かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

桑田佳祐

いなせなロコモーション / サザンオールスターズ

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今回の1曲セレクトは、「いなせなロコモーション」サザンオールスターズです。

まずはデータなのだ〜。

・タイトル    いなせなロコモーション
・アーティスト  サザンオールスターズ
・作詞      桑田佳祐
・作曲      桑田佳祐
・編曲      サザンオールスターズ
・リリース日   1980年5月21日
・発売元     ビクター
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数   11.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 13位
・タイアップ アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」CM曲

キターッ !!!

サザンオールスターズ、「茅ヶ崎ライブ」4日間開催決定!!





1978年6月25日「勝手にシンドバッド」でデビューから45周年となる今日。 ・・・・の直前。

昨夜23時からの東京FMの「桑田佳祐のやさしい夜遊び」内で、ついに発表されましたね。

いやー、待った。

今年がデビュー45周年というのは、昨年からずっと周知されていたことであり、、絶対に、今年は「サザン」としてなんかやってくるはず・・・・と思いーの、今まで全く音沙汰もなかったんで。。。

考えてみれば、デビュー40周年だった、2018年も結局ツアーはやらずに、「ROCK IN JAPAN」にサプライズ出演しただけだったし。。。
まあ、最終的には翌2019年に全国ツアーをやりましたけどね。

今回もそのパターンか・・・と思いーの、今年の「ROCK IN JAPAN」の出演者にその名前もなかったんで。。。

いったいどうしたんや、今回はなんもやんないんですかね? 

・・と思っていた矢先、デビュー記念日直前まで引っ張ってくるとは。。。。

いずれにしても、↑で書いたように「サザン」としては、個人的に2019年以来4年ぶりのライブとなるわけなんで、もちろんチケット狙いに行きますわ。

たださあ、本当に昨夜発表された「茅ヶ崎ライブ」だけなんですかねぇ。。。

茅ケ崎球場のキャパは2万人。4日間開催なんで8万人。

これまでの全国ドームツアーでのチケットでも、「ファンクラブ」会員の私でさえ、2回に1回は「落選」なのに、どう考えても「超プラチナ」なんですけど。。。
下手すると「月の石」くらいのプレミアチケットになりまっせ。

でもまあ、冷静に考えると、昨日のラジオで「『今年』はサザンオールスターズとして全力で活動してまいります」と言ってたわけだしさ。
茅ケ崎ライブの時期と、昨年の桑田氏のソロツアーの日程を踏まえると、その後、年末に向けてツアーをやる・・・ともとれるんだよね。

まあ、発表されたわけではないんで、現状では、あくまで「考えられる」というだけだけど。。。。

なので、個人的には、もちろん茅ヶ崎ライブのチケットを応募しようと思いますが、あくまで「運試し」という感じで行ってみようか・・と。

当たれば、超ラッキー。 当たんなかったら、その後の全国ツアー開催に期待をかけて・・・っていうスタンスで行きますわ。



・・・・と、いつものごとく、前置きが長い。。。。

「いなせなロコモーション」ですね〜。


この曲は1980年5月。 8作目のシングルとしてリリースされたわけですわね。

少し前の「涙のアベニュー」でも書いたけども、 デビュー以来、テレビの歌番組はもちろん、バラエティーにも出る、ツアーもやる、・・といった肉弾戦的な活動を続けたサザンだけども、こんな活動にほとほと疲れて、1980年前半、半年間の充電期間に入ってしまったわけで。。。

その間に、毎月、5か月連続でシングルリリースを続けたわけだよね。

いわいる「FIVE ROCKSHOW」と銘打ったリリースで。

その「FIVE ROCKSHOW」で3枚目にリリースされた曲が、この「いなせなロコモーション」ですわな。

5枚のシングルの中でも、もっとも、アッパーなポップロックナンバーがこの曲。

・・・・ということもあってか、5枚の中では一番売り上げが高かったこの曲ですわ。

とはいうものの、オリコンでは、「涙のアベニュー」と同じく、最高位16位。 売上枚数は11万枚強。

何度も書くようだけども、今のサザンを基準に考えると、この1980〜1981年のサザンって、めっちゃ信じられないくらい低迷ぶりでしたからねぇ。

まあ、これも、何度も書いてきたことだけども、当時は、テレビに出てなんぼの時代。

テレビには出ないことで、売れなくなったマイナス面は計り知れなかったわけで。。。

そんな天秤にかけても、テレビの活動を切ったということは、あの時代、バンドとしてそれだけ疲労がたまっていたわけなんだよね。

ただ、個人的には、あの当時の「音楽の情報源」のすべてがテレビだったわけでさ、そのテレビに出ないってことは、曲どころか「消息」も全く知らないってことになるんだよね。

うん、いきなりベストテンから消えたからさ、サザンも終わっちゃったか・・・って思っていましたよ。「チャコの海岸物語」が出てくるまでは。。。

だから、もちろん、この「いなせなロコモーション」も、ずっと耳にしないままになっていた。

まあ、オリコンのランクからして、「ザ・ベストテン」でも、11〜20位には入っていたはずなんだけどね。 1980年の今頃って、一時的に「11〜20位」をやらないことがあったのよ。

この時期 永ちゃんの「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」が11‐20位にいたんで、「キリン」提供のベストテンでは流せないから・・とか言われたりするけども。。。

もっとも、あの時期「11〜20位」やってたとしても、耳にはしてなかっただろうけど。。。

うん、この曲をはっきりと耳にしたのは、件のTBS系ドラマ「ふぞろいの林檎たち」(1983年)ですわね。

そそそ、主題歌が「いとしのエリー」だったのは有名なところだけども、劇中歌はすべて「サザン」の曲だったし、この「いなせなロコモーション」もだいぶ使われてましたからね。

もっとも、「ふぞろいの林檎たち」は、本放送ではなく、再放送から見たんで、1984年くらいでしたかね。この曲の存在をはっきりと知ったのは。

だから、この曲を聴くと1984年ごろの匂いを感じてもいいと思うんだけども、なぜか、1980年の匂いなんだよね。
↑のように1980年には聴いてなかったはずなのに。。。それが不思議。


1980年、小学5年生の夏休み。

学校からは、子供だけでは学区内から出ていけません・・・って言われていたのに、そんなこと眼中になかった、ワタシは、チャリンコで最寄りの常磐線・泉駅に走らせた。

あの頃・・・いや、今でもだけども・・・・「時刻表」鉄でさ。 時刻表片手に、泉駅の一番端っこの空き地で、電車を見てるのが好きだった。

特に、上野⇔青森間を走っていた583系の特急「みちのく」が好きでさ。  ・・・っつうか、クリーム色と深い青色の583系の車両が好きでさ。お目当てはこれだったんだけども。。。

上りの上野行きの「みちのく」は、11時30分に泉を通過するの、時刻表から知ってたからさ。
それに間に合うように、休みの日はよく泉まで、片道40分くらいかけてチャリンコ走らせていたな。

1980年の夏の光景というと、決まって、そんな泉駅からの帰り、藤原川の堤防の砂利道をチャリンコで飛ばしていた風景ですわ。

どこまでも続く青い空にぽっかりと浮かんだ白い雲。昼下がりの白い光。むわっとした空気。土手の両脇に生える背の高いススキの群れ。個人的に感じる夏の匂いがそこにあったして。
自由だった、あの夏の風景ですわ

この「いなせなロコモーション」を聴くと、決まって、1980年夏のあの風景が浮かんでくる。
1984年の風景ではないんだよね

あの夏、どこかでこの曲聴いてたのかなぁ・・と思っちゃうほど。。。

そういえば、以前書いた、同じく「FIVE ROCK SHOW」のラスト曲である「わすれじのレイド・バック」も、きちんと聴いたのは1985年のはずなのに、浮かんでくる風景は1980年の夏だ。。

なんでなんだろう?・・・いまだに理由がよく良からないままになっていたりするな。




これ、テレビ神奈川「ファイティング80's」だそうだ。
↑で書いたように、この時期ほとんどテレビには出ていなかったサザンなんで、この「いなせなロコモーション」なんて、この当時、ほとんどテレビで歌った映像はないはずですわ。

もっとも1995年にNHKで放送されたサザン特番でこの曲歌ったからその映像はあるはずだけども。。。

これだから、テレビ神奈川って、今となっては映像の宝庫なんだよね。

ワタシも ついつい、見入っちゃいましたわ。。。
貴重だから、消されないでほしいなぁ。。。。

でもまあ、昨日の「やさしい夜遊び」でも、桑田氏が「昔の映像見るの嫌いなんだよね」とののたもうていたんで、消されちゃう可能性が高いけども。。。。

それにしても、あの頃、この曲ほど、歌詞何言ってんだか、よくわかんない曲はなかったなぁ。
コニー・フランシス、ドリス・デイ、シュープリームス・・・に、お父っつぁんと、まあ、つまりは、50〜60年代オールディーズ時代、父母の頃の色恋物語って感じの曲だよね。

もっとも、そんなこと言われても、80年当時は、個人的によくわかんないしさ。 英語っぽい発音で、何歌っているのかわかんないのは、あの頃の桑田氏のいつもことだったけども、この曲は特にわけわかんない発音で歌っていたから、一層歌詞の意味が分かんなかったりしてね。
でも、いいんだよな、この曲のグルーヴ感。 理屈じゃないんだよね・・っていうのが、もしかしたら一番わかる曲かもしれないな。




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涙のアベニュー / サザンオールスターズ

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今回の1曲セレクトは、「涙のアベニュー」サザンオールスターズです。

まずはデータです。

・タイトル   涙のアベニュー
・アーティスト サザンオールスターズ
・作詞     桑田佳祐
・作曲     桑田佳祐
・編曲     サザンオールスターズ 八木正生
・リリース日  1980年2月21日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 16位
・売上げ枚数  10.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 19位

久しぶりの「1曲セレクト」。
え? ちょっと前に、松居直美の「微妙なとこネ」とか書いてるんじゃん。・・とか思われちゃうかもしれないけど、あれと、その前に出した、島田歌穂の「ステップ・バイ・ステップ」は、mixiで大昔に書いたやつを、引っ張ってきて、再編集しただけのトピックスなんで。。。。

これまで、まだ書いてない、まっさらな状態で書く1曲セレクトは、久々ですわ。

・・・ということで、サザンの「涙のアベニュー」

サザンファンを公言しているワタシとしては、「まだ書いてなかったんかい・・・」って曲だけども。。。

サザンの曲ってさあ、ちょっと前までYou tubeに出てなかったんでね。
これまでも 1曲セレクトに出したいと思ってもYou tubeに曲がなかったりして、曲リンクを張れなかったんで、書くの断念してきた曲が多いんだよね。

まだ完全とは言えないけど、ここにきてやってYoutubeでもサザンの曲がみられるようになりつつあったりしてきたんで、遅まきながら、書き始めて居たりするのよ。



もっとも、この「涙のアベニュー」は、ファン以外の方にとっては、完全に死角に入っちゃっている曲だとは思うんだけども。

そそそ、前年の79年「いとしのエリー」を頂点として時代を席巻し、「紅白」にも出演しなんて、ビッグバンドに急成長したサザンだけども、この曲から長期休養に入ってしまう。
そのため、当時テレビの歌番組ではほとんど歌われてなかったと思う。その分、一般的には知られてない曲ですわな。

まあ、休養といっても完全休養という訳ではなく、レコーティングは行う。ただしテレビを中心としたメディアへの出演は抑える・・っていう休養ですけどね。


桑田氏の「ロックの子」を読むと、とにかく、煮詰まっていたようですね、当時。

それまで、一学生バンドだったサザンも、「勝手にシンドバッド」〜「いとしのエリー」にかけて、半年余りで、いきなり時代の頂点まで昇華しちゃったでしょ。

テレビだ、ラジオだ、雑誌取材だ・・・と時間に追われ、その合間にレコーティングを行うといった状態。レコーティングにも十分に時間が取れない。

そん状況下での、あの頃の3か月ローテーションでのシングルリリース。

しかも週刊誌には、言われもないことも書かれる。

「出る杭は打たれる」 とは言ったもので、華やかな活躍の裏で、サザンも例にもれず、そういったマスコミのターゲットになっていたわけですわ。

そんな1979年の一連の活動で、肉体的にも、精神的にも、ヘトヘトだったようだ。

「いとしのエリー」の頃、「ベストテン」で「ノイローゼ ノイローゼ」と叫んでいた桑田氏って有名だけども、あれ、おちゃらけではなく、本当だったようですね。

それでも、まだ「ベストテン」で叫んでたころは、またよかったものの、サザンのメンバー間の意思疎通も取れなくなり、年末までには、マジで追い込まれてたようですね。

このままでは壊れる・・という中での、長期休養宣言。

確かに前曲「C調言葉にご用心」あたりから、「ベストテン」にもあんまりでなくなってたんだよね。
「コンサートのため」「レコーティングのため」・・というベストテンのお決まりの理由での出演辞退だったと思う。それがいつしか、「長期休養」に変わったのを覚えてるなぁ。


連続ヒットを出すよりも、一度、下火になった人気から、再ブレイクする方が難しい。

アーティストにとっては、ここが怖くて、人気絶頂の時に、長期休養を取ることはほとんどない。

あの頃は、そんなところが今よりも強かったですから。 アミューズも思い切った決断をしたと思う。
人気の流動が早いヒット曲の世界。ましてやテレビ・ラジオの世界はなおさらだし。
半年休んで、再度、ブレイクできるのか? 大きな賭けなんだよね。

もし、これが大手事務所所属だったら、まず間違いなく、こんなことはしなかったと思う。
サザン自体が潰れても、それまでの路線を続けさせただろうな。
当時はまだ、新興プロダクションだった、アミューズだったからこそできた決断だよね。

無理を続けて潰れていくアーティストを数多く見てきた、元・ナベプロだった、当時アミューズ社長の大里氏だったからこそ。

むろん、当時10歳だったわたしにゃ、全く理解できなかったけどね。

またすぐに「ベストテン」に戻ってくるだろう・・くらいの軽い気分だったと思うのよ。
まさか、この「涙のアベニュー」から2年にわたる、サザン低迷期が来るとはね。

あ、あくまで、テレビにおけるサザン低迷期ね。 

シングルは売れなかったけども、アルバムは80年の「タイニィ・バブルス」、81年「ステレオ太陽族」と、シングル低迷の間も、いずれもオリコン1位と、アルバムは売れてましたからね。

でも、当時「ベストテン」というテレビからの情報がすべてだった私は、ここから2年の間サザンの曲は耳にしないままになる。



今回引っ張ってきた「涙のアベニュー」、初めて聴いたのは、たしか、1985年ごろに「バラッド77-82」のカセットを買ってからだと思うのよ。

だから・・・なんだけども、この「涙のアベニュー」って曲を聴くと、いまだに1985年の匂いを感じるワタシだったりするんだけども。。。。

初聴から、「なるほど、これは売れないな」と感じましたね。
いや、決して駄曲ではないんですよ。ただ、インパクトが弱い。シングルのA面というよりもB面。
あるいはアルバムの中の1曲って感じなんだよね。

まあ、実際、この曲の翌月にリリースされたアルバム「タイニィ・バブルス」からの先行シングルという形になっているけど、少なくとも、この曲で、前曲「C調言葉にご用心」ほどの大ヒットを狙うには、かなり無理が行ったと思う。

もちろん、「長期休養」を考えれば、これは意図的だったことは間違いないんだけども。

ミディアムバラードのソフトロック路線・・・っちゅうのかな。
カラッとしたロックではなく、湿り気がある手触りのサウンド。その辺、UKっぽい匂いがする。
曲想的には、ファースト・アルバムに収録されている「別れ話は最後に」に近いと思う。

もっとも、あの曲は「ボサノバ」っぽい手触りがあったけども、この「涙のアベニュー」は3連だし、「ボサノバ」ではない・・っちゅう違いがあるけど。。

以前「わずれじのレイド・バック」でも書いたんだけども、この曲から「ファイブ・ロック・ショー」って銘打って5か月連続でシングルリリースが始まるんだけどさ。
その割にはストレートなロックな曲が少ないってのが笑える。。。。

ただし、この「涙のアベニュー」から、より洋楽的な手触りになったのは確かですね。

「いとしのエリー」は別にして「勝手にシンドバッド」にしても、洋楽というよりは、洋楽と歌謡曲の融合だったんだよね。それまでのサザンの特徴って。
70年代の頃は、まだ洋楽一辺倒ではだめで、ウレセンには、適度な和製のエッセンスが必要。
こんな特徴がぴったりはまった「〜シンドバッド」。だから売れたといってもおかしくないんだけども。

ただ、この「涙のアベニュー」からのシングルって、より洋楽的な手触りが強くなったと思う。
「ファイブ・ロック・ショー」って銘打ったのは、そういうところだったのかもしれないな。
まあ、あの連続リリースは、休養期間中だし、売れることというよりも、実験的なことをやるって意味合いが強かったんだと思うけど。
ただ、後々、バラエティに富んだサザンの曲調、曲想は、この期間中の実験が大きかったような気がしますね。

いずれにしても、最近のサザンには見られない曲想であることは間違いないわけで、サザンの名バラードの1曲に数えられているのも頷けるな。





曲を聴くと、よりわかるんだけども、この頃のサザンって、ダイレクトに洋楽寄りだったんだよね、サウンドにしても、メロディラインにしても。
もちろん、アルバム曲なんかには歌謡曲よりの曲もあったけどさ。

アルバム「ステレオ太陽族」「NUDE MAN」の頃は特にそうだったな。

個人的には、そんな洋楽してるサザンが好きだった。

最近のサザンって、どこか歌謡曲より・・というか、和製の匂いの強いメロディラインが多いでしょ。
それがちょっと残念でね。

また、この「涙のアベニュー」の頃ような洋楽的でみずみずしい感覚のサザンの新曲が聴きたい・・なんて思ったりするんだけどね。

まあ、桑田氏をはじめ、メンバーの年齢を考えると、なかなか難しいことだと思うんですけどね。。。


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東京シャッフル / サザンオールスターズ

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今回の1曲セレクトは、「東京シャッフル」サザンオールスターズです。

まずはデータでっせ。

・タイトル   東京シャッフル
・アーティスト サザンオールスターズ
・作詞     桑田佳祐
・作曲     桑田佳祐
・編曲     サザンオールスターズ
・リリース日  1983年11月5日
・オリコン最高位 23位
・売上げ枚数  12.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 29位

今さら・・・っていう感じがしないでもないけど、今年も「紅白」の出場アーティストが決まりましたな。

若者向けに偏ったキライは強いけど、とりあえず、今年を代表すると考えられる最大公約数的なアーティストに「近い」、ラインナップが組めたんではないですかねぇ。 「?」を付けたくなるようなアーティストはあんまりいない。
むしろ、ここまでそろえられれば、個人的には85点あげてもいいような。。。

後は、このランナップでどの程度視聴率が取れるかでしょうね。
もし、昨年よりもよりも視聴率が上がるようならば、やっぱ、世代交代が必要だったよねっていえるし。
逆に、昨年よりも下がるようならば、もう来年からは中高年向きでいいよね・・・といえる。 そんなラインナップですな。

ちょっと前にここでも書いた・・・・ うんにゃフェイスブックに書いたんだ・・・ んだけども、紅白も曲がり角に来ていることは明らかなわけで、一度、大御所だー、なんだー、忖度なしで2022年なら2022年を本当の意味で代表するアーティストだけでラインナップを固めることもありだと思っていたのよ。

そういう意味で、ある程度納得できるようなラインナップを組めたんじゃないかとは思う。

これで、昨年よりも視聴率が下がるようならば、もう来年からは中高年向きでいいよね・・・と割り切れると思うのよ。。 そそそ、冬版「思い出のメロディー」でいいんじゃない? ・・・・と。
そのためには、実験的に一度視聴率度返しでやってみることはいいことだと思うのよ。

ダメなら、来年からは、今の曲は一切なし。 過去曲だけでいいんじゃない? どのみち中高年しか見ないんならさ。
もっともウラのテレ東「年忘れにっぽんの歌」とどう違うんだ? となっちゃうだろうけど。。。。


そんなわけで、今年は「なんで、出場してんの?」的なアーティストはあまりいないけども、過去にも、毎年のように、なんで出場してんの? っていう人たちがいたわけじゃない? 紅白には。


今回引っ張ってきた、この人たちも、もしかすると当時はそうだったような気がする。。。


サザンオールスターズ「東京シャッフル」。

・・・なんて書くと、絶対にクレームが来そうだな。。。

今や押しも押されぬ「大御所」バンドに君臨し続けるサザンなわけで、できることなら当年中のヒットの有無に限らず、紅白には出てほしい・・・とNHKにしても、一般方も多いんじゃないんでしょうかねぇ。

ただ、それを許さず、当のサザンは、これまで5回しか紅白には出てない。
もっとも、そのうち2014年と2018年は「特別出演」という扱いだったから、本来の意味での出演は3回ともいえるかもしれないな。

今回引っ張ってきた曲は、 1983年 その3回目出場の際の「東京シャッフル」。


↑で 今年は「なんで、出場してんの?」 なんて前振りしたのは、あの当時、なんで、サザン、この曲で出場してんの? なんて感じたからですわ。

たしかに、この年リリースしたアルバム「綺麗」は当然のようにオリコン首位を獲得したり、自分たちのレーベル「タイシタ」を立ち上げたり、大活躍の1年であったことは間違いない。

でも、チャコの海岸物語〜匂艶THE NIGHT CLUB〜Ya Ya〜あの時代を忘れない ・・・と立て続けにシングルヒットを飛ばした前年1982年に比べると、やや「お茶の間」度は低かったんだよね。1983年は。

この年、「ザ・ベストテン」には、春に「ボディスペシャル供廚能弍蕕靴燭世韻世辰燭靴気◆


たしかに、アルバムも聴き、さらにライブまで視野に入れていたならば、この年1983年の紅白出演にも納得がいったかもしれない。

ただ、あの頃は、シングルヒットと、いかにその年にテレビに出ていたかが重要だったからさあ、この年のサザンの出場は少し納得いかなかったんだよね。

しかも、オリコンで20位にも入らなかった、最新曲「東京シャッフル」での出場でしょ。
「ボディスペシャル供廚任僚仂譴世辰燭蕁△泙税柴世靴燭鵑世韻匹機


でもさ、あれから40年が経ちーの、今考えてみたら、これがサザン流「禊」だったのかもしれんな・・・なんて思えたりもするんだよね。


・・・っつうのも、まあ、紅白フリークの方たちにはよく知られた「事件」だけども、前年1982年に「チャコの海岸物語」で出場した時に、やらかしましたからねぇ。

白塗りで、大御所・三波春夫先生をおちょくったような「チャコの海岸物語」を

↓ コレ




ネットニュースを見ると、これでNHK出禁になったとか書かれているけど、翌83年の紅白にも出ていることを考えると、そうじゃなかったわけだよね。

逆に言えば、翌83年の紅白にも出演して、サザン流パフォーマンスをすることが82年の「禊」だったんじゃないかと思うわけよ。

そのためには、「ボディスペシャル供廚辰討錣韻砲發いなかったと思うしねぇ。

エロエロ、イケイケなこの曲を紅白で・・・なんてやったら、それこそ、火に油を注ぐようなもんでしょ。 ネットなんてなかった当時でさえ大炎上ですよ。 アーティスト生命にもかかわったかもしれないわけでさ。

かといって、アルバム「綺麗」からシングルカットされた「EMANON」っていうわけもいかなかっただろうしなぁ。。。。

ただ、当時は、この「東京シャッフル」って曲、よくわかんなかったんだよね。
曲内容が・・・というよりも曲自体よくわかんなかったのよ。。。

そもそも、オリコンでも最高23位までしかいなかったからさ。テレビはもちろんのこと、ラジオでもほとんどかかんなかったような気がするしさあ。

もっとも、ラジオで頻繁かかったとしても、このジャジーな曲調は、当時のワタシではよくわかんなかっただろうけども。

「ボディスペシャル供廚覆鵑はわかりやすかったですからね。いや、それ以前でも「チャコの海岸物語」にしてもわかりやすかったぢゃないですか。

ただ、いま、この曲を聴くと、あの当時までのサザンに、無かったような曲調ではないんだよね。
そそそ、この手のジャジーな曲もさ。

81年のアルバム「ステレオ太陽族」は「我らパープー仲間」をはじめジャジーな曲も多かったしさ

だから、あの当時からアルバムも聴きこんでいたら、この曲にも抵抗感はなかったかもしれない。逆に桑田氏の引き出しの多さに絶賛してたかもしれない。

なんせ、ちょうど同じころ、ハラ坊は「恋はご多忙〜」でシュープリームしてたし、 片やアルバム「綺麗」からカバーした高田みづえは「そんなヒロシに〜」でG.Sってたし。。。
そこにきて、また曲調が全然違う、この「東京シャッフル」だったわけだから。。。。

今、改めて聴くと、リズム隊なんかは、この年のアルバム「綺麗」に収録している「ALLSTARS' JUNGO」を彷彿とさせるところも無きにしも非ず。

「ALLSTARS' JUNGO」は、もろブラックなファンクビートな曲だけども、この曲のリズム隊に、ジャズ、チャールストン、ドゥワップを混ぜたような50'sミクスチャーですわ。

次の年の「Tarako」もそうだったけども、このころサザンの秋リリースのシングルは、ヒット狙いというよりは、それ以後のサザンを占うような実験的なシングルが続いたともいえるんだけども、今、改めて聴くと、そんな感じの曲ですな。

それを考えると、何の縛りもないこの「東京シャッフル」を紅白でやる・・という選択は、一番安心感はあったかもしれない。 

なにより、NHKの当時のお偉方には懐かしい曲調だろうし、それを考えるとヘンに刺激することもないだろうし。。。。

おそらく、そういう計算の上でリリースされた曲でもあったんだろうね。。。


ちなみに、個人的にサザンのアルバムに嵌って真のサザンフリークになっていくのは翌年1984年でしたねぇ。
実は当時、母方の親戚が、福島のいわきでレコード店やっててさ。あれは爺さんのお葬式だったと思うけど、音楽が好きで・・・っていったら、 好きなレコードもってけ・・って言ってくれて。。
もらったのがサザンの「NUDE MAN」だったの。

そこからサザン沼に嵌っちゃったんだよね。。。。


・・・なんて、また、話がずれ気味。。。

兎も角、83年紅白で「禊」を済ませたサザンは、以降、31年紅白には出場しないことに。
出演が面倒になって・・・と書いてるネットニュースもあるけど、NHK出禁というよりは、あながちこっちの方が真実に近いような気がするな。。。

やりたいようにやれない紅白より、ファンのみんなと過ごす年越しの方が・・ということで、この後、年越しライブが定番化していくんだよね。




夜ヒットでの「東京シャッフル」だけども、楽器弾きながらのこの曲のテレビ出演っていうのも、珍しかったんじゃないのかなぁ。
紅白では、メンバー全員、楽器なしでの踊りだったからさあ。。。

ちょっと新鮮な気持ちで動画見れましたわ。。。。


ところで、当の紅白歌合戦だけど、サザンがこの曲で出場した1983年暮れ、母方の爺さんが倒れて入院。
母親兄弟が交代で看病ということで、12月31日は、福島・いわきの、ばあちゃんの家で紅白見たんだよな。
ストーブもない室内は、めっちゃ寒くて、最後まで見てらんなくて、途中で布団に入って寝ちゃったのよ。それ、いまだに覚えてるワ。。。
なので、この曲を紅白で見た記憶ってないんだよなぁ・・・。
きっと、その前に寝ちゃったんだろうな。。。
その前の年までの数年間は、最初から最後まで見てた紅白だったけども、この年を境に、今に至るまで40年近く、紅白ってまともに見てないかもしれない。。。。



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