1976_05_春うらら_田山雅充



今回の1曲セレクトは、「春うらら」田山雅充です。

まずはデータです。

・タイトル    春うらら
・アーティスト  田山雅充
・作詞      最首としみつ
・補作詞     中里綴
・作曲      田山雅充
・編曲      船山基紀
・リリース日   1976年2月25日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数   21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

 すべてのメロディは覚えていたわけではないけど、一部のメロディは頭のどこかにこびりついているっていう曲。
そんな曲って、これ読んでくださってる方にもあるんじゃないかなぁ。
Aメロ、Bメロは忘れちゃってるけど、サビのメロディは強烈に覚えてる曲とかさあ。 いや、そうじゃなくても断片的に覚えるとか。。。

ワタシも、断片的にしか覚えてなくて、たまたまラジオで聴いて、「あ、こういう曲だったんだ・・」さて思う曲は未だにありますねぇ。

今回引っ張ってきた曲なんかも、そんな1曲だなぁ。

田山雅充「春うらら」

この曲リリースは1976年2月というから、ワタシは6才。 丁度、幼稚園から小学校に上がるころだ。
リリースは2月だったけど、ヒットのピークはこの年の6月。
オリコンでは1976年6月21日付で最高位16位を記録。
そんなロングヒットだったこともあり、最高16位までしか行かなかったけども、売上げは20万枚のスマッシュヒット。


まあ、いずれにしても そんな時代のヒット曲なんで、リアルタイムでは聴いてない。

・・・はずなんだけどもね。 でも、曲自体はずっと知ってたのよ。

いや、最初に書いたように、この曲の全篇を覚えていたわけではなくて、断片的に覚えてた感じで。

そそそ、 ♪ アゥ〜 アゥ〜  春うらら〜 ♪ っていう、 地声から一気にファルセットに上がる例のサビの部分だよね。

あそこだけは、強烈に記憶に残っていたのよ。

もちろん、オリコン的には最高位16位だったのにも関わらず、売上げ20万枚以上のスマッシュヒットを記録したこの曲だったから、存在自体はオリコンチャートを見始めた当時から知ってた。

だけど、長い事、例のサビの部分以外、この曲のAメロ、Bメロのメロディって知らなかったのよ。

正直、つい最近よ、この曲の「全貌」知ったの。 うん、ここ10年くらい。

この「1曲セレクト」のネタ探しに、改めて60年代以降のヒット曲の音源を掘り返していた時に改めて全部聴いてみたってところですね。

全篇聴いてみて「あ、これ」っていう聴き覚えがある感覚。 やはりでしたね。 
サビを覚えていたってことは、当時、この曲、一通りは聴いてたんだよ。

でも、覚えてなかったってことは、当時はサビ以外は刺さらずに、記憶の奥底に沈んでいたんだろうね。 

当時、刺さらなかったのは、日本の土着的匂いのするフォークに近いメロディラインだったからなのかもな。

70年代終盤のロック・ニューミュージックブーム前夜のミュージックシーンでは、より洋楽的な音楽は、オシャレな音楽として確かに盛り上がりつつはあったけど、 まだ前衛的な音楽という感覚でしたよね。
それよりもこの手の土着的な匂いのするフォーク路線っていうのが、まだウレセンだったわけで。。

ただ、個人的には、この手の土着的な匂いのする音楽よりは、当時から、より洋楽的な匂いのする音楽の方にシンパシイを感じてたのよ。

・・・なんて、当時6才のガキンチョが、なにがシンパシィじゃ・・・だよな。

うん「刺さった」のよ。

土着的な匂いのするフォーク・・、あの頃で言えば、かぐや姫とかNSPとかですよね。さだまさしさんなんかもそうだったかな。 ほんの少し時代を下れば、松山千春さんとか・・。

それよりも、やっぱり、ユーミンとか、井上陽水さん、チューリップなどの方が音楽的には刺さったし。。

今回引っ張ってきた「春うらら」は、どちらかといえば、前者よりの匂いが強い曲だったわけじゃん。
特にAメロ、Bメロなんかは。 それは、メロディラインの他、歌詞にも感じたりね。

♪ 二人コタツにくるまって 触れ合う素足が ほてりほてり〜 ♪ とかさ、いかにも日本的な情景じゃん。

そもそも 「春うらら」っいうタイトルからして、日本の土着的な田舎の風景を思い浮かべたりして。

個人的には、タイトルから浮かんでくる風景は、春、田植え前の水の張った田んぼと、周りの菜の花と、田んぼの畔の水路のカエルの卵、 そこに吹きぬける、春の優しい風ですわ。

当時、この曲と全く同時期にキャンディーズの「春一番」が大ヒットしていたわけだけども、あの曲のようなアグレッシヴで動的な春の情景とは、ちょっと違った感じで。。。

ただ、そんな土着的であるからこそ、安心もあるのも確かで。。だからこそ、当時は、そういう曲の方が、洋楽寄りで都会的な曲よりもウレセンだったんだろうな。 
・・っていうのも分かりますね。

少し前にも書いたんだけども、70年代中盤、生活の欧米化の波は進行していた・・とは言えども、まだまだ日本独自の文化や風景が残っていたのも事実なわけで

当時ユーミンが言っていた「中産階級」っていうのは、あくまで都会の一部の層の意識だったんじゃないか・・なんて思うわけなのよ。

当時、福島・いわきに住んでたワタシだけどさ。76年といえば(常磐)炭鉱が閉山した年で、まだ、いわいる「炭鉱長屋」があちこちに残っていた頃なんだよね。
繁華街でも一本裏通りに入れば、昭和30年代、40年代初頭の高度成長期以前の匂いがそのまま残っていたし。。。

ワタシの家は炭鉱長屋ではなかったけど、あの頃の記憶としては、そういう生活環境の記憶が強くて、とてもユーミンがいう中産階級の生活環境とは言えなかったし。そういう中産階級的な生活は、まだ憧れの中の存在だったわけよ。

まあ、いわき以外でも、当時の地方都市は、ほぼそういう状況だったんじゃないのかな。

だからこそ、こういう日本特有の土着的な匂いのするフォークのほうが、安心感を感じる・・っていうか、より生活に近い感覚があったわけでさ。だからこそ、当時はまだウレセンだったんだろうね。

そそそ、当時、個人的に、この手の曲よりもユーミンなどの、より洋楽的な匂いのする曲に、個人的にシンパシイを感じたのも、現実の生活にはなかった、あの頃の「憧れ」だったんだろうな・・と。今、振り返れば思えますね。




Youtube上では、当時の映像としては、これが唯一の映像のようだけども、77年のNHKフォークフェスティバル。

でもさ、この時の「フォークフェスティバル」って




を見ると、↑で対抗的な立ち位置として出した、ユーミンも出演していた模様。





いや、逆にユーミンがメインのコンサートだったようだ。

※蛇足だけども、コンサートは1977年8月19日とある。 ワシの8歳の誕生日だ。

その他の出演アーティストは、大橋純子&美乃屋セントラルステーション、ハイ・ファイ・セットで、番組タイトルのような「フォーク」とはとても思えない出演アーティスト。純粋なフォークシンガーは、田山雅充氏だけだったようですね。

でも1977年と言えば、ニューミュージックブームの賭場口の年だったし、音楽シーンもフォークからニューミュージックに完全に意識が変わっていた頃。

「春うらら」がヒットした1976年だったら、出演アーティストも大分違っただろうけどね。
それだけ、急激に音楽シーンの主流が変化してた頃とも見て取れるんだよね。



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