かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1973年

狙いうち / 山本リンダ

1973_03_ねらい撃ち_山本リンダ


今回の1曲セレクトは、「狙いうち」山本リンダでする。

まずはデータでする。

・タイトル    狙いうち
・アーティスト  山本リンダ
・作詞      阿久悠
・作曲      都倉俊一
・編曲      都倉俊一
・リリース日   1973年2月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   17.7万枚

WBCが感動のうちに終わりましたな。
いやいや、「日本野球」は強かった。正直、準決勝の対メキシコ戦では「負けた・・・」と思って途中で中継見るのやめちゃったワタシだったり。。。

最後まであきらめない心、がむしゃらさ、ひたむきさ。。。

ワタシねぇ、今回のWBCがこんなに注目集めたのって、ゲーム展開とかチームワークもそうだけども、ココが一番だったと思うのよ。
最近のニッポン人が忘れかけたモノを改めて気づかせてくれたような気がしたんだよね。

さてさて、WBCが終われば、プロ野球が開幕までは高校野球ですかね。春の選抜。

高校野球と言ったら、応援合戦がつきものなわけで。。。

特にブラスの応援だよね。

最近は、市立習志野の「美爆音」とか、とかくクローズアップされていますな。

かくいう、中学、高校と吹奏楽やってたワタシも、やりましたねぇ、野球応援。

あれ、結構大変なんだよね。うちらの高校は春の選抜まで出られるほどではなかったので、夏の大会中心だったけども。。。

とにかく暑い。まあ、のどは乾くは、汗びっしょりになるわ。。。

そういう意味では、文化系じゃなくて、体育会系だったよなぁ吹奏楽も。

一番つらいのは、なんせ常に大音量でやるもんだから、唇が大音量用に固まっちゃって、pとかmpが出なくなっちゃうのよ。なんちゅうのかな、ブラスオリジナル曲の微妙なニュアンスを出しにくくなる。 

特に私らが高校2年の時の夏の大会は、千葉大会でノーシードからベスト4まで勝ち上がったもんだから。。。あの夏は5回くらいやったのかなぁ、野球応援。

高校野球と、全国吹奏楽コンクールって大体、日程が重なっているし、野球応援やってすぐにコンクールっていう訳にもいかなくて、この年は出場辞退したんだよなコンクール。

高校はワタシらの代が開校3期生っていう、ワタシらが入学してやっと3学年が揃ったっていう、まだ新設校に数えられていたし。。 だから、部活も手策りしながらの活動だったのよ。
部員も少なかったしさ。 野球応援用とコンクール用、2つの編成に分けられるくらいの部員がいるならばコンクール辞退ということにならなかったんと思うんだけども、新設校で、しかも名目上は「進学校」となっていて、全体的に部活動は低調だったんでねぇ。そういうわけにもいかなかったしな。

当然、野球応援用の曲も決まってなかったし。。。 あんときは、音楽の先生がプロ野球の応援歌を耳コピで譜面に興してきてくれて、それでやってたんだよな。

でも9人分もなくて、急遽、ワタシが、ポーターサウンド片手に、テレビの前に座り込んで野球中継を見ながら足りない分の曲を耳コピーして譜面に興したりして。。。それで結構曲数はそろったんだけども。。。

ただ、今回引っ張ってきた、高校野球の野球応援では、切っても切れないこの曲は、まだ含まれてなかったなぁ。


山本リンダ 「狙いうち」

この曲って、いつから高校野球とかプロ野球の応援曲に使われてたんだろ?

wikipediaによると作詞の阿久悠の母校、明治大学の野球応援で使われ始めたってことになっているけども、ワタシらが高校の頃は、高校野球の応援では、まだ使われてなかったような気がする。

うーん、もしかすると使ってたところもあるんだろうけども、今ほど大々的には使われてなかったよな。

でも、今はいいよね、この「狙いうち」にしろ、真心ブラザーズの「どかーん」にしろ、野球応援にぴったり嵌るような曲がいっぱいあってさ。

ちなみに、やっぱり、野球応援で頻繁に使われている「アフリカンシンフォニー」。あれは、ワタシらの頃は吹奏楽オリジナルの曲だったんだよね。吹奏楽の定期演奏会では、大抵の学校でやってたよな。
ただ、野球応援に持ち込むっていう発想はまだなかったと思うんだよね。あれを野球応援に持ち込むっていう発想した人はすごいよね。


ということで、山本リンダさんの「狙いうち」。

この曲さあ、おそらく、私の中では、「リアルタイム」で聴いた記憶がある最古に近い曲だと思うんだよなぁ。

1973年2月リリースでしょ。 わたしゃ3歳6か月。 

うわっ、今年でちょうど50年になるんか、リリースから。。。。


ワタシなんかでは、この曲とか、桜田淳子さんの「わたしの青い鳥」とか、仮面ライダーV3とか、あの辺とゴッチャになって記憶しているのよ。

♪ うらら〜 うらら〜 ♪ なんて、ちゃぶ台の上で踊ってたかすかな記憶があるんだよなぁ。

そそそ、「ちびまる子ちゃん」と同じ世界ですよ。

まあ、当然、歌詞の意味なんて、全く理解せずにやってたんだけどさ。

それにしても、あの当時の阿久悠氏って、「擬音」を取り入れた歌詞って多いんだよね。

この「狙いうち」の ♪ うらら〜 うらら〜 ♪ 、↑にちょろっと出した、桜田淳子さんの「ワタシの青い鳥」の ♪ クッククック〜 ♪ 

ちょっと後になると、78年の「林檎殺人事件」の ♪ フニフニ フニフニ〜 ♪ とかさ。

極めつけは、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」の ♪ リンリンリリン リンリンリリンリン〜 ♪
だよね。

これらの曲って、曲先なのか、詞先なのかは、よくわかんないんだけども。。。 いや、あの時代だから、曲先なのかなぁ・・・。

例えば、「恋のダイヤル6700」の  ♪ リンリンリリン リンリンリリンリン〜 ♪ のメロディがあるとしたら、通常ならばコトバを入れたくなるってもんじゃないですか

それなのに、あえて ♪ リンリンリリン リンリンリリンリン〜 ♪ なんて、擬音を入れてしまうっていうのが、阿久悠の阿久悠たる仕事だと思うんだよなぁ。

場合によっては、なんだ? コノ手抜きの仕事は・・・ なんて思われちゃう可能性もあるわけじゃん。それなのに堂々と使ってくる。

でも、これらの「擬音」を使うことによって、インパクトは大きくなるよね。

「恋のダイヤル6700」の  ♪ リンリンリリン〜 ♪ だって、これがあるから、「なんだ? コレ?」って思いたくなるし。。。
今回の「狙いうち」にしてもそう。 ♪ うらら うらら〜 ♪ なんて、本編の歌詞とは全く関係ない、意味不明のフレーズがあるから、「なんだこれ?」って引っかかるわけでさ。
本編の歌詞だけだと、いまひとつインパクトが弱いわけで。

当時3歳のガキんちょだった、ワタシみたいなコドモも引っかかったわけだからさ。

こんな感じで、歌詞っていう文字通りのコトバだけでなく、擬音っていう「音のコトバ」から、それらの曲に引っかかりを持つようなヒット曲を「開発」した阿久悠氏ってやっぱ偉大だと思うんだよね。

すくなくとも、これ以前には、こんな「擬音」を多用した曲ってあんまりなかったと思うのよ。


あとは、本編の歌詞だよね。

最後の ♪ 世界中の贅沢を どれもこれも身にまとい 飾り立てた王宮で かしずく男を見てみたい〜♪

ってのは、すげえ歌詞だよなぁ。

まるで劇画の世界だよね。  いまは、こんな劇画チックで、かつ2.5次元な歌詞の曲ってあんまないからさあ。 もっとも、今は、アニメであったり、ゲームであったり・・この世界観はそっちに移行されてしまい・・・。ウタは、より「リアル」な世界に終始しているっていうような感じになっちゃっているような気がするんだけどね。

まあ、この「狙いうち」って曲の歌詞の世界観は、ばかばかしいっちゃばかばかしいんだけども、こういうばかばかしい世界観の曲っていうのも、もっとあってもいいと思うのよ。
日常のリアルの世界を表現するだけがウタじゃないと思うし。。。

もっとも、見方を変えれば、この曲の歌詞の世界観は、70年代前半の「ウーマン・リブ」、女性解放運動の時代を反映したものともいえるんだけども。

うん、それまでの女性って、男に尽くすものだったわけじゃん。 

うたの世界だったら、男に尽くし、すれてられ、 酒場の隅で「ヨヨヨ」・・と泣き崩れる ・・・なんて、まるで「演歌」の世界・・・っていうのが世の中の常識だったわけじゃん。

それが「ウーマン・リブ」によって、女性ももっと自立を・・・っていう考え方が世界的にひろがってきたのもこの頃だったしさ。

まあ、この曲の場合は、いささかドラスティックな世界ではあるんだけども、それでも、そんな時代を象徴した曲の一つではないんかなぁ・・・ なんて思ったりしてね。


そんな「狙いうち」だけども、ヒットチャート成績は思ったほどでもなかったんだよね。

↑のデータを見てもわかるように、オリコンではベストテン入りを逃している。

1965年の「こまっちゃうな」から低迷を続け、前年1972年の「どうにもとまらない」で再ブレイクしてから、3曲連続でベストテンをキープした山本リンダさんだったけども、この曲はベストテン入りから外れたわけで。。。これが意外でね。

だって、↑でかいたように、「ちびまる子ちやん」にも出てくるほど、ワタシらの世代(少なくともワタシもそうだけど)、 この「狙いうち」のイメージの方が強い山本リンダさんだからさあ。

当然、オリコンでも上の方にいた・・・ようなイメージが強かったんでねぇ。

まさか、ベストテン入りもしてなかったとはね。。。。

イメージと、現実ではちがう。 オリコンの過去のランキングを見てると、そんな曲がいろいろと出てきたりするんだけどね。

まあ、それがオリコンの面白いところではあるんだよね。



うわっ、めっちゃ速い「狙いうち」。
これ紅白だよね。1973年。第24回紅白歌合戦。
おそらく「巻いてた」と思うんだけども。。。
紅白って時々、こんな感じで「超高速」なテンポの時があるんだけども、この頃すでにあったんだな。

それにしても、この曲のジャケ写、インパクトあるよねぇ〜、
いかにも1970年代前半。

ザンバラの長髪に、めっちゃ長いつけまつげにパンタロン。

今見たら、「あばずれ」って感じだけども、あのころは、これがトレンドだったわけね。

かくいう、ワタシの母親も、こんな感じの「ファッション」だったの覚えてるわ。


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魅せられた夜-Mais Dans La Lumiere- / 沢田研二

1973_12_魅せられた夜_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「魅せられた夜」沢田研二です。

まずはデータでーす。

・タイトル   魅せられた夜-Mais Dans La Lumiere-
・アーティスト 沢田研二
・作詞     Jean Renard
・作曲      
Jean Renard
・編曲     東海林修
・訳詞     安井かずみ
・リリース日  1973年11月21日
・発売元    ポリドール
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  34.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年12月3日〜1974年1月28日付

今回は、「まくら」なしでダイレクトに行きますぞ。

今回引っ張ってきた曲は、ジュリーの「
魅せられた夜」。
1973年11月 ソロ8枚目のシングルとリリースされたこの曲ですが、どうなんだろ?
どの位の方が覚えているんだろう? っていうのは、少し不安。

リリース当時、オリコン最高3位 売り上げ約35万枚・・・と、当時のヒット指標から考えると、充分大ヒットの域に達していた曲なんだけども。。。。
ワシらの世代から見ると、ジュリーといったら、どうしても77年の「勝手にしやがれ」以降の第2期黄金期から。 一歩下がっても、75年の「時の過ゆくままに」あたりからっていう意識があるんでさ。
70年代前半、「危険なふたり」を中心とした、第1期黄金期。 いわいる「フレンチポップス」な頃のジュリーってほとんど知らないんだよね。少なくともリアルタイムではない。

あ、いや、もちろん、すでに生まれてましたよ。 1973年といったら、ワタシゃ 4歳。
幼稚園の年少組の頃だよなぁ。 

なので、物心は付き始めていた頃だけども、50年前でしょ・・・、いかんせん記憶がほとんど残ってない。

「マジンガーZ」と「仮面ライダーV3」 が心のヒーローだった頃・・・っていうのは覚えてるけど。。。 

いや、それでも、ちょうどこの「魅せられた夜」がヒットしていたのと、同じ時に大ヒットしていたフィンガー5の「恋のダイヤル6700」とか、小坂明子の「あなた」は、リアルタイムで聴いた記憶があるな。

以前、何回か書いたと思うんだけども、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」は、個人的に初めて「買ってもらった」シングル盤だったと思うしなぁ。

ぢゃ、なんで、これらの曲を知ってたかというと、やっぱりテレビなんだよね。 

当時、朝、日テレで毎日放送していた「おはよう!子供ショー」で、のど自慢のコーナーがあったじゃん「おはようのど自慢」だっけ?

あのコーナーで、よく歌われてたような記憶があるんだよね。 
小坂明子の「あなた」と、ちょっと後の伊藤咲子の「ひまわり娘」なんかは、「おはようのど自慢」から知ったと思う。そそそ本人の歌唱というよりさ。。。
それくらい、当時はよく歌われてたような記憶があるなぁ。。。

ただ、さすがに、この「魅せられた夜」なんかは、あんま歌われてなかったんだろうなぁ。

いやいや、もしかすると歌われてたのかもしれないけど、個人的に引っかかってなかっただけなのかもしれない。

やっぱ、タイトルからして「大人」向けの曲だしね。 おこちゃまが歌う「魅せられた夜」っていうのも、ちょっとコワイ。。。
ま、たしかに、いつの時代も「ませた子供」(ませがき)は居るからさあ、ゼロとは言い切れないけど。。。

個人的にこの曲を意識して聴いたのも、ずっと後ですね。

これもいつか書いたと思うんだけども、1983年のちょうど今頃だわ。ジュリーの「大全集」っていう、いかにもっちゅう、カセットのみのベスト盤を買ってもらった中に収録されてたのを聴いてからだわ。

だから、個人的には、この曲を聴くと、1973年の匂いよりも、 1983年の今頃の匂いを先に感じてしまう。 ちょっと厄介な曲ですね。
まあ、まったく1973年という時代を感じないかといえば、さにあらず。なんだけども。。。

音質、音の広がり 奥行・・・などのサウンドは、少なくとも70年代後半以降のそれではない、ましてや80年代の音でもないことはレコードの音から分かるしね。


でも、初めてこの曲を聴いたときは、違和感いっぱいだったよなぁ。 はじめはアルバムの曲かと思ったくらい。

↑で書いたように、なんせワタシらの世代といったら、ジュリー⇒勝手にしやがれ⇒キザ なイメージがこびりついてるからさあ。

こういう、フレンチポップなジュリーのイメージはなかったですからね。

そのあと、少しずつオリコンなどからの情報を得て、第1次黄金期といえるフレンチポップの時代を経て、第2次黄金期の派手、気障なジュリーに変化するということが分かったんだけどね。

自分らがリアルで聴いてたのは、第2次黄金期以降の曲に過ぎない・・っていうのが分かって、ちょっとショックだったのと同時に、ヒット曲の時代の流れの奥深さも感じたというかさ。。。

まあ「キザ」な言い方をすればよ。。。

そんな自分では知らなかったヒットの流れの情報と、実際の音源が、自分の中で結びいていくっていうのを初めて体験したのは、もしかすると、この「魅せられた夜」も収録されていた、あの「大全集」っていうカセットだったかもしれない。



ところで、この「魅せられた夜」って曲、カバー曲というのは以前から知ってたんだけども、オリジナルはどういう曲だったのかは、よくわからなかったのよ。

これを機に聴いてみた。

↓ コレ




Mike Brant 「Mais Dans La Lumiere」(1970年)

うわっ、重っ! 

フレンチポップスと言うと、どうしても、ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」とか、シルヴィ・バルタンの「あなたにとりこ」なんかの、おしゃれでポップなイメージがまず出てきちゃうんだけども。。。。

どっちかといえば、イタリアンなカンツォーネ的な、いわいる「歌い上げ」系の曲ですわな。
ポップスというよりも、シャンソンと言った方がいいか。。。

マイナーでしっとりしたメロディラインから、サビで一気に情熱的なメジャー系のメロディに変貌する、ドラマティックな展開。 いわいるショービス系というやつですね。

あの当時(1970年代前半)の日本では布施明氏が得意としていたような・・・。

ジュリーの、この「魅せられた夜」でも、しっとりしたマイナー系なAメロから、サビで一気に情熱的なメジャー系に展開するという原曲の良さを残しつつも、あそこまで重くない。
もっと、ポップで聴きやすいサウンドにアレンジされていますね。

個人的には原曲の重さと情熱的なサウンドは好きだけども、さすがに、原曲のままでは日本ではヒットしずらいと読んだろうな。

個人的には、ジュリーのメロディラインに対旋律的に絡んでくる、ブラスが好きなんだよね。

いや、このころのジュリーでは、同じようにブラスの絡みが印象的なジュリーの曲は多い。
以前書いた、「あなたへの愛」(1973年1月)、「追憶」(1974年7月)なんかもそうですね。

あの頃、いわいるブラスロックの影響なのか、ブラスを多用した歌謡ポップスが増えてきていたけども、使い方がダサい曲が多かったのも事実でさ。。。
この「魅せられた夜」では、トロンボーンは原曲に近いのに対して、トランペットはたしかに盛ってるんだけどね。でも、ダサい一歩手前で抑えているのがいい。

この曲を初めて聴いた1983年の今頃は、ワタシは中1。吹奏楽部でトロンボーンをやってた頃で、ブラスの面白さが分かりかけていた頃っていうのもあったんだろうな。 そそそ、ヒット曲においてもブラスについつい耳が行ってしまい始めていた頃ですわ。






フレンチポップスや北欧などのいわいるヨーロッパ系の曲と、日本のJ-POPは相性がいいとは、よく言われるけども、日本人の感性とどこか共通しているところがあるんでしょうね。
それは、この曲なんかでも感じることができますね。




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あなたに夢中 / キャンディーズ

1973_09_あなたに夢中_キャンディーズ



今回の1曲セレクトは、「あなたに夢中」キャンディーズです。

まずはデータです。

・タイトル    あなたに夢中
・アーティスト  キャンディーズ
・作詞      山上路夫
・作曲      森田公一
・編曲      竜孝路
・リリース日   1973年9月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 36位
・売上げ枚数   8.1万枚

先ほどのNHK総合での「伝説のコンサート”わが愛しのキャンディーズ」。
2006年の初回放送からなんどか再放送されてきたし、昨年BSで今回放送されたリマスター版も放送されていたわけで、個人的にも何回か見てきたんだけども、今回も、ついつい見ちゃいましたね。

あの当時、ピンク・レディよりもキャンディーズ派だったワタシだったりするんで、キャンディーズとくると、どうも、引き寄せられちゃったりするんだよね。

なんで、キャンディーズ派だったのか?   

いつかもここで書いたことがあると思うんだけども、理由は、ごくごく簡単。  
運動神経が鈍い私ゃ、ピンク・レディ踊れなかったのよ

ガキんちょの頃だから、理由なんてごくごく単純だったんだよね。

いや、それ以上にキャンディーズのほうが、ピンク・レディより前から好きになっていたからっていうのもあるな。

キャンディーズってデビュー前から「全員集合」のレギュラーだったからさ。ピンク・レディよりも全然前から知ってたからねぇ


・・・なんてさ、今回の1曲セレクトは、当初は別の曲を考えてたんだけども、「キャンディーズ」に決まりですね。

っつうことで、引っ張ってきた曲はデビュー曲の「あなたに夢中」。

本当は、この曲、昨年BSで今回の「伝説のコンサート”わが愛しのキャンディーズ」のリマスター版が放送されたときに引っ張ってこようと思ったんだけども、ヒット時期と重ならなかったんで。。。
今まで保留にしておいたんだよね。

・・・で、今回は丁度いい時期にNHK総合で再放送されたんで。

↑で書いたように、キャンディーズってデビュー前から「8時だよ!全員集合」のレギュラーだったんしさ。当時から「全員集合」を見ていたワタシは、このデビュー曲の頃は、すでにキャンディーズ字ってたような記憶があるんだよね。

この曲、リアルタイムで聴いてた記憶があるもの。 もちろん、当時4才、幼稚園年少組だったワタシゃ、まだ物心が付くか付かないかって頃だからさ、曲のタイトルは知らないで聴いてたわけで。

後々、「あなたに夢中」ってタイトルを知らされた時はピンとこなかったのよ。 でも曲を聴くと、「あー、この曲か」・・・って具合で。

いや、あの当時の曲って大体そうですね。タイトルは後付けで知った曲がほとんとでですわ。

しかも、この曲は、この当時聴いた曲でも、個人的には引っかかった曲だったと思いますね。
この曲を聴くと、同時に「マジンガーZ」の主題歌も夢想されてきちゃったりするんだよな、ワタシゃ。

↓ コレ



つまりさ、「マジンガーZ」の主題歌と同じくらい好きだったんじゃないのかなぁ。 

そそそ、あの頃は、アイドルの曲も、アニメの曲も区別なんかつかないからさ、この頃引っかかった曲って、ワタシの中ではごっちゃになってたりするんだよね。

いずれにしても、少なくとも昭和48年の頃は、百恵さんよりも、淳子さんよりも、キャンディーズが好きだったことは間違いなかったですね。

やっぱり、となりのお姉ちゃんって感じの親しみやすさが良かったんだろうなぁ。

いや、実際、あの頃、となりにランちゃんと同じくらいのお姉さんが住んでたのよ。結構きれいな。
今考えると、どうも、ランちゃんと、となりのお姉さんとごっちゃになっていたのかもしれないな。

・・・と言いつつ、個人的に、キャンディーズでは「スーちやん派」でした
あの頃からぽっちゃり系が好きだったのよね。。

いや、だから、当時、スーちゃんが「センター」だったキャンディーズをファンになったのかも。。。。

ちなみに、ワタシ、となりのお姉さんには、結構かわいがってもらってたりしてたなぁ。
この頃だったか、地元に森昌子さんがコンサートに来てさ、一緒に見につれてってもらってのを覚えてるわ。
実は、「歌手」のコンサート見に行ったのこの時が初めてだったのよ。
公には中1の時に行ったマッチのコンサートってことにしてるけど本当は違うのね。
おっとっと、なんて話がズレたね。。。


ところで、これも、以前書いたと思うんだけども、70年代アイドルの曲を聴くとさ、森田公一氏作曲の曲って、古くなったなぁ・・・と思ったりするんだよね。

これは、桜田淳子さんの曲にしてもそう。「はじめての出来事」とか「十七の夏」とか聴くと、「あー、ワタシよりも一世代前の曲」っていうイメージになっちゃったりするのね。
実際、あの当時、リアルタイムで耳にしてたはずなのにさあ。

なんでなんだろうねぇ。 前強拍のシンコペーションを多用したメロディラインが、どうもワタシには古臭く感じるんだろうな。

それは、この「あなたに夢中」でも同じでさ、キャンディーズのなかでも、この頃の曲は、どうも一世代前の曲のようなイメージが今となってはするんだよね。

実際は、↑で書いたように当時から、リアルタイムで聴いてたのにさあ。

よく言えば「70年代前半」という時代を感じさせるメロディラインと言えるのかもしれないけど。

ただ、先ほどの「伝説のコンサート”わが愛しのキャンディーズ」でも、言われていたように、売れたかどうかといえば、大ヒットにはならなかったんだよね、この曲。

オリコンでは、最高36位と、左ページ入りはしたものの、スマッシュヒットという所までは、今一歩だった感が強い。

ただ、オリコン最高36位とはいうものの、売り上げ自体は8.1万枚までいったわけなんで及第点とはいかないものの、失敗と言うわけでもなかったとも言えるかもしれないなぁ。

当時、視聴率50%を超えていたお化け番組だった「全員集合」にレギュラー出演していたといっても、あくまでもマスコットてきな出演でもあったし、まだまだ国民的な認知と言うところまではいかなかったものの、そこそこの認知はあったってことなんだろうね。

でも、今改めて、この「あなたを夢中」をって曲を聴くと、結構実験が入ってたりするんだよなぁ。

一番の実験は、この曲、シンセが使われているんだよね。

そそそ、イントロのフレーズと、間奏部分でAメロを短音でなぞっただけなんだけどさ。 ムーグのモノフォリックシンセが使われたりする。

当時、シンセ使用には、別途使用料が発生したらしい。だから、使用すればするだけ制作費がかさむんで、まだまだ使われることは少なかったようですね。 ましてやアイドルのデビュー曲に使われたってこと自体異例だったかもしれない。

いや、逆に考えれば、それだけ期待されていたのかもしれないですね。 
そもそも、CBSソニーで、3、6、9、12月の4半期最後月リリースは大ヒット期待のメジャー曲が当時から多かったわけけなんだけどさ。この曲が73年9月1日リリースだったこと自体、期待されてた証なんじゃないかなぁ。 ちなみに、キャンディーズのリリースパターンは、この後も、基本的にはこのパターンが続いたわけなんだよね。
もっともナベプロのゴリ押しだったのかもしれないけどさ。





ところで、先ほどの「伝説のコンサート”わが愛しのキャンディーズ」を見ててさ、後楽園の「ファイナルカーニバル」も、例の「ふつうの女の子になりたい」発言があった日比谷野音コンサートの映像見ながら、改めて、画像も、音も格段に良くなったよねと思うなぁ。
もともと、どちらともフィルム作品だし、音もモノラルだったと思う。最初は音、ボコボコだったもの。それから比べると、画像も、音もリマスターのおかげで、きれいになったよね。

それと、コンサートの紙テープ投げ。 あれ、今見るといい文化だったなぁ・・と改めて思ったりもして。
盛り上がりが違うというか、感動するというか、一体感を感じるというか。

たしかに、芯を入れたままの紙テープを投げたり、紙テープの他いろんなものを投げる輩が出て来て、
それらが目にあたったり、体にあたったり危険だってことで、80年代後半あたりから、コンサートで紙テープをはじめ物を投げることが禁止になったんだけども、あの文化は復活できないもんですかねぇ。

まあ、最近だと紙の無駄遣いでエコぢゃないなんて言う人も出てくるんだろうけどさ。


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裸のビーナス / 郷ひろみ

1973_08_裸のビーナス_郷ひろみ


今回の1曲セレクトは、「裸のビーナス」郷ひろみです。

まずはデータでする。

・タイトル    裸のビーナス
・アーティスト  郷ひろみ
・作詞      岩谷時子
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1973年6月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   38.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年7月9日〜9月3日付

当たり前のことだけど、長年ヒット曲のレビューを書いてて、それまで全く聴いたことない曲はレビューは書けないわな。
 そこを恰もこれまで何度も聴いてたかのようにでっち上げでも書けるようになれば、恐らくプロの書き手になれるんだろうけど、、残念ながらワタシャ、アマチュアなんでね。
これまで聴いたこともない曲は書けない。

なので、この1曲セレクトで引っ張ってる曲は、これまで個人的に聴いたことのある曲になるわけでさ。
それも大半は自分に思い入れがある、自分の中に定着している曲がほとんどではなあるけど、さすがに1700曲も書いてくると、そればかりでは書く曲も枯渇しちゃうわけで、最近では、昔、少しでも聴いたことがあるような曲でも引っ張ってきてますね。

でも、今回の引っ張ってきた曲は、「リアルタイム」には聴いた記憶がない曲だったり・・・。

郷ひろみ 「裸のビーナス」。

この曲は、1973年6月にリリースされた、郷ひろみのデビュー5枚目のシングル。

1973年といえば、ワタシは4才。 正確に言えば、この曲がヒットのピークに達したころ4歳の誕生日を迎えている。

なので、当然、リアルタイムでは聴いてなかった・・・・????

いやいや、じつは、そこがあいまいなんだよね。

1973年の曲でも、当時リアルタイムで聴いた記憶がある曲はあるし。 桜田淳子さんや、アグネス・チャン、フィンガー5は、リアルタイムで聴いてたし。

特にフィンガー5は、まだ物心つかない頃の記憶まで含めると、初めて買ったシングルが「恋のダイヤル6700」だったと思う。。  ・・というか自分では買った記憶がないけど、オフクロが昔、言ってたような気がする。

だけど、今回引っ張ってきた「裸のビーナス」は、記憶の糸を辿っても、当時聴いた記憶がないんだよなぁ。

子供のころ聴いても、それっきり聴いてなかったりすると忘れちゃっている曲も多いわけでさ。
メロディの記憶はあるけど、タイトルが分からなかったりというパターンもあるな。

そういう曲は、大人になって改めて聴くと、大抵は「あ、これ」って気が付くわけなんだよね。

この曲、意識して聴いたのは、ほんとにごくごく最近。時代の遡りが一巡して、再度、一巡目より少し深堀して聴くようになってからですわ。
恐らく、自分のサイトを持つようになってからだと思うんで、ここ20年くらいだと思う。

でも、初めて意識して聴いたときも、記憶に全くなかったんだよな、この曲。

ただ、時代感としては、確かに1973年ぽいな・・・と感じたのと、当時の筒美氏らしいサウンドだなとは感じた。

あの頃・・というか1973年頃の筒美氏のサウンドって独特な音の質感があるだよね。特にご自身でアレンジされたアイドル系ではなんだけども、各楽器のそれぞれの音が太くて、あまり音に立体的な奥行きがない。 
なんっちゅうのかなぁ、まあ、純和風的歌謡曲なサウンドではないことは確かで、よく洋楽的なバタ臭いサウンドと言われるんだけども。

しかも70年代後半以後の曲に比べると、かなりあっさりした曲構成。 なんせ尺が2分30秒もないんでね。この曲。
通常3分前後の尺が普通だった当時としても、かなり短い尺だよなぁ。

これは、当時のテレビでの歌番組を意識すると、こうなっちゃうんだろうね。

よくテレビサイズは「ワンハーフ」とか言われるけど、当時の歌番組では「1番と終わりビ」、尺も2分程度っていうのが定番だったわけでさ。

まあ、だからして1曲の中にあれもこれも盛り込むのは難しかったんだろうけどさ。あまり内容を詰め込み過ぎるとテレビサイズになった時に曲の意味が分かんなくなっちゃったり。

この曲くらいだったら、たとえテレビサイズでもほぼ全尺サイズになるしね。

それは分かるんだけども、今聴くと、さすがに2分30秒にも満たないと、えらいタンパクな曲構成に感じますねぇ。

とはいえ、それじゃ仕掛けがないにもないのかと言うと、そうじゃない。

この曲の最大の仕掛けは、やっぱり、リタルタンドがかかってスピードが遅くなるサビ最後から、インテンポでAメロに戻るっていう構成なんだろうね。

おおよそ当時の日本のポップスには見られなかった構成だし、曲全体がドラマティックに感じられているしね。

如何せんリアルタイムでは聴いていないので、当時実際はどうであったのかは、想像でしかないんだけども、インパクトは大きかったんじゃないのかな。

もっとも、この曲のジャケ写の、「半裸」姿のHIROMI GOにもインパクトがあったのかもしれないけど。。。
このジャケ写は全身のピンナップになっていたようで、これ目当てで買ったヒトもいるんだろうなぁ。



チャートアクション的に見ると、この曲、オリコンでは初登場から4週目で、早くも最高位の2位まで上り詰め、その後4週連続で2位を守っている。

オリコンでは、前曲「愛への出発」に続く、最高2位を記録しているけど「愛への出発」が登場7週目で最高2位まで到達したチャートアクションから比べてると、動きがすこぶる良かったわけですね。

当時、この曲のインパクトは大きかったんじゃないかっていうのは、そんなチャートアクションからも感じられますね。





わざとらしく、ジャニーズジュニア前で歌ってるHIROMI GOの動画を持ってきたりするけど、もしやHIROMI GOが、当時ジャニーズ事務所 所属だったの知らなかったって方は、ここ読んでくださっている方にはいらっしゃらない・・・ですよね

まあ、最近、結構いろんなところでカミングアウトしてたりするしね。

でも、個人的にもリアルタイムでは見てなかったんで、今一つ、実感がわかないんだけども、こういうVTR見ると、ホントにジャニーズ事務所だったんだね・・・っていう実感が出るなぁ。




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他人の関係 / 金井克子

1973_08_他人の関係_金井克子


今回の1曲セレクトは、「他人の関係」金井克子です。

まずはデータです。

・タイトル     他人の関係
・アーティスト   金井克子
・作詞       有馬三恵子
・作曲       川口真
・編曲       川口真
・リリース日    1973年3月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位  7位
・売上げ枚数    30.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年7月2日〜8月20日付

一昨日の山下達郎氏の「サンデーソングブック」珍盤奇盤特集。 本当に変な曲ばっかかかりましたな。 まあヤマタツ氏曰くPCが飛んだ・・・ということで、以前の珍盤奇盤特集でO.Aした曲を再度流した曲も含まれていましたが。。。
その中で、個人的に「なんじゃ?これ」って思ったのは、やっぱ沢久美さんの「ミミの甘い生活」でしたね。
いわいる「セクスゥイー」路線の曲ですよ。「吐息」が入ってる・・・っていう。しかも女性の吐息ではなく、男性の吐息と来たもんだから。。。。
さすがこのパターンはあんまり聴いたことないなぁ、いままで。  ま、だから逆に耳に残ってしまったのかも。「気持ち悪い」っていう意味で。

いまでは、コンプライアンスだぁ、PTAのママゴンからのクレームだぁ、云々、うるさいご時世と相成ってしまった・・・・からかどうかわからないけど、この手の「セクスゥイー」路線の、いわいる「淫らな」流行歌は、今ではとんと見かけなくなりましたよね。

あの頃ー1970年代ーには、こういう、学校では教えてくれない「教育的」な流行歌もいっぱいあったんですけどね。。。 ヒット曲と言えばそれが普通だったんじゃないかなぁ。

もっとも70年代も後半になるとエロというのもかなりマイルドになりましたが。(これは娯楽の多様化のよりエロも音楽に頼らなくてもよくなった部分が大きいようです)
逆に言えば70年代前半頃までは、ストレートだったんですよね。

そういう時代をリアルタイムで経験しなかった・・・いや、そんな匂いを感じてたような気もするけどね。
大人の世界って面白そうな映った記憶もあるし。だから、早く大人になりたかっあところもある。早く大人になって酒飲みたい・・と、この頃から感じてたところってあるんだよな。



・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな「大人の色気」なこの曲をセレクト。

金井克子「他人の関係」

リリースは1973年。 当時私は4歳。 幼稚園の年少組の頃で、そろそろ物心がつき始めた頃かなぁ。
でも、さすがに「大人の色気」のこの曲は、リアルタイムで聴いた記憶はない。

この曲を知ったのは、後年、「レコード大賞30周年記念」など70年代を振り返るような音楽特番でだったと思う。
あとは、やっぱり「パールライス」のCMだよね。
↓ コレ

 

これには、さすがにかなりあきれ返ったな、ワタシも。
なんか、ちょっとあくどすぎる感じがしてさ。


ところで、この曲をプロデュースしたのは、CBSソニーの名物ディレクターだった酒井政利氏っていうのは、もしかすると意外なのかなぁ。
酒井氏というと、どうしてもこの直後の山口百恵、郷ひろみ、あるいは、同時期の南沙織・・といったアイドル系のディレクターっていうイメージが先行しているところがあるから。

でも、酒井氏著の「プロデューサー〜音楽シーンを駆け抜けて〜」によると、当時、アイドル系ど並行して「アダルト路線」のディレクションも氏が行っていたとか。

以前、ここでも書いた朝丘雪路さんの「雨がやんだら」を筆頭に、坂本スミ子さん、内田あかりさん、大信田礼子さん、梓みちよさん・・・といったらアダルト女性シンガーのディレクションを同時期酒井氏が行っていたりいる。

で、共通しているのが、一度売れて、少し落ち目になった人たちを再びヒットという形でヒットさせたこと。 だから、当時酒井氏は一度落ち目になったアーティストを再生させるという意味で「クリーニング屋」と呼ばれていたらしい。

この金井克子さんにしたってそうだしね。 
なんたって、元「西野バレエ団」の5人娘の一人として、由美かおる、奈美悦子らと人気を分け、1967年からは4年連続で紅白歌合戦にも出場した経験もある方なわけでさ。

そんな熱狂も一段落し、人気も低迷していた70年代初頭、酒井氏と出会い、この曲で、華々しく復活したわけなんだよね。

個人的に、この曲を聴いたのは件の通り、大分後年になってからなんだけど、曲を聴くと嫌がおうにも当時の70年代頃の空気を感じるんだよなぁ。
70年代初頭の独特のメロディラインもそうなんだけど、サウンドですよね。 特にイントロでの低音のフルート。 この低音のフルートの音色を聴くと、いつも決まってゾクゾクしてしまったり。

フルートって、高音域では、透明感のあるさわやかさを感じたりするけど、逆に低音域の音色って、どこか淫靡な感じがしません?

ワタシは、そういうイメージがあるんだよなぁ。夜に向かった〜・・・っていうかさ。 少なくとも夕方から夜に向かうような怪しい雰囲気を醸し出すんだよね。

そういえば、「なんでも鑑定団」の鑑定中の時のBGMも低音のフルートがメインになってるけど、個人的には同じように淫靡なイメージが浮かんだりして 

作詞は、有馬三恵子さん。大人の女性のとしてのポップスは伊東ゆかりさんの「小指の思い出」などの実績があったものの、ちょうどこのころは南沙織さんの一連のヒットを手掛けていたこともあり、その関係で酒井氏と繋がっていたわけですね。

作曲は川口真氏。  詞については、有馬女史ということはあまり驚きはなかったけど、曲が川口真氏っていうのは、ちょっと意外だった。
サウンド的に川口氏とはちょっと違うなというイメージがあったから。
たとえば山下毅雄氏とかさ。少なくとも、上記のように低音のフルートによる湿った淫靡な手触り感は、山下氏に近い感触だったんだけどね。



やっぱヒット当時の動画はなかなかないわけだよね。ということで、出来るだけ古めの動画をリンク。

ところで、「他人の関係」といったら、最初に書いたように金井克子さん本人による「パールライス」のCMもそうだけど、最近(といっても5年位前だが)は、一青窈のカバーも悪くなかったんだよな。
一見、マジメそうな一青さんが、懸命に大人の女を演じてるようで、あれはあれで味が出てたと思いますね。



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情熱の嵐 / 西城秀樹

1973_06_情熱の嵐_西城秀樹


今回の1曲セレクトは、「情熱の嵐」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    情熱の嵐
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      たかたかし
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1973年5月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 24.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年6月25日〜7月23日付

秀樹逝去報道から1カ月近く過ぎて、ようやく落ち着いてきたという感じがしますね。一時は、この「1曲セレクト」もアクセスは秀樹一色って感じでしたから。
まあ、そう言う状況だったんでこういう時にこそ、秀樹の曲を持ってくるべきなんじゃないか・・・なんて、一瞬考えたんだけど。。。

ただ、あの時のタイミングで、同じ時期にヒットしていて、かつ、まだ書いてなかった曲が無かった・・ということで、あえて、書かなかったんだけどね。 

でも、あれから若干時間が過ぎ、ようやく、この時期にヒットしていた、まだ書いてない曲が出てきたんで、今回は、改めて引っ張って来たわけですね。

「情熱の嵐」。

1973年の今頃、デビュー5作目のシングルとして、リリースされ、初めてオリコンでベストテン入りした曲ですわ。
今回の秀樹の逝去によってこの曲もテレビから、大分流れて来てましたよね。

ただね、今回この曲を書くにあたって、改めてオリコンの資料を調べ直したんだけど、ちょっと誤って覚えてたなぁ・・・っていう印象が強かったりして・・・。

そもそも、この曲オリコン最高6位っちゅうところから、誤って覚えてたし・・・。

ま、確かにね、初めてベストテン入りした曲って言うのは間違ってなかったんだけども、順位は、もうちょっと上まで行ってたよな・・・っていうイメージだったしなぁ・・・。

それより何より売り上げ枚数ですよ、 24.6万枚  少なっ 。

いや〜、この曲の売り上げは、長年35万枚って覚えていた・・・っちゅうか、そのくらいのイメージだったんだよな、ワタシ。。。

いわいる「大ヒット」って言うイメージですよ。 うん、昔は大ヒットラインって、30万枚ラインって言われてたしね、それは、上回っていた・・・って覚えてたの。

それよりも、10万枚も少なかったか・・・・。 しかも、ベストテン入りしてたのは1カ月あまりだったんだよね。

そんなチャートアクションから見ても、お世辞にも大ヒット・・・とは、なかなか言いにくい・・・まあ、そんな感じなんだよね。

売り上げだけ見ると、秀樹的には「並」・・・って言う感じなんだよね。


それでも、 「大ヒット」してたって言うイメージが、この曲にあるのは、やっぱ、初めて「ベストテン入り」した曲って言うところが大きいのかなぁ。 やっぱり、「上り調子」って言う時の曲は、ことさらヒットしたって言うイメージが強いからな。

それとなんと言っても、この曲の曲調だろうな。 インパクトが強いブラス・ロック。 ワイルドな秀樹って言うイメージが定着したのも、この曲からといっても過言じゃないからなぁ。

兎に角、ブラス・ロックなこの曲はかっこいいんだよね、あれから45年も経った今聴いても、アクの強さは感じるもの。 ・・というか、下敷きはチェイスの「黒い炎」だよね、っていうのはミエミエなんだけどさ。 でも、これがいいのよ。 当時、日本のポップスで、ここまでブラス・ロックがキマってた曲って、少なくとも当時のヒット曲には、無かったしねぇ。

いや、確かにブラスを使ってた曲は、それ以前にもあった。 でも、ダサい使われの曲が多かったんだよね。
いわいる4,7抜きの演歌、歌謡曲の流れを汲んだようなチープなフレーズが多かったりして。

でも、この曲は、当時、流行ってたブラス・ロックをより意識したフレーズが、より洋楽的だったしな。 

今でこそ、より洋楽的って言う曲は、逆に当たり前過ぎてツマンなく思うワタシだったりするけど、当時は、全くの逆で、より洋楽的な曲の方が断然かっこいいんだよね。 70年代くらいまでの曲で4,7抜きのチープな歌謡曲的フレーズの曲って言うのは、やっぱ、耳に障るんだよなぁ。 まあ、昔ほどの生理的拒絶感っ中のは無いんだけど、やっぱ気にはなんだよね、未だに。

ただ、欲を言えば、もっとエゲツさかあっても良かったかな・・・とも思う。 本家のチェイスの「黒い炎」って、もっともっとエゲツだし、スピード感もあったじゃん。 それがより強いインパクトとなって帰ってきてたし。

それを考えると、もっともっと踏み込んでも良かったんじゃないかなぁ・・・とは個人的には思う。

まあ、70年代の歌謡ポップスのレベル・・・これは、作り手というよりは、リスナーレベルを考えると、この曲のように、実際は、まだ、ちょっと余力があるくらいの抑えめ感があって良かったのもかもしれないけど。。。

それは、秀樹の、この先の伸びしろを考えた上でも、最初からマックスであるよりも良かったのかもしれないけど・・・。



ぷぷぷぷ、この動画も直リンが無効にされてる。。。最近多いなぁ。
お手数なのですが、動画が見たい方は「この動画はYou Tubeでご覧下さい」リンクをクリックしてね。。。


うーむ、曲を聴くと、やっぱり秀樹は、アッパーなロックチューンがカッコイイよなぁ。
馬飼野康二氏の功績がでかいよね。 うん、初期の曲は馬飼野氏があってこその秀樹だもんね。

昔、明星のインタビューで馬飼野氏が、自らのメロディは絶叫型が得意って語っていたけど、これには秀樹が最も嵌まってたもんね。
 まあ、後年の松崎しげる氏の大ヒットナンバー「愛のメモリー」も馬飼野氏。うん、絶叫型ですねぇ。まあ、あれはあれで、初期の秀樹の一連のヒット曲とは別の意味でスゴミがあるんだけどさ。

それと、再三書いたようにブラス・ロックですねぇ。これ、また流行んないかなぁ・・・なんて、個人的には思ってたりするんだけどなぁ。 まあ、ワタシがブラスやってたからって言うのが大きいんだけど、カッチョ良いんだもん。
兎角、ロックっいうとエレキ中心のバンドサウンドなわけだけど、ブラスが入って来ると、エレキサウンドとは、また違って華やかだしさ。
まあ、これだけシンセが広がっちゃうと、今後はほぼ不可能な形態なんだろうけどさ。ブラス・ロックは兎角、人数が居るし、人数が居るって事はそれだけ人件費がかかる訳だし。。。


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魅せられた夜 / 沢田研二

1973_12_魅せられた夜_沢田研二


今回の1曲セレクトは、「魅せられた夜」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル    魅せられた夜
・アーティスト  沢田研二
・作詞      JEAN RENARD  
・作曲      JEAN RENARD 
・編曲      東海林修
・日本語詞   安井かずみ
・リリース日   1973年11月21日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  34.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年12月9日〜1974年1月28日付

前回は少年隊の「バラードのように眠れ」ということで、ユーロビートを取り上げたんだけど、これは80年代の「ブーム」だったわけなんだよね。
じゃ、日本に於いて、それ以前にヨーロッパ系は流行らなかったのか? というとさにあらず。 60年代、70年代を通してもヨーロッパ系の曲って、日本のヒットチャートを賑わしていましたからねぇ。

逆に言えば、アメリカンな曲よりも、ヨーロッパ系の曲の方が、日本で於いてのヒット曲と言う意味では歴史は古いかもしれない。イタリア、フランスの曲なんかはそうだよね。

特に、フランスのフレンチポップスね。これは、その後の日本のヒット曲の「基礎」ともなっている部分が強いのよ。 フレンチポップスってメロディが濡れてるし、抒情的な曲って多いからさ、日本人の感情とフィットする部分が強いんだよね。

よく生命体の起源として「母なる海」って感じで、海の匂いを嗅ぐとどこか懐かしさを感じるって事があるけど、音楽で例えれば、フレンチポップスがまさにそんな感じなんだよな、知らない曲でもどこか懐かしさを感じる。

そこが日本人にフィットする所以なのかもしれない。まあ最近フランスで、日本のアニソンが流行っているって言うのは、その裏返しって言う部分もあるんじゃないかなぁ。 つまりは、日本のヒット曲の根っこの部分にはフレンチポップスがある訳でさ、フランス人に受け入れられるっていうのも、ある意味必然的な事なのかもしれないんだよね。言ってみればフレンチポップスの「逆輸入」って言う感じで。 もちろん、日本独自の感性って言うフィルターをかけてるんで、元のフレンチポップスと見た目上は変わってるけど・・・。


あー、またまた、「マクラ」が長くなっちまった。。。。

今回は、70年代前半にヒットしたフレンチポップスな1曲を持って来ましたわ。

沢田研二「魅せられた夜」。

うーむ、ジュリーは何曲か前に書いたばっかなんだけど、まあ、お許しあれね。

ま、兎も角も、古くからのジュリーファンにはお馴染みの曲とおもうけど、ワタシと同年代の方には、ちょっと馴染みが薄いかもしれない。

どうしてもさ、ワタシらの年代のジュリー像っていうと「勝手にしやがれ」であり、「TOKIO」ってあり・・・ビジュアル的なジュリーって言うイメージが強いからなぁ。

70年代前半のジュリーって必ずしもビジュアル重視って言う訳ではなかったでさ。件の阿久悠、大野克夫コンビになる前はヨーロッパ系な傾向は強かったんだよね。
例えば72年の2ndシングルである「許されない愛」なんかは、ロック系ではあるけど、音的にはアメリカンロックのように乾いた音ではなく濡れてたしね。で、その後フレンチポップスに傾倒するようになる訳ですわ。

その走りともなった曲が、今回引っ張って来た「魅せられた夜」じゃないかなぁ。

ま、この曲は、フレンチポップスのような・・・というか、本物のフレンチポップスなんですけどね。

つまりさ、フレンチポップスのカバーなんだよね

↓ コレ



・・・っつか、コレ書いてるワタシも今知ったんだけどさ  

なるほどぉ〜、そうだったのかなぁ。。。どおりでめちゃくちゃ「おフランス」的な曲だと思ったわぁ・・・

・・・なんて感心してるばやいか。。。

個人的に、この曲を初めて聴いたのは、忘れもしない1983年。ワタシが中一の終わりの春休みだったなぁ。

いつかも書いたような気がするんだけど、福島から千葉に越して初めて、船橋の「ららぽーと」に行ってさあ。そこのレコード屋さんで、ジュリーの「全曲集」のカセットを買ったんだよな。それに、この曲が収録されていたですよ。

めちゃくちゃ新鮮だった。 ↑で書いたように、ワタシらの世代というと、キザ路線からのジュリーからしか知らなかったからさあ。 こういう曲を歌っていたって言うのは全然知らなかったからなぁ。

新鮮だったとともに、どこか懐かしかったんだよね。それまで全く聴いた事が無かったのに不思議なんだけどね。

たしかに「ヒット」としての70年代のフレンチポップスって、能動的には聴いてなかった訳だけど、知らず知らずのうちに耳にしてたからさ。 言ってみれば、個人的な音楽の原点に近いんだよね。このテのフレンチポップスって。

 しかも、ワタシ、ヒット曲に足を踏み入れる前は、ポールモーリア・フリークだったからさあ。 まさにフレンチ・イージーリスニング界の大御所だったわけじゃん、ポール・モーリアって。だからね、知らず知らずのうちにフランス系の音って、刷り込まれていたんだよね。

A-B-A って言うメロディーの流れは、決して複雑な曲形式ぢゃないんだけど、メロディが染みるんだよね。
ちょっと前にもかいたげと、70年代前半の歌謡ポップスって、それまでの4-7抜きのメロディラインが抜けきっていない頃で、どこか垢抜けないものが多かったんだよね。なんて言うのかなぁ、ちょっとのっぺらぼうのような感じがして。

その点この曲は、もともと向こうの、本場もんのフレンチポップスだしさ、メロディラインの起伏もある。けっしてのっぺらぼうなメロディラインぢゃない。 まあサビで、転調してグワッと盛り上がるのは、ちょっと大げさかなとも思うけど、当時としてはこんな風に大げさに盛り上げる曲調がイマイかったんだよね。 そそそいわいるショービス系な曲としてさ。

この「魅せられた夜」の場合は、それに加えて、プラスのオブリガードも新鮮だったんだよなぁ。
それまでヒット曲のブラスのフレーズってダサいもんだと思ってたんだよね。なんか邪魔なところも感じたしさ。
でも、この曲のブラスがカッコ良かったんだよなぁ。

まあ、それは、当時実際ブラスをやってたって事もあるかもしれない。 丁度ブラスを始めて1年が経って、周りが見れるようになって来た頃だったからさ、ヒット曲でも意識的にブラスのフレーズが耳に入るようになってきてたんだよね。だからさ、あの時ブラスをやって無かったら、それ以前同様にダサく感じたかもしれない。 

でも、この曲と、次の年の「追憶」の哀愁漂うプラスのフレーズがさぁ、何とも良かったんだよね。

その後、高校終わりまでブラスを続ける訳だけど、本気でプラスを続けようとおもっさたのは、もしかするとこの曲のプラスのオブリガードに触発されて・・・って言うところは多分にあるかもしれないな。
うん、間違いなくきっかけにはなったと思うんだよね。

いずれにしても、この曲が35万枚近くの大ヒットになった事で、フレンチポップスへの手ごたえも感じでしょうね。次の1974年は本格的にフレンチポップスへ傾倒していくことになるんだよね、ジュリーも。





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とん平のヘイ・ユウ・ブルース / 左とん平

1973_12_とん平のヘイユウブルース_左とん平


今回の1曲セレクトは、「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」左とん平です。

まずはデータです。

・タイトル    とん平のヘイ・ユウ・ブルース
・アーティスト  左とん平
・作詞      郷伍郎
・作曲      望月良造
・編曲      深町純
・リリース日   1973年11月21日
・発売元     トリオ
・オリコン最高位 73位
・売上げ枚数  2.1万枚

1曲セレクトを書いてると、時々ヘンな曲を書きたくなる時があるんだよな。・・・なんてゃおら書いてみる
それが、今回だったりしてね。 うん、最近、結構「マジメ」にヒット曲を書いてきたからなぁ。。って言うのもあってね。

なんて、今回の曲のマクラをどう書こうか・・なんて全然思い浮かばなかったんで、なんか訳分かんない書きだしになってしまいましたが・・・。

なにを引っ張って来たかって   この曲デス。。

左とん平「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」。

果たして・・・、こう書いても、この曲でどの位の方が反応していただけるか・・・めちゃくちゃ不安だったりして。

左とん平さんって言ったら、ワタシらの世代からすると、コメディタッチの役をやっていた俳優・・、そうね、今で言えばバイプレイヤー的立ち位置の俳優さんって言うイメージの方ですよね。

いやバイプレイヤーなんてかっこいいもんじゃなくて、やっぱコメディータッチの俳優って言う方が強いかなぁ。

そんな方の曲・・しかも、タイトル「とん平の・・・」なんてついたあかさきにゃ、俳優が余力で出した「お笑い系の曲」か なんて素通りしちゃう方も多いかもなぁ。

いや、おそらく、この曲がリリースされた当時もそんな感じだったんじゃないかなぁ・・・なんて思えたりしてね。

なんせ、オリコン最高位73位。 売り上げ枚数2.1万枚ですからねぇ。 業界用語で言えば「左ページ」にも入らなかった訳で、ヒットと呼べるかどうかも微妙な売り上げだった訳ですわ。

つまりは、本当に知ってる人しか知らないって言う曲だった訳ですわね。


BUT BUT BUTですよ。 そんなじゃ、なんでそんな曲をワタシが知ってるの って事ですわな。 
当時、ワタシゃ、4才。 「大人」の曲なんぞ、まーったく知らなかった・・というよりも、まだ物心もついたか付いてないか・・・って頃ですわ。、そんなワタシが、当時は、当然この曲を聴いたって言う記憶も無い。

でも、知ってるんだよね。

まあ、タネあかしは簡単で、90年代中ごろ、いわいるクラブで、この曲が注目された事があるんだよね。

wikipediaによると、スチャダラパーがサンプリングしたことで再注目、一躍脚光を浴びた事になっている。

個人的にも、その時ですね、この曲を初めて聴いたのは。

タイトルからして、個人的にも、当然、「お笑い系」の軽いノリの曲が出てくるんだろう・・・と思ってたら・・・

ビックリしましたねぇ、イントロからして、めちゃくちゃ本格的なR&Bで。 

まあ、♪ 祇園精舎〜 ♪ っていう出だしの詞にもずっこけましたが・・。というか、その辺はとん平氏らしいなっていうところなんだけど。。

兎も角、ビックリしたのが、その黒っぽいサウンドなんだよね。 これは、完全に「歌謡曲」っていう範疇を超えてるよなぁ、本格的なR&Bですよ。

当時で言えば、ゴッドねぇちゃんの和田アキ子様が好んで歌っていたような。

そんな本格的R&Bのサウンドに、とん平氏のここの内面を叫んだ歌詞が、妙にマッチしてたりする。 こんな本格的な曲が70年代にあった・・・っていうのが凄いな・・・っていうのが、まずもっての感想でしたねぇ。

個人的に言うと、70年代前半のヒット曲って、やっぱりどうしても歌謡曲が中心であり、しかもまだまだ曲のクオリティ自体も発展途中でありって言うイメージがあったんだよね。

この辺は、70年代前半のヒットポップスを聴くと、今でも感じるんだけど、メロディにしてもコード進行にしても、どっかヘンなんだよね。 自然体じゃないっていうか、不自然と言うか・・・、前時代の歌謡曲の王道だった4-7抜きのメロディからの脱却がウマくいって無い・・というかさ。メロディのフレーズ自体まだまだ少ないし。。。
結局は、発展途上の時代だったんですよ、70年代前半のヒット曲って。

でも、この曲はといえば、そんな、発展途上のヒットポップスからみても、遥か先を行っている・・・そんな感じを受けたんだよなぁ。

ま、歌ってるヒトがヒトだし、「トリオ」っていう歌謡曲専門レーベルからのリリースってこともあるんで、一般的に言っちゃうと、歌謡曲なんだろうけどさ。

でも、個人的に言うと、この曲を単純に「歌謡曲」って一括りされちゃうと、やっぱ違和感を感じますね。

いずれにしても、当時としては楽曲的にハイパー過ぎて売れなかったってところはあるかもな。
日本でもこんな本格的な曲があったんだ。しかも70年代前半に。それがまずびっくりなところなんだろよね。
90年代でも通用した訳だから、20年後位にリリースしていれば、もっと売れただろうに。

プロデュースは、ミッキーカーチス氏。 
その昔は、ロカビリー3人男として、ウエスタンカーニバルのスター。最近では、テレ朝のドラマ「やすらぎの郷」に出演されたり、完全な俳優となった氏は、音楽プロデューサーとしての手腕も凄かった訳なんだよね。
この「ヘイ・ユウ・ブルース」の前年には永ちゃんの「キャロル」をプロデュースしデビューさせたり。

こんなハイパーな曲が当時リリースされたのは、確かにアレンジャーの深町氏のアレンジ力っていうのもあるけど、やっぱりミッキーカーチス氏の力量のおかげなんだろうなぁ。







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わたしの青い鳥 / 桜田淳子

1973_09_わたしの青い鳥_桜田淳子


今回の1曲セレクトは「わたしの青い鳥」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     わたしの青い鳥
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       阿久悠
・作曲       中村泰士
・編曲       高田弘
・リリース日    1973年8月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数   15.9万枚

えー、前回は山口百恵さんの「最初期」のヒットということで、デビュー第2弾の「青い果実」を持ってきたんだけど、そこでも「対比」として桜田淳子さんを書いたんで、今回の1曲セレクトは、そこをちゃんと書かないと行けないよなぁ・・・。

・・・っちゅうことで、またまた1973年(昭和48年)の今頃のヒットです。 

曲はモチロン、桜田淳子さんの「わたしの青い鳥」ですね。 そそそ、先週書いた「青い果実」とこの曲は、「同時期」だったんですよね、ヒットしたのが。

個人的には、この「わたしの青い鳥」の方が先・・・だとばっか思っていたんですよねぇ。 ・・・というか、この曲がデビュー曲だと思ってたもの、昔は。

実際は、デビュー第3弾シングルなんですよねぇ、この曲は。

やっぱり、最初期の桜田淳子さんといえば、この曲だったんですよね、イメージが。

だってさ、当時4才だったワタシでさえ、この曲は知ってたもの。 うん山口百恵さんの「青い果実」はずっと後だったけどさ、知ったのは。

そのくらい、当時、テレビで流れてたのかしらん  うーむ、その辺、確実に分からないのがちょっと悔しいところなんだけど。

個人的に、この曲を知ったは、恐らく・・・だけど、日本テレビの「おはようこどもショー」だった・・・・んじゃないかなぁ。

今の40代後半、50代の方には懐かしいですよねぇ、ロバくんが出てた(着ぐるみの「中身」は愛川欽也さんでしたよね)、こども番組。 
そそそ、ウラのフジテレビでは「ピンポンパン」をやってたっけ。 こども番組多かったんだよね当時は。
まあ、それだけ、こどもの数が多かったって事なんだろうけど・・・。

あの番組、こども番組だったけど、週末は、「こどものどじまん」とかやってましたよね

あれで、この曲、よく歌われてたのを覚えてるんだよなぁ。 それで覚えちゃったんですよ、この曲。
この曲とか、伊藤咲子さんの「ひまわり娘」とか、小坂明子さんの「あなた」。 この3曲は、よく歌われていたのが、なんか妙に記憶に残ってたりするんだよね。

まあ、それだけ、ちびっこにも人気だったんでしょうね、デビュー当時の桜田淳子さんは。

先週も書いたけど、正統派中の正統派でしたもんね。70年代アイドルの最優等生にも言われてたもんなぁ。

そう事もありーの、この年1973年の各音楽祭の最優秀新人賞は、当然のごとく、桜田淳子さんの一人勝ちって感じだったもんなぁ。

かく音楽祭でもこの「わたしの青い鳥」が歌われていたし・・・、だからね、当然のようにこの曲、ベストテン入りのそれなりの大ヒットだったんだろうな・・・・。

なんて思ってたんだけどさぁ・・・。 オリコンで「チャートブック」が発売されるまでは。。

でも、実際は、この曲ベストテン入りしてないんだよね。 最高18位。
初めて、この事実を知った時は、「えっ」って言う感じだったなぁ。 しかも、売り上げも16万枚弱でしょ。 これも意外だったんだよね。

当時、テレビから頻繁に流れていたっていう感覚から、それなりの大ヒットだった・・・っていう印象があったからさあ。

まあ、当時の感覚・・・と言っても、まだ物心が付き切っていない頃の感覚だからさあ、あてにならないっちゃ当てにならないんだけど。。。




曲については、何も言う事はないんだよなぁ・・・。
まあ、当時を知ってる方だったら、みなさん知ってるだろうしなぁ、この曲は・・・っちゅうくらい有名な曲だもんね。

ただね、今聴くと、やっぱオーソドックスだったかなぁ・・・とも思えるんだよね。

いや、あの当時は、このオーソドックスさが良かったんだけどさ、でもちょっと当たり前だったかなぁ・・って事は今聴くと感じたりするんだよな。

例えば、先週書いた、山口百恵さんの「青い果実」は、刺激的だったわけじゃん歌詞がさ。 そこが良かったんだよね。 革新的というかさ、それまでのタブーを破った曲だった訳だから。

そこから比べると、この曲は平和なんだよね。保守的・・・って言っちゃ言いすぎかもしれないけど、めちゃくちゃ安心感があるじゃん。

蛇足だけど、この曲の作曲は、中村泰士氏なんだよねぇ。 あのひげ面の中村氏が、この曲を書いたっていうのも、ちょっと想像もつかないんだけどさ 

まあ、そんな曲調の違いはあったかなぁ。 その辺は、老舗のビクターに対して、後発のCBSソニーって言う違い、それぞれのレコード会社の考え方の違いもあったんだろうね。

ただ、その後、革新路線を行った、百恵さんが時代の寵児となり、保守路線だった淳子さんが、意外と伸び悩んだっていうのは、この曲の時点からすると時代のいたずらって感じだったのかな。

でも、兎に角、明るさが売りだった淳子さんは、この路線で行くしかなかったんだろうな。


どーでもいいことだけど、ジャケ写に描いてある「青い鳥」は、「twitter」のマークにも通じるところがあったりして。。。。



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青い果実 / 山口百恵

1973_09_青い果実_山口百恵

今回の1曲セレクトは、「青い果実」山口百恵です。


まずはデータです。

・タイトル    青い果実
・アーティスト  山口百恵
・作詞      千家和也
・作曲      都倉俊一
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1973年9月1日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数 19.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年10月1日、10月15日〜10月22日付

この間書いた安室奈美恵さんの人気がある中での電撃引退。 まあ、人気がある中電撃的に引退を発表なんてのは、歌い手以外、女優であったりアスリートであったり人気者って言うところから見れば、これまでもいくつもあった訳なんで、そうそう衝撃的な事実でもないんだろうけどさ、ここまでニュースが広がって来たってことは、やっぱり衝撃的なニュースだったんだろうね。
 今週のレコチョク週間ダウンロードランキングをみても、ベスト3すべてが安室の曲で占められているって事から見てもさ、やっぱり衝撃的な事実だったんだわなぁ・・・って事が良く分かるわな。

やっぱり一時代を築いた「ディーパ(歌姫)」の引退って言うのは、いつの時代も衝撃的なんですねぇ。
でぇ、もって・・・・。振り返ってみれば「ディーパ」の人気最高潮での電撃引退って言えば、やっぱ山口百恵さんは外せないところだよなぁ。

79年の結婚発言、それに伴う電撃的な引退発表・・・。そして80年10月の引退。 あれから来月で丁度38年ですわ。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、久々に山口百恵さんの曲を持って来ましょうか。。。

でもねぇ、百恵さんの曲の主だったところは、もうすでに書いてるぞよ・・・。 と思ったんだけども。。。
個人的にタイムリーで聴いてたのは、77年頃からだからさ、それ以後の曲はほぼ書いちゃってるんだけども、それ以前の曲は、逆に、まだほとんど書いてないんだよな。。

なんで、丁度いい機会ですわ、「最初期」のヒットを持って来ましょうか。

「青い果実」

いや、でもねぇ、タイトルを持ってこられても、もしかするとちょっと「ピン」と来ない方もいらっしゃるかもしれない。
実際、ワタシも曲を聴くまでは「ピン」と来なかったヒトの一人でして。。。

ま、曲を聴けばね、「あ、あれね〜」っていうのは一目瞭然なんだけどさ。

いや、正直言うと70年代前半の曲って、未だに意外とそう言う曲が多いんだよな。タイトルだけだと「?」なんだけど、曲を聴けば「あ、あれねー」ってやつ。アイドルでもニューミュージックも問わずさ。

やっぱ、まだ物心ついてなかった頃なんでねぇ、70年代前半は。

あー、話がずれた。

で、「青い果実」ですわ。 この曲は歌詞が刺激的・・・ってことで、当時話題になった曲ですわ

そそそ、Aメロ出だしの 

♪ あなたが望むなら 私何をされてもいいわ〜 いけない娘だと噂されてもいい〜 ♪

ってところですね。

ま、今、活字かくと、全くピンと来ないところもあるんだけど・・・。 当時はこれでもコペルニクス的な衝撃だったわけです。

つまりさ、あなた(彼氏)が望んでるなら、ワタシはSEXでも、なんでもやるわ〜 って事ですわな。

ここでは、これまでも何回も書いた事だけど、当時「アイドル」ってヒトたちは、本当の意味でのアイドル⇒偶像 だったわけですわ。 そそそ崇拝に値するお方ですわ。

最近、ネット上ではよく「ネ申」っていうでしょ。 当時のアイドルってある意味、本当の「神」だったわけですわ。
そんな「神」なお方は世俗的で汚らわしい態度は取らない・・・って訳ですわな

「アイドルはウンコしない」って本気で思われてたところがあるんだから  

バカヤロー、ウンコしなきゃ人間死んじまいまっせ・・・なんて、今では幼稚園のクソガキでも誰でもそう思うでしょ。でもさ、当時はそうじゃなかったんだよね。

ま、言ってみれば、今の「2次元」的な捉え方だったんですかねぇ。アニメではなく生身の人間なんだけども「2次元」的っていう・・・。 それだけ「テレビの中の世界」っていうのは遠かったって事ですね。

最近NetflixのCMで、さんまが「俺らの頃はテレビに出てるって凄かったから・・・」って語ってるでしょ。 あれですわ。

そんな別世界な「偶像」であるお方が、「あなたが「したい」と思ってるなら、ワタシはSEXでもなんでもボロボロにされてもいいんだから」なんて「世俗」な事をテレビから語って来る。 これは衝撃的だったんですわ、当時としては。 「SEX」なんて少なくともアイドルの世界ではタブーでしたからねぇ。

「青い性」って言われましたよね。

山口百恵さんは当時15才。中学3年。 桜田淳子さん、森昌子さんとともに「中3トリオ」って言われ始めてた頃ですわ。


でもね、山口百恵さんも初めからこういう「青い性」を売りにしていた訳ではない訳で。。。

この「青い果実」は、デビュー2弾シングルですわ。 デビュー曲は、この曲の4か月前にリリースされた「としごろ」って曲

↓ コレ


これが、健全でめっちゃ明るい曲なんですわ。 70年代アイドルの王道ていうかね。
ただ、これが売れなかった。 

なぜか? 同じスタ誕出身で、デビューが3ヵ月先行していた桜田淳子さんに曲のタイプが似ていたってのが゜、おおよそ言われている事なんだけどね。

桜田淳子さんって、後年こそ某宗教に走ってしまい、「宗教的」「小難しい」っていう「陰」のイメージが強くなっちゃったけど、デビュー当時は太陽な明るさ、スマイルっていう、めっちゃ「陽」なイメージだったんですよね。
現にそれで「人気を獲得」した部分も強かった訳でさ。 アイドルとしては超優等生タイプだったわけです。

山口百恵さんは、それを凌ぐだけのキャラクターを持っていなかった。しかも、デビュー時期が淳子さんより後発だったしね。
 だから同じ「陽」の部分をいくら強調しても桜田淳子さんを超えられないし、なにより百恵さん自身にとっても曲がしっくり来てない。。。

・・・そういうことで、第2弾シングルは、路線変更をせざるを得なかったってわけですわ。

で、行き着いたところが、当時はアイドルのヒトたちにはタブーとされていた「性」を売り物にするって言う路線ですわな。
「陽」とは正反対の「陰」の部分を強調する事。 まあ、百恵さん自身、見た目華やかなルックスではなかったし、逆に言えば、どこか「影」がある印象だったしね。だから「陰」を強調するしかなかったって事でもあるんですよね。 

まあ、結果ここまで大変身なくても・・・とも思えたりもするんだけど、結果、これが「当たった」ってことでさあ。
やっぱやるからには大胆にってわけですわな。何事も中途半端はダメってわけなんだろうねぇ。

第2弾のこの「青い果実」で、初のオリコンベストテン入り。

当初、人気と言う面では、先行デビューしていた、森昌子さん、桜田淳子さん、を追いかける立場だったんだけど、この曲のヒットでかなり追い付いたんですよね。

しかも同じアイドルポップ路線ということで、最大のライバルだった桜田淳子さんよりも、ベストテン入りと言う面では「先行」しちゃったわけでさ。

そそそ、この曲がベストテン入りした時点では、桜田淳子さんは、まだベストテンヒットを出してなかったんですわ。

うーん、73年の新人賞を総ナメにし、この年の新人王間違いなしの桜田淳子さんから見ると、もしかすると、これは意外な事実かもしれないけどさ。

まあ、この年の12月には桜田淳子さんの第4弾シングル「花物語」がベストテン入りし、僅か2ヶ月で追いつくんですけどね。

いずれにしても「中3トリオ」の人気が「ホンモノ」になり始めて来ていた頃のお話ってわけです。


 
この曲、都倉俊一先生の曲だけど、この曲の頃は、まだピンク・レディーの匂いは感じないんだよね。
個人的に都倉俊一氏っていうと一連のピンク・レディーの匂いを感じちゃうんだけどねぇ。

いずれにしてもこの曲の成功で、この先も「青い性」路線が続き、次の年の「ひと夏の経験」で、この路線が「大爆発」。伝説の歌姫への道を辿ることになる百恵さんです。

ちなみに、デビュー第2弾シングルでブレイクした女性アイドルは「大物」になるっていうジンクスは、この「青い果実」の百恵さんから始まり、後に松田聖子さん、中森明菜さん・・・と引き継がれることになるんですわ。



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