1970_05_圭子の夢は夜ひらく_藤圭子






今回の1曲セレクトは、「圭子の夢は夜ひらく」藤圭子です。


まずは、データです。

・タイトル      圭子の夢は夜ひらく
・アーティスト    藤圭子
・作詞        石坂まさを
・作曲        曽根幸明
・編曲        原田良一
・リリース日     1970年4月25日
・発売元       RCA
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数     76.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1970年5月18日〜8月24日付

 親子2代にわたって「歌手」・・・っていうと意外と多いんだよね。最近ぢゃ、2世タレントなんてザラにいますしね。
 
 BUT、親子2代にわたって、ヒットチャートで1位を取る。

 ・・・・となると途端に確率は低くなる。

 オリコンが始まって今年で47年。 その47年の歴史の中で、親子2代にわたって1位を獲得したアーティスト・・・って、なんとたった2組。

1組が、森山良子 森山直太朗 親子

で、もう1組が藤圭子 宇多田ヒカル 親子

となるわけ。

 あ゛、ひとつ加えておくけど、森山良子って1位とってるの? っていう方に・・・ハイ、しっかり1位獲得しているんだよね。
 1969年、禁じられた恋 という曲で7月14日〜9月1日付まで、8週連続1位獲得しておりまする。

 ただ、森山親子は、仲良く1曲ずつの1位獲得。1位の取り方まで親子で似ているわけね。

 それに対して、藤圭子、宇多田ヒカル 親子は、複数曲で1位を獲得しているのよ。

 まあ、ヒッキーについては、改めて説明するまでもないけど、母親の藤圭子さんは、この「夢は夜ひらく」のほかに「女のブルース」で1位を獲得しておりまする。

 当時、1位を複数曲で獲得していたアーティストは、珍しかったんですよ。今と1位の感覚・・そのまえにヒットチャートそのものの構造が違ってたからねぇ。
 「1位」は別の次元の曲だったわけですよ。それを複数曲獲得してたってことは、やっぱり、当時の「大スター」の証だよね。

 ブルースの女王・・・って書くと、とかくジャンルは「演歌」に入れられがちだけど、個人的な考えでは、決して演歌ではないんですよ。
 この「圭子の夢は夜ひらく」も、もろブルースなんだけど、ワタシは演歌には分類しないですね。
 これこそ、日本の元祖R&Bですよ。misiaとかUAと同一線上なんですよ。
 
 演歌の起源は浪曲でしょ。「和」のきわみから派生してるんだよね。でもさ、この曲には、浪曲の要素も匂いも入っていないもの。
 今じゃ、とかく、ブルース、ムード歌謡含めて演歌っていうカテゴライズされちゃいけど、実際は違うんだよね。
 

 しかし、藤圭子って、重い歌が多いよなぁ。

♪15 16 17とあたしの人生暗かった〜 ♪ だもんね。

 これは、少なからず、藤圭子自身を歌った歌なんだよね。実際、流しの親について、あちこち流浪の身の生活を送っていたそうですからね。
 「人生の切り売り」・・・。これが藤圭子のメイン戦略だったんですよね。

 この辺は、ヒッキーとは、全く対照的だよね。

 イメージからすると、蛍光色の宇多田。 暗黒の藤圭子・・っていうかね。

 ただ、あの時代は、「流行歌」というえば、「夜に向かって歌っているもの」という、いわいる「お水」系な歌が主流であって、いわいる「子供」向けのヒット曲はほとんど無かったわけだから、このイメージっていうのは、必然的だったのかもしけないよね。

 それと、もう一つ、藤圭子は、元祖「新宿系」なんですよね。新宿を主な拠点としてイメージされていたっていうかね。
 デビュー曲も「新宿の女」でしたからね。

 やっぱり、夜の混沌としたワイザツさ、ネオンのどぎつさとお水系といったら、新宿なんだよね。

 椎名林檎。このヒトものちのち自ら「新宿系」と語ってたけど、だから、このヒトが元祖ではないんだよね。厳密に言うと。

 ただ、椎名林檎も元をただせば、藤圭子に行き着くんだよね。曲のワイゼツさ、原色のどきつさは、ブルース、あるいはサイケデリックなんですよね。
 「歌舞伎町の女王」なんてのは、もろそうだよなぁ。



しかし、この堂々たる気構えはどこから来るんでしょうねぇ。藤圭子さん、この時19才ですよ、19才。
見えないよなぁ、この落ち着きからして。
最近のキャピキャピウルサイ、どっかのアイドルとは大違いだよなぁ。


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