かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1974年

旅愁 / 西崎みどり

1974_12_旅愁_西崎みどり


今回の1曲セレクトは、「旅愁」西崎みどりです。

まずはデータです。

・タイトル    旅愁
・アーティスト  西崎みどり
・作詞      片桐和子
・作曲      平尾昌晃
・編曲      竜崎孝路
・リリース日   1974年8月1日
・発売元     徳間音工
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   58.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年11月18日〜1975年2月10日付
・タイアップ:朝日放送「暗闇仕留人」エンディングテーマ

前回の五輪真弓「リバイバル」もそうだったけど、ここのところ、初めて聴いたのはいつ、どこで出会ったのか、全く覚えていない曲が続いている。今回の曲もそうだなぁ。

西崎みどりさんの「旅愁」。

この曲、はっきり覚えているのは、1991年〜1992年のナイターオフシーズンに、ニッポン放送で半年放送されていた、「オリコンベストヒット500」で流れた時ですね。

この番組、いつかも書いたけど、1991年夏に当時コンシューマー向けに毎週発行されていた「オリコンウイークリー」の創刊600号を記念してオリコンウイークリー誌上に掲載された、当時のオリコンシングル歴代TOP500と連動した企画のラジオ番組で、半年かけてオリコンシングル売上げTOP500をカウントダウンする「壮大」なランキング番組だったんだけどね。
この曲の売り上げ58.1万枚は、1991年夏の段階でたしか301位〜400位台だったと思う。
(あいまいでメンゴ。あの時のオリコンが手元にあればよかったんだけど、30年分の膨大なオリコンウイークリーの山に埋もれてしまってマス。。。
だから、当然この番組でも放送圏内だったし、そのとき意識して初めて聴いたわけだ。

でもね・・・。

この間の五輪真弓「リバイバル」と同じなんですよね。 初めて聴いたはずなのに、メロディを聴いたとたん、「あ、これ」とめちゃくちゃ懐かしい気分になった。

初めて聴いたはずなのに、どこかで聴いたことがある。でも、どこで聴いたのかはっきり思い出せないのがもどかしい感覚。

あれから30年近くたっているんだけど、この時の感覚はいまでもはっきり覚えているな。

これは、いまでも変わらないんだけども、この曲を聴いてフラッシュバックしてくるのは、まだ、福島・いわきにいた頃の映像だ。
当時5歳だったころの私が感じていたような画像・色彩。

ということは、やっぱりあの頃(5歳当時)どっかでこの曲を耳にしていたのかもしれない。

この曲は、朝日放送のドラマ「暗闇仕留人」という、「必殺」シリーズ第4弾のエンディングテーマではあったけど、さすがに「必殺」シリーズを見ていたわけではないよなぁ。
「テレビドラマデータベース」というサイトで調べてみると、このドラマは毎週土曜日の22時〜22時50分放送とある。
さすがに5歳で22時過ぎまでは起きてなかったしなぁ。 
当時で覚えているのは、21時前のニュース。福島ではFTV(福島テレビ)ニュースだったけど、これ「うすい百貨店」の1社提供でさ。
ニュースの前に「うすいデパート」のテーマ曲が流れるの。♪デートもうすい 夢のデパート〜♪って曲、当時福島県民だった方、覚えてないかなぁ。 
あの曲が流れると、「寝る時間」っていう頭があったんだよね。そそそ21時には寝てたわけよ。
・・というか、今もあのテーマ曲流れるんでしょうかね  
福島から千葉に越して来て38年。あのテーマ曲は、未だにしっかり覚えてるんだけどね。

あー、話がずれた。。。。

この「旅愁」、いずれにしても、1974年と言う時代を彷彿させるような曲調ではありますよね。
簡単に言えばモロ「歌謡曲」。

ただ、1960年頃までの演歌調の歌謡曲ではない。 濡れているんだよね。
ストリングスをふんだんに使ったアレンジ。 特に間奏部のストリングスによる迫りくるようなトレモロは、もろクラシックを彷彿とさせる。 しかもハープまではさんだりして、至極豪華なアンサンブル。
・・・なんて書くと、いかにもヨーロッパ系のサウンドを思い起こしてしまいそうになるけど、そうじゃない。この曲は、あくまで「ジャパニーズ」スタイルなんだ。

なぜか・・。

やっぱりメロディラインが日本的なんだよね。 あからさまな4、7抜きの演歌調ではないんだけども、和のテイストを感じさせるメロディ。 日本語がメロディに乗るというのは、こういう事なんだろうという見本のような。

先日逝去された、筒美京平氏は、よく洋楽的なサウンドと言われたりするけど、70年代前半頃までは、メロディラインは日本的なものも多かった。 例えば、いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」とかさ、洋楽的なサウンドに小唄調のメロディなんて言われるわけじゃない

そういう和洋折衷、 洋楽的なオシャレなサウンドに醤油をかけたようなメロディ⇒70年代前半の歌謡曲の本流 だと思うのね。

それを考えると、この曲はその本流な曲なんじゃないのかなぁ。

ただ平尾昌晃氏っていうのは筒美京平氏よりも、この「和風テイスト」具合がより強いんだよね。
筒美氏のサウンドはバタ臭いという表現で言われるけども、より醤油風味の強い平尾氏の曲はそんな風には言われない。
だから、今聴くとどうしても「演歌」テイストに聴こえてしまう。 というか、今だったら完全に「演歌」というジャンルに入れられてしまうだろう。
でも、あの時代は、バター風味の強い曲よりも、より醤油風味の強い曲の方が支持された。 そういう時代だったんだよね。

いずれにしても今考えると1974年と言う時代は、そんな和風テイストな「歌謡曲」が最も支持された、いわば歌謡曲全盛の年ともいえるんじゃないのかなぁ。 そもそもオリコン年間ミリオンセラーシングルが4枚も出たのもこの年が初めてだったし、
この「旅愁」が58万枚も売れたのも、歌謡曲系を中心にレコード売れ行きが好調だった、この年ならではの流れだったんじゃないかとも思えたりするんだよね。

ただ、身の丈以上に売れた後は、その反動が来るわけで、翌1975年は一転してレコード売り上げは下がる。
もっとも、この間に「歌謡曲」から「ニューミュージック」へという時代の転換も起きたわけでさ。
身の丈以上の売れ方、つまり一つのジャンルの成熟は、次のムーブメントの始まりでもあるんだよね。
歌謡曲においても、和テイストの歌謡曲よりも、よりバター風味の強い「歌謡ポップス」への転換が進んだ時代。
1974年から1975年でのヒット曲傾向の変化は、こんな転換期をよく表わした現象でもあるんじゃないかなぁ。

この「旅愁」っていう曲は、その転換期端境期の曲であり、つまりは70年台前半の和テイスト「歌謡曲」全盛期の最晩期の曲も言えるんだよね。



西崎みどりさん、この時14歳。中学2年生だって。
・・・ということは、今、まだ60才、還暦を迎えたばかりですよ。
この曲、今から46年前のヒットでもあり、今、すでに70過ぎですか・・なんていう印象もあったりするんだけど。。。。
それにしても、落ち着いていますよね。 落ち着いているというよりも大人っぽいといった方がいいのかなぁ。実家が日舞の宗家で、小さいころから芸能の道に入ったっていうこともあるからかでしょうかね。
そういえば芦田愛菜も、どことなく似たような印象があるなぁ。


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甘い生活 / 野口五郎

1974_11_甘い生活_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「甘い生活」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル    甘い生活
・アーティスト  野口五郎
・作詞      山上路夫
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1974年10月20日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   49.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年11月4日〜1975年1月20日付

筒美京平氏が亡くなって1か月余り。
ヒット曲を聴き始めて42年が過ぎた私にとっても、切っても切り離せない存在だっただけに、やっぱりデカい出来事でしたね。
そういう影響もあってか、ここ1か月余り1曲セレクトがなかなか書けない状況にあったんですが、引きずってばかりいてもいけない・・・と徐々に思えるようになり、ようやっと筆を上げる気分になりました。

そうは言っても、今回はやっぱり、筒美京平氏の曲で行きたいわけで、この曲を引っ張ってきました。

野口五郎 「甘い生活」。

テレビの筒美氏追悼番組を見ていると、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」、ジュディ・オングさんの「魅せられて」・・といった。筒美氏の代表曲ばかり扱われていたようで、この曲なんかはついぞ出てこなかったような気がするけど。。。

それでも、オリコン1位を獲得したれっきとした大ヒットなんだよね。

いや、そればかりではなく、野口五郎氏の初のオリコン1位獲得曲であり、しかも、野口五郎氏のシングルの中で最高売り上げを記録した曲でもある。

そう書くと、今となっては意外かもしれないな。

野口五郎氏といったら、どうしても「私鉄沿線」が最も「売れた」曲のような印象が強い。
「懐かし番組」で野口五郎氏の曲として取り上げられるのも、大体が「私鉄沿線」だしな。

確かに「私鉄沿線」もオリコン1位を獲得してはいるものの、売り上げ枚数はこの甘い生活よりも4万枚ほど少ない45.3万枚にとどまっている。

つまりさ、野口五郎氏は50万枚ヒットを出せなかったんだよね。

同じ新御三家として、西城秀樹氏も郷ひろみ氏もクリアした50万枚の壁を唯一クリアできなかったわけだ。

「50万枚の壁」。 これについてもいつか書いたんだけども、70年代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのは壁だったんだよね。
郷ひろみ氏も50万枚の壁をクリアしたと言っても、70年代で50万枚を突破したのは、この「甘い生活」と同時期に大ヒットした「よろしく哀愁」だけだ。しかも50.6万枚とギリギリのクリア。
いや、西城秀樹氏も79年の「YOUNG MAN」が出るまでは、50万クリアは「激しい恋」の1曲だけだった。
新御三家に対して、中3トリオの森昌子さんはデビュー曲の「せんせい」、桜田淳子さんは、「甘い生活」と同時期にリリースした「はじめての出来事」、ともに1曲のみが50万枚クリアしている。

つまりあの時代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのはとてつもなく大きな壁だったわけだ。

そういう意味では、50万枚を5枚出している山口百恵さんの偉大さが際立つし、逆に新御三家、中3トリオの中で唯一、50万枚をクリアできなかった野口五郎氏は無念だったろうな・・なんて思えたりするんだけど。

ただ、こうしてみると、1974年の今頃から明けて1975年の冬にかけて、

・郷ひろみ「よろしく哀愁」
・野口五郎「甘い生活」
・山口百恵 「冬の色」
・桜田淳子 「はじめての出来事」

と、続けざまにオリコン首位を獲得し、併せてすべて売り上げ50万枚前後を記録していたわけで、今から考えると、新御三家、中3トリオ共に全盛期だったんだよね。

そんな新御三家全盛の1974年〜1975年にかけて新御三家の中で売り上げ的に一番安定した居たのが
実は野口五郎氏だったりするんだよね。
この「甘い生活」を皮切りに、5作連続でオリコン2位以上を獲得してたりする。

ベストテン世代で、「ザ・ベストテン」でともに1位を獲得した郷ひろみ、西城秀樹氏を見てきた私なんかは、いまひとつイメージがわかないんだけど、実はそうだったんだよね。

「甘い生活」。

いわいるフォークソングでいう「四畳半フォーク」的な、いかにもしみったれた、心の隅の一場面を切り取ったような、いかにもミニマムな世界観の詞の世界を、大げさすぎるほどのドラマティックな曲調で歌う。
いかにも1974年と言う時代を写し取っているような曲だよなぁ。

この曲と全く同じよう曲想であった、布施明氏の「積木の部屋」も同じ1974年の大ヒットだったし。

ただ違ったのは、筒美氏の曲調だったろうな。 「積木の部屋」は、もっとフォークに近かった。

けど、この「甘い生活」は、もろカンツォーネ的だった。 いやヨーロッパ的と言った方がいいかな。

でも、ヨーロッパ風曲調は、この時代のいわいる、ポップス系ヒットの一つの流行りだったんだよね。
73年の「魅せられた夜」に始まる、ジュリーのいわいるフランス系の一連のヒットでもそれは顕著だったし、同じ74年のヒットとしてヒデキの「傷だらけのローラ」にしてもそうだったわけじゃん。

そういう時代の流れを的確につかみ取り、四畳半フォーク的な日本人特有なしみったれた心情とうまく融合させた筒美氏の技が光る1曲だと思うなぁ。

この頃5歳で、物心つき始めたころの私にとっても、この時代の曲調って記憶の根底に残ってるしさ、だからなのか、ヨーロッパ系の曲調って懐かしさがこみ上げるんだよなぁ。
アメリカンなサウンドよりも、ヨーロッパ系、特にフランス系、イタリア系、北欧系のメロディラインであったり、サウンドは、個人的にはやっぱ好きなんだよね。

ま、もっとも、この次の年の1975年にポールモーリアっていう、もろヨーロッパ系の人に心酔しちゃったからねぇ。

そんなこともあってか、個人的にもこの「甘い生活」って曲は懐かしさがこみ上げたりするんだよなぁ。
もちろん、5歳だったんで意識して聴いてたわけじゃないんだけど。




1974年「第16回日本レコード大賞」作曲賞を受賞した熱唱の場面ですわ。
筒美京平氏自ら指揮を執ったという、昨今話題になった動画ですね。
当時、マスコミやテレビには一切出なかったいう筒美氏の超貴重な一場面ではないでしょうか。

野口五郎氏のブログによると、歌唱賞候補に落選、ただ筒美氏がこの曲で作曲賞を受賞という知らせを聞いたとき、スタッフからは出演するのを辞退しようという話が出たとか。

でも、筒美先生が受賞したんだから僕出ます・・と。

で、元々出演の予定がなかった京平先生が突如「五郎ちゃんが出るなら僕も出て指揮するよ!」とリハーサル無し、ぶっつけ本番で指揮をしてくれたのが、この時だったとか。


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危い土曜日 / キャンディーズ

1974_06_危ない土曜日_キャンディーズ


今回の1曲セレクトは「危い土曜日」キャンディーズです。

まずはデータですよ〜

・タイトル     危い土曜日
・アーティスト   キャンディーズ
・作詞       安井かずみ
・作曲       森田公一
・編曲       竜崎孝路
・リリース日    1974年4月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位   46位
・売上げ枚数   3.8万枚

先日ネットニュースでも大々的に取り上げられていたけど、元キャンディーズの伊藤蘭さんのソロプロジェクトが始動ってことで、1stソロアルバムが先週リリースされて来ましたわな。

キャンディーズ解散から41年ぶりの「新音源」ということで、さてどの位売れるのか・・・っていうのが興味があるところなんだけど、29日のリリース以来のオリコンデイリーランキングでは、アルバムランキングで10位前後を推移している。 このままいけば、今週のウイークリーランキングではベストテン内に入ってきてもおかしくなさそう。

なるほどぉ、キャンディーズ解散から41年たっても、やっぱり蘭さんって人気があるんだなって言うのを再確認したわけで。。。

いや、ちょろちょろネットニュースを見て、「これは・・・」と思ったのが、今回の蘭さんの音楽への「カムバック」の背景に、「全キャン連」がどうも一枚噛んでいるようで。。。

「全キャン連」⇒「全国キャンディーズ連盟」

そそそ、当時、「キャンディーズ」についていた全国組織の親衛隊ですわ。

まあ、当時のアイドルには親衛隊は必ず付いていたもんだけども、この「全キャン連」って言う組織()はそんな数あるアイドルの親衛隊の中でも結束力の強さはダントツだったわけですね。

なんせ、あの「ザ・ベストテン」で、人気最高時のピンク・レディーを1位から引きずりおろした「組織」ですから

キャンディーズ解散後の1978年当時「ベストテン」を見てた方には有名だけど、1978年4月、キャンディーズ解散後もベストテンの「1位」を続けていた「微笑がえし」が4月20日放送で、ピンク・レディー「サウスポー」に1位の座を奪われてしまう。

これを見た「全キャン連」の一部の方が奮起。 即座に「ザ・ベストテンで「微笑がえし」をもう一度1位にしよう」と言うキャンペーンを全国的に展開。ベストテンへのハガキリクエストを呼び掛け。次の4月27日放送分から3週にわたって、見事1位に返り咲かさせたエピソードが残ってたりする。

まあ、このキャンペーンが成功したのは、当時のベストテンの要素別配点は「ハガキリクエスト」が最も配点が高かったため功を制したとも言えるんだけども、そのくらい音楽界を動かす事が出来る結束力の強さがあったとも言えるんだよね。

だからねぇ、個人的には「全キャン連」にゃ、末恐ろしい力を感じちゃったりするんだよなぁ。

そんな「全キャン連」が、今回の蘭さんの復活に一枚絡んでる・・・となりゃ、やっぱりチャートの動きは気になってきちゃったりするんだけどさ。 ↑で書いたように次のウイークリーチャートでベストテン入り出来そうなところまで来てるってことは、やっぱ、未だにその影響力はデカイ・・・と認めざるを得ないかなぁ。

・・・なんて思ってる次第だったりしてね。


おーっと、前置きが超長くなっちまったわい。

そんな訳で、伊藤蘭さんが「復帰」した今週は、やっぱりキャンディーズのどの曲かを持って来たい。

・・・とは思ったものの、キャンディーズの「今頃」のヒットって、既に書いちゃったんだよな。 

さてどうしようかと思ってたら、いやいや1曲残ってたぞ。。。

「危い土曜日」

この曲、デビュー3枚目のシングルなんだけども、さっすがにねこの曲はしらねーぞって方も多い・・・だろうな、きっと。

そもそもこれを書いてるワタシでさえリリース当時の事はよく知らないんで。。。。

まあ、それもそのはず・・というかねぇ、キャンディーズリリースした18枚のシングルの中で、一番「売れなかった」曲。 それがこの「危い土曜日」だったりするのよね。

ランキング的にも、オリコン最高位46位。 俗にいう「左ページ」ギリギリですよ。
「左ページ」に入ってるだけどもヒットだよって言う見方もあるけど、ことアイドルにとっては、オリコン30位以下なんてのは、固定の熱狂的なファンは別として一般のヒトたちの認知度から言ってもヒットしてないのも同然って感じだからなぁ。

だからさ、知らなくても当然と言えば当然なんだけど。。。。

BUT、後年キャンディーズの「ベスト盤」を聴いてて、この曲に引っかかっちゃったんだよな、個人的に。

まあ、タイトルからして引っかかると言えば引っかかるんだけども、デビュー3枚目のシングルだから、当然デビュー曲の「あなたに夢中」のようなミドルテンポの軽いポップチューンが続くんだろう・・と思いきや・・・。

なんだなんだ? R&B的な黒っぽさが漂う、緊張感いっぱいのアッパーチューンな曲調は。

当時のアイドルの曲調・・特にシングルでは見られなかったR&Bっぽい黒っぽさ。これが特に引っかかっちゃったところかなぁ。

アイドルの中でも、お嬢様的、非力感が強いキャンティーズが、こんな曲調を歌う。 これだけでも、ある意味充分魅力的であるとは思いますけどね。 というか、まず普通は、思いつかないもの、こういうをやるって言うのを。

いや、最近ではこの手の、見た目からは全く想像がつかないようなアイドルっていうのは、いろいろいるけどさ。
70年代当時のアイドルって、ビジュアルから曲調って大体想像がついたりするんだよね。見た目からの曲想が裏切らないっていうかさ。

この曲は、完璧に裏切ってるなぁ。 でも、今となってはそこがいいんだろうな。

ただ、当時の水準から言えば、そこがウラ目だったんだろうね。 この曲がキャンディーズの中で一番売れれなかったっていうのは。

それにしても、作曲の森田公一氏が、こういう緊張感あるアッパーチューンな曲を書くとはねぇ。 いや、この曲の場合最も意外だったのは、竜崎孝路氏のアレンジと言った方がいいかな。
竜崎氏といったら、もっと演歌よりの歌謡曲って言うイメージが強かったんでね。どちらかと言えばもう一つ垢抜けない曲調って言うイメージだったんだよな。こういうR&B的な黒っぽいサウンドを作るとね。




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薔薇の鎖 / 西城秀樹

1974_03_薔薇の鎖_西城秀樹

今回の1曲セレクトは「薔薇の鎖」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル     薔薇の鎖
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       たかたかし (原案 斎藤優子)
・作曲       鈴木邦彦
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1974年2月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   33.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年3月11日~4月29日付

春と言うのに昨日は一時雪が舞ったりして季節が逆戻りした感じですわな。 一転今日は快晴ではあったけど風が冷たい1日でしたわ。
でも、陽の光は完全に「春」ですね。ついこの間までは陽の光も「冬模様」だったけど、季節は確実に進んでいる訳ですね。
そうだよな、3月も今週いっぱいなわけで、来週から4月だもんな。

でもさ、やっぱり、こういう時期になると、いくら「寒の戻り」ちゅうても、「春っぽい」きょくが聴きたくなるもんですわ。

・・・・ということで、今回の1曲は「春っぽい」曲を1曲。

西城秀樹「薔薇の鎖」。

うーむ、この曲は「春」っていうか、個人的には「初夏」っぽい匂いを感じたりするんだけど・・・。

でも、実際リリースは、2月の終わり・・・春を感じる時期だったし、Bメロの

♪空には明るい春の光が~ ♪ 

ってあるように、間違いなく「春」の曲ではあるんだけどさ。

それでも「初夏」を感じるのは、全体的なサウンドからなんでしょうかねぇ。

ミニコミ誌「よいこの歌謡曲」編集長の梶本学氏が絶賛している、ぶりぶりなサックスで始まるイントロからして、春っていうよりも初夏の温度感を感じたりするしな。

なんちゅうのかな、湿度感を感じるんだよな。 

春っていうと、もっとすっきりとしたストレートに「ポップ」を感じる曲調って言う頭があるんだけども、この曲は、ポップスというよりもロックだからさ。匂いは。

ニッポン放送ののサイト内にある「大人のミュージックカレンダー」によると、シンプルなオールデイズスタイルのロックンロールとある。

確かにこの表現に異存はない・・んだけど、でも、やっぱり、個人的にはちょっとイメージが違うんだよな。

え? 何が引っかかるか・・・っちゅうと、シンプルなロックンロールとウタっている点。

どうも、ロックンロールっちゅうと、個人的にはどうしても、横浜銀蝿的なスタイルを想像してしまう。

けど、この曲は横浜銀蝿っぽくないよなぁ。

ロックンロールというよりは、イタリアンツイストってイメージがあるんだよね。

まあ、ベースラインがそんな感じだから・・・って言うところからなんだけど。

80年代で言うと、三原順子の「セクシー・ナイト」とか、あの感じのベースライン。

でも、「セクトーナイト」ほど濡れた感じがしないのは、この曲がメジャー系だからか。 その点から言えば、同じ秀樹81年のヒットの「セクシーガール」に近いのか。。。

いや、まてよ「セクシーガール」は横浜銀蝿が作ってるんだよな・・・。

・・・とすると、やっぱ↑の「大人のミュージックカレンダー」でロックンロールと言及しているのは間違いないのか・・・。

なんか、堂堂巡り。。。。。。


この曲といったら、ヒデキのマイクスタンドのパフォーマンスって言われてたりする。
マイクスタンドを蹴りあげて歌うっちゅう、派手なアクションがキモっていう。

まあ、そんな風に文章で書くと、さぞド派手なアクションがあるんだろうな・・・・なんて、想像しちゃったりするんだけど。

いや、この曲をリアルタイムでは聴いて無かったワタシも、昔、そう聴いて、めっちゃ派手なアクションを想像した上で、実際の映像を見たら、思ったりも派手さがなくて、ちょっと調子抜けしたような記憶がある。

たしかに、マイクスタンドを蹴りあげるシーンはあったりするんだけど、そんな「伝説的」に言われるほどの事なのかいな  ってな感じで。  もっと派手なマイクアクションって他にもあったよなぁ、世良公則氏がツイストでみせてたマイクアクションとか 

でもさ、これでも74年当時としては画期的だったんだろうね。

それまでは、マイクスタンドを蹴りあげて歌う・・なんてアクションは、少なくとも日本のヒット曲ではなかった訳だから。。

・・・というか、蹴りあげたくても蹴りあげられなかったんだよね、重くて。

それまでのマイクスタンドって「鉄製」だったんだよね。 

ワタシ、小学生の時、放送委員で、学校にも鉄製のマイクスタンドがあったんで覚えてるけど、足の部分がスタンドが倒れないように丸い重しのようになってて、これがめちゃくちゃ重いのよ。とても、蹴りあげアクションなんでできない。 蹴りあげた途端、捻挫ですよ確実に。

ぢゃ、なんでヒデキは、こんなパフォーマンスが出来たのか・・・

っちゅうと、「大人のミュージックカレンダー」出来言及しているように、直前に見たロッド・スチュワートのショーからヒントを得て、アルミ製の軽ーいマイクスタンドを特注したからなんだよね。

・・・っつか、上に書いた事って ↓ で言及してたりするんで、今さらココで書くことでもないんだけど・・・



(ココでは再生が無効になってるんで、「この動画はYou tubeでご覧ください」。リングをクリックしてみてね)

いずれにしても、この曲の前後が、派手なアクションを魅せてたヒデキの「第1次」全盛期だったんだよね。
前年の「ちぎれた愛」から、5作連続で30万枚以上の売り上げを記録。

当時の水準では、特にアイドルでは30万枚が大ヒットの境界線って言われてた時代、5作連続で30万枚っていうのは、文字通りのスターだった訳ですわ。

ただ、個人的に言えば、ヒデキと言ったら、馬飼野康二氏の曲って言うイメージなんだよなぁ。
まあ、この曲もアレンジは馬飼野氏ではあるけど、作曲は鈴木邦彦氏なわけでさ。

鈴木邦彦氏時代の曲は、メロディライン今一つしっくり来ないんだよなぁ。 どうも前時代というか古さを隠せないと言うか・・・。 洋楽的なサウンドの中に、どこか「日本人気質」を感じちゃったりね。
これは、同じ70年代前半に一世を風靡していた森田公一氏もそう。

だからなのか、ヒデキの曲でもこの辺りは、一つ前の時代の・・・って言うイメージなんだよね、個人的には。




ちなみに、↑のデータで作詞に「原案」っていれたのは、この曲、もともと「平凡」読者から公募で募集され選考された歌詞を参考に、作詞家のたかたかしさんが詞を付けた曲なんですよね。

当時は、こんな「平凡」とか「明星」から歌詞の公募選考されたヒット曲ってあったんだよね。 タイガースの「花の首飾り」もそうだったしね。




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黄色いリボン / 桜田淳子

1974_06_黄色いリボン_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「黄色いリボン」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル    黄色いリボン
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      阿久悠
・作曲      森田公一
・編曲      森田公一
・リリース日   1974年5月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数 16.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年6月17日〜6月24日付

今年の梅雨は、ここまで「空梅雨」気味な関東地方でしたが、今日は一転、昼過ぎからシトシト雨な日曜日でしたわ。
そんな天気なんで、本来なら「雨」な曲を持ってきた方が良かったかもしれないけど、昨日、気持ちいい休みの日を考えて、曲を決めちゃってたんで、この曲をそのまま持ってきちゃいます。

桜田淳子「黄色いリボン」。

この曲、気持ちいいんだよなぁ。初期の桜田淳子さんの曲の中では、個人的には一番好きかな。
もちろん、超有名な「わたしの青い鳥」もいいんだけど、何分「手垢」がかなり付いてるからなぁ。それに比べて、この曲は、今となっては「死角」に入っている感じもするからさあ。

本来なら、この年初めての紅白出演で歌ったこの曲なんで、広がりを見せていてもいいんだろうけどさ。

今となっては死角に入ったような印象を受けるのは、この曲の売り上げに関係しているのかもな。
オリコンではベストテン入りしたものの10位ギリギリ。 売り上げも16万枚強でしたからねぇ。

80年代アイドルだったら、堀ちえみ、石川秀美クラスのヒット・・・と言う訳ですわ。
B級とは言えないでも、必ずしもA級とも言えない・・・その程度のヒット規模ですわな。
・・とすれば、今となっては死角に入ってしまっていてもしょうがないか・・・っていう気分にもなってきたりするんだけど。。

でもね、桜田淳子さんのこの頃までの初期の売り上げ推移をみると、こんな感じが続いていたんだよね。
10万枚後半程度。
前年73年の新人賞を悉く受賞し、新人女王って言うイメージ、プラスして例の、山口百恵さん、森昌子さんとの「中3トリオ」っていうネーミングまであった訳だから、さぞかし売り上げも高かったんだろう・・・っていうイメージもあるんだけどさ。実際的には、そんな状況だったんですわ。

そんな状況に風穴を開けたのが、この曲がリリースされたちょっと後にリリースされた、百恵さんの「ひと夏の経験」であり、淳子さんとしては、この半年後の「はじめての出来事」で初のオリコン1位を獲得となったことで、両者とも事実上の「本格ブレイク」となってからですよね。本当の意味でのスターダムを駆け上がったのは。

そんなこともありーの、この「黄色いリボン」って曲は、まだ本格ブレイク前の「純粋」な淳子さんが見れる最後の方の1曲なんじゃないのかなぁ。

ま、兎も角、曲は一片の曇りもない、本当に純粋かつポップな1曲だよなぁ。 本当なら、昨日までのようなカラッとした晴天下で聴くと気持ちいい曲なんだけどね。
個人的には、後年で言う「ハネ」系なイントロと、Aメロのメロディラインにはちょっと驚いたんだけどさ。
それにしても底抜けに明るいキャラクターを売りにしていた初期の淳子さんにはピッタリの曲だったと思うわな。
 今聴くと70年代でもちょっと古臭い、70年代前半の象徴のような曲が多い森田公一氏の作曲、アレンジにしては、他には見られない「新鮮さ」を感じたりしてね。 いや、だからこそ、この曲に引っかかったんだろうな。

この曲がリリースされた74年、ヒット曲界を見ると超大ヒットな演歌・歌謡曲が多かった年でもあり、歌謡曲全盛期と言える訳だけど、70年代も中盤に差し掛かり、ポップスに関しては少しずつ新たな試みが始まって来ていたんだよな。

ただ、Bメロ以降は、やっぱりちょっと古臭いよなぁ。この曲がリリースされた74年って言う時代にしても、それよりも1〜2年前のような・・・。お馴染みの安心感といえばそうかもしれないけど、Aメロほどの新鮮さは感じないんだよな。 そこがちょっと惜しいっちゃ、惜しいんだけどさ。




たださ、タイトルの「黄色いリボン」っちゅうのは、ドーンの「幸せの黄色いリボン」(Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree)のパクリだよね、ちゅうのはあからさまだよな・・・って感じもするけどさ
ちょっとハネ系で無条件に明るい曲想も、「幸せの黄色いリボン」に似てるっちゃ似てるしな。

まあ、穿った考えをせずに、もっと素直に聴けばいいんだけどさ。。



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ふれあい / 中村雅俊

1974_10_ふれあい_中村雅俊


今回の1曲セレクトは、「ふれあい」中村雅俊です。

まずはデータでする。

・タイトル    中村雅俊
・作詞      山川啓介
・作曲      いずみたく
・編曲      大柿隆
・リリース日   1974年7月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 126.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年7月29日〜11月25日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「われら青春」劇中歌

前も書いたかもしれないけど、長年ヒットチャートを見てくると、ちょっと信じられない現象に遭遇かる事がある。
・・・まあ、「遭遇」なんで大げさかもしれないけど。。
 それでも、自分がリアルタイムでヒットチャートを見始めた以前のチャート・・・そうね、ワタシだったら、1977年以前かなぁ・・・となるとさ、結局後付けで、チャートを見たわけじゃん。

だからね、実際の曲としては、曲の内容からこの位売れたのかなぁ・・・なんて想像でしかないんだよね。
その想像と、実際に売れた枚数が、大体近い時もあれば、全く「当て外れ」の時もある。

今回は、そんな想像とは全く「当て外れ」だった曲を持って来ましょうかねぇ。

中村雅俊「ふれあい」

当時、「青春真っただ中」だった方々・・・、そうだなぁ、今、還暦前後の方には懐かしい曲ですよね。 みんな知ってるよなぁ、流石に。
 そそそ、当時、1974年4月から、日テレの「青春ドラマ枠」だった、日曜20時〜21時で放送されていた、「われら青春」の劇中で流れて、超大ヒットしてた曲ですよね。
 以前、青い三角定規の「太陽がくれた季節」でも書いたように、70年代から80年代初めにかけて、日テレの日曜20時は「青春ドラマ」枠だったんですよね。NHK大河ドラマの真ウラなんていう一見「不毛」とも思える枠で、そこそこ頑張っていたんだから、やっぱ、当時は青春ドラマ、人気があったんだよね。

そして、ここは当時の若手男性俳優の登竜門・・・ということで、今回の「ふれあい」を歌った中村雅俊氏が主役だったわけですね。
 当時23歳。青春ドラマということで、まあ「高校」の先生役だった訳だけど、当時の年齢からして、ほんとうに兄貴のような年齢だったわけだわね。まさに「青春」だったわけですわ。

ただね、当時5才だったワタシは、もちろん、このドラマ見てたわけじゃなんで、ちょっとその辺の事情にはうといんだよな。

だからね、この曲にしてもこんな超大ヒットしてたっていのうが、ちょっとピンとこなかったんだよなぁ。

なんせ、中村雅俊氏のレコードデビュー曲にして、いきなりのミリオンセラー。126.5万枚も売れたわけでさ。
しかも、オリコンでは、74年8月19日〜10月21日付まで、「10週連続」の1位獲得・・・なんて大偉業だったわけなんだよね。

もちろん、デビュー曲でのミリオンセラーっていうのは、オリコン史上、当時としては、これが初めての快挙だったんじゃなかったっけなぁ。

この辺のチャート事情、個人的には信じられなかったんだよなぁ。

オリコン10週連続1位で、売り上げ130万枚弱といえば、寺尾聰の「ルビーの指環」と、ほぼ同じ規模のヒットと言う事になるんだよね。

どう割り引いても、「ルビーの指環」と同じ程度のヒットには感じないんだけどな。。。

この曲、個人的にも昔から知ってはいたけど、ミリオンセラーになるような曲には、どうも思えなくてさあ。


当時、ミリオンセラーと言ったら、ヒット曲でも特別なそん存在だった訳でさ、それだけに特別なオーラを感じたわけなんだけどなぁ、この曲は、そう言うオーラは感じなかったしさ。
 
 その前に、この曲、ワタシ、中学生の時、ワタシが変わってた中学校の「全校合唱曲」だったんだよな
その印象がどうも強くてねぇ。。
 当時は、なぜにこんなに暗い曲を歌わにゃいけんのだ・・・なんて思ってたもんだよなぁ。今から30年数年前の中学生にとっては、刺激が少なかったんだよなぁ、この曲は。

でも、それより丁度10年前では、この曲、ミリオンセラーになってたわけだから、10年の間でヒット曲も大分刺激が強くなった訳なんだよなぁ。
・・・なんて感じたりもしたよなぁ。 そのくらい、よく分かんなかったんだよね、この曲がミリオンセラーって言う現実は。まあ、あくまで個人的な感想だけどさ。

やっぱ、70年代前半は、フォークブームだったですからねぇ。そう言うブームの真っただ中にリアルタイムに居ないと分かんない事って多いですからねぇ。
 

ちなみに、1974年って言う年は、比較的ロングセラーが多い年で、年間に4作もミリオンセラーが出たんだよな。
1980年前半まで、長らく、シングルのミリオンセラーは、年に1作か2作っていうのが通常だったから、それからしてみれば、年間4作っていうのはミリオンセラーの豊作年って言えるだよね。
 まあ、この年は、演歌と、この曲と同様にフォークが強い年でしたからねぇ。 演歌がロングセラー傾向が強いのは、昔はも今も変わらない・・・って訳なんだけども、フォークっていうのも意外とロングセラーの傾向が強いんだよな。
 ジミーにジワーリと売れるんだよね。まあ、曲調からしてジミーにジワーリっていう傾向が強いからなぁ。だからね、意外とこれら両ジャンルともに似たところがあるんだよなぁ。




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想い出のセレナーデ / 天地真理

1974_10_想い出のセレナーデ_天地真理


今回の1曲セレクトは、「想い出のセレナーデ」天地真理です。

まずはデータです。

・タイトル    想い出のセレナーデ
・アーティスト  天地真理
・作詞      山上路夫
・作曲      森田公一
・編曲      竜崎孝路
・リリース日   1974年9月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数 32.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年9月16日〜11月18日付

いや〜気持ちの良い秋晴れですね。こんな「秋らしい」日は、今年初めてかもしれない。
こういう日は、やっぱり「秋日」を歌った曲を持って来たいもんです。

・・・と言っても、80年代の「秋の歌」って結構既に書いちゃったし、90年代以降は「季節感」ある曲も減って、秋っぽい曲も少なくなっちゃったからなぁ。
今回は、やっぱり70年代に遡ってみますか。

天地真理「想い出のセレナーデ」。

秋と言えば恋の季節。 今現在進行中の恋もあれば終わってしまった恋もある。
この曲は、「後者」を歌った曲ですね。 いわいる「傷心」ってやつで。。。 これも秋って季節はぐっと来るんですよね。
そんな終わってしまった恋心を綴ったこの曲、ではあるんだけども、思いドンヨリとしてイメージではなく、いかにも「秋の日」を連想させる日差しの中で想い出しているあの恋・・・・そんなイメージなのかなぁ。

個人的には、この曲は秋の日差しの中で聴きたい1曲・・・そんな感じなんだよな。

いや、そう感じるのは、オリジナルである、この天地真理さんバージョンだからなのかもしれない。

うん、個人的にこの曲を知ったのは、天地真理さんのオリジナルではなく、82年に浜田朱里さんがカバーしたバージョンなんだよな。
 浜田朱里さんバージョンについては、以前、既に書いちゃったんだけど、こちらは82年の冬の日にリリースされた・・・と言う事もあってか、基本的にはオリジナルに忠実なカバーではあるけども、ピアノのリフにさらなる物悲しさを感じるし、だから秋の曲というよりかは、「冬の日」の曲って言うイメージが強いんだよね。

だけども、オリジナルの天地真理バージョンは、もっと温かみのあるアレンジ。
その温度感が、冬の曲というよりは「秋」を感じる曲なんだよね。

ま、実際、秋の日・・・・今頃・・・がヒットのピークだったわけでね。

最近だからこそ、9月下旬になっても30℃を超えるような日がでたりしてるけど、昔、少なくともこの曲がヒットした、今から42年前なんてのは、10月にもなるとすでに寒いくらいだった・・・と記憶してるからなぁ。
 
記憶してる・・・なんてぼやかして書いてるのは、42年前は、ワタシャ、まだ5才だったからして、ほとんど記憶の外・・・だからなんだけどさ
 それでも、記憶に残ってる小学生の頃でも、9月下旬〜10月初めで既にかなり涼しかったと記憶してるし、今も残る当時の日記を見ても、そんなようなことが書かれてるんだよね。

ま、今住んでる千葉(首都圏)と、当時住んでた福島じゃ、気温の違いって言うのもあるけどね。

そうか、だからね、この曲、あの日差しの中で・・・を連想させるって書いたけど、田舎の秋の風景なんだ。
この牧歌的である種の平和感を感じるのは。すくなくとも都会の真ん中の・・・っていうイメージではないんですよね。

70年代の曲って、そんな感じの都会的・・・というよりは「地方」的なイメージの曲が多い・・っていうのは、今から思うと特徴かなぁ。少なくともニューミュージック勢が台頭してくる、70年代中盤以前は。
ユーミンなんかは、根っこにあるのは、そんな「地方感」からの反発と脱却だもんね。

でも、実際、当時のヒット曲はそんな牧歌的なイメージから、中心は都会的な・・・って言うところに移っては来てたんですよね。
 具体的に言えば、本当に牧歌的だった、第1次70年代アイドル・・・、具体的に言えば、この天地真理さんや南沙織さん、麻丘めぐみさん・・・あたりは、この曲がヒットしていた頃を境に、人気も下降線を辿って行く。

実際、天地真理さんも、この曲が最後でしたからねぇ、ベストテン入りした曲って。

そんな所から見るとさ、「あの栄光の日々」に対しての「想い出のセレナーデ」・・・なんて感じなくもないんだけどさ


70年代の「第1陣」アイドルとして、前年の73年なんて、あれだけスーパーな人気・・・・今のAKBなんか足元にも及びませんよね・・・を誇った、天地真理さんだけど、時代の流れは早かった・・というかね、下火になるのはあっという間だった・・・って言う感覚があるなぁ、今思うと。
第一線で活躍してたのは、72年〜74年までの正味3年間でしたからねぇ。


1974年って、昭和で言えば「49年」、つまり昭和40年代の終わりの年だったんですよね。
今でこそ、70年代、80年代、90年代・・・と「西暦」で年代を区切った見方が中心だけど、昔は「昭和」の年代で区切った見方もあったからなぁ。
昭和40年代、50年代、60年代っていう・・・。 そんな昭和の年代で区切ってみても、西暦で見た区切り方と同じような時代の変化がありましたからねぇ、少なくともヒット曲界に於いてはさ。

昭和40年代と50年代の境目という時代の変化。
ひとつが、上で書いたような、第1次70年代アイドルの人気の下降線と、第2次70年第アイドルへの世代交代。
第2次70年代アイドル・・と言えば具体的には、新御三家、(当時の)中三トリオ・・・ってところですね。
もう一つが、ニューミュージック(シンガーソングライター)の台頭ですね。

そんな時代の変化に、おいてけぼりを食らってしまった人の一人。 それがね、この天地真理さんだったんじゃないかなぁ。
今考えると、時代の変化について行ける・・・そんな器用さを持ってヒトではなかったし、なにより時代の変化のスピードが早かったですからね。
 それにアイドルっていう「ジャンル」が確立して初めての時代の変化だったわけで、そんな時代の変化にどう対応していくか・・・っていうノウハウが確立されていなかったってのも大きかったのかもしれないけどさ。

まあ、あくまで現在から、ヒット曲をクロニクル(変遷史)的に見た場合の話ですけどね。





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岬めぐり / 山本コータローとウィークエンド

1974_08_岬めぐり_山本コータローとウィークエンド


今回の1曲セレクトは、「岬めぐり」山本コータローとウィークエンドです。

ますはデータです。

・タイトル    岬めぐり
・アーティスト 山本コータローとウィークエンド
・作詞      山上路夫
・作曲      山本厚太郎
・編曲      瀬尾一三
・リリース日    1974年6月1日
・発売元    CBSソニー
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数 40.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年8月26日〜10月14日付

1週間・・・ぶりになるのかな? 1曲セレクト。
ブログで再開以来、1週間空けたのは初めてかもしれない。
いや特に怠けてたわけじゃなくてさ、今週は「仕事」、丸々1週間夏休みをもらってたんで、5日ばかり東北へドライブ旅行に出てたんだよね。
以前から計画してた、東北の日本海側をずっと北上して竜飛岬までのドライブ旅行。 実は2年前にも同じ旅を計画してたんだけども、1泊目の夜に持病の「痛風」が出て歩けなくなっちゃってさ、翌日、泣く泣く引き返してた事もあってさ。今回は、そのリベンジとも言える旅行でした。
 まあ、今週頭の「トリプル台風」もあって、果たして今回も竜飛岬まで辿りつけるんかいな ・・・っていうのは、心配だったんだけど、運よく2日目、秋田で宿泊中の夜に台風9号が通過してくれたおかけで、5日間軒並み「晴天下」での旅行となりました。天候的には最高でしたね。

日本海側を北上したかったのは、秋田から青森まで、白神山地の西海岸側をドライブしてみたかったっていのうが一番の理由でしたね。ここは白神山地から急激に日本海側に落ち込む、いわば崖沿いの道でして、それだけに景勝にも恵まれているというわけで、一度車で走ってみたかったのですよ。いわば「岬めぐり」って感じで。

ま、だからね、今回の1曲セレクトは、山本コータローとウィークエンドの「岬めぐり」で決定

めちゃくちゃ「ベタ」なんだけどさぁ、実は旅行中から、まずはこの曲・・・って決めてたもんでね

まあ、偶然と言うか作為的と言うか、ヒット時期が丁度今頃だったって言う事もありましてね。。。

いや、上で書いた、白神山地の西海岸沿いを実際走っている時、車窓左側に広がる、真っ青な海の色を見てたらさ、自然とこの曲が脳裏にプレイバックされてきたんだよね。

それじゃやっぱ持ってこなきゃねぇ


この曲のリリースは1974年(昭和49年)の6月だけど、当時は今のように、初登場で上位に来る事なんかほとんどなかったわけで、時間をかけてヒットチャートを上って来るのが「普通」だった訳でさ。
だから、この曲もご多分にもれず、ベストテン内に到達するまで約3ヵ月もかかってたりする。
オリコンで、ベストテン初登場したのが1974年8月26日付だから、今から丁度42年前ってことですわね。

ま、ここでは常々書いているように、リリースから時間をかけて、ヒットチャートをジワジワと上昇し、ベストテンまで辿りつくっていうことは、「ヒット曲」としては重要なファクターなんだよね。
 つまりは、「口コミ」で広がって行った、ヒット曲と言うなんだよね。そう言う曲が強いところは、売り上げが爆発的に多くなくても、より多くのヒトに浸透しているってこと。
この曲、売り上げは40万枚、オリコンでも最高5位と、特段、超売り上げが高い訳でも、オリコンで1位を獲得した訳でもないんだけど、いまでもみんな知ってる曲な訳じゃないですか。70年代フォークの代表的な曲でもるし。
つまりはエバーグリーンな曲って事なんですよね。
まあ、この曲に限らないけど、この時代、そう言う曲が多いんだよな。 それだけ、楽曲パワーが高かったんだろうし、広がりもあったんだろうね。

まあ、未だにエバーグリーンというのは、学校の音楽の教科書でも取り上げられているってこともでかいんだろうけど。。。


ところで、この曲のタイトルにもなってるいる「岬めぐり」って一体どこの「岬」を差しているんだろう
ってこと、よく言われますよね。
まあ、通説によると「三浦半島」の事を言っているらしく、wikipediaにもそう書かれてますけどね。

でも、個人的に、果たして東京からそんなに近い所を差しているのかなぁ・・・なんても思ってたりしてさ。

♪ 悲しみ深く 胸に沈めたら この旅終えて街へ帰ろう〜 ♪

ってあるじゃないですか。「旅を終えて街に帰ろう」ってあるわけで、果たして東京から2時間もあれば行けるところで、「旅を終えて〜」ってなるのかなぁ・・・・とかさ。

その他にも

♪ 砕ける波のあの激しさで〜 ♪ ってところでもちょっと引っかかってて、果たして三浦半島あたりで砕けるほど激しい波ってあるんかいな とか ♪ 窓に広がる青い海よ〜 ♪ってくらい青い海が車窓に広がるんかいな・・・とか、どうも「三浦半島」説だと、今一つしっくり来ないんだよなぁ。

まあ、作詞者の山上路夫氏が認めてんだからそうなんだろうけどね

でね、個人的には、この曲を聴くと、南房総の海が浮かんできてたんだよな、今までは。
実際、南房総の「野島崎」を挟んで「岬」をめぐるような形で、路線バスが走ってるし、所々、車窓から青い海が広がるしさ。
三浦半島よりも、絶対こっちだよな・・・・とか勝手に思ってたんだけどね。

でもさあ、今回、秋田から青森にかけて、日本海側沿いを走ってて、そんなことどうでもよくなっちゃったんだよなぁ。
もっとワイドな目線で見ると、今回走った日本海側の海の方が、はるかに「青い海」だったし、だから遥かに心に刻まれたしさ。

だから ♪ 悲しみ深く 胸に沈めたら この旅終えて街へ帰ろう〜 ♪ っていうと事も遥かに思えたしね。

そんなことも感じられた今回の旅は、個人的にも有意義な時間となりましたね。
通常生活の「もやもや」を胸に沈められて街に帰ってこれた・・・って感じかなぁ。



恐らく、TVK(テレビ神奈川)の「ヤングインパルス」ですよね、この映像。
以前も何回か、「ヤングインパルス」の映像をリンクしたけど、当時、まだ、キー局の音楽番組では取り上げてもらえなかった、当時は「若手」だったシンガーソングライターアーティストを積極的に取り上げた、今や伝説的な音楽番組ですね。
うん、当時は若手だったけど、今や「大御所」と言われるアーティストが数多く出演していた訳でさ。
あれから40年近く経ち、「若手」だった当時の映像を見るとなると、「ヤングインパルス」しかない・・・っていうことも多いですしね。

ちなみにメンバーは、

山本コータロー:Vo & G
森一美 :Key    
板垣秀雄 :B

の3名。

山本コータロー氏は、これ以前にも、ソルティシュガー(走れコータロー)などでもお馴染みでしたけど、「ウイークエンド」としては、この曲がデビュー曲()・・・・うんにゃ、ファーストシングルだったんですよね。



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激しい恋 / 西城秀樹

  1974_06_激しい恋_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「激しい恋」西城秀樹です。

まずはデータでする。

・タイトル     激しい恋
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       安井かずみ
・作曲       馬飼野康二
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1974年5月25日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   58.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年6月10日〜7月22日付

えー、野口五郎、郷ひろみ・・・と来たら、最後はヒデキを書かないわけにゃいけませんよね。うむ、新御三家。
というわけで、今回は西城秀樹氏の曲を持って来ましたわ。

と言っても、やっぱり、ヒデキもこの時期のヒットって意外と多いんだよね。 じゃ、何を持ってこようか・・・とおもったんだけど、今回は、この曲を。

「激しい恋」

うーむ、初期のヒデキの代表曲といってもいい曲ですよねぇ。
そそそ、例の ♪ やめろと言われても〜 (ハー ハー)♪ ですよん。ちびまる子ちゃんにも出て来ている

 この曲は1974年、昭和49年の今頃のヒットなんで、ワタシは5才になる前、4才10ヶ月でしたねぇ。
やっと物心がついた頃・・・って感じかなぁ。

 でも、この曲は歌ってましたねぇ、当時。 たしかドリフ、「8時だヨ 全員集合」でカトちゃんがパロってたんじゃなかったかなぁ。 それで覚えちゃったような気がするな。
 まあ、「曲」としてちゃんと聴いてたわけじゃないけどね。 個人的に、この曲となぜか「仮面ライダーV3」がセットになって覚えてるんだよな。

 なぜかっていうのは、よく分かんないんだけどさ 曲だって、全然関連性が無いんだけどさ。。
まあ、推測なんだけど、この「激しい恋」のイントロの「笛」みたいな音があるじゃん。 これが、「仮面ライダー」が出てくる時の音に聴こえたような・・・気もするんだよなぁ。
 
 ま、大人の今となっては「全然違うじゃん」って感じだけど、なにせ42年も前の話だし、まだ物心ついたばっかの頃だからねぇ。

ところで、今、この曲を聴くと、さっすがに古さは隠せないし、プラスセクションがダサいな・・・なんて思ったりもするんだけど、これでも当時はカッコ良かったんだよねぇ。ヒデキのアクションとかさあ。
 ま、今からすれば、もろ「70年代」っていうサウンドだったりするんだけどさ。御三家の中でヒデキの立ち位置は「ワイルドさ」ってことだったけど、この曲んなんかは、そんなワイルドさが良く出てたんじゃないかなぁ。

基本は、ブラスロックでしたよね。ヒデキの場合。底辺に、当時のシカゴとかチェイスあたりのブラスロックの匂いは微かにするんだけど、それでもまだ70年代の解釈・・・というかテクニック・・というかさ、70年代前半の歌謡ポップスの匂いが抜け切れない訳で、表面的には、まだまだ垢ぬけてないんだけどね。
 でも、そんな「歌謡曲」が抜けきれなかったのが、売り上げ的には良かったのかもな。 この曲は58万枚強も売り上げて、ここまでのヒデキの最高売り上げとなったわけなんだよね。
それでもオリコンでは最高位が2位。

うーむ、ヒデキの初期の代表曲なんだけどなぁ、それでも1位取れなかったんだよね。 まあ、それだけ当時のオリコン1位っていう地位の重さを表している訳なんだけどねぇ。

それと売り上げに反してベストテン入りが1月半ほどと、当時としては意外と短かったんだよね。これはちょっと意外だったな。 最高位2位と言っても週間売り上げは、そこそこ良かったようだね。
「ようだね・・・」っていうのは、当時の週間売り上げの資料が手元にないんでさあ、推測なんだけどさ。

ただ、それまで、僅かな例外はあったけど、アイドル系は50万枚が壁・・っていうのが通説だったんだけど、この曲は軽く、それをも破ってきたからねぇ、それだけ人気があった訳なんだよね。

ちなみに、この曲の次が「傷だらけのローラ」だったんだよね。 そそそ絶叫系の名曲ですわ。

馬飼野康二氏といえば、「絶叫系」っていうイメージがあるのは、やっぱり当時のヒデキとか、松崎しげる氏の「愛のメモリー」のイメージが強烈だったからだと思うんだけど、それに比べると、この「激しい恋」は、そこまでは絶叫系じゃなかったよね。まあ、サビの最後は、少し叫びきみなメロディになってるけどさ。

それでも、「傷だけらのローラ」の売り上げは34万枚と、この「激しい恋」に比べると、大分下がっちゃったからねぇ。 前回、郷ひろみ氏の「タブー」でも書いんだけど、牛乳も濃すぎると飲みづらいのと同じで、名曲でも曲自体が「濃すぎる」と、売り上げも伸びづらい・・・って言う傾向はあるよな(今でもあるかもしれない)





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やさしさに包まれたなら / 荒井由実

1974_04_やさしさに包まれたなら_荒井由実








今回の1曲セレクトは、「やさしさに包まれたなら」荒井由実です。

まずはデータです。

・タイトル    やさしさに包まれたなら
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1974年4月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 ランクインせず
・売上げ枚数  −枚
・タイアップ:映画「魔女の宅急便」より

先日、ユーミンの「ルージュの伝言」を書いたばかりなんだけど、またまた、ユーミンを引っ張ってきてしまいましたわ。
 しかも、同じ「魔女の宅急便」で使用されていたこの曲ですっ。

「やさしさに包まれたなら」

「魔女の宅急便」で使われていたっていうのが、「ルージュの伝言」とおなじなら、実はヒットしてた「時期」も同じなんだよね。
リリースは、1974年4月20日。 今から42年前の「今頃」ヒットしていた訳ですわ。

・・・とはいうものの、上のデータを見ても分かるように、オリコンでは100位内にランクインしてなかったのよ。だから、売り上げ枚数もカウントされず。実際どのくらい売れたのかもよく分かんない。

「魔女の宅急便」以来、今でこそ、頻繁にCMで使われ、多くのアーティストがカバーしていたるこの名曲も、リリースされた当初は、そう言う存在だったんですよね。

「ルージュの伝言」もそうだったけど、この曲も当時は「知る人ぞ知る」っていう隠れた名曲だった訳なんですよね。

1974年というと、オリコンのシングル年間ランキングで4枚のミリオンセラーが誕生した年。これはオリコンがスタートした1968年以来年間最多のミリオンセラーが出た年で、だから、概してレコード売り上げは好調な年だったんだよね。
 
それでも、この曲のチャートアクションがこういう状況だった・・・っていうのは、やっぱり、当時はまだ「歌謡曲」の天下だったって事なんですよねぇ。

ユーミンなどの、いわいる後のニユーミュージックって言う音楽は、少なくともシングルではインディーな存在だったって事ですよね。

ただ、ニューミュージック勢もアルバム売り上げは好調だった訳でね、ユーミンの場合、この「やさしさに包まれたなら」が収録された、2ndアルバム「ミスリム」の売り上げは26.8万枚(アルバムチャート最高位8位)なんて言う売り上げが記録されていたりします。

 ま、一口に26.8万枚と言っても今とは時代が違い、なんせ「LP」の時代ですからね。10万枚売れれば大ヒットと言われていた時代の26.8万枚ですから、充分に大ヒットだったわけですね。

つまりは、アルバムを通して、この曲は広まっていったいて訳で、もしかすると、シングルだったって事は知らない方も多かったんじゃないかなぁ。

でも、当時は、他のニューミュージック系アーティストの曲では、そんな感じでアルバム先行で実はシングル曲でもあった・・・って曲は随分多いんじゃないのかなぁ。


この曲、個人的に聴いたのは、いつだったろう? 「ルージュの伝言」多少覚えているんだけど、この曲は全然覚えてない。もしかすると件の「魔女の宅急便」だったかもしれない。
 
でも、なんか、不思議な気分になる曲ですよね。童心に帰っちゃう・・というか。 この曲がリリースされた1974年というと、ワタシは5才になるかならないかの頃ですわ。

でも、その当時の気分に戻る・・・っていうかさ、文字通り「やさしさ」に包まれたような気分になる。 まあ、だから、これだけ多くの方に支持されている曲になったんだろうけどさ。

ちなみに、この曲のレコーディングアーティストのメンバーは

・ドラム 林立夫
・アコースティックギター 吉川忠英
・12弦ギター  瀬戸龍介
・ベース 細野晴臣
・スチールギター 駒沢裕城
・キーボード 松任谷正隆

という面々。 まあ、基本当時のユーミンのレコーディングメンバーは、林、細野、松任谷、鈴木(茂)っていうキャラメル・ママを中心だったわけだけども、この曲の場合は、加えて、アコギで吉川、12弦ギターで瀬戸、スチールギターで駒沢・・・っていう面々が参加していたって訳ですわね。
(ギターの鈴木茂氏は、この曲での参加は無し)

 うん、先日、別途紹介した「日本の編曲家」っていう本にも登場してくる、トップスタジオミュージシャンの面々ですわ。

 兎に角も、駒沢氏のスチールギターが、この曲のキモだろなぁ。 基本、カントリー形式なこの曲に、あのスチールギターのフレーズが絡んでくると、獨独の物悲しさというか、情緒感が出てくる。

 まあ、こういう曲想は、当時はこの曲だけじゃなかったですけどね。例えば、カーペンターズの「TOP OF THE WORLD」はなんかは、もろそうだったじゃん。
そそそ、なんかね70年代前半って言う匂いがするんだよね。 

ちなみに、この曲リリース当時は、不二家の「ソフトエクレア」のCM曲だったんだってねぇ。 今、この曲を聴くと、70年代前半の匂いがするとか、当時の気分になるっていうのは、もとかすると、そのCMの記憶が残っているのかなぁ・・・、なんて思ったりして。
 まあ、4〜5才の頃のことなんで、まだきちんと物心も付いていない頃なんでさ、今となっては表だって記憶はないんでけどさぁ。





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