かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

松本隆

最後の一葉 / 太田裕美

1976_11_最後の一葉_太田裕美


今回の1曲セレクトは、「最後の一葉」太田裕美です。

まずはデータです。

・タイトル     最後の一葉
・アーティスト   太田裕美
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       萩田光雄
・リリース日   1976年9月21日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数  30.6万枚
・THE HITCHARTHOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1976年10月11日〜11月15日付

つい1ヶ月くらい前まで、「暑い〜」なんて騒いでいたように思うけど、いつの間にか季節は「冬」支度ですわな。
ウチも朝晩は「ストーブ」が欠かせくなっちゃいましたわ。 ・・・ってか、今もストーブ、ガンガン効かせた部屋でこれ、書いてるんだけど。。。

ふむ、個人的にはエアコンの暖房風がダメなんで、未だに「石油ストーブ」ですわ。 石油ストーブのちょっと灯油臭い独特の温もりがいいんだよね。 ストーブの上にやかんのせれば乾燥はバッチリ防げるし。腹減ったらモチ焼けるし、やっぱストーブは冬の万能の暖房アイテムなのです。
まあ、最近は灯油代が高いのが痛いけど・・・・。

で、こんなストーブの季節になると、やっぱ「晩秋」なイメージの曲が聴きたくなるよなぁ。 今回は、そんな晩秋な1曲を一つ。

太田裕美「最後の一葉」。

秋は「別れ」の季節。 誰が言ったか分からないけど、そういうシミジミとした季節な訳です。特に冬まぎわの、「晩秋」ともなると、一段とシミジミとした気分になるものです。

最近・・というか、特に2000年代以降は、曲に「季節感」なんぞ、とんと無くなっちゃったけど、昔は、この時期、特に10月、11月ともなると、そんなシミジミとした別れの曲・・・、まあ、端的に言えば「失恋ソング」ですわな・・・、そんな曲、多かったよなぁ。

そんな失恋ソングを聴いて、よよよよ・・・と泣き崩れる方も多かったんでしょうか。

今回のこの曲も、タイトルからして、そんな分かれを予感させるということは、すぐにお分かりになると思いますが・・。
・・・というか、この曲はO・ヘンリーの「最後の一葉」をモチーフにされた・・っていうのは、よく知られた事実ですわね。

失恋というよりも、この詞の主人公の女性は病気なんでしょうね。
もうすぐ、死にゆく運命の自分、そんな自分であるとは別れた方が彼氏にとっては幸せなんじゃないか と思い悩む自分。

そして、冬、そんな自分に生きる勇気をくれた、林檎の木の枝葉も、最後の一枚になりました・・。

そんな悲しい内容を訥々と歌い上げる太田裕美さん、渾身の1曲・・・と言えるんじゃないのかなぁ・・この曲は。

なんて、如何にもヒット当時、この曲に入れ込んだように書いてるワタシなんですが・・・。

実は、ヒット当時は、まったくこの曲の存在すら知らなかったんだよね。

・・・と言うように、今となっては殆ど、埋もれてしまっている太田裕美さんの1曲じゃないのかなぁ。

いや、その前の2曲の存在感が、あまりにも大きいんだよね、1976年の太田裕美さんは。

なんせ、2曲前が太田裕美さんの「代名詞」と言うべき存在の「木綿のハンカチーフ」であり、次が「赤いハイヒール」ですからねぇ。  それを受けてのこの曲。

曲調としても、ポップな1曲ではない、ミディアムバラード。 どうしても存在感的としては、前2曲には勝てなかったわけです。

それは、チャートアクションにも如実に出て、前2曲がオリコンで連続最高2位だったのに、この曲では5位止まり。 売り上げも前曲「赤いハイヒール」の48.7万枚から、この曲では30.6万枚に落ちてしまっている。

30万枚売れれば大ヒットと言われた時代、それでも30万枚オーバーとしているということは、当時の太田裕美さんの人気を証明している訳なんだけども、チャートアクション的にはベストテン内には1カ月ほどしか留まれなかったし、だから、売り上げも急激に落ちたしね。

その辺りの最大の理由としては、この曲の存在感って言うのが大きかったんだろうね。


ちなみに、この曲は1976年9月リリース。 当時の感覚から言えばリリース時期として、ある意味「賞取り」用の曲とも言えたんですよね。 例えば、秀樹のこの年1976年の賞レース用の曲は、やっぱり9月リリースの「若き獅子たち」であったように。

そういう風潮もあって、太田裕美さんも、この年の賞取りレースは、この「最後の一葉」で行くものと思っていたらしい。 まあ、「木綿のハンカチーフ」は確かにヒットは76年だけど、リリースは前年の75年暮れって事もあり、「木綿〜」は前年の曲・・・って言う意識もあったようで・・・。

なので、どうも、今一つ76年の賞取りレースのノミネート曲も、紅白も「木綿のハンカチーフ」であることに納得がいかなかったらしく、だから、せめてもの反抗として、衣装は、この「最後の一葉」の衣装で出演したようですね。


たださ、あくまで、楽曲としての存在感の話であって、だから「駄作」であるのかと言うと、そうじゃない。

楽曲的には、デビュー曲の「雨だれ」の続編のようなイメージですね。 ショパンのエチュードを彷彿させるような美しくソフトなメロディラインとピアノ。

レコードでは、羽田健太郎氏が弾いていたようだけど、テレビでは、太田裕美さん自身が弾いてましたよね。
でも、「雨だれ」はそうでもなかったようでずか、この「最後の一葉」のピアノは相当難しかったらしく、かなり練習したとか。

・・・というか、本来がギターが本職で、ピアノを弾いた事が無かった萩田氏が、このピアノアレンジをしたっていうのが、スゴイんだけど。。。

でさ、アイドル曲の変遷を年代を下って聴いてると、この辺り(1975後半〜1976年)を境にサウンドが変わって行く事に気がつくんだよね。

なんていうのかなぁ、歌詞で言えば七五調の脱却、メロディラインでいえば四七調の脱却ってやつですよね。
いわい。それまでの「歌謡曲」臭からの脱却っていうのかなぁ。

より洋楽的・・とくに70年代中盤あたりは、ヨーロッパ系の匂いですよね、それにより近くなってきたような印象が強い。 特にサウンド面・・・実際の音質だよね、それはこの頃が劇的に変わったような印象が強いなぁ。

まあ、実際の録音面で、それまでの8チャンネルから16チャンネル、さらに24チャンネルへ・・・と日々進化して行ったのも大きいだろうけど。

特に、この「最後の一葉」あたりを聴くと、そんな印象があるなぁ。

もっともCBSソニーは、それ以前から音質面は、他のいわいる「老舗」メーカーに比べると良かったけど。。


それにしても、このピアノっていうアイテムは太田裕美さんの存在をワンランクグレードアップさせていたよなぁ。当時、ピアノを弾きながら歌う・・っちゅう、いわいるシンガーソングライタータイプの「アイドル」って居なかったから。

いや、正直、アイドルって言う範疇に入れてもいいんだろうか・・・なんて悩むんだよね。 かといってシンガーソングライターって言う訳じゃ無いしさ。

いずれにしても、ピアノが弾ける、清楚でかわいらしいお姉さんタイプの太田裕美さんって好きだったんだよなぁ、ワタシ。

キャンディーズも好きだったし・・。  

うーむ当時はナベプロ派だった・・・って言えるかもしれないな。


蛇足だけど、萩田氏は太田裕美さんをモチーフに、後年、南野陽子さんのアレンジを施したんじゃ無いのかなぁ。
その辺、自身の著書「ヒット曲の料理人」には記されていないけど、ヨーロッパ系の清楚なお嬢様タイプの曲調は、太田裕美さんの、この「最後の一葉」や「雨だれ」あたりが下敷きになってるんじゃないかな・・・なんて思えますねぇ。
特に、ナンノさんの「秋のIndication」とか「秋からもそばにいて」辺りを聴いてるとさ。。




この動画の番組、TBSの「トップスターショー〜歌ある限り〜」じゃ無いのかなぁ。
あの「ザ・ベストテン」の前番組。 ベストテンと同じく、木曜21時〜21時55分で放送してた。

いつも思うんだけど、よくVTR残してた方いらっしゃいますよねぇ。 1976年当時、もちろん、既に家庭用ビデオデッキはあったけど、ビデオテープはかなり高価だったはず。 よく取ってた方がいらっしゃるなぁ。普通は、上から被せちゃって残ってないですよ。
ホント、残してた方に感謝



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ゆ・れ・て湘南 / 石川秀美

1982_09_ゆれて湘南_石川秀美


今回の1曲セレクトは、「ゆ・れ・て湘南」石川秀美です。

まずはデータです。

・タイトル    ゆ・れ・て湘南
・アーティスト  石川秀美
・作詞      松本隆
・作曲      小田裕一郎
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1982年7月21日
・発売元     RVC
・オリコン最高位 29位
・売上げ枚数  8.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 27位

一昨日、小田裕一郎氏が逝去されましたね。 享年68歳。
全くの突然の逝去のニュースであったので、ちょっとビックリしてしまったワタシなのですが。。
確かに、昨年刊行された「大村雅朗の軌跡」に掲載された小田氏の写真の風貌が、昔とは全く違っていた事には違和感を感じていましたが、まさかね・・・。こんなに若くしてお亡くなりになるとは。。。

それよりも、先週、石川秀美さんの「バイ・バイサマー」を書いたばっかりなのに・・って言う思いもあったし、ちょっと小田氏を卑下した書き方になっちゃったんで、申し訳なかったような思いが交錯した昨日今日だったり。

・・・ということは、やっぱり、今回の1曲セレクトは、小田裕一郎氏の曲で行きたい。。。

とは思ったものの、今頃のヒットで小田氏の曲って、ほとんど、既に書いちゃってたりするんだよな。

・・と、一度は諦めかけたものの、何気に1曲セレクトでの石川秀美さんのアーカイブを調べてみたら、なんと、この曲をまだ書いて無いではないか。。。。    

「ゆ・れ・て湘南」

ガーン

ワタシの中では82年の晩夏といったら、この曲・・・って言うぐらい、ワタシの中ではスタンダードなこの曲をまだ書いて無かったとは。。。。

これは完全に不覚だったな。

それに本来は連続して、同じアーティストの曲は書かないようにしてたんだけど、今回は小田氏の追悼ということもあり特別・・・と自分に言い聞かせて、引っ張って来ました。


先週の「バイ・バイサマー」でも書いたんだけども、この曲は、もろ82年の今頃"晩夏〜初秋" を象徴しているような曲なんだよね。

パッと聴き、この曲に、夏の太陽、青い空、青い海・・っちゅうもろ「夏の湘南」のイメージを持っている方はいないですよね。 
ポップではあるものの、マイナー調のこの曲は、どうしても、どん曇り、あるいは小雨交じりの〜 っていう、うす暗い夏の午後を連想してしまう。

個人的には、小雨交じりの、鎌倉の七里ガ浜っていうイメージかなぁ。

というか、実際、この曲がヒットしていた82年の8月の終わりか、9月の初めごろに七里ガ浜に行ったんだよね。

当時、まだ福島から千葉に越して来たばかりで、友達も無くて、よく一人電車で放浪してたんですよ。 首都圏内ほとんどの鉄道路線はあのころほとんど制覇したんじゃないかってくらい放浪してたな。 
当時は「乗り鉄」だった事もあるんだけど、電車に乗って放浪してると、友達がいない寂しさを紛らされるっていうかさ。
で、ちょうど、この曲の頃、「江ノ電」で鎌倉から藤沢まで行ったんだよな。 その途中、七里ガ浜に寄ったんだったと思う。

どん曇りの小雨模様だったのを覚えてるわ。

そんな時、脳裏で鳴っていた曲が「ゆ・れ・て湘南」だったんだよね。 

それからというもののこの曲と言ったら、あの時の、海は鈍色、空は薄暗く、かつ肌寒かった、あのときの情景が浮かぶんだよなぁ。

ともかく、この曲から感じた情景と、あの時のリアルの情景がピッタリ一致したんだよな。

でもさ、この時がたまたま、小雨模様だった・・・って言う事でもないんだよね。 

ここでは、もう何回も書いてるけど、82年の夏って冷夏で天候不順な夏でさあ、雨の日が多かったんだよ。

まさにこの曲自体のイメージにぴったり嵌まった・・・と言うような。

そんなこともあって、ワタシの中では、82年の晩夏といったら、この曲って言うイメージが定着しちゃったんだと思う。

まあ、この曲だけじゃ無いけどね、中森明菜の「少女A」とか、サザンの「夏をあきらめて」とか、マイナー調の曲がしっくりきた夏だったんだよ。 だから、82年の夏といったら、全体的に「曇天の雲の下の〜」っていうイメージがいまでもこびりついちゃってたりするんだよね。



うんにゃ、この動画の画像のような「真夏の青い空の下〜」っていう、もろ湘南の夏のイメージぢゃないんだけどなぁ、この曲は。

ただ、いわいる「湘南ソング」って昔から、いっぱいあるけど、大体いつも、夏の太陽、青い海〜・・・っていうイメージだよね。 往年の若大将、加山雄三氏にしても、もちろんサザンにしてもチューブにしても、みんなそうじゃん。

曇天、小雨交じりの湘南・・・なんて曲は、この曲と、↑で書いたサザンの「夏をあきらめて」ぐらいじゃないのかなぁ。 調べればもっと出てくるかもしれないけど、パッとなかなか思い出せない。
湘南ソングからすると、かなり稀有な曲かもしれないな。
まあ両方とも82年の曲ということで、それだけあの年の天候不順さが分かるんじゃないかなぁ。


どうでもいいことだけど、この曲のタイトル「ゆ・れ・て湘南」・・って「ゆれて」の間に「・」が入るんだね〜。 あれから36年。いま頃気が付きましたわ〜



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ジェットコースター・ロマンス / KinKi Kids

1998_05_ジェットコースター・ロマンス_Kinki Kids


今回の1曲セレクトは、「ジェットコースター・ロマンス」KinKi Kidsです。

まずはデータです。

・タイトル    ジェットコースター・ロマンス
・アーティスト  KinKi Kids
・作詞      松本隆
・作曲      山下達郎
・編曲      船山基紀
・リリース日   1998年4月22日
・発売元     ジャニーズエンタテインメント
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  93.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1998年5月4日〜6月1日付
・タイアップ:ANA沖縄キャンペーンCM曲

前回の1曲セレクトはちょこっと時代を遡った曲だったんで、今回は逆に時代を下ってみますか。

KinKi Kidsの「ジェットコースター・ロマンス」なんぞ、どうでしょうね。

1998年の今頃の大ヒットっちゅう訳だけど、98年なんてーのは最近だもんね、ワタシの中では。 いや、今まで書いてきた1曲セレクトの中でも、かなり「最近」の部類に入ると思う。

でも、それでも気が付いてみれば、もう20年も経ってるんだよな。 以前も書いたけど98年っちゅうたら、既にインターネット使って、自分のランキングを作ったりして、ほとんど今と変わらないような事をやっていた訳でさ。

そう言う意味でも、ワタシの中では全然、「昔」って言う感覚は無いんだけどさ。

まあ、まだ、自分のサイトは開いてなかったし、仕事も大学から新卒で入った会社に居たりしたし、そう言う意味では、(ワタシ自身の)周辺環境では時間が経ったなぁ・・・っていう感覚でもあるんだけどさ。

なによりも音楽、ヒット曲への向きあい方は、今とは違いましたねぇ、この頃は。

以前も書いたけど、当時は音楽とは全然接点のない会社だったし、仕事だったからさあ、音楽との向き合い方も、普通の一般の方と変わらなかった訳よ。

年も27才だったのかなぁ、この頃。 まあ、既に20代も後半だったし、やっぱアイドルを正面から聴くって言うと歳でもなかったからさ。 

だから、このKinKi Kidsの「ジェットコースター・ロマンス」なんてのも、正面から聴く事は無かった。
まあ、「Mステ」は当時も見てたからさ。KinKiがMステに出演した時、聴いてたくらいだったのかなぁ。
あとは、会社の営業車の中で移動の時にラジオで流れてきた時くらいだったのかなぁ。

それでもね、全く無視していた訳じゃない。「理性」としてアイドル聴く年でもないよなぁ・・・と思いながらも、やっぱ、気になったりしてね

いやKinKi Kidsってヒトたちの曲は、キライじゃ無かったんだよ、当時。 むしろ、本当だったらちゃんと聴きたかったんだよね。

このヒトたちの曲って、ヒット曲らしい曲だったしさ。簡単に言えばキャッチー、分かり易い。変な仕掛けがないんだよね。
それでいて音楽志向の人が聴いても受け入れられるっちゅうかさ。

まあ、それはジャニーズの中でも音楽志向が強い2人だったからこそだったのかもしれんけど、KinKi Kidsって。逆に言えば、だからこそ、この曲の作曲である山下達郎氏であったり、この曲の次の「全部だきしめて」の吉田拓郎氏であったり、モノホンのミュージシャンが、このヒトたちの周辺に付いてきたんだろうしさ。

うん、ここまで大物のミュージシャンが周辺に付いてるジャニーズって他には無かったからねぇ。

ビジュアルというよりも「音楽」として聴けたんだよね、このヒトたちの曲って。 

正直言うと、この曲も好きだったんだよ、個人的には。

 この如何にも初夏的な温度感と疾走感。如何にも「達郎」っぽかったしなぁ。

KinKi Kidsと山下達郎っちゅうと、どうしてもデビュー曲の「硝子の少年」なんだけども、この曲は、あくまで仮想「筒美京平」としての曲なんでさ、達郎氏って言う匂いは薄い印象だった。 個人的にも筒美京平氏って思ったしさ初めは。

いや、ジャニーズの場合、たのきん・・・、いや、それ以前にもジャニーズ時代の郷ひろみ氏って頃から、筒美京平って言う看板があった。 あのSMAPにもごく初期にシングルを書いてたしね。

だから、山下達郎氏が筒美京平氏を意識するのも分かる。 

でも、この曲に関して言えば、そう言った「しがらみ」を一切断ち切ったような達郎ワールド的な曲を持ってきたって言うのが、むしろ良かったんだよな。

うん、この手の疾走感、爽快感がある初夏向けの曲っていうのは、筒美氏の曲ではそうそうなかったしね。達郎節ならではなんだよね。 そこが良かったと思う。

ただ、それでもデビュー曲から2作連続で続けたミリオンセラーは、この曲では突破できず。 

うーん、そこは個人的にはちょっと「誤算」だったかなぁ。 この曲こそ、ミリオン行っても全然おかしくない・・・っておもったんだけどなぁ。





この曲、今まで書いてなかった理由が、なんとなく分かったわ。この曲、動画が落ちてないんだよね。
なんで、本当はもっと早く書くつもりだったんだけども、いままで書いて来なかったんだ。
今も、目ぼしい動画落ちてないもんなぁ。
唯一落ちてたのが、コレ。
音も画像も悪いけどさ、まあ、どうぞ・・・ってことで。。


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元気なブロークン・ハート / C-C-B

1986_05_元気なブロークンハート_C-C-B


今回の1曲セレクトは、「元気なブロークン・ハート」C-C-Bです。

まずはデータなのら。

・タイトル    元気なブロークン・ハート
・アーティスト  C-C-B 
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      大谷和夫、C-C-B
・リリース日   1986年4月9日
・発売元     ポリドール
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数 17.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1986年4月21日〜5月26日付

えー、ここのところのいつものごとく・・・。久っさしぶりーの、1曲セレクトどぇす。。
まあ、ここ10年ばかし毎年の事なんだけども4月は「生業」の繁忙期でもあり、いつものごとく忙しっちゃ、忙しかった訳なんだけどもね。ゴールデンウイーク直前にも、「予期せぬ」程の仕事量が舞い込んで来まして、ゴールデンウイーク前半は、3日間とも家で「持ちかえり」の仕事をこなす・・・という。。。

うん、全部、古巣の某D社が悪い・・・。 なぞと、他人のせいにしたりする。。。やつあたり

 ゴールデンウイーク後半は仕事なし。 と言っても、本当は仕事残ってるんだけども4連休の間は会社の・・というか某Jさんのデータベースが止まってるんで仕事が出来ず・・・ってところの「仕事なし」なんだけどさ。

まあ、そんな訳で、ひっさびさに「1曲セレクト」を書いてたりしまする。

さてさて、久々に書く今回も「80年代」の曲を持って来たい・・・。とは思っていたものの、いつものごとくなかなか曲が浮かばない。
 いや、ホント、もうね80年代のヒット曲って、書いてない曲、あんまり残ってないのよ。・・・といつものごとく昔のオリコン引っ張りだして、あーでもないこーでもない、とやっていたら、ありましたわ、まだ書いてない曲が・・・。

しかもベストテンヒットやないの

C-C-B 「元気なブロークン・ハート」。

C-C-Bかぁ、かなり久々に書くような気がするけど、この曲はねぇ、うーむ、正直、忘れてました。。 
とは言わないものの、当時、あんまり引っかからなかったのよね。なので、ずっと自分の中でも「死角」の中にあった・・って感じなんだよな。

件の「Romanticかとまらない」で大ブレイクから、前曲の「空想KISS」までは、当時レコード買ってたんだけどさ、この曲から買わなかったんだよ。 それ以後ずーーっと、約30年、この曲の音源が手元になかったっていうのも死角に入った一因ではあるんだけどさ。

なぜ、当時、このシングルから買わなくなってたんだろう

まあ、簡単に言えば上で書いたように引っかからなかったんだけど。。。どうもね、新鮮味を感じなかったって言うのもあるんだろうな。

当時C-C-Bって、チェッカーズの2番煎じだの、所詮はアイドルバンドだのって言う見方をされていたところもあるけど、個人的には好きだった。

確かに元々コーラスグループであった割りにはコーラスは上手くなかったし、演奏力よりも、あの強烈な変色ヘアーっていうビジュアルで売っていたところも強かったしな。

それでも、テクノ寄りのバンドとしては、キャッチーだし、なによりめっちゃ分かりやすい曲調だったからねぇ。
そんな点になぜか新鮮味を感じてたところもある。

でもねぇこの曲はねぇ、前曲の「空想KISS」まで感じていた、そんな新鮮味が感じられなかったんだよな。
それは、ビジュアルとして↑の「ジャケ写」でも分かるように、突飛押しも無いようなあのカラーヘアをやめ、全員「黒髪」に戻したってところもそんな要因の一つではあった。

うん、なんかさ、カラーヘアから黒髪に戻したら、まったく普通のジミーな「あんちゃん」集団になっちゃったって感じだったし。。。

でもまあ、それ以前にこの曲の曲調ですねぇ。
リュウ氏のドラムがシモンズ(あの「ビシバシ」ってる電子ドラム)から、通常のドラムセットに変わったってところからも分かるように、テクノ歌謡から、普通のロックベースの歌謡ポップス風に変わったってところがねぇ、どうも個人的にはいただけなかったんだよなぁ。

 あの頃はさ、アイドル全盛期ではあったけど、一方ではバンド系でいえばいわいるニューウエーブ系の台頭もあったわけでさ、間がいなりにも時代は先へ進んでいるような印象は強かった。

そこに来て、時代を逆行したようなこの曲だったんでね、一層新鮮味を感じなかったんだろうな。

いつもは、どこかしらに「ココ」って言うポイントがある筒美氏のメロディラインも、どうも垢抜けない。
この曲を聴いてて浮かんでくる絵ヅラっていうのが、筒美氏自らアレンジも行っていた70年代の〜っていう感じなんだよね。86年当時から見てもアナクロなのよ。

それまでC-C-Bに新しい風を吹き込んできていた筒美氏も、この曲以後は、どこか試行錯誤的なところに陥っちゃったかなぁ、なんて感じちゃったりするんだよな、C-C-Bに対しては。

その辺はもっと端的に感じる別なシングル曲があるんで、またいずれ書こうと思うけど。。。


でもさ、その辺の曲想・・というか空気の変化っていうのは、聴いてるコチラも敏感に感じるもんなんだろうねぇ。

それまでC-C-Bのシングルってランク上位に比較的留まる傾向にあったんだけど、この曲から、いわいる「初動」型に変わっていくんだよね。
つまりさ固定ファンしかレコード買わなくなってくる傾向。 その分売り上げ枚数も減って来る。 前曲「空想KISS」の25.6万枚に対して、この曲では17.3万枚と20万枚割れ。以後20万枚を超えるヒットって出なかったんだよね。

ま、この頃からCDへの移行が顕著になってきてアナログシングルは売れなくなってきている傾向が強くなっては来ていたけどさ。それを差し引いても、それまでのシングルのように、いわいる浮動票は巻き込まなくなって来ていたことは確かなんだよね。

今考えると、ここがこのヒトたちの「人気」の分岐点だった事は間違いないんだけど、併せてグループとしての方向性もちょっと見失ってくるような分岐点だったのかもしれないな。
そう言う意味では、この曲がこのヒトたちにとっての「終わりの始まり」だったのかもなぁ。




・・・黒髪で、ぶち眼鏡をかけたベースの渡辺英樹氏とドラムのリュウ氏が瓜二つやん。 

しかし、そんな英樹氏も、若くして鬼籍に入られてしまいました。 
その後「クスリ」で捕まったキーボードの田口氏を草葉の陰からどう思ったんでしょうねぇ。

このヒトたちも永遠にオリジナルメンバーでの再結成が出来ない、80年代の超人気グループとなってしまいましたね。その辺も「チェッカーズ」と同じなんだよな。数奇の運命とでもいいましょうか。

・・・・なんて書いたのは、4年前、本日、ドラムの笠さんも鬼籍に入られてしまいました。
昨年、筒美京平ライブでは、ドラムをたたけるまでになっていたんですが・・・。
大分悪かったようですね。 謹んでご冥福を申しを上げます。




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雨だれ / 太田裕美

1975_03_雨だれ_太田裕美


今回の1曲セレクトは、「雨だれ」太田裕美です。

まずはデータです。

・タイトル    雨だれ
・アーティスト  太田裕美
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1974年11月1日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 14位
・売上げ枚数  18.1万枚


またまたお久しぶりーな、1曲セレクトどぇす。
もうね、こんな書きだしのマクラが定番になっちゃいましたね、最近は。
相変わらず、書こう書こうと思ってなかなか筆が上がらない自分だったりしてなぁ・・・。

ここ暫くは「時代の転換点」な曲って言う感じで曲をセレクトしてきたりしてるけど、今回の曲も、そんなヒット曲の転換点な時代の1曲って言えるのかなぁ。

太田裕美「雨だれ」

そそそ、太田裕美さんの「デビュー曲」ですね。 リリースは1974年(昭和49年)11月っていうから、ワタシャ5才。
当然、リアルタイムではないよなぁ、この曲は。

でも、11月リリースなのに、なんで今頃書いてるの? とも思う方もいらっしゃるかなぁ。うん、この「1曲セレクト」は原則、「ヒットしていた時期」に書いてるからさ。
But But、ご安心あれ、この曲のヒットのピークは、1975年の丁度今頃なんですねぇ。(オリコン最高位14位を記録したのは、1975年3月3日付)。なので、リリースからヒットのピークまでは4カ月要した、いわばロングヒットでもあるんだよね。

ただ、ワタシらの世代と、太田裕美さんっていうと、どうしても次の年の「木綿のハンカチーフ」だったりするんだけどさ。。
いや、恐らくこれ読んでいただいている多くの方が、そうじゃないのかなぁ。

個人的にも、後年、時代を遡ってこの曲を聴いた訳なんだよね。

で、ちょっと迷ったのが、果たしてこの曲は、単純に「アイドルポップス」っていうカテゴリーに入れていいのだろうか・・って事なんだよなぁ。

たしかにこの曲では太田裕美さん本人がピアノの弾き語りで歌っていたこともあった。 そのスタイルからしてアイドルポップスって言う範疇では無かったように感じたところも大きい。

けどさ、それ以上に、甘美なピアノのイントロから始まるこの曲は、やっぱりアイドルポップス・・・って言うイメージじゃないんだよねぇ。どちらかと言えば、当時、広がりを見せつつあったニューミュージックの世界観に近い。
あ、これは、その時点までの一連のアイドルポップスと比べると・・・と言う事だけど。

「雨だれ」っていうとショパンのプレリュードを思い浮かべる方もいらっしゃるかと思うけど、そんな世界観を想像してしまうようなイントロのピアノの旋律は、流石は萩田光雄氏のアレンジだよなとは思わずにいられなかったりしてさ。

それまでの70年代アイドルポップス・・・いや、アイドルポップスに限らず、いわいるヒット歌謡って言う部類の曲、全般的にですね、どちらかと言えばメロディライン優先で、バックのサウンドは添え物って言うところがあった。 まあ、大まかに見るとよ。

でも、この曲あたりから、メロディラインだけではなく、バックのサウンドのクオリティも上がってきているんだよね。トータル的に音楽を感じるられる曲って言うのかなぁ

それは日本独自の流れというよりは、ヨーロッパを初め世界的にそんな流れになってきては居たんだけどね、当時は。
リズム重視というよりもサウンド重視っていうのかなぁ。そんな流れに日本のポップスも追いつきつつあった。

この曲はそんな流れの象徴の一つなんじゃないかなぁ・・・なんて思ったりするんですよね。

そんな世界的な流れのトレンドにいち早く移行したのが、後のニューミュージック勢の方たちであり、歌謡ポップスでは筒美京平氏なんじゃないのかなぁ。

筒美氏一人で・・というよりもそれを支えたブレーン達の才能って言うのもあるんだろうけどね。そのトップバッターだったのが、この曲のアレンジをした萩田光雄氏ですよね。

まあ、丁度ヨーロッパ・・特にクラシックの流れを汲んだような曲調のフレンチポップスが流行っていたって言うのも追い風だったのかもしれない。
以前も何回か書いたような気がするけど、フレンチポップスと日本の土着的なメロディって相性が良いからさあ。

なんで相性がいいのか・・・正確では無いかもしれないけどさ、日本の方言、特に東北地方の方言ってフランス語的って言われてるじゃん。
寒くてあんまりはっきりとしゃベれないんで、ボソボソっとした発音と省略語が多いところがフランス語の発音に似てるってさ。

そんなフランス語に似てる発音で歌われる民謡・・・これってやっぱりフレンチ的になるんじゃないのかなぁ・・・なんて思う訳なんだよね、個人的には。

ゆえに、フレンチソングと日本の土着的な音楽って相性がいいのも、ある意味必然的なんじゃないのかな・・・なんて勝手に思ってたりするんだけどさ。

ま、蛇足と言う事で・・・

あ〜、話が脱線した。。。。元に戻す。

それらの「いいところどり」・・っていうかさ、上手い具合に融合し発展し始めたのがこの頃の曲だと思うし、その1曲が、この「雨だれ」なんじゃないのかなぁ・・・なんて思ったりするんだよね。

筒美氏もこの曲に関しては、納得する出来だったのかもしれない。 何年か前にNHK BSの「筒美京平」ご本人が出演された特集の最後に、筒美氏本人がピアノ弾き語りで演奏した曲がこの曲だったわけだから。

ヒット曲は、納品した瞬間から自分の手を離れるって自ら語っていた本人なわけだから、その本人が自ら弾き語りで選んだ曲っていうことは、それほど納得が行って愛着を持っている曲なんじゃないのかなぁ。

そう言う意味でも印象的な曲なんだよね、この曲は。

まあ、売り上げ的には大ヒットと呼べるほどではないんだけどさ。




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16粒の角砂糖 / 西村知美

1987_01_16粒の角砂糖_西村知美


今回の1曲セレクトは、「16粒の角砂糖」西村知美です。

まずはデータです。

・タイトル    16粒の角砂糖
・アーティスト  西村知美
・作詞      松本隆
・作曲      辻畑鉄也
・編曲      萩田光雄
・リリース日   1987年12月17日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数  7.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1987年1月12日付

2018年、明けましておめでとうございます! 今年もよろしくお願いします。
さてさて、年明け1発目の「1曲セレクト」。いつもながら曲、どーしようかなぁ・・・やっぱり年明け早々は「アイドル」で行きたい・・と思ったものの、どうも、コレといっ曲が浮かんでこない。
1月っていうのは昔からリリースって薄いんだよなぁ。だからね、1月に新曲を書こうと思うと、意外と苦戦する。これはアイドル系にもいえることでさ。確かに1月1日リリースって言うもある事はあるんだけど、これまで結構書いてきたからなぁ・・・。

・・・と思ったら、1月1日リリースではないものの、「年末リリース」だった曲が1つあったぞ。

西村知美「16粒の角砂糖」

うーむ、最近、なんやかんやで西村知美さんの曲ちょくちょく書いてるような気がするけど・・・。でも、まだあるんだよねぇ、書いて無い曲が。 

この「16粒の角砂糖」なんて曲。どの位の方が覚えてるだろ? その方が心配。

この曲は、西村知美さん5枚目のシングル。 でもね、ここまでがデビューした年、1986年のリリースなんだよね。 っつうことは、デビュー1年目は、5枚もシングルだしてたりするんだよな、西村知美さん。

ここでは何回も書いてるけど、当時は3ヶ月ローテーションリリースが通常。 つまりさ年4枚リリースっていうのが、普通だたんだよね。 そそそ、季節ごとに1枚っさて感じかな。

だからさ、それから見ると、年に5枚リリースっ、しかもデビューの年に5枚っていうのは、当時から見てもハイペースなリリースだったんだよね。

まあ、この曲の前曲「君は流れ星」は、アニメの主題歌っつうこともありーの、通常のリリースローテーションから外れた、いわば「臨時発売」的なリリースであった訳で、 通常であればこの「16粒の角砂糖」がローテーションにのったリリースになるんだけどさ。

だけど、当時は、あまりのリリース間隔が早くて、どちらかといえば、この曲が「臨時発売」のような感覚になってたことは確かだな。


だけんどねぇ、前も書いたかもしれないけどこのヒトの曲って、デビュー以来どの曲を取っても、いまひとつ良く分かんない曲が多かったんだよなぁ。
まあ、ウタがね。。。。あれなんで。。。

その中でも一番分かんなかったのが、この「16粒の角砂糖」だったりするんだよなぁ。 ま、個人的な話って言うでなんだけど・・・。

この曲、西村知美さんにしては・・・いや、当時のアイドル全般からに見ても珍しい3連のドゥ・ワップ調だったりするんだよな。
だからさ、本当だったら、「へぇ・・めずらしいなぁ」なんて引っかかってもおかしくないんだけど、なにせ、ウタが素晴らしい西村さんだからさあ、逆に余計分かんなくなっちゃっただよなぁ。

聴いた後で、一体何だったんだろう? なんて思っちゃったりして。。。 なにが「16粒の角砂糖」なの? 言いたい事がさっぱり分かんなかったんだよな、当時のワタシは。

今でもこの当時の曲を通しで聴くと、やっぱり浮くんだよなぁ。 86年から87年って言う時代からみても逆行しているような・・・。

そうだ、当時分かんなかったのは歌詞の内容云々の前に、曲として時代性が良く分かんなかったんだよ、この曲。だから、理解できなかったのかもなぁ。

いやいや、正直いうと今でも良く分かんないんだよ、この曲は。 ただ、ヒット当時は全く引っかからなかったこの曲も、30年経った今は、なんとなしに引っかかるようになったけど。。。




うーん、改めてVTR見ながら曲を聴くかぎり、当時ひっかからなかったのは、曲のインパクトの薄さもせいってのもあるな。
確かに曲調的には面白いんだけども、如何せん流れて行っちゃうような感じなんだよな。西村さんも今一つ消化しきれてなかったんじゃなぁのかなぁ・・・。改めてそんな印象を感じたな。


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バラードのように眠れ / 少年隊

  1986_12_バラードのように眠れ_少年隊


今回の1曲セレクトは「バラードのように眠れ」少年隊です。

まずはデータです。

・タイトル    バラードのように眠れ
・アーティスト  少年隊
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      馬飼野康二
・リリース日   1986年11月28日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 23.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年12月8日〜1987年2月16日付

いつもの事だけど、ここにたどり着くまでが長いんだよなぁ・・・

・・・なんて、これじゃ意味分かんないですよねぇ 

いやいや、この1曲セレクトの文章を書き出すまでが長い・・・って事なんですけどね。

頭では、いつも「あー、書かなきゃ書かなきゃ〜」って思ってるんだけども、なかなかPCに向かえない。別に後でもいいのにゴミ捨てに行っちゃったり、時にはドライブに出かけちゃったり、買い物に行っちゃったり・・・
そうじゃなくても、いざPCに向かって「よし、書こう」と思っても、他のサイトが気になっちゃったりして、気が付いたら2時間〜・・・とかさあ。。。

まあ、今に始まった事じゃないんだけどね。昔からそう。お尻に火が付かないと全く動かないタイプ。物事を計画的に進められないタイプ。
夏休みの宿題は最後の1日で・・・いや、最後は面倒になってやらないで明日廊下に座らせられればいいや・・・なんて開き直るタイプ。

ただ一旦尻に火がつくと、物事を進めるのは、めっちゃ早い。自分でも制御できなくなったりしてさ。。。早すぎ途中の過程をすっとばす事も多いけど。。
ここもね、一旦書き始めると30分もあれば書いちゃうんだけどねぇ。
その代わり、以前からここ読んでくださってる方は大かた気が付いてると思うけど、ワタシ「誤字脱字」が多いのよ。   書き始めると、かっとばして書くからなぁ。。。

でも、なっかなか尻に火が付かないんだけどね。

サラリーマンとして、否、社会人として出世できないタイプですな  


あー、訳の分かんない「マクラ」になっちまった。。。

少年隊の「バラードのように眠れ」でしたねぇ〜。。

ちょっと前に別の曲を書いた時に、リリース日を間違えて覚えてた・・・ってことで、書く曲を差し替えた事があったんだけども、そん時元々書こうと思ってた曲が、実はこの「バラードのように眠れ」だったんだよね。

いや、つい最近まで、この曲86年の「11月1日」リリースだった・・・ような気がしてたんだよなぁ。。。。「11月28日」だったか。。。

ということで、今まで書くの先延ばしにしてたんだけど、ヒット時期にも合ってきたんで「満を持して」引っ張って来ましたわ。

うー、「満を持して」っていうのは、ちょっと大げさか。 なんせこれまで1500曲ほど書いてきたのに、まだ書いてなかった曲だからなぁ。
忘れてた訳じゃないんだけど、今一つとっかかりが難しくて書けないでいた曲って感じなんだよね、この曲。


この曲、少年隊としては、デビュー第4弾シングル。 結成以来5年待って満を持してレコードデビューした「少年隊」。ま、デビューシングル「仮面舞踏会」は、その期待を裏切らないヒットとなった訳だけど、その後が今一つだったんだよねぇ。

この「バラードのように眠れ」の前の「ダイヤモンド・アイズ」なんて、オリコン1位を獲得したものの、「あっという間」にヒットチャートから転げ落ち・・・。
いや、この曲のチャートの転げ落ち方には、逆な意味で「意表」を突かれたんだけどさ。 
たしかにね、曲自体、よく分かんない曲だったんだけどね。 これで大ヒットはない・・・よな・・・って言う感じで。

そんなわけでね、「少年隊」は意外と短命かも・・・なんて個人的には思いつつあったときに、この「バラードのように眠れ」がリリースされた訳ですわ。

前曲が前曲だっただけに、ある意味、少年隊にとっての「勝負曲」だったわけですわね。

でもまあ、そこは作詞 松本隆、 作曲 筒美京平、編曲 馬飼野康二  80年代ポップスに於いての超黄金トリオですわ。 この3人で「駄作」の訳が無いですよ。

この曲を皮切りに、次の「Stripe blue」、3曲先の「ABC」へと続く、 松本-筒美コンビによる、いわいる少年隊ユーロビート「3部作」と呼ばれるようになった、その最初の曲がこの曲って訳だけどさ。

でも、この曲は大まかに見てユーロビート感は薄かったような気がするな。

一聴して、どちらかと言うとショービス系の匂いが強いよね。 イントロにかぶさってる、ストリングスのサウンドは、完全にショービス風だしさ。 その昔のトム・ジョーンズとか、そうじゃなくても70年代のフィラデルフィアサウンドを彷彿させるしさ。 
ま、確かに、リズム的にはユーロビートなんだけどさ。 強烈にユーロビートを感じせる訳ではない。

でも、そう考えると、ヨーロッパとしてのユーロビートと言うリズムの上に、フィラデルフィアって言うアメリカンなサウンドを纏わせ、日本の少年隊が歌う・・・なんていう図式にもとれるんだよね。

大げさに言えば「ワールドワイド」な曲・・・ってさ。 

そういえば、少年隊のデビューキャッチは「日本発、世界行き」だったよな。 

もしかして、このキャッチコピーを意識した曲だったのか、この曲は  

なんて考えると、松本、筒美、馬飼野・・・っちゅう超ゴールデントリオ、さすがにタダ者じゃないな・・・。

まあ、考えすぎかもしれないけどさ。。。 (なんて書くと身も蓋もない 


いずれにしても当時は、ユーロビートな時代だったんだよね。古今東西猫も杓子もユーロビートだったもんな。

まあ、日本の曲の場合、大体は向こうの曲のカバーだった訳だけどさ。
これは当時の日本のソングライティングレベルでは、なかなか自前でユーロビートを作るのも難しかったからなのかもな。

以前、近田春夫氏も「リズム体を車のシャーシに例えると、80年代の向こうの曲のシャーシは難しいんで・・・」ってな事を言ってたしね。

そんな中、それでも「自前」でユーロービートサウンドを持ってきたっていう、この曲からの少年隊、ユーロビート3部作はやっぱ画期的だったんだよね。 それを考えると、やっぱ筒美京平って言うヒトと、そのプレーンだった馬飼野康二氏や船山基紀氏の凄さを改めて感じたりするんだよなぁ

 そして当の少年隊も、ランキング的にも、この曲を皮切りに息を吹き返しましたよねぇ。ただ、レコード売り上げ枚数は、それほどでもなかったんだけどね。この曲が23万枚だったし。。。
いや、それでも当時は、結構な大ヒットに感じたんだけど。。。実感的には、実際の売り上げ +5万枚位の感覚がありましたね。 この曲にしたって30万枚前後っていう感覚があったしさ。
それだけアナログレコードの売り上げが落ちてたんだよな。この頃が「底」でしたからねぇ。



「邦楽としてのポップス」と見た時、やっぱり、この時期の曲の完成度って高いんだよなぁ。
それだけ各作家陣がこのころが一番成熟してたって言う証拠なんですよね。
洋楽的だけども日本の土着的な匂いが強いっていう独特のグルーヴ感は、端から「外人」が書いてる最近のジャニーズの曲では全く感じられなくなったよな。


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生意気 / 中山美穂

1985_11_生意気_中山美穂


今回の1曲セレクトは、「生意気」中山美穂です。

まずはデータです。

・タイトル    生意気
・アーティスト  中山美穂
・作詞      松本隆
・作曲      筒美京平
・編曲      船山基紀
・リリース日   1985年10月1日
・発売元     キング
・オリコン最高位 8位
・THE HITCHART HOT30最高位 16位

松本隆氏が今年の紫綬褒章受章というニュースが広がってますねぇ。
まあ、松本氏くらいの「実績」であれば、受賞して当然であるとは思いますけどね。むしろ、遅いくらいではないのかなぁ。
同じく70年代、80年代のヒット曲界を席巻したもう一つの2大作詞家、阿久悠氏は99年62才で受賞していたりする。ユーミン、桑田佳佑氏、中島みゆき女史は50代でしたからねぇ。
松本氏は今年68才だったそうで、それを考えるとやっぱ遅かったよね。長年の盟友である作曲家の筒美京平氏が、2003年に受賞しているけど、その時でも良かった位かもなぁ。

いずれにしても70年代、80年代の音楽界を「作って」来た方も、「国」から認められる賞を受賞する年代になって来たわけなんだよねぇ。

それをかんがえると、やっぱ、自分も年を取るわけだよなぁ・・・などと考えずにはいらなかったりして。。


・・・ということで、やっぱ、今回は松本隆氏の曲を持って来ましょうかねぇ。。。

と思って、考えてた曲があったんたけども、今リリース日を調べてみたら、もうちょっと「後」だった。。。

うーむ、「11月1日」リリースだとばっかり思ってたんだけどなぁ。。。。。「あの曲」

まあしょうがない、他にもあるさ〜・・・などと軽く思ってたんだけど、浮かんでくる曲が悉く、これまでに書いてるんだよな。。。  

で、絞り出してきた曲がこの曲。

中山美穂「生意気」。

なあ、「絞り出してきた」っていうのは大げさかもしれないけどさ、ミポリンのデビュー第2弾シングルですわな。

この曲、まだ書いてなかったんだな、ワタシ。

ま、確かに、当時から印象に薄い曲ではあった。 もちろん音源はかなり昔から持ってたし、だから知らなかった訳じゃないんだけども。。。

なんかね、知らない間に「ヌルッ」とチャートの上位に居た・・・。 そんなイメージなんだよな、個人的には。

それは、恐らく個人的な事情もあるかもなぁ・・・いや、多いにあると思う。

・・・というのもね、この曲がヒット当時・・・1985年10月から今頃にかけてだよね、 当然、毎週のようにオリコンウイークリーを買いーの、ヒット曲情報を集めていたワタシだったけど、「唯一」このころのオリコンが欠けてるんだよなぁ・・・。

なぜか・・・っちゅうと、このころオリコン手に入らなかったんだよ、個人的に。

この頃と言えば、毎週、高校があった木更津の駅前の某書店に、毎週月曜日(オリコンウイークリー発売日)になると、足しげく通ってたんだけど、85年の10月頃から、発売日当日にも関わらず売り切れになっちゃう事が多くなったんだよなぁ。置くのをやめた訳ではなく売り切れ。

それ以前からそれほど多数冊置いてあった訳ではなかったけど、この時期、ホント、手に入らないようになっちゃったんだよな。
 
原因はね、まあ、恐らくは「おニャン子」の影響だったんだろうな、きっと。 うん、絶対そう。

この当時、オリコンウイークリーでかなり扱ってたからなぁ、おニャン子。 

だからね、それまでヒットチャートなんか興味が無かった人まで買うようになっちゃったんだよオリコン。 その挙句、取り合いになっちゃったのよ。もともと入荷数少なかったから。。。
 ワタシは部活やってたからさあ、書店に行く時間も遅かったからねぇ、必然的に「帰宅部」の連中には後れをとっちゃう訳よ。。。

そんな訳で、何回涙をのんだ事か。。。

だからね、このころ、85年、10月〜12月にかけては、未だに所有欠になってる号が多いんだよなぁ。

この「生意気」って曲は、そんな個人的にオリコンの所有が「欠号」してたころリリースされたからさあ、事前の情報を得損ねたって感じだったんだよな。 

だからさ、個人的には、ホント気が付いたらリリースされてたって感じだったんだよ。

それ以前に、曲自体もそれほどインパクトが強かった訳ではないんだけどさ。 

デビュー曲の「C」のように、思わず引き込まれるようなイントロでもないし、疾走感があった訳でもない。

そもそもシンガポールを舞台にした恋愛劇っていうのも、当時の「ミポリン」からしてちょっと背伸びし過ぎって言う感じだったしなぁ。 うん、確かに大人っぽいルックスではあったけど、まだ15才だった訳だし、やっぱりリアル感が感じられないんだよね。

曲も、この頃の筒美氏としては、新鮮さを感じなかったしなぁ。 85年頃の筒美氏の曲って、いろいろ新たな事を試しているような、新鮮さを感じさせる曲が多かったんだけど、この曲にはその辺が感じられなかったしさ。

まあ、今にして思えば、次の「BE-BOP HIGH SCHOOL」への「つなぎ」的な位置づけだったんだろうけどね。




たださ、そんな「つなぎ」的な曲であったにせよ、そんな曲でもオリコンで「ベストテン」入りさせてきたのは、やっぱり大きかったんだよね。 うん、この曲がミポリンにとって、初のオリコンベストテン入り曲だったのよね。
 デビュー曲の「C」は、ベストテン入り出来なかったからさ(オリコン最高12位)。 大型新人と期待されながらもベストテン入り出来なかったからなぁ。

今思えば、「つなぎ」的なこの曲でベストテン入り出来た事で、その後の本格ブレイクの可能性が見えたわけでさ。 うん、確実にファンは付いてきてたって言う証拠にもなったしね。

もし、この曲でもコケてたら、その後のミポリンも無かったかもしれないな。


ところで、↑件の「オリコン」が売り切れ状態になった件だけどさ、あまりにも解消しないんで、この年の年末にオリコンと「定期購読」の契約をしたんだよね。 そそそ、当時1年契約で定期購読が出来たからさ。
だから、1986年からは、本屋で「売り切れ」を心配することも無くなったんだよね。


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Free Ballon / 島田奈美

    1987_03_Free Ballon_島田奈美


今回の1曲セレクトは、「Free Ballon」島田奈美です。

まずはデータでする。

・タイトル     Free Ballon
・アーティスト   島田奈美
・作詞       松本隆
・作曲       林哲司
・編曲       新川博
・リリース日        1987年2月11日
・発売元      コロムビア
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数   4.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 16位

えー、ここんところずっと、曲のセレクトに苦慮しているワタシでありますが、今回もいつもながら、あーでもないこーでもない、どの曲を書くベか・・・と言う事を考えていただけで1日が終わってしまった感じだよなぁ。

今回は「アイドル」を持って来たい・・・っていう思いはあるものの、これまで大分書いちゃったからなぁ。。。
困った時は、自分の持ち音源から目ぼしい曲を見つけたりもするんだけども、それも大分底をついて来まして。。。

しょうがない・・・持ち音源以外から探して来るか・・・と思っていたところ、ふと、どこからか流れてきた曲が、これ。

島田奈美「Free Ballon」


いや、別にラジオやテレビで流れていた訳じゃないんだけどね、完全に思いつき。

80年代アイドルで、意外と書いてない年・・・それが1987年だったりするんだよね。 そこから3月頃ヒットしてた曲ねぇ・・・なんて、考えていたら、記憶の奥底から浮かんできたんだよな、この曲が。

たださ、↑で書いたように、この曲音源持ってないのよ。

・・・・いや、その前にヒット当時から、ほとんどまともに聴いてない。

たしか、この曲、「ザ・ベストテン」で1週だけランクインしたんだよな。 そう、島田奈美さんって、このきょくが初めてのベストテン入りだったんだよ。

だから、ベストテンでは見てたはず・・・だけど、なぜか、この曲、ベストテンに初ランクインしたときに録音してたカセット集にも録音されていない。
うーむ、ヒット当時、あんまり興味無かったのかもな。

そんなわけで、曲自体まともに「知らない」状態で書かなきゃならない。。。 


いや、全く知らない訳じゃないんだけどね、 サビの ♪ Free Ballon  想い出の糸が〜 ♪ ってところは覚えているぞ・・・

でも、それだけ。。。。


それでレビューを書くのは、あまりにも無責任・・・っつうわけで、You Tubeで曲を聴いてみた。
いやいや、いい時代だよね、知らない曲でもすぐに聴けちゃう訳だから。。。

まずもって・・・。。イントロからAメロにかけての印象が、全く持ってサビとかけ離れてる。

あれ? こんなにマイナータイプの曲だったっけな? サビの部分とはまるでイメージが違う。

ただ言えることは、めちゃくちゃ「あの時代」を彷彿させる曲調。 全体のサウンド、メロディ、コード進行、音の色合い・・・すべてが、いかにも86〜87年・・・・というイメージね。
曲聴いた事無かった訳だけども、イントロ聴いただけで、いやがおうにも「87年」にタイムスリップしてしまう 


曲調は、そうだなぁ「Broken Sunset」以降の菊池桃子。 イントロは、やっぱり86年頃の中山美穂っていうイメージかなぁ。
 作曲は林哲司氏だけど、84〜85年頃の、だれでも一発で分かるような「林哲司」節っていうメロディラインとは少し異なるな。

むしろ、作詞の松本隆氏に合わせたような曲調。 そこが中山美穂っぽいイメージも浮かんでくるんだよな。

そんなイントロ〜Aメロだけど、サビでイメージがからっと変わる。

そそそ、覚えていたあのメロディだ。 それまでのマイナーチェンジの曲から、一転して、思い切り明るいメジャー展開に「転調」。

このイメージは、翌年の同じ春にリリースした「タンポポの草原」に引き継いだようなイメージだな。
今一つインパクトに乏しいAメロに比べると、サビの部分のインパクトはまずまず強いわな。


全体的な印象としては、まとまりがある曲であるとは思う。
だけども少し当たり前すぎっていうキライも感じたりして。。。もうすこし突飛押しも無いところも無いと、がっちりと食いつくような引きは難しいよね・・・そんなイメージもある曲なんだよね。

このヒトは、見た目可愛らしかったし、松本隆氏も入れ込んでたヒトだったんでね、もう少しメジャーになってもよかった・・・って言う気もするけどね。
結局は、この曲が「一番売れた」曲に留まってしまいましたね。

そもそも、このヒトは、将来的にどうしたいのか・・・そんなビジョンも今一つよく見えなかったんだよね。
まあ、80年代後半以降にデビューしたアイドルの大部分は、そんな感じだったんだけどさ。
仮に80年代前半にデビューだったら、河合奈保子さん位のメジャー級にはなっていたかもな。

歌い方がね、デビュー当時の河合奈保子さんにやや似てたんだよね。 うん、ウタは必ずしもうまくなかったけど、一生懸命に歌ってる・・・ってところは伝わってくる歌い方だし。。
その辺りに河合奈保子さんとの共通点も感じたんだよな。

現在はというと、アイドルをやめた後も「音楽ライター」として現在も活躍中とのこと。 うん、分からないもんなんだよね。
アイドル時代は、まさかその後ライターになるとは、全く思いもよらなかったし。






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想い出の冬休み / 西村知美

1987_12_想い出の冬休み_西村知美


今回の1曲セレクトは、「想い出の冬休み」西村知美です。
まずはデータでする。

・タイトル     想い出の冬休み
・アーティスト   西村知美
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       武部聡志
・リリース日    1987年11月16日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 11位
・売上げ枚数   3.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 20位



気がついてみれば、朝4時。眠れないまま、1曲セレクトを書いてるワタシは、完全に休みモードだわな。
・・・と思ってたら、新聞屋が朝刊配り出し始めた。もう朝だねぇ。 今晩はこのまま起きていようか。

今年もあと2日を残すのみ。昨日は、今年はここまで長かった・・・なんて書いたんだけども、あれはあくまで「仕事」が長かった・・・ということで、プライベートでは、やっぱ1年、「あっという間」って感じでしたよねぇ。
さっきも池上彰の「今年のニュース総ざらい」を見てたけど、今年の1月、2月あたりのニュースは、てっきり去年だと思ってたのもあったりしてね。ますます、加速度的に時間が過ぎて行くようになってきてますわ。

それはそうと、学生の皆さんは、ちょうど冬休みだよなぁ。 そう言えば、学生の頃の冬休み・・・特に、まだ年が明ける前の時期、12/30とか31って、なんかワクワクしてたよな。 新しい年に向かってのカウントダウンが、なんか新しい世界への扉をあけるような、どっか異次元の世界に行くような感じに思えてね。ワクワク感があったんだよね。
ま、今となっちゃ、そんなワクワク感も無くなっちゃったけどさ。。。 年越しは年越しじゃんよ・・・とか

うーん、ワタシもすっかり枯れて来ちゃいましたね。。。。


ということで、今回の1曲セレクトは、そんな学生時代のワクワクした「冬休み」を歌った歌をひとつ。

西村知美「想い出の冬休み」。

う〜む、果たして、この曲を覚えている方がどの位いらっしゃる事やら。。。。 今から29年前、しかもオリコンでベストテンにも入らなかった、この曲なんで。。。
うんにゃ、その前に、オリコンベスト100に、わずか「3週間」しか入らなかったこの曲なんで。。。

ま、今なら、オリコンの100位以内に3週間しか入らない曲もザラなんで、感覚的にそんなに珍しとは思わなくなった、完全に感覚がマヒしたワタシが居たりするんだけどね。

たしかに29年前当時も、「レコード」不況と、アイドル全盛の流れの中で、相対的にチャートは流動的で、ランクイン期間が短くなっていた傾向はあったけども、さすがに「3週」で100位から姿を消していた曲は、そんなに無かったんだよな。

でもね、この西村知美さんは、そんな曲が多かったんだよな。「初登場」のときだけ、そこそこ売れて2週目以降はぱったり売れなくなるっていう。

結局は、一般的には広がらず、トロリン(西村さんの愛称ね)の熱烈なファンだけがレコードを買うっていう傾向だよね。

だからね、熱烈なファン以外は、曲をほとんど知らない・・・という。

 ただ、ウタ以外で、テレビにはよく出てたからな、このヒト。 うん、あのヒトより「2歩、3歩遅れた」反応のトボケタキャラクターが受けてたし、ま、とりあえず発売した週だけは、ザ・ベストテンにも入ってたからさ。

そんな感じだったんで、個人的にも曲は、そんなに覚えてないんだよな、このヒトの曲は。ま、そもそも、ウタはね、「アレ」なんで・・・。 え? 分かんない? うん、ウタはね「ヘタ」なんでさ、このヒト。
どの曲も同じような聴こえちゃったりするんだよな。

あー、老化現象。。。。 と今では言えるんだけども、当時、ワタシは18才でしたからねぇ。さすがに老化現象ではなく、実際のこのヒトの曲ってどれも同じような聴こえたのよね。
まあ、よく言えば、どの曲にも見られたようなホンワカしたイメージの他にないキャラクターだった事、実際的に言えば、やっぱり、基本となる「ウタ」がね、まともに歌えなかったんで、同じようなイメージの曲しか歌えなかったんだろうな。

そんな同じような曲が並んでいる中で、なぜかこの曲は、よく覚えてるんだよな。

ここでは何度も書いてるように、1987年の冬というと、個人的には大学受験直前ってことで、訳が分からなくなってた頃ですわ。現役で受かんなきゃいけない・・・って言うプレッシャーと、(まともに勉強してなかったんで)ダメだろうな・・・なんていう諦めとが、頭ん中で交差してる毎日でさ。

そんな日々の中、頭ん中でグルグルとヘビーローテーションしていたのが、この曲だったんですよ、なぜか分かんないけど。。。。。

この曲の「牧歌的」な雰囲気に、非日常性を感じてたのかもしれない。

いやいや、逆だ。 当時の訳分かんなくなってた日々が非日常的で、この曲に本来の日常性をかんじてたんだよな、きっと。

だってさ、本当は、こういう牧歌的な日常を送りたかったんだもん。まあ、一種の逃げ口上なんだけどさ。

それが羨ましかったんだよね、きっと。

そもそも、セーラー服姿のジャケ写からして牧歌的じゃん。 うん、時代は一世代遡るけど、壷井むつ美さんの「自転車通学」っていう、本当に知ってる人ししらないような曲のジャケ写に似てるような。。。

img_2[1]


実際曲的に、80年代というよりも70年代なんだよね。原田知世の「撫子純情」って言うタイトルじやないけど、センパイに向かって、純な感情を歌っている曲なんて、87年当時でも既に絶滅してましたからねぇ。

こんな一世代前のアイドルの曲を提供したのは、一体誰?  ・・・と思ったら、

作詞 松本隆   作曲 筒美京平  編曲 武部聡志

なんちゅう、超ゴールデントリオぢゃないの。 もろ斉藤由貴さん布陣の。。。

それにしては、なんてアナロクな曲なんでしょ。
純情というか、田舎的・・・というかさ。。。。上で書いたように、87年当時、既にこんなに純粋な女子高生なんて、少なくとも都会周辺には居なかったょナァ・・・。 とか丁度、高校生だったワタシ思ったりしたもんだけどさ。

ただ、松本隆氏って、「田舎」の女の子像を書くのが上手かったからなぁ。 うん、その昔、太田裕美さんの一連のヒット曲に出て来る女の子って、大体が「田舎もん」だっだしゃん。
「木綿のハンカチーフ」にしても「赤いハイヒール」にしても。

そう言うイメージに似てるんだよね、この曲のイメージって。

そういう「田舎もん」な女の子像を書くとき、必ずコンビを組んでいるのが筒美京平氏・・・って言う感じで、そんな田舎の女の子像を「音楽」として表現するのが筒美氏って抜群にうまいんだよね。
 思わず、田舎の景色が浮かぶんですよ。うん、福島の田舎出身の、田舎もんのワタシが言うんだから

ちなみに、両者とも東京出身であり、本来は「田舎もん」じゃないわけで・・・、不思議なんだよね。
本来なら、めちゃくちゃシティポップスな筈の二人なのに。

この曲もそうだけど、次の「さくらが咲いた」もこの曲と同じ「トリオ」の作品だけど、やっぱり田舎くさかった。

でも、個人的には、やっぱり引っかかった。

結局さぁ、西村知美さん時代が牧歌的なんだよね。そそそ、田舎の撫子純情なイメージなんですよ。
そんな訳で、都会の女の子・・・というよりは、こういう田舎くさい曲の方が合ってたんだろうなぁ。

でも結果としては、売れませんでしたけどね。。。

その辺は、トロリンの熱狂的なファンとの意識がずれていたのかなぁ。。。いくら曲が本人と合っててもファンの好みとズレでるとねぇ。。。そこが難しいところではあるんだよな。

  

 

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