かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

1967年

銀色のグラス / ザ・ゴールデン・カップス

1968_01_銀色のグラス_ザ・ゴールデンカップス


今回の1曲セレクトは、「銀色のグラス」ザ・ゴールデン・カップスです。

まずはデータ。

・タイトル:   銀色のグラス
・アーティスト  ザ・ゴールデン・カップス
・作詞      橋本淳
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      鈴木邦彦
・リリース日   1967年11月15日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 100位
・売上げ枚数   0.2万枚

音楽配信で使用されている楽曲の著作権調査・処理と、某著作権管理団体への報告業務をやっているのね、生業で。
まあ、(音楽)業界っちゃ、業界内の仕事ではあるんだけども、かなり端っこの仕事だよね。ふつうあんまり顧みられることはない仕事だし。

で、1月は某著作権管理団体への使用楽曲報告月なのよ。 なので、年明けそうそう超繁忙期・・・っちゅうことで、ほとんど身動きが取れない状況でして。。。。
毎年のこととはいえ、ほんと、なぜに1月が著作権管理団体への報告月やねん。 って愚痴りたくなりますわ。

まあ、1月に報告せんと、3月の決算月までに使用楽曲の利用料分配ができない・・・ってことなんだろうけどさあ。。。。

せめて、1か月後ろにずれて、2月、5月、8月、11月が報告月になれば、ありがたいんだけどねぇ・・・なんていつも思ったりして。。。

ここんところ、1曲セレクトがなかなか書けないのは、ひとえに今月の超繁忙期のためですわ。。。。


・・とはいいつつ、音楽はちょぼちょぼ聴いてるんですけどね。

・・で、なぜか、ここ数日、ゴールデンカップスの「銀色のグラス」に嵌ってるのですよ。

なんせ、1日中家にこもってのデスクワークなんで、ストレスが溜まるもんでさ。
この曲のように叫びたい・・・、あるいは弾けたいっていう衝動からなんでしょうかねぇ

それにしても、何度聴いても、この曲は衝撃的ですわ。

1968年という時代に、こんな「洋楽的」な「邦楽」があったとは。。。
イントロを聴く限りでは、どう聴いてもあの時代の洋楽ロックだわ。

「歌謡曲完全攻略ガイド」に、「日本のロックは はっぴいえんど から」っていう人は耳をかっぽじって聴け」と書いてある。

この本購入したときは、この曲知らなかったんで、「ふーん」くらいにしか思わなかったけど、実際に聴いてる見ると確かに納得。

もっとも、正攻法なロックというよりは、ツイストっぽくもあり、R&Bっぽくもある。
そそそ、黒っぽいんだよね

この哀愁感あるツイストっぽいフレーズ、どっか聴いたことあるな・・と思っていたんだけども、銀蠅のラストシングルの「哀愁のワインディングロード」だよね。これは。

逆だ、銀蠅が「銀色のグラス」っぽいんだ。。。

同じ横浜、やはりリスペクトしてるんだな・・というのが分かるな。
いずれにしても、うちらが言うロックとはちょっとテイストが違うけども。。。でも、スピリッツとしてはロックだよね。

まあ、この曲といったら、ルイズルイス加部氏の縦横無尽なランニングベースがあまりにもすごくて、ついついそこに耳が行ってしまうんだけども。。。



↑ これのルイズルイス加部氏本人の回想録によると、作曲の鈴木邦彦氏のAメロがあまりにも「歌謡曲」なので、ムカっときて、鈴木氏の指示をガン無視してガシャーンと遊んだらこうなったという話だけど、いいね。

今はこういう無茶苦茶なバンドもいなくなったから。。。

なにより、カップスの「不良性」が一番にじみ出ているシングルともいえるんじゃないのかなぁ。
だからこそ、カップスのファンからは人気があるんじゃないかと思いますね。

いや、正直、この不良性にあこがれるのよ、個人的には。 ワタシにはできなかったですからね。 


ちなみに、この曲はオリコン最高100位。
オリコンランクインギリギリですわ。
まあ、丁度オリコン創刊のちょっと前のリリースなんで、ランキング的にはこうなっていたと思われるけども。。。 なので、まあ、この曲のランクも、売り上げ枚数もあくまで「参考値」。

オリコンが前年から始まっていれば、もっとランクは上だったろうに。。。。







最近、この手の黒っぽいファンキーなベース弾きといったらハマ・オカモトだけども、彼が弾く「銀色のグラス」のランニングベースもなかなかのもんなのよ。
ルイズルイス加部氏の後継なのは間違いないところだわな。

そういえば、この曲は、カップスファンだけぢゃなく、向こう人たちにも、この曲人気あったりするんだよね。
カップスの演奏テクニックは、国内では認められているところだけども、それだけ、向こうでも評価されているってことなんだよね。

最近はシティポップスということで、70年代の曲が無効で大人気になっているわけだけども、なにも70年代、80年代の曲だけじゃないんだよね、向こうで認められているのは。

このへんは、あんまり大きくは報じられていない事なんだけども。。。


君に会いたい / ザ・ジャガーズ

1967_07_君に会いたい_ザ・ジャガーズ


今回の1曲セレクトは、「君に会いたい」ザ・ジャガーズです。

まずはデータなのだ。

・タイトル   君に会いたい
・アーティスト ザ・ジャガーズ
・作詞     清川正一
・作曲     清川正一
・リリース日  1967年6月1日
・発売元    フィリップス
・オリコン最高位 - 位
・売上げ枚数   - 万枚

今回はマクラなしで、のっけから本題。
久々にG.Sなど持ってきましょうか。

ジャガーズの「君に会いたい」

この曲、ずっと持ってこようと考えていたんだけども、今一つきっかけを思いつかなかったんで、ずっとストックしてた曲なんだけども、前回の、吉田拓郎氏の「イメージの詩」を書くにあたって、いろいろネットみてたら、なぜか、この曲にあたったんだよね。

この曲がリリースされたのは1967年6月。 まだ、オリコンは始まっていないんで、実際のヒット時期というのが分からないんだけども、あの頃は少なくとも「初動のみ」のヒットということは、ないだろうからさ。
・・ということは、1967年夏にかけてヒットしていただろうという「推定」で引っ張ってきたんだけどね。

もっとも、黒沢進氏著「日本の60年代ロックのすべて」によると、

爆発的なヒットではなかったが、67年夏から秋にかけてヒットした

・・とあるので、もしかすると、実際のヒット時期は、もう少し後だったかもしれないけど。。。


うん、1967年(昭和42年)といえば、ワタシゃ、−2才。 まだ生まれておりません。。。

なので、リアルタイムでは聴いてないし、実際にヒットしていた時期も体験していないので、、資料がない限りは推定で考えなきゃいけないんだけども。。。。

・・・ということで、この曲がヒット当時してた頃は、まだ生まれていなかったわたしが、初めてこの曲を知ったのは、実は1981年だったりするんだよね。

なぜ?

覚えてないですかねぇ、1981年夏、アサヒミニ樽のCMでこの曲が使われていたのを

↓ コレ




そういえば、真行寺君枝さんっていましたねぇ。いまはどうなさっているんだろう?
それよりも、風間杜夫、平田満の「蒲田行進曲」コンビでこのCMに出てたのは、知らなかったわ。
ちなみに映画「蒲田行進曲」が公開され、一大ブームを巻き起こすのは、この次の1982年になる。

まあ、いずれにしろ、なんか知らないけど、81年当時、このCMら引っかかっちゃったんだよな。
CMだけでなく、BGMの「君に会いたい」にも引っかかった。

なんで、当時、この曲に引っかかっただろうねぇ・・とも思ったりしたんだけども、考えてみれば、時代はG.S回帰だったんだよね。 1981年って。

G.Sの一大ブームを作った、いわいる「A級」のG.Sグループが相次いで解散、ブームの終焉を迎えたのが1971年。

それから丁度10年・・ということで、G.S回帰の動きを見せたのが1981年だったわけなんだよね。

ワイルドワンズが、夏限定で再結成したのが1981年だったし。 そもそも、ジュリーが「G.S I LOVE YOU」というアルバムをリリースし、これを契機にタイガース再結成に向けて動き出したのも1981年だったし。

ま、初めは1981年の1月に、数々のG.Sグループが出演した、「ウエスタンカーニバル」の舞台となった有楽町の「日劇」(日本劇場)が閉館したのが1981年1月。と同時に「さよならウエスタンカーニバル」という特別公演が1981年1月にあり、それを受けて、夏にかけて一時的ではあるけど、G.Sが盛り上がったわけなんだよね。

実際のヒット曲の傾向としても、ジュリーの「おまえがパラダイス」をはじめとした、50's〜60'sのオールディーズっぽい曲とか、それこそG.Sの頃のガレージっぽい曲とか、今考えると、結構多いんだよね、1981年って。

それを考えるとさ、この年1981年の「顔」である、「ルビーの指環」をはじめとした一連の寺尾聰ブームっていうのも、あながち偶然ではなかったような気がするんだよね。

うん、寺尾氏も、もともとは「サベージ」っていうG.Sのベーシストだったわけだしさ。G.Sとは切っても切れない訳じゃん。


そんな傾向にあったからさ、G.Sをリアルタイムには経験していなかったワタシは、このテのガレージっぽい音が、逆に新鮮、 先端の曲のように思えたんだよね。

だから、↑のサントリービア樽のCMで使われていたこの「君に会いたい」って曲が、まさか、
あの時点で10数年前の曲とは知らなかったからさ。新曲だと思ってたの。

いつリリースされるんだろうな。。。とか。。。

まあ、その前に、あの当時曲名すら知らなかったんだけども。

今、昭和歌謡が若いコたちの間で流行っているけど、、恐らくは、1981年頃、ガレージっぽいG.Sの曲を聴いて新鮮に思えるのと、同じような感覚なんだろうな。

まあ、1981年の時のG.S熱は、実際に「タイガース」が再結成したことで一旦終焉したんだけども、その後1986〜1987年にかけて、ネオG.Sという形で、再度、ガレージブームが来たじゃん。

あのとき、ワタシも本格的にG.Sに嵌って、CD集めてたら、この曲が収録されててさ。
そのとき、「あの曲だ」と思うとともに、初めて、曲名、アーティスト名、いつのリリースだとか、もろもろ知ったわけなんだけどもね。



いまでも、G.Sのガレージっぽい音って好きなんだよなぁ。
なんでなのか、よくわかんないけど、血が騒わぐというかさぁ。 

考えてみれば、死んだオヤジが、「ベンチャーズ」か好きでさあ、車のカーステでよく聴いてたからなぁ。 その影響なのかしらん!?

なにより無国籍な音楽っぽいところがいい。 洋楽と言えば洋楽だし、 歌謡曲と言えば歌謡曲だし、ロックといえばロックだし。。。
どう解釈しても、あながち間違いではないというがいい。 節操がないんだよね。
それが、実に日本っぽいじゃん。

このジャガーズの「君に会いたい」って曲にしても、ぱっと聴きは、歌謡曲っぽいけど、100%歌謡曲とも言えない。かといってロックでもない。
バックのギターのリフはアラビア風だったり、口笛の旋律が怪しげだったり、一見よくわかんない世界なんだよね。それでいてメロディが刺さってきたりしてさ。

そんな一見バラバラな世界観が混ざり合うと、あーら、不思議。 いいじゃないの? って曲になる。 
これこそがG.Sの真骨頂だったりするんだろうな。 

ジャガーズとしては、デビュー曲のこの曲は違うけど、3枚目シングル「マドモアゼル・ブルース」からは主に筒美京平氏が作曲を担当するようになる。

それによって、ややガレージ感が薄れてきたように感じるのは、私だけでしょうかねぇ。。。。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

真冬の帰り道 /ザ・ランチャーズ

1967_11_真冬の帰り道_ザ・ランチャーズ






今回の1曲セレクトは、「真冬の帰り道」ザ・ランチャーズです。

・タイトル    真冬の帰り道
・アーティスト  ザ・ランチャーズ
・作詞      水島哲
・作曲      喜多嶋修
・編曲      喜多嶋修
・リリース日   1967年8月5日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 (23位)
・売上げ枚数   (5.9万枚)

 今回は、ぐーーーーーーっと時代を遡ってみますぞ。 久々に60年代にタイムスリップ


 しかし、今日は寒かったですね。一日曇天だったせいもあってほんとに「真冬」の日和でしたわ。

 そんな日はやっぱり、この曲に限るなぁ。
 「ウインターソングコレクション」と言ったら、私の場合は、この曲は絶対に入れたくなる1曲ですね。

 ザ・ランチャーズ 「真冬の帰り道」

多分、これ読んでいる方は、「え? だれ?」っていうかたも多いかもしれないけど、昔・・・といっても、すでに50年近く前だけど、グループサウンズ全盛期に活躍されていたグループ、まあ、今で言えばユニットですね。

 メンバーは

喜多嶋修  ギター  ボーカル
大矢 茂   ギター
渡辺有三     ベース
喜多嶋瑛  ドラムス

喜多嶋修氏は、あの喜多嶋舞さんの親父さんですね。 そそそ後に内藤洋子さんと結婚した・・・。


 それはそうと、この曲リリースが8月5日ですか・・・・。真夏に「真冬の帰り道」とは、これ如何に。。。
 そのくらい当時はヒットまでに時間を要したってことなんですかねぇ。
 ただ、これは、オリコン発表のモノで、wikipediaでは11月25日になってたりする。。。 

むむむむ、これはどっちが正しいんだ


 ちなみに、今回のデータは、この曲のリリースがオリコン創刊以前のリリースなんで暫定のものでする。。。
( )付なのは、とりあえずオリコン創刊後の68年1月以降でのデータね。
 なので、実際は、これよりは高ランク、売上げも全然上になっているはずです。



 このヒトたち、その昔、加山雄三のバックバンドだったんだよね。まあ、そういうこともあって全員、慶応ボーイの「お坊ちゃま」っというわけですわ。

・・・といっても、あのころは、バンドやってるなんていう身分の方々は慶応、青学、成城、立教・・あたりのお坊ちゃまが大半だったからして・・・・。

 まあ、そのあたりは曲のイメージにも出てるかなぁ。この曲の行儀のよさというか、清潔感というか、この品行方正のよさはやっぱり、慶応ボーイならではのもんではないですかねぇ。
(⇒スイマセン、半分やっかみです。。。)


・・とはいうものの、この曲はいいですよ。「真冬の〜」とタイトルには、ついてるものの、「冬」の寒々しいイメージは全くない。やっぱり加山雄三のバックをやっていただけあってか、イメージ的には「若大将」的な青春が輝いている・・・っそういうイメージなんだよね。

プラス当時としては演奏力もかなりある。ギターはリーダーの喜多嶋氏自ら弾いてるのかな? 加山雄三直伝なのか、かなりの腕前だよね。

まあ、時代が時代だから、多分グループサウンズに分類されるのが適当なんだろうけど、個人的にはカレッジポップスに分類したくなりますね。
 ・・・というのも、GS独特のガレージ的な重く湿ったところがないんだよね、このヒトたち。あくまでカラッとしてるんだよなぁサウンドが。そういう所はロックというよりもポップス って感じなんだよね。


あ、このヒトたちも東芝音工(後の東芝EMI)なんだよなぁ。まあ、師匠格の加山雄三も東芝だったし、だから、同じく加山雄三のバックだったワイルドワンズも東芝だったしね。

 やっぱし、昔の東芝は、名曲の宝庫ですわ。
ちなみに、この曲は、当時の曲の中でもかなりCD化されているので、今でも簡単に聴く事が出来ます。
(たしか青春歌年鑑67年版にも収録されているんぢやないかな)

もしよかったら、聴いてみてくだされ。
兎角、淋しい「真冬の帰り道」も楽しくなりますよ、きっと。


 ちなみに、ベース担当の渡辺有三氏は、後のキャニオンの名ディレクターですね。中島みゆき、ツイスト・・・など数々のスターアーティストを手がけ、田原俊彦なんかも担当してましたよね。

グループサウンズって、特にB級になるほど、のちのち(音楽)業界の裏方として成功している方が多いんだよね。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

いとしのジザベル / ザ・ゴールデン・カップス

1967_06_いとしのジザベル_ザ・ゴールデンカップス







今回の1曲セレクトは、「いとしのジザベル」ザ・ゴールデン・カップスです。

 まずはデータです。

・タイトル    いとしのジザベル
・アーティスト  ザ・ゴールデン・カップス
・作詞      なかにし礼
・作曲      鈴木邦彦
・編曲      鈴木邦彦
・リリース日   1967年6月15日
・発売元     東芝音工
・オリコン最高位 まだ創立してません。。。
・売上げ枚数   ? 枚


 今回の1曲セレクトは、一足飛びに時代を駆け上がりますぞ。
 「1曲セレクト」を書き始めて、初めてのオリコン創設前の曲だったりして・・・。

 ザ・ゴールデン・カップス 「いとしのジザベル」

・・・と書いて、果たして、どのくらいの方が「おお〜」と言ってくるかどうか、ちょっと不安。
うん、それも承知で書いていきますね。

 実際、初めは、ワタシと同年代の友達が多いmixiに書いたんで、この曲、どのくらいのヒトが知ってるかどうか不安だったんだけど、年代の境が無い、こちらのブログでは、ご存じの方は多いですよね。


 いや、もちろん、ワタシもタイムリーで聴いてたわけじゃないっすよ。1967年の曲でしょ。。。何分、まだ、生まれてないし。。。ふらふら

 この曲の存在を知ったのは、1980年代も後半の頃ですね。今まで何回か書いたけど、1986年〜1987年にかけて、一時期「ネオGS」っていうG.S回帰の兆しがあったんですよ。

 三多摩地区から火が付いた・・・って言われてるけど、それが新宿あたりに飛び火してたんだよね。

 丁度、テレビでも「テレビ探偵団」とか、「ナツカシ」モノが流行りだしてた頃で、丁度、ワタシも、時代を遡って、ヒット曲を掘り返してたことと一致して、GSモノの音源を物色してて、この曲に当たったんだよね、

 ちなみに、1987年に、とんねるず が「大きなお世話サマー」ってGSっぽい曲をリリースしてるけど、これは、この時の「ネオGS」ブームの影響なのよ。全くのぽっと出の曲ではないんだよね。その辺はあざとい、秋元康氏。。。あせあせ ・・・あ、ちがった・・・アルフィーの高見沢氏だ・・・。


 ところで、この「いとしのジザベル」を初めて聴いた時は、いい意味でショックだったねぇ・・・。
 タイトルがちょっと、こっぱずかしいけど・・・。いやいや、60年代は、これも「いかして」たんだよね。

 問題は、曲の中身ですわ。 いま聴くと、うわー、もろ「ガレージ」な入りなんだけどね。リバーブをいっぱい効かせた、スローな流れで・・・。典型的なGSな雰囲気の曲。


 BUT、Bメロ冒頭で、ドライブの効いたドラムスネアが入り、いきなりテンポアップになる、展開がドラマティック。
 プラスのメロディのウラでの、ディストーションの効いたエレキが刺激的・・・。
 ・・・というか、その前に、この時代、早くも、ディストーションペダルを使ってるあたりが、さすがにゴールデンカップスだよなって感じだよね。

 GSって、元々は、ビートルズorベンチャーズから派生したところが大きいから、バードロック系な音は、通常は使わない・・・っていうのが一般的だったんだよね。

 でも、ゴールデンカップスの出現によって、より「ロック」に近い音も出現してきて、GSの幅がより大きくさせてることに成功している。

 まあ、その辺から、日本のロックの起源は「ゴールデンカップス」から・・・っていわれる所以なんだけどね。
 (ヒトによっては、「はっぴいえんど」が日本のロックの起源ってなるヒトもいるけど、この辺は解釈の違いだね)

 とにかく、個人的には、ガーンと頭を打たれたような衝撃をうけた1曲ですねぇ。

 それから、カップス、かっちょいいなぁ・・・と、いろいろと追いかけるようになったんですよね。
10年前に上映された、「ザ・ゴールデンカップス・ワンモアタイム」も見ちゃったしね。

 兎に角、ワイルドな「不良性」がよい。

今の時代、音楽業界も品行方正になり、昔のようなモノホンの「不良」っていうバンドって、少なくなったよね。
でも、カップスは、やばい匂いがプンプンするじゃん。実際、その周辺も、かなりヤンチャなボーイズ&ガールズが集まっていた様だしさ。
 今の時代には無い、キケンな匂いっていうのかなぁ。なにか、そう言うのに憧れるんだよなぁ。個人的にも、幼少期の頃は、それに近い匂いがする周辺に居たんで。

蛇足だけど・・・・、作詞 なかにし礼  作曲 鈴木邦彦 って書くのなんとなく、恥ずかしいねぇ・・・。
 ワタシが出た、某S高校の校歌の作詞、作曲者のコンビなんですよねぇふらふらふらふら

 えー、そんなに有名なヒトが作ってんの? なんて、いわれそうだけど、そうなんですわ。。。
(ちなみに、なかにし礼氏の長男も卒業生だったな・・たしか・・・後輩になるんか。。)

 ちなみにちなみに、こんな風な「ヒット曲」な校歌ぢゃないっすよん。ふらふらふらふら  普通の校歌です。。。





よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

朝まで待てない / ザ・モップス

1968_03_朝まで待てない_ザ・モップス






今回の1曲セレクトは「朝まで待てない」ザ・モップスです。

 まずはデータです。

・タイトル     朝まで待てない
・アーティスト   ザ・モップス
・作詞       阿久悠
・作曲       村井邦彦
・編曲       村井邦彦
・リリース日    1967年11月5日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  38位
・売上げ枚数    3.8万枚 

 やおら、突然G.Sのモップスをセレクトしちゃったんですが、実は、今回の内容は、もともと何年か前に、モップスのボーカルだったら、鈴木ヒロミツ氏が亡くなられたときに書いたんだよね。
2007年だったかな。2007年の3月。 なので、突然感がぬぐえないですけど、そのまま載せちゃいます。 どうぞ・・。


 朝起きて、ビックリしたんですが、鈴木ヒロミツ氏が急逝されてしまったんですね。享年60歳。
 若い! 若すぎますよ。。。

 まさか、こんなにお若くして亡くなられてしまうとは、全く考えもしてなかったですね。

 鈴木ヒロミツ氏といえば、ワタシらの世代ではTBS系のドラマ「夜明けの刑事」に代表されるように、俳優さんとしての存在でしたね。

 でも、その昔、いまだに根強い人気を誇るGSの「ザ・モップス」のリードボーカルだったことを知っている人は意外と少ないんでしょうかね。

 「ザ・モップス」は、GSの中でも「いぶし銀」的な存在。
「タイガース」「テンプターズ」のような超人気アイドルグループとは一線画してた存在でした。

 要するに、プロダクションによって作られた「ゲーノー系」グループではなく、あくまでサウンド重視、クリエイティビティ重視のグループだったわけです。

「ゴールデンカップス」を中心としたクリエイティビティ重視のGSの系図でしたが、そのなかでもモップスは、当時、ニューロック、サイケデリック的な音楽の方向性を持ったグループでしたね。

・・・って、あたかも見てきたかのような文章なんだけど、もちろん、他書の受け売りですわ。。。。

 ニューロックといえば、今日引っ張ってきた「朝まで待てない」。
 これは、モップスのデビュー曲になるわけだけど、初めて聴いた時、目からウロコでしたねぇ。

 GSってどうしてもガレージ的なサウンドが主流、テケテケテケ・・・って感じで、ベンチャーズとか、でなくてもビートルズの延長っていうイメージが強いんだけど、この曲は、完全に「ロック」ですよ。

 そそそ、現在「ロック」と言われている「ロック」。

 まずもって、音が「ツッパッて」る。GSに付き物のぼかしなサウンドでは全くない。
 めっちゃくちゃストレートなロックですよ。 うん、今では、そんな感じは全くしないんだけど、ヒロミツ氏のシャウトがあったり、当時としてはかなりハードロックな部類だったんだろうな。

 この曲がリリースされたのは1967年11月。昭和42年。今から丁度40年前だけど、40年も前にこんなストレートでクリアなロックがあったんだ・・・。

 これはちょっとした衝撃でしたねぇ。

 当時、GSは不良の音楽。「ロック」はその中でも最右翼的存在ではなかったですかね。
 当然、一般的に広がるわけは無く、オリコンでも最高位38位。
 ただ、そういう、ロックを認識していたごく一部のファン層の中での最高位38位というのは、評価されるところはあると思うな。

 うん、それに、今のバンドがこの曲カバーしても、「今」の曲としても全然ありですよ。
 ま、ちょっと歌詞がダサイ(なんて書いたら阿久悠さんに失礼かしら・・・)けど、それでもサウンドは、今でも全然ありだと思うな。


 しかし、こんな衝撃的ロックを当時20才の、鈴木ヒロミツ氏はどんな顔で歌っていたんだろう・・・・と思うと、すごく興味津々なんですよね。

 後年の性格俳優のイメージが強く、こんなハードなロックを歌っているところは想像がつかないんですよね。

 曲はよく聴くんだけど、当時の映像を、いまだに見たことがないし・・・。

 たしかに、バンドの性格からして、当時テレビにはほとんど出演していなかったのかもしれない。


 先ほど、朝のワイドショー見てたら、ヒロミツ氏の訃報報道を各局行っていましたが、どうしてもバックに流れる曲は「たどりついたらいつも雨ふり」なんですね・・・・。

 それより以前の、「本来」のモップスの頃の音源が使われないのは残念だな。。。

 最後に謹んでお悔やみ申し上げます。



やっぱ、今聴いてもかっこいいよなぁ、この曲。47年前の曲とは思えないわ。
G.Sって、めちゃくちゃ範囲が広いけど、こと、サウンド重視のグループは、今でも通用するヒトたちが多かったですよね。
 それだけ、クオリティが高かったわけです。

 ちなみに、この曲が、作詞家 阿久悠氏は、実質的なデビュー作となります。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村
記事検索
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
livedoor プロフィール

かじやん