かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

河合奈保子

ハーフムーン・セレナーデ / 河合奈保子

1986_12_ハーフムーンセレナーデ_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「ハーフムーン・セレナーデ」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    ハーフムーン・セレナーデ
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      吉元由美
・作曲      河合奈保子
・編曲      瀬尾一三
・リリース日   1986年11月26日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   8.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 14位

時代と折り合う。ヒット曲がヒット曲として、大きなムーヴメントとなるかならないかというところでは、重要なファクターなのよ。
不思議なもので、年が変われば、ヒット曲の色合いって毎年変わってくるんだよね。 
以前、別のトピックスで、時代とヒット曲の傾向は、螺旋階段のようにぐるぐる回っているって書いたことがある。 たしかにそうなんだけども、傾向的には似ていても、全く同じ色合いになるってことは絶対にないといっていいのよ。。必ずどこかしら違ってくるし。
まあ、それがヒット曲の進化というものなんだろうけどね。

今回引っ張ってきた曲。 いい曲なんですよ。 名バラードといっても過言ではない。

ただ、時代と折り合っていたかといえば、必ずしもそうじゃなかったんじゃないか・・と思う曲を一つ。

河合奈保子さんの「ハーフムーン・セレナーデ」。

この曲は、1986年11月、27枚目のシングルとしてリリースされた曲ですね。

もともとは、アルバム「スカーレット」のラストを飾っていた曲だけど、ここからシングルカットという形で、アルバムリリースから1か月後にシングルリリースされている。

当時23歳になっていた奈保子さん。 アイドルから大人のアーティストへの脱皮を図る。 
そのためには、歌詞の内容が深く、スケールな大きなバラードである、この曲は最適だったんだろうね。

アイドルから大人のアーティストの脱皮を図る。 長い事第一線のアイドルを張ってきた方たちには、必ず通る、「通過事例」なわけだけど、あの時、果たして本当に大人への脱皮は必要だったのか?

最近は、30になっても40になってもアイドルにこだわる方も少なく無いんで、今となってはそう思ってしまったりするんだけども。。。
まあ、それは、それぞれのヒトたちの考え方もあるだろうし、事務所の戦略もあるんだろうから、一概には言えないですけどね。

ただ、1986年当時、初めてこの曲を聴いたとき、個人的には何とも言えない複雑な気分になったのは、正直なところですね。


いい曲だったんですよ。 それは、喜ばしい事だったんだけども、この曲を河合奈保子さんが歌うっていう所に複雑な感情があったんだよね。

やっぱり、あの時点では、個人的な頭の中の河合奈保子さんは、「スマイルフォーミー」の頃のナハハ笑いの奈保子さんっていうイメージが強かったからさあ。

まあ、そんな「頭」だったんで、この曲がシングルとしてリリースされた時は、やっぱりショックだったんだですよ。

たしかに、同じ奈保子さんではある。けど、80年代初頭のあの奈保子さんではなくなっちゃったな・・と思えるとともに、少し存在が遠くなってしまったようにも思えたりしてさ。

まあ、それで曲が大ヒットともなったなら、諦めもついたんだろうけども、必ずしもそうとも言えなかったんでねぇ。

オリコン的に見れば、 オリコン最高位6位、売上げ8.4万枚というのは、前年秋にリリースされた「ラヴェンダーリップス」以来の好成績となる。

あの当時、CDの台頭でシングルが売れなくなってきていたことを考えれば、数字以上の健闘だったかもしれないな。

ただ、この曲以降、先が続かなかった。 楽曲の良さと、イメージチェンジということでの一時的なカンフル剤にはなったけど、持続的なものにはならなったってことですね。

紅白はこの年1986年の出場が最後となり、 「ザ・ベストテン」のベストテン内ランクインもこの曲が最後となる。(オリコンでは、翌年7月の「十六夜物語」の最高10位が最後)


結局さ、そこが時代との折り合いなんだろうな。
80年代って「軽薄短小」な時代と言われている。  まあ、本来は電化製品が軽くて薄く、短くて小さいものに「進化」していくってことに使われるコトバなんだけどさ。
ただ、これとは別に「
薄っぺらくて中身が無い」という表現にも使われていたわけよ。

実際、80年代ってそういう時代だったんだよね。 今振り返えると、あんまり中身が無い文化も多かったな・・・とも思ったりもするのね。

そのピークが1986年前後だったんじゃないかなぁ・・と。

そもそもおニャン子勢にオリコンチャートを占拠され、アイドルの粗製乱造が本格化し、歌が上手い、「ホンモノ」のアーティストよりも、シロートの方が受けた1986年。
あの年からして、「軽薄短小」にぴったりな年だったわけじゃん。

そこに来て、この「ハーフムーン・セレナーデ 」は、スケールの大きな本格的なバラードだったわけだから。 どうしても時代のカラーとは違うなぁ・・と思えたんだよね。

これが1年早かったり、逆に1年遅かったら、少し感じ方が違っていたかもしれない。
1年前1985年の秋から冬にかけては、小林明子の「恋におちて」の大ヒットでピアノの弾き語りというのも注目されていたし。 逆に1年後の1987年の秋から冬にかけて、中森明菜の「難破船」という名バラードの大ヒットもあり、スケールの大きなバラードに注目が集まってきていたところもある。

87年8月に、おニャン子の解散ということもあり、87年秋ごろになると、86年当時の「軽薄短小」なバカ騒ぎも大分沈静化して、徐々に「聴かせる」ような本格的エンターティメントな曲が受け始めて来てましたからね。

ピアノの弾き語りでのスケールの大きなバラード。

いずれも、この「ハーフムーン・セレナーデ」が持っていた要素ですわ。 そこから見ると、、タイミング的には、一番リリースしてはいけない時期に、この曲はリリースされてしまったんじゃないかと思えて仕方ないんだよね。




↑で、いろいろ書いちゃったけど、、今、改めて曲を聴いてて、どうして、この曲の後、ヒットが続かなかったのか・・・。
結局さ、この曲でイメージチェンジを図ったあとの明確な方向性が定まり切れてなかったんじゃないか・・なんて思えたり。。。

基本的には、自作自演のアーティスト方向に舵を切ったんだろうけど、この後、ヒットを続けて行くだけのキャパが、まだまだ足りてなかったのかもな。

個人的には、自分で曲を作りながらも、他のアーティストからの楽曲提供を受けながら、もっといろいろなことを吸収していった方が良かったんじゃないかと思ったりもするんだよね。

もっとも、この後ヒットチャート的なヒットは、もうご自身では望んでいなかったのかもしれないですが。。。


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コントロール / 河合奈保子

  1984_07_コントロール_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「コントロール」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    コントロール
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      八神純子
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1984年6月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数  15.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1984年6月18日〜6月25日付

まあ、蒸し暑い1日でしたわ。クーラーはあんまり点けないたちなんで(と言うか電気代ケチってるだけですが・・)、本日もほとんどクーラーをつけず、汗をだらだらかいて過ごしましたわ。
まあ、寝る時も暑いとしんどいんで、今になって寝るまでの間クーラーをつけてるけど。。。
ただね、暑かったおかけで血液のめぐりがよくなったのか、昨日ほどの痛風の痛みは無くなってきたような気がしますね。うーむ、やっぱり「自然」治癒っていうのが一番の治療なんでしょうかねぇ。
さてと、後は水をガバガバ飲んでプリン体を外に出さなくては・・・。

昨日は、個人的にキライだった曲ということで、中森明菜さんの「Blonde」を書いた訳だけど、今回セレクトしてきた曲もねぇ、ヒット当時はあんまり好みじゃなかった曲なんだよね。

河合奈保子「コントロール」

いやね、河合奈保子さんは当時好きだったし、この曲を作曲した八神純子さんもデビュー時からのファンだった訳で、本来ならこの曲だって好みになって当然・・・の筈なんだけどねぇ。

でも、実際は触手が伸びなかったんだよなぁ、この曲。

きっとね、個人的にはもっと「ポップ」な曲を期待してたんだと思う。 そそそ、八神純子さん作曲ということで、「パープルタウン」「Mr.ブルー」・・はたまた「みずいろの雨」とかね。
ソフィケイトされたメロディと、高音域でのロングトーン・・・そんな良質なポップあたりをね。

でもさ、実際のところ、確かにアップテンポなポップスではあったものの、サウンドがさ硬いんだよね。 メロディラインも以前の八神さんらしさを感じなかったし、いや、むしろ、もろ「84年」的でしたよね。

そう言う曲調になんかさガッカリしちゃったんだよな。期待してた曲とあまりに違うんで。

当時、河合奈保子さんのシングルもちょっとパワーを失っていたような気がしてたんだよね。 前曲の「微風のメロディ」なんてのは、決して嫌いではなかったけど、今一つ勢いを感じなかったし。

だからね、この曲には期待してた部分があったんだよね。八神さんのソフィケイトされた、かつ伸びのあるメロディラインは、河合奈保子さんにも嵌まりそうな気がしたからさあ。

でも、実際はそんな期待してた曲調と全く違ったからなぁ・・・。ガッカリだったんだよな。

そう言う事もあってか、この曲未だに音源持ってないんですよ、ワタシ。 河合奈保子さんのこの頃のシングル音源は殆ど揃ってるんだけどさ、この曲は当時も買わなかったんだよね。
ま、そんなこともあって、この1曲セレクトでも今まで書いて来なかったんだけど。。。

硬質で角ばったサウンドは、八神さんらしさというより、むしろ作詞の売野氏が得意にしてたようなサウンド・・・そそそ、だから一聴して84年、85年的なんだよな。

80年代の曲って「年」によって特徴がはっきりしてるからさ。 このテの硬質かつ角ばったサウンドなのが、84年、85年の特徴。
 だから、知らない曲でも曲聴いただけである程度年代が分かっちゃったりね。 この曲なんてぇのはその最たるところじゃないかなぁ。

正直今となっては、河合奈保子さんの一連のヒット曲の中では死角に入っちゃってるような曲だと思う。でも曲を聴けば、「あー、84年頃の曲だよね」っていうのがすく分かっちゃうんだよな。

まあ、それはそれで凄い事なんだろうけど、だから何? って感じもするしな。




まあ、たしかに奈保子さんのパンチの効いた歌い方は、ある意味アイドルの一線を越えたような感じはするんだけどね。 でも、個人的に当時求めていたのは、こういうパンチの利いた曲調ではなかったんだよね。
もっと伸びのある曲が聴きたかったんだよな。


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北駅のソリチュード / 河合奈保子

1984_12_北駅のソリチュード_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「北駅のソリチュード」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    北駅のソリチュード
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      筒美京平
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1984年12月5日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数 11.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1984年12月17日〜12月24日付



今年の仕事も今日まで。先ほど納会が終わって帰宅したんですが、ここまで長かったですわ。
時間の経過は、年を取るごとに早くなるんだけど、こと、仕事となると長いですねぇ。やっと年末年始休暇だぁ・・って感じですよ。
 ここんところ、この1曲セレクトも、仕事の忙しさにかまけて、間が空いてますからねぇ、この休み中は出来るだけ更新するようにしたいですわね。

ところで、ワム! のマイケル・ジョージが亡くなってしまいましたね。 
今年は、ミュージシャンの訃報が本当に多い。まさか、この暮れになって、ビックアーティストの訃報が届くとは。。。

まあ、個人的には聴く音楽といえば、圧倒的に 「洋楽 ≪ 邦楽」 なんで、それほど接点があった訳ぢゃない。
そんなワタシでも、ワム!くらいは、耳にしてたからなぁ。84年〜85年にかけて。
時代はアメリカンロックよりも、UKシーンが元気だった頃だ。

「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」「フリーダム」そして「ラスト・クリスマス」。 

この位は、いくら圧倒的に邦楽よりなワタシでも、聴いてましたからねぇ。 特に「ケアレス・ウィスパー」だよね。

日本では84年の丁度今頃ヒットのピークだったよなぁ。 本家「ワム!」だけぢゃなく、西城秀樹氏も郷ひろみ氏もこぞってカバーしてたしさぁ。

やっぱ、あのイントロのブリブリのサックスが堪らんのよね。 あのブリブリ、せくすうぃーなサックスからエロチックとも思える世界が広がって行く。これが堪らなかったのですよ。年齢的に「性」の目ざめま頃だったしね。

ま、そんなこともあり、やっぱジョージ逝去のニュースには驚きだったんだよな。 まだ53歳でしょ、若すぎるよな。


とろこで、↑で、84年の今頃、日本では「ケアレスウィスパー」付いていたって書いたんだけども、なにも、「本家」のカバー曲ばかりだった訳じゃない。
「疑似的」ケアレス・ウィスパーな曲もあったんだよね。 こんな回はそんな曲をセレクト。

河合奈保子「北駅のソリチュード」。

まあ、この曲に関しては、以前から「ケアレス・ウィスパー」に似てると言われている訳で、恐らく他のヒトのブログでも同じような事が書かれているかもしれない。けど、まあいいよね。。。って前回も同じような事書いたよな

この曲が、「疑似」ケアレス・ウィスパーって言われているのは、やっぱ、イントロだよね。

「本家」と同じような、ブリブリな泣きのサックスが際立った。 しかも、フレーズが「ケアレス・ウィスパー」そっくりなんだよね。

これ、パクリだよね・・・。ってだれでも気がついてしまうような。 

まあ、全く同じフレーズではなく、「似たような」なので、完全な「パクリ」とは言えないんだけども。

だけど、当時、これを聴いて、「筒美氏、仇といなぁ」と思ったよなぁ。
どう聴いても「ケアレス・ウィスパー」だしさ。 

で、一方では、この曲と同時期、松本伊代の「ビリーヴ」では、ボニータイラーの「ヒーロー」だったわけじゃん。
うん、84年のアイドルに大人気だった「ヒーロー」

こうみると、この時期って、同時期にヒットしていた洋楽のパクリ的曲が人気だったんだよな。
ま、パクリだけでなく、小林麻美の「雨音はショパンの調べ」、MIEの「NEVER」、 麻倉未稀の「ヒーロー」と実際の向こうのカバーも大人気だったしさ。

そう見ると、84年って洋楽にコミットした年だったんだよね、邦楽ヒットも。

だけど、ヒットさせるにはどうすればいいか・・・ということで、向こうのヒット曲のいいとこどりが、すなわち歌謡曲・・・という概念から見ると、正攻法だし、如何にも筒美氏らしい切り口だったんだろうな。
 それだけ、「ケアレス・ウィスパー」のイントロが、セクシーさを際立たせると言うところで、印象的だったって事なんだろうな。

ま、確かに、アレンジャーは萩田光雄氏だけど、これは、作曲の筒美氏からの指示っていうのは手に取りように分かるしなぁ。

そんな、「ケアレス・ウィスパー」なイントロに比べると、本編のメロディは、正直あんまし面白くないんだよな。
ま、あ、個人的な印象ではってところだけどさ。

以前も、河合奈保子さんの他の曲でも書いたんだけど、この頃、「ポップス」さっていうのが感じ無くなってきてたんだよね。 この曲なんてのは、ほとんど「歌謡曲」っていう印象だったしなぁ。

当時から筒美フリークだったワタシなんだけど、この曲はちょっと違うんじゃないかなぁ・・・って思ってたんだよね。
河合奈保子さんは、歌謡曲路線じゃない、このヒトは絶対にポップスって思ってたからさあ。

確かに、デビュー5年目ということで、「コドモ」なアイドルからアダルト路線への脱皮っていうところは分かる。
けども、その脱皮の仕方があまりにも急だったし、個人的に合わないと思っていた「歌謡曲」路線な感じが強かったし。
なんかね、奈保子さんが、急に高田みづえ見たいに思えてきちゃったりしたんだよな。 

それは違うだろう・・・ってさ。

だから、この曲は、当時からほとんど聴いて来なかった。
丁度、高校受験の切羽詰まった時期でもあったんで、気分的にヒット曲って言うどころぢゃなかった所もあるけど。。
無論、音源も持ってなかった(最近、リリースから32年にしてやって手に入れたけど。。。)

でも、今聴くと、32年前、当時15才だったワタシが聴いた感じとは、ちょっと違うんだよな、印象が。

うむ、これはこれでありなのかも。。。と。 うーむ、やっぱそれだけ年取ったって事なのかなぁ、歌謡曲路線に寛容になったところはあるわな、ワタシも。

それよか、今聴くと、80年代中盤頃のオーソドックスとも言える、メロディラインなんだよな。 イメージ的に85年の秋〜冬って言う感じなのかなぁ。しっとりとこぬか雨に濡れたような・・・。
このイメージ、84年のこの曲がヒットしてた頃には、無かったイメージなんだよな。
84年は、確かに秋から冬にかけてはダークで暗いイメージになって来てはいたけども、こういうしっとりと濡れたイメージは無かったんだよな。

もしかしたら、この曲がヒットしてた頃は、まだ違和感を感じてたのかもしれない。その違和感が「ちょっと違う」って感じたのかもしれないなぁ。

 例えば、この曲が1年後の85年の同じ頃にリリースされていたら、それほど違和感は感じなかったのもかもしれないな。
 
まあ、1年後、中森明菜が、この間ここで書いたように「Solitude」って同じようなタイトルをリリースしちゃってたけどさ。



まあ、ごちゃごちゃ書いて来ちゃったけどさ、実際にVTRみてみると、この当時の河合奈保子さんの圧倒的な歌唱力が、やっぱり目に付いちゃうよね、結局のところ。
 いろんなウタ番組に出てたけど、個人的には、やっぱ、このVTRの「ベストテン」のオーケストラとの相性が一番しっくり来るな。


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唇のプライバシー / 河合奈保子

1984_09_唇のプライバシー_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「唇のプライバシー」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    唇のプライバシー
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      筒美京平
・編曲      鷺巣詩郎
・リリース日   1984年8月28日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数 12.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1984年9月10日〜9月24日付


えー、ずっと1曲セレクトを見ていただいている方はすでにお分かりだと思いますが、この1曲セレクトは、書いてる時点とほぼ同じ時期にヒットしていた「過去」の曲をセレクトしているんだよね。
 まあ、セレクトする曲は、ワタクシの独断と偏見で決めている訳で。過去の同じ時期にヒットしていた曲っていうのも、ま、自分でもヒットチャート作ってるし、オリコンの過去のランキングも持ってるんで、その辺はぬかりない・・・・はずなんだけどねぇ

意外と、事前にちゃんと調べないで、自分の記憶だけで、曲を決めちゃったりする事があるんだよね。
まあ、いざ「書く」と言う時点で、過去のチャートを引っぱり出して「確認」はしてるんだけどさ。

ところがね、いざ書こうと思って、過去のチャートを確認したときに、実際にヒットしてたのと時期が「ズレ」てる事ってあるんだよなぁ。
まあ、ヒットしてからだいぶ時間が過ぎてる曲もあったりするんでねぇ・・・、っていうのは言い訳になっちゃうけど、自分の記憶も当てらならないんだよな。

今回の1曲セレクトは、そんな自分の記憶と、実際のヒット時期がズレていた曲をひとつ。

河合奈保子「唇のプライバシー」。

この曲は、河合奈保子さんにとっては、1984年の「勝負曲」だったわけで、秋にかけて各音楽祭で、頻繁に歌ってた曲ですわ。

ただね、個人的には、この曲「夏」の曲だった・・・っていう印象が強いんだよね。

ま、確かに、リリースは8月29日なわけで、夏の曲に違いはないんだけど、実際にベストテン入りしてたのは9月だったんだよなぁ。。。

うーむ、でも、そういう印象はなくて、この曲と言うと、1984年の夏休み・・・って言う印象が強いんだけどなぁ。

だからね、最初は8月に書こうと思ってたんだよね、この曲。

でも、オリコンの過去チャートで、実際は9月だったことを改めて確認して、今まで待ってたんだけどね。


だけど、この1カ月のズレはなんで何なんだろう・・なんて思ったんだけどさ。

まあ、結局は、当時聴いてたラジオの影響・・・というか印象が強く残ってるんだろうな。
特に、以前も書いたように、文化放送の「決定!全日本歌謡選抜」。 あの番組は兎に角、新曲情報が早くて、リリース1カ月以上前からバンバンかけてましたからねぇ。
早い時は、白盤(プロモーション用のレコード盤)が出来る前、マスターテープの段階で流しちゃってた事もあったからなぁ。

リスナーのこちらとしては、情報が早いって言う事は非常にありがたかったんだけどさ、反面、いざ、リリースされる時期には、すでに聴き飽きてたりしてね

今振り返ってみると、この曲もそんな曲の一つだったんだよなぁ。 うん、確か8月中に、この曲良く聴いてたんだよ、ラジオで。でも、実際のリリース時には、すっかり飽きてたんですよ。。。。

その記憶がそっくり今に残っちゃってるんだよなぁ。 だから、この曲というと、8月のイメージが強いんだよな、未だに。

まあ、それだけ、ラジオでもこの曲、推してたんだろうなぁ、今考えると。 まあ、この年の「勝負曲」でしたからねぇ。

個人的にも、この曲はシングルっぽくて良いと思った。

この曲の河合奈保子さんというと、3月に尾崎亜美さんの「微風のメロディー」、6月に八神純子さんの「コントロール」と立て続けにニューミュージック系アーティストの曲を歌ってきていたけど、今一つ盛り上がらなかったんだよね。
それは、やっぱり、シングルとしてのインパクトが今一つ足りなかったんじゃないんかなぁ。

でも、この曲はシングルっぽかったですよね。 シンプルかつキャッチー、それでいてインパクトがあるメロディライン。
さすがは筒美京平氏としか言えなかったんだけどさ、当時も。

ま、全体的なイメージとしては、前年の「UNバランス」の続編のような曲調ではあったけどね。

そそそ、下敷きとしてドナ・サマーの「情熱物語」があって・・・って感じのメロディライン。。特にラッパの使い方がねぇ。
・・・というか、個人的には、この年流行りだった、ボニータイラーの「ヒーロー」の匂いがしたんだけどね、この曲には。とくにラッパの使い方が。

まあ、兎に角、この年の夏から秋にかけてのアイドルポップス・・・特に女性アイドルは、「ヒーロー」一色だったからなぁ。

この曲も、そんな「ヒーロー」な曲の一つ・・・だと思ってたんだけど、モノの本によると、どうも、それよりも、やっぱり「情熱物語」の延長戦・・・って言う見方が強いようですね。つまりは、前年「UNバランス」の延長ですね。

まあ、「UNバランス」よりも、スピード感があり、しかもヘヴィーな所がありますけどね。 
そそ、このヘヴィーってところが、この頃の河合奈保子さんの一つの要素になって来るんですよね。
ヘヴィーな部分でも地声で乗り切るっていう力強さが、この頃の奈保子さんには身についてたんだよなぁ。
デビュー5年目にして、本格的な歌唱力開眼っていうかさあ。

でも、反面、個人的には、そんな本格的な女性シンガーになりつつあった奈保子さんにちょっと寂しさも感じてたんだけどね。
 このヒトには、例えばこの年だったら春の「微風のメロディー」のような、ソフトで永遠の少女って感じの曲を歌ってて欲しい・・・なんて願望があったからなぁ。

まあ、そんなこと永遠には無理な訳で、この曲曲のような曲こそ、シンガーとして成長するには必要って、片方では分かってはいたんだけどさ。




「ベストテン」かあ。それにしては音も映像もきれいだなぁ。32年前とは思えないですわ。
こりは、すぐに消されてしまうかも。。。
みたい方は、早めにどうぞ。


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大きな森の小さなお家 / 河合奈保子

1980_06_大きな森の小さなお家_河合奈保子


今回の1曲セレクトは、「大きな森の小さなお家」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル     大きな森の小さなお家
・アーティスト   河合奈保子
・作詞       三浦徳子
・作曲       馬飼野康二
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1980年6月1日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 36位
・売上げ枚数 7.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 41位

あー、今週は仕事がきつかったわい。 普段使わない「脳みそ」を使った1週間だったんで、仕事終わりゲソッと疲れたわ。。。今はそんなキツかった1週間の余韻に浸っている時間だったりして。。。

などと、「1曲セレクト」とは全く関係ない「マクラ」になってしもたな。


さて、今回のセレクトしてきた曲は、河合奈保子さんのデビュー曲、「大きな森の小さなお家」。

うーむ河合奈保子さんの曲は大分書いてきたけど、まだ残ってた曲があったんだな。しかも「デビュー曲」を書いてなかったか。。。

この曲はねぇ、当時、なんか、こっぱずかしかったんだよな、聴いてて。

詞の内容が子供っぽかったでしょ。 タイトルからして「大きな森の小さなお家」でもんね。まるでメルヘン童話な世界って感じだったじゃん。
 当時、オリコンウイークリーで「1980年デビュー組」の比較対決っていう企画がありまして、河合奈保子評としては、「アイドルらしいアイドル」なんてなってたりしたんだけどさ。
 たしかに、今の感覚からすると、如何にも「アイドル」 っていう曲だったりするんだけど、当時、同じ1980年組の他のアイドルの曲って、得てしてもっと大人っぽかったんだよね。
岩崎良美にしかり、鹿取洋子にとかり・・・  松田聖子だって、当初は、子供っぽいなぁ・・・っていう印象があったけど、それでも、もう少し上の年齢・・・そうね、高校生とか大学生向きって感じだったじゃん。
 それに対して、河合奈保子さんのこの曲は、どう聴いても「小学生」向きだよな・・・っていうイメーシが強くてねぇ・・・。

・・・・なんて、当時小学5年だったワタシが言うのもおかしな話だけど。。。

この曲は、作詞は三浦徳子さん。 うーむ、奇しくも松田聖子さんのデビュー曲「裸足の季節」と一緒だったんですねぇ。
でも・・・やっぱり、比較しちゃうんだよね「裸足の季節」の詞の内容と。。。なんか、大人と子供・・・って言うくらいの違いを感じちゃったりね。
 曲は、馬飼野康二氏。 この間、西城秀樹氏の「激しい恋」を書いた時、「絶叫系」な曲こそ馬飼野氏らしい・・・なんて書いたんだけども、この曲では、そう言う世界は全く感じられないもんね。
 硬派、軟派・・っていえば、思いっきりナンパな訳じゃないですか。まあ、そんなレンジの広さも馬飼野氏ならではといえば、そうなんだけどさ。
でも、その後の河合奈保子さんのヒット曲を考えると、馬飼野氏との相性が一番良かったような気がするな。
まあ、後年の筒美京平氏の起用により、河合奈保子さんの新たな一面を引き出せたのは別として。

兎も角も、人前で堂々と聴くのは、今一つ気が引ける曲だな・・・っていう感覚があったのは確かだよなぁ。

ただね、アイドル嫌いだった、ウチのオヤジが、当時、河合奈保子さんだけは認めてたのは、印象的だったんだけどなぁ。松田聖子さんに対してはボロカスだったもんね。
 やっぱね、ぽっちゃりとした童顔なルックスに対して、揺れる「ちち」っていう、アンバランスな容姿が、男心くすぐった訳だったんだろうな・・・・なんて今になって思うけどさ。

もちろん、ワタシも、当時は松田聖子さんよりは、断然、河合奈保子派だったんだけどさ。

曲は別として、やっぱり、上で書いたように、名前の通りの可愛さだったしさあ、まあも今もそうだけど、スレンダーなコよりも、ぽっちゃりしたコの方が好きだからさあ。

それに性格も良さそうだったじゃん。裏表がなさそう・・・っていうかさ。 それまでのアイドルには無かったというか・・・、より親近感は感じたよね。

ま、その「親近感」っていうキーワードが、その後、80年代アイドルの最大の特徴になってくるんだけどさ、そう言う意味では、80年代なアイドルのフォーマットは、河合奈保子さんが元祖と言ってもいいかもしれないな。



いやいや、初々しい奈保子さんですね。デビュー直後高々1コーラスしか歌わせてもらえないのに、一生懸命歌っているのが印象的。
でもさ、36年前は、聴くのが恥ずかしかったこの曲だけど、今聴くと、普通に聴けるんだよなぁ。
それだけワタシも年をとったのか、それとも、最近の曲が全体的に子供っぽくなって、何とも感じ無くなったのか・・・・どっちかだろうなぁ。
 


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ジェラス・トレイン / 河合奈保子

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今回の1曲セレクトは、「ジェラス・トレイン」河合奈保子です。

まずはデータです。

・タイトル    ジェラス・トレイン
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      売野雅勇
・作曲      筒美京平
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1985年3月5日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数  9.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

さて、久々に河合奈保子さんです。
「久々に」・・・って言うのは、実は、河合奈保子さんのめぼしい曲は、もう大体書いちゃったんだよね。なので、そろそろ打ち止めかなぁ・・・なんて思ってたんだけど。。。

でも、まだ書いてない曲がありましたねぇ。

1985年の今頃のヒットである「ジェラス・トレイン」。

この曲、今まで書いてなかった理由は、ただ、一つ、個人的に好きじゃないから・・・。だったりして。。。ジャジャン

いや、それじゃダメでしょ。。。。。

・・・ってことで、意を決してセレクトして来ましたわ。。。。

この曲、なぜダメなのか・・・というと、単純なんだけどさ、アイドルの曲っぽくなかったからなんですよね。
まあ、個人的な嗜好なんだけど、河合奈保子さんは、あくまでアイドルでいて欲しかったんだよなぁ。曲も大人っぽくなって欲しくなかったんですよ。

この曲は、もう、完全に「洋楽」だもんね。メロディラインからして。
この曲も、筒美京平氏の曲だけど、こんなに洋楽、洋楽なメロディも珍しくなかったかなぁ。
確かに昔からバタくさいメロディとサウンドで定評があったけど、それでも底辺にはジャパニーズアシッドがあったように思うんだよね。
 例えば、この曲と同時期にヒットしていた、斉藤由貴の「卒業」なんてのは、そんな感じだったじゃない? だから、すんなり受け入れられたんだよな。

でも、この曲は、イメージは洋楽的なのよ。 そこがちょっと、個人的には受け入れられなかったのかもしれない。

まあ、この曲の前の「北駅のソリチュード」、そのまた前の「唇のプライバシー」から続く、大人路線3部作の最終作ではあった訳で、筒美氏の、ある種の「実験」だったのかもしれないけどさ。

でも、この曲の次の「デビュー」は、河合奈保子の原点に戻ったような、爽快感があったでしょ。だからね、「デビュー」の時は、ホッとした、いや、ほんと随分ホッとした。

この曲の時は、このまま「大人」なアーティストになっちゃうのかな・・・なんて一抹の寂しさがあったからね。
そんな寂しさから、どうもこの曲から足を遠のけちゃったような気がするな。
 でも、そう思ってた方、意外と多いんじゃないのかなぁ。 この曲でついに、レコードの売上げも10万枚を割っちゃいましたからね。
 筒美氏の、河合奈保子「大人計画」は必ずしも成功じゃなかったような気がするな。


ちなみに、この曲の音源は持ってるんだよな  「ベスト」盤持ってるからさ。

でも、↑の様な理由から、この曲は今までほとんど聴いてなかったのよね。。。。

あ、そう言えば、この曲、「ザ・ベストテン」では3週連続10位で、そのまま10位圏外に落ちちゃったんだよな。
珍しいチャートアクションだったのよ。 うん、それは、未だに記憶に残ってる。
 でも、上には上が居て、82年のイモ欽トリオ「ティア・ドロップ探偵団」は、4週連続10位で、そのまま10位言外に落ちた珍記録を作ってたからなぁ。





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Invitation / 河合奈保子

1983_01_Invitation_河合奈保子






今回の1曲セレクトは、「Invitation」河合奈保子です。

 まずはデータです。

・タイトル    Invitation
・アーティスト  河合奈保子
・作詞      竹内まりや
・作曲      竹内まりや
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1982年12月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 8位
・売上げ枚数   18.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1982年12月27日〜1983年1月24日付

 河合奈保子さんの曲も大分書いてきたわけで、初期のめぼしい曲は、すでに大体出している・・・ハズなんだけども、過去のアーカイブスを見てたら、まだ、出してない曲があった。
 
・・・ということでもないけど、今回の1曲セレクトは、「ご招待」っつう曲です。。。あせあせ

 ふんにゃ、河合奈保子の「Invitation」どぇす。

実際、今頃はヒットのピークも過ぎつつある頃で、本来ならもう少し前に持ってきたかったんだけど、本当にピークが過ぎる前に持ってこようと、急遽、セレクトして来ましたわ。


 この曲、引っ張ってくるにあたって、ようつべなどでいろいろ動画を物色してたんだけど、コメントを読むと、この曲、人気あるんだねぇ。
 けっこう、好意的なコメントが多数・・・。ふむふむ、なるほど・・。

 当時は、いまひとつジミな感じがしたんだけどなぁ。ま、このひとつ前の「けんかをやめて」が当たったからねぇ。

 そそそ ♪けんかをやめて〜 ふたりをとめて〜 ♪ ですよ。

 でも、なぜか、当時人気があった、この「けんかをやめて」の方が、今になるといろいろと物議を醸し出していたりしてさ。。

 いや、「けんかをやめて」って、一つの女の子を二人の男が取りあいするって内容でしょ、外目には。。 それが、いつの間にか、「自惚れんな、このブス女」・・・って風になっちゃってんのよふらふらふらふらふらふら


 いや、わかんないもんよね、時代が過ぎると・・・。


 でも、この「Invitation」は、ジミな存在だったし、内容的にも可愛らしい曲なんで、そういう「彎曲」した見方は出てないようですね。

やっぱし、インパクトの差だよな。
 それが、ダイレクトに売上げ枚数にも反映してるんだけどさ。 当時は、その辺からのヒットの大小っていうのは、シビアだったからねぇ。

 まあ、それだけ「浮動票」の存在がでかかったんだけどさ、当時は。

 
 そもそも、歌詞の内容からして、今の若いコからすると、大分「?」なんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりもしたりして。。
 出だしの ♪ ペナントだらけのあなたの部屋に〜 ♪ なんて所からして、今じゃ絶滅だよね。部屋にペナント貼ってる男の子なんたさあ。
 でも、ワタシらの時代は、みんな結構貼ってたよなぁ・・・。なんてさ。

 まあ、どちらの曲も、今をトキメク「竹内まりや」女史の作品なんだけどね、以前書いた、堀ちえみの「待ちぼうけ」もそうだけど、「当時ならでは」の歌詞のシチュエーションが見られたりして、いやがおうにも時代を感じたりしてね。

 でも、うまいんだよね、アイドルに曲書くのが。
 まず第一に、このヒトの書くアイドルの曲って可愛らしいって言うのところが大きいな。 スレてないって言うのかなぁ、鷹揚なイメージなんだよね。まず、今じゃあんまり見かけなくなったティーンの女の子像だよなぁ。
 もう一つは、言うまでもなく、ソングライティングの良さっていうかね。古臭くないんだよね。かと言って、斬新に新しくもないし。いい塩梅の新鮮さっつうのかなぁ、少なくとも、堀ちえみも河合奈保子も、竹内まりやの曲を歌うことで、ワンステップ曲に幅が出来た・・・とはいえるわな。

 特に河合奈保子は、この辺から、アイドルアイドルした曲から脱皮を試み始めて行ったりするんだよね。

・・・というか、結局、このころは、ニューミュージック系アーティストが作る、新しい形のアイドルの曲っていうのが、時代の先端を行ってたんだよねぇ・・・。

 ま、この曲も、その1曲ということで、改めて、そんな風に感じた次第ですわ・・・。




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疑問符 / 河合奈保子

1984_01_疑問符_河合奈保子






今回の1曲セレクトは、「疑問符」河合奈保子です。
 
 まずはデータです。

・タイトル    疑問符
・アーティスト  河合奈保子です。
・作詞      来生えつこ
・作曲      来生たかお
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1983年12月1日
・発売元     コロムビア
・オリコン最高位 4位
・売り上げ枚数  19.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1983年12月12日〜1984年1月9日付


 えー、今回は前置き無しで・・・。
 河合奈保子の「疑問符」なぞひとつ。

この曲って言ったら、さみしーい曲なんだよねぇ。 寂しい・・・というより、「冷たい」というかねぇ。

 まあ、いかにも冬枯れな季節に合いそうな曲ではあるんだけど、それにしても、当時は、徹底的にジミダナァ・・・・っていう印象が強かったねぇ。インパクトもあんまり感じなかったし、印象からして、シングルのA面というより、B面にひっそり沈んでいるような・・・っていうイメージだったんだよね。

 それに、この曲の前の「UNバランス」までのようなポップ感も感じなかったし・・・。どちらかといえば、「歌謡曲」路線に近いような印象が強くてさ。

 だから、この曲はあんまり売れないだろうなぁ・・・っていうのが、最初聴いたときの印象だったかなぁ。 まあ、案の定、前の曲まで20万枚オーバーしてた売り上げ枚数も、この曲で20万枚切っちゃったしね。

 たださ、「ザ・ベストテン」で、ベスト3の3位まで行ったのには、ちょっと意外性を感じたよなぁ・・・。
 うん、それまで河合奈保子って、ベストテンじゃ、なかなか上位まで行かなかったからねぇ。「エスカレーション」が3位まで行ったのが最高だったから、それと同じだったわけさ。

 でもねぇ、それもつかの間でさぁ、次の週、いきなりベストテンから落ちてやんの。。。ふらふらふらふら

 ベスト3から、いきなり次の週でベストテン落ち・・・。

 まあ、現在では珍しくもなーんとも思わないようなチャートアクションだけど、当時はなかなか見られないようなチャートアクションだったからなぁ。結構、衝撃的でしたわぁ。

 ちなみに、1984年1月12日放送分で3位、次1月19日放送分は12位だったんで、9ランクダウン・・・っちゅう。

 まあ、伏線はあったんだけどね。3位の時の得点は7799点で、当時の3位としては、結構な低レベル。

 次の週の12位のときは6253点と、逆に12位としては高得点・・・とかなり不利な条件となってしまったため、こういうチャートアクションが生まれてしまったわけで・・・。

 ちなみに、ベストテンでは、当時としては、ベスト3からいきなりのベストテン落ち・・・ってのは、1979年11月の山口百恵の「しなやかなに歌って」の2位→12位っちゅう、10ランクダウンに次ぐ記録じゃなかったんかなぁ・・・。

 なんかね、曲以上に、そんなベストテンの動きの方が記憶に残ってたり曲かもなぁ、この曲。
 いや、この曲聴くと、いつも、そのことが脳裏に浮かんでくるものふらふら

ちなみに、3位だった、1984年1月12日放送分だけど、この曲のイントロで、風呂桶を撃つようなSE音が入ってるんで、わざわざ銭湯で「風呂桶」の音をサンプリングしてきた・・・なんてしょうもない演出のしゅうだったんだよね。まさか、そんなしょうも無さで、次の週ベストテンから落ちた・・・って訳でもないよなぁ。。。
まあ、ことをやってたりするのは、ベストテンらしいっちゃ、らしいわなふらふらふらふら



昔は、↑で書いた「風呂桶SE」のベストテンの動画が落ちてたんだけど今はなくなっちゃったんだな。。。



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THROUGH THE WINDOW / 河合奈保子

1985_スルー・ザ・ウインドウ_河合奈保子






今回の1曲セレクトは、「THROUGH THE WINDOW 」河合奈保子です。

 まずはデータです。

・タイトル   THROUGH THE WINDOW
・アーティスト 河合奈保子
・作詞     PETER BECKETT
・作曲     PETER BECKETT
・日本語詩   売野雅勇
・編曲     クレジットなし
・リリース日  1985年12月12日
・発売元    コロムビア
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   7.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1985年12月30日付

U2歌謡。 

のっけからなんじゃい? って感じだけど、今回セレクトしてきた、この曲の事ですね。 

河合奈保子 「THROUGH THE WINDOW 」

今となっては、ほとんど「死語」かな。っていうか、この曲がヒットした当時も、正式にはそんな用語は無かったんだけど、この「TROUGH THE WINDOW」ってとっても「U2」なんだよね。ヘビメタ歌謡といいましょうか。
 かといって、超ヘビメタ歌謡だった、シブがき隊の一連の曲よりもダサく無い。

河合奈保子のボーカルなしで聴いてたら、どこを切っても「U2」だ。この質感、ヘビメタ感。

 イントロ部分聴いただけでは、これが「アイドル歌謡」の曲だとは、おおよそ予測も付かない展開。

 そんな曲を、どーみても「非力」な河合奈保子が、力いっぱい歌っている・・・っていう図が、とっても「意外性」なんだよね。

 正直、初めはショッキングだったよなぁ。まさかね、あの河合奈保子さんが、こういう曲調を歌うとは・・・全く予想もつかなかったもの。
 でも、裏を返せば、この曲の面白みは、その一点に尽きると思うな。

 でも、当の河合奈保子も、腹の底から、あのころ持ってた、全神経を「ボーカル」に使いきっているところも、またいいんだよね。

 大サビの

 ♪ さよならが言えたなら 救われる 恋も あるわ〜〜〜 ♪

の特に最後の

 ♪ 恋も あるわ〜〜〜ha〜〜〜 ♪

の部分のコエシツは、またスゴみがあるんだよね。ある意味、中森明菜の♪ Get Up Get Up Burning Heart〜〜〜〜〜 ♪のビブラートロングトーンよりも、凄みを感じる。

 このヒト、アイドルにしては、うたはうまい方だったんだけど、どーも、「幼い」演出で、このヒトならではの「声」で勝負するような曲が無かったんだよね。

 そこに来て、これこそ「声」で勝負とばかり、この曲が来たから、得てして本来の河合奈保子のコエシツを披露する場が出来たんだけどさ。

 
 ただ、やっぱり、ファンって保守的だからねぇ。こういう曲だと売れなかったんだよなぁ。

 まあ、売れなくても、それなりに攻めた結果だから、これは潔いやり方だったと思うけどね。
 結果的に、この後のボーカリスト「河合奈保子」に繋がっていくわけだから。




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ラヴェンダー・リップス / 河合奈保子

1985_10_ラヴェンダーリップス_河合奈保子






今回の1曲セレクトは、「ラヴェンダー・リップス」河合奈保子です。

 まずはデータです。

・タイトル   ラヴェンダー・リップス
・アーティスト 河合奈保子
・作詞     売野雅勇
・作曲     林哲司
・編曲     萩田光雄
・リリース日  1985年10月3日
・発売元    コロムビア
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  9.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 12位

今月1か月にわたり、毎週1曲ずつ、河合奈保子の「今頃」のヒットを書いてきたけど、ひとまず今回が最後と言う事で。。。

 今回は、ファンの間では結構人気があるんだけど、実際はあんまり売れなかったんだよねぇ・・・っていう曲をひとつ。

 1985年の「ラヴェンダー・リップス」なぞを。。

 河合奈保子を知ってても、この曲まで知ってる人って、ファン以外では結構少ないんじゃないですかねぇ。。。まあ、そんな1曲ですわな。
 それでも、オリコンでは最高5位まで行ってたのですぞ。

 ・・・なんて、正直、これ、私も忘れてた。。。 「ザ・ベストテン」では、たしか最高位10位だったし、ワタシのランキングではベストテンにも入ってなかったからなぁ。。。
 個人的には、ベストテンの「10位」っていうイメージが強く残ってたりする。。
 うん、あんまり売れなかったよな・・・っていう。

 この曲の前が、「デビュー/マンハッタンジョーク」で、河合奈保子としては、初のオリコン1位を獲得してたわけだから、落差はあったわな。 なんせ、この曲で、デビュー第2弾の「ヤングボーイ」から続いてた10万枚オーバーがつにいストップしてしまったわけだから。。。


 まあ、それだけ曲にインパクトがなかった・・・って言うことだよなぁ。パッときき、え? これがシングル? って感じなのよ。
 
 ただ、曲としてはきれいだよね。なんていってもタイトルの「ラヴェンダー・リップス」っていうのも綺麗。

 インパクトがない分、メロディラインとしてもさわやか・・・というかねぇ、たしかに気持ち、落ち着くわな。秋、独特の濡れた空気感も漂ってたりして。
 なんていうのかなぁ、きめ細かな音の手触りなんだよね。その辺が、いかにも「秋」を感じさせたりして。。。

 おそらく、その辺がファン受けはしたんだろうなぁ、


 反面、ちょっとイメージがバラつくんだよね。メロディにしても、たとえばAメロとBメロ、サビそれぞれに繋がりが若干見えなかったり、詩にしてもそうなんだよね。一貫性がやや弱い・・・というか。
一般的には売れなかったのは、その辺なんだろうなぁ

 ただ、これが繋ぎになるのかな・・・と思ってたら、繋ぎになんなかったなぁ。結局、「ヒット」という面からすれば、ここからどんどん落ちて行っちゃったわけで。。
 まあ、ちょうど、このころが「脱・アイドル」っていう時期だったんだろう、デビュー6年目ということもあり。むしろ本格シンガーへ向かって行ったわけですわな。

 そんな端境期な曲ですな、この曲は。



あー。でも、なんだぁ、かんだぁ書いても、この曲聴くと、いかにも1985年の秋だな・・・ってイメージが沸いてくるなぁ。 高校1年の秋だ。
 このころ初めて「モスバーガー」を食った気がする。某木更津駅前の西友の裏にあったお店で。今はなくなっちゃったけど。。。部活の帰りによく寄ってたよなぁ。
そして、ワタシは、まだ、痩せておりました。。ふらふらふらふらふらふら
(このあと「モカバーガー」があんまりにもウマすぎて、ついつい食い過ぎ。。。20kg太ったのでした。ちゃんちゃん)


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