かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

稲垣潤一

クリスマスキャロルの頃には / 稲垣潤一

1992_12_クリスマスキャロルの頃には_稲垣潤一



今回の1曲セレクトは、「クリスマスキャロルの頃には」稲垣潤一 なのだ。

まずはデータです。

・タイトル   クリスマスキャロルの頃には
・アーティスト 稲垣潤一
・作詞     秋元康
・作曲     三井誠
・編曲     清水信之
・リリース日  1992年10月28日
・発売元    ファンハウス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  140.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月16日〜1993年1月18日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「ホームワーク」主題歌

先日から、以前すでに書いたクリスマスソングのうち、ずっとアクセスが多めの曲、ブログの底に沈んでいたのを表に引っ張り上げることを何曲かやってきた。

いつだかも書いたけども、1曲セレクトを始めた2005年、まだmixiに書いてた頃だけど、2週間くらいずっとクリスマスソングだけ書いてたことがあった。 

当時は、文字通り「1日1曲書く」ってことを目標にやってたんで、それこそ一気に10数曲書いたのかなぁ。 あの時点での過去の、めぼしいクリスマスヒットは、あん時、あらかた書いたんだよね。

ただ、後先考えずに書いたんで、その後、クリスマス時期に書きたい曲が無くなって、毎年難儀してるんだけども。。。。

でも、あの時も、それ以後もまだ書いてなかった クリスマスソングももちろんあるんだよね。


今回は、そんな、まだ書いてなかった「大ヒット」のクリスマスソングを一つ。


稲垣潤一「クリスマスキャロルの頃には」

じゃじゃーん。 1992年のクリスマスソングとしてリリースされ、当時、ミリオンセラーも記録した大ヒットをまだ書いてなかったとは。。。。

いやいや、書いてなかった・・というよりは、あえて書いてなかったといった方がいいのかなぁ。

リリースされた1992年当時、個人的には、どうも今一つ、この曲が好きになれなくて。。。 そういう記憶がずっと残っていたりするのよ。

生理的に好きになれなかった・・というよりは、あの時点で、この時期、毎年のようにリリースされるクリスマスソングに飽きてたって言った方がいいだろうな。

なんか、またか? ・・・って気持ちも強くてね。

それと、少し前に書いた、佐野元春氏の「約束の橋」と同じで、ドラマの主題歌にならないとみんな聴かないのか?  っていう現象に飽きてきてたんだよね、この時点で。

90年代に入り、70年代、80年から活躍してきた「大物」アーティストも、時代の流れの中で、苦戦をしれられてきていたアーティストも、ドラマの主題歌となると、約束されたようにミリオンセラーになる。

この曲は、ドラマ「ホームワーク」の主題歌。当時、上記にかいたような現象を起こしていたフジテレビ系ではなく、TBS系の金曜9時ドラマだけども。 結果的には同じような現象が起きた。

これを見てて、なんだかなあ・・・と思ってたのよ。

周りの盛り上がりとはウラハラに、なんか冷ややかな目で・・というと聞こえが悪いけども、冷静な目で見てたワタシがいたりしてね。。。
まあ、周りの風潮に流されすぎるのも嫌だった・・・っていうのもあったかもしれない。あの頃の心境として。

時代は90年代も丸々2年が過ぎようとしていた頃だったじゃん。 
件の「約束の橋」の時にも同じことを書いたけども、90年代をけん引していくような新たなアーティストもそろい始めてきていたし。個人的には、そちらの方に新鮮味を感じていたんだよね。
やっぱり、新鮮味を感じる方向を支持したくなってたし。。。

あ、これは、今でもそうだけども。。 

これって普遍的な物なんだよね、特にポップス、ロックなど、いわいる「流行歌」を聴く上ではさ。
これらの曲には、ある意味、新鮮さを求めているわけじゃん。 だからこそ新しい曲を聴きたくなるし、長いこと聴き続けていられると思うのよ。


確かにこの曲を聴く限りでは、90年代の匂いがするし、80年代の頃とは違うカラーの稲垣氏を感じさせてくれる。

だけど、ワタシの中では、稲垣氏と言えばどうしても80年代のカラーなんだよね、一番しっくりくるのは。
やっぱり、「ドラマティック・レイン」であり「夏のクラクション」なのよ。ワタシの中の稲垣氏は。
90年代・・というか、特にこの曲の稲垣氏は曲が大ヒットしたこともあって、特にアナクロに映ってしまう。

恐らく、そんなところから、当時は生理的には今一つ触手が伸びなかったのかもな。

だからね、ミリオンセラーではあるけども、長いこと、手元には、この曲のCD音源はなかったのよ。
むろん、bay fmの「パワーカウントダウンJAPAN HOT30」からエアチェックしたカセット音源はあったけども。 

それだけで十分だったんだよね。




当時は生理的に合わなかったものの、あれから30年が過ぎ、今では、手元にこの曲のCD音源はあるんだけども。
まあ、過去の大ヒットのアーカイブとして、最近中古で購入したモノなんだけどね。

あのころの個人的な好き嫌い別として、時代を飾った1曲であることは間違いないですからねぇ。


あ、そうそう、↑で、当時80年代のアーティストがドラマ主題歌を歌って大ヒットことに飽きていた・・と書いたけども、もちろん全てではないですね。

たとえば、同じ1992年10月期のTBS金ドラだった「十年愛」の主題歌を担当した大江千里氏の「ありがとう」なんかは、個人的には当時から好きだった。

まあ、大江氏の場合、80年代には稲垣潤一氏ほどの「代名詞」になるような大ヒットが少なかったこともあり、80年代のカラーっていう印象が少なかったからかもしれない。
だから、当時曲を聴いて新鮮味を感じたし、時代の風も感じたんだろうな。



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夏のクラクション / 稲垣潤一

1983_08_夏のクラクション_稲垣潤一


今回の1曲セレクトは、「夏のクラクション」稲垣潤一です。

まずはデータです。

・タイトル     夏のクラクション
・アーティスト      稲垣潤一
・作詞       売野雅勇
・作曲       筒美京平
・編曲       井上鑑
・リリース日    1983年7月21日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 25位
・売上げ枚数   8.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位

個人的な「夏のイベント」が終わっちゃったなぁ・・・。そう、「ROCK IN JAPAN」っすね。
毎回参戦する度に終演後、「ああ、終わっちゃったなぁ」って言う脱力感に襲われたりするんだけど、今回は大トリのサザンがめっちゃ凄かったからさあ、例年以上に脱力感がきたりしてね。

今は、夏の終わり・・・

そんな気分ですね。

今回は、そんな「夏の終わり」を感ずる1曲を一つ。

稲垣潤一「夏のクラクション」

夏の終わりを彷彿させる曲は、多々あるけど、個人的には、この曲もその一つだなぁ。

1983年の夏の終わり間近。 当時、ワタシは中2。 自由だった、あの夏。

この曲を聴くと、決まってあの夏の光景が夢想される。 自由だった、あの夏・・・って↑では書いちゃったけど、実際、自由だったのは2週間ぐらいだったんだけどさ。 

うん、部活やってたからなぁ。、吹奏楽部。 ワタシが通っていた中学校は夏のコンクールは出てなかったものの、毎年9月に定演(定期演奏会)をやってたんで、全く練習が無い日は夏休み中でもそんなに無かった。

それでもお盆前後の2週間位、部活も休みがあった。 それだけでも、とてつもなく自由を感じた夏の終わり近くだった夏休み。

8月の午後の白い光、乾いた空気、独特の夏の匂い。 その下で描いてた夏休みの宿題の風景画。 

そんな光景がフラッシュバックする。

不思議なもので、夏休みのカラーって、7月と、8月ではガラッと変わる。 7月はもっと色が夏色でももっと色が濃いイメージ。 でも、8月に入った途端、そのカラーが白っぽく感じるんですよ。

そうだなぁ、1日に例えると、7月は午前中の日差し。 8月は午後の白っぽい日差し・・・そんなイメージかな。

この曲は、後者なんだよね、午後の陽ざしを感じるんだよね。 まあ、実際ヒットのピークは、今頃8月の中旬過ぎだったわけで、ヒットの時期的にそう言うイメージが強かったんだろう。


個人的に、この曲好きだったんだよな。 ↑のデータのように、必ずしも大ヒットした訳でもない。いわいるスマッシュヒットで終わった曲なんだけど・・・。

シャレてたんだよね。 それまでのニューミュージックとは、ちょっと違った空気感。 うーむ、今一ついいコトバが出てこないんでまどろっこしいんだけど・・・。

いや、確実に、前年の1982年までには感じられなかった、カラッと乾いた空気感っていうのかなぁ・・・。

そうそう、例えば、扇風機で暑さをしのいだ1982年、それに対して、クーラーの中で過ごす1983年・・・っていう違いかなぁ。

つまりさ、1982年の夏の曲って、めっちゃ湿気感があったんだよね。そそそ、熱帯感っちゅうのかなぁ。 まあ、実際、82年の夏は「長雨と冷夏」だったんだけとも、ヒット曲のイメージね。

対して83年夏、特にニューミュージック界に於いては、カラッとした空気感の曲が多かった。 そう感じたのは、この曲のイメージが大きかったから・・・って言っても過言じゃないんじゃないかなぁ。

中流階級志向。 これは70年代にユーミンが言った言葉だけど、このコトバに現実味があらわてきたのが83年頃だったと思う。 
まだバブルな時代ではなかったけど、確実に生活のステータスは上がったよね・・・って実感できた頃って言うのかなぁ。
そんな時代感覚に間髪をいれず、ヒット曲にも変化があったんだよね。 いわいるシティポップス的なオシャレ感覚な音への変化、それが83年だったんだよね。

いや、個人的にはそう感じてたりするんだよな。

兎も角、70年代の残像が完全に払拭され、完全に80年代のカラーに移行された年、それが83年だったんですよ。

まあ、それとなんと言っても、ワタシは中2だったからさあ。 いわいる「中2病」って言われる年代だったじゃん。大人っぽく背伸びしてみたい年頃でもあったんだよな。
 本当に意味が分かってんだか分かってないんだか、この曲シャレてんじゃん・・・なんて、リリース早々、シングル買っちゃったりしたもんなぁ。 



この曲と言ったら、 ♪ 夏のおうおうお〜 ♪っちゅうサビの譜割りだったするんだろうな。やっぱり、このメロディラインはどうしても耳に行っちゃったりするもんね。

一見、歌詞とメロディがシンクロしてないんじゃん・・・なんても思えたりするけど、そうじゃない。やっぱりこのメロディラインありきだったんだろうなと思えるもんね。

ただ個人的には、ここもそうだけど、 この後の ♪ ベイビィ もう一度〜 ♪ の ♪ ベイビィ〜 もう一度〜 ♪から ♪ In my Heart〜 ♪ のメロディラインに、ピンと来ちゃったんだよな。 なんて事無い譜割りだし、コトバなんだけどセクシィなんだよね。 
このフレーズだけで、シングル買っちゃった・・と言っても過言じゃ無かったりして・・・。

ちなみに、さっき、ラジオ日本の「続きの続き」で、売野氏が出演されていて、この曲について言及してたけど、この曲のモチーフは、湘南の国道134号沿いだとか。

出だしの ♪ 海沿いのカーブを きみの白いクーペ〜 ♪ って部分だよね、モロ。

ああ、やっぱりそうなのか・・・。 ナットク。

このオシャレな感覚は、やっぱりあのあたりのイメージだよなぁ。 
チバにも、例えば内房沿いの127号にも海沿いのカーブはあるけど、 チバの海じゃ、こうオシャレにはならんもんなぁ。。。

そもそもチバの海に「白いクーペ」なんてアイテムはねぇ・・・・。 なんて書いたら元も子もないが・・・千葉県人のワタシとしては。。。



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1ダースの言い訳 / 稲垣潤一

1986_03_1ダースの言い訳_稲垣潤一


今回の1曲セレクトは、「1ダースの言い訳」稲垣潤一です。

まずはデータです。

・タイトル    1ダースの言い訳
・アーティスト  稲垣潤一
・作詞      秋元康
・作曲      林哲司
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1986年2月21日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数  7.6万枚
・THE HITCHARTHOT30最高位 18位
・タイアップ:三洋電機「SANYO CDミニコン」CM曲

いやー、いい天気ですねぇ。こういう日は「出かけたいっ」って気分になるんだけど、なぜに家に閉じこもって「1曲セレクト」を書いてるんでしょう ワタシャ。
やっぱ、根っからの「出不精」なんでしょうかねぇ。

でもね、気分は良いんだよね。うん、前回書いたトモちゃんの「I'm proud」のアクセスが割といいんで
キライキライといいながら、やっぱ「小室系」サマサマというてころでしょうか・・・あー、天邪鬼。。。

しかしねぇ、こう気持ちよく晴れると、浮かんでくる曲っていうのもあるな・・・

・・・っつうことで、今回引っ張ってきた曲はこれ。

稲垣潤一「1ダースの言い訳」。

いやぁ、たださ、こう、ざざん・・・とタイトルを書いて、果たしてどの程度の方がこの曲を覚えていて下さっているかっつうのは、ちょっと不安だけど。

なんせ32年前の、しかもオリコン最高20位の曲だかんねぇ。今となっては死角に入っていて当然といえば当然なんだけどさ。

でもね、個人的にはこの曲好きだったんだよなぁ、当時。

それまでの稲垣氏には無かったようなメジャー系でよりポップな曲調で。 如何にも「春先」のカラッとした晴天の明るさを感じたりして。
使い古されたコトバで言えば、ウエストコーストの風を感じる様な。。。っていうのは、ちょっとオーバーか。。。

まあ、そのくらい春を感じた1曲だったんだよな。

80年代ってさ、まだ曲に季節感があったじゃない だから、当然今頃の時期には「春」・・・そうだね「春の陽光」を感じる曲ですね・・・も毎年あった。

例えば83年だったら、epoの「う・ふ・ふ・ふ」だったり、84年だったら河合奈保子の「微風のメロディー」だったり・・・。

で、86年はこの曲・・・だったんだよなぁ。 まあ、あくまでワタシの中での話だけどさ。
うん、この曲と、レベッカの「ガールズブラボー」・・・そそそ「フレンズ」のc/wでドラマ「ハーフポテトな俺たち」の主題歌だったあの曲。

いずれも、メジャー系でポップで、いかにも「春」の温度感を感じる気曲だったしさ。 ま、もっとも「ガールズブラボー」のリリースは「冬」だったけど・・・。

いずれにしろ、当時、個人的な気分にはピタッと嵌まったって言うかねぇ、リリースされてすぐにシングル買ったんだよな、この曲。 で、もうね、ヘビーローテーションで聴きまくってたなぁ。 この曲とチャゲアスの「モーニングムーン」。
この2曲を聴くと、「86年の今頃」になっちゃうんだよ、ワタシの脳みそは。。そのくらい聴いてたな。

たださ、あまりにも聴き過ぎで、食傷気味・・・いや、完璧に「食傷」してたりもするんだけども
うん、今この曲と「モーニングムーン」を聴くと、思わず胃もたれのような気分になるもの


この曲、作詞は「秋元」氏なんだよね。 当時を知らない方にとっては意外な関係に見えるかもしれないけどさ。
なんせ、昨今「アイドル」のプロデューサーって言う色合いの方が断然つよい秋元氏なんで。。。

でもまあ、稲垣氏と秋元氏と言えば、稲垣氏のブレイク曲となった「ドラマ・ティックレイン」(1982年)の詞が秋元氏だったわけで。 奇しくも秋元氏も、「ドラマディック・レイン」で作詞家としてブレイクしたわけで、言ってみれば切っても切れない関係だったんだよね。

そこに、当時一番の売れっ子だった、作曲家・林哲司氏が絡んでくるって言う図式・・・ってくれば、やっぱ菊池桃子さんを連想しちゃう訳なんだけども。

でも、桃子さんの1連の曲調は、ここまでカラッとしたポップさは無く、もっとウェットだったからさ。ぱっと聴き、両者の曲だとは分かんなかったんだよなぁ。 その辺はアレンジャーの萩田氏が上手く切り分けた感じだよなぁ。
まあ、内容が表面的で薄っぺらさを感じる歌詞は当時の秋元氏っぽいな・・・ってところだけど。。。



すっかり忘れられてるかもしれないけど、ドラムを叩きながら歌うっていうのが稲垣氏のスタイルだったんだよね。
いや、このスタイルが、当時、カッコ良かったんだよなぁ。

当時、ワタシも「ドラム」やってたんだけど、そのきっかけの一つは、ドラムをたたきながら歌うって言うこのスタイルに魅せられたって言うのも大きいんだよね。
まあ、ドラムやってたっていっても「我流」でやってたんで全然うまくないんだけど。。。


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バチュラー・ガール / 稲垣潤一

1985_08_バチュラーガール_稲垣潤一






今回の1曲セレクトは、「バチュラー・ガール」稲垣潤一です。

 まずはデータです。

・タイトル    バチュラー・ガール
・アーティスト  稲垣潤一
・作詞      松本隆
・作曲      大滝詠一
・編曲      井上鑑
・リリース日   1985年7月20日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 21位
・売上げ枚数   7.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 28位
・タイアップ:YOKOHAMAゴム「インテック」CM曲

肌寒いですねぇ。この間まで、「あっちい〜」とここでほざいていたのがウソのようですわ。
ちなみに、来週末、クーラーの交換工事があるんですが、こりゃ、もうクーラーなんて要らないよな。。。。

 さて、夏も終わり涼しい風が吹いてくると、どこからか脳裏に浮かんでくる曲があるものです。
ま、この間も同じようにかいたんだけど、これは、毎年のように起こっていたわけで、だから、結構そう言う曲もあるんですよね。

ここんところ、一日どんより曇り空、時々、シトシト雨が降ってきたりして。 今日もこんな天気か続く日曜日なのかねぇ。

 あ、やべぇ、 シチェエーションが、ザ・タイガースの「モナリザの微笑み」やんけ・・・

 ♪ 雨がシトシト 日曜日 〜 ♪

・・・ということは、今回の1曲セレクトは、「モナリザの微笑み」か?


・・・とか一瞬、思ったんだけど・・・。 でもなあ、さすがに知らないヒトも多いだろうなぁ・・・と思いつつ・・違う曲を引っ張ってきたりしましたわ。


 稲垣潤一の「バチュラー・ガール」。

 こっちは、1985年の曲だから、まだ、知ってるヒトも多いかなぁ。

 ♪ 雨は 壊れたピアノさ〜 舗道のキーを叩くよ〜 マイ・バチュラー・ガール 〜♪

 と、やおら、イントロもなしに突然、サビから入ってきたりして、それなりにインパクトがあったしな。

 シチュエーションがちょうど、今日のような天気のイメージがあるんだよね。
 気温が上がらない、シトシトあめが降っている日の・・・っちゅう。


 ・・・というか、この部分が、もろ当時のYOKOHAMAゴムのCMに使われてたから、ワタシと同年代以上の方は、覚えてる方も多いでしょう。


 個人的には、この曲は、稲垣潤一バージョンよりも、オリジナルの大滝詠一バージョンの方が馴染みが深いんだけどね、ヒット・・・というか、リリース「時期」がずれるんだよね。
 稲垣潤一バージョンは、ちょうど、「今頃」のヒットだったからさ、今回は、稲垣潤一の方を持ってきた・・・というわけで。。

 だから、個人的には、こっちのバージョンは、馴染みが薄いんだけどね。実は、稲垣潤一の方は、音源も持ってなかったりして・・・ふらふら

 なんかね〜、稲垣潤一が、この曲って、違うんでねー? って当時、思ってたからってのもある。


 なに? 稲垣潤一っていったら、「クリスマスキャロルの頃には」だって? ・・・・ふにゃふにゃふにゃ・・・。ちゃうちゃう。


 いや、相性っていうか、コーディネイションっていうか・・。なんか、ちがうよなぁ〜・・・って感じてたのよ。

 稲垣潤一って、もっとヨーロッパ的、かつアーバンな雰囲気な曲が似合うんぢゃないの? とか、思うしなぁ。。 この独特の甘い声には。

 この曲って、もろアメリカンポップスじゃん。。 ってか、大滝詠一、大先生が作っている所からして、アメリカンポップス以外何者でもないんだけど・・ふらふら 

 やっぱし、下敷きになっているのは、カスケーズの「悲しき雨音」?
・・・って感じだよね。

 それと、声質からして、こういうアメリカンポップスを稲垣潤一が歌っちゃうと、オリジナルの大滝氏と、あんまり違いがなくなっちゃうんだよね。 稲垣氏の個性がさ、死んじゃっているようで・・・。

 ・・・・っつうか、一旦、曲を聴いただけで、「あ、大滝詠一だ!」っていう世界になっちゃうんだよね。

・・・っつうことは、やっぱし、大滝氏、本人が歌っているのが、一番シックリ来ちゃうわけで・・・。


・・・・っつうことで、当時から、オリジナルの大滝氏バージョンを聴いてたりするワタシだったりするんだけど。。。


 それでも、稲垣氏のバージョンでも、サビの

♪ 雨は 壊れたピアノさ〜 舗道のキーを叩くよ〜 ♪


の部分は強いんだけどね。

https://www.youtube.com/watch?v=eMUqgPJ9V-o

もしかしたら、稲垣潤一ってドラム叩くんだ? なんて思うヒトも、もしかしたら多いかなぁ。
うん、もともとこのヒトはドラマーなんでね。 本来は、このスタイルで歌うのが一番シックリと来るんだよね。
まあ、ドラムを叩きながら歌うっていうスタイルが、当時は少なかったんで(同時期では、後はC-C-Bの「Ryu」くらいか)、最初はちょっとびっくりしましたけど。。。


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ドラマティックレイン / 稲垣潤一

1983_01_ドラマティック・レイン_稲垣潤一







今日の1曲セレクトは、「ドラマティックレイン」稲垣潤一です。

まずはデータです。

・タイトル     ドラマティックレイン
・アーティスト   稲垣潤一
・作詞       秋元康
・作曲       筒美京平
・編曲       船山基紀
・リリース日    1982年10月21日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位  8位
・売上げ枚数    31.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1983年1月31日、2月14日〜3月7日

 ここ、2日ばかし、寝不足気味? いや、寝ても寝ても眠い。ちゃんと寝てないかしらね?
 おととい、昨日と2日連続で、テレビつけっぱなしで寝てたワ。。。
 昨夜も、CDTV見ながら寝てたらしい。。。。 おかけで、1曲セレクトも飛ばしいてしまいましたワ。。。

 でも、ちゃんと寝てないせいか、どっか悪いのかわかんないけど、寝ても寝ても眠い。。。。 オマケに昨日、1日寒風のなか、外をほっつき歩いていたんで、ちょっと熱っぽいわ。

 それでも、とりあえず、1曲セレクトを行って見ます〜。

 ドラマティックレイン  稲垣潤一

 今年デビュー25年目の超ベテランですわね。このひと最初に知ったのは、デビュー曲の「雨のリグレット」だったと思うなぁ。
 ちょっと前に紹介した、「ザ ヒットパレード毎日がベストテン」だったと思う。
 それと、明星のヤンソンに「譜面付」でのっかけてたこともあったな。多分82年3月号あたり。「雨のリグレット」は、オフコースのギターの松尾氏がプロデュースしてて、丁度、オフコースも「言葉にできない」がヒットしてたから、なんとなく、兄弟曲って感じで覚えてるんだよね。
 うん、そういう意味で、「雨のリグレット」って結構ソフトでオフコースのイメージに近いんだよね。
 あ、それから、オフコースの「言葉にできない」は、最近、小田和正のセルフカバーで最近、明治生命のCMで流してる、あの曲ですよ。♪ラララー ララーラー言葉にできない〜♪ってやつね。

 でもねー、正直、当時は、どちらの曲ともなんとなく、キライだったの。稲垣潤一って名前も、その時きりで、暫く忘れてたしね。

 そしたら、その年の暮れ、まさに、押迫る頃ですよ。この「ドラマティックレイン」を聴いたんだよね。

 ショックだったなぁ。このインパクトっていうのかなぁ。
兎に角、メロディライン、音が飛ぶでしょ?

 でだしの
♪ 今夜のお前は不意に長い髪 解いて〜 ♪ からして、すでに、広音域を行き来するメロディラインだよね。

 筒美京平氏でも、結構珍しいメロディラインですよね。

それにもまして、サビからのインパクトがね〜。良かったんですよね。

♪ドラマティーーーーーーーーーク レイン 〜 ♪

ってところ。 

 サウンド的にも、80年代の中でも過渡期かなって感じがするしね。いや、確実にするな。
 82年と83年ではヒット曲のサウンドってガラッと変わるんですよ。
 いわいる「シティポップス」っていわれたジャンルね。
若干、カタメな音の上に、あまったるいボーカルがのっかるっていう、いわば「カクテル」のような音楽。

 まあ、イメージ的にも、摩天楼をバックにカクテルグラスを傾ける。。。っていう、「夜」のイメージが強い曲かな。

 少なくとも、82年には、このテの音楽、曲は「ヒット曲」には、あんまりなかったんだよね。もちろん、このテの曲はあっただろうけどさ。
 82年当時はまだ、日本のヒット曲は音がダサダサだったっていうか、もっと野暮ったかったんだよね。
 それが、堅めのクリアーな音に変わった・・・っていう、たぶん、転換期の曲なんじゃないかなぁ・・と思うんだよね。

 まあ、それは、稲垣潤一のボーカル、声質に拠るところが大きいだろうけどさ。

 あの、甘い声は、やっぱり、シティポップスには最適だもんね。あの声で「シャウト」して、ロック歌われても、似合わないだろうし。。。

 だから、時代的にはピッタンコだったんですよ。

 それを引き出す、筒美京平っていうヒトは、やっぱり、「天才」なんだよねぇ。。。。 どう考えても。。
 時代を常に引き出してる。これは、すごいですわ。

 で、もう一つ、この曲で気になったのは、詞ですよ。
このころには、ワタシも作詞、作曲者については、一応、気になってたのね。
 だれが、どういう曲作ってるんのかなぁっていう部分ね。

 で、この曲の「秋元康」って、それまでで初めてみた名前だったんですよ。
 新手の作詞家ってことは分かったんだけど、どういうヒトなんだろうっていう興味は、当時からあったんですよね。

 すくなくとも、この曲のイメージからして、ニヒルでキザのイメージはあったんだけどね。
 この曲のイメージとして、そういう感じはしたぢゃない?

 それが、のちのちの「おニャンコ」の仕掛け人、当時は「ザ ベストテン」の構成作家って知った時は、ビックリしたな。

 しかも、この曲の詞、イメージとしては、グラスを傾けながら、タバコをくゆらせながら書いたんぢゃないかって思ってたんだけど、実際は、TBSの前の喫茶店で「やきそば」食いながら書いたんだったね。。。。

 なんか、それ知った時は、イメージがガラガラガラ。。。と音をたてて崩れ落ちたよなぁ(^^;;;;;;;;;(爆)

 でも、初めてヒットしたこの曲の印税で買った、BMWを「ドラマティックレイン号」と名づけてたのは、まあ、かわいいところだよね。

 良くも悪くも、80年代の時代の寵児とはじめて知り合った1曲ですわ。

 その秋元氏、暫く、表舞台に出てなかったと思ったら、秋葉原発のアイドルグループ、AKB48なんて、仕掛けてたのね。
 どう考えても、おニャン子の2番煎じ。。。もとい、進化系にしか、私にゃ、見えないんだけどね。
 2月1日に「桜のはなびら」っつう曲がインディーズレーベルからリリースされるようですが、売れるんだろうかね?

 インディースとはいえ、バックは大企業ばっかだからねぇ。
かなり仕掛けてくるんだろうけど、とりあえず、2月1日時点では静観かな・・と思っているワタシです。

 おそらく、オリコン的には、かなり上位には来ると思うけど。。

 最後は、「ドラマティックレイン」とは、まったく違うはなしになってしまいまして、スマソ。



※2006年1月に書いたものを再掲載しました。
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