かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

財津和夫

魔法の黄色い靴 / チューリップ

1972_06_魔法の黄色い靴_チューリップ


今回の1曲セレクトは、「魔法の黄色い靴」チューリップです。

まずはデータから

・タイトル     魔法の黄色い靴
・アーティスト   チューリップ
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       木田高介
・リリース日    1972年6月5日
・発売元      東芝音工
・オリコン最高位  98位
・売上げ枚数    0.2万枚

4日土曜日、東京国際フォーラムで行われた、チューリップのデビュー50周年コンサートに参戦した。

正直、前もって参戦しようとは思っていたわけではないんだけどね。。。
今年の初め、キョンキョンの40周年ライブの中野サンプラザのチケットを獲ろうと、「ぴあ」のサイトを見ていたら、たまたま、チューリップ50周年コンサートの告知が目に入ったものだから。
それがどうも気になりまして、コンサートに行ってみようかと、チケット予約してみたら取れたんですね。。。

・・なんて、なんとなくチケット予約してみた‥のような書き方だけども、もちろん、以前から1度はチューリップのコンサートを見てみたい・・という思いはずっとあった。

これもなんかの縁・・・だったのかもな。

それ以前に、チューリップのメンバーも財津さんをはじめ70代の方が多くなったわけで、もしかすると、この機会を逃すと、もうコンサート見れなくなるかも・・なんていうのも頭の片隅にはあったのも確か。

でも、コンサート参戦してみて、よかったですわ。アットホームな雰囲気に包まれて。
個人的には、年齢的に70年代の「コンサート」の雰囲気って知らないんですよね。。 でも、その一旦も味わうことができたし。。。

ま、これに関しては、また後日、ライブレポにまとめようか考えています。



そんなわけで、今回の1曲セレクトは、やっぱチューリップの曲を持ってきたい。
・・となると、タイミング的に、やっぱし、丁度50年前にリリースされた、メジャーデビュー曲のこの曲となりますよね。

「魔法の黄色い靴」。

チューリップの曲は、曲数は多くないけどこれまでも何曲かは書いた。けど、デビュー曲であるこの曲は、まだ書いてなかったんだな。。
これまでは、なかなか書くきっかけがつかめなかったのもあるかもしれないな。

リリースは1972年6月5日。 今からちょうど50年前になる。

当時のメンバー、 Key、G 財津和夫、Key、G 姫野達也、G 安部俊幸、B 吉田彰、Dr 上田雅利 

メジャーデビュー当時の、いわばオリジナルメンバーだ。


ワタシは、この時、2才9か月。 さすがにリアルタイムじゃ聴いてないなぁ。 

個人的に聴いたのはいつだろ? 

そうそう、この曲がダイドー「ブレンドコーヒー」のCMに起用され、「虹とスニーカーの頃」や「青春の影」とのカップリングで新たに8cm CD がリリースされた1993年だ。

フジテレビ深夜に放送していた「19×× 僕たちの懐かしのメロディ」から、「青春の影」にめっちゃのめりこみ、音源が欲しい・・と思っていた時に、丁度シングル曲、3曲がセットになった、「お得盤」ともいえる、この8cm  シングルCDがリリースされたのよ。すぐに買ったな。

ちなみに、このシングルCDは、オリコン最高36位。11.7万枚の売り上げを記録している。
72年のオリジナルシングルの50倍以上の売上げですわ。

もちろん、すでにチューリップというバンドのネームバリューは、72年にリリースされた当時と比べ物にならないくらい大きなものになっていたし、CMというメディアミックスの効果もかなりあったわけだから、単純には比較できないのだけど。。。

でも、個人的に「19×× 僕たちの懐かしのメロディ」には、大分影響されましたね。
高校生だった80年代後半から、始めていたんだけども、ヒット曲を現在から遡って掘ってみようと本格に70年代の曲を掘り返し始めたのも、この番組からだったし。。

で、60年代からの音源がある程度揃ってくると、時代ごとの一連のヒット曲の流れがや、曲の傾向が見えてくる。

でも、そんな一連の時代の流れの中で、少し毛色が違った曲が見えてきたりするんだよね。

この「魔法の黄色い靴」もそんな1曲だったような気がする。

1972年って、時代の転換点の年のように思えるんですよね。 歌謡曲という面ではなくて、フォーク・ニューミュージックという面から見るとだけど。。。

大まかに見ると、当時の主流は60年代末からの流れを受けてフォークといっても良かったかもしれない。吉田拓郎氏の「結婚しようよ」が大ヒットしていた時代だ。

けど、一方では、その後のニューミュージックと呼ばれる新たな音楽の「芽」が出始めた年でもあるんですよね。

吉田拓郎氏の対抗馬として、井上陽水氏に注目が集まりだし、アリス、ユーミンがデビューしたのも72年ですわ。

後のいわいるニューミュージック界の雄と言えるアーティストたちがデビューした年。 そんな中に、チューリップもいたわけですね。

もちろん、アリスもユーミンも最初からビッグヒット飛ばしたわけではない。 ユーミンのデビュー曲「返事はいらない」はオリコン100位にも入らず、本人曰く300枚しか売れなかった・・・なんて言ってたりしてますもんね。

チューリップのこの「魔法の黄色い靴」は、かろうじてオリコン100位に入ったものの、最高98位。
TOP100ギリギリ。しかも1週しかランクインしていない。

結局さ、まだまだ時代が追いついていなかったってことなんだよね。

比較的複雑なコード進行と、トリッキーな転調を伴う、この「魔法の黄色い靴」は、確かにアコースティックキターがメインの一聴すると、フォークのように聴こえるんだけども、それまでの60年代からのフォークとは違う。

そもそも、当時の主流だった拓郎氏や、社会派フォークのように人生観や社会風刺を表に出した曲ではない。 政治色がないんですよ。

でも60年代から70年代へと時代が変わったように、社会も変わっていたわけだよね。

モーレツからビューティフルへ。そんな時代の価値観の辺の中で音楽の価値観も変わってきていたわけで。

ただ72年という段階では、少なくとも音楽に関しては、まだ前時代の価値観が主流だったってことでしょうね。

そんな時代の流れの中で、チューリップも、まだ立ち位置が確立できなかったじゃないか。

バンドではあるけど、シャウトするロックではない。かといって上記のようなフォークでもない。

ポップ・ロック。

当時はそんな立ち位置のバンドは、少なかったわけですわ。

田家秀樹氏の「読むJ-POP」によると、「ネオGS」という呼び方で、際物扱いだったようですね。

ニューミュージックという言葉が出てきたのは、1973年頃。
1972年当時には、少なくとも日本の音楽界ではこのコトバは使われていなかったわけで。
ロックでもない、フォークでもない彼らに当てはまる音楽のジャンルは、当時にはなかったわけですわ。

ビートルズを下敷きにしたバンド。 林哲司氏の「歌謡曲」には、そう書かれたりするけど、確かにそうなんですわ。

この「魔法の黄色い靴」を聴く限りビートルズの香りが強い。 

たしかにビートルズ好きを公言するミュージシャンは、それまでもあまたいた。
当時、時代を席巻していた吉田拓郎氏もその一人だったはず。 でも、ここまであからさまにビートルズの匂いの強いアーティストは、あまりいなかったように思うんだよね。

口が悪い方たちからは「ビートルズのコピーバンド」とも言われていたようだ。

ただし逆な見方をすれば、それまで無かったような空気感をまとった曲であることは確か。
それは、あの当時のフォーク・ニューミュージックを発売順に聴いていくと、たしかに、この曲とか、ユーミンの「返事はいらない」は、全く違う空気を感じるんだよね。


それまでの時代・・・1960年代・・・・の空気感とは全く違った空気を感じる曲。
リリースは1972年だけども、音楽における・・・いやいや、ニューミュージックという70年代を彩る新たな音楽の地平・・・は、この曲から始まったんじゃないか・・・。 後追いで音楽を聴き始めた世代のワタシとしては、そう思えたりするな。

上記の、林哲司氏の「歌謡曲」に、この「魔法の黄色い靴」に関して、

僕は、歌謡曲でもないフォークでもないポップスがやりたかった。
(当時この「魔法の黄色い靴」を聴いて)  やられた・・・と思った。

とある。

この曲に感化されて、林哲司氏が、後の竹内まりやさんの「セプテンバー」や松原みきさんの「真夜中のドア」など、70年代終盤のニューミュージック・・・今でいうシティポップ・・・を作曲する原動力になったのなら、言ってみれば今をときめくシティポップの「祖」といっても過言じゃないんだよね。




   



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ブルースカイ / チューリップ

1977_07_ブルースカイ_チューリップ


今回の1曲セレクトは、「ブルースカイ」チューリップです。

まずはデータです。

・タイトル     ブルースカイ
・アーティスト名  チューリップ
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       チューリップ
・リリース日    1977年6月5日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位  25位
・売上げ枚数    12.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 20位

ここ暫く梅雨空が続いていたけど、昨日、今日は、比較的カラっと晴れましたわな。
おかげで、溜まってた洗濯物が乾きましたわ。
そんな天候に誘われ、ひっさびさに散歩に出たりして。 

IMG_20210711_154849


もろ「夏」の空を思いうかけべるような、広がるスカイブルーの空。気持ちいいですな。

今日、南九州が梅雨明けしたというニュースが流れていたけど、関東の梅雨明けも、もしかするともうすぐかもしれないですね。


・・・・ということで、今回の1曲セレクトは、今日の広がる青空のような、こんな曲を持ってきましょうか。

チューリップ「ブルースカイ」。

そのまんまやん。。。。。


あざとい方ならば、前回がオフコースの「Yes-No」だったんで、今回はチューリップですかい

・・・とか思われるかもしれないけど、当たりです。。。。

70年代終盤から80年代前半にかけて、比較的近い位置にいたような、チューリップとオフコースだったんで、オフコース書いた後、チューリップを持ってこよう・・・なんて、ちょっと前から機会をうかがっていたわけなのよ。。。

前回のオフコース「Yes-No」では、無駄なところをはぎ取り、計算された無機的な曲調が当時は苦手だった。。

・・・と書いたんだけども、チューリップのこの曲は好きなんだよなぁ。

前回でも対比的にチューリップ、いや財津和夫氏の紡ぎだす、有機的で優しいメロディが好きだ・・・と書いたんだけども、この曲でもそんなところが感じられるのがいいんだろうな。個人的には。

でも、この曲って、ちゃんと聴いたの、ごくごく最近なんだよね。


チューリップ12枚目のシングルとして、1977年6月にリリース。 

ワタシは、まだヒット曲の世界に足を踏み入れていない頃ですわ。

存在を知ったのは、実は、自分のランキングを作って居る時なんだよね。 1992年くらいだったと思う。
自分のランキングで、1977年夏ごろのランキングを作っている時、チューリップでそれまで知らなかった曲が、チャートを上がってきたのよ。 それがこの「ブルースカイ」。

当時の時点ではチューリップと言ったら、「心の旅」「虹とスニーカーの頃」「サボテンの花」「青春の影」くらいしか知らなかったんだけど、そんな所にいきなり「ブルースカイ」って曲が、オリコンで30位圏内に上がり、結果的にワタシのランクでも最高20位まで上がったんで、ずっと気になってたんだよね。

そそそ、1992年時点では、まだ曲を聴かずじまいで、ずっと保留のままになってたんだよね。

あくまで個人的な趣味だけど、ランキング作成と並行して、1966年以降、つまりはG.S以降の、ロック、ニューミュージック系のヒット曲の音源集めと、音源のヒット順への整理も進めていて、それが一段落した、つい最近、そういえば、この曲があったよな・・・ということで、改めて音源を集めたわけなんですよ。

なんで、ちゃんと曲を聴いてから、まだ10年も経っていないと思う。

でも、初めて聴いたときも、ちゃんと1977年を感じたんですよねぇ。 
まあ、それ以前に1977年のランキングでこの曲を見てるし、だから、初めて音源を聴いたときも、どこかその頭があったからかもしれないけど。

正直、1978年頃からの記憶は、比較的はっきり覚えてるんだけど、それ以前の記憶は、今となっては飛びとびにしかない。

なので、正確ではないと思うんだけども、VTRではなくフィルムドラマのような、セピアではないんだけども、少し色あせたような色彩と、しゃりっとした乾いた空気の夏だったような記憶がある。

この曲を初めて聴いたときに、音質がさあ、当時の匂いだったの。 これは1977年の匂いだ・・・そんな感じがしたんだよね。

・・・なんて書くと、そんな馬鹿な・・とか思われるかもしれないんだけどさ。いつかも書いたことがあるんだけど、不思議なもので、年によって、それぞれの年の色合いがあるんだよね。独特のにおいというか。。。

あの当時は、録音技術も録音機器も日進月歩で進化していってた時代だから、そんな風に年によって、独特の音質っていうのがあったんだろうね。

そこからみると、この曲の音は、紛れもなく1977年の音を感じるんですよ。1978年でも、1976年でもない。


この曲のキモといったら、やっぱり、

♪OH! Blue Sky    Blue Sky  この空の明るさよ〜

っていう、サビ始まりの出だしのフレーズでしょうね。 

この下図のようにフレーズのコード進行に、個人的には刺さっちゃいましたね。


スクリーンショット (5)



この曲キーはGであるのにサビの2つの目フレーズである

♪ なぜ僕の〜 ♪ で、Cmにマイナー転調するコード進行と、

♪ 映してはくれない〜 ♪ で Cdimっていうテンションコードに行くコード進行がいいんですわ。

特に個人的には、このディミニッシュコードの響きって好きなんですよね。

どことなく厳かな雰囲気になるでしょ。 教会で賛美歌を聴いているような。

チャゲアスの「SAY YES」の 

♪ 愛には愛で 感じ会おうよ〜 ♪ っていうサビの部分で A♭maj7から Bdimに行くコード進行の響きなんてさ、厳かさを感じるじゃん。

まるで、クラシックを聴いてるような、賛美歌を聴いてるような、ちょっと不思議な感覚になる。
そこに楽曲の深みを感じたりするのよ。

それは、この「ブルースカイ」も同じで、このフレーズのこのコード進行があることによって、曲に深みを持たせてくれていると思う。

なんていうのかなぁ、このフレーズの歌詞の通り 空の明るさ、空の青さを際立たせてくれている・・というかね。

これに対して、サビに続く、Aメロ、Bメロは平易で、インパクトにちょっと乏しい。 まあ、ポップではあるけどね。

この曲、1975年2月リリースの、あの「サボテンの花」以来の10万オーバー、オリコンでベスト30入りというスマッシュヒットとなったのに、それ以上のヒットにならなかったのは、一重に、Aメロ、Bメロの平易さにあるんじゃないのかなぁ・・・と思ったりして。

ここ、もうちょっとキャッチーだったら、もう少しヒットしてたんじゃないか・・とか思ったりしてね。

そんなところから、この曲は「サビ」の曲である、と言い切れるんじゃないかな。

曲全体を通してサビの繰り返しが多いのは、財津さん自身、それが分かってて、そういうメロディ構成にしてるのかもなぁ。

まあ、そういいたくなるほど、抒情的なサビのメロディ、コード進行は刺さるし、この曲のキモだと思いますわ。




いや、まてよ、リリースの時期的に、ジグソーの「スカイハイ」とタイトルのイメージがかぶるな・・・ってことはないかなぁ。。。
それとか、ヒデキの「ブルースカイブルー」とか。。。

んな人はいないか。。。。





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切手のないおくりもの / 財津和夫

1978_06_切手のないおくりもの_財津和夫


今回の1曲セレクトは、「切手のないおくりもの」財津和夫です。

まずはデータです。

・タイトル     切手のないおくりもの
・アーティスト   財津和夫
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       青木望
・リリース日    -
・発売元      -
・オリコン最高位  -
・売上げ枚数    -
・タイアップ: NHK「みんなのうた」より

昔から耳馴染んでいた曲が、意外な作曲者だったことがある。
まあ、最近では、「生業」としての仕事柄、まずは作詞・作曲者を調べてから、実際の曲を耳にするってことが多くなったんで、そういうことも少なくなったんだけども、昔はあったんだよね。

特に、学校の教科書に載ってた曲には、そういう曲が多かったなぁ。
以前、ここでも書いた、トワ・エ・モアの「虹と雪のバラード」、赤い鳥「翼をください」なんてのは、典型的な曲ですね。

そもそも、これらの曲って、音楽の教科書に載っているということで、いわいる「唱歌」だと思ってたもの。 もともとは一般の「ヒット曲」だとは思ってなかったんだよね。

今回引っ張ってきた、この曲もそうだったなぁ。


財津和夫「切手のないおくりもの」

この曲、当初どういう経緯で書かれた曲なのか・・という細かいところは良く分からないんだけども、wikipediaを見る限りでは、1977年NHK「歌はともだち」という番組で発表されたのが最初だったとか。

うーむ、個人的には、このこの番組は見た記憶はないんだけども、いかにも、当時の「NHK」を彷彿とされるようなタイトルですな。

で、この番組で発表されるや否や、NHKに問い合わせが殺到し、 翌78年6月〜 のNHK「みんなのうた」で、作詞、作曲した財津和夫氏、本人が歌ったバージョンが流れた訳ですね。

恐らく、一般的には、この時に広く知られるようになったんだと思う。

個人的に、この曲知ったのはいつだったんだろう? 少なくともこの時ではなかったような気がするが・・・。 いや、この時だったのかなぁ。

あれは小学校5年生の頃だったか、音楽の教科書の「副読本」として、ポケットサイズの「歌集」が配られた。 そこにこの曲が載ってたんだよね。恐らく存在自体はその時知ったんじゃないかとは思うな。
 で、音楽の授業で、この曲もやったのかなぁ・・・・。その辺、ちょっと記憶が定かではないんだけども。。。。

確実に覚えているのは、1982年11月。叔父の結婚式で福島に向かっている道中で、ラジオから流れてきた財津和夫氏バージョンのこの曲だった。

この時点では、財津和夫氏が、チューリップのリーダーで、松田聖子さんなどのヒット曲も手掛けられているヒットメーカーということも分かっていたんだけども。

そんな財津和夫さんが、この曲を歌っているっていうのは、意外だった。

そそそ、この時点では曲は知ってたけど、誰が作った曲なのか・・・っていうのを知らないで聴いたからさ。うん、音楽の教科書に載ってたんで、「唱歌」だと思ってたんだよね。

で、後日、この曲が歌っていた財津さん本人の作詞、作曲だと知って、びっくりしたんだよなぁ。
まさか、チューリップや松田聖子さんのヒット曲を手掛けているメロディーメーカーの作曲だとは思って見なかったし

まあ、音楽の教科書にも作詞、作曲者くらいは載ってるから、見れてばわかるもんだけど、小学生の頃は、そこまでは興味なかったからなぁ。


恐らく時期的に考えて、この曲聴いたのは、1982年10月〜11月にかけての2回目の「みんなのうた」で放送されたときのバージョンだったんじゃないかと思う。

改めていい曲だと思った。

1982年、福島から千葉に引っ越した私は、友達も出来ず、孤立無援状態。精神状態はどん底だったからあ。音楽に頼る事しかなかったんだよね。

その時に聴いた、この曲は凍みたわけよ。 心に響いたのよね。

元々、「みんなのうた」で流され、小学校の音楽の授業でやるくらいだから、本当にシンプルで簡単なメロディラインですよ。 でも、簡単なメロディなのに琴線に響く。 財津和夫さんが紡ぎだすメロディの一番の特徴なんじゃないかなぁ。

それに最初に気が付いたのは、松田聖子さんの「チェリーブラッサム」〜「白いパラソル」の一連の3部作の時だったなぁ。

特に「チェリーブラッサム」は、Key=Cだったし、メロディラインからコード進行からとてもシンプルだったんで、譜面を見ると、本当、音楽の教科書に載っているような感じだったしね。

それでいて、実際に聴くと、琴線にぐいぐいと刺さるんですよ。 

それとともに心が温かくなるようなメロディ。 

だれでも出来そうなんだけども、これがなかなか出来ない。 だから天性のメロディメーカーなんだよね。

この曲なんかは、その最たる曲と言えるんじゃないのかなぁ。

もっとも、本人は、「You Are My Sunshine」のような誰でも口ずさめるようなメロディということで、この曲を書いたらしいですけど。。。。。

まあ、言われてみれば、たしかに「You Are My Sunshine」にクリソツか。。。。。






これは、wikipwdiaから考えると、これは1982年10月から「みんなのうた」で放送された「第2回目」のバージョンだと思いますね。

でも音が小さいな・・・。↓の動画は音が大きいです。(ただし1996年放送の「第3回放送バージョン」ですが。。。)




1978年に放送された「第1回目」のバージョンはNHKにも映像が残っていなかったんだとか。ただ、2011年に放送された「みんなのうたフェスティバル」での「みんなのうた」発掘プロジェクトで、第1回目のバージョンが発掘され、放送されたわけですね。

↓ コレ




ちなみに、この曲の音源自体、長年CD化されていなかったわけだけど。。。もちろんシングル化もされていない。

なので、↑のデータでは、売り上げ枚数。 発売日等のデータは無しです。

1曲セレクトではかなり珍しいパターンですね。 まあ、そんなこともあって、今まで書こう書こうと思って、ちょっと躊躇していたところがあるんだけども。。。。。


そんな長年CD化されていなかったこの曲ですが、2012年にリリースされた「「財津和夫ワークス」〜40周年を記念して〜」というアルバムに、初CD化音源が収録されていたりします。

なので、今回のジャケ写は、このアルバムのもので。

ただ、申し訳ないんだけど、これを書く段階で、果たして「みんなのうた」で歌われたときのバージョンであるかどうかの確認が取れていないのですよ。

・・と思ってたら、TSUTAYA DISCUSで、レンタルして確認取れました。

1978年 第1回放送バージョンですね。 財津さんのソロというよりも、チューリップの皆さんで歌っているバージョン。 なるほど、これは儲けものだったかな?


なお、「Spotify」などサブスクで聴けるバージョンは、ギター1本での弾き語りバージョン。「みんなのうた」のバージョンとは別バージョンですね。
「なんだこりゃ」なんていうコメントも多くみられますが。。。。


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ハロー・レディ / 島田奈美

1987_11_ハローレディ_島田奈美

今回の1曲セレクトは、「ハロー・レディ」島田奈美です。

まずはデータです。

・タイトル     ハロー・レディ
・アーティスト   島田奈美
・作詞       松本隆
・作曲       財津和夫
・編曲       西平彰
・リリース日    1987年11月11日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  3.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 21位
・タイアップ:TBS系アニメ「レディレディ!!」挿入曲

12月です。速いもんですねぇ。今年も後1カ月弱ですわ。今年は一体何やってきたんだろ? 
・・・なーんもやんないまま、1年が過ぎたような気がするなぁ、あーあ。
なんて、ブルーな気分が仕切り。。。

さてさて、気を取り戻し・・・。

ここのところ、直球気味のセレクトが多かったような気もするんで、今回はちょっと変化球気味の1曲セレクトにしましょうかねぇ。

島田奈美さんの「ハロー・レディ」。

どうなんだろう? この曲、覚えてらっしゃる方ってどの位居るんだろ? ちょっと自信ない。
曲云々の前に、島田奈美さんを覚えてらっしゃる方がどのくらいいるんだろ? っていうのも不安だったりして。。

前年86年デビュー組の、80年代アイドルの一人だった訳だけどさ、86年デビュー組のアイドルって、アイドルとしては粒が小さいんだよな、全体として。

まあ、少年隊が86年組デビュー組ではあるけど、少年隊だけがずば抜けてて、あとはその他大勢・・・って感じだったしな。。。  
いや、それ以前に、少年隊が86年組っていうイメージも少なかったんだけどさぁ。レコードデヒューする5年も前からテレビのレギュラー持ってたし。

それに86年って言うと、どうしても、おニャン子抜きにゃ成り立ってなかったしねぇ、アイドル界も。

よく80年代アイドルについては、おニャン子以前、おニャン子以後・・・って言う言い方をするけど、それは、おニャン子以後のアイドルは、個々として粒が小さく、それぞれが霞んで見える・・・って言うイメージが強いからなんだよね。それがあたかも地盤沈下を起こしたように、ワタシ的には思えたりしてさ。 

そんな中の一人が島田奈美さん・・って訳で。 ワタシも正直、ずーっと眼中の外だったんだよね。

確かにベストテンギリギリって言うラインで「ザ・ベストテン」にも何曲かランクインした。 その点は、86年の中でも上位人気だった・・・って事なんだろうけど、それで如何せん、ベストテン入りも1週が良いところであっという間にランクから消えちゃうようなチャートアクションを繰り返してた訳で、だから、曲を覚える暇もなかったんだよな。

ま、そう言う事で良いも悪いも、全然分かんなかったっていうのが、本音のところなんだよね。

今回引っ張ってきた、「ハロー・レディ」って曲は、デビュー2年目の 87年11月にリリースとれた曲ですわ。

この曲も1週だけだけど、「ザ・ベストテン」にランクされた。それで辛うじてタイトルは覚えてたんだけどさ、全体的な曲もよく覚えてなかったんだよな、30年近くずーっと。

恐らく、何もなかったら、このままずーっと記憶の外のままだったんだろうなぁ・・と思うんだけどさ。

今年の頭、この1曲セレクトを書くのに、たまたまYOU TUBE見てたら、島田奈美さんの「Free Ballon」が出て来て、冷やかし半分見てたら、これが結構、引っかかっちゃたんだよな。。。

30年前は、ほとんど引っかからなかったのなぁ。 人間の心境の変化は何が起こるか分かんない。

まあ、確かに30年前、「Free Ballon」がリリースされた17才の頃は、全然曲の聴き方も浅かったしな・・ってのもある。

とりあえず、ルックスは可愛いけど、ウタはヘタだよな・・・ってくらいの聴き方だったしさ、だから、肝心の曲まで耳に行ってなかったのはある。

でも、ちゃんと聴くと、結構、引っかかりがあるんだよな、メロディラインが。 それで、今年に入って、超遅ればせながら、改めて掘り返りしてたり、ワタシなんですわ。

今回の「ハロー・レディ」っていう曲、作家陣として、作曲者は「Free Ballon」が林哲司氏だったのに対して、この曲は財津和夫氏・・・っていていう違いはあるものの、全体的な曲調のイメージは、大きく変わっていない。

なんていうのかなぁ、当時のアイドルでも希薄になりつつあった「清楚」っていうイメージかなぁ。

おニャン子以後のアイドルって、より「隣の席の○○さん」って言うイメージに加速がついた、つまりは、より親近感があるような存在だったじゃん。 まあ、それがスター性を失わせ粒が小さく見える最大の要因だったんだけども。 で、となりの○○さんって言うイメージは、同時に神秘性も失わせていったわけで、「清楚なお嬢様」って言うところも無くなってきてたんだよね。

この島田奈美さんも、たしかに隣の「○○さん」って言うところはあるんだけども、たた、ちょっと違ったのは、当時に清楚なお嬢さんって言うイメージも、この頃の曲にはあった。

おそらくは、最近改めて聴いて、その辺を感じちゃったんじゃないかなぁ、ワタシ。

つまりは、80年代アイドルでも、曲のイメージは、おニャン子以前・・・って感じの曲なんだよね。具体的に言えば82〜83年っていうイメージなのかなぁ。

でも、そこがプロデュースしていた松本隆氏の狙いだったのかもしれないし、だから、作曲者も、この曲のように財津和夫氏であり、林哲司氏だったのかもしれない。

具体的に言えば、松田聖子さんフォロワーっていうのを狙っていなのかもなぁ、松本隆氏は。 そんな感じも今となっては受けるな。

でも、松田聖子さんフォロワーはなれなかった・・・っていうのは歴史がモノがったっている訳で・・・。
それ以前に、この「ハローレディ」以後は徐々に尻つぼみになって行く。

以前はね、↑で書いたように、単純に、ウタが下手だったから伸びなかった・・・って言う印象があったんだけども、でも、同じ86年組で、同じくウタが下手だった、西村知美さんは、未だにゲ―ノー界に残ってたりするからねぇ。
その辺も時代のアヤというか、摩訶不思議なとこではあるんだけども。。。。

一見、島田さんの方が芯が強い・・というか我が強そうな印象はあるんだけども、実際はトローンとしてイメージの西村知美さんの方が我が強かった・・・って事なんだろうなぁ。





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銀の指輪 / チューリップ

1974_03_銀の指輪_チューリップ








今回の1曲セレクトは、「銀の指輪」チューリップです。

まずはデータです。

・タイトル     銀の指輪
・アーティスト  チューリップ
・作詞       財津和夫
・作曲       財津和夫
・編曲       チューリップ
・リリース日   1974年1月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数  13.5万枚

えー、1曲セレクトを書くために毎日タイムスリップしてる気分になってるワタクシですが、今回は、またまた70年代へ遡って来ましたわ。
 昨日は80年代を代表する「バンド」って感じで「チェッカーズ」だったんで、今回は70年代のバンドの代表選手と言う感じで「チューリップ」なぞ一つ。

うん、これまでもチューリップの曲はちょぼちょぼ書いたんだけど、今回は74年の「銀の指輪」でいきましょうか

と、言っても、この曲がヒットしてた74年の今頃というと、ワタクシは4才。 当然、リアルタイムでは聴いてなかった・・・・・ハズなんだけどもね。 この曲、初めて聴いた時、妙に懐かしかったんだよな。無意識のうちにどっかで聴いてた様な・・・。

当時と言えば、個人的には「アルプスの少女ハイジ」だったはずなんだけどなぁ。。。。

ま、たしかに、この曲自体、どこか懐かしい曲調だしな。 ビートルズっぽくもあり、モンキーズっぽくもあり・・・兎に角60年代のバンドサウンドをいろいろと混ぜこぜしたようなサウンドなんだよね。

だからなんだろうねいつか何処かで聴いたような・・・になんて思えたのは。 
いつかも書いたけど、当時、うちのオヤジは、日本の曲より向こうの曲の方が好きで、カーラジオからは、いつもこの手の60年代サウンドが流れてたんだよね。だから、ワタシ的にも無意識のうちにこの手のサウンドが染み込んでたりするんですよ。

ちなみに、ビートルズフリークのチューリップって言うのは有名だけど、この曲を含め、同時にリリースされたアルバム「TAKE OFF」はロザンゼルス録音。

ま、この「銀の指輪」のシングル盤のジャケットにもハリウッド・サンセットスタジオ録音って書いてありますな。

だからなのか、この頃のチューリップにしては珍しく、音が濡れてない。カラッと乾いてるんだよな。その辺りもこの曲の特徴かもしれない。


ボーカルは、「心の旅」以来続いての、姫野達也氏。 うむ、チューリップというと、財津和夫氏のボーカルって真っ先に浮かんできちゃったりもするんだけど、初期は姫野氏の方がリードボーカルは多かったですよね。

でね。姫野氏のボーカルを聴くと、ボーイソプラノっぽいよなぁ。甘い声っちゅうのかな。
今でいえば、「草食系」っぽいんだよね。

最近はバンド系も「草食系」のナヨッとした声質のボーカルが多いけどさぁ、そうみるとこれは今に始まった事じゃないんだよね。
 考えてみれば、チューリップと同時期でも、NSP とか ふきのとう とか、BUZZ とか、ボーイソプラノっぽい今でいう「草食系」っぽいボーカルが結構いたんだよな。

でもなんで何だろうねぇ、当時のボーイソプラノ系のボーカルって気持ち悪くないんだよなぁ。
今の「草食系」のボーカルって、なんかさあ、気持ち悪りぃんだよな。「ちゃんとメシ食って、腹から声出さんかい」なんていいたくなるんだよねぇ。




出来れば、ヒット当時の映像があればベストなんだけど、何分42年前だしな。 それでなくても当時は、ほとんどテレビで演奏してなかったろうしね。2008年のNHK「SONGS」でメンゴ。
それでも、7年経過してるんだよね。 その間、一昨年には動画では映ってる、リードギターの安部俊幸氏が亡くなってしまいましたね。 



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野ばらのエチュード / 松田聖子

1982_10_野ばらのエチュード_松田聖子






今回の1曲セレクトは「野ばらのエチュード」松田聖子様です。

まずは、データでーす。

・タイトル    野ばらのエチュード
・アーティスト  松田聖子
・作詞      松本隆
・作曲      財津和夫
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1982年10月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   45.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1982年11月1日〜12月27日付
・タイアップ:江崎グリコ「ポッキー」CM曲

 先ほどの田原俊彦も先週書いたばっかりだったのに、今回も、またまた先週書いたばっかの松田聖子様です。

今回は「野ばらのエチュード」。

 この時期の松田聖子って言ったら、1年前、1981年の「風立ちぬ」の方が有名なのかなぁ。 ま、先週書いた曲ですね。
 で、同じくグリコの「ポッキー」のCM曲ではあったけどさ。

 でも、個人的には、「風立ちぬ」よりは、この「野ばらのエチュード」なんですよね。

 なんか、ほっとするんだよね。 この曲。 「風立ちぬ」は、どっか落ち着かないんだよなぁ。聴いてて。
 たしかに大滝詠一大先生のつくる完璧な「世界」はマッチしているとおもうけど、どこかちょっとくどい気もするんだよなぁ。
 それと、この曲の前後って松田聖子ってノドにポリープができて、声がガラガラだったじゃん。 それがこの曲の声質にも反映されていて、曲は優美な世界観なのに、ハスキーしすぎてねぇ。。。

 それに比べると、この曲は落ち着いて聴いてられる。曲から見えるイメージは、「風立ちぬ」と変わらず、秋そのもの(紅葉とか、公園の落ち葉がひらひら舞っている瞬間とか)なんだけど、曲の「軽さ」が違うんだよね。安心して聴いていられる軽さというかねぇ。

まあ、賛否両論あると思うんだけど、個人的に財津和夫が作った松田聖子の世界観っていうのは好きなんだよね。
 いろいろなニューミュジックアーティストがプロデュースしている松田聖子の曲だけど、一番、安心して聴いてられるっていうかなぁ。メロディラインの素直さが松田聖子にはあっていたと思うんだよね。
 ま、まさか、同じ九州出身というわけでもないんだろうけど。

 松田聖子の場合、独特のハスキーがかったキャンディボイス・・・・声質で勝負するアーティストだったから、メロディラインはそれほど重要ではないんだよね。
 いかにこのキャンディボイスが生きるかが勝負なわけで。

 その点 この曲の出だしサビの

♪トゥルリラー トゥルリラー 風に吹かれてー 知らない街を旅してみたい 〜 ♪

の部分は、伸びやかなメロディラインがうまく、そのよさを引き出しているんではないかなぁ。 
 

話は変わるけど、この曲は、松田聖子9作連続の1位獲得曲でもあるんだよね。
 この曲でそれまで、ピンクレディーがもっていた9作連続1位獲得曲数に並んだわけだ。
 もちろん、当時の松田聖子にとっては単なる通過点に過ぎなかったわけだけども、当時はいろんなマスコミで騒がれていましたよねぇ。
 精神的には随分、疲弊していた時期なんじゃないかなぁ・・とは思ってたりしますけどねぇ。

このジャケ写が一番、松田聖子らしく「ブリッ子」な雰囲気がにじみ出ているかな。個人的にはキライぢゃないんだけどさ。



ポッキーのCMと共にどうぞ。



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雨のハイスクール / 芳本美代子

1985_09_雨のハイスクール_芳本美代子






今回の1曲セレクトは、「雨のハイスクール」芳本美代子です。

まずはデータでーす。

・タイトル     雨のハイスクール
・アーティスト   芳本美代子
・作詞       松本隆
・作曲       財津和夫
・編曲       大村雅朗
・リリース日    1985年9月11日
・発売元       テイチク
・オリコン最高位  15位
・売上げ枚数    4.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 17位
・タイアップ:グリコ「コロン」CM曲

えー、昨日の帰宅時電車の中で聴いてたBGMは、1985年の今ごろのアイドルの曲だったのどえす!
まあ、ウォークマン越しとはいえ、いい年したオッサンが電車の中で、アイドルの曲を聴くってのは、少し勇気が要りますけどね。でも、一時の「恥じらい」からは、大分気にならなくなってきましたけどね、周りの「目」ってやつも。

 でね、この曲聴いてて、思わず「かんどー」しちゃったのですよ。

  いい曲ぢゃん!

 いや、これホント、お世辞抜きで。

 うーん、どうして、1985年当時、もっとちゃんと、この曲聴かなかったんだろう!? ワタシ。後悔しきり。。


 松本隆のめっちゃ、繊細と胸キュンもの(←死語!)の詞。文句のつけようのない、いかにも財津和夫のキャッチーなメロディ。
 そのなかでも、一番いいのは、大村雅朗氏のアレンジですね。
 この胸が締め付けられるような胸キュンキュンものの、淡い味付けのアレンジは、この季節には最高だよね。
 奇しくも、今日のような曇天、時折雨の涼しくて、寂しい秋の日には、この曲がとってもよく似合うんだよね。

松田聖子の「SWEET MEMORIES」からしてそうなんだど、秋の日の刹那さを表現させたら、大村雅朗氏のアレンジの右に出る人はいないんぢゃないかなぁ。

 ま、タイトルからして、からっとした秋晴れのような曲ではないことはよくわかるんだけどさ。

 それでも、46歳のオッサンをキュンキュンさせちゃうアレンジは、これは「職人ワザ」ですよ。

 まあ、この寂しい雰囲気は、今の精神的な気持ちとシンクロしているんで、余計キュンときちゃうのかも知れないけど。。
 ウタってそういうところ敏感に感じるもんね。

 しかし、このお三方の曲というと、松田聖子の「白いパラソル」なわけで・・・。

 ぢゃ、なして、この曲は、こんなに売れなかったの?  って感じなんだよねぇ。

 いや、今聴くと、絶対、もっと売れてもしかるべき曲だとおもいますよ。絶対。

 ほんと、当時のアイドルポップスの水準からしても、見劣りしないですもんね。

 
 うーーん、やっぱり、テイチクっていうところなのかなぁ。。それとも、ミッチョンのボーカルのせい?

  たしかに、ボーカルの線はやや細い気もするし、そのせいでインパクトがやや逃げている気もする。

 
 たださ、最近、後に残るエバーグリーンな曲をいろいろ探しているんだけど、個人的には、この曲も後々に残したい曲だなぁ。

 だれかアイドルな方カバーしませんかねぇ? ただ、イメージからして、清純派アイドルぢゃないと、似合わないですけどね。。 最近のアイドルは「イロモノ」が多いからなぁ。




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虹とスニーカーの頃 / チューリップ

1979_09_虹とスニーカーの頃_チューリップ






今回の1曲セレクトは、「虹とスニーカーの頃」チューリップです。

 まずはデータです。

・タイトル    虹とスニーカーの頃
・アーティスト  チューリップ
・作詞      財津和夫
・作曲      財津和夫
・編曲      チューリップ
・リリース日   1979年7月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   42.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年10月1日〜11月19日付


 いや〜、今までチューリップの曲は、何曲か書いてきてたんだけど、まだ、この曲を書いてなかったんだねぇ。。

 「虹とスニーカーの頃」

 ちょっと迂闊だったな。 なにせ、チューリップとしては、あの「心の旅」に次ぐ、ヒットの曲だもんなぁ。


 うーん、今の時期になると、頭のどこかで、書こう書こうと思ってたんだと思うけど、いつの間にか忘れてたんだな。

 でも、ま、丁度いいや。 ここのところ、ニューミュージック系でベストテン級の曲を暫く書いてなかったからなぁ。 

 この曲を初めて聴いたのは、いつだったろ? 少なくともヒット当時ではなかったな。
 ・・・っつうのも、当時、チューリップってテレビに出なかったじゃん。1979年当時、ヒット曲を「仕入れる」情報源っていったら、ワタシの場合、「ベストテン」だけだったからさあ。
 テレビに出てくれないと、自ずから、曲を知らないまま・・・になってたのよ。


 うーん、初めて聴いたのは、いつだったろ? ちょっと忘れたな。
 少なくとも、千葉に越してきて、ラジオ小僧になってからだよなぁ。

 でも、レコードは、かなり昔からウチにあるから、なんかのラジオで聴いたんだろうね。。

 なんかさ、この曲って、のっけから、引っ掛かりがあるメロディに「情報」がいっぱい乗っかった、感じの曲になってるじゃん。


 ♪ わーがまーまーはー (Drum ドドド ドド ドド) (Chorus オーオーオー)
おとこのー つみー  (Drum ドドド ドド ドド) (Chorus オーオーオー) ♪

 みたいなさあ。

 なんか、そんな曲の作りが面白かったんだよな、きっと。 いや、今でも、ここのサビの部分は、好きですよ。

 兎に角、引っかかってくるじゃん。 

  まあ、それより何より、この曲ってさ、1979年の香りがいっぱいなのよ。

 うん、1979年の香りってどんな香り? って具体的に言われると困っちゃうんだけどさあ。

 うーん、なんていうのかなぁ・・・、とにかく70年代の香りよ。

 まだ、洗練されきってない・・・けど、音楽への情熱は伝わってくる・・・みたいな。

 うん、商業的じゃないんだよね。かといって、ゲーノー的でもない。
 自由な雰囲気っていうのかなぁ・・・。





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心の旅 / チューリップ

1973_08_心の旅_チューリップ






今回の1曲セレクトは、「心の旅」チューリップです。

まずはデータでーす。

・タイトル    心の旅
・アーティスト  チューリップ
・作詞      財津和夫
・作曲      財津和夫
・編曲      チューリップ
・リリース日   1973年4月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   51.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年7月30日〜10月15日付

 さて、今回セレクトした、この「心の旅」、まあ、もう、知らないヒトはほとんどだれれもいないですよねぇ?
 それだけ、すでに日本のヒット曲史上としてもスタンダードだと思うし。

 おもわず口ずさんじゃいますもんね。

♪ あー、だから今夜だけは君を抱いていたい
  あー 明日の今ごろは僕は汽車の中 〜 ♪


この8小節のサビは、すでに永遠のものですわ。


でも、本人たちは、これが出るまでは結構苦労したようですよね。この曲はチューリップにとって3枚目のシングルなんだけど、前2枚は期待されていた割には、ほとんどパッとせず、リーダーの財津和夫は、この曲が売れなかったら、故郷の博多へ帰ろうと思ってたらしいですしね。

 最後のヤケクソではないけど、一か八かでリリースしたのがこの曲らしいですわ。
 ある意味「賭け」だったようだけど、そのあとの活動が物語っているように、その「賭け」に勝ったわけだよね。

 ただ、火がつくまではかなり時間がかかったわけで・・・。

 この曲のリリースは、1973年4月20日。もちろん、当時は売れっ子アーティストなんかではなかったチューリップだったから、充分なプロモーション宣伝費が付くわけでもなく、全国キャンペーンを展開して、足で稼いだヒットだったようですね。

 ・・・ってかくと、とても浪花節のせかいなんだけど、昔も今も売れるまでは大変だったようなんでよねぇ。

 それいえ、ヒット傾向も自ずからジワリ上昇型ヒットとなるわけだけども。

 でも、その成果が実って、リリースから約5ヵ月後の9月10日〜17日付で1位獲得の大ヒットになかったんだよねぇ。

リリース後5ヶ月かかっての1位だからねぇ。。ま、いまではあんまり考えられないパターンだよね。

 でも、これもヒットチャートの醍醐味のひとつなんだけどねぇ。


 その後の、チューリップの活躍は、これまで何回か書いてきた通りなんですわね。

 それでも、やっぱり原点はこの曲に行きつくという事には絶対に変わりえないことなんだけどさ。



テレビ神奈川の伝説的なミュージックプログラム「ヤングインパスル」から。
この曲は、他にも動画、結構落ちてるんだけど、ヒットの「原点」を考えると、ヤングインパルスは、外せないよな・・・ということで、この動画を。
 それにしても、よく、こんなVTR保存してましたよねぇ。 前から書いてるように日本のロック、ニューミュージックシーンの歴史を語るには欠かせない番組なわけで、是非、VTRは保存して欲しいなぁ。



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白いパラソル / 松田聖子

1981_07_白いパラソル_松田聖子







今回の1曲セレクトは「白いパラソル」松田聖子です。

 まずはデータです。

・タイトル    白いパラソル
・アーティスト  松田聖子
・作詞      松本隆
・作曲      財津和夫
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1981年7月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   48.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1981年8月3日〜10月5日付

 さて、今回は、久々に思いっきり「メジャー」な曲を持ってきましょうかねぇ。

 松田聖子の「白いパラソル」

 この曲は、松田聖子のデビュー曲から数えて、6枚目のシングルだけど、ここに来て、初めて松本隆が作詞の布陣に入ってきたんだよね。
 でまあ、その後ずっと「松本印の聖子ブランド」が続いていくようになるわけだけど。。。

そういえば、件の松本隆、作詞家生活45周年記念のトリビュートアルバム「風街であいませう」では斉藤和義、サントリーオールフリーのCMでは奇妙礼太郎っていうひとが、相次いでカバーしたりして、なんか「白いパラソル」づいてる最近ですな。 

 ただね、この曲については、当初はあんまりいい曲とは思わなかったな、個人的には。
 この前の「夏の扉」までのような、新鮮さっちゅゅうの・・・それこそ歌詞じゃないけど「フレッシュ フレッシュ フレッシュ」っていう感じがしなかったのよ。
 否、この曲に限ったことではなかったけど、最初は、「あー今度は、いい曲じゃない」ってずっと続いたような気がする。松田聖子って。

 まあ、口を酸っぱくして書くけど、このヒトの曲は、聴きこんできて、いいところがわかってくるって感じなんだよね。だから、新曲として最初に聴くと、どうも今ひとつピンとこない曲が多かった気がするんだよね。

 その曲も最初は、こんな「ボー読み」のようなメロディの歌詞、売れっこないわ・・・なんて思ってたもの。

 もちろん、今は、そんなことはないけどさ。いや、この曲があってこそ、81年の夏・・・な感じが語れるかなぁ・・・って思うしさ。


 たしかに、Aメロはツマンナインだよね。なんとなく単調なフレーズが続いてたりして・・・。
 
 そこからいきなり、サビの盛り上がりに入ってくるっちゅうね。夏の天気でいえば、サビの部分で、いきなり「きらきら」した太陽がでてくるような。

 アレンジ的には、このサビの部分の

♪ 心は砂時計よ 〜 あなたを知りたい ♪

の部分のストリングの「かけ下がり」の動きがいいね。
 なんていうんかな、この間の「キサナドゥの伝説」じゃないけど、映画「南太平洋」のテーマ曲的なイメージが出てくるんだよね。ま、個人的にだけど。
 それが、いかにも「白いパラソル」→「海岸線」→「夏」っていうイメージとリンクしてて、さむさむチキンモードなのです。


 なんて、力説している割には、それほど売れなかったんだけどさ、この曲。あせあせ
 「青い珊瑚礁」でブレイク以来、初めて累積売上げが50万枚を割ったしさ。

 まあ、最初に書いたように、よく聴きこまないと、あたり、いま一つ「引きが弱い」ってところが、この売り上げにつながったような感じですな。


 あ、売上げ的な話でいうと、この曲ってさあ、初めて「ザ・ベストテン」で、「初登場1位」をとった曲なんだよね。
 まあ、厳密に言うと、「ベストテン内、初登場1位」なんだけどさ。
うん、その前の週は11位だったんだよね。

 つまり、11位→1位 っていう動きで、「初登場1位」ってことだったんだけど。

 ただ、ベストテンマニアの間では、前の週の「11位」っていうのは、「仮」の順位ってことになってますな。
 つまりさ、「11位」の週は、「お盆」での、レコード売上げ未集計週にあたってて、この週のレコード売上げが異常に低かったってやつですな。
 うむ、当時のベストテンのレコード売上げは「オリコン」「ミュージックリサーチ」「ミュージックラボ」、3社の合算を使っていたんだけど、「ミュージックラボ」と「ミュージックリサーチ」が夏休みで未集計だったため、こういう動きになったと。

 たられば・・・っていうのは、マーケティングの世界ではタブーだけど、もし、通常の集計だったら、おそらく、11位ではなく、8位か7位相当で、本当なら「初登場1位」って事はなかった・・・っていうのが、まあ、ベストテンマニアの間では、通例になってますな。


ま、この曲1つをとっても、チャートマニア、3人集まれば1時間はしゃべれますな。 そんな1曲だったりします。


ちなみに〜、↑にだした、「ミュージックリサーチ」も「ミュージックラボ」も、すでに会社自体、この世に存在しておりませぬのう。時代の流れを感じまする。。。。






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