1976_01_俺たちの旅_中村雅俊


今回の1曲セレクトは、「俺たちの旅」中村雅俊です。

まずはデータでする。

・タイトル    俺たちの旅
・アーティスト  中村雅俊
・作詞      小椋佳
・作曲      小椋佳
・編曲      チト河内
・リリース日   1975年10月10日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  87.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1976年1月12日〜2月16日付(暫定)
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「俺たちの旅」主題歌

先日のニュースによると、天皇の退位により「平成」も来年いっぱいで終わるらしい。 つまりは「平成30年」で打ち止め・・・って言う訳ですね。
 そうかあ、そうなると「昭和」と言う時代も、ますます遠くなるなぁ・・・・っなんて思っている昨今だったりして。
ま、それ以前に「昭和」の時代に活躍されていた方々が、ここ数年、どんどんと鬼籍に入られてしまった訳で、それだけでも昭和って言う時代も大分、遠くなってしまった・・・って言う実感なんたけど。。。

・・ということで、今回の1曲セレクトは、「個人的」に「昭和」を感じる曲をひとつ。

中村雅俊「俺たちの旅」

・・・なんて書くと、「え?」なんて思われるかなぁ。  なんで、「俺たちの旅」が昭和なんだよ・・・・とかさあ。

「俺たちの旅」っていえば、日テレの「日8」・・・つまりは日曜20時〜21時・・・っていう、NHK「大河ドラマ」の「真ウラ」で放送していた、いわいる「青春ドラマ」枠で1975年〜1976年の1年間放送していたドラマですね。

主演 中村雅俊、田中健、秋野大作の3人がつとめた、お馴染みのドラマですわ。 
・・・なんて、さぞかし当時見てたかのように書いてるけど、当時5才〜6才だったワタクシは、流石にこのドラマは見てなかったよなぁ。 後々、テレビ探偵団とかなつかし番組で「断片的」に見たりしたから、存在は知ってましたけどね。

うん、1975年〜1976年といえば、このドラマが始まるちょっと前の時間にフジテレビで放送してた、「カルピス世界名作劇場」だよね、見てたのは。
75年が「フランダースの犬」、76年が「母をたずねて三千里」っちゅう、名作劇場の中でも一番盛り上がっていた時代ですわ。 個人的には、これ終わったら、「寝る」時間だったからさあ
そそそ、当時は就寝時間が8時だったの。(土曜日だけは「全員集合」見てからだったから9時だったけど) 
だからね、当然ながら、この「俺たちの旅」も当時は存在も知らなかったんだけどさ。。。

・・・・とととと、話が大分ずれた。。。

あれ? なんだったっけ????


あ・・・そうだ、中村雅俊氏の「俺たちの旅」から、どうして「昭和」を感じるのか・・・だったですね。

この曲のサウンドですよね。この曲、FMや「ステレオ」で聴くより、AMラジオの「モノラル」で聴いた方が絶対にいいんだよね。
 当時の哀愁感っていうのかなぁ、当時の記憶がセピア色に甦るっていうのかなぁ。気分は1975年当時に戻るんですよ。

・・・と言っても、当時5〜6歳だった、ワタシの記憶なんて取るに足らないものだとは追うんだけども、それでも少しは物心ついてましたからねぇ、当時。
少しではあるけど、1975年って言う空気感は感じ取ってたんだよね。

いや、逆に言えば、世の中の空気感を感じ始めた、最古の記憶かもしれない、個人的には。

そんなこともあってか、個人的に「昭和」の空気・・・というと、1975年当時の空気を思い出すのかもしれないなぁ。

上で「セピア色」の想い出・・・って書いたけど、例えば、当時、テレビでは、まだドラマにしてもニュースにしても「フィルム」が多かったじゃん。 今みたいにVTRではなくてさ。

映画でもそうだけど、フィルムって、独特の哀愁感を感じるんだよなぁ。日常なんだけど、非日常の世界のようなさ・・・。
それと、街並みにしても、今のような無機的な感じじゃなかったじゃん。
まだ、駅前とか、商店街が華やな時代だったしさ。そう言う商店街には、「ラッパ」スピーカーから、ヒット曲が、半分割れたような音でガンガン流れてたりしてさ。街に活気がありましたよね。

丁度、当時流行ってた、野口五郎の「私鉄沿線」とかの世界。

映画「三丁目の夕日」ほど時代は古くないけど、かといって、まだパソコンなんて何者だ?、って時代だし、それどころかビデオも普及していない時代。

古くないけど・・・かといって新し過ぎもない時代。  なんて書くと「中途ハンパ」な時代? なんても思えるけど、そうじゃない。文化的にも人間性的にも、いまよりはずっと豊かだったんじゃないか・・・なんて思える時代。

それが1975年あたりなんじゃないか・・・なんて個人的には思えるんだよな。

ま、世相的には、70年代前半までの高度成長期が終わり、前年74年には戦後初のマイナス成長という不景気に見舞われた時代。

それは、この「俺たちの旅」っていうドラマ自体にも出て来ているんだけどさ。 例えばそれまで青春ドラマっていえば、スポーツがあって、太陽に向かって走れば、全てが解決・・・っていう能天気な部分があったわけじゃん。

でも、このドラマあたりから、「悩み」が入って来るんだよね。 つまり「陽」だけじやなく、「陰」の部分。こんな部分に、それまでの高度成長期の「プラス」成長から一転して、「マイナス成長」期に入った世間の「陰」の部分が反映されてきたりしてね。

もしかしたら、そういう「陰」の部分に強く惹かれているのかもしれないな、この時代というと。

ちなみに、ドラマ「俺たちの旅」の脚本は、畑嶺明、鎌田敏夫 両氏が書いてたんだよね。
こののち80年代、畑氏は「毎度おさわがせします」、鎌田氏は「金妻」「男女7人」シリーズという、TBSのドラマ黄金期を支えることになるんだけども、この時代は日テレドラマを書いてたんですよね。
ちなみに、「太陽にほえろ」の脚本も書いてましたよね、この時代。


あー、今回は内容がまとまらないなー。何書いてるんだか、よく分かんなくなってきた。。。

ま、ともかくも、個人的には1975年って言う時代は、70年代の中では、78年に次いで印象深い年なんだよね。
それとともに、この曲を聴くと、1975年って言う時代を強く感じてしまうワタシな訳ですわ。



この曲はやっぱり、生で歌っているところよりもレコード音源の方が時代性を感じる・・・ってことで、そう言う動画を持って来ましたわ。
 どころでこの曲、売り上げは87万枚っちゅう、中村雅俊氏としては、デビュー曲の「ふれあい」に次ぐ売り上げを記録した大ヒットだったんだけども、オリコンでは結局1位取れずの、最高2位だったんだよね。

 同時期の1位は、バンバンの「いちご白書〜」であり、ユーミンの「あの日に帰りたい」であり、いわいるユーミン勢に押し切られた形になってたりする。 しかも、しまいにゃ、「およげ!たいやきくん」とパッティングしちゃたりして。。。不運といえば、不運が続いた曲なんだよな。

ただ、売り上げにたがわずロングヒットだったけどね。 ベストテンにランクインしている最中は、兎に角、上下動が少ない安定したチャートアクションを展開していたのが印象的なんだよなぁ、この曲は。

ちなみに、最初のデータに書いたベストテンランクイン期間は、「ワタクシ」のチャートのもので、チャートを始めたのがこの曲がベストテン入り最中だった1976年1月からなんで、「暫定」と入れました。
オリコンでは、1975年11月10日付からベストテン入りしています。



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