かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

酒井法子

渚のファンタシィ / 酒井法子

1987_06_渚のファンタシイ_酒井法子


今回の1曲セレクトは、「渚のファンタシィ」酒井法子です。

まずはデータです。

・タイトル   渚のファンタシィ
・アーティスト 酒井法子
・作詞     竹花いち子
・作曲     タケカワユキヒデ
・編曲     新川博
・リリース日  1987年5月21日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  6.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1987年6月8日付

今回の1曲セレクト、引っ張ってきた曲から、なんで今まで書いてなかったんだろう? シリーズに入るんかなぁ。。。。

のりぴーの「渚のファンタシィ」。

80年代でベストテン入りした曲は、もう、大分書いたしなぁ。この曲なんかは当然書いててもおかしくないよなぁ・・・。

・・なんて思われかもしれないな。。。

でもさ、ワタシ、のりぴーって、まだ、ほとんど書いてなかったんだよな。。。。

現状、自分のところに音源がある曲・・・をこれまで優先的に書いて来たっていうのもあるんだろうな。

そこから見ると、ワタシ、いまだにのりぴーの曲って音源、ほとんど持ってないのよ。。

なんでなんだろうねぇ・・・って、これは理由が簡単。当時、音源購入するのが恥ずかしかったから。。

今でこそ「アイドル」っていう存在って、一般認知されて、我々のような大人でさえ、躊躇なく購入できるようになったけどさ。
1987年当時は、高校生にもなってアイドルかよ・・・って思われるような時代だったのよ。

・・・って、同年代の方じゃなきゃわかんないか。。。

1987年といったら、ワタシゃ17〜18歳。高校3年。

いや、根っからのアイドルファンならば、割り切っていただろうけども、どうも、ワタシは割り切れなかったんだよな、あの頃。

あの頃、ワタシの周りでは、当然のようにみんな音楽って好きだったけども、大半はロック系派だった。アイドル系派だった友達って居なかったのよ。

中学生の頃には、大半がアイドル系派だった友達も、高校生にもなると、みんなロック系に行っちゃってたからねぇ。
前にも書いたけども、1987年、周りはみーんな「BOOWY」だった。 あとは「ブルハ」とか、「渡辺美里」。 浜田省吾の「J BOY」なんか聴いてる人も多かったな。

高3にもなって、まだアイドル系にはまってた人って、ごく少数。 

大抵、マジメで、暗くて、いつも教室の端の方にいて、友達がすくなそーな「オタク」って相場が決まってたような。。。

そそそ、あの頃でいえば「宅八郎」みたいな。。。

そういえば、あの当時、オリコンウイークリーにも「暗い子クラブ」ってオタクの集いのような書き込みコーナーがあったじゃん、あんな感じ

あ、あくまで、ワタシの周りではよ。 全国的にはそうじゃなかったかもしれんけど。。。
でも、あの後、バンドブームが本格化してきてことを見ると、全国的にそうだった・・・とみてもいいのかもしれないな。


で、アイドル系の曲を聴いてると、みんなに馬鹿にされたもん。

だから、アイドル系の曲って、少なくとも外では聴けなかった。

もっとも、家でもアイドル嫌いなオヤジが「いい年こいて・・・」ってバカにするし、、家でも聴けなかったんだけども。

まあ、個人的にも、アイドル系の曲からは、ちょっと距離を置いていたところはある。
オリコンは毎週読んでたけどね。

何分、前年の「おニャン子」旋風に辟易し、アイドルに食傷してたのは大きいですね。

それよりも、時代を遡って、それまで知らなかった曲を掘っていく・・・っていう作業のほうが面白くなってたんだよねぇ、あの頃のワタシは。

小遣いも限られていたわけだから、あれもこれも音源を買う訳にもいかず、何を削るか・・・って考えた時に、当時のアイドル系を削ったわけよ、ワタシは。

アイドル系の曲は「ベストテン」からウタの部分を録音したやつでいいや。。。って感じでさ。


そんなわけで、のりピーも、音源は当時から買ってなかった。

正直、あの当時のヒットチャート上位に行った曲でさえアイドル系の音源を集めるようになったのなんて、ごく最近だもの。
ただ、まだ、のりピーの曲まで手が延ばすることが出来てない・・・っていう状況で、いまだに音源がほとんど手元にないのよ。


もちろん、本音を言えば当時からキライではないんだけどさ。

正直1987年は、新人賞は、のりぴーの年に間違いない・・・とデビューで出てきたときから思ってましたよ。

・・・っつうか、この頃から、自分よりも「年下」のアイドルが普通に出てくるようになったんだよね。なんか変な感じだったな。
のりぴーは、ワタシらよりも1学年下になる。


デビュー曲の「男のコになりたい」も、悪くはなかったと思うけども、真の勝負は第2弾のこの曲だろうな・・というのは、リリースされる前から分かってたんだけどね。

もう、この頃になると、デビュー第2弾で売れたヒトはビッグになる・・・っていうシングスは分かってたからね。

そそそ、聖子さんにしかり、明菜にしかり、頂点を極めたアイドルって、デビュー第2弾で爆発した人が多かったから。

それで出てきたデビュー第2弾が、この「渚のファンタシィ」。

正直、悪い曲とは思わなかったんだよね、あの当時も。ただ、これでブレイクが「決まり」とも感じなかったな。

たしかに、初夏を思わせる爽快感は、コンパクトにまとまった「男のコになりたい」よりは、あの当時のアイドルポップとしては出来は良かったと思うし、ヒットしそうな予感はあった。

ただ、だからと言って、大ヒットに繋がりそうなといえば今一つ弱いのよ。なにより、フックになりそうなフレーズがないし、その分インパクトが弱い。
これでは、並のアイドルソングの域を出してないな・・・っていうイメージなんだよね。

・・かといって、それじゃ、どうすれば、もっと大ヒット狙いできたのか・・というと、今一つはっきりとした答えも出てこない。

結局のところ、のりぴーっていうタレント性のポテンシャルの大きさだったんだろうな。

たしかに、かわいらしいい、ウタも他の同期アイドルの中では、まずます巧い。
だからといって、強烈に引き付けられるカリスマ性を感じるかというと、そういうわけではないしさ。


80年代前半に確立した「80年代アイドル」の成功で、80年代後半は、アイドルの数は飛躍的に増えた。
あの頃一番重要だったのは、強烈な個性とかタレント性よりも素人性だったわけじゃん。

そそそ、となりのクラスの「〇〇ちゃん」という。。

そんなわけで、結局曲も強烈な個性とかインパクトというよりも、誰でも歌えそうな素人性の方が重要になってきてたんだろうね。

インパクトが薄い曲では、売り上げがなかなか上がらないのも当然。結局みんな、個性的で強烈なインパクトな曲を買いたくなるわけだからさ。

それを考えると、あの当時レコードが売れなくなって来ていたのも当然だと思うんだよね。

当時は、アナログレコードからCDに切り替わる端境期。 だから、レコードは売れなくなってきてたのよ。。。っていうのが今までの通説だったけども、必ずしも、それだけの理由じゃなかったんじゃないか・・・とも思うわけなのよ。

だってさ、このちょっと後、光GENJIが出てきて、明菜が「難破船」を出したころからレコード売り上げが少し回復傾向にあったわけじゃん。

底だったのは、この「渚のファンタシイ」が出た87年のちょうど今頃でさ。
ぢゃ、なんで「底」だったの? と言ったら、たしかに季節的な物もあるとは思うけども、結局は強烈なインパクトの曲が少なかったからと思うわけなのよ。

それにしても、このころ、タケカワユキヒデ氏は、頻繫に曲提供してましたね。
そそそ、ゴダイゴのボーカルのタケカワユキヒデ氏。

この年の頭には、浅香唯の「STAR」、で、この曲でしょ。 同時期に池田聡の「Jealousy」なんてヒットもあったな。 まあ、長年、他の方に提供し続けているタケカワ氏だけども、特に1987年っていう年はヒットが集中してたな、

タケカワ氏にとっては当たり年だったのか、タレントの巡りあわせがよかったのか、本気で小銭稼ぎをしていたのか・・・・理由はよくわからないけどさ。





むむむ、この曲「PV」作ってあったんだな。

PVっていっても、今でいう「Music Video」というよりは、文字通りの販促プロモーション用のVTRって感じですね。

どこで流してたんだろ? って感じだけども、そういえば、この頃、地元の新星堂にプロモーション用のモニターが置いてあって、定期的にプロモーションビデオ流してたな・・・っていう記憶がありますね。そういうレコードショップでの販促用に作ってあったんだろうな。

確かに原宿、表参道ってことで、いかにもアイドル向けのPVって感じだけども、そもそも、ビクターの「近所」だし。。。。金かかってねぇな。。。。

ただ、1987年(昭和62年)の原宿、表参道の様子はよくわかりますね。 
「昭和好き」な今の若い子には、結構刺激的なんじゃないかなぁ。。。

時折通る、学生服のお兄さん、お姉さん、きっと私らと同年代に違いない。。。
今頃は50代になっていると思われ、あれからどういう人生を送っているんだろう・・・とか。。。
余計なお世話だけど。。。。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

渚のファンタシィ / 酒井法子

    1987_06_渚のファンタシィ_酒井法子


今回の1曲セレクトは、「渚のファンタシィ」酒井法子です。

まずはデータでする。

・タイトル    渚のファンタシィ
・アーティスト  酒井法子
・作詞      竹花いち子
・作曲      タケカワユキヒデ
・編曲      新川博
・リリース日   1987年5月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数 6.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1987年6月8日付

いやー、いつ以来でしょうねぇ「1曲セレクト」。。。3週間ぶりの「更新」となりまする。
いや、サボッてた訳ぢゃないんですけど。。。 その間、前回更新した時にも書いた、「痛風」の発作が悪化してしまいまして。。。 歩行困難ですよ。歩けない・・の前に足をつくだけで激痛が。。。
久々に、トイレまで「這って」行くハメになってしまっておりました。
それもようやく落ち着きーの・・・と思ったら、先週は、ワタクシ主催の「合宿」形式で「ヒット曲」をオールナイトで観賞するオフ会を開催いたしまして・・・。

そんなこんなで、暫くずっと更新できない日々が続いていたんですよね。 久々の完全(でもないが。。)オフ日ということで、ようやく1曲セレクトを書いておりまする。

その間に書きたい・・と思ってた曲も少し溜まってきたんでね、ちょっと間髪いれず書いて行けたらな・・・なんて思ってるところです。。。

・・・っつうことで、今回はそんな書こうと思った1曲。

酒井法子「渚のファンタシィ」

1曲セレクトも結構曲数を書いてきたけど、これまでノリピーの曲って、それほど書いて来なかったんだよな。
まあ、例の「クスリ」事件で心証悪くしてた時期も長かったし、なによりヒット当時からそれほど真剣に聴いてなかったってのもあるかなぁ。

この曲はデビュー2作目のシングルですわな。 数多くの「アイドル」がデビューした87年デビュー組の中では、頭一つ抜けてるかな・・・なんて印象が個人的には、このヒトにはあったんだよね。

でもって、アイドルの場合、件の通りデビュー第2弾がブレイクすると、その後「化ける」っていうジンクスがあったからさあ、ある意味この曲は「勝負曲」だったんじゃないかなぁ。

・・・とは、当時から思ってましたね。曲的にモロ「夏」をイメージした曲だったじゃん。 路線的に言ったら、松田聖子女史が、デビュー曲の「裸足の季節」⇒第2弾「青い珊瑚礁」と辿った路線に似ていた訳ですわ。

なるほどぉ、松田聖子に去られた、サンミュージックとしては、ポスト聖子として期待されている訳ですわな・・・っていうのが見え見えだったりしてさ。

だからね、この曲はそこそこ行く(売れる)んじゃないかなぁ・・・なんて個人的には思ってたんだけどねぇ。

BUT、今一つ上手く行きませんでしたねぇ。

オリコンでは最高4位まで行ったし、「ザ・ベストテン」でも3位・・・なんて上位まで行ったものの・・・。
後が続かなかったんだよねぇ。チャート的に言えば、超短期ヒットって言うのかなぁ。まあ、今の曲で普通に見られるチャートアクションだよね。

うーん、なにが行けなかったんでしょうかねぇ・・・。

やっぱりね、以前も何回か書いたけど、季節的なもんだよね、5月にモロ「夏」のイメージの曲と言われても、今一つピンと来なかったのは確かだしなぁ。
そそそ、最近でこそ5月で真夏日とか普通にあったりするけど、30年前はまだそんなことは「稀」だったしさあ。
「梅雨寒」っていうコトバもあったくらい、5月、6月っていうと、まだ肌寒い日が多かったのよ。

実際、この曲のイメージってさあ、なんか寒さで震えてる海・・・って言うイメージだったりしてさ。

いや、季節的なところ以外にも、実際、曲調的にも、「夏」の太陽を感じさせる温度感が今一つなんだよな。
たしかにアレンジ的には「夏」を感じさせるような「施し」はしてあるけどさあ、 全体的に言えば今一つ「抜けて」来ないって言うかさあ。

ノリぴー自身の歌唱力ってのもあったな。まだまだ安定感がなかったよな、この曲の頃は。まずもって、腹からじゃなくて、ノドから声が出てる感じだったんだよね。だから、まだまだ歌唱力に安定感が無くてさあ。
その辺だったのかなぁ。

このヒトが本当の意味で、抜けてきたな・・・って感じたのは、この曲の1年後の「1億のスマイル」位からかなぁ。

まあ、アイドルとしての営業スマイルはピカ一だったけど。 っつうか当時はアイドルも供給過多だったんでさあ、営業スマイルだけじゃ、人気は取れない時代になってたんだよね。

この曲の作曲は、ゴダイゴのタケカワユキヒデ氏。 この当時はよくアイドルに曲を書いてたよなぁ。
この曲の直近では、浅香唯さんの「STAR」とかさ。
ただ大体がヒットと言う意味では、もう一つだったんですよね。 この曲もそうだけど、ポイントがもう一つ絞れていない・・・っていうかねぇ。どこか弱いんだよねインパクトが・・・。
ゴダイゴで大ヒットを出してた頃のようにはなかなか行かなかったんだよなぁ。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

HAPPY AGAIN / 酒井法子

1988_10_HAPPY AGAIN_酒井法子


今回の1曲セレクトは、「HAPPY AGAIN」酒井法子です。

まずはデータですら。

・タイトル    HAPPY AGAIN
・アーティスト  酒井法子
・作詞      森浩美
・作曲      西木栄二
・編曲      船山基紀
・リリース日   1988年9月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  8.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位 
・ベストテンランクイン期間:1988年10月3日〜10月24日付
・タイアップ:日本自動車工業会キャンペーンソング

いやはやキツイ1週間どした。。。 
ウチの某「業界」は、四半期ごとに「繁忙期」がやって来るんだけど、10月はその「繁忙期」に当たるんですよね。
ちょうど、今週がその「山場」でして。。。そんな山場な時に祝日が挟まってたりしたもんだから、まあも大変ですわ。そんな訳で、今週はウチに寝に帰ってくるだけの生活だったわけでね。
ようやく週末と言う事言うことで、仕事から解放されて、今、この瞬間が一番「HAPPY」な時間かなぁ。思わず鼻歌なんか出てしまいそうですわ 

・・・ということで久々の「1曲セレクト」。 月曜以来ですかね、「1曲セレクト」を書くのは。

で、持ってきた曲、 のりぴーの「HAAPY AGAIN」。

ハッピーな時間には、ハッピーな曲を。。。っちゅうことで、いつもながら安易なセレクトですわな。。

だけんど、のりぴーの曲なんていつ以来かな  この1曲セレクトでは、あんまり書いてないんだよな。

まあ、個人的に、のりぴーの曲って当時も好んで聴いてなかったって言うのもある。いや、曲自体が悪い訳じゃなくて、なんかね、80年代終盤にもなると「アイドル」の曲に疲れてきちゃってましてね、触手が伸びなかったっていうのもある。 だからね、未だに、あんまり曲知らないんだよな。
のりぴーの曲って。

ただ、この曲がリリースされた1988年の、のりぴーの曲は、なーんか引っかかったんだよなぁ。 
この1曲前の「1億のスマイル」からさ。

やっぱり、曲自体弾けてたからかなぁ。このヒトの「キモ」は、やっぱり「明るさが弾けてる」っていうところなんだよね。
「夢冒険」とか、少し陰が見える曲なんかも人気があったけど、個人的には、それよりも、メジャー系の明るい曲が良いんだよな。
やっぱ、アイドルは「笑顔」が一番よ。

この曲も、そんな「1億のスマイル」に続いて、ハジけた曲だったからなぁ、好きだったな。
まあ、曲のインパクト、まとまり・・・って言う点では「1億のスマイル」程ではなかったけど、それでも引っかかりはあったよね。 まあ、メロディラインのインパクトは、「1億のスマイル」がチャゲアスの飛鳥涼だったのに対して、この曲は、無名の西木栄二氏(ただし、のりぴーの曲は結構書いてるんだよな)だったからなぁ、その差はあったかもしけない。
なんせ、当時の飛鳥氏は、「光GENJI」っていう後ろ盾もあって勢いがあったからなぁ。

ちなみに、この曲も、詞の内容的には「応援歌」的なイメージなんだよな。
この間書いた、浅香唯さんの「DREAM POWER」もそうだったけど、この時期・・・秋先・・・の曲って、わりと応援歌的な曲が多かったんですかねぇ。
 まあ、のりぴーの曲自体、それほどディープな恋愛観がある曲って言うのも少ないってところから、偶然だったかもしれないけど。




「ザ・ベストテン in 鹿児島」ですな。
そそそ、ベストテン史上、初めて視聴率が10%を「割った」・・・・という、伝説的な回ですわ
ちょうど、ウラで「とんねるずのみなさんのおかげです」のレギュラーが始まって、そっちに視聴率を取られたんだよね。 その影響をモロうけた・・・っちゅう。

あん時は「とんねるず」にはらわた煮えくりかえってたけど、今から考えると「ベストテン」も賞味期限切れてたんだろうなぁ。 ここから、よく1年間持たせたと思いますわ。


よろしかったら、ポチッと押してね。

にほんブログ村

碧いうさぎ / 酒井法子

1995_08_碧いうさぎ_酒井法子






今回の1曲セレクトは、「碧いうさぎ」酒井法子です。

 まずはデータです。

・タイトル    碧いうさぎ
・アーティスト  酒井法子
・作詞      牧穂エミ
・作曲      織田哲郎
・編曲      新川博
・リリース日   1995年5月10日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   99.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1995年6月26日〜8月14日
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「星の金貨」主題歌

 今回の1曲セレクトは、あえて「地雷」を踏んでみたりして。。。

 酒井法子 碧いうさぎ。

 この最初に書いたのが、例の「くすり」事件で、「容疑者」になった直後なんだけど、まあ、さっきもチャゲアスの曲を引っ張ってきたことだし、「それ」繋がりでいいか・・・なんて 半分ヤケクソ。

 「クスリ」が蔓延しているゲーノー界。まさかねぇ、「清純派」っていうイメージが未だに残ってた、のりぴーまでがねぇ。。。


 今回引っ張ってきた「碧いうさぎ」。  この曲は、95年に放送した、日本テレビのドラマ「星の金貨」の主題歌だったわけで、主演もノリピーだったけか。。。
 うーむ、個人的には見てなかったからな・・・ドラマ。たしか、耳と口が利けない役だったんだよね、ノリピー。
 その、けなげさと、この物悲しい主題歌がマッチして、ノリピーとしては、最大の99.7万枚セールス。あとちょびっとで、ミリオンセラーだったわけで。。。。

 うーん、今、再リリースすれば、話題性だけで3千枚くらいは行くんぢゃないんですかねぇ・・・。そして晴れてミリオンセラー・・・・ってこともあったりして。。。ふらふら

 ま、まず、そんなリリースはありえないんだけど。。。。。

 それにしても、この曲は悲しすぎる。個人的には、デビュー当時、今だったら、絶対「ばかやろー」っていいそうな「ノリピー語」を駆使し、キャピキャピ歌ってた姿のほうが、しっくり来ているもんで、どうしても、この曲は悲しすぎるのよ。

 だから、ヒット当時は、あんまり好きじゃなかったんだよね。音源も買わなかった。
 あ、いいなと思うようになったのは、つい最近よ。といっても2000年代の初めのころだけど・・・・。あせあせ

 まあ、考えてみれば当時の、年相応のイメージだったんだろう。そう考えれば、なんとなくフィットする。
 ワタシが25歳から26歳にかけてヒットしていたわけで、ノリピーは、23歳だったはずだ。そう考えれば、年相応だったのかもしれない。

 もっとも、最近の23歳にしては、ちょっと老けた曲かなぁ・・・って感じもするけど。。
 結局、歌謡曲よりなんだよね。ポップスというよりは。まあ、だから、幅広く受けたわけで、コレだけのヒットにもなったとも言えるが・・・。
(と、言っても95年当時の99万枚ヒットなんてのは、そんなに「スゴイ」というほどの売上げではないが・・・・)
 ただ、この曲を作曲したのが、織田哲郎氏っていうのは、意外だったな。織田氏といったら、当時のビーイング系の、いわばメインコンポーザーだったわけで、曲もバタくさいイメージしかなかったんだけど、こんなモロ「歌謡曲」なメロディも書けるんだ・・・っていうところがね。イメージがわかなかったな。






よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ J-POPへにほんブログ村

1億のスマイル / 酒井法子

1988_06_1億のスマイル_酒井法子







今回の1曲セレクトは、「1億のスマイル」酒井法子です。

 まずはデータです。

・タイトル    1億のスマイル
・アーティスト  酒井法子
・作詞      森浩美
・作曲      飛鳥涼
・編曲      船山基紀
・リリース日   1988年5月18日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   9.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1988年6月6日〜6月27日付
・タイアップ:ライオン「Ban16」CM曲


 久しぶりで、88年の曲を書くような気がするな・・・。うーん、特に避けていたわけではなくて、単に88年って知ってる曲が少ないからだったりして・・・ふらふら

 特に、このころのアイドルがからきしダメだねぇ。既に、このころになるとアイドルも「オタク」な傾向が出てきてたじゃん。
 
 まあ、当時、(本屋の店員さんの目を気にしながらだけど)、アイドル誌と化していた、オリコンウイークリーを毎週買ってたわけだから、必ずしも「苦手」ではなかったんだけどね。

 単に、「浪人」してたから、気分的に、それどころじゃなかったってのが本音のところですねぇ。


 なので、88年頃になると、B級、C級アイドルの曲はほとんど知らんですわ。

 しかしながら、「ベストテン」だけは、浪人だろうがなんであろうが、見続けてたんで、ベストテン級の「A級」アイドルの曲は、もちろんチェックしてましたよ。

 ・・・うーんと、といっても、今日引っ張ってきた、酒井法子の「1億のスマイル」あたりが、ボトムラインかなぁ・・・。

 
 いやいや、この位がボトムラインとは、かなり知らないっていうのが、ミエミエだったりして・・・。

 ・・・っつうのも、この曲、オリコンでは最高位2位まで行ってるのよ。

 え〜〜〜〜exclamation & question でしょ? 今となっては・・・。 正直言って、ワタシもほとんど記憶にない。。。。

 1988年5月30日付で初登場で2位。 その時のベスト3が ↓

・1位    TATTOO     /中森明菜   77,590枚
・2位    1億のスマイル  /酒井法子   35,260枚
・3位←2位  恋いしたっていいじゃない /渡辺美里 23,350枚

 まあね、1位の中森明菜とは倍近い差がついていたんだけど・・・。
・・・というか、売上げレベル的に、昨今のシングルチャートとほぼ変わらないところだわね。当時のシングルチャートも。

 違いといえば、何回も書いているように、レコードからCDシングルへの移行期ということで・・・。

 メディアの移行期というところでは、CDからネット配信へ・・・っていう昨今の状況と、これも変わらないところなんだけど・・・。


 ちなみーに、この曲が、酒井法子にとっては、自己最高位だったりします。
 一番うれた、95年の「碧いうさぎ」も最高5位だからねぇ。。。


 ところで、曲の内容・・・うーん、個人的には好きなんだけどねぇ。この曲。 なんか、やっと、「曲」の方向性として固まったような気がするなぁ、この曲で。

 それまではなんとなく、手探り状態だったような感じがするんだよね。

 ただ、「全盛期」は短くて・・・ってことで、結局のところ、この曲と、次の「HAPPY AGAIN」の2曲だけが、ひとつの頂点だったような気がするねぇ。うーん、売上げ的にはそうでもないのかexclamation & question
 あくまで印象だけど。。。


 でも、このヒトには、この曲のような、かるーくて、あかるーいアップテンポポップスが一番、「らしい」イメージがあるよね。

 うん、で、この曲の作曲は、当時「光GENJI」の一連の曲を手がけていたチャゲアスの飛鳥だったりして・・・。

 あれ? これ、意外と知られてない事実exclamation & question

 でもそうなのよ。 小金稼ぎにいそしんで・・・って訳でもないだろうけど、当時、ホント売れてたね、飛鳥って。


それよりも、今となっては、クスリで世間から干されてしまった、酒井−飛鳥 コンビと言うべきかwww





よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

男のコになりたい / 酒井法子

1987_02_男のコになりたい_酒井法子






今回の1曲セレクトは、「男のコになりたい」酒井法子です。

 まずはデータです。

・タイトル     男のコになりたい
・アーティスト   酒井法子
・作詞       三浦徳子
・作曲       Frankie.T
・編曲       荻田光雄
・リリース日    1987年2月5日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位  6位
・売上げ枚数    4.8万枚

 うーん、なんか、いきなり「男のコになりたい」なんて、タイトル出しちゃったりすると、「筆者は、ついに女になっちまったか・・」なんても思われたりしたりする? あせあせ
 
・・・あ、しない、やっぱり・・・。ふらふら

 ハイ、ワタシは生まれたときから「男のコ」どぇす。 ふらふら


・・・なんて、あと半年もすれば46歳になるオッサンが書くことぢゃねーわな。。。あせあせ

 
昨今は、すでに「オタク」も「萌え〜」も、すっかり市民権を得て、日本の「文化」とまで、昇華してしまったような気もするんだけど、「オタク」、「萌え〜」系って、遡れば、どこに行き当たるんだろう・・・とか、思っちゃったりしてね。

 「おニャン子クラブ」? ・・・・うーん、確かに80年代アイドル「最終兵器」な存在ではあったけど、もう一つ「萌え〜」にはつながらかないような気がするな。「オタク」には行き当たるけど・・・。

 ・・・と思いながら、あれ? これはどーお? っていう曲にたどり着いた。


 男のコになりたい  /酒井法子


はい、言わずと知れた、酒井法子のデビュー曲どぇす。

 だってさ、考えて見れば、あのころ「ノリピー語」とかあったじゃん。「マンモスウレピー!」とか。。。。ふらふら

 いやいや、今じゃ「死語」だねふらふら

 考えて見れば、酒井法子って、あのころの「萌え〜」系番組だった、TBSの「モモコクラブ」から出てきたんじゃん。

 そそそ、フジテレビの「おニャン子」に対抗して、TBSが作った、アイドル発掘番組・・・というか「萌え系」番組。
(当時、日曜11時〜11時30分放送)

 そんな意味からも、ここが「萌え〜」の発射地点ぢゃねえかな・・・と思ったわけです。

 
1987年2月19日放送の「ザ・ベストテン」

10位 男のコになりたい  /酒井法子  
9位 STAR /浅香唯

っていう時があった。この時、二人とも同時に「ベストテン初登場」で、並んで登場したんだよね。

 でもさ、あの時は、何にも感じずに、「おー、初登場だ〜」くらいにしか見てなかったけど、今から考えてみると、その後の価値観が全く違うアイドルが同時に登場したんだな・・・って思うなぁ。

 方や、浅香唯⇒80年代アイドルの典型。このころが丁度、アイドルとしての成熟期。


 方や、酒井法子。80年代アイドルからだっぴして、今に続く、「萌え〜」キャラアイドル。


 でもさ、あの頃は、まだ、「萌え〜」キャラも一部の「おたく様」のものだったのよね。

 証拠に、浅香唯は、この時の「STAR」を足がかりに、ほんとに「アイドルスター」に駆け上っていく。
 一時期、南野陽子、工藤静香、中山美穂とならんで、アイドル四天王なんて呼ばれてたもんね。

 方や、酒井法子は、依然として「低空飛行」を続けていく。つまりさぁ、「大衆然」とはしてなかったわけ。

 だけどさぁ、アイドル四天王とまで呼ばれて、一時期スターダムの第一線にいた、浅香唯が、その後、一気に転落して、酒井法子が未だに、一線で活躍しているところを考えると、時代の流れってヒニクなもんだよねぇ。

 あの時、「売れすぎなかった」のが長続きしてる要因の一つでもあるのかもしれないけど、うまい具合に「女優」にシフトできたからなぁ。

「萌え〜」のころから見てきている者にとっては、変われば変わるもんだよなぁ。

まあ、近年は「いろいろ」ありましたけど・・・ノリピーも。



 え? 肝心の「男のコになりたい」の曲の中身は?

・・・・・むー、難しい質問だ・・・・。

 はい、一言で言って、そつのない「80年代アイドル」の曲です。

 とりあえず、イントロの16分音符で、くるくる回ってるシンセはインパクトあるかな。。。って感じですかね。



・・・ということで、「モモコクラブ」より。
あーら、80年代末期のB級、C級アイドルがいっぱい・・・。


もし、よろしかったら、ポチッとしてね
ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村
記事検索
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
livedoor プロフィール

かじやん