今回の1曲セレクトは、「曼珠沙華 / 山口百恵」です。
まずはデータです。
・タイトル 曼珠沙華
・アーティスト 山口百恵
・作詞 阿木耀子
・作曲 宇崎竜童
・編曲 萩田光雄
・リリース日 1978年12月21日
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数 13.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年1月8日〜2月12日付
※データは同名アルバムタイトルのもの
今回の1曲セレクトは、ちょっと毛色を変えて行きたいと思いまする。
引っ張ってきた曲は、 山口百恵さんの「曼珠沙華」。
え? 百恵さんのシングルでそんな曲あったっけ?
・・・なんてぇ方は、ここ来てる方には、よもや居ませんよねぇ・・・。
元々はあの大ヒット曲「いい日旅立ち」の1か月後にリリースされたアルバムの「タイトル」曲ですわ。
まあ、シングルのタイトル曲ではなくても、「後期」の百恵さんの曲では有名な曲ではあるんで、知らない方はいらっしゃらないとは思うんだけど・・・。
なぜ、ココに来て、この曲なのか・・・。
ランキング的に見ると、上のデータでも分かるように、最初に収録されたアルバムでは、79年の初頭にアルバムチャートではあるけどベストテン入りして、今時期にはすでにアルバムチャートもランクダウンしてたんだけども。。
いやいや、個人的にこの曲を知ったのが、、シングル「美・サイレント」のB面・・・って事からだったんだよね。
そそそ、「美・サイレント」は丁度今頃のヒットだったわけで、個人的にはこの曲というと、春先の曲って言うイメージが強い。
「曼珠沙華」とは、仏教用語で「彼岸花」のことであり、だから、本来は「秋」の曲であるはずなんだけど。。。
やっぱり、最初のイメージっていうのが強く残りますね。
アルバム曲をシングルに切るってことは、いかにこの曲がシングル的だったか・・って事なんだけども、シングルはシングルでも、表題曲ではなくB面だったのは、この曲が放つ輝き、色合いってところがあるんじゃないかなぁ。
あの頃のシングル曲って、尖がっていて、ダイヤモンドのような眩く光る色合いの曲が多かったじゃん。
特にテレビ露出が全てって言うアイドルではなおさらのことで・・・。
でも、この曲は、確かにアルバム曲としては尖がっているけど、色合いがシブいんだよね。光輝いては居てもダイヤモンド様な眩く光る・・というよりは、白金のような渋い光っていうのかなぁ。
その辺が、シングル表題曲としては、今一つ弱かったのかもしれない。
まあ、それ以前に、尺が6分近くありますからねぇ。 当時6分近いシングルなんて少なかったしね。特にアイドルはテレビ露出が多い。テレビでは尺はせいぜい2分半〜3分がいいところ。だからテレビサイズに削られても意味合いが通るように3分台の曲が多かった。6分なんてシングルは考えられなかったんだよね。
あの頃といえば、さだまさしさん位じゃないですかねぇ。 6分もあるシングルなんて。
でも、それ以前に、なぜか、最近、この曲に引っかかってるんだよなぁ、ワタシ。 それも引っ張ってきた理由かな。
もちろん、個人的にも、かなり昔からこの曲自体は知っていた。 でも、以前は引っかからなかったんだよ、この曲には。
どういう心境の変化なのかねぇ・・・なんて、自分でもよく分かんないんだけど。。。
それだけ年を取ったって事なのか、この曲の日本的な暖かさを感じるAメロに心情が揺らぐワタシがいたりもする。
でも、一番、この曲で引っかかっているのは、バックで延々に流れている、矢島賢氏のめっちゃプレグレって言うようなエレキのフレーズなんだよな。
まあ、この曲だけでなく、それ以前から百恵さんのシングルでは、矢島賢氏のエレキは無くてはならない存在だし、それだけに耳馴染んでいるフレーズも多いんだけど、この曲の矢島氏のエレキは、他の曲にもまして強烈に耳に残るんだよな。
特に、最後のインスト部分の強烈なフレーズは耳から離れない。頭の中でぐるぐると流れ続けていたりする。
それだけ神がかってるんだよな、この曲。
そもそも、百恵さんも神がかってるんだけどさ、この曲のボーカルは。
なんなんだろう、この大人びた、堂々としたサビの歌いっぷり。 それでいてAメロでの日本情緒的な暖かさ。
そう、出だしのAメロが日本的な匂いが強いんで、この曲は「演歌」なんて言うヒトも、若干いるんだけどさ。
そう追うヒトは、ちゃんと耳を闊歩じって聴いてくだされ。
この曲は、ジャパニーズプログレの傑作ですぞ。
この曲がリリースされた時、百恵さんは20才の誕生日間際、実質はまだ19才だった訳なんだけども、到底19才がウタっている歌とは思えないんだよな。
今の19才のアイドルのコの歌を思い浮かべてみて下さいよ、完璧にガキじゃん。
本当に19才のコが歌ってるの? ってくらい信じられないような、神ががった歌唱なんたよね。
「山口百恵は菩薩である」
この曲がリリースされた翌年1979年に、こんな本が刊行されたけど、この曲を聴くと、まさにこの本のタイトル通りに思えてきたりする。 そんな印象が強烈な1曲ですね。
確かに、「曼珠沙華」タイトルからして仏教的であり、ま、そんな所からしても、「百恵は菩薩である」と言う印象も出てくる訳だけど、そんな事を抜きにして、この曲の歌唱を聴く限りでも「菩薩である」って真実だよな そう思えてしまうんだよね、この曲は。
アルバム曲をシングルに切るってことは、いかにこの曲がシングル的だったか・・って事なんだけども、シングルはシングルでも、表題曲ではなくB面だったのは、この曲が放つ色合いってところがあるんじゃないかなぁ。
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阿木耀子
今回の1曲セレクトは、「禁猟区」郷ひろみです。
まずはデータです。
・タイトル 禁猟区
・アーティスト 郷ひろみ
・作詞 阿木耀子
・作曲 宇崎竜童
・編曲 萩田光雄
・リリース日 1977年12月5日
・発売元 CBSソニー
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数 16.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1977年12月19日〜1978年1月16日付
ここんところ、個人的に「歌本」熱が再燃してきてるんだよね。
古くからの歌謡曲ファンにはお馴染みだと思うけど、月刊「明星」とか「平凡」の付録についてきてたアレですね。
あるいは、今は廃刊になっちゃったけど月刊「歌謡曲」とかさ。歌詞カードと楽譜が載っかっている本。
うむ、個人的には「平凡」よりも「明星」派だったんで、明星の歌本「Young Song」。今も後生大事に取ってありますわ。
基本、音楽を聴く時って、楽譜見ながら聴くのが好きなんで、やっぱり歌本は必須なんだよね、ワタシの場合。
譜面見ながら音楽聴くと、不思議と譜面から絵とか風景が浮かんできたりしてね。
・・・なんていうのはワタシぐらいなもんかなぁ。。。








まあ、幼稚園の頃、電話帳から風景が浮かんでくる・・・なんて電話帳眺めてた不思議ちゃんなんで。。。




最近は、自分が買い始める前の「Young Song」とか「ゲッカヨ」をヤフオクで少しずつ落としたりしてたりね




でも、最近、いつの号をヤフオクで落としたのか、すっかり忘れちゃってたのもあるんだよな。
いつもこれを書くにあたって、傍らにサイドデスクを置いて、デスク上にオリコンなどの資料を置きながら書いてるんだけど、なにげにサイドデスクの引き出しを開けたら、1978年3月号の「Young Song」が出てきた。
うん? これいつ買ったんだ? 全然覚えてない。。。。





でもペラペラめくってたら、まだ書いてない曲が・・・。
あ、ちょうどいい、今回の1曲セレクトは、これにしよう。。。・・・と引っ張ってきたのがこれ。
郷ひろみ「禁猟区」。
うーむ、だんだんとセレクトの仕方が「ゴーイン」になってきたような気もするけど。。






少し前に、野口五郎氏の「風の駅」でも書いたんだけども、この郷ひろみ氏の「禁猟区」も、ザ・ベストテンの第1回ランク発表の1978年1月19日放送分でランクインしていた曲。その時は5位でしたよね。なので、ベストテン史上6番目に登場したのが、この曲と言う事になるんだよね。
ただ、以前からここで書いてるように、当時は、個人的に郷ひろみ氏は好きじゃなくてねぇ。うむ、秀樹派だったからさ




個人的に評価するようになったのは、郷ひろみ氏がベストテンに主演拒否するようになってから。 だから82年の終わりごろからかなぁ。
だからね、この「禁猟区」についても、ヒット当時はまともに聴いてなかった。
まあ、それ以前に、この曲がヒットしていた頃は、まだ、ヒット曲の世界に足を踏み入れていなかったけど。。。。
でも、仮に当時から足を踏み入れていたとしても、ちゃんと聴いてなかっただろうなぁ。
それでもなんとなしにキニなる存在ではあったんだよね。フルサイズは流れないにしても、ベストテン第1回放送のランクイン曲ってことで、その後もたまにVTRで流れたりしたじゃん。
妙に耳に残ったりしてさ。
サビ前の ♪ テン テン テン〜 ♪ っていうフレーズとかさ。 歌詞カードを見ると、 「、、、」になってたりしてさ。
誰ですか、こんなトリッキーな歌詞を書く方は・・・・と思ったら、作詞は阿木耀子女史。 阿木耀子さんとくれば、作曲は宇崎竜童氏。 そんなで持って、当時の郷ひろみ氏のレコーディングディレクターは酒井政利氏。
・・・うむ、この3人と来れば、やっぱし山口百恵さんですよね。
・・・ってところで、繋がった。 なにが?
そうかぁ、ここから79年の百恵さんの「美・サイレント」に繋がるんだぁ。
そそそ、あのサビで歌詞が「消える」フレーズ。 例の♪ あなたの〜 ○○○○ が欲しいのです〜♪ ってやつですね。
ま、この「禁猟区」では歌詞カードでは「、 、 、」と書いて「てんてんてん」って読ませており「サイレント」ではないけど、発想は同じようなものだよね。
・・・ということは、やっぱり、「美・サイレント」を遡れば、ここに来るんじゃないかなぁ。うん、突然的な発想じゃなかったんだね。
でも、この曲を皮切りに、次の年の、やっぱり百恵さんの「プレイバックPart2」では、途中で音を止めちゃったり、阿木耀子−宇崎竜堂−酒井政利っていうトリオでは、常に実験的な事をやらかしていたよなぁ。
そこがヒット曲の面白いところでもあり、魅力的なところでもあったんんだよね。
この曲のサウンドは、聴いてすぐに分かるようにラテン調。 フラメンコ調とでもいうかな。
この頃のヒット曲では、よく使われてたんだよなラテン調。 この曲を聴いてすぐに浮かんでくるのが、やっぱり翌年78年の中原理恵「東京ららばい」とかさ。
そう言えば、↑で上げた、百恵さんの「美・サイレント」も少しフラメンコ調的であったしね。
やっぱ、情熱的なんだよね、ラテン、フラメンコ調の曲って。 つい聴いてて熱くなるんだよな。
ただ、今聴くと、やっぱ古さを感じたりしてね。70年代の歌謡ポップス独特の匂いっていうのかなぁ。
うわっ、ドハデな衣装と演出だなぁ。キンキラリン(⇒死語!)の衣装の後は、ハネハネな衣装で





少しあとにベストテンでもやってそうな演出だけど、このころは夜ヒットでもやってたんだな。
目立とう精神全開な時代だったんだよね、この頃はさ。歌謡ポップス全盛の時代だったんだよ。
今回の1曲セレクトは、「夏の雫」三田寛子です。
まずはデータです。
・タイトル 夏の雫
・アーティスト 三田寛子
・作詞 阿木耀子
・作曲 井上陽水
・編曲 坂本龍一
・リリース日 1982年7月7日
・発売元 CBSソニー
・オリコン最高位 28位
・売上げ枚数 6.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 25位
昨日に引き続き、またまた変な時間に書いてる1曲セレクトどぇす。。。 なんかこの先 土日はこんな感じで「早朝」に書くのが日課になりそうな予感がするけど。。。。
通常は夜、眠い頭の中書くんだけども、時間的な余裕があれば朝書いた方が頭もシャキッとしてるんで書きやすいって事もありますけどね。
さてさて、ここんところ、全体的にアイドルに偏ってるよなっていうのは否めないんだけども、そう言っておいて、今回も「アイドル」です。
三田寛子「夏の雫」
1曲セレクトもたまにヘンな曲を持ってきたくなるんだけど、この曲もそんな「ヘン」な曲に入るような曲ですかねぇ。
リリースは、1982年7月。 この年の3月に以前書いた「駆けてきた処女」でデビューした三田寛子さんのデビュー第2弾シングル。
つまりは「花の82年組」というわけなんですが、この曲が今一つパッとしなかったんだよなぁ。
以前も書いたように、このヒト、デヒュー時は、数多くいた82年デビュー組の中でも、期待度も実績も、松本伊代に続く二番手だったんだよね。まあ、今考えると「意外」かもしれないけど・・・。
そそそ同じ日にデビューしたキョンキョンよりも堀ちえみよりも「上」だったんですよ。
でも・・・・。 この曲で早くも躓いちゃいましたね。。。
デビュー時、三田寛子よりも「下」と見られていた、キョンキョンも堀ちえみも、夏にリリースした第2弾シングルは、軒並みデビュー曲を上回り、「人気」と言う点でもこの時点では完全に、三田寛子さんを抜いちゃってましたもんね。
なぜ、伸び悩んだかと言えば・・・・うーん、やっぱり、このヒトが本来持ってたキャラクターとのギャップがあったんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりして。
このヒト、パッと見のルックスが今一つ「華やか」じゃなかったぢゃない

少し陰がある・・・って言うイメージから山口百恵アゲイン・・・な雰囲気になってしまった感もあるし。
まあ、その辺は、当時三田寛子のディレクターだった酒井政利氏のイメージだったのかもしれないけど・・・。
デビュー曲に続き、この曲でも、作詞が阿木耀子女史を起用したのもその表れかもしれないけどね。
だからね、後年、「笑っていいとも」で見せてたような、おとぼけ「天然キャラ」っていうのを、この当時から作り手が見抜けていていれば、もう少し違った展開になっていたかもしれないな。
ところでさ、この曲で、まず目が行ってしまうのが作家陣だよなぁ。
・作詞 阿木耀子
・作曲 井上陽水
・編曲 坂本龍一
超豪華・・・というまえに、うわっ、めちやくちゃ濃いメンバーやん・・・・




作詞 阿木耀子、作曲 井上陽水っていうのは、前曲「駆けてきた乙女」がそこそこ成功したんで引き続き・・・って言うのはわかるんだけども、なぜにアレンジが坂本教授やねん

超濃いメンバーでしたよね。
でもね、実際に濃い曲なんですわこれが。



デビュー曲「駆けてきた処女」は、作詞、阿木耀子、作曲 井上陽水・・・にしては、わりかし「まとも」なイメージで、このヒトたちの個性が、今一つ感じられなかったんだけども、この曲では、それぞれの個性が弾けちゃってる・・・というか・・・。 ま、良く言えば・・・・と言うところなんだけども。
特に、井上陽水氏のメロディね。当時としては、まあ、難解なメロディなんだよな。
出だしは、まともなありがちなサビ。 ・・・かと思ったら、いきなりぶっ飛んだようなコミカルなAメロ。 かと、おもったら、サビの続きか・・・と思わせるまともなBメロ。 ・・・かと思ったら、少しトーンダウンしたようなCメロ。
一体、どんだけ展開が変わるのよ・・・。くらい目まぐるしく変わる展開。
うん、この曲のレビューを書いてる他のブログを読むと、この展開の変化を「転調」って書いてるヒトがいたけど、転調ではないんだよね、キーは、ずっとCmのままなんで。あくまで展開が目まぐるしく変化してるって事なんですわ。
井上陽水氏は、この曲とほぼ同時に、自身のシングル「リバーサイドホテル」をリリースしてるけど、この曲も精神分裂気味な難解な曲だったじゃん。 なんかね、そんな精神分裂気味な難解なメロディをそのまま、この曲にも持ちこんじゃってた・・・ような感じも受けてさ。。。



それに輪をかけてアレンジがね。 デビュー曲の「駆けてきた処女」はアレンジが萩田光雄氏っていうプロのアレンジャーだったこともあり、井上陽水氏のクセあるメロディを上手く調和していたところあったんだけども、この曲は坂本教授でしたからねぇ。
調和どころか、井上氏のクセのあるメロディに負けてたまるか・・とばかり、これまたクセのあるアレンジに仕上げてたりして。。。
ま、通常、これだけ展開が激しいメロディの場合、イメージがとっちらかり気味になるんだけど、シングルとしてそれなりにまとめてあるのは、流石は教授・・・なんても思う。
・・・・かと思えば、阿木女史の歌詞。Aメロ、Bメロは直接的な関連がなさそうでいて、共に自分と彼との事・・・ってのは分かるんだけども、Cメロで、それまで全く出てこなかったKumi and Rumi なんて「謎」の女性がいきなり登場したりして




(いずれもイニシャルを外すと 「umi」⇒「海」となって、次の歌詞にある「海の少女」に掛ってるんだよね。って最近知ったんだけど。。。





・・・ってな具合で、三者三様、持ち味を存分に発揮した曲ではあるけど、「歌謡曲完全攻略ガイド」でもレビューされているように、濃すぎる牛乳は、逆に飲みづらい・・・ということで、売り上げも伸び悩んだんじゃないのかなぁ・・・なんて思う訳ですわね。
ただね、それは当時思ったことであり、そういうシガラミは一切なんにも考えずに、今、この曲を聴くと、 それはそれで面白い曲ではあったかも・・・なんて再認識されてくるような曲ではありますけどね。
そういえば、この曲もデビュー曲に引き続きいて「カルピスソーダ」のCM曲・・・だったような気がするんだけどな。。
そう思って、ネットで調べてみたけど、今一つ確証が出てこないんだよね。なんで割愛しました。
・・・ということで、実際の曲を紹介したかったんだけども。。。
うーん、この曲の動画はようつべに落ちてないなぁ。。。。
・・・かと思ったら、一応ニコ動にあった。。。。
↓コレ
ちなみに、この曲の次の曲は、「色づく街」っていう南沙織さんのカバーだったんだけども、個人的には、この曲、好きだったんだよね。
今は、オリジナルの南沙織さんバージョンを知ってしまったんで、ヘタだな・・・なんて思っちゃうけど、当時は知らなかったんでね。
筒美京平氏の色っぽいメロディがセクシーなんだよね。
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今回の1曲セレクトは、「横須賀ストーリー」山口百恵です。
まずはデータです。
・タイトル 横須賀ストーリー
・アーティスト 山口百恵
・作詞 阿木耀子
・作曲 宇崎竜童
・編曲 萩田光雄
・リリース日 1976年6月21日
・発売元 CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 60.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1976年7月5日〜10月4日付
7月ですね。夏本番間近・・ってこともあるけど、のっけから蒸し暑い1日ですわ。週末って事もあるけど、「体力の限界」って感じですわ。
ここ数年、クーラー何ぞつけたことないんだけど(電気代ケチケチ生活って言うのもある)、今日はちょっと無理。
クーラーをガンガンかけた部屋で書いておりまする。
さて、7月1発目の1曲セレクトは、百恵様で行きましょうかねぇ。
横須賀ストーリー。
うーむ、この曲もまだ書いたなかったんだな。 売り上げ的に言えば、山口百恵さん最大のヒットとなったこの曲ですね。
そそそ、あの「いい日旅立ち」(売上げ53.6万枚)よりも、この曲の方が売上げは上なんだよね。
・・・・と言っても、60万枚強。
この売り上げ枚数を多いと見るか、「そんなもんなの

レコードの購買層の中心は、ティーンエイジャーというよりは、もう少し上の年齢と言う事もありーの、やっぱり時代は、まだ歌謡曲中心だったからね。
それから見ると、この曲は、百恵最大のヒットとしては相応しい売り上げだったんじゃないかな。
ま、売り上げ云々は別として、実際ベストテン内に3ヵ月間居座ったし、手前味噌で申し訳ないけど、ワタシのランクでは、8週連続1位でしたからねぇ。
そんな動きをみると、大ヒットだったって事は如実ですよねぇ。
でも、そんな大ヒットを出した、山口百恵さんですが、この曲にたどり着くまで、2年余りはそれほど突出した大ヒットは無かったんだよね。
まあ、・・とはいえ、平均30万枚近くの売上げは記録していた訳で、通常の「歌手」から見るとスーパースターだけどさ。
これと言った代表曲はなく、実際の所、百恵自身も悶々と過ごしていたらしいですね。
そんな中でのこの1曲。 百恵自身の意識も変えるほどのターニングポイントとなった曲だけど、そのウラでは、やっぱり、なんだかんだ言っても、阿木耀子、宇崎竜童夫妻の力が大きかったと言わざるを得ないだろうなぁ。
そそそ、山口百恵と言えば、阿木耀子、宇崎竜童コンビの曲っていうのが、定番のように思えるけど、実際は、この曲からなんだよね。
宇崎氏曰く、この曲はシカケもなにも考えずに素直に作った・・と言う事なんだけども、そのシンプルさが返って良かったのかもしれない。 余計な全肉をそぎ落とした1曲・・というか、阿木さんのコトバ一つ一つが、ストレートに伝わって来ますよね。
それが、曲全体のインパクトに繋がってくる・・・というかね。兎に角曲全体がインパクトなんだよな。
もちろん、そこには、アレンジの萩田氏の力も忘れる訳には行かないんだけどさ。 うん、こちらに迫ってくるようなイントロはインパクトそのものだしなぁ。
それに続いて、 ♪ これっきり これっきり〜 ♪ っていう、一種変わった譜割りのメロディが続く訳で。
やっぱり、この曲の肝だよね、イントロからこのAメロの部分は。
いずれにしても、この曲から、阿木、宇崎コンビが、ラストの「さよならの向う側」まで続く訳で、百恵の本当の意味でのスーパースター伝説は、ここからスタートしたと言っても過言じゃないわけですよね。
えー、この時、百恵17才なんですが・・・・。まあ、なんて大人っぽいんでしょう。
今のアイドルなんてさあ、20才越えたいい年しても、一向にガキっぽい曲をガキっぽく歌ってんじゃん。このヒトの爪の垢でも煎じて飲ましてやりたいよね。大人になれやってさ。
それと存在感だよなぁ。スーパースターの条件だよなぁ。その点からすると、最近はスーパースターと呼べる人がほとんどいないっていうのが分かりますね。存在感がある人が少ないんだよね。
だから、グループに逃げるんですよ。存在感があればソロで充分な訳で、グループにする必要もないんだよね。
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今日の1曲セレクトは、「微笑みがえし」キャンディーズです。
まずは、データです〜。
・タイトル 微笑がえし
・アーティスト キャンディーズ
・作詞 阿木耀子
・作曲 穂口雄祐
・編曲 穂口雄祐
・リリース日 1978年2月25日
・発売元 CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 82.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月6日〜5月22日付
今日4月4日は、何の日だったか覚えてますか?
・・・・と書いて、ハイハイハイと即座に言える方は、もう50代以上の方々になっちゃうかなぁ。
そうです、キャンディーズのファイナルコンサート「バイバイカーニバル」が、今は無き「後楽園球場」で行われた日ですねぇ。
1978年4月4日 火曜日
あれから38年・・・・・。月日が経つのは、ほんとに早いわけで・・・。
と言っても、ワタシは直接見に行ったわけではないので、あんまり大きな口を叩けないのですが・・。



でも、あのときのフィーバーぶりはホントすごかったですよねぇ。
今、AKB、ももクロが凄い・・・なんていっても、あの時のキャンディーズフィーバーには足元にも及ばないと思いますわ。
ワタシゃ、当時、まだ、小学3年生になったばかりの頃で、まだ、「ヒット曲」の世界には入り込んできていなかったけど、それでも、なんか、異常なフィーバーぶりは感じましたね。
いや、これでも当時はキャンディーズ派だったからさあ、ワタシも。ピンク・レディーよりもキャンディーズだったの。
ファンがファンにより、ファンのために盛り上げたというかね。もちろん、仕掛けはあったんだろうけど、それを感じさせない、ファン自らが主導になったフィーバーだった気がする。
全キャン連(全国キャンディーズ連盟)っていう、全国組織のファンクラブ・・・というか「親衛隊」が主体となって、あのフィーバーぶりを盛り上げましたからねぇ。
その証拠の1つに、当時の「ザ・ベストテン」があるんですよね。
1978年3月23日放送分で初めて1位を取ってから、4週1位を守った、翌週の4月20日では、ピンクレディーの「サウスポー」に1位の座を奪われたんだよね。
これを見た、キャンディーズファンが「決起!」、「ベストテンにリクエストを」運動を展開して、翌週のハガキリクエトでトップを奪取、みごと1位に返り咲いた・・・というより、1位を「奪還」したという、話は、キャンディーズファン、当時のベストテンファンの間でも有名な話ですよね。
あれだけ、ファンが一丸となって盛りあげたアーティストってのも、あんまりいないんではないですかね。
うーん、まあ、昨今のSMAP解散騒動でのCD購入運動は、それに近いものはあったけど。。。
ただね、上で書いたベストテンでのハガキリクエスト運動ですが、今になって冷静に考えると、ベストテンがOAされた後、リクエストハガキ運動を起こしても次の週のハガキリクエストチャートに反映されるのはムリなんだよね。
ベストテンのチャート集計は、OAの1週前には結果が出てるからさ。つまりOAは、集計結果が出た次の週なんだよね。 だから、4月20日のOA後に、決起して、ハガキリクエスト運動を起こしても、結果が反映されるのは、早くても2週間先のOAと言う事になる訳で。。。。



だから、この時の1位返り咲きは、ハガキリクエスト運動決起の影響・・・というよりも、4月4日のバイバイカーニバルと、そのすぐ後にこの時のライブのOA(視聴率32%

まあ、いずれにしても、キャンディーズは、自ら引退宣言をした訳だけども、アイドルのひとつの「引き際」の見本でもあるんじゃないかなぁ。人気絶頂期にファンに惜しまれながら引退する・・・。
これが最高の引き際ではないかと思うわけです。
曲の方も、引退というと、とかく、「さよなら」を強調する曲が多いんだけど、この曲の場合は、さらっと「バイバイ」といってお別れ・・・というような曲調がよかったですよね。
それでいて、聴き終わると、ついも淋しくなるのは、やっぱ、この曲で解散っていうのが、いまでも脳裏から離れないからでしょうかねぇ
詞には、キャンディーズの歴代のヒット曲がちりばめられていて、これは、大変だったろうね。つじつまを合わせるのは。
でも、いやみがなくさりげなくちりばめられているのは、さすがに阿木女史の作品かなと思いますね。
まあ、結局、3人とも「普通の女の子」には、戻りきれなかったわけだけど、1978年4月4日の「バイバイカーニバル」は、アイドル史上、歴史に残るコンサートだったのは、間違いないところですね。
バイバイカーニバルの前日、4月3日OAの夜ヒットから。
既に、翌日のライブに向けて、ステージ設営が始まっている、後楽園球場からの中継でしたね。
実質、最後の歌番組の出演って事になるのかなぁ。
この時も全キャン連の方々が、大勢見守ってたりしてますね。
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今回の1曲セレクトは、「夢一夜」南こうせつです。
まずはデータです。
・タイトル 夢一夜
・アーティスト 南こうせつ
・作詞 阿木耀子
・作曲 南こうせつ
・編曲 石川鷹彦
・リリース日 1978年10月25日
・発売元 クラウン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 45.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1978年11月20日〜1979年2月5日付
・タイアップ:資生堂「78年冬のキャンペーンソング」
えー、今回セレクトしてきたのは、南こうせつ氏の大ヒット曲「夢一夜」。
あれ? この前似たようなタイトルの曲セレクトしてこなかったけ?
うんにゃ、工藤静香の「恋一夜」ぢゃないかんねぇ。。




ヒット曲を聴き続けて約40年。・・・と一口で言いますが、まあ、やっぱ、いろいろな曲があったわな。
でも、なんて言っても、衝撃度という点では、やっぱ、聴き始めの頃が一番強かったねぇ。
なんでも新鮮だったからさあ。
38年前、個人的に、一番新鮮だったのは、ピンクレディーでも山口百恵でもなくて、実はテレビに出ないアーティストがいるってことだったねぇ。
「歌手」っていのき、テレビに出るのが当たり前って思ったからなぁ。まさか、テレビ「出演拒否」する人がいるんだ・・・って知ったのはやっぱり衝撃だったんだよね。
その一人が、丁度38年前でいえば、松山千春でありーの、もう一人が、今回引っ張って来た、南こうせつ氏だねぇ。
「ザ・ベストテン」をみてると、いつも、久米さんが「お謝り」してましたが

どうして、テレビにでないのか・・・っていうのが、理解できなかったんだよねぇ。
ま、それ以上に曲調にもインパクトを感じてんだけど、この曲。
まあ、当時はプロモーションの手立てとしては、一番がテレビのウタ番組に出る事でしたからね。そのテレビに出ない・・・という前提で、オリコン3位、45万枚も売るって事は、確かに化粧品のキャンペーンのタイアップがついていたと言っても、それこそインパクトがなくちゃ成り立たないんだよね。
サビの部分の
♪ あなたにあう日の〜〜〜 と〜〜きめきは〜〜 ♪
の ♪ と〜〜きめきは〜〜 ♪ でファルセットになる部分は、よくマネしてたよなぁ。
うん、テレビには出演しなくても、しっかりと曲だけは覚えてたんだよね。
ま、それは、例の「化粧品」のキャンペーンCMでバンバン流れてたからってのが大きいんだけどさ。
いや、化粧品の「冬」のキャンペーンソングっていうのも、めずらしかったんだけどさ。。
だいたい、化粧品って、大々的にキャンペーンを張るのは、春、夏、秋の3シーズンで、冬はお休み っていのうが、通常だったから。。。
冬は、あんまり、メイクなどのオシャレは、あんまりにあわないってことだったんだろうね。
でも、当時は、ほとんど化粧品CMが云々とかこだわってなかったから、テレビ見てて、「ビビッ」っときた曲をマネしてた・・・みたいなところもあったしなぁ。
この曲はさ、当時から言うと、意味はよくわかんないんだけど、曲を聴いてるだけで、「絵」は浮かんでくるんだよね。
出だしからの
♪ 素肌に肩袖 通しただけで、色とりどり 脱ぎ散らかした 床に広がる絹の海〜 ♪
ってところは、ほんと絵になるよなぁ。もちろん、根っこの部分は日本的で・・・。
で、もって、そうなると、この場合は、「脱ぎ散らかした 床に広がる絹の海〜」はやっぱ、キモノだろうなぁ・・ とか、いろいろとさ
さすがは、阿木耀子女史の作品。プロっぽいよなぁ。
ま、いまになって、よくよく聴くと、この曲って、「不倫」の唄なんだけどさ、当時は、そんなのよくわかんなかったから。。。
それでも、艶っぽい日本情緒な絵っていうのは、浮かんで来たもんだよなぁ。この季節だから、バックには、雪が降ってたりして・・・。
もしさ、「ベストテン」に出演して、セットがあったら、こんな感じのセット・・・っていうのが、浮かんでくるようよ。
ま、ウタって言うのは本来、そういうもんじゃなきゃイケンものだっていうのがよく分かるんだよね。
しかし、当時、「テレビに出ない」とツッパッてた、南こうせつも、いまや、ぜーんぜん、普通にテレビにでてるもんねぇ・・・。やっぱ年とって丸くなったんですかねぇ。
松山千春もそうだけどさ。。 千春の場合は、なんせ、「ベストテン」に出演した・・・ってだけで、ニュースになっちゃったくらいだから

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今回の1曲セレクトは、「紳士同盟」薬師丸ひろ子です。
まずはデータです。
・タイトル 紳士同盟
・アーティスト 薬師丸ひろ子
・作詞 阿木耀子
・作曲 宇崎竜童
・編曲 武部聡志
・リリース日 1986年11月24日
・発売元 東芝EMI
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 11.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1986年12月22日付
・タイアップ:映画「紳士同盟」主題歌
ここのところ、FM東京聴いてると、どーっかで聴いたことあるジングルだよなぁ・・・っていうジングル、よく流れるのよ。 コーセー化粧品のジングルなのは分かるんだけど。。。。
あ、そうだ。昔、FM東京系で土曜日にやってた、「コーセー歌謡ベストテン」のジングルだ。
♪ コーセー 化粧品 歌謡ベストテン〜 ♪ っていうジングル。 ・・・・っつか音がなきゃ分かんないか。
このジングル、今、そのまま、FM東京の森高千里の番組のジングルに「流用」されてるんだよね。スポンサーが同じコーセー化粧品なのをいいことに。。。
なんでねぇ、なーんか変な感じなのよ。
変な感じって言えば、コーセー歌謡ベストテンって変な曲が、よく1位とってたよなぁ。 なんせ化粧品会社がスポンサーでしょ。 ライバルの化粧品会社のキャンペーンソングは「御法度」だったもんで。。。



なんで、え゛、なんで、この曲が1位? って曲が1位取ってたりしたのよ。
今日の1曲セレクトは、そんなコーセー歌謡ベストテンで1位を取ってた、変な曲・・・・だったりして



薬師丸ひろ子の「紳士同盟」
まあ、ベストテンマニアのヒトならいざ知らず、普通のヒトなら、もう、こんな曲完全に忘れてるよね。
言われてみれば、そーいえば、こんな曲あったよな・・・って感じですかねぇ。
だいたい、ワタシにしても、ほとんど忘れてるもん、この曲。
なんか、曲ねーかな・・・なんて考えて、うーーんとひねって、あ、そういえば・・・なんて感じで出てくるくらいで。。

ただ、忘れられてしまった曲にしては、結構、曲として「ひねり」があって、面白いっちゃ、面白い曲ではあるんだけどね、この曲。
うーん、体操競技でいえば、前方2回ひねり・・・って感じかなぁ(なんのこっちゃ。。。)。
・・・・なんてね♪
だって、サビの部分で、いっきなり、曲が変わっちゃうじゃん。
それまで、サスペンス色が強い、マイナー系の曲だったのが、いっきりなりサビで、メジャー系の、それもタンゴ調に変わっちゃうの。もうね180度を超えてるね、この変わり方は。
ま、さすがは、阿木耀子−宇崎竜童コンビだよな・・・って言う感じはするけどね。
うん、まあ、曲の仕掛けとしては、一連の山口百恵のヒット曲を下敷きにしてるんだろうな、この変貌は。
やっぱ、「プレイバックPart2」で、曲を止めちゃうとか、「美・サイレント」で歌詞を消しちゃう・・・とか、発想としては、その延長上にあるとおもう。この曲調を変えちゃうっていうのは。
まあ、阿木−宇崎 コンビならではな曲って言うところだろうな。
・・・・なんてね♪
ほらみろ、変な曲持ってきちゃったから、動画が無いじゃんか。。。。 って探してみたら「中国」の動画サイトにあった。 一応リンク
http://v.youku.com/v_show/id_XNTAwNTkwNDYw.html
うまく繋がらないかも知れんけど。。。一応、個人的には見れました。
・・・・・なんてね♪ なんてね♪
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今回の1曲セレクトは、「ハリウッド・スキャンダル」郷ひろみです。
まずはデータです。
・タイトル ハリウッド・スキャンダル
・アーティスト 郷ひろみ
・作詞 阿木耀子
・作曲 都倉俊一
・編曲 都倉俊一
・リリース日 1978年9月21日
・発売元 CBSソニー
・オリコン最高位 13位
・売上げ枚数 13.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位
メインPCのハードディスクの寿命⇒交換⇒システム再セットアップで、ここ数日間、きちんと1曲セレクトが書けなかったんですが、ようやく、新しいハードディスクの交換が済んだので、いつも1曲セレクトに戻ろうかと思います。
でぇ、その1曲目なんですが。。。。これもちょっと悩んだんですよね。
うん、で、どうしようか・・・と。1979年、1982年当たりは、まだ書きたい曲があるけど、困った時の・・・だからさ。ちょっと、外して、1978年の曲を持ってきましたわ。
郷ひろみ「ハリウッド・スキャンダル」
時代的に言うと、この間大橋純子「たそがれマイラブ」の時にも書いたんだけど、丁度、ワタシが「ヒット曲」の世界にドップリつかり始めた頃ですね。
でも、この曲、かなり後まで、記憶になかったんだよなぁ。・・・というか、タイトルを聞いても曲が浮かんでこなかったの。 曲を聴けば、「あ、そういえば、こんな曲があったな」って思い出したんだけど。。。
何度も書いてるけど、新御三家の中では、かなり西城秀樹派で、野口五郎も郷ひろみも、あんまりあのころ興味がなかったっていうのもあったかもしれない。
証拠に、初めて「ザ・ベストテン」を録音した時(1979年2月8日放送分)、10位の「地上の恋人」(郷ひろみ)と8位の「送春曲」(野口五郎)は、録音してなかったりする。。。
ちなみに、9位の「遥かなる恋人へ」(西城秀樹)は、きちんと録音してある。。。

だから、当時は、この曲もあんまり、関心なかったのかもしれないな。
改めて、「あ、いい曲だな」と思ったのは、大学に入った頃かなぁ。当時、フジテレビの月曜深夜に放送してた「19××」の「1978年」特集の時だ。
まず、タイトルと中身に、ずげぇ「ギャップ」があるなぁ・・とは思ったんだけど・・。
「ハリウッド・スキャンダル」? ・・・ってことで、「ダイバード」とか、あの辺のアクションもののイメージが浮かんでくるんだけど、全く違うんだよね。
なんつぅうの? タキシードが似合いそうな大人のムード。一昔前だったら、尾崎紀世彦が歌いそうな・・・。エンターテイメントの局地のような曲。ただ、会場の真ん中にミラーボールが回っているような・・・。
わりゃりゃ・・・それこそキャバレーやないか!? じゃなくて、もうちょっと高貴なホールってイメージやね。
ジャケ写が「サタデーナイトフィーバー」のジョントラボルタのパクリで、いかにも時代を象徴してるけど、だからと言って、ディスコ物でもない。
そんな矛盾だらけの曲なんですよ。でも、そこが面白かったね、逆に。
これで、曲も「サタデーナイトフィーバー」だったりしたら、それこそパクリじゃんで終わりそうなんだけど、ワザとはぐらかしてる様な気もする。
それとも当時の「ハリウッド」のイメージってこんな、エンターテイメントな感じだったのかしらん? いや、さすがにそれはなかったとは思うけどねぇ。。
このころの都倉氏といったら、ピンクレディー一色だったけど、全くピンクレディー色が出てこないところがいいんだよね。
完全にピンクレディーより一段高いところのエンターティナーを意識したつくりになってるもの。
ある意味、都倉氏にとっても気分転換で書いているようなラフさもところどころ見られる。
だけど、郷ひろみにとっては、この曲と出会ったことによって、エンターテイメントっていう世界を一段階、高いところから見れるようになったんではないですかねぇ。
まず、それまでの筒美京平氏に曲を提供されていた時代とは、全く異なるようなチャレンジ曲でしたからね。
まあ、ファンは、それによって戸惑ってしまったのか、この曲から暫く、売上げは低迷してしまう。
ただ1年後、やっぱり、エンターテイメント感いっぱいの「マイ・レディー」で復活するわけだから、やっぱり、この曲を経験することによって、郷ひろみってエンターテイメントの考え方が変わったんじゃないかなぁ。
それ以降は、より、ストイックにエンターテイメントを追及して行く方向に向き、孤高の人になっちゃったもんね。
まあ、いい意味でも悪い意味でも一つのターニングポイントになった曲でしょうね。郷ひろみにとって。
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今回の1曲セレクトは、「絶体絶命」山口百恵です。
まずはデータです。
・タイトル 絶体絶命
・アーティスト 山口百恵
・作詞 阿木耀子
・作曲 宇崎竜童
・編曲 萩田光雄
・リリース日 1978年8月21日
・発売元 CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 37.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1978年9月4日〜11月13日付
この間、山口百恵さんの曲を書いたばっかなんだけど、またまたセレクトしてきました、山口百恵さん。
とは言うモノの、今ごろの山口百恵の曲で残っているのは・・・と思いーの。。
ありましたわ78年の「絶体絶命」
あれれ、この曲、まだ書いてなかったんだ。。ちょうどいいからもって来るわ。
えー、唐突ですが、山口百恵と「ザ・ベストテン」とワタシっていう関係からすると、まずもって、ベストテンっちゅう番組をはじめて見たとき、ランクインしてたのが、この曲だったな。
だからというわけでもないけど、なんか好きだったぁ、この曲。
まあ、いわいる百恵の「ツッパリ」路線であり、多分そのなかでも、とみにロック食が強かったのがこの曲になるんちゃうかな。
まあ、後年の「ロックンロールウイドウ」に通じることもままあるんだけど。。
あ、中森明菜って言うヒトは、完全にこの辺のパクリね。うん、曲そのものというよりは、曲のマネージメントの仕方がさ。初期の中森明菜は、スロー⇒アップテンポが変わりばんこずつだったじゃん。そのあたりがさ。
ただ、どこの部分に引っかかったか・・・っていうところがないんだよなぁ。曲全体的に引っかかったっていう方が正しいか。
このころは、完全にシロート感覚だったからさあ、「スター」山口百恵歌ってる・・・ってだけでよかったのかもしれない。
ただ、本来は、前曲の「プレイバックPart2」と、次の「いい日旅立ち 」をつなぐ、いわいる「つなぎ」の曲なんだよね、位置づけ的には。それでも、これだけクオリティが高く、しかも、コンスタントに30万枚以上は軽くクリアしてたわけだから、山口百恵人気も78年はピークだった・・・ってわだよなぁ。
ま、別の見方をすれば、「つなぎ」と言っても、この時期の山口百恵は、「捨て」曲なしの、すべてが勝負曲とも取れるんだけどね。
成熟期とでも言いましょうか。このヒトは感覚的にスルドイ人だから、このころの成熟期をみきわけて、結婚→引退っていう青写真を書き始めてたんだろうな・・・なんても思えるころの曲だと思いますね。
ちなみに、この曲があったおかげで、学校の漢字のテストで「絶体絶命」を書けるようになった・・・と

絶対絶命 × 絶体絶命 ○ ・・・だかんね・・と。
ちなみに、「君に薔薇薔薇・・・という感じ」で「薔薇」って漢字が書けるようなりました。。
ヒット曲も使いようで、勉強になるのよね。
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今日の1曲セレクトは、「お化けのロック」郷ひろみ 樹木希林です。
まずはデータです。
・タイトル お化けのロック
・アーティスト 郷ひろみ 樹木希林
・作詞 阿木耀子
・作曲 宇崎竜童
・編曲 萩田光雄
・リリース日 1977年9月1日
・発売元 CBSソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 40.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1977年9月26日〜10月17日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「ムー」挿入曲
いつもは全然脳裏に浮かばないんだけど、時々、変な曲が脳裏を掠めることってあるんだよね。 うーん、いつも頭ん中で時空を旅してるんで、へんな病気に罹ったかしら?
まあ、「1曲セレクト」を書くために、絶えず、脳内時空空間を漂ってるんで、そんなになっちゃったんだと思うけど


この間も、あれよ、いつもは全く聴いてない曲なのに、なんかの拍子にパッと浮かんできた曲があったのよ。 それが、今回引っ張ってきた「お化けのロック」だったりして


まあ、この曲、38年前の「今頃」のヒットだったわけで、10月ごろになったら書こう・・・って前々から思ってたことが、なんかの拍子に頭の引き出しから出てきちゃったんだと思うけど・・・。
・・・ということで、「お化けのロック」を。
なんて、書き方をすると、いかにもヒット当時から、この曲を聴いてきた・・・ように感じるけど、77年といえば、ワタシャ、まだ、ヒット曲の世界には足を踏み込んでない。
「8歳」ってこともあるけど、当時は「ポールモーリア」っていうフィールドがあったもんで


実際聴いたのは、正直、最近ですよ。 10年以内の過去だと思う。車運転してて、たまたまラジオでかかったのを聴いたのが、最初かなぁ。
郷ひろみってのは、一発でわかったんだけど、なんか聴いたことない曲だよなぁ・・・とかさ、思ったりしてさ。
一瞬、新曲か? なんて思ったりもしたけど、こんな「コミカル」な曲、新曲なわけないよね。
まあ、翌78年の「林檎殺人事件」と、毛色が似てるんで、すこし聴いて、「あ、そうか、これか」っていうのがわかったんだけどさ。
ちなみに、この曲は、このころ、TBSの水曜日21時〜放送してた、ドラマ「ムー」の挿入曲だったんだよね。
巨匠、久世光彦氏プロデュースの話題作っていうかさ。 久世氏っていうと、それ以前の「時間ですよ」などでもそうだったけど、ドラマの中で挿入曲を「生唄」として扱って、それをヒットさせちゃう・・・っていう演出手法があったじゃん。
「時間ですよ」からが、浅田美代子の「赤い風船」などのヒットが出てきたわけだけど、「ムー」からは、これなんだよね。
で、次の「ムー一族」からは例の「林檎殺人事件」・・・と。
いずれにしろ、このころ、長く、20数万枚止まりが続いていた郷ひろみにとって、3年ぶりの40万枚ヒットってのが、この曲だったわけで、当時、いかに、この曲が人気があったか・・・ってことなんだよね。
もっとも、この曲、「お化けのロック」単独ではなく、「帰郷」って言う曲との両A面扱いでリリースそれたわけで、どちらの曲ともに支持されたんで、いつもより売上げが多くなっているっていうのもあるんだけど・・・。
それにつけても、なんで、この曲が人気があったか・・・っていうと、やっぱ、それまでの、郷ひろみのイメージが、いい意味で「壊れた」ってところだろうなぁ。
うん、郷ひろみっていまでも、そういう部分があるけど、「孤高」のエンターティナーっていうイメージがあったのよ。ストイックというかさあ。
そういうイメージが壁になっていたのか、それまでの3年間、いわいる新御三家と言われた、西城秀樹、野口五郎の中では、一番、レコード売上げはぱっとしなかったのよね。安定はしてたけど。
(今となっては、ちょっと信じられないけど・・・。ちなみに、当時、3人の中で一番レコードを売ってたのは、野口五郎なんだよね。 これも、今となっては信じがたいことだけど・・・。 最も、この頃を境に失速しちゃったんだけど・・・。)
で、 そこに来て、いきなり「三枚目」な部分を出してきたわけだから、これは意外だったわけだよねぇ。予想外な展開っちゅうわけで。
まあ、それを引き出したのが、久世光彦氏であるわけだけど、それ以上に、この曲の相棒となった、樹木希林さんの影響がでかかったようなんだよね。
プロとしての「三枚目」を教わったのは、樹木希林さんっていまでも公言してるくらいだから。
いずれにしろ、この曲で、郷ひろみの新たな一面を開拓できたってのは、大きかったろうねぇ。
さいきん、この手の曲、全くやらなくなったけど、また、やればいいのにねぇ。なんかのタイミングで。
ちなみに、この曲の作家陣は、作詞 阿木耀子、作曲 宇崎竜童、編曲 萩田光雄・・っていう、もろ山口百恵な布陣。
でもね、この曲の頃、ちょうど、山口百恵は、さだまさし、作詞作曲の「秋桜」を歌ってたんだよねぇ。
・・・・ということで、体が空いた、阿木耀子、宇崎竜童は、こっちを担当した・・・ってことなんだろうね。
これも、山口百恵、郷ひろみ、両人を手がけていた、酒井政利氏だから、なしえた「ワザ」というところですかね。
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