今回の1曲セレクトは、「ひまわりの小径」チェリッシュです。
まずはデータです。
・タイトル ひまわりの小径
・アーティスト チェリッシュ
・作詞 林春夫
・作曲 筒美京平
・編曲 筒美京平
・リリース日 1972年5月25日
・発売元 ビクター
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数 41.2万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年8月7日〜10月9日付
音楽のジャンル付け。 これほど曖昧なもんは無いですよね。
正直、聴くそれぞれの方で見方は変わるし、だから正解なんてないんですよ。
ロック、ポップス、ジャズ、クラシック・・・それぞれにはっきりとした境界線なんてないし。
モノの本によっては、それらしく境界線を引いてるものもあったりするけど、すべて著者の主観でしょ。
だから、ものの本にロックと書かれてても、自分はポップスと思えばポップスでいいのよ、音楽のジャンルなんて。 それで反論されたら、反論する方が間違っているわけでさ。
・・・なんて、訳の分からない書き方で始めた、今回の1曲セレクトだけども、今回引っ張ってきた曲は、そんな感じで、果たしてこの方たちの曲のジャンルは、何に属するんだろう・・・といつも迷ってしまう方たちの曲ですわ。
チェリッシュ「ひまわりの小径」
今回の「マクラ」に従うと、チェリッシュって、フォークなんだろうか、歌謡曲なんだろうか・・・って頭がいつももたげてしまうわけなんだけども。。。。
そもそも、チェリッシュって、「バイタリス・フォーク・ビレッジ 全国フォーク音楽祭全国大会」に中部地区代表として出場した、5人組のフォークグループなんだよね。
その頭があるから、この人たちは、フォークの人たちっていつももたげてしまうのよ。
ただ、この回引っ張ってきた「ひまわりの小径」にしたって、どう聴いても「歌謡曲」だしね。
加えて、先週の、東京FM「松任谷正隆の変なこと聞いてもいいですか」にゲスト出演した吉田拓郎氏の、
「アメリカで言われるフォークと、日本でいうフォークは別物。フォークってもっと明るくて楽しいもの。 日本の四畳半フォークとかさ、ああいうのは本来は、歌謡曲の一部で、ああいうのをフォークとしたのはマスコミの虚像。アコギ持たせて歌わせれば、何でもかんでもフォークっていうのは違うと思う」
っていうコメントを聴くと、チェリッシュって人たちも、やっぱ「歌謡曲」なんだろうな・・・なんて、ますます思ったりもしてさ。
今回、このタイミングで、この曲を引っ張ってきたのは、丁度50年前のオリコン(1972/9/11付)の週間ランキングで、最高位3位を記録したから・・・っつうのもあるんだけども、実は、↑の吉田拓郎氏のコメントを聴いて・・っていうのは大きいな。
正直、それまで、個人的には、「全国フォーク音楽祭全国大会」から出てきた人たちっていう事実のイメージが大きくてさ。 曲調は「歌謡曲」でも、この人たちは「フォーク」っていう頭の方が強かったんだよね。
まあ、そんな風に思う人の方が「稀有」なのかもしれないけどさあ。 だって、この曲をはじめとしてチェリッシュの一連のヒット曲・・・「てんとうむしのサンバ」にしても、「白いギター」にしても、これらをフォークって思える方の方が少ないだろうしね。
・・・っつうことで、今回引っ張ってきた「ひまわりの小径」。
わたしねぇ、正直、この曲って最近まで知らなかったのよ。
1972年の今頃、丁度半世紀前のヒットでしょ。 ワタシゃ当時3歳。 まだ物心つくか付かないかの頃だからなんですかねぇ。
少なくともリアルタイムで聴いた記憶はないんだよね。
「てんとうむしのサンバ」とか「白いギター」はリアルタイムで聴いた記憶はあるんだけどね。
特に「白いギター」は、当時から大好きだった。
この曲と、フィンガー5と、小坂明子の「あなた」が一緒くたになってになってるんだよね。
自分の中の最古の音楽の記憶としては。
3才と4才の間の1年間っていうのは、やっぱりデカいんだよなぁ。ものごころが付くか付かないか、記憶の固定っていう所では。
ただ、チェリッシュの曲としては、これらの曲じゃなく、今回引っ張ってきた「ひまわりの小径」が一番売れた曲なんだよね。唯一の売上げ40万枚オーバーの曲。
個人的には、これが不思議でね。 いつかは聴きたい・・・と、まだYOU TUBEがなかった頃は、ずっと思ってたのよ。
もっとも、ラジオで流れているのを聴いてたけど、気が付かなかっただけの事なのかもしれないけど。。。
でも、実際曲を聴いて見ると、「うーん、なんかよくわかんないなあ」っていうのが、正直な感想。
少なくとも一発では受け入れがたい曲調・・というか。
タイトルから想像していた曲調とは大分違うなぁ・・・っていうのが第一印象ですね。
「ひまわり〜」っていうところから、もっと快活なサマーソングをイメージしていたんだけども。
そんな感じのしっとりした曲調とはね。。。。
まあ、最近では、秦基博の「ひまわり約束」なんかも、「ひまわり〜」ってつくけどもしっとりした曲だしな。 いや、そんなに時代を飛ばなくても、この曲の2年後の、伊藤咲子の「ひまわり娘」にしても、切ない曲だしな。
「ひまわり」とタイトルに付くからといって、快活なサマーソングをイメージするのも、ちょっと短絡過ぎたかな・・と今となっては思うけど。。。
ところで、↑で書いたように、もともとチェリッシュってメンバー5人のフォークグループって書いたけど、この曲から、今に至るような松崎好孝、松崎悦子夫妻によるデュエットとなる。
この曲のジャケ写のイラストは5人になっているけど、これは、その名残ですね。
まあ、そういう経緯もあり、前曲「だからわたしは北国へ」のフォーキーな曲調から比べると大分歌謡曲的なメロディラインへシフトされてきているんだよね。
特に悦子さんの特徴である高音域をフィーチャーするようなメロディラインにこの曲なんかは変化しているな
「だからわたしは北国へ」も同じ筒美氏の作品だけども、5人フォークグループという意識があるからか、かなりフォーク寄りの曲調。
「白いギター」あたりから知るワタシから見ると、逆に大分イメージが違いますね。
まあ、結果的には、そんな曲調のシフトが大ヒットへとつながったんだろうけどね。
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筒美京平
●表紙 荻野目洋子さん
一時は、「幻」なんじゃないか、何人かで構成されるゴーストライター集団の総称なんじゃないか・・なんてささやかれていた筒美氏だったし、ご尊顔を拝見して感激しましたねぇ。
●今週のランキング

表紙の見出しにもなっているように、おニャン子クラブとして6作目の1位。
その他ベストテン内を見ると
3位 サマードリーム チューブ
▼アルバム

1987年6月第1週時点では、アルバムチャートは、まだ、LP、CD、カセット、それぞれ個別のチャートとして掲載されていたけど、この年の10月からは、これら3チャートの合算ランキングとして新たにアルバムチャートがスタートすることになる。
そんな危惧も、翌年2月末のシングルCDリリース開始で一気に解決しましたが。。。
でも、あの頃のアナログレコードが置かれた状況を知っているだけに、昨今のアナログレコード復権の兆しは不思議な現象・・・に感じるんだよね。
まあ、これも時代の流れなんだろうけどね。

その中からオリコン読者有志による「読者集会」なるイベントが盛んになってきていたのがこの頃。今で言えば「オフ会」だよね。







今回の1曲セレクトは、「想い出の樹の下で」岩崎宏美です。
まずはデータです。
・タイトル 想い出の樹の下で
・アーティスト 岩崎宏美
・作詞 阿久悠
・作曲 筒美京平
・編曲 筒美京平
・リリース日 1977年1月25日
・発売元 ビクター
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数 23.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1977年2月14日〜3月14日付
またまた、久々の1曲セレクトです。
・・・って、前回はここから長々とマクラを書いちゃったんだよな。



なので今回は、すんなり本題に入りますぞ。
さてさて、今回引っ張ってきた曲は、岩崎宏美さん、1977年1月にリリースされた8枚目のシングル
想い出の樹の下で
この曲さあ、いっつもヒット時期間違えるんだよな。
曲の内容からして、卒業、新たな旅立ちを想像させるし、曲調からも「春」を連想させるんで、3月頃のヒットだとばっかり思ってたのよ。
でも、実際は、リリースが1月で、ヒットのピークは2月なんだよね。
曲のイメージからすると、実際は1か月ほど早い。 で、3月の今頃はヒットのピークは過ぎて下降線に入ってた頃なのよ。
だから、いっつも書く時期を逸するんだよな。
まあ、今回もややヒット時期からすると、ずれ気味ではあるけど、ここで書いとかないと、また書く時期を逸するんじゃないかと思いーの、ひっぱってきちゃいました。。。
個人的に、この曲嫌いじゃないんですよ。 むしろ、宏美さんの初期の曲の中では好きな曲の部類なんだよな。
この曲も、デビュー以来携わってきていた、筒美京平氏の作曲だけど、明らかにここまでの曲とはサウンドが違ってたからさ。
モノの本では、初期の宏美さんの曲は、ディスコサウンドと言われる。まあ、これは、当の筒美氏も公言しているから間違いないところなんだけども。
そそそディスコといっても、70年代終盤のサタデーナイトフィーバーではなく、バンプを経た後の、フィラデルフィアサウンドがベースとなったディスコですね。ヴァンマッコイの「ザ・ハッスル」などの黒っぽいサウンドのディスコ。
榊ひろと氏の「筒美京平ヒットストーリー1967-1998」によると、これらのディスコサウンドがベースとなっているが、うわもののストリングスなどは、それまでの歌謡曲を踏襲した・・とある。
そそそ、だから、ぱっと聴きは、それまでの70年代のヒットポップスと大きくは変わらないんだよね。
でも、リズム体は明らかにそれまでのポップスとは一線を画す。それを榊氏は「過渡期」と書いてるけど、まさにそんな感じですね。
いつかも書いたけど、70年代って前半と後半では、サウンドが全然違うって書いたことがあったけど、宏美さんの初期の一連のヒットって、まさにそんな時代の変革期真っ只中の時期のヒットなんだよね。
ただ、個人的には、大ゼッサンしたくなるほどではなかった。まあ、もともと70年代中期のディスコサウンドって、大得意ってわけじゃないからなぁ。
たしかに、大ヒットの「ロマンス」は別格だけども、その他の初期のヒットはそれほど引っかかってこなかったんだよね。
でも、この曲では、ディスコから、ソウルへ、本格的なフィリーソウルを見せてくれたじゃん。 それが良かった。
いや、個人的には、フィラデルフィア・ソウルのほうが、ディスコよりも全然好きだったから。
あ、これは、子供頃から。
透明感のあるストリングスに、キラキラとしたブラスが絡まってくる。
ヴァンマッコイのディスコサウンドは、黒っぽさが際立っていたけど、ソウルになると、黒っぽさは薄れ、もっと洗練されたサウンドに昇華してくるというかさ。
そんなフィリーソウル・サウンドが大好きだったんだよな。
77年は個人的には、ポールモーリアな嵌ってた頃なんだけども、そんなフレンチ・ヨーロッパ系のサウンドに対しての、もう一つの心のよりどころだったのが、実は、フィリーソウルだったりするんだよね。 多分、その二つのサウンドが個人的な音楽の根っこに今でもなっていると思うんだけども。。
うん、わが心の70年代ですよ。これらのサウンドは。
ちなみに、筒美京平氏は、この年1977年、この「想い出の木の下で」でフィリーサウンドを、秋には太田裕美さんの「九月の雨」でポールモーリアを下敷きにしてきている。
個人的な音楽の根っこのサウンドを両者とも取り入れている。だから、筒美サウンドはやめられないのよ。
・・・で、この「想い出の樹の下で」は、そんなフィリーサウンドを取り入れたっていう所が、それまでのシングルとは違うし、だからこそ、新鮮味も感じるんだよなぁ。
取り入れたというか、イントロ出だしのホルンの響きは、バリーホワイトの「愛のテーマ」の間奏部のホルンの響きを彷彿とさせるし。 「愛のテーマ」は下敷きにしてるよね、間違いなく。
↓ コレ
ただ、個人的な思いとはウラハラに、どうも、一般的な評価は、それほど高くなかったりするんだけどさ、この曲。
B面の「わたしの1095日」のほうが、業界的な評価が高かったりするし、こっちの方が好きだっていう人も多くて、ちょっと悲しいかな・・と個人的には思ったりするんだけどさ。。。





そんな業界的な評価の低さが、売り上げにも反映されているのか、売り上げを見ても、大ヒットとは言い切れなかったんだけどね。
やっぱり、間奏のトランペットは気持ちいいよね。
榊ひろと氏は、フィリーソウルから、スタイリスティックスの「愛がすべて」のイントロのトランペットを彷彿とさせるとおっしゃっているけど、個人的にはメイナード”・ファーガソンの「Theme From Star Trek 」を思い起こしちゃったりして・・・。
そそそ、「アメリカ横断ウルトラクイズ」のテーマ曲の。。。




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今回の1曲セレクトは、「裸のビーナス」郷ひろみです。
まずはデータでする。
・タイトル 裸のビーナス
・アーティスト 郷ひろみ
・作詞 岩谷時子
・作曲 筒美京平
・編曲 筒美京平
・リリース日 1973年6月21日
・発売元 CBSソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 38.6万枚
・ベストテンランクイン期間:1973年7月9日〜9月3日付
当たり前のことだけど、長年ヒット曲のレビューを書いてて、それまで全く聴いたことない曲はレビューは書けないわな。
そこを恰もこれまで何度も聴いてたかのようにでっち上げでも書けるようになれば、恐らくプロの書き手になれるんだろうけど、、残念ながらワタシャ、アマチュアなんでね。
これまで聴いたこともない曲は書けない。
なので、この1曲セレクトで引っ張ってる曲は、これまで個人的に聴いたことのある曲になるわけでさ。
それも大半は自分に思い入れがある、自分の中に定着している曲がほとんどではなあるけど、さすがに1700曲も書いてくると、そればかりでは書く曲も枯渇しちゃうわけで、最近では、昔、少しでも聴いたことがあるような曲でも引っ張ってきてますね。
でも、今回の引っ張ってきた曲は、「リアルタイム」には聴いた記憶がない曲だったり・・・。
郷ひろみ 「裸のビーナス」。
この曲は、1973年6月にリリースされた、郷ひろみのデビュー5枚目のシングル。
1973年といえば、ワタシは4才。 正確に言えば、この曲がヒットのピークに達したころ4歳の誕生日を迎えている。
なので、当然、リアルタイムでは聴いてなかった・・・・????
いやいや、じつは、そこがあいまいなんだよね。
1973年の曲でも、当時リアルタイムで聴いた記憶がある曲はあるし。 桜田淳子さんや、アグネス・チャン、フィンガー5は、リアルタイムで聴いてたし。
特にフィンガー5は、まだ物心つかない頃の記憶まで含めると、初めて買ったシングルが「恋のダイヤル6700」だったと思う。。 ・・というか自分では買った記憶がないけど、オフクロが昔、言ってたような気がする。
だけど、今回引っ張ってきた「裸のビーナス」は、記憶の糸を辿っても、当時聴いた記憶がないんだよなぁ。
子供のころ聴いても、それっきり聴いてなかったりすると忘れちゃっている曲も多いわけでさ。
メロディの記憶はあるけど、タイトルが分からなかったりというパターンもあるな。
そういう曲は、大人になって改めて聴くと、大抵は「あ、これ」って気が付くわけなんだよね。
この曲、意識して聴いたのは、ほんとにごくごく最近。時代の遡りが一巡して、再度、一巡目より少し深堀して聴くようになってからですわ。
恐らく、自分のサイトを持つようになってからだと思うんで、ここ20年くらいだと思う。
でも、初めて意識して聴いたときも、記憶に全くなかったんだよな、この曲。
ただ、時代感としては、確かに1973年ぽいな・・・と感じたのと、当時の筒美氏らしいサウンドだなとは感じた。
あの頃・・というか1973年頃の筒美氏のサウンドって独特な音の質感があるだよね。特にご自身でアレンジされたアイドル系ではなんだけども、各楽器のそれぞれの音が太くて、あまり音に立体的な奥行きがない。
なんっちゅうのかなぁ、まあ、純和風的歌謡曲なサウンドではないことは確かで、よく洋楽的なバタ臭いサウンドと言われるんだけども。
しかも70年代後半以後の曲に比べると、かなりあっさりした曲構成。 なんせ尺が2分30秒もないんでね。この曲。
通常3分前後の尺が普通だった当時としても、かなり短い尺だよなぁ。
これは、当時のテレビでの歌番組を意識すると、こうなっちゃうんだろうね。
よくテレビサイズは「ワンハーフ」とか言われるけど、当時の歌番組では「1番と終わりビ」、尺も2分程度っていうのが定番だったわけでさ。
まあ、だからして1曲の中にあれもこれも盛り込むのは難しかったんだろうけどさ。あまり内容を詰め込み過ぎるとテレビサイズになった時に曲の意味が分かんなくなっちゃったり。
この曲くらいだったら、たとえテレビサイズでもほぼ全尺サイズになるしね。
それは分かるんだけども、今聴くと、さすがに2分30秒にも満たないと、えらいタンパクな曲構成に感じますねぇ。
とはいえ、それじゃ仕掛けがないにもないのかと言うと、そうじゃない。
この曲の最大の仕掛けは、やっぱり、リタルタンドがかかってスピードが遅くなるサビ最後から、インテンポでAメロに戻るっていう構成なんだろうね。
おおよそ当時の日本のポップスには見られなかった構成だし、曲全体がドラマティックに感じられているしね。
如何せんリアルタイムでは聴いていないので、当時実際はどうであったのかは、想像でしかないんだけども、インパクトは大きかったんじゃないのかな。
もっとも、この曲のジャケ写の、「半裸」姿のHIROMI GOにもインパクトがあったのかもしれないけど。。。
このジャケ写は全身のピンナップになっていたようで、これ目当てで買ったヒトもいるんだろうなぁ。
チャートアクション的に見ると、この曲、オリコンでは初登場から4週目で、早くも最高位の2位まで上り詰め、その後4週連続で2位を守っている。
オリコンでは、前曲「愛への出発」に続く、最高2位を記録しているけど「愛への出発」が登場7週目で最高2位まで到達したチャートアクションから比べてると、動きがすこぶる良かったわけですね。
当時、この曲のインパクトは大きかったんじゃないかっていうのは、そんなチャートアクションからも感じられますね。
わざとらしく、ジャニーズジュニア前で歌ってるHIROMI GOの動画を持ってきたりするけど、もしやHIROMI GOが、当時ジャニーズ事務所 所属だったの知らなかったって方は、ここ読んでくださっている方にはいらっしゃらない・・・ですよね
まあ、最近、結構いろんなところでカミングアウトしてたりするしね。
でも、個人的にもリアルタイムでは見てなかったんで、今一つ、実感がわかないんだけども、こういうVTR見ると、ホントにジャニーズ事務所だったんだね・・・っていう実感が出るなぁ。
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今回の1曲セレクトは、「月曜日はシックシック」三井比佐子です。
まずはデータです。
・タイトル 月曜日はシックシック
・アーティスト 三井比佐子
・作詞 高平哲郎
・作曲 筒美京平
・編曲 船山基紀
・リリース日 1982年6月1日
・発売元 バップ
・オリコン最高位 93位
・売上げ枚数 1.2万枚
もしかしたら、こちらのブログには出してなかったかもしれないけど、少し前に、いわいる82年デビュー組は、デビュー日によって、第1グループ(3月21日デビュー)、第2グループ(4月21日 5月1日デビュー)に分けられるってことで、トピックスをfacebookには上げたんですよね。
で、その際に 第2グループとして、「三井比佐子(5月1日デビュー)」って書いちゃったんだけども、これ、間違ってましたね。。。




正しくは、「6月1日デビュー」だったわけで。。。。




どうも、同じ「パンジー」の真鍋ちえみさんとデビュー日を取り違えてたようで。。。。
ちなみに、6月1日周辺デビューには、他に水谷絵津子(5月21日デビュー)、水野きみこ(5月25日デビュー)、本田恭章(5月25日デビュー) などが居たりしますが、さしずめここが「第3グループ」とでも言いますかね。
まあ、このグループに関しては、今や知る人しか、知らないって感じの「B級アイドル」しかいなかったりするんで、名前出されても、「だれ?」って思う方もいらっしゃるかもしれないですが。。。
でも、丁度書き始めてしまったんで、 今回の1曲セレクトはそんな82年組第3グループデビュー、三井比佐子さんの「月曜日はシックシック」でも持ってきますか。
・・・といっても、すみません。 きっと、今となっては知ってる人しか知らないとも思うんで。こんな曲もあったということで、聞いてください。
うんにゃ、このトピックスを読んでくださった方は、この曲を知ってるよ〜って方かもしれないな。。。。
個人的に、アイドルは通常、A級か、B級のいわいるベストテン級の曲しか聴かないんで、 オリコン最高93位のこの曲なんては、本来ならば耳にしてないはずなんだけども。
でも知ってたりするんですよね。
まあ、月刊・明星の歌本「ヤンソン」にリリース前から「新人」デビューということで、「楽譜」入りで掲載されていたりしたし、 それ以前に、北原佐和子、真鍋ちえみ との3人グループだった、「パンジー」については、「明星」本誌に登場してきていたんで、当時から存在自体は知ってたんだけどね。
ただし、曲自体を聴いたのは、いつだったんだろう? よく覚えてないんですよね。
曲内容をはっきり意識するようになったのは、95年に刊行された「歌謡曲完全攻略ガイド」に紹介されてからだと思う。
で、後年、Youtubeで聴いてみたんだけども。 その時、「これ、聴いたことある」って思ったんで、多分、82年当時、なんかの番組ですでに聴いたんだと思う。
ともかく、この曲っていったら、なんて言ってもチャコ(三井比佐子さんの愛称)の歌唱力だよね




まあ、俗にいう「オンチ」なのよ。 なんか間違ってる・・・としか思えないくらい、強烈な。
↓ を聴けば一目瞭然だけど。。。。
う〜ん、音痴というよりも、ピッチ(音程)が全く合ってない・・・っていうのが、正解なのかなぁ。
とりあえず、メロディラインはなぞれてるんで。。。
でも、なんせ、あのビートたけしさんもネタにするくらいだったりするんで。。。
それまでも、いろいろウタがヘタな方はテレビで聴いてきたけど、このヒトくらい強烈だった方も、なかなかいませんでしたよね。
まあ、考えようによっては、それも芸の一つとも言えなくもないけど。。。。




82年当時に聴いた、テレビで見た記憶があるわけども、その時、うちのオヤジの反応はどうだったんだろう?
なんせ、音痴には厳しい人だったんでね。 うたがヘタな人が出てくると、すぐ「へたくそ」って叫ぶのよ。テレビに向かって。
当時は、そんな反応がヤで、オヤジと歌番組見るのがヤだったんだけども、この曲はどうだったんだろう? うーん、やっぱり記憶にないな。
ちなみに、そんなオヤジが嫌いだったワタシではあるけど、大人になってウタがヘタな人で出てくると、やっぱり「へたくそ」って思うようになったわけだから、やっぱ血は争えないってところですかね。 もっともワタシャ、テレビに向かって叫んだりはしないけど。。。



で、この曲を書くにあたって、先ほど、改めてYoutubeで、この曲を聴いてみた。
でもさ、昔聴いたほど「歌ヘタ」っていう違和感、嫌悪感は感じなくなってますねぇ。
いやいや、たしかに「ヘタ」なんですよ。でも、拒否感なく普通に聴けますねぇ。 まあ、聴いたあとで笑ってしまいますが。。。




このヒトの後にも、 西村知美、華原朋美、鈴木亜美・・・・etc、 オンチ・・・うんにゃピッチが合わない人たちは、いろいろ出てきたんで、あの当時に比べると、大分、音痴に対しての免疫が付いたんだろうな、きっと。
でもね、この曲、ボーカルテイクを割り引いて、キチンと聴いてみると、いかにも82年当時のアイドルポップスだな・・とは思えますね。
まあ、歌唱力がないんで、作曲の筒美京平さんは困ったんだろうな・・・っていう印象はメロディラインからうけますね。 でも、そんな筒美氏の困った部分を、アレンジの船山基紀氏が、うまくカバーしているように感じられるなぁ。
とくにイントロなんて、当時の他のアイドルポップスに比べてもかっこいいもの。
「ニッポンの編曲家」での船山氏曰く、「筒美先生は、船山君は僕が恥ずかしくて出来ないようなところを全部やってくれる・・と」述べられているけど、この曲なんて、まさにそんな感じなんじゃないのかなぁ。
「歌謡曲完全攻略」では、そんなところがオーバープロデュースに感じられたようで、2曲目の「デンジャラスゾーン」は、チャコの声質を生かせていると思うけど、この曲はオーバープロデュースって書かれてますね。
まあ、もっとも、サビの件の ♪ 月曜日は シックシック〜 ♪ でいきなりチアリーディング風になるのは、たしかにオーバープロデュースっぽく感じたりしちゃいますが。。。
それらを含めて、全体的に感じるのは、曲の雰囲気は86年頃のおニャン子関係など、アイドルの曲にも似てるなぁ・・と思ったりして。
Bメロ当たりのコーラスの使い方とかさあ。 ゆうゆの「-3℃」(

かといって、70年代アイドルからの流れも感じるし。。。 まあ、大きく見ると時代をつなぐような1曲ともいえるのかもな。。。
うん、大きく言えばですが。。。。。




それ以前に如何せん、売れなかったからなぁ、この曲。
まあ、この曲の1か月前に「同僚」である真鍋ちえみさんがソロデビューしてるけど、そのデビュー曲「ねらわれた少女」もオリコン最高91位だったりするしな。
おどおどろしい雰囲気のこの曲も、最近では注目されるようになったけど、当時は全然だったんだよね。 まあ考えてみれば、この曲こそオーバープロデュースって感じがするし、だからさ、当時の感覚では、オーバープロデュース過ぎてもダメだったんだよね。
結局「パンジー」の中では、一番オーソドックスなデビュー曲だった、北原佐和子さんの「マイ・ボーイフレンド」が一番売れたしな。
この時の差が、結局は、その後の芸能界への生き残りに響いたって感じで、パンジーのなかで今でも生き残ってるのは、北原佐和子さんだけだもんね。
ちなみに、パンジーの3人は、「オスカープロモーション」出身っていうのは、意外と知られてないのかなぁ。
現在こそ、美少女の巣窟として飛ぶ鳥の勢いであるオスカープロモーションも82年当時は、今ほどビッグな存在ではなかったですからね。
まあ、今くらいの存在であれば、デビュー曲で少なくともオリコン最高位90位台ってことは無かったろうけど。。。。
そんな、まだまだネームバリューの小さかったプロダクションで、チャコのデビュー曲が、作曲・筒美京平 編曲・船山基紀、 真鍋ちえみさんのデビュー曲が、作詞・阿久悠 作曲・細野晴臣 なんていうビッグネームを使ってきたのは、ちょっと驚きではあるんですけど。。。
特に、筒美京平さんなんて、依頼しても半分以上は断られるというのに、このデビュー曲を書いたっていうのは、どういう経緯があったんだろうなぁ。ちょっと興味がありますね。
よく筒美京平さんは、歌がうますぎるヒト(アイドル)には書かない、とか、変わった声質の人が好きとは言われる。
チャコの場合、「歌がうまくない」のは当てはまるけど、変わった声質でもないんだけどね。
それにしても、あーあ、土日が終わってく〜。 サンデーシンドロームやね。
まさに「月曜日はシックシック」な気分ですわ、今。
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今回の1曲セレクトは、「あなたならどうする」いしだあゆみです。
まずはデータです。
・タイトル あなたならどうする
・アーティスト いしだあゆみ
・作詞 なかにし礼
・作曲 筒美京平
・編曲 筒美京平
・リリース日 1970年3月25日
・発売元 コロムビア
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 40.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1970年4月20日〜7月6日付
4/17の「筒美京平の世界 in コンサート」は、とにかく素晴らしかった。
でも、まだライブレポ、書いてないんだよね。
やはり内容が内容だったこともあって、ライブ終了後の余韻が凄かったんでね。twitterとかSNSでも盛り上がっていたし。
本来だったら、鉄は熱いうちに打てとばかり、あの盛り上がりに乗り遅れるな・・・とすぐにライブレポも書いた方が良いのかもしれないけど、個人的に思いが逆でさ。
素晴らしい内容だっただけに、ちょっと寝かせておいて、皆さんが忘れたころに書きたいなと思っているのですわ。
ブログって日記と同じで、後々読み返したりするからさ、後々読んで、なんか物足りないなと思うものは書きたくないし、一時の(気持ち)の盛り上がりに流されないで少し温めておこうかと。
で、頭の中でまとまってから改めて書きたいと思っておりまする。
・・と書いといて、そんじゃ、今回は筒美京平氏の曲じゃないの? と思わせておいて、筒美京平氏の曲を持ってくるところが、いやらしいところなんだけどね




いしだあゆみさん「あなたならどうする」
この曲、先日の「筒美京平の世界コンサート」のセットリストから漏れちゃったんだよなぁ。
出演したアーティストによっては、2曲、3曲とオリジナルの筒美作品を披露した方もいたんで、いしだあゆみさんのこの曲のセットリストに入るんではないか?
・・・と僅かばかりに期待をしてたんだけども。 セットリストに入ったのは、やはり・・の「ブルー・ライト・ヨコハマ」だったからなぁ。
もっとも、いしだあゆみさん本人ではなく、伊東ゆかりさんの代唱だったですからね。
いや、その前に「ミュージック・マガジン」の昨年12月号の「追悼・筒美京平」特集でも、取り上げられた数々の筒美作品の中で、この曲は選に漏れている。
それを考えると、今となっては印象に薄い曲になっているんでしょうかねぇ〜。
いや、昨今のテレビの「筒美京平氏」特集ではVTRで取り上げられることも多いんで、決して印象に薄い曲と言うわけではないんだろうけどね。
なんせ、売り上げ枚数40.4万枚は、いしだあゆみさんの中では「ブルー・ライト・ヨコハマ」に次ぐヒットなわけだから。
じゃ、なんで「ミュージック・マガジン」では取り上げられなかったのか?
・・と言えば、やっぱり曲として特徴らしい特徴が少ないんからなんだろうな。
筒美作品にしては、「あく」が少ない平易なメロディラインといいますかね。 ひねったところが少ない印象は受ける。
どちからかといえば、なかにし礼氏の歌詞のインパクトの方が強いからなぁ。
♪嫌われてしまったの 愛する人に 捨てられてしまったの 紙屑みたいに〜 ♪
♪あなたならどうする 泣くの歩くの 死んじゃうの〜 ♪
っていう歌詞、 簡単な言葉遣いだけど、やっぱり引っかかるもんなぁ。
愛に落ちた女性像を書かせたら、右に出るものが居ないといわれた、なかにし礼氏の真骨頂を思わせる歌詞なんだよね。
まあ1970年のなかにし礼氏は初期の絶頂期でしたんでね。勢いと言うのもあったんだろうけど、そんな勢いを感じさせる1曲なんじゃないかなぁ、この曲は。
いや、だからなんでしょうね、筒美氏のメロディラインのアクが少ないのは。 この曲は、メロディ重視というよりも、歌詞を前面に出そうという曲なんだということですね。
もしかすると、「ミュージックマガジン」の筒美京平特集では、事前にそれを分かっていたがゆえに「選」から外したのかもしれないな。
ただ、この曲、「アク」が少ないメロディラインに対して、曲構成と、コード進行は結構面白い。
まずAメロの
♪ 嫌われてしまったの 愛する人に ♪ の「愛する人に」で、Emから、いきなりF#7に変わるコード進行。 普通だったら、「愛するひとに」の「に」で小節がかわるところまでEmで行くと思うんだけどさ、EmからF#7に行くコード進行が斬新。 あ、あくまでも当時の基準から見ると・・・と言う意味だけど、
最近、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」のAメロ ♪ 恋人よ 僕は旅立つ〜 ♪ の「旅立つ」の部分で、AからAmaj7に行くコード進行が斬新って言われてるじゃん。
あれと似たような印象を受けるんですよね。
そのほか ♪ あなたならどうする〜 ♪ でいきなりリズムが変ったり、 最後の ♪ 泣くの歩くの死んじゃうの〜 ♪ で、いきなりカノン調のコード進行になったり。
細かくみると短い1曲の中でも、けっこう目まぐるしく曲調が変化しているんだよね。
でも、こんな目まぐるしい変化も、歌詞のリズム、情景変化とシンクロしているんだよね。
なかにし氏の歌詞
♪嫌われてしまったの〜 ♪ のAメロ
♪私のどこがいけないの〜♪ のBメロ
♪残されてしまったの〜♪ のAメロ戻り
♪あなたならどうする〜 ♪ のサビ
それぞれで、言葉のリズムも情景もガラッと変わるんだよね。
これらの情景変化にうまく対応したメロディラインであり、リズム体の曲なんじゃないかなぁ、この曲は。
でも、そういう言葉のリズムと情景変化を汲み取り、曲調をシンクロさせる技は、さすがに希代のヒットメーカー、筒美京平氏ならではというところなんだろうなぁ。
でも、これらを考えると、詞先の曲なんでしょうかね、この曲は。
その辺はよくわからないんだけども。



なんて書いてたら、いしだあゆみさんが春の叙勲・旭日小綬章と言うニュースが飛び込んできた。
なんてタイムリー。。。 そしておめでとうございます

ところで、この曲、どこで知ったんだっけなぁ・・・。 っていうのが気になってたりするんだよね。
リリースは1970年3月。 ワタシゃ、まだ生後9か月ですわ。
当然リアルタイムでは聴いてない。
ネットで調べてみると 1990年にネスレのクリーミングパウダー「ブライト」のCMに起用とある。
うん、たしかに、それは覚えている。
それ以前に、「クリープ」のキャッチコピーとして「クリープを入れないコーヒーなんて」っていうのがあったじゃん。
あれと似たようなCMでしたよね。コーヒーにクリーミングパウダーを入れるの入れないの「あなたならどうする」ってことで、この曲が使われていたと思う。
ただ、個人的には、もう少し前からこの曲知ってたと思うんだよなぁ。
「ブライト」の前に、「リコー」かなんかのCMでもこの曲使われなかったでしたったけねぇ。
1987年10月からTBSで朝6時から放送されていた「ドーナツ6」っていう谷村有美さんがMCをやってた番組のCMで流れていたような気がするんだよね、この曲。
「ドーナツ6」、あの番組の学校に行く前に見てたんだよね。
ちょうど、大学受験の頃でさ この曲のマイナーなメロディを聴いては、なんか落ち込んだ気分になった記憶があるんだよなぁ。
大学受験に失敗したら・・・ ♪ あなたならどうする? 泣くの歩くの死んじゃうの〜 ♪ なんていうのが呪文のように頭の中を駆け巡った
・・・・ような気がするんだけどなぁ。。。。






何分33年も前の事なんで・・・・違ったかもしれないけど。。。。。
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本配信はキョンキョンのデビュー日3月21日だったんだけども、当日は見られず。ようやく視聴。
配信ライブ、「唄うコイズミさん」としては、昨年8月に行われた「第1弾」に引き続いての「第2弾」。
当初、このライブ告知を何気なく見つけた時は、へえ、面白そうじゃん・・くらいの軽い気持だったんだんだけども、音楽系のネットニュースみると、当初から結構期待されていたんだな。 そのくらいいろんなメディアに取りあげられていたんだな・・というのが今更ながらに分ったりして。。。。
今回は、自身も多くのオリジナル曲を歌ってきた筒美京平氏の曲を「リスペクト」するという形で、フィチャー。 メドレーも含んだ全13曲。1時間余りのライブ。
当日のセットリスト
1. 今をいじめて泣かないで (1984年 5thアルバム「Betty」より)
2. Kiss (1987年 21thシングル「水のルージュ」c/w)
3. 魔女 (1985年 16thシングル)
メドレー
4. 水のルージュ (1987年 21thシングル)
5. まっ赤な女の子 (1983年 5thシングル)
6. 半分少女 (1983年 6thシングル)
7. 迷宮のアンドローラ (1984年 10thシングル)
8. ヤマトナデシコ七変化 (1984年 11thシングル)
9. なんてったってアイドル (1985年 17thシングル)
10. 夜明けのMEW (1986年 19thシングル)
11. ガラスの瓶 (1995年 37thシングル「BEAUTIFUL GIRLS」c/w)
12. 夏のタイムマシーン (1988年 マキシシングル)
13. バナナムーンで会いましょう (1984年 5thアルバム「Betty」より)
all music by 筒美京平
これは、特に3曲目の「魔女」で感じましたね。
バックバンドの音は、紛れもなく今の音なんですよ。 でも、キョンキョンのボーカルは85年当時を、そのまま彷彿とさせる。
これは凄いな。

やっぱり、歌番全盛期だった80年代を駆け抜けたアイドルならではの鍛えられ方の賜物なんでしょうかねぇ。
カメラの前で歌うことに関してはプロを感じるし、こちらとしても安心感がある。
最近のアーティストはカメラの前で歌うということに、今一つ慣れていないところがあるのか、歌番組に出ると歌い方が不安定だし、歌のクオリティが下がるように感じるけど。。。
残念だったのは、主要なシングルがメドレーだったことですかね。確かにアコースティックでは少々無理な曲も在りましたが。。
オリジナルを考えるとこの曲が一番、無理があると思ってしまいますが。。。
1時間余りのライブは短かった。。。
・・と言いたいところだけど、正直、配信ライブは、このくらいがちょうどいいのかもしれない。
これまでも何本か配信ライブを見てきたけど、2時間超えるとダレるんだよね。
リアルなライブではそんなこともないんだけど、やっぱり、画面越しに2時間凝視するのはダレてくるんだよね。
だから、腹八分な今回のライブくらいがちょうどいいのかもしれない。
「唄うコイズミさん」シリーズは、まだ続くのかもしれないわけで、お楽しみは、この後にもとっておくという意味でも。
でも、デビュー40周年となる来年は、リアルライブで見てみたいものですね。

今回の1曲セレクトは、「甘い生活」野口五郎です。
まずはデータです。
・タイトル 甘い生活
・アーティスト 野口五郎
・作詞 山上路夫
・作曲 筒美京平
・編曲 筒美京平
・リリース日 1974年10月20日
・発売元 ポリドール
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 49.4万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年11月4日〜1975年1月20日付
筒美京平氏が亡くなって1か月余り。
ヒット曲を聴き始めて42年が過ぎた私にとっても、切っても切り離せない存在だっただけに、やっぱりデカい出来事でしたね。
そういう影響もあってか、ここ1か月余り1曲セレクトがなかなか書けない状況にあったんですが、引きずってばかりいてもいけない・・・と徐々に思えるようになり、ようやっと筆を上げる気分になりました。
そうは言っても、今回はやっぱり、筒美京平氏の曲で行きたいわけで、この曲を引っ張ってきました。
野口五郎 「甘い生活」。
テレビの筒美氏追悼番組を見ていると、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」、ジュディ・オングさんの「魅せられて」・・といった。筒美氏の代表曲ばかり扱われていたようで、この曲なんかはついぞ出てこなかったような気がするけど。。。
それでも、オリコン1位を獲得したれっきとした大ヒットなんだよね。
いや、そればかりではなく、野口五郎氏の初のオリコン1位獲得曲であり、しかも、野口五郎氏のシングルの中で最高売り上げを記録した曲でもある。
そう書くと、今となっては意外かもしれないな。
野口五郎氏といったら、どうしても「私鉄沿線」が最も「売れた」曲のような印象が強い。
「懐かし番組」で野口五郎氏の曲として取り上げられるのも、大体が「私鉄沿線」だしな。
確かに「私鉄沿線」もオリコン1位を獲得してはいるものの、売り上げ枚数はこの甘い生活よりも4万枚ほど少ない45.3万枚にとどまっている。
つまりさ、野口五郎氏は50万枚ヒットを出せなかったんだよね。
同じ新御三家として、西城秀樹氏も郷ひろみ氏もクリアした50万枚の壁を唯一クリアできなかったわけだ。
「50万枚の壁」。 これについてもいつか書いたんだけども、70年代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのは壁だったんだよね。
郷ひろみ氏も50万枚の壁をクリアしたと言っても、70年代で50万枚を突破したのは、この「甘い生活」と同時期に大ヒットした「よろしく哀愁」だけだ。しかも50.6万枚とギリギリのクリア。
いや、西城秀樹氏も79年の「YOUNG MAN」が出るまでは、50万クリアは「激しい恋」の1曲だけだった。
新御三家に対して、中3トリオの森昌子さんはデビュー曲の「せんせい」、桜田淳子さんは、「甘い生活」と同時期にリリースした「はじめての出来事」、ともに1曲のみが50万枚クリアしている。
つまりあの時代アイドルにとって、売り上げ50万枚っていうのはとてつもなく大きな壁だったわけだ。
そういう意味では、50万枚を5枚出している山口百恵さんの偉大さが際立つし、逆に新御三家、中3トリオの中で唯一、50万枚をクリアできなかった野口五郎氏は無念だったろうな・・なんて思えたりするんだけど。
ただ、こうしてみると、1974年の今頃から明けて1975年の冬にかけて、
・郷ひろみ「よろしく哀愁」
・野口五郎「甘い生活」
・山口百恵 「冬の色」
・桜田淳子 「はじめての出来事」
と、続けざまにオリコン首位を獲得し、併せてすべて売り上げ50万枚前後を記録していたわけで、今から考えると、新御三家、中3トリオ共に全盛期だったんだよね。
そんな新御三家全盛の1974年〜1975年にかけて新御三家の中で売り上げ的に一番安定した居たのが
実は野口五郎氏だったりするんだよね。
この「甘い生活」を皮切りに、5作連続でオリコン2位以上を獲得してたりする。
ベストテン世代で、「ザ・ベストテン」でともに1位を獲得した郷ひろみ、西城秀樹氏を見てきた私なんかは、いまひとつイメージがわかないんだけど、実はそうだったんだよね。
「甘い生活」。
いわいるフォークソングでいう「四畳半フォーク」的な、いかにもしみったれた、心の隅の一場面を切り取ったような、いかにもミニマムな世界観の詞の世界を、大げさすぎるほどのドラマティックな曲調で歌う。
いかにも1974年と言う時代を写し取っているような曲だよなぁ。
この曲と全く同じよう曲想であった、布施明氏の「積木の部屋」も同じ1974年の大ヒットだったし。
ただ違ったのは、筒美氏の曲調だったろうな。 「積木の部屋」は、もっとフォークに近かった。
けど、この「甘い生活」は、もろカンツォーネ的だった。 いやヨーロッパ的と言った方がいいかな。
でも、ヨーロッパ風曲調は、この時代のいわいる、ポップス系ヒットの一つの流行りだったんだよね。
73年の「魅せられた夜」に始まる、ジュリーのいわいるフランス系の一連のヒットでもそれは顕著だったし、同じ74年のヒットとしてヒデキの「傷だらけのローラ」にしてもそうだったわけじゃん。
そういう時代の流れを的確につかみ取り、四畳半フォーク的な日本人特有なしみったれた心情とうまく融合させた筒美氏の技が光る1曲だと思うなぁ。
この頃5歳で、物心つき始めたころの私にとっても、この時代の曲調って記憶の根底に残ってるしさ、だからなのか、ヨーロッパ系の曲調って懐かしさがこみ上げるんだよなぁ。
アメリカンなサウンドよりも、ヨーロッパ系、特にフランス系、イタリア系、北欧系のメロディラインであったり、サウンドは、個人的にはやっぱ好きなんだよね。
ま、もっとも、この次の年の1975年にポールモーリアっていう、もろヨーロッパ系の人に心酔しちゃったからねぇ。
そんなこともあってか、個人的にもこの「甘い生活」って曲は懐かしさがこみ上げたりするんだよなぁ。
もちろん、5歳だったんで意識して聴いてたわけじゃないんだけど。
1974年「第16回日本レコード大賞」作曲賞を受賞した熱唱の場面ですわ。
筒美京平氏自ら指揮を執ったという、昨今話題になった動画ですね。
当時、マスコミやテレビには一切出なかったいう筒美氏の超貴重な一場面ではないでしょうか。
野口五郎氏のブログによると、歌唱賞候補に落選、ただ筒美氏がこの曲で作曲賞を受賞という知らせを聞いたとき、スタッフからは出演するのを辞退しようという話が出たとか。
でも、筒美先生が受賞したんだから僕出ます・・と。
で、元々出演の予定がなかった京平先生が突如「五郎ちゃんが出るなら僕も出て指揮するよ!」とリハーサル無し、ぶっつけ本番で指揮をしてくれたのが、この時だったとか。
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Facebookで音楽界の訃報が止まらないと書いたばかりなのに筒美京平さんまで逝ってしまった。
コロナ渦中とはいえなんて年なんだろう。
謹んでお悔やみ申し上げるとともに、急ぎトピックスをアップさせていただきました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201012/k10012659581000.html
さきほど、東京FMでは西田佐知子さんの「くれないホテル」がかかった。
洋楽と邦楽のハイクオリティなミックスバランスから業界内では評価が高いこの曲だけど、筒美氏本人は「あー、あの売れなかった曲ね」と「にべ」もない返事をしたというのは伝説ですね。
筒美さんの意識としては作品として素晴らしくても、売れなかかった曲に興味はなかったというわけですわ。
でも、それが商業音楽に携わる者の本当の姿なんじゃないかって思う。個人的に筒美さんに惹かれるたのはそんな姿勢だと思う。
筒美さんには、本当に数えられないほどたくさんのヒット曲があります。どの曲が一番いいのかなんて決めきれないくらい。
でも、個人的には、あの曲が良かった、この曲が良かったという個々の楽曲の評価より、ヒット曲作家としての姿勢そのものが凄さを感じたし、惹かれたんだよね。
曲のクオリティが高いことは当たり前のことで、その上であくまでも売れること。これがヒット曲作家の宿命だと思う。
まあ、最近はニッチな曲ほどもてはやされる時代なんで、そんなこと書くと「あほか」って思われるかもしれないけど、個人的にもあくまで曲クオリティが高いうえで「売れた」「売れる」曲にこだわりたいわけです。
そんなヒット曲作家としての良心を持った作家は今は・・・いないな。
もうこんな「巨星」ヒットメーカーは出てこないと思う。
だからこそ筒美さんの死去は、音楽界にとって計り知れない損失だったんじゃないかなと思うわけです。
先日購入した、2005年にBSフジで放送された「HIT SONG MAKERS」の「筒美京平編」のDVD、ようやっと見れた。
後年NHK BSプレミアムで放送された「希代のヒットメーカー 筒美京平」よりも突っ込んだ内容になっていますね。
生演奏で披露する曲も何曲か含まれているけど、数ある筒美作品の中でもマニアックな選曲。
さすがにBSということで、本当に興味がある人向けの内容になっている。
そのあたりは、NHKBSで放送された内容とはかなり対照的だと思う。NHKの方は、皆様のNHKらしく「大衆向け」って感じでしたからね。
その分、見ごたえはあるとは思うけど、筒美"大ヒット"作品を期待してる方にはちょっと拍子抜けかも。
いずれにしても、NHK BSの「希代のヒットメーカー」と併せて、大分、筒美京平氏について分かってきた・・・とは思うものの、やっぱり榊ひろと氏著「筒美京平ヒットストーリー」を全網羅するほどの内容には程遠いなぁ。
ただ山口百恵を手掛けた酒井政利氏のインタビューで「南沙織さんは筒美氏と合うと思ったけど、山口百恵は筒美メロディを殺してしまうと思えたので、敢えて依頼しなかった」というコトバと、「松田聖子は南沙織にタイプが近いので、筒美作品には合うかもしれない」というコトバは印象に残ったな。
これは、私もそう思う。
これはどういう意味かと言えば、洋楽的な南沙織さんと、日本的な山口百恵さんというタイプの違いだよね。
その点、洋楽的な筒美氏のメロディは南沙織さんには合ってるけど、山口百恵さんには合わなかっただろうってことだよね。
そのタイプの違いから言えば、松田聖子さんは南沙織タイプに近いってこと。
それにしても松本隆−筒美京平−大村雅朗で松田聖子の曲を作ってたらどうなってただろう?
やっぱミポリンの「ツイてるねノッてるね」みたいになってたのかしらね?
かじやん