かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

阿木燿子

初恋草紙 / 山口百恵

1977_02_初恋草紙_山口百恵


今回の1曲セレクトは、「初恋草紙」山口百恵です。

まずはデータどぇす。

・タイトル    初恋草紙
・アーティスト  山口百恵
・作詞      阿木燿子
・作曲      宇崎竜童
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1977年1月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   24.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1977年2月7日〜3月7日付

1か月ぶりの「1曲セレクト」です。
年明け早々、四半期ごとの超繁忙期に突入するっていうのは、分かってはいるんだけども、今回は、ちよっと訳わかんなかったですね。ワタシも。
ルーティーンの作業に加えて、新規のお客さん対応も加わったりして。さらに同僚が倒れて、ウチのチームから急遽、そちらのチームに1人異動になったりして。。ほんと、プチパニックな状態でしたわ。
まだ、やることはいろいろ残っているんだけども、とりあえず、ルーティーン作業に区切りがついたんで、久々に「1曲セレクト」なんぞ書いてます。


ここんところ、KBC(九州朝日放送)ラジオで毎週土曜日の13:00〜19:00で放送している、「サタデーミュージックカウントダウン」に嵌っているんだよね。
今どき6時間ものワイドなランキング番組なんて、少なくとも関東地区のラジオ番組ぢやないし。
「今」のランキングだけでなく、「タイムマシーン」っていうコーナーで、毎週「お題」を設けて、お題に沿った「過去曲」をリクエストを交えてO.Aされるのよ。

この「タイムマシーン」で流れる曲が、個人的には、いちいちツボでさ。
ワタシは、千葉なんだけどもradioプレミアムを通じて毎週聴いてますわ。 

いやいや、今は便利なツールがあるよね。  ラジオのランキング番組に毎週末、6番組ハシゴしていた1980年代には、こんなことできなかったからさあ。
確かに、夜、電波状態が良くなってから、かすかに聞こえてくる関西のラジオを聴いたりしてことはあったけど。。

で、昨日(2/5放送)は、特集のお題が「あの大ヒット曲の次の曲、覚えてますか?」

オンリーワンビッグヒットソングを持ったアーティストなどの誰もが思い浮かぶような大ヒット曲の、その次のシングル曲にスポットを当て、覚えている曲なのか?はたまた全く記憶にない曲なのか?を探ってみたいと思います

これまたいろいろツボな曲がかかったわけなんだけども。。。

ただ1曲、山口百恵さんの「横須賀ストーリー」の次の曲・・ということで、「パールカラーにゆれて」がかかった。

まあ、リスナーのリクエストでかかったんで、第三者のワタシがどうこういう筋合いはないんだけども。。。

うーむ、山口百恵さんだったら、このパターンだよな・・・

と、個人的には思ったパターンがありまして、引っ張ってきたのが、今回の「1曲セレクト」の曲。


山口百恵さん「初恋草紙」


この曲、以前「赤い衝撃」を書いた時に、チラチラ書いた記憶があるんだけども。。。。

そそそ、百恵さんのシングルのリリース順で言えば、「赤い衝撃」の次のシングル。かつ、「夢先案内人」の1曲前のシングル。

つまりさあ、50万枚セールスだった前曲「赤い衝撃」と、これまた40万枚セールスだった「夢先案内人」っていう、百恵さんのシングルでも代表格に匹敵する大ヒットにポツンと挟まれた、世間的にみれば印象に薄いシングルなんだよね。

なにせ、74年の「ひと夏の経験」で大ブレイクして以降、引退するまでの一連のヒットシングルの中で下から3番目に売り上が低い1曲なわけでさぁ。。。


正直、個人的にも、この曲ずっと知らなかったんだよなぁ。いわいる「懐かし番組」なんかでも、この曲は流れているところを聴いたことなかったし。。。

1977年1月リリースといえば、ワタシゃ7才。 小学1年生の頃ですわ。 まだ、ヒット曲は知らなかった頃。

だから、この曲の存在を知ってからは、逆にずっと気になっていたりしたんだけども。。。


実際音源聴いたの、つい最近ですわ。 百恵さんのベスト盤「ゴールデン☆ベスト 山口百恵 コンプリート・シングルコレクション」あたりで聴いたんじゃなかったかなぁ。

だから最近も最近。 1曲セレクトをすでに書き始めた後ですね。

イントロのオカリナの音色にしても、全体的に歌謡曲タッチな曲調にしても、まずもって「素朴」というのが印象なんだよね。百恵さんのシングルにしては珍しいくらいの。

ただ、やっぱりインパクトに薄い・・っていうイメージは拭えない。
どちらかといえば、A面タイトル曲というよりは、B面に近いような。

・・・かといって、全くのB面的かといえばそうとも言えない。。。 判断が難しい曲ではあるんだよね。
アルバムの1曲で、やや目立つ曲があったりするじゃない? それじゃシングルに切れるのかといえば、そうじゃない・・・っていう曲。 そんなイメージなんだよな。 この曲。
口悪く言えば、「つなぎ」の曲っつうか。。。。

例えば、79年の「美・サイレント」のころだったら、恐らく、この曲B面だったような気がする。
「美・サイレント」B面の「曼珠沙華」なんてすごかったじゃん。インパクトの塊で。あの曲でタイトル曲じゃないんだもの。(もっとも尺が長いんで・・という見方もあるが)
79年くらいの百恵さんは、そのくらい楽曲的には充実してたし。

それよりも、わずか2年前とは言え、77年の初動の頃は、まだそこまでの充実度は、なかったんじゃないのかなぁ。 百恵さんの楽曲が本当の意味で充実したのは、「夢先案内人」以降のように感じるんだよね。


それに、この曲リリースサイクルの辻褄合わせて的なリリースでもあったしな。

前年76年まで、百恵さんのリリースは、3、6, 9, 12月のいわいる四半期最後のサイクルだったわけよ。

でも、76年は11月に「赤い衝撃」のリリースがあったんで、それまでのサイクルが狂ってしまった。

この「初恋草紙」の作家陣からして、恐らく、この曲のリリースは本来は1976年12月だったんだろうね。 でも、「赤い衝撃」がリリースされたために、12月に連続リリースというわけにはいかなくなって、1977年1月にずれた。 

ただ、それじゃ、次の「夢先案内人」のリリースを、また2か月間隔にして3月リリースにすれば・・とも思うんだけども これまた4月1日にずらされていたりするんだけどね。

これは、「夢先案内人」のリリースを3月にすると、「1976年度」のリリース枚数が5枚になってしまって、契約枚数を越えてしまう。。

そんな所なのかもなぁ。。。 まあ、あくまで、私の勝手な想像ですけど。。。。

これが本当ならば、1977年度は77年4月から78年3月まで、シングル5枚出しているんで、どうなんだ? って話にもなるし。。。



和風テイストで言えば、79年の「愛染橋」に近いイメージもあるけど、あれよりも、もっと「素朴」。

そういえば、「ひと夏の経験」で大ブレイクして以降、引退するまでの一連のシングルのなかで、一番売り上げが2番目に低かったのが「愛染橋」の22.1万枚。


もっとも、一番売り上げが伸びなかった「赤い絆」は、ドラマの主題歌で「臨発」っていうイメージが高かったからな。


だから、実質的には「和風テイスト」の2曲が、売り上げが伸びなかった、ワースト2曲とも言えなくもないのよね。

ようべつの動画のコメントなんか見ると、「この曲好きです」っていうコメントも多いんだけども、一般的には、今一つ、なんか物足りない・・・っていう印象だったんでしょうね。
百恵さんのイメージではなかったのかもしれないな。


ただ、ぱっと聴き、「70年代」というイメージではあるんだよね。 そそそ、70年代の歌謡ポップス。
ポップスとついてるけど、どこかあか抜けない。

なんていうのかなぁ、街の中の純喫茶のような。 そそそ、「カフェ」ではなく「純喫茶」。

コーヒー店なのに、あんみつとか、やきそばとかも出すような。

でも、そんなあか抜けないところに、どこか安心感を感じてしまうような。
70年代ってそういう時代だったような印象が強いんだよね。 例えば、布施明の「積木の部屋」とか、野口五郎の「私鉄沿線」なんかもそうじゃない?  

一見あか抜けていそうで、実はあか抜けていない。 そこに安心感があった時代だったと思うのよ。70年代って。

まあ、この「初恋草紙」は、そんなあか抜けない、70年代歌謡ポップスの典型と言える1曲なんじゃないのかなぁ。




でも、つなぎといえば、ジュリーの全く同じ時期のシングル「さよならを言う気もない」も、「コバルトの季節の中で」と「勝手にしやがれ」という両ヒットの間に挟まれた、つなぎっぽい曲ではありましたよね。
秀樹の「ラストシーン」も、ファンの間では人気が高いけど考えようによっては、つなぎっぽくも感じるし。。

1977年のこの時期って、得てしてそういう時期だったのかもなぁ。

1977年って、春ごろから一気に曲調が華やかになったような印象が強い。 1977年の今頃って、業界全体的にそういう時期だったのかもな。



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晴れ、ときどき殺人 / 渡辺典子

1984_04_晴れときどき殺人_渡辺典子



今回の1曲セレクトは、「晴れ、ときどき殺人」渡辺典子でする。

まずはデータから

・タイトル    晴れ、ときどき殺人
・アーティスト  渡辺典子
・作詞      阿木燿子
・作曲      宇崎竜童
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1984年4月21日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   15.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 17位
・タイアップ:角川映画「晴れ、ときどき殺人」主題歌

久々に1日に2曲目の「1曲セレクト」。
まあ、本日は1日雨だったし、久しぶりになーんにもやる事のない1日だったんでもたまには複数曲書く日もあっていいかな・・・・と。 ここんところ、あんまり1曲セレクトも書いてなかったしな。

本当は初め違う曲を書こうと思っていたんだけどさ、84年の今頃のオリコンチャート見てたら、まだ書いてなかった曲があったのに気が付いて、急遽、曲変更。

当初書こうと思ってた曲は、今の時期、すでにランクも下降しちゃってたんで、またいずれ・・・ということで。

で、引っ張ってきた曲が

渡辺典子「晴れ、ときどき殺人」

なんとも物騒なタイトルだけど、これは、同名映画の主題歌ということで、もともとは赤川次郎の小説のタイトルですわな。

・・・と、さも小説も読んだように書いたけど、実際小説は読んでない。映画も見てない・・・ということで、一体どういうストーリーなのかも分からなかったりして。。。。

当時、薬師丸ひろ子さん、原田知世さんにつぐ、角川三人娘の一人であった、渡辺典子さんだっただけに、もちろん、これも角川映画であったわけで、その主題歌だったわけだけども。。。

正直、この頃になると、個人的には角川映画にも「飽き」が来てたんだよね。

いや、実を言えばこれ以前にも、角川映画はあんまり見てなかったんだよな。 自分で進んで映画館に見に行ったのは、81年薬師丸ひろ子さん主演の「ねらわれた学園」だけだったような気がする。

83年原田知世さん主演の「時をかける少女」は、大林宣彦監督、尾道三部作第2弾ということで、この後テレビで見たし。
薬師丸さんの「セーラー服と機関銃」や「Wの悲劇」なんて、実は最近BSで見たのが初めてだったの。

当時、邦画にはあんまり興味がなかったというのと、そもそも千葉まで行かないと映画館がなかった時代、そうそう映画を見に行くってこともしなかったというのが、一番大きかったな。

だから、この「晴れ、ときどき殺人」って映画も見てなかったわけですわ。

しかも、その主題歌だった、この曲さえ、ヒット当時は、まともに聴いてなかったんですよ、実は。

この曲オリコン最高位11位ってことで、ベストテン入りしてなかったしね。

当時のラジオのベストテン番組でも、ベストテン入りしていた番組は少なかったと思う。

唯一ベストテン入りしていない曲も、たくさんかけていた文化放送の「決定!全日本歌謡選抜」も、
高校受験対策で通い始めた「塾」の時間がかぶっちゃって、じつは、84年4月〜85年2月にかけては、ほとんど聴けなかったんだよね。 
塾が終わってチャリを飛ばして、ベストテン発表に何とか間に合うような状態だった。 

だから84年ってベストテン内の曲は、よく覚えてるんだけども、ベストテンに入らなかった曲って、あんまり覚えてないんだよな。

この曲なんかは、その「割を食った」1曲だったろうな。

サビの ♪はーれ ときどき キルミー〜 ♪ って部分は知ってたけどさ。 
だから、この曲も曲全体を改めて聴いたのは、 実はごく最近だったりするのよ。

いつぞや、ラジオでこの曲が流れてて、最初は全然、何の曲だか分かんなかったの。

まさかこの曲が、フルオーケストラのミュージカル風な楽曲だったなんて、知らなかったんだもの。

完全にタイトルに騙されてましたね。 ↑で書いたように「晴れ、ときどき殺人」なんて物騒なタイトルが付いてるじゃん。 もっとオドオドロシイ曲かと思ってたの。ずっと。

渡辺典子さんのこの曲の次の曲で「いつか誰かが」って少しサスペンスががった曲があるんだけど、そういうイメージがあったんだよな。全くイメージと違うんだもの。

 イントロだけ聴くと、「ゴールデン洋画劇場」か なんて思っちゃうし。 その後も全編にわたって、まるでディズニー映画の音楽の世界だよな。

当時の日本映画の映画音楽のイメージからするとちょっと驚きな曲調ではあるな。

そもそも特に薬師丸さんが出てきた以後の角川映画の主題歌って、たしかに曲そのもののクオリティは、普通のアイドル映画よりは高かったものの、どうしても通常の「ヒット曲」の曲想からは離れなかったし、これ以後もそうだったしな。

だから、この曲って、今に至ってもかなり特殊な曲調の主題歌だったといえると思う。 

この曲がミュージカル映画だった・・というならば、分からなくもないけど、特段そういうわけでもなかったわけですよね。
まあ、実際見てないんで、何とも言えないんだけども。

それとちょっとビックリなのは、 作詞 阿木燿子、 作曲 宇崎竜童、 編曲 萩田光雄 っていう、もろ山口百恵な作家陣ですよね。

そんな、もろ山口百恵な作家陣でありながら、このミュージカル風な楽曲だもんね。まったく想定つかない・・・というか、この作家陣を見ると、どうしても山口百恵さんのような曲想をイメージしてしまう。

いや、「出し手」側も、このお三人に曲を発注するときは、それまでは端から山口百恵さんのイメージで発注したんだと思う。 
例えば83年の柏原芳恵さんの「ちょっとなら媚薬」とかさ。 この御三方でもろ百恵さんアゲインだったわけじゃん。

でも、この曲には、そんな山口百恵さん「臭」がかけらも感じない。 ここがいいですね。

まあ、たしかにこの曲の前の「少年ケニア」にもそれに近いところは感じてはいたけど、ここに来て、完全に山口百恵さんの「残像」が消えましたよね。 
そんなところからも、80年代と言う時代がさらに深まった感がある1曲ともいえるかもしれないな。






しかしさ、角川三人娘の中でも渡辺典子さんって、どうもジミだったんだよなぁ。 口悪く言えば「パッ」としなかったというか。。。。
3人の中では一番「美人」だったんだけどねぇ。

美人ではあったけど、なんていうのかなぁ、華やかさっていうのが今一つだったのかもなぁ。

それと、歌唱力っていう点ですね・・・・。

・・・なんて、原田知世さんも当時の歌唱力はどっこいどっこいだったんだけどもね。 

ただ原田さんの場合、この後、曲ごとに彼女ならではの「味」が出てきてましたからね。そのあたりが強みだったんだと思うけど、渡辺典子さんの場合は、彼女ならではの味っていう所があんまり感じなかったのも弱点だったかもな。

結局、そういうところが、レコード売り上げにも、もろ反映してたんだよな。
結局オリコンベストテン入りしたのは1曲目の「少年ケニア」だけだったわけで、2曲目のこの曲では早くもベストテン入りできなかったですから。



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