かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

松任谷正隆

埠頭を渡る風 / 松任谷由実

1978_10_埠頭を渡る風_松任谷由実


今回の1曲セレクトは、「埠頭を渡る風」松任谷由実です。

まずはデータです。

・タイトル     埠頭を渡る風
・アーティスト  松任谷由実
・作詞       松任谷由実
・作曲       松任谷由実
・編曲       松任谷正隆
・リリース日    1978年10月5日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 71位
・売上げ枚数  1.9万枚

急に寒くなりましたね。 ワタシ、布団は、まだタオルケット1枚なのよ。 いやいや、さすがに昨夜は寒かった。
いい加減、掛け布団出さなきゃ・・・ってところなんだけど、掛け布団、出して1度天日で干さないと、若干湿気っぽいんだよな。
本来なら、祝日だった今日とか布団干ししたかったんだけどねぇ。。雨ではねぇ・・・。
・・かといって、湿気っぽい布団で寝る気にもならず、今日もタオルケット1枚で寝ることになるんだろうな。。。。

・・・ということで、こう、寒くなって来ると、ちょっと温度感が低い曲を聴きたくなって来る。

なんじゃ、温度感が低い曲っちゅうのは・・・  ってところなんだけども。。。

単純に秋っぽい曲・・・ではなく、ちょっと寒風を感じる曲って感じかなぁ。 特に今日のように、雨からどん曇りの暗い1日だった今日のように日には。。

・・ということで、引っ張ってきた曲

ユーミンの「埠頭を渡る風」

いやいや、前回の1曲セレクトは、三善英史さんの「雨」だったのに、今回はユーミンですかい

なんですか、この落差は・・・・

なんて言われそうだけど、このゴッタ煮状態が、1曲セレクトのいいとこなんですよん    

・・・・なんて自画自賛したりして。。。

個人的にこの曲のイメージってモノクロなんですねぇ。 初めて映像込みで聴いた時の映像がモノクロだったのかなぁ。 その辺は覚えていないけど、兎も角、この曲を聴くとモノクロの映像が浮かんでくる。

場所は横浜。赤レンガ倉庫から大桟橋あたりの風景。

どうもね、ヒット曲→港・・って言う風景だと、いつもあの辺の光景が浮かんできてしまう。 

河合奈保子さんの「愛してます」とかね。 まあ、この曲の場合、歌詞にダイレクトに「横浜」ってあるんですが・・・。

でも、この曲から浮かんでくる景色も同じなんだよなぁ。 ただ、河合奈保子さんの「愛してます」がカラーの風景に対して、この曲は絶対的に「モノクロ」なんだよね。

それだけ古さを感じる・・・と言う訳ではなく、それだけ大人の情景を感じるんだよね。「シック」なんですよ。

・・・なんて、この曲の舞台は、あくまで横浜って言うワタシなんだけど、実際は東京の「晴海ふ頭」をモチーフにした曲のようですねぇ〜。

うーむ、晴海ふ頭ねぇ・・・。     個人的には、晴海ふ頭って言うイメージは、あんまり浮かんでこないんだけどなぁ。。。

どうもね、個人的にヒット曲から浮かんでくる風景と、作詞者が実際にモチーフにした風景がずれてる曲があったりするんだよなぁ。

例えば、東京JAPの「摩天楼ブルース」ってあるじゃん。そそそ、きょんきょんが主役だった「少女に何が起こったか」の主題歌だった曲。
あの曲、モチーフは、絶対に新宿の高層ビル街だと思ってたの。 でも、作詞の売野雅勇氏曰く、モチーフは横浜だったんだってねぇ。 いや、全く横浜なイメージは無かったんだけどなぁ。

なんか、今回のユーミンの「埠頭渡る風」も含めて、全く逆なイメージを持ってたような感じの私なんですけど。。。

でも、この曲が個人的に横浜っぽく感じたのは、多分に曲調にある様な気がするんだよな。

この曲ってもろ、フィラデルフィアサウンドじゃん。 

この曲からモノクロのイメージを感じたのは、ココ・・・フィラデルフィアサウンドってところなんだろうな。

まあ、あくまで個人的なイメージなんだけども、フィラデルフィアサウンドって、どこかモノクロに感じるんだよね。
色が無い・・というわけではなく、あくまでアメリカ東海岸のイメージからそう感じるんだろう。
ウエストコーストの温暖で明るいイメージとは逆に、東海岸てうっすら寒くて暗いイメージがあるんだよね、個人的に。 そんなイメージからモノクロさを感じるのかもしれない。

下敷きは、The Stylisticsの「Can't Give You Anything (But My Love)」(愛がすべて) あたりなんじゃないのかなぁ。  

めっちゃメジャーな曲だし、ユーミンのダンナたる方が、こんな誰でも知ってる曲を下敷きに持ってくる訳無いような気もするけど、ブラスの使い方、特にトロンボーンのフレーズが似てるんだよなぁ、「愛がすべて」に。
なので、どうしても、そう言う目で見てしまうワタシがいたりして。

でもさ、逆にだからこそ、この曲についつい、耳が行ってしまうワタシがいたりもするんだよな。

・・・というのも、The Stylisticsとかさ、この辺のフィラデルフィアサウンドが、実はワタシの音楽の原点の一つでもあったりするのよ。
 
ここでも何回か書いたことあるんだけども、邦楽ヒットに足を踏み入れる前は、ポールモーリア・フリークだったワタシなんだけども、かたや、70年代中期のアメリカンヒットも聴いてたんだよね。

件にもれず、当時、オヤジの車のカーステで頻繁に流れてた8トラックカセットに、76年頃のアメリカンヒットがあってさ、その中に入ってたのよ、The Stylisticsなんかのフィラデルフィアサウンドの曲が。

だから、その辺の曲がワタシの音楽の血肉の原点でさ、中学校の時、吹奏楽部に入ったのもその辺の曲をやりたいって言う思いが強かったのかもしれない。

そういう経緯もあってか、ユーミンの曲の中でも、個人的には、この曲好きなんだよなぁ。

まあ、セールス的には全く売れなかったけどさ。 78年当時のヒット界の状況を考えると、先端の音楽をやってたよなとは言える。

って書くと意外かもしれないけどさ。  

だってさ、ブラスにストリングスなんて、当時の歌番組のバンド編成をみたら、当たり前の編成だし、そんな歌謡曲いっぱいあったじゃない!? ・・・ってところだけども、それを「ユーミン」っていう一個人でやっちゃうのがすごいんだよね

簡単に言っちゃえば、金のかけ方が違うんだよね。  

これだけの大編成ともなれば、ミュージシャンのギャラだけでも大変な額になるはずでさ。
しかも、この曲のレコーディングミュージシャンがすごいのよ

Dr.    林立夫
B.     高水健司
E.G    鈴木茂
Key.   松任谷正隆
Per.   斉藤ノブ
Tp     羽鳥幸次 数原晋
Tb     新井英治
Sax   ジェイク・H・コンセプション
Fl      衛藤幸雄 西沢幸彦 
Strings    TOMATOグループ
etc

件の「ニッポンの編曲家」で紹介されている一流ミュージシャン、全員集合って感じじゃん。

 ビジネス的にそろばん勘定すれば、ココまでの一流ミュージシャンが集合した大編成曲は、よっぽど大ヒットが見込めない限りはやらない・・・いや、やれないハズなんだよ、一介のアーティストでは。

少なくとも当時のロック・ニューミュージック系のアーティストでは、やりたくてもやれないような楽曲。 そう言う意味で先端の曲と言えると思うんだよね。

もっとも、バックにタイアップのスポンサーがついてたり、メジャーなプロダクションがついてて豊富に製作費がつく曲ならともかく。。

この曲の場合、リリース当時は、あくまでアルバム「流線型'80」の先行シングルということだけで、大きなタイアップがついていた訳ではないから。

しかも、当時のユーミンって、アルバムを含めてセールス的に苦しんでた時期なんだよね。 
デビュー以来現在までの47年間の中でも一番苦しんでいた時期と言ってもいいかもしれない。
この曲の↑のデータでも分かるように、この曲なんて2万枚も売れなかったんだから・・・。あのユーミンが。。
まあ、アルバム収録と言う事で、実際のところそれほど深刻ではないけど、シングルだけの売り上げの数字だけ見たら大赤字ですよ。
70年代中盤、「あの日に帰りたい」の荒井由実時代も過去のモノになりつつあったこの時代。 
製作費も縮小っていうのも、やむを得ないハズなのに、この曲のような大編成なわけだからさ。

この辺り、80年代の栄光を見据えた、つまりは先行投資というべきか。
それが、「流線型'80」なんていう、あたかも栄光の80年代を予感させる様なタイトルのアルバムに収録されているって言うのが、如何にもユーミンらしいんだよな。

でもさ、ユーミンが常々口にしてる、貧乏くさい音楽はキライだしやらない・・・っていうのは、結局はこういう事なんだろうね。




しかしねぇ、レコード制作での金のかけ方と言う事で、ユーミンの右に出るものは居ないような事を↑で書いちゃいましたけど、ユーミンを上回る人が一人いましたね。

大滝詠一氏。

「A LONG VACATION」での製作費は一体いくらかかったんでしょ・・・ってくらい湯水のごとく製作費をつぎ込んだ1枚ですから。。。
なんせ「君は天然色」のアコギだけで4人も使ったって言うんだから・・・・。
今じゃ、逆立ちしてもあり得ないですね。

それだけ当時の業界は景気が良かったし、みんないい曲作りたいっていう気概があったんだろうな。




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Love Fair / 岡田有希子

  1985_11_Love Fair_岡田有希子


今回の1曲セレクトは、「Love Fair」岡田有希子です。

まずはデータです。

・タイトル    Love Fair
・アーティスト  岡田有希子
・作詞      橿淵哲郎
・作曲      橿淵哲郎
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1985年10月5日
・発売元     キャニオン
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数 12.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 10位
・ベストテンランクイン期間:1985年10月21日付
・タイアップ:江崎グリコ「セシルチョコレート」CM曲

あーめっちゃ気持ちいい秋晴れだ、気候もいいし。 これは絶好のドライブ日和ですな。
よし、これからどっか行こうか。。 その前に1曲セレクトを書かねば。。

こういう「秋」を感じさせる日には「秋っぽい」曲がいいですねぇ。

だけんど、秋っぽい曲ねぇ・・・と考えーの、浮かんできた曲がこれ。

岡田有希子「Love Fiar」。

いや、この曲、以前に書いたよな・・・。なんて、ずっと思ってたんだけどねぇ。 過去のアーカイブを検索したら出てこない。。

ありやりゃ、そうだったかなぁ。 岡田有希子さんの「シングル」はすでに全て書いたと思ったんだが。。。

でもね、岡田有希子さんというと、どうしてもあの忌々しい出来事が脳裏に浮かんでくる。 そんなこともあってこの曲をかくのを今まで躊躇していたかもしれない。

84年デビューの岡田さんは、竹内まりや氏を起用して、「お嬢様⇒プリンセス」路線という、このヒトにピッタリの路線を開拓し、それがピッタリ嵌まった年だったと思う。

だけど、デビュー2年目の85年の曲は、どうも今一つしっくり来ないんだよね。ま、個人的にだけど。

出す曲出す曲がウラメに出ている・・っちゅうかねぇ。曲が前面に出てこない。 ユッコにも100%合っているような感じもしなかったしな。

そもそも、4月にリリースした「Summer Beach」からして、この年の「天候不順」の影響もあって空振りだったしな。そそそ、早かったんだよこの曲はリリースが。そこがケチの付け始めだったような気がするんだよね。

前年の「プリンセス路線」から少し飛躍し過ぎていたのかもしれない。ま、今思うとだけど。

この「Love Fair」にしても、当時は、そんな「飛躍路線」の延長線上な曲だと思ってたな。 どこか今一つしっくり来なかったんですよ。

悪い曲ではないとは思った。 Aメロ出だしの ♪Love Fair〜♪ってところのファルセットにはちょっと驚いたしな。

ただ、やっぱ、この曲の聴きどころは、サビでそれまでのマイナー調からメジャー調に一転。 華やかな雰囲気に変わるところなんだろうなぁ。

うん、サビなんかは、岡田さんにウマくフィットした「雰囲気」だな・・・とは感じたな。

でもね、なーんかね、どーもね、しっくり来ないんですよ。今一つ前に来ないんだよな、曲が。 逆に遠くに後退してしているように感じたりしてさ。

なんでなんだろうねぇ。

なんかさ、岡田有希子さん自身、楽しそうじゃないんだよね、逆にどこか悲壮感を感じたりして。

前年の曲のような温かみが感じないんだよね。硬質的というか無機質的というか。

ま、ファルセットのAメロなんかは、そもそもがそう言うイメージなんだろうからいいんだけど、本来、そんなイメージが逆転するはずのサビでさえ、温かみが今一つ感じない、逆にどこか悲壮感を感じるんですよ。

たしかこの曲の頃、オリコンウイークリーの表紙になった事があったような気がする、岡田有希子さん。
それを見て、「あ、ちょっと雰囲気変わったな」っていう印象を感じたこともあったな。

この曲は、あの「事件」の半年前にリリースされた曲だ。でも、そう言う半年前のこの時点から、あの事件を予見されるような「前兆れ」っていうのがあったのかなぁ。

まあ、そんな事をあれから30年以上経った「今」、何を言っても、全ては後付けの事でしかないんだけどね。


ちなみに、売り上げ的には、この曲の前曲の「哀しい予感」で10万枚割れを起こしたユッコでしたが、この曲でオリコンのベスト5入りが復活。売り上げも10万枚を復活。
そして、次の「くちびるNetWork」に繋がって行く・・・という、人気と言う面では本格ブレイクへという第2エンジンがかかって来たように思えた曲ではあったんですよね。



うーむ、今改めて聴くと、上で書いた事とちょっとイメージが違うかな。 
無機質的、硬質的に感じるのは、この曲のサウンドのせいなんだ。バックトラックがもろ向こうの80年代ポップスを下敷きにひいてるよね。マドンナ、マイケルジャクソンあたりの、いわいる80年代ポップスの「王道」なサウンド。

それに対して、プリンセス系なイメージとなるサビは、一転してもっと時代を遡る。70年代的なんだよね。
70年代的といっても、向こうの70年代というよりかは、日本の70年代アイドル的って言うのかなぁ、この甘酸っぱさは。 向こうで言えば60年代後半って言うイメージ。ほんの少し、フィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」の匂いも感じるし。

そのアンバランスが、この曲の全てなのかなぁ。 でも、そのアンバランスさから悲壮感を感じるんだろうな。


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冷たい雨 / ハイ・ファイ・セット

1976_10_冷たい雨_ハイ・ファイ・セット


今回の1曲セレクトは、「冷たい雨」ハイ・ファイ・セットです。

まずはデータです。

・タイトル    冷たい雨
・アーティスト  ハイ・ファイ・セット
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1976年4月20日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位 30位
・売上げ枚数  15.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 34位

土曜日も別途書いたんだけども、週末、ワタクシの不注意で、自サイトを置いてあるレンタルサーバーの契約が切れて、アクセス出来ないって事になっちゃったんだけどさ。
 まあ、すぐにサーバー屋に電話して、対応してもらったんで、アクセス不可も半日強で解消したんだけどもね。
ただ、すぐに対応するには、素早い代金振り込みと、振り込み完了の証明が必要・・ということでさ、通常平日なら振り込んだらすぐに振り込み確認が出来るものの、なにせ土曜日だったんでね、銀行ATMで振り込んで、振り込みの領収をファックスで送ってくれ・・・ということで。。。

雨の中街中を駆けずり回ってしまいましたわ。 土曜日は先週の暑さが嘘のように涼しくてさあ、まるでハイ・ファイ・セットの「冷たい雨」のごとく・・・。

そそそ、 ♪ 冷たい雨に打たれて 街をさまよったの〜 ♪  

・・・ってあれですわ。

そんな光景から、やっぱ、今回の1曲セレクトは、これしかないよな・・・

・・・っつうことで、 ハイ・ファイ・セット「冷たい雨」 

なんか、安直な考え・・と言う感じがしないでもないが。。。。

うん、丁度と言うかタイミングよく・・というか、今頃がこの曲のヒットのピークだったんだよね。
リリースは1976年(昭和51年)だから、今から丁度40年前ですわ。

当時、ワタシは7才。もちろん、まだヒット曲の世界には入ってきていない訳で、この曲をしったのも、実際に聴いたのも、かなり後になってからですけどね。

それでも不思議なもので、後年、初めて聴いた時も1976年の「匂い」が感じられたんだよなぁ。いつも書いてるように、そこが音楽の不思議なところでさ、音と時代性って、意外と一致するんだよね。
 まあ、1976年の匂いってどんな匂い・・・って言われると困っちゃうんだけどね。1976年のカラーっていうのかなぁ、個人的には、この年のイメージは、透明なんだよな。白っぽいっていうのかなぁ、はっきりとした鮮明な色ではなく、少し靄っているような・・・っていうイメージなんですよね。

そんなイメージと、この曲のイメージがシンクロするんだよなぁ。 そんな所から、後年、この曲を聴いた時、1976年っていうイメージがすぐ浮かんだんだと思う。

以前、大ヒット曲である「フィーリング」を書いた時に、元々、「赤い鳥」から分裂して、再編成した3人が「ハイ・ファイ・セット」・・・なんて書いたかもしれないけど、もともとはフォークグループの「赤い鳥」だったんだよね。
 そこから分裂して、ハイ・ファイ・セットは、フォークからポップス系のコーラスグループに変貌した・・と。

まあ、普通のポップス系コーラスグループなら、それまでも多くいただろうし、それほど注目されなかったんだろうけど、このヒト達の場合は、ハイソサエティーな匂いがしましたからねぇ。 そんな匂いが、丁度盛り上がってきた、ニューミュージックっていう新たなジャンルの音楽とマッチしたんだよね。

その最初が、この「冷たい雨」だった・・と。

まあ、この曲がデビュー曲という訳ではなく、これ以前にもユーミンの「卒業写真」をカバーしたりとユーミンに近いところで活動を始めて来ていたんだけども、初めてヒットチャート的なヒットになったのが、この「冷たい雨」だった訳なんだよね。

・・・と言っても、この曲もオリジナルではなく「カバー曲」なんだけども。。。

そそ、もともとオリジナルは、ばんばひろふみ氏が居た「バンバン」のあの大ヒット曲「いちご白書をもう一度」のB面だったんだよね。

うーむ、なんかイメージわかないけどな。。。。

ま、いずれにしても「いちご白書をもう一度」も、ユーミンの作詞作曲だったわけだしね。そのユーミン自身も、「冷たい雨」はセルフカバーしてるし、結局は、この曲もまだユーミン周辺の活動の一環から抜けていなかった訳なんだよね。

でもこの曲のヒットをきっかけに、独り立ち・・・って感じでしたねぇ、ハイ・ファイ・セットも。
この曲の次が、あの「フィーリング」。そそそモーリスアルバートのカバー。 そして、その曲を含むアルバム「ラブ・コレクション」が、オリコンアルバムチャートで1977年の年間1位・・・・と、人気もピークでしたよね。

いや、アルバムが1977年の年間1位だった・・・ってことは、意外と知られていないかもしれないけど。。。
1977年のヒット曲相・・というと、どうしても沢田研二、ピンク・レディー、山口百恵・・・って感じで、シングル重視になっちゃうかもしれないけどさ、実際的には、このヒトたちもそんな77年の顔だった事は知られていないかもしれないな。




ハイ・ファイ・セットの「冷たい雨」っていうと、今や、やっぱり、この動画になっちゃうんだろうな。
そそそ、当時、フジテレビで不定期に放送されていた「ニューミュージック・スペシャル」。
ここまでも何度も書いてきたけど、後年「19×× 僕たちのなつかしのメロディー」で使われてたVTRですね。
実際の所、ワタシもこの番組から、この曲を意識して頻繁に聴く様になったんだけどね。

中央が、紅一点、メインボーカルの山本潤子さん。右隣が旦那の故、山本俊彦氏 左隣が 大川茂氏。

この時のバックバンドも豪華で、キーボードが松任谷正隆氏、ギターが松原正樹氏。
まあ、この曲のアレンジャーが、松任谷氏なんで、キーボードが松任谷氏と言うのは分かるんだけども、ギターの松原氏は、この曲のリードギターが評価されて、超一流のスタジオミュージシャンへのステップを踏んだんですよね。
この曲が無かったら、後年の「カナダからの手紙」、松山千春「長い夜」、中森明菜「北ウィング」、まっち「愚か者」・・・などなど数々のヒット曲のギターワークも聴けなかっ訳ですね。
 そんな松原氏も、既に鬼籍に入られしまった訳で・・・。40年って言う月日は長いんだなぁ。


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やさしさに包まれたなら / 荒井由実

1974_04_やさしさに包まれたなら_荒井由実








今回の1曲セレクトは、「やさしさに包まれたなら」荒井由実です。

まずはデータです。

・タイトル    やさしさに包まれたなら
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1974年4月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 ランクインせず
・売上げ枚数  −枚
・タイアップ:映画「魔女の宅急便」より

先日、ユーミンの「ルージュの伝言」を書いたばかりなんだけど、またまた、ユーミンを引っ張ってきてしまいましたわ。
 しかも、同じ「魔女の宅急便」で使用されていたこの曲ですっ。

「やさしさに包まれたなら」

「魔女の宅急便」で使われていたっていうのが、「ルージュの伝言」とおなじなら、実はヒットしてた「時期」も同じなんだよね。
リリースは、1974年4月20日。 今から42年前の「今頃」ヒットしていた訳ですわ。

・・・とはいうものの、上のデータを見ても分かるように、オリコンでは100位内にランクインしてなかったのよ。だから、売り上げ枚数もカウントされず。実際どのくらい売れたのかもよく分かんない。

「魔女の宅急便」以来、今でこそ、頻繁にCMで使われ、多くのアーティストがカバーしていたるこの名曲も、リリースされた当初は、そう言う存在だったんですよね。

「ルージュの伝言」もそうだったけど、この曲も当時は「知る人ぞ知る」っていう隠れた名曲だった訳なんですよね。

1974年というと、オリコンのシングル年間ランキングで4枚のミリオンセラーが誕生した年。これはオリコンがスタートした1968年以来年間最多のミリオンセラーが出た年で、だから、概してレコード売り上げは好調な年だったんだよね。
 
それでも、この曲のチャートアクションがこういう状況だった・・・っていうのは、やっぱり、当時はまだ「歌謡曲」の天下だったって事なんですよねぇ。

ユーミンなどの、いわいる後のニユーミュージックって言う音楽は、少なくともシングルではインディーな存在だったって事ですよね。

ただ、ニューミュージック勢もアルバム売り上げは好調だった訳でね、ユーミンの場合、この「やさしさに包まれたなら」が収録された、2ndアルバム「ミスリム」の売り上げは26.8万枚(アルバムチャート最高位8位)なんて言う売り上げが記録されていたりします。

 ま、一口に26.8万枚と言っても今とは時代が違い、なんせ「LP」の時代ですからね。10万枚売れれば大ヒットと言われていた時代の26.8万枚ですから、充分に大ヒットだったわけですね。

つまりは、アルバムを通して、この曲は広まっていったいて訳で、もしかすると、シングルだったって事は知らない方も多かったんじゃないかなぁ。

でも、当時は、他のニューミュージック系アーティストの曲では、そんな感じでアルバム先行で実はシングル曲でもあった・・・って曲は随分多いんじゃないのかなぁ。


この曲、個人的に聴いたのは、いつだったろう? 「ルージュの伝言」多少覚えているんだけど、この曲は全然覚えてない。もしかすると件の「魔女の宅急便」だったかもしれない。
 
でも、なんか、不思議な気分になる曲ですよね。童心に帰っちゃう・・というか。 この曲がリリースされた1974年というと、ワタシは5才になるかならないかの頃ですわ。

でも、その当時の気分に戻る・・・っていうかさ、文字通り「やさしさ」に包まれたような気分になる。 まあ、だから、これだけ多くの方に支持されている曲になったんだろうけどさ。

ちなみに、この曲のレコーディングアーティストのメンバーは

・ドラム 林立夫
・アコースティックギター 吉川忠英
・12弦ギター  瀬戸龍介
・ベース 細野晴臣
・スチールギター 駒沢裕城
・キーボード 松任谷正隆

という面々。 まあ、基本当時のユーミンのレコーディングメンバーは、林、細野、松任谷、鈴木(茂)っていうキャラメル・ママを中心だったわけだけども、この曲の場合は、加えて、アコギで吉川、12弦ギターで瀬戸、スチールギターで駒沢・・・っていう面々が参加していたって訳ですわね。
(ギターの鈴木茂氏は、この曲での参加は無し)

 うん、先日、別途紹介した「日本の編曲家」っていう本にも登場してくる、トップスタジオミュージシャンの面々ですわ。

 兎に角も、駒沢氏のスチールギターが、この曲のキモだろなぁ。 基本、カントリー形式なこの曲に、あのスチールギターのフレーズが絡んでくると、獨独の物悲しさというか、情緒感が出てくる。

 まあ、こういう曲想は、当時はこの曲だけじゃなかったですけどね。例えば、カーペンターズの「TOP OF THE WORLD」はなんかは、もろそうだったじゃん。
そそそ、なんかね70年代前半って言う匂いがするんだよね。 

ちなみに、この曲リリース当時は、不二家の「ソフトエクレア」のCM曲だったんだってねぇ。 今、この曲を聴くと、70年代前半の匂いがするとか、当時の気分になるっていうのは、もとかすると、そのCMの記憶が残っているのかなぁ・・・、なんて思ったりして。
 まあ、4〜5才の頃のことなんで、まだきちんと物心も付いていない頃なんでさ、今となっては表だって記憶はないんでけどさぁ。





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ルージュの伝言 / 荒井由実

1975_04_ルージュの伝言_荒井由実








今回の1曲セレクトは、「ルージュの伝言」荒井由実です。

まずはデータです。

・タイトル    ルージュの伝言
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1975年2月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 45位
・売上げ枚数  6.9万枚
・タイアップ:映画「魔女の宅急便」挿入曲

えー、久しぶりに70年代に遡りまする。
シングルでは、ほとんど売れなかったけど、でも、有名な曲、時々ありますよね。
特に70年代〜80年代の「ニューミューシック系」のヒトたちには、そう言った曲が結構あるかな。

当初、ニューミュージック系のヒトたちってシングルよりもアルバムを中心にレコード制作を行っていた人たちが多かったですからね、おのずから、そう言う傾向になった人たちが数多くいたってことですよね。
逆に言えば、アイドルとか歌謡曲系のヒトタチは、アルバムよりもシングル重視だったわけで、から、アルバムは、申し訳程度にしか売って無かった・・と言ってもいいかもしれない。

今回は、そんな当時はアルバム重視だったこのヒトの曲を。

荒井由実「ルージュの伝言」。

はいはいはい、今となってはほとんどの方が、この曲をご存じでしょう。

やっぱり、89年に公開されたジブリ映画「魔女の宅急便」の劇中曲として使われたのが大きかったですよね。

でも、それ以前は・・・と言えば、知る人ぞ知る・・・って感じじゃなかったかなぁ。 もちろん、古くからのユーミンファンの方々や、それ以外でも70年代からのラジオ小僧の方々には浸透していたかも知れないけど、「大衆的」な広がりは無かった・・・様な気がするな。

なにせ、この曲、シングルでは、オリコン最高位45位。売り上げ6万枚強ですからねぇ。
現在までの、この曲の認知度からしたら、全く信じられないかもしれないな。

少なくとも、ワタシらの世代では、ユーミンといえば、「魔女の宅急便」よりも少し前の、原田知世主演の例の「私をスキーにつれてって」で使われた、「サーフ天国 スキー天国」「恋人がサンタクロース」あたりっていうのが、より一般的だし、さらに遡って、81年の「守ってあげたい」の大ヒットっていうイメージが強かったですからね。

それ以前、70年代の「荒井由実」時代となると、世代が一つ上になるからなぁ・・・。

でも、そんな70年代のユーミンを、死んだウチの母親が、注目してたって言うんだから、先物買いだったよな、ウチの母親も。
なんでも、70年代のユーミンのファッションに触発されて居たらしいんだよね。

とくに、今回、セレクトしてきた「ルージュの伝言」の頃のユーミンのファッションはオシャレでしたからねぇ。まだ前衛的というかね、少なくとも「歌い手」でああいう、時代の超最先端なオシャレなファッションだっひとも少なかったんじゃないかなぁ。

そんな私も、この曲を実際に聴いたのは、「魔女の宅急便」で誓われるほんの少し前だった・・・様な気がする。

いや、音源はかなり前から持ってたんだけどね。

83年に初めて通販で買った、ニューミュージック大全集。 それに既に、「ルージュの伝言」って収録されていたんだけど、曲自体知らなかったんで、長い事、針を落とさずにいたんだよねぇ。

でもね、何かの拍子で、初めて聴いた時は、ちょっとショックだったなぁ。 なんてオシャレな曲なんだ ってさあ。
長い事、針を落とさずにいた事を後悔しましたね。

、ここでも何回も書いてきたことだけど、個人的には「ダサい」曲が好きなんだけどさ、この曲は、ちっともダサくないし、逆に当時としては洗練された曲だよなぁ。
 当時のユーミンの言葉を借りれば、「中産階級」なヒトのための音楽っていうかね。 そそそ、ワタシはブルーカラー的な音楽が好きだったし、そう言う曲を中心に聴いてたからさあ、この曲は、凄く新鮮に映ったんだよな。

まあ、今思えば、50年代〜60年代あたりの、もろオールディーズそのまんまな曲風なんだけどさ。
今では、そうだよな・・・なんて、すぐ分かるんだけど、この曲を始めて聴いた当時は、まだ知らなかったからさ、オールディーズの頃の音楽は。 だから、新鮮に映ったんだろうな。

ところで、この曲のバックコーラスをやってるのは、大貫妙子、吉田美奈子、伊集加代子なんていう錚々たるメンバー。いわいるシュガーベイヴ系の面々なんだけど、「白」一点で、男性コーラスをやってるのが、山下達郎氏。
 そそそ、この曲のバックで、ルペッツの「シュガーヘイビーラブ」よろしく、♪woh woh woh〜♪ってファルセットで声を張り上げてるのは、今をときめく山下達郎氏ですわ。
シュガーヘイヴのあの「SONGS」をリリースする2か月前ですね。

ちなみに、この曲以外にも、初期のユーミンのアルバムでは、山下達郎氏をはじめ、シュガーヘイヴの面々、コーラスで参加してたりしてるんですよね。

 あの当時は、まだニューミュージック系のメンバーの裾野が狭かった・・というか、今、巨匠といわれる人たちが、互いにいろんなアーティストに参加してたりして、面白いんだよなぁ。

でも、それだけ音楽の才能があるヒト達が参加しあってたわけたがら、当時のニューミュージック系の曲のクオリティが高かったって言うのも、当たり前だったのかもしれないですね。



これ70年代中盤、この曲がリリースされた当時のVTRですよね。
コレ録画したヒト、当時からビデオ持ってたんでしょうかねぇ。すごいなぁ、当時は、まだビデオなんて一般的じゃなかった訳だから。
 ちなみに、途中で、ムッシュかまやつ氏が乱入してくるけど、ちょうど、この「ルージュの伝言」をリリースした頃、大瀧詠一氏や細野晴臣氏などのいわいる「はっぴいえんど」系のヒトたちが、ムッシュのレコーディングに参加してたんですよね。 細野氏といえば、はっぴいえんど後、キャラメル・ママでユーミンを手掛けた訳でさ、そんな人脈繋がりで、ムッシュ氏が乱入してきてた様ですね。
 件の山下達郎氏は、大瀧詠一門下だしさ。そう言う訳で、いろんな才能が集結してたんだよね。


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あの日に帰りたい / 荒井由実

1975_12_あの日に帰りたい_荒井由実








今回の1曲セレクトは、「あの日に帰りたい」荒井由実です。

まずはデータです。

・タイトル    あの日に帰りたい
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1975年10月5日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   61.5万枚
・オリコンベストテンランクイン期間:1975年11月24日〜1976年2月19日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「家庭の秘密」主題歌

さて、今回はマクラ無しでいきなり行きます。
ユーミンの「あの日に帰りたい」でしっとりとひとつ・・・。

 最近の曲で、めっきり見かけなくなったのがボサノバ。あ、これはヒット曲の世界では・・という意味で。もちろん、今でもボサノバっていうリズムは生きているわけで全くなくなったわけではないですわね。

 でも、、どうしちゃったんろうね。 やはり、このテの人間ならではの感覚で作り上げる自然なリズムっていうのは、いくらDTMが発達したといっても、やはり「コンピュータ」で作り上げるのは難しいからですかね。

 でもさ、この「あの日が帰りたい」がヒットした、1975年〜76年あたりって、結構、日本のヒット曲でもボサノバな曲って多いんだよね。いつか紹介した丸山圭子の「どうぞこのまま」なんてのは、その代表的な存在でしょ。

 で、あのユーミンでさえ、この曲でボサノバってたんだものね。やはりこのての曲は流行の先端を行ってたんですよ。

 当時のユーミンの曲って、今のように音の輪郭、エッジがきつい曲調というよりは、この曲のように音の輪郭がぼやけたソフトな曲が主流でしたよね。

 この曲なんかはその代表でしょう。

まあ、まだ、ニューミュージックっていう音楽が広がりだしたころの音楽だったし、曲の外見とはうらはらに、サウンドは、みずみずしさがあるよね。

 でも、まあ、やはり、この曲のある種の暗さがね、75年当時の不況の暗さをイメージさせるんだけどさ。
 
 それでも、当時の音楽を意識してダイレクトには聴いていないワタシからすると、この曲のイメージはセピア色なんだよなぁ。 どこか懐かしい。

 ちなみに、この曲を完全に意識して聴いたのは、ヒットから6年後の1981年。ペンタックスのカメラのCMで流れてたの覚えているかなぁ。まだ、デビュー前の早見優が出てたCM。

↓ コレ


このCM、81年の「守ってあげたい」がヒットした直後で、ワタシね、この曲がユーミンの新曲だと思ってたんだよね。
ちょうど、「夕闇にひとり」って曲が「守ってあげたい」に続く新曲って決まってた頃で、ワタシ、この曲が新曲の「夕闇にひとり」だと思ってたんだよなぁ。

まさか、それから5年前の曲なんて知らなかったからさあ。

あとで、全くの別曲ってしって、じゃ一体、いつの曲だったんだ? となって、調べたのが本格的に知るきっかけになったのかなぁ。

 でも、オリジナルヒットの頃にも、この曲はドラマの主題歌として使用されていたんだよね。
 当時はまだまだドラマタイアップもそれほど多くない時代だけど、こういうところも時代の先端を行ってたんだよなぁ、ユーミンは。

 ジャケ写・・・・ちょっと古いんで、それこそセピアがかって見にくいんだけど、これ、ユーミン本人なんだよね。若いっちゃ若いんだけど、今とイメージがまるで違うよねぇ。言われなきゃわかんないかも。


ランキング的にいえば、ユーミンにとって初の1位獲得曲。 これはシングル、アルバムを通してなんだけどね。
ま、それまではアルバムは、1位は獲得できなかったにせよ売り上げは好調だった訳だけども、シングルは売れないって感じだったのよね。 今でこそ有名になった「ルージュの伝言」なんて、オリコン最高45位だしさ。
 「アルバム」がジワジワ売れてたんで、そこそこ知名度は上がってきていたユーミンだけど、やっぱりこの曲がドラマの主題歌に使われたって言うのは大きかったんだろうね。一気に知名度が全国区になったという点ではさ。


 あ、蛇足だけど、荒井由実っていうのが、今の松任谷由実の「旧姓」っていうの、知らない人は・・・・いないよね。。




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瞳はダイアモンド / 松田聖子

1983_12_瞳はダイヤモンド_松田聖子






今回の1曲セレクトは、「瞳はダイアモンド」松田聖子です。
 
 まずはデータです。

・タイトル    瞳はダイアモンド
・アーティスト  松田聖子
・作詞      松本隆
・作曲      呉田軽穂
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1983年10月28日
・発売元     CBSソニー
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   56.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1983年11月7日〜1984年1月30日付

 ここ2カ月くらい、毎週のように書いてた松田聖子様の曲だけど、とりあえず、今回の曲で一区切りかなぁ。
ま、また、後日、別の曲を書くことはあるだろうけど。

 瞳はダイアモンド  /松田聖子

 この曲も、まだ、書いてなかったんだねぇ・・・。
 ・・・っつうかさ、この曲、どうもつかみ所がなくってねぇ。。。あの時期って、兎に角「Sweet Memories」のインパクトが強くて、この曲はその陰に隠れて・・・っていう印象があるんだよね。

 まあ、リリース時期がちょっと微妙だったんだよな。
 っていうか、逆に「Sweet Memories」が本当に予想外なあたり方をしちゃったんで、この「瞳はダイアモンド」が陰に隠れちゃったともいえるんだけど。。。

 でも、「Sweet Memories」のおかげで、「松田聖子」としての再びアーティストパワーアップしたともいえるんだけどさ。

 この「瞳はダイアモンド」リリースの頃が、もしかして、アーティスト「松田聖子」としては、一番パワーがあったころぢゃないかなぁ。

 この頃の聖子様は、どんな曲が来ても、絶対に外さないようなオーラがあったもの。
 だから、この「じみー」な曲でも、1位獲得なんてことになったんだよね、多分。

 それも、絶妙なタイミングで・・・。

1983年11月7日付

1位 瞳はダイアモンド/蒼いフォトグラフ /松田聖子
2位 ガラスの林檎  /Sweet Memories  /松田聖子

と、この時点で、1970年6月1日付

1位 圭子の夢は夜ひらく /藤圭子
2位 女のブルース    /藤圭子

の藤圭子以来14年ぶり2組目の1位、2位独占ランク達成! ・・・と、兎に角、「Sweet Memories」の効果は絶大だったと思うんだよね。

 その証拠・・・でもないんだけど、この「瞳はダイアモンド」が、「ザ・ベストテン」では、8週連続1位獲得と松田聖子の中では、1位獲得週数がもっとも長い1曲になってたりする。
 (もちろん、ワタシのランクでも8週連続1位で松田聖子としては最長の1位獲得曲)

 うん、まあ、オリコンでは2週だけなんだけどね、1位獲得は。それでも、ザ・ベストテンでこれだけの間、1位獲得してたってことは、レコード売上げだけでなく、他の有線、ラジオ、ハガキの要素でも満遍なく強かったってことなんだよね。
 
 まさにアーティスト松田聖子としてのパワーが最強の時じゃなかったかなぁ・・・と思いまする。


 うん、それだけ、この「瞳はダイアモンド」って曲、曲自体は、それほど「すごい」と思うだけのインパクトもないし、そんなにパワーを持った曲だとは思わないんだよね。

 そそそ、あくまでアーティスト・松田聖子のパワーでこれだけ売れた・・と思えるの。

 まずもって、地味なんだなぁ。悪い曲だとは思わないけど、いい曲だとも思わなかったな。
 どうも、前年の「小麦色のマーメード」の「秋版」に近いイメージの「地味さ」っていうのかなぁ。呉田軽穂女史の曲としては、ちょっとカッタルイです。

 うん、貶している割には、たしかに、印象に残ってはいるんだけどね。

 サビの

 ♪ あー 泣かないでMemories 〜 ♪

 の部分とかね。そういえば、このきょくの頃、家族で銚子に行ったなとか・・・その頃の情景は浮かんできたりして・・・。

 ただ「瞳はダイアモンド」って言うくらいだから、本当は、クリスマスあたりのイメージもあったんだろうね。

 だから、これだけの長期間のロングヒットになったのかもしれないけど・・・。

 個人的には、晩秋の夕焼け空の中・・・っていうイメージが強いんだけど・・・この曲は。



この曲と言ったら、パックは「カラオケ」って事が多かったんだけど、この時は、きちんと生演奏でしたね。
まあ、ライブ会場からの中継なんで、流石にカラオケって訳はないんだけどさ。
でも、テレビの歌番組はカラオケが多かったんで、生演奏での「瞳はダイアモンド」は結構新鮮なんだよね。


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中央フリーウェイ / 荒井由実

1976_11_中央フリーウェイ






今回の1曲セレクトは、「中央自動車道」・・・・もとい! 「中央フリーウェイ」荒井由実です。

まずはデータです。

・タイトル    中央フリーウェイ
・アーティスト  荒井由実
・作詞      荒井由実
・作曲      荒井由実
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1976年11月20日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   30.7万枚

※オリコン最高位と売り上げ枚数は、この曲が最初に収録されたアルバム「14番目の月」のもの。
 シングルはリリースされていないので念のため。。


 はいー、今回の1曲セレクトは、「中央高速」ですよ〜。東京近郊に住んでて車持ってるヒトは、通った事ない・・・なんてヒトは、もしや居ないでしょう。それほどメジャーな高速道路です。
 
あー、そう言えば、今日は3連休の最終日。今頃、中央高速の渋滞に嵌っている方もいらっしゃるんだろうなぁ。


 え? 違うって? 「中央フリーウェイ」

 オシャレぢゃありませんか。。。フリーウェイですよ。

 うーん、そういえば、たしかに高速道路って、出来て何十年後には、文字通り「フリーウェイ」になるはずだったですよね。。。。

 それって、そろそろなはずぢゃなかったでしたっけ。。。。

 いつまで、制限速度100Kmで、高い高速料金払わなきゃいけないの?

・・・・なんてヒニクを書いたりして。。。 でもまあ、ETCなんてもんが出来た限りは、当分は「フリーウェイ」にはならんのでしょうね。


 文字通り、ユーミンの初期の代表曲の1曲であります。
 うん、実は、先日の薬師丸ひろ子の「Woman〜Wの悲劇〜」の作曲がユーミンだった・・・っていう繋がりがあったりするふらふら

 でも、この曲、シングル化はされていないんだよね。これ、意外かな?
 4枚目のオリジナルオルバム「14番目の月」のA面の最後に収録されたのが、初めとなります。

 うーん、今で言えば、アルバムのリード曲って存在かな。だけど、なぜか、この曲だけ独り歩きして、今でも代表曲として君臨しているわけですね。

 アルバムのリリースは、上記のように1976年11月20日。39年前の丁度今ごろになるわけですね。

 でも、曲を聴く限りは、イメージが秋頃じゃないよなぁ。ワタシてっきり初夏頃の曲かと思ってたの、ずっと。

 だって、曲のイメージ、爽快感、温度感、全部ひっくるめても、どう考えても「秋」というよりは、「初夏」だよなぁ。

 だいたい、「秋」に

 ♪ 町の灯がやがてまたたきだす 二人して流星になったみたい〜 ♪

とは、秋の曲ではかかないですよぉ。キモは「やがて」ですね。秋の日はつるべ落とし・・・ってぐらいだから「やがてまたたきだす」とはならないよね。

 ・・・なんて、もっともらしく分析してみたりして。。。ふらふら(違ってたらゴメン)

 証拠に、この曲、アルバム「14番目の月」のリリースの半年前、1976年3月14日のTBS「セブンスターショー」で歌われている。。。ってwikipediaには書かれてある。

 まあ、ワタシも実際見てたわけではないから、どのくらい信憑性があるのかは、よく分らないけど、その通りだとすれば、既にアルバムリリースから半年前には、曲が出来てたってことだよね。

 それにしても、やっぱり、ワタシが考えてた時期とはちょっとずれるな。
 76年に結婚することになる、松任谷正隆氏とは、1975年12月に正式に婚約しているから、これは、きっと「彼」とは松任谷氏のことで、ユーミンの実家は八王子だから、東京から八王子に車でおくっていってもらう時に出来たんだろうね・・・と類推してみるふらふら


 だけど、この曲で、有名なのは、

♪調布基地を追い越し 山に向かっていけば〜 右には競馬場、左はビール工場 〜♪

って部分だよね、やっぱ。うん、「競馬場」は東京(府中)競馬場、「ビール工場」はサントリーの府中工場の事なんだけどさ。
 うん、フィクションじゃないんだよね、ホントのこと。

 だから、中央高速にのると、ころあいを見て、この曲をかけようと思うんだけど、なかなかタイミングが合わないんだよなぁふらふら

 実際に、高井戸ICから八王子方面に向かうと、程なくして、「右に競馬場、左はビール工場」が見えるんだけどさ。

 たださ、微妙なのは「調布基地」っていうところなのよね。
今は、「調布基地」はなくなって、単に住宅地になってるから、いつも、どこだ? ・・・って思うんだけど、調べてみたら、1974年に米軍から返還されてる・・・・ってことだから。。。(だから今はもう基地は無い)

 もしかして、この曲って、それ以前にすでにあったってこと?  うんにゃ、これは、今の調布飛行場の事ですね。

 うーんたしかに、ユーミンって既に、中学生のときに六本木人脈(のちのアルファレコード人脈)に出入りし、14歳でレコーディングに参加、15歳のときに加橋かつみ(元タイガース)に曲を提供なんて、早熟少女だったからねぇ。

 たしかに、1974年以前にすでに、この曲の詞のモチーフは出来ていてもおかしくはないですね。



 でも曲は、難しいんだよね。初期のユーミンの曲では、いちばん難しいっていわれてる曲がこの曲。

 出だしがFコードから始まってるからKey=Fだろうとおもったら、実際は、Key=A♭だったりさ、なにより、16ビートの曲って、それまで日本のロック&ポップスで使われたってことは、この当時としてはほとんどない。

 使われてない・・・・というより、16ビートを叩けるドラマーがまず居なかったってことと、もちろん16ビートを刻めるギタリストがまず殆ど居なかった・・・ってのが大きいんじゃないですかねぇ。

 村上ポンタ秀一氏の著書、「自暴自伝」によると、日本で初めて16ビートが叩けるようになったドラマーは、何を隠そう、村上ポンタ氏だったらしいですけどあせあせ(眉唾??)、ポンタ氏は、ユーミンとは、比較的遠い位置にいたミュージシャンなので、レコーディングには参加してない。(ただ、旦那の松任谷正隆氏のキャラメルママとは親交が深かったようですが・・・)
 
 だから、この曲では、ドラムは外国人が叩いてる。アレンジャー兼キーボードはもちろん、松任谷正隆氏ですが、ハーフトーン系の音色のエレピでテンションコードをいっぱいに使った曲アレンジは、このヒトの真骨頂といったところでしょう。

 兎に角、コード進行が複雑なんだよね。

  Fmaj7        F#dim D7 Gm7    Edim C7 Fm7
♪ 中央フリーウェイ 調布基地を追い越し 山に向かっていけば〜 ♪

なんて、出だしからいきなりFmaj7なんてテンションコードからはじまり、F#dimに行くコード進行の曲なんて、このころ、無かったよ。 めちゃくちゃ斬新だったんだよな、この頃のユーミンは。

 のちのテンションコードの嵐だった、寺尾聰のアルバム「Refrections」もビックリな曲だよなぁ。

 だから、サウンドのノリは、すっかりカリフォルニア気分なんだよねぇ。アメリカには20年遅れてるなんて言われてた時代だけど、なんのなんの、この曲の存在は、すでに日本でもアメリカさんに負けないだけのクオリティのAORサウンドを作れるんだぜ・・・と言わしめた曲・・といっても過言ではないですぞexclamation ×2

 いやいや、これこそプロの作品ですよ。2000円払っても全然惜しくないもんねぇ。バックコーラスアレンジには山下達郎氏、パーカッションは斉藤ノブ氏まで参加してたりして、バックのスタジオミュージシャンは至極豪華。
 本当にウマイミュージシャンがセッションすれば、日本でもこのくらいの高クオリティの曲もできるっていう、いい見本ですよ、この曲は。



 なお、↑のデータでは、アーティスト表記を荒井由実にしちゃったけど、これ、どちらとも取れるんだよね。

 このアルバムがリリースされたのは、上記でも書いたように1976年11月20日。結婚式を挙げ松任谷由実になったのは、9日後の1976年11月29日。

 だからか、オリコンでは、このアルバムから松任谷由実表示になってたりする。
 でも、JASRACの作品データベース上では、この曲は「荒井由実」名義で登録されているみたいなので、便宜上、荒井由実にしました。
 




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Woman〜Wの悲劇より〜 / 薬師丸ひろ子

1984_11_Woman〜Wの悲劇より〜_薬師丸ひろ子






今回の1曲セレクトは、「Woman〜Wの悲劇より〜」薬師丸ひろ子です。

まずはデータです。

・タイトル    Woman〜Wの悲劇より〜
・アーティスト  薬師丸ひろ子
・作詞      松本隆
・作曲      呉田軽穂
・編曲      松任谷正隆
・リリース日   1984年10月24日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数   37.3万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1984年11月5日〜12月31日付
・タイアップ:映画「Wの悲劇」主題歌


え〜、今回のタイトルから、「フランク永井」の「Woman」だと思った方、ゴメンナサイ(⇒果たして類推する人が何人いるかしら。。。ふらふら)。
 今日の1曲セレクトは、薬師丸ひろ子の方の「Woman」です。

 まあ、この曲は、角川映画「Wの悲劇」の主題歌だったわけだよね。
このころは、薬師丸ひろ子と原田知世っていったら、角川映画の2大看板女優でしたからねぇ。
 このころは、必ず、この二人による主演映画の「併映」っていうパターンでしたよね。

 今調べたら、この「Wの悲劇」は、原田知世主演の「天国にいちばん近い島」との併映。公開日は1984年12月15日。85年のお正月映画第一弾として、公開されたわけですね。

 ちなみに、この前が、薬師丸ひろ子「メインテーマ」に対して、原田知世「愛情物語」(公開日84年7月14日)と、これまた、このお二人での併映・・・と。
 83年〜85年くらいにかけては、角川映画は、この二人で持ってたようなもんでしたわね。

 レコード売上げにしてもしかり。キチンと売れてたからねぇ、二人とも。さぞかしや儲かったでしょう、角川ホールディングスは。

 何分、エンターテイメント、特に音楽、映画にかけて徹底的に「ビジネス」と成り立たせたのは「角川映画」からでしたからねぇ。

 いまのaちゃんにしても、もとのビジネスモデルは全部、角川から来た流れなんだよね。

 まあ、それが、いいかわるいか・・・・っていうのは、また、別個の機会に書くとして、薬師丸ひろ子の「Woman」ですよ。

 当時の印象として、近田春夫氏の新曲論評ではないですけど、なんかもしょもしょしてて、ハッキリしない曲だな。・・・ということと、相変わらずオバちゃん声だよなぁ・・・っていう印象が強かったんだよね。

 曲想もハッキリ言って暗ーい感じのイメージだし、妙に静寂感があるし、雪が降ってる日の夜・・・雪明りの中でもや〜〜っと流れてるイメージが強い。

 はっきりいって、当時怖かったんだよね、この曲。 なんか、出てきたぞ〜 生首が〜、たたりじゃ〜 ヒェ〜・・・・っていうイメージがあってさふらふら

 角川映画でも「八つ墓村」だよね。それじゃふらふらあせあせ(飛び散る汗)衝撃

 「Woman」っていうタイトルからして、なんとなく、冷たいイメージがありません?

 ワタシだけかなぁ・・・。

 当時は、(高校)受験地獄の真っ最中。この間も書いたけど、10月〜12月は、「大殺界」の真っ只中ですからねぇ。

 どこか、いつもより神経質になっていたのは確かですね。

 うん、そういえば、机のスタンドライトの光だけの真っ暗な部屋と、石油ファンヒーターを焚いてる匂い・・・っていうイメージもあるんだよね、この曲聴くと。

 受験勉強しながら、聴いてたからなぁ。当時は、夜はずっとニッポン放送にしてたけど、結構、頻繁にかかってたイメージがあるなぁ、この曲。

 あれ? そういえば、この曲化粧品のイメージソングでもなかったっけ? ・・・と思って調べたら、ビンゴ! 資生堂84年冬のキャンペーンソングでもあったんだったっけ。

 角川もやるね、徹底的にマスコミ使ってたんだよな、映画のイメージアップの為に。

 でもさ、今聴くと、また、当時とは違ったイメージもあるのね。冷たいながらにも、仄かに感じるぬくもり・・・っていうのかな。日本的なぬくもりって言うのかな

 特にサビからの

♪あー 時の川を流れる舟に オールはない 流されてく〜 ♪

ってところのメロディラインには、そんな印象を受ける。

 この曲、作曲は、呉田軽穂⇒松任谷由実 なんだけど、当時の松任谷由実としては、結構珍しいメロディラインでもあったな。今考えると。

 当時は、自分で歌う曲では、日本的な匂いがするメロディラインはほぼ皆無。どっちかというと、音の輪郭のハッキリした、シティポップスの先端をいってたけどね。

 ただ、ずっと後年、94年になって「春よ来い」で同じような匂いをもった曲を自分でも歌うことになる。

 なんか、その「雛形」にもなった曲のような感じもするんだよね、この曲。

 プラス、この曲のベースラインの動きがまた、面白いんだよね。たんに開放の音をなぞっているだけでなく、自由自在に動くベースラインっていうのかな。松任谷正隆氏のアレンジとしても珍しいアレンジだとおもいますよ、この曲のベースラインは。



ちなみに、内容が無い・・・と酷評された原田知世の「天国に一番近い島」に対して、薬師丸のこの「Wの悲劇」は、評価が高かったよなぁ。女優開眼・・・とか言われて。
舞台女優を目指す物語だけど、実際の舞台シーンの演出は、鬼才・蜷川幸雄氏で、めちゃくちゃ扱かれた様ですからねぇ。薬師丸自身、体当たりの撮影だった、と振り返ってましたね。
 ある意味、薬師丸が、今日、女優として生き残っているのは、この映画があったからじゃないかなぁ。


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ダンデライオン〜遅咲きのタンポポ〜 / 松任谷由実

1983_10_ダンデライオン_松任谷由実






今回の1曲セレクトは、「ダンデライオン〜遅咲きのタンポポ〜」松任谷由実です。

 まずはデータです。

・タイトル   ダンデライオン〜遅咲きのタンポポ〜
・アーティスト 松任谷由実
・作詞     松任谷由実
・作曲     松任谷由実
・編曲     松任谷正隆
・リリース日  1983年8月25日
・発売元    東芝EMI
・オリコン最高位 9位
・売上げ枚数  17.1万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 15位

 さて、今回はマクラ無しで、のっけから本題。

 今回引っ張ってきた曲は、ユーミンの「ダンデライオン」なんだけど、本当は、先月書いた、松田聖子の「小麦色のマーメード」の次に書こうと思ってたんだよね。
 まあ、それは、ユーミンつながりで・・・って言うところからなんだけどさ。

 ただ、あんときは、まだ暑くてさあ、どうも、この曲のイメージとつながらなかったんだよなぁ。
 なんで、もうちょっと涼しくなるまで待ってみるか・・・なんて思いつつ、今日まで引っ張ってきちゃったわけですわ。

 ようやく涼しくなってきたからねぇ。
 加えての、ドン曇り・・・と、この曲のもつ「もの悲しさ」的なイメージにピッタリ来るような気候になってくれたんで、やっと、書こうかな・・・と。

 本当は、イメージとしては、秋晴れのちょっと冷たい風が吹いて・・・っていうイメージなんだけどね、本当は11月の木枯らしが吹いてくる季節の方がピッタリきそうだし、実際、ずっとその時期のヒットだと思ってたんだよね。でも、実際は2カ月くらい前倒しだったんだよなぁ。

 この曲は、上で書いたように「もの悲しさ」ってのが全体的なイメージなんだけど、「賛美歌」的な、高貴なもの悲しさなんだよね。

 ま、それは、特に、出足の

 ♪ ゆうやけに〜 ちいさくなる〜 ♪ のメロディラインから、即感じるところなんだけど、この辺のイメージは、この曲から7年前の「翳りゆく部屋」にダブるんだよね。
 あの曲も、タイトルからしてそうなんだけど、耳に入ったとたん、「西日が翳ってゆく情景」がバーッと浮かんでくるじゃん。「西日」というと、やっぱり「秋の日」が一番ピッタリ来るわけで、否が応でも温度感として、秋の温度感を感じるんだよね。

 この曲も、「翳りゆく部屋」と全く同じような絵が浮かんで来るんだよねぇ。
 その辺、タイトルの「ダンデライオン」→タンポポっていうイメージと離れるんだけどね。当時、「ダンデライオン」って意味わかんなかったんで、感じなかったんだけど、後になって、「ダンデライオン」って「タンポポ」っていう意味を知って、タイトルイメージと違うな・・・なんて思ったりしたんだけどね。


 まあ、やっぱ、「音楽」も芸術の一つに数えられているわけで、「絵画」と同じだと思うんだよね。
 情景が浮かんでくるかどうかというのは重要だとね。ことユーミンの場合は、それぞれの曲の「色合い」がはっきりした情景が浮かんでくる。
 その辺が長年人気が落ちない所以だと思うんだけどさ。

まぁ、その辺は、本人が多摩美大出身っていう、芸術系出身ということも大きいんだろうね。

 で、「賛美歌」風な曲調っていうのも、高校まではカトリック系だったっていう環境から来ているんだろうし。
 ただ、80年代終盤からの、いわいるメガヒットの時代からは、この手のダイレクトな「賛美歌」風の曲が少なくなったような気がしないでもない。 その辺、、この当時のユーミンから比べると魅力が減ったんじゃないかなぁ・・・と思うこのごろだな。
 

 ところで、この曲って、松任谷由実のセルフシングルのこのバージョンより、原田知世のバージョンを先に聴いたのかなぁ、個人的には。
 この年は、例の「時をかける少女」からはじまって、ユーミン夫婦は、原田知世に入れ込んでたからなぁ。 この曲もその流れなんだよね。

 そそ、もともと、原田知世のアルバムに収録されていたんだよね。
・・・と書いた後で、Wikipediaを調べたら「シングル」ってなってる。。

 あれれれ、そうだったかなぁ・・・?

 オリコンのチャートブックには、記載がないが。。。 あれ、100位にランクされなかったか?

 いや、個人的には、この年リリースされたアルバムに収録されていたバージョンを先に聴いたような記憶があるんだけど・・・。


・・・・と思って調べたら、「シングル」になったのは、この年の7月で、「自主制作盤」だったんだね。どうりでオリコンに入ってなかったわけだ。。。


・・・・なんて書いた割には、原田知世バージョンの方は、記憶に残ってません・・・なんだけど。。 
 いや、当時から、あんまり、印象に薄かったような気がする。


そそそ、本文とは全く関係ないけど、この曲で、Dandelion ⇒タンポポ って覚えたんだよな。
最初は、ダンデライオンってどんな「ライオン」だ? なんて想像してたんだけど。。。

ヒット曲も、時々、学校の勉強に役立ったんだよな。




で、動画は、変則的で申し訳ないんだけど、原田知世とユーミンが「僕らの音楽」で共演した時のモノ。
表題的にはユーミンにしたんで、ユーミンのソロが良かったんだけど、何分、動画が落ちてないんで。。。


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