1982_02_ぶりっ子ロックンロール_紅麗威甦


今回の1曲セレクトは、「ぶりっ子Rock'n Roll」紅麗威甦です。

まずはデータでするぅ〜。

・タイトル   ぶりっ子Rock'n Roll
・アーティスト    紅麗威甦
・作詞     翔
・作曲     翔
・編曲     T.C.R.横浜銀蠅.R.S      若草恵
・リリース日  1982年1月20日
・発売元    コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  16.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1982年2月22日〜3月1日付

Adoの「うっせぇわ」。ワタシのランクでも1位を取っちゃったりして、ヒット曲と言う意味ではホントにホンモノになっちゃったなあ。
この曲は、表向きの顔と、ウラの顔と二面性について歌われているわけじゃん。 よく言えば「ホンネ」と「タテマエ」というかさ。
まあ、だれでも持ち合わせてるといえば、そうなんだろうね。だから、これだけ広く共感を持たれて刺さった方が多いんだろうなぁ。

でもさ、今からしてみれば80年代に見られた「ぶりっ子」っていうのも、もしかすると、そんなホンネとタテマエとしての表現の一つだったんだろうね・・・とトートツに書いちゃったりして。。。

・・・なんて今回引っ張ってきた曲の「前フリ」だったりして。。。

はい、今回引っ張ってきた曲は、紅麗威甦「ぶりっ子Rock'n Roll」。

紅麗威甦としてのデビュー曲ですね。

その前に紅麗威甦  だれじゃい、一体・・・。

なんて方は、ここ読みに来てる方には、・・・居ないですかね〜。

1980年代前半 時代を味方に一世を風靡した「横浜銀蝿」の弟分としてデビューした「バンド」ですね。
今や、性格俳優としてNHKの大河ドラマにまで出演してしまうような大物になった、杉本哲太氏がボーカル、ギターだったあのバンドですわね。

横浜銀蝿の弟分ということで、当たり前のように「ツッパリリーゼント」に黒の革ジャンという、いでたち。しかも全員、当時高校生・・・だったのかな? 杉本氏の最終学歴は中退になっているけど、この当時は・・・。

同じく横浜銀蝿の弟分として、このすぐ後に、嶋大輔氏がソロデビューをすることになるわけだけど、同期のような存在でしたよね。

あの頃、リーゼントに、ドカンに、短ラン、長ランの、トッポそうな、見た目にツッパリの方ですよね・・・と分かるお兄さん、お姉さん、いっぱいいたよなぁ。

いや、正確には、この曲がリリースされた頃は、個人的には、まだ福島にいたんで、身近にはこのような「いでたち」の方たちは居なかった。 なんせ、中学生は男子は強制的に全員「坊主」だったんで、リーゼントなんて考えられなかったから。。

でもさ、すぐ後に千葉に引っ越して来たら、強制「坊主」ではなかったんで、居ましたねぇ、うちらの中学校にもツッパリファッションの方々が。。
特に、うちらの中学校と、俳優・石丸幹二氏が卒業した隣の中学校は、共にマンモス校で荒れてましたからねぇ。 まるで金八先生第2シリーズの「荒屋二中」みたいな感じで、しょっちゅうガラスが割られたり、トイレの個室に仕切りが無かったり、警察が介入してきたり・・・という感じで。。。

いずれにしても、そういう中学校だったんで、見た目この「紅麗威甦」のようなチリチリリーゼントのお兄さんや、長ーいスカートひきずったお姉さんがいっぱいいたわけよ。

ワタシゃ、平和だった福島からそういう環境にいきなり放り込まれたんで、ある意味カルチャーショックだったよなぁ。。。


あー、話がすれてきた。

そんな「紅麗威甦」のメンバーのなかでも、個人的には杉本哲太氏って怖かったんだよなぁ。
このヒト、当時は目が笑ってなかったからさ。
例えば嶋大輔氏なんかは、確かに喧嘩させたら強そうだよなぁとは感じたけど、意外と優しい目をしてたりするんだよ。

ツッパリのファンシイ化。 「歌謡界 一発屋伝説」で著者の宝泉薫氏は、当時のツッパリのフッション化をそう例えているけど、嶋大輔氏なんかは、まさにそんな感じだったんだよね。

でもさ、杉本哲太氏はちょっと違ったような印象があったんだよなぁ。このヒト、怒らせたらマジでヤバイ様な雰囲気があったのよ。
下手するとマッポ(警察)の「お世話」になってもおかしくなかったような。。。

だから、40年後の今、「相棒」シリーズで警察官僚役をやってる杉本氏を見てると、隔世を感じるよなぁ。

でもまあ、中学校の時ことを振り返ると、そんなツッパリファッションのお兄さん、お姉さんたちって、実際接してみると、見た目に反していいやつが多かったんだよ。
まあ、ワタシの周りでは偶然にもそうだったのかもしれないけど、でも、当時、めっちゃ強面でヤンチャしてた方で、今やいいオッちゃんやオバチャンになってる人って、結構多いじゃん。

それを考えると、杉本哲太氏も、同じなのかもなぁ。。。 若気の至りってやつでさ。



だけんどさあ、この曲にしたって若気の至り感、満載だよなぁ。
なんすか ♪ブリブリ ブリッ子ROCK'N ROLL〜 ♪っていう出だしは・・・
今となっては、ほとんどギャグでしかないような曲だったりもするんだけども。。。 

いやいや、個人的には当時からして、ほとんどギャグにしか思えなかったんだけども。。。

・・というか、少し前の銀蠅の「ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)からして、ギャグだったりしたからなぁ。 この曲はその延長のように感じたし。

それ以上に「歌謡曲」だよね、この曲は。たしかに表面的な形式はロックンロールではあるけども。

若草恵氏という歌謡ポップスの王道のアレンジャーが絡んできていたわけで、そうなるのも必然なんだろうけどね。

若草恵と銀蠅というと、前年、西城秀樹氏に贈った「セクシーガール」のアレンジが若草氏だった関係もあり、そこからの流れなんだろうけど、なぜこの曲で若草氏だったのかと言うのは、ちょっと理解が難しいんだよな。

銀蠅ってストレートな3コードのロックンロールがバイクでぶっ飛ばしているような疾走感があってサイコーっていうところから、族の連中を中心に、ツッパリの方々とかに受けて出てきた人たちじゃん。

それから見ると81年の「羯徒毘薫'狼琉」なんてのは、サイコーな1曲だと思うんだけどさ。

でも、そういうストレートな3コードのロックンロール一本やりでは、この後きつくなるのはわかり切っていたわけでさ。
それとツッパリお兄さん、お姉さんたちだけではなく、一般のお客さんを取り込むには、ある程度の歌謡曲化もやむなしと考えていたのかもしれないけど。。。。

ただ、杉本氏なんて、当時はこの曲どう思って歌ってんだろ?  ・・・・なんて、思えてしょうがないんだよな。
「やってらんねぇよ」とは思わなかったのかねぇ・・とかさ。 まあ、それ以上に銀蠅の嵐さんや、事務所社長の大坂氏がおっかない存在だったんだろうけどね。

それにしても、それまで、ツッパリって硬派だと思ってたところがあるのよ、個人的には。
族って組織的なタテ社会なところから硬派っていうイメージが強かったし。でも、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)」につづく、この曲をみると、どうしてもナンパなイメージしか出て来なかったんだよな。
まあ、この曲あたりの時点では、まだ銀蠅一家のツッパリイメージに嘘臭さまでは感じてなかったけどさ。
でも、この年1982年の年末ごろになってくると、だんだん嘘臭さを感じたりしてね。 それとともに銀蠅一家の人気も急激に衰えていくんだけど。。。


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