かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

阿久悠

気まぐれヴィーナス / 桜田淳子

1977_07_気まぐれヴィーナス_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「気まぐれヴィーナス」桜田淳子です。

まずはデータですよ。

・タイトル    気まぐれヴィーナス
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      阿久悠
・作曲      森田公一
・編曲      船山基紀
・リリース日   1977年5月15日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1977年6月13日〜6月20日付

個人的に、過去の「ヒット曲」を集めるのが好きで、高校生の頃からちまちまと、少しずつ音源を集めて来ているんだよね。かれこれ35年以上になりますかね。

まあ、35年やってると60年代以降現在までのヒット曲のクロニクルが出来てくるのよ。 
そんなヒット曲の変遷がわかるようなカセットの編集が昔から好きでさ。
新しい音源を買っちゃあ、ある程度溜まったら、カセットを作り直して・・・なんて、35年で何回やったかなぁ。。。

どうも、性格なのか、曲がキチンとヒットした順に並んでないと気が済まないんだよね。

だから、曲ごとにIDつけて、ノートに整理して、新たな音源買ったら、新たなIDつけて・・・整理して、カセットに録音して・・・なんて、大分やりましたね。

そもそも、お店の有線で、80年代チャンネルとか流れてることって結構あるじゃん。。80年代といってもヒット年はバラバラで流れるよね、普通。
例えば82年の曲の次に 86年の曲が来て、次が80年、次が85年の曲とかさ。
あれ、だめなのよ。ワシ。 なして、82年の次に86年の曲が来るんや・・・っていらいらしちゃたりして。。。 ちゃんとヒット順に並び替えたくなっちゃったりして。。。。

だから、時には数百曲並び替えて、音録り直して・・・なんてこともやってたな。
なんせ、アナログ作業だったからさ、2〜3日かかっちゃって、それに連休を全部潰す・・・なんてこともありましたねぇ

でも、今は、デジタル音源ファイルになったし、PCで整理できるから、だいぶ楽になりましたね。あの頃に比べると。
しかも、全楽曲の音源ファイルのアルバムタイトルタグを、例えば「ヒット曲」とかに統一してヒット順にIDをつけて管理すれば、1つのフォルダで60年代以降、現在までのヒット曲を、ヒット順で管理できる。
まあ、あくまで個人レベルだけども、ヒット曲の音源クロニクルデータベースですよ。

それでも、なんせ個人的に刺さった曲しか音源集めない悪い癖があるんでね。まだまだベストテンヒット全網羅するまでは程遠い。
やっと半分くらいですかね。。。80年代は大分集まったけども、70年代、90年代はまだかなり「抜け」がある。

音源を集めるといっても、サブスクの圧縮音源ぢゃだめで、あくまでCDクオリティ以上の非圧縮音源。加えて、極力「オリジナル」のシングルバージョン。リミックスとか別バージョンはダメなのよ。
サブスクの場合、リミックスとか、アルバムバージョンとかの別バージョンしかない曲が結構あるしな。結局、未だに頼るのはCDってなっちゃうんだよな。あるいはアナログレコード音源。
もっとも、リミックスとかアルバムバージョンの方が、シングルバージョンよりもいい曲もあるんで、最近はちょっと妥協してきたけど。。。

まあ、そんなわけで、未だに、ちまちまと少しずつ、過去のヒット曲の音源を集め続けているのよね。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな最近、集めた音源の中から一つ。

桜田淳子「気まぐれヴィーナス」。

なんかさ、「最近集めた音源」の1曲がこの曲っていうのも、もしかすると首傾げたくなる方もいらっしゃるかもな。
70年代アイドルのスーパースターの一人である淳子さんの曲なわけでさ。

ただねぇ、個人的に70年代アイドル、そうね、元中3トリオの中でも、百恵さんに比べると、引っかからなかったというが大きいんだろうな。 当時から。
ちなみに新御三家のなかでは、郷ひろみ氏にも、当時は引っかからなかった。
まあ、あくまで個人的な好みという点でだけど。

だからね、最近まで淳子さんの当時のヒット曲の音源って、個人的にあんまり持ってなかったのよ。

でも、時代によって好みも合わってきたわけだしね。当時はひっっから無くても今、改めて掘り返すと、しっくりと来る曲もあったりするわけで、最近、少しずつ淳子さんの音源も改めて集めだしてたりするわけですわ。

今考えると、1977年って、いわいる「歌謡ポップス」ってほとんど聴いてなかったんだよな。
ここでも何回も書いてるけど、個人的にあの頃は「ポールモーリア」に傾倒していたし、洋楽ヒットの方が刺さってた、やな「ませがき」でさあ。 
いわいる歌謡ポップスは一段見下していたのよ、今思うと。
まあ、いわいるアイドルを見下していたオヤジの影響も大きかったんだけどね。

だから、いわいる歌番組っていうのを、あの頃我が家ではほとんど見てなかったのよ。
「8時だよ全員集合」なんかでも、ウタになると、オヤジが、裏のナイターにチャンネル回しちゃってたからさ。

だから、正直言うと、あの頃のいわいる歌謡ポップスって、ほとんど聴いてなかった。

ま、おふくろがジュリーが好きだったし、個人的にはキャンディーズとか秀樹は好きだったから、その辺は聴いてたけどね。

あとはピンクレディーか。 当時から運動音痴で踊れなかったワタシは刺さんなかったんだけども、友達の渉君(ってだれだよ? )の影響で「強制的」に聴かされていたんで、一応、曲は知ってたわけなんだけどもね。。。

でも、淳子さんは、正直、蚊帳の外だったのよ。少なくとも私の周辺では。

そんな影響が多いんだろうな。


ただね、今、この「気まぐれヴィーナス」を改めて聴くと、当時、リアルタイムで聴いてたとして、果たして刺さったかどうか、ちょっと自信持てない。

うん、曲自体はいいと思うんだよね。いかにも夏向きのアクティブな、70年代アイドルの王道のようなポップスですわ。

たださ、サウンドとメロディラインがね。。。。 悪くないんだけど古臭いのよ。あの頃の他のアイドルポップスと比べても。

リバーブがほとんどない、奥行きがない平面的な音っていうのかなぁ。いかにも狭いスタジオに閉じこもっているような・・・。。
確かに、70年代前半の曲には、この手の奥行きがない平面的なサウンドの曲ってあったよね。 特に、コロムビアとかビクターさんなどの「老舗」レコードメーカーからリリースされた曲には。

・・・っていう音が、そのまま踏襲されているようなサウンド。

どう割り引いても、1977年という時代の、すくなくとも最先端な音ではないんだよね。

最初にかいた、自分のヒット曲クロニクルライブラリーで、あの頃のヒットを順に聴いてくると、1976年から1977年あたりかけて、特にアイドルポップスについてはサウンドががらりと変わってくるのが分かるのよ。
それだけ、当時のいわいる70年代アイドルポップスって日進月歩で成熟していたんだよね。

そんな70年代アイドルポップスが最高点に達するのは、1977年の年末から1978年初頭にかけて・・と個人的には思っているんだけどさ。

うん、77年末から78年前半にかけての、いわいるA級のアイドルポップスは、今聴いても難しい曲が多いだよね。

つまりね、この「気まぐれヴィーナス」がリリースされた頃の、他のアイドルポップスの、少なくとも最先端は、だいぶ先に進んでいた・・ようなイメージが強いのよ。

この曲がリリースされた、前年76年には「夏にご用心」、そのまた前年には「十七の夏」で、いずれも大ヒットを飛ばしていた、淳子さんだけに、これらの曲に近い路線で77年夏も大ヒットを・・・っていう狙いだったんだと思うんだけどねぇ。
時代は、それよりもはるか先に進んでいってた・・・ってわけなんだよね。

併せて、淳子さんの年齢的なところもあったんだろうな。
この年の春に高校を卒業し、19歳になってましたね、淳子さんも。

今でこそ、20代後半でも十分アイドルを張ってるのは、むしろ普通になったけども、当時を考えると、二十歳目前の19才ってビミョウな年齢だったわけですわ。

当時の世間的な目から20才を過ぎると、アイドルから大人の「歌手」に脱皮を強いられる・・・っていうのが普通だったわけで。

それは、百恵さんかせ、ちょうど同じころ「イミテイションゴールド」っていう、脱アイドルっぽい曲をリリースしてきたことからもうかがえる。

それに対して、淳子さんのこの曲は、まだ「アイドル然」としたところが強いからなぁ。

たしかに、「去年のブドウは酸っぱかったけども、今年は熟して甘いでしょ」っていう、いわいる大人の女性への脱皮を伺える歌詞がお織り込まれているわけだけども、如何せん曲がねぇ。。。。
正統派なアイドルポップスなんだよね。

太陽のような「陽」の存在。百万ドルの笑顔 

って言われた淳子さん。 たしかにアイドル真っ只中の年齢の頃は大きな武器だったんだけども、
逆に大人の女性への脱皮という年齢に差し掛かって来て、逆にどうもそれが、ある意味ネックになってきてたような気もするんだよね。

これは80年代の河合奈保子さんにも同じような印象があるんだけどさ。

その辺が影響してか、この曲、結局、オリコン最高7位。 売上げ21万枚止まりに終わってしまう。

ベストテンヒットではあるけども、前年の「夏にご用心」の36万枚(オリコン2位)、そのまた前年の「十七の夏」の40.5万枚(オリコン2位)に比べると、中ヒットだよね。


熱狂的な固定ファンは別にして、一般のユーザーの人たちはシヴィアーなんだよね。その辺は。

今は、固定ファンの分母数が、当時に比べると途轍もなくデカくなっているし、そもそも固定ファン以外はCD買わなくなっているんで、その辺りの見分けがなかなかつきにくくなったけども、当時は、売り上げ推移で、よく分かったわけなのよ、その辺りが。




・・・とはいうものの、やはり大人の女性への脱皮は必須ということで、この年の冬、「しあわせ芝居」の中島みゆき、次の年の「リップスティック」の筒美京平という新機軸で大人の女性への脱皮を図ることになる。

まあ、その時はその時で、売上げも回復し、この戦略は成功したかのように思えたけど、結局長続きしないまま尻つぼみになってしまったけども。。。。
これらの曲は一時のカンフル剤にはなったけども、あくまでカンフル剤だったわけだよね。

それだけ、当時としては、アイドルから 一人の大人の女性アーティストへの変化っていうのは難しかったってことですよね。

もっとも、淳子さん、その後は「女優」という新たなフィールドを開拓することになるんですが。。。


ちなみに、松田聖子さんが、福岡時代のオーディションで、この曲を歌ったのは有名な話ですわな。

その後、「歌まね振りまねスターに挑戦」で、事務所の大先輩である淳子さんの前で、この曲を歌ったりしてるけど。。。

↓ コレ





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想い出の樹の下で / 岩崎宏美

1977_03_想い出の樹の下で_岩崎宏美




今回の1曲セレクトは、「想い出の樹の下で」岩崎宏美です。

まずはデータです。

・タイトル   想い出の樹の下で
・アーティスト 岩崎宏美
・作詞     阿久悠
・作曲     筒美京平
・編曲     筒美京平
・リリース日  1977年1月25日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  23.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1977年2月14日〜3月14日付



またまた、久々の1曲セレクトです。
・・・って、前回はここから長々とマクラを書いちゃったんだよな。
なので今回は、すんなり本題に入りますぞ。

さてさて、今回引っ張ってきた曲は、岩崎宏美さん、1977年1月にリリースされた8枚目のシングル

想い出の樹の下で

この曲さあ、いっつもヒット時期間違えるんだよな。

曲の内容からして、卒業、新たな旅立ちを想像させるし、曲調からも「春」を連想させるんで、3月頃のヒットだとばっかり思ってたのよ。

でも、実際は、リリースが1月で、ヒットのピークは2月なんだよね。

曲のイメージからすると、実際は1か月ほど早い。 で、3月の今頃はヒットのピークは過ぎて下降線に入ってた頃なのよ。

だから、いっつも書く時期を逸するんだよな。 

まあ、今回もややヒット時期からすると、ずれ気味ではあるけど、ここで書いとかないと、また書く時期を逸するんじゃないかと思いーの、ひっぱってきちゃいました。。。


個人的に、この曲嫌いじゃないんですよ。 むしろ、宏美さんの初期の曲の中では好きな曲の部類なんだよな。

この曲も、デビュー以来携わってきていた、筒美京平氏の作曲だけど、明らかにここまでの曲とはサウンドが違ってたからさ。

モノの本では、初期の宏美さんの曲は、ディスコサウンドと言われる。まあ、これは、当の筒美氏も公言しているから間違いないところなんだけども。

そそそディスコといっても、70年代終盤のサタデーナイトフィーバーではなく、バンプを経た後の、フィラデルフィアサウンドがベースとなったディスコですね。ヴァンマッコイの「ザ・ハッスル」などの黒っぽいサウンドのディスコ。

榊ひろと氏の「筒美京平ヒットストーリー1967-1998」によると、これらのディスコサウンドがベースとなっているが、うわもののストリングスなどは、それまでの歌謡曲を踏襲した・・とある。

そそそ、だから、ぱっと聴きは、それまでの70年代のヒットポップスと大きくは変わらないんだよね。
でも、リズム体は明らかにそれまでのポップスとは一線を画す。それを榊氏は「過渡期」と書いてるけど、まさにそんな感じですね。

いつかも書いたけど、70年代って前半と後半では、サウンドが全然違うって書いたことがあったけど、宏美さんの初期の一連のヒットって、まさにそんな時代の変革期真っ只中の時期のヒットなんだよね。

ただ、個人的には、大ゼッサンしたくなるほどではなかった。まあ、もともと70年代中期のディスコサウンドって、大得意ってわけじゃないからなぁ。

たしかに、大ヒットの「ロマンス」は別格だけども、その他の初期のヒットはそれほど引っかかってこなかったんだよね。 

でも、この曲では、ディスコから、ソウルへ、本格的なフィリーソウルを見せてくれたじゃん。 それが良かった。

いや、個人的には、フィラデルフィア・ソウルのほうが、ディスコよりも全然好きだったから。

あ、これは、子供頃から。

透明感のあるストリングスに、キラキラとしたブラスが絡まってくる。 

ヴァンマッコイのディスコサウンドは、黒っぽさが際立っていたけど、ソウルになると、黒っぽさは薄れ、もっと洗練されたサウンドに昇華してくるというかさ。
そんなフィリーソウル・サウンドが大好きだったんだよな。

77年は個人的には、ポールモーリアな嵌ってた頃なんだけども、そんなフレンチ・ヨーロッパ系のサウンドに対しての、もう一つの心のよりどころだったのが、実は、フィリーソウルだったりするんだよね。 多分、その二つのサウンドが個人的な音楽の根っこに今でもなっていると思うんだけども。。

うん、わが心の70年代ですよ。これらのサウンドは。

ちなみに、筒美京平氏は、この年1977年、この「想い出の木の下で」でフィリーサウンドを、秋には太田裕美さんの「九月の雨」でポールモーリアを下敷きにしてきている。
個人的な音楽の根っこのサウンドを両者とも取り入れている。だから、筒美サウンドはやめられないのよ。


・・・で、この「想い出の樹の下で」は、そんなフィリーサウンドを取り入れたっていう所が、それまでのシングルとは違うし、だからこそ、新鮮味も感じるんだよなぁ。

取り入れたというか、イントロ出だしのホルンの響きは、バリーホワイトの「愛のテーマ」の間奏部のホルンの響きを彷彿とさせるし。 「愛のテーマ」は下敷きにしてるよね、間違いなく。

↓ コレ





ただ、個人的な思いとはウラハラに、どうも、一般的な評価は、それほど高くなかったりするんだけどさ、この曲。

B面の「わたしの1095日」のほうが、業界的な評価が高かったりするし、こっちの方が好きだっていう人も多くて、ちょっと悲しいかな・・と個人的には思ったりするんだけどさ。。。

そんな業界的な評価の低さが、売り上げにも反映されているのか、売り上げを見ても、大ヒットとは言い切れなかったんだけどね。




やっぱり、間奏のトランペットは気持ちいいよね。 
榊ひろと氏は、フィリーソウルから、スタイリスティックスの「愛がすべて」のイントロのトランペットを彷彿とさせるとおっしゃっているけど、個人的にはメイナード”・ファーガソンの「Theme From Star Trek 」を思い起こしちゃったりして・・・。

そそそ、「アメリカ横断ウルトラクイズ」のテーマ曲の。。。




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KID / 田原俊彦

1987_02_KID_田原俊彦


今回の1曲セレクトは、「KID」田原俊彦です。

まずはデータでする。

・タイトル    KID
・アーティスト  田原俊彦
・作詞      阿久悠
・作曲      井上ヨシマサ
・編曲      清水信之
・リリース日   1987年1月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   6.5万枚
・THEHITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1987年2月2日〜2月16日付

昨夜、NHKBSプレミアムで放送された「田原俊彦“還暦前夜!”スぺシャルワンマンライブ」、なかなか良かった。
90分にわたって、久しぶりにデビュー曲「哀愁でいと」からの数々のヒット曲を聴けたし。 なにより、今日2月28日で、トシも60才になったんですねぇ。
デビュー当時から「赤」が似合っていたトシではあるけど、まさか、「赤いちゃんちゃんこ」を着る年齢になってしまうとは・・・。
デビュー当時のトシから思うと、全く想像がつかなかったよなぁ。
BUT、昨日のライブでは、そんな年齢−還暦−には、全く思えないような「踊り」を披露。
「哀愁でいと」のサビ前の♪I SAY〜!♪の足上げポーズや、「原宿キッス」の、♪一度お願いしたい〜♪の開脚もみごとでしたね。
ま、確かに本人自ら指摘していたように、ターンのスピードとか、踊りの「切れ」は、20代のピーク時に比べると少し落ちていたように思えたけど。。。でも60才でここまで踊れるのは、素直にスゴイと思いましたわ。

・・・ということで、トシちゃん還暦〜60才〜を記念して、今回の1曲セレクトはトシちゃんの曲を持ってきたい。。。

・・・と意気込んだものの、さっすがに、トシの曲・・・特に今頃の時期にヒットしていた曲は、すでに大体、書いちゃったんだよな・・・・

・・・と言い訳しようかと思っていたら、1曲ありましたわ、まだ書いてない曲が。。。

「KID」 

1987年1月にリリースされ、今の時期にかけてヒットしていたこの曲、覚えてられる方、どのくらいいらっしゃるでしょうねぇ。

ま、当時、トシちゃんファンであった方には、常識的な曲ではあると思いますが、トシちゃんファン
以外の方は、すでに死角に入られている方も多いかもなぁ。

前年から4作続けて、阿久悠氏作詞、プロデュースのもと、アイドルから脱皮、大人のアーティストへのアプローチを試みたプロジェクトの最後の曲、それがこの曲になるわけですね。

デビュー7年目を迎え、アイドルから大人のアーティストへの脱皮と言うこの試みは、今となっては理解できるけど、当時は、今一つピンとこなかったな。

理解しようと思う前に、ヒット規模が以前にもまして縮小していたし、なにより、86年当時のおニャン子旋風の前に、今一つ時代との折り合いがついていないようにも映っていたんだよね。

もしかすると、このままトシちゃんはフェイドアウトしていくのかもしれない。。。なんて感じてたなぁ。

そんな中でのこの「KID」のリリース。

通常だったら、このまま引っかからなかった今間通り過ぎていたのかもしれないけど、どういうわけか、この曲にはひっかかった。

なんでなんだろう?・・・ってところなんだけど、 やっぱりジャニーズでの盟友、まっち先生と久々にヒット時期が重なったっていうのも大きかったんだろうね。

そそそ、まっち先生の「愚か者」のリリースが1987年1月1日。しかも、まっち先生にとっても久々の大ヒットだったからさ。これは、トシも一つ、久々に大ヒットで、まっち先生とのヒットチャート上の共演を・・と言う気分になった様に思いますね。

まあ、それ以前に、この曲の音の分厚さ、音圧のすごさ、ただ疾走感あふれる曲調だけに、重すぎない独特な重量感についつい耳が行っちゃったんだよな。

トシの曲って、ここまで音が厚くて音圧が凄い曲、それまでのシングルではあんまり感じたことなかったからさあ。 
イントロ最初のファンクベースに続いて、ブラス隊の分厚い音の運び。 これにやらちゃったところもあるな。
ま、当時、個人的にもブラスをやっていたこともあってブラスには耳が行っちゃってたところはあるけど、ここまでの分厚いブラスは、少なくともアイドルソングではあんまりないしね。

あ、ダークなラテン風なイントロの流れにも引っかかったと思う。
作曲の井上ヨシマサ氏による、ダークで小悪魔的、かつ音圧の高いイントロ、サウンドというと、個人的には、どうしても、91年のミポリンの「Rose」を思い浮かべてしまうんだけども、そこに至るまでの最初の曲と位置付けてもいいんじゃないのかなぁ・・なんても思ったり。


確かに82年の「原宿キッス」のイントロでの分厚いファンクベースなど局所的には音圧を感じた曲がそれまでもあったことはあった。

けど、ここまで曲全般にわたって音が厚い曲って、それまで無かった・・に少なくとも当時の時点では感じたんだよね。


兎も角、この頃になると、おニャン子のお気楽な曲調に個人的には辟易していて、もっと刺激のある曲を聴きたい・・そういう気分になっていたんだよね。
そこに持ってきて、この曲のような刺激のある分厚い曲が来たわけでさ。 引っかかったのも当然だったかもしれないな。





ちなみに、この曲って、作曲者 井上ヨシマサ氏による、曲、アレンジ同じ、歌詞違いの別曲が存在するんだよね。

↓ コレ 「赤と金のツイスト」



リリースは、この「赤と金のツイスト」の方が1か月後だけど、楽曲作成はこちらの方が早かったため、「赤と金のツイスト」の方がオリジナルだそうですわ

なんてかいてるワタシも、今回、初めてこの曲の存在を知ったんだけども。。。。

ちなみに、著作権上は「赤と金のツイスト」と「KID」は別曲扱いIになってる
(「赤と金の〜」作詞者の川村真澄女史、「KID」作詞者の阿久悠氏いずれもJASRAC会員なんで著作権使用料分配のために別曲扱いになっているんじゃないかな)けど、楽曲管理はいずれもジャニーズ事務所になってたりして。。。ちょっと変わったパターンの曲ですな。

それにしても、井上ヨシマサ氏も長いですね。 未だにAKBグループなどに曲を書かれているし。。。



ところでさ、1986年あれだけ全盛を誇っていた、おニャン子関係も、年が明けて1987年になると、やや求心力が落ちて来てたんだよね。

まあ、今考えると、時代の流れなんだけどさ。
そんなタイミングで、今回のトシちゃんの「KID」をはじめ、まっち先生の「愚か者」とか、明菜さんの「TANGO NOIR」、キョンキョンの「水のルージュ」とか、マイナー系ではあるけど音圧が高い、おニャン子とは毛色が違う、対極的な曲が相次いでリリースされて来てたじゃん。 

今考えると、おニャン子の他の陣営も仕掛けて来ていたんだな・・というのがよくわかるんだけども、当時は、そこまでは見えてなかったんだよね。

まあ確かに1987年っていう年はレコード売り上げは底だったんだけど、これはあくまでシングルCD化が遅れた代償であってさ、今になってみると、次のステップへの「種」は確実に蒔かれていたんだな・・っていうのが分かりますね。

そういう意味もこめて、1987年の曲については、今一度見直してみようかなぁ・・なんて思っているんですよね、個人的には。


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カメレオン・アーミー / ピンク・レディー

1979_01_カメレオンアーミー_ピンク・レディー


今回の1曲セレクトは、「カメレオン・アーミー」ピンク・レディーです。

まずはデータです。

・タイトル    カメレオン・アーミー
・アーティスト    ピンク・レディー 
・作詞     阿久悠
・作曲     都倉俊一
・編曲     都倉俊一
・リリース日  1978年12月5日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  70.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年12月18日〜1979年2月19日付

昨日、このブログのタイトル表記修正を行いまして。。
現在の表記は、例えばこの「1曲セレクト」の場合、タイトル表記は「作品タイトル / アーティスト名」で統一しているんですね。
これまでのアクセス解析をすると、どうも検索いただく方々もこの方が検索しやすいような動きが見えたので。
でも、初期の頃は「作品タイトル」のみだったんですよ、表記が。

ちょっと乱暴な表記だったのね。・・というのも、同名異曲っていうのがあるわけでさ。
例えば「卒業」なんてタイトルはいっぱいあるわけじゃないですか。 なので、まあ、書いた当時はだれの「卒業」なのかという事を覚えていても、時間が経っちゃうと、書いた本人でさえわかんなくなっちゃったりしてね

それは、そのまま、検索していただく方も感じる事と思いまして、現在の表記に統一すべく、タイトル表記を統一しました。

おかげで、昨日から今日にかけて、これまであんまり検索されてこなかった曲まで検索されてきているようで成功でした。  
これならもっと早くやっておくんだったな。。。


ただね、逆に、すでに書いていても全然おかしくない曲をまだ書いてない・・・なんてのも判明しちゃったりして。。。。

その中の1曲が、幸か不幸か、ちょうど、「今頃」のヒットだったもんで、引っ張ってきちゃいました

ピンク・レディー「カメレオン・アーミー」

じゃじ〜ん

60年代以降のヒット曲、これまで1600曲ほど書いたっちゅうのに、ピンク・レディーなんて、スーパースターの大ヒット曲をまだ書いてなかったとは。。。。。ぷぷぷぷ


この曲のリリースは、1978年12月。
ワタシが、ヒット曲の世界に足を踏み入れたのが1978年11月なんで、ヒット曲の世界に足を踏み入れた直後、まともに接した、最初のピンクレディーの曲がこの曲になる。

ま、もっともそれ以前の曲も、もちろん知ってましたよ。

さすがにピンク・レディーくらいのモンスター級スーパーアイドルともなると、いくら当時小学3年生でも、曲知らない方が「もぐり」だったわけじゃないですか。

ただ、知ってたとはいえ、学校でクラスの仲間外れにされないくらいに知っていただけで、きちんと聴いてたわけじゃない。

いつかもここで書いたように、ワタシゃ、ピンク・レディー派ではなく、キャンディーズ派だったんでさぁ。

あの当時、みーんなピンク・レディー踊ってたじゃないですか。 でも、ワタシは、興味無いから、外で見てた類なんだよね。 まあ、それ以前に運動音痴だったワタシにゃ、ピンク・レディーは踊れなかったんだけども。。。

あ、だから、キャンディーズ派だったっていうのが、もしかすると正解だったかもしれない

ま、いずれにしろ、ヒット曲としてキチンと聴いた、ピンク・レディーの最初の曲が、ワタシにとってはこの曲だったわけです。


イントロが「およげたいやきくん」のパクリだとか、いろいろいわれたこの曲ですが、ピンクレディーとして、まさか最後のオリコン1位獲得曲になるとはねぇ。。。
「ザ・ベストテン」でこの曲を聴いてた頃は、全くそんなことも考えては居なかったわけで。。。

ただ、いま、ヒット曲マニアとしてオリコンの売り上げ枚数を見るようになると人気下降は予想される動きではあったんだよね。
この曲の累積セールスは70.8万枚。 それでも当時のアイドルからすると高水準な売上げ枚数ではある。

でも、2曲前の「モンスター」が110万枚、3曲前の「サウスポー」が146万枚、4曲前の「UFO」が155万枚。。。

・・と当時の売り上げ枚数からするとそれこそモンスター級売り上げを立て続けに出していたところから見ると、この曲では急激に売り上げが下がってきていたわけでさ。

丁度1年前にリリースされた「UFO」から見ると半分以下ですからね。

まあ、今から考えると、ピンク・レディーのブームって、一種のバブルだったんでしょうね。
でなきゃ、あんな、気違いじみたブームはなかなか起こりませんよ。
そんなバブルが破裂する瞬間の曲・・・。それがこの「カメレオン・アーミー」だったんじゃないかな。
 
なにせ、この次の「ジパング」の売り上げが70万から27万枚に急落。オリコン1位獲得も途絶えるといった、バブル崩壊が起こったわけなんでね。

まあ、他にも、例えば、1978年の「レコード大賞」を受賞したことで、ピンク・レディーは昇華したとか、紅白に出演拒否したことで干されたとか、いろいろ言われたりしましたけどね。

でも、一番の要因は、曲の題材だったんじゃなかいんですかねぇ。 
いわいるネタ切れってやつですわ。

「カメレオンアーミー」ね〜。。。随分苦しんでんなぁ・・と。
今では、そんな風に感じたりするんだよね。
兎も角、
曲の題材としてはちょっと頭をひねりたくなる内容だったんだよなぁ。直感的にわかんないんですよ。そもそも、当時9歳の私には「アーミー」っていう意味が分かんなかったし。。。

 たしかに、ピンクレディーの場合、作詞者の阿久悠氏曰く、近くにありそうで、じつは「影」になっている言葉や風景を題材に、とにかく走れるところまで走ろう・・と言うところから始まったプロジェクトだったわけだけど、さすがに「カメレオン」っていうのはどうなの? って感じだったしなぁ。 それまでの「UFO」とか「サウスポー」に比べるとインパクトに欠けるというか。。
まあ、1曲前の「透明人間」なんてのは、いい題材だったと思うけどね。直感的にわかったじゃん。

それと、あまりにも子供相手という風になってしまったのも、どうなんだろう? ってところがあったしね。。
当初は、あの当時の他のアイドル同様、高校生や大学生をターゲットにしていたわけじゃん、ピンク・レディーも。 だから、適度なお色気があった。

でも想定外に「コドモ」に受けてしまったというのがピンク・レディーだったわけで・・・。
それとともに、急激に子供相手のようなプロモーションになっていくんだよね。
例えば、「ザ・ベストテン」とかでも、「モンスター」とか、この「カメレオン・アーミー」では、後ろで着ぐるみが踊ってたりさ。

当時は、まさにピンク・レディーの世代真っ只中の「おこちゃま」だったワタシは、あの着ぐるみを見て、かわいいなんて思ったことなくて、逆に「あ、ナメられてる」なんて思ったもんですよ。もっと大人扱いしてくれよ・・・と。

大人になると忘れちゃうけど、子供の感性って、大人以上に鋭いものなんだよね。
それとともに興味が移るのが速い。
79年になると、コドモの興味はピンク・レディーから、「銀河鉄道999」に急激にシフトしていく。

ピンク・レディーのパブル崩壊→失速の一番の要因はこれらにあったんじゃないのかなぁ・・・なんて今になって思うわけですわ。

ちなみに、ベストテンでは、この「カメレオン・アーミー」は最高4位止まり。 ピンク・レディー、ベストテンでは全然ダメだったんですよね。

調べてみると有線とハガキリクエストが弱わかったのね。

まあ、有線が弱いというは、アイドル特有の現象でそれほど珍しい事ではなかったけど、ハガキが弱い、そんなバカな。あんなに人気あったじゃん・・・って感じですよね。
でも、これは、ベストテンの当時の視聴者層を完全に物語っているんだよね。

 当時は高校、大学生がベストテン視聴者の中心だったんですよね。なんせ木曜21時〜っていう時間設定は、当時の小学生にはちょっと遅い時間帯だったわけです。
当時、小学3年、9歳だったワタシも、木曜以外は21時なんて言ったら寝る時間だったしね。
そそそ、ベストテンは親にねだりこんで特別に見させてもらっていたんだよね。
それが、普通だった当時としては、小学生、中学生のアイドルだったピンクレディーは、ベストテンでは全くだったわけですわ。

ベストテンでのチャートアクションと、実際のレコード売り上げの乖離。これがピンク・レディーの本来の姿であり、実はネックだったんだよね。
出し手側は、そこをちゃんと見るべきだったんですよ、本来は。

まあ、今となっては何とでもいえることだけど。。。






しっかし、「激務」がたたって、2人ともこのころが一番「ヤセテ」たらしいですよー。
 たしかに、たまーにVTRをみると、このころ、2人とも骨と皮だけって感じで、今見るとイタイタしいっす。。。
 それとは逆に、踊りの方は、この曲がもしかしたら、一番動いてたんではないかと思うほど、かなり激しかったですよね。

サビの部分 ♪見えつ隠れつ変幻自在 スパンコールのカメレオンアミー ♪ の部分とかさ。。

蛇足だけど、この曲と言うと、90年代に活動していた「オリコンチャート研究会」と言う自主サークルのリーダーだった松永さんを思い出す。
超ピンク・レディーフリークだった彼は、ピンク・レディーの他の曲はいつも完璧に踊っていたのに、この曲だけやりたがらなかったんだよね。
曰く「あんまり覚えてないから」と言ってたけど、本音は、この曲の踊りがきつくてあまり踊りたくなかったみたいだったなぁ。

ちなみに、この曲の踊りという部分では ↓の動画の方がよくわかるかな。
最近の動画だけど。。。






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アンサーソングは哀愁 / 早見優

1982_11_アンサーソングは哀愁_早見優


今回の1曲セレクトは、「アンサーソングは哀愁」早見優です。

まずはデータでする。

・タイトル      アンサーソングは哀愁
・アーティスト    早見優
・作詞        阿久悠
・作曲        馬飼野康二
・編曲        萩田光雄
・リリース日     1982年10月19日
・発売元       トーラス
・オリコン最高位  29位
・売上げ枚数   4.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 34位


あー、今回セレクトしてきた曲は、どう捉えたらいいんだろう? って言う曲なんですよね。
どうも、出だしのマクラがなかなか思いつかない。
そのくらいヒット当時、関わり合いが薄い曲だったんだよね。 ・・・うーん、関わり合いっていうのも変な表現だな。。。
単純に、あんまり聴いて無かったと言った方がいいのかな。

早見優さんの「アンサーソングは哀愁」。

花の82年組の1人っていうのは、ここ読んでくださってる殆どの方は周知の通りだと思うけど、そんな82年組の早見さんのデビュー第3弾がこの曲ですね。

「花の82年組」ということで、たくさんのアイドルが華々しくデビューを飾った訳だけど、第3弾シングルともなると、順調に伸びトップアイドル街道をまっしぐらのグループと、すでにネタ切れ・・・というか息切れ気味のグループと大きく分かれて来てたような印象があるな。

その中で、早見さんはというと、・・・・ 正直、82年組のトップグループの中でも、とりわけ存在感が薄いな・・・82年の秋も深まる今頃は、そう言う感じに今頃はなって来ていたような印象が強い。

それもこれも、第3弾シングルであるこの曲がジミ過ぎたっていうのが大きかったよなぁ。

確かに、同期の同い年くらいの他のアイドルよりも、見た目年上、やや大人っぽくは見えた。 
だから、少し子供っぽさが残るデビュー曲、「急いで初恋」はちょっとイメージと違うな・・って言う印象はあった。でも、第2弾の「Love Light」は、その辺りを修正してきたように思えたし、だから、個人的には「Love Light」って曲は好きだったんだよね。

そして第3弾のこの曲ですよ。たしかにミディアムの落ち着いた佇まいの曲調は、さらに大人っぽさを前面に出したような曲調ではあるけど、これはちょっと背伸びが過ぎるんじゃないか。

当時13歳のワタシでも、そう感じたな。

まあ、実際は、そんなオヤジっぽいストレートな批評感はさすがになかったけど、、なんか違うなって言う違和感は大きく感じてたんだよね。

曲だけ見るとこれがデビュー第3弾の曲とは思えない、デビュー5年目くらい、すでに20歳を過ぎた女性歌手が歌うような落ち着きがあるんだよな。

・・・なんか回りくどい書き方になっちゃったけど、簡単に言えば、ポップじゃないのよ、この曲。

同期の82年組の、少なくともトップグループの人たちは、みんなポップだっじゃん、曲調が。 
それなのに、この落ち着きだからさ。 まるで、早くもアイドル路線を諦めて歌謡曲路線の路線変更したかのような・・・。

あ〜、アイドル路線から脱落したか、残念だけど・・・

率直なところ、そう感じた部分が大きかったんだよ、個人的には。


それ以上に、この曲自体の問題ですよね。

今、手元に月刊明星付録の歌本「Young Song」の1982年12月号がある。

この「アンサーソングは哀愁」が新曲として掲載された号ですね。 

当然、お決まりの近田春夫氏の「新曲激評」の対象曲となっていたんだけど、こんときの近田氏のコメント


「あ、モロ「カサブランカ」と同じメロ。堂々としてるなァ。そもそも「アンサーソングは哀愁」ってタイトル、悪ふざけじゃん。これは日本歌謡界への皮肉だよね。こういう作家としてのメッセージがハッキリ出た曲を歌うのって、早見さんしんどいだろうねぇ」 (原文ママ)


そうなんだよね、 この曲、ジミとかポップではなく歌謡曲っぽい・・・と言う前に、Bertie Higginsの「Cassablanca」、まんまなのよ、曲調が。

あ、「Cassablanca」で分かんなかったら、郷ひろみ氏の「哀愁のカサブランカ」

近田氏が「アンサーソングは哀愁」ってタイトル、悪ふざけじゃんって言っているのは、曲調が似てる上に郷ひろみ氏の「哀愁のカサブランカ」をもじったようなタイトルだったからなんだけどさ。

いや、はっきり言ってワタシもこの近田氏のコメント通りと思ってたのよ。 これは、ちょっと悪ふざけじゃんっていう・・・。

ただ、当時・・・いや、最近まで意味が分かんなかったのは、「これは日本歌謡界への皮肉だよね。こういう作家としてのメッセージがハッキリ出た曲」っいう後半の部分。

これってどういう意味だったんだろう?   っていうのがずーっと引っかかってたのよ。
まあ、深い意味はないのかもしれないけど・・・。


でさ、この機会に、再度、自分なりにちょっと考えてみた。

で、浮かんできたのが・・・。

もしかしてさ、Bertie Higginsの「Cassablanca」って、郷ひろみ氏のカバーが決まる前に、早見さんサイドがカバーするつもりでいたんじゃないか・・・ってこと。

そう考えれば、1曲前の「Love Light」が外人の作曲だった意味も分かる。つまりさアイドルの王道路線ではなく、より洋楽ポップに向かうって言うベクトルだよね。

そう言う路線を画策していた時に、郷ひろみ氏のカバーが決まってしまった。
(ちなみに、郷氏のカバーは、当時ニッポン放送のアナウンサーだった、はたえ金次郎氏が郷氏サイドに売り込んで決まったとなっている)

相手はアイドルの大先輩でありアイドル界のスーパースター。こちらは一介の新人。
当然だけどダイレクトに抗議も出来ない。

そんな事があったがための抗議と言う意味をこめての「アンサーソングは哀愁」って曲でありーの、近田氏のコメント。

もちろん、これは、ワタシの妄想でアリ、事実であるかどうかは全く分からないんだけどさ。

でも、こう考えれば、 

・タイトルからして悪ふざけな事 
・メロディがモロ、「カサブランカ」な事
・近田氏が「日本歌謡界への皮肉だよね」と言ってる意味 
・そういう皮肉を込めた曲を派手にする訳にも行かず、ジミな曲にするしかなかった事

・・・など全ての流れの辻褄が合うような気がするんだよなぁ。


ただ、タイトルとしては、近田氏が言うように「悪ふざけじゃん」ってダイレクトに分かるんだけど、歌詞内容は正直良く分かんない。

大御所・阿久悠氏の作詞だけど、正直、最近まで阿久悠氏が作ったとは思わなかったもの。

♪ 奪われる 奪えない 奪うもの 奪え〜 ♪とかさ、国語文法の五段活用か  なんて思える、なんじゃこりゃ・・って言う歌詞だったりするし。。。

この曲を「リリース」する事が前提で、歌詞の内容はさほど重要じゃない・・・って言っているようにも思えたりしてさ。

尤も、阿久氏は、フィンガー5の「恋のダイヤル6700」の♪ リンリンリリン〜♪ などのように「擬音」を歌詞に多用したりするところもあったりするんで、五段活用的な歌詞も、ある意味阿久氏らしさと言えるのかもしれないけど。。。



この曲のような地味な展開もあり、一時はアイドルとして死んだ・・・と思えた早見さんだっただけに、次の年の「夏色のナンシー」は、アイドルとして起死回生、一発逆転ホームラン的なインパクトがありましたね。

洋楽路線とはならなかったものの、そんな早見サイドの方向性を感じ取り、第2の南沙織にしようとした、筒美京平ってヒトは、やっぱり天才なんだな・・・と思わずには居られなかったよな。


ちなみに、当時は、ジミーで触手が伸びなかった、この「アンサーソングは哀愁」も、今はいいんだよね。
ワタシもそれだけオヤジになり、ポップな曲よりもシブい曲の方が安心できるようになったって事なのか。。

いや、その前に、今となっては完全に忘れ去られている、この曲は手垢が少ないってことで、それだけ、未だに新鮮に聴けるって事が大きいんだろうな。
早見さんって言ったら、みーんな判を押したように「夏色のナンシー」とか「誘惑光線クラッ!」などばっかなんだもん。 今となっては、この曲なんかセレクトするヒトってほとんど居ないから。。。。


あ、それから、どーでもいい事なんだけど、↑で引き合いに出した、「Young Song」1982年12月号の新曲激評には、同じく当時新人だった原田知世さんの「ときめきのアクシデント」の近田氏の評があるんだけど、この時の評が「ひでぇ下手な歌だな。これじゃ作家のヒト怒るぜ。」とバッサリ。
今だったらネットで炎上ざたのようなコメントだけど、当時は、これはこれで見方の一つとして「アリ」だったんだよね。


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白い蝶のサンバ / 森山加代子

1970_04_白い蝶のサンバ_森山加代子


今回の1曲セレクトは、「白い蝶のサンバ」森山加代子です。

まずはデータです。

・タイトル     白い蝶のサンバ
・アーティスト   森山加代子
・作詞       阿久悠
・作曲       井上かつお
・編曲       川口真
・リリース日    1970年1月25日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   47.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1970年2月16日〜4月27日付

奇抜な曲。一聴して「なんじゃこれ」って思える曲だよね。これは、昔も今も変わらずにあるよなぁ。

ただ、昔の奇抜な曲って、どこか可愛らしかったんだよな。いわいる「ギャグ」ってやつでさ。たしかに放送コードにひっかかるような「放送禁止」曲ってうのもあったけど、どこか笑ってごまかせちゃったりしたやん。
今の奇抜な曲っていうのは、ホントに奇抜だからさあ。どう解釈したらいいか理解不明・・というか。
これも時代の流れなんだろうけどね。

さてさて、今回引っ張ってきた曲も、奇抜っちゃ奇抜な曲だよね。

森山加代子さんの「白い蝶のサンバ」。

そもそも

♪ あなたに抱かれて私は蝶になる〜 ♪っちゅう メロディ出だしのAメロがさあ奇抜なんだよなぁ。

もろ中国音階ってやつでさ。

昔、某国営放送 でデーモン閣下が

ジョワーン(ドラの音)    「あなたに抱かれて、ワタシ蝶あるよ」 

なんて茶化してたけど、まさにそんな感じ。

そもそも、上の歌詞だけを見ても、よもや、この部分が「中国音階」のメロディがついてるなんて思えないしさぁ。

後年同じようなシチュエーションの歌詞で、秀樹の「君よ抱かれて熱くなれ」って曲があったけど、これはモロ、ヨーロッパ系な曲だったじゃん。

一体どこから「中華」なイメージが来るのか・・。奇抜だよなぁ。

ぢゃ、その後も全般にわたって、「中華」なイメージで攻めるのか・・というと、これまた、さにあらず。

サビで、 マイナー調からメジャー系、カンツォーネ風に一転。 マカロニウエスタンだよね。

なんじゃ、この変わり身の激しさは・・・。  

1曲中、場面場面で、まったく違う展開がある。 もしかすると、「1970年」って言う時代の歌謡曲の王道だったのかもしれない。 

例えば、同じ1970年にオリコン1位を獲得したヒデとロザンナの「愛は傷つきやすく」もそうだったじゃん。マイナー調のAメロから、サビでいきなりメジャーなカンツォーネに急展開するっちゅう。

まあ「愛は傷つきやすく」は、この「白い蝶のサンバ」ほどの「奇抜さ」は無いけど・・・。

で、「白い蝶のサンバ」の場合は、それだけに留まらない。 

メロディを追いかける。バックのトランペットのリフは、もろパート・バカラック、もしくは、ハーブ・アルパート、つまりはアメリカンな世界な訳ね。

ココまで来ると、いったい、この曲はどこの国の曲なんだ? なのよ。

確かに、時代的にマカロニウェスタンというイタリアンな文化が流行ってたし、バカラックもハーブ・アルバートもこの時代の象徴的な音楽だし、だから時代背景としはよく分かるけど・・・。


無国籍音楽。 

これなんだよね。 これが歌謡曲の王道なんだよね。 

歌謡曲のメロディは、向こうの音楽の官能的な部分を抽出し、日本人の感性にマッチさせたような独自なメロディっていわれるけど、メロディだけじゃ無く、サウンド的にもそう。

どこどこ風ではなく、世界中の「ヒット曲」のキャッチーな部分のごった煮なサウンド。
言ってみれば節操のない音楽。それが歌謡曲って訳ですわ。

でも、これが日本人の得意技であるし、明治維新以降の、日本文化の根幹なんだよね。

つまりさ、文化、産業、政治、学問なんでもそうなんだけど、一から物を作るんじゃ無く向こうのモノのいいところを、日本的にアレンジする。まあ、言ってみれば向こうの2次的産物であるわけだけど・・・。

だけど、時として、向こうのヒトには生み出せないような日本ならではのクオリティのモノが出来たりする。

歌謡曲っていうのも、その一つなんじゃないかな。

そもそも、外国にココまで「節操のない曲」なんてそうそうないと思うし。 アイデンティティが無いなんて笑われるのがオチだよね。

もっとも、「歌謡曲」っていうのは、向こうのヒトから見ると「サイケデリック」な音楽に感じるらしいけど。
要するに実態のない奇抜な音楽ってことなんでしょうね。

まさに、この「白い蝶のサンバ」ですね。

そもそも、どう聴いても「サンバ」ぢゃねーし、この曲。 今だったら「詐欺」って感じでネットで炎上してもおかしくないよなぁ。
あ、この曲だけぢゃなく、チェリッシュの「てんとうむしのサンバ」もそうだよね。 一体どこがサンバやねんってタイトル。

そういう節操のないところが1970年代っていう時代だったんよ。 そんなところで目くじら立てなかったのよ。

でも、そんな節操のない曲を平気でリリースして、しかもオリコン1位・・・つまり日本で最もヒットしてる曲・・・になるっていうのが、逆に言えば日本のスゴい所だったんじゃないのかなぁ。
日本独自の価値観ってやつですよ。
1970代っていうのは、日本国中、そんな独自の価値観、とりわけ音楽などの文化においても、花開いた時代なんじゃないのかな。

まあ、ヒトもみんな節操無かったんだよね、こういう音楽をなんの疑問も衒いも無く作れた訳だから。

だから、こんな節操のない無国籍な「歌謡曲」が黄金時代になり得たんだと思うし、だからこそ、「Japan As No.1」と言われるような国になり得たんだと思う。

今はさ、グローバル社会だぁ、なんだぁ・・と、兎角、世界的な協調性ばかり重んじられる社会になっちゃったでしょ。個性よりもコミュニケーションって言う名の下での協調性。個人的にはそこにツマン無さを感じてたりもするのね。
もっと無節操で、おおらかでいいんじゃねーのかなぁ、世の中。 



森山加代子さん、この時30才。
いやいや、でもカメラを引くと、30才とは思えないですね。お若い。
確かに、最近は30才なんて、見た目20代と変わらないのが普通だけど、1970年当時、30才なんて言ったら「オバチャン」だったよなぁ。 いや、そういう印象が強いけどなぁ。
さすがは、元々は「アイドル」としてデビューしただけありますね。

逆にカメラが寄ると「ツケマツゲ」の長さがスンゴイけど。。。 まあ、これも1970年代前半って言う時代だよなぁ。 ウチの母親もつけてたわ、長ーいツケマツゲ。逆さまつげかって感じのやつ。

だけどテカテカ光るリップがこの時代の流行りだったのかな? これはちょっと発見だった。
これを含め、全体的にキツメのメイクは、この後2000年代にもありましたよね。
時代は繰り繰り返すんだよね。



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気絶するほど悩ましい / 沖田浩之

  1982_10_気絶するほど悩ましい_沖田浩之


今回の1曲セレクトは、「気絶するほど悩ましい」沖田浩之です。

まずはデータでする。

・タイトル     気絶するほど悩ましい
・アーティスト   沖田浩之
・作詞       阿久悠
・作曲       梅垣達志
・編曲       鷺巣詩郎
・リリース日    1982年9月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 37位
・売上げ枚数  2.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 29位

カバー曲。 昔も今も変わらずある「形態」の曲だわね。
日本よりも海外の方が、その数も頻度も多いのかなぁ・・・。まあ、海外の場合は、オリジナルリリースの自国ばかりでなく他の国でのカバーも頻繁に行われているしね。もしかしたら、流通している楽曲をまとめると、オリジナル曲よりもカバー曲の方が圧倒的に多いかもしれない。

それに比べると、日本ではカバーっていうのは、そこまで頻度は高くないのかなぁ・・とは思える。まあ、昔に比べると最近はカバーっていうのも多くなってきたけどね。

でも、海外と日本のカバーの最大の違いと言ったら、カバー曲のクオリティだよなぁ。オリジナルを超えるようなカバーって少ないんだよね うん、これは今に至るまで。

向こうのカバーって、オリジナルを超えるようなクオリティのやつなんか、いっぱいあるじゃん。

どうしてなんだろうなぁ、やっぱり文化と歴史の違いなんですかねぇ。 

先人をたてる・・ってところがあるじゃないですか。先人をリスペクトするようなところ。日本人はさ。 そんな文化が、オリジナルを超えるのを躊躇させているのかなぁ。

まあ、カバーする側のアーティストが、テクニック的にオリジナルを越えられるような技量を持っていないって言うこともあるけどさ。

いや、その場合が、意外と多いんぢゃないかなぁ。

以前も書いたように80年代初頭、81〜82年にかけてカバーブームってあったんだよね。 大半が当時、デビューしたてのアイドルが、70年代のアイドルポップスをカバーする・・・ってパターンが多かったんだけどさ。

 でもまあ、その大半が、お世辞にもオリジナルを超えるようなクオリティとは言えなかったんだよね。 そもそも歌唱力から言って、70年代アイドルと80年代アイドルでは差があったしさ。 

ま、今思えば・・の話だけど。

そう言えば、今回の「気絶するほど悩ましい」もそうだけど、82年ごろのカバーブームは、CBSソニーが多かったよな。しかも酒井政利氏チームが。こん時のカバーブームは酒井氏主導だったんでしょうかねぇ・・・。

蛇足だけど、この間の石川秀美の「ゆれて湘南」でもちらっと触れたけど、このカバーブームが、「80年代」ならではのカラーを遅らせたと思うんだよね。 70年代の曲をカバーするってことは、まだ70年代を引きずっていたって事でもあった訳だからさ。

それでも、「お、これは!」なんて、引っかかったカバー曲もあったんだよね。 今回はそんな曲をセレクト。

沖田浩之「気絶するほど悩ましい」。

「気絶するほど悩ましい」っていったら、どうしてもオリジナルのCharのイメージが強いわな。
・・というか、この曲、沖田浩之がカバーしてたの? って思われる方の方が圧倒的に多いと思う。

それだけ印象に薄いとは思う。 まあ、オリコンでも最高位30位にも行かなかったしな。今となっては知らないヒトが多いのもしょうがないとは思う。

But But、個人的に「気絶するほど悩ましい」と言ったら、こっちの沖田浩之バージョンなんだよねぇ。

簡単に言えば、こちらの方を最初に聴いたんで、こちらの方が耳馴染みだったって言うこともある。 
うん、オリジナルのCharバージョンの方が後付なんですよ、ワタシは。

ただ、仮にCharバージョンの方を最初に聴いてて、こちらを後付けだったらどうだったか・・・というと、もしかすると、沖田氏のバージョンも良かったと思ったかもしれない。

うん、正直言うと、同じ曲なんだけども、全く別物って言う感じなんだよね。

オリジナルのCharバージョンは、若干R&Bがかったソウルっぽいサウンドだったじゃん。 それにCharのギターがフィーチャーされてる。 個人的にはやや薄味な味付けにも感じる。 

対して、沖田バージョンはブラス&キーボードが全面的に出ており、濃い味づけ。 それよりも個人的に感じたのは、そのドラマティックな展開なんだよな。よりエンテターテイメント性が強いって言うかさ。
特にブラスの使い方が独特なんだよね。

この曲、根のキーはマイナーだけど、サビで一度、メジャー系に転調するじゃん。 その流れがドラマティックなんだよな。 それまで薄暗い雨の中を進んでいたような展開なのに、転調するところで、いきなり太陽の光がさして来る。 ・・と思ったらサビ終わりでマイナーにも戻るところで、また薄暗い雨交じりの天気になる。。。

そんな昨今の天候変化にも似たような目まぐるしい展開が一層、この曲をドラマティックなものにしている。

オリジナルのCharバージョンは、そこまでドラマティックな展開じゃなく、サラッと流したような展開、その差が、それぞれのバージョンで、別物の曲のように感じさせられちゃうんだよな。

ちなみに、沖田バージョンのアレンジは鷺巣詩郎氏。 当時の鷺巣氏のアレンジとして松本伊代さんの「TVの国からキラキラ」でも感じてたけど、この当時の鷺巣氏のブラスの使い方は独特なんだよね。それまでの歌謡ポップスのブラスには無かったようなフレーズが出てくる。特に「TVの国からキラキラ」のサビ前のフレーズにはビックリしたよな。 ここまでスピード感がある音の重なりなんてそれまでは無かったからさ。

この「気絶するほど悩ましい 」では、「TVの国からキラキラ」のようなスピード感はないんだけど、やっぱりサビの裏から入るブラスのフレーズが斬新、かつ引っかかりがあるんだよなぁ。

この当時、特にブラスの耳に行くようになったのは、丁度この頃、ブラスを始めたってのもあるだろうけどさ。とにかく、この2曲のブラスは印象に深いんだよね。



「夜ヒット」だけど・・・・うーん、今一つレコードで聴くより弱い。
レコード音源はもっと、ドラマティックなんだけどなぁ。。。。

ちなみに、この曲のオリジナルのCharバージョンは、かなり昔に既に書いてます。

http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52046491.html

うーむ、この時も半分は、今回の沖田浩之バージョンについて言及して、今回と同じような事書いてたな。。。。
よっぽと、この沖田バージョンが印象に深いんだろうね。。。


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ねぇ!気がついてよ / 桜田淳子

1976_09_ねぇ!気がついてよ_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「ねぇ!気がついてよ 」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     ねぇ!気がついてよ
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       阿久悠
・作曲       大野克夫
・編曲       大野克夫
・リリース日    1976年8月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   28.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1976年9月6日〜10月25日付


久々に3日連荘の1曲セレクトです。
こんな書き方すると、なんか偶然に3日連続で書いてるような感じもするけど、結構、計画的だったりしてね。
そそそ、ちょっと前から、今回の3連休は3日連続で書こうか・・・なんて思ってたんだよね。
ま、最近、書く曲数も少なくなってきてるからなぁ。 休みの日くらいは書きたいしね。

ただ、昨日の石川秀美さん、その前の安室奈美恵さんは、この日にこの曲を書こうとは考えてなかったんだけどね。その日その日の雰囲気ですね。 まあ何でも「計画的」に・・・っていうのはニガテなんでね、子供の頃から。

よく、夏休みの宿題は、夏休み最終日にやる・・・っていうヒトいるじゃん。 あれ典型的だったからさ、ワタシ。
毎日日記をつける事・・っていう宿題なんて、8月20日にまとめて1ヶ月分書いてたもん。 
そそそ、小学校まで福島のいわきだったんだけども、夏休みは8月20日までだったんだよな当時は。関東よりも10日ほど短かったんだよ。

小学校4年の時なんて、もう絶対に終わんない・・・って、最後は開き直って宿題やんなかったりしてさ。
今日1日苦しむより、明日、学校で怒られて廊下に立たされた方が良いや・・・とか。 
変な性格なのよ。

兎に角、行き当たりばったりな性格なんだわ。 計画的にやんなくても人生なんとかなるさ〜な精神っちゅうの 
「アリとキリギリス」だったら、完璧な「キリギリス」な性格ってやつでさ。

これは未だに変わらない。 仕事でも計画的に進めるのが超苦手。 サラリーマンにゃ向いて無い性格ですね。


あー、話が脱線した〜。

でね、今回の桜田淳子さんの「ねぇ!気がついてよ」だけは、前々から書こうと思ってたんだよね。

この曲は、今から42年前、1976年のちょうど、今頃のヒット曲ですわ。

42年前  ワタシゃ7才、小学1年生。 

当然、リアルタイムでは聴いて無い。 っちゅうか、ヒット曲の世界に足を踏み入れてない頃だな。

でも意外な事に洋楽は聴いてたんだよなぁ、この頃。 ここでは何回も書いてるように、ポールモーリアに傾倒してたマセガキだったからさぁ。
オヤジの車のカーステがまだ「8トラック」の頃ですね。ポールモーリアの「グレイテストヒッツ」と、この当時の洋楽ヒットのテープがいつも積んであってさ。 当時、オヤジが仕事終わりに車で行きつけの喫茶店へ毎日のように通ってんだけど、いつも「やべ(行こう)」って連れてかれては、8トラテープを聴いてたからさあ。

この当時、ワタシが邦楽ヒットを聴いて無かったのも、オヤジの影響なんだろうな。兎に角、歌謡曲がキライなヒトだったからさ。テレビもウタ番組になると、チャンネル変えちゃうような。

ぢゃ、そんな頃のこの曲をなんで知ってるの?

まあ、自分がヒット曲にのめりこんだ後付っちゃ、後付なんだけどもね。 結構意外なところから知ったんだよな。

マイナーチューニング・バンドの「ソウルこれっきりですか」

これ知ってるヒトいる? ってか、40万枚以上の大ヒットになったから、当時のヒット曲を聴いてた方なら大抵覚えてますよね。

↓ これ

  
これ1976年のヒット曲をメドレーでつないだだけの曲なんだよね。 もちろん歌ってるのはそれぞれのオリジナルじゃないんだけどさ。
この中に、桜田淳子さんの「ねぇ!気がついてよ」も含まれているんだよね。
じつは、これで知ったんだよな。大学生の頃だったと思うけど。

「ねぇ!気がついてよ」って言うタイトルは、それ以前からオリコンの「チャートブック」で知ってたし、その前に自分で当時のランキングも作ってたから、桜田淳子さんの曲って事も知ってた。

でも、実際にメロディラインを聴いてみると、「ソウルこれっきりですか」で使われてるサビのメロディが、めっちゃキャッチーだったんでさ、全部聴いてみたい・・・っちゅうことで、音源を手に入れたんだよ。

たださ、実際にオリジナルの桜田淳子さんを聴いてみると、ちょっと印象が違ったんだよなぁ。

確かに、サビの部分は、初聴でも思わず刺さっちゃうようなキャッチーなんだけどさ。 続く、Aメロ、Bメロは、今一つ退屈なんだよなぁ。

そそそ、この曲は、メロディの始まりがいきなりサビっていう、いわいる「前サビ」なメロディ構成なんだよ。

だから、イントロににつづいて、ついつい食いついちゃったりするんだけど、その後が続かない・・っていうかさ、キャッチーのサビと、そのあとのAメロ、Bメロが上手く結び付かないんだよな。 

とりあえず、AメロとBメロをつけました・・・っていう感じもしたりしてさ。

あれ? これって、いつかも全く同じ事を書いた事があるな・・・。

そうそう、斉藤哲夫氏の「いまのキミはピカピカに光って」だわ。 あの曲も、例のCMで使われているサビがまずあって、その後にBメロが続くんだけど、CM部分のサビは超キャッチーだけど、Bメロになると途端にツマンなくなるんだよね。

結局は、CMありきの曲で、その後はむりくりつけ足したメロディって、あの時は書いたんだけども、それと同じような印象をこの曲でも感じたなぁ。

いや、この当時の曲って、意外とこういう感じの曲が多いような気がする。 サビはめっちゃキャッチーなんだけども、Aメロ、Bメロになるとツマン無くなっちゃうような曲。

この当時のヒット曲のフォーマットといっちゃえば、それまでなんだろうけど、その点が、80年代ポップスと大きな違いなんだよね、70年代ポップスの曲って。 なんて言うのかなぁ、1曲のうちの印象の落差があるっちゅうのかなぁ。

ちなみに、この曲、作詞 阿久悠氏 作曲 大野克夫氏 ・・・っちゅう、当時の沢田研二氏な面々なんだよね。




やっぱ、桜田淳子さんは、「メジャー」系の明るい曲に限りますわな。
陽の淳子と陰の百恵。 この曲の頃もそんな構図が浮き彫りになったんじゃないかなぁ。 
桜田淳子さんがこの曲を歌っているウラで、百恵さんは「横須賀ストーリー」でしたからねぇ。

ただ、メジャー系の曲は、裏返せば「コドモ」っぽくも聴こえる訳で、百恵さんが「菩薩」としてこの後、大スターの道を突き進むことになるわけだけど、淳子さんは頭打ち状態になっちゃいましたからね。
この曲ではオリコン2位まで行ったけど、これが最後のオリコン2位だったんだよね。 ここからは人気も下降線気味になって行く訳なんですわ。



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騎士道 / 田原俊彦

1984_05_騎士道_田原俊彦


今回の1曲セレクトは、「騎士道」田原俊彦です。

まずはデータですよ〜。

・タイトル     騎士道
・アーティスト   田原俊彦
・作詞       阿久悠
・作曲       つのだひろ
・編曲       船山基紀
・リリース日    1984年5月23日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   25.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年6月4日〜7月9日付

えー、平日の1曲セレクトですら。
本当はねぇ、昨日書こうかと思ってたんだけども、ここんところ、持ち帰りの仕事が終わんなくてねぇ、結局、昨日は書けなかったのよね。 ま、そんな事で、平日の月曜日に書いてたりします。

今回引っ張ってきた曲は、初めから決めてたんだよね。

トシちゃんの「騎士道」

トシちゃん・・・なんて懐かしい響きやなぁ、いつ以来なんだろう、トシちゃんの曲を引っ張って来たのは・・・・。
一連のヒット曲の大半は、もう、とっくの昔に書いちゃったからねぇ。

でも、そんなヒットを続けていた最中の84年のこの曲、まだ、書いてなかったとは・・・・。

まあ、理由はいくつかあるんだけどね。

一つは、個人的にヒット時期を間違えて記憶していた事。。。 うーむ、これは厳密に言えば間違えては無かったんだけども、若干ズレてたんだよなぁ、記憶が。
うん、個人的には、この曲、「5月1日リリース」って記憶してたの。だからさ、ヒットは、ゴールデンウイークの頃だよなぁ・・・なんて長年勘違いしてたんだよな。
実際は、リリースは5月23日だったんだよね。 ベストテン入りしたのは6月だ。 

うーん、そうだったかなぁ・・・・。 34年も経つと記憶もあいまいになるわなぁ。

いや、間違いなく84年のゴールデンウイークには、この曲聴いてた記憶がある。 そそそ、文化放送の「全日本歌謡選抜」で聴いてた記憶が鮮明に残ってるだよな。

いつぞやも書いたけど、この番組、新曲紹介がやったらと早くて、リリースの1か月前には、既に、いまでいうヘビーローテーションだったんだよな。そのおかげで、リリース時になるとすでに、聴き飽きて、「もういいよ」・・・って感じだったりもしたんだけども。。。

まあ、そんな影響で、リリース時期を1ヶ月くらい早いものと間違って記憶してたんだよ。

で、この曲を今まで書いて来なかった理由、その2は、書こうと思うと、動画がようつべに落ちてなかったりね。。。
破門になったとはいえ、曲がりなりも元ジャニーズっすからねぇ、意外と動画も落ちてなかったりするんだよね。

ここんところ、今まで書いて来なかったのは、ヒット当時、あまり好きぢゃ無かったから・・・って曲が多いけど、この「騎士道」に関しては、決してそうじゃ無かったんだよね。

むしろ、個人的には気に入ってたな、当時。

トシのこの曲の前が「チャールストンにはまだ早い」っちゅう、文字通りチャールストンをベースにしたダンスチューンだった訳だけども、どっちかというと、ナンパ的な曲だったじゃん
だけどもこの曲は、打って変わって、久々に硬派なトシちゃんだったしな。 

そそそ、トシちゃんを書くたびに言及しているような気がするけど、トシの場合、1曲1曲の曲の変化が大きいんだよね。あんまり同じような曲調が続く事が無い。そこが「まっち先生」とは大きく違うところであり、トシも魅力の一つなのよ。
変化大きいってことは、飽きないって事でもあるしね。

この曲、硬派な曲と言っても、それまでのトシ には無かったような曲調だったしな。 タイトルからも想像できるようにスパニッシュ。 そそそ、「闘牛士」なあのイメージですな。
このイメージには、当初はちょっとビックリだった。 まあ、この曲で初めて阿久悠氏が詞を書いたっていうのも、
ビックリだったけどね。

でも、トシにはあってたような気がするなぁ。 この曲の後86年に、本格的に阿久悠氏とタッグを組むようになるトシだけど、ジュリーとは別な角度でトシを大人に導いたような気がする。

だってさ、この曲には、「ニンジン娘」なイメージはかけらも見えないじゃん。

それと、船山基紀氏のアレンジですねぇ。 まあ、タイトルからスパニッシュなイメージっていうのは、「モロ」っていうところは強いんだけども。

でも、トシには、船山氏のアレンジがいちばんフィットするって感じるんだよなぁ。 トシのもつナイーブさを最も引き出すようなアレンジっていうのかなぁ。
 
トシのアレンジャーブレーンのもう一人、大谷和夫氏とは、違った角度からトシを引きだすっていうのかなぁ。
大谷氏のアレンジからは、よりソフィケートされたトシ、船山氏のアレンジからは、時には少年っぽく、時にはダイナミックにトシをサポートしていた訳なんだよね。

昨日、東京FM「五線譜の解体新書」の船山基記特集で紹介されていた「ハッとして!Good」は別格として、個人的には、81年の「悲しみ2ヤング」が一番好きなんだけどさ。この「騎士道」もいいんだよね。 

この頃の船山氏といえば、どうしても柏原芳恵さんとか、キョンキョンなどのフェアライトを駆使したシンセサウンドの新たな地平的な曲っていうイメージが強いんだけども、それよりもこの曲「騎士道」のようなアナログサウンドもいいのよ。 なんて言ってもダイナミックなストリングスとブラスが織りなす調和。そこから引きだされるトシのナイーブなボーカル。このコントラストが、この曲のキモなんじゃないかなぁ。

正直言って、この曲はそこそこ、売れるんじゃないかなぁ・・・・とは、リリース当初は思いましたよ。
実際のところオリコンでも1位獲れたしね。 でも1位取った後が続かなかったんだよな。 シングルでは初めての売り上げ30万枚割れ。
・・・って書くと、83年の「ラブシュプール」も30万に届いてないじゃんって突っ込まれそうだけども、あれは「30万枚限定」だったしな。
結局のところ、シングルの右肩下がりの売り上げは、この曲でも止まらなかった・・・って訳なんだよな。




むむむむ、動画の直リンがはじかれてしまったわい。。。。 
申し訳ないんですが、動画を見たい方は「この動画はYou Tubeでご覧下さい」をクリックしてくだされ。。。。

ところで、この曲、作曲は「つのだひろ」氏なんだよね。
・・・って、この間から、つのだひろ氏作曲の曲を何曲か書いてきたんだけども、とどのつまりは、この曲に繋げたいがためだったんだよねぇ・・・
そそそ、つのだひろ氏作曲の曲って、なぜか5月、6月頃にヒットした曲が固まってる・・・ってことでさ。 


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酒場でDABADA / 沢田研二

1980_11_酒場でDABADA_沢田研二

今回の1曲セレクトは、「酒場でDABADA」沢田研二です。

まずはデータです。

・タイトル     酒場でDABADA
・アーティスト   沢田研二
・作詞       阿久悠
・作曲       鈴木キサブロー
・編曲       沢健一
・リリース日    1980年9月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数   14.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1980年11月3日付

一気に寒くなりましたね。
寒くなって来ると、「あー、年末も近くなってきたよなぁ」・・・なんてシミジミと感じてしまうワタシだったりしますが。。。
 でもねぇ、ここ何年も、この時期なると「音楽祭」だよなぁ・・・っていう感覚はすっかり無くなりましたねぇ。
昔はさあ、11月ともなると、各局こぞって「音楽祭」を開催してたじゃん。大晦日の「レコード大賞」を筆頭に、「歌謡大賞」だぁ、「FNS音楽祭」だぁ、「有線放送大賞」だぁ、なんだぁ、かんだぁ・・・とさ、各テレビ局とタイアップして。
だからさ、この時期ともなると、毎週、どこかしらの局で「音楽祭」の特番をやってしましたよね。

かく言う、ワタシも一時は、毎週毎週、ほとんど全部の音楽祭を見てた事があるなぁ。
で、そんな「熱」が上がっていたのが、1980年前後じゃ無かったかな・・・振り返ると、そう思うな。 

今思うと「アホらし・・・」とか思ったりもするんだけど、当時は、それだけ「エネルギー」があったんだよな、ワタシも。

ま、実際、1980年はいわいる「五・八戦争」とか言われて、各音楽祭で五木ひろしと八代亜紀との熾烈な大賞争いを繰り広げてたしな。加えて松田聖子、田原俊彦を筆頭に新人も勢いがあったんで、歌謡祭としての賞レースも見てて面白かったんだよね。

今回は、そんな1980年の各賞レースで歌ってた、ジュリーのこの曲をセレクト!

「酒場でDABADA」

・・・っつかさ、正直言ってこの年のジュリーの賞レースは、この曲だったのか・・・っていうのは、今思うと不思議だったんだよなぁ。
どう考えても、この年のジュリーっていったら、「TOKIO」の筈だったんだけど・・・。

まあ、この時点で最新曲だったから・・・って事なんだろうけど。。 

ただね、音楽祭向きの曲だったか・・・っちゅうと、ちょっと頭をひねりたくなるんだよな。

悪い曲ではないんだけど、ちょっと難しい・・というかひねり過ぎているっていうか・・・。 まあ、簡単に言えば、ソングフェスティバル向けの、誰が聴いても分かりやすい曲・・・では無いって感じだったんだよな。

当時、小学5年生で、何でもかんでも手当たりしだいに聴いて、聴いたそばから吸収して行ってたワタシも、この曲は、正直分かりにくかった。

ジュリーっていうと、キザ、モテ男、奇想天外(なファッション)・・・っていうところが真っ先に頭に来てた訳でさ。

この年にしても、件の「TOKIO」では、例の「電飾衣装」に落下傘背負って来てたり、この曲の前の「恋のバッド・チューニング」では、色が変わるカラーコンタクトしてきてたり、70年代にもまして奇想天外というかね奇抜なフッションを前面に、表に出て来てましたよね。

この曲では、そう言った、奇想天外なところも、エンターテイメント的なモテ男っていうのも見られなかった。

楽曲的にも、「勝手しやがれ」や「サムライ」、「LOVE(抱きしめたい)」で大ヒットを飛ばしていた頃に比べても、スケール感を感じ無くなって来ていたし・・・。

そう言うところから、なんで、この曲をわざわざ「音楽祭」に持ってきたんだろ・・・って言う疑問は、まだ11才のクソガキだったワタシも感じてたんだよね。


でもやっぱその辺りは、一般的にも感じられていたのかなぁ、オリコンではベストテン入り出来なかったし、売り上げも14万そこそこ。奇しくもこの曲のちょうど1年前にリリースされた「ロンリーウルフ」と同じように「低迷」しちゃったんだよなぁ。

ま、「ロンリ―ウルフ」とちがったのは、この曲では「ザ・ベストテン」ではベストテン入りしたし、上記のように各音楽祭で毎週のように流れていたんで、「ロンリーウルフ」よりは一般的な認知があったことだったろうね。

個人的にも「分かりにくい曲」だなぁ・・・と思いながらも、毎週のように聴いてたら流石に覚えちゃったし、80年秋のジュリーといったら、この曲って言うイメージはしっかり付いちゃったしね。




上で書いたように、前曲まで見られていた奇想天外なエンターテイメント性が無かったこの曲だったから、ついにそろそろ「ネタ」切れだったのかなぁ・・・なんても思えたりもしたんだよね。
いや、当時は、圧倒的にそう感じてた。

まあ、阿久悠氏の詞は別にしても、そもそも作曲者に鈴木キサブロー氏を持ってきたっていうのもちょっと意味が分かんなかったし。。。
ましてや、アレンジャーの沢健一氏ってダレ? って感じだったりもしたし・・・。

でね、今、これを書くに当たって、ちょっと調べてみた。 

沢健一氏、当時バックバンドの「Always」でリードギターをやられていた方だ。 そそそ、この「酒場でDABDA」のイントロでもラフで派手目なギターを披露していた方だ。 
でね、さらに辿って行くと、その昔、「4・9・1(フォーナインエース)」という「GS」のリードボーカルだったとのこと。

まあ、「4・9・1」といっても、これと言ったヒット曲も無いし、いわいるB級、C級のGSだったようだけど、沢氏の前は、ジョー山中氏がボーカルをやっていたと言う事だから、ヒットは無かったものの、いわいるクロウト受けするようなグループだったんじゃないかとは思う。

でも、それを知って、思わずなるほどぁ〜・・・なんて思えたなぁ。

 考えてみたら、この曲の後に、ジュリーも「G.S I LOVE YOU」なんてアルバムをリリースし、その先行として「おまえがパラダイス」なんて、もろ50'Sを意識した3連ロッカバラードをこの曲の次にシングルリリースしたりさ。

つねに「一等賞」狙いだったジュリーだったけど、ヒットどがえしでも、いわいる原点回帰って言う兆しがあったんだよね、この頃ジュリーには。 
まあ、これは次の年の年頭に閉鎖が決まってた、日劇での最後の「ウエスタンカーニバル」出演という布石でもあったんだけどさ。

そこに持って行くための「橋渡し」だったんじゃないのかなぁ、この曲は・・・なんて思えてきたりして。。。



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