かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

槇原敬之

大村雅朗25th Memorial Super Live 2日目(9/24)

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大村雅朗25th Memorial Super Live 1日目(9/23) からの続き


東日本では台風15号崩れの大雨で、静岡を中心に大きな被害があったとニュースでは伝えている。
たしかに前日、福岡に来る時の新幹線、静岡〜名古屋にかけて、真っ黒な雲が空一面を覆いどしゃ降りだった。 ただ幸いにワタシが通過した時間は、まだ新幹線には影響がなく定刻通り博多に着くことができたんだけども。 
ワタシが乗ってきた「のぞみ」は、博多到着後、そのまま東京に折り返しだったんだけども、影響あっただろうなぁ・・・・。

おーっと、話題がずれた。。。   

兎も角・・・ 9/24(土)   福岡はいい天気。 さてライブが始まる夕方まで何をしよう。。。所在に困る。  そのまま夕方までホテルでボーッとしててもいい・・・。 いや、そんな気分にもなれず。

初めは、鹿児島まで行って桜島でも見るかとか、糸島に足を延ばして黄昏るか・・とか考えたんだけどもいずれも、そうする気にもなれず、 とりあえず、大宰府天満宮にお参りして、福岡市内を散策するか・・と外出。

結局、大宰府の後、大濠公園周辺を散策し、大濠公園の池周辺のベンチで黄昏て、夕方まで時間をつぶす。

それでもまだ時間があるので、 地下鉄の中州川端駅からキャナルシティまで川端通商店街を散策。 はじめて福岡の「庶民的」な暮らしを垣間見たような気がする。 こういう所を歩くと、本当の町の良さが分かりますね。 

大都会であるのに、東京のようなとげとげした緊張感がなく、街中の雰囲気が初めてきたのに妙に落ち着く。
さっきまでいた大濠公園もそうだけども、本当の福岡を見たようで・・・。芯から福岡が好きになりそうだ。


キャナルシティ劇場に着く。 席は昨日と同じ。1階B列24番。
ステージが目の前のあの席だ。 昨日1度経験しているホールということもあり、昨日よりは気分的に落ち着いており、周りを見渡す余裕もあった。

周りを見渡せば、ほとんど、昨日とお客さんのメンツが変わらない。やはり周りは2日通し券方々ばかりのようだ。
わたしの隣の席も、昨日と同じお姉さんで軽く会釈。 

昨日は気が付かなかったんだけども、レコード会社の福岡支社の方々、ラジオなどのメディア関係者など、お客さんには業界関係者が多かったようだ。
この日のトークで分かったことだけども、 大村雅朗氏の実家のお兄さんや、 ソニーエンターテイメント元取締役の白川隆三氏も、お客さんとして来ていたようだ。

その他NHK福岡放送局も取材に入っていたし。。。
ワタシの周りも、業界の方と思しき方々が多数。 隣の席のお姉さんもそのようだ。

そういえば、前日のライブ終了後、階段の踊り場で、渡辺美里さんがインタビューを受けていたところを目撃したしね。

やはり、少なくとも福岡の業界回りでは注目されたライブだったようだ。


そんな中、昨日より1時間早く、17時丁度 ステージスタート。
17時きっかりにステージがスタートしたのは、今日はネット配信が入っていたということもあったんだろう。

オープニングは、昨日同様、砂原"まりん"良徳氏による 大村雅朗氏アレンジ曲"Mash Up" (メドレー)。

使用曲は
・天使のウインク(松田聖子)
・Be my J-Girl (吉川晃司)
・水のルージュ  (小泉今日子)
・メインテーマ (薬師丸ひろ子)
・みずいろの雨 (八神純子)
・君はクロール (渡辺美里)
・My Revolution (渡辺美里) 

昨日のオープニングは、硬派な曲のメドレーであったが、今日は一転してソフトな曲でまとめたイメージ。

そして昨日同様、司会役の佐橋佳幸氏、亀田誠治氏が上手、下手からの登場。
MC内容も昨日とほぼ同じ。 うん、漫才師みたいだね・・・ということで。。。。

まずは、大沢誉志幸氏が登場。
いきなり、氏の代名詞ともいえる「そして僕は途方に暮れる」。

昨日の八神純子さん同様、オープニングからいきなりの代表曲ということで、いやがおうにも会場のボルテージが上がる。

・e-Escape  
・晴れのちBLUE BOY (沢田研二カバー)
・ラ・ヴィアンローズ (吉川晃司カバー)
・CONFUSION  

と立て続けに4曲。
「晴れのちBLUE BOY」「ラ・ヴィアンローズ」とカバー曲が含まれていたのと、絶対にやると思った「その気×××」が回避されたのには、すこし拍子抜けの感も無きにしも非ず。
それでも、ジュリーよりも、ブラックで強烈なビートの「晴れのちBLUE BOY」は圧巻でしたわ。
さすがは、「晴れのちBLUE BOY」の作曲者。

ここで、ジュリーを初め、大沢誉志幸氏、 槇原敬之氏、 はたまた、現在に続く、トライセラトップス、BUMP OF CHICKENを世に出し続けてきた、名プロデューサー、木崎賢治氏が登場。

木崎賢治、大澤誉志幸、佐橋佳幸、亀田誠治 4氏による大村雅朗氏についてのトークを展開。
・・・そこに 木崎氏繋がりということで、槇原敬之氏が、パイプ椅子をひきづって「乱入」(!?)      5氏による大村雅朗氏にまつわるトーク。

大澤誉志幸氏と大村雅朗氏といったら、やはり「そして僕は途方に暮れる」。
この曲も、昨日書いた「櫻の園」同様、元々は別の方に書いた曲だったけども、採用されずにお蔵入りになっていた曲という事。
で、大澤誉志幸氏のアルバム曲が1曲足りないんで、なんかいい曲ない? ってことで、この曲を引っ張り出してきたとの事。
ただ、 元々は、タイトルも歌詞もアレンジも、全然違ったようですね。もっとフォーキーな曲だったとの事。
 それでは、大澤のイメージに合わないんで、歌詞を銀色夏生さんに改めて依頼。アレンジも、大村雅朗氏に改めて依頼したところ、現在の、ニューウェイヴな「そして僕は途方に暮れる」が誕生したようだ。
この曲、世間一般では、ポリスの「見つめていたい」を下敷きにしたアレンジということになっているけど、それは間違い。 本当はトンプソン・ツインズの「Hold Me Now」が正解・・と、木崎氏、大澤誉志幸氏、お二人の弁。

ちなみに、ジュリーの「晴れのちBLUE BOY」は、初め、ジュリーからこのメロディは歌えない、とクレームがあったとの事。
そいで、徹夜してメロディを変えたら、 このメロディはヤダ・・・と文句を言われたとのことで。。。
時間がないんでしょうがないんで、しぶしぶ元のメロディで歌ってもらったのが、今の「晴れのちBLUE BOY」になったようですね。

やはり、昭和のスーパースター、ジュリー。 当時まだ駆け出しだった大澤氏は、大分、気を使ったようですね。

ただ、「おまえにチェックイン」のイントロの♪ チュルル 〜 ♪っていうコーラス
あれは、大澤氏本人 伊藤銀二氏 佐野元春氏、沢田研二氏本人でやったらしいんだけども、はるか向こうにいたはずのジュリーの声が一番デカかった・・・と、さすがのジュリーの声量には脱帽でしたわ。
佐野元春氏が、あのコーラスに加わっていたのか・・というのは、ちょっと驚きだったけども。。。。
(・・・と思ったらWikipediaにも出てましたね。。。。)

続いて、 マッキーだけ居残り、 砂原まりん氏(マニピュレーター)、佐橋佳幸氏(G)  山本拓夫氏(Sax)による 大村雅朗氏アレンジ曲セッション

・モニカ(吉川晃司カバー)
・Rain  (大江千里カバー)
・Lovin' you  (渡辺美里カバー)

まあ、正直、マッキーによる「吉川晃司」は、アレ・・・・でしたけど   それでも、バックは、オリジナルそのままに再現してくれたんで、気分は、オリジナルの「モニカ」を味わせてくれましたわ。

いやいや、考えようによっては、マッキー、もう二度とライブで「モニカ」歌わないだろうから、それを見られただけでも貴重な体験だったかもな。。

蛇足だけども、ワシの真正面に、まりん氏、その間にマッキーを挟んで一直線上になったんだけども、なんだ、この昭和44年生まれラインは・・・と思ったのは、ワタシだけ・・・だよな。


「Rain」「Lovin' you」は、昨日、渡辺美里さんもカバーしたし、「Lovin' you」は美里さん本人の歌唱が聴けだけども、 マッキーが大好きな曲ということで敢えてカバー。

渡辺美里さんもカバーしたように大江千里さんの「Rain」と大村様朗氏という組み合わせは、現役のミュージシャンにとっても忘れられない1曲になっているようですね。
秦基博を初め多くのミュージシャンに未だにカバーされているのも頷けますわ。

美里さんとは、別アレンジで、マッキー本人がアレンジし、アルバム「Listen To The Music」に収録した「Rain」だったようで、「モニカ」とは異なり、マッキーらしさを感じた1曲となりましたわ。
(うーむ、この部分は、大村雅朗氏からは離れていたんだが・・・・)

こう見ると、大江千里さんも、大村雅朗'Sチルドレンとして、このライブに参加できればねえ・・と思ってしまったりしましたが。。。。


続いて ゲストの川崎鷹也氏登場。 
正直、現在27才の川崎鷹也氏は、大村雅朗氏世代ではない。 ただ、やはり親が大村世代として、八神純子さんや佐野元春さんを聴いており、そういう影響はあるということで、いわば「ジュニア時代」の代表として選ばれたようだ。

フルバンドを従え、

・SOMEDAY (佐野元春カバー)
・パープルタウン〜You Oughta Know By Now〜 (八神純子カバー)

2曲を熱唱。
個人的には、マッキーの「モニカ」同様、 やはり「持ち歌」ではないということもあり、歌いきれてないところがあり、正直アレ・・・でしたが 、周りの方々には評判が良かったようですね。

個人的には、バックバンドの演奏がよかったですね。
「SOMEDAY」のドラム、レコードアレンジと全く同じオカズ(フィルイン)、叩き方だったんで、オリジナルの佐野元春氏も山木さんのドラムだったっけね・・と勘違いしたくらい。
(オリジナルは、島村英二氏だったようですが。。。)

これは、前日の渡辺美里さんの「My Revolution」でも同じような錯覚を感じたなぁ。
今剛氏のギターのフレーズ、レコードと全く同じだったんで、オリジナルも今剛氏だったんだ・・・とその場では思っちゃったんだけども、実際は松原正樹氏だったようですね。

そのくらい、今回バックバンドの皆さんは、忠実にオリジナルアレンジを再現していたんだということが分かったりして。。。。さすがは超一流ミュージシャンの皆さんだ・・・と再認識させられましたわ。。。


引き続いて、南佳孝氏登場。
軽く、大村雅朗氏へのはなむけの言葉を交わし、「スタンダード・ナンバー」。
言わずと知れた、薬師丸ひろ子さん「メイン・テーマ」の同曲別バージョンですわ。
ちなみに、アレンジはいずれも、大村雅朗氏によるもの。
件の「風の譜」〜福岡が生んだ伝説の編曲家 大村雅朗〜では、アーティストによって、それぞれのアーティストに合わせたアレンジということで、使用されたこの曲だけども。

ホンネのところはどうなんだろう?  同じ薬師丸ひろ子さんでは、件の「セーラー服と機関銃」の時に、作曲者の来生たかお氏が「夢の途中」という同曲、異タイトルを大ヒットさせていた・・という前例もあるわけで。。
「メインテーマ」も同じ路線を狙ったんじゃないか・・・とも思えたりするワタシだったりするんだけども。。。

ただ、図らずも、前日の、八神純子さんや ばんばひろふみさん同様、 これまでテレビの画面越しに、長年見てきたアーティストの曲を、生で、しかも目の前で聴けるというのは、感慨ひとしおですわ。

南佳孝氏は もう1曲 「ストライプの雨の彼方」という、映画「メインテーマ」で薬師丸ひろ子さんの相手役に抜擢された、野村宏伸氏主演のアニメ「ボビーに首ったけ」の挿入曲「ボビーにRock'n Rol」のB面だった曲を披露。

めっちゃマイナーな曲や・・・。

ワタシも知らなかった曲だけども、考えてみれば、南佳孝氏と大村雅朗氏って、接点がありそうで、実際はそれほど接点があったわけではないんだよね。

なので、こういう選曲になったんだろう。

南佳孝氏の場合は、むしろ、この日もゲストに出演された、松本隆氏との繋がりが大きいということで。。。

この後、 松本隆氏が再登場。 南佳孝氏、 佐橋佳幸、亀田誠治 4氏による 大村雅朗氏にまつわるトーク。
ここに、またまた、マッキーが乱入(!?)  どうも、松本隆氏の京都の住まいの近所にマッキーが引っ越したらしく、ご近所付き合いの仲になっているらしい。

なるほど、今回ライブにマッキーがブッキングされた意味が、分かりましたよ。
件の川崎鷹也氏も、おそらくは、昨年の松本隆トリビュートからの繋がりが強いようだし、どうも、今回のライブ、大村雅朗氏のメモリアルという名目ではあるけども、大村雅朗氏と松本隆氏を中心としたライブという意味合いの方が強かったようですね。

トークの後、またまた、マッキーは居残り。

マッキーの大好きな1曲といい、自らリアレンジバージョンを手掛けた松田聖子さんの「櫻の園」を熱唱。

なるほど、昨日、松田聖子さんの一連の曲をカバーした中川翔子さんが、この曲を回避した意味が分かりましたわ。

オーラスは、「SWEET MEMORIRS」。

うーむ、なんで、この曲は誰が歌っても、こう、トリ肌が立つんだろうねぇ。 もちろん、オリジナルの松田聖子さんに歌ってほしかったのはやまやまなんだけども・・・。
マッキーの歌唱も良かったですよ。




以上を持って 「大村雅朗25th Memorial Super Live」は無事終了。
2日間にわたり、大村雅朗氏にまつわる数々アーティストの熱唱、バッグバンドの一流の演奏を堪能。
さらには、松本隆氏、木崎賢治氏によるトークを直に聞くことができ、素晴らしいライブだったと思いますわ。

なにより大村雅朗氏ならではの一流のアレンジ、サウンドですね。

トークにも、何度か出てきたけど、大村氏は、常に「今」を求めていたという事。
「(その音は)「今」じゃないんだよね〜」というのが口癖だったという事。

このコトバを聴いてハッとしましたわ。

そうだ、最近の音楽に欠けているのは、コレなんだ・・ということ。
2022年ならば、2022年の「音」を求めている音楽関係者が、少ないんじゃないか・・ということ。

だから、大村氏のアレンジした曲を聴くと、1984年ならば1984年。 1986年ならば1986年の時代を感じられるんだ。

どうして、昭和ばかり振り返るんだろう? ・・・という、最近、個人的に感じてる不満の糸口を感じたような気がする。

70年代から90年代にかけて、確かにあの時代日本には勢いがあった。だから過去を振り返る必要もなかった。
確かにそうだ。 けど、あの時代、大村氏のような「今」の音を求めている音楽人がいたからこそ、過去を振り返る必要もなかったし、あの頃の音楽って進化し続けられた・・・・そんな気がするんだよね。

いまの音楽界に必要なのは、大村氏のような「今」のサウンド、音楽を追い求めるヒトなんじゃないのか・・・と。

それに改めて気づかせてくれただけでも、 今回のライブに参加した意義があった。


もし、大村氏がまだ存命だったら、その後の日本の音楽界はどうなっていただろう?
少なくとも、今と同じになっていたとは思えない。

トークでも話が出たけど、、もし、宇多田ヒカルを大村氏がプロデュースしていたら、どうなっていただろう?  絶対にもっと違ったアプローチになっていたはずですわ。 

大村氏をアニキと慕っていた、小室哲哉氏はどうなっていただろう?  もしかすると、あんなに急激に時代に取り残されなかったかもしれない。

それは、「現在」の音楽にしても同じことで、少なくとも日本の音楽がここまで「小さく」なることは無かったんじゃないかと思うんだよね。もっと「韓国」の音楽と対等に渡り合えたかもしれない。

それを思うと、つくづく惜しい方が早逝されてしまった。日本の音楽業界には大きな損失だったということを、改めて感じさせてくれましたわ。


最後に、締めのあいさつで司会役の佐橋佳幸氏、亀田誠治氏から、東京、大阪ではやらないんですか・・というお叱りを受けた・・ということをカミングアウト。
ただ、恐らく・・というか今のところは予定はないです・・というコメント。
でも、もし、やったらスミマセン・・・とのこと。 

でも、個人的にはやって欲しくないなぁ。
このイベントは、大村氏の生まれ故郷、福岡でやるからこそ意義があると思うし。。。
それに、東京、大阪に、キャナルシティのように、少し格式が高くて、しかも中規模な適当なホールも、あまりないような気もするし。。。

・・とはいうものの、今回、参加できなかった大江千里氏の大村作品も本人の歌唱で見たいし、松田聖子さんの大村作品も本人の歌唱で聴きたいし・・・。
なにより、今回、聴けなかった他のアーティストの作品も聴いてみたい・・という希望はあったりするんだけどね。

30th Memorial Live ・・・企画してくれないですかねぇ。。。。 





大村雅朗25th Memorial Super Live  2日目(9/24)セットリスト

・オープニング
▼砂原"まりん"
良徳DJ
大村雅朗アレンジ曲mash up(メドレー)
1  天使のウインク(松田聖子    1985年 20thシングル)
2. Be my J-Girl (吉川晃司   1984年 1stアルバム「パラシュートが落ちた夏」より )
3. 水のルージュ  (小泉今日子 1987年 22ndシングル)
4. メインテーマ (薬師丸ひろ子   1984年 3rdシングル)
5. みずいろの雨 (八神純子  1978年 5thシングル)
6. 君はクロール (渡辺美里  1986年 2ndアルバム「Lovin' you」より)
7. My Revolution (渡辺美里   1986年 4thシングル TBS系ドラマ「セーラー服通り」主題歌)


▼大澤誉志幸
8.   そして僕は途方に暮れる(1984年 5thシングル  日清カップヌードルCM曲)
9.   e-Escape (1983年 2ndシングル)
10.   晴れのちBLUE BOY  (沢田研二カバー 1983年 39thシングル)
11. ラ・ヴィアンローズ (吉川晃司カバー 1984年 3rdシングル)
12. CONFUSION   (1984年 3rdアルバム「CONFUSION」より)

▼槇原敬之
13.  モニカ (吉川晃司カバー 1984年 1stシングル)
14.   Rain     (大江千里カバー 1988年 7thアルバム「1234」より
      ※槇原敬之自身カバーアルバム 1998年「Listen To The Music」より)
15.  Lovin' you  (渡辺美里カバー 1986年 2ndアルバム「Lovin' you」より)

▼川崎鷹也
16 SOMEDAY  (佐野元春カバー 1981年 4thシングル)
17.   パーブルタウン
〜You Oughta Know By Now〜 (八神純子カバー  1980年 9thシングル)

▼南佳孝
18.   スタンダード・ナンバー(1984年 17thシングル  全日空「'84 青春ブランド沖縄」CM曲 )
19.   ストライプの雨の彼方(野村宏伸カバー 1985年 シングル「ボビーにRock'n Rol」B面)

▼槇原敬之
20,   櫻の園 (松田聖子カバー 1999年 32ndアルバム「永遠の少女」より)
21,   SWEET MEMORIES  (松田聖子カバー 1983年  14thシングル サントリー缶ビールCM曲)




もう恋なんてしない /槇原敬之

1992_06_もう恋なんてしない_槇原敬之


今回の1曲セレクトは「もう恋なんてしない」槇原敬之です。


まずはデータでしゅら。

・タイトル     もう恋なんてしない
・アーティスト   槇原敬之
・作詞       槇原敬之
・作曲       槇原敬之
・編曲       槇原敬之
・リリース日    1992年5月25日
・発売元      ワーナーミュージック
・オリコン最高位  2位
・売上げ枚数    139.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1992年6月8日〜9月14日付
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「子供が寝たあとで」主題歌

コロナ禍での緊急事態宣言終了に伴い、自粛解除的なムードになりつつある今日この頃。
この影響で、今年は自粛一色の春〜初夏にになってしまいましたなぁ。
テレビのワイドショーでは、飲食業の営業自粛の他、パチンコ、ホウリングセンター、カラオケボックスなどの娯楽施設の営業自粛の場面を多く見たような気がする。

うーん、個人的に引っかかったのが、そんな場面だったんかなぁ。 特にボウリング、カラオケボックスの営業自粛を見るたびに、今から25年以上前、20代前半の頃、頻繁にこれらの娯楽施設に出入りしてた頃を思い出す。
その中でもボウリングとカラオケだよなぁ。 まさか2020年の御世がこんなことになっているとは、あの頃は夢にも思う由もなし。。。

ボウリングは、昨年、サザンの桑田氏の音頭によって一時的にブームの兆しが見られたけど、90年代前半、一時、私も嵌ってたんだよね。 テレ東の夜中にやってた「スターボウリング」なんて見ちゃって研究したりね。 あの頃月3〜4回は必ずやってたんじゃないかなぁ。アベレージは一時期160以上行ってたな。マイボウルを作ろうかと思ったこともあったしさ。
それより嵌ってたのが、やっぱりカラオケだよね。ボックスに頻繁にかよってたのは勿論だけど、
以前から何度か書いた、当時、新宿三丁目にあった「てあとろん'88」っていうカラオケバーを根城のようにしてたからさあ。

で、「てあとろん」が確か1時くらいに閉店しちゃうんで0時過ぎに出て、その後、ラーメンで腹ごしらえして、朝までボックスで第2ラウンド。。。こんな感じで大抵「オール」でしたね。
いや、実際は朝4時前には疲れちゃってさ、ボックス出て、大抵は近くの「マイアミ」(深夜喫茶)で始発が出るまで死んでたんだけど。。。

若かった。。。。

今回の1曲セレクトは、そんな、私の中でオールでカラオケ全盛期だった頃の「大ヒット」を一つ

槇原敬之「もう恋なんてしない」

この曲のリリースが1992年5月。 ちょうど今頃から秋口までの超ロングランヒット。
前年の「どんなときも。」に続く2曲目のミリオンセラーということで、名実ともにトップアーティストの地位を不動のものにした1曲ですな。

ただ、オリコンでは1位獲得ならず。最高位は2位。 ちょうどB'zの「Blowin'」とバッティッングしちゃったんだよな。
初動で28万枚も行ったけど、「Blowin'」がその倍も売っちゃったからな。ダブルスコアでの2位止まり。 その代わりロングヒットだったわけですな。 でも、結果的にはそれが功を制したんでしょうかねぇ。この曲、未だにカラオケでは人気高いんだよな。 


1992年。浪人なしにストレートで大学まで進んでいれば、本来ならば社会人になっていたころだ。
けど、私ゃ、勉強好き だったんで 大学はいるまで人一倍時間がかかったわけで、この年、まだ大学3年だったんだよね。

最近の大学3年っていったら、すでに就活を考える時期なんだろうけど、当時の大学3年って言ったら、まだお気軽な時期だったからさあ。 しかも大学は必修をほぼ終えて、残りは選択科目だけだったし、理系のくせに前期はほとんど実習も実験もなかったんで、週休4日なんて大学時代の中でも一番お気軽な時期だったんだよね。 まあ、そんなわけで、ボウリングに競馬にカラオケ、おまけにドライブ・・・と遊び呆けてたわけよ。

だから・・というわけでもないけど、槇原の「もう恋なんてしない」を聴くと、今でも、あの遊び呆けてた頃を思い出すな。

でもね、そんなカラオケ三昧で、新曲をいち早くカラオケで歌うことを第一にしてた私でも、この「もう恋なんてしない」はカラオケで歌わなかったなぁ。 
いや、正確に言えば、歌えなかったんだよね。

この曲、難しいんだもの。 たしかに音域が広いし、キーが高いっていうのもあるんだけど、一番戸惑ったのは「譜割」だよなぁ。

コトバの区切りをどこで取ったらいいのか、ブレスはどこで取ったらいいのか・・・わかんなくてさ。

ワタシらの親世代が難しいといっていた、それまでのヒット曲で、こんな経験はしたことなかったんでさ。 
 確かにそれまでも、渡辺美里の「My Revolution」のような小室哲哉独特の、アーフタクトから16分音符で入る、いわいる裏打ちのメロディはあった。 でも、この曲あたりからそれに輪をかけてメロディラインが難解になってくるんだよなぁ。 歌詞の文節を無視したようなメロディラインってやつですねぇ。
それがきっかけ・・というわけでもないんだけど、新たな世代が出てきたな・・・っていう実感を感じたのも確かですね。

少し前に、本当の80年代は83年4月以降のヒット曲で、それまでは70年代へのオマージュって書いたんだけど、それと似たような感覚を感じたんだよね。

つまりさ、本当の90年代の曲って、この曲あたりからって思えるんですよ。

まあ、実際この曲が出てくるまでチャゲス、浜省、米米、あるいは徳永と、80年代の「大御所」がチャートを席巻していたこともあり、本当の意味での90年代っていうのが、この時期まで希薄だったというのもあるけど。


いずれにしてもメロディラインの変革。 これは、その後、ミチスルなんかでも見られるようになったし、それは、現在のヒゲダンにも続くんだけど、その始まりは、この曲あたりだったんじゃないのかなぁ・・なんて感じるんだよね。

ま、本当は譜割が難しい曲って、もっと前からあって、私が遭遇しなかっただけかも知れないけど。

ミチスル・桜井の歌詞の文節無視なメロディラインは、何曲かは克服できたんだけども、この曲は未だにダメですね。 




いや、今聴くと、ミスチル程、文節無視のメロディラインではないし、ヒゲダンの「pretender」とかの最近のヒット曲に比べると、むしろ平易なメロディラインに感じるんだけど、28年前の戸惑いっていうのがいまだに頭から離れなんだろうな。

しかしねえ、槇原氏は、一人で作詞、作曲、アレンジまで手掛け、こんなに完成度が高い曲をつくっちゃうんだから、大した才能なんだよな。
同じ昭和44年生まれの同級生としては、やっぱ敬服するところですわ。
これでクスリ漬けにならなかったら、本当にすごいやつなんだけどね。

ちなみに、ミスチルの連中もワタシらと同級生でしたね。

それよか、オールナイトでカラオケなんていつ以来やってないだろ  コロナが収束したら、またやりたいね。
・・・ってか、今オールでカラオケなんてやったら、確実に死ぬだろうな。。。。 
20代の頃とは違うっての。。。。




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冬がはじまるよ / 槇原敬之

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今回の1曲セレクトは、「冬がはじまるよ」槇原敬之です。

 まずはデータです。

・タイトル    冬がはじまるよ
・アーティスト  槇原敬之
・作詞      槇原敬之
・作曲      槇原敬之
・編曲      槇原敬之
・リリース日   1991年11月10日
・発売元     ワーナーミュージック
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   76.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1991年11月25日〜1992年2月10日付
・タイアップ:サッポロ「冬物語」CM曲

 すでに1週間過ぎちゃったけど、12月ですねぇ。 
 今年は早い。。。去年の年末年始がついこの間のようですわ。そして、また冬がやってきましたなぁ。  
 ま、この間も書いたように、今年は、今のところ、とりあえず、風邪もひかずに調子もええし、ひさびさにええ12月の入りですねぇ。 このまま年末を迎えたい、ワタシですが・・・。

・・・つうことで、とりあえず、無事に冬がはじまったようなので、今回の1曲セレクトし、ちと能天気な、槇原敬之の「冬がはじまるよ」・・・・、そのまんまやんけふらふら

 この曲、メガヒットの「どんなときも」の次の曲なんだけど、やっぱ、「曲」っていうより、サッポロ「冬物語」のCMっていうイメージが強いわな。

 もともと

 ♪ ふゆがはじまるよ ホラ僕のそばで すごくうれしそうに ビールを飲む 横顔がいいね ♪

の部分だけだよね、あったのは。

 ・・・っていうか、ここだけだもんなぁ、CMで使われてたのは。

 他の部分は、後から、つぎはぎで足したっていうのが、みえみえだったりして。
 だってさ、特に詞の流れがないんだよね。ワタシがよくつかう表現だと「とっ散らかってる」んですわ、詞の内容が・・・。

 というか、↑のサビの部分だけあれば、充分、曲として完成しちゃっているんだもの。
 他の部分は、あってもなくてもいいような気がするんだよなぁ。個人的には。

ま、そんなような曲なんだよね。個人的な印象としては・・・。

・・・っつうか、やっぱ「どんなときも」が良く出来すぎてたんですよ〜。 だから・・っつうか、どうしても、それは越えられないよな。

 とは分かっているものの、なんか、ぎこちなさを感じちゃうんだよねぇ、この曲を聴くと。

 そういえば、この曲で ♪ 去年のクリスマスはケーキを売ってたけど〜 ♪ なんて、バイトの歌詞が出てくるけど、ワタシもこの曲がヒットして頃はバイトしてたよなぁ。夜間の郵便物の仕分けのバイト。
 現場にかけてあった簡易ラジオから、この曲、よく流れてたっけ。 だから、この曲と言えば、ワタシャ、あの頃のバイトの事とか、しょっちゅうやってたボーリングの事なんかを思い出すんだよな。


うーーーん、今日の文章、30点やね。 どーも、うまくまとまらないわ〜。。。






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SPY / 槇原敬之

1994_09_SPY_槇原敬之






今回の1曲セレクトは、「SPY」槇原敬之です。

 まずはデータです。

・タイトル    SPY
・アーティスト  槇原敬之
・作詞      槇原敬之
・作曲      槇原敬之
・編曲      槇原敬之
・リリース日   1994年8月25日
・発売元     ダブリュー・イー・エーレコード
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   86.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1994年9月5日〜10月24日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「男嫌い」主題歌

 うーん、あんまりいいことではないんだけど、最近、どーも、周り動きがキニナル。。
 何気なく書いた事が、いろいろとパクられているような・・・・。
まあ、被害妄想な部分なんだろうけどね。

 それと、時々、質問されるんだよね。仕事なにやってんだとか・・。
いや、ま、これが、前々から心許せる付き合いをしてるヒトならいざ知らず、ネット上だけで知り合った方に聞かれるとね。。
 まあ、言い方悪いけど、「大きなお世話」・・・なんて、ホンネの部分で思ったりして。。ふらふら

 キミはなんかの「SPY」かい? とか、思わず、思っちゃうわけですよ。



・・なーんて、ちょっと思ってたもんですから、今日の1曲セレクトも、マッキーの「SPY」なんぞ、引っ張ってきたりして。。ふらふら

 またもや、めっちゃ安易。。ふらふら

 槇原敬之の曲は、サウンドを聴くもんじゃなく、詞のストーリーを追うもんだわな。。
 
 まあ、この曲に限らず、だいたい、どの曲もそうなんだけど・・。

 詞を追って行って、面白いと思えるか、思えないか・・・って、このヒトの曲の好き嫌いが決まるんじゃないの?

 ・・・とか思ったりして・・。

 うん、このヒトほど、重箱の隅をつついたような、些細な出来事を、超大きく、「ウタ」の世界まで昇華できる才能に関しては、天才的なヒトは、居ないんじゃないか・・・と思うもの。

 いや、この「誇大広告」的な、うん、ホントの広告ならJAROに訴えられるような内容の詞を、面白いと感じるかどうか・・・なのよ。

 個人的には・・・。うーん、そうだな、やっぱり、曲によるな。


 でも、ヒットした曲・・・とっても、大体、ヒットしてるけど・・・うん、50万枚以上の大ヒットの曲だね・・・に関しては、総じて、面白いと思う。このヒトの曲の詞の内容は。

 うん、このヒトほど、売上げ枚数と、曲の内容の面白さが相関関係になっているヒトってあんまりいないんじゃないかしらね。

 そういう意味では、このヒトには、ウレてるヒトには、本来付いている、熱狂的な「固定ファン」って言うのは、あんまりいないんじゃないか・・・とか、思いたくなるね。
 
 いや、個人的には、いい傾向だと思うけどさ。 だけど、それにしては、このヒトも息が長いわな。そういう、固定ファンがあんまり付かないヒトっていうのは、総じて、ピークの息が短いもんなんだけど・・・。

 まあ、そういう意味では、根っからの音楽屋なんだろうな。


 さてさて、今回引っ張って来た「SPY」ですよ。 この曲は売上げ枚数86万枚もあったわけで、槇原としては、「売れた」部類の曲ですよ。

 まあ、ドラマの主題歌っていうタイアップもあったから・・・って所も強かったんだろうけどさ、でも、やっぱり、売れただけあって、詞の内容的には、まずまず、面白かったんでないのかな。

 彼女に男の気配があるんで、尾行したら、男と車の中でキスしてた・・。シャレになんないぜ、ベイベー

っていう内容なんだけどさ。簡単に書いちゃえば・・。 でも、まあ、日常的によくありそで、なさそな内容をいちいち、ウンウンと頷きながら、想像しちゃうところが、現実的で・・、だからいいんじゃない?

 まあ、今の時代、やっぱ、「等身大」を求められているからなぁ・・
・・ってか、もう21年前の曲か。。。

 サウンド的には、やっぱり、それほど目新しさはないんだけど、「二胡」をサンプリングしてるところが、なんとなく、違和感があって、面白い。

 なんで、「中国風」と「SPY」が結びつくんだか、よく、わかんないけどさ、凡人には。。。

 でも、そんな、意外性なところがいいんじゃない? 温度感的にも、今の時期らしい、雰囲気はあるし。

 まあ、このヒトの場合、詞、曲、アレンジと、トライアスロン的な事を、全部一人やっちゃうところがすごいんだけど・・・。
 





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どんなときも。 / 槇原敬之

1991_09_どんなときも_槇原敬之



今回の1曲セレクトは、「どんなときも。」槇原敬之です。

 まずはデータです。

・タイトル     どんなときも。
・アーティスト   槇原敬之
・作詞       槇原敬之
・作曲       槇原敬之
・編曲       槇原敬之
・リリース日    1991年6月10日
・発売元      ワーナー
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    170.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1991年7月21日〜11月4日付
・タイアップ:映画「就職戦線異状なし」主題歌

 ここ暫く90年代の曲を書く頻度が少なくなっているかなぁ。 まあ、個人的に思い入れのある曲が80年代に多いんで、必然的に80年の曲が多くなっちゃっているってのは拭えないんだけど、ここいらで90年代のビッグヒットを持ってきましょうかね。

 どんなときも。  /槇原敬之

 このヒトの出現は、ほんと突然でしたね。何の前触れもなく、いつの間にか現れ、いつの間にか、この曲「どんなときも。」が大ヒットしてた・・・っていう印象が強い。

 もちろん、音楽業界内では、早くから槇原の才能を認め、ブレイクを予期してたヒトはたくさんいたんだけど、当時、完全な、ユーザー側でしかなかったワタシたちにとっては、ほんとに、いつの間にか現れた才能って感じでしたね。

 個人的にも、最初聴いた時から、これは「すごい」と思ったのを覚えてるなぁ。
 あのさ、「売れる」って確信に近い予感・・・勘・・・みたいなもんかなぁ。

 同じ感覚は、あみん「待つわ」の時もそうだったし、後年、宇多田ヒカルの「Automatic」の時もそうだった。

 言葉ではなんて表したらいいのかよくわかんないんだけど、一瞬、頭の中を走る電流のようなゾクゾク感っていうのかな・・・うん、悪い意味でなくて、いい意味でのゾクゾク感。

 それが、この「どんなときも。」を初めて聴いた時の感想だなぁ。

 大衆心をくすぐるような完璧なメロディライン。一見シロートっぽいんだけど独特の甘い声。

 いったいどんなヒトなんだろう? ・・・っていうのが当時、まず考えたことだったな。

 兎に角、作詞、作曲、アレンジ うた・・・全て自分ひとりでやってしまう上に、こんなメロディアスな曲を書いてしまう、トライアスロン的にヒット曲を生み出す才能は、大したものだよね。正直、槇原と同い年のワタシは、昭和44年生まれとしてリスペクトを感じたりするんだよな。

 蛇足だけど、槇原と同じ大阪出身で、同じ昭和44年生まれなのが、橋下徹氏なんだけど、彼にも、違う意味でリスペクトを感じるんだけどさ。。。


 当時、槇原のCDジャケットは、この曲のようにイラストが使われていて、このヒトの顔を出してない。

 だから、初めて、このヒトの顔をTVで拝んだときは、正直、ビックリした。
 まあ、多くのヒトはそうだったろうけど、あの甘い声からは想像してなかった、「普通」のにいちゃんだったから・・・。

 天は二物を与える

って言葉があるけど、なかなか、そうそうはうまく行かないものだよな

・・・・ってその時思ったねぇ。

 まあ、それは、出してのワーナー側も重々承知だったんだろうね。だから、ワザワザ、ジャケットにイラストを使ってたわけだ。

 それと、槇原が幸運だったのは、この1991年は、「応援ソング」が一つのヒットパターンになってたこと。

 なにせ、KANの「愛は勝つ」という、応援ソングで年が明け、大事MANブラザーズバンドの「それが大事」という、究極の応援ソングでくれていった1991年という時代だったから・・・。

 そのちょうど中間期にあたるのが、この「どんなときも。」だったわけだ。


 それと、もう一つ幸運だったのは、ヒット曲のメロディ、リズムパターンがナチュラルだったこと。

 これは、よく、当時の世相から、カラオケブームで、カラオケで歌いやすいように作られていたから・・・という意味も含まれているけど、90年代の中では、唯一「空白」の時代だったということも言えるんだよね、1991年って。

 1989年ごろから始まったバンドブームは、1990年「イカ天」の終了とともに、まるで潮が引くようにさーっと廃れていった。

でも、1992年から攻勢が始まるビーイング系はまだ、大人しかった(B・Bクイーンズ、MI-KEを使ってしきりに実験はしていたが)

・・・という時代の空白域。それが1991年。

 個人的にはそんな印象もあるんだよね。

 時代がナチュラルだったからこそ、KANの素朴な応援ソングがヒットし、CHAGE&ASKAの「SAY YES」やASKAの「はじまりはいつも雨」のようなメロディアスな曲が流行ったんじゃないかな。

 しかも、流行がいろいろと平行していなかった・・・・。

 上記のようにイカ天寄りのロックバンドは弱体化し、アイドルは完全に、ニッチな世界の「オタク」の物になった。

 つまり、大衆はナチュラルだけを追いかけていたんだよね。
だから、そういう傾向の曲は大ヒットをし、プラス、巨大な浮動票はロングヒットを多く生んだ・・・。

 1991年2月、バブル突然の崩壊。。

 そんな世相が、応援ソングを支持し、目を覚ました多くのヒトたちが、それまでのバカ騒ぎを反省し、より自然体を求め始めた時代だったからかもしれない。

 歌は世につれ、世は歌につれ

って言葉があるけど、それが当てはまった最後の年。。それが1991年だったのかもな。

 そういう、時代に、まさにグッドタイミングで現れたのが槙原敬之だったんだろう。


 ただ、世の中はバブルが弾けたけど、この年のメガヒット続出のおかげで、逆に音楽界は、空前のバブルが始まった。
遅れて始まったバブル。それが音楽界だったんだよね。

 その影響で、1991年の暮れから、新たなムーブメントが現れ始め、多様化の時代の芽が出始める。
その芽が大きくなってくるのが翌年1992年だね。

 
ところで、チャートマニア的にみると、この曲は、兎に角「粘り」な曲だったよねぇ
オリコンチャートでは、1週、1位を獲得した後、7週連続2位。 1週おいてまたまた、3週連続2位。
計10週も2位を獲得なんて、凄いチャートアクション。
 これだけ2位が続いたんで、最高位は2位だろ・・・なんて錯覚しちゃったりするんだけど、上記のように1週だけ1位取ってたりするんで、りっぱな1位獲得曲ではあるんだよね。
 ちなみに7週連続2位の時の1位は、ずっとチャゲアスの「SAY YES」なんだけどさ。。。 なにせ、この曲13週連続1位なんて記録を作っちまったからな。
 つまり「どんなときも。」がずっと2位だった間7週連続で、チャート上、1位 2位はずっと不動だったと・・・今じゃ、逆立ちしても絶対にあり得ないチャートアクションだったよな。 これこそがザ・ヒットチャート。 だれが、この一角を崩すかってところが見物だったわけよ。

ちなみにちなみに、もしかして、これって連続2位のオリコン記録? と、お思いの御仁。上には上が居るんだよね。
 ちあきなおみ「喝采」が1972年11月20日〜1973年2月5日付まで11週連続2位。 いや、1973年1月8日付は2週合算集計なので、正確には12週連続2位・・・なんていうとんでもない記録を打ち立ててたりする。
 まあ、この時の1位が、件のぴんからトリオ「女のみち」で、これが16週連続1位なんてとんでもない記録を立てちゃってたからなぁ。
 
ヒットチャートの世界は奥深いわけなんだよね。 また、そういう記録が出るような時代になってほしいもんだけどねぇ。





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北風〜君に届きますように〜 / 槇原敬之

1991_12_北風_槇原敬之






今日の1曲セレクトは、「北風〜君に届きますように〜」槇原敬之です。

まずは、データでーす。

・タイトル    北風
・アーティスト  槇原敬之
・作詞      槇原敬之
・作曲      槇原敬之
・編曲       槇原敬之
・リリース日   1992年10月25日
・発売元     WEAミュージック
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   62.7万枚
・THE HIT CHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1992年11月9日〜1993年1月25日付


今年は、本当に寒い! 今日、普段、雪なんて滅多に降らないウチの方(千葉)でも、雪がチラついたですわ。
 12月に雪なんて、こっち住んで、もう23年になるけど、あんまり記憶にないんだよなぁ。

 ワタシは、風邪でダウンしとりましたが、医者行って、1日寝てたんで、だいぶ楽になりましたわ。
 皆様にご迷惑おかけしまして、失礼いたしました。

 昨夜がヤマでしたねぇ。今年の風邪は、鼻に来る・・って昨日もトピ立てたんだけど、その通りで、鼻づまりと、なにより、「タン」がひどくてねぇ。夜中にタンが絡んで、息苦しいし、のどは不快だし、それに伴う咳で、何度も目が覚めましたわ。
 今日、医者に行って、抗生物質とタン切りの薬もらって、のんだら、今になって、随分、楽になってきましたわ。

 などと、ワタシの風邪の報告の場ではない! わけで、ちやんと書きますね。

 えー、最初に戻って、今年の冬は寒い!!

・・・というこで、浮かんで引っ張ってきたのが、槙原敬之の「北風〜君に届きますように〜」というわけですわ。

 まあ、かなり、ベタっちゃ、ベタなセレクトなんだけど、やっと、このじきに、この曲のシチュエーションに合うような「冬」が来たなぁ。。。っていう事も同時に感じたんだよね。


 この曲のシチュエーションっていうか、風景は、最初の

♪ 小さなストーブじゃ、窓も曇らないような夜 毛布を鼻まであげて君の事考えるよ ♪


って部分に凝縮されていると思うんだよね。

 まあ、兎に角、寒い冬の夜 ってイメージでしょ。

 それが、このところずっと暖冬だったかんね〜。こんなシチュエーションの冬なんて、ずっとなかった気がするんだよね。
 この曲、がリリースされたのは1992年だけど、たしか、この年も冬は、そんなに強烈に寒いって訳ではなかったってきがするなぁ。
 少なくとも、この曲のシチュエーションとは、実際は、随分ズレてるなっていうのは、覚えてるんだよね。

 あとは、果たして、この曲のサビのように

♪ 北風がこの街に雪を降らす〜 ♪

になるかなぁ。なんか、今年は、東京でもそんな感じになりそうな気がするわ。
 京都とか、名古屋は、今日もこんな感じだった見たいだしね。

 ・・ってかんがえると、この曲、今年プッシュしたほうがよかったんとちゃうかなぁ・・とか思ったりしてね。

 だから、というわけではないかもしれないけど、この曲、当時のデータを見ると、オリコンで最高6位までしか行ってないのよ。

 この曲の前の「もう恋なんてしない」は、最高2位、セールスも140万枚近く行ってるのに比べたら、随分違うんだよね。
 どうも、槇原っていうヒトは、当時は、冬場には、パッとしないところがあって、この前の年の「冬がはじまるよ」もサッポロの「冬物語」のCMに使われながら、最高5位までしか行かなかったり、次の年の「雪に願いを」に至っては、ベストテンにも入らなかったり、ワタシと同じく、どうも、このヒトも「冬」って、「鬼門」のようだねぇ。

 年も同じだし、なんか、変なところにシンパシイを感じたりして・・・・(爆)


 しかし、槇原っていうヒトは、「ふられた方」とか「思いが伝わらない」って曲を書かせると右に出るもんないねぇ。
 結局、この曲もそういう曲な訳だわね。

 うーん、同じく昭和44年うまれ・・・。だから、昭和44年うまれって、今一つ、印象がジミなのかなぁ。。。とか、思ったりして・・・。

 でも、生まれたこの方、思ってるのは、昭和44年生まれって「おっとり系 ジミ系」なヒトが多い気がするのね。
 小学校〜高校まで、1つ上と、1つ下は、結構、活発で、頭切れる奴が多かったけど、ワタシの同級生には、ワタシ含めて、活発なヒトってあんまり、いないもんねぇ。

 おっとりしたヒトが多いって言うかね。


 やっぱし、生まれた年で、ヒトの性格性ってある程度、まとまったところってあるのかねぇ。。。。


 なんか、槙原氏の曲を聴くたび、いつも、そんな事を感じてしまう、ワタシですわ。


 最後に、気がつけば、もう、クリスマスシーズン真っ盛りなんだよねぇ。。。
 ・・ということで、明日から暫く、「クリスマスウイーク」っていうことで、私なりのクリスマス関係の曲をセレクトして行こうと思っています。

ワタシなりってところがミソね。
 えー、だから、ワタシの性格から言って、B'z「いつかのメリークリスマス」とか、ワムの「ラストクリスマス」とか、「現状」手垢がいっぱいな曲は、まず、とりあげない。。と思ってくだされ。

 ・・といいつつ、そういう気分になっている皆様、山下達郎の「クリスマスイブ」・・・・・これだけは、勘弁。




※2005年12月に書いたものの再掲載です。


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