子供のころからウ〇コが長いんで、本を持ってトイレに入るんだけど、ここのところは近田春夫氏著の「気分は歌謡曲」を再度読み返してる。

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やっぱ、この本はワタシにとっちゃバイブルのひとつですねぇ。一筆書き的に書かれてるし、だから文法的に変な文章が多い。(近田氏自ら「文法的に変な文章」とか書いてるし。。。)
でもだからこそ勢いがあるんだよね。
私的にはある意味理想。。というか、ワタシも同じように勢いだけで文章書いてるんで。。。

ま、あとは内容ですね。 特に80年〜81年にかけてあたりに引っかかりますね。
たのきん、松田聖子、筒美京平、決定!全日本歌謡選抜、オリコンウイークリー、クイズドレミファドン!、レンタルレコード・・・etc  とあの頃、我々が引っかかったような内容が次々に出てくるんでねぇ。


その中でも「シュミで音楽評論をやってるからこそのいいかげんなピンク・レディー評」(ポパイ1980年11月10日号掲載)っていう回には特に引っかかった。

まあ、別にタイトル通り、いい加減に音楽評論をしているんではないって内容なんだけどさ。
つまり「生業」ではなく「シュミ」として音楽評論をやってるからこそ、お金が絡んでいないからこそ本当に言いたいことが書けるという内容ですね。

あ、これはよくわかる。

個人的にも、これまで、例えば「1曲セレクト」とかさ、1700曲くらいレビューとか書いてきたけど、なんで、ここまで書けたかと言えば、「シュミ」でやってるからなんだろうな。近田氏と同じで曲のレビュー書きでメシ食ってるわけではないんでさ。
文章書きで飯食ってたら正直こんな何百曲もレビュー書けないですよ。気が重くて。 


「大人の事情で」とか「お金が絡んでいるんで」・・なんてしがらみいっぱいの中で、本当に書きたい様に文章なんて書けないじゃないですか。

それと気が重いってのは「校正」ですね。

公式なサイトとか冊子に書く文章って、校正ってあるでしょ。
まあ、文章が変とか、文法的に変とか、誤字脱字があるなどのチェックのために行うわけなんだけど。
場合によっては、出し手の都合に合わなくて内容がボツになったり、書き直しさせられたりするじゃん。
あれがどうも苦手でね。


最初に書いたように、一筆書き的に勢いだけで書くのが好きなんで。 言ってみりゃアドリブなんだよね、私の文章。
なんで、後で読み返すと、なんでこう書いたんだろ? って自分で分かんなくなることがあるのよ。 なんせアドリブなんでさ。 アドリブってその場の勢いが面白いわけで、後から振り返っても覚えてないことがあるじゃん。 あれと基本同じなんだよね。

公式な文章に「校正」があるっていうの、初めて知ったのは、以前書いた小学4年の時に「文集いわき」という文集に私の作文が載った時ですね。
 実際載った文章は、最初に書いた文章とかなり違うのよ。最初に書いた文章は、例のごとくアドリブ的に書いたからさあ。 きちんと文集に載せられるように、何回も書き直ししたの覚えてるんだよなぁ。
10歳にして早くも「校正」の煩わしさを知ってしまったのよ、ワタシ。

まあ、少しでも文章のグレードを上げていただけるようにと校正していただけるのはよく分かるんだけど、根が「ものぐさ」で面倒くさがり・・・という井上陽水氏とおんなじ性格なもんで、どうもね・・・。

そんなわけで、世の中に「校正」というシステムがある限り、ワタシゃ物書きで飯食うことはないだろうなぁ・・・。

なんて「気分は歌謡曲」のこの回を読むといつも感じちゃうわけです。