かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1974年

激しい恋 / 西城秀樹

  1974_06_激しい恋_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「激しい恋」西城秀樹です。

まずはデータでする。

・タイトル     激しい恋
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       安井かずみ
・作曲       馬飼野康二
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1974年5月25日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   58.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年6月10日〜7月22日付

えー、野口五郎、郷ひろみ・・・と来たら、最後はヒデキを書かないわけにゃいけませんよね。うむ、新御三家。
というわけで、今回は西城秀樹氏の曲を持って来ましたわ。

と言っても、やっぱり、ヒデキもこの時期のヒットって意外と多いんだよね。 じゃ、何を持ってこようか・・・とおもったんだけど、今回は、この曲を。

「激しい恋」

うーむ、初期のヒデキの代表曲といってもいい曲ですよねぇ。
そそそ、例の ♪ やめろと言われても〜 (ハー ハー)♪ ですよん。ちびまる子ちゃんにも出て来ている

 この曲は1974年、昭和49年の今頃のヒットなんで、ワタシは5才になる前、4才10ヶ月でしたねぇ。
やっと物心がついた頃・・・って感じかなぁ。

 でも、この曲は歌ってましたねぇ、当時。 たしかドリフ、「8時だヨ 全員集合」でカトちゃんがパロってたんじゃなかったかなぁ。 それで覚えちゃったような気がするな。
 まあ、「曲」としてちゃんと聴いてたわけじゃないけどね。 個人的に、この曲となぜか「仮面ライダーV3」がセットになって覚えてるんだよな。

 なぜかっていうのは、よく分かんないんだけどさ 曲だって、全然関連性が無いんだけどさ。。
まあ、推測なんだけど、この「激しい恋」のイントロの「笛」みたいな音があるじゃん。 これが、「仮面ライダー」が出てくる時の音に聴こえたような・・・気もするんだよなぁ。
 
 ま、大人の今となっては「全然違うじゃん」って感じだけど、なにせ42年も前の話だし、まだ物心ついたばっかの頃だからねぇ。

ところで、今、この曲を聴くと、さっすがに古さは隠せないし、プラスセクションがダサいな・・・なんて思ったりもするんだけど、これでも当時はカッコ良かったんだよねぇ。ヒデキのアクションとかさあ。
 ま、今からすれば、もろ「70年代」っていうサウンドだったりするんだけどさ。御三家の中でヒデキの立ち位置は「ワイルドさ」ってことだったけど、この曲んなんかは、そんなワイルドさが良く出てたんじゃないかなぁ。

基本は、ブラスロックでしたよね。ヒデキの場合。底辺に、当時のシカゴとかチェイスあたりのブラスロックの匂いは微かにするんだけど、それでもまだ70年代の解釈・・・というかテクニック・・というかさ、70年代前半の歌謡ポップスの匂いが抜け切れない訳で、表面的には、まだまだ垢ぬけてないんだけどね。
 でも、そんな「歌謡曲」が抜けきれなかったのが、売り上げ的には良かったのかもな。 この曲は58万枚強も売り上げて、ここまでのヒデキの最高売り上げとなったわけなんだよね。
それでもオリコンでは最高位が2位。

うーむ、ヒデキの初期の代表曲なんだけどなぁ、それでも1位取れなかったんだよね。 まあ、それだけ当時のオリコン1位っていう地位の重さを表している訳なんだけどねぇ。

それと売り上げに反してベストテン入りが1月半ほどと、当時としては意外と短かったんだよね。これはちょっと意外だったな。 最高位2位と言っても週間売り上げは、そこそこ良かったようだね。
「ようだね・・・」っていうのは、当時の週間売り上げの資料が手元にないんでさあ、推測なんだけどさ。

ただ、それまで、僅かな例外はあったけど、アイドル系は50万枚が壁・・っていうのが通説だったんだけど、この曲は軽く、それをも破ってきたからねぇ、それだけ人気があった訳なんだよね。

ちなみに、この曲の次が「傷だらけのローラ」だったんだよね。 そそそ絶叫系の名曲ですわ。

馬飼野康二氏といえば、「絶叫系」っていうイメージがあるのは、やっぱり当時のヒデキとか、松崎しげる氏の「愛のメモリー」のイメージが強烈だったからだと思うんだけど、それに比べると、この「激しい恋」は、そこまでは絶叫系じゃなかったよね。まあ、サビの最後は、少し叫びきみなメロディになってるけどさ。

それでも、「傷だけらのローラ」の売り上げは34万枚と、この「激しい恋」に比べると、大分下がっちゃったからねぇ。 前回、郷ひろみ氏の「タブー」でも書いんだけど、牛乳も濃すぎると飲みづらいのと同じで、名曲でも曲自体が「濃すぎる」と、売り上げも伸びづらい・・・って言う傾向はあるよな(今でもあるかもしれない)





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やさしさに包まれたなら / 荒井由実

1974_04_やさしさに包まれたなら_荒井由実








今回の1曲セレクトは、「やさしさに包まれたなら」荒井由実です。

まずはデータです。

・タイトル    やさしさに包まれたなら
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1974年4月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 ランクインせず
・売上げ枚数  −枚
・タイアップ:映画「魔女の宅急便」より

先日、ユーミンの「ルージュの伝言」を書いたばかりなんだけど、またまた、ユーミンを引っ張ってきてしまいましたわ。
 しかも、同じ「魔女の宅急便」で使用されていたこの曲ですっ。

「やさしさに包まれたなら」

「魔女の宅急便」で使われていたっていうのが、「ルージュの伝言」とおなじなら、実はヒットしてた「時期」も同じなんだよね。
リリースは、1974年4月20日。 今から42年前の「今頃」ヒットしていた訳ですわ。

・・・とはいうものの、上のデータを見ても分かるように、オリコンでは100位内にランクインしてなかったのよ。だから、売り上げ枚数もカウントされず。実際どのくらい売れたのかもよく分かんない。

「魔女の宅急便」以来、今でこそ、頻繁にCMで使われ、多くのアーティストがカバーしていたるこの名曲も、リリースされた当初は、そう言う存在だったんですよね。

「ルージュの伝言」もそうだったけど、この曲も当時は「知る人ぞ知る」っていう隠れた名曲だった訳なんですよね。

1974年というと、オリコンのシングル年間ランキングで4枚のミリオンセラーが誕生した年。これはオリコンがスタートした1968年以来年間最多のミリオンセラーが出た年で、だから、概してレコード売り上げは好調な年だったんだよね。
 
それでも、この曲のチャートアクションがこういう状況だった・・・っていうのは、やっぱり、当時はまだ「歌謡曲」の天下だったって事なんですよねぇ。

ユーミンなどの、いわいる後のニユーミュージックって言う音楽は、少なくともシングルではインディーな存在だったって事ですよね。

ただ、ニューミュージック勢もアルバム売り上げは好調だった訳でね、ユーミンの場合、この「やさしさに包まれたなら」が収録された、2ndアルバム「ミスリム」の売り上げは26.8万枚(アルバムチャート最高位8位)なんて言う売り上げが記録されていたりします。

 ま、一口に26.8万枚と言っても今とは時代が違い、なんせ「LP」の時代ですからね。10万枚売れれば大ヒットと言われていた時代の26.8万枚ですから、充分に大ヒットだったわけですね。

つまりは、アルバムを通して、この曲は広まっていったいて訳で、もしかすると、シングルだったって事は知らない方も多かったんじゃないかなぁ。

でも、当時は、他のニューミュージック系アーティストの曲では、そんな感じでアルバム先行で実はシングル曲でもあった・・・って曲は随分多いんじゃないのかなぁ。


この曲、個人的に聴いたのは、いつだったろう? 「ルージュの伝言」多少覚えているんだけど、この曲は全然覚えてない。もしかすると件の「魔女の宅急便」だったかもしれない。
 
でも、なんか、不思議な気分になる曲ですよね。童心に帰っちゃう・・というか。 この曲がリリースされた1974年というと、ワタシは5才になるかならないかの頃ですわ。

でも、その当時の気分に戻る・・・っていうかさ、文字通り「やさしさ」に包まれたような気分になる。 まあ、だから、これだけ多くの方に支持されている曲になったんだろうけどさ。

ちなみに、この曲のレコーディングアーティストのメンバーは

・ドラム 林立夫
・アコースティックギター 吉川忠英
・12弦ギター  瀬戸龍介
・ベース 細野晴臣
・スチールギター 駒沢裕城
・キーボード 松任谷正隆

という面々。 まあ、基本当時のユーミンのレコーディングメンバーは、林、細野、松任谷、鈴木(茂)っていうキャラメル・ママを中心だったわけだけども、この曲の場合は、加えて、アコギで吉川、12弦ギターで瀬戸、スチールギターで駒沢・・・っていう面々が参加していたって訳ですわね。
(ギターの鈴木茂氏は、この曲での参加は無し)

 うん、先日、別途紹介した「日本の編曲家」っていう本にも登場してくる、トップスタジオミュージシャンの面々ですわ。

 兎に角も、駒沢氏のスチールギターが、この曲のキモだろなぁ。 基本、カントリー形式なこの曲に、あのスチールギターのフレーズが絡んでくると、獨独の物悲しさというか、情緒感が出てくる。

 まあ、こういう曲想は、当時はこの曲だけじゃなかったですけどね。例えば、カーペンターズの「TOP OF THE WORLD」はなんかは、もろそうだったじゃん。
そそそ、なんかね70年代前半って言う匂いがするんだよね。 

ちなみに、この曲リリース当時は、不二家の「ソフトエクレア」のCM曲だったんだってねぇ。 今、この曲を聴くと、70年代前半の匂いがするとか、当時の気分になるっていうのは、もとかすると、そのCMの記憶が残っているのかなぁ・・・、なんて思ったりして。
 まあ、4〜5才の頃のことなんで、まだきちんと物心も付いていない頃なんでさ、今となっては表だって記憶はないんでけどさぁ。





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銀の指輪 / チューリップ

1974_03_銀の指輪_チューリップ








今回の1曲セレクトは、「銀の指輪」チューリップです。

まずはデータです。

・タイトル     銀の指輪
・アーティスト  チューリップ
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       チューリップ
・リリース日   1974年1月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数  13.5万枚

えー、1曲セレクトを書くために毎日タイムスリップしてる気分になってるワタクシですが、今回は、またまた70年代へ遡って来ましたわ。
 昨日は80年代を代表する「バンド」って感じで「チェッカーズ」だったんで、今回は70年代のバンドの代表選手と言う感じで「チューリップ」なぞ一つ。

うん、これまでもチューリップの曲はちょぼちょぼ書いたんだけど、今回は74年の「銀の指輪」でいきましょうか

と、言っても、この曲がヒットしてた74年の今頃というと、ワタクシは4才。 当然、リアルタイムでは聴いてなかった・・・・・ハズなんだけどもね。 この曲、初めて聴いた時、妙に懐かしかったんだよな。無意識のうちにどっかで聴いてた様な・・・。

当時と言えば、個人的には「アルプスの少女ハイジ」だったはずなんだけどなぁ。。。。

ま、たしかに、この曲自体、どこか懐かしい曲調だしな。 ビートルズっぽくもあり、モンキーズっぽくもあり・・・兎に角60年代のバンドサウンドをいろいろと混ぜこぜしたようなサウンドなんだよね。

だからなんだろうねいつか何処かで聴いたような・・・になんて思えたのは。 
いつかも書いたけど、当時、うちのオヤジは、日本の曲より向こうの曲の方が好きで、カーラジオからは、いつもこの手の60年代サウンドが流れてたんだよね。だから、ワタシ的にも無意識のうちにこの手のサウンドが染み込んでたりするんですよ。

ちなみに、ビートルズフリークのチューリップって言うのは有名だけど、この曲を含め、同時にリリースされたアルバム「TAKE OFF」はロザンゼルス録音。

ま、この「銀の指輪」のシングル盤のジャケットにもハリウッド・サンセットスタジオ録音って書いてありますな。

だからなのか、この頃のチューリップにしては珍しく、音が濡れてない。カラッと乾いてるんだよな。その辺りもこの曲の特徴かもしれない。


ボーカルは、「心の旅」以来続いての、姫野達也氏。 うむ、チューリップというと、財津和夫氏のボーカルって真っ先に浮かんできちゃったりもするんだけど、初期は姫野氏の方がリードボーカルは多かったですよね。

でね。姫野氏のボーカルを聴くと、ボーイソプラノっぽいよなぁ。甘い声っちゅうのかな。
今でいえば、「草食系」っぽいんだよね。

最近はバンド系も「草食系」のナヨッとした声質のボーカルが多いけどさぁ、そうみるとこれは今に始まった事じゃないんだよね。
 考えてみれば、チューリップと同時期でも、NSP とか ふきのとう とか、BUZZ とか、ボーイソプラノっぽい今でいう「草食系」っぽいボーカルが結構いたんだよな。

でもなんで何だろうねぇ、当時のボーイソプラノ系のボーカルって気持ち悪くないんだよなぁ。
今の「草食系」のボーカルって、なんかさあ、気持ち悪りぃんだよな。「ちゃんとメシ食って、腹から声出さんかい」なんていいたくなるんだよねぇ。




出来れば、ヒット当時の映像があればベストなんだけど、何分42年前だしな。 それでなくても当時は、ほとんどテレビで演奏してなかったろうしね。2008年のNHK「SONGS」でメンゴ。
それでも、7年経過してるんだよね。 その間、一昨年には動画では映ってる、リードギターの安部俊幸氏が亡くなってしまいましたね。 



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タイムマシンにおねがい / サディスティック・ミカ・バンド

1974_12_タイムマシンにおねがい_サディスティック・ミカ・バンド






今回の1曲セレクトは、「タイムマシンにおねがい」サディスティック・ミカ・バンドです。

 まずはデータです。

・タイトル    タイムマシンにおねがい
・アーティスト  サディスティック・ミカ・バンド
・作詞      松山猛
・作曲      加藤和彦
・編曲      サディスティック・ミカ・バンド
・リリース日   1974年11月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 38位
・売り上げ枚数  3.3万枚
※売上げデータは、この曲が収録されているアルバム「黒船」のもの

 今年も何人もの著名人が逝かれてしまいましたが、今年だけでなく、ここ10年ばかりを振り返ると、特に日本音楽界において「巨匠」と呼ばれるようなアーティストが次々に亡くなられてしまったような気がしますね。

 特に2009年は、アーティストのヒトたちの逝去が多かったよなぁ。向こうではマイケル・ジャクソン。日本では忌野清志郎と、70年代、80年代以降の音楽界を引っ張ってきた人たちが次々と亡く これも、時の流れ・・・っていえば、それまでだけど、それにしてもやっぱ、一時代が終わったよなぁ・・・っていうのは否めない1年だったよなぁ。

 で、もう一人、加藤和彦氏の突然の自殺というのもねぇ、予想外の出来事だったよねぇ。

 ということで、今回は加藤和彦氏の曲を持ってきますわ。

 あの自殺以来、あちこちで流れていたけど、サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」。

 うむ、いまや加藤氏の「代表曲」になってしまった感が強いね。

 60年代末、件のフォーク・クルセダーズを解散以来、ソロを続けてきた加藤氏が、70年代の初頭に結成したグループ、それがサディスティック・ミカ・バンドなわけだけど、今考えると、めっちゃ前衛的なバンドだったわけで。。
 何が前衛的かというと、日本のマーケットというよりも、海外を見据えたバンドだったってことですわな。

 ま、それは、あくまで結果的なことなんだけど、事実、日本では一部の音楽にクロートな人たちにしか受けなかったのよ。
 でも、向こうでは絶賛されたソトたちですらねぇ。イギリスでは、UKチャートにランクされ、ヨーロッパ全域的に受けた、日本で最初のバンドぢゃないかなぁ。

 では、なぜに日本では受けなかったのか・・・。

 答えは簡単で、このヒトたち、ハイパー過ぎたのよね。日本の聴衆は、当時、ついていけない次元の音楽だったのですよ。

 実際、この「タイムマシンにおねがい」。

 これ、正直言って、今聴いても、「1974年」の曲に全然思えない。めっちゃハイパーなロックだよなぁ。
今聴いても、その音質、楽曲形態、演奏技術、どれをとっても、1974年当時の水準をはるかに上回っているんだよね。 特に音質は「今年」の曲と言っても、全然遜色ないと思う。
まあ、マスタリング技術が、いまは進んだという事もあるけど。。。

 1974年当時の日本の音楽っていったら、あれよ、歌謡曲全盛期。
何せ年間上位は、殿さまキングスの「なみだの操」に、中条きよしの「うそ」な時代よ。

 商業的なロックは、まだまだ不遇の時代だったわけで・・・。ただ、ロックではキャロルなんかは、受けてたし、ダウンタウンブギウギバンドも「スモーキンブギ」でブレイクし始めてたころだ。

 でも、キャロルにダウンタウンブギウギバンドっていうところを見てもわかるように、このころの日本のロックって泥臭いんだよね。
 泥臭いというか、オイル臭いというか、いわいる「ブルーカラー」・・・肉体労働者的な匂いが強かったのよ。

 そこにきて、このサディスティック・ミカ・バンドは、そういう「ブルーカラー」的な匂いがまったくしない、ロック。少し後にユーミンが使った言葉で「中産階級」ってあるけど、そういう「中産階級」でも支持してくれるようなロック。
 まったく泥臭くないのよ、「スカッ」としたロック。

 これは、この時代では、まったく異物なものだったんだね、日本の音楽界では。


まあ、だから、当時は、ほとんど注目されもなく解散に至ったっていうのが、事実だろう。


 ワタシも最初聴いたときは、どう聴いても80年前後の曲だろうっていう感じをしてたんだよなぁ、この曲。
 サウンド的なところから感じても、後年のシーナ&ロケットに近いような感じも受けたし・・・。

 だからさあ、初めてこの曲が74年の曲だったてわかったときは衝撃的だったよなぁ。
 74年当時に、こんなハイパーなロックをやってたヒトたちが居たんだってことが。
 10年くらい前に木村カエラをボーカルに迎えて、再結成して、例のキリンラガービールのCMでこの曲やってたけど、あれから40年以上経っているっていうのに、全然、色あせてない、むしろ「今の曲」って言っても遜色ないし。。。
 裏がえせば、41年前では、どれだけハイパーだったか・・・ってのが、わかるわけさ。

 ただ、だからこそ、商業的には、なかなかうまく行かなかったってことなんだよね。
うん、曲が悪いんではなく、そこまで、当時の日本の聴衆が、ついてこれなかったレベルだったことなんですわ。



1974年8月、いまや伝説的なロックフェス、郡山開成山競技場で行われた「ワン・ステップ・フェスティバル」より。
当時のサディスティック・ミカ・バンドのメンバーは、

 ボーカル  ミカ
 ギター ボーカル  加藤和彦
 ギター  高中正義
 ベース  小原礼
 キーボード  今井裕
 ドラムス  高橋幸宏

メンバーがいれかわりたちかわりしているサディスティック・ミカ・バンドにあって「最強」メンバーだった頃だ。
 後々の超一流スタジオミュージシャン勢ぞろいって感じやね。 いまだったらギャラはどんだけになるんだろう?・・・ってくらいですわね。
 Y.M.Oで機械的で無機質な感じのドラムをたたいてた高橋幸宏氏が、意外と「人間」的なドラムをたたいてたのも印象的。

ちなみにちなみに当時、ワタシは5歳。。。。福島にいたのよぉ。郡山から車で2時間のところに。あせあせふらふら

 あと15年早く生まれてたら、間違いなく行っただろうな。。。


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東京 / マイペース

1974_11_東京_マイペース






今回の1曲セレクトは「東京」マイペースです。

まずはデータです。

・タイトル      東京
・アーティスト    マイペース
・作詞        森田貢
・作曲        森田貢
・編曲        マイペース 穂口雄右
・リリース日     1974年10月25日
・発売元       ビクター
・オリコン最高位   28位
・売上げ枚数     22.1万枚


 セレクトする曲、このところ、80年代〜90年代にちょっと偏ってるかなぁ。たまには、もうちょっと古い曲も引っ張って来たい・・・と、この頃思ってたんだけど、うーん、なんかないかなぁ・・・・なんて考えながら、過去に書いた曲のアーカイブスをペラペラしてたら、あ、あった。。。

・・・とおもむろにセクトしてきましたわ。

マイペースの「東京」。

あ、でも、マイペースっていうグループ自体、正直言って、私も詳しくは分かりかねるんだけど(なんせ当時5歳なので・・・)、WIKIとかで調べてみると、4人グループ(?)

・・・・あれ、4人だったんだ・・・。私は長いこと3人グループって記憶してたんだけど・・・。
 この曲を作詞作曲した、森田貢、友川かずき、山平和彦 に三上寛が絡んでいたんですね。

 ともかく、活動期間はあまり長くは無かったようですね。シングルとしてオリコンにランクインしたのは、この曲と、75年にリリースした「望郷の街」っていう曲のみ。

これらの曲でもある程度想像つくかも知れないど、このヒトたちはもともと秋田出身なんだよね。

 まあ、地方出身というところは、この「東京」って言う曲に端的に現れてはいるか。
今でこそ、新幹線や高速道路網が全国に張り巡り、交通ネットワーク上は、地方から東京への時間的距離は大分短縮されたわけだけど、この「東京」がリリースされた当時は、地方から見ると、東京ははるか遠くだったんですよね。

調べてみたら、この曲がリリースされた1974年当時、東北自動車道は、まだ郡山までしか開通していない。いわんや東北新幹線が盛岡まで開業するのは、これから、まだ7年半後ですわ。

そんな時代、東北から見ると、東京はとてつもなく遠い存在だったんだよね。 かく言うワタクシも生まれは福島なんだけど、子供の頃を振り返ると、やっぱり東京は遠い存在だったもの。

だからなんだけど、この当時の曲からすると「東京」って言う響きは、ある種、特別な存在に感じるところがあったんだよね。


♪ 東京へはもう何度も行きましたね 君が住む 美し都〜 ♪

ハイ、文字で「東京」って書いてもピンとこない方も、ここのメロディが浮かんでくれば、「ああ、あの曲ね」って浮かんでくる方も多いでしょう。

 70年代中盤のフォークの名曲ですね。カバーも何枚もされてるんじゃないのかな。

だけども、ワタシなんで、この曲知ってるんだろ? きちんと聴いたのは、例のフジテレビ系で放送されていた「19××」が最初なんだけど、その時点で、この曲知ってたんだよね。

 元々は1974年の曲だから、ワタシは5歳なわけで、記憶にはないんだけどねぇ。。。。
 いや、どっかで聴いてんだろうなぁ。記憶にはないけど体のどっかでは覚えているんだよね、きっと。これも音楽の不思議な力だよね。

 この曲、オリコンでは最高28位までしか上がらなかったけど、累積セールスは22万枚も行ってるんだよね。ベスト100には46週もランクインっていうから、約1年ランクインしてたわけだ。やっぱりいい曲は、だれが聴いてもいい曲なんだろうね。




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よろしく哀愁 / 郷ひろみ

1974_10_よろしく哀愁_郷ひろみ








今回の1曲セレクトは、「よろしく哀愁」郷ひろみです。

まずはデータです。

・タイトル    よろしく哀愁
・アーティスト  郷ひろみ
・作詞      安井かずみ
・作曲      筒美京平
・編曲      森岡賢一郎
・リリース日   1974年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   50.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年9月30日〜12月9日付


 え〜、先ほどの松田聖子様に続いて、今回は郷ひろみと・・これって作為的!? って思われてもまあ、しょうがないか・・とも思うんだけど、本心からするとたまたまですよ、ハイ。

 いや、初め違う曲を持ってこようと思ってたんだけど、その曲のジャケ写をネット上で探してたら、たまたま、この曲のジャケ写が目に止まってさ、そのまま持ってきちゃったの。。

と、まあ、なんとなく言い訳がましいですが・・・。

 丁度、今ごろヒットだったわけなんで、まあ、いいか・・・と


 この曲は1974年(昭和49年)のヒット曲だから、当然、個人的にはタイムリーに聴いてた曲ではない・・・・はずなんだけど、あとあときちんと聴いてみると、やっぱりメロディラインは残っているんだよね。
・・ということは、まだ物心が付かない頃に聴いてたんだろうねぇ、きっと。

 ただ、残っていたのは、出だしの

♪ もっと素直に僕の愛を信じてほしい ♪ のAメロの部分。 そのほか特にサビについてはほとんど記憶になったんだよねぇ。

 どうしてだろ? よくわかんないんだけど、このAメロの部分、筒美京平氏の得意なメロディラインだよね。
 8分休符の後に8分音符で続くフレーズ。例えば堺正章の「さらば恋人」とか。
 たわいなことではないんだけど、どうも、このフレーズに惹かれるんだよねぇ。どうしてだろ?
 うーん、まあ、簡単に書けば生理的にシックリ来るって言えば簡単なんだけどさ。

 なんか、いい意味で背中にゾクゾクッと来る感じがあるんだよねぇ。

 暗めのイタリアンツイストっぽいアレンジもシックリ来るものを感じるんだろ思うなぁ。
 森岡賢一郎氏って必ずしもアイドルだけのアレンジャーではなく幅広くアレンジをされていた方なので、単純なポップスではない雰囲気、うーん、曲のグレードを一歩アップしてくれるような優美さがあるアレンジをされていた方ですよね。
 どちらかといえばヨーロッパ的な優美さを兼ね備えたというか。
 下世話的に書くと、もろ70年代を彷彿させるというかね。

 それは、この曲でもその通り言えるわけで、それまで、郷ひろみの曲のアレンジって筒美京平氏が自身でやられていたんだけど、この曲はまだ、別の意味で当時の「歌謡曲」として一段グレードが高い優美さを感じるんだよね。

 要するに単純に「ダサい」じゃ終わらないサムシングがあるんだよね。今、聴いても。

 まあ、そういうこともあり、この曲は、郷ひろみとして、初のオリコン1位獲得曲であったわけなんだよね。
 ・・・・というか、この曲が郷ひろみにとって、「唯一」のオリコン1位獲得曲なんですよね。

 うーん、これって、今考えるとかなり不思議な現象といえるかなぁ。だって、70年代を代表するトップアイドルだったわけですからねぇ、郷ひろみって。

 でも、まあ、当時はそれだけ「1位」って言うのは別格だったって訳なんだよね。
 数ある曲の中で、それこそ、もっとも「売れるべき」して売れている曲というかね。

 ただ、ここまで到達するのに最高位2位というのは、4曲あり、すべて73年リリース曲。 つまり73年3月リリースの「愛への出発」から12月リリースの「モナリザの秘密」まで、4曲連続で2位を確保しているんだよね。
 つまり、新御三家のなかでは、当時の人気は一番先行してたわけだよね。
 でも、なぜかこの時点で1位獲得は西城秀樹が1歩リードしてたりしてね。(「ちぎれた愛」「愛の十字架」の2曲、1位獲得済み)

 だから、まあ、先行する秀樹を追いかけろって言う意味もこめて、アレンジ面でもグレードを上げてきたのかもしれないけどね。

 ちなみに、累積セールスの50.6万枚っていうのも、実は、郷ひろみにとっては、現在までを通してみても最高セールスなんだよね。
(2位は82年の「哀愁のカサブランカ」の50.1万枚)

 これは、70年代の後半からヒット曲の世界に足を踏み入れて、この時代をタイムリーで知らない、ワタシにとっては、感覚的には意外な感じがしますねぇ。

ま、たしかに、この曲でほとんどテレビに出なかった「哀愁のカサブランカ」が50万枚強売れてるのも感覚的には不思議なんだけども。。。

でも、この曲の場合は、実際当時は、やっぱり、人気あったんだろうねぇ。




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傷だらけのローラ / 西城秀樹

1974_10_傷だらけのローラ_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「傷だらけのローラ」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル    傷だらけのローラ
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      さいとう大三
・作曲      馬飼野康二
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1974年8月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   34.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年9月9日〜10月14日付

 今回の1曲セレクトは、書こう書こうと思ってて、忘れそうになってた1曲です。

 傷だらけのローラ  /西城秀樹

 まあ、ここ読んで下さっている、みなさんなら、ほとんど知ってますよね。未だに初期の秀樹っていったら「この曲」って言われるくらいの代表曲だもんね。
 そんな曲だから、さぞかし、ヒット当時も、ロングヒットだったんだろうな・・・と思い、昔のオリコンチャートを調べてたら、さにあらず〜〜〜exclamation ×2たらーっ(汗)

 なんと、ベストテン入りは、たったの1ヶ月半だったの。74年当時は一度ベストテン入りしたら、2ヶ月、3ヶ月居座り続けるっていうのが、極々当たり前だったから、1ヶ月半でベストテン落ちっていうのは、かなり短期ヒットの部類・・・っていえるんだよね

 ちなみに、チャートアクションを見てみると

1974年9月2日付 16位→2位→3位→4位→4位→7位→8位→13位・・・・

・・・と、意外とタンパク。・・・・というか、ベストテン初登場で最高位獲得・・・・なんて、まるで初動型のチャートアクションじゃん。

 いやいや、これが、かなり意外だったんだよなぁ。

 初動型チャートアクションの曲は、一般的には後々まで残らない。すぐ忘れ去られる運命の曲・・・って言うのが、個人的な考えだったからさぁ。
 33年前の曲が、現在まで「支持」されている・・・って言うところをみると、今までのワタシの考えは、必ずしも当たってないんだよなぁ・・・・。ショック〜 ショック(by 「透明人間」ピンクレディー)
 

うーん、逆に考えると、当時としては、ハイパー過ぎたのかなぁ、この曲。サウンドがさぁ。

今聴くと、超おおげさな曲なんだけど、以前も書いたように、あの当時は「ヨーロッパ系」のカンツォーネとかフレンチポップスがヒット曲の主流だったから、今聴くと、笑っちゃうくらい大げさな曲もありだったんだよね。

 それにしても、この曲ほど「絶叫型」の曲は、他にはなかったからなぁ。この曲の最後に行くに従って「絶叫」するパターンは、作曲の馬飼野康二氏の真骨頂なメロディ進行だったからねぇ、まさに馬飼野氏の本領発揮な曲な訳だけども。

 それに応えるように、この曲本気で歌えるのは、秀樹しかいないよね。

 間奏の「ローラ ローラ ローラー」って絶叫するところは、これ普通、カラオケぢゃできないですよ〜、恥ずかしくって。

 音域的には、キーは、それほど高すぎることはないから、普通に歌う分には、それほど難しくないんですよ、この曲。

 うん、同じ馬飼野氏作曲で絶叫型の松崎しげる「愛のメモリー」に比べたら、ぜんぜんキーは低いしさ。

 でも、やっぱり「ローラexclamation ×2exclamation ×2」って絶叫するのは、シロートには、ちょっと勇気いるなぁあせあせ

 バカにならなきゃ歌えないよね。でも、なかなか人前だとバカになれないんだよなぁ。


 そういう点でも、やっぱり西城秀樹って言うヒトは、プロのアーティストだよなぁ・・・って思うなぁ。
 これほど、ワイルドに感情込めて歌えるヒトはそうそういないもんね。


 あ、上で、この曲のサウンド「ハイパー」過ぎたのかなぁ・・・っていうのは、この曲イントロで、シンセ使ってるんだよね。
 もちろん、モノフォリックで単音だけなんだけどさ。そういう意味でも当時としてはハイパーな曲だったと思うなぁ。

 でも、だからこそ、長い間、支持されているのかもなぁ。今聴いても古くないもんね。



 ちなみにですが〜・・・・・・。
オリコンでベストテン入りは6週間だけだったけど、ベスト100では24週ランクイン・・・と、西城秀樹としては、現在までも含めて最長のランクイン曲なの。。。。
(ちなみにちなみに、「YOUNG MAN」でさえ、ベスト100ランクインは21週止まり)
 ・・・ということで、ヒットの「ピーク」は短かったけど、結局のところロングヒットだったんだよねふらふら

 とりあえず、ワタシの持論は保たれた・・・・・かなふらふら



 74年当時の動画があれば、ベストだったんだけど、さすがにヒットしてた時期のフルコーラス動画はなかったなぁ。 なので、すこし時代は下ってるけど、フルコーラスバージョンで。


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追憶 / 沢田研二

1974_09_追憶_沢田研二






今回の1曲セレクトは、「追憶」沢田研二です。

 まずはデータです。

・タイトル     追憶
・アーティスト   沢田研二
・作詞       安井かずみ
・作曲       加瀬邦彦
・編曲       東海林修
・リリース日    1974年7月10日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    57.9万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年7月22日〜10月7日付


 今回の1曲セレクトは、ちょっと困ってたんだよねぇ。。
 最初書こうと思ってた曲、8月21日リリースだと思ってたら、1ヶ月リリース間違ってた。。。9月21日リリースだったんだよね。
 うーん、書くにはちょっと早いわな

・・・と言うことで、急遽、別の曲に。。。 その曲は、その頃になったら改めて書きますわ。

 で、まあ、折角、「空き」の日になったので、たまには、今まであんまり書いてこなかった時代の曲を一つ・・・と思い、

 追憶  /沢田研二

を引っ張ってきてみました。

これ読んでくださっている方のどのくらいが、この曲知っているのかなぁ・・・と思いながらも、まあ、たまには、あんまり書いてない時代の曲もいいよね。

 フレンチポップス風、あるいはカンツォーネ風のいわいるヨーロッパ系のヒット曲っていうのも、すでに「絶滅」した感がありますよね。
 ヨーロッパったら、UKしかないでしょ最近は。

 最近のヒット曲で、フレンチポップス系風の曲なんて聴いたことがない。

 一番近いって言ったら、多分、シブヤ系がそれに近いのかもしれない。
 それでも、いまやシブヤ系っていうのもすっかり過去の産物になってしまったし、考えて見れば、フレンチポップス、カンツォーネなどのヨーロッパ系な曲は、70年代歌謡曲の産物だったんだよね。

 その真っ只中だったのが、73年〜74年頃だったんではないかなぁ。

 方や4畳半フォークが流行る、一方で、ヨーロッパ系が流行り、そのまた一方では演歌も強かった・・・っちゅう、かなりのごった煮状態のヒット曲界だった。

 だから、面白かったともいえるんだけど、今考えて見れば、4畳半フォークって、とってもミクロな世界な歌だったじゃん。重箱の隅をつついたような世界があって。 そういう意味では、演歌の世界に近かったのかもしれない。

 方や、フレンチポップスは、無限大の広がり感があったんだよね。
 少なくともワタシは、そう感じたなぁ。

 ワタシらの世代だと、ジュリーといえば、77年の「勝手にしやがれ」以降のいわいる「気障」路線からしか、タイムリーには知らないんだけど、それより前の73〜74年ごろは、フレンチポップス路線で勝負してたんだよね。
実際73年11月にリリースした、「魅せられた夜」は、向こうの曲だし、75年5月の「巴里にひとり」は、フランスでもリリースされて、フランスのヒットチャートにもランクされていたりする。

最近では、きゃりーぱみゅぱみゅとかアニメソングがフランスでも人気というけど、ヒットチャート上位に上がるほどではないですよね。 

そういう意味でも、フレンチポップスには気合を入れていたんだよね、このころのジュリーって。

 その中でも最もヒットしたのが、今日引っ張ってきた、「追憶」ですね。

 なにせ、オリコンで1位獲得してるしね・・・って、きっと、知らない方も多いと思うんだけど・・・。
 ジュリーの代表曲・・・ってなっても、なぜか、この曲は外されちゃうんだよなぁ。
 ジュリーの初期の代表曲は「危険なふたり」っていつもなっちゃうんだよね。

 でもでも、こういう「名曲」もあったって事を忘れちゃねぇ。
 一応、74年のレコード大賞の歌唱賞部門では、この曲がノミネートされていたんだよねぇ。


 この曲は、フレンチポップスって言っても、作品は、作詞は、このころのジュリーをずっと担当していた安井かずみ女史、作曲は同じく加瀬邦彦、アレンジは東海林修っていう、フレンチ路線のころは、この方がずっとアレンジを担当してたんだよね。

 でも、正直、どこから聴いても、この曲はフレンチポップスだぞよ。
 まず、あのころの日本の歌謡曲臭さが見られない。

 まあ、確かに、歌詞の内容はクサイし、兎に角「大げさ」な曲展開なんだけどさ、この「大げさ」さがたまらないわけです。

 いや、この臭さ、大げさ感がキライっていう人には、ちょっとツライだろうけどなぁ。

 最近、この手のヨーロッパ系が流行らないのは、この「クサさ」「大げさ」さが、どうも・・・っていうヒトも多いからんんだろうなぁ。
・・・というより、やっぱし、UKかアメリカンが強いから傾向的にそうなんだろうね。

 個人的には、フレンチポップスもカンフォーネもいわいる「邦楽」との相性はいいと思うし、だから、もっと出てきてもいいとは思うんだけどなぁ。
 まあ、カンツォーネを歌いこなせるだけの歌唱力をもったアーティストも、今の時代、なかなかいないけど。。。

 まあ、今の時代、作り手がほとんどUK&アメリカンで育った年代だから、フレンチポップスの時代を知らないからかもしれないんだけどさ。


 大げさといえば、最近では、アニメ系でも大げさな曲がちょくちょく見かけるな。
それでも違和感は感じなかったし・・・。ぜひ、フレンチポップスを取り入れてみてくだされ。


 そういえば、この曲のタイトルは「追憶」だけど、海の向こうでも映画「追憶」のテーマ曲、バーブラ・ストライサンドの「追憶(The Way We Were)」が大ヒットしたのも、この年、1974年だ。




 もちろん、同名異曲なんだけど、ちょっと紛らわしいかもな。
 あ〜、だから、今になって、ジュリーは、あんまり表に出さないのか? この曲。
 ちなみに、個人的には、バーブラ・ストライサンドの「追憶」も大好きです。



音、悪いけど、フルコーラスの動画がこれしかなかったんで、一応リンク
途中「知事選」のテロップが入るけど気にしないでください




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ひと夏の経験 / 山口百恵

1974_08_ひと夏の経験_山口百恵

 






今回の1曲セレクトは、「ひと夏の経験」山口百恵です。

まずはデータです。

・タイトル     ひと夏の経験
・アーティスト   山口百恵
・作詞       千家和也
・作曲       都倉俊一
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1974年6月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売り上げ枚数  44.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年6月17日〜9月2日付

 あー、もうすぐ夏が終わる・・・というのに、なんか書き忘れてる曲があるな・・・っていうモヤモヤがここんところあったんだよね。で、昨日1日考えてて、思いだしましたよ。

そうだ、山口百恵の「ひと夏の経験」ですよ。

 この曲、これまで書いてて当然・・・っていうくらいインパクトがあるはずなのに、10年前にmixiに書いてた時代から書いてなかったんだよね。
そう言う事もあってか、ついつい書き忘れてた1曲ですわ。

↑のデータからも分かるように、8月終わりのこの時期は、すでにヒットのピークを過ぎつつあったんだけど、兎に角、夏が終わる前に書いておこうか・・・と、本当は別の曲をセレクト使用と思ったんだけど、急遽、予定変更してきました。


この曲と言ったら、なんと言っても出だしの

♪ あなたに 女の子の 一番大切なものをあげるわ〜 ♪

っていう部分ですよね。

女の子の一番大切なものをあげる  ・・・っていったい何をあげるのか  なんて、真面目に議論していたりもするんだけど、まあ、率直に考えれば「アレ」ですよね

本人は「まごころ」とか、うまく交わしてたりもするけど、 サビの最後に

♪ 誰でも一度だけ経験するのよ〜 ♪ って言う文句に繋がるなら、「アレ」しかないよなぁ・・・。80年代風に言えば「B」とか「C」とか

でもですよ。やっぱり衝撃的だったんですよ。この歌詞は。

ここでも何回か書いたけど、、それまでの70年代アイドルって言ったら文字通り「偶像」だったわけじゃん。
そそそ、もともと「idol」って言う意味は「偶像」とか「聖像」っていうことですから。
 それこそ、今で言う「ネ申」ですよ。 よく、アイドルは「ウンコしない」とか「霞食って生きてる」とか、この世の人じゃないような「神」のような存在でしたから、「下ネタ」を連想するような曲は、一種のタブーだったわけですね、それまでは。

 まあ、間接的にとか、よりソフトな「A」的な歌詞はあったにせよ、この曲ほど直接的なっていうのはさ。

あ、でも、山口百恵の場合、この曲の1年前にリリースした「青い果実」も近いものがあったか。

♪ あなたが望むなら、ワタシ 何をされてもいいわ〜 ♪ ってあったからなぁ。

 それを考えたら、このヒトの場合は、当時としてはキワドイ路線の曲を歌っていたわけですよね。 
よく、「青い性」とかのコトバで表現されていたりしたしね。

それでも、「青い果実」の時、それほど衝撃的に扱われずに、この「ひと夏の経験」でセンセーショナルなあつかいになったのは、間の1年で、かなり大人びたからじゃないかなぁ、山口百恵って。
 
今VTRを見ると、「青い果実」の時は、まだあどけなさが残ってたし、ウタもたどたどしさがあったりしたしな。その上で、「青い性」を歌っていても、それほど現実性って感じなかったと思うんだよね。
 でも、この「ひと夏の経験」を歌う頃には、アイドルとして、大分成長してたしね。歌も1年で大分達者になってたからなぁ。まあ、後年の「凄み」っていうのは、まだ、感じなかったけど、この時、中学3年でしょ。中3のアイドルとしては、達者だったと思いますよ。

 そう言うところから、この曲の歌詞に現実味が感じられたんだよね。 もちろん、歌詞だけじゃなく、この曲独特の、緊張感漂うメロディもアレンジも良かったんだけどさ。

 この曲の作曲は都倉俊一氏。 都倉氏っていうと、どうしても、70年代後半のピンクレディーとか、70年代前半でも山本リンダとか、とかく、テーマパーク的なメロディって言うイメージが先行しちゃうんだけども、こえいえシリアスなメロディも書けたんだよね。
だから、ここまで話題になったし、実際大ヒットにつながったんだと思いますね〜。

 ちなみに、この曲の44万枚の売り上げっていうのは、ここまでの山口百恵で、ダントツに売れた曲であり、この曲によって実質的な大ブレイクを果たした訳なんだよね。 この曲以降は、一部の曲を除いては、軒並み30万枚以上をコンスタントに続けていくことになるわけだから。

 そう言う意味でも、後年の「菩薩・山口百恵」を形作った、1曲でもあるんじゃないかなぁ。




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ポケットいっぱいの秘密 / アグネス・チャン

1974_07_ポケットいっぱいの秘密_アグネスチャン







今回の1曲セレクトは、「ポケットいっぱいの秘密」アグネス・チャンです。

 まずはデータです。

・タイトル    ポケットいっぱいの秘密
・アーティスト  アグネス・チャン
・作詞      松本隆
・作曲      穂口雄右
・編曲      東海林修 キャラメル・ママ
・リリース日   1974年6月10日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   22.3万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1974年6月24日〜7月22日付


 えー、今回の1曲セレクトは、思いつき!
 えー、いつものごとく、初め「書こう」と思ってた曲のリリースが「8月」だったのどぇす。。。
 
 むー、まだ、早い。。。

 ・・・ちゅうことで、またまた急遽変更exclamation

 
  初めに書こうと思った曲は、来月に改めて。。。



・・・ということで、過去のオリコンのランキングをペラペラペラ・・・と、めくって、探してましたら・・・、あ〜あったあった。。

・・・と思いまして、持ってきた曲が、アグネス・チャンの「ポケットいっぱいの秘密」だったりしてあせあせ


・・・また、よくわからん曲を・・・あせあせ

 アグネス・チャンといったら、

 ♪ おっかの上 ひなげしのはなげ〜 ♪ の「ひなげしの花」

 か

 ♪ いねむりしてたのいつか 小川のせせらぎ聞いて〜 ♪ の「草原の輝き」に相場決まってるじゃん。。

 ・・・とか言われそうだわね。。


 あー、確かに、そうなんだけど、「今」の時期に、丁度ヒットしてたのが、「ポケットいっぱいの秘密」だったもんで・・・。


 でもねぇ、この曲、この年の「紅白」でも歌ってたりして、とりあえずは、アグネス・チャンとしては、この年を代表する曲なのよ。。あせあせ


 えー、曲はですねぇ、もろ、カーペンターズの「TOP OF THE WORLD」のパクリでっす。。。ふらふらふらふら


・・・と言っては、元もこもないので・・・。


 えー、この時期の日本の、アイドルポップスでは珍しい、「カントリー」を下敷きにした曲です。。。
 (・・・と書いてお茶を濁しておこう)

 
 なんて、オチャラケて見ましたが、でも、「初夏」っていう季節感を考えると、いい感じだよね。
 うーん、もうちょっと、時期的にリリースが早くてもよかったかな・・とも思えるけど、当時の「ローテーションリリース」を考えたら、「6月」っていう時期でも、しょうがなかったかなぁ。。

 何分、3、6、9、12月の「四半期最終月」にリリースされるってことは、「最も期待されてる」看板アーティストの証でもあったわけで。。


 ところで、この曲の作詞は、70年代後半から80年代を代表する作詞家の松本隆氏だけど、73年に「はっぴいえんど」を解散後、作詞家に転進して、初めてヒットした作品がこの曲ですね。

 まだ、「はっぴいえんど」の影響が残っていたか、歌詞に「ひらがな」を多様してたのは、松本氏らしいところなんでしょうかね。

 ただ、だからなのか、内容的には、まだ、80年代の「ブランド」を確立したようなクオリティの高さっていうのは、感じないけど・・・

 めっちゃシンプルなんだけどね。誰でもかけそうだけど、書けないんだろうな。


 ♪ ひみつ・・・ ないしょにしてね・・・ ♪


 っていう、出だしの歌詞って書けそうで、書けないと思いし・・・

 例えば・・4分音符が 3つ並んでたとしてもさ、そこから「ひみつ」っていう言葉を当てはめられるか・・・っていえば、やっぱり、松本氏のセンスだと思うし。。。


 曲は、後にキャンディーズの一連の曲の、作曲で有名な穂口雄右氏。

G.Sのアウトキャスト解散後、放った、やっぱり最初のヒット曲ってことになるのかな・・・。

 まあ、穂口氏の場合、渡辺プロに所属していた関係で・・・ってところも大きいでしょうけど。


 プラス、バックで演奏しているのは、キャラメル・ママっすよ。

 うわ、至極豪華。。。

 なに? 知らない?  当時、ユーミンのプロデュースとバックバンドを固めてた音楽ユニットっすね

 メンバーは、松任谷正隆(Key)、細野晴臣(B)、林立夫(Dr)、鈴木茂(G)の各氏。

 今だったら、こんなメンバーだったら、ギャラの総額はおいくらだろう・・・とか考えてしまうような。。。


 うん、まだ、みなさん、「駆け出し」時分だったから、格安でやってたんだろうね、「食う」ために・・・ふらふら


 ちなみに、ドラムの村上ポンタ氏によると、キャラメルママの面々は、合宿しながらダラダラと音楽を詰めていくの方法が主体だったようで・・・。 あー、それでギャラを跳ね上げてた・・っていうところもあったようですがふらふら

 さすがは、「おぼっちゃま」集団でありまするあせあせ

 その辺の「品のよさ」っていうのは、音にも出て来てますよねぇ。

 この曲、確かに「カーペンターズ」の「パクリ」なんだけど、音の品のよさは、当時のほかのアイドル曲に比べても、すぐわかるほどのクオリティだったりしてね。




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