かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

戸塚修

スニーカーぶる〜す(別テイク) / 近藤真彦

1982_04_ふられてBANZAI_近藤真彦


今回の1曲セレクトは、「スニーカーぶる〜す」近藤真彦です。

まずはデータです。

・タイトル     スニーカーぶる〜す
・アーティスト   近藤真彦
・作詞       松本隆
・作曲       筒美京平
・編曲       戸塚修
・リリース日   1982年3月31日
・発売元      RVC
・オリコン最高位 -  位
・売上げ枚数     - 万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 - 位

・・・と書いて、ちょっと待て〜〜  って普通思いますよね。 少なくとも80年代を知ってる方なら。

そもそも、まっち先生の「スニーカーぶる〜す」のリリースは「1980年12月12日」であり、↑のリリース日も違ってるじゃん。
それ以前に、なに? オリコン最高位も売り上げ枚数も 「−」になっているのは

もっと、細かい所を指摘するなら、アレンジャーが「馬飼野康二」氏ぢゃないじゃん。。。

・・・なんて、あたりがクレームが来そうな所かなぁ。。

But But 、間違ってないですから。

うん、当時の事をちょっと知ってる方なら、このタネあかしは、知ってますよね。

これは、まっち先生のデビューシングルとして、公式にリリースされたテイクとは別テイクの「スニーカーぶる〜す」のことを指している訳です。
そそそ、シングル「ふられてBANZAI」のB面に収録されているバージョンの「スニーカーぶる〜す」。

いや、正式に言えば、元々・・・というか、最初に出来あがったテイクの「スニーカーぶる〜す」は、こちらの戸塚修氏がアレンジしたテイクであり、世に出ている「スニーカーぶる〜す」は、このテイクからさらに手を加えた「後発」テイクということになる。

ちなみに、このバージョンを「スニーカーぶる〜す Part2」って言ってるヒトもいるけど、これは間違い。
「スニーカーぶる〜す」の大ヒットからの続編作って訳じゃないんだよね。

たしかにこのテイクは、歌詞も違えば、もちろんアレンジも違う。メロディはほぼ同じではあるけどメロディ進行も違うし、尺も違う。
まあ、続編⇒Part2と勘違いするしてもおかしくは無いけど・・・。

こちらのテイクの方が、尺が長い。歌詞も ♪ Buzのレコード聴いてた寒い夜明けが懐かしい〜 ♪ とか、大人っぽいし、これ生かすようなドライブがかかったアレンジは、ほとんどニューミュージックなんだよね。
少なくともアイドルのデビュー曲とは到底思えないような・・・。

ただし、音楽的にはほとんど完成された仕上がりにはなっている。 うん、まっち先生のボーカルも、「通常」の「スニーカーぶる〜す」よりも数段上手いしさ。


こんな音楽的に見てほぼ完成されたテイクを、当時のまっち先生のプロデューサーだった、小杉理宇造氏は切ったわけだ。

で、今、普通に聴かれるテイクの「スニーカーぶる〜す」に作り替えた。

今普通に聴かれる「スニーカーぶる〜す」は、当初のテイクから比べると、正直言ってダサい。 まっち先生のボーカルもシロウトっぽい。

ただ、初めのテイクに比べ、余計なフレーズが削られメロディ進行もシンプル。

当初のテイクと詞、メロディとも全く同じなのはCメロの ♪ 街角は雨 ぶるーすのようさ・・・♪ の部分のみだ。


ぢゃ、なぜ当初の音楽的に完成されたテイクを切って、「ダサい」テイクに作り替えたのか?

この辺は、ネット上で他の方も大分書かれてるけど、1981年11月号の月刊「明星」の歌本「Yong Song」の「'81 MUSIC PEOPLEインタビュー」と言う連載企画での小杉氏へのインタビューによると、

「アイドルにとって、最初からクオリティが高すぎるのは危険だから」と言ってる。

つまりさ、デビュー曲であまりにクオリティが高い所まで持って行ってしまうと、2作目以降の行き場が無くなるってことなんだよね。
駄作でいいと言う訳ではないんだけど、デビュー曲は音楽的にはある程度のところでよく、2作目以降徐々にクオリティを上げて行けばいい。

そういう考えのもと、敢えてダサいテイクに変えたって言う訳だ。



ただ、「スニーカーぶる〜す」の場合は、他にもしがらみがあった。ジャニーズ側からのとんでもなく高いハードル要請だ。

「オリコン初登場1位。 売り上げ枚数ミリオンセラー」

これが、小杉氏に求められた絶対条件だったと言う。

オリコン初登場1位。 たしかにハードルが高い条件であったものの、当時のまっち先生の人気の超沸騰度から考えれば、楽曲のクオリティどがえしでも、これはある程度は予測できたかもしれない。
その保険のために、オリコン集計期間とレコード店頭販売時期を考慮して、店着日とオリコン集計期間を最大限生かしきるために12月12日なんていう、当時の通常のリリース日ローテーションから外し、敢えて「臨発」扱いにした訳で。

しかしながら、 売り上げ枚数ミリオンセラー、 この条件は当時の「アイドル」のレコード売り上げ傾向から見ると、めっちゃ高いハードルだったわけだ。

いつかも書いたけど、1980年当時、レコードは今に比べると高価なものだったんだよね。 シングル1枚、700円。 今のCDシングルよりも安いじゃんと思われがちだけど、相対的な物価が約40年前とは違う訳で・・・。

1980年の大卒初任給の平均は11万5千円。 ここから現在の価値に変換すると、シングルレコード1枚、1250円程度となる。

しかも、当時のアイドル・・・特にまっち先生のファン層の中心は、当時の小〜中学生(つまりは我々の世代ですわな)。 小学生、中学生が、例え1250円でもシングルレコードを買うっていうのは、それ相応の「覚悟」が必要だったんだよね。

そのため、当時のレコードの購買中心層は大学生から上の世代。 

それいえに、当時、オリコンでのミリオンセラーは演歌、ニューミュージックで占められてあり、アイドルでそれまでミリオンセラーを記録していたのは、ピンク・レディーだけだ。

当時すでに伝説的なアイドルであった、山口百恵、西城秀樹、沢田研二、岩崎宏美、太田裕美・・・だれもミリオンセラーを達成していない。

つまり、アイドルでミリオンセラーを記録するのは、超至難の業。しかも、それをデビュー曲で達成させるなど、一見すると無謀なハードルだったんだよ。まさに「鬼」のジャニーズと思える条件。

ただ、ジャニーズとしては、絶対にクリアできないハードルとは思っていなかったらしい。 
・・というのも、トシちゃんのデビュー曲「哀愁でいと」の売り上げが70万枚を記録。
で、当時、まっち先生のファンレターは、トシちゃんの1.5倍はあったとのこと。 
それから考えれば、まっち先生のデビュー曲でミリオンセラーは可能であるんじゃないか。そう言う考えだったようだ。実際、70万の1.5倍って言ったら105万になるから・・・。

うむ、確かに机上の数字ではそうだ・・・。
でも、実際はそんな単純なもんじゃない。

そこで引き下がらなかったのが、小杉氏が根っからのプロデューサーだったところなんだよな。

デビューを12月にしたのも一つの作戦であったと思う。
お年玉狙いって訳ですわ。 いつものお小遣いではなく、正月、お年玉使えば700円のシングルも買いやすくなるって言う狙い。

もう一つは、楽曲を分かりやすく、より多くのヒトに刺さりやすくするっていう狙い。 これが↑で書いた最初のテイクを切ったという所につながる。

この当時、より売れる楽曲にするためには、より大衆的な音楽にするのが一番の命題だったんだよね。
「音楽的にクオリティが高い」っていうのは、2の次だったんですよ。

以前NHKで放送された、「名盤ドキュメント、井上陽水「氷の世界」」で、70年代陽水氏のプロデューサーであった多賀英典氏も、「心もよう」と「帰れない二人」、どちらをシングルのタイトル曲に切るか・・・という問題で、音楽的完成度が高い「帰りない二人」ではなく、寄り大衆的な「心もよう」をタイトルシングルに切ったと言う話をされている。

つまりは、「大衆性」というのが一番だったわけだ。

結果、それらの狙いが全て嵌まり、「スニーカーぶる〜す」は、ミリオンセラーを達成する。

奇しくも、売り上げ104.8万枚っていうのは、ジャニーズが当初考えていた、トシちやんのデビュー曲「哀愁でいと」の約1.5倍だったっていうのは、事後の結果から見ると偶然であったのか目論見通りだったのか・・・・

いずれにしろ、ジャニーズのそういうところがコワイところなんだろうし、だれも文句が言えないところなんだろうな。

逆に言えば、最初のテイクでリリースされていたら・・・・、複雑な曲進行、アイドルとしては長い曲調と言うところがネックとなり、果たしてどれだけ大衆的に刺さったのか・・というのはギモンなところだ。当然、ミリオンセラーまでは行かなかっただろう。



プロデューサー感覚。 一時流行ったコトバではあるが、今プロデューサーと呼ばれる方で、本来の意味でのプロデューサーと言える方はどのくらいいいるのだろう?
確かにセルフプロデュース的なヒトは、今や業界人に限らず一般のヒトにもたくさんいる。 プロデューサーは、1から100を生み出すヒトではある。
ただ、ビジネスにおいての真のプロデューサーはヒット作を生み出し、それによって「会社」や依頼主への利益を生み出すヒトでもあるんだよね。ココが一番難しいところなんだよ。
自分へのプロデュースは出来ても、第三者をプロデュースするってことは並大抵では出来ない。

第三者へのヒット作品を生み出すにはどうするべきなのか? 
・・と言われた時、ココまで書いたように大衆的感覚が大事な訳なんだけど、ヒット作を生み出せないプロデューサーはこの感覚が欠けてるんだと思うな。独りよがりというか・・
たしかに拘りというのは大事だけど、それがどの程度大衆的なのかというところを客観視するのも大事なんだよね。


時に、ワタシも一時、某着メロサイトでプロデューサーの真似事をしてた時期があったけど、やっぱり一番心がけてたのは、「大衆的感覚」だったな。
・・・というか、実は、今回の「スニーカーぶる〜す」の小杉氏の精神っていうのが根底にあったんだよね。

当初、業界経験者がゼロ、しかも、業界でも後発のサイトでもあったため、会員数100万人突破なんて、到底夢物語といわれた某着メロサイトが、最終的に数百万人の会員数を集められた事・・・まあ、ワタシだけの力ではなく、多くのヒトの力の結集によってなんだけど・・・・なぜ達成できたのか・・・といえば、ココを最も大事にした事に尽きる・・・と今でも思ってるなぁ。
当時、第三者からは「奇跡」とか言われてたけど、当時者としては奇跡ではなかったと思っています。





ちなみに、通常版の「スニーカーぶる〜す」は↓ コチラ
http://kajiyan-net2.blog.jp/archives/52049707.html



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ファッシネイション / 門あさ美

1979_09_ファッシネイション_門あさ美






今回の1曲セレクトは、「ファッシネイション」門あさ美です。

 まずはデータです。

・タイトル    ファッシネイション
・アーティスト  門あさ美
・作詞      岡田冨美子
・作曲      門あさ美
・編曲      戸塚修
・リリース日   1979年9月5日
・発売元     テイチク
・オリコン最高位 ランクインせず
・売上げ枚数   ---- 枚

 今回セレクトしてきた曲は、めちゃくちゃ変化球の部類に入るのかなぁ

 門あさ美さんの「ファッシネイション」

 いやね、前にもチラッと書いたんだけど、10年くらい前にちょっとした仕事の依頼があって、「今は埋もれてるけど、聴いてみると名曲」っていう曲をいろいろ物色してたんですよ。

・・・といっても、個人的に知ってる曲だけでは限界もあるし、「歌謡曲完全攻略ガイド」とか、その他いろいろ資料集めて、目に付いた曲を片っ端から音源集めて、いろいろ聴いてたわけ。

 でね、「あ、これ」・・・とピンと来たのが、この曲だったの。
 もちろん、「歌謡曲完全攻略ガイド」のレビューでも知ってはいたんだけど。。

 いや、正直言うと、この曲を聴くのその時が初めてではないの。定かではないけど、むかーし、聴いてるんだよね、どっかで。
どこで?・・・と言われると、困っちゃうんだけど、多分、当時、親が行きつけだった喫茶店の有線からだと思う。

 オシャレなんだ、これが、アンニュイな感じでさ。 色気があるんだよね。

 アンニュイなんていう言葉も、いまや「死語」だね。

 そういう雰囲気な女性なんて、最近、ほとんど見かけなくなったもんなぁ。
 少なくとも渋谷、新宿あたりには、もう生息してないでしょう。。。
 ワタシ「都立中央図書館」に良く行くんだけど、図書館がある広尾駅周辺にゃ、場所柄、外人さんがたくさんいるお店がならんでるけど、それでも「アンニュイ」な雰囲気ぢゃないもんなぁ。

 それでも、この時代には、まだ、そういう雰囲気を持った女性がまだ、存在していたのです。

 まあ、今で言えば「ファッション誌」を地で行くような曲ですね。
 うん、兎に角、オシャレなの。

 サビの

♪ 寄せる寄せる 〜  ♪

ってところ。ここ覚えてたんだけど、私、昔聴いた時は、これフランス語だとばっか思ってたの。

 いや、そんな風に聴こえたんだよね。

 今回、きちんと聴いて「寄せる寄せる〜」って単に日本語だと知って、ちょっと「ガクン」とは来たんだけど、それを差し置いても、オシャレでいい曲ですね。

 BUT、こんな良い曲が当時、オリコンのTOP100に入ってないとは・・・・

 初め、「え? なんかの間違いでしょう? 」と思ったんだけどね。
だって、少なくともワタシの周りの、私より4〜5才上、当時の高校生、大学生だった方は、大抵、この曲知ってるんだけどね。。。。
 手元の「オリコンチャートブック」をひっくり返してたんだけど、「門あさ美」さんの文字がどこにも載ってない。。。 マジで? 念のため当時の「オリコン年鑑」をひっくり返してみたんだけど、やっぱしランクインしてない。。。

 う〜ん、これはこれは。

BUT、同タイトルアルバム「ファッシネイション」はランクインしてましたね。

・タイトル    ファッシネイション
・アーティスト  門あさ美
・リリース日   1979年12月5日
・発売元     テイチク
・オリコン最高位 79位
・売上げ枚数   0.5万枚

なるほど、みんなシングルというよりは、アルバムで知ってたんだな、恐らく。
まあ、発売元がテイチクだったからなぁ・・・。オシャレな曲に似合わず。。。。(と書いたら怒られるか。。。)

それでも、80年代初頭には、オシャレなアーティストとして、知る人ぞ知る存在になっていて、ベストテン入りしてるアルバムも5作リリースしているんだよね。

 基本アルバムアーティストだったんですね。

 うん、それと、基本的にメディアには登場しないアーティストでしたからね。
 ラジオにも出ない、もちろんテレビにも出ない。ライヴもほとんど行わない。唯一はレコードリリースのみだったんですよ。
 完全に「口こみ」だけで人気を獲得したアーティストですね。

 普段は実家にこもって、レコーディングの時だけ東京に出てきていた(出身は名古屋)・・・っていう感じだったらしい。

 傍から見ると、一風変わったアーティストですね。


 それにしても、こんな名曲、未だに誰もカバーしてないんですねぇ。
 少なくとも、JASRACの作品データベースで調べた限りでは、門あさ美さんの名前しか出てない。

 うーん、もったいないなぁ。 これ、だれかカバーすべきですよ、絶対exclamation ×2

 いま、このテの曲誰もやってないから、今だったら、絶対に他の曲との差別化になるよ。
まあ、こういう「色気」のある曲を歌ってサマになる様なアーティストが最近、居ないんだけど。。。。



上で、テレビには出ない・・・と書いといて何だけど、デレビで歌ったことあるんですね。。。
いずれにしても殆どテレビに出ていない筈なんで、めちゃくちゃ貴重な映像だと思います。
ビデオ持っていた方に感謝
それにしても、すごい形のマイク。。。時代を感じます


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