今回の1曲セレクトは、「ジャガー」西城秀樹でする。
まずはデータでする。
・タイトル ジャガー
・アーティスト 西城秀樹
・作詞 阿久悠
・作曲 三木たかし
・編曲 三木たかし
・リリース日 1976年6月5日
・発売元 RVC
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 23.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1976年6月14日〜7月26日付
今回の1曲セレクトは、個人的にリアルタイムでヒット曲を掘り始める前の曲。
・・といっても、1976年今頃のヒットだから、リアルタイムでヒット曲を掘り出しためちゃくちゃ前という訳でもないかな?
ヒデキの「ジャガー」
・・というか、↑のデータを見ると、アンタのランキングの最高位書いてるわけで、リアルタイムでしょ・・・
・・とか思われちゃったりもするかなぁ。。。
この曲がヒットした1976年の今頃といったら、ワタシゃ、7歳の誕生日直前の6歳11か月。
小学1年でしたね
さっすがに小学1年でヒットチャート作ってたら怖いでしょ。。
ええ。ワタシのランキング、リアルタイムで毎週ルーティンで作るようになったは1991年1月から。
1990年以前は、1991年以降、時代を遡って作ったものだからさ
ということで、この曲はリアルタイムでは聴いてなかった・・と思うんだけどなぁ。
もちろん、まだヒットチャートの世界には足を踏み込んでいない。
とはいうものの、小学1年ともなるとさすがに物心も付いていたし、あの時代、テレビを見てて断片的に刺さった曲はあったんだけどね。
この年の夏だったら、桜田淳子さんの「夏にご用心」とか。
♪ 白い水着のあとが〜 ♪を聴くと、あの当時、夏休みになると毎年海水浴に行ってた、いわきの薄磯海岸と、帰りに立ち寄った かんぽの温泉施設へ行くまでのクルマの中から見た海岸線沿いの松並木の光景がフラッシュバックしたりね。
ただ、この「ジャガー」については、後年、この曲をちゃんと聴いた時も、そんな光景がフラッシュバックされることはなかった。
・・ということは、当時は、きちんと聴いていなかったのかもしれない。
ただ、1976年という時代の匂いはするんだよね。不思議なことに。
なんちゅうのかなぁ。 ちょっと据えたような古い木造校舎の匂い。
そう、入学した小学校、1年生の時は古い木造校舎だったんだよね。 あの匂いだ。
・・ということは、やっぱり、どこかで聴いていたのかもしれない。
まあ、ここでも何度か書いたかもしれないけども、あの頃「新御三家」では、ヒデキフリークだったからさあ、ワタシ。
いや、フリークと言えたのは、この曲以前、74年の「傷だらけのローラ」の頃までだったかもしれない。
その後、ポールモーリアに頭が移っちゃって、ヒット曲からは離れてたから。
同じく、ヒデキフリークだった母親も、この頃になるとあまり熱狂的じゃなくなってたのも記憶してるし。。。
いや、この「ジャガー」だったんじゃなかったかなぁ。 テレビで歌っているのを見て「今度の曲はあんまよくない」って言ってたの。
うん、この曲だったかどうだったかは記憶してないけども、確かにヒデキの曲をテレビで見て、そういったのははっきりと覚えてるんだけどね。
あの当時、ワタシにとって母親は、まだ絶対的な存在だったからなぁ。だから、ワタシ的にも「よくない曲なんだ」って思ったのは覚えてる。
ただ、そう感じてたのは、ワタシら親子だけじゃなかったんじゃないのかなぁ。
・・・というのも、売り上げ的に見て、この時期(1976〜1977年頃)のヒデキには、70年代前半の「情熱の嵐」「激しい恋」「傷だらけのローラ」のような浮動票を巻き込んだような大ヒットは少ない。
かといって、極端に売り上げが下がった曲もない。
安定期とでもいうのかなぁ。 当時のヒデキの熱狂的なファンには支持されたけども、そうでない人にはあまり刺さらなかったとでもいうかね。
証拠に、オリコンでは、ほとんどの曲でベストテン上位まで進出していたにもかかわらず、ベストテンキープ期間はそれほどロングでもない。
この「ジャガー」もベストテン入りしてたのは1か月半ですから。
まあ、当時、確立された3か月ローテーションリリースとという、あの頃の感覚から言えば矢継ぎ早にリリースされた新曲の影響も大きかったんだろう。
ちなみに、1976年のヒデキは、2/25 「君よ抱かれて熱くなれ」 6/5 「ジャガー」 9/5 「若き獅子たち」 12/20 「ラストシーン」 と、きっちり、ほぼ3か月ごとに新曲をリリースしていたりする。
まあ、ヒデキだけじゃないんだけどね。あの頃のトップアイドルはみんなそうだったし。。。
そんなシステム化されたリリースの中で、いわいる浮動票を巻き込んだような大ヒットも生まれにくくなってきた・・というのはあったのかもしれない。
それと、曲調ですよね。
確かに、ヒデキの代名詞と言える、アッパーなブラスロックは、この曲でも健在でなんだけども。
どこか、いい意味でのワイルドさに欠けるというのかなぁ。 あ、これは、同じヒデキのアッパーブラスロックチューンである「情熱の嵐」とかに比べて、という意味で。
なんちゅうんですかね、ちょっとシングルとしてのまとまりが見えてきている・・というのかなぁ。
うん、シンプルに言えば、この手のブラスロックはちょっとあの時代からは、ちょっと遅れつつあるような印象が、当時もあったんだろうね。
間奏の 「君が死んだら俺は死ぬ でも、俺が死んでも君は死ぬな〜 」からはじまる「クサい」セリフ部分。
あれも、70年代前半だったら、有無を言わさずかっこよかったんだろうけどね。 76年ともなると、あの当時でも、第三者的にはクサさを感じるようになってんじゃないのかなぁ。
いやー、この曲の動画をアップしていただいた方には感謝ですよね。
今、ヒデキと言ったら、「ヤングマン」か「ギャランドゥ」か・・って感じじゃん。
48年前の、しかも売り上げ20万そこそこのスマッシュヒット曲の動画をアップロードいただけるのは、感謝しかないですよね。
それ以前にこんな動画持ってるというのもすごいことなんだけども。。。。
しかしね、↑でいろいろ書いちゃったけども、この衣装はスンゴイですね。
あの頃のヒデキにしかできないですよ、これは。 今も外見のインパクトが重要なのは変わりないけども、今見ると、当時のインパクトには今はかなわないですね。。。
間奏の 「君が死んだら俺は死ぬ でも、俺が死んでも君は死ぬな〜 」は、かっこいいと思った後、笑ってしまいます。。。 やっぱクサいですよ〜。。
ただ、我々世代だと、大人の落ちついた「歌謡曲路線」というイメージが強い、三木たかし氏が、こんな激しい曲も書いてたんだ・・っというのが、少し不思議な気分にもなりますけどね。