かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

横浜銀蝿

哀愁のワインディングロード / 横浜銀蝿

1983_12_哀愁のワインディングロード_横浜銀蠅


今回の1曲セレクトは、「哀愁のワインディングロード 」横浜銀蝿だぜい!

まずはデータ

・タイトル    哀愁のワインディングロード 
・アーティスト       T.C.R.横浜銀蝿.R.S.
・作詞      翔
・作曲      翔
・編曲      T.C.R.横浜銀蝿.R.S.
・リリース日   1983年12月5日
・発売元     キング
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数   11.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 18位

今回引っ張ってきた曲は、「すでに書いたと思ってたけど、実際まだ書いてなかった曲」な曲だなぁ。

横浜銀蝿の「哀愁のワインディングロード」。

この曲、とっくの昔に書いた・・・ような気がしてたんだけどなぁ。

いつもの如く、次の1曲セレクト候補を探しつつ、昔のオリコンチャートと、自分のブログのアーカイブを見比べていたら、引っかかってきたんだよね、この曲。

うーむ、これは完全に慢心だったな。  

銀蝿としては8枚目のシングル。この曲をリリースする前には、解散を発表しており、 事実上のラストシングルだったわけなんだよね。

それもあって、「哀愁のワインディングロード」と書いて、「わかれのワインディングロード」と読ませる。

リリースは1983年12月5日。 そして、12月31日の新宿コマライブを持って解散。

果たして、ラストシングルも、それまで同様、3コードの単純明快なロックンロールで行くのかと思ってたけど、、実際は、イタリアンツイストをベースにした、G.S風なガレージっぽいナンバーだったんだよね。

デビュー時、3コードのロックンロールで、突っ走れるところまで突っ走る・・と明言していた銀蝿だけども、それまでのシングルから、少し変化球なナンバーに、当時は少し戸惑ったのを覚えてるな。

それでも、「哀愁の〜」のというタイトル通り、サビれた男の哀愁感がもろにじみ出ていて、それまでの銀蝿のシングルでも、個人的には印象に残る1曲ではあったんだよね。

少なくとも、もろコミックソングっぽかった、前曲の「お前にピタッ!」 とか、その前の「あせかきべそかきRocn'Roll run」の近田春夫氏曰く、道徳的な1曲 に比べると、カキワリが一切ないストレートな1曲だったしな。

ただ、最後の最後に来て、それまで貫いてきた単純明快なロックンロールから、少し変化球な曲調であったのは、やっぱり少し寂しかったことは寂しかった。

正直、それまで何があってもロックンロール1本で突っ走る・・と 文字通り「ツッパリ」通してきた意地はどうしちゃったの? なんて気分にもなったりしたなぁ。

まあ、考えるにロックンロール1本では限界が見えたから、潔く解散を決意したんだろうし、最後の最後に来て、少し変化球な曲調を持ってきたんだろうけど。

それでも、1980年のデビューから実質3年間で武道館満杯、オリコンアルバム1位獲得というデビュー時の公約は果たしたわけで、音楽界に足跡を残したことは間違いない。
ただ、オリコンシングル1位獲得という公約を果たせなかったのは、心残りなんだろうね。
最高は、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)」の3位。

それもあって、ラストシングルのこの曲には賭ける思いもあったようだけど、さすがにそこまでのアーティストパワーは残っていなかった。 シングルではデビュー以来最低の16位に沈む。


蛇足だけど、オリコンではシングル1位が取れなかったけど、「ミュージックラボ」では、82年の「あせかきべそかきRock'n Roll run」で1位をとっていたりする。
でも、「ミュージックラボ」の1位ぢゃ、満足しなかったんだろうなぁ、きっと。


デビューの1980年から、一貫してドカンに革ジャン、リーゼントという「ツッパリ」スタイルで通してきた銀蝿。 たしかに校内暴力が横行し、族、リーゼント、ツッパリが、ファッションとして一世風靡していた81〜82年頃は、このスタイルが時代の先端にあった。

だけど、時代の流れは速いわけでさ。 1983年くらいになると、このスタイルもアナクロになっちゃってましたからね。族、リーゼント、ツッパリ・・といういわいる、ブルーカラー的なファッションは、さらにエスカレートして「極悪」な世界に昇華してたし。
うん、84年の「少女に何が起こったか」あたりからの「大映ドラマ」見りゃ一目瞭然だよね。
まあ、あくまで「ドラマ・劇画」の世界ではあるけど、それでも84年くらいなると、それがイマイかったわけで。。。

だからこそ、時代の流れを見極める嗅覚がある彼らは、そんな時代の流れをいち早く察知したんだろうね。
この曲、最高16位と、デビュー以来シングル最低ランクだったけど、この順位だったら、まだまだ先もやれたはずだし、展開次第では巻き替えも図れただろうけど、潔く1983年を持って解散っていう運びになったんだろうけどね。






1983年12月31日、新宿コマ解散ライブでの「哀愁のワインディングロード 」。

まずもって、気が付くのは、女の子たちの黄色い声援。
当初、そのスタイルに共感していた、ツッパリ兄ちゃん、ツッパリ姉ちゃんたちの希望の星の存在だった銀蝿も、最後はアイドル的な存在だったことが、この映像からも分かったりする。

もしかすると、時代の流れ云々の前に、そんなファン層の変化にも限界を感じていたのかもしれないな。

まあ、1983年に一度は解散した横浜銀蝿だけども、90年代後半頃からはちょくちょく再結成もしてますけどね。昨年もデビュー40周年ということで、再結成してツアーもやってましたね。
キングレコードのお偉いさんに出世していたギターのJohnnyも参加してオリジナルメンバーがそろっての再結成になったし。


ちなみに、1983年12月31日(土)。 私は、福島・いわきの、母方のばあちゃんの家にいた。
少し前にじいちゃんが倒れて、ばあちゃんは病院に付きっきりになったため、うちの家族3人で留守番を頼まれてたんだ。
めっちゃ寒い夜でさあ、ストーブのないコタツだけの居間で、ブルブル震えながら、家族3人で紅白歌合戦見たのを、よく覚えてるわぁ。
結局、最初から最後までちゃんと紅白見たのって、あれが最後だったような気がする。次の年は高校受験前で紅白どころじゃなかったし、高校に入ったら紅白はもういいやと見なくなった・・・以来、ちゃんと見てないような気がする。

なんで、1983年12月31日は土曜日だったのか、覚えているかといえば、次の日1984年1月1日。
ワタシと父親は、一足早く自宅に帰ってきたんだけども、帰りの車のカーラジオで、文化放送「決定!全日本歌謡選抜」を聴いた記憶があるから。あの頃は元日でも放送してたんだよね。

まあ、どうでもいい事ですけど。。。。。


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ドキドキHeartのバースディ・パーティ / 岩井小百合

  1983_03_ドキドキハートのバースディパーティ_岩井さゆり


今回の1曲セレクトは、「ドキドキHeartのバースディ・パーティ 」岩井小百合です。

まずはデータでする。。。

・タイトル     ドキドキHeartのバースディ・パーティ
・アーティスト      岩井小百合
・作詞       翔
・作曲       Johnny
・編曲       馬飼野康二
・リリース日    1983年3月9日
・発売元      キング
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数   6.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 22位


1週間ぶりのご無沙汰でした。。。 などと、まるで「ロッテ歌のアルバム」での玉置宏氏のような書き出しになってしまいましたが。。。
うむ、1曲セレクトもすっかり「週末更新」の様相になっちゃいましたねぇ。。。うーむ、平日も更新したい・・・っていう頭はあるんですけどねぇ・・・。 相変わらず腰が重いワタシだったりします。。。
 ま、世間は3連休ですからねぇ、この期間は出来るだけ、更新したい・・・と頭では思っているワタシです。。

さてさて、今回は何を書くべーな。。。
・・・などと思ってたら、今BS日テレで、1983年のベストテンなんぞやってる。。。 日テレで「ベストテン」ってコトバはねぇだろ・・・日テレっちゃ「トップテン」だろ。。。。なんて文句言いながら見てるんだけども。。。

ああ、そうだ、丁度いい ちょっと前に思いついた曲を持って来ますか。

岩井小百合「ドキドキHeartのバースディ・パーティ 」

ふむふむ、1983年の今頃のヒット曲  いつものごとく、至極発想は安易なワタシどぇす。。


・・・などと、書き始めたのは良いですが。。。  今となっては、この曲を覚えている方ってどの位いらっしゃるんでしょうかねぇ・・・。 うーむ、疑問だ。。。

・・・といっても、目ぼしい曲が減りつつある今となっては、オリコンベスト20に入ったこの曲も「貴重」な曲なので。。。

ふむ、この曲は岩井小百合さんにとって、デビュー第2弾シングル。

・・・とか書いて、もしかして岩井小百合さんも知らない方も多いかなぁ。 
最近でもたまにレポーターとして、テレビに出演してたりするんだけどさ。 1983年、昭和58年、期待の新人として、1月に「ドリーム・ドリーム・ドリーム」でデビュー。
いきなり、オリコンで最高19位。売り上げも10万枚突破と、期待の新人として、まずは成功だったわけですわな。

・・・つか、「ドリーム・ドリーム・ドリーム」は昔書いてたんだけどさ
↓ コレ
http://livedoor.blogcms.jp/blog/kajiyan0777/article/edit?id=52012914

ま、このデビュー曲続く、第2弾シングルつうわけで。。。

ただ、当時シングルは、いわいる「3ヵ月ローテーション」でリリースするのが「通例」の音楽業界・・・つうか、レコード業界にあって、この曲、前曲から2カ月で、早くもリリースされたんだよね。
 しかも、次の「いちごの片想い」は、この曲の次月の4月リリース・・・と、 当時の感覚で言えば、まあ、なんて「矢継ぎばや」にリリースするんだ〜・・・って感じだったよな。それだけ期待の新人って事だったんでしょうね。

というか、リリースされた83年3月の時点では、まだ、デビュー曲の「ドリーム・ドリーム・ドリーム」の頭でいましたからねぇ、当時のラジオのチャート番組では。

だからなのか、正直、当時、この曲はあんまり真剣に聴いたような記憶が無い。

確かにラジオでは聴いてたような気がする。うん、例の「決定!全日本歌謡選抜」では、結構流れてた・・・ような記憶がある。

でも、真剣に聴いてなかった・・・っていうのは、もしかしたら「ドリーム・ドリーム・ドリーム」より、引っかからなかったのかもな、この曲。

ウラを返せば、「ドリーム・ドリーム・ドリーム」は、結構好きだったんだよね、個人的に。
なんと言っても、このヒトの声質がねぇ、当時としては新鮮な感じだったし、古臭い曲調とマッチしていたし・・・。

この「ドキドキHeartのバースディ・パーティ」はと言えば、曲調がさあ・・・・。ダサいんだよね。

いや、本来、ダサい曲、大好きなワタシなんだけども、それでもどうも引いちゃうんだよな・・・。

まあ、タイトルからして、思わず引いちゃったんだけどね。

それに加えて、銀蝿のアニキたちが、あの「ダミ声」で、 ♪サユリちゃ〜ん♪ って親衛隊よろしくコール入れちゃったりしてるじゃん。

思わず 「うわっ ダサッ」って感じだったんだよなぁ。

このダサさ、シングルのA面というよりもB面・・・って感じだったんだよね。 曲調的に「ココ」という見せ場がないし、インパクトも今一つ弱いしね。

あ、そそそ、岩井小百合さんって、「横浜銀蝿」の「マスコットガール」としてデビューしたアイドルだったんでね、当然、曲も当初は銀蝿のアニキたちがとっかえひっかえ書いてたんだよな。

まあ、どういう顔して「アイドル」だった、岩井小百合さんに「ツッパリ」銀蝿のアニキたちが曲を書いてたのか・・・って想像すると、ちょっと笑えるんだけども。。。
ただ、銀蝿解散後、Johnnyはキングレコードでアイドルの原石の発掘、TAKUも日音(音楽出版社)で同じような仕事をしていると言う事を考えると、この辺りから「その道」の勉強はしてたんだな・・・って言うのも分かったりしてね。


で、そんなインパクトの弱い、岩井小百合さんの第2弾シングルだけど、なぜか、今、手元に音源があるんだよな。
いつ買ったんだ  って感じなんだけどさ。。。

この曲ね 出だしAメロからいきなり 

♪ Shake hand  もじもじ しないで〜 ♪ っていうサビから始まるんだけどもね。

デビュー曲と同じく、舌たらずのベイビーボイスなんだけどもね、サビの ♪ Shake hand  〜 ♪ ってところの発声がところどころ「オバちゃん」っぽいんだよな

うちのオフクロも、ばあちゃんもそうだったんだけども、息を吐き終わるくらいの発声って、どこか詰まったような感じになるじゃん。 アレっぽいのよ、この♪ Shake hand  〜♪って部分。

いや、それに気がついたのは、最近なんだよね、うん、ここ数年前。

それがなんかねぇ、妙に引っかかったんだよな。 それで、この曲の音源買っちゃった・・・ような気がする。。曲自体がいいとか悪いって言う感じではなくて。。。

こう文章に書いてみると、我ながら無駄にお金使ってるかなぁ・・とも思えたりもするんだけどさ。。。。




こうしてみると、今もコノテのアイドルって、よく見かけるような気がするなぁ。
これ34年も前なんだけど、そうしてみるとアイドルって30年来、変わってないんだよな。



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ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編) / 横浜銀蝿

1981_11_ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)_横浜銀蝿






今回の1曲セレクトは、「ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)」横浜銀蝿+1 です。

 まずはデータでーす。

・タイトル    ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)
・アーティスト 横浜銀蝿 +1
・作詞      翔
・作曲      嵐ヨシユキ
・編曲      横浜銀蝿
・リリース日   1981年10月7日
・発売元     キング
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   27.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1981年11月16日〜11月30日付

 今回の1曲セレクトは、なんとなしに。ぼーっと考えてたら、あー、そういえば、丁度、今ごろだよね・・・っていうのが、浮かんできた曲をそのままピックアップして持ってきてしまいましたのだ。(←へんな日本語。。。)

 横浜銀蝿の「ツッパリHigh School Rock'n Roll(試験編)」

 なに? 「ツッパリHigh School Rock'n Roll」っていや、

 ♪今日も 元気で ドカンをきめたら〜 ♪

って、あれか、、、ってお思いの御仁。。 そりゃ、「ツッパリHigh School Rock'n Roll」でも、「登校編」ですぞ。

 うん、随分前になるけど、ここでも書いたわね。

 でも、今回引っ張ってきたのは、その「試験編」ですわふらふら

 なに? そんなのあったのかいな・・って思うヒトもいるかなぁ。。なんせ、こっちは、「登校編」に比べたら、それほど売れてないからねぇ。。
 まあ、一応、ベストテン入りはしてるんだけど。。。今となっては、ちょっと「ジミ」かexclamation & question


 歌詞もメロディも全然ちがうのよ、「登校編」と

 ♪ ついにきました 試験の季節 たまにゃオヤジを喜ばそう〜 ♪

ってやつね。

 ま、リズムは、いつものロックンロールなんだけど。。ふらふら


 で、この曲だけ、アーティスト名が「+1」ってなってるけど、これは「嶋大輔」が、この曲だけ、「お披露目」加入してたんだよね。
 そそそ、ソロデビュー目前ということで。。

 ジャケ写に「5人」映ってるけど、一列前に映ってるのが、嶋大輔氏。当時17歳。 痩せてるね〜・・・。今はデブっちゃったもんなぁ。。 ふらふら

・・・なんて、ヒトのこと言えないけど。。。。ふらふら 

 ちなみに、バックでは、杉本哲太がいた「紅麗威甦」の連中が延々とツイスト踊ってました。。覚えてますかね〜。。  いまやすっかり性格俳優になった杉本哲太氏も、ツッパリでしたからねぇ、34年前は。

 うん、なんなとしに「銀蝿一家」が形成されてきた頃だね〜、この頃は。

 それと、この曲の呼び物(おおげさな。。)は、「数え歌」ですかねぇ〜

 一つ  人より勉強嫌いで
 二つ  不良で落ちこぼれだけど
 三つ  見てろよ俺だって
 四つ  夜通しがんばりゃできるさ
 五つ  いつもの潰しに教科書
 六つ  無理やりつめこんで
 七つ  なんとか
 八つ  ヤケクソ
 九つ  根性
 十で  父ちゃん頑張るぜ!

・・・なんて〜、今から考えれば、とってもマヌケな・・・・いやいや、笑える内容でしたねぇ〜。

 後年、言われたことは、ツッパリの「ファンシー化」って事だったりして。 なんか、この曲あたりから、それが顕著になってきたって感じもするねぇ。
 うん、ひとつのファッションよ、ファッション。。

 あ、「潰し」っていうのは、ぺっちゃんこに潰したカバンのことね。

 当時、ツッパリの皆様は、ぺっちゃんこに潰したカバンをお持ちになっておりましたから。。。 もちろん、中身は空よ。。ってか、ぺっちゃんこだから、なんもはいらないんたけど。。。ふらふら

 そういえば、この曲とリンクして、又吉&なめんなよ の「なめんなよ」って曲もチャート上がってきてたんですわ。

 この曲も「数え歌」が含まれていたりして・・・。 

 なめんなよ・・・・ハイハイ、「なめ猫」ですよん。

 一つ 人間からエサをもらうべからず ・・・

とかさ。。ふらふら

 まあ、ほとんど、この曲のパクリっぽい感じなんだけど・・・。ツッパリもブームを通り越して「ファンシー化」しちゃってたんだよね、この頃になると。
で、1982年も後半になると、急速にブームも沈静化しちゃったな。




でも、こうしてみると、一番賢かったのは、リードギターだった、Johnnyだったかもな。
「プレイヤー」に完全に見切りをつけて、今やキングレコードの偉い人(執行役員)だもんな。



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暗闇をぶっとばせ / 嶋大輔

1982_09_暗闇をぶっとばせ_嶋大輔






今回の1曲セレクトは、「暗闇をぶっとばせ」嶋大輔です。

 まずはデータです。

・タイトル    暗闇をぶっとばせ
・アーティスト  嶋大輔
・作詞      嵐ヨシユキ
・作曲      Johnny
・編曲      横浜銀蝿
・リリース日   1982年8月11日
・発売元     キング
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   28.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1982年9月6日〜9月20日付

 今回の1曲セレクトは、「オリコン1位」獲得曲です。 

 暗闇をぶっとばせ /嶋大輔

・・・・え? 超メジャーじゃないって? 知らないって? こんな曲。 って言う方、意外と多いんじゃないかなぁ。今となっては。

 うーん、そうかもなぁ・・・・。 なにせ、オリコン1位をとりながら、なかなかCD化されなかったのが、この曲と、近藤真彦の「泣いてみりゃいいじゃん」って言う時期があったからね。

 まあ、なんかの都合も合ったんだろうけど、すでに忘れ去られていた可能性もないわけではない。まあ、断言は出来ないけど。
 なにせ、オリコン1位を獲得しながら、累積枚数が30万枚に届かなかった曲は、この曲以前には、1972年のニューシーカーズ「愛するハーモニー」の28.1万枚以外、1曲もない。
 
 つまり、この曲が1位を獲得した時点では、オリコン史上、「最低売上げ」の1位獲得曲だったわけだ。

 オリコンの1位を獲得すれば、少なく見積もっても30万枚以上は必ず「約束される」。それが1982年当時の当然の見方だったんだよね。言ってみれば「大ヒット」を約束される特別な位置だったわけだ。

 しかしながら、この曲を皮切りに、その見方が崩れはじれる。。。・・・っていう時代に突入したきっかけの曲って言っても良いんじゃないかなぁ。

 よく、「オリコン1位がヒット曲じゃなくなる日」とかの、論評では、「おニャン子クラブ」がいつも題材に上がるんだけど、そういう形でみると、必ずしもそうとも言い切れないんだよね。

 銀蝿一家って、横浜銀蝿を筆頭にして、目標は「武道館満杯」と「オリコン1位獲得」っていうことをよく口にしてたんだけど、「武道館満杯」って言う目標は、すでに達成してたわけで、後は、オリコン1位って言うところだったんだよね。

 それも、この曲の少し前に、Johnnyの「$百萬BABY」で達成される。

 そのノウハウを生かして、リリースされたのが、この曲っていえるんじゃないかなぁ。

 まあ、たしかに、銀蝿の人気も成熟してたところがあったし、嶋大輔も前曲の「男の勲章」で一躍メジャーになってたところもあった。

 タイミング的にはいい時期だったんだよね。

 でもさ、銀蝿一家って、口先だけかと思われがちだけど、意外と緻密な計算の上で、リリース日設定をしてたんだよね。

 まず、オリコンの集計期間を初動からいっぱいに使える日にちをリリース日にする。

 まあ、これは、今では当たり前のやり方なわけだけど。つまり、通常水曜リリースってやつですね。

 この曲は、当時から水曜リリース・・・ってやつをやっていた。

 ここでも何べんも書いてるけど、当時は、まだ発売日はオリコンの集計期間など考えないのが一般的だった。大体、毎月五十日か、21日リリースって言うのが一般的だったんだよね。

 当時、オリコンの集計期間を利用してリリース日を設定していたのは、ジャニーズぐらいじゃなかったかな。他には。
(ただし、レコード会社側からしてみれば通常リリース設定日ではないため、「臨発」扱いになっていたことが多かったが)

 それと、8月11日っていうリリース日設定ね。

 この前の週には、田原俊彦の「NINJIN娘」がリリースされている。
 その前には、松田聖子の「小麦色のマーメード」がリリース。

 つまり、当時、強力人気アイドルだった彼らの、売上げが落ちてきそうなところを狙って、リリースしたってところ。

 まあ、これが、結果的には功を奏して初登場1位を獲得する訳だけど・・・。

 ただし、1週ずれてたら、あみんの「待つわ」が急激な売上げアップになってたんで、ちょっと危なかったんだけど・・。

 タイミングが良かったわけだ。。


 ただし、戦略的な1位狙いな曲は、概して短命に終わるような流れになる。
 結局さ、初動でファンはほとんど買っちゃうから、後が続かないんだよね。
 これは、今でも全く変わらない。

 ただ、当時は今ほど初動集中傾向はなかったから、それでも、ベストテン内を6週キープしている。
 ただし、その後は転がるようにランクは転落してったけどね。


 曲の方はなんていったら良いのかなぁ。なんかさ、このころになると、詩の内容が道徳的になってくるんだよね。
 単なるツッパリでぢゃなくて・・・。「人のみち」を解いてるような・・・・。

 ♪ 男の勝負はいつでもマジだぜ Do Your Best ファイナルカウントまで〜 ♪

 とかさ。

 なんか、当初の銀蝿の傾向とはちょっとずつズレてきてたような・・・・。

 まあ、その辺は、当初からのファンも気付いていたんだろうね。嶋大輔もこの曲を頂点に、次の曲では、いきなり売上げがダウンしたのよ。

 この落差は、結構凄かったけどね。

 83年に入ると、早くも「ツッパリ」っていうコンセプトも「ダサい」モノになってたんだよね。


でもさ、1位を獲得しながら、「短命」に終わった曲は、何年かたつと忘れら去られちゃうもんなんですよね。この曲がいい見本じゃん。
 それを考えたら、現在の曲は、あと10年も経たないうちに、忘れられちゃう曲ばっかなんだろうな。

 これ、作り手はどう思ってるんだろうね。それでも「今」売れればいいんでしょうかね。



どうも、本人が歌っている動画が無かったんで、レコード音源のモノを。。


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恋・あなた・し・だ・い!/ 岩井小百合

1983_07_恋・あなたしだい_岩井小百合







今回の1曲セレクトは、「恋・あなた・し・だ・い!」岩井小百合です。

 まずはデータですっ!

・タイトル    恋ハートあなた・し・だ・い!
・アーティスト  岩井小百合
・作詞      TAKU
・作曲      TAKU
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1983年7月13日
・発売元     キング
・オリコン最高位 20位
・売上げ枚数   8.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位26位


 ここのところ、頻繁に横浜銀蝿続きで1曲セレクトを書いてますが、ここまできたら、今回も横浜銀蝿続きでいきますゾ!

 岩井小百合のデビュー第3弾・・・もとい、第4弾シングル「恋ハートあなた・し・だ・い!」

 へへへ、わざわざハート入れちゃったけど、たしか、シングルジャケットにはいってなかったっけ?

 あ、「恋」っていう字にハートが入ってるのか。。。

 まあ、いいでしょう。。。あっかんべー

 以前もデビュー曲の「ドリーム ドリーム ドリーム」を書いたんだけど、もともと、このヒトは銀蝿の「妹分」ってことでデビューしたんだよね。

 銀蝿と、純粋なアイドル岩井小百合ってどう考えても結びつかないけどほっとした顔、まあ、あのご時世を考えると、アイドルは気っても切れない時代だったし、戦略だったんだろうね。

 しかし、このヒトのベビーボイスは、よかったよなぁ。まあ、いろいろ異論はあるだろうけど、ワタシは好きでしたよ。甘いベビーボイスっていうよりは、聴いてて楽しくなっちゃうような感じだったじゃん。

 うん、確かに、レコードの場合、少しボーカルの回転速くしてるよね。しゃべり声とレコードの声が結構違うもんね。

 だけど、そのベビーボイスをうまく生かしてたよなぁ。銀蝿のヒトたちの曲作り。

 このヒトたち、単純なロックンロールだけじゃないんだよね。歌謡曲を書かせると意外といい曲書くんですよ。

 この曲はデビュー曲とおなじ、ベースのTAKUの作詞、作曲だけど、岩井小百合には、TAKUの曲が一番よかったね。
 このヒトのベビーボイスは、スピード感ある単純なアイドルソングに乗せるのが一番いいんだよね。
 個人的には、デビュー曲も良かったけど、この曲が一番すきだな。

 出だしの

♪トゥナーイ トゥナイト ベイビー ♪

の最初の♪トゥナーイ ♪ の語尾があがるところがキュートでよい!

 まあ、基本はロックンロールなんだけど、あくまでアイドルソングだからね。かるーいタッチのロックンロールがいかにも夏向きでさ、この季節にはピッタリですね。

・・というか、この手のロックンロールっぽい曲を歌うアイドルって当時はいかなかったからなぁ。意外と特異な存在でもあったんだよね。


 たださ、このヒトもこの曲までだったなぁ。上で書いたように、やっぱさ、このヒトには銀蝿のプロデュースが一番あってたんたんだよね。
 でもさ、この曲以降は、違う作家陣の曲を歌うことになるじゃん。どうもね、そこが違ったんじゃないかねぇ。

 確かに、この年の暮れに横浜銀蝿は解散することになるんだけど、だから、他の作家陣で・・・ってことなんだろうけど、どうもズレていたような気がするな。
 そこがこのヒトの惜しいところなんだよね。

 ただ、未だにレポーターでがんばってるのは凄いけど。。。
まあ、それも、トップアイドルになれなかったからなんだろうね。結局は大ヒットが生まれなかったことが吉なのかなぁ。



ライブバージョンの動画を引っ張ってきたけど、やっぱこのヒトは、レコードで聴く声質が一番面白いな。バカバカしい儚さを感じたりして。
 テレビで歌うと、なんか「フツウ」なんだよね。その辺が、今一つブレイクしきれなかった所なんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりして。。



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だってフォーリンラブ・突然 / 三原順子

1982_07_だってフォーリンラブ・突然_三原順子







今回の1曲セレクトは、「だってフォーリンラブ・突然」三原順子です。

 まずはデータです。

・タイトル    だってフォーリンラブ・突然
・アーティスト 三原順子
・作詞      横浜銀蝿 山田麗子
・作曲     TAKU
・編曲     中島正雄
・リリース日  1982年5月21日
・発売元    キング
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数  25.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位

 今回も前回に引き続いて、横浜銀蝿関係続きで行きますかね。。。
 
三原順子 「だってフォーリンラブ・突然」

 いまや、参議院議員におなりあそばされた、三原順子女史が、若かりし頃、まだ、ツッパリ路線で売り出して頃、リリースされた1曲ですね。

この曲、ごきげんなロカビリーロックナンバーですよね。
正直言って、この路線変更は、完全に不意を衝かれたってところだよなぁ。

 三原順子って、どうしてもデビュー曲の「セクシーナイト」の実年齢よりちょっとアダルトなお水系っぽいマイナーロックナンバー的な曲がここまでも多かったからなぁ。

 頭がどうしてもそういうイメージになってたところに、この路線変更だったからなぁ。

 もともと、このヒトって後々のビーイングの長戸大幸氏が見出してきたヒトなんだけど、ここにきて、なぜか銀蝿一家に接近することになるんだよね。

 まあ、レコード会社がおなじキングっていうところが大きいんだろうけど、結果的には、この曲の成功で、この路線変更は一時的に成功ってところだったよね。

 まあ、もともとツッパリアネキっていうイメージが強いヒトだったから、時代が時代だったこともあって、この銀蝿一家と手を組んだって言うのも必然的だったのかもしれないけどさ。


 それにしても、この曲は、ハデだよね。確かに銀蝿のTAKUが作っただけあって、根っこの部分はロックンロールなんだけど、銀蝿的なロックンロールではなく、もっとロカビリーっぽい、バテバテキラキラなメジャーロックナンバーに仕上がってて、50’Sっぽいご機嫌なダンスナンバーだよね。

 それがよかった。時代的にもこの手の50’sっぽい単純明快なロックンロールが流行りの時期だったんで、うまく嵌ったよね。

ただ、まあ、これの2番煎じの「ホンキでLove me Good!」がコケたのも、時代の流れとして残っているわけなんだけどもさ。

 結局、ロックンロールが流行ってのって、今からすれば、ほんの一時期の間だけだったってことなんだよね。


動画・・・うーむ、この曲の動画ないよー。これは、結構意外。
でも、しょうがないなぁ。今回はリンク断念。



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セクシーガール / 西城秀樹

1981_07_セクシーガール_西城秀樹






今回の1曲セレクトは、「セクシーガール」西城秀樹です。

まずはデータです。

・タイトル    セクシーガール
・アーティスト  西城秀樹
・作詞      横浜銀蝿
・作曲      横浜銀蝿
・編曲      若草恵
・リリース日   1981年6月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数   14.2万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1981年7月20日付

 えー、今回の1曲セレクトも、前回の「かっとびロックンロール」に引き続き、またまた横浜銀蝿関係の曲を持ってきてしまいました。

 セクシーガール /西城秀樹

デビュー10年を迎え、「ポップンロール宣言」と称した「ガール」シリーズ3部作の、第2弾。

でも、う〜ん、西城秀樹の曲としては、ちょっとインパクト弱いかなぁ。たしかに大ヒットとまでは行かなかったからね。
 1981年は西城秀樹にとって、デビュー10周年ということで、「ポップンロール」宣言をして、「・・・ガール」って感じで3連弾のシングルをリリースしたわけなんだけど、「ヒット」という面からすると、必ずしも成功したとき言いがたいからなぁ。

・・・というか、アーティストパワーもそろそろ下降線・・・っていうのが否めない時期でしたからね。

 で、その「ポップンロール」宣言の第2弾としてリリースされた曲が、この「セクシーガール」ってわけですね。

 で。まあ、作詞、作曲が「横浜銀蝿」ってことで、これまた意表をつかれた感じだったんだけど、だけどさ、これが、これがまったく銀蝿らしくないだよね。

 いや、銀蝿っていったら、単純な3コードのロックンロールしか書かない・・・、いやいや書けないっていう頭が、あの頃はあったんだよね。

 でも、ぜーんぜん、全くの歌謡曲なんだもの。たしかに、ポップンロール宣言もしていたことだし、秀樹が得意なカンツォーネ風の「力」が入った曲調ではなく、この前の曲の「リトルガール」にも似た、軽ーいメジャー系ポップスな作りだったけどね。
 まあ、この軽ーい作り・・っていうのも意外だったんだよね。

 全体的な雰囲気は、夏の夜風を思わせるような爽やかで涼しげな味付けだったけど、これアレンジャーの若草恵氏の力量なんだろうね。

 でも、まあ、考えてみれば、当時は、西城秀樹も注目するくらい、横浜銀蝿って、時代の中心にいたってことでもあるんだと思いますわ。

 さすがにメジャーな曲ではないから、あんまり耳にすることは無いと思うけど、今の季節、暑い晴れた日の夕暮れにでも聴くと、涼しくなる1曲ですよ。




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羯徒毘璐薫狼琉 / 横浜銀蠅

1981_07_かっとびロックンロール_横浜銀蠅






今回の1曲セレクトは、「羯徒毘璐薫狼琉」横浜銀蝿です。

まずはデータです。

・タイトル    羯徒毘璐薫狼琉
・アーティスト 横浜銀蝿
・作詞      翔
・作曲      Johnny
・編曲      嵐ヨシユキ
・リリース日   1981年6月23日
・発売元     キング
・オリコン最高位 4位
・売上げ枚数   32.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1981年7月6日〜8月31日付

 えー、久々の横浜銀蝿どえす!
 
 この蒸し暑〜い、夏の夜になると、出てきますよね暴走族。
あ、いえ、出てきていたよね・・・って言った方がいいのかな、最近は。。

 どうも、最近「族」も縮小化しているらしいからねぇ。

30年位前は凄かったけどねぇ。30数年前、千葉に来たばっかの頃は、ワタシャ国道16号沿いに住んでたのよ。

 今ごろの季節になると決まって夜と週末は凄かったもんよ。族が何十台も連ねてブルンブルン、後ろからはパトカーがおっかけっこしてるし。。。

 夜なんか寝てられなかったですよ。ほんと、頭来て、16号にロープ張ってこうかと思ったくらい

 で、まあ、当時はすでに銀蝿は解散してたけど、そのちょっと前、1981年頃は、それこそ族と銀蝿は切っても切れない関係だったわね。

 で、まあ、一番「族」っぽい曲ったら、今日引っ張ってきた、「羯徒毘璐薫狼琉」だろうなぁ。

 なに? 読めない? 「かっとびロックンロール」って読むんですヨ。
 決して、「中国の曲」ぢゃないかんね。


 でも、この曲今聴くと、ホント気持ちいいんだ。うん、確かに、フッ飛ばしたくなる感覚、理解できる。

 この曲聴きながら車運転してると、ついつい、スピードがでちゃうもん。

曲のスピード感もさることながら、煽られる感覚がたまんないんだよね。

♪ 飛ばせLOW LOW LOW LOW LOW LOW ♪
♪ 飛ばせSECOND SECOND SECOND SECOND SECOND ♪
♪ 飛ばせTHIRD THIRD THIRD THIRD THIRD ♪
♪ 飛ばせTOP TOP TOP TOP TOP TOP ♪
♪ おいらのハートはいつしかOVER TOP ♪

なんて歌われたあかつきにゃ、いつの間にか、5速にギアが入ってるってもんですよ。。。。

今は、ATになっちゃったけど、最初に買った車は、MTだったからさあ。気が付いたら5速ですよ。一般国道で

 アラフィフのオッサンがこんな調子だもん、当時のティーンだったら、そのまま従っちゃうよなぁ・・・とか思ったりして
 そんな不思議な魔力が銀蝿の曲にはあるんだよね。

まあ、カリスマといっちゃえばそれまでたけどさ。不思議なんだよね。

 曲なんか、スリーコードの単純なロックンロールでめっちゃ簡単だし、演奏もめちゃくちゃラフじゃん。

 でも、そのラフなところがいいんだよね。これがきっちり演奏されちゃ、面白くもなんともないのよ。そのラフさか熱くなれるのよ。
 
 そのなかでもこの羯徒毘璐薫狼琉が一番、族っぽさが素直ににじみ出てて良かったな。

 個人的には、銀蝿のなかでは一番好きな曲ですよ。




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