かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

西城秀樹

センチメンタル・ガール / 西城秀樹

1981_10_センチメンタル・ガール_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「センチメンタル・ガール」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル    センチメンタル・ガール
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      あまがいりゅうじ
・作曲      鈴木キサブロー
・編曲      若草恵
・リリース日   1981年9月5日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 17位
・売上げ枚数   9.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位

 昔NHK-BS2で放送して録画していた、佐野元春の「ソングライダーズ」を見た。さだまさしがゲストだったんだけど、「唄は五感で味わうもの」っていうことに共感してしまったワタシです。

 ここでもよく書くじゃん。ウタには、その曲を聴いていた環境によって、そのときの匂いがしたり、その音楽が紡ぎだす温度感があったり・・。
 ただ、単に耳で聴くだけの「音楽」ぢゃないんだよね。しかも、それぞれ聴く人によって浮かんでくる絵も違うわけだし、感じる温度感も違うわけじゃん。100人いれば100通りの見え方があるわけだし。
 正しい、正しくないなんていう価値観はない。どれも正しい価値観なんだよね。その辺が音楽の素晴らしさなんぢゃないかと思う。

 だからさ、本来ならプロモーションビデオっていうのは、「音楽」にとっては禁じ手なんだよね。見える映像が限定されるじゃん。想像力が限定されるわけだし。
 その辺が、最近のマニュアル主義、想像力の欠如っていうことにも繋がってくるんぢゃないですかねぇ。。



・・・なんて、今回、引っ張ってきた、西城秀樹の「センチメンタルガール」とは全く関係ない話しどぇす。

・・・いや、若干、関係あるかな。。

 この曲、1981年のビデキ、デビュー10周年においての「ポップンロール宣言」の最終、第3弾シングルなんだけど、もしかすると、一番「絵」が浮かんでくる曲かも知れない。

 まずもって、出足の

♪ 枯葉舞う 公園に〜 ♪

っていう情景から入るじゃん。そこで、大体の絵が浮かんでくるよね。
 うむ、音楽は五感で感じるもの・・・っていうことが、よく当てはまると思うのよ。

 少なくとも、この出足の1行で、夏の太陽サンサンっていう絵を思い浮かべるヒトはいないとおもうし、よっぽどひねくれた人でない限り。

あ、でも、まあ、この曲に限らず、ポップンロール宣言、第1弾の「リトルガール」は春、第2弾の「セクシーガール」は夏の、それぞれの絵が浮かんでくるようなデキではありましたよ。

 それにもまして、この曲は「秋」の情景がよく浮かんでくる1曲だとおもうね。

ちなみに、個人的には、この頃、少し山間に入った渓谷でバーベキューをやりましてね。真っ青な空、きれいな紅葉・・・この曲を聴くと、あの時の情景が浮かんでくるんだよなぁ

 この当時は、他の曲も全体的に季節感を感じる曲が多かったからなぁ。松田聖子の「風立ちぬ」もしかり、田原俊彦の「悲しみ2ヤング」もしかり。

 この曲はその中の1曲だと思うのよ。


 まあ、当時は、あんまりヒットしなかったんで、それほど思いいれはなかったんだけど、時がたち、改めて聴いてみると、なるほど、なかなかいい曲だったな・・・なんて改めて思ったりして。。。

 サウンドは、まあ、ポップンロール宣言しているだけあって、めっちゃポップ。「センチメンタル・ガール」なんて言うタイトルからはにつかわないんだけどさ。
3部作の中では、イタリアンポップスっぽく、もっともポップなんじゃなかろうか。デキとしては、3部作の中では一番、ウレセンっぽい感じねするんだけどねぇ、なぜに売れませんでしたかねぇ・・・。


 ちなみに、作詞の、あまがいりゅうじ氏は、79年の「YOUNG MAN」の訳詩も担当した、ヒデキの元マネージャー氏ですわね。
 実は、あまがい氏には、何度か会ってたりするんだよね、ワタシ。以前いた、某C社で。
 某大手着メロサイトのアーティストアライアンスのブレーンだったんですわ。その関係で・・・。

 この曲とか、「YOUNG MAN」なんか聴くと、もっと頭が切れるスマートな人なんかなぁ・・・なんて思ってたけど、よくしゃべる、おっちゃんですわ、実在は。。あせあせ


・・・・なんて、曲とは関係なかったな。




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傷だらけのローラ / 西城秀樹

1974_10_傷だらけのローラ_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「傷だらけのローラ」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル    傷だらけのローラ
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      さいとう大三
・作曲      馬飼野康二
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1974年8月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   34.0万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年9月9日〜10月14日付

 今回の1曲セレクトは、書こう書こうと思ってて、忘れそうになってた1曲です。

 傷だらけのローラ  /西城秀樹

 まあ、ここ読んで下さっている、みなさんなら、ほとんど知ってますよね。未だに初期の秀樹っていったら「この曲」って言われるくらいの代表曲だもんね。
 そんな曲だから、さぞかし、ヒット当時も、ロングヒットだったんだろうな・・・と思い、昔のオリコンチャートを調べてたら、さにあらず〜〜〜exclamation ×2たらーっ(汗)

 なんと、ベストテン入りは、たったの1ヶ月半だったの。74年当時は一度ベストテン入りしたら、2ヶ月、3ヶ月居座り続けるっていうのが、極々当たり前だったから、1ヶ月半でベストテン落ちっていうのは、かなり短期ヒットの部類・・・っていえるんだよね

 ちなみに、チャートアクションを見てみると

1974年9月2日付 16位→2位→3位→4位→4位→7位→8位→13位・・・・

・・・と、意外とタンパク。・・・・というか、ベストテン初登場で最高位獲得・・・・なんて、まるで初動型のチャートアクションじゃん。

 いやいや、これが、かなり意外だったんだよなぁ。

 初動型チャートアクションの曲は、一般的には後々まで残らない。すぐ忘れ去られる運命の曲・・・って言うのが、個人的な考えだったからさぁ。
 33年前の曲が、現在まで「支持」されている・・・って言うところをみると、今までのワタシの考えは、必ずしも当たってないんだよなぁ・・・・。ショック〜 ショック(by 「透明人間」ピンクレディー)
 

うーん、逆に考えると、当時としては、ハイパー過ぎたのかなぁ、この曲。サウンドがさぁ。

今聴くと、超おおげさな曲なんだけど、以前も書いたように、あの当時は「ヨーロッパ系」のカンツォーネとかフレンチポップスがヒット曲の主流だったから、今聴くと、笑っちゃうくらい大げさな曲もありだったんだよね。

 それにしても、この曲ほど「絶叫型」の曲は、他にはなかったからなぁ。この曲の最後に行くに従って「絶叫」するパターンは、作曲の馬飼野康二氏の真骨頂なメロディ進行だったからねぇ、まさに馬飼野氏の本領発揮な曲な訳だけども。

 それに応えるように、この曲本気で歌えるのは、秀樹しかいないよね。

 間奏の「ローラ ローラ ローラー」って絶叫するところは、これ普通、カラオケぢゃできないですよ〜、恥ずかしくって。

 音域的には、キーは、それほど高すぎることはないから、普通に歌う分には、それほど難しくないんですよ、この曲。

 うん、同じ馬飼野氏作曲で絶叫型の松崎しげる「愛のメモリー」に比べたら、ぜんぜんキーは低いしさ。

 でも、やっぱり「ローラexclamation ×2exclamation ×2」って絶叫するのは、シロートには、ちょっと勇気いるなぁあせあせ

 バカにならなきゃ歌えないよね。でも、なかなか人前だとバカになれないんだよなぁ。


 そういう点でも、やっぱり西城秀樹って言うヒトは、プロのアーティストだよなぁ・・・って思うなぁ。
 これほど、ワイルドに感情込めて歌えるヒトはそうそういないもんね。


 あ、上で、この曲のサウンド「ハイパー」過ぎたのかなぁ・・・っていうのは、この曲イントロで、シンセ使ってるんだよね。
 もちろん、モノフォリックで単音だけなんだけどさ。そういう意味でも当時としてはハイパーな曲だったと思うなぁ。

 でも、だからこそ、長い間、支持されているのかもなぁ。今聴いても古くないもんね。



 ちなみにですが〜・・・・・・。
オリコンでベストテン入りは6週間だけだったけど、ベスト100では24週ランクイン・・・と、西城秀樹としては、現在までも含めて最長のランクイン曲なの。。。。
(ちなみにちなみに、「YOUNG MAN」でさえ、ベスト100ランクインは21週止まり)
 ・・・ということで、ヒットの「ピーク」は短かったけど、結局のところロングヒットだったんだよねふらふら

 とりあえず、ワタシの持論は保たれた・・・・・かなふらふら



 74年当時の動画があれば、ベストだったんだけど、さすがにヒットしてた時期のフルコーラス動画はなかったなぁ。 なので、すこし時代は下ってるけど、フルコーラスバージョンで。


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若き獅子たち / 西城秀樹

1976_10_若き獅子たち_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「若き獅子たち」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル   若き獅子たち
・アーティスト 西城秀樹
・作詞     阿久悠
・作曲     三木たかし
・編曲     三木たかし
・リリース日  1976年9月5日
・発売元    RVC
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数  23.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1976年9月20日〜10月25日付

 昨日の河合奈保子さんぢゃないけど、10月って言う月はヒデキにとってもヒット曲が多い月なんだよね。
なので、今月は、他にもヒデキの曲を持ってくることになりそうなんで、早々、1曲セレクトしてきましたわ。

1976年の「若き獅子たち」

 ・・・・つか、これ、レギュラーで読んでくれているヒトたちでも、この辺くらいになると、マジで知ってるヒト少ないよねぇ〜。
 39年前の、しかも、大ヒット曲ならいざ知らず、「中ヒット」止まりだったこの曲を。

 いや、知ってるヒト、意外と多いかなぁ。。。

 うん、この曲は、1976年の「賞レース」で、西城秀樹がレギュラー的に歌ってた曲なんだよね。
 ・・なんで、タイトルは知らなくても、曲を聴けば、ああ、あの曲かっていうひとも多いと思うわ。
 うむ、1976年の「レコード大賞」しかり、「歌謡大賞」しかり、いやいや、この年の「紅白歌合戦」もこの曲を歌ったわけだから、未だにナツカシ系番組では、よく流れたりするのが、この曲だったりする。
 当時は、それほど、大ヒットしたわけではないけど、それだけVTRが未だに残ってたりするからなんだろうね。


 たださ、これが、これぞ「ソングフェスティバル」のための曲って感じのスケールのでかい曲なんだよねぇ。

 カンツォーネを下敷きにしたような、ラストでグワァーと盛り上がって終わるような、いかにも、音楽聴いたぞ・・・って思わせるような、爽快感を残すような。

 やっぱさ、日本人って、この手のヨーロッパ系の曲が好きだからねぇ。
いつだか、テレビで、日本人がショパンの曲が好きなのは、ショパンの旋律にどこか郷愁を感じるから・・・っていってたけど、まさにその通りで、カンツォーネを含め、ヨーロッパ系の曲には、どこからノスタルジアを感じるんだよね。
 それが、ソングフェスティバルっていう、一種のフォーマルな場と相まったりして、フェスティバルの「格」も一段高く感じたりして。
 
 そういうこともあってか、昔は9月ごろリリースされる曲には、グレードが高い・・・というか、そういうフォーマルな匂いのする曲が多かったんだよね。


 こと、西城秀樹っていうヒトは、その傾向が強かったよなぁ。

 1974年 傷だらけのローラ  (1974年8月25日リリース)
 1976年 若き獅子たち    (1976年9月5日リリース)
 1978年 ブルースカイブルー  (1978年8月25日リリース)
1979年 勇気があれば     (1979年9月5日リリース)
1980年 サンンタマリアの祈り (1980年10月5日リリース)


・・・・ってな感じでさ。

 プラス、このテのスケール感のデカイ、ヨーロッパ系の曲って、「日本の秋」によくマッチするんだよ。
 
 空高く・・・・っていう季節感にピッタリなんだよね。

 まさに、空高く、青く、どこまでも広い、秋の空・・・って感じじゃん、イメージとしては。

 そういう季節感にあわせて、このテの曲を、この時期にリリースしてたんだろうけどねぇ、ヒデキは。

 まあ、こういうスケールのでかい歌を歌えたヒトってあの頃でも少なかったからねぇ。他には布施明と松崎しげるくらいか。
 そういうアドバンテージを存分に生かしていたのが、西城秀樹だったんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりするんだよね。


 個人的にもこのテの曲は大好きだったりするんだけどね。
この頃は、ワタクシは、「ポールモーリア」一辺倒だったわけで。でも、結局、ヨーロッパ系の曲に傾倒してたんだよね。そういう意味では、共通するところがあるからさあ。
 実際、この曲を聴いたのは、ずっと後だけど、曲を聴いて浮かんでくる絵は、やっぱ1976年っていう時代なんだよね。あの頃は聴いてなかったのに、不思議と、そうなのよ。
 それは、やっぱし、あの頃傾倒してたポールモーリアの曲を聴いたときに浮かんでくる絵と、どっか共通したものがあったからなんだろうねぇ。



うむ、フルコーラスなんで、ついリンクしちゃったけど、すぐに削除対象になりそうな動画だな。
なるべく早めに見てください。


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エンドレス・サマー / 西城秀樹

1980_08_エンドレス・サマー_西城秀樹






今日の1曲セレクトは、「エンドレス・サマー」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル    エンドレス・サマー
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      岡田冨美子
・作曲      水谷公生
・編曲      船山基紀
・リリース日   1980年7月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 12位
・売上げ枚数   12.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

 先ほどは、ユーミンの「Hello,my friend」で、今、日本列島を通過中の台風が過ぎちゃったら、本格的に秋に向かう? ・・・なんて書いちゃった都合、そろそろ、夏っぽい曲は終りにしなきゃな・・・なんて考えていたんだけど、過去に書いたレビューをツラツラみてたら、まだ、出してなかった曲があった。

西城秀樹 「エンドレス・サマー」。   
 
 ところで、この曲、ずーっと忘れてたんだよね。「あー、あったよね、そんな曲」って言うぐらいにしか覚えてなくて。。。

 もちろん、曲なんて、ぜんぜん忘れてた。なんか、リリース。当時も突然ランクインししてきて、あっというまに、おちちゃった・・・っていう印象はあったんだけどねぇ。。

 そのくらいの印象しかなかったから、とても、曲まで覚えて無かったわ。

 うん、「ザ・ベストテン」には、ランクインしてたんだけどね。今、調べてみたら、1980年8月14日放送分から、3週間だけランクインしてたわ。そそそ、たしかそうだった。

 西城秀樹って、この年のシングルリリースって、イレギュラーだったんだよね。
 うん、3ヶ月ローテーションではなくて。 チョット前に書いた、モスクワ五輪応援曲だった、「俺たちの時代」のリリースが「6月5日」で、この曲が「7月21日」と・・・。
 間隔1ヶ月でリリースしたからなぁ。たぶん、こっちが臨発だとおもうけどさあ。曲調からしても。
 まあ、そういうこともあって、なんか突然にランクインしてきて・・・っていう、感覚に思えたんだよなぁ、当時は。



 ただ、気にはなってたんで、チョット前に「レコード」を買って、聴いてみたんだよね。


 はいはい、たしか、こんな曲があった・・・ような気がする。。。なんていう感想だったりして。

 そそそ、たしかに、なんか、ハッキリしない曲だったのよ。

 1980年って、「冷夏」でさ、毎日曇りがちな日が続いていたんだけど、そんなイメージよ。

 いや、ハッキリしない・・・というよりも、曲調がバラついてるんだよね。
 なんとなく、派手なイントロがありーの、逆にジミーなAメロがありーの、一転、パッパラーなサビがありーの。。。

 なんて感じで、どーもイメージが。。。。

 1980年といえば、秀樹にとっては、デビュー9年目でしたな。・・・だけど、今から振り返ってみれば、ジミーな年でしたな。
 だいたい、前年の1979年がハデーな年でしたからな。「人生、楽ありゃ 苦もあるさ」なんて、人生とは、水戸黄門の主題歌そのものなのですよ。


https://www.youtube.com/watch?v=Xd3IbuHKAfU

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セクシーガール / 西城秀樹

1981_07_セクシーガール_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「セクシーガール」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    セクシーガール
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      横浜銀蝿
・作曲      横浜銀蝿
・編曲      若草恵
・リリース日   1981年6月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   14.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1981年7月20日付

 えー、今回の1曲セレクトも、前回の「かっとびロックンロール」に引き続き、またまた横浜銀蝿関係の曲を持ってきてしまいました。

 セクシーガール /西城秀樹

デビュー10年を迎え、「ポップンロール宣言」と称した「ガール」シリーズ3部作の、第2弾。

でも、う〜ん、西城秀樹の曲としては、ちょっとインパクト弱いかなぁ。たしかに大ヒットとまでは行かなかったからね。
 1981年は西城秀樹にとって、デビュー10周年ということで、「ポップンロール」宣言をして、「・・・ガール」って感じで3連弾のシングルをリリースしたわけなんだけど、「ヒット」という面からすると、必ずしも成功したとき言いがたいからなぁ。

・・・というか、アーティストパワーもそろそろ下降線・・・っていうのが否めない時期でしたからね。

 で、その「ポップンロール」宣言の第2弾としてリリースされた曲が、この「セクシーガール」ってわけですね。

 で。まあ、作詞、作曲が「横浜銀蝿」ってことで、これまた意表をつかれた感じだったんだけど、だけどさ、これが、これがまったく銀蝿らしくないだよね。

 いや、銀蝿っていったら、単純な3コードのロックンロールしか書かない・・・、いやいや書けないっていう頭が、あの頃はあったんだよね。

 でも、ぜーんぜん、全くの歌謡曲なんだもの。たしかに、ポップンロール宣言もしていたことだし、秀樹が得意なカンツォーネ風の「力」が入った曲調ではなく、この前の曲の「リトルガール」にも似た、軽ーいメジャー系ポップスな作りだったけどね。
 まあ、この軽ーい作り・・っていうのも意外だったんだよね。

 全体的な雰囲気は、夏の夜風を思わせるような爽やかで涼しげな味付けだったけど、これアレンジャーの若草恵氏の力量なんだろうね。

 でも、まあ、考えてみれば、当時は、西城秀樹も注目するくらい、横浜銀蝿って、時代の中心にいたってことでもあるんだと思いますわ。

 さすがにメジャーな曲ではないから、あんまり耳にすることは無いと思うけど、今の季節、暑い晴れた日の夕暮れにでも聴くと、涼しくなる1曲ですよ。




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炎 / 西城秀樹

1978_07_炎_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「炎」西城秀樹です。

 まずはデータでーす。

・タイトル      炎
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       阿久悠
・作曲       馬飼野康二
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1978年5月25日
・発売元      RVC
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    25.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1978年6月12日〜7月10日付

 さて、御立ち合い! 西城秀樹の「炎」ですよ〜!

 大げさに書いちゃいましたけど、個人的に、この曲好きなんだよな〜。カラオケでは「大盛り上がり」の曲・・・と自分で勝手に思ってたりして

 でもね、このきょくに興味持ち出したのは意外と遅いんだよね、実は。 1990年ごろかなぁ。大人になってからですよ。
もう、何度も書いてるように当時、オリコン読者で「オリコンチャート研究会」っちゅう、自主サークルをやっとりまして、もちろん、しょっ中カラオケもやってたんだけど、4つ年上の方が、この曲よく歌ってたんだよね。 それで覚えちゃったっちゅうわけさ。

 この曲がヒットしてた頃は、「歌謡曲」というものに、本格的に「興味」を持つ「直前」でして・・

 ワタシが「ザ・ベストテン」っちゅうもんを初めて見たのは、この曲がヒットしてから4ヵ月後の1978年11月2日だからねぇ。

 もちろん、今ではほとんどの曲の音源も当然持ってますよ。


 だけどさ、今日、紹介したい、西城秀樹の「炎」っていのうは、これらの曲の中でも意外と遅いんだよね。 知ったの。

 兎に角、曲がいいもん。
 馬飼野康二氏独特の、ヨーロピアンなカンツォーネ風の超大げさなメロディラインがたまんないんだよね。圧倒的な「存在感」っていうのかなぁ。 
 この非日常的空間的な曲想は、ほんときいててワクワクしますよ。
 最近の「空気」のような重量感と奥行きがないペラペラな曲とは違うんだよね。

 メロディラインの重量感、詞の立体感、どれをとっても「存在感」ってものがあるでしょう。

 それに、ヒデキのセクシーな歌い方が絡まって、いやいや、ホント「佳曲」ですよ。

 ♪ ア ア ア〜 一生一度なら〜 ♪ ではじまるサビは特にセクシー。

 あの感じ、カラオケでやろうとしてもなかなか雰囲気が出ないんだよなぁ・・・・。

 それにしても1978年の西城秀樹は、ほんと、いい曲ばっかり。
 兎角、大ヒット連発だった1979年のヒデキに隠れがちだけどさ。うーん、どうしても「Y M C A」の存在感には吹っ飛ばされちゃうからなぁ・・・。

 でも、実際の曲の「デキ」としては、その前年の1978年の方が全然上だと、個人的には思ってますよ。

 特に、この「炎」〜「ブルースカイブルー」にかけての阿久悠−馬飼野康二コンビの曲は、当時の「歌謡ポップス」の最高ランクといっても過言でないほどのデキだったよね。

 また、ああいう、「存在感」のある「ポップス」が聴きたいよなぁ。
 もう、作れないですかねぇ、こういう曲は。。。


 ちなみに、「ザ・ベストテン」でのこの曲といったら、

♪炎で氷を溶かしてみせる 〜 ♪

っちゅうことで・・・氷をコブシでたたき割るセットが有名だったよね。
 BUT、本番では、氷がなかなか割れなくて、手が血だらけになってたとか・・・・。




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俺たちの時代 / 西城秀樹

1980_06_俺たちの時代_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「俺たちの時代」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル    俺たちの時代
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      熊野昌人
・補作詞     たかたかし
・作曲      水谷公生
・編曲      佐藤準
・リリース日   1980年6月5日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   15.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1980年6月30日〜7月7日付

 えー、先ほどの野口五郎の「コーラスライン」に続いて、1980年6月のヒット曲。

 西城秀樹 「俺たちの時代」


 ところで、この曲、この年開催されたモスクワ五輪の時の、日本選手団公式応援ソングだったんだけども、覚えてますexclamation & question

・・・・なんて、書いて、「なんだ簡単、簡単」と答えられる方、かなーりの歌謡曲通。

 第一、モスクワ五輪にゃ、日本はボイコットしたじゃん。そんな大会に「日本選手団公式応援ソング」なんてあったんかい?

・・・って思うのが、まあ、普通だよね。。。


 でも、あったんです。。。ふらふらふらふら


えー、それが、今日、引っ張ってきた、西城秀樹の「俺たちの時代」だったりするんだよねぇあせあせあせあせ


 でもさ、↑で書いたように、最終的に、モスクワ五輪には、日本は不参加を表明したので、「幻」の日本選手団公式応援ソングになってたりします。。

 まあ、最終的にレコード売上げ15万まで止まったのは、この「ボイコット」の影響が大きいだろうな。
 「五輪」を見越して、作ったのが、単なる「普通」の1曲に突然成り下がっちゃったんだもの。。。。


 うん、ものの本によると、レコードジャケットも差し替えたってあるんだけど、↑のジャケ写は、差し替える前? 後?

 その辺も不確かなワタシが居たりして・・・。ふらふら

 うーん、ワタシが持ってる音源(レコード)も↑のジャケ写なんだけどね。


 ちなみに、この曲がリリースされたのは、1980年6月5日。
JOCがモスクワ五輪出場ボイコットを決定したのが、5月24日だから、リリースの10日前に決定してる・・・。

 それを考えると、まあ、↑のジャケ写は、「差し替え後」のだろうねぇ。普通に考えると・・・。

 なんか、それを言ったら、差し替え前のジャケ写が見たかったりして。。。あせあせ


えー、この曲については、まあ、一言で言って、もろ「青春賛歌」ですねぇ。
 この年の前の、同時期にリリースされた、「ホップ・ステップ・ジャンプ」の続編っていう感じかなぁ。

 まあ、作曲が同じ、水谷公生氏っていうのもあるけど、雰囲気はほとんど同じですねぇ。

 西城秀樹らしい曲といえば、もろそんな感じですね。まあ、五輪の公式応援ソングということで、意図的にそうしたんだろうけどね。


 うん、まあ、この辺については、文章で書くより、実際に聴いてもらった方が、よく分かるかな・・・



相対的にいえば、ヒデキにとって、いまひとつパッとしない1980年だったんたけども、この曲がこの年の代表曲になるのかなぁ。
 何分、前年が派手派手な大活躍の年だったからねぇ、地味〜な印象しかないんだよね。



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ポップ・ステップ・ジャンプ / 西城秀樹

1979_06_ポップ・ステップ・ジャンプ_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「ホップ・ステップ・ジャンプ」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル    ホップ・ステップ・ジャンプ
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      山崎光
・作曲      水谷公生
・編曲      水谷公生 佐藤準
・リリース日   1979年5月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   36.9万枚
・ザ・ベストテン最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1979年6月7日〜8月16日放送分

 今日の1曲セレクトは、ここまでジミーな感じの2曲になっちゃったんで、最後の3曲目は、ウキウキ、元気よく〆ましょうか。

 ・・・・ということで、最初は違う曲を予定してたんだけど、急遽変更。。。

 ちょうど、いい曲があったわぁ

 西城秀樹の「ホップ・ステップ・ジャンプ」

 いやいや、この曲は、抜けるような青空の下で聴いたら気持ちいいだろうねぇ。
 うむ、個人的にも、この曲っていったら、「青空」っていうイメージがあるんだよね。
 っか、この曲って、36年も前になるんか〜。。。ぴょぴょぴょぴょ・・・・。
なんか、そんなイメージがまるで無いんだけどなぁ。。。
 
 いや、たしかに、ワタシが、まだ「コドモ」のころ、当時、持ってた、ソニーのラジカセを外に持ち出して、天気のいい日の青空の下で、この曲を聴いてた記憶があるから、そのくらい時間がたっているんだろうね。。

 しかし、このころの秀樹は、元気が良かったね。まあ、あの「YOUNG MAN」の次の曲っていうこともあったんだろう。同じような路線で勝負してきたってことは、まあ、当然といえば当然だろうね。
 まさに、西城秀樹の絶頂期だったよなぁ。どのチャンネルまわしても、西城秀樹が出てた感じだったし。。

 ところで、もちろん、この曲は、当時、小学生のガキだったワタシは、最初はテレビで聴いてたんだけどさ。
 のちのち、レコード盤を聴いて、ちょっとした、驚きだったな。
ま、今は、全く当たり前になってるけど、この曲、ほぼ「打ち込み」で作られているのよ。あ、あんまり派手な仕掛けが無いんで、見逃させがちだけどさ。
 いや、もちろん、テレビでは、当時は「全生演奏」だったわけだから、全然知らなかったんだけどさ。
 なんせ36年前だからねぇ。いまじゃ、当たり前になってる打ち込みでも、当時は結構、時間がかかったんじゃないかねぇ・・・なんて想像したりして。。。

そーいえば、ちょうど、この曲がヒットしてたころ、ソニーの初代「ウォークマン」が発売になったんだよね。(79年7月1日発売)

 一見、全く西城秀樹と関係ないように思えるけど、発売当初、全く売れなかったウォークマンが、爆発的に売れるようになったのって、当時、西城秀樹が、ウォークマンを聴きながら、ローラースケートしてたグラビアから・・・っちゅうのが定説なのよね。

 ま、それが、この曲と直接関係があるかないかはわかんないけど、なんか、個人的には、この曲・・・っていうとソニーの「初代」ウォークマンが思い浮かんできちゃったりして。因果なもんです。。。

 ちなみにぃ、ワタシが最初に買ったウォークマンは、80年のパナソニック製(いや、当時は、まだ「ナショナル」だったな)。 ま、ナショナル製だから、厳密に言うと「ウォークマン」じゃないんだけどね

 小学5年のくせして、ウォークマンとは、「ませガキ」だったね、我ながら。。。ふらふらふらふらふらふら
 いや〜、でも本当はソニーの本家本物が欲しかったんだよね〜。たしか4万ぐらいしたのよ、当時。せっせと小遣いとお年玉を貯めて買ったもんよ。
 しかもさぁ、当時のウォークマンって、今のと比べると、めちゃくちゃでかくてさぁ、重かったのよ。。。。そんな思い出が・・・。

 あれから、何台買い換えましたかねぇ。 現在は、Experiaのウォークマンアプリで音楽聴いてるけど、正直、カセットタイプの「SONY」の「ウォークマン」って1度しか使ったことないんだよね。これまで36年間の中で

 しかし、技術の進歩だよね。36年前には、メディアが無くなって、ネットワーク配信で音楽を聴く・・・なんて、全く想像できなかったもの。





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YOUNG MAN(Y.M.C.A) / 西城秀樹

1979_04_YOUNG MAN_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「YOUNG MAN(Y.M.C.A)」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル     YOUNG MAN(Y.M.C.A)
・アーティスト   西城秀樹
・作詞       JACQUES MORALI JACQUES
・作曲       HENRI BELOLO 
・日本語詞    あまがいりゅうじ
・編曲       大谷和夫
・リリース日    1979年2月21日
・発売元      RVC
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    80.8万枚
・ザ・ベストテン最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1979年3月8日〜6月7日放送分

 さてさて、今日の1曲セレクトは何すべーな・・・と思いつつ、おもむろにカレンダーを見る。。。

(静寂 2秒あまり)

4月12日、4月12日、4月12日、4月12日・・・・・

(考えること 2秒あまり)

ぬお〜〜〜〜〜〜


あるじゃん! 歴史的な日ぢゃん!


 そう、忘れもしない・・・

YOUNGMAN(Y.M.C.A) /西城秀樹



ザ・ベストテン



9999点(満点)



1位を取った日じゃん!!

 うんー、いや、実はね、9999点(満点)の1位を取ったのは、実際は、1979年4月5日と4月12日放送分の2週にわたってなんだけど、ついつい、4月5日は忘れてたのねん・・ということで、2週目の本日で勘弁ね。

 あ、蛇足だけど、28年前の1979年4月も、今年と同じく、4月5日、12日が「木曜日」だったんだね〜。。


 今さらながら、ベストテンの得点のつけ方・・というか集計方法・・・・レコード売上げ、有線放送リクエスト、ラジオ総合、ハガキリクエストの4要素からなっているわけですが、更に詳細を見てみると


レコード売上げは、当時存在してた、商用レコード売上げチャート⇒オリコン、ミュージックリサーチ、ミュージックラボ
の3社

有線放送リクエスト⇒CAN SYSTEMリクエストチャート

ラジオ総合 ⇒JNN系列ラジオ局、各局のリクエストチャート総合

ハガキリクエスト⇒番組へのハガキリクエスト

これら、すべてで1位を獲得しないと、はじき出されない得点な訳で・・・、当時のこの曲のパワーを改めて思い知らされますねぇ。

 36年前の今ごろってさあ、ほんと完全にこの曲一色に染まってたもんなぁ・・・ってそんな気がしません?

 ・・・なんて、当時を知らない方も数多くいらっしゃるので、「気がしません?」なんて問いかける書き方もおかしいんだけど、兎に角、毎日、テレビから流れてた・・・って言うようなイメージが未だにあるんだよねぇ。

 チャンネルひねれば西城秀樹が星条旗柄の服着て、この曲歌ってたような・・。

 まあ、そのくらい、当時のフィーバーぶりはすごかったよなぁ。
 もちろん、ワタシもやってましたよ。

 ♪ Y M C A〜 ♪ は

 これ知らなかったら、モグリ(→死語!)だったもんねぇ当時は・・・。

 いや、知らないヒトなんていなかったんぢゃねーの?

 ほんと2歳くらいのガキンチョから、おじいさん、おばあさんまで、みんな♪ Y M C A〜 ♪ やってたもんね。

 まあ、好みが細分化された今では、まず、こういう光景は不可能だろうな・・。
 っていうのが、一番先に頭に浮かんだりして・・・。


 兎に角、元気の出る曲だったわな。今考えると、ことに79年の春頃の曲って、春らしい希望的な元気が出る曲が多かったよなぁ・・・っいうのがイメージにありますね。

 当時主流だったニューミュージックにしても、アイドルにしても・・・。

 さすがに演歌は「希望的な演歌」っちゅうのはなかなかないけど・・・。

 曲のイメージもそうだったけど、曲に重みがあったんだよね。上で書いたようにヒット曲は、みんなの共有財産・・・みたいなところが一番確立されていた頃だと思うし・・・。

 うん、個人的には理想な年代なんだなぁ、これが。

 そんな時代の、大ヒットだったわけだから、まあ、どれだけフィーバー(→死語!)してたか、当時を知らないヒトにもわかってもらえるかなぁ?

 この曲は、もともと向こうの曲な訳だけど、オリジナルはヴィレッジピープルが歌い、ビルボード最高2位っていう大ヒット曲のカバーですわね。

 オリジナルのヴィレッジピープルの方は、いわいるゲイのあっちの方の歌って言われてるけど、正体はレイザーラモンHGのような存在だったらしいですね。

 まあ、それを知ってか、知らずか・・・、日本での西城秀樹バージョンの方は、「青春ポップス」として、「超さわやか」な曲として大ヒットしちゃったって訳ですわね。

 まあ、当時は、そんな事情は知らなかったわけなんだけどさ、改めて当時の外国事情の情報の遅さに感謝!

 ・・・って感じですかねぇ。もし、オリジナルは「ゲイ」の歌よ・・・なんて、知られてたら、ここまで大ヒットしたかねぇ・・。

 ちなみに、この年は日本ではヴィレッジピープルの当たり年で、「イン ザ ネイビー」もピンクレディーが「ピンクタイフーン」でカバーして大ヒットだったもんね。


 なんて、散々持ち上げた割には・・・・

正直言って、個人的には、この曲あんまり好きぢゃなかったりして・・

 いやいや、手垢がいっぱいついてるからさぁ・・・。
個人的には、この次の「ホップステップジャンプ」の方が・・・マル





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リトルガール / 西城秀樹

1981_03_リトルガール_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「リトルガール」西城秀樹です。

 まずはデータです。

・タイトル    リトルガール
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      竜真知子
・作曲      水谷公生
・編曲      水谷公生
・リリース日   1981年3月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数   19.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1981年4月6日〜5月11日付

 まいどまいど〜・・・ってな感じで、今回もどの曲にいたしましょうかねぇ・・・と迷っていたわけなんだけど、あ、きの曲がいいや・・とおもむろに引っ張ってきた曲が

 西城秀樹の「リトルガール」・・・だったりして。。

 あー、えーとね、ちょうど、いま聴いてたの、mp3でふらふら  おーナイスタイミング・・とばかり、ひっぱってきたまでです。。。あせあせ

 いつもながら、とっても安易なワタシふらふらふらふら

 西城秀樹って、今まで、随分書いてきた・・・ような気がするけど、それでも、まーだまだ、曲が有り余ってるんだよなぁ。。。まあ、それだけ長い間、活躍してた・・・って言えるわけだけどさぁ。

 さてさて、今日の「リトルガール」は、この年が、ちょうどデビュー10周年ってことで、記念・・・というわけでもないんだろうけど、「ポップンロール宣言」ってことで、ここから、3曲連続「ガール」シリーズって銘打って、軽ーい50年代風のポップスを立て続けにリリースした、そのシリーズ第1弾シングルでしたね。

 ポップス・・・っつうか、「ポップンロール」っていうくらいだから、ベースはロックンロール・・・というか、ロカビリーというか・・ま、そこまでは激しくなくても・・・って感じのミディアムナンバー中心だったけど。。

 ただ、ま、それが成功したか・・・っちゅうと、けっこう微妙なとろこなんだけどさ。 だいたい、今となっては、10周年の「ポップンロール宣言」なんて、覚えてるヒトのほうが少ないよなぁ。

で、ま、第1弾のこの「リトルガール」なんか、は、もろそんな50年代風のミディアムナンバーでしたね。
 といっても、当時、ワタシャ、50年代風の曲なんて知らなかったから、逆に、新しく新鮮に聴こえたけどなぁ。

 いや、当時の時点からすると、新鮮味という点では、この曲の前の「眠れぬ夜」より全然上だったけどね。
 でも、売れ行きは、全然「眠れぬ夜」に及ばなかったんだよなぁ。

 まあ、秀樹にしては、ちょっとオトナし過ぎたっても言えるだろうけどねぇ。 考えてみれば、当時は、まだ「ヤングマン」の余韻も若干残ってたしなぁ。あんな感じの元気が出るような曲を、お客さんは待ってたような気がする。でも、あえて、裏をかいたわけだけどさ。
 その点は難しいとろこだけどねぇ。。



NHK「レッツゴーヤング」・・・だと思うけどねぇ、これ。

そそそ、当時、こんな「ちりちり」に近い頭してたよなぁ。なんとなく似合わなかったのよ。ふらふら 曲の売れ行きがあんまりよくなかったのも、このせい?

 それよか、バックの生演奏の「リトルガール」だぁ。あ、これ、初めて聴いた。
 うん、当時、「ザ・ベストテン」では、この曲は「カラオケ」だったぞよ、音は。 
 なんでなんだろうなぁ・・・なんて思ってたんだけど、番組によっちゃ「生演奏」でもやってたんじゃん。うん、こっちのほうがぜーんぜんいい感じだわ。


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