かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

桜田淳子

気まぐれヴィーナス / 桜田淳子

1977_07_気まぐれヴィーナス_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「気まぐれヴィーナス」桜田淳子です。

まずはデータですよ。

・タイトル    気まぐれヴィーナス
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      阿久悠
・作曲      森田公一
・編曲      船山基紀
・リリース日   1977年5月15日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 7位
・売上げ枚数   21.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1977年6月13日〜6月20日付

個人的に、過去の「ヒット曲」を集めるのが好きで、高校生の頃からちまちまと、少しずつ音源を集めて来ているんだよね。かれこれ35年以上になりますかね。

まあ、35年やってると60年代以降現在までのヒット曲のクロニクルが出来てくるのよ。 
そんなヒット曲の変遷がわかるようなカセットの編集が昔から好きでさ。
新しい音源を買っちゃあ、ある程度溜まったら、カセットを作り直して・・・なんて、35年で何回やったかなぁ。。。

どうも、性格なのか、曲がキチンとヒットした順に並んでないと気が済まないんだよね。

だから、曲ごとにIDつけて、ノートに整理して、新たな音源買ったら、新たなIDつけて・・・整理して、カセットに録音して・・・なんて、大分やりましたね。

そもそも、お店の有線で、80年代チャンネルとか流れてることって結構あるじゃん。。80年代といってもヒット年はバラバラで流れるよね、普通。
例えば82年の曲の次に 86年の曲が来て、次が80年、次が85年の曲とかさ。
あれ、だめなのよ。ワシ。 なして、82年の次に86年の曲が来るんや・・・っていらいらしちゃたりして。。。 ちゃんとヒット順に並び替えたくなっちゃったりして。。。。

だから、時には数百曲並び替えて、音録り直して・・・なんてこともやってたな。
なんせ、アナログ作業だったからさ、2〜3日かかっちゃって、それに連休を全部潰す・・・なんてこともありましたねぇ

でも、今は、デジタル音源ファイルになったし、PCで整理できるから、だいぶ楽になりましたね。あの頃に比べると。
しかも、全楽曲の音源ファイルのアルバムタイトルタグを、例えば「ヒット曲」とかに統一してヒット順にIDをつけて管理すれば、1つのフォルダで60年代以降、現在までのヒット曲を、ヒット順で管理できる。
まあ、あくまで個人レベルだけども、ヒット曲の音源クロニクルデータベースですよ。

それでも、なんせ個人的に刺さった曲しか音源集めない悪い癖があるんでね。まだまだベストテンヒット全網羅するまでは程遠い。
やっと半分くらいですかね。。。80年代は大分集まったけども、70年代、90年代はまだかなり「抜け」がある。

音源を集めるといっても、サブスクの圧縮音源ぢゃだめで、あくまでCDクオリティ以上の非圧縮音源。加えて、極力「オリジナル」のシングルバージョン。リミックスとか別バージョンはダメなのよ。
サブスクの場合、リミックスとか、アルバムバージョンとかの別バージョンしかない曲が結構あるしな。結局、未だに頼るのはCDってなっちゃうんだよな。あるいはアナログレコード音源。
もっとも、リミックスとかアルバムバージョンの方が、シングルバージョンよりもいい曲もあるんで、最近はちょっと妥協してきたけど。。。

まあ、そんなわけで、未だに、ちまちまと少しずつ、過去のヒット曲の音源を集め続けているのよね。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな最近、集めた音源の中から一つ。

桜田淳子「気まぐれヴィーナス」。

なんかさ、「最近集めた音源」の1曲がこの曲っていうのも、もしかすると首傾げたくなる方もいらっしゃるかもな。
70年代アイドルのスーパースターの一人である淳子さんの曲なわけでさ。

ただねぇ、個人的に70年代アイドル、そうね、元中3トリオの中でも、百恵さんに比べると、引っかからなかったというが大きいんだろうな。 当時から。
ちなみに新御三家のなかでは、郷ひろみ氏にも、当時は引っかからなかった。
まあ、あくまで個人的な好みという点でだけど。

だからね、最近まで淳子さんの当時のヒット曲の音源って、個人的にあんまり持ってなかったのよ。

でも、時代によって好みも合わってきたわけだしね。当時はひっっから無くても今、改めて掘り返すと、しっくりと来る曲もあったりするわけで、最近、少しずつ淳子さんの音源も改めて集めだしてたりするわけですわ。

今考えると、1977年って、いわいる「歌謡ポップス」ってほとんど聴いてなかったんだよな。
ここでも何回も書いてるけど、個人的にあの頃は「ポールモーリア」に傾倒していたし、洋楽ヒットの方が刺さってた、やな「ませがき」でさあ。 
いわいる歌謡ポップスは一段見下していたのよ、今思うと。
まあ、いわいるアイドルを見下していたオヤジの影響も大きかったんだけどね。

だから、いわいる歌番組っていうのを、あの頃我が家ではほとんど見てなかったのよ。
「8時だよ全員集合」なんかでも、ウタになると、オヤジが、裏のナイターにチャンネル回しちゃってたからさ。

だから、正直言うと、あの頃のいわいる歌謡ポップスって、ほとんど聴いてなかった。

ま、おふくろがジュリーが好きだったし、個人的にはキャンディーズとか秀樹は好きだったから、その辺は聴いてたけどね。

あとはピンクレディーか。 当時から運動音痴で踊れなかったワタシは刺さんなかったんだけども、友達の渉君(ってだれだよ? )の影響で「強制的」に聴かされていたんで、一応、曲は知ってたわけなんだけどもね。。。

でも、淳子さんは、正直、蚊帳の外だったのよ。少なくとも私の周辺では。

そんな影響が多いんだろうな。


ただね、今、この「気まぐれヴィーナス」を改めて聴くと、当時、リアルタイムで聴いてたとして、果たして刺さったかどうか、ちょっと自信持てない。

うん、曲自体はいいと思うんだよね。いかにも夏向きのアクティブな、70年代アイドルの王道のようなポップスですわ。

たださ、サウンドとメロディラインがね。。。。 悪くないんだけど古臭いのよ。あの頃の他のアイドルポップスと比べても。

リバーブがほとんどない、奥行きがない平面的な音っていうのかなぁ。いかにも狭いスタジオに閉じこもっているような・・・。。
確かに、70年代前半の曲には、この手の奥行きがない平面的なサウンドの曲ってあったよね。 特に、コロムビアとかビクターさんなどの「老舗」レコードメーカーからリリースされた曲には。

・・・っていう音が、そのまま踏襲されているようなサウンド。

どう割り引いても、1977年という時代の、すくなくとも最先端な音ではないんだよね。

最初にかいた、自分のヒット曲クロニクルライブラリーで、あの頃のヒットを順に聴いてくると、1976年から1977年あたりかけて、特にアイドルポップスについてはサウンドががらりと変わってくるのが分かるのよ。
それだけ、当時のいわいる70年代アイドルポップスって日進月歩で成熟していたんだよね。

そんな70年代アイドルポップスが最高点に達するのは、1977年の年末から1978年初頭にかけて・・と個人的には思っているんだけどさ。

うん、77年末から78年前半にかけての、いわいるA級のアイドルポップスは、今聴いても難しい曲が多いだよね。

つまりね、この「気まぐれヴィーナス」がリリースされた頃の、他のアイドルポップスの、少なくとも最先端は、だいぶ先に進んでいた・・ようなイメージが強いのよ。

この曲がリリースされた、前年76年には「夏にご用心」、そのまた前年には「十七の夏」で、いずれも大ヒットを飛ばしていた、淳子さんだけに、これらの曲に近い路線で77年夏も大ヒットを・・・っていう狙いだったんだと思うんだけどねぇ。
時代は、それよりもはるか先に進んでいってた・・・ってわけなんだよね。

併せて、淳子さんの年齢的なところもあったんだろうな。
この年の春に高校を卒業し、19歳になってましたね、淳子さんも。

今でこそ、20代後半でも十分アイドルを張ってるのは、むしろ普通になったけども、当時を考えると、二十歳目前の19才ってビミョウな年齢だったわけですわ。

当時の世間的な目から20才を過ぎると、アイドルから大人の「歌手」に脱皮を強いられる・・・っていうのが普通だったわけで。

それは、百恵さんかせ、ちょうど同じころ「イミテイションゴールド」っていう、脱アイドルっぽい曲をリリースしてきたことからもうかがえる。

それに対して、淳子さんのこの曲は、まだ「アイドル然」としたところが強いからなぁ。

たしかに、「去年のブドウは酸っぱかったけども、今年は熟して甘いでしょ」っていう、いわいる大人の女性への脱皮を伺える歌詞がお織り込まれているわけだけども、如何せん曲がねぇ。。。。
正統派なアイドルポップスなんだよね。

太陽のような「陽」の存在。百万ドルの笑顔 

って言われた淳子さん。 たしかにアイドル真っ只中の年齢の頃は大きな武器だったんだけども、
逆に大人の女性への脱皮という年齢に差し掛かって来て、逆にどうもそれが、ある意味ネックになってきてたような気もするんだよね。

これは80年代の河合奈保子さんにも同じような印象があるんだけどさ。

その辺が影響してか、この曲、結局、オリコン最高7位。 売上げ21万枚止まりに終わってしまう。

ベストテンヒットではあるけども、前年の「夏にご用心」の36万枚(オリコン2位)、そのまた前年の「十七の夏」の40.5万枚(オリコン2位)に比べると、中ヒットだよね。


熱狂的な固定ファンは別にして、一般のユーザーの人たちはシヴィアーなんだよね。その辺は。

今は、固定ファンの分母数が、当時に比べると途轍もなくデカくなっているし、そもそも固定ファン以外はCD買わなくなっているんで、その辺りの見分けがなかなかつきにくくなったけども、当時は、売り上げ推移で、よく分かったわけなのよ、その辺りが。




・・・とはいうものの、やはり大人の女性への脱皮は必須ということで、この年の冬、「しあわせ芝居」の中島みゆき、次の年の「リップスティック」の筒美京平という新機軸で大人の女性への脱皮を図ることになる。

まあ、その時はその時で、売上げも回復し、この戦略は成功したかのように思えたけど、結局長続きしないまま尻つぼみになってしまったけども。。。。
これらの曲は一時のカンフル剤にはなったけども、あくまでカンフル剤だったわけだよね。

それだけ、当時としては、アイドルから 一人の大人の女性アーティストへの変化っていうのは難しかったってことですよね。

もっとも、淳子さん、その後は「女優」という新たなフィールドを開拓することになるんですが。。。


ちなみに、松田聖子さんが、福岡時代のオーディションで、この曲を歌ったのは有名な話ですわな。

その後、「歌まね振りまねスターに挑戦」で、事務所の大先輩である淳子さんの前で、この曲を歌ったりしてるけど。。。

↓ コレ





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This Is a Boogie / 桜田淳子

1981_09_This Is a Boogie_桜田淳子



今回の1曲セレクトは、「This Is a Boogie」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル    This Is a Boogie
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      実川俊
・作曲      小田裕一郎
・編曲      大村雅朗
・リリース日   1981年9月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 - 位
・売上げ枚数   - 万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 ランクインせず

テレビとヒット曲っていうのは、切っても切り離せない関係にあると思うんだよね。
人気のテレビの歌番組に出演すれば、ヒットは約束されたものと言っても過言ではないし。
いや逆か。。。。ヒット間違いなし、あるいはヒットチャートで上位に上昇してきているからテレビに出てるのか。。。。

まあ、昔は、ベストテン方式のうち番組も多かったですが、基本はプロデューサーが出演アーティストを選択する、キャスティング方式が基本だったわけで、その中からヒットが生まれるということもあったわけですわ。

でも、そんな感じで、テレビの歌番組に出演したから・・ということで、少なくともオリコン左ページ入りが高確率で約束されたのって、それほど遠い昔からと言うわけでもないようにも思えるんだよね。

昔は、歌番組にしょっちゅう出てたよね、っていう曲でも、全くヒットしなかった曲も、意外とあったわけでさ。

今回の1曲セレクトは、そんな、「しょっちゅうテレビで聴いたよな」だけど、全くヒットしなかった曲を一つ。


桜田淳子さんの「This Is a Boogie」。

この曲、覚えている方、どのくらいいるかなぁ。 

1981年9月にリリースされた、淳子さんとしては36枚目のシングル。

桜田淳子さんと言えば、スター誕生出身、中3トリオとしてスター街道をまっしぐらだった、70年代のトップアイドルですわ。

なので、よもや、オリコンの100位にも入らなった曲なんか無いだろう・・・と思いきや、この曲、オリコン100位内に入らなかったんですねぇ。

正確に言えば、 この曲以降、ベスト100に入らなくなった・・・と言った方がいいのかな。
(もっとも、2曲前の「玉ねぎむいたら」もベスト100入りしなかったけど)

さしもの淳子さんも、時代が70年代から80年代に変わり、息切れだったんだろうね。

でも、そんな風に思えるのは、後年、オリコンチャートブックなる本を購入して、淳子さんの売り上げ推移を見たからなんだよなぁ。

うん、この曲がリリースされた1981年秋から冬にかけて、この曲、テレビでやたらと聴いたんだよね。
あの頃は、秋になると各局で音楽祭が開かれてたけど、各局の音楽祭では、必ずこの曲が歌われてた記憶があるなぁ。 そもそも、この年1981年の第32回紅白歌合戦でも、この曲が歌われていたし。

ま、そういう大きな歌番組以外でも、よく聴いたのよ。

だから、個人的には、そこそこヒットしていたものと思っていたんだよね。

個人的に、この頃オリコンの存在を知ったんだけども、まだオリコンチャート自体は購入してなかったんで、後年、オリコンチャートを買うようになってから、この曲がベスト100にも入ってなかったことを知るんだけども、あの当時の歌番組への出演頻度を考えると、まさか・・・だったんだよねぇ。

逆に言えば、「出し手側」としたら、それだけ期待して、大々的にプロモーションをかけていたんだろうね。
ってことは今だったら、よくわかるな。

それだけ期待していたのにもかかわらず、大衆的には、刺さらなかった・・・ということなんだろうなぁ。

でも、考えてみれば、テレビではよく聴いたけど、ヒットしなかった曲って、この頃は、他にもあったよなぁ。 例えば、由紀さおりさんの「両国橋」とかさあ。。。

そのほか、個人的によく覚えているのは、もう少し後だけど、以前1曲セレクトでも書いた、佐東由梨さんの「どうして!?」ですね。

そもそも、紅白で歌えば、オリコンでの上昇は、ほぼ約束されたようなもん・・・。

・・・と思えたりするんだけども、それは、あくまでも80年代後半以降のことでさ、最初に書いたように、この1981年頃は、たとえ、紅白で大々的に露出されたとしても、レコード売り上げが動かなかった曲も、まだまだあったわけなんですよ。

あれだけ、大体的に露出していながら、(少なくとも)オリコンTOP100にも入らなかったのか、理由は、よくわかんないんだけどさあ。

この「This Is a Boogie」にしても、曲自体は、悪くなかったと思う。
淳子さんにしては、珍しい、4ビートのスウィングジャズ風。ビッグバンドがよく合うような。 ・・・・というか、シングルでは、この手の「50'S」以前のオールドジャズ的な曲は初めてだったかもしれないな。

作曲は、小田裕一郎氏。 アレンジは、大村雅朗氏という、もろ、松田聖子さんの「青い珊瑚礁」の布陣だけど、作曲の小田裕一郎氏がこの手のスウィング・ジャズっぽい曲を書くのも珍しいような感じがしましたね。

そもそも「青い珊瑚礁」とはえらい曲調が違うし・・・・。

あ、でも、後年だけど、トシちやんの「エル・オー・ヴイ・愛・N・G」にしてもノリはジャズっぽ方ったもんなぁ。この手も得意だったのかもしれない。

でも、ここまでスウィングした曲調になったのは、アレンジャーの大村雅朗氏の影響が大きかったんだろうな。

大村さんも、もともとブラスでサックスをやられた方なので、この手のスウィングした、ビッグバンド風のアレンジも得意だったろうし。。。

いや、もしかすると、小田氏と大村氏のコンビで「青い珊瑚礁」の成功があったんで、きっと、この曲もヒットするだろう・・ってことで、あの当時、大々的にプロモーションを打ったのかなぁ。。。

淳子さんも、松田聖子さんも、同じサンミュージックだったし。。。。

まあ、あくまでもうがった見方での想像ですが。。。。


当時12歳だったワタシも、まだ、この手のスウィング・ジャズに触れたことなかったこともあったんで、最初は変な曲なんて思ってたんだけどさ。

兎も角、テレビでやたらと流れていたんで、自然と消化されてはいたんだよね。

その後、個人的にブラスをやったりして、スウィングの曲もやったりしたわけで、そういうフィルターを通してみると、この曲がよく面白く感じたりしてね。 だからさ、この曲をきちんと理解できたのは、後年ですけどね。





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リップスティック / 桜田淳子

1978_07_リップスティック_桜田淳子


今回の1曲セレクトは「リップスティック」桜田淳子です。

まずはデータでする。

・タイトル    リップスティック
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      筒美京平
・リリース日   1978年6月5日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数  19.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1978年6月19日〜7月24日付

後付けで知った曲。 こういう曲も数限りなくあるわけなんですよね。
私の場合、リアルタイムでヒット曲を聴き始めたのが、1978年9月頃だったかなぁ。 実際的には1978年11月2日に初めて「ザ・ベストテン」を見始めて以降っていうのが、より正しいんだけど。
うん、この場合、「意識して」ヒット曲を聴き始めたのっていった方が正しいかもしれん。 
もちろん、それ以前にも、なんとなく聴いてた曲もあるわけなんでね。
特にこれらの端境期にあたる1978年っていう年は、意識してヒット曲を聴き始めては無くても、なんとなく聴いてた曲も多いんだよね。
 反面後年まで全く知らなかった曲も多かったりして。。。  今回はそんな曲を一つ。

桜田淳子 「リップスティック」

いや、そう書くと結構意外がられますかね。

桜田淳子さんの1978年リリース曲の中では、代表曲と言ってもいいですし、ヒット曲評論家の間でも「受け」がいいこの曲なんでね。
でも、私は耳にしてなかったんだよなぁ。理由はよくわかんない。
まだ、積極的にヒット曲を聴いてなかった時期ではあるものの、この前曲の「追いかけてヨコハマ」は、リアルタイムで知ってたんだけどね。

もちろん、歴代の「ザ・ベストテン」のランクイン曲の一つとして知ってはいたけどさ。あくまで「知識」と知っていたまでで、曲は後年まで聴いたことなかった。。 というか、ずっと忘れてたと言った方がいいかもしれん。

再び、この曲を意識しだしたのは、1995年に刊行された「歌謡曲完全攻略ガイド」で取り上げられたのを読んでからですね。

それでも、それから実際に曲を耳にするまで、さらに何年もかかったんだけどさ

曲を実際耳にしたの、実は、いまから数年前なんですわ。。。

実際曲を聴いてみて、「歌謡曲完全攻略ガイド」で読んだ印象とは大分違ったんたんだよね。それでがっかりしたような何とも言えない気分になったりして。

「歌謡曲完全攻略ガイド」を読む限りではもっとポップでスピード感があるようなイメージを持ってたんだよな。
Aメロ前の 例の ♪フッフッ♪ っていうコーラスも「歌謡曲完全攻略ガイド」を読む限りでは、もっとスビート感があるのかと思ってたんで、実際に曲を聴いてちょっと拍子抜けだったんだよな。

ただ、一番感じたのは、それまで感じていた1978年の「初夏」っていうイメージとちょっと違うなってところかなぁ。

これまで自分で所有していた音源から感じる1978年初夏って、もっとロックなイメージが強いんだよね。といっても、汗臭いロックというよりは、ポップスよりのさわやかなロックっていうのかなぁ。
いかにも初夏を思い浮かばせる緑が、このころのイメージカラーなんだよね、個人的な中では。

でもねこの曲は、ちょっとこのイメージカラーからは離れてるかなぁ・・・っていうのが真っ先に感じたところでさ。

そうだ、この曲はポップスというよりも「ソウル」なんだよね。といっても、「ソウルドラキュラ」のような重くてジメっとしたソウルではなく、ディスコっぽいダンスナンバー寄りのソウル。
スリーディグリーズの「ソウルトレイン」とか、あの類に近いよね。
そういえば、スリーディグリーズといえば「にがい涙」とか、浅野ゆう子さんの「セクシー・バス・ストップ」って筒美氏が手掛けたわけで、この手のディスコ寄りのソウルナンバーって得意なんだよね。

で、いずれの曲も、なんていうのかなぁ、ヒューミディティ的っていうのかなぁ、どことなく、湿度を感じるサウンドだったりしてね。
っていっても、なかなか伝わらないかなぁ・・・。 そうね、昨日今日の関東地方の天気のような「蒸し暑さ」っていうのかなぁ。 そんな温度感を感じたりして。

この「リップスティック」にしてもそうだなぁ。

この湿度感は、筒美氏のアレンジ特有なサウンドなんだよなぁ。 良く筒美氏のアレンジはバタ臭いっていわれたりするけど、個人的にこの言い方はなんかちょっと違うなって思えたりしてたんだけどさ。そそそ、ヒューミディティ的なんだよね。

恐らく、筒美氏が自らのアレンジする際、 特にソウルナンバーの時のややしつこいくらいの「ストリングス」の使い方から湿度感を感じるのかなとも思ったりするんだけどさ。

ただ、同じ筒美氏でも、太田裕美さんの「九月の雨」や、ジュディ・オングさんの「魅せられて」で聴かせてくれるような、いわいるポールモーリアサウンドの場合は、ソフィケートされた清涼感のあるストリングスを聴かせてくれたり。
曲調によって、全く違うストリングの使い方を魅せるっていうのも筒美氏の特徴だし、そういう使い分けができるっていうのも筒美氏サウンド幅の広さなんだよね。

もっとも、筒美氏自らアレンジをほとんどしなくなった80年代以降は、なかなかこのサウンドを聴く機会も少なくなるんだけども。

ただ、この「リップスティック」の場合、そうは言っても、件のコーラスにしても清涼感があるし、なんと言ってもサビとは全く異なるスローなイントロは蒸し暑さどころか、秋風を感じさせたりして、夏の汗臭さを払拭させていますね。
さすがに、当時トップアイドルであった淳子さんに、そこまで汗臭さを感じる曲はマズいっていう配慮なんでしょうかね。



それにしても「ベストテン」落ちは突然にやってくるなんて言いたくなるくらい、まさか、この曲が淳子さんにとって最後のオリコンベストテン入りなんて、よもや思わなかったんじゃないのかなぁ。

たしかに、20才を迎え、当時アイドルから大人のシンガーに脱皮する途中だったんだろうっていうのは、今になってみればよく分かんだよね。
 少なくとも、この曲のちょうど1年前にリリースした「気まぐれヴィーナス」と比べても、ぐっと大人っぽい曲調だしさこの曲は。

ただ、そんなアイドルから大人への脱皮っていう変化は、このヒトの場合は受け入れられにくかったんだろうね。
それだけ、このヒトの場合は根っからの太陽のようなアイドル気質だったんだろうし、永遠のアイドルをみんな望んでたんだろうな。
そこが陰と陽といわれ「菩薩」だった山口百恵さんとは違ったというわけで。。。



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ねぇ!気がついてよ / 桜田淳子

1976_09_ねぇ!気がついてよ_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「ねぇ!気がついてよ 」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     ねぇ!気がついてよ
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       阿久悠
・作曲       大野克夫
・編曲       大野克夫
・リリース日    1976年8月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   28.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1976年9月6日〜10月25日付


久々に3日連荘の1曲セレクトです。
こんな書き方すると、なんか偶然に3日連続で書いてるような感じもするけど、結構、計画的だったりしてね。
そそそ、ちょっと前から、今回の3連休は3日連続で書こうか・・・なんて思ってたんだよね。
ま、最近、書く曲数も少なくなってきてるからなぁ。 休みの日くらいは書きたいしね。

ただ、昨日の石川秀美さん、その前の安室奈美恵さんは、この日にこの曲を書こうとは考えてなかったんだけどね。その日その日の雰囲気ですね。 まあ何でも「計画的」に・・・っていうのはニガテなんでね、子供の頃から。

よく、夏休みの宿題は、夏休み最終日にやる・・・っていうヒトいるじゃん。 あれ典型的だったからさ、ワタシ。
毎日日記をつける事・・っていう宿題なんて、8月20日にまとめて1ヶ月分書いてたもん。 
そそそ、小学校まで福島のいわきだったんだけども、夏休みは8月20日までだったんだよな当時は。関東よりも10日ほど短かったんだよ。

小学校4年の時なんて、もう絶対に終わんない・・・って、最後は開き直って宿題やんなかったりしてさ。
今日1日苦しむより、明日、学校で怒られて廊下に立たされた方が良いや・・・とか。 
変な性格なのよ。

兎に角、行き当たりばったりな性格なんだわ。 計画的にやんなくても人生なんとかなるさ〜な精神っちゅうの 
「アリとキリギリス」だったら、完璧な「キリギリス」な性格ってやつでさ。

これは未だに変わらない。 仕事でも計画的に進めるのが超苦手。 サラリーマンにゃ向いて無い性格ですね。


あー、話が脱線した〜。

でね、今回の桜田淳子さんの「ねぇ!気がついてよ」だけは、前々から書こうと思ってたんだよね。

この曲は、今から42年前、1976年のちょうど、今頃のヒット曲ですわ。

42年前  ワタシゃ7才、小学1年生。 

当然、リアルタイムでは聴いて無い。 っちゅうか、ヒット曲の世界に足を踏み入れてない頃だな。

でも意外な事に洋楽は聴いてたんだよなぁ、この頃。 ここでは何回も書いてるように、ポールモーリアに傾倒してたマセガキだったからさぁ。
オヤジの車のカーステがまだ「8トラック」の頃ですね。ポールモーリアの「グレイテストヒッツ」と、この当時の洋楽ヒットのテープがいつも積んであってさ。 当時、オヤジが仕事終わりに車で行きつけの喫茶店へ毎日のように通ってんだけど、いつも「やべ(行こう)」って連れてかれては、8トラテープを聴いてたからさあ。

この当時、ワタシが邦楽ヒットを聴いて無かったのも、オヤジの影響なんだろうな。兎に角、歌謡曲がキライなヒトだったからさ。テレビもウタ番組になると、チャンネル変えちゃうような。

ぢゃ、そんな頃のこの曲をなんで知ってるの?

まあ、自分がヒット曲にのめりこんだ後付っちゃ、後付なんだけどもね。 結構意外なところから知ったんだよな。

マイナーチューニング・バンドの「ソウルこれっきりですか」

これ知ってるヒトいる? ってか、40万枚以上の大ヒットになったから、当時のヒット曲を聴いてた方なら大抵覚えてますよね。

↓ これ

  
これ1976年のヒット曲をメドレーでつないだだけの曲なんだよね。 もちろん歌ってるのはそれぞれのオリジナルじゃないんだけどさ。
この中に、桜田淳子さんの「ねぇ!気がついてよ」も含まれているんだよね。
じつは、これで知ったんだよな。大学生の頃だったと思うけど。

「ねぇ!気がついてよ」って言うタイトルは、それ以前からオリコンの「チャートブック」で知ってたし、その前に自分で当時のランキングも作ってたから、桜田淳子さんの曲って事も知ってた。

でも、実際にメロディラインを聴いてみると、「ソウルこれっきりですか」で使われてるサビのメロディが、めっちゃキャッチーだったんでさ、全部聴いてみたい・・・っちゅうことで、音源を手に入れたんだよ。

たださ、実際にオリジナルの桜田淳子さんを聴いてみると、ちょっと印象が違ったんだよなぁ。

確かに、サビの部分は、初聴でも思わず刺さっちゃうようなキャッチーなんだけどさ。 続く、Aメロ、Bメロは、今一つ退屈なんだよなぁ。

そそそ、この曲は、メロディの始まりがいきなりサビっていう、いわいる「前サビ」なメロディ構成なんだよ。

だから、イントロににつづいて、ついつい食いついちゃったりするんだけど、その後が続かない・・っていうかさ、キャッチーのサビと、そのあとのAメロ、Bメロが上手く結び付かないんだよな。 

とりあえず、AメロとBメロをつけました・・・っていう感じもしたりしてさ。

あれ? これって、いつかも全く同じ事を書いた事があるな・・・。

そうそう、斉藤哲夫氏の「いまのキミはピカピカに光って」だわ。 あの曲も、例のCMで使われているサビがまずあって、その後にBメロが続くんだけど、CM部分のサビは超キャッチーだけど、Bメロになると途端にツマンなくなるんだよね。

結局は、CMありきの曲で、その後はむりくりつけ足したメロディって、あの時は書いたんだけども、それと同じような印象をこの曲でも感じたなぁ。

いや、この当時の曲って、意外とこういう感じの曲が多いような気がする。 サビはめっちゃキャッチーなんだけども、Aメロ、Bメロになるとツマン無くなっちゃうような曲。

この当時のヒット曲のフォーマットといっちゃえば、それまでなんだろうけど、その点が、80年代ポップスと大きな違いなんだよね、70年代ポップスの曲って。 なんて言うのかなぁ、1曲のうちの印象の落差があるっちゅうのかなぁ。

ちなみに、この曲、作詞 阿久悠氏 作曲 大野克夫氏 ・・・っちゅう、当時の沢田研二氏な面々なんだよね。




やっぱ、桜田淳子さんは、「メジャー」系の明るい曲に限りますわな。
陽の淳子と陰の百恵。 この曲の頃もそんな構図が浮き彫りになったんじゃないかなぁ。 
桜田淳子さんがこの曲を歌っているウラで、百恵さんは「横須賀ストーリー」でしたからねぇ。

ただ、メジャー系の曲は、裏返せば「コドモ」っぽくも聴こえる訳で、百恵さんが「菩薩」としてこの後、大スターの道を突き進むことになるわけだけど、淳子さんは頭打ち状態になっちゃいましたからね。
この曲ではオリコン2位まで行ったけど、これが最後のオリコン2位だったんだよね。 ここからは人気も下降線気味になって行く訳なんですわ。



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わたしの青い鳥 / 桜田淳子

1973_09_わたしの青い鳥_桜田淳子


今回の1曲セレクトは「わたしの青い鳥」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     わたしの青い鳥
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       阿久悠
・作曲       中村泰士
・編曲       高田弘
・リリース日    1973年8月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 18位
・売上げ枚数   15.9万枚

えー、前回は山口百恵さんの「最初期」のヒットということで、デビュー第2弾の「青い果実」を持ってきたんだけど、そこでも「対比」として桜田淳子さんを書いたんで、今回の1曲セレクトは、そこをちゃんと書かないと行けないよなぁ・・・。

・・・っちゅうことで、またまた1973年(昭和48年)の今頃のヒットです。 

曲はモチロン、桜田淳子さんの「わたしの青い鳥」ですね。 そそそ、先週書いた「青い果実」とこの曲は、「同時期」だったんですよね、ヒットしたのが。

個人的には、この「わたしの青い鳥」の方が先・・・だとばっか思っていたんですよねぇ。 ・・・というか、この曲がデビュー曲だと思ってたもの、昔は。

実際は、デビュー第3弾シングルなんですよねぇ、この曲は。

やっぱり、最初期の桜田淳子さんといえば、この曲だったんですよね、イメージが。

だってさ、当時4才だったワタシでさえ、この曲は知ってたもの。 うん山口百恵さんの「青い果実」はずっと後だったけどさ、知ったのは。

そのくらい、当時、テレビで流れてたのかしらん  うーむ、その辺、確実に分からないのがちょっと悔しいところなんだけど。

個人的に、この曲を知ったは、恐らく・・・だけど、日本テレビの「おはようこどもショー」だった・・・・んじゃないかなぁ。

今の40代後半、50代の方には懐かしいですよねぇ、ロバくんが出てた(着ぐるみの「中身」は愛川欽也さんでしたよね)、こども番組。 
そそそ、ウラのフジテレビでは「ピンポンパン」をやってたっけ。 こども番組多かったんだよね当時は。
まあ、それだけ、こどもの数が多かったって事なんだろうけど・・・。

あの番組、こども番組だったけど、週末は、「こどものどじまん」とかやってましたよね

あれで、この曲、よく歌われてたのを覚えてるんだよなぁ。 それで覚えちゃったんですよ、この曲。
この曲とか、伊藤咲子さんの「ひまわり娘」とか、小坂明子さんの「あなた」。 この3曲は、よく歌われていたのが、なんか妙に記憶に残ってたりするんだよね。

まあ、それだけ、ちびっこにも人気だったんでしょうね、デビュー当時の桜田淳子さんは。

先週も書いたけど、正統派中の正統派でしたもんね。70年代アイドルの最優等生にも言われてたもんなぁ。

そう事もありーの、この年1973年の各音楽祭の最優秀新人賞は、当然のごとく、桜田淳子さんの一人勝ちって感じだったもんなぁ。

かく音楽祭でもこの「わたしの青い鳥」が歌われていたし・・・、だからね、当然のようにこの曲、ベストテン入りのそれなりの大ヒットだったんだろうな・・・・。

なんて思ってたんだけどさぁ・・・。 オリコンで「チャートブック」が発売されるまでは。。

でも、実際は、この曲ベストテン入りしてないんだよね。 最高18位。
初めて、この事実を知った時は、「えっ」って言う感じだったなぁ。 しかも、売り上げも16万枚弱でしょ。 これも意外だったんだよね。

当時、テレビから頻繁に流れていたっていう感覚から、それなりの大ヒットだった・・・っていう印象があったからさあ。

まあ、当時の感覚・・・と言っても、まだ物心が付き切っていない頃の感覚だからさあ、あてにならないっちゃ当てにならないんだけど。。。




曲については、何も言う事はないんだよなぁ・・・。
まあ、当時を知ってる方だったら、みなさん知ってるだろうしなぁ、この曲は・・・っちゅうくらい有名な曲だもんね。

ただね、今聴くと、やっぱオーソドックスだったかなぁ・・・とも思えるんだよね。

いや、あの当時は、このオーソドックスさが良かったんだけどさ、でもちょっと当たり前だったかなぁ・・って事は今聴くと感じたりするんだよな。

例えば、先週書いた、山口百恵さんの「青い果実」は、刺激的だったわけじゃん歌詞がさ。 そこが良かったんだよね。 革新的というかさ、それまでのタブーを破った曲だった訳だから。

そこから比べると、この曲は平和なんだよね。保守的・・・って言っちゃ言いすぎかもしれないけど、めちゃくちゃ安心感があるじゃん。

蛇足だけど、この曲の作曲は、中村泰士氏なんだよねぇ。 あのひげ面の中村氏が、この曲を書いたっていうのも、ちょっと想像もつかないんだけどさ 

まあ、そんな曲調の違いはあったかなぁ。 その辺は、老舗のビクターに対して、後発のCBSソニーって言う違い、それぞれのレコード会社の考え方の違いもあったんだろうね。

ただ、その後、革新路線を行った、百恵さんが時代の寵児となり、保守路線だった淳子さんが、意外と伸び悩んだっていうのは、この曲の時点からすると時代のいたずらって感じだったのかな。

でも、兎に角、明るさが売りだった淳子さんは、この路線で行くしかなかったんだろうな。


どーでもいいことだけど、ジャケ写に描いてある「青い鳥」は、「twitter」のマークにも通じるところがあったりして。。。。



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黄色いリボン / 桜田淳子

1974_06_黄色いリボン_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「黄色いリボン」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル    黄色いリボン
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      阿久悠
・作曲      森田公一
・編曲      森田公一
・リリース日   1974年5月25日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 10位
・売上げ枚数 16.5万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年6月17日〜6月24日付

今年の梅雨は、ここまで「空梅雨」気味な関東地方でしたが、今日は一転、昼過ぎからシトシト雨な日曜日でしたわ。
そんな天気なんで、本来なら「雨」な曲を持ってきた方が良かったかもしれないけど、昨日、気持ちいい休みの日を考えて、曲を決めちゃってたんで、この曲をそのまま持ってきちゃいます。

桜田淳子「黄色いリボン」。

この曲、気持ちいいんだよなぁ。初期の桜田淳子さんの曲の中では、個人的には一番好きかな。
もちろん、超有名な「わたしの青い鳥」もいいんだけど、何分「手垢」がかなり付いてるからなぁ。それに比べて、この曲は、今となっては「死角」に入っている感じもするからさあ。

本来なら、この年初めての紅白出演で歌ったこの曲なんで、広がりを見せていてもいいんだろうけどさ。

今となっては死角に入ったような印象を受けるのは、この曲の売り上げに関係しているのかもな。
オリコンではベストテン入りしたものの10位ギリギリ。 売り上げも16万枚強でしたからねぇ。

80年代アイドルだったら、堀ちえみ、石川秀美クラスのヒット・・・と言う訳ですわ。
B級とは言えないでも、必ずしもA級とも言えない・・・その程度のヒット規模ですわな。
・・とすれば、今となっては死角に入ってしまっていてもしょうがないか・・・っていう気分にもなってきたりするんだけど。。

でもね、桜田淳子さんのこの頃までの初期の売り上げ推移をみると、こんな感じが続いていたんだよね。
10万枚後半程度。
前年73年の新人賞を悉く受賞し、新人女王って言うイメージ、プラスして例の、山口百恵さん、森昌子さんとの「中3トリオ」っていうネーミングまであった訳だから、さぞかし売り上げも高かったんだろう・・・っていうイメージもあるんだけどさ。実際的には、そんな状況だったんですわ。

そんな状況に風穴を開けたのが、この曲がリリースされたちょっと後にリリースされた、百恵さんの「ひと夏の経験」であり、淳子さんとしては、この半年後の「はじめての出来事」で初のオリコン1位を獲得となったことで、両者とも事実上の「本格ブレイク」となってからですよね。本当の意味でのスターダムを駆け上がったのは。

そんなこともありーの、この「黄色いリボン」って曲は、まだ本格ブレイク前の「純粋」な淳子さんが見れる最後の方の1曲なんじゃないのかなぁ。

ま、兎も角、曲は一片の曇りもない、本当に純粋かつポップな1曲だよなぁ。 本当なら、昨日までのようなカラッとした晴天下で聴くと気持ちいい曲なんだけどね。
個人的には、後年で言う「ハネ」系なイントロと、Aメロのメロディラインにはちょっと驚いたんだけどさ。
それにしても底抜けに明るいキャラクターを売りにしていた初期の淳子さんにはピッタリの曲だったと思うわな。
 今聴くと70年代でもちょっと古臭い、70年代前半の象徴のような曲が多い森田公一氏の作曲、アレンジにしては、他には見られない「新鮮さ」を感じたりしてね。 いや、だからこそ、この曲に引っかかったんだろうな。

この曲がリリースされた74年、ヒット曲界を見ると超大ヒットな演歌・歌謡曲が多かった年でもあり、歌謡曲全盛期と言える訳だけど、70年代も中盤に差し掛かり、ポップスに関しては少しずつ新たな試みが始まって来ていたんだよな。

ただ、Bメロ以降は、やっぱりちょっと古臭いよなぁ。この曲がリリースされた74年って言う時代にしても、それよりも1〜2年前のような・・・。お馴染みの安心感といえばそうかもしれないけど、Aメロほどの新鮮さは感じないんだよな。 そこがちょっと惜しいっちゃ、惜しいんだけどさ。




たださ、タイトルの「黄色いリボン」っちゅうのは、ドーンの「幸せの黄色いリボン」(Tie a Yellow Ribbon Round the Ole Oak Tree)のパクリだよね、ちゅうのはあからさまだよな・・・って感じもするけどさ
ちょっとハネ系で無条件に明るい曲想も、「幸せの黄色いリボン」に似てるっちゃ似てるしな。

まあ、穿った考えをせずに、もっと素直に聴けばいいんだけどさ。。



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追いかけてヨコハマ / 桜田淳子

  1978_03_追いかけてヨコハマ_桜田淳子


今回の1曲セレクトは、「追いかけてヨコハマ」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     追いかけてヨコハマ
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       中島みゆき
・作曲       中島みゆき
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年2月25日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   16.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月20日〜4月3日付

それぞれのアーティストにはターニングポイントってあるんだよなぁ。
特にビックヒットを連発していた、いわいるトップアーティストになればなるほど、そのターニングポイントっていうのは顕著になってくるんじゃないかなぁ。
あれがあったからトップアーティストにブレイクした。逆に、あれを境にヒットから遠ざかった・・って言う境ですね。

要因としては、特によく見られるのが時代との折り合いですよね。 楽曲が時代と折り合わなくなったとかさ。それと、単純にアーティストパワーが弱くなってきたっていうのかな。 まあ、この2点が複合的に絡み合うっていところが一番多いかもしれない。

ヒット曲クロニクルの時代的なターニングポイントとして、振り返ってみると、その一つとして1978年って言うのがある。
 70年代アイドル時代の終焉と、反面、ニューミュージックの台頭って言う時代の流れですね。 その中間的な役割として「ザ・ベストテン」があったもするんだけどさ。

今回は、そんな1978年がターニングポイントとなった方の曲をひとつ。

桜田淳子「追いかけてヨコハマ」。

この曲覚えてる方、いらっしゃいますかぁ〜。 いや、あの時代を知ってる方は、まだ、知ってらっしゃる方も多いかな。

この曲の前が、「しあわせ芝居」っていう中島みゆき、作詞作曲で話題になった曲。 それまで暫く「中だるみ」的な売り上げとなっていた、桜田淳子さんだけど、この「しあわせ芝居」で、再び息を吹き返した・・・という。

で、今回の「追いかけてヨコハマ」それにつづく、中島みゆきさん作詞作曲の第二弾シングルですね。

でもですね、約36.5万枚の売り上げを記録し、オリコンで3位まで行った「しあわせ芝居」に対して、この「追いかけてヨコハマ」は、売り上げ16.4万枚。オリコンではベストテン入りも逃す・・・という、トップアイドルの座について以後、初めてと言ってもいいほどの低レベルの売り上げに終わってしまう。

まあ、要するに「柳の下にドジョウは2匹」居なかった・・・って事になる訳なんだけどもね。

だけんども、なぜに、急にこれだけ売り上げが下がったのか・・・って言うのもあるんだよね。

なにせ、前作からいきなり半分以下の売り上げ。 それだけでなく、オリコンではベストテン入りも出来なかった・・・と。

ま、そこが最初に書いたような時代の流れ、時代のターニングポイントだったんじゃないか・・・そんな風に感じる訳なんだよね。

同じような傾向にあったトップアイドルが、もう一人。 そそそ野口五郎氏もそうなんだよな。

まあ、桜田淳子さんも、野口五郎氏も、オリコンは別として、「ザ・ベストテン」では、78年中はベストテン入りしてたし、野口五郎氏なんかは、78年秋に「グッドラック」のヒットで息を吹き返したように思えたんで、あの時点では、それほどのダメージは感じなかったかもしれない。

でもさ、今振り返ってみると、それ以前、数年の「全盛期」に比べると、確実に売り上げは下がってきてたからなぁ。
その傾向が富に現れたのが78年なんだよね。

特に桜田淳子さんは、この「追いかけてヨコハマ」を皮切りに、次の「リップスティスック」でぎりぎり、オリコン10位に食い込んだものの、それが「最後」のベストテン入りとなってしまう。
明らかなアーティストパワーダウン・・・そう言う傾向の時期だったんですよね。


まあ、上で再三書いたように時代の流れとアーティストパワーというのは大きな要因ではあるんだけども、曲調の変化っていうのも大きかったんじゃないかなぁ。

この「追いかけてヨコハマ」って曲。 今聴くと、ほぼ「歌謡曲」なんだよね。前年まで見られた「ポップス」的な曲調とは明らかに違う。

ま、その過渡期となった、前曲の「しあわせ芝居」もそれまでの曲調とは違った。 けど、この曲はそれまでのアイドルには無かったような曲調が新鮮だったんだよね。
 メロディラインがクラシック的でさ。 いや伝統的なクラシックというよりは、イージーリスニング的というかね。そんなメロディラインが新鮮だった。それに加えて中島みゆきさんがアイドルに曲提供したっていう話題性も加わったしね。 

でも、この「追いかけてヨコハマ」って言う曲は、おなじ中島みゆきさんの曲でも、それほど新鮮味がないんだよね。もろ歌謡曲的。
 時代は歌謡曲からニューミュージックへ・・・っていう曲調の変革期。いかにそれまで無かったような新しい楽曲が出てくるか・・・って言う期待があった中、時代を逆行して行ったかのような感じが強いんだよな、今聴いても。
そそそ、78年の曲と言うよりは、75年くらいの匂いがするんだよね。

当時、桜田淳子さんはまだ19才だったはずなんだけど、それにしては大人びた・・・いや、老けた感じの曲だよな・・・って言う印象も拭えなかったりもしてさ。

まあ、それらの要因が色々と絡み合っての売り上げだったんだろうな。

ただね、色々と書いたけど、個人的には、意外とこの曲印象に残ってたりするんだよね。 
当時、まだ、ヒット曲の世界には足を踏み入れてなかったワタシだけど、この曲は覚えてたりしたもんな。
むしろ、この曲の次の最後のオリコンベストテン入りとなった「リップスティック」の方が印象に無い。

本来なら、松本隆−筒美京平っていう、個人的に大好物路線である「リップスティック」の方が印象に残りやすそうに思えるんだけどね。

やっぱ、中島みゆきさんの曲っていうのは、時代性を超えたアクの強さっていうのがあるんだろうな。 だから、それが洋楽的だろうと、歌謡曲的だろうとアクの強さで印象に残ってしまう・・・と。

そんな所を感じさせる1曲だったりしてね。



ちなみに、この曲と全く同時期にヒットしていたのが、木之内みどりさんの「横浜いれぶん」。
奇しくも、同じ「横浜」を舞台にしたヒット曲だったしたけど、印象としては、やっぱこの「追いかけてヨコハマ」がひとつ上だったかな。

それにしても、この後も「横浜」を舞台にしたヒット曲って多いよね。
「歌謡曲」っていう音楽のイメージが、横浜と合うんだろうねぇ。
どこか異国情緒を感じる趣と、日本的な趣が交差する街って言う雰囲気が差。 
歌謡曲も、向こうの音楽の官能的な部分と、日本情緒が交差した音楽だからさ。そんな異種交流的な雰囲気がシンクロするんだろうな。


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はじめての出来事 / 桜田淳子

1975_01_はじめての出来事_桜田淳子 








今回の1曲セレクトは、「はじめての出来事」桜田淳子です。

まずはデータです。

・タイトル     はじめての出来事
・アーティスト   桜田淳子
・作詞       阿久悠
・作曲       森田公一
・編曲       竜崎孝路
・リリース日    1974年12月5日
・発売元      ビクター
・オリコン最高位 1位
・売り上げ枚数   52.7万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年12月16日〜2月24日付

 アイドルにはライバルが付き物ですよねぇ。 ワタシらの世代だと、松田聖子vs河合奈保子、田原俊彦vs近藤真彦 etc、当時の月刊「明星」とかでライバル企画、あったじゃん。
 それが、もうちょっと時代を遡ると、山口百恵vs桜田淳子 etcだった訳ですよね。

たださ、実際のヒット曲と言うところで、ランキング的にはどうだったかと言うと、こんな感じでライバルって言われる関係では、片方は「強力」な売り上げだったのに対して、片方は、ライバルと言われるほど売れてなかったりするんだよなぁ。 まあ「実売」というデータ上に於いては・・・って言うところだけど。

 松田聖子vs河合奈保子ってところでは、かなりハッキリしてたじゃん。レコードの売り上げでは。オリコンで連続1位記録を打ち立ててた松田聖子に対して、河合奈保子は1曲しかないしね、オリコン1位は。

アイドルの世界だけでなく、相撲の世界でも全く同じで、ことライバルと言われた力士同士は、片方がべらぼうに優勝回数が多くて、片方はそうでもない・・・って事が多いからなぁ。

まあ、同じ時代にお互いに「人気を二分した」っていう意味でのライバルな訳なんだよね。


・・・・ということで、今回は、70年代、そんな感じで、山口百恵と人気を二分した、よきライバルでもあった桜田淳子さんでも持って来ましょうかね。

75年のオリコン1位獲得曲 「はじめての出来事」。

↑で、松田聖子vs河合奈保子 っていうところで、オリコン1位獲得曲数対決を挙げたんだけど、実は、山口百恵vs桜田淳子 って言うところで見ると、これが全く同じような傾向で、山口百恵は複数曲(4曲)、1位を獲得していたのに対して、桜田淳子さんは、今回セレクトしてきた「はじめての出来事」ただ1曲なんだよねぇ。

つまりさ、80年代の河合奈保子さんと同じなんですよ〜。 まあ、偶然だろうし、70年代と80年代でのオリコン1位の価値っていうのも全然違うんで、一概には比べられないんだけどさ、なんか因縁というか、偶然を感じるんだよなぁ。

 しかもライバル対決を制しているのが、松田聖子と山口百恵っていう同じCBSソニーっていうのもなんかの因縁でしょうかねぇ。


たださ、この「はじめての出来事」では、ヒットチャート上でも、山口百恵さんと、1位獲得争いの激闘( うわっ大げさ)、まさに真の頂上争いを繰り広げられていたのを知っているのは、かなりオールドなヒットチャートファンですよねぇ
 
 そそそ、山口百恵さんは、丁度同じ頃、自身初めての1位獲得曲となった「冬の色」が大ヒット。この2曲で、1位獲得争いを演じていたんですよ〜。

当時の古〜いオリコンチャートを見てみると、1974年12月23日付で、「冬の色」が早くも1位を獲得。そこから5週連続1位を獲得。
 遅れて、1975年1月13日付で、「はじめての出来事」が2位まで上昇。

1位 冬の色         山口百恵
2位 はじめての出来事  桜田淳子

なんていう、ゴールデンコンビのランクを形成。 ここから3週間、このランキングでくんずほぐれずを繰り広げ、
ついに 2月3日付で、「冬の色」がパワーダウン。

1位 はじめての出来事  桜田淳子
2位 冬の色         山口百恵

・・・と「はじめての出来事」が逆転1位を獲得・・・・。
なんていう、チャートアクション記録が残ってたりするんだよね。

まさにライバル盟友決するようなチャートアクションを繰り広げていた期間だけど、結局、こんな激闘なチャートアクションを見せたのは、この時1回だけなんだよなぁ。

ちなみに、最終的な売り上げ枚数は、「冬の色」も「はめての出来事」も、どちらも52万枚と「痛み分け」的な感じかなぁ。

でも、当時、アイドルは50万枚が一つの「壁」になっていて、70年代アイドルで50万枚を上回った曲は数えるほどしかないんだよね。
 それを考えると、両者とも50万枚を突破した訳なんで、かなりの大ヒット曲だったことは間違いないよね。


ところで肝心な曲の方なんだけど、これはかなり対照的だったと言ってもいいだろうなぁ。
「冬の色」については、以前1曲セレクトですでに書いたんで、詳細はそちらに譲るけど、かなり大人っぽいんだよね。
 陽の淳子、陰の百恵なんて、当時は言われてたけど、それを完全に印象付ける様なそれぞれの曲調だったんじゃないかなぁ。

 そそそ「はじめての出来事」は、能天気なほど明るい曲調だったしね。

ただ、今聴くと、流石に曲調は古いなぁ。シンコペーションを多用し、1,3拍目強、いわいる前打ち強調なリズム。それと、4、7抜きっぽいメロディ。 これを聴くと70年代だよなぁ・・・っていう気分になっちゃうんだよね。
・・・っつうか、作曲者の森田公一氏の特徴だよなぁ。

まあ、その前に、竜崎孝路氏のアレンジが「70年代」って感じなんだよねぇ。
うーん、コトバにするのは難しいんだけど、如何にも狭いスタジオで録音しました・・・って言う様なリバーブの少ない籠った音っちゅうのかなぁ。録音チャンネルが当時から見て一昔前っていうか(当時、主流は16チャンネルになっていたと思う)、ちょっとチープなんだよね。


なんて、曲の事を考えると、よく1位取れたなぁ・・・なんて思っちゃったりしてね。
まあ、それだけ淳子さんの人気も絶頂期だった・・・って事なんでしょうね。





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十七の夏 / 桜田淳子

1975_08_十七の夏_桜田淳子






今回の1曲セレクトは、「十七の夏」桜田淳子です。

 まずはデータです。

・タイトル    十七の夏
・アーティスト  桜田淳子
・作詞      阿久悠
・作曲      森田公一
・編曲      竜崎孝路
・リリース日   1975年6月5日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   40.4万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1975年6月16日〜8月25日付


 なぜか、今になって阿久悠氏の著書「夢を食った男たち」というノンフィクションの文庫本を読み漁ってる。
まあ、半分は「スター誕生物語」って言ってもいいような内容なんだけどねふらふら

 でも、当時の「スター誕生」の内情等の裏側が事細かく書かれてて興味は尽きないですね。
 
 実はですねぇ、「スター誕生」については、2000年に、当時放送していた、「情報最前線」っちゅう番組で、一応の一通りの流れは放送してたんだよねふらふら

 それをさらに掘り下げて・・・って言う感じなのかなぁ。でも、興味がある方は読んで見てくだされ。

・・・・だからして、やっぱり、今日は阿久悠氏の曲だよね。

 なんせ、膨大な作品の数だからねぇ、今ごろヒットしてた曲っていうのも、数多くあるんだけど、あんまりマニアックにしてもねぇ・・・ってのもあるから、素直に行きますか。


 桜田淳子。。。 いいじゃん。

 桜田淳子で、今ごろの季節のヒット・・・っつったら、76年の「夏にご用心」かなぁ。。

 ♪ 夏は心のかぎを 甘くするわ ご用心〜 ♪

 うむ、桜田淳子のモノマネっったら、この曲・・・みたいなところがあるから、当時を知らない方でも、知っているでしょ・・・。

 だけどね、もう、この曲、この間書いたばっかなんだよなふらふら


 ・・・なので、時代を1年前に戻して、75年の今ごろのヒットをば。。

 「十七の夏」でどうだ!


 実際的に、売上げ枚数的には、「夏にご用心」よりも、こっちの曲の方が売れてたんだよね。
 なにせ、売上げ枚数40.4万枚は、74年12月リリースの「はじめての出来事」の52.7万枚に次ぐ売上げ枚数だったりするからさ。

 まあ、流れからすると、このころが桜田淳子の「全盛期」とも言えるな。

 よく、山口百恵と比較されるけど、山口百恵は、この辺の時代から、逆にでかくなってったんだよね。

 だから、「人気」という点では、丁度、肩を並べてた時期だとおもう。


 うーん、でも、ドラマでも、若干、言及してたけど、陽の淳子、陰の百恵っていうイメージがあったわけで、イメージ的には、まだ、淳子の方が上だったからも知れない。。

 「知れない」なんて、あいまいなコトバ使っちゃったけど、いや、なんせ、まだ、ワタシもタイムリーにヒット曲聴いてた時代じゃないんでねぇ・・・ふらふら  あくまで、推測の域なんだけどさ。

 
 うん、新御三家もそうなんだけど、中三トリオについても、ワタシ位の年代のもってるイメージと、ちょっと違うかもしれない・・・って、おもうんだよねぇ。

 いや、推測だけじゃなく、実際にランキングを見てても、75年位の時期って、例えば、新御三家では、野口五郎が一番動きがよかったんだよね。
 これって、ワタシのイメージからすると、若干、イメージ違うんだけどさ。 やっぱ、ワタシら・・・っつうか、ワタシ的には、やっぱ、西城秀樹っていうイメージが強いからさあ。

 それと同じで、中三トリオも、個人的には山口百恵っていう、イメージが強いんだけど、75年位までは、桜田淳子が一番、動きはよかった・・・と。

 結局、人気って、早熟型と、大器晩成型ってあるからねぇ。。
それからすると、山口百恵は大器晩成型、桜田淳子は早熟型っていうタイプだったんだろうな。


 もちろん、曲については、全くタイプが違ったけどね。
 桜田淳子の曲って、モロ、スタンダードなんだよね。70年型アイドルの典型的な曲調が多いのよ。

 この間、榊原郁恵の「夏のお嬢さん」でも書いたように、前強、後弱型。 つまりさ、小節の1拍目と3拍目が強、2拍目、4拍目が弱っていうリズムパターンなんだよね。

 80年代に入ると、これが、逆になる。つまり、前弱、後強っていうリズムパターンね。

 ここが、70年代と80年代ポップスの一番の違いかなぁ。

 今日引っ張って来た、「十七の夏」も、その典型な曲だよなぁ。

・・・っつうか、作曲の森田公一氏って、このパターンの曲が特徴的だったから。。。

 いや、だから、森田氏の作曲の曲を聴くと、「うわっ、モロ70年代」って思えるし、それいえに今聴くと、「古いなぁ〜」って言う印象が強いんだよな。このパターンは80年代に入ると急に、売れなくなっちゃったんだよね。 
 うーん、時代の変化ってコワイねぇ。

 それと、森田氏のメロディラインの特徴は、シンコペーションだろうな。

 前強、後弱 プラス、シンコペーションがかった、メロディラインだったら、ほとんど、森田公一氏・・・って思っても、しかり・・・って感じだもんなぁ。


 ところで、小泉今日子の87年夏のヒットの「スマイルアゲイン」って、この曲へのオマージュが含まれているっていうのは、有名な話かな。

 うん、「スマインアゲイン」の間奏のオカリナの部分は、この曲のメロディなんだよね。

 「十七の夏」の出だしのAメロ

 ♪ 特別に愛してよ 十七の夏だから〜 ♪

の部分なんだよね。

 ワタシとしては、そっちの方が先立ったりして、この曲を意識して、そんでもって、実際に聴いたのは。





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夏にご用心 / 桜田淳子

1976_07_夏にご用心_桜田淳子







今回の1曲セレクトは、「夏にご用心」桜田淳子です。

 まずはデータでーす。

・タイトル      夏にご用心
・アーティスト    桜田淳子
・作詞        阿久悠
・作曲        森田公一
・編曲        高田弘
・リリース日     1976年5月21日
・発売元       ビクター
・オリコン最高位   2位
・売上げ枚数     36.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1976年6月7日〜8月16日付

 ながーい間ヒット曲を聴き続けてきて、ふと振り返ってみると、さっすがに、いまとなっては「古い曲」だよなぁ・・と思う曲があったりするんだよね。
 
 ワタシの場合、今からすると、70年代中盤くらいまでのアイドルヒットでは、うわー、古いなぁと思える曲があったりしますねぇ。

 特に、森田公一氏作曲の曲って、なぜか古さを感じちゃうんだよねぇ。
よく、森田氏の曲は1拍め「強拍」、2拍目「弱拍」の逆シンコペーションな曲がおおくて、これが70年代アイドルポップスの王道だとか言われたりするんだけど、「いま」っていうところからみると、どうも、これにふるさを感じちゃんだろうねぇ。

 それと、音の使い方とかね。いかにもチープなストリングスな曲が、まだ、あのころは多かったですからね。

 ただ、サウンドに関しては、レコード会社によって、随分差があったと思うな。70年代は。
 今からすると、CBSソニーは、アイドルポップスでもサウンドがいいんですよ。天地真理の「恋する夏の日」なんて、1973年の曲だけど、ちょっと聴くと、とても1973年のアイドルポップスの曲に聴こえない。音の広がりと低音の重さかしっかりとあるんですよね。

 逆に、ビクターの音は、古臭いんだよなぁ。十年前そのままって言うサウンドは、逆にとても70年代とは思えないサウンドだったりして。。。。。

 ・・ということで、森田公一氏 プラス ビクターの曲・・・・うーん、まさに今日引っ張ってきた、桜田淳子の「夏にご用心」は、いや、ほんとに「古さ」を感じちゃうんだよね。

 うーん、たしかに、1976年当時、タイムリーでこの曲のレコードを聴いていたわけではないから、もし、タイムリーで聴いていたらどんな感想を持ったのかっていのうは、分からないんだけど、少なくとも今聴いてみると、そういう感じなんだよなぁ。


 いや、上で、当時タイムリーで聴いてなかった・・って書いたけど、厳密に言うとウソで、テレビではよく聴いてたもんね。
 で、逆にテレビでは、そんな古さは感じなかったんだよね。

 うーん、録音技術の差って言うのもあるだろうけど、得てして、当時はレコードで聴くよりかはテレビの方がよく聴こえる曲が結構ありましたよね。

 個人的には、この曲がその典型ですねぇ。


 曲そのものは、インパクトがありましたよね。

 まあ、だいたい40年たったいまでも、この曲モノマネする人が多い・・・・

 うーん、「桜田淳子」っていったら、この曲のモノマネする人が多いのかなぁ。

 例の

♪ ぬぁつーは心のかぎーを あまーくするわ ごようじん ♪ 

 っていうアノ曲ですね。

 曲構成は、↑のAメロ Bメロ サビ っていう典型的な曲ですけど、サビが異様に簡単なんだよね。

♪ 白い 水着のあとが まぶしく 見える夏の午後 ♪

・・・詞にするとこれだけ。 メロディ的には8小節だよね。

 でもさ、たとえこれだけの詞でも、充分伝わってくるんだよね。いや、少なくとも情景は浮かぶでしょ。

 あのさ、最近おもうんだけど、曲ってこれでいいんぢゃないかなって思うんですよね。

 よく行間を読ませる・・っていうんだけど、それが音楽なんぢゃないかなぁ・・と。

 さいきんの曲は、詞が「説明文」的で長いんですよね。内容が細かすぎる。 たしかに親切ではあるけど、あまりに説明されすぎてて、逆にうっとうしい。
 まあ、そうじゃなきゃ曲が作れなくなってきているのかも知れないけど、特にHIP HOPなんかはさ。

 でも、シンプル イズ ベスト。そういう行間を読ませる曲も必要なんではないかと。それがシングルなんぢゃないかなぁ・・と。


 曲は古いかもしれないけど、このころの曲を聴くと、そういうことを感じますねぇ。




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かじやん