かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

清水信之

クリスマスキャロルの頃には / 稲垣潤一

1992_12_クリスマスキャロルの頃には_稲垣潤一



今回の1曲セレクトは、「クリスマスキャロルの頃には」稲垣潤一 なのだ。

まずはデータです。

・タイトル   クリスマスキャロルの頃には
・アーティスト 稲垣潤一
・作詞     秋元康
・作曲     三井誠
・編曲     清水信之
・リリース日  1992年10月28日
・発売元    ファンハウス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  140.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月16日〜1993年1月18日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「ホームワーク」主題歌

先日から、以前すでに書いたクリスマスソングのうち、ずっとアクセスが多めの曲、ブログの底に沈んでいたのを表に引っ張り上げることを何曲かやってきた。

いつだかも書いたけども、1曲セレクトを始めた2005年、まだmixiに書いてた頃だけど、2週間くらいずっとクリスマスソングだけ書いてたことがあった。 

当時は、文字通り「1日1曲書く」ってことを目標にやってたんで、それこそ一気に10数曲書いたのかなぁ。 あの時点での過去の、めぼしいクリスマスヒットは、あん時、あらかた書いたんだよね。

ただ、後先考えずに書いたんで、その後、クリスマス時期に書きたい曲が無くなって、毎年難儀してるんだけども。。。。

でも、あの時も、それ以後もまだ書いてなかった クリスマスソングももちろんあるんだよね。


今回は、そんな、まだ書いてなかった「大ヒット」のクリスマスソングを一つ。


稲垣潤一「クリスマスキャロルの頃には」

じゃじゃーん。 1992年のクリスマスソングとしてリリースされ、当時、ミリオンセラーも記録した大ヒットをまだ書いてなかったとは。。。。

いやいや、書いてなかった・・というよりは、あえて書いてなかったといった方がいいのかなぁ。

リリースされた1992年当時、個人的には、どうも今一つ、この曲が好きになれなくて。。。 そういう記憶がずっと残っていたりするのよ。

生理的に好きになれなかった・・というよりは、あの時点で、この時期、毎年のようにリリースされるクリスマスソングに飽きてたって言った方がいいだろうな。

なんか、またか? ・・・って気持ちも強くてね。

それと、少し前に書いた、佐野元春氏の「約束の橋」と同じで、ドラマの主題歌にならないとみんな聴かないのか?  っていう現象に飽きてきてたんだよね、この時点で。

90年代に入り、70年代、80年から活躍してきた「大物」アーティストも、時代の流れの中で、苦戦をしれられてきていたアーティストも、ドラマの主題歌となると、約束されたようにミリオンセラーになる。

この曲は、ドラマ「ホームワーク」の主題歌。当時、上記にかいたような現象を起こしていたフジテレビ系ではなく、TBS系の金曜9時ドラマだけども。 結果的には同じような現象が起きた。

これを見てて、なんだかなあ・・・と思ってたのよ。

周りの盛り上がりとはウラハラに、なんか冷ややかな目で・・というと聞こえが悪いけども、冷静な目で見てたワタシがいたりしてね。。。
まあ、周りの風潮に流されすぎるのも嫌だった・・・っていうのもあったかもしれない。あの頃の心境として。

時代は90年代も丸々2年が過ぎようとしていた頃だったじゃん。 
件の「約束の橋」の時にも同じことを書いたけども、90年代をけん引していくような新たなアーティストもそろい始めてきていたし。個人的には、そちらの方に新鮮味を感じていたんだよね。
やっぱり、新鮮味を感じる方向を支持したくなってたし。。。

あ、これは、今でもそうだけども。。 

これって普遍的な物なんだよね、特にポップス、ロックなど、いわいる「流行歌」を聴く上ではさ。
これらの曲には、ある意味、新鮮さを求めているわけじゃん。 だからこそ新しい曲を聴きたくなるし、長いこと聴き続けていられると思うのよ。


確かにこの曲を聴く限りでは、90年代の匂いがするし、80年代の頃とは違うカラーの稲垣氏を感じさせてくれる。

だけど、ワタシの中では、稲垣氏と言えばどうしても80年代のカラーなんだよね、一番しっくりくるのは。
やっぱり、「ドラマティック・レイン」であり「夏のクラクション」なのよ。ワタシの中の稲垣氏は。
90年代・・というか、特にこの曲の稲垣氏は曲が大ヒットしたこともあって、特にアナクロに映ってしまう。

恐らく、そんなところから、当時は生理的には今一つ触手が伸びなかったのかもな。

だからね、ミリオンセラーではあるけども、長いこと、手元には、この曲のCD音源はなかったのよ。
むろん、bay fmの「パワーカウントダウンJAPAN HOT30」からエアチェックしたカセット音源はあったけども。 

それだけで十分だったんだよね。




当時は生理的に合わなかったものの、あれから30年が過ぎ、今では、手元にこの曲のCD音源はあるんだけども。
まあ、過去の大ヒットのアーカイブとして、最近中古で購入したモノなんだけどね。

あのころの個人的な好き嫌い別として、時代を飾った1曲であることは間違いないですからねぇ。


あ、そうそう、↑で、当時80年代のアーティストがドラマ主題歌を歌って大ヒットことに飽きていた・・と書いたけども、もちろん全てではないですね。

たとえば、同じ1992年10月期のTBS金ドラだった「十年愛」の主題歌を担当した大江千里氏の「ありがとう」なんかは、個人的には当時から好きだった。

まあ、大江氏の場合、80年代には稲垣潤一氏ほどの「代名詞」になるような大ヒットが少なかったこともあり、80年代のカラーっていう印象が少なかったからかもしれない。
だから、当時曲を聴いて新鮮味を感じたし、時代の風も感じたんだろうな。



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モノクローム・ヴィーナス / 池田聡

1986_11_モノクロームヴィーナス_池田聡


今回の1曲セレクトは、「モノクローム・ヴィーナス」池田聡です。

まずはデータです。

・タイトル    モノクローム・ヴィーナス
・アーティスト  池田聡
・作詞      松本一起
・作曲      佐藤健
・編曲      清水信之
・リリース日   1986年8月5日
・発売元     テイチク
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数   22.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1986年11月17日〜12月1日 12月15日付
・タイアップ:スズキ「アルト」CM曲

アーティストのイメージって、レコードで聴いてた時と、実際テレビに出てきた時と、だいぶギャップがあることがある。
「歌謡界・一発屋伝説」によると、古くは小坂明子さん、90年代に入ってからは、槇原敬之氏や、岡本真夜さんなんかは、この類かもしれない。

今回の1曲セレクトは、そんじや、この方はどうだったか・・・と思われたこの方のデビューヒットを引っ張ってきましたわ。


池田聡「モノクローム・ヴィーナス」

硬質で都会的な匂いのイントロから始まるこの曲。 途中で、おフランス語のボイスメッセージがはさまれたりして、雰囲気としては、もろ、昨今でいうところのシティポップなイメージ満載なこの曲ですわな。

ただ、なぜか、いわれるシティポップと言う括りでは、、この曲あんまり聞かないような気がするけど、気のせいでしょうかねぇ。。。。

都会的なサウンドと、甘い声質。
どこぞの金持ちのイケメン御曹司。  

この曲が、スズキ「アルト」のCMで、当時「いい女」の代表格だった小林麻美さんのバックで、この曲が流れ始めたころは、そんなイメージを抱いてしまったような気がするなぁ。

そもそも、この曲、レコードジャケットは、↑のように小林麻美さんのあわらな後ろ姿で、池田さんは映っていない。

しかも、この曲がデビュー曲ということで、この人のルックスもわからないまま、CMは流れ続け、いわいるジワリ型のヒット曲になったわけなんだけども。。。。


そんなこんなで順調にヒット街道を驀進し実際にテレビに出るようになったわけだけども。。。
その時に見た池田聡さんのルックスがね。。。

とんでもなくイメージが違ったわけではなかったけども、今一つ「都会的」というところからは、あか抜けないルックス。

それだけならまだしも、出身が栃木の烏山・・・と当時から明らかにされて、それでなんか、最初感じていた都会的で洗練された・・・というイメージがグラグラと崩壊したような感じを、私なんかは受けたりしたなぁ。

バブル前夜、あの頃は、音楽だけではなく、ファッションにしてもDCブランドだったり、ヴィトンのバッグだったり、文化全般にわたって、都会的なセンスに向かっていたわけでさ。
たとえ、「田舎」出身者でも、そんな都会なセンスを強要されていたところがあった気がする。

ただ、全員が全員そんな都会的な文化にしっくり嵌っていたかといえば、そうじゃないわけでさ。
特に地方出身者の方々はさ。

例えば、同じ時期に大ヒットを飛ばし、同じく都会的なイメージが強かった、杉山清貴氏なんかは、
やっぱ、横浜出身として根っからの都会っ子気質があったからなのか、そんな都会的なイメージにしっくり嵌っていたよね。
だから、あの時代の旗手的な存在になりえたような気がする。

池田さんの場合はどうだったんだろう?

個人的には、むしろ、この曲の大ヒットで都会的なイメージを作り上げきれなかったんじゃないか・・・。 

実際、この曲の大ヒットを受けての、 続くシングル「j・e・a・l・o・u・s・y」、「濡れた髪のLonely」とランキング的にはソコソコ健闘したものの、結局この曲以降10万枚以上の曲が出せずに今に至っているわけで。。。。



ところで、今言われる、シティポップは、70〜80年代に広く言われていたニューミュージックというジャンルの中で、よりエッジが鋭くて、硬質、かつ無味無臭な匂いの強いロック&ポップスのひとつのフォーマットなわけよ。

80年代は、ニューウェイブ系なんて呼ばれてたよな。 

そそそ、それで、なんとなくシティポップという呼称に生理的嫌悪を感じているのかが分かったのよ。

そうだ、80年代、個人的にニューウェイブ系な音楽が苦手だったんだ。。。

硬質、かつ無味無臭で、エッジが立ったサウンドが、生理的にダメだった。
と勝手に思ってたりするんだけども、実際なんでなのかはよくわかんないのよ。

まあ、かっこよすぎたんだよね、この手の都会的な音楽が。  
なんせ、福島の田舎出身だからさあ。都会的センスには、コンプレックスがあったのよ、あのころ。

そんな匂いのする、今回の「モノクローム・ヴィーナス」も、正直なところ、もろ手を挙げて刺さったわけではないんだよね。

個人的には、ソウルフルな曲の方が好きだった。ロックにしても、ポップスにしてもさ。
80年代前半までは、ロックにしても、ポップスにしてもそういう曲が多かったじゃん。 だから、すんなり入れたんだと思う。
でも、80年代後半になってこの手のニューウェイブ系が台頭してきて、すんなり入れなくなってきたのよ、いわいるヒット曲には。

ちょうどそんなときに、G.Sなどの60年代音楽とか、「テレビ探偵団」などの回顧系の番組が流行りだしてきてさ、結局、そっちの方に行っちゃったんだよね、ワタシ。

そんなこともあって、私の中の「昭和」という時代は、このころ(1986年)あたりで、精神的には終わっていたような気がするんだよね。
例えば、1988年(昭和63年)の曲を昭和の曲といわれても、ちょっと違和感を感じたりするしさあ。

・・・というか、最近でも昭和歌謡なんたら・・・とかやってんじゃん、テレビで。
今更なんだよな・・・、どのみちYou Tubeにたくさんあがっているわけだし、もうええやん・・と思うけど。。。 





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KID / 田原俊彦

1987_02_KID_田原俊彦


今回の1曲セレクトは、「KID」田原俊彦です。

まずはデータでする。

・タイトル    KID
・アーティスト  田原俊彦
・作詞      阿久悠
・作曲      井上ヨシマサ
・編曲      清水信之
・リリース日   1987年1月21日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   6.5万枚
・THEHITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1987年2月2日〜2月16日付

昨夜、NHKBSプレミアムで放送された「田原俊彦“還暦前夜!”スぺシャルワンマンライブ」、なかなか良かった。
90分にわたって、久しぶりにデビュー曲「哀愁でいと」からの数々のヒット曲を聴けたし。 なにより、今日2月28日で、トシも60才になったんですねぇ。
デビュー当時から「赤」が似合っていたトシではあるけど、まさか、「赤いちゃんちゃんこ」を着る年齢になってしまうとは・・・。
デビュー当時のトシから思うと、全く想像がつかなかったよなぁ。
BUT、昨日のライブでは、そんな年齢−還暦−には、全く思えないような「踊り」を披露。
「哀愁でいと」のサビ前の♪I SAY〜!♪の足上げポーズや、「原宿キッス」の、♪一度お願いしたい〜♪の開脚もみごとでしたね。
ま、確かに本人自ら指摘していたように、ターンのスピードとか、踊りの「切れ」は、20代のピーク時に比べると少し落ちていたように思えたけど。。。でも60才でここまで踊れるのは、素直にスゴイと思いましたわ。

・・・ということで、トシちゃん還暦〜60才〜を記念して、今回の1曲セレクトはトシちゃんの曲を持ってきたい。。。

・・・と意気込んだものの、さっすがに、トシの曲・・・特に今頃の時期にヒットしていた曲は、すでに大体、書いちゃったんだよな・・・・

・・・と言い訳しようかと思っていたら、1曲ありましたわ、まだ書いてない曲が。。。

「KID」 

1987年1月にリリースされ、今の時期にかけてヒットしていたこの曲、覚えてられる方、どのくらいいらっしゃるでしょうねぇ。

ま、当時、トシちゃんファンであった方には、常識的な曲ではあると思いますが、トシちゃんファン
以外の方は、すでに死角に入られている方も多いかもなぁ。

前年から4作続けて、阿久悠氏作詞、プロデュースのもと、アイドルから脱皮、大人のアーティストへのアプローチを試みたプロジェクトの最後の曲、それがこの曲になるわけですね。

デビュー7年目を迎え、アイドルから大人のアーティストへの脱皮と言うこの試みは、今となっては理解できるけど、当時は、今一つピンとこなかったな。

理解しようと思う前に、ヒット規模が以前にもまして縮小していたし、なにより、86年当時のおニャン子旋風の前に、今一つ時代との折り合いがついていないようにも映っていたんだよね。

もしかすると、このままトシちゃんはフェイドアウトしていくのかもしれない。。。なんて感じてたなぁ。

そんな中でのこの「KID」のリリース。

通常だったら、このまま引っかからなかった今間通り過ぎていたのかもしれないけど、どういうわけか、この曲にはひっかかった。

なんでなんだろう?・・・ってところなんだけど、 やっぱりジャニーズでの盟友、まっち先生と久々にヒット時期が重なったっていうのも大きかったんだろうね。

そそそ、まっち先生の「愚か者」のリリースが1987年1月1日。しかも、まっち先生にとっても久々の大ヒットだったからさ。これは、トシも一つ、久々に大ヒットで、まっち先生とのヒットチャート上の共演を・・と言う気分になった様に思いますね。

まあ、それ以前に、この曲の音の分厚さ、音圧のすごさ、ただ疾走感あふれる曲調だけに、重すぎない独特な重量感についつい耳が行っちゃったんだよな。

トシの曲って、ここまで音が厚くて音圧が凄い曲、それまでのシングルではあんまり感じたことなかったからさあ。 
イントロ最初のファンクベースに続いて、ブラス隊の分厚い音の運び。 これにやらちゃったところもあるな。
ま、当時、個人的にもブラスをやっていたこともあってブラスには耳が行っちゃってたところはあるけど、ここまでの分厚いブラスは、少なくともアイドルソングではあんまりないしね。

あ、ダークなラテン風なイントロの流れにも引っかかったと思う。
作曲の井上ヨシマサ氏による、ダークで小悪魔的、かつ音圧の高いイントロ、サウンドというと、個人的には、どうしても、91年のミポリンの「Rose」を思い浮かべてしまうんだけども、そこに至るまでの最初の曲と位置付けてもいいんじゃないのかなぁ・・なんても思ったり。


確かに82年の「原宿キッス」のイントロでの分厚いファンクベースなど局所的には音圧を感じた曲がそれまでもあったことはあった。

けど、ここまで曲全般にわたって音が厚い曲って、それまで無かった・・に少なくとも当時の時点では感じたんだよね。


兎も角、この頃になると、おニャン子のお気楽な曲調に個人的には辟易していて、もっと刺激のある曲を聴きたい・・そういう気分になっていたんだよね。
そこに持ってきて、この曲のような刺激のある分厚い曲が来たわけでさ。 引っかかったのも当然だったかもしれないな。





ちなみに、この曲って、作曲者 井上ヨシマサ氏による、曲、アレンジ同じ、歌詞違いの別曲が存在するんだよね。

↓ コレ 「赤と金のツイスト」



リリースは、この「赤と金のツイスト」の方が1か月後だけど、楽曲作成はこちらの方が早かったため、「赤と金のツイスト」の方がオリジナルだそうですわ

なんてかいてるワタシも、今回、初めてこの曲の存在を知ったんだけども。。。。

ちなみに、著作権上は「赤と金のツイスト」と「KID」は別曲扱いIになってる
(「赤と金の〜」作詞者の川村真澄女史、「KID」作詞者の阿久悠氏いずれもJASRAC会員なんで著作権使用料分配のために別曲扱いになっているんじゃないかな)けど、楽曲管理はいずれもジャニーズ事務所になってたりして。。。ちょっと変わったパターンの曲ですな。

それにしても、井上ヨシマサ氏も長いですね。 未だにAKBグループなどに曲を書かれているし。。。



ところでさ、1986年あれだけ全盛を誇っていた、おニャン子関係も、年が明けて1987年になると、やや求心力が落ちて来てたんだよね。

まあ、今考えると、時代の流れなんだけどさ。
そんなタイミングで、今回のトシちゃんの「KID」をはじめ、まっち先生の「愚か者」とか、明菜さんの「TANGO NOIR」、キョンキョンの「水のルージュ」とか、マイナー系ではあるけど音圧が高い、おニャン子とは毛色が違う、対極的な曲が相次いでリリースされて来てたじゃん。 

今考えると、おニャン子の他の陣営も仕掛けて来ていたんだな・・というのがよくわかるんだけども、当時は、そこまでは見えてなかったんだよね。

まあ確かに1987年っていう年はレコード売り上げは底だったんだけど、これはあくまでシングルCD化が遅れた代償であってさ、今になってみると、次のステップへの「種」は確実に蒔かれていたんだな・・っていうのが分かりますね。

そういう意味もこめて、1987年の曲については、今一度見直してみようかなぁ・・なんて思っているんですよね、個人的には。


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GOOD MORNING-CALL / 小泉今日子

1988_03_GOOD MORNING-CALL_小泉今日子


今回の1曲セレクトは、「GOOD MORNING-CALL」小泉今日子です。

まずはデータだよ〜ん。

・タイトル    GOOD MORNING-CALL
・アーティスト  小泉今日子
・作詞      小泉今日子
・作曲      小室哲哉
・編曲      清水信之
・リリース日   1988年3月9日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  17.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1988年3月21日〜4月25日付
・タイアップ:味の素「クノール・カップスープ」CM曲

CD売り上げが芳しくないと言われて久しい。逆にネット配信が「デフォルト」となりつつある訳でね。
「ヒットチャート」と言うところから見ても、CDセールスのみの「オリコン」よりも、配信の「レコチョク」のダウンロードチャートの方が、より「ヒットチャート」らしく感じるんだよな、最近は。

それだけ「配信」で音楽を買うってのが、普通になりつつある訳で、逆に言えばパッケージCDを買うっていうのは、特定のヒトたちだけになりつつあるって訳ですわな。

ま、それが良い傾向なのか、はたまた悪い傾向なのか・・・っていうことは、ここでは置いといて。。。

そう言うメディアの変化っていうのは、今に始まった事ではなく、昔からあった訳で。。。
そもそも「レコード」っていうシロモノが発明された昔から、そういうメディアの変化により音楽の聴き方が変わってきたってう歴史がある訳なんでね。

そんな中で、一番明確に「メディア」が変化したって実感できたのは、やっぱアナログレコードからCDへっていう変化の時だったろうな。
そそそ、80年代後半の頃だ。 ただね、いつか書いたような気がするんだけど、当初、CDは「アルバム」だけだったんだよね。
規格として、74分録音の12cmCDしかなく、プレイヤーもそれに対応したものしかなかった訳でさ。

まあ、既に、後の「シングルCD」を見据えた、8cmCD対応のプレイヤーもあったかもしれないけど、一般的に当初のプレイヤーは12cmCDしか対応してなかったのよ。

だからね、アルバムはCDで聴けるけど、シングルは依然「アナログ」でしか聴けない・・・っていう妙な時代が数年続いた訳さ。

BUT、CDプレイヤーの普及とともにアルバム売り上げは伸び始めた80年代後半に対して、シングルは落ち込む一方だったんだよね。 なにせ87年のシングル売り上げ1位だった、瀬川瑛子の「命くれない」が42万枚でしたから。。。
こんな「負」のスパイラルを止めるべく、シングルCDの発売が開始されたのが88年2月。
そそそ、ちょっと古いヒトには懐かしい「短冊形」パッケージの8cmCDですわな。

ただ、シングルCDが発売された当初は、大多数のプレイヤーは、当然それまでの12cmCDしか対応していなかった訳でさ。 苦肉の策として、8cmCDに「アダプター」を噛ませて、12cmにしてプレイヤーで聴く・・・なんて事をしてたよなぁ。

しかもこのアダプター、結構高くてさあ。本当は、それぞれ1枚1枚に噛ませておいた方が扱いが楽なんだけども、高いからさ、数枚だけアダプターを買ってきて、CD聴く時にとっかえひっかえ使ってりして。。。。
めちゃくちゃ煩わしかった事を覚えるなぁ。

・・・つか、未だにコレ売ってるんだな。。。

↓ コレ
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%82%AB-audio-technica-AT6621-CD%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%97%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/B0002ERE2G

チョットびっくり。。。

あ、でも、最近はすっかり8cmシングルCDも少なくなったんで、プレイヤー、8cmCDに対応しなくなったモノが増えて来ているって言うし、逆に需要も増えてるんでしょうね。

ま、兎も角も、このメディアの変化が大成功をおさめ、シングル売り上げは見事な「V字」復活。90年代のメガヒットの時代に向かって行くこととなる訳ですわ。

※蛇足だけど、この当時の「アナログ」レコードってめちゃくちゃ音がよくなってたんだよね。
後年、浅香唯の「Believe Again」(88年1月のリリース)をアナログレコードで購入して、この音質の良さにびっくりしたっけ。逆にCDの音質は概して悪かったんだよ。音位が高音域に偏っていて、キンキンとした音なんだよね、この頃のCDって。。。音量レベルも低いし。


・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんなシングルCDが発売された88年の「今頃」のヒットを持って来ますか。

キョンキョンの「GOOD MORNING-CALL」

うーむ、逆言えば「はぁ? なんで今頃、この曲なの?」とか言われそうな気もするんだけど。。。

個人的に、この曲当時、キライじゃなかったんだよな。
キョンキョン、初の「小室」作品ということで注目もされていたし、少なくとも前作の「キスを止めないで」よりも引っかかりがあった。

うーん、引っかかりがあった・・・っていうのは、ちょっと違うな。 シングルっぽい曲だと思った。

でも当時、この曲音源買わなかったんだよなぁ。 なぜだったのか? ・・・っていうのは、あれから29年、流石によくは覚えてないんだけど、たしか、上で書いたように「シングルCD」に関係していたような気がする。。。

そうだ、この曲あたりから、シングルもアナログからCDシングルに変えよう・・・って思ってたんだよな。

でもねえ、個人的に言えば、この頃並行して「大学受験」に失敗して、1年浪人生活を送ることとなりーの、CDどころじゃ無くなっちゃったわけなんだよな。(現に、この年は1枚もシングル買ってない)

それ以後、29年間、何の因果かこの曲の音源ずーっと、持ってなかったんよ。

・・ということは・・・、↑で、この曲「キライじゃない」って書いたけど、結局のところ好きでも無かったのかも。。。

考えてみれば、小室メロディって90年代以降の、いわいる「小室系」が確立されたころもあんまり引っかからなかったからなぁ。それは、80年代の時からずっとそうだったような気がする。
確かに、90年代の「小室系」の時代に比べて、80年代の小室作品は、今聴くとそれほど「らしさ」を感じる曲は少ないんだけどね。
 まあ、TM NETWORKは別として、ことアイドルの曲は、総じてサウンドも軽いし、メロディラインも軽い。それでも無機質な匂いはあったけどさ。

個人的に、あんまり引っかからなかったっていうのは、やっぱり、この「無機質」って言う部分何なんだろうな。

この曲の丁度1年前の87年春は「水のルージュ」を歌ってたキョンキョンだけど、この作品は作曲が筒美京平氏でアレンジが大村雅朗氏。
 同じ「シンセ」をフィーチャーしてる作品ではあるけど、より「有機的」なんだよね。 中身がきゅっと詰まっているって言う感じで。

対して、この「GOOD MORNING-CALL」は、軽い曲ではあるけども同時に中身もスカスカっていうイメージもあったんだよな。 その差だったのんだろうな、個人的に引っかかったのかそうじゃなかったのか・・・って言う差は。

ランキング的に見ると、オリコンでは最高2位だったこの曲。 ま、初登場(1988年3月21日付)の時が2位だった訳だけどもね。
でぇ、その時の1位は・・・・。そう、光GENJIのあの「パラダイス銀河」の「初登場」時だったわけですわ。
例の初登場売り上げ「338,690枚」って時。

今じゃ、某アイドルグループ「A」が、毎回初登場ミリオンセラーってなっているんで、全然インパクトを感じ無くなってるけど、当時はこの数字にはひっくり返る位びっくりしたな。 その時の2位が、この「GOOD MORNING-CALL」だったんんだよね。
まあ、リリース日が同じ「3月9日」てことで、必然的に初登場も同じになっちゃうんだけどね、それでも、1位のあまりのインパクトに、この曲、完全に霞んじゃった・・・っていう印象もあるんだよな。


あ、この曲とは直接関係ないけど、キョンキョンも、先日3月21日でデビュー35周年でしたわねぇ。
35年かあ、早いもんだよねぇ。 ま、流石に35年前の事を「まるで昨日のように・・・」なんては言わないけど、それにしてもあっという間だったよなぁ。
キョンキョンが35周年ということは、他の「花の」82年組、堀ちえみ、中森明菜、シブがき隊、早見優、松本伊代・・・みんな35周年って訳で。。。。
 ちなみに、35周年を記念して・・・かどうかは分かんないけど、キョンキョンも5月にデビュー曲の「私の16才」〜の全シングルを収録した「ベスト盤」をリリースするそうな。

とは言っても、キョンキョンってベスト盤リリースが好きで、これまで何回もベスト盤出してるんで、今さらねぇ・・・なんても思ったりするワタシだったりもするんだけども。。。

ちなみに、29年間音源持ってなかった・・っ書いたワタシですが、ちょっと前に、以前リリースした「ベスト盤」から音源をチョイスしたんでね、今は手元にあったりするんだけども。。。



あーら、かわしらしいキョンキョンですわ〜  Mステですね。
改めて曲を聴いてみると、例の「潮騒のメロディ」のコード進行って、この辺の曲を下敷きにしてるような気がするな。
もちろん、メロディラインは全く違うけど、Bメロあたりのコード進行から似たような光景が浮かんできたりするな。


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噂になってもいい / 武田久美子

1983_02_噂になってもいい_武田久美子


今回の1曲セレクトは、「噂になってもいい」武田久美子です。

まずはデータです。

・タイトル     噂になってもいい
・アーティスト   武田久美子
・作詞       来生えつこ
・作曲       加藤和彦
・編曲       清水信之
・リリース日   1983年1月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  8.9万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位

久々の1曲セレクトです。。。って最近、いっつも書いてるよなぁ・・・。
毎日、書かなきゃ・・・っていう半ば「強迫観念」的に思ってたりするんだけども、結局は、今回も「週末」になってしまいましたねぇ。。。うーむ、どうにかせねば。。。

最近、平日、なかなか筆が上がらないのは、確かに、先月からリアル仕事の繁忙期ということもあって、平日になかなか書いている余裕がなかった・・・というのもあるけど、それ以上に、これ書いてる部屋が寒くてね なんせ、我が家は、自ら「氷の部屋」と思うほど寒いもんで。。。 それで、どうもねぇPCに向かう気が萎えてしまう・・・っていうのもあるかも。。。な

だから、暖かくなってくれば、平日もまた書き始めるかも。。。な

・・・っつうことで。。

今回は女性アイドル・・を持って来たい・・・・と思いーの、色々と考えてはいたものの、これ・・と言った曲がなかなか浮かんでこない(いつもの事ですが。。。)

・・・・で、思いあぐねたすえ引っ張ってきた曲が、この曲。

武田久美子「噂になってもいい」。

ジャジャン! ・・・ですよ、ワタシにとっては。 この間書いた南野陽子さんの「さよならのめまい」もそうだったけど、この曲も、個人的には「冒険」的な曲なんだよなぁ。
なにせ、この曲ヒットしてた頃も、それほど熱心に聴いてた訳じゃないんだよな。

って感じの、武田久美子さんのレコードデヒュー曲ですわな。

リリースは1983年、今から34年前の丁度今頃だ。 ワタシは中学1年生。

振り返ってみれば、一番ヒット曲を熱心に聴いてた頃なわけで、何でもかんでも「雑草」のように聴いてたんだよな。
それでも、この曲は、それほど熱心に聴いてなかった・・・ってことは、引っかからなかったんだろうねぇ、この曲には。

リリース前、下馬評は高かっんだよ、この曲。 

いや、この曲・・・というよりは、武田久美子さんの下馬評なんだけどね。

前年の82年、例の映画「ハイティーン・ブギ」でのまっち先生の相手役・・・っちゅう、これ以上も無いヒロイン役に抜擢された訳でさ。
なんせ、当時の、まっち先生の人気は凄まじかったですからねぇ。 そのヒロイン役・・・となると、自ずから業界内での評価は高まる・・・っちうのも、まあ自然の成り行きだった訳だよね。

だからね、83年のアイドルの頂点は、このヒトだ ・・・みたいな雰囲気が一時はあったんだよな。

手元に月刊・明星の付録歌本「Young Song」、1983年4月号がある。
この号で、1983年の新人特集が組まれていて、当時、アイドルボイトレの第一人者だった、大本恭敬氏の評価が、「A B C」ランクで付けられているんだけども、武田久美子さんだけは「?」になってる。

つまりは、それだけ未知数な部分が多く、「化けるとでかい」っていう、当時の業界内の評価を表しているんじゃないかな。


でもね、でもね・・・・ですよねぇ、事実は違ったんだよね。

うん、結局のところは、化けずに「パッ」としないまま終わっちゃったんだよな。・・・・っていうのは、アイドル史が証明しているよなぁ。

どこがいけなかったか?

うーん、やっぱり、ルックスと声質、それにもまして「歌唱力」のギャップの大きさだったんだろうね、きっと。

大人っほかったんだよね、ルックスは。 ワタシより学年が一つ上の武田さんなんで、当時14歳、中学2年生でしたよね。
それにしては、大人っぽい精悍な顔立ちだったじゃん。 そのルックスからして、きっと、声質も大人っぽいに違いない・・・・と想像していたんだけども。。。。

これがまるで「コドモ」だったんだよね。、そこで、まず最初のギャップ。

そして、極めつけは、このヒトの「歌唱力」だよなぁ。。。。    

兎に角、「ヘタ」なのよ、ウタが。。。。 これには、さしものワタシも「カウンターパンチ」でしたねぇ。。。

そう言った見た目と、実際のウタとのギャップ・・・・これは、大きかったんじゃないですかねぇ、ワタシだけでなく、多くのヒト達のとっても。

岩井小百合。 言わずとしれたデビュー当時、武田久美子さんの、「ライバル」と評されたヒトですわ。
年も同じ、当時14歳、中学2年生・・・ってところもあったしね。

 このヒトも武田さんと同じく、声質は「コドモ」・・・っていうより赤ちゃんか・・・ってくらいの「ベイビーボイス」だったわけだけども。
 それでも違和感なく聴けたのは、このヒト、ルックスも「コドモ」だったってのは大きかっただろうなぁ。そそそだから違和感なく聴けたんだよね。

そんな、ルックスと声質、はたまた歌唱力のギャップってのは、いくら歌唱力は「割引」のアイドルと言えども、ギャップがあまりにも大きいと影響はデカイよな・・・っていうところは痛感させられたよな、このヒトには。

だからねぇ、この曲、内容に関しては良いか悪いのかよく分かんないんだよ、ワタシ。

まあ、簡単に言えば古臭いんだよな。 加藤和彦氏作曲、清水信之氏編曲、加えて言えば「冬のリリース」ってことで、81年の伊藤つかささんの「夕暮れ物語」に近い曲調ではある・・・ってところは分かるけど。。。

 この曲も81年当時にしてみれば、アナクロっぽい雰囲気だったもんな。80年代・・・というより70年代の・・・そう、私たちが、小学校に上がる前のころにどこからか聴こえてきたような、童謡のような・・・って言う雰囲気。

そそそ、これは大衆音楽っていうよりは童謡っぽいんだよね。 「〜っぽい」っていうのは、完全にそれって言う訳じゃなくて、あくまでそんな「雰囲気」って事なんだけど。。。 その辺に曖昧さも感じちゃったりしてさ。

例えば、同時期に大ヒットした、わらべの「めだかの兄妹」なんかは、完全に「童謡」だったじゃん。そのへんに潔さを感じたりした訳なんだけども、この曲にそこまでの潔さがあった訳じゃない。 それが曖昧さ・・中途ハンパさに感じちゃったりするんだよな。
 
この曲が今一つ売れなかったのは、そんな中途ハンパさにもあったのかもしれないな。


動画・・・・まあ、この曲くらいのクラスになると・・・って感じだけども、動画があんまりない・・・ってことでニコ動で
コメントがやかましいけど、割り引いてみてくだされ。。。



でも、今見ると、当時14歳といっても気が強そうな雰囲気は出しているわな。
まあ、まっち先生の相手役。しかもキスシーンもありーの・・・なんてことで、まっちファンからは相当の嫌がらせがあったようだけど、こうしてゲーノー界で生き延びてこれてるってことは、並大抵の気の強さじゃない訳で。。。


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夕暮れ物語 / 伊藤つかさ

1981_12_夕暮れ物語_伊藤つかさ


今回の1曲セレクトは、「夕暮れ物語」伊藤つかさです。

まずはデータです。

・タイトル     夕暮れ物語
・アーティスト   伊藤つかさ
・作詞       安井かずみ
・作曲       加藤和彦
・編曲       清水信之
・リリース日    1981年12月1日
・発売元      ジャパン
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数 20.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位


すっかり日が短くなりましたよね。3時半過ぎるとすっかり夕方って感じだし、4時過ぎるともう暗くなってくるもんね。あー、秋も深まって来ましたねぇ・・・って感じ。。。うんにゃ、すでに「冬」到来ですわな。
これから今月下旬の冬至に向けて、さらに日が短くなってきますな。

・・・ということで、今回は、そんな夕暮れ的な1曲をひとつ。。

伊藤つかさ「夕暮れ物語」

うーむ、この曲覚えてますかねぇ。
前曲がレコードデヒュー曲となった「少女人形」。そそそ「ベストテン」にもランクインしてたし、例の15才以下は、8時以降の生放送は出演できない・・・ということで毎回VTR出演・・ということもあり、逆にめっちゃ注目されましたよね。

そんな「少女人形」に続く、第2弾シングルがこの曲だったんだけどね。

でも、「少女人形」は良く覚えてるって方でも、もしかしたら、この曲は「覚えてないなぁ」って方も多いかもしれないな。
かく言う、ワタシもその一人だったり。。。

んじゃ、なんで書いてんの? ・・・って感じなんだけども、ま、今は音源も持ってるんでねこの曲。

でも、当時を振り返ると、印象に残ってないんだよな、この曲。
当時は「情報源」としては、「ベストテン」が唯一だったからなぁ。この曲、↑で書いたように、オリコンでは最高位9位と、ベストテン入りしてたんだけど、ベストテンでは最高15位とベストテン入り出来なかったからなぁ。
当然、ワタシ聴いてなかったんだよね。

まあ、月刊「明星」の歌本で、この曲の存在はもちろん知ってはいたんだけどもね。

それでも、売り上げは20万枚も行ってたんだよね。いや、それだけ売れてた・・・って言うところにもちょっとびっくりだったりするんだけどさ。うん、感触からしてそんなに売れてたって印象なかったもの。
 
だからね、売り上げだけ見れば、決して「一発屋」ではないんだよな。今となっては、このヒトと言えば「少女人形」って言う印象が強くて「一発屋」って言うイメージもあるんだけどさ。


でねぇ、個人的に実際にちゃんとこの曲聴いたのは、もうね、ずーっと後。
実は最近なんだよな  すっかり大人になってからですわ

暗い曲だなぁ・・・っていうのがどうしても先に立っちゃうのが、一番の印象だよね、やっぱり。
まあ、タイトル通りで捉えれば、「夕暮れ」ですからねぇ、そう言うイメージになっちゃうんだと思うんだけども。。。

作詞、安井かずみ、作曲 加藤和彦 元夫妻の作品。

・・・っていうのも、実は最近知ったんだよね。いや、そんなイメージが全然なかったからさ。この頃の両夫妻の作品と言ったら、どうしても岩崎良美の「愛してモナムール」の印象が強いからなぁ。

なんて言うのかなぁ、独特のアクの強さ・・があったじゃない、安井−加藤夫妻の曲って。この曲は、そういう独特の匂いがなかったからさあ、今まで全然気がつかなかった。

それにしても暗いんだよなぁ、この曲。 アイドルの曲としては珍しい位。
どことなく、斉藤由貴さんの「情熱」にも似た暗さを感じたりしてね。。あ、イントロ出足の4分音符のピアノが「情熱」に似てるんだよな。それと、その後の印象と。

ちなみに、この曲は「夕暮れ物語」だけど、堀ちえみさんの83年秋のヒットは「夕暮れ気分」。

タイトル似てるんだよな。。。 時々、どっちがどっちだか分かんなくなっちゃったりして

曲調は対照的なんだけどさ。

堀ちえみさんの「夕暮れ気分」は、夕暮れ時といっても、まだ、日がある頃の夕暮れだよね。

♪ 小石がオレンジに染まるほど暮れてゆく〜♪ ってあめことから、まだ日が沈み切っていない頃、焼けた夕日の光がさしてる時間じゃん、イメージとしては。 その分、曲調に温かみを感じたりしてさ。

それに対してこの曲は、夕暮れは夕暮れでも、陽がすっかり落ちて暗くなった時分なんだよね。

♪ 夕暮れこみち坂道 帰りましょう〜 ♪ って言う歌詞から、浮かんでくる風景からしてさ。

そうだな、夕暮れは夕暮れでも、N.S.Pの「夕暮れ時はさみしそう」に近いんだろうね、情景的にはさ。
で、もって、リリース時期が12月って言う事もあって寒さも感じたりして。そそそ、今頃の4時半とか5時ごろのすっかり暗くなった情景。そこに北風が吹いてたりして。傘がついた裸電球の街灯がポツンとついてたりして。
うむ、昭和の風景ですわ、この曲から浮かんでくる風景は。

たださ、出足のAメロは、そんな夕暮れの寒い情景が浮かんでくるんだけども、サビになると、ガラッと曲調が変わるじゃん。いきなりメジャー系な流れになっちゃりして。
 まあ、昨日のアグネス・チャンの「小さな恋の物語」のメロディ展開も、同じようにサビでいきなりメジャー展開になる曲調だったけど、、こういう展開の変化することによってドラマティックに見せていたんだろうな。けっこうこういう展開の曲が多かった気がするな、当時は。

それと、↑で書いたように、この曲ちゃんと聴いたのは最近なんだけど、それもあってか、サウンド的に「81年」って言う言うイメージは薄く感じたなぁ。
例えば、サビの部分のコーラスの入り方とかさ、80年代中盤にもこんな感じの曲があったよな・・・って思えたし。
そう言うところ、ある意味では80年代アイドル曲のフォーマットになっている部分があるかもしれない。


動画・・・うーむ、やっぱ印象薄い・・・って事もあってか、この曲適当な動画がないな。
とりあえず、ニコ動にはあったんで、一応リンク。見れる方はどうぞ




http://www.nicovideo.jp/watch/sm14868532



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恋したっていいじゃない / 渡辺美里

1988_05_恋したっていいじゃない_渡辺美里








今回の1曲セレクトは、「恋したっていいじゃない」渡辺美里です。

まずはデータです。

・タイトル    恋したっていいじゃない
・アーティスト  渡辺美里
・作詞      渡辺美里
・作曲      伊秩弘将
・編曲      清水信之
・リリース日   1988年4月21日
・発売元     エピックソニー
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  24.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1988年5月9日〜7月4日付
・タイアップ:UCC缶コーヒーキャンペーンCM曲

ここのところ、書く曲が定まって無くて、毎日結構悩んでるんだよね。
いや、書く曲が無い訳ではなく、これから書こう・・・と思う曲は頭の中でいくつかストックしてあるんだけど、どの曲を持ってこようか・・・っていう踏ん切りがどうも付かない。

「書こう」と思う曲はあるんだけど、どう切りだして書こうか・・・っていうところが今一つ浮かばなくてねぇ、ちょっと苦しんでますね。

で、そんな頭の中でストックしていた曲の1つを今回は、持って来ましたわ。

渡辺美里「恋したっていいじゃない」

この曲は、当時、少し肩透かしをくらった感じがしたなぁ。
めちゃくちゃ軽い感じのアップテンポの曲だったじゃん。どうも、それまで感じていた渡辺美里のイメージを、いい意味で崩してくれた・・・っていうかね。

ま、それまでも、この手の曲があったのかもしれないけど、渡辺美里っていうと、個人的にはどうしても「My Revolution」のイメージが頭にこびりついていた感じでねぇ、どことなく食傷気味だったんだよね。
だから、前年くらいから、曲はヒットしていてもほとんど曲を聴いてなかった。 まあ、その影響で未だに、1987年のこのヒトの音源は1曲も持ってなかったりしてね

でも、この曲はビビビッと来たなぁ。 この曲、UCCの缶コーヒーのCMで当時、ガンガンかかってたじゃん。

もうね、サビの ♪ D・A・T・E〜 ♪ は勿論なんだけど、 その後の ♪ I WANT YOU  I NEED YOU〜♪ のフレーズに「ビビビ」ってきちゃったんだよね 
ま、なんか軽薄短小な感じがしないでもないんだけど、でも、やっぱりキャッチーなんだよね。

 1988年っていうバブルな時代にもピッタリ嵌まっていたのかもしれない。まあ、個人的には「浪人」としい重い十字架を背負った年でもあったけど、この曲の軽さにはシンパシイを感じてたなぁ。

兎に角、バックコーラスに岡村ちゃんがいたり、ギターが佐橋佳幸氏がやってたり、支えていたミュージシャンも豪華だったしね。 

一つ難あり・・・と思ったのは、最後、なんか尻切れトンボみたいに音が切れるじゃん。 そこだけがなんか「雑だな」・・・なんて思ったな。 もっと粋な終わり方ってなかったんでしょうかねぇ。。。


それと、作曲の伊秩弘将氏ってのも、この頃から出てきたって感じでしたよねぇ。 うん、後年、90年代の後半にSPEEDのプロデュースで一躍、トッププロデューサーの一人になった人ですわ。
 ま、実際は、この前年の「IT'S TOUGH」の作曲もしてるんで、この曲が初めてって訳じゃないんだけど、個人的には、この曲が、このヒトの存在を知った・・・って感じだったなぁ。
 なんか代わった名字なんで、なんか引っかかったんだよね。

ちなみに、この曲がリリースされる1か月前に、CDシングルなる代物がリリースされたんだけど、個人的に初めて買ったCDシングルがこの曲だったんだよなぁ。

当時は、8cmCDがCDプレイヤーのトレイ乗らなかったんで、CDの外側に、いちいち「アダプター」を付けなきゃいけなかったのが、煩わしかったんだよな。
・・・・なんて書くと、懐っかしいな・・・なんい思う方は、今の40代以上かなぁ。

 最近は流石に8cmCDがトレイにならないCDプレーヤーなんてないよね・・・なんて思ってたんだけど、最近はほぼ全てが12cmのマキシになっちゃって8cmのシングルCDが少なくなっちゃっで、逆に最初から8cmCDがトレイに載らないプレイヤーもあるんだってね。。。。

うーむ、時代は繰り返す・・・ってやつか。。。。






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もう笑うしかない / 平松愛理

1992_10_もう笑うしかない_平松愛理






今回の1曲セレクトは、「もう笑うしかない」平松愛理です。

 まずはデータです。

・タイトル    もう笑うしかない
・アーティスト  平松愛理
・作詞      平松愛理
・作曲      平松愛理
・編曲      清水信之
・リリース日   1992年9月2日
・発売元     ポニーキャニオン
・オリコン最高位 17位
・売上げ枚数   17.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 17位
・タイアップ:新日火災海上保険CM曲

 昔、新宿とかでカラオケやってると、終電が気になってねぇ。何分、住んでるところが千葉の「田舎」なんで、それなりの時間に切り上げなくちゃいけない。

 いまはどうだか分かんないけど、昔、90年代の頃は、終電でこちらへ帰ってくるには、新宿23時08分 東京行きの中央線快速にのらなあかんかったのよね。。。
 
 最終的に、千葉0時08分発の内房線最終に乗れれば良かったんだけどね。

 乗換えを逆算すると・・・。錦糸町23時34分発の総武線快速に乗れれば、内房線最終に間に合うのよ。

 だけど、新宿発23時15分の中央線快速だと、乗り換え時間が「無情」だったんだよなぁ〜、ワタシにとっては。。。

 ・・・っちゅうのも、これだと、お茶の水に23時25分着で、同27分発の総武線各駅停車に接続。

 この御茶ノ水23時27分発各駅が、錦糸町に着くのが23時34分・・・。

乗り換え時間が〜・・・・。0分。。 のぉ〜げっそり、無情なダイヤ設定〜泣き顔

 よくやったのよ、終電接続電車の後姿を見送るワタシ〜

 ♪もう〜笑うしかな〜い ♪  なのでーす。

 ・・・つうことで、今回の1曲セレクトは、よーく新宿でカラオケ飲み会を開いて、よーく、終電を乗り過ごしていた92年の頃の曲を・・。

 平松愛理の「もう笑うしかない」

・・・ズバリexclamation そのものでしょうexclamation ×2


 いや、あのころは、元気でしたね、ワタシも。かじやん、23才。
終電乗り越しも随分やったけど、金曜の夜は、オールナイトカラオケも随分やったな。
 うん、丁度、この「もう笑うしかない」のころがピークだったですよ〜。

 朝方3時半くらいまでウタって、声が潰れて、クタクタになった頃、カラオケ店でて、歌舞伎町の「マイアミ」あたりの喫茶店で、4時30分の始発を待つのが、いつものパターンだったな。
 ちなみに、「マイアミ」のコーヒー、深夜割り増しで、1杯1000円くらい取られてたよーな。。。 ぼったくりやん・・・とか、思っちゃうけど、同じような境遇なヒトがたくさんいてさ〜、お店はいつも満員だったな。

 どーでもいいけど、この間、久しぶりで歌舞伎町行ったけど、、随分、変わったね、歌舞伎町も。全体的に明るくなったな。昔は、もっと胡散臭かったけど。。。件の「マイアミ」もなくなってたりして。。
 考えてみれば、今はスタバがあるし、マックも24時間開いてるからなぁ・・・、なにも「深夜喫茶」で高いコーヒー頼んで、夜を明かすなんてしなくてもいいわけだもんなぁ。。。



 ・・・ところで、「もう笑うしかない」。

 この年は、平松愛理、ブレイクの年だったわなぁ。うん、例の「部屋とYシャツと私」の大ヒット。今聴くと、とても不思議な曲。
 その2曲あとが、この曲になるわけだけど、1曲前の「マイセレナーデ」は、半分「つなぎ」っぽい曲だったから、実質、後を継いだ曲がこの曲ってなるんかなぁ。。。

 まあ、詞の設定は、ワタシと彼氏のうんちゃうらかんちゃ・・・。
 うん、「トレンディドラマ」の一場面を切り取ってきたような内容。

 平松愛理の得意パターンだね。

 考えて見れば、トレンディドラマ最盛期の頃だったから、このヒトなんてのは、ブレイクしたんだろうな・・・なんて、今だから思いますねぇ。
 もし、「今」だったら・・・。果たして、あそこまでブレイクしたかなぁ・・・と思うと、ちょっと疑問。

 考えて見れば、音楽的には、特に変わった仕掛けがあるわけではないんですよ。
 特に新しいサウンドをのっけているわけでもなかったし。。

 結局、詞の内容で売れてたんだよね。90年代前半のあの「とれんでぃ」なイメージがあったからこそ、売れてたヒトだと思うなぁ。。



PVより・・・ っちゅうか、この曲のPV、はじめてみたぞよ。92年当時には、いったい、どこで、流れてたんだろうねぇ、このPV。

 ちなみに、このPVの監督は、あの岩井俊二氏だそうで・・・。
なるほど、さすがに、90年代の「かいしゃ」シーンをとるのが、それっぽいな。。。
 映ってるヒトたちの、髪型とか服装が、とっても90年代前半。今見ると、、なんか笑えるな。
 会社のデスクにパソコンでなくて、「ワープロ」が置いてあったり。。あせあせ
 うん、ワタシも当時は、まだパソコンぢゃなくてワープロでしたわ。。インターネットは何者だ? っていう時代ですね。

 大体において、公衆電話から「テレホンカード」で、「彼氏の部屋」に電話かけたら留守番電話だった〜・・・っていうシチュエーションからして90年代やなぁ・・。
 いまだったら、100%ケータイで直信だしぃ。。。

 この曲くらいだと、ついこのあいだ・・っていう感覚だけど、確実に23年っていう歳月が過ぎてるんだねぇ。。ふらふら


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けんかをやめて / 河合奈保子

1982_10_けんかをやめて_河合奈保子 








今回の1曲セレクトは、「けんかをやめて」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル     けんかをやめて
・アーティスト   河合奈保子
・作詞       竹内まりや
・作曲       竹内まりや
・編曲       清水信之
・リリース日    1982年9月1日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 5位
・売り上げ枚数  21.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1982年9月13日〜10月25日付

えー、今月は河合奈保子さんのヒット曲が多い・・・ということで、毎週1曲ずつ書いてるような感じだけど、今回は1982年の「けんかをやめて」。
 まあ、この時期の河合奈保子さんのヒットの中では、本命中の本命ってところかな。

でもねぇ、こんな本命中の本命の曲でも、まだ書いてなかったんですねぇ。。。

以前から何回も書いてるけど、この1曲セレクト、以前はmixiの「マイミク」さん向けにmixiに書いてたものに、若干脚色して、いまのブログに移殖しているものなんだけどさ。mixi時代から、この曲書いてなかったんだよなぁ。

不覚

なんか訳があったんだと思うけどねぇ。。。(ってか自分の事なんだけど。。。)

これも以前カミングアウトしたことだけど、この年1982年の下半期は、自分にとっては、いろんな事があったからなぁ。未だにちょっとトラウマになっているというか、この頃の曲の曲を聴くと、いまだに位の頃の「苦悩」が思い出されますね。
 で、この「けんかやめて」なんて曲は、あの時の「苦悩」時代の象徴的のような曲で、だから、mixiの時は書かなかったのかもしれないな。

でも、個人的にキツイ時期だった頃だからこそ、この頃の曲って、余計、脳裏に残ってるんだよね。
なんせ、ヒット曲だけが「トモダチ」だったから。 だから、この1曲セレクトも、おのずから1982年の曲って多くなっちゃってるんだよなぁ。

 個人的にはそんな渦中にあった「けんかをやめて」だけど、まあ、いろんな意味で衝撃的な曲でしたね。

まずもって、それまでナハハ笑いの、どちらかと言えば「キャピキャピ」キャラだった、河合奈保子さんが、本格的なバラードを歌うということ。 そこには、それまでの「ナハハ」笑いはなかった事。そこそこ「重い」テーマの曲でもありましたしね。

それと、やっぱり、竹内まりやさんが、素晴らしい曲を書いたことだろうなぁ。 少し前に堀ちえみさんの「待ちぼうけ」でも書いたけど、竹内まりやさんが書くアイドルポップスってのが、良いんだよね。
それまで、アイドルに書いたことが無いったヒトだけに、これは意外・・・というかある意味、衝撃だったよなぁ。

竹内まりやさんが他のヒトに提供した曲といえば、例えば、アン・ルイスの「リンダ」なんかが代表的だけど、でも、この、もろアメリカン・ポップスの香がする曲調とアイドルっていうマッチングは、それまで考えてもなかったんじゃないかなぁ・・・。いや、考えてなかったよね。
 
80年型アイドルの一番の特徴としては、ニューミュージック系のヒトたちが作家ブレーンに加わったことで、楽曲次重視型に移行したことだと思うんだけど、竹内まりやさんが加わったことで、その幅がより広がりましたよね。

で、楽曲重視型に移行したことで、各アイドルも、ウタでは頑張るようになったと思うなぁ。
河合奈保子さんって、正直、「ウタ」そのもので売ってたような感じがあんまりしなかったんだよね、それまでは。
でも、この曲では、ウタそのもので頑張ってたもの。 そう言うところは聴いてる方にも伝わってくるんだよなぁ。

ま、曲そのものは、確かに竹内まりやお得意のオールディーズなアメリカンポップスが根っこにあることは違いないんだけど、それにどっぷりという感じだった堀ちえみの「待ちぼうけ」よりは、ちょっと「醤油」を垂らして日本風味をいれた・・・っていうイメージがあったなぁ。この曲は。

あ、そのところは、竹内まりやがセルフカバーしたバージョンを聴くと、一段と分かるかもしれない

↓コレ


アメリカンポップスというよりもジャパニーズポップスよりだった、「駅」までは行かないとしても、ところ日本情緒な感じ・・・匂いがするんだよね。

 でも、そこが返って、河合奈保子ってヒトにはよかったのかもなぁ。
 先週、「UNバランス」を書いた時、河合奈保子のきめ細かい声質を上手く引き出して、その後の可能性がひらけた1曲って書いたんだけど、この「けんかをやめて」があったからこそ、次の年の「UNバランス」に繋がったって言えるしね。

こうしてみると、ニューミュージック勢がアイドルポップスに参入してきたことは良い効果があったと思うなぁ。
まあ、80年代前半を見る限りはさ。


ただ、注目されたからこそ、いちゃもんも付くわけでさ。この曲なんかは、今になって、結構いちゃもんついてるもんね。「高飛車女のウタ」とかさあ。 当時は考えもしてなかったけど、ワタシなんかは。

まあね、「おめーのために喧嘩してる訳じゃねー」・・・なんていわれりゃ、そうも捉えられるかも知れんけどさ。
まあ、いいじゃんか、ウタの世界のことなんて・・・なんて思ったりするんだけどさ。
 最近は、なんでもリアルに置き換えるヒトが増えて、ややこしい、せせこましい世の中になっているよね。
もっとおおらかに生きにゃ。






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愛 おぼえてますか / 飯島真理

1984_09_愛・おぼえてますか_飯島真理






今回の1曲セレクトは、「愛・おぼえてますか」飯島真理です。

まずはデータです。

・タイトル    愛・おぼえてますか
・アーティスト  飯島真理
・作詞      安井かずみ
・作曲      加藤和彦
・編曲      清水信之
・リリース日   1984年6月5日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   27.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1984年8月27日、9月10日〜9月17日付
・タイアッブ:映画「超時空要塞マクロス 愛・おぼえてますか」主題歌

えー、先ほどの岡崎友紀さんの「ドゥユーリメンバーミー」に引き続いて、またまた、安井かずみ−加藤和彦夫妻の作品をセレクト。

ここんところ、もう、何年もアニメ系楽曲が元気だわな。ヒットチャート・・というよりオリコン限定なんだけどさぁ、毎週のように入れ替わり立ち替わり、アニメ&ゲーム系のタイアップ曲がランクインしてきたりして。。
まあ、最近はAKB、ジャニーズ、そしてアニメ系しか「CD」というメディアは売れなくなってるからな。当然、CDの売り上げだけでチャートを決めてるオリコンとしては、そうなっちゃうわけだけど。。。
 
でもね、振り返ってみると、時代のところどころでアニメの主題歌が元気だった頃があるんだよな。
  まあ、常に、人気があったわけではないけど、時代時代に点々としてアニメ主題歌が「元気」な時があった・・ってかんじなんだけどさ。

・・で、考えてみると83年〜84年ごろもそんな傾向の真っ只中にいたんではないかなぁ。

今回はそんな時代の1曲ですわ。


 愛・おぼえてますか  飯島真理


 はい、映画版アニメ「超時空要塞マクロス」の主題歌ですわね。
・・・・とかいたところで、私、これ見てないんですよ・・・というかマクロス自体見てない。。。。
 やっぱし〜、私ゃ、「ガンダム」派なもので

ということで、アニメ自体はどういうものか・・っていうのは、よくわかんないんだけど、この曲はよかったですねぇ。
そそそ、ワタシ的には、この曲そのもので、引き込まれちゃったんだよな。

飯島真理っていうヒトは、今で言ったら「萌え系」に近いんだよね。声質がかわいらしいっていうか・・・。

 この時、大学1年生でしたよね。たしか。 えーと、某国立音大の1年生だったかな?(ちなみに3回目の。。。)

 そのわりには、見た目にも実際の声も幼かったんだよねぇ。中学生っていってもわかんなかったかも。。。 しぐさもブリッ子的だったしな。

やっぱり、萌え〜 なんですねぇ。

 そういえば、国立音大・・といえば、ずっと後になるけど、MY LITTLE LOVERのAKKOも国立音大ですよね。
 どうも、国立音大は、こういう「可愛らしい」声の方が多いのかしら?
 遊佐未森・・はちょっと違うかもしけないけど。。


またまた、話がずれた

うーん、曲の温度感っていうのかな。夏終わりの昼下がりっぽいちょっと夏の匂いが残るアンニュイな感じっていのうかな。
夏休み終わりの寂しさとともに、ゆったり流れていく午後の時間っていう感じの空間ができているんですよね。

うーん、加藤&安井 コンビは、もちろん夫婦なんだけど、メロディ自体は簡単な曲が多いんだけど、こういうアンニュイというか、ちょっとサイケっぽい色合いのサウンド、メロディラインが特徴ですよね。

この曲もメロディラインは、本当に簡単なんだけど、耳に入ってきたときの感触がなんとも言えないものがあるんですよ。

特に、大サビの

♪ もう一人ぼっちじゃない あーなたがー いるからー♪

って、飯島真理がファルセットでささやくようにうたうところ。

 うわ、もうどうになってもいい・・・・って思えちゃうもん。
 うん、一種の麻薬のようなもんだよね。これは。


そういう、独特な世界観を書いてらっしゃった安井かずみ女史も、加藤和彦氏も、すでに、この世にはいないわけで・・・・。
 ほんとに、ヒット曲界としては、惜しい方々を早くに亡くしてしまったって言う感じだよなぁ。





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