th Memorial Super Live」でもやって欲しいなぁ・・と思っている曲を一つ。

「ポーラー・スター」

・・・と書いて、ここのブログを深く見てくださっている方は、お気づきかと思うんだけども、
じつは、この曲過去に一度書いてるんだよね。

2005年にmixiで「1曲セレクト」を始めて、2曲目に書いたのが、この曲だったりして。。。
まあ、2曲目に書いた曲なんでブログの「最奥」に沈んでいて、よほど気を付いて見ていただかないと気が付かなかったと思うんだけども。。。

当初は、単純に自分が好きな曲を引っ張って来てたわけで、だから、それくらいこの曲、個人的には好きなんだよなぁ。

ただ、最初に書いてから17年経って、ちょっと書き直したいところも出てきたんで、今回、改めて、少し手を加えつつ、再編集という形で、引っ張っぱり出してきました。。

なお、当初2005年に書いた記事は、紛らわしいんで、これを機に削除してしまいましたので、もし、リンクしてた方がいたら(ってか、そんな方いるんかなぁ。。。。)、こちらに変更していただければと思います。


ワタシねぇ、「みずいろの雨」は別格として、初期の八神さんの曲の中では、この曲が一番好きなんだよね。

この曲こそ、八神純子ならではの特徴を、一番引き出した曲だよね、と個人的には思ってるからなんだけど。

 八神純子さんならではの特徴・・・やっぱり高音域とファルセットの伸びですよね。 

この曲、一番高い音はハイトーン。実音の2オクターブ上ですよ。ここまで出す人、女の人ではなかなかいないですもんね。 
 それと、曲のイメージですね。ポーラースター、ま、日本語で「北極星」ですわね。イメージは星空、宇宙なわけです。 そのイメージに曲が負けていないんですよね。 

いや、ほんとに自分も星空の下にいる気になってくる・・。絵が浮かんでくるんですよね。 

アレンジの大村雅朗氏の見事な仕事の賜物だと思います。 
コノ後、松田聖子など、トップアーティストのアレンジを手がけることになる、大村氏の初期の傑作といっても過言ぢゃないよね。

そもそも「ポーラー・スター」 っていう「題材」からして、イマいかったんだよね。

コノ年1979年って、宇宙、銀河がトレンドだったんですよ。同時期、アニメ「銀河鉄道999」が大ヒット。
もちろん、劇場映画版のテーマとなった、ゴダイゴの「銀河鉄道999」も、この曲と全く同時期に大ヒットしてたもんね。

また、秋には惑星探査機「ボイジャー」が木星に大接近と、いろいろな「宇宙ショー」が繰り広げられていましたよね。 

この宇宙ブームは、次の年1980年も続きまして、この「ポーラースター」が認められたのか、80年夏(ちょうど42年前の今頃ですね)のNHK特集「パノラマ太陽系」では、八神純子の「Mrブルー〜私の地球〜」が主題歌に抜擢されました。 
こちらは、80年秋にリリース。冬にかけて大ヒットしましたね。 

そう考えると、あの頃の八神さんは、宇宙づいていたよなぁ。

やっぱり、あの伸びる、きれいなハイトーンボイスが、宇宙の壮大さ、儚さを連想させるんだろうね。

それは、当然大村氏も重々汲み取っていたんでしょうね。これら「宇宙」に関連する曲のアレンジは、他の曲よりもレンジの幅が違うように感じるんだよね。

なんちゅうのかなぁ、宇宙の無限大の広がりと、その中のちっぽけな地球の、そのまたちっぼな存在である自分との対比 ・・・っていうのかなぁ。

まあ、ワタシごときが偉そうに、書く事でもないですけどね。。。

ただ、個人的には大ゼッサンな2曲ではあるんだけども、ことヒットとなると、件の「みずいろの雨」や「パープルタウン」ほどではなかった・・・っていうのがね。。。。

やっぱ、いい曲と大衆に支持される曲っていうのは、必ずしもイコールではないってことなんだよね。
あの当時から学んでましたね。


ちなみに、当時、私的にも天体ブームでして、安い天体望遠鏡片手に、夜な夜な天体観測をやってましたねぇ。金星、木星、土星・・などの惑星観測、その他、流星群観測とか、深い藍色の模造紙に星座の天球図を書いたり、夏休みの「自由研究」でやったよなぁー。 

ガッコのセンセには、「将来は天文学者」とか言われてましたが、ワタシの性格からして、今考えると、単に当時のトレンドに乗り遅れるのがいやだっただけじゃないか。。とも思ったりして・・。 

ただ、未だに自然科学は好きなんで、時間があったら、また、天体望遠鏡なぞ購入して天体観測やりたいねぇ。。。 千葉に来てからは全くやってないからなぁ・・。





「ザ・ベストテン」 から。
↑で、ベストテンでの八神さんのセットは、スタッフの力の入れようが違った・・・って書いたけど、これでもよくわかりますよねぇ。
レーザー光線を利用し星座をイメージしたセットは、当時からしたら最高水準でしたからね。

ちなみに、個人的には、この頃、すでにラジカセに曲の録音をしてたんで、ベストテンでのこのアレンジが、一番しっくり来るかな。 レコードよりは、すこしアグレッシヴで。。。

ただ、やっぱレコードアレンジのこの動画も捨てがたい




宇宙の壮大さ、儚さという点では、レコードアレンジのこのバージョンのほうが、何枚も上でしたからね。
もっとも、曲終わりのインストが、レコードではフェイドアウトなので、テレビでやると、この動画のように、「なんか不自然」・・・になっちゃうんだけども。。。

この動画は「コッキーポップ」でしょうかね? 違ってたらすみません。。。


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おもいで酒 / 小林幸子

1979_08_おもいで酒_小林幸子


今回の1曲セレクトは、「おもいで酒」小林幸子です。

まずはデータですら。

・タイトル      おもいで酒
・アーティスト    小林幸子
・作詞        高田直和
・作曲        梅谷忠洋
・編曲        薗広昭
・リリース日     1979年1月25日
・発売元       ワーナーパイオニア
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     138.3万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年6月18日〜1980年1月21日付

久々の「演歌」です。 どうもね、ここを読んでくださる方には演歌を敬遠される方が多いようで、演歌系を書くと、今一つアクセス数が伸びないんだよね。 だから140万枚近いセールスをたたき出し、ミリオンセラーの大ヒットだったこの曲も、ずっと保留のままにしてたんですけどね。

まだ書いていない曲を考えると、そろそろ贅沢も言ってられない・・ということで、「満を持して」()引っ張ってきました。

アクセス数は、年代にとらわれずアクティブな方が多いアイドルポップス系ファンには、どうしてもかなわない。なので、アクセス数を稼ぎたいときはどうしてもアイドル系の曲に頼りがちになっちゃうんだけどね。

でも、こと、レコード売り上げ枚数となると、全くパターンが逆になる。

まあ、演歌系の場合は、一度火が付くと、なかなか火が消えない超ロングヒットになる傾向が強いですからね。
昨今では「新曲」の演歌系と言うと、すっかり「下火」になってしまっているわけで、、昔は超ロングセラーになる傾向が「強かった」と言った方がいいんですかね。


・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな超ロングヒットとなった、

小林幸子さんの「おもいで酒」なぞを一つ。

小林幸子さんにとって、この曲はデビュー以来28枚目のシングル。 苦節15年にしてようやっとつかみ取った大ヒット曲となる。

演歌系には「苦節何十年」という浪花節がよく合う・・・なんてね。

28枚目のシングルとはいえ、オリコンでのベスト100入りは、ワーナーパイオニアに移籍して以来、この曲が3枚目。
今から思うと、ワーナーへ移籍したことが一つの転機になったとも言えますね。


それにつけても、この「おもいで酒」は、ご多分に漏れず超ロングヒットだったもんなぁ。

1979年1月の冬の日にリリースされたこの曲。オリコンでは半年かけて6月18日付でベストテン内に到達。
ここから、翌1980年1月21日付まで32週間、ベストテン内をキープすることになる。(うち1週は年末年始の2週間集計)

連続ベストテンキープではないけど、SMAPの「世界で一つだけの花」は32週以上オリコンでベストテン入りをしている。
いや、考えてみれば、これ以前にも連続ではなく、ベストテン入り記録では都はるみさんの「北の宿から」が35週入りしているので、 単純にベストテン入りという意味ではオリコン記録ではない。

でも、30年前の1991年に刊行された「オリコンデータ私書箱」によると、1991年当時では、最長「連続」ベストテン入り記録は、この曲だったんですよね。

いや、「シングルチャート」に限定したうえで言えば、「連続ベストテン入り」という記録では、未だに破られていないかも。。。

まあ、最近のオリコンチャートには疎いんで、もし違ってたらメンゴ。

ちなみに、「ザ・ベストテン」では、オリコンに遅れること1か月後の 1979年7月19日にベストテン初登場。 9月20日まで10週間ベストテン内をキープしたけど、9月27日に息切れダウン。ここで終わりかと思いきや、翌10月4日に、ベストテン返り咲き。再び4週ベストテンをキープしたのち、再度ベストテン圏外。 ここで終わりかと思いきや、11月8日に再度返り咲き・・・と計15週ベストテン内をキープしている。

レコード売り上げと、演歌系の得意要素である有線では強かったけど、ラジオ総合とハガキリクエストでは伸びを欠いた、総合ランクであったベストテンではやや苦戦だったわけなんだよね。

しかしさ、ニューミュージック系全盛に加え、ジュディ・オング「魅せられて」旋風の真っ只中にあった1979年夏のヒットチャートシーン。
そのなかで、週間売り上げ4万2千枚で首位と言う比較的低レベルの、ランキングの「谷間」週であったとはいえ、あの時代、演歌系でオリコン1位獲得というのは、立派だったと思いますよ。


ところでさ、最初に書いたように、ここのブログでもそうだけど、どうも演歌系と言うと敬遠される方が多いんだけど、なんでなんでしょうね。

やっぱ、演歌と言うと、ジジくさい、ババくさいっていうイメージなんでしょうかねぇ。
・・・と言うワタシも、最近の演歌は、全く触手が伸びませんが。。。。

でもさ、この曲がヒットしていた79年頃って、演歌だろうが、ムード歌謡だろうが、ヒット曲はヒット曲として、ポップス、ニューミュージック系と同一線上に感じたし、抵抗感もなく普通に聴いてたんだよね。

だから、この「おもいで酒」も「ザ・ベストテン」でも、まったく違和感も抵抗感もなく、普通に聴いてたよなぁ。

この曲のすぐ後に、「ザ・ベストテン」にベストテン入りした、森進一の「新宿みなと町」にしたって、この年の年末に大ヒットした敏いとうとパッピー&ブルーの「よせばいいのに」にしたって、全く抵抗感がなかった。

なんでなんだろうねぇ。 

まあ、それだけなんのキライも、しがらみもなく、素直にヒット曲を聴いていたっていうのが、一番の理由なんだろうけどね。

ただ、本当にそれだけなのかなぁ・・とも思ったりして。。

考えてみれば、あの頃、特に1979年頃のヒット曲って「テレビの歌番組」で歌うことを前提にした曲作りだったような気がするんだよね。

アイドルポップス系や演歌系は言うに及ばず、逆にニューミュージック系でもそういう傾向が強かったと思う。

いつだったか、ゴダイゴの「銀河鉄道999」を書いた時、テレビバージョンのアレンジがめっちゃかっちょよかったと書いたと思う。この曲だけでなく、ツイストの「燃えろいい女」だって、テレビバージョンの方がめちやくちゃかっこよかったし。 サザンの「気分しだいで責めないで」もそうだったな。

兎も角、あの当時、ニューミュージック系の人たちも「テレビ」で歌うことに抵抗感どころか、むしろかなり力を入れていたような印象が強いんだよね。

そういう意味では、ニューミュージック系も、アイドルポップスも、演歌も テレビの歌番組では、ヒット曲という所で、完全に同一線上に感じたんだろうなぁ 特に「ザ・ベストテン」ではそうだったなぁ。
最近はさ、何かというと曲のジャンルで区別する傾向があるじゃん。 あの時代、そういう傾向は少なかったと思うんだよね。

まあ、ベストテン入りしている曲は、ほとんどの曲はクオリティが高かったんだよね。曲がよかった上、テレビで歌うことに力を入れていたわけだから、そりゃ、見てるほうとしては、ジャンル別に区別する必要もなかったわけでさ。

ワタシャ、当時10才のガキだったけど、子供でもそういう所って感じ取れるもんなんだよなぁ。 
いや、ガキだったからこそ、大人よりも敏感に感じ取れたのかもしれないな。





1979年8月6日放送分の「夜ヒット」みたいですね。
毎度毎度のことだけさあ、夜ヒットってバックの演奏が、どうもお粗末なんだよなぁ。。。
なので、本当は「ベストテン」の方が良かったんだけども、どうもなさそうなのでしょうがなく。

あ、そうそう、当時の小林幸子さんって、マイクの持ち方が人差し指を立てて独特なんだよね。
これ、当時も、変わった持ち方だなぁ・・なんて子供ながらに思ったなぁ。

ところで、この曲を作曲した、梅谷忠洋氏って本業はクラシック畑の人で、フルート奏者らしいですね。当時27歳でこの曲を書いたようです。
そんな若い方がこの曲かいてたんだ・・・。というのはちょっとビックリ。もっと大御所のセンセイが書いてたんだと思ってましたわ。 
でも、考えてみれば、若い方が書いてたからこそ、曲の感覚が、より若者に向けたところがあったのかもしれない。だから演歌と言っても、我々でも抵抗感がなく、素直に聴けたのかもしれないし、大ヒットしたのかもな。

上で書いたように、ニューミュージック全盛の中、オリコン1位獲得は立派なことだけど、1位を取るためには、より幅広い世代に支持される必要があったわけでさ。そのためには、より若者世代の支持というのが必要になってきますからね。

これを考えると、今、演歌の復権するには、このことを踏まえて、大御所の先生ではなく、若い方が演歌を書くっていうのもいいのかも。
同じ曲調でも若者世代と、大御所先生とでは、微妙にニュアンスが違ってくると思うし。

いずれにしても、クラシックの人が演歌を書くのはかなり珍しいということで、当時は、話題になったようですが・・・。 ワタシゃ、今知りましたわ 


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カメレオン・アーミー / ピンク・レディー

1979_01_カメレオンアーミー_ピンク・レディー


今回の1曲セレクトは、「カメレオン・アーミー」ピンク・レディーです。

まずはデータです。

・タイトル    カメレオン・アーミー
・アーティスト    ピンク・レディー 
・作詞     阿久悠
・作曲     都倉俊一
・編曲     都倉俊一
・リリース日  1978年12月5日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  70.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年12月18日〜1979年2月19日付

昨日、このブログのタイトル表記修正を行いまして。。
現在の表記は、例えばこの「1曲セレクト」の場合、タイトル表記は「作品タイトル / アーティスト名」で統一しているんですね。
これまでのアクセス解析をすると、どうも検索いただく方々もこの方が検索しやすいような動きが見えたので。
でも、初期の頃は「作品タイトル」のみだったんですよ、表記が。

ちょっと乱暴な表記だったのね。・・というのも、同名異曲っていうのがあるわけでさ。
例えば「卒業」なんてタイトルはいっぱいあるわけじゃないですか。 なので、まあ、書いた当時はだれの「卒業」なのかという事を覚えていても、時間が経っちゃうと、書いた本人でさえわかんなくなっちゃったりしてね

それは、そのまま、検索していただく方も感じる事と思いまして、現在の表記に統一すべく、タイトル表記を統一しました。

おかげで、昨日から今日にかけて、これまであんまり検索されてこなかった曲まで検索されてきているようで成功でした。  
これならもっと早くやっておくんだったな。。。


ただね、逆に、すでに書いていても全然おかしくない曲をまだ書いてない・・・なんてのも判明しちゃったりして。。。。

その中の1曲が、幸か不幸か、ちょうど、「今頃」のヒットだったもんで、引っ張ってきちゃいました

ピンク・レディー「カメレオン・アーミー」

じゃじ〜ん

60年代以降のヒット曲、これまで1600曲ほど書いたっちゅうのに、ピンク・レディーなんて、スーパースターの大ヒット曲をまだ書いてなかったとは。。。。。ぷぷぷぷ


この曲のリリースは、1978年12月。
ワタシが、ヒット曲の世界に足を踏み入れたのが1978年11月なんで、ヒット曲の世界に足を踏み入れた直後、まともに接した、最初のピンクレディーの曲がこの曲になる。

ま、もっともそれ以前の曲も、もちろん知ってましたよ。

さすがにピンク・レディーくらいのモンスター級スーパーアイドルともなると、いくら当時小学3年生でも、曲知らない方が「もぐり」だったわけじゃないですか。

ただ、知ってたとはいえ、学校でクラスの仲間外れにされないくらいに知っていただけで、きちんと聴いてたわけじゃない。

いつかもここで書いたように、ワタシゃ、ピンク・レディー派ではなく、キャンディーズ派だったんでさぁ。

あの当時、みーんなピンク・レディー踊ってたじゃないですか。 でも、ワタシは、興味無いから、外で見てた類なんだよね。 まあ、それ以前に運動音痴だったワタシにゃ、ピンク・レディーは踊れなかったんだけども。。。

あ、だから、キャンディーズ派だったっていうのが、もしかすると正解だったかもしれない

ま、いずれにしろ、ヒット曲としてキチンと聴いた、ピンク・レディーの最初の曲が、ワタシにとってはこの曲だったわけです。


イントロが「およげたいやきくん」のパクリだとか、いろいろいわれたこの曲ですが、ピンクレディーとして、まさか最後のオリコン1位獲得曲になるとはねぇ。。。
「ザ・ベストテン」でこの曲を聴いてた頃は、全くそんなことも考えては居なかったわけで。。。

ただ、いま、ヒット曲マニアとしてオリコンの売り上げ枚数を見るようになると人気下降は予想される動きではあったんだよね。
この曲の累積セールスは70.8万枚。 それでも当時のアイドルからすると高水準な売上げ枚数ではある。

でも、2曲前の「モンスター」が110万枚、3曲前の「サウスポー」が146万枚、4曲前の「UFO」が155万枚。。。

・・と当時の売り上げ枚数からするとそれこそモンスター級売り上げを立て続けに出していたところから見ると、この曲では急激に売り上げが下がってきていたわけでさ。

丁度1年前にリリースされた「UFO」から見ると半分以下ですからね。

まあ、今から考えると、ピンク・レディーのブームって、一種のバブルだったんでしょうね。
でなきゃ、あんな、気違いじみたブームはなかなか起こりませんよ。
そんなバブルが破裂する瞬間の曲・・・。それがこの「カメレオン・アーミー」だったんじゃないかな。
 
なにせ、この次の「ジパング」の売り上げが70万から27万枚に急落。オリコン1位獲得も途絶えるといった、バブル崩壊が起こったわけなんでね。

まあ、他にも、例えば、1978年の「レコード大賞」を受賞したことで、ピンク・レディーは昇華したとか、紅白に出演拒否したことで干されたとか、いろいろ言われたりしましたけどね。

でも、一番の要因は、曲の題材だったんじゃなかいんですかねぇ。 
いわいるネタ切れってやつですわ。

「カメレオンアーミー」ね〜。。。随分苦しんでんなぁ・・と。
今では、そんな風に感じたりするんだよね。
兎も角、
曲の題材としてはちょっと頭をひねりたくなる内容だったんだよなぁ。直感的にわかんないんですよ。そもそも、当時9歳の私には「アーミー」っていう意味が分かんなかったし。。。

 たしかに、ピンクレディーの場合、作詞者の阿久悠氏曰く、近くにありそうで、じつは「影」になっている言葉や風景を題材に、とにかく走れるところまで走ろう・・と言うところから始まったプロジェクトだったわけだけど、さすがに「カメレオン」っていうのはどうなの? って感じだったしなぁ。 それまでの「UFO」とか「サウスポー」に比べるとインパクトに欠けるというか。。
まあ、1曲前の「透明人間」なんてのは、いい題材だったと思うけどね。直感的にわかったじゃん。

それと、あまりにも子供相手という風になってしまったのも、どうなんだろう? ってところがあったしね。。
当初は、あの当時の他のアイドル同様、高校生や大学生をターゲットにしていたわけじゃん、ピンク・レディーも。 だから、適度なお色気があった。

でも想定外に「コドモ」に受けてしまったというのがピンク・レディーだったわけで・・・。
それとともに、急激に子供相手のようなプロモーションになっていくんだよね。
例えば、「ザ・ベストテン」とかでも、「モンスター」とか、この「カメレオン・アーミー」では、後ろで着ぐるみが踊ってたりさ。

当時は、まさにピンク・レディーの世代真っ只中の「おこちゃま」だったワタシは、あの着ぐるみを見て、かわいいなんて思ったことなくて、逆に「あ、ナメられてる」なんて思ったもんですよ。もっと大人扱いしてくれよ・・・と。

大人になると忘れちゃうけど、子供の感性って、大人以上に鋭いものなんだよね。
それとともに興味が移るのが速い。
79年になると、コドモの興味はピンク・レディーから、「銀河鉄道999」に急激にシフトしていく。

ピンク・レディーのパブル崩壊→失速の一番の要因はこれらにあったんじゃないのかなぁ・・・なんて今になって思うわけですわ。

ちなみに、ベストテンでは、この「カメレオン・アーミー」は最高4位止まり。 ピンク・レディー、ベストテンでは全然ダメだったんですよね。

調べてみると有線とハガキリクエストが弱わかったのね。

まあ、有線が弱いというは、アイドル特有の現象でそれほど珍しい事ではなかったけど、ハガキが弱い、そんなバカな。あんなに人気あったじゃん・・・って感じですよね。
でも、これは、ベストテンの当時の視聴者層を完全に物語っているんだよね。

 当時は高校、大学生がベストテン視聴者の中心だったんですよね。なんせ木曜21時〜っていう時間設定は、当時の小学生にはちょっと遅い時間帯だったわけです。
当時、小学3年、9歳だったワタシも、木曜以外は21時なんて言ったら寝る時間だったしね。
そそそ、ベストテンは親にねだりこんで特別に見させてもらっていたんだよね。
それが、普通だった当時としては、小学生、中学生のアイドルだったピンクレディーは、ベストテンでは全くだったわけですわ。

ベストテンでのチャートアクションと、実際のレコード売り上げの乖離。これがピンク・レディーの本来の姿であり、実はネックだったんだよね。
出し手側は、そこをちゃんと見るべきだったんですよ、本来は。

まあ、今となっては何とでもいえることだけど。。。






しっかし、「激務」がたたって、2人ともこのころが一番「ヤセテ」たらしいですよー。
 たしかに、たまーにVTRをみると、このころ、2人とも骨と皮だけって感じで、今見るとイタイタしいっす。。。
 それとは逆に、踊りの方は、この曲がもしかしたら、一番動いてたんではないかと思うほど、かなり激しかったですよね。

サビの部分 ♪見えつ隠れつ変幻自在 スパンコールのカメレオンアミー ♪ の部分とかさ。。

蛇足だけど、この曲と言うと、90年代に活動していた「オリコンチャート研究会」と言う自主サークルのリーダーだった松永さんを思い出す。
超ピンク・レディーフリークだった彼は、ピンク・レディーの他の曲はいつも完璧に踊っていたのに、この曲だけやりたがらなかったんだよね。
曰く「あんまり覚えてないから」と言ってたけど、本音は、この曲の踊りがきつくてあまり踊りたくなかったみたいだったなぁ。

ちなみに、この曲の踊りという部分では ↓の動画の方がよくわかるかな。
最近の動画だけど。。。






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ロンリー・ウルフ / 沢田研二

1979_10_ロンリーウルフ_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「ロンリー・ウルフ」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル     ロンリー・ウルフ
・アーティスト   沢田研二
・作詞       喜多条忠
・作曲       大野克夫
・編曲       後藤次利
・リリース日    1979年9月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位  18位
・売り上げ枚数   8.9万枚

もうね、いつものマクラ言葉になってますが、「久しぶり」の1曲セレクトです。
毎度毎度、間が空いてしまってあいスミマセンと頭を下げたくなってしまいます。
相変わらずリアル仕事が忙しくて、なかなか筆が上がらない状態が続いてまして。。。
暫くは長ーい目で見ていただけるとありがたいです。

さて、長い間仕事をしてくると何もかもが上手く行く事もあれば、逆に全く上手く行かない事もありますわな。
ヒット曲も同じで、どんな大物アーティストでも、いつもいつも大ヒットするわけぢゃない。

まあ、最近は楽曲内容にかかわらず、どの曲もミリオンセラーを続けている某アーティスト見たいな方たちもいるみたいですが。。。

こと、昔、楽曲志向が高かったころは、超一線級のアーティストでも楽曲によっては、コケてしまうこともあったわけです。

今回はそんな1曲を

沢田研二「ロンリー・ウルフ」

いやいや久っさびさのジュリーですな。1曲セレクトで書くのいつ以来だろう?

この曲、覚えている方どのくらいいるでしょうねぇ。 
なんせ、人気全盛の頃、突然ベストテン入りを外した曲なんでね。
しかも、臨発ならいざしらず、ローテーションの定期リリースでしたからねぇ。

時期的には、今から41年前、1979年の今頃の曲だったんですけどね。
曲順から言うと、「OH!ギャル」と「TOKIO」の間のシングルですね。

さすがにジュリー第3期のオープニンングと言うべき「TOKIO」を知らないという方は少ないでしょうけど、もしかすると「OH!ギャル」は知らない方もいるかなぁ。
まあ、死角っちゃ死角なのかもしれないけど、ジュリーが化粧した、ゲイぢゃねーのかと言われた曲で、ベストテン入りも果たし、売り上げ的にも27万枚ほど売れてましたんでね。

・・ということで、ヒット曲とヒット曲に挟まれた本当に「谷間」のシングルなんだよね、この「ロンリー・ウルフ」っていうのは。

突然ベストテン入りも果たせず、売り上げも10万枚にも届かず。。という塩梅でしたから。

・・・・なんて、さぞかし当時から知ってましたよ〜・・・風に書いてるワタシも、正直、「ザ・ベストテン」しか情報がなかった、ヒット当時は知らなかったんだけどね。。

いや、もしかするとラジオかなんかで聴いていたかもしれない。でも、記憶に残るほど聴き込んでなかったのは事実ですね。

意識して聴いたのは、83年に買った「沢田研二大全集」みたいなカセットに収録されていたのを聴いてからなんだよね。
もちろん、そのころは、「あ〜あの売れなかった曲」くらいの認識はあったんだけど。

でも、売れなかったから「駄曲」だったのか・・と言えば、さにあらず。
それまでのアウトローなジュリーを彷彿とさせるような佳曲だ。
むしろ、軽いタッチのポップスだった前曲の「OH!ギャル」よりも、ジュリーらしい曲だなと感じたな。

静寂感のある少し重め曲調は、秋というリリース時期にもマッチしていたし、そういう意味では前年の「LOVE(抱きしめたい)」に近い曲調ではある。
シングルとして「尖って」いないのかというと、これまたそうではなく、それなりの尖りがあり、シングルタイプの曲でもある。

ぢや、なんで、売れなかったのか?

同じ暗めの重いバラードではあるものの前年の「LOVE(抱きしめたい)」のような華がない。
本当に「重いだけ」のバラードなんだよ。
ジャケットのそれと同じでどこまでもモノクロのイメージ。確かにアウトローなジュリーを演出するにはこのイメージでも間違いではないのかもしれないけど、今一つ引っかかりないのは事実なんだよね。

加えて、致命的だったのは「時代の流れ」だろうなぁ。

1年前の78年までの時点では、アウトローというシチュエーションでも充分行けたんだろう。ただ、78年⇒79年の間に時代は大分動いていたんだよね。

勿論78年時点でもその流れは始まっていたけど、ヒットの主役は歌謡曲からニューミュージックへという変化。 それと79年は「JAPAN AS NO.1」と呼ばれた年。7月にSONY WALKMANが発売され、音楽も含め、世の中の意識もこの1年の間に大分変化してたんだよね。

つまりさ、アウトローっていうシチュエーションも78年は「カッコよかった」んだけども、79年ではアナクロだったわけですわ。

だからなのか、この頃のヒット曲と一緒に続けざまにこの曲を聴いてみると、この曲は明らかに浮いた感じがするんだよなぁ。
浮かんでくる絵面は79年の・・というよりも75年の・・・って感じがしてさ。

うん、この曲1曲単体で聴く分には充分かっこいいんですよ。 でも何曲かまとめて聴くとやっぱり時代錯誤的な感覚なんだよなぁ。

手元に月刊・明星付録の歌本「YOUNG SONG」1982年7月号がある。この号での連載企画「82年MUSIC PEOPLEインタビュー」にジュリーのインタビュー記事が掲載されているんだけど、そのなかに

「「TOKIO」は出すのが半年遅かった。その前に「ロンリー・ウルフ」をだして失敗するんですよ。それまでにある程度、売れるという事を経験したから、じゃあ、今度はスローな曲を歌って沢田も歌がうまいと思われたくて出したのが失敗」

と、ジュリー自ら、時代の変化に気が付き、この曲のリリースは失敗だったことを認めてたりする。

スローな曲を歌って、歌がうまいと認められたい・・というのことも、まあ、確かにわからなくもないですけどね。

ただ、じゃ、このインタビューのように「TOKIO」をもう半年早く出して、それでよかったのか・・というのも、個人的にはちょっと疑問ではあるな。

あれは、1980年1月1日リリースっていう、「軽薄短小」な80年代という時代のオープニングを飾ったからこそ、より価値が上がったような気もするし。。
79年後半とはいえ、70年代に「TOKIO」ではちょっと、時期が早かったんじゃないかと、今となっては思えたりね。

・・・ということは、あくまで「つなぎ」という意味も込めて、この「ロンリー・ウルフ」って曲のリリースも、もしかすると必然だったのかもしれないな。





うーん、確かに「モノクロ」のイメージではあるけど、今VTRを見ると男の色気が凄いね。いまは、こんな、ただ佇むだけで存在感のあるアーティストって少ないからなぁ。
バックは井上堯之バンドですね。 確かバックバンドはこの曲までで、この後「オールウェイズ」に変わったんじゃなかったっけな。
↑のように、この曲のイメージはアナクロだって感じたのは、多分に井上堯之のサウンドも関係しているんだろうね。
少し埃にまみれたような骨太でアウトローなサウンドは、紛れもなくかっこいいし、誰が何と言おうとも個人的にはジュリーには、このサウンドが一番しっくり来るんだけども。
如何せん、70年代という時代を彷彿させる音なんだよね。時代の流れには勝てなかった。
この曲をもって、ジュリーのバックバンドから引退⇒解散となるわけだけど、これはしょうがなかったんじゃないのかなぁ。


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曼珠沙華 / 山口百恵

 
1979_04_曼珠沙華

今回の1曲セレクトは、「曼珠沙華 / 山口百恵」です。

まずはデータです。

・タイトル     曼珠沙華
・アーティスト   山口百恵
・作詞             阿木耀子
・作曲       宇崎竜童
・編曲       萩田光雄
・リリース日   1978年12月21日
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   13.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年1月8日〜2月12日付
※データは同名アルバムタイトルのもの

今回の1曲セレクトは、ちょっと毛色を変えて行きたいと思いまする。
引っ張ってきた曲は、 山口百恵さんの「曼珠沙華」。

え? 百恵さんのシングルでそんな曲あったっけ? 

・・・なんてぇ方は、ここ来てる方には、よもや居ませんよねぇ・・・。

元々はあの大ヒット曲「いい日旅立ち」の1か月後にリリースされたアルバムの「タイトル」曲ですわ。

まあ、シングルのタイトル曲ではなくても、「後期」の百恵さんの曲では有名な曲ではあるんで、知らない方はいらっしゃらないとは思うんだけど・・・。


なぜ、ココに来て、この曲なのか・・・。

ランキング的に見ると、上のデータでも分かるように、最初に収録されたアルバムでは、79年の初頭にアルバムチャートではあるけどベストテン入りして、今時期にはすでにアルバムチャートもランクダウンしてたんだけども。。

いやいや、個人的にこの曲を知ったのが、、シングル「美・サイレント」のB面・・・って事からだったんだよね。

1979_03_美・サイレント_山口百恵


そそそ、「美・サイレント」は丁度今頃のヒットだったわけで、個人的にはこの曲というと、春先の曲って言うイメージが強い。

「曼珠沙華」とは、仏教用語で「彼岸花」のことであり、だから、本来は「秋」の曲であるはずなんだけど。。。
やっぱり、最初のイメージっていうのが強く残りますね。

アルバム曲をシングルに切るってことは、いかにこの曲がシングル的だったか・・って事なんだけども、シングルはシングルでも、表題曲ではなくB面だったのは、この曲が放つ輝き、色合いってところがあるんじゃないかなぁ。

あの頃のシングル曲って、尖がっていて、ダイヤモンドのような眩く光る色合いの曲が多かったじゃん。
特にテレビ露出が全てって言うアイドルではなおさらのことで・・・。

でも、この曲は、確かにアルバム曲としては尖がっているけど、色合いがシブいんだよね。光輝いては居てもダイヤモンド様な眩く光る・・というよりは、白金のような渋い光っていうのかなぁ。
その辺が、シングル表題曲としては、今一つ弱かったのかもしれない。

まあ、それ以前に、尺が6分近くありますからねぇ。 当時6分近いシングルなんて少なかったしね。特にアイドルはテレビ露出が多い。テレビでは尺はせいぜい2分半〜3分がいいところ。だからテレビサイズに削られても意味合いが通るように3分台の曲が多かった。6分なんてシングルは考えられなかったんだよね。
あの頃といえば、さだまさしさん位じゃないですかねぇ。 6分もあるシングルなんて。


でも、それ以前に、なぜか、最近、この曲に引っかかってるんだよなぁ、ワタシ。 それも引っ張ってきた理由かな。

もちろん、個人的にも、かなり昔からこの曲自体は知っていた。 でも、以前は引っかからなかったんだよ、この曲には。

どういう心境の変化なのかねぇ・・・なんて、自分でもよく分かんないんだけど。。。

それだけ年を取ったって事なのか、この曲の日本的な暖かさを感じるAメロに心情が揺らぐワタシがいたりもする。

でも、一番、この曲で引っかかっているのは、バックで延々に流れている、矢島賢氏のめっちゃプレグレって言うようなエレキのフレーズなんだよな。

まあ、この曲だけでなく、それ以前から百恵さんのシングルでは、矢島賢氏のエレキは無くてはならない存在だし、それだけに耳馴染んでいるフレーズも多いんだけど、この曲の矢島氏のエレキは、他の曲にもまして強烈に耳に残るんだよな。

特に、最後のインスト部分の強烈なフレーズは耳から離れない。頭の中でぐるぐると流れ続けていたりする。
それだけ神がかってるんだよな、この曲。

そもそも、百恵さんも神がかってるんだけどさ、この曲のボーカルは。

なんなんだろう、この大人びた、堂々としたサビの歌いっぷり。 それでいてAメロでの日本情緒的な暖かさ。 

そう、出だしのAメロが日本的な匂いが強いんで、この曲は「演歌」なんて言うヒトも、若干いるんだけどさ。
そう追うヒトは、ちゃんと耳を闊歩じって聴いてくだされ。
この曲は、ジャパニーズプログレの傑作ですぞ。

この曲がリリースされた時、百恵さんは20才の誕生日間際、実質はまだ19才だった訳なんだけども、到底19才がウタっている歌とは思えないんだよな。

今の19才のアイドルのコの歌を思い浮かべてみて下さいよ、完璧にガキじゃん。

本当に19才のコが歌ってるの? ってくらい信じられないような、神ががった歌唱なんたよね。


「山口百恵は菩薩である」

この曲がリリースされた翌年1979年に、こんな本が刊行されたけど、この曲を聴くと、まさにこの本のタイトル通りに思えてきたりする。 そんな印象が強烈な1曲ですね。

確かに、「曼珠沙華」タイトルからして仏教的であり、ま、そんな所からしても、「百恵は菩薩である」と言う印象も出てくる訳だけど、そんな事を抜きにして、この曲の歌唱を聴く限りでも「菩薩である」って真実だよな そう思えてしまうんだよね、この曲は。



アルバム曲をシングルに切るってことは、いかにこの曲がシングル的だったか・・って事なんだけども、シングルはシングルでも、表題曲ではなくB面だったのは、この曲が放つ色合いってところがあるんじゃないかなぁ。






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燃える秋 / ハイ・ファイ・セット

1979_02_燃える秋_ハイ・ファイ・セット


今回の1曲セレクトは、「燃える秋」ハイ・ファイ・セットです。

まずはデータです。

・タイトル     燃える秋
・アーティスト   ハイ・ファイ・セット
・作詞       五木寛之
・作曲       武満徹
・編曲       田辺信一
・リリース日    1978年11月5日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 23位
・売上げ枚数  8.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位
・タイアップ:映画「燃える秋」主題歌

今回セレクトしてきた曲は、前々から書こうとは思っていたんだけども、なかなか実際に書く決断が出来なかった曲なんですよね。
個人的には好きな曲なんだけども、レビューのとっかかりが難しくてねぇ。

その曲は、ハイ・ファイ・セット「燃える秋」

リリースは1978年11月。 同名映画の主題歌としてリリースされた訳でね。タイトルからして、如何にも「真っ赤な秋」を連想させられる訳で、実際にリリース時期もそう言う季節だった訳なんだけども、映画の公開が、年が明けた79年1月だった事もあり、実際のヒットのピークは、2月の今頃だったんだよね。

だから、この一番寒い季節に「燃える秋」と言われてもねぇ・・・なんて少しピントハズレな部分があることもある。

ただねぇ、オリコンでも最高23位と、必ずしも「大ヒット」した曲ではない訳で、あれから38年も経った今となっては、「知る人ぞ知る」って感じの曲になっちゃってますかねぇ。

ま、そんなことで、こんなの曲のタイトルを見て、どの程度の方が反応してくださるのか・・・っていうのはちょっと心配ではあるんだけども、前回までの2曲がミリオンセラー近くの大ヒットだったんで、今回はこういう曲でもいいよね・・・と自分に言い聞かせて。。


この曲すきだっていうのは、やっぱり普通の「歌謡曲」からは外れた曲調であるって事が大きいよなぁ。
なんだかんだ言っても「歌謡曲」っていのうは、「下衆」な音楽だからさあ。
・・・っなんて書いちゃ、元も子もないって感じもするけど、だから良いって言う部分もあるからねぇ、完全に否定する訳じゃないんだけども。

でもね、この曲のような「歌謡曲」って言う部分から離れた、ハイソサエティな雰囲気の音楽も、また良いんだよな・・って事なんだよね。

そう、まずもってこの曲から受ける印象は「ハイソサエティ」の一言なんですよね。

イントロからAメロにかけては、「メロドラマ」のBGMかっていう印象が残るけど、 

♪ Oh, Glowing Autumn〜 ♪ と言うサビの部分から、いっきにハイソサエティな世界が広がる。

まあ、映画の主題歌という事が大きいけど、このサビの特にコード進行、響きは、完全にクラシック的な流れ、いや、一時代の前の映画音楽の流れなんだよな。

60年代の映画音楽って、一重にゴージャスであり、現実空間とは別世界な空間を思い浮かばせてくれる・・・そんな曲が多いじゃないですか。

この曲は、まさにそんな感じなんだよね。

まあ、作曲者がクラシックの武満徹氏っていうところが大きいですけどね。 そうじゃなきゃ、この曲のサビのようなクラシック独特のグルーヴ感は出せないよなぁ、普通の歌謡曲の作曲家では。
うん、さしもの筒美京平氏でも、書けないと思うますわ。

作詞は作家の五木寛之氏。 まあ、この曲が主題歌の映画の脚本が五木氏って言う事もあって、作詞もやられているんだと思うけど。。。。
例のサビの部分が、英語詞だったり、「愛の蜃気楼(ミラージュ)」という言葉を使ったり、コトバもいちいちハイソラエティなんだよな。
 五木寛之氏って、この年1979年の秋に、松坂慶子さんの例の「愛の水中花」の作詞もやられたりして、意外とヒット曲と関係があるんですよね。


今でこそ、歌謡曲どっぷりなワタシだけど、もともとの個人的な音楽のルーツはクラシックであり、映画音楽を含むイージーリスニング系なんでさ、この手のストリングスがさんざめくような音楽って大好きなんだよね。

というか、自分の原点に返るような気分になれるんですよ。

まあ、クラシックだ映画音楽だ・・・って言う以前に、ハイ・ファイ・セットのコーラスも素晴らしいんだけどね、この曲。というか、これはハイ・ファイ・セットだからこそ、醸し出せるグルーヴ感だよなぁ・・とも感じさせてくれるしさ。

今じゃ、バンドサウンドであったり、シンセなどのいわいる「人口音」がデフォルトの音楽になっちゃったしさあ、このテの「生楽器」のみの音楽ってとんと聴かなくなっちゃったからねぇ、それが淋しい限りなんだよなぁ。

だれか書きませんかねぇ、人口音がデフォルトの音楽の時代、逆にこの手の「生音」だけの音楽って新鮮だと思うんだけどなぁ。

まあ、その前にこういう抒情的な曲が書ける方が、今じゃ、なかなかいなくなっちゃいましたけど。。。。




奇しくも、この曲、昨今騒がれてる「東芝」EMIのリリースなんだよな。
当時は、「東芝」は良い音楽の宝庫だったよなぁ。 ハイ・ファイ・セットを初め、ユーミン、オフコース、チューリップ、アリス、甲斐バンド、長渕剛・・・みんな東芝だった。
あれから数十年がたち、まさか、そんな東芝EMIはユニバーサルに吸収され、親会社も青息吐息になるとはな。。。




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性(さが) / ツイスト

1979_02_性(さが)_ツイスト


今回の1曲セレクトは、「性(さが)」ツイストです。

まずはデータです。


・タイトル     性(さが)
・アーティスト   ツイスト
・作詞       世良公則
・作曲       世良公則
・編曲       ツイスト
・リリース日        1978年12月21日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   31.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1979年1月15日〜2月26日付

えー、今回もマクラ無しで、いきなり本題に行っちゃいますぞ。

今回セレクトしてきた曲は、ツイストの「性(さが)」どぇす

えー、長い事この「1曲セレクト」を読んでくださってる方は気がついてると思うんだけど、今回ひっぱってきた、「性(さが)」、 過去に一度書いちゃってるんですねぇ

↓ コレ 
http://livedoor.blogcms.jp/blog/kajiyan0777/article/edit?id=52012973

今はブログの底〜にひっそりと眠っちゃってるんで、気がつかない方も多いかもしれないけど。。。


でもねどうも、頭ん中がここのところ1979年になっちゃってさ。。 しょうがないんで、79年の今頃ヒットしていた、この曲を、再度持ってきちゃいました。

あ、でも一度書いた・・・と言っても、前回書いたのは、今から10年前なんだよな。。そそ、上のリンク先のトピックスは元々は、10年前にmixiに「友達向け」に書いたもんなんだよね。
でも、友達向けって限定にしておくのは勿体ないんで、一昨年から、このブログにmixiから移植してきて公開したもんなんだけどさ。
 流石に文章、若いな。 いまねぇ、こういう新鮮な文章書けないのよ、ワタシ。。。 まだ30代でしたからねぇ、書いた時は。
まあ、よろしかったら併せて読んでいただけるとありがたいかなぁ


・・・・と取りとめもない事を書いてもしょうがないんだけど。。。

↑で、この頃頭が79年になってる・・・っちゅうのは、ついこの間、ヤフオクで79年〜80年の「月刊・明星」の付録の歌本・・通称「Youn Song」を大量に落札しまして。。。
今ねぇ、毎晩寝る前に1冊ずつ読んでるんですわ〜

わあ、悪趣味〜  ・・・って言われてもしょうがないんだけどさあ、でもね、やっぱ気分はあの時代に戻りますね。

当時、ワタシは9才。小学3年生。

流石に月刊明星を買うには、ほんの少しガキだったからねぇ。 うん、実際に買い始めたのは小学5年だった1981年3月号からだからさ。 そこからは、当時買ったものを「後生大事」に取ってあるんだけどね。

ワタシが買い始めた頃は、既に80年代アイドルの時代に入ってた訳で、ヤンソンもトシちゃん、まっち先生、聖子ちゃん、奈保子ちゃん・・といった、80年デビュー組が中心、うん、アイドルが中心だったんだけども、今回購入した79年〜80年頃は、ニューミュージックが中心。

うん、時代はニューミュージックブームでしたからねぇ。 で、そのブームの頂点だったのが79年ってわけでね。

何せ、ヤンソン恒例のハガキリクエスト「あなたが選ぶ今月のベスト20」も、ツイストとゴダイゴで、1位、2位を争っている時代。ちょっと前までは郷ひろみだったんだけどね。このハガキリクエストコーナーも。

ニューミュージックがアイドルだった・・・そんな時代なんだよね、79年は。

ちなみに、当時ロックBIG3と言われた、ツイスト、ゴダイゴ、サザンオールスターズの中で、リクエスト票数が一番低かったのが、サザン。

これ、今からしてみれば意外かもなぁ。

結局さ、ルックスのツイスト、演奏(技術)力のゴダイゴ、に対して、「お笑い」のサザンだったからさ、当時は。。  アイドルというよりも「イロモノ」だっんだよねぇ。 
そこが、リクエスト票数が伸びなかった所以だよね。 なにせ「明星」は、今も昔も変わらず、小中高生向けのバイブルだからさあ。


ま、そんなことで、昨今、頭ん中が79年になっているワタシな訳だけど、今回、この「性(さが)」を引っ張ってきたのは、それだけじゃないかもなぁ。
 うん、さっき気がついたんだけども、今年のカレンダー、79年と同じ並びなんだよね。 2月9日が木曜日になってる。。。

え? なんで、それで79年とカレンダー並びが同じって分かるの?  って事なんだけど・・・。

実は、初めて「ベストテン」をカセットテープに録音したのが、1979年2月9日なんですねぇ。。。

・・・っつうことは、1979年2月9日は「木曜日」だったはずで、今年と一緒なわけなんだよね。

あの時、「ベストテン」のベスト3は、1位アリス「チャンピオン」、2位ゴダイゴ「ガンダーラ」、3位が、今回のツイスト「性(さが)」って言うランナップ。
 当時、欠席がちだったアリスも、この時初めての1位獲得と言う事もあって出演して大熱演したのを覚えてるワ。

でもね、それよりなにより、個人的に一番すきだったが、このツイスト「性(さが)」だったんだよなぁ。
アリスも大熱演だったけど、この「性(さが)」もそれに負けないくらいの大熱演でさあ、 めちゃくちゃカッコ良かったんですよ。

ツイストっていえば、ベストテンで10週連続1位をとった「銃爪」であり、「燃えろいい女」であり、「宿無し」であり・・・他にも数々の大ヒットがあるんだけども、個人的にはこの「性(さが)」なんだよなぁ、誰がなんと言おうともさ。

兎に角、当時の大熱演の印象が、頭にこびりついちゃってるからさ。

あれから40年近く経っちゃったわけだけど、未だに、テレビの歌番組であそこまで熱く、大熱唱した歌唱って、ほとんど聴いた事がない。

 高々、3分程度の歌唱時間、考えようによっては単なる曲のプロモーションとも捉えられるわけだし、だから、昨今ではテレビの歌番組で「本気」で歌うアーティストも少なくなったしな。ましてや口パクだったもするしさ。

でも、当時は、テレビの歌番組でも、「マジ(本気)」で歌うアーティストもいたんだよね。 
聴いてるこっち側も、こういうところって敏感に分かるじゃん。 ましてや、当時、小学3年だったクソガキでさえ、「マジ」さを感じて、感動しちゃう訳だからさ。

まあ、すべての歌番組で「本気」を出しているかどうかは別なんだけどさ、 事、ベストテンの「スタジオ」で歌う時には、本気で歌唱していたヒトが多かったよなぁ、当時は。
ま、それほど、ベストテンって言う番組のスタジオの雰囲気が、それぞれのアーティストにとって、「本気」を出したくなるような熱気に包まれていたんだろうけどね。

だからなんだろうね、あの時代の歌が「いい」って感じるのは。 それにリンクして「ベストテン」ガ面白かったのは。

行きつきところは、「情熱」なんだろうなぁ。 いかに「ユーザー」に本気で伝える情熱を燃やせられるか。この1点に尽きるんだよね。


あー、また説教じみた事を熱く書いてしまったワイ。。。  最近、年取ったせいか説教臭くなってしまって如何ねぇ。
うーん、79年の曲になると、こうなっちゃうんだよなぁ、それだけあの頃の曲が好きなんだけどさぁ




これは、87年に「再結成」した時のベストテンのスポットライトなんだけどさ、この時も相変わらず「大熱唱」でしたねぇ。他のアーティストたちとの温度差が凄ごかったの、よく覚えてるわ。。。
87年と言ったら、すでにアイドル全盛期だったわけで、この手の曲はベストテンでは聴きたくても聴けなくなっちゃてましたからね。

世良氏の大熱唱のボーカルもそうだけども、世良氏のボーカルに絡んでくる、神本氏のエレピと、エレクトーンの音色が大好物なんだよな、ワタシ。
このグルーヴ感、泥臭さこそ、70年代ジャパニーズロックだったと思う。 

あの時代のグルーヴ感をもう一度っていうアーティストが、もう一度出てくれば、個人的には手放しで応援するんだけども、もう出てこないんだろうねぇ。 時代が違うもんな。。。 

これは、やっぱり今年5月の「僕らのポプコンエイジ」で味わってくるしかないか。。。

↓ コレ
http://entameclip.com/news/44692


こんな感じで、今回は1曲書いた曲を、再セレクトしてきたけども、この先は、時々こんな感じで「再セレクト」しようかなぁ。
以前書いた時とは、ちょっと違う視点から書けそうだしね。。(単純に「キラー」コンテンツとなりそうな大ヒット曲が枯渇してきた・・・ってのもあるけど)

ちなみに、以前書いた時と、今回書いたものでは、「データ」に書いた、「ベストテンランクイン」の期間が違っていたりするけど、前回のベストテン入りデータは「ザ・ベストテン」でのベストテン入り期間。今回のは、僭越ながら、ワタクシのチャートでのベストテンいり期間どえす。




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OH!ギャル / 沢田研二

1979_07_OH!ギャル_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「OH!ギャル」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル    OH!ギャル
・アーティスト  沢田研二
・作詞      阿久悠
・作曲      大野克夫
・編曲      船山基紀
・リリース日   1979年5月31日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数 27.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年6月11日〜7月23日付

えー、前回は山口百恵さんの「横須賀ストーリー」をセレクトしてきましたが、70年代、百恵と並ぶスーパースターといったら、やっぱ、ジュリーですよね。
・・・ということで、今回はジュリーの曲に決まり!

・・といってもね、ジュリーもここまで大分書いてきたからなぁ、今回は少し変化球で行きますかね。

「OH!ギャル」

「勝手にしやがれ」にはじまったジュリーにとっての「第2期」黄金期の最後に当たる、この曲だけど、「最後」と書いたようにそれまでの大ヒット曲に比べると、やや売り上げもダウン。少し忘れられた、ジミな存在の曲・・・って言う感じなのかなぁ、今となっては。

うん、第2期黄金期、ずっとジュリーを支えてきた、阿久悠、大野克夫と言うコンビでの最後のシングルでもあり、やはり「勝手にしやがれ」などの大ヒット曲でアレンジを担当してきた船山基紀氏も、この曲がジュリーのシングルのアレンジャーとしては最後の曲でしたね。

79年と言う時代の分かれ目と言う事もあってか、ジュリーにとってもターニングポイントだったんだろうけど、そんな「最後」づくしの曲としては、ちょっとジミ目な曲だった・・・っていうのも否めないかもなぁ。
 「勝手にしやがれ」以来、新曲をリリースするたびに、「次は何をやる?」みたいな話題を常に提供してきたし、曲にしても、毎回、新しさとインパクトを出し続けてきたジュリーだけど、この曲は曲自体ちょっとインパクトに薄い曲だよなぁ・・・っていうのは、否めなかったしな。

そもそも、「OH!ギャル」っていうタイトル自体、あの当時としてもアナロク的だったしなぁ。 それまでの曲のタイトルは斬新さがあったんだけどもさ。

ま、今となっては「ギャル」なんてコトバ自体、完全に「死語」だしさあ、今の若いコにとっちゃ、なんのこっちゃ だよね、きっと。 うん、「ワカイ女の子」の事ですね。

そそそ、79年⇒時代の分かれ目・・という点では、この曲と、ピンク・レディーの「波乗りパイレーツ」が、なんかリンクしてるように感じるんだよな・・・
・・というか、当時もそんな感じがあったな。

沢田研二と、ピンクレディーといえば、前年の1978年、レコード大賞を争った同士ですわ。

その2組、それから半年余り経っただけなのに、それぞれ元気が無かったでしょ。

当時、小学4年のクソガキだったワタシでも、そんな状況から時代の転換点・・・っていうような変化は感じてよなぁ。

でもね、個人的に言えば、この曲決してキライじゃなかったんだよな。むしろ、それまでのジュリーの曲に比べると「手垢」が少ない分、好感度があったような気がするんだよね。

恐らくそれは、本格的にヒット曲の世界に足を突っ込んで、本気でヒット曲を聴き始めた頃と重なっていたからなのかもなぁ。

まあ、そんなこともあってか、この曲を聴くと1979年の今頃の風景がはっきりと脳裏に浮かんでくるんだよね、今でも。

そそそそ、この曲がヒットした、ほんの少しあと、この年の夏休みに初めて「ブルートレイン」に乗って博多まで行ったんだよな。 その時、頭ん中でヘビーローテーションでながれてたのが、この曲だったんですよ、それも良く覚えてる。
 
だからね、この曲を聴くと、あん時の初めて乗ったブルートレインとか、博多の中州のネオンサインの光景とか思い出すんですわ。

そんなことも個人的に、好感度がある1曲なのかもしれないな。

ただ、この曲に関して、それまでの曲のような話題性が無かったか・・・というと、そんなことなかったよね。
そそそ、この曲で初めて、「化粧」したんだよなジュリー。 今見ると、最近のビジュアル系ほどの化粧ではないけど、当時は、かなり話題になりましたよね。 男が化粧とは、何事  みたいな

まあ、向こうでは既に、デビットボウイが化粧してたりしてたわけで、ま、言ってみればジュリーもそれを取り入れただけに過ぎなかった訳なんだけども、まだ保守的・・・というか、伝統的な日本文化な思想が残ってた70年代でしたからねぇ、それでも話題になってしまう訳だったんですよね。


ちなみに、ジュリー自身は・・・というと、どうも、この曲は気に入ってなかったようで、あるツアーで、この曲を歌った後、「この曲大嫌いなんや」なんて暴露してた様ですね
当時は、そんな感じしなかったんだけどねぇ。。。



うーん、タバコを持ちながら曲を歌う・・・っていうのも当時としては斬新だったかなぁ。
この後、、これマネして、タバコ持ちながら歌うヒトは、ちょくちょく出てきたけどさ。


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真夏の夜の夢 / 野口五郎

1979_06_真夏の夜の夢_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「真夏の夜の夢」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル    真夏の夜の夢
・アーティスト  野口五郎
・作詞      阿久悠
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1979年4月21日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数 10.9万枚

あー、蒸し暑い夜ですわ。
まあ、梅雨って言うこの時期らしい・・・っちゃ、この時期らしい気候なんだけども、ベタベタと蒸し暑い夜は不快ですねぇ。
 それに、こういう夜は、ワタシが嫌いな「ムカデ」が出没することもあるしなぁ・・・。ウチは田舎なんでさあ、ムカデが出るのよ。一度なんて、夜の間にクツの中に忍びこんでた10cm近くもあるムカデに気がつかなくて、そのまま履いたら、案の定気がつかなくて、刺されたことがあるのよ。
もうね、ムカデ恐怖症よ。。。 今夜も出そうな気候なんで、明日の朝は気をつけんと。。。。

さてと、こんなジトーッと蒸し暑い夜になると、頭の中を駆け巡る曲って何曲か出てくるんだけどさ。
例えば、少し前に書いた寺尾聰の「出航」のC/Wだった「ダイヤルM」とかね。うん、あの曲もイメージとしては、蒸し暑い夜なんだよな。

で、もう1曲思いつく曲を、今回はセレクト。

野口五郎 「真夏の夜の夢」。

うーむ、「真夏の夜の夢」なんてタイトルを書くと、松任谷由実の93年の大ヒット曲であり、同タイトルの「真夏の夜の夢」を思い起こす人の方が今となっては多いのかもしれないけど、こちらの「真夏の夜の夢」は1979年のヒット。
もちろん、松任谷由実とは別曲ですよ。

タイトルが「真夏の夜の夢」なんてなっているんで、如何にも「真夏」の曲かと言うと、さにあらず、リリースは4月21日だったりして、全然「真夏」じゃなかったりするんだよな。
 それでも、今頃の蒸し暑い時期を思い出すっていうのは、100%曲調のせいだよなぁ。
まあ、兎に角、イメージが蒸し暑いんだわ、これが。
そんなイメージだからか、個人的にもいっつもヒット時期を間違えるんだよね。
「これから」の季節のヒットだったけな・・・なんて勘違いしちゃうんですわ。 去年も、それで「夏」まで待って書こうとしてたら、すでにヒット時期を逸してしまって、昨年は書けなかったんですわ。

今年も、あわやヒット時期を見逃すところだった。。。うん、厳密に言えば、この6月第3週って言う時期は、すでにヒットのピークは、過ぎて下降線をたどり始めてた時期なんだけどね。。。

そんな感じで、少し前にTUBEの「Beach Time」の時も書いたように、楽曲タイトル&楽曲のイメージが、実際の「気候」とずれてしまっていたために、今一つヒットしなかったって言う曲の1曲と言えるだろうねぇ、この曲も。

いや、たとえばさ、もう1カ月リリースが後ろにずれていて、梅雨から梅雨明けにかけての本格的にジットリした蒸し暑い時期がヒットの兆しとシンクロとしていれば、もっと売れても良かったんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりするんだよな。

この時期の野口五郎氏って、すでに往年のアーティストパワーも陰をひそめ、チャート的にもオリコンではベストテンに入れなくなってた時期なんだよね。
 その要因として、楽曲そのもののパワーが陰をひそめて来ていた・・・というか、時代に合わなくなってきていたようなところもあったからなぁ。その辺が人気という指標にダイレクトに出て来ていたような気がする。

時代は、ロック・ニューミュージックだったんだよね。

でも、この曲は、そんな時代を見透かしたようにロック系統の曲だったもんね。

五郎本人もエレキを抱えていたし、バックバンドも従えたりしてたしな。

作詞 阿久悠、作曲 筒美京平 ・・・という超ヒットメーカーのお二人の作品なんで、ワタシなんかが曲そのものについてあーだこーだ言うなんてのはおこがましいんだけど、このお二人の布陣で、しかもアレンジが筒美氏本人と言うと、前年の大橋純子「たそがれマイラブ」を思い浮かべちゃうけど、それと比べてもロック系に傾倒して来ているよな・・・っていうのは、良く分かる訳だわね。

流石は時代を読む筒美氏らしい曲調の変化・・・なんてことも感じたりするんだけども、筒美氏のコトバを借りると、ニューミュージックは脅威でしたからね・・・ということで、やはり、常に「ヒット」を要求される筒美氏としては、
この系統に行かざるを得なかった・・・っていうところもあったのかもしれないですね。

ただ、この曲を足がかりに・・・と言う感じで、このすぐ後に、桑名正博氏の「セクシャル・バイオレッドNO.1」っちゅう、「ロック」系統の曲でオリコン1位を取っちゃう訳だから、やはり筒美氏はただもんじゃない訳なんだよなぁ。。。


・・・と、思いつくがままに筆を走らせているワタシだったりするんだけども、 実を言えば、当時は、この曲、良く分かんなかったんだよな、個人的には。
 いや、曲は聴いてた。オリコンではベストテン入りしなかったけど、「ザ・ベストテン」では、ベストテン内にランクインしてたからなぁ。
・・・って書くと、ベストテンを知らない世代にしてみれば、なんでなの? ・・・なんて思われちゃうかもしれないけど、この曲、ラジオリクエストとハガキが強かったからなぁ。
 やっぱり、「固定ファン」の組織票が強かったんだよね。当時の新御三家はさあ。 その分、レコード売り上げと有線チャートの不利を補てん出来たって訳ですわ。

・・・あ、ちょっと話が脱線したね。

ま、兎に角も当時「ベストテン」ではこの曲聴いてたわけだけども、良く分かんなかったんですわ。どこが良いのか・・・っていうのが。
 いつかも書いたと思うけど、個人的に、新御三家っていうと、「ヒデキ」派だったからなぁ。 だから、郷ひろみ氏も長らく、良く分かんなかった訳ですわ。
今なって時代的背景を考えて聴けば、この手の曲が必然だったんだろうなぁ。 なんては思えるようになりましたね。
 とりあえず、1979年の匂いがする曲かなぁ。





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