今回の1曲セレクトは、「Baby Rose」近藤真彦です。
まずはデータです。
・タイトル Baby Rose
・アーティスト 近藤真彦
・作詞 織田哲郎
・作曲 織田哲郎
・編曲 織田哲郎
・リリース日 1986年9月10日
・発売元 CBSソニー
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 9.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位
一人ぶりに、まったくフリーな休日。・・・ってなんか変な表現。。。
休みの日は、通常フリーぢゃないのかい? ・・・ってところなんだけども、通常の土日は持ち帰りの仕事をやってるからなぁ。。。 休みのようで休みぢゃないのよ。今日のように3連休だと最後の1日は休めるペースになるんだけども。。。
たださあ、ここんところ、睡眠が不規則で・・・・。夜、テレビ見ながらちょっと横になっていると、そのまま寝落ちしちゃうんだよね。 で、気が付くと1時とか2時で・・・。そこから風呂入って、さあ、ちゃんと寝ようと思うと、今度は眠れない。
まるで、井上陽水「西へ東へ」状態。
♪ 昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういうわけだ〜 ♪ ってあれですわ。
昨日も、この状態に陥って、夜、眠れなくなっちゃってさ。夜中、仕事しちゃいましたわ、朝まで。
おかげで、今日1日、頭ボー。 これまで貯めといたビデオ見ながら、うつらうつら。。。
まあ、台風が接近してきているとあって天気が悪い休日だったんで、いいっちゃ、いいんだけどね。。。 まだ、頭ボーッとする。
いけんねえ、規則正しい生活に戻さなければ。。。。
さて今回引っ張ってきた曲。
まっち先生の「Baby Rose」
この曲は、1986年9月にリリースされた、まっち先生21枚目のシングルですわ。
この曲、まだ書いてなかったんだよねぇ。。。、すでに書いたと思ってたんだけどなぁ。。。。
件のmixi時代に書いて、今のブログに移植し忘れ? ・・とも一瞬思ったんだけども、mixiでも書いてない。まだ、一度も書いてなかったんだよな。ちょっと不覚。。。。
まっち先生としては、上記のように、デビュー曲から数えて21枚目のシングルだけども、前年にCBSソニーに移籍してからは6枚目のシングルとなる。
それまでRVC時代は、オリコン13作連続1位の輝かしい記録を打ちたてた、まっち先生も、CBSソニーに移籍してからは、すっかり迷走状態に入ってましたよね。
たしかに、前年1985年には、「日本歌謡大賞」を取ったりもしたけど、楽曲的には、今一つ方向性が定まらないような曲が増えて来てましたからね。
そんなこともあり、CBSソニーの移籍した時の「ヨイショ!」こそ、1位を獲得したけど、その後はヒットチャート的には低迷が続いていましたからね。
この「Baby Rose」もオリコン最高位6位と、ベスト5にも入れない状態が、すっかり続いてからなぁ。。
ただ、個人的には、この曲、この時期のまっち先生の曲としては、好きな曲だったんだよなぁ。
久々に、それと分かるロックテイストな1曲だったし。
なんやかんや言っても、まっち先生は、ロック傾向の曲が似合うのよ。 ポップス志向のトシちゃんとは、そのあたりできっちりと線引きをされていたわけでさ。
ただ、あの頃のまっち先生は、そのあたりが曖昧だったからなぁ。。。
当時、この曲を・・・どの番組ではじめて聴いたんだっけなぁ・・・。多分、文化放送「決定!全日本歌謡選抜」だと思うんだけども、「この曲は行ける」って、久々にまっち先生の曲に引っかかったのを覚えてるワ。
だけど、ランキングだけを見ると、そこまでの求心力は感じられず。。。そこまで、まっち先生のアーティストパワーは落ちたのか・・・と感じたな。
・・とはいうものの、この曲の前の「青春」よりも、わずかながら売上げを伸ばしたわけだし、やっぱ、まっち先生はストレートなロック路線だよね・・・っていうそれなりの成果はあったんだよね。
この曲を足場として、次の「愚か者」に繋がったわけでもあるし。
ところで、この曲の作詞・作曲者は、織田哲郎氏。
織田哲郎氏は、いまでこそ、後のビーイング系の最大の立役者の一人と言えるし、この後、膨大の数のヒット曲を世に出していくことになるわけだけども、この曲あたりからでしたよね、頻繁に名前を聴くようになったのは。
もっとも、この年1986年としては、この「Baby Rose」以前にチューブ、大ブレイク曲「シーズン・イン・ザ・サン」の作曲もしているし、この曲が最初というわけではないけど、本格的に名前が売れ出したのは、この曲あたりからだったと思う。
ちなみに、この「Baby Rose」は、もともと、前年1985年リリースの織田氏のソロアルバム「NlGHT WAVES」の1曲目に収録されていた曲ですわ。
まっち先生が、この曲のお気に入りで、コンサートでカバーしたところ大評判になり、シングルとしてカバーした・・という経緯なんだよね。
織田哲郎氏曰く、1985年にこのアルバムをリリースしたころは、精神的にはどん底だったそうだ。
そんな精神状態の時、絞り出したのがこの「Baby Rose」だったようで。
サビの ♪ Everythings gonna be all right 大丈夫さ うまくやれるぜ〜 ♪ というのは、その時のどん底の精神状態を鼓舞するかのように出てきたコトバだったようですね。
その辺りは、織田哲郎氏のブログ「T'sブログ」にも書かれてあったり
↓ コレ
うんにゃ、このブログ内容の動画もあった
いずれにしても、まっち先生にこの曲をカバーしてもらったおかげで、織田哲郎という名前も全国区で知れ渡るようになり、ここから、後年のビーイング系に繋がるって行く事は、間違いないですね。
「曲の人生」・・・わからんもんだな ・・・というのは、織田氏本人の弁。
この曲がヒットしていた、1986年の今頃は、個人的には「おニャン子」旋風に飽き飽きしていて、当時のヒット曲路線からは、気持ちが離れつつあった頃ですわ。
かわりに、60年代のG.S(グループサウンズ)のガレージさに刺さり始めていて、そっち方面を掘り返し始めていた頃。並行して、70年代のニューミュージック系も本格的に掘り返し始めて、頻繁に蒲田の「えとせとらレコード」に通ってた頃ですね。
だけど、この曲を聴くと、あの当時(1986年今頃)の空気感を感じるわけで、この曲に関しては、↑で書いたように本当に刺さってたんだろうな。
その割には、この曲のレコード音源を手にするのは、これから大分後だったけども。。。。。
ヒット当時は、「ベストテン」から録音したカセットで満足してたんだよね。
なので、この曲と言えば、レコード音源の「音」よりは、↑の動画のような「歌番組」の音の方がしっくり来たりするんだよね。
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