かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

鶴久政治

夜明けのブレス / チェッカーズ

1990_07_夜明けノブレス_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは、「夜明けのブレス」チェッカーズです。

まずはデータです。

・タイトル     夜明けのブレス
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       藤井郁弥
・作曲       鶴久政治
・編曲       THE CHECKERS FAM.
・リリース日    1990年6月21日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    28.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1990年7月2日〜8月13日付
・タイアップ:映画「タスマニア物語」キャンペーンソング

元チェッカーズのフミヤこと「藤井郁弥」氏も今週7/11で60才「還暦」になられたということで。。。
えーって感じだよなぁ。
フミヤまで「赤いちゃんちゃんこ」を羽織る年齢になっちゃったか・・・ってことで。
ちょっと衝撃。

そりゃ、こっちも年取るはずだよな。。。

1984年、折からのチェッカーズ旋風で、フミヤの、前髪垂らす「チェッカーズ」カットにあこがれてた、中3のころ。 
個人的な意識では、つい最近の出来事だったようなイメージがあるんだけども、冷静に考えると、あれから38年も経ってるんだよな。。。。

ロスアンゼルス五輪も遠くなりにけり・・・・だよなぁ。

そんなようなネット記事が、7/11に数多く上がっていたんで、本当は11日当日に、この曲を書こうかと思ったんだけども、ついつい遅くなってしもうた。


チェッカーズ「夜明けのブレス」

この曲は、あのチェッカーズ旋風だった1984年から6年後、1990年のリリースの曲だ。

その間、いわいる売野、芹澤コンビの曲提供を脱し、自分たちで曲を作るようになりましたね。
自分たちで曲を作るようになったのが、86年10月リリースの「NANA」だから、それからも4年が経とうとしていた頃だ。

その間何が変わったか・・・。 一番の変化は、80年代から90年代になったということだろうなぁ。。。

まあ、文字で書いてしまえば、なんてことない違いだけども、こと音楽、ヒット曲に関して言えば、
80年代から「1990年」への変化は、やっぱり、大きかったと思う。

時代の空気感っていうんですかねぇ。 1990年に入った途端、どことなく80年代とは違った空気感を感じたな。 個人的には。

そもそも、90年に入って、ヒットチャート、ことにベストテン入りしてきている顔ぶれも変わってきましたからねぇ。 LINDBERG、ドリカム、B'z、 ま、いずれも80年代終盤にデビューはしていたものの、1990年に本格ブレイクをしてきた面々だ。

その他、たま、ジッタリンジン、などのいわいる「イカ天」系バンドの躍進・・と。

ここに、ビーイング系ブームの先駆けてして、B・Bクイーンズ「おどるポンポコリン」の大ヒットと。

少なくとも、前年89年とは、ヒットチャート上位の顔ぶれも大分変化してきていたわけなんだよね。

時代の空気の変化を感じたのは、そんなヒットチャート上のアーティストの顔ぶれの変化という所が、やっぱり、大きかったんだろうね。


そんな時代の変化の中、今回のチェッカーズ「夜明けはブレス」リリースされたわけで。

個人的に初めてこの曲を聴いたのはいつだったろう? はっきりとは覚えていないけど、初めて聴いて真っ先に思ったのは「時代からズレている」っていう感覚だったなぁ。


曲としては、申し分ないくらいの佳曲だったと思う。 
隙の無い、キャッチーなメロディライン。ミディアムバラードだけど、メジャー系のミディアムバラードは、それまでのチェッカーズのシングルではあんまり前例がなかったんではないか。
それだけに新鮮味はあった


ただなぁ、曲想が1986年の・・・っていうイメージだったんだよなぁ。

つまりさ、80年代のチェッカーズ全盛に近い頃の・・っていうイメージの曲なのよ。

売野、芹澤コンビの「Song for U.S.A」がミディアムバラードといってよいのであれば、あの曲のような曲想な感じてしまう。

まあ実際的にメロディラインは全然違うんだけども・・・。曲を聴いたときに浮かんでくる風景だとか・・空気感だとか・・。 そういう曲想だよね。

それが、どうも1990年・夏 ではなく 1986年・夏 ないイメージなんだよなぁ。

最近の夏は猛暑っていうのがデフォルトになっているんで、全然ピンとこないけど、1990年夏は猛暑でさ。
太陽を感じさせる、黄色、白、あるいはクーラー下で涼んている清涼感を連想させるような「透明」が、この年の夏のヒット曲のイメージなんだけども、 この「夜明けのブレス」は、そういうイメージがなかったからねぇ。

だからなんだろうね。どうしても、この曲については、アナクロなイメージを感じてしまい、当時は、今一つ触手が伸びなかったんだよね。個人的には。

だから何だうろけどさ、この曲が、オリコン2位。 売上げ30万近くまでに達する大ヒットになったのは、個人的には違和感だったんだよなぁ。。。

なんせ、「NANA」以降、メンバーだけで作詞、作曲するようになってから、この時点では最高売上げを記録したわけだから。。。 余計違和感だったのよ。
(最終的には、解散時の最後のシングル「Present for you」の36万枚が、メンバーだけでの作詞・作曲シングルでの最高売り上げ)

もしもだけどさ、「NANA」以降、この曲に至るまでの約4年、確かにベストテン内を外すことは無かったけど、それ以前の売り上げからみると、今一つだったわけでさ。
敢えて、「NANA」以前のチェッカーズをイメージしてのこの曲となった・・・ということはさすがに無ないよなぁ。。。 
もし意図的に売野、芹澤コンビ時代の曲想をイメージして・・・というのであれば、それはそれで才能があるなと思うんだけどさ。


いずれにしても、アナクロなイメージ云々というよりも、曲の良さが勝ってっことなんだろうけどね、この売り上げ枚数は。

いやいや、wikipediaによると、同時期にフミヤの結婚があり・・・とあるので、その影響も大きかったのかもな。

もちろん、今は、あの当時に感じた違和感はない。むしろ、当時聴いてなかった分、新鮮に聴けますね。。
ようやっと、この曲の良さも分かってきたところですわ。





ところで、初めのフミヤの還暦から、チェッカーズ再結成について大分言及されていたようだけども、まあ、まずないんだろうね。
ネットニュースにもあったように、ドラムのクロベエ亡きあとの、チェッカーズ再結成はあり得ないというのは、フミヤの本音だろうし。

ファンも、BOOWYとチェッカーズは再結成して欲しくないという声も多いようだからね。
ファン心理としてもこのまま、80年代のままのチェッカーズでいて欲しいってことなんだろうな。

まあ、今は、ようつべがあるから、いつでも当時のチェッカーズを見れるからなぁ。。


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WANDERER / チェッカーズ

1987_08_WONDERER_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは「WANDERER」チェッカーズです。

まずはデータでする。

・タイトル     WANDERER
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞        藤井郁弥
・作曲       鶴久政治
・編曲       THE CHECKERS FAM.
・リリース日   1987年7月8日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  20.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1987年7月20日〜9月7日付

毎度毎度〜な事ですが、やっとここまで辿りついた・・・って感じだなぁ。
何の事かって? いや、こうやって1曲セレクトを書くためにPCに向かうまでが長かったって事なんですが・・・。
たしかに、最近は同じようなマクラをいつも書いてるような気がするけど、今回はいつも以上にここまで来るまでが長かったような気がするなぁ。

いや、実は前回ブルーハーツの「情熱の薔薇」を書いた直後から、次はこの曲もってこよーっと・・・って言うのは決めてたんだけどね。

そこから実際に、こうやって「書こう」と思ってPCに向かうまでが長かった。

なぜにそんなに時間がかかったのか

答えは簡単で、この曲、どう書いたらいいのか、良く分かんなかったんだよね

バーローそんな曲持ってくんな・・・なんて言われそうだけども、正直、個人的にこの曲にめちゃくちゃ思い入れがあるか・・というと、それほどでもないんだよな。

・・かといって、ヒット当時全く聴いて無かった・・・と言う事でもない。 現に、手元にこの曲のシングル音源はある。

ただ、どうも今一つ、流しちゃうんだよね、気分的に。

どうしてなんだろうねぇ。 いや、1985年の「俺たちのロカビリーナイト」もそうだった。 当時、チェッカーズはキライじゃ無かったし、曲ごとにそれなりにどっぷりと曲に浸かってしな。

どうなんだろう? 個人的に、チェッカーズの夏の曲には、生理的な「鬼門」なところがあったのかもしれないな。

現にこの後、1990年夏の「夜明けのプレス」も、チェッカーズ久々の大ヒットになったにもかかわらず、流してしまったんだよな。おかげで、つい最近まで音源を持ってなかったし。

特に「夏らしい」夏の年のチェッカーズの曲とは、あわなかったような気がする。 

だからという訳でもないだろうけど、「冷夏」だった1988年夏の「Jim&Janeの伝説」は大好きだったりする。。

まあ、単純に曲調と個人的な好き嫌いの巡り合わせなんだろうけど。。。。


ただ、この「WANDERER」。本当に引っかかりが無かった。 
上で書いたように曲調的な引っかかりを感じなかったっていうのもあるだろう。 

でも、それ以上に、この曲がヒットしていた1987年夏当時、個人的にヒット曲全体に対して興味が薄れ来つつあったって言うのも大きかったかもしれない。

その一番の原因としては、やっぱりヒットチャートが壊れてたよね、この頃って。 

いわいるアナログレコードからCDへの移行期っていうことで、アルバムはそこそこに売り上げが回復しつつあり、ヒットも出つつあった。

ただ、シングルは、この時点ではまだシングルCDは発売されておらず、依然としてアナログドーナツ盤頼みな状況。そんな中、全体的なシングルの売り上げは急激に減少してましたよね、この当時。

当然、ヒットらしいヒットは少なくなっている状況。 1987年夏は、そんなシングルの売り上げ状況が一番「底」だった時期なんだよね。

ヒットチャートを一番のモノサシに「ヒット曲」を追いかけるっていう、ちょっと変わった音楽の聴き方をしてるヒトなんで、ヒットチャートに元気が無くなると、途端にワタシも曲を追いかける気力が薄れてくる。

ちょっと因果な音楽の聴き方してるよね。

だからさ、当時、この曲を流し聴きにしてたのは、当時のヒットチャートの流れからすると、ある意味当然だったのかもしれない。


ただ、ヒットチャートとして特にシングル盤の売り上げは、この1987年7月を「底」にV字回復をする。

この次の年、シングルCDが発売を開始したと言う事もあるけど、その一番の要因は・・・、そう、光GENJIの登場ですね。 彼らの登場が劇的なカンフル剤になったんだよね。

逆に時を同じくして、おニャン子クラブが解散。 ある意味ヒットチャートをぶっ壊した当時者であった、おニャン子クラブの解散と同時にシングル売り上げが回復するっていう流れは、ヒット曲界全体を見ても「ヒニク」だったよな。

で、当のワタシはというと、光GENJIの登場と共にヒットチャートの回復、シングル売り上げの回復という状況を見て、ヒット曲への追いかけ熱が再燃したのは言うまでもない。


ちなみに、今回引っ張ってきた「WANDERER」、ヒットチャート的に見ると、チェッカーズ唯一のオリコン1位獲得曲なんだよね。

・・・なんて書くと、恐らく「何言ってんですか、このヒトは」って言うクレームがたちまち来るんだろうね

いやいや、チェッカーズが「自分たち」でシングルを書くようになってから唯一のオリコン1位獲得曲ってことですね。 
もちろん、自分たちでシングルを書く以前、売野−芹澤コンビの頃は、それこそオリコン1位は多数(8作)獲得してるけど。
でも、自分たちでシングルを書くようになってから、この曲が唯一のオリコン1位獲得曲っていうのも、今思うと、結構意外な流れだったのかなぁ。

この曲の1曲前の「I Love You SAYONARA」の方が、当時はスタンダードだったし、実際、「WANDERER」よりも枚数的に売れたしね。

でも、この曲は結局オリコンでは最高2位止まり。 リリースが少年隊の「Stripe blue」とパッティングしたんだよね。 チェッカーズの初動も強かったけど、さしもの少年隊には、超僅差ながら初動で敵わず。
逆に、この「WANDERER」の時は、ミポリンの「50/50」とリリースがバッティングしたけど、この当時のミポリンは、トップアイドルへ驀進していたとはいえ、まだオリコン1位をとった事が無かった。まだ上り調子の真っただ中だったんだよね。

そんな、バッティング相手の違いがランキングにも大きく影響してくる。 これは、今でも基本変わらない事だけど、最近は、強豪アーティスト同士のバッティッング・リリースは避け、チャート1位を分け合うって言う流れが強いからね。 この時のような競合ランキングは起きにくい。 
まあ、そんな「仲良しこよし」的なリリースがランキングをツマラナくしている要因なんだけどね。

いずれにしても、オリコン1位獲得となったものの、初動で首位を獲得出来るような瞬発的なアーティストパワーは、既に限界に来てたって事なんですよね。

 ただ、普通のアーティストであれば、一度アーティストパワーが落ちてくれば、その後立て直すのが難しんだけど、チェッカーズはその後もベストテン入りを維持してきたってところが凄いんだよね。
結局は、92年の解散まで全てのシングルでオリコンベストテン入りを果たした。これは並のアーティストではない事の証明なんじゃないかな。



うーん、当時、引っかからなかったって言うのは、デビュー以来一貫しての、50〜60sロックンロールを下敷きにした、オールディーズ寄りの曲調に飽きが来てたっていうのは、否めないだろうね。

だからさ、この曲の直後にCBCB(キュートビートクラブバンド)名義で、ブリテッシュ寄りの曲を演ったことは、すごく新鮮だった。
それをきっかけに、徐々にUK的な匂いが増していったチェッカーズだけど、それはそれで正解だったんじゃないかな。 あのままオールディーズに固執してたら、果たして92年まで持ったかどうか、疑問なところだ。


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Room / チェッカーズ

1989_03_Room_チェッカーズ


今回の1曲セレクトは、「Room」チェッカーズです。

まずはデータデス。

・タイトル     Room
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       藤井郁弥
・作曲       鶴久政治
・編曲       THE CHECKERS FAM.
・リリース日    1989年3月21日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   22.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1989年4月3日〜5月8日付

どんばんわ。またまた1週間ぶりの1曲セレクトです。前回、ここのところマクラで「久しぶり」って言うのが常套句になっている・・・って書いちゃったんで、今回は、ちょっとガムバッて連週で筆を上げてみましたわ。
まあ、これが「本来」なところなんですけどね・・・。 以前は「1日1曲セレクト」って感じで平日も書いてた訳だから。。。

さて、今回引っ張ってきた曲は、チェッカーズ「Room」。

ウーム、チェッカーズなんて書くのいつ以来だ 目ぼしい曲は、すでにほぼ書いたんで、ここのところ書いてなかったんだけど、まだ、「ザ・ベストテン」時代の曲で残ってたのがあったんだな。

いや実際のところ、今回引っ張ってきた「Room」って曲、今まで何回か書こうとして書けなかったんだよな。

この曲、重いんだよね。

実際の曲調として重い。ヘヴィーなロックバラードだったじゃん。春先リリースの曲としては珍しいくらい。 

少なくとも80年代くらいまでは、ヒット曲に季節感があったからな。 春先には「春らしい」ポップな曲が主流だった。この曲がリリースされた89年もご多分にもれなかったしね。 だから、この曲の重さっていうのが、際立ったんだよな。

実際の曲調としても重いんだけども、個人的な気分的にも、この頃ヘヴィーだったんだよな。

まあ、ここでは、いままでも何度となくチラチラと書いてきたんだけども、前年88年に大学受験を失敗したワタシゃ、89年は「2度目」の大学受験だった訳ですわ。

But、それも、また失敗。

いや、実際は1校受かったんだよね。 滑り止めの、そのまた滑り止めに受けた某地方大学のKT大学に。

いや、上では「滑り止め」って書いたんだけども、本心からするとあくまで本命に向けて試験慣れするために受けたようなもので、受かっても行く気は無かった。

でも、そこしか受かんなかったんで・・・。 

都落ちしてその大学へ行くか、はたまた、もう1年浪人して本命大学をもう一度チャレンジするか。親はその受かった大学に行くものだと思っていた様だし、親の負担を考えると行った方が良いんだろうなと思いつつも・・・。
やっぱり納得できない自分が居たりして。そんな2択を迫られていた、1989年3月。

そんな時に、聴いたのが、このチェッカーズの「Room」だったんだよな。 

そんな人生の選択を迫られていた自分にとっては、この重いヘヴィーな曲調が一層堪えたんだよ。一度聴いたら、ずっと頭の中にこびりついて離れなかったんですよ。

でも考えに考えて、出した結論は、受かった大学を蹴って、もう一度本命の大学にチャレンジする事。つまりは2浪する覚悟にしたんだよ。 当然、親にはもう1年浪人させてほしいと土下座しました。

その時、頭の中でぐるぐるとなっていたのも、この「Room」だったな。

だからねぇ、ワタシにとってはこの曲は、あれから29年経っても あの重い日々を甦られせる曲なんだよな。
おそらく、これからもずっとそうなんだろうなぁ。

まあ、基はと言えば自分でまいたタネであり、現役で受験に失敗した時覚悟を持ってちゃんと勉強してれば良かったんけど。。。。どこか慢心してたんだよな、うん、ナメてた部分はある。
ちょうど、1浪し始めた頃に家にビデオデッキが来た事を幸いに、一時はビデオばっか見てたこともあったしな。

 でも、当時は第2次ベビーブームで大学の競争率は今よりもずっと高かったんだよ。
特にワタシは「生物」なんてただでさえ学部設置大学が少ない「学問」を選んじゃったんで。。。しかも折からのバイオテクノロジーブームのときで、それまでもよりも輪をかけて競争率が高かった。 20〜30倍は当たり前だったもの。 ま、実競争率は、それよりは低かったけど、それでも次の年、元からの第1志望だったT大学に受かった時は、820人受けて合格がちょうど80人。実競争率でも10倍強だった。。。
だからね、本来は甘く見ちゃいけなかったんだよ。 まあ、そんな世の中の厳しさを身に持って体験できた、良いけ経験だったけださ、今となって思えば・・・・。





うーむ、この曲、PVなんてあったんだな。 初めてPVの存在を知ったわ。
まあ80年代末になって、PV自体珍しい存在ではなくなっていた訳で、この曲にPVがあっても、全く不思議ではないんだけどね。
あ、そうそう、この当時、フジテレビの月曜深夜から放送していた「マーケティング天国」ではオリコンチャートの時にPV流してたもんね。

しかし、個人的に↑のような事があった、この曲だけども、最近は、ようやっと落ち着いて曲を聴けるようにはなってきたんだよね。

この曲へヴィーではあるけども、チェッカーズの曲としては、結構異例な曲調なんだよな。それまでのイメージとしてチェッカーズってオールディーズ的な曲が多かったわけじゃん。それは自分たちで曲を作るようになってからもそうで。
でも、この曲はジャジーなんだよな。 
だから、最初はビックリもしたし、なんとなく違和感も感じた。 でもやっぱかっこいいんだよな。4ビート気味のベースなんて、それまでのチェッカーズでは馴染みが無かったし。
 曲は鶴久氏だけど、当時のチェッカーズの一連の作品を見ると、鶴久氏のメロディセンスっていうのもなかなかのもんだったと思うんだよね。なんつうのかな、切なさというか泣きのエッセンスがあるってうかさ。いわいるキャッチーなんですよ。 マネージメントがしっかりしていれば後々ヒット曲としてのメロディーメーカーとして、もうちょっと活躍できたかもなぁ。

ただ、バンドとしてのチェッカーズは、この時期かなりメンバー間に亀裂が生じ始めてたみたいなんだよね。 そんなバンド内の確執が、この曲にも表れ始めて来ていた・・・、それがこの曲のようなヘヴィーな曲調に現れたのかも・・・とも勘ぐりたくなっちゃうんだよな。


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7つの海の地球儀 / CUTE BEAT CLUB BAND

1987_11_7つの海の地球儀_CUTE BEAT CLUB BAND






今回の1曲セレクトは、「7つの海の地球儀」CUTE BEAT CLUB BANDです。

 まずはデータです。

・タイトル    7つの海の地球儀
・アーティスト  CUTE BEAT CLUB BAND
・作詞      秋元康
・作曲      Special Tsuruku
・編曲      Mickey Moody
・リリース日   1987年11月6日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   10.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位

 今回引っ張って来た曲は、CUTE BEAT CLUB BANDの「7つの海の地球儀」って曲なんだけど。。。あせあせ

 え? なに? CUTE BEAT CLUB BANDってだれ? ふらふら

っていうヒトは、ここ読みに来てる常連さんには、さすがに少ないかなぁ。

 うむ、略して「C.B.C.B」ですよ。ふらふら  なんて、書いたら、ますます分かんなくなっちゃう?



 ハイ、チェッカーズの「覆面」バンドでございます。当時、にわかに覆面バンドっていう形態が流行ったんだよね。一時的に。 アルフィーも「BEAT BOYS」っていうユニット名を名乗ったりして。

 かといって、今の「feat.●◇▼■」じゃないのよ。れっきとした、もともとのメンバーで構成された、「別名バンド」ってやつだね。

 ま、なんで、こんなややこしいことをやってたのか・・・っちゅうと、一番の理由としては、ま、気分転換のようなものよ。

 もともとのバンドでは出来ない事を、別名バンドを名乗ることでやってしまおう・・・って感じのノリだよね。

 やっぱ、ある程度、ネームバリューができると、そのバンドのカラーってのが定着して、なかなか、遊びが出来ない・・・って発想だね。

 ま、ちなみに、このあと、日清パワーステーションとかの、新感覚ライブスポットが次々にオープンして、既製のアーティストの「遊び場」のスポットって感覚が出来て、このテの正式な覆面バンドってあんまり表に出てこなくなっちゃったんだけどさ。


 ところで、今回引っ張って来た、「7つの海の地球儀」って曲、個人的に結構気に入ってるんだよね。

 この曲と、ほぼ同時に、「チェッカーズ」名義で、「Blue Rain」っていう曲をリリースしてるんだけど、そっちより、ずっといいな。
 たしかに、インパクトっていう点では、「Blue Rain」の方が全然あるんだけどさ、逆に、自然体で歌っているのがいい。

 この当時のチェッカーズって、どこか、肩に力がはいってて、自然体っていう感じじゃなかったしな。
 いや、この手の曲自体、少なくともシングルではなかったよな。ま、だから、CUTE BEAT CLUB BANDっていう覆面バンドでやる意味があったんだけどさ。

 ちなみに、この曲は、鶴久氏の作品。チェッカーズの場合は、藤井兄弟の作品が多かったけど、意外と鶴久氏の作品も良いんだよね。
 どっちかと言うと、よりポップス系で。その中でも、この曲なんかは傑作の方に入るんじゃないかんなぁ。

作詞は、秋元康氏。 うーん、秋元氏はどこでも顔だしてくるよなぁ。 でも、これが秋元氏にしては()いい詞なんですよ、これが。楽曲の雰囲気ともシンクロしてて、絵が浮かぶんだよね。

ちなみに、この曲は「12インチシングル」なんだけど、この響きも懐かしいねぇ。当然だけどね「アナログレコード」だからありえたシングル形態なわけなんだけどね。 この曲がリリースされた当時は、まだシングルCDっていう物は存在しておらず、シングルは全てアナログレコードだったのよ。
 でも、この曲のリリースから5か月後、晴れてシングルCDも発売されるようになって、12インチシングルも姿を消したよなぁ。 だから、12インチシングルとしては、最後の方のリリースでしたよね。





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Jim&Janeの伝説 / チェッカーズ

1988_07_Jim&Janeの伝説_チェッカーズ






今回の1曲セレクトは「Jim&Janeの伝説」チェッカーズです。

 まずはデータでーす。

・タイトル     Jim&Janeの伝説
・アーティスト   チェッカーズ
・作詞       藤井郁弥
・作曲       鶴久政治
・編曲       THE CHECKERS.FAM
・リリース日    1988年6月29日
・発売元      ポニーキャニオン
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    14.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1988年7月11日〜8月22日付

昨日は肌寒い日だったよなぁ。まだ、「冷夏」というほどの寒さはないだけ助かっているって感じですかね。ただ、ここのところ曇りや雨ばっかりで日照不足は深刻だよね。

 思い返せば、物心ついてからこの方、何度か、こういう、長雨冷夏の夏に出くわしてはいるな。
・・ということで、今日の1曲セレクトは、同じような長雨、冷夏だった1988年夏の曲から引っ張ってきました。

 Jim&Janeの伝説  チェッカーズ


ウーン、どうなんでしょう? たしかに、チェッカーズの曲なんだけど、知らないヒト、忘れちゃってるヒトも結構いるかなぁ。
 チェッカーズっていうと、どうしても、超アイドル人気だった、84〜85年当時のイメージが強烈にあるから、それ以降、自分たちで曲を作るようになってから、この方って、意外と、タイトルだけ言われても「ピン」とこない曲が多いかもなぁ。

 ランキング的にも、84年に「涙のリクエスト」で大ブレイクを果たして以来、初めてオリコン最高位でベスト3を割ったのもこの曲からだ。
(ちなみに、デビュー曲からラストの曲まで1曲もベストテンを割らなかったアーティストっていうのも、すごいんだけど)


 でも、この曲は、ワタシにとっては、なぜか印象深かった。

 このころのチェッカーズの曲ってこ、この次の「素直にI'm Sorry」のようにメジャー系のミディアムテンポの曲も間に挟まってはいたけど、全体的には、暗めな曲が多かったんだよね。

 この曲も、そんな感じだったな。

 すでに終わってしまった恋. っていうのが、この曲の「主題」なわけで、うーん、なんていうのかな、どちらかというと、ひと夏の終わりの・・・っていう雰囲気なんだよね。

♪サヨナラ告げる 長い髪をなびかせ〜
 風に風に風にさそわれ あいつは行っちまった〜 ♪

のサビの部分なんか、もろ、ひとつ夏の恋の終わりを予感させるような内容だし、とても、7月前にリリースされるような曲の内容ではなかったよね。

 でも、よかったんですよ。この年の夏には。

 なにぶん、 毎日鈍よりとした曇り空の暗い、寒い夏だったからねぇ。イメージ的には、この曲がピッタリだったんだよね。

 いや、少なくとも、ワタシ個人の中では、1988年夏っていうったら、この曲のような「暗い」イメージがあるんだよね。  まあ、個人的に「浪人」してたから「暗く」感じた夏って言うのも多分にあるんだけどさ

 逆に、ギラギラとした、猛暑だったら、どうだったんだろうなぁ・・・
 正直言って、この曲は、ここまでヒットしなかったんぢゃないか・・・ということは思いますけどね。
 そう言うことでは、ある意味ラッキーな曲のような気もする。いや、そのまえに、そんな夏だったら、この時期に出さないかったかもしれないけど。。


 ・・とまあ、暗い暗い曲って書いてきたけど、サウンド的には、暗黒の雰囲気なバラードではないんだよね。
 たしかにマイナー系ではあるけど、チェカーズならではのバンドサウンドは健在だったですね。

 ただ、このあたりから、メロディラインが迷いだすんだよね。この曲なんかは、既にスピリッツからしてロックという雰囲気はなかったもんね。どちらかと言えば歌謡曲的なメロディラインで。。

 結局のところ、この迷いっていうのが、最後の方まで尾を引いていたような気がするな。

 個人的な見解では、吹っ切れたのは、ラスト前の92年の「Blue Moon Stone」だと思うな。
 ま、、すでにこのころは解散も決まってたんだろうけどさ。

 そんな迷いが見られ始めたころの曲って感じですね。この「Jim&Janeの伝説」は。
 だから、イメージ、暗く感じたのかもしれないけどね。




蛇足だけど、氣志團が「One Night Carnival」で出てきた時、歌詞にある「行こうぜ ピリオドの向こうへ」ってところでなんか引っかかったんだよね。
 なんで引っかかったのか、その時はよく分かんなかったんだけど、後々考えると、このフレーズ、この曲にインスパイアされてるんだよな。

 この曲ではさらっと流してるけど、2番の歌詞に「行こうぜ ピリオドの向こうへ」ってあるんだよね。
たしかテレビサイズでは、この部分はカットされていたから、ラジオで聴くか、シングルを買って、それなりに聴きこんでなきゃ、聴きながしちゃうわけで。

 それを考えると、ハハン、綾小路氏は、この辺の曲に影響されてるな・・・ってのが分かっちゃったりして。。
同時期、同じく木更津周辺で過ごしたワタシと、おそらくこの曲のイメージも似たものがあるんじゃないかなぁ・とも思ったりして。



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