かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

谷村新司

花梨 / 柏原芳恵

1982_10_花梨_柏原芳恵



今回の1曲セレクトは、「花梨」柏原芳恵です。

まずはデータです。

・タイトル   花梨
・アーティスト 柏原芳恵
・作詞     谷村新司
・作曲     谷村新司
・編曲     青木望
・リリース日  1982年10月1日
・発売元    フィリップス
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  18.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位

谷村新司・急逝・・というニュースが駆け巡った一週間でしたな。
個人的にも、まさか、こんな急になくなるとは考えもしてなかったし、第一報を聞いたときは、「なんと。。。」と絶句しながら、Facebookに書いたりしたんだけども。。
74歳。  
人生80年が普通になった今では若いですよ。 小田和正氏が76歳になっても現役バリバリでステージを駆け回っている姿を見たりすると、チンペイさんも、またアリスとして「武道館」に戻ってくることを期待してたワタシだったりしたんでね。

謹んでご冥福をお祈りします。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、やっぱりチンペイさんが作曲した曲を持ってきたい・・と思ってまして、まだ、書いてない曲でなんかないか・・・と探していたんだけども・・・。
ありましたわ。

柏原芳恵さんの「花梨」。

うーむ、柏原さんの「現役」バリバリの頃のヒット曲、とりわけベストテンヒットしてた頃は、あらかた書いた・・と思ってたんだけどね。。

なぜか、この曲だけ、まだ書いてなかった。。。  なんで書いてなかったのか、今一つ理由がわからないんだけども。。。。

この曲、大まかな印象を言えば、「コンパクト」。 初聴でも、引き込まれるような強力なインパクトは感じられない。
悪く言ってしまえば、小さくまとまった感じというのかなぁ。 少なくともシングルA面としては、今一つ印象が薄い・・・。そんな感じなんだよね。

だから、ついつい、これまで1曲セレクトの線に漏れていたのかもな。。。。

1982年の今頃って、あみんの「待つわ」とかジュリーの「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」、極めつけは明菜の「少女A」と、「アク」が強い、思わず引っかかってしまう曲が多かったこともあり、この手のコンパクトな「小品」的な曲は、今となっては特に死角になっていたりするんだろうね。


柏原さんって、この曲から、名前表記を「よしえ」から「芳恵」という「本名」に変えたじゃん。

うん、この曲のリリースを「期に」変更したんで、1982年10月1日からでしたよね。

そんな名前表記の変更については、それより少し前の「月刊・明星」に「私、名前変えます」って感じで出てたりしたんで、個人的にちょっと期待してたりしたところがあったんだよね。

名前を変えてのシングルリリース、いったいどういう曲になるんだろう・・っていう期待ですわ。

この曲の直前のシングルが「あの場所から」っていう、70年代のカバー曲だったじゃん。

あの頃70年代ヒットの掘り起こし、カバーブームでさ、特にアイドルがやたらと70年代の曲をカバーしていたところから見ると、まあ、その流れに乗っかったんだろう・・・・そもそも、ブレイクした「ハローグッバイ」からして70年代のカバーだし。。。

っていうことは、当時13歳のガキんちょだったワタシでも理解できたんだけどね。

だけども、いかんせん、古臭さは否めなかった。 

そのまた1曲前の「渚のシンデレラ」で、やっと独自のポップス路線をつかみかけたのに、なんで昔に逆戻りなんだろう・・・っていうのが今一つ残念だったし。。。

だから、この「名前表記」を変えてのシングルリリースに期待してたんだろうな。

作詞・作曲がチンペイさんというのも期待だった。 きっと、百恵さんの「いい日旅立ち」のようなスケールの大きな曲になるんだろう・・っていう期待もあったしさ。

でも、実際、蓋を開けてみたら、この「コンパクト」な「小品」でしょ。 

正直、肩透かしだった印象は否めなかったな。なんか残念でね。

80年デビューの「アイドル」の中でも歌唱力があった柏原さんならば、もっとスケールがでかい曲でも歌いこなせたはず・・っていう思いは、あん時もあったんだよね。

ただ、この曲の次の「春なのに」。そそそ、中島みゆきさんが提供した・・・。 あの曲が期待していた通りのスケールの曲だったわけでさ。

たしかに、曲の良さもあったことは間違いないけども、33万枚超の大ヒットになったわけじゃん。

やっぱり、柏原さんならば、この位のスケールの曲は歌えるんだよね・・・っていうのを改めて認識させられたんだけどさ。

曲のスケール感で言えば、みゆきさん以上だった、チンペイさんが、こういうコンパクトな曲っていうのが、あの当時は・・・、うーん、ちょっと納得してなかったんだよね、個人的には。


でもさ、もし・・この「花梨」をリリースする時点で、次の「春なのに」の構想があったのであれば・・・、この「花梨」はわざとコンパクトにしたんじゃないのか・・・。
今になって思えば、そんなことも考えますね。

2曲連続でスケール感を出してしまうと、あとの曲の印象が薄くなる。もし、「春なのに」の方を前面に出していこうと、あの時点〜「花梨」をリリースする前〜で考えていたならば、その直前の曲は、インパクトが弱くとも「コンパクト」な、いわいる「つなぎ」的な曲にする・・・と考えられるんだよな。

当時は先の戦略まで考えて、シングルはリリースしていたのがデフォルトだったはずだし。
柏原さんの名前表記を変えるというタイミングを考えると、この「花梨」から新たな戦略で行ったはずで。。

事実、この「花梨」から、谷村新司→中島みゆき 一曲挟んで、松尾一彦(オフコース)→松山千春→中島みゆき ・・とニューミュージック系アーティスト提供の曲が続くことになる。

そんな流れを考えると、この「花梨」という曲が、どうして、こういうコンパクトな1曲になったのかは、今となっては納得するな。

・・・とは分かっていても、チンペイさんが提供した、スケールのでかい柏原さんのシングル曲は聴いてみたかった・・・っていう思いもあるのは、正直なところなんだけどね。。。

ちなみに、↑の「一曲挟んで」っていうのは、阿木燿子、宇崎竜童、萩田光雄・・っていう山口百恵ゴールデントリオが提供した「ちょっとなら媚薬」っちゅう、もろ、百恵さんフォーエバーなアッパーロックチューンだけども。。。。 
これを聴く限りでは、この手のアッパーな曲は百恵さんには叶わない・・っていうのがわかったわけで、すぐに路線変更したのは正解だったと思うけど。。。。






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帰らざる日々 / アリス

1976_05_帰らざる日々_アリス


今回の1曲セレクトは、「帰らざる日々」アリスです。

まずはデータです。

・タイトル    帰らざる日々
・アーティスト  アリス
・作詞      谷村新司
・作曲      谷村新司
・編曲      篠原信彦
・リリース日   1976年4月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 15位
・売上げ枚数   31.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位

最近の曲で、歌詞の切り口でこれは凄いなぁ・・と思える曲って少なくなっちゃった気がするなぁ。
まあ、40年以上もヒット曲を聴き続けてくると、ほとんどのパターンの曲を聴きつくしたというか、頭の中に既にインプット済みのパターンのものが多くなって、ちょっとやそっとじゃ、これまで無かったようなパターンの切り口の曲に出会わなくなってきたというのもあるんだけども。

だけど、最近は、いわいるすでに亡くなった方を偲ぶような歌詞の曲、いわいる「挽歌」っていう曲って、少なくなったような気がするなぁ。これも時代の流れなんだろうな。

今回引っ張ってきた曲も、 そんな「挽歌」に当てはまる曲になるんでしょうかねぇ。。


アリス「帰らざる日々」

いや、この曲は、単にすでに亡くなった方を偲んだ曲ではない。 これから自ら「死」に向かう心情、情景を歌ったものだ。「挽歌」とはちょっと違うか。。。

♪ 夕暮れが近づいてくる 私の人生の
 Bye Bye Bye 私のあなた
   Bye Bye Bye 私の心
   Bye Bye  Bye 私の命 〜 ♪

失恋の末、思いつめたうえでの死の選択。
服毒なのか、刺殺なのかは、よくわからない。 けれど、確実に死に向かったことを歌った曲であることは間違いないわけで。

このシチュエーション、 いまじゃコンプライアンスだぁ、なんだぁ・・・とケチつけられて、もしかしたら出せないパターンかもな。

でも、当時にしても「斬新」な切り口ではなかったか

うーむ、ここ何回か「斬新」というコトバを使いまわしてるんで、今回は使いたくなかったけど、どうしても、この言葉しか思いつかないな。


いや、でもどうなんだろう? 考えてみれば70年代中盤、アングラ的な存在として「暗黒フォーク」と言うものがあった。

70年代中盤、それまでの高度成長期の終焉、オイルショックともに訪れた不況。 
若者の間では学園紛争もいつの間にか過去のものになり、代わり発生した「シラケ」ムード。

そんな時代の流れの中で発生した「暗黒フォーク」。 
文字通り人生の絶望をつづったフォークソングですわ。山崎ハコさんや、森田童子さんなどが代表的だろうね。
今を時めく、中島みゆき女史だって1980年の「うらみ、ます」などから、昔は「絶望のための唄」とか言われてた時代もあった。いわいる「暗いコ」のレッテルを張られているような。

それを考えると、↑では「斬新」と書いたけど、当時の世相を反映した、確立された歌のジャンルの一つだったとも言えるかもなぁ。

個人的に斬新と思えたのは、ワタシがヒット曲を聴き始めたころは、そういう「暗黒フォーク」の時代がすでに終わりを見せていて、リアルタイムでは、あまり耳にしなかったからもしれない。

いや、70年代中期でも暗黒フォークと呼ばれるジャンルの曲は、あくまでもアングラな存在であり、ヒット曲として一般にはなじみが薄かったただろうけど。。。

今回ひっぱってきた「帰らざる日々」は、そんな暗黒フォークのように「真っ暗」な曲内容であるのにアングラではなく30万枚以上の売り上げという、一般的な大ヒット曲として昇華させたっていうのが、すごいところなんだろうな・・と思うんだよね。

これには、当時のアリスの地道なコンサート活動による「口コミ」からジワリと広がったという部分も多分にあるんだろう。
いまもそうだけど、一過性ではなくジワリと広がる口こみほど強力な広がり方はないですから。

逆に言えば、そんな地道なコンサート活動から、一般的な見地が広がった効果がはっきりと表れたのがこの曲からとも言えるんだろうね。

たしかに、この曲の前年に「今はもうだれも」というオリコン11位まで行ったヒット曲はすでに出していたアリスではあるけど、この曲は1969年に「ウッディーウー」という谷村氏の先輩筋にあたる、佐竹俊郎氏が所属していたグループの、あくまで「カバー曲」であったわけでさ。
だから、自分たちのオリジナルのヒットしてはこの曲が最初でしたからね。


ただ、この曲が本当に一般的なヒットとして認知されたのは、77年にリリースされたあの大ヒット「冬の稲妻」の後だったんじゃないのかなぁ。

覚えている方は、もしかすると覚えていらっしゃると思いますが、1978年に藤田敏八監督作品「帰らざる日々」として映画化され、その効果もあって、この曲がリバイバルヒットしたんですよね。

個人的に、この曲を知ったのも、このリバイバルヒットによってだったと思う。

まあ、オリコン的に言えば、この曲の最高位を記録したのはリリースされた76年だったわけで、すでに76年から一般的に知られてはいたんだろうけども、78年のリバイバルヒットは、さらにこの曲の認知の裾野を広げたんぢゃないのかなぁ・・・と思うわけなんだよね。

少なくとも、当時小学3年のおこちゃまだった、ワタシでも78年のリバイバルヒットで、この曲を知ったくらいだからさ。




フジテレビ「ニューミュージックスペシャル1976」より

しかしさあ、前々から書いてるけど、「ニューミュージック・スペシャル」って今思えば、貴重なアーティストの、貴重な曲のVTRの宝庫だと思うんだよね。
是非、DVD化してほしいんだけどなぁ。
TVKの「ヤングインパルス」も同じような貴重な楽曲のVTRの宝庫だったけど、こちらは、最近少しずつDVD化されて来てるんでね。「ニューミュージックスペシャル」も是非・・と思うんだけども。。。
まあ、権利的に難しいんだろうねぇ。

・・・と思ったら、曲の途中で切れてる。。。

改めて動画を。。。



でもさ、一般的には、この曲「フォーク」に分類されることが多いけど、個人的には、やっぱ一般的なフォークぢゃないんだよなぁ。
 この谷村氏のこじゃれた曲想は、フォークと言うよりもシャンソンに近いイメージがあったりしますね。
もっとも、ストリングスを効果的に使用したアレンジが、そういう雰囲気を醸し出してくれるんだけど。
そもそもエレピやドラムを多用し、曲によってはエレキが前面に出てくる曲想は、一般的フォークの範疇を越えてるし、それらを含めて考えると、やっぱりニューミュージックなんだよなぁ、個人的な感覚では。
ニューミュージックって、最近言われてるシティポップスのようにイメージが限定されていないだけ、自由にとらえることが出来るところがいい。
まあ、逆に、そういう曖昧さを嫌う人も居るけどさ。




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遠くで汽笛を聞きながら / アリス

1976_09_遠くで汽笛を聞きながら_アリス






今回の1曲セレクトは「遠くで汽笛を聞きながら」アリスです。

まずはデータでーす。

・タイトル     遠くで汽笛を聞きながら
・アーティスト   アリス
・作詞       谷村新司
・作曲       堀内孝雄
・編曲       篠原信彦
・リリース日    1976年9月20日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位  51位
・売上げ枚数    4.2万枚


 アリスは、ついこの間、78年の「ジョニーの子守唄」を持ってきたばかりなんだけど、今回は、「あえて」ブレイク前の曲を引っ張ってきてみましたわ。

 なぜか!? ・・・といえば、単純に、これが「いい曲」だからですよ〜。この「遠くで汽笛を聞きながら」

 是非ねー、紹介したくてねぇ、リリースされた、この時期になるまで、ずっと暖めておいたんだよね。

 この曲は、まだ、アリスっていうグループが、例の「冬の稲妻」で本格ブレイクする前の曲なんだよね。
 ・・という訳で、オリコンでも最高51位。左ページにも入んなかった曲なんんで、さぞかし、だけも知らないんだろうなぁ・・・・。

 ・・・と思ってたんだけど、結構、知ってるんだよね、みんな。一体どこで情報仕入れてくるのかなぁ、、と思っちゃうくらい。
 まあ、アリスの「ファン」の方には常識だろうし、当時「ヤングタウン」などの深夜ラジオをきいてた世代の方にもお馴染みだろうしね。

 それを考えたら、76年当時は、まだまだニューミュージック勢も、「大衆的」ではなかったって事が分かりますねぇ。

 私らの年代でアリスっていったら、「チャンピオン」に代表されるような、ちょっと「大げさ」なハードボイルドな劇画タッチな曲っていうイメージなんだけど、ブレイク前は、意外と、もっと純粋・・・っていっちゃ、ちょっと違うかもしれないけど、素朴、素直な曲もあったんだよね。

 ま、71年のデビュー曲「走っておいで恋人よ」なんて、思わず「クサーーーーッ」っていうタイトルでしょ。曲ももろフォークソングだったりしてね。

 76年当時もまだ、その名残はあったわけで、この「遠くで汽笛を聞きながら」もそんな一端の曲っていイメージかなぁ。

 ただね、サウンドはすでに、エレキが全面に押し出した、ニューミュージック系になってはいましたけどね。
 詞の世界は、まだまだ、フォークの時代を彷彿させていたんんだよね。


♪ 悩み続けた日々が、まるで嘘のように 忘れられる時がくるまで心を閉じたまま 暮らしていこう 遠くで汽笛を聴きながら なにもいいことがなかったこの街で ♪


おもわず、1番の歌詞をまるまる書いちゃったけど、やっぱり、どこか心の奥底に潜む〜〜 的な70年代前半的なフォークの世界・・うーん、4畳半フォークとは言わないけど、閉ざされた世界の歌っていうところはあるんだよね。

 そう、悩んでるんですよ。 なぜか、この時代までは、こういう「悩み」の歌が多いんだよね。70年代中盤。
 時代背景的なところは、ワタシなんかは、まだ、物心も充分付いてない世代だったから、よくわかんないんだけど、確かにオイルショック直後で景気はよくない世の中だったことは間違いないわけで・・・。

 歌は世につれ・・・とはよく言ったもので、やっぱり、背世の中の動きっちゅうのが、歌にでて来るんだよねぇ。

でもさ、「悩む」っていうのは、いつの世の中にもあるわけでさ、だから、この曲なんかは、あの時代だけでなく、いつの時代でも「悩み」のあるヒトには共感がもたれるんぢゃないかなぁ。

 だから、一見、この曲、知らなそーに見えるヒトが意外に知ってたりするんだよね、きっと。

ワタシなんかさ、この曲の1番の歌詞そのままだもん、今。

 ほんと共感ですよ、この曲には。


 ボーカルは、この曲に関しては、谷村新司がリードボーカルでなくて、ベーヤンこと堀内孝雄がリードボーカルなんだけど、今の演歌とはまるで違う、とっても素直なボーカル。それが、この曲にマッチしてて、ピッタリはまってるんだよね。

 サウンドは、先ほども書いたように、この曲のころからエレキが全面に出てきて、フォークからニューミュージックに変わってきたときですね、アリスも。

 特に、この曲に関しては、イントロや最後のインストのエレキのフレーズがかっこいいんだよねぇ。

 いや、これホントに、カッコいいんですよ。嘘だと思ったら、一度聴いてみてくださいよ。目からウロコだから。

 そういういみでも、この曲は是非、紹介したかったんだよねねぇ。
 機会があったら是非、聴いて欲しい1曲ですね!




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君のひとみは10000ボルト / 堀内孝雄

1978_09_君のひとみは10000ボルト_堀内孝雄






今回の1曲セレクトは、「君のひとみは10000ボルト」堀内孝雄です。

 まずはデータです。

・タイトル    君のひとみは10000ボルト
・アーティスト  堀内孝雄
・作詞      谷村新司
・作曲      堀内孝雄
・編曲      石川鷹彦
・リリース日   1978年8月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   96.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年9月4日〜11月27日付
・タイアップ:資生堂78年秋のキャンペーンソング

 昔、フォークロックっていうジャンルの曲があった。いやいや、厳密に言うと今でもあるのかな。

 でもさ、よーく考えて見れば、いかにも不可解なジャンルだと思いません?

 ロックは、R&Rから派生したものだ。一方フォークは、言ってみれば「外国民謡」から派生した音楽だ。

 出所が全く違うんだけどねぇ。。。 しかも、思想的にも全く違った音楽ではなかったんじゃないかなぁ。
 
 1960年代、カレッジフォークなんて言葉があった位だし、言ってみれば、いいところのお坊ちゃまがアコースティックギター片手にやってた音楽が、日本で言う所のフォーク。

 一方、ロックはどちらかというと、ちょっと、頭のピンが、5,6本抜けたような方たちの音楽。簡単に言えば反社会思想的な音楽。

・・・と音楽としては全く別物だったんだけどね。1970年代の初頭は。。。

 でもさ、海の向こうでボブ・ディランがエレキギターを持ち出した・・・・なんて、噂が立つと、こぞって日本でも真似するヒトたちが出てくる。

 故大滝詠一大先生が言ったところの、「分母分子論」ね。

 その先駆けになったのが、よしだたくろう氏だったりするんだけど、それをきっかけに、フォークは、アコギで(なきゃダメ)・・・っていう「フォーマット」は崩れ始める。

 エレキを使ったフォークが一般的に認められてきたんだよね。

 まあ、そういうわけで、それまでアコギ一本でやってきてたアーティストがこぞって、エレキも持つようになってきたんだけどさ。
 陽のよしだたくろうに対して、陰の井上陽水もその一人だよね。

 で、今日引っ張ってきた、堀内孝雄が所属してた「アリス」っていうバンドもその一つって言えるだろうな。

 アリスは、デビューは1972年なんだけど、初期は、完全なフォークグループだったんだよね。ギターといえばアコギだけで・・・っていう感じで。

 でも途中から変わってくる。1977年リリースの「冬の稲妻」の頃には、エレキを前面に出した、完全なフォークロックの形式が出来上がっていましたよね。

 でさ、今、考えて見れば、完全なロック形式の曲よりは、フォークロックの方が人気があったんですよ、あの頃は。

 やっぱり、聴いてて安心だったんだろうな。あのころき、まだまだ純粋な「ロック」には「危険」な臭いが付いていたし。。。

 それと、フォークロックの人達は、しゃべりが立つっていう特徴もあったよね。ラジオの深夜放送のパーソナリティは、こういう人たちで占められてたってのもありますね。

 純粋なロックなヒトたちは、ほとんどメディアに自分から出るって事もしなかったし。


・・・・ということで、今日、引っ張ってきた「君のひとみは10000ボルト」も正真正銘、100%なフォークロックな曲どぇす。

 名義的には、堀内孝雄氏のソロということになっているけど、作詞は、アリスの僚友の谷村新司だし、まだ、名義的に・・・って言う感じが強かったよね。

 そこに、古くからの友人の石川鷹彦氏のエレキがからむっていう構造の曲ですね。

 このスタイルが当時は先端の音楽・・・っていうか、若者受けするスタイル⇒ニューミュージックだったわけですね。

 後に谷村新司氏が告白してるけど、あのころは、アリスを含めて「売れる曲」、つまりヒット狙いで作った・・・ということ。

 ヒット狙いってはどういうことか・・・って言うと、全体のメロディラインがわかりやすいことと、サビにお客さんをがっちり捕まえるだけのインパクトがあること・・・。これですね。

 これを初め、アリスの「冬の稲妻」で試したって訳なんだけど、見事的中だったもんな。

 その路線を、まず、継承したのが、この「君のひとみは10000ボルト」だったんじゃないかなぁ。

 まあ、たしかに、この曲は、この年1978年の資生堂の秋のキャンペーンソングとして、CM、その他に大量OAされたわけだから、わかりやすくて、がっちりお客さんを捕まえるだけのインパクトは絶対命題だったわけですよね。

 実際、この曲は、そういうところを、バッチリ的中させた曲だったもんなぁ。  
ちなみに、この曲は、アリス、メンバーのソロを含めて、最高売り上げを記録。約97万枚だもんね。ミリオンセラー目前っていう売り上げは、当時としては大ヒットもいいところですよ。


この曲の場合 まずもって、イントロからして、あ、これはなにかあるな・・・っていうワクワク感を感じさせる。

 で、もって、あの有名なサビのフレーズですよ

 ♪ 君のひとみは10000ボルト 地上に降りた最後の天使〜 ♪


 もう、ここの部分だけで、がっちり、つかまっちゃうよね。
売上げ97万枚っていうのも、頷けるっていうもんですよ。


 ランキング的には、あの時期、世良公則&ツイストの「銃爪」、ピンクレディーの「透明人間」との三つ巴で抜きつぬかれつの1位獲得争いを演じてたよなぁ、この曲。


蛇足だけど・・・・、タイトルにもインパクトあったんだよね、この曲。

 君のひとみは、10000ボルト ですよ。。。

 いかにも、あなたの瞳に感電死⇒イチコロ っていうイメージじゃん。


 でもね、科学的に書くと、10000ボルトっていかにも強力な電圧のようで、実際は、そうでもないんだよね。
 なにせ、冬場におきる「静電気」。あれ、大体20000ボルトあるって言われてるし。。。

 それに比べたら半分じゃん。。。。

・・・・なんて書いたら、もともこもないか。。。。あせあせ



それにしても、この頃は、20年後、堀内孝雄は演歌に行き、朋友の谷村新司は、中国の音楽大学の教授になっている・・・なんて、だれが想像出来たかしら。。。



 えー、この動画の写真と楽曲とは、全く関係ありませぬ。
画像の女の子の視線が「10000ボルト」ある・・・かもしれませぬが。。。



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ジョニーの子守唄 / アリス

1978_09_ジョニーの子守唄_アリス






今回の1曲セレクトは、「ジョニーの子守唄」アリスです。

 まずはデータですぅ〜。

・タイトル   ジョニーの子守唄
・アーティスト アリス
・作詞     谷村新司
・作曲     堀内孝雄
・編曲     石川鷹彦
・リリース日  1978年6月20日
・発売元    東芝EMI
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  49.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1978年7月31日〜10月23日付

 これまでアリスは、何曲かセレクトしてきたけど、今回、引っ張ってきたのは、「ジョニーの子守唄」。
ちょうど、ワタシが「ヒット曲」っちゅう世界に足を踏み入れた頃、ヒットしてた曲ですわ。
 
 まだ、あんましテレビに出ない頃でさ、あの頃から3人ばらばらで活動してたりしたから、3人揃ってテレビ・・・っていうことがなかなか出来なかったんだよね。
 まあ、ニューミュージック勢ってあんまりテレビに出ないもんだったんだけど。。。

 それよりも、なんかツッパッたグループだなぁ・・・っていう印象があったなぁ。
 谷村新司って、当時、いろんな帽子かぶってたじゃん。あれが、どうも「キザ」にみえたんだよなぁ。本当は「薄毛隠し」だったようなんだけどさ。
 堀内孝雄にしたって、まさか、その後「演歌」に行くとは、この曲を聴く限りでは、まったく想像もつかなかったし。。

 でも、スーツで「まっすぐ」な歌っているより、よれよれジーンズにラフなスタイルで、ニューミュージック歌っている、彼等の方が、ずっといいな。

 いつもは谷村がメインボーカル的な役割を果たしているんだけど、この曲は、堀内を表に出して・・・っていうことで、ベーヤンがメインボーカル。
まあ、この曲以前にも、堀内メインの曲ってあったんだけどね。。 76年の「遠くで汽笛を聞きながら」なんてのは、そうだったよね。 この曲についてはまだ後日。ヒット曲界にブレイクしてから、初めての堀内メインボーカル・・・ってのが、この曲でしたね。

 アリスは、一度ベストテンにランクインすると、ロングヒットって言う傾向が強かったけど、この傾向がけんちょになったのが、この曲からじゃないかなぁ。オリコンでは、この曲最高位6位にも関わらず、ベストテン内に12週もランクイン。
 まあ、ベストテンランクイン週数は、この曲の次の「チャンピオン」が15週ランクインされて、アリスとしては最長なんだけど、「チャンピオン」の場合は、1位取ってるからなぁ。
 ベスト3にも入らないで、12週もベストテン内にランクされていたこの曲は、そう言う意味では余計ロングヒットしていた様な感覚があるんだよなぁ。
 逆に言えば、この曲のロングヒットで、さらに勢いが付いて、次の「チャンピオン」の1位獲得に結び付いたとも思えるんだよね。




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夢去りし街角 /アリス

1979_05_夢去りし街角_アリス






今回の1曲セレクトは、「夢去りし街角」アリスです。

 まずはデータです。

・タイトル    夢去りし街角
・アーティスト  アリス
・作詞      谷村新司
・作曲      堀内孝雄
・編曲      石川鷹彦
・リリース日   1979年4月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   31.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1979年4月23日〜5月28日付

さて今回の1曲セレクトは、アリスの「夢去りし街角」

 この曲は、未だにファンが多い、あのアリスの大ヒット「チャンピオン」を受けた、次の曲なんだけど、「チャンピオン」からは、ガラッと色合いが変わった、ミディアムテンポ曲。

 どうなんだろ、今聴くと、ホッとするような曲なんだけど、「チャンピオン」で振り絞った力を、クールダウンする・・・ってところもあったんですかねぇ。

 もちろん、アリスらしい、「キザ」っぽいところは、この曲でも随所に見られるんだけどね。

 あ、何気なく「キザ」って言葉をつかったけど、このころは、「キザ」っていうのは、流行だったんだよね。
 ジュリーなんかは、まさにその典型だったじゃん。ニューミュージックにおける、それはアリスが担っていたっていうか。

 まあ、今の元アリスのメンバー・・・谷村新司にしても、堀内孝雄にしても、その面影はなくなっちゃったけどさ。。。

♪ 最後の言葉だ ありがとう〜 ♪

なんては、普通はなかなか、言えそうで言えないですよ。。

 当時の曲でも、まあ、使わなかったよなぁ、こういう言葉つかいは。

 まあ、彼らだから、ヒットにつながったんだろうな。それだけ、カッコよかったのよ、それなりに。


 だけど、「夢去りし街角」か・・・。そろそろワタシも考えなきゃいけない、潮どきか・・・。
アラフィフだもんね〜、夢ばかり追いかけてる年でもないなぁ、そろそろ・・・とか、ちょっと頭の隅にくすぶり続けている、今日このごろ。あせあせ


 さてさて動画・・・・と行きたいところだけど・・・、この曲って、テレビで、ほとんど歌ってないんだよね。。

・・・っちゅうか、当時、アリスってほとんどテレビに出てなかったりするわけで・・・。
 最近、NHKの歌謡コンサートなんかによく出てる、堀内孝雄とか谷村新司は、あの頃からすると隔世の感があったりして・・・ふらふら

 たしか、「ザ・ベストテン」にも一度しか出てなかったな、この曲では。その他の週は、毎度のごとく、「今日はコンサートで」とか「アルバムレコーディングで・・・」とかで、出演拒否してた記憶があるぞ。

 ・・・・な、わけで、動画なんぞ、あるわけがない・・・


・・・・と思ったらあったんです。。。ふらふら(ひっぱるねぇ〜)




ベーヤン、9弦ギター弾いてる こんなの初めて見たな。今は演歌の堀内孝雄は、ギターの名手でもあるんだよね。
 そういえば、このころ、ツイストのリードギターだった太刀川氏は、「燃えろいい女」で2ネックギター弾いてたり、楽器でもいろいろ魅せてた頃だよなぁ。


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昴(すばる) / 谷村新司

1980_05_昴_谷村新司






今回の1曲セレクトは、「昴」谷村新司です。

まずは、データです。

・タイトル     昴(すばる)
・アーティスト   谷村新司
・作詞       谷村新司
・作曲       谷村新司
・編曲       服部克久
・リリース日    1980年4月1日
・発売元      ポリスター
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    67.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1980年5月18日〜7月28日付
・タイアップ:ニッカウヰスキー「スーパーニッカ」CM曲

 今でこそ5月はゴールデンウイークをはさんでリリース数が多い傾向にあるけど、昔は、3ヶ月ローテーション、4半期末にリリースが多くなる傾向があり、その他の月は比較的リリースが少なかったんで、5月発のヒット曲って意外と少ないんだよね。
 こうなってくると他の月リリースで5月にヒットしてた曲ということで、ちょっと考えてたところ、この曲にぶち当たったわけです。

 昴(すばる) /谷村新司

 恐らく今のアラフィフ以上では誰でも知っているでろう、不朽の名作ですね。
逆に言うと貶すヒトも多い。多分ヒトによって賛否両論多い曲だと思います。

 なぜか・・・というと、単純に言うと、表面上曲がジジ臭いんだよね。 文部省的といましょうか、くそまじめといいましょうか。

 まあ、等身大以上のやたらと大げさ、ある意味「キザ」な歌詞もありますけどね。

 谷村新司、この時は、まだ30代の前半だったはず。今のワタシより全然若い。
 その割には、もっと年上のシンガーのためかのようなサウンド、メロディだものね。

 そして、一番のネックは、曲にノレるノレないか・・という点だろうね。

 どうしてもポップな曲が好きなヒトだと、なんだこりゃ? になってしまう。で、やっぱり、表面的にはそういうポップな曲が好きなヒトの方が多いぢゃない? だから、表面的には「賛否両論」、いろいろな見方が飛び交うんだよね。

 ただ、そういいながら潜在的に、認めてるヒトっていうのも多いことも確か。それは、この曲のセールスが67万枚強もあることからも分かるんだよね。
 なんやかんや口で言っても、こういう、壮大で、かつ心に響く曲、好きなヒトが多いってことですよ。

 見た目がどうであろうと、メロディ、サウンドがしっかりした曲であれば、ヒトの心には届くんだよね。
 
 「声無き支持」 とでも言いましょうか。
 
 きちんと「曲を聴く」層を狙った曲。見た目ではなく、もっと深いところ、心に訴えかけるを狙った曲。俗な言い方で言うと「エバーグリーン」を狙った曲。
 それがこの曲であると思う。

 だから、35年経ったいまでも、全く色褪せないんだよね。今聴いても古くない。
 35年前初めて聴いた時と同じ絵が浮かんでくる。多分これからも、ずっとそうなんだろうなと思わせる曲。


 いまは、もう、そんな曲は生まれないだろうね。業界自体が
あまりにもシステマチックになりすぎた。
 ヒトの心に届くウタより、量産できるウタほど重宝される。

 結局、表舞台ではそうなんだろう、そういうもんなんだろう。 これから、もっとそうなるんぢゃないか

 相手にぶっ飛ばされて初めて気がつくことって言うこともあるけど、今の「ヒットチャート」の裏側は、そうなんかい、そういうことなんかい、と改めて気がついたね。

 少なくとも、この曲のように「声無き支持」層に支持されるような曲を、表立って、今のヒットチャートに求めてもダメだろうということが分かったですね。

 今は風のやむのを蓑虫のようにじっと身を潜めていよう、僕らはその間にナイフを梳いておくべきだ 

 昔、THE BOOMの曲で「手紙」というこんな曲があったけど、そんな心境かな。

 
 なんて、かなり分かってんだか、わかんないんだかな文章で申し訳ないんだけど、

でた杭はうたれる。いま(しばらく)は、黙って春を待とう 

というところでする。

 その間に、表面上の見た目だけでなく、心に響く、曲をもっと、探し出してストックさせておこう。

 それが、ワタシが今やるべきことなんぢゃないかな・・・
なんて、勝手に思ったりもしましたです。



曲とは関係ないんだけど、この曲がヒットしていた当時、個人的に宇宙に興味があって、星の観測をしてんだよね。安い天体望遠鏡を買ってもらったりして。
 もちろん「昴」(プレヤデス星団)も天体望遠鏡で見たりしてたなぁ。
前年のゴダイゴの「銀河鉄道999」を皮切りにヒット曲における宇宙への興味も広がっていて、このころ宇宙に関してのヒット曲って結構多かったんだよね。


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涙の誓い / アリス

1978_04_涙の誓い_アリス






今回の1曲セレクトは、「涙の誓い」アリスです。

 まずはデータです。

・タイトル    涙の誓い
・アーティスト  アリス
・作詞      谷村新司
・作曲      谷村新司
・編曲      石川鷹彦
・リリース日   1978年3月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   40.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1978年4月10日〜6月12日付

 久しぶりに、今となっては「印象が薄いんだけど、意外と売れてる曲」を引っ張ってきたりして。

 涙の誓い  /アリス


 果て果て、どのくらいの方がこの曲を覚えておられるか・・。
 うん、当時の「アリス」ファンだった方、以外でですけどね。(もちろん、当時ファンだった方は、よく覚えておられるでしょう)

 まあ、一般への認知と言う形でのブレイクは、この曲の前の「冬の稲妻」からなんだけど、この曲は、以前ここで書いたように、「インパクト」の塊のような曲でしたから・・。

 ♪ぅわなたは 稲妻のよーーうにーーー ♪

 うわっ、クサッ! って感じで、いきなり入っていくわけで、まあ、一回聴いたら忘れられない・・と。

 ・・・で、もって、この「涙の誓い」の次は「ジョニーの子守唄」。
 まあ、この曲も、覚えておられる方は多いんだよね。
 今や「演歌の大御所」にお成り遊ばされた、堀内孝雄氏がメインボーカルで・・。

 そんな、「有名」な曲に挟まれた、この「涙の誓い」は、とっても影が薄い存在なのよ。

 でも、それでも40万枚も売ってたりする。 この辺が当時のアリス人気を今に伝えてくれてるっていうところだよなぁ。

 ちなみに、1978年度のアリスのレコード売上げは、当時「最強」だったピンクレディーについで、第2位ですよん。

 ・・・ととと、また、話がずれてきた。。。


 そそそ「涙の誓い」ですね。

 まあ、そんな感じで、「影が薄い」だけあって、正直言って、メロディラインのインパクトと言う面は、あんまり感じないんだよね。

 当時の「A面」の曲は、「インパクト」で圧すっていうのが、常識中の常識にあったヒット曲シーンの中では、結構、稀な存在かもしれない。
 こう、インパクトが薄い曲も。

 ただ、歌ってる内容は「キザ」なんだけどさ。

♪Oh I Love You Forever Oh I Love You Forever 汽笛が虚しく響く
 Oh Please これが Oh Please これが 最後の最後の祈り 〜 ♪

 かっちょいいじゃないですか。このキザな感じが・・・。

 いつから、男はナヨナヨしちゃったんでしょう? 37年前はまだ、「男の匂い」が残る曲が存在してたのですよ。

 ちなみに、この時、谷村新司氏、29歳。 

 うわ、今のワタシより15歳以上も若いわ。。。ワタシャ、まだ、こんなキザなセリフが吐けるほどオトナになりきってないな。

 こう見ると、ムカシのヒトはオトナだったよね。だってさ、30歳っていったら、オッサンでしたよ、ワタシの子どもの頃は。。。ふらふら

 いま30歳って言っても、オッサンじゃないものねぇ。。


 まあ、今の10代のヒトからみたら、どーだかわかんないけど・・・。

 でも、まだ、「男の匂い」が残る曲がヒット曲に残っていた時代っていうのが、羨ましい限りなのであります。。

 今だったら、汗クサーイ・・・っていわれて、女のコからは、ポイッって捨てられちゃうんだろうな、こういう曲は。

 そういう意味でも、当時の女のコも、オトナだったんだよね、今よりは。





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22歳 / 谷村新司

1984_02_22歳_谷村新司






今回の1曲セレクトは、「22歳」谷村新司です。

 まずはデータです。

・タイトル   22歳
・アーティスト 谷村新司
・作詞     谷村新司
・作曲     谷村新司
・編曲     福井峻
・リリース日  1983年10月1日
・発売元    ポリスター
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  27.6万枚
THE HITCHART HOT30最高位 11位

 唐突なんだけど、「冬季五輪」と「寒い冬⇒雪」っていうと、いやおう無しに「1984年」を思い浮かべちゃったりするワタシなんだけどね。
  この年は、ことのほか寒い冬でさあ、関東地方で大雪が何回も降った年だよなぁ。ってことは、まあ、これまでも何回か書いてきたけど。。。
 ワタシがいる千葉でも一晩で40cmとか、とんでもない大雪だったしねぇ。しかもなぜか週末になると雪って感じだったな。
 ちょうど、去年がそれと似た年だったけど、逆に今年はまだ一度も雪が降ってないんだよね。


・・・まあ、そんなことで、今回は1984年の今頃の曲を・・・って思ったんだけど、この頃の曲って、今まで散々書いてきたからなぁ・・・めぼしい曲は残ってないですよ。。

 ・・・とか思ってたんだけど・・・、うんにゃ、あるぞ ・・・って思って引っ張ってきたのが、この曲。

 谷村新司 「22歳」

 うーん、あったよねぇ、そんな曲。 って感じの曲だけどさぁ。

 この曲、ヒットのピークは、1984年の今頃だったけど、リリースされたのは、前年、1983年の10月1日。 実に約半年かけてヒットのピークに達した・・・っちゅう息の長い曲だったよなぁ。
 まあ、だから、オリコンの最高位は14位ながら、売上げ枚数的には27万枚強も伸びたんだけどさ。

 ただ、当時のワタシとしては、この曲、なんで、ヒットしてきたのか、皆目見当がつかなかったな。
 なんかのタイアップがあったような気もするんだけど・・・。

 うんにゃ、今、当時のオリコン引っ張り出してみてみたら、ノンタイアップだったんだな、この曲。

 ただ、それにしては、どうもヒットしそうな曲とも思わなかったんだよね。

 いや、今考えてみれば、当時は、まだ、この曲を理解できるだけのキャパシティを持ってなかっただけかもしれない。

 まあ、当時14歳だったワタシとしては、14歳が聴くような曲でもなかったしなぁ、この曲。
 うん、もっとオトナのヒトが聴く曲だと思ってた。タイトルからして「22歳」でしょ。 で、もって、実際の曲も大人っぽいのよ。
 大人っぽいといというか、「大人臭い」というか・・・。

 うん、当時のワタシから見れば、「22歳」っていうのは、めっちゃ大人な感じがしたんだよな。
 実際、「22歳」になってみたら、全然「大人」って言う感覚はなかったけど。。。まあ、それは、20歳の頃、「40歳」って言えば、めっちゃ「オヤジ」って感覚だったけど、実際なってみれば、そうでもない・・・って感覚と同じなんだけど。。。

 ま、とにかく、この曲は大人が聴くもんだ・・・と勝手に思ってたのよ、当時のワタシは。


 でもまあ、アリスが解散した81年以来、泣かず飛ばずな状態だった、谷村新司が、この曲をきっかけに、「復活」してきたのは確かだったんだろうなぁ。
 いや、この曲だけでなく、ちょうど、同時期にリリースされた、この曲も収録されている、アルバム「抱擁」が、オリコンで2位まで行った・・・っていうのもでかかったと思う。
 このアルバムで山口百恵に提供した「いい日旅立ち」をセルフカバーしたんだよね。それが話題になって、ヒットしたんだったっけ。

 まあ、この曲と、アルバム「抱擁」のヒットのおかげで、この直後にリリースされた、小川知子とのデュエット「忘れていいの」が話題になったよなぁ。
 そそそ、谷村新司が、小川知子の胸に手を入れてる、例のPVよ。

 まあ、そんなこんなで、これをきっかけに完全復活した谷村新司だったって感じだよなぁ。

ところで、最初、この曲の楽譜見たときは、ちょっと驚きだったですねぇ。
 いや、この曲のイントロの出だし、難解なイントロじゃん。ピアノの駆け上がりの。 あの部分、楽譜で現すと、めっちゃ難しいのですよ。
 音で聴いてる限りでは、そんなに難しくは感じないんだけど。

 そういう、印象もあって、この曲=難解な曲 っていうイメージもあるんだよな、ワタシ。

まあ、いずれにしても、イントロクイズで「超ウルトライントロ」で出されると、難問な曲だな、この曲は。
 知らなきゃ絶対に答えれない・・・と。曲の本編を考えると、全く予想できないようなイントロの入りだから。
 
 



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チャンピオン / アリス

1979_02_チャンピオン_アリス







今日の1曲セレクトは、「チャンピオン」アリスです。

ますは、データからでっす。

・タイトル      チャンピオン
・アーティスト    アリス
・作詞        谷村新司
・作曲        谷村新司
・編曲        石川鷹彦
・リリース日     1978年12月5日
・発売元       東芝EMI
・オリコン最高位   1位
・売上げ枚数     78.0万枚
・ザ・ベストテン最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年12月28日〜1979年4月5日


 この曲は、当時のワタシとしては、結構ショッキングな曲の一つだったなぁ。
ほら、大体、このテの曲って、「惚れたはれた」の世界がほとんどでしょ。なのに、まったく違う世界を描いた曲でしたからねぇ・・。
 ボクシングの、しかも「負けた側」の世界・・・。兎に角ね、ガキのワタシには、なんだか分からないけど、震え立つ世界だったんだよね。
 うん、「あしたのジョー」の世界だよね。やっぱし、世代的に、アリスを支持していたヒトたちにとっては、「あしたのジョー」ってのは、永遠だったろうしね。
 滅茶苦茶「ナンパ」なガキのワタシだったけど、男臭さ、男の勝負の世界っていう「匂い」をいやがおうにも感じさせてくれた曲っていうのかな。
 ツイストが「美」の世界、ゴダイゴが「ナンパ」の世界なら、アリスは「硬派」の世界なのかな・・・と思わせたな。
それに、このヒトたち、なかなかテレビに出なかったでしょ。それが、「自分」を確立してるアーティストっても思わせてくれたんだよね。
 この「チャンピオン」にしても、テレビではじめてみたのが、ベストテンの初めての1位を取った時。このときは、出演したんだよね。
 これが、めっちくちゃカッコよかった。演奏はスリリングだったし、3人共に気合入った演奏は、たぶん、このときの最高潮だったんではないかなぁ。フルコーラス、プラス 最後の

 ♪ライラ ライラ ライラ ライ〜♪は、通常のバージョンの倍切り替えして、最後を盛り上げるっていう、テレビ演奏としては、異例の5分以上のほんとに大熱演。 たった1曲の演奏で堀内氏なんて、汗びっしょりだったもんね。
 いやいや、ほんと、サムサムチキン・・・トリハダものでしたよ。あの時は。

 ほんと、大人の世界を感じだな。 アリスの3人ともすごくオトナに見えた。無口っぽかったし、谷村氏にしてもニヒルなイメージがあったしね。 どうも、あの当時よくかぶってた、帽子のせいかもしれないけど、ほんとに、テレビではあんまり
しゃべんなかったんだよね。3人とも。

  いや、まだね、当時は知らなかったの。ラジオであんなによくしゃべってたのを・・・。
 ねー、文化放送の「セイヤング」とか、関西の「ヤンタン」とかで、谷村氏が、あんなによくしゃべってたことを・・・。

 いや、だからね、もし、当時のラジオで谷村氏とか、「アリス」というグループをよく知ってたうえで、「チャンピオン」っていう曲をきいたなら、また、随分違った印象が残ったんだろうなぁ・・・・とは、思いますけどねぇ・・。
 うーん、実際どうなんだろうなぁ・・・。

 でも、アリスってグループは、ツイストとか、ゴダイゴとは別な意味で、ニューミュージックのカッコよさを教えてくれたグループっていえるかなぁ。いや個人的には、そうでしたね。
 たしかに、完全なバンドサウンドではなかったし、グループの形態もちがってたしね。ニューミュージックの形態は一つぢゃないんだって、最初から教えてくれましたね。


 それと、共通して言えるのは、みんな、「本気」でやってたことかな。いや、今のグループが本気でやってないって訳ではないんだけど、テレビとして、みられることに「ズレ」てないんですよ。
 兎に角、3分っていう時間に手抜きなしで魅せてくれたことがうれしかったし、だから、こっちも本気でみてた・・・そんな時代だったんですよね。




2006年2月に書いたものの再掲載です。


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