今回の1曲セレクトは、「メロディ」サザンオールスターズです。
まずはデータです。
・タイトル メロディ
・アーティスト サザンオールスターズ
・作詞 桑田佳佑
・作曲 桑田佳佑
・編曲 サザンオールスターズ
・リリース日 1985年8月21日
・発売元 ビクター
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 26.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年9月9日〜10月28日付
台風が接近して蒸し暑さが戻ってきた昨日だったけど、台風が去ってから北風になり一転して涼しい朝を迎えましたわ。ただ天気は依然として「どん曇り」。
いずれにしても、風が北風に変わると秋の気配を感じられてきますわな。
真っ青な秋空というのもいい。 けど、個人的にはむしろ今日のような北風が吹く曇天模様の日のほうが秋を感じたりしてね。
昨日も太田裕美さんの「九月の雨」がラジオから流れてきたけど、この曲のように9月、10月と言うと秋の長雨のシーズンでもあり、今日のような曇天模様の日も意外と多いわけで、こういう日の方が秋を感じるのかもしれないなぁ。
・・・ということで、この曲を聴くと、今頃の曇天模様を思い出す曲を一つ。
サザンオールスターズ「メロディ」。
この曲も「すでに書いててもおかしくないのにまだ書いてなかった曲」なんだろうなぁ。
ただ、サザンは、これまで動画落ちてなかったんで、なかなか書きにくかったんだよね。
ここに来て、ようやくyoutubeでも見れるようになったんで、今回改めて引っ張ってきたんだけどさ。
ところで、なんで、この曲を聴くと曇天模様なのよ・・・なんて、言われちゃうかもしれないけど、ま、あくまで個人的に感じるというわけで。。。




この曲がリリースされたのは1985年8月の終わり。 以前からここでも書いてきているように、この年の夏は天候不順の日が多かったんだよね。
この年の夏の記憶と言ったら、雨の中に出かけた記憶しかない。 その傾向は秋も続いたように思えるなぁ。
今思うと、80年代って、昨今のように「猛暑」だった年って、数えるほどしかないんだよね。どちらかと言えば、冷夏、かつ天候不順の年の方が多かったように感じる。 だからなのか、秋と言えば、曇天模様という記憶が多いんだよなぁ。
この曲と言って、最も記憶に残っているのは、通っていた高校の姉妹校の野球部が秋の関東大会の決勝まで勝ち残って、我ら吹奏楽部が野球応援に借りだされ、甲府まで応援に行ったことだなぁ。
あの日も雨だった。そのため試合は次の日に順延。たしか中央道の談合坂まで行ったところで引き返し、そのまま学校の寮に宿泊した記憶がフラッシュバックするんだよな。
順延になった次の日も、今にも降りそうな雲が低く垂れこめ、薄暗い日だったことを記憶してるわぁ。
あの頃、一番聴いていたのは、リリースしたてだったサザンのアルバム「kamakura」。あの時の野球応援の時も、甲府までのバスの中で暇つぶしに聴いてようと持参したウォークマンは、買ったばかりの「kamakura」から録音したカセットだったと思う。
だからなんだろうね。この曲を聴くとあの時の光景が色濃くフラッシュバックしてくるのは。
野球応援、雨、学校の寮への宿泊、 順延後の曇り空の下での応援、試合後に支給された焼肉弁当の味。
あの時の一連のいろんな光景がフラッシュバックしてくる。
そんな曇天模様の一連の光景がフラッシュバックしてくるからなのか、どうも、この曲のイメージは「灰色」なんだよなぁ、ワタシの中では。
それと、明石家さんまが出演し、この曲が流れていた「kamakura」の販促用のCMがモノクロだったイメージもあるのかもしれない
↓ コレ
でも、実際のレコードジャケットは、↑のような深紅だったじゃん。 なんかその相反するようなコントラストが、また印象的だったりしてね。
それと、同じく↑で書いたように、個人的にはアルバム「kamakura」でこの曲を聴いていたように、シングルというよりは、「kamakura」のなかの準リード曲っていうイメージが強い。
これは、ワタシだけでなく、多くの方も感じていたのかなぁ。オリコンでは最高2位まで行ったものの、売り上げ枚数は26.6万枚にとどまっている。
「kamuraka」の制作を明らかにし、先行シングルとしてリリースされた前作「Bye Bye My Love」の38.6万枚に比べても、明らかに低めの売り上げ枚数だったしね。
逆に言えば、この曲がオリコン2位まで行ったというのは幸運だったのかもしれない。
1985年9月2日付のオリコンで、5位初登場から、翌週9日付で2位に上昇にしたんだけども、その時の週間売り上げは3万3千枚。
レコード売り上げが全体的に下がっていた1985年といっても、この週間売り上げでの2位と言うのは、それほど極端に高レベルと言うわけではない。
むしろ、初動の週間売り上げ4万枚強だったのに4位止まりだった「Bye Bye My Love」のほうが不運だったといった方がいいのかもしれない。
それだけシングルでというよりは、アルバム「kamakura」でこの曲を聴いてた方が多かったってことなんだろうな。 ワタシもその一人なんだけども。
ちなみにアルバム「kamakura」の売り上げは、1985年当時、LP 60.9万枚 カセット32.0万本と、この2アイテムだけでも90万枚以上の売り上げを記録。
まあ、いずれにしても、バラード調のこの曲は、確かにキャッチーではあるものの、単独で聴いてると、意外と単調、かつ、かっちりと固まったメロディラインということもあるのか、何度も聴いてると飽きが来たりするしさ。
いかにもシングル向きという尖がったイメージ、曲全体のインパクトもやや弱いしさ。
そういう意味では、シングルというよりもアルバムの中の1曲というほうがいいのかもしれない。
ただ、アルバムの中でも、今一つ収まりが悪い曲っていうのが、大抵のアルバムではあるじゃない!?
コンセプトアルバムだったら、なおさらに。
アルバムには今一つ収まりが悪いけど、曲をシングルに切れるかと言うと、そこまでは尖がって居ないという曲。
この「メロディ」って曲は、そういう位置づけの曲だと思うんだよなぁ。
幸運だったのは、「kamakura」がサザン初の2枚組のアルバムだったってことだよね。
片方のレコード(CD)には、先行シングルでリリースした「Bye Bye My Love」が収録されているわけで、もう片方のレコード(CD)のシングルは・・・となった時に、シングルとしては尖がって居ないまでも、アルバムの1曲としては、収まりの悪いこのメロディをシングルに切った。
つまりさ、もし、仮に「kamakura」が2枚組ではなく、通常の1枚のアルバムだったら、シングルにはなっていなかったんじゃないか。
まあ、あくまでも個人的な見方だけどさ、そう思えたりもするんだよね、この曲については。
なんて、言いたい放題書いちゃったけど、「kamakura」の楽曲クオリティが全曲通して高いだけに、そう思えたりもしたんだろうな。
これが一般的なアルバムだったならば、この曲がシングルでも全然不思議ではないんだけどね。
ところで、この「メロディ」、レコードではコーラスに原坊は参加していない。
この曲がレコーディングされたころ、ちょうど「ご懐妊」されていたんだけども、妊娠中毒症にかかってしまい、赤ちゃんが危ないかもしれないということで、「kamakura」のレコーディングは途中から外れたんだよね。
ただ、キーボードパートは押しなべて録音済みであったことが幸いだったし、原坊のソロ曲「鎌倉物語」は、自宅マンションにレコーディング車を横付けしてもらい、自宅のベッドから歌ったものだったんだよね。
なので、この「メロディ」でベストテンなどに出演した時も、当時の雑誌の取材の時も「原坊」は参加していない。
代わりにこの曲のバックコーラスに入ったのは、当時、サザンと同じアミューズ所属だった、ジューシィ・フルーツのイリア。
・・・なんて、いかにも当時から知ってました・・・普通に書きましたが、実は最近知りました









それを踏まえて、改めてレコード音源を聴くと、なるほど、たしかに「イリア」だ。。。って納得。
ただ、当時、原坊がベストテンなどへ出演、雑誌取材にも参加してなかったこと。それに加えて「kamakura」リリース後のサザン活動休止宣言から尾ひれがついて、桑田、原坊不仲説、あるいはサザン解散説・なんて雑誌に掲載されたりもしましたね。
事実は、全く違うんだろうけど、でも、結果的に、この「メロディ」と、アルバム「kamakura」リリースから、サザンは3年近くの活動休止状態に入るわけで。。。。
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