今回の1曲セレクトは、「晴れ、ときどき殺人」渡辺典子でする。
まずはデータから
・タイトル 晴れ、ときどき殺人
・アーティスト 渡辺典子
・作詞 阿木燿子
・作曲 宇崎竜童
・編曲 萩田光雄
・リリース日 1984年4月21日
・発売元 コロムビア
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数 15.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 17位
・タイアップ:角川映画「晴れ、ときどき殺人」主題歌
久々に1日に2曲目の「1曲セレクト」。
まあ、本日は1日雨だったし、久しぶりになーんにもやる事のない1日だったんでもたまには複数曲書く日もあっていいかな・・・・と。 ここんところ、あんまり1曲セレクトも書いてなかったしな。
本当は初め違う曲を書こうと思っていたんだけどさ、84年の今頃のオリコンチャート見てたら、まだ書いてなかった曲があったのに気が付いて、急遽、曲変更。
当初書こうと思ってた曲は、今の時期、すでにランクも下降しちゃってたんで、またいずれ・・・ということで。
で、引っ張ってきた曲が
渡辺典子「晴れ、ときどき殺人」
なんとも物騒なタイトルだけど、これは、同名映画の主題歌ということで、もともとは赤川次郎の小説のタイトルですわな。
・・・と、さも小説も読んだように書いたけど、実際小説は読んでない。映画も見てない・・・ということで、一体どういうストーリーなのかも分からなかったりして。。。。
当時、薬師丸ひろ子さん、原田知世さんにつぐ、角川三人娘の一人であった、渡辺典子さんだっただけに、もちろん、これも角川映画であったわけで、その主題歌だったわけだけども。。。
正直、この頃になると、個人的には角川映画にも「飽き」が来てたんだよね。
いや、実を言えばこれ以前にも、角川映画はあんまり見てなかったんだよな。 自分で進んで映画館に見に行ったのは、81年薬師丸ひろ子さん主演の「ねらわれた学園」だけだったような気がする。
83年原田知世さん主演の「時をかける少女」は、大林宣彦監督、尾道三部作第2弾ということで、この後テレビで見たし。
薬師丸さんの「セーラー服と機関銃」や「Wの悲劇」なんて、実は最近BSで見たのが初めてだったの。
当時、邦画にはあんまり興味がなかったというのと、そもそも千葉まで行かないと映画館がなかった時代、そうそう映画を見に行くってこともしなかったというのが、一番大きかったな。
だから、この「晴れ、ときどき殺人」って映画も見てなかったわけですわ。
しかも、その主題歌だった、この曲さえ、ヒット当時は、まともに聴いてなかったんですよ、実は。
この曲オリコン最高位11位ってことで、ベストテン入りしてなかったしね。
当時のラジオのベストテン番組でも、ベストテン入りしていた番組は少なかったと思う。
唯一ベストテン入りしていない曲も、たくさんかけていた文化放送の「決定!全日本歌謡選抜」も、
高校受験対策で通い始めた「塾」の時間がかぶっちゃって、じつは、84年4月〜85年2月にかけては、ほとんど聴けなかったんだよね。
塾が終わってチャリを飛ばして、ベストテン発表に何とか間に合うような状態だった。
だから84年ってベストテン内の曲は、よく覚えてるんだけども、ベストテンに入らなかった曲って、あんまり覚えてないんだよな。
この曲なんかは、その「割を食った」1曲だったろうな。
サビの ♪はーれ ときどき キルミー〜 ♪ って部分は知ってたけどさ。
だから、この曲も曲全体を改めて聴いたのは、 実はごく最近だったりするのよ。
いつぞや、ラジオでこの曲が流れてて、最初は全然、何の曲だか分かんなかったの。
まさかこの曲が、フルオーケストラのミュージカル風な楽曲だったなんて、知らなかったんだもの。
完全にタイトルに騙されてましたね。 ↑で書いたように「晴れ、ときどき殺人」なんて物騒なタイトルが付いてるじゃん。 もっとオドオドロシイ曲かと思ってたの。ずっと。
渡辺典子さんのこの曲の次の曲で「いつか誰かが」って少しサスペンスががった曲があるんだけど、そういうイメージがあったんだよな。全くイメージと違うんだもの。
イントロだけ聴くと、「ゴールデン洋画劇場」か なんて思っちゃうし。 その後も全編にわたって、まるでディズニー映画の音楽の世界だよな。
当時の日本映画の映画音楽のイメージからするとちょっと驚きな曲調ではあるな。
そもそも特に薬師丸さんが出てきた以後の角川映画の主題歌って、たしかに曲そのもののクオリティは、普通のアイドル映画よりは高かったものの、どうしても通常の「ヒット曲」の曲想からは離れなかったし、これ以後もそうだったしな。
だから、この曲って、今に至ってもかなり特殊な曲調の主題歌だったといえると思う。
この曲がミュージカル映画だった・・というならば、分からなくもないけど、特段そういうわけでもなかったわけですよね。
まあ、実際見てないんで、何とも言えないんだけども。
それとちょっとビックリなのは、 作詞 阿木燿子、 作曲 宇崎竜童、 編曲 萩田光雄 っていう、もろ山口百恵な作家陣ですよね。
そんな、もろ山口百恵な作家陣でありながら、このミュージカル風な楽曲だもんね。まったく想定つかない・・・というか、この作家陣を見ると、どうしても山口百恵さんのような曲想をイメージしてしまう。
いや、「出し手」側も、このお三人に曲を発注するときは、それまでは端から山口百恵さんのイメージで発注したんだと思う。
例えば83年の柏原芳恵さんの「ちょっとなら媚薬」とかさ。 この御三方でもろ百恵さんアゲインだったわけじゃん。
でも、この曲には、そんな山口百恵さん「臭」がかけらも感じない。 ここがいいですね。
まあ、たしかにこの曲の前の「少年ケニア」にもそれに近いところは感じてはいたけど、ここに来て、完全に山口百恵さんの「残像」が消えましたよね。
そんなところからも、80年代と言う時代がさらに深まった感がある1曲ともいえるかもしれないな。
しかしさ、角川三人娘の中でも渡辺典子さんって、どうもジミだったんだよなぁ。 口悪く言えば「パッ」としなかったというか。。。。
3人の中では一番「美人」だったんだけどねぇ。
美人ではあったけど、なんていうのかなぁ、華やかさっていうのが今一つだったのかもなぁ。
それと、歌唱力っていう点ですね・・・・。
・・・なんて、原田知世さんも当時の歌唱力はどっこいどっこいだったんだけどもね。
ただ原田さんの場合、この後、曲ごとに彼女ならではの「味」が出てきてましたからね。そのあたりが強みだったんだと思うけど、渡辺典子さんの場合は、彼女ならではの味っていう所があんまり感じなかったのも弱点だったかもな。
結局、そういうところが、レコード売り上げにも、もろ反映してたんだよな。
結局オリコンベストテン入りしたのは1曲目の「少年ケニア」だけだったわけで、2曲目のこの曲では早くもベストテン入りできなかったですから。
よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村