かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

竜真知子

夏のフォトグラフ / 石川秀美

1984_05_夏のフォトグラフ_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「夏のフォトグラフ」石川秀美です。

まずはデータでする。

・タイトル     夏のフォトグラフ
・アーティスト   石川秀美
・作詞       竜真知子
・作曲       小田裕一郎
・編曲       入江純
・リリース日    1984年5月3日
・発売元      RVC
・オリコン最高位  8位 (1984年5月14日〜5月21日付)
・売上げ枚数    11.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 15位

長年ヒット曲を聴いてくると、例えばリリースされた頃はあんまり聴いてなくても、今改めて聴いてみると、曲調やサウンドによって、その曲がいつヒットしたのか、時代が大体わかる。 

うん、事前にいつヒットしたかという知識なしに・・・という前提ですけどね。

昔、オリコンヒットチャート研究会っていう自主サークルを組んでいた時、よくこんな遊びをしてましたねぇ。

リーダーの家に遊びに行くと、いきなりマニアックなアイドルのカセットをかけて、この曲のリリース年は?  なんて聞いてくるのよ。

普段、ベストテン級の、いわいる「A級」もしくは「B級」アイドルくらいしか聴かない私は、ほとんど分かんなかったんだけども、あてずっぽうで言って見ても、大体当たってたりしたなぁ。
曲調とかサウンドで、大体いつ頃の曲か分かったのね。

特に、80年代中盤、そうね、84年、85年、86年頃のアイドルの曲って、例えばシンセの音色だったり、メロディラインだったり、はたまたバックの合いの手のフレーズだったり、似た曲が多かったからさ。

いつかも書いたんだけども、例えばYAMAHA「DX7」のプリセット音が聞こえてきたら、ほぼ高確率で84年か85年の曲・・・とかさ。
まあ、よく言えば80年代を象徴するような特有のサウンドだったわけですね。


今回の1曲セレクトは、そんな80年代アイドル独特なサウンドの1曲を一つ。


石川秀美「夏のフォトグラフ」。

石川秀美さんの84年くらいまでの、いわいる初期の曲は、これまでに大体書いた。
まあ、まだ書いてない曲も何曲かは残っているけど。。。。 でも、まあ残っている曲は、当時あんまり刺さらなかったか、あんまり聴いてなかった曲なわけで・・・。

そこから見ると、まだ書いてなかったこの曲も、リリース当時はあんまり刺さらなかった1曲なんだよね。

最も、先日、渡辺典子さんの「晴れときどき殺人」の時も書いたように、84年の今頃は、高校受験対策のため、日曜日「塾」に通うようになって、ラジオのカウントダウン番組をあまり聴けなくなったわけで。。。
その影響でこの曲もリアルタイムで、それほど耳にしてなかったというのもあるかもしれないな。

オリコンでは最高8位と健闘したものの、総合ランクが多かったラジオのベストテン番組では、この曲ベストテン入りしなかったのも多かったし、同じ理由で「ザ・ベストテン」でもベストテン入りを逃していたことも、より耳にする機会が少なくなったんだけども。

ただ、それを差し置いても、あんまり刺さらなかったんだよなぁ、この曲。

80年代アイドル曲として、オーソドックス過ぎた・・・というのが一番大きかったかもしれない。
月刊・明星のヤンソンで、近田春夫氏も指摘しているように、インパクトが弱いんだよね。

♪ 夏のフォートグラフ〜 ♪ っていう出だしは、掴みがあるとは思ったんだけども、それだけって感じがしてさ。

やっぱり、作詞・竜真知子、 作曲・小田裕一郎 っていう作家陣から生み出される曲調が、84年と言う時代から見ると古臭くなってきていたことも否めなかったと思う。

これも、当時近田氏がよく使っていたフレーズだけど、「5年前の・・・」っていうイメージなんだよね。 

・・・ってか、同じようなことを以前、同じ石川秀美さんの「バイバイサマー」の時も書いたような記憶があるんだけども・・・

お二人が紡ぎだす曲調って、80年代のそれ・・・というよりも70年代なんだよね。 84年当時から見ても古臭いような感じがしたのよ。 時代とシンクロしてない感覚があったんだよなぁ。

それでいて、アレンジャーの入江純氏が織りなすサウンドが、いかにも80年代アイドルっぽくてさあ。今聴いても、なんとなくバランスが悪いなぁ・・なんて印象を感じたりして・・・。


個人的には、この曲一つ前の「めざめ」って曲は好きだったんだよね。
ブラコンっぽいサウンドが、石川秀美っていうヒトの曲としては、新しかったし。

84年って、アイドルを含め、全体的にヒット曲ってニューウェイブに向かう傾向があったじゃない?
そういう流れにうまく乗ったな・・・なんて思ってたのよ。

そこに来て、時代を逆流してしまったようなこの曲だったんで、ちょっとがっかりした・・・と言うのが、一番の理由だったかもしれないなぁ。

さらに言えば、そのまた一つ前の「スターダストトレイン」って曲も個人的には好きだった。
メジャー系の明るい、アップチューンなポップス、この曲調がこのヒトにはフィットしてるよなぁ・・・って感じたんだよね。

まあ、このことは、それ以前、例えば83年元日にリリースされた「涙のペーパームーン」の時からも思ってたんだけども。。。

逆に、マイナー系の曲になると、途端につかみどころがない、古臭いイメージになっちゃっうんだよね、このヒト。 

当時、石川秀美さんの曲は掴みどころがない、まずは方向性を決めてから曲を作るほうがいいんじゃない? なんて、近田春夫氏からも指摘されてたわけだけど。

で、「スターダストトレイン」、「めざめ」っていうシングルから、やっとこのヒトにフィットしたような方向性が見えて来た矢先だったらさ。 個人的ながっかり感は、大きかったんだよね。




これを書くにあたって、当時のオリコンチャートを改めてひも解いてみた。
石川秀美さんの当時のチャートアクションを見てみると、この「夏のフォトグラフ」の前年の「恋はサマーフィーリング」から、ずっと、初登場時、初動は2万枚台で推移していたりするんだよね。

ただ、意外だったな・・と思ったのは登場2週目も2万枚台をキープしていたこと。
「スターダストトレイン」「めざめ」では2週目は逆に売上げを伸ばしていたりするし。。

まあ、当時は発売日が、今のようにほとんどが水曜日と曜日固定されていたわけではないんで、オリコン集計期間が、曲によってまちまちだったこともあり、一概には言えないんだけども、意外と登場2週目も健闘していたんだな・・・なんて印象を感じましたね。

後のおニャン子などと同様、初動だけ・・っていう印象が強かったんだけどもね。

逆に言えば、それ以上の週間売り上げが上積みされた曲もなかったし、結局は固定ファンだけだったんだよね・・っていう印象も改めて持ったりしたけど。。。。

これは、83〜84年にかけて累積売り上げにほとんど大きな変化が見られないっていう所からも分かりますね。

まあ、よくいえば安定した人気があったともいえるんだけども。。。。

ただ、このヒトの場合、突出したヒットが出なかったわけで、代表曲は何? と言われると困っちゃったりするんだよね。

このヒトとか堀ちえみさんとか、花の82年組の中でも、シブがき、キョンキョン、明菜に続く、第2グループに位置する人たちはそうですね。松本伊代さんだって、もし「センチメンタルジャーニー」がなかったらそうだったろうし。。。



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コスモス街道 / 狩人

1977_09_コスモス街道_狩人


今回の1曲セレクトは、「コスモス街道」狩人です。

まずはデータです。

・タイトル     コスモス街道
・アーティスト   狩人
・作詞       竜真知子
・作曲       都倉俊一
・編曲       都倉俊一
・リリース日    1977年8月25日
・発売元       ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   42.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1977年9月12日〜11月28日付

結局、この3連休はどこへも出かけず、家でグダグダ過ごしちゃいましたね〜。
夏の疲れが出てきたのかなぁ、腰に痛みが出て来てね〜、ちょっと出かける気が起きなかったんだよな。 まあ、天気もピーカンって言う感じでもなかったしな。

 でも、今年は3連休って言うのが多く、さ来週、また3連休なんだよな。 うーむ、今度はどっか出かけたいですねぇ。

最近は家にいる時は、ロードマップとにらめっこなんだよな。 8月山形行った時もそうやってロードマップとにらめっこしててドライブに出かけちゃったし、今度は、国道254号を使って信州に行きたいな〜。

あーら、今回の1曲セレクトで引っ張ってきた曲の前振りですか〜 

そーです、前振りです〜 

狩人「コスモス街道」

最近は、水森かおりさんが、各地名をタイトルにもってくる「ご当地ソング」を毎年リリースしてますが、そんな水森さんに繋がるような、「元祖」ご当地ソング、アーティスト。 それが、狩人ですわなぁ。

デビュー曲の「あずさ2号」が甲州・松本。 それに続く、デビュー第2弾シングルが、今回の「コスモス街道」。

え? 「コスモス街道」って本当にあんの とか聞かれそうだけど、実際にあるんだよね。 長野県佐久市。

この曲の歌詞にもあるじゃん

♪ 右は越後に行く北の道 左は木曽まで続く中山道〜 ♪ ってさ。 これは、歌詞の中のフィクションではなく、実在してるんだよね。 長野県佐久市の国道254号線。ここ、実際に「コスモス街道」って名称がついてるんだよね。
実際に路の両脇にはコスモスが並んでいて、今頃(9月頃)が見ごろだそう。

「あずさ2号」同様、実在する場所、名称がタイトルについてるだけに、曲にリアリティを感じるんだよな、このヒトたちの、特にこの最初の2曲はさ。

ただ、個人的には、コスモス街道って、国道18号の事だと思ってたんだよ、長い事。

曲出だしに ♪ 日よけを下した白いレストラン 〜 秋の避暑地 ♪ ってあるじゃん。 どう考えてもこれって軽井沢の事だよな。 国道254号は軽井沢通ってねぇぞ・・・とか思っちゃったりしてさ 

それ以前に、この曲、今から41年前の1977年(昭和52年)の曲なんだけどさ、果たして41年前の国道254号って、まだ道悪かっちゃんじゃねぇかな・・とかさ。

今でこそ、片側1車線の「舗装道」で路面もいいけど、41年前の「幹線国道」ではない、特に地方の「一般国道」なんて、そりゃ酷いもんだったんよ。離合困難なほど狭かったり、舗装されてなかったり・・・。

41年前の国道254号はどうだったんだろう? さすがに当時の実際の道路状況を知る由もないけど、ネットを検索してみると、コスモス街道と言われている地区の手前、群馬長野県境の旧国道254号、内山峠は、狭くヘアピンカーブ連続の「酷道」だったようだ。

・・とすれば、そんな所をわざわざ、曲のタイトルに持ってくるかなぁ・・・なんてさ。  

でも国道18号は幹線国道だけに、当時もそれなりに整備されていたはず。 それならこの曲のイメージに合ってたんじゃないかなぁ
もっとも、現在の軽井沢バイパスはまだなく、旧碓氷峠越えの片側1車線道だったはずだけど・・・。

・・・・なんてさ、どーも、穿った見方をしちゃうところは、ワタシの悪癖ですわな〜。


ちなみに、狩人って、長野県が好きで、デビュー曲の「あずさ2号」、この「コスモス街道」もそうだけど、80年には「白馬山麓」なんてシングルも出してたりする。
でも、本人たちは長野出身・・と言う訳ではなく愛知県出身だったりするんだよね。 




この曲、都倉俊一氏の作・編曲なんだよね。
それにしては、かなり「和」が入った作風だよなぁ。 はじめは、おおよそ都倉氏の作品とは思えなかったんだよね。 平尾昌晃氏? っても思える様な作風だったし。

 都倉氏の作品って、もっとバタ臭い、洋楽的な作品が多かったからさ。 この曲が77年の8月25日リリースで。その10日後に、ピンク・レディの「ウォンテッド」がリリースされている。

うん、この「ウォンテッドこそが都倉氏らしい作品だと思えるしさ。 プラス、どこかに似たようなフレーズが隠れいたんだよ、都倉氏の作品って。 これで、「あ、これ、都倉氏」って分かるんだけど、この曲は、都倉氏らしいフレーズが出てこないんだよなぁ。 あ、「あずさ2号」もそう。

それは、メリハリって言う部分でもそう。 都倉氏の曲ってリズム体がはっきりしてる分、メロディラインは意外と平坦な曲が多い。 だからなんだろうけど、曲にメリハリが少ないんだよ。

でも、この曲は別。 mpっていう、優しい感じの出だしから始まって、サビに向かって追い込むようにグワッと盛り上がって行く。
カンツォーネ的な手法って言うかさ。 これは、デビュー曲の「あずさ2号」でもそうでしたね。 ただ、この曲は、「あずさ2号」よりも、スピード感があっただけにサビに向かっての追い込みは迫力がありましたね。

そう言う意味でも、狩人の曲って、通常の都倉氏の曲に比べると、かなり特殊な作り方だったんじゃないかなぁ。

で、こういうカンツォーネ型の盛り上がりは、1977年当時のヒット曲の一つの流行りだったんだろうね。 それがもっとも顕著だったのが、この曲と全く同時期に大ヒットしてた、松崎しげる氏の「愛のメモリー」だったしさ。 



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バイ・バイ・サマー / 石川秀美

1983_09_バイバイサマー_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「バイ・バイ・サマー」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル     バイ・バイ・サマー
・アーティスト  石川秀美
・作詞        竜真知子
・作曲        小田裕一郎
・編曲        入江ジュン
・リリース日       1983年9月1日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  11.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位

昨日に引き続きいての1曲セレクトですが、どうもねぇ、昨日の安室さんの1曲のイメージが残っちゃってましてねぇ。今日は各ワイドショーも、ラジオ放送も昨日に増して「安室引退」の報道が多かったからなぁ。
うーむ、上手く気持ちが変わらないなぁ。 こういう時に安室さん以外の曲を持ってくる来るのも、本音を言えばキツイんだけどね。
でも、そうも言ってらんないんで、今回は安室さんじゃないヒトの曲を引っ張って来ますよ。

今日は、事前の天気予報では、気温が上がるって事だったんだけど、昨日同様、秋めいた1日でしたわ。おまけに秋雨もシトシトと・・・。

これは、本格的に「夏」ともオサラバ・・・ってことでいいでしょうかねぇ。
・・となると、ようやっと「夏の終わりの・・・」って曲を持ってきたくなるもんですわ。

・・ということで、今回はダイレクトに「夏の終わり」を歌ったこの曲を・・・


石川秀美「バイ・バイ・サマー」

うわっ、またマイナーな曲を・・って感じなんだけどさぁ、もうね、80年代の曲ってこの辺しか残ってないのよ。。

この曲は、今から35年前、1983年の今頃のヒット曲ですわ。 

ちょっと前にも稲垣潤一の「夏のクラクション」でも書いたけど、この年1983年はワタシャ14才、中学2年の時ですわ。

 うむ、「最も」ヒット曲を聴き漁っていた頃ですね。 まあ、兎に角、何でもかんでも聴いてたですわ。よく1日中ラジオの前に居られたもんだよなぁ・・・ってくらい、日曜は朝から夕方までラジオの前にかじりついて、明星の歌本「Young Song」を片手に、ベストテン番組の梯子。 日曜だけで3つのベストテン番組聴いてたもんなぁ、この頃は。

今思うと、よく、それだけの体力があったもんだよなぁ・・・なんて感心する。 今は、1つのラジオ番組も最後まで聴いてらんないもん。

ともかく、だからね、この頃吸収した曲が、今のワタシの血肉になっている事は間違いない訳で、それだけ刺さった曲も多かったんだよな。

ただ、そう言う曲って、もうすでに大半は1曲セレクトで書いちゃったわけで、それでも、まだ残っていたってことは・・・。

そうなんですねぇ、この曲、当時、あんまり刺らなかったんだよね。

まずもって、1983年当時からして、ちょっと古臭よなぁ・・っていう印象が強かったんだよな。 

いつかも書いたかもしれないけど、この当時って、ヒット曲も、まだまだ発展途上のところがあって、新しい試みの新曲も次々とリリースされていた。

だからね、新曲がリリースされるたび、新鮮な気分になれたし、なにより、年ごとにカラーがあったんだよね、ヒット曲の。 ヒット曲の色合いって言うのかなぁ。 だから、今も曲を聴けばどのあたりにヒットしたのかっていうのも大体分かるしね。

個人的には、例えば、1982年の夏は「どんよりとした曇り空」、 1983年の夏は、「夏のクラクション」の時も書いたけど、「夏の午後の透明な光」のイメージがある。

大体こんなイメージに沿った曲が多かったって事ですね。

それじゃ、この「バイ・バイ・サマー」はどうだったのか・・・っちゅうと、まあ、タイトルからも想像できるように「夏の午後の透明な光」の・・って言うイメージは到底ない。

どちらかと言うと、前年82年の「曇天の下の・・・」って言うイメージなんだよね。

そんなところから、どうしても「古臭い」イメージが、まず初めてに出て来てしまう。  そそそ前年の秀美さんのシングル、「ゆれて湘南」。 あの延長線のイメージなんだよ。

だからさ、仮にこの曲が、前年の82年にリリースされていたら、もっと刺さったのかもしれない。 

明星歌本の「新曲激評」で近田春夫氏も、「2年前の・・・って言うイメージ」って書いてたりするしさ。


結局さ、作詞の竜真知子女史も、作曲の小田裕一郎氏も、ヒットメーカーとしての旬は過ぎていたのかもなぁ・・・。

80年代でも、82年と83年の間にはヒット曲の傾向に大きく変化が見られたんだよね。 これもちょっと前に書いた事だけど、82年って、まだ70年代の「残像」のような曲が多かったんだよ。

ま、82年の「70年代」のヒット曲のカバー、リメイクブームを見れば顕著なんだけど。 でもね83年には、そういう70年代のくびきは一掃され、本当の意味での80年代的なヒットが始まったって言えるんだよね。

これも時代の流れな訳なんだけども、そんな80年代的な新たな流れにうまく乗れなかった作家の方々も多かった訳ですわ。それが、竜真知子さんであり、小田裕一郎さんだったって事なんだろうね。

まあ、小田裕一郎さんは、この「バイ・バイ・サマー」と同時期に、杏里の「キャッツ・アイ」を大ヒットさせていたわけがら、必ずしもそうも言いきれなかったのかもしれないけど、でも、ヒットメーカーとしては、このころが最後の頃でしたしね。




うーん、聴きようによっては、85年の・・・っていうイメージも感じられたりしてね。
でもね、↑で書いたようなヒット曲のカラーは、85年の夏と、82年の夏って似たようなイメージがあるんだよなねワタシの中では。
どちらの年も「曇天の下の〜」っていう、少し薄暗い、秋の始まりのような肌寒いイメージ。

うん、82年も、85年もどちらの年も夏は冷夏で長雨が続いた年ですわ。実際の天候がヒット曲のカラーも決める。
でもね、酷暑の年は蒸し暑い曲がヒットするし、寒い年は寒々しい曲がヒットする。そう言った実際の天候とヒット曲の傾向ってリンクしてるんだよね。 



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ハートのエースが出てこない / キャンディーズ

1975_12_ハートのエースが出てこない_キャンディーズ


今回の1曲セレクトは、「ハートのエースが出てこない」キャンディーズです。

まずはデータでする。

・タイトル    ハートのエースが出てこない
・アーティスト  キャンディーズ
・作詞      竜真知子
・作詞      森田公一
・編曲      竜崎孝路
・リリース日   1975年12月5日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数  17.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

3連休ですなぁ〜、クリスマスですなぁ〜。
ま、3連休はともかくとして、「ぼっち」の身分としてはクリスマスなんてほとんど関係ないですからねぇ。普通の3連休ですよ。
それでも、いつもの週末よりも1日長く「休め」るのはありがたい。ここんところ、ずっと精神的に休めてなかったのもありーの、この3連休は肉体的に・・というよりも精神的に休みたいわ・・・なんて気分ですね。

あ、この休みは、出来るだけ1曲セレクトは書こうと思っていまする。。。

うむ?、なんか訳が分かんないマクラだな (いつもの事ですが。。。

・・・というわけで、本題。

今回の1曲セレクト、クリスマスなんで、当然「クリスマスソング」を・・・と行きたいところもあるんですが。。。。全く関係ない曲どぇす。。

キャンディーズ「ハートのエースが出てこない」。

え? なんでこの曲なの? なんて思われるかもしれないけど、えー、全く意味はございませぬ。
完全に当たりばったりなセレクトですわ。

ま、いつものごとく、「今頃」ヒットしていた・・・ってところだけは外してないですけどね。 そうなんですね、この曲は1975年12月リリース。41年前の今頃ヒットしていたんだよね。

あれ? そうだったかなぁ? ・・・なんていう感じもするんだけどさ。

例えば、次の年、1976年11月にリリースされた「哀愁のシンフォニー」は緊張感があったりして、如何にもこれから来る「冬」を思わせる曲調だったりするじゃない?
でも、この曲には、そう言った「季節感」というところは無いんですよね。

70年代〜80年代にかけてのアイドルって、大体季節ごとのリリースだったりした訳で、季節感を感じる曲っていうのが多かったんだけどね。

前曲の「その気にさせないで」は当時ブームだった「ディスコ」にコミットさせた曲調だった訳だけど、この曲も大まかな流れからすると、その流れをくんでいるような曲調ではありますね。
 ただ、正調なディスコというよりは、少しソウル寄りって感じなのかなぁ。まあ、これも当時のブームではあったんだけども、75年の今頃は「ソウル」ブームでしたからねぇ。

「ソウル・ドラキュラ」に「ソウル・フランケンシュタイン」・・・と。。。それまでのバンプ系な能天気なノリから、若干ダークな曲調が流行っていた時期ですわ。

そんな時代の流れに便乗・・・もとい、そんな時代の流れをくんだような曲調だったのが印象的。

ピンク・レディーが出てくるのは、次の年になる訳だけどさ、コドモに人気があったピンク・レディーに対して、キャンディーズが当時の大学生など、少なくともピンク・レディーよりもファン年齢層が高かったのは、ココなんだろうな。 

時代の流れをくんだ曲調。

通常、大学生もなるとアイドルから卒業するわけじゃん・・・。あ、いまは知らないけど、当時は、そうでしたよね。
「いい年して、アイドルかよ」って目で見られるのが普通だった訳で。
みんな洋楽や、邦楽でもロック・ニューミュージックに流れてたわけじゃん。

じゃ、大学生に受けるにはどうすればいいのか?  そう、時代の流れ・・・当時の大学生が聴いても恥ずかしくないような向こうの洋楽的な流れに乗る事ですね。
たださ、単純に洋楽的な流れに乗ればいいのか・・・というと、そうじゃない。しっかりと歌えてなくちゃいけない。
向こうの曲で耳が肥えていた、当時の音楽ファンは厳しかったですからね。

音楽的にしっかりしていないと、ただ、表面的に洋楽的でも支持はされなかった訳で。。。

それが出来たのが、キャンディーズだったわけですわ。

ま、音楽的なところは、ナベプロっていう、こと音楽的な事には煩かった所に居たって言うのも大きかったんだろうね。

その辺が曲に顕著に出てきたのが、前曲の「その気にさせないで」であり、この「ハートのエースが出てこない」ってわけですわな。

通常アイドルっていうと、例えば3人組だとしたら、ユニゾンで同一のメロディをなぞるか、せいぜい上下2声のハーモニーを歌えるかですよ。それは、今でも変わらない。 
3人それぞれのパートを持ち、「3声」のハーモニーを聴かせた最初のアイドルは、キャンディーズだったろうしね。

まあ、その辺〜3声ハーモニー〜は、当時日本でもヒットしていた、スリーディグリーズを意識していたのは間違いないんだけどさ、でも、意識していたとは言っても実際、なかなか出来ないだろうしな。

そんな「3声」のハーモニーを存分に聴かせてくれたのが、この「ハートのエースが出てこない」だったろうな。

そもそもAメロ(サビ)の入りの ♪ ハートのエースが出てこない〜 ♪ から3声ハーモニーを聴かせてくれたしな。

いや、この曲は、そんな単純な流れじゃないんだよね。

例えば、 Bメロの 

♪ 狙いをこめ あいつのことを 恋占い してるのに〜 ♪ のフレーズなんぞは、ユニゾンから2声、そして3声へ・・・と徐々にコーラスに厚みを持せたり、Aメロ最後の 

♪やめられないこのままじゃ〜 ♪ はユニゾンから、いきなり3声コーラスになったりよくよく聴くと凝った作りになっているんですよね。
それだけ自在にコーラスを操るキャンディーズがこの曲では聴ける訳で、当時としては、その辺りに新鮮さが感じられたんではないかなぁ。
 
確かに今聴くと、上で書いたようなソウルな部分を感じさせるとともに、やっぱり歌謡曲だよな・・・と感じる部分も大きいけどさ。

しかも、3声コーラスになる部分の声質が、すこし小悪魔的な印象を感じたりして、おもわずゾクゾクッとしちゃったりしてね。

作曲は森田公一氏。 暫く続いていた穂口雄右氏の一連の曲が、この曲だけ、森田公一氏に戻ったんだよね。
戻ったんだよね・・・ということ、以前、うん、デビュー当時の初期の作品は森田氏の曲だったんだけどね、キャンディーズは。
 今聴くとソウルな中にも、歌謡曲の匂いが強く感じるのは、森田公一氏独特の歌謡曲から派生したような70年代ポップスってところも強いんだろうな。

でも、言えることは、前曲の「その気にさせないで」と、この「ハートのエース〜」で、完全に新たな「お客さん」を掴んだ事。具体的に言えば、前曲でV字回復したレコード売れ上げが、この曲ではさらに伸びたってところですね。

いや、数字的な所を見れば、この曲で完全に人気を掴んだっていう感じなんだよね、キャンディーズも。

たしかに、この年の頭に「年下の男の子」でスマッシュを見せていたものの、次の「内気なアイツ」では売り上げがダウンするなど、まだ人気に不安定な部分がありましたからね、それまでは。

でも、この曲で完全に火がついたんだよね。 その流れが、次の「春一番」で爆発する訳なんだけどさ。

ただね、そうは言っても、この「ハートのエース〜」では、オリコンではベストテン入り出来なかったんだよな。
最高11位と、あと一歩のところまでは行ったんだけどさ。
ただ、ある意味キャンディーズの中でも代表的な曲の1曲であるこの曲には、意外でもあるんだけどね。

個人的にもこの曲で、完全にキャンディーズを意識したし、当時・・・うんにゃ、今でも 感覚的にはベストテン入りしてても全くおかしくない曲なんだけどな。

まあ、それだけ当時のオリコンのベストテン内にランクインする・・・っていう重みが感じられる訳で。。ベストテンに内に入るって事は、大変ものだった訳なんだよね。




これは、解散間際の映像だけど、当時キャンディーズのバックハンドだった、テクニシャン集団のMMPにも負けない歌唱のキャンディーズには、凄味があったんだよな。

ちなみに、最初に書いた「大学生でも聴けるアイドル」としては、このキャンディーズを皮切りに、80年代の松田聖子、菊池桃子と継承されて行く。

ま、もっとも菊池桃子の場合は、「大学生が小脇に抱えても恥ずかしくない」ようなアルバムジャケットをコンセプトにした展開をしていた訳で、実際に大学生が聴いても恥ずかしくなかったか・・・どうかは怪しいところだけど。。。

最後に蛇足だけど、解散と言えばあと数日で解散となるSMAPだけど、今年1年のSMAPファンによる解散阻止、CD購入運動・・というか、ファン熱は、キャンディーズが解散宣言してから、後楽園の解散コンサートまでのあの期間のファンによるあのキャンディーズ熱と全く同じようモノを感じるんだよな。
まあ、それについては機会が会ったら改めて書きたいと思いまする。


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南十字星 / 西城秀樹

1982_04_南十字星_西城秀樹








今回の1曲セレクトは、「南十字星」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    南十字星
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      竜真知子
・作曲      水谷公生
・編曲      佐藤準
・リリース日   1982年3月25日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  22.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1982年4月19日〜5月10日付
・タイアップ:映画「南十字星」主題歌


新年度が始まって半月ほどが経ちましたねぇ。 今年新入学、新社会人になられた方々は、新しい環境に慣れましたでしょうかねぇ。
 ヒトによっては、新しい環境に順応するのが早い方もいらっしゃったりしますが、ワタシはどうも、その辺が苦手でねぇ、新しい環境に慣れるには、時間がかかるヒトなんだよね。

なんて考えてたら、そう言えば、新たな環境に慣れてなかった頃の曲を、今回は持ってこようか・・・と思の、今回はこの曲をセレクト。

西城秀樹「南十字星」

この曲は、1982年のちょうど「今頃」ヒットしてたんだけど、ワタシ的には、この時中学1年だったな。
中学生っていう新しい環境に慣れなくてねぇ、かなり戸惑ってた頃の曲ですわ。

この曲を聴くと、あの時の「戸惑い」っていうのかなぁ、かんな地に足がついてなかったような頃を思い出んだよな。
 そういえば、新しく友達になったばかりのやつと、山の上の公園に遊びに行った帰り、その友達が下り急斜面で自転車のハンドルを取られて転倒、頭に数針縫うけがをしたっけ・・・とかさ。
なんか、そんなマイナスな事が、この曲を聴くと思いだされたりするんだよなぁ。

まあ、それも、この曲自体、淋しい曲だから・・・って事もあるのかなぁ。

この曲、映画「南十字星」っていう、戦争モノの映画の主題歌だったんだってねぇ。。。うーん、それは覚えてないなぁ。 たしかに、なんかのタイアップがついていたような気はしてたけど。。。
 
淋しい曲調ななのは、戦争映画っていうところから来ているようですね。

 ただ、かといって、ガチガチの戦争系の曲・・・と言う事もない。

 「ガチガチの戦争系」・・・なんてかいてもよく分かんないですよね。。

いや、あの頃はさあ、毎年終戦記念日近くなると、戦争モノの映画って毎年のように作られていたんだよね。
1980年は「二百三高地」、前年の1981年は「連合艦隊」、この年1982年は「大日本帝国」・・・なんて具合にさ。

で・・それぞれの主題歌が、さだまさし「防人の詩」、谷村新司「群青」、五木ひろし「契り」だったするんだけど、それぞれの曲をごぞんじなら、どんな感じかわかりますよね、「ガチガチの戦争系」の曲調って。
 文部省のお役人が泣いて喜ぶような・・・感じ・・・といったらいいでしょうか。

ま、そういう、ガチガチに真面目な曲調・・・と言う訳ではなく、程良くポップス系な味付けは残っているって感じですね。

それでも、前曲の「ジプシー」っていう激しい曲からすると、かなり落差があった訳で、最初は、ちょっと戸惑ったような気がするな。

あ、そうそう、その時の戸惑いが、中学生になったばかりの戸惑いとリンクしてたんだ、ワタシの場合。

ただ、それでも、この曲、売り上げは20万枚オーバーと、当時の秀樹としては80年12月の「眠れぬ夜」以来、1年数か月ぶりの20万枚越えだったりしたんだよなぁ。
 うむ、結構、支持はあったんだよね、この曲。 ただ、それ以来30数年、今の今まで20万枚オーバーの曲は出てないんで、実質これが最後の20万枚オーバー の曲って事になるのかな。

 ちなみに、この曲の途中で、デビュー以来の累積売り上げが、1000万枚を突破したんだよね。

今でこそ、オリコンも50年近くの歴史をかさねたんで、累積売り上げ1000万枚のアーティストも数多く出ているけど、当時はまだ、数少なくてね、 ピンク・レディー、森進一、山口百恵、沢田研二に続いて、オリコン史上5組目の1000万枚突破アーティストでしたね。

そんな記念の曲でもあったんだよな、この曲は。



この曲というと、なぜかバックが「カラオケ」って事が多かったんだけど、珍しく「生演奏」だったんで、
この動画をセレクト。



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スターダスト・トレイン / 石川秀美

1983_11_スターダストトレイン_石川秀美






今回の1曲セレクトは、「スターダスト・トレイン」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル    スターダスト・トレイン
・アーティスト  石川秀美
・作詞      竜真知子
・作曲      井上大輔
・編曲      井上大輔
・リリース日   1983年11月22日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   12.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 11位

 さてさて、今回引っ張ってきた曲は石川秀美の「スターダスト・トレイン」。

この間、堀ちえみの「クレイジーラブ」を書いた時、堀ちえみと石川秀美の代表曲ってなんじゃらほい? なんて書いといて、堀ちえみだけ、引っ張ってくるのもなんだから、今回は石川秀美を引っ張って来ましたわ。

  この曲は聴いてて、素直に元気が出てきますね。まあ、そんなポジティブ志向な感じがする、今風で言うとアッパーチューンですね。

 ただ、実際の詩の内容は、どっちかというと「失恋ソング」なんだよね。
 でも、でも、元気が出るのよ。ふられてもポジティブに行こうよっていう感じだからさぁ。

 石川秀美って、どうも力が入った歌い方が特徴だったけど、この曲なんかはそのさいたるもんぢゃなかったかなぁ

♪止まらないでこのまま 夜空を走るスターダストトレイン 私の恋星になるまで ♪

 これがサビなんだけど、この間を空けたところで力が入るんだよねぇ。

 それでも、その「力み」がこの曲に関してはうまくはまったてた様なきがするなぁ。
 
 個人的には、この曲から次の「めざめ」にかけてが、石川秀美にとっての黄金期だと思っているのね。

 まあ、個人的にこの2曲が石川秀美の中で一番好きだからって言うことがあるんだけどさ。
 やっぱり、このヒトは、マイナー系のきょくよりは、基本、メジャー系の曲の方が似合ってたような気がする。
 もともと、声質が明るいんだよね。このヒトの場合。だから、マイナー系の曲でもいまいちマイナーに聴こえないからかもしれん。
 うーん、アンバランスなんだよね。

 その点、この「スターダストトレイン」のようなメジャーなアッパーチューンは安心して聴いてられるって言うところが大きいかなぁ。

 その辺は、さすがに井上大輔氏、見抜いてたかな。 曲調的にもまとまっているし、なによりメロディの焦点がはっきりしてる。いかにもシングル曲を聴いてるよなぁ・・・っていう気にさせてくれる。そんな所も流石は井上大輔氏だったんだよなぁ。
でも、石川秀美にはこの曲1曲のみだけ提供っていのうは、ちょっと残念だな。この曲を聴く限り、意外と相性はいいような気がするんだけどなぁ。



まあ、すごい「はしょり」方だよなぁ。テレビサイズでも、ベストテンではもう少しまともな切り方してたぞよ。。



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すみれSeptember Love / 一風堂

1982_10_すみれSeptember Love_一風堂






今回の1曲セレクトは、「すみれSeptember Love」一風堂です。

 まずはデータです。

・タイトル    すみれSeptember Love
・アーティスト  一風堂
・作詞      竜真知子
・作曲      土屋昌巳
・編曲      土屋昌巳
・リリース日   1982年7月21日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   45.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1982年10月4日〜12月6日付
・タイアップ:カネボウ82年秋のキャンペーンソング

 少し前に竹内まりやの「September」を書いた時、タイトルが「September」なのに、ヒットは10月って書いたんだけども、本命は、今回セレクトしてきた曲だよね。

すみれSeptember Love /一風堂

久しぶりに、今はなき、某K社(・・・って、上に書いてるじゃんふらふら)のキャンペーンソングです。


 衝撃的でしたね。この曲。最初聴いた時は何ていったらいいのかな、わかんなかったもん。

 シンセの細かなリズムから始まるイントロの部分からして、言葉にならなかった・・・っていうか言葉にして表現できないような、それまで聴いたことなかったサウンドだったことは確かですね。

 おなじシンセサウンドでも、Y.M.Oの無機的なテクノサウンドとは、全く違う、東洋的なそれでいて、ちょっと濡れた感じのUKロックテイストも織り込んでいて・・・。はたまた、間奏部分では、カントリー的なバイオリンが流れてきたりして・・・。

 この曲は、このジャンルの曲だ! ・・・・って言い切れないサムシングがあったんだよなぁ。

 一言で言うと、難解であり、かつキャッチーな曲。

 なんて、よくわかんない表現なんだけど・・・。譜面に興すと、この曲、当時としてはかなり、「真っ黒」な譜面になっちゃうの。当時の明星「ヤンソン」に譜面が掲載された時、なんじゃこりゃ・・・と思ったもん。16分音符と、16分休符、プラス、音の上下動の高さで、譜面が真っ黒なの・・・。

 当時、ブラスバンドで、これは絶対に吹けないと思ってた「熊蜂の飛行」(リムスキー=コルサコフ)の譜面を想いおこさせるような譜面だったもん。

 それだけ、細かで緻密な音の作りになっていたんだよね。

 それでいて、実際聴くと、キャッチーで、一度聴いたら、絶対に忘れられない「何か」があったよね。
 うん、なにか妖しい匂いがするような・・・・。


 まあ、それは、土屋昌巳氏のいでたちから、そう感じたのかなぁ。細身で妖艶な感じだったし・・・・。

 そそそ、あの年大ヒットした、「E.T」のような、または研ナオコの男版のような・・・ふらふら(うわー、稚拙な表現。。。)


 それでも、ギターテクニックと音楽性は、ズバ抜けた才能があったヒトだよね。
 Y.M.Oの坂本教授とは、別の意味で天才ですもんね。

 まあ、遡れば、坂本教授も土屋氏も近しい音楽人脈出身なんだけど・・・。(りりィのバックバンド、りりィセッションバンドのギターが土屋氏、キーボードが坂本教授・・・。今考えたら、なんて豪華なバックバンド!)


・・・で、一風堂を結成する前は、大橋純子のバックバンド「美乃屋セントラルステーション」のギタリストとして活躍してたんですよね。
(ちなみに、「美乃屋〜」っていうバンド名は、土屋氏が命名したそうで・・・)

 あ、これすごい・・・と思う曲、アーティストは、やっぱりバックバンドのレベルからして違うんだよね。

・・・で、美乃屋〜を脱退して、結成したのが一風堂。(たしか、東京の雑貨屋から名前を頂戴したんだよね。博多の有名ラーメン屋ではないです)

 メンバー :土屋昌巳 (ギター)
       見岳章  (シンセサイザー)
       藤井章司 (ドラム)

今風に言えば3ピースバンド。

 でも、ヒット曲といえるのは、この「すみれSeptember Love」1曲のみ。
 まあ、世間で言う「一発屋」なんだけど、もともと、このヒトたちは、「ヒットさせよう」と思ってバンド組んでたわけぢやないからね。
 あくまで、自分たちの音楽を模索するためのバンドだったわけで・・・。

 土屋氏は、一風堂やりながら、UKの大御所バンド「JAPAN」のギタリストとしても、平行して活躍してたもんね。
(その関係でベストテンは、毎回「ロンドン」からの中継出演だったよね)

 でもさ、そんなヒト達を、みっけて、CM曲として起用するっていう、眼力は、当時のカネボウのキャンペーンソングにはあったと思うなぁ。
 この人たちに目をかけて、引っ張ってきたヒトは凄いと思う。

 あ、これは、84年の「中原めい子」の時も思ったんだけどね。


 まあ、見た目神経質そうな、土屋氏が、実は意外に出たがりだったっていうこともありますけどね。

 だって、後年、「夕焼けニャンニャン」に出てたじゃんふらふら

 ・・・考えて見れば、おニャン子、とんねるず系の、秋元ファミリーの音楽ブレーンって、今考えると、結構すごいヒトたちが担当してるんだよね。

 後藤次利(ベース)、土屋昌巳(ギター)、見岳章(シンセサイザー)、佐藤準(キーボード)

あわわ、これで、あと、ドラムがいれば、見事にバンドになるわ。

 ドラムは、土屋人脈で、村上ポンタ氏にやってもらえれば、超強力バックバンドになってたね。

 いや、この豪華メンバーで、「おニャン子クラブ」っていう、超シロート集団の楽曲づくりと、バックバンドサポートって言うのも、ありだったかも。。。

 ホラ、このあいだ書いたような、ビーイングの長戸大幸氏が当時考えていた、アイドルに本物のサウンドをぶっつける・・・っていうやつ。

 さすがに、そこまでは、考え付かなかったんだろうな。

ちなみにキーボードの見岳章氏は、その後、秋元康氏と組んで、美空ひばりの「川の流れのように」を作ることになる。。。
この曲の頃は、そんな未来は、全く予測できませんでしたねぇ。


 蛇足だけど、「すみれSeptember Love」と聴いて、「SHAZNA」を思い浮かべる方、目を覚ましてくださいexclamation ×2 あれは「ニセモノ」ですexclamation ×2

 ウン、ワタシに言わせりゃ「カバー」にも値しないですヨ。オリジナルのいいところが全然ないんだもん。
 オリジナルのアレンジは難しすぎるから、適当にメロディなぞってるだけじゃん。

 オリジナルにあった、あの妖しい「妖艶さ」が全くない。

 いやー、当時も、ワタシかなり怒ってたんだよね。97年。 いまからもう10年前だ。

 正直、97年当時、あんまりヒット曲を聴かなくなってたのも、こういう、安易な「ニセモノブランド」的な音楽がまかり通っていた・・・っていうところもあるんだよね。




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アメリカン・フィーリング / サーカス

1979_08_アメリカン・フィーリング_サーカス






今回の1曲セレクトは、「アメリカン・フィーリング」サーカスです。

 まずはデータです。

・タイトル     アメリカン・フィーリング
・アーティスト   サーカス
・作詞       竜真知子
・作曲       小田裕一郎
・編曲       坂本龍一
・リリース日    1979年5月25日
・発売元      アルファ
・オリコン最高位  5位
・売上げ枚数    47.6万枚
・ザ・ベストテン最高位 5位
・ザ・ベストテンランクイン期間:1979年8月23日〜10月4日放送分
・タイアップ:日本航空「COME TO AMERICA'79」キャンペーン曲

 夏の終わり、秋風が吹いてくると、聴きたくなる曲ってまだ、あるんだよね。今回もそんな曲を持ってきました。

 サーカス「アメリカン・フィーリング」

 やっぱ、この曲自体のすがすがしさっていうのが、これからの季節に良いんだよね。 まだ、秋空のって言う感じじゃないけど、もう少し気温が下がってきて空が高くなってくるといいんだよな、この曲。
 
 時に、今は、このサーカスのような、ポップス系のコーラスグループっていなくなっちゃいましたね。

 近いのがゴスペラーズって感じなのかなぁ・・・・。でも、ゴスペラーズはあくまでも、R&B系っ感じじゃん。ポップスコーラスではないよね。

 そういう意味では、絶滅しちゃったような気もするなぁ。このころは、ハイファイセットとか、ポップスコーラス系のアーティストって他にもいたし、実際ヒットも飛ばしてたんだけどねぇ。

 逆に、新しいかもしれないんだけどね。今だったら。

 まあ、それだけ4〜5人が、肉声できれいにハモれるようなヒトが少なくなっちゃったんだろうね。
 だから、もし、今、そういうひとたちが出てきたら、逆に新鮮な気がするんだけどなぁ。。。


 この曲は、あえて、書かなかったんだけど、たしか、JALのアメリカキャンペーンソングでしたよね。

 ちょうど、作曲した小田裕一郎氏が、初めてのアメリカ旅行の帰路になんとか、この体験を曲にまとめようと思って、機内で書いた・・・っていう曲ですよね。

 だからなのかなぁ・・・、そのときの情感がよく伝わってくるよね。
 丁度、時期的に海外への一人旅っていうのも流行りだした時期だったから、時期的にもピッタリだったんだよね。

 ちょっと話がうますぎるような気もするけど、うまく時期が当てはまったという感じだよね。


 それと、アレンジが坂本龍一っていうのも、ちょっと驚きなんだよね。
 いや、正直言ってかなり驚きました、初めて知った時。

 あの頃の坂本龍一=イエローマジックオーケストラっていうイメージが強いから、まさか、ストリングスやブラスをふんだんに使ったオーケストラのアレンジがこのヒトだとは想像付かなかったですからねぇ。

 ただ、ところどころ、ポリフォニックシンセを絡ませて来ているあたりは、さすがに教授らしいなっというところを見せてますけどね。

 たぶん、ポリフォニックシンセを使って、ヒットチャートの上位に来た曲って、この曲からなんじゃないかなぁ。

 この時期は、まだ、Y.M.Oはメジャーな存在ではなかったし、ゴダイゴが使ってたのは、モノフォニックシンセ(単音しか出ないシンセ)だったですからねぇ。

 意外と気付かれにくいところなんだけど、この時期、確実に音楽は進歩してたんですよね。

 なお、全てがポリフォニックシンセだけでアレンジされてヒットした曲は、西城秀樹の「愛の園」ぢゃないかしら。
 もちろん、アレンジは坂本教授どぇす。

 この曲は、あの曲に比べると、かなりシンセの比率は低いわけで、大半が生のオーケストラだったわけだけど、だからこそ、ダイナミック感があったんじゃないかな・・・ということはいえるよね。




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Mr.サマータイム / サーカス

サマータイム_サーカス







今回の1曲セレクトは、「Mr.サマータイム」サーカスです。

 まずはデータです。

・タイトル    Mr.サマータイム
・アーティスト  サーカス
・作詞      DELANOE PIERRE
・作曲      FUGAIN MICHEL PAUL
・日本語詞   竜真知子
・編曲      前田憲男
・リリース日   1978年3月25日
・発売元     アルファ
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   65.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1978年6月19日〜8月28日付
・タイアップ:カネボウ「78年夏のキャンペーンソング」

 トートツだけど、日本でサマータイム導入するって話はどうなんたんですかねぇ。。うーん、ワタシャ「反対」なんだけどね。
 理由は簡単で、ただでさえ、朝、弱いのに、1時間時間が早くなるなんてねぇ。。。とんでもねーだ。
 まあ、サマータイムから通常時間に戻るときは、逆に、1時間遅くなるんだから、いいんだろうけど。。。ふらふら

 いやいや、やっぱ、メンドウくさいわ。 いまさらサマータイム導入なんて・・・。
 なんちゃらスタンダードとか言って、なんでも外国のマネすりゃいいってもんぢゃないっすよ。

 もっと「ジャパニーズカルチャー」スタイルのままでいいんでない?



・・・・っつうことで、今回引っ張って来た曲は、もろですよ。

 サーカスの「Mr.サマータイム」


 えー、まあ、見え見えのマクラですけど〜〜〜・・・。



 ところで、オリコン1位を獲得したこの曲今まで引っ張ってこなかった理由はですねぇ・・

 たしかに、その前に書きたかった曲があったんで・・・ってこともあるんだけど、この曲が、こと書きにくい・・・ってのもあるんだよなぁ。。。

 とりあえず、78年のカネボウ夏のキャンペーンソングでした・・・って位しか書けないんだよなぁ。

 「曲」として書こう・・・と思うと、これが、なかなか書き出しが浮かんでこない。。

 うーん、「真っ直ぐ」な曲だからだろうなぁ。 「おちゃらけ」たタイトルの曲とか、ふざけた曲っていうのは、意外と書きやすいのよ。とっかかりがあるから。

 でも、この曲のように「真っ直ぐ」な曲っていうのは、書きにくいんだなぁ、これが。

 それでも、どこかにインパクトがあってくれるといいんだけど、これがまた、インパクトに乏しい曲でして・・・。ふらふら

 まあ、悪く書くとだけど・・・。


 メロディラインとしては、すでに、大体の方は、この曲はお分かりでしょうから、いまさら・・・って感じもするけど、全体的にキャッチーだけど、「あちら」の曲特有の平坦に流れるメロディラインでしょ。

 それが困る。

 しかも、この曲ってどこが「サビ」なんじゃい? っていうのも困る。。。ふらふら

 Aメロ→Bメロ  ・・・・と来て、普通の歌謡曲なら、「サビ」なんだけど、いきなり尻切れトンボ・・・のような感じだし・・・。

 まあ、曲の構造として、そこが面白いっていえば、面白いのかな。


 蛇足だけど、この当時は、まだ、向こうの曲の「カバー」っていうのが、そこそこ流行の時代だったよな。

 まあ、戦後の日本のポップスの歴史は、洋楽カバーの歴史でもあるわけだからね。 この曲なんかは、もろ、その延長線上にあるってわけよ。

 そういう意味でも、この曲のアレンジを前田憲男氏が担当しているっていうのも頷けるし、カバーで鍛えられた方だからこそ、ゴージャス感があるアレンジに仕上がってたりするんだよね。


 ちなみに、もともとオリジナルは、フランスのミシェルフェガンってヒトが歌っていた、フレンチポップスだったのよね。 オリジナルタイトルは「UNE BELLE HISTOIRE 」といい、1972年のフレンチヒット。

↓ コレ



うーん、やっぱ、「Mr.サマータイム」とくらべると大分イメージが違うかな?

でも、あの頃は、本命的にはディスコブームだったけど、方や、60年代からの流れでフレンチポップスも日本では流行ってたわけだし、いわば、ごった煮状態の日本の歌謡界だったわけだけど、だから、こういう曲も充分「あり」だったわけなんだよね。



うーん、これは、オリジナルより、サーカスの「Mr.サマータイム」の方が、ゴージャスさという点から言えば、上かもな。


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夏のヒロイン / 河合奈保子

1982_07_夏のヒロイン_河合奈保子







今回の1曲セレクトは、「夏のヒロイン」河合奈保子です。

 まずはデータです。

・タイトル    夏のヒロイン
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      竜真知子
・作曲      馬飼野康二
・編曲      若草恵
・リリース日   1982年6月10日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   21.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1982年6月28日〜7月19日付

 えー、「夏」っていう雰囲気の曲が、普通に今ごろの季節にヒットするようになったのは、やっぱ、「アイドル」が70年代に出てくるようになってからですかねぇ。
 アイドルっていったら、水着・・・って訳でもないけど、今ごろになると、大抵のアイドル物は、「夏」な曲をリリースしてきてましたからねぇ。
 まあ、それが80年代に入ると、ごく普通の「風物詩」にもなってきてたかなぁ。

 たださ、この間も書いたけど、夏的な曲も、その年年の「気候」によって、人一倍輝いて聴こえたり、逆に、「マヌケ」に聴こえたり・・・、こればっかりは、お天道様との「賭け」だったわけで・・・。

 特に、80年代って今から考えると、天候不順な「夏」ってのが多かったような気がするんだよね。
 夏らしい夏って言ったら、81年、84年、89年・・・の3ヵ年だったような気がするな。

 逆に82年ってさあ、長雨続きで、「梅雨明け無し」な夏だったのよぉ。覚えてる方いるかなぁ。。。

 ワタシは、よーく、おぼえてるわぁ。 福島から千葉に引っ越してきた頃だったから。。。
 うん、82年の夏・・・って言うと、長雨・曇りがち・・・なイメージが強いんだよね。


 さてさて、今回引っ張ってきた、曲は、河合奈保子の「夏のヒロイン」。

 サンバポップス調で、いっかにも、夏向きなアイドルの曲でありまする。いやいや、今聴いても、このときの「夏」に勝負かけたんだろうな・・・って思ってしまう曲ですよ。

 しかしながら、お天道様は、非情でもあるわけで・・・。 ↑で書いたように、何分、「天候不順」な夏だったからさぁ、どうも、「浮いちゃう」んだよね、82年っていうイメージからすると。。。


 いや、曲は、絶対悪くないと思う。むしろ、その前の「愛をください」のジミーな雰囲気から考えると、あのモヤモヤ感なイメージを一気に振り払うだけの「ピーカンな太陽」の完璧な夏のイメージがあったと思う。


 でも・・・・なんだよね。


 まあ、つまりさ、「たら、れば・・・」なんだけど、もし、あの年の夏の気候が、もっと「夏らし」かったら、もっと売れてたんじゃないかなぁ・・・と思うワタシなんだよね。

 たしかに、売上げ枚数的には、前曲「愛をください」の17万枚よりは伸びてる。
 でもさ、21万枚くらいで止まるような曲じゃないと思うわけなんだよね。純粋に曲だけを聴いてると。。
 前の年の同じ時期にリリースされた「スマイル・フォー・ミー」の売上げが26万枚行ってるわけだし、それに匹敵するだけの楽曲パワーはあったと思うけどなぁ・・・。

 なんて、思ったりして。。。


 いやいや、こういう、運、不運っていうのもあるよね。たしかに・・。


 今日のように、どん曇りな夏の初めの日だと、どうも、この時の、このイメージが頭をかすめますねぇ。。。

蛇足だけど、Cメロの ♪ チャンス チャンス〜 ♪ ってところ、どう聴いても ♪ チャース チャース〜 ♪って聴こえるんだよなぁ 初めに聴いた時「チャース」って何? って思ったんだけどね。。。




ベストテンからの動画だけど、恐らく、すぐに消されると思うんで、見たい方はお早めにどうぞ


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