かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

松本一起

モノクローム・ヴィーナス / 池田聡

1986_11_モノクロームヴィーナス_池田聡


今回の1曲セレクトは、「モノクローム・ヴィーナス」池田聡です。

まずはデータです。

・タイトル    モノクローム・ヴィーナス
・アーティスト  池田聡
・作詞      松本一起
・作曲      佐藤健
・編曲      清水信之
・リリース日   1986年8月5日
・発売元     テイチク
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数   22.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 8位
・ベストテンランクイン期間:1986年11月17日〜12月1日 12月15日付
・タイアップ:スズキ「アルト」CM曲

アーティストのイメージって、レコードで聴いてた時と、実際テレビに出てきた時と、だいぶギャップがあることがある。
「歌謡界・一発屋伝説」によると、古くは小坂明子さん、90年代に入ってからは、槇原敬之氏や、岡本真夜さんなんかは、この類かもしれない。

今回の1曲セレクトは、そんじや、この方はどうだったか・・・と思われたこの方のデビューヒットを引っ張ってきましたわ。


池田聡「モノクローム・ヴィーナス」

硬質で都会的な匂いのイントロから始まるこの曲。 途中で、おフランス語のボイスメッセージがはさまれたりして、雰囲気としては、もろ、昨今でいうところのシティポップなイメージ満載なこの曲ですわな。

ただ、なぜか、いわれるシティポップと言う括りでは、、この曲あんまり聞かないような気がするけど、気のせいでしょうかねぇ。。。。

都会的なサウンドと、甘い声質。
どこぞの金持ちのイケメン御曹司。  

この曲が、スズキ「アルト」のCMで、当時「いい女」の代表格だった小林麻美さんのバックで、この曲が流れ始めたころは、そんなイメージを抱いてしまったような気がするなぁ。

そもそも、この曲、レコードジャケットは、↑のように小林麻美さんのあわらな後ろ姿で、池田さんは映っていない。

しかも、この曲がデビュー曲ということで、この人のルックスもわからないまま、CMは流れ続け、いわいるジワリ型のヒット曲になったわけなんだけども。。。。


そんなこんなで順調にヒット街道を驀進し実際にテレビに出るようになったわけだけども。。。
その時に見た池田聡さんのルックスがね。。。

とんでもなくイメージが違ったわけではなかったけども、今一つ「都会的」というところからは、あか抜けないルックス。

それだけならまだしも、出身が栃木の烏山・・・と当時から明らかにされて、それでなんか、最初感じていた都会的で洗練された・・・というイメージがグラグラと崩壊したような感じを、私なんかは受けたりしたなぁ。

バブル前夜、あの頃は、音楽だけではなく、ファッションにしてもDCブランドだったり、ヴィトンのバッグだったり、文化全般にわたって、都会的なセンスに向かっていたわけでさ。
たとえ、「田舎」出身者でも、そんな都会なセンスを強要されていたところがあった気がする。

ただ、全員が全員そんな都会的な文化にしっくり嵌っていたかといえば、そうじゃないわけでさ。
特に地方出身者の方々はさ。

例えば、同じ時期に大ヒットを飛ばし、同じく都会的なイメージが強かった、杉山清貴氏なんかは、
やっぱ、横浜出身として根っからの都会っ子気質があったからなのか、そんな都会的なイメージにしっくり嵌っていたよね。
だから、あの時代の旗手的な存在になりえたような気がする。

池田さんの場合はどうだったんだろう?

個人的には、むしろ、この曲の大ヒットで都会的なイメージを作り上げきれなかったんじゃないか・・・。 

実際、この曲の大ヒットを受けての、 続くシングル「j・e・a・l・o・u・s・y」、「濡れた髪のLonely」とランキング的にはソコソコ健闘したものの、結局この曲以降10万枚以上の曲が出せずに今に至っているわけで。。。。



ところで、今言われる、シティポップは、70〜80年代に広く言われていたニューミュージックというジャンルの中で、よりエッジが鋭くて、硬質、かつ無味無臭な匂いの強いロック&ポップスのひとつのフォーマットなわけよ。

80年代は、ニューウェイブ系なんて呼ばれてたよな。 

そそそ、それで、なんとなくシティポップという呼称に生理的嫌悪を感じているのかが分かったのよ。

そうだ、80年代、個人的にニューウェイブ系な音楽が苦手だったんだ。。。

硬質、かつ無味無臭で、エッジが立ったサウンドが、生理的にダメだった。
と勝手に思ってたりするんだけども、実際なんでなのかはよくわかんないのよ。

まあ、かっこよすぎたんだよね、この手の都会的な音楽が。  
なんせ、福島の田舎出身だからさあ。都会的センスには、コンプレックスがあったのよ、あのころ。

そんな匂いのする、今回の「モノクローム・ヴィーナス」も、正直なところ、もろ手を挙げて刺さったわけではないんだよね。

個人的には、ソウルフルな曲の方が好きだった。ロックにしても、ポップスにしてもさ。
80年代前半までは、ロックにしても、ポップスにしてもそういう曲が多かったじゃん。 だから、すんなり入れたんだと思う。
でも、80年代後半になってこの手のニューウェイブ系が台頭してきて、すんなり入れなくなってきたのよ、いわいるヒット曲には。

ちょうどそんなときに、G.Sなどの60年代音楽とか、「テレビ探偵団」などの回顧系の番組が流行りだしてきてさ、結局、そっちの方に行っちゃったんだよね、ワタシ。

そんなこともあって、私の中の「昭和」という時代は、このころ(1986年)あたりで、精神的には終わっていたような気がするんだよね。
例えば、1988年(昭和63年)の曲を昭和の曲といわれても、ちょっと違和感を感じたりするしさあ。

・・・というか、最近でも昭和歌謡なんたら・・・とかやってんじゃん、テレビで。
今更なんだよな・・・、どのみちYou Tubeにたくさんあがっているわけだし、もうええやん・・と思うけど。。。 





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ジプシークイーン / 中森明菜

1986_06_ジプシークイーン_中森明菜


今回の1曲セレクトは、「ジプシークイーン」中森明菜です。

まずはデータです。

・タイトル     ジプシークイーン
・アーティスト   中森明菜
・作詞       松本一起
・作曲       国安わたる
・編曲       小林信吾
・リリース日    1986年5月26日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  35.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1986年6月9日〜7月28日付

えー、最近1曲セレクトは、アイドルの曲が多いな・・・なんて思われるかもしれないけど、今回もアイドルです。
ま、単純にアイドルの曲の方が読んでくださる方々の「引き」が強い・・というか、「受け」がいいんだよね。
本当は、幅広いジャンルの曲を書きたい気持ちもあるんで、それじゃいかん・・・とは思っているんだけども
どうしても「お客さん」優先になっちゃうんだよねぇ お客様は神様です

とは言っても「過去曲」は「資源」が限られているわけで、あんまり書き過ぎると枯渇しちゃうんで、どっかで区切らざるを得ないんだけどさ。

・・・ということで、今回セレクトしてきた曲は、中森明菜さんの「ジプシークイーン」。

この間デビュー曲の「スローモーション」を書いたばっかりなんだけども、この曲もまだ書いてなかったんだよな。
しかも「今頃」がヒットのピークだったともあって、引っ張ってこない手はない・・・と思いーの引っ張って来ましたわ。

事に80年代中盤の明菜さんの曲って、他は大体書いてしまったいたのにこの曲は、いままで書いていなかったか・・・というと、理由ははっきりしてるんだよな。
忘れていた訳じゃなくて、個人的にこの曲、あんまり好きじゃなかったからなんだけどさ(爆)

昔mixiに1曲セレクトを書いてた頃は、よく書いてたんだけども、どうもねぇ86年くらいからの明菜って、今一つ好きになれないんだよなぁ。
 85年くらいまでの曲調と明らかに違ってたでしょ。明菜の良さって、このヒトの特有の「伸び」のある声質だと思うんだよね。
 でも、86年・・・いや、85年秋の「SOLITUDE」からかな・・・そんな伸びのあるメロディラインが陰を潜め、なーんか、もしゃもしゃっとしたメロディの曲が多くなってきたでしょ。
 サウンド的にニューウェイヴっぽくなってきたって言うのも、個人的に今一つ受け入れられなかったって言うのもある。

先日トシちゃんの「墜ちないでマドンナ」の時も言及したように、85年あたりからアイドル・・・特に80年代初頭から活躍してきたA級アイドルと言われてきたヒト達の曲調が、一斉に変わったんだよね。
 当時のニューウェイヴ系台頭の流れがアイドルにもって感じで、ニューウェイヴっぽい曲が多くなってくたんだよな。
 それは、明菜も同様で、↑で書いたように86年あたりから曲調がニューウェイヴッっぽいサウンドが多くなった訳よ。
 それは、作品の作家陣にもたんて気に表れて来ていた訳で、この曲も作詞 松本一起、作曲 国安わたる っていう当時は新鋭の作家陣だったもんなぁ。

 だから、本当は新しい「血」を吹き込んだっことで、新鮮さを感じるはすなんだけど、どうも、個人的には、それが裏目に出ていたような気がしてならなかったんだよなぁ。

まあ、こういう動きは時代の流れだけではなくて、明菜本人の年齢的なところもあったとは思うんだけどもね。
明菜はこの時、21才になる直前。
今の感覚から言えば、それでも若いって感じだけどさ。 今21才っていったら、もっとガキっぽいアイドルなんて掃いて捨てるほどいる訳じゃない
当時の感覚から言えば、アイドルとしてはかなり「大人」なイメージだったからなぁ。

だから、意識的にも変わって行かなくちゃいけない・・・っていう感覚もあったのかもしれない。

なんせ、「おニャン子」がガキっぽいアイドルだったからさ、少なくともそれと差別化するためには、変わらなくちゃいけなかったんだよね、少なくとも当時、何年かのキャリアを積んで来ていたアイドルはさ。

 その表れが、この曲にも出て来ているんじゃないかなぁ・・・なんてのは、今となってみれば思ったりもするんだけどね。流石にあれから30年経って、今では客観的に当時を見れるようになったからさあ。

でも、リアルタイムだった当時は、やっぱり「解せなかった」んだよな、この曲のような曲調は。
そもそも 冒頭の歌詞にあるように、 なんで「125ページ」で終わらなきゃいけなかったの? ・・・なんて腰を折るようなことを考えたりさ



好きキライは別として、やっぱり、今なっては、この曲を聴くと、丁度30年前の今頃。1986年の光景が脳裡に浮かぶよな。
 当時は、ワタシは高校2年。17才になる直前。 大学受験もまだ2年近く先の話だったし、将来の事などなーんも考えてなかった頃だ。
RCサクセションの「トランジスタラジオ」ぢやないけど、授業中、ずっと居眠りしてて目が小さくなっちまった・・・頃 。学校には勉強しに行ってた・・・というよりも部活しに行ってた感じ・・の頃。
そして当時好きだった女の頃の尻ばっか追いかけて、悶々としてた頃  
 当時、もうちっとまともに勉強してたら、その後の人生、随分変わっただろうになぁ。 この頃の生活態度が今の私を決めちゃったような気がするなぁ、今振り返ると。


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抱いてマイラブ / 早見優

1984_01_抱いてマイラブ_早見優








今回の1曲セレクトは、「抱いてマイラブ」早見優です。

まずはデータです。

・タイトル     抱いてマイラブ
・アーティスト   早見優
・作詞       松本一起
・作曲       JOHN STANLEY
・編曲       茂木由多加
・リリース日    1983年12月21日
・発売元      トーラス
・オリコン最高位 13位
・売り上げ枚数  15.7万枚
・THE HIRCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1984年2月6日付

 昨日のオリコンの「オリスタ」(旧オリコンウイークリー)休刊のネットニュース、個人的にはショックでしたねぇ。
1979年8月の創刊から約37年。個人的にはそのうち25年以上買い続けてきましたからねぇ。
 オリコンウイークリーを通じて、たくさんのチャートファンと交流もしてきたし、そもそも、今の自分の大部分を作り上げてくれた雑誌が無くなるとはねぇ。。。。
 まあ、紙媒体も過去の遺物となってきているし、こうなるのも時代の流れ、仕方ない・・・とは分かってはいてもやっぱり淋しいもんです。

今でこそ、1981年、通刊98号からのオリコンウイークリーを所有しているワタシですが、自分で毎週買うようになったのが1984年4月、通刊241号から。デビュー時の長山洋子さんが表紙の時ですねぇ。
 あれからシコシコ、よくも飽きないで、毎週毎週買ったものだよなぁ。

購入したバックナンバーは全て保管してありますよ。確か2010年頃まで買ってたはずだから26年分ですかね。千数百冊になっているはず。。。 ただね、1冊1冊はペラペラな雑誌だけど、それが千冊以上となると、これがとてつもなく重くなりまして・・・・、床が抜けそうなくらいなっちゃったんで、流石に買うのやめて、今はYOU大樹にしちゃいましたけど。。。まあ、そこまでの思い入れがある雑誌だったんですよね。

・・・ということで、今回は、オリコンウイークリーを買い始めた1984年の曲を・・・・。

・・・と思ったんだけど、これがなかなか残ってないんだよね。すでにめぼしい曲はほとんど書いちゃったんで。。。


・・・・と思ったら、ありましたよ。

早見優の「抱いてマイラブ」。


・・・と書いて、果たして、どのくらいの方がこの曲覚えてくれているか、って言うのはちょこっと自信ないんだけど。。。

まあ、そのくらい、今となっては死角に入っちゃっている様な曲だよなぁ。

早見優さんの曲順から言えば、「ラッキイリップス」の次、「誘惑光線クラッ!」の前と、筒美作品に挟まれた形でリリースされた曲なんだけど、これが当時からして印象が薄い曲だったんだよなぁ。

いや、実際の曲は、早見優さんとしては、それまで無かったようなロック調っていう、味付けは濃い作品だったんだけどさ。でも、印象は薄い・・・・と。

うーむ、やっぱり、当時の早見さんには、いまいち合っていなかったんじゃないのかなぁ・・・とも思えたりするんだよな。
 以前、「ラッキイリップス」を書いた時、筒美京平氏は、早見優さんを南沙織にしたかったんじゃないか・・・って書いたんだけど、個人的にもその方向性は間違ってなかったんじゃないか・・と当時から思ってたんだけど、いきなり、この曲は全く違う方向に行っちゃいましたからねぇ。
一体、なぜに、このタイングで、こういうロックっぽい曲に行ってしまったのかって言うのが、当時も、いまいち良く分かんなかったなぁ。

でも、次の「誘惑光線クラッ」で、いち早く軌道修正したのは、流石に筒美氏・・・なんても思ったりしたんだけどね。

 ちなみに、この曲、オリコンでは、最高13位とベストテン入りを逃したんだけど、「ザ・ベストテン」では1週だけランクインしたんですよね。

 この前後「大雪」が降ったんだよなぁ。関東地方にも。

奇しくも、今晩から明日にかけて、関東地方も大雪の予報が出てますけどねぇ・・・。

・・・・まあ、だからこそ、この曲を、このタイミングで引っ張ってきた・・・って言うもあるんだけど

うん、個人的には、この曲というと、あの年の「大雪」を思い出してしまうんだよねぇ。
大雪のおかけで、1週間近く学校が休校になったんですよ。その間やる事もなくて、ずっとラジオ聴いてた記憶があるなぁ。そんなとき、この曲が良く流れてたんだよね。

 兎に角1984年の冬ってのが、異常なくらい関東地方は雪が降った年なんですよね。1月〜2月は毎週のように積雪だったもんなぁ。前週降った雪が融けきらないうちにまた降って、一時は根雪状態でしたから。
 今年もそうならないといいですけどねぇ・・・。雪かきが大変なんで。。。。






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It's BAD / 田原俊彦

1985_11_It's BAD_田原俊彦






今回の1曲セレクトは、「It's BAD」田原俊彦です。

 まずはデータです。

・タイトル     It's BAD
・アーティスト   田原俊彦
・作詞       松本一起
・作曲       久保田利伸
・編曲       船山基紀
・リリース日    1985年11月28日
・発売元      キャニオン
・オリコン最高位  4位
・売上げ枚数    11.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位 

 ここ数日、さて、どう書こうか・・・と迷ってた曲がある。まあ、迷うくらいなら、当たって砕けろ(←大げさ)ぢゃないけど、書いてしまえ・・・

 ・・・なんて、持って来たのが、今回の「It's BAD」だったりして。

 いや、このころになると、トシちゃんの曲も、いまひとつ、「ココ」っていうポイントがしぼりにくくてねぇ。。。
 ま、その前に、初期の曲に比べると、あんまり聴きこんでいない・・・っていうのもある。
 なんで、こういうレビューな書きもんになると、さて、どう書くべーな・・なんて、ついつい迷ってしまったして・・あせあせ

 この曲って言ったら、やっぱ、久保田利伸氏の存在なくしては語れないですかねぇ、やっぱ。
 じつは、この曲の前の「華麗なる賭け」も久保田氏の作曲なんだけど、そっちは、ほとんど注目もされていないんだよね。
 ま、たしかに「華麗なる賭け」は、それほど「久保田利伸」っていうかんじの曲ぢゃないってのもある。

 久保田利伸っていったら、やっぱ「ファンキー」ぢゃん。「華麗なる賭け」は、そういう曲ぢゃなかった・・・ってことよね。

 それに比べたら、この「It's BAD」はめちゃめちゃファンキーだったもんな。(←英語で訳してみてね。。。 そういえば、こんなタイトルの久保田氏のアルバムがあったなあせあせ

 これ書くにあたって、当時の動画を改めてみてみた。 いや、今見ても、見劣りしないもの。曲にしても、トシの踊りにしても。

 当時、そろそろトシの言動に「驕り」も見えはじめてはいたけど、この曲については、それも許せるかなって感じだよな。
 
 たしかにウタはヘタなのよ。でも、今からして思えば、ヘタだったけど、口パクに逃げてないじゃん。踊りについては、ま、ここまで来ると、ほぼ完璧だったな。
 時期的に「少年隊」のデビューも控えていたんで、気合の入り方も違っていたみたいだわ。

 そのあたりが、すぐ口パクに逃げる、最近のジャニーズ軍団との違いなんだよな。

 全然、エンターテイメント意識というか、ストイックなまでのプロ意識はあったんじゃないかねぇ。動画見てて、そう思いましたわ。


 曲については、ま、この曲あたりが、「ラップ」歌謡の原点と言われているわな。
 違うのは、まだHIPHOPっていうジャンルは確立されていない時期のわけで、ファンクをベースにラップが入っているってことか。。
 このあたりは、今のHIPHOPに馴染みきっている輩にとっては、ちょっと違和感があるか、または、新鮮に聴こえるか・・・ってところだろうな。

 いずれにしても、最近の「J-POP」の下地になっている、ずーーーーっと大元の曲ですよ。



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Fin / 中森明菜

1986_10_Fin_中森明菜






今回の1曲セレクトは、「Fin」中森明菜です。

 まずはデータです。

・タイトル     Fin
・アーティスト   中森明菜
・作詞       松本一起
・作曲       佐藤健
・編曲       佐藤準
・リリース日    1986年9月25日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    31.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1986年10月6日〜11月24日付

 以前、mixiに書いてた頃から読んでくださってる方はご存じだと思うんだけど、個人的には、この曲、キライだっんただよな。
だってさあ、ゴニョゴニョとはっきりしない曲なんだもん。メロディラインも、「ココ」っていうフックになる部分もないしさあ。 なんで、こんなはっきりしない曲をシングルに持ってきたんだろう?

 なんて、当時から疑問だったなぁ。 

 それでも30万枚オーバーなんていう、レコードからCDへの移行期で、レコード売上げが低迷していた当時としては、「大ヒット」の部類になっちゃうんだから、不思議なもんだったけどね。
 まあ、それだけね、当時の中森明菜人気のでかさっていうのが、その数字に出てきてるんだろうけどさぁ。


 今でこそ、「陰」の中森明菜・・・っていうイメージが完全に定着してるけど、考えてみれば、この曲あたりからなんだよね。完全に「陰」の世界に入ったのは。

 なんていうのかなぁ、曲にカラーがないんですよ。モノクロの世界っていうんですかねぇ。曲に色彩感がまるで見られない。
 まあ、だから、この曲のジャケ写がモノクロ写真なのは、曲の的を得てる・・・なんては思いますね。

 結局さ、メロディに引っ掛かりがないっていうのは、この色彩感を感じないからなんだよね。
抑揚がない、引っ掛かりがない・・・と散々書いたけど、取り様によっては、洋楽にインスパイアされているのかもしれないな。

 ただ、それは、今だからこそ言えることであってさ、当時としては、どうしても引っ掛かりがない曲に感じたんだよなぁ。


 個人的には、もう一度、「サザンウインド」のような色彩感あるポップスを歌ってほしかったんだけどねぇ、実際は、まるで反対のマイナーなモノクロの世界に突入していったわけで・・・。そういう意味で、この曲以降は、どんどん詰まんなくなって行った様な気がするな、中森明菜って。

 ま、それでもここから数年は年に1枚は、ドキリとさせる極彩色の曲持ってきたりして、そのときはよかったんだけどねぇ。




ちなみに、mixiに書いてた時は、この曲が最後だったんだよな。
「Fin」だから、終わり・・・・って感じで。 でも、ここは、まだ続きますよ〜。


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夏の日の1993 / class

1993_06_夏の日の1993_class






今回の1曲セレクトは、「夏の日の1993」classです。

まずはデータです。

・タイトル      夏の日の1993
・アーティスト    class
・作詞        松本一起
・作曲        佐藤健
・編曲        十川知司
・リリース日     1993年4月21日
・発売元       アポロン
・オリコン最高位   3位
・売上げ枚数     115.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 3位
・ベストテンランクイン期間:1993年7月26日〜9月27日
・タイアップ:テレビ朝日系「君といつまでも」オープニング曲


 長年、着メロ、着うたなどの音楽配信の選曲編成やってると、どういう曲をどのタイミングでリリースすれば、どの程度の反響があって、どの程度のDL数が見込めるか・・・っていうのって分ってくるもんなんだよね。
 まあ、この辺の感覚って、レコードとかCDのバイヤーさんをやられている方は分ると思うんだけどさ。うん、多分、全く同じ感覚だとおもいますよ。

 たしかにそのためにマーケティングデータっていうのを逐一分析することも仕事のうちなんだけど、それプラス、ある種の「カン」みたいなところって言うのもあるよね。ある種の「音楽的なセンス」っていうのかなぁ。
「あ、これ来るよね」っていう直感的なヒラメキっていうのかなぁ。これは、数字では計れないもんですよ。


 でもさ、それでも、その「カン」が外れることっていうのもあるよなぁ。
 大抵は「マイナス」の方に外れるんだけど泣き顔、時々プラスの方に外れるあっかんべーこともあるんだよね。

 今日引っ張ってきた、classの「夏の日の1993」。

 これさ、未だに人気あるんだ。特に今の20代中盤〜後半のコにとっては、「ウワー懐かしい!」っていう好意的な反応を結構いただくんだよね。

 これって、ワタシの感覚からすると、「え? そうなの?」って感じなんだけどさ。
 うん、ワタシからすると、かなり「プラス」方向に外れた曲っていうのかなぁ。

 たしかに、この曲、当時ロングヒットしたもんなぁ。「1993年の夏」っていったら、やっぱし、この曲は外せない大ヒットだろうしなぁ、ロングヒットしたってことは、それだけ多くの方が頻繁に耳にしていたってことでもあるわけで、やっぱしねそういう曲は時代を越えても耳に残っているもんなんだよね。

 
たださ、上で、ワタシ的に「え? そうなの?」って書いたのは、当時からして、この曲あんまり「ピン」と来てなかったせいもあるかもなぁ。
 うん、確かにいい曲だったんですよ。それは、感じてたんだけど、どうも、もう一つ「インパクト」は感じなかったって言うのかなぁ。いまひとつハッキリしなかったっていうイメージが強いんだよね。

 以前から書いているように、個人的にはやっぱし、ドロクサイ曲が好きだからさぁ。あの当時でいえば、THE BOOMの「島唄」の方が数倍好きだったんだよね。

 ただね、世間ではそうではなかったんだね。すでにJ-POPっていう言葉も完全に浸透していた時代だし、すでにドロクサイ曲は一時代前の産物だったんだよね、一般的にはさ。

 だとしたら、やっぱしね、この曲のように、クセの無い曲に支持が行くのは当たり前だったんだよなぁ・・きっと。

 うーん、今から考えると、個人的な時代からの乖離っていのうは、始まってたのかなぁ・・とか思ったりして。。。


 ちなみに、この曲をテレビで聴いたのは、おそらく当時、フジテレビ系の水曜、夜22時〜23時で放送していた、「MJ(ミュージックジャーナル)」でのみだったと思うな。
ただ、テレビでどうだったとかほとんど記憶にないんだなぁ。後ろはカラオケだったと思うし、あんまり代わり映えがなかったような・・・。

「MJ」は、また、知ってる人は知ってると思うけど、古館伊知郎が司会してた、要は夜ヒットの後追いのような番組だったよね。夜ヒットにちょこっと情報系を入れたような。

 いずれにしても、このころからテレビで当時のヒット曲を聴くってことは、かなり少なくなってたことは確か。
 だから、CD音源だけの世界が、その曲の世界のすべて・・っていうか、すべてのイメージっていう感じだったから、CD聴いた時点で、いいか悪いか・・・っていう判断をすることになっちゃってたんだよね。








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