かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

織田哲郎

Baby Rose / 近藤真彦

1986_09_Baby Rose_近藤真彦



今回の1曲セレクトは、「Baby Rose」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル   Baby Rose
・アーティスト 近藤真彦
・作詞     織田哲郎
・作曲     織田哲郎
・編曲     織田哲郎
・リリース日  1986年9月10日
・発売元    CBSソニー
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  9.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

一人ぶりに、まったくフリーな休日。・・・ってなんか変な表現。。。
休みの日は、通常フリーぢゃないのかい?  ・・・ってところなんだけども、通常の土日は持ち帰りの仕事をやってるからなぁ。。。 休みのようで休みぢゃないのよ。今日のように3連休だと最後の1日は休めるペースになるんだけども。。。

たださあ、ここんところ、睡眠が不規則で・・・・。夜、テレビ見ながらちょっと横になっていると、そのまま寝落ちしちゃうんだよね。 で、気が付くと1時とか2時で・・・。そこから風呂入って、さあ、ちゃんと寝ようと思うと、今度は眠れない。

まるで、井上陽水「西へ東へ」状態。

♪ 昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ〜 ♪ ってあれですわ。

昨日も、この状態に陥って、夜、眠れなくなっちゃってさ。夜中、仕事しちゃいましたわ、朝まで。

おかげで、今日1日、頭ボー。 これまで貯めといたビデオ見ながら、うつらうつら。。。

まあ、台風が接近してきているとあって天気が悪い休日だったんで、いいっちゃ、いいんだけどね。。。 まだ、頭ボーッとする。

いけんねえ、規則正しい生活に戻さなければ。。。。


さて今回引っ張ってきた曲。

まっち先生の「Baby Rose」

この曲は、1986年9月にリリースされた、まっち先生21枚目のシングルですわ。

この曲、まだ書いてなかったんだよねぇ。。。、すでに書いたと思ってたんだけどなぁ。。。。

件のmixi時代に書いて、今のブログに移植し忘れ? ・・とも一瞬思ったんだけども、mixiでも書いてない。まだ、一度も書いてなかったんだよな。ちょっと不覚。。。。

まっち先生としては、上記のように、デビュー曲から数えて21枚目のシングルだけども、前年にCBSソニーに移籍してからは6枚目のシングルとなる。

それまでRVC時代は、オリコン13作連続1位の輝かしい記録を打ちたてた、まっち先生も、CBSソニーに移籍してからは、すっかり迷走状態に入ってましたよね。

たしかに、前年1985年には、「日本歌謡大賞」を取ったりもしたけど、楽曲的には、今一つ方向性が定まらないような曲が増えて来てましたからね。

そんなこともあり、CBSソニーの移籍した時の「ヨイショ!」こそ、1位を獲得したけど、その後はヒットチャート的には低迷が続いていましたからね。

この「Baby Rose」もオリコン最高位6位と、ベスト5にも入れない状態が、すっかり続いてからなぁ。。

ただ、個人的には、この曲、この時期のまっち先生の曲としては、好きな曲だったんだよなぁ。

久々に、それと分かるロックテイストな1曲だったし。

なんやかんや言っても、まっち先生は、ロック傾向の曲が似合うのよ。 ポップス志向のトシちゃんとは、そのあたりできっちりと線引きをされていたわけでさ。

ただ、あの頃のまっち先生は、そのあたりが曖昧だったからなぁ。。。

当時、この曲を・・・どの番組ではじめて聴いたんだっけなぁ・・・。多分、文化放送「決定!全日本歌謡選抜」だと思うんだけども、「この曲は行ける」って、久々にまっち先生の曲に引っかかったのを覚えてるワ。

だけど、ランキングだけを見ると、そこまでの求心力は感じられず。。。そこまで、まっち先生のアーティストパワーは落ちたのか・・・と感じたな。

・・とはいうものの、この曲の前の「青春」よりも、わずかながら売上げを伸ばしたわけだし、やっぱ、まっち先生はストレートなロック路線だよね・・・っていうそれなりの成果はあったんだよね。

この曲を足場として、次の「愚か者」に繋がったわけでもあるし。


ところで、この曲の作詞・作曲者は、織田哲郎氏。  

織田哲郎氏は、いまでこそ、後のビーイング系の最大の立役者の一人と言えるし、この後、膨大の数のヒット曲を世に出していくことになるわけだけども、この曲あたりからでしたよね、頻繁に名前を聴くようになったのは。

もっとも、この年1986年としては、この「Baby Rose」以前にチューブ、大ブレイク曲「シーズン・イン・ザ・サン」の作曲もしているし、この曲が最初というわけではないけど、本格的に名前が売れ出したのは、この曲あたりからだったと思う。

ちなみに、この「Baby Rose」は、もともと、前年1985年リリースの織田氏のソロアルバム「NlGHT WAVES」の1曲目に収録されていた曲ですわ。

まっち先生が、この曲のお気に入りで、コンサートでカバーしたところ大評判になり、シングルとしてカバーした・・という経緯なんだよね。

織田哲郎氏曰く、1985年にこのアルバムをリリースしたころは、精神的にはどん底だったそうだ。

そんな精神状態の時、絞り出したのがこの「Baby Rose」だったようで。

サビの ♪ Everythings gonna be all right  大丈夫さ うまくやれるぜ〜 ♪ というのは、その時のどん底の精神状態を鼓舞するかのように出てきたコトバだったようですね。


その辺りは、織田哲郎氏のブログ「T'sブログ」にも書かれてあったり

↓ コレ




うんにゃ、このブログ内容の動画もあった




いずれにしても、まっち先生にこの曲をカバーしてもらったおかげで、織田哲郎という名前も全国区で知れ渡るようになり、ここから、後年のビーイング系に繋がるって行く事は、間違いないですね。

「曲の人生」・・・わからんもんだな   ・・・というのは、織田氏本人の弁。






この曲がヒットしていた、1986年の今頃は、個人的には「おニャン子」旋風に飽き飽きしていて、当時のヒット曲路線からは、気持ちが離れつつあった頃ですわ。

かわりに、60年代のG.S(グループサウンズ)のガレージさに刺さり始めていて、そっち方面を掘り返し始めていた頃。並行して、70年代のニューミュージック系も本格的に掘り返し始めて、頻繁に蒲田の「えとせとらレコード」に通ってた頃ですね。

だけど、この曲を聴くと、あの当時(1986年今頃)の空気感を感じるわけで、この曲に関しては、↑で書いたように本当に刺さってたんだろうな。

その割には、この曲のレコード音源を手にするのは、これから大分後だったけども。。。。。
ヒット当時は、「ベストテン」から録音したカセットで満足してたんだよね。 

なので、この曲と言えば、レコード音源の「音」よりは、↑の動画のような「歌番組」の音の方がしっくり来たりするんだよね。


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風が通り抜ける街へ / ZARD

1997_07_風が通り抜ける街へ_ZARD


今回の1曲セレクトは、「風が通り抜ける街へ」ZARDです。

まずはデータですよ

・タイトル    風が通り抜ける街へ
・アーティスト  ZARD
・作詞      坂井泉水
・作曲      織田哲郎
・編曲      徳永暁人
・リリース日   1997年7月2日
・発売元     ビーグラム
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   28.1万枚
・THE HITCAHRT HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1997年7月14日〜7月21日付
・タイアップ:JRA 夏競馬CM曲

少し遅くなってしまいましたが、梅雨が明け「夏本番」! それと共に、猛暑の到来。
皆様、お暑ございます。

つい先日の1曲セレクトで今年は長雨の夏か!? なんて書いたような気がするけど、昨年同様、どうやら猛暑の夏になりそうですね。

ヒット曲の世界でも、この曲を聴けば「夏本番」って思える曲が、昔から毎年のようにリリースされてますな。
個人的には、古くは天地真理の「恋する夏の日」(1973年7月1日リリース)、松田聖子の「白いパラソル」(1981年7月21日リリース)、岩崎良美「バカンス」(1982年7月21日リリース)、堀ちえみ「青い夏のエピローグ」(1983年7月7日リリース)なんかは、夏本番を連想させる曲だったりするな。
大体は、7月リリースのポップスですね。で、これらの曲でそれぞれの年の夏のイメージが出来上がったりしてね。

リリースローテーションから、第1四半期末月の6月リリースにも「夏」の曲が多かったりするけど、どういうわけか6月リリースの曲は、たとえタイトル「夏〜」とついても、今一つ「夏本番」を感じさせる曲は少なかったような気がする。

曲調的には、河合奈保子の「夏のヒロイン」(1982年6月10日リリース)あたりですかね。

たしかにモロ夏を感じさせるようなサンバ調のアップチューンだけど、リリース時期と1982年の長雨の影響もあって、今一つ「夏本番」の感じは出し切れなかったようなイメージがあるな。

やっぱり、6月リリースは、梅雨の時期と重なり、夏本番と言うには少し早かったし、アイドルの場合、昔はプロモーション開始・・・ラジオで曲を書けるタイミング・・・時期って早かったですからね。6月リリースの曲でも、早い曲では5月中にはラジオで流れたりしたから、まだ「夏」っていうのは、ちょっとピンぼけだったりしたんだよね。

まあ、そんなこともあって、夏「本番」を感じる曲は7月リリースが多かったんだろうな。


今回引っ張ってきた曲、ZARDの「風が通り抜ける街へ」。

この曲のリリースは1997年7月2日。  個人的には1997年の夏本番を感じさせた曲は、この曲だでしたねぇ。 この曲と、吉村由美(Puffyの片割れ)の「V.A.C.A.T.I.O.N.」。この2曲ですね。

いずれも、当時ニッポン放送の朝のワイド番組「高嶋ひでたけのお早よう!中年探偵団」でかかったのを聴いて、ビビビッと来ちゃったんだよね。

当時、千葉市内の会社に勤務してたワタシは、毎日、車通勤してたのよ。 今はFMの方をよく聴いてるワタシだけど、当時はAMオンリーの人だったんでね。

良く晴れた緑のまぶしい朝。兎に角 すがずかしい夏の朝でさ、窓全開にして、この曲を聴いたのを覚えてるなぁ。

緑がまぶしい夏の朝ってイメージは、天地真理さんの「恋する夏の日」と被るんだけども、この曲を聴くと未だにの日の朝の光景がフラッシュバックしますわ。


90年代も後半に入り、ビーイング系には飽き飽きしていたワタシだけど、この曲は一発で気に入りましたね。ビーイングの夏の曲を気に入ったのは、94年の「瞳そらさないで」(DEEN)以来だったような気がするな。共にすがすがしさから気に入っちゃったんだけども。

ただ、気になったのは、この曲、音がスカスカだった事。
それまでZARD・・・というか、ビーイング系の曲って、一聴でそれと分かるような独特なサウンドと音圧が、ほとんどの曲であったじゃん。

まあ、個人的にはそこに飽きを感じていたんだけども。。。。

この曲は、そんなピーイング特有の「音圧」がなく、音がスカスカなのよ。 サウンドはビーイング特有でしたけどね。

夏本番ということで、聴きやすさを優先したのかしらん!? そこは分からないけど、音がスカスカなのは気になった。
音数が少なかったということもあってか全体的なインパクトも薄かったし、だから、これはあんまり売れないかもな・・・とはリリース当初から思ったな。

まあ案の定、 前曲「君に逢いたくなったら・・・」の64万枚から、この曲では28万枚セールスに一気にダウン。

そんなセールスの動きから、さしものZARDもここまでか・・・と思ったら、この曲の1か月半後にリリースされた「永遠」では63万枚にV字回復したわけだけど。。。

「風が通り抜ける街へ」とは逆に、ZARDの曲の中でも音圧が高い「永遠」でセールスが回復・・ということで、やっぱりビーイングには、独特のサウンドと音圧が必要なのか・・とは、当時思ったりしたな。

もっとも、「永遠」は当時、社会現象化してたドラマ「失楽園」の主題歌だったこともあったけど。。。 逆に言えば、だから、もっと売れても良かったとも思えたりもしたんだけどね。

でも、そんな不安は的中したようで、「永遠」のセールスV字回復を最後に、売り上げは下降線となったわけだけどね。




それにしても、この頃って、ZARDと、MY LITTLE LOVERが交互にシングルリリースしてたイメージが強いんだよね。

ZARDのこの曲の少し前にマイラバは「ANIMAL LIFE」をリリース。 で、この曲を挟んで、8月にマイラバが「Shuffle」をリリースしたと思ったら、ZARDが「永遠」をリリース・・・と。
両者リリース間隔が、ほぼ同じになっていたんだよね、この時期。

ZARDの「永遠」以外の3曲は、いずれもスマッシュヒット止まりということもあり、今となっては死角に入ったような曲ではあるけども、個人的にはいずれの曲も好きなんだよなぁ。

これは、スマッシュヒット止まりということもあって、未だに手垢が少ないということも含めてだけど。。。

97年の音源っていまだに、持ってる曲数が少ないんだけども、この4曲の音源は当時から手元にありますね。


で、この4曲を最後に、個人的には暫くヒット曲の世界から少し距離を置くことになるんだよね。

まあ、当時の仕事が忙しくなった事もあるんだけども、将来的なことを考えだしたのもこの頃だったと思う。
特にインターネットに急速に興味を持ち始めて、いろいろと調べ始めたのが97年夏ごろだったな。
で、97年の秋にISDN回線を導入し、インターネットにつないだのがこの年の年末。

それと共に、暫く曲を置いていたヒット曲の世界に、再びコミットすることになるんだけどね。



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このまま君だけを奪い去りたい / DEEN

1993_05_このまま君だけを奪い去りたい_DEEN

今回の1曲セレクトは、「このまま君だけを奪い去りたい」DEENです。

まずはデータなのだ。

・タイトル    このまま君だけを奪い去りたい
・アーティスト  DEEN
・作詞      上杉昇
・作曲      織田哲郎
・編曲      葉山たけし
・リリース日   1993年3月10日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  129.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1993年4月5日〜6月14日付
・タイアップ:NTTドコモ「ポケットベル」CM曲

えー、久々に「土日」以外、平日に書いてる1曲セレクトどぇす。
本当は、仕事で疲れてるし、また週末に書こうかなぁ・・・なんて思ったりしてたんだけども、なんか、落ち着かなくてPCに向かってたりします。
実は、昨日書こうと思ってたんだよね。今回の曲。

DEEN「このまま君だけを奪い去りたい」

いや、昨日、いつものごとく会社から「持ち帰り」の仕事を、東京FMでやってた「DEEN」特集を聴きながらやってた訳よ。
まあ、当然のごとく、この「このまま君だけを奪い去りたい」が流れたんだけどさ、ふと、「この曲書いたよなぁ」・・ってのが浮かんできて、おもむろに過去のアーカイブスを調べたら・・・

むむむむ、まだ、書いてないではないか

流石にねぇ、「ミリオンセラー」の曲を書いてないのは、マズイよね・・・って訳でさ、書こうと思ったんだけども、昨日は「持ち帰り」の仕事が終わんなくてねぇ・・・。今書いてる訳なんですわ。

本当は、別に書こうと思ってた曲があったんだけど、こっちの方が先かなぁ・・・なんても思った訳で。。。


この曲、DEENのデビュー曲なんだよな。デビュー曲にしていきなり130万枚近くのミリオンセラー。

うーん、これも当時の「ビーイング」ブームの恩恵の賜物って奴なんだろうなぁ。

そそそ、作家陣を見れば、一目瞭然な訳なんだけども、当時はビーイング系だったのよねDEENって。

93年の今頃、ビーイング系がもっとも勢いがあった頃だ。

そして、ワタシはと言うと、ビーイング系に最も「飽き飽き」としていた頃だ。  うむ、いつもながら「天邪鬼」なワタシだ。

たってさあ、ヒットチャート聴いてると、あれもこれもビーイン系一色でさあ・・・。 1位は週替わりでとっかえひっかえビーイング系だったし、流石に飽きるってもんですよ。

まあ、後年のエイベックス系、いや、最近のAKBグループを思っていただければいいか、当時を知らない方は。

プロデューサーの時代。

90年代を称してそんな風に言われるけどさ。 90年代後半は、小室やつんく♂がそうだったじゃん。 それに先立って、90年代前半はビーイング系だったわけだ。そそそ中心人物は総帥の長戸大幸氏。

あざとい売り方ではあったけどさ、曲はキャッチーだったんだよな、ビーイング系のどのアーティストも。
当時一大ブームだった「カラオケ」で歌える事っていうのが大前提にあったからねぇ。
ビーイング系の曲は、カラオケ受けが良かったからなぁ。

だから・・という訳でもないんだけども、前年の92年頃までは、個人的にもキライじゃ無かったんだよねビーイング系も。。。

でも濃い牛乳を毎日飲むと飽きる・・・っていうのと同じように毎週毎週、キャッチーで「濃ーい」サウンドの曲を聴いてるとさ、飽きる訳さ。

そそそ、ビーイング系の曲って一様に「濃い」サウンドだったからなぁ。

まあ、 当時ティーンエイジャーであれば、そんな「濃い」味付けの曲を、いくら聴いても「胃もたれ」しなかったんだろうけどさ、なんせ、当時既に23才にもなってたからさあ、 濃い味付けのモノを食べ過ぎると胃もたれをするようになってきていた訳さ。

そんな最中のDEENのデビュー曲ということもあって、正直言うと、ヒットの真っただ中の頃は、この曲、あんまり触手が伸びなかったんだよな。 今まで1曲セレクトで書いてなかったのは、そんな記憶が残っているからなんだろうなぁ。

もちろん、当時、全く聴いてなかった訳ではなく、例えばbay fmの「パワーカウントダウン」からエアチェックした音源を「たしなみ」程度は聴いてたんだけどね。 でもCDは手元に置いてなかったな、当時は。

だけんども、結構なロングヒットだったんだよね、この曲は。
リリースはこの年1993年の3月だったんだけども、最初はそれほどのヒットじゃ無かったんだよ。 
ドコモのCMで浸透してからじゃ無かったかなぁ。 そそそ「ポケベル」のCM。

うーむ、時代を感じますねぇ「ポケベル」よ。 いまや知ってる人しか知らない・・ようなアイテムだけど。。。
考えてみれば、あれから「四半世紀」だもんね。

・・・おっと話が脱線した。 ま、そんな訳で、この曲については、下位からジワリとランクアップするようなチャートアクション、いわいる「丘型」のチャートアクションを見せた訳だ。
ヒットのピークは、 リリースから2カ月が過ぎようとしていた、5月、ゴールデンウイークの頃だったもんね。 そそ、ちょうど25年前の今頃ですわ。
まあ、ロングヒットの典型といいましょうか、デビュー曲ならではのチャートアクションとも言えるんだけどさ。

そんなロングヒットが功を奏したと言いますかね、デビュー曲にしてDEEN最大のヒットとなった訳なんだよね。

余談だけども、この曲を皮切りにビーイングってやたらと長げぇ曲タイトルばっかになったんだよな。
まあ今にすれば、あれも一つの時代だったのかもしれないけどさ。



↑で書いたようにヒット当時、積極的にこの曲に触手が伸びなかったのは、ボーカルの池森氏への嫉妬心って言うのもあったのかもなぁ。
うん、同じ昭和44年生まれって言うのがあってさ。 このヒトの歌の「巧さ」に妬いてたっ中かねぇ。まあ、青かったのよ、当時のワタシは。

今聴くと、やっぱ良い曲なんだよな、この曲。


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ウソツキ / 上戸彩

2004_12_ウソツキ_上戸彩


今回の1曲セレクトは、「ウソツキ」上戸彩です。

まずはデータです。

・タイトル      ウソツキ
・アーティスト    上戸彩
・作詞        織田哲郎 NORI
・作曲        織田哲郎
・編曲        織田哲郎 長田直也
・リリース日     2004年11月17日
・発売元       ポニーキャニオン
・オリコン最高位  12位
・売上げ枚数    2.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位(2004年12月2日付)

うー、仕事が終わんねーよ。。。 あ、「生業」の仕事ね。
と言っても会社に居る訳じゃないんだけどさあ、家に持ち帰って仕事してるのね。 昨日から12月でしょ。来月年が明けた途端、怒涛の「繁忙期」月間が待っている訳で、今のうちから少しでも前倒しで処理をしておこう・・と今からガムバっているんだけど。。。。どこまで行っても出口が見えないスパイラル・・・。

う〜気持ちが切れそう。。。

そういえば、振り返ってみると、昔も、丁度今頃に「出口が見えないスパイラル」に嵌まった事があったよなぁ。

そうだ、2004年、13年前の今頃だ。

あん時は、気持ちの整理が付かなくて、結局最終的には、プッツリと気持ちが切れちゃったんだよな。

まあ、何がどうなったのか、ここでは詳しくは書かないけど。。。


こういう、あの時の思いに浸ってみようか・・・・ということで、その時、ワタシの頭の中でぐるぐるとエンドレスで流れていた曲を、今回の1曲セレクトでは一つ。

上戸彩「ウソツキ」。

あややや、今となっては、完全に「知ってる人しか知らない」曲かなぁ。 

アイドル系の曲を書いた時は、いつも以上にアクセスしてくださる事が多い「1曲セレクト」だけど、この曲は、流石に食い付きが悪いかもなぁ。
いつも書いてる年代に比べると、ずっと最近( )なんだけどね〜。


上戸彩さん、まあ、今は某EXILEのリーダーHIROの「奥方」となられた訳で、最近ウタは、ほとんどやっていないけど、2000年代の頃は、れっきとした「アイドル」だった訳ですよな。

アイドル専業ではなく、女優をやりながらのアイドルということで、形から言えば80年代型アイドルに近かった訳だけど。

ただ、個人的には歌手デビューから暫くは、このヒトの歌についてはほとんど興味が無かった・・・っていうのがホンネだったんだよね。

まあ「着メロ」のセレクターをやってる頃だったから、仕事としては聴いてたけど、個人的な音源収集のターゲットではなかったって事かな。 引っかからなかったんだよね。

どこか、淋しげ・・というかさあ、気分が落ち込むんだよなぁ、このヒトの声質って。 まあ、個人的に・・かもしれないけど。
 アイドルって言うと、きゃぴきゃぴとした明るい声質・・っていうのが定番だった訳だけど、どうもこのヒトの声は「影」が見えたんだよね。 うん、顔はアイドルスマイルなのにさ。 そのアンバランスさに違和感を感じたのかもしれない。


でもねぇ、この「ウソツキ」って曲の、前曲、この年の「夏」に出した「あふれそうな愛、抱いて」って曲に、なぜか引っかかっちゃっただよね、ワタシ。

恐らくね、曲調がめちやくちゃ80年代「前半」アイドル的だったから・・・、それだけの理由だったかもしれないけど

たださ、サウンドは夏っぽいのに、このヒトの声質が、いつものように今一つ、「元気さ」感じなかったために、折角、夏っぽい曲なのに、少し陽が翳った夏の午後的・・・そんな印象になっちゃってるのが惜しいところなんだけど。。。

ま、いずれにしろ、その流れで、次のこの「ウソツキ」って曲にも引っかかったってところはある。

でも、それ以上に、この曲のサウンドなんだよな、引っかかったのは。 イントロからも分かるように、フォルクローレ調。 そそそ、南米の代表的な民謡だよね、フォルクローレって。

文字づらでは分かりづらいってかたは、例えば「コンドルは飛んでいく」とか思う浮かべてもらえは分かるねんじゃないかなぁ。

アンデスの民族楽器であるサンポーニャって言う横笛の独特のさびしげな音色が特徴的な、あの曲調だよね。

実は個人的に、この曲調が大好きなんだよなぁ。 雄大なアンデス、乾いた大地、青い空、白い雲・・・、いかにも南米アンデス地方を思い浮かべるような。

この曲調に魅せられて、いつかは南米、アンデスを訪れてみたい・・・。なんて、以前から思ってたし、今でも思ってたりするんだけどね。。。

まあ、そんなわけで、このフォルクローレ調の曲って大好きなんですわ。

ま、この辺は、ずっとまえに、石野真子さんの「彼が初恋」の時にも書いたような気がするけど。。。

ともかくも、そんなフォルクローレ調を持ってきたこの曲は、初めて聴いた時から手放しで気に入ってたんだよな。

そもそもサンポーニャの淋しげな音色と、上戸彩さんの淋しげな声質がマッチしてるしさ。 木枯らしが吹き、枯れ葉舞うこの季節にもマッチしていたと思う。

その辺は、流石に90年代からのヒットメーカー、織田哲郎氏。 上戸彩さんの声の特徴と、季節感をウマくマッチングさせたよな・、 そんな風にも感じる1曲なんだよな。

まあ、実際のところ曲調は、同じく織田哲郎氏がKinKi Kidsに提供した「僕の背中には羽がある」に、もろクリソツなんだけどさ

↓コレ




でも、そんなことはどうでもいいな。 個人的には上戸彩さんに一番マッチした曲だったと思うな。

ただ、売り上げ的に言えば、全然だったんだよねぇ。 オリコンでもベストテン入りも出来なかったし。
そう言えば前年の同時期にリリースした「微熱」っていう、同じく失恋系の曲も売れなかったんだよな。

上戸彩ファン的には、この手の失恋曲は興味外だったのかなぁ。。。




・・・・ということで、終わりが見えない仕事に、今回は気持ちが切れないようにしなきゃなぁ、なんて思っている今日この頃だったりして。。。



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咲き誇れ愛しさよ / Wink

1993_10_咲き誇れ愛しさよ_Wink


今回の1曲セレクトは、「咲き誇れ愛しさよ」Winkです。

まずはデータどぇす。

・タイトル        咲き誇れ愛しさよ
・アーティスト  Wink
・作詞      大黒摩季
・作曲      織田哲郎
・編曲      葉山たけし
・リリース日   1993年9月8日
・発売元     ポリスター
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  33.7万枚
・THE HICHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1993年10月4日〜10月18日付
・タイアップ:資生堂「プルミエ」CM曲

最近、セレクトした曲がいざ書こうと思ったときに過去のアーカイブを調べたら、1度書いちゃった曲に当たる事が以前以上に多くなってきたんだよなぁ。
今回も、最初はマッキー(槇原敬之)の「SPY」を書こうと思ってたの。でも先ほどアーカイブ調べてたら1度書いてんだよな。。。。。

うーむ、こういう時って意外と凹むんだよなぁ。なんせ、書こう決めた時ってその曲のモードになっちってるからさあ、頭ん中が。。。

でもまあ、しゃあない・・・と思いーの、他の「今頃」のヒットを物色してたら・・・、ありましたよ。

Wink「咲き誇れ愛しさよ」

うーむ、この曲、まだ書いてなかったんだな。
個人的に、この曲好きだったからさあ、てっきり既に書いてもんだとばかり思ってた。

この曲は1993年9月リリース。リリースから1カ月ほどたった今頃がヒットのピークだった曲ですわ。
Winkとしては、92年10月の「リアルな夢の条件」以来、ちょうど1年ぶり、リリース曲としては3作振りのベストテン返り咲きになった曲ですね。

しかも売り上げ30万枚突破したのは、90年3月の「Sexy Music」以来3年半ぶり・・・と、まあ、久々に スマッシュ的なヒットになった1作でしたね。

まあ、30万枚突破と言っても、90年の「Sexy Music」の時の30万枚と、93年当時の30万枚っていうのは「価値」がちょっと違ってたけどね。
 そそそ、その間に業界的には「メガヒット」な時代に突入してきており、30万枚と言っても、それほど「売れている」って言う実感は感じなかったんだよね。
 80年代では、大ヒットの基準と言われた30万枚という売り上げも、93年当時は「スマッシュヒット」くらいの実感
しかなかったんだよな。

だからね、最初に書いたように、個人的に、この曲好きだったんだけど、もっと売れても然り・・・なんて思ってたもんだよなぁ。

まあ、作詞・大黒摩季、作曲・織田哲郎、編曲・葉山たけし、なんちゅう、めちゃくちゃビーイングな布陣だったこの曲は、ビーイングらしく、キャッチーなメロディの中に、アクのあるインパクトが強い曲だったな。

まずもってイントロからして、ビーイング   うんにゃ、葉山たけしだぁ、文句あっか  って感じの、葉山印の印籠を出されたようなインパクトがあったしなぁ。

なんちゅうのかな、アラビアン・・というか、西アジアテイストな響きのあるサウンドに、ロシア民謡的なメロディが絡んでくる、当時としてはちょっと不思議な感じがするメロディラインだったのが印象的だったんだよな、この曲。
いや、そこに新鮮味を感じたのかもしれない。と。同時に、どこか儚さをも感じたりしてね。

その儚さが、「秋」っていう季節・・・いや温度感にマッチしてたんだよな。

織田哲郎氏って、この手の「儚さ」を感じるようなメロディラインって、今頃の季節になると時々出して来るんだよな。例えば、96年秋の相川七瀬「恋心」とかさ。根っこの所は、この曲と似たようなイメージがあったじゃない


ま、資生堂の「プルミエ」のCM曲として、当時、ヘビーローテーション的に流れていたのも大きかったけど、一度聴いたら耳から離れない、儚さを感じるメロディラインも、3年ぶりに30万枚と言うヒットに繋がった要因だったんじゃないかなぁ。

たださ、Winkとしては、この曲が最後のベストテン入り作品なんだよね。 この後は急激に売り上げもダウンしていくことに。。。。

まあ、今から考えるとベストテン時代の最後の、大ブレイカーだったWinkなわけで、いわば最後の80年代型大物アイドルだったわけですわね。
 結局、80年型アイドルって、テレビに出て「ナンボ」ってところが大きかったからさ、歌番組がどんどん無くなっていた、90年代初め、歌う場が少なくなったってのは一番大きかったんだろうね。

この曲は、そんな中で放った、最後の「光」って感じだったのかな・・・。

なんて最後は綺麗にまとめてみたりして




PVですね。っていうか、初めて見ましたわ、この曲PV。
うーむ、当時、COUNTDOWN TVでも流れてたはずなんだけどな、全く記憶が無い。
もっとも、この当時、COUNTDOWN TVもあんまり見てなかったが・・・。 いや、その前に、丁度93年の10月から、水曜日深夜から今と同様に、土曜日深夜に移ったんだけど、それ、暫く知らなかったんだよな。


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おどるポンポコリン / B・Bクイーンズ

1990_08_おどるポンポコリン_B・Bクイーンズ


今回の1曲セレクトは、「おどるポンポコリン」B・Bクイーンズです。

まずはデータです。

・タイトル    おどるポンポコリン
・アーティスト  B・Bクイーンズ
・作詞      さくらももこ
・作曲      織田哲郎
・編曲      織田哲郎
・リリース日   1990年4月4日
・発売元     BMGビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 164.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1990年5月14日〜10月29日、11月12日、1991年1月14日〜1月28日付
・タイアップ:フジテレビ系アニメ「ちびまる子ちゃん」エンディングテーマ & オープニングテーマ

ブームはいつやって来るかわからない。 いや、だから、熱狂的なブームって来るんだろうね。最初っから、これ流行るってわかってたら、それほど熱狂的に大多数のヒトが食いつく訳がない訳で。。。

・・・・なんて、いつもとはちょっと毛色が違うマクラから始めてしまいましたが・・・。 はい、今回は、そんな「予期」もしてなかった一大ブームとなったこの曲を。

B・Bクイーンズ「おどるポンポコリン」。

言わずと知れた・・・ってくらい、ほとんどの方が知っているであろう、アニメ「ちびまる子」ちゃんの「初代」エンディング・テーマ曲ですわ。

・・・・なんて書くと、「え?」なんて思う方もいらっしゃるかなぁ・・。 そうね、最近の「ちびまる子」ちゃんでは、この曲エンディングではなく、「オープニング」曲になってるもんね。

でも、当初は、紛れもなく、この曲は「エンディング」曲だったのですよね。

ぢゃ、初代オープニング曲は? ・・・っていうと、

↓この曲


関ゆみ子さんの「ゆめいっぱい」。

あっ懐かしいなぁ・・・って言う方は、それなりのお年かなぁ。
なんせ、今年で26年も続いているアニメな訳で、当初から見てる・・・・って方は、少なくとも26才以上だもんね。

個人的には、この曲の方が「ぽんぽこりん」よりも、90年の「夏」を思い出すなぁ。
90年の夏、この曲が頭んなかをヘビーローテーションしてたんだよなぁ。

ワタシねぇ・・・っていうと、意外と最初の頃から見てるんだよね、「ちびまる子ちゃん」って。
放送開始が1990年1月でしょ。 ワタシねぇ、この年の3月には確実に見てるんだよね。

大相撲の流れで、NHKからフジテレビに合わせていたのが、当時のルーティーンだったからなぁ。
だから、大相撲の1990年の3月場所の後にフジに回したら、たまたまやってた・・・って感じだったんだよな。確か。そそ、予備知識もなんも分かんないで見始めたんだよ、たしか。

で、エンディングの「おどるポンポコリン」だよね。 オープニングの「ゆめいっぱい」は如何にもアニメのオープニングだったのに対して、「ポンポコリン」は一体何もんなんだ? なんて当初から気になったのは確か。

まさかね、ビーイングのアーティスト集合体、いわば「覆面バンド」なんて思いもしなかったからな。

まあ、その前に、この曲の当時は、後の「ビーイング」時代・・・と呼ばれるほど、ビーイングは一般的ではなかったんだよな。B'zも、まだ本格的ブレイク目前の頃だったし、TUBEぐらいか、ビーイングでメジャーだったのは。

しかも、ビーイングの中でも「実力」肌と名高かった、ギターの近藤房之助氏を筆頭に、ボーカルの坪倉唯子、ベース、栗林誠一郎、コーラス Mi-ke とその後のビーイングの中心人物となって行く方々が参加。

・・・・とどう見ても、こんなコミックソングを歌うような人たちが歌っているとは考えられなかった陣容だったよな。

まあ、だから、そんな意外性が大いに受けたんだろうしね。 なにより、音楽を知っているヒト達がやってる「おちゃらけ」だったからこそ、おちゃらけでも音楽的には崩れてなかったっていうのも良かったんだろうな。

なんせ、あの頃の主な「支持者」といったら、当時の「おこちゃま」達でしたからねぇ。
ま、最初からそれが狙いだったのか 意外にもそうなっちゃったのかっていうのは、よく分かんないんだけどさ。

ただ、少なくとも「子供」が一番のお客さんだった事には変わりはなかった訳で。。。
でも、子供って言うのは、逆に言えば大人以上に「シヴィアー」だからねぇ。音楽だって、「ホンモノ」ぢゃないとすぐそっぽを向く所ってあるじゃん。
 でも、そこは「音楽のプロ」集団だった事が長期間にわたって「子供」に受け、結果的に超ロングヒットになった要因なんだろうな。


・・・なんてのは、後付的に言える事であってさ、少なくともヒットする前から見てると、まさか、ここまでヒットするとは考えなかったよな・・・っていうのき正直なところなんだよね。
 おりしも、この時は、あの「およげたいやきくん」からは15年だったわけで、・・・そう言う意味では、忘れた頃に子供が絡んだ大ブームっていうのはやって来るんだよねぇ・・・って感じだったよなぁ。




それにしても、近藤房之助氏、よく手袋してギターが弾けるよな・・
うそうそ、弾いてないやん


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Beach Time / TUBE

1988_06_BEACH TIME_チューブ


今回の1曲セレクトは、「Beach Time」TUBEです。

まずはデータです。

・タイトル     Beach Time
・アーティスト   TUBE
・作詞       亜蘭知子
・作曲       織田哲郎
・編曲       織田哲郎
・リリース日    1988年4月30日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   17.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1988年5月23日~6月27日付
・タイアップ:キリン「キリンレモン'88イメージソング」

えー、先週書いた「サマードリーム」に引き続いてTUBEです。
この間も書いたけど、「夏はTUBE」ってことで、暫くは集中的に書いていこうかな・・・と思っておりまして、なんか頻繁だなぁ・・・とは分かっているんだけど、引っ張って来ちゃいました。

今回は、前回の87年「サマードリーム」の翌年88年の今頃のヒットだった「Beach Time」。

・・・・と言うモノの、もしかすると今となっては「忘れられてる」ような1曲かもしれないなぁ。
「夏はTUBE」ということで、当時、毎年のこの時期に新曲リリースしていたTUBEだけど、この曲は、あんまり派手には売れなかったからなぁ。
前年までは20万枚を上回っていたレコード売り上げも、この曲では20万枚割れだったしね。

まあ、曲調が曲調だったからねぇ。。。正直言って、前年の「サマードリーム」とどう違うの? って言うくらいイメージが似てたからなぁ。さすがに3年連続で、亜蘭知子 織田哲郎ペアの作品ともなると、飽きられてきていたっていうのは隠せなかったよね。

ただね、一番致命的だったのが、この年1988年っていうのが、記録的な「冷夏」だったんだよね。その影響が一番大きかったろうねぇ。
前回、大黒摩季の「夏が来る」で書いたのとは「真逆」な展開(気候)だった訳ですね。

そそそ、「夏が来る」の94年は、曲のイメージ通りの「暑い夏」だったために、ヒットが加速した訳なんだけど、逆に88年は、記録的な「冷夏」だったために、「夏の曲」と言われても、全くピンと来なかった訳なんだよね。
 
あの年は、夏の間中ずっと天候不順な日が続いて、夏らしくない涼しい日が続いたんですよ。真夏日も数えるほどしかなかったと思う。

そんな影響は大きかっただろうな。仮に、1988年が1994年のように「暑い夏」だったととしたら、同じような曲調が続いて飽きられてきたように思えても、もっと売れてただろうね。 少なくとも20万枚割れって事はなかったんじゃないかなぁ。ま、あくまでも「推測」の範疇ですけどね。
 でも、楽曲イメージと実際の気候っていのうは密接に関係していると思うなぁ。
最近は、夏場だから「夏っぽい曲」。秋だから「飽きっぽい曲」・・・って感じで季節を感じる曲って少なくなってきたからねぇ、こんなこともあんまり感じ無くなってきたように思えるけどさ。



個人的には、この年は大学受験の「浪人」生活を送っていたんでねぇ、この曲なんか聴くと、あの暗黒な状態を思い出すな。


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サマードリーム / TUBE

1987_05_サマードリーム_TUBE








今回の1曲セレクトは「サマードリーム」TUBEです。

まずはデータです。

・タイトル    サマードリーム
・アーティスト  TUBE
・作詞      亜蘭知子
・作曲      織田哲郎
・編曲      織田哲郎
・リリース日   1987年4月10日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  21.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1987年4月27日~6月29日付
・タイアップ:キリン「キリンレモン'87イメージソング」

なんか毎回書いてるようだけど・・・・「暑ちぃ」1日だったわい。 東京も30℃を越え、真夏日だったぞい。 え? 真夏日 本当に5月 って言いたくなるよなぁ。

こりは、今回は「ナッツ~」な曲を持って来たいですな。

うーん、そう言えば夏といえば「TUBE」・・・なんて言われてたのに、今まで「TUBE」の曲ってあんまり書いてなかったような・・・気がするな。。。
 こりは、春先にアルフィーを「集中的」書いたように、これから夏にかけてTUBEを集中的に書くしかないかなぁ・・・。 なんて思ったりして。

でぇ、今回は87年の「サマードリーム」。 

え? 「シーズン・イン・ザ・サン」ぢゃないのかって? うーむ、残念ながら「シーズン・イン・ザ・サン」だけは、すでに書いちゃったんですねぇ。 なので、今回は86年の「シーズン・イン・ザ・サン」に続き、87年の「サマードリーム」・・・とな。

夏はTUBEと大団的に言い切ってしまったワタシなんだけど、じつは、この曲リリースは「4月10日」なんだよね。
まだ、「春」サクラが咲いてる頃のリリースだったんだよなぁ。

いつかも書いたように80年代って季節先取りな傾向が強くて、4月なのにタイトルに「夏」がつく曲リリース、結構多いんだよね。
 まあ80年代も最初の頃は、リリースされてからヒットのピークまで、ある程度の時間を要していたんで、ヒットのピークを迎えた頃、「夏の匂い」を感じることが多かった訳でさ。だから、4月リリースでも納得できた。

でも、80年代も中盤を過ぎると、初登場=ヒットのピーク・・・なんて今と変わらないチャートアクションの傾向がアイドルを中心に起こってきた訳でさ。
 そうすると、4月、リリース時点で「夏」を感じなくちゃならない。  ・・・・なんてそんなこと出来る訳ないじゃん。
4月なんてさあ、まだ寒いですよ~。 だから、タイトルに「夏」がついてもピンボケな曲が多くなってきてたんだよなぁ。

うむ、この曲も本来ならそんな「ピンボケ」な曲になってしまいそうなんだけど・・・。

でも、この曲、4月中はそれほど大きなヒットじゃなかったんだよね。5月には入ってジワリとチャートを上げてきたって感じのヒットだったわけですわ。
まあ、さすがに、アイドルとは違って、季節を感じるごとにヒットしたって訳ですね。

 曲的には、基本、前年の「シーズン・イン・ザ・サン」と変わらない色合い。まさに「ナッツ~」っていう温度感の曲なんだけど、でも、「シーズン・イン・ザ・サン」に比べると、若干大人し目だったかなぁ。
 うん、ワイルド感は少なかったよね、「シーズン・イン・ザ・サン」に比べると。 その分インパクトも少なかったんだよね。
 なんていうのかねぇ、ちょっと品行方正な感じに落ち着いちゃった・・・っていうかねぇ。 まあ大ヒットの後の第2弾なんてのは、こんなもんなんだけどね。

ただ、この曲の頃は、ワタシもTUBEって割と好きで、この曲もリリースしてすぐにレコードを買ったような気がするなぁ。
ただねぇ、この年、余りにも聴きすぎて、いい加減に食傷気味になってのを覚えてるなぁ。
 いや、それは今でも続いていて、正直言うと、この曲には飽きちゃってるワタシがいたりしてね。 うん、なんかさ、あんまり聴きすぎて、新鮮さを全く感じなくなっちゃったんだよなぁ。。。残念ながら。。。



あ、この動画、曲が途中で切れてる。。。。
「フル」バージョンぢゃなくてスミマセン。。。でも、意外とこの曲の動画って上がってないんだな。。。



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世界中の誰よりきっと / 中山美穂&WANDS

1992_12_世界中の誰よりきっと_中山美穂&WANDS



今回の1曲セレクトは、「世界中の誰よりきっと」中山美穂&WANDSです。

 まずはデータです。

・タイトル    世界中の誰よりきっと
・アーティスト  中山美穂&WANDS
・作詞      上杉昇 中山美穂
・作曲      織田哲郎
・編曲      葉山たけし
・リリース日   1992年10月28日
・発売元     キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   183.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月9日〜1993年2月15日付
・タイアップ:フジテレビ系ドラマ「誰かが彼女を愛してる」主題歌

 今回の1曲セレクトは、超ド級ヒットとなった、この曲です。

中山美穂&WANDS 「世界中の誰よりきっと」。

何も言わなくても、みなさんよーく御存じですよね。
メロディラインはキャッチーだし、それに、なんせオリジナルが183万枚もの、超ド級ヒットだったしねぇ、だれでもなじみがある曲っていうのもデカイかな。
 それと、当時のヒットの中心のユーザー層の年齢が、ちょうど、この曲がヒットの中心層だったってこともあるだろうな。

・・・まあ、簡単に言えば、ワタシらの年齢層がまさに、そのターゲットになってるってことかな。 第2次ベビーブーム世代。この世代の市場は本当にデカイんよ。だから、当たるとこんな超ド級のヒットも出ちゃうわけさ。
そそそ、某アイドルグループみたいに「大人買い」なんてされなくても、この位の売り上げ枚数になっちゃっていた訳よ。 

 伏線として、あの頃ってばさ、折からの「カラオケブーム」もあって、みんな歌ってたよね。この曲。
 男女グループだったら、絶対歌ってたんじゃない?

 メロディはキャッチーだし、メロディラインも、あのころの曲としては比較的シンプルで簡単だし、なにより、ビーイング系の曲としては、キーが高過ぎないって言うのが便利。

 まさに、カラオケで歌ってください・・・と言わんとしている様な曲というか・・・ふらふら


 ところでさ、この曲って、結局、メインは、中山美穂とWANDSとどっちなんでしょう?

 あのころは、今みたいに「・・・feat.〜」っていう表記がなかったから、どっちがメインなのかよく分かんないまま聴いてたような気がするなぁ。

 でも、発売元はキングだから、やっぱし中山美穂がメインなのかしら? タイアップのドラマも中山美穂だったしね。


 たださ、中山美穂とWANDSっていう「ビーイング」の組み合わせって、全く考えも付かなかった・・・って思いませんでした〜?

 いや〜、ワタシは、どういうつながりなんだろ? って当時から気になってたんだよなぁ。

 なんか、そっちの方が気になって、当時、あんまり真剣にこの曲、聴けなかったような気がする。

 それまで、全くビーイングと中山美穂ってつながりがなかったんだけどねぇ。

 しかもWANDSってところが、また、ミソでさ。 なんでWANDSだったんだろ?

 たしかに同時期に「もっと強く抱きしめたなら」でWANDSがブレイクしているんだけど、どっちかと言うと、この曲に引っ張られるような形で「もっと強く〜」ってランクを上げてるんだよね。

 ・・・と言うことは、この曲を制作している段階では、まだWANDSはブレイクしていなかったはず。

 うーん、ブレイク前の無名アーティストと中山美穂の組み合わせなんて、普通だったら、有り得ないと思うんだけなぁ・・・。



 ちょっと穿った考えではあるけど、WANDSをブレイクさせるために、中山美穂・・・というか、所属事務所のビックアップル⇒バーニングを利用したっていうところはないかしら?

 いやいや、したたかな長戸大幸氏だったら、その位のことは、してもおかしくないはず・・・。

 結果的に、183万枚なんて、中山美穂のソロでは考えられないほどの超ド級ヒットにつながったわけだし、結果的にWANDSも大ブレイクした訳だから、ビーイング、バーニングどちらにとっても「おいしい」選択だったはず。今風に言えば「Win to Win」だよね。

 ただ、その後、ビーイングとバーニングの「蜜月」がなかった事を考えると、これは、やっぱし、ビーイング側から「仕掛けた」と考えたほうがいいだろうなぁ。
 もし、逆にバーニング側から、このころのビーイングのブレイクを見越して仕掛けてきたんだったら、これだけのヒットを飛ばしたわけだから、その後も蜜月を続けたはず・・・。

 いやいや、あの時期では、大手プロでも、ビーイングのこの後の快進撃は、時期的に、まだ見抜けなかったはず。


 そう考えると、ビーイング総帥の長戸大幸氏のシタタカな計算振りには改めて舌を巻く。なりふり構わないというか・・・。
 まあ、正直言ってビーイングのその後のやり方・・・というか、リリースの仕方、曲の作り方には、辟易した部分もあるんだけど、マネージメントの部分で、このシタタカさっていう部分は、「ヒット曲を作るヒト」には、ある種、学ぶべきところはあるだろうな・・・とは思いますよ。シタタカさ+読みの戦略っていうかな。

 まぁ、まるっきりビーイング的なやり方では、ちょっと行きすぎだと思うけど。ちょっと「味付け」がしつこ過ぎるし・・・・ふらふら




・・・・なんて、下手に詮索しちゃうから、落ち着いて曲、聴けないんだろうなふらふら

 もっと素直に聴けばいいんだけどねぇ・・・。

 でも、90年代の曲って、裏になんかあるんだろう? ってつい思っちゃうんだよなぁ・・・。
 何分、プロデューサーの時代って言われてたでしょ? 何かウラにあるんじゃないか・・・って思っちゃうんだよね。
 これが「楽曲の時代」だったら、なんにも気にせず、「曲」に集中して聴けるんだろうけどさ。。。あせあせ



音が悪くてスミマセン。 でも、ミポリンとWANDSがテレビで一緒に歌っているところ初めて見たかも。。。
うーん、当時、Mステでも見たかなぁ。。


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眠れない夜を抱いて / ZARD

1992_08_眠れない夜を抱いて_ZARD



今回の1曲セレクトは、「眠れない夜を抱いて」ZARDです。

 まずはデータです。

・タイトル    眠れない夜を抱いて
・アーティスト  ZARD
・作詞      坂井泉水
・作曲      織田哲郎
・編曲      明石昌夫 池田大介
・リリース日   1992年8月5日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数   45.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1992年9月28日〜10月12日付
・タイアップ:テレビ朝日系「トゥナイト」エンディングテーマ曲

 年甲斐もなく、「世界陸上」を見て興奮してしまいましたわ。特にリレーね。 リレーっつったら、運動会では、どこでもやるし花型ジャン。 それが、全く同じ形で、世界陸上でもオリンピックでもやるっていうのが、いいんだよね。「世界一の運動会」っていう雰囲気でさあ。

 そーいえば、今回セレクトしてきた、ZARDの「眠れない夜を抱いて」がヒットしてた、1992年はバルセロナ五輪の年だったな。 
 そーそー、そういえば、あの年の8月も連日「眠れない夜を抱いて」たのよね〜。 時差7時間のバルセロナだから、向こうの時間が夕方からの競技は、必然的に、日本は「夜中」になるわけで・・・。

 この曲って、まさか、それにかこつけてリリースして・・・訳じゃないよね〜。 いやいや「企画屋」のビーイングだからこそ、そこまで計算して居たんじゃないの? ・・・とか、思わず、勘ぐってみたりして。。あせあせ
 だってさ、なんか、バルセロナ五輪期間中に「眠れない夜を抱いて」〜なんて、いかにも、タイミングがいいような気もするんだもんねぇ。。

 ところで、この曲で、ZARDは、本格ブレイクしてきたわけだけど、その登場は「突然」・・・というよりかは、いつの間にか・・・っていう方が正しいかなぁ。

 いや、少なくともワタシの中では・・・。 ある日気がついたら、チャートの上位に来てた・・・なんていう印象があるな。

 92年は、個人的に結構、ヒット曲聴いてた時期で、毎週、bay fmの「パワーカウントダウンJAPAN」は欠かさずチェックしてたから。
 少なくとも、30位近辺の曲までは、くまなくチェックしていたんだけど、それでも、この曲は、いつの間にか、「ぬっ」とランキングに登場していたような・・・。

 まあ、あんまり実感・・・というか、実態がわかなかったんだよね。いまでいうアンドロイドみたいな感覚で。。
 もちろん、まだ、当時はMステにも出てたんだけどさ、ZARDって。 それでも、なんか、実態がよくつかめない、感覚があったよなぁ。

 曲は、この曲に関しては、いいとおもった。 ビーイングお得意の「キャッチー」路線だし、こういうメロディラインでいけば、少なくともコケることはないよねぇ・・・っちゅうかね。

 ただ、大ヒットするとも、あんまり感じなかったんだよね。うーん、それは、なんちゅうか、大ヒット曲がもってる、アクっていうかなぁ・・。そそそ、存在感。 それは、ちょっと希薄のような気がしてさ。

 まあ、結果的には、その通りになったんだけどさ。

 だけども、この曲の時点では、ここから90年代を代表するようなアーティストに成長する・・・とは、全く感じなかった・・っていうのは、正直なところだね。

 うん、いわいる、一発屋っぽい、匂いがしたもの。 この曲の1ヵ月後にリリースした「IN MY ARMS TONIGHT」が、この曲の「余力」でヒットして多様なところもあったから、これは、長続きしねーだろうな・・っていう感覚があったのよね。

 まさか、年をまたいで「負けないで」のような、ジェットエンジン点火のような状況になるとは・・・。

 まあ、それにも伏線があって、この曲をきっかけにして、WARD、T-BOLANあたりが、本格ブレイクし、ビーイング系全体が、「スイッチオン」の状態になったのが大きいけど。。。


 この曲は、まさに、その「導火線」のような働きをした曲だったんだよね。

 まさか、そんな仕掛けがあるとは、露もしらず、のんきーに、「あー、一発屋で終わりだーな」と、思っていた当時のワタシが居たのでした・・ちゃんちゃん♪

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