かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

平尾昌晃

瀬戸の花嫁 / 小柳ルミ子

1972_05_瀬戸の花嫁_小柳ルミ子


今回の1曲セレクトは、「瀬戸の花嫁」小柳ルミ子です。

まずはデータです。

・タイトル     瀬戸の花嫁
・アーティスト   小柳ルミ子
・作詞       山上路夫
・作曲       平尾昌晃
・編曲       森岡賢一郎
・リリース日    1972年4月10日
・発売元      ワーナーパイオニア
・オリコン最高位  1位
・売上げ枚数    74.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1972年4月24日〜7月24日付

この1曲セレクトは、私の独断と偏見で書く曲をセレクトしているわけで、基本的にはリクエストされた曲を書いてはいないんだけども、今回引っ張ってきた曲は、じつは、ちょっと前にFacebookで、高校時代の友達からリクエストされてた曲なんだよね。

うーむ、リクエストにこたえる形で、引っ張ってきた曲は、昔、mixi時代に元同僚からのリクエストで書いた、風見慎吾の「僕笑っちゃいます」以来かもしれん

両者とも「女性」からリクエストなんだけどさ、 女性にはすこぶる優しい・・・・うーんにゃ「弱い」ワタシデス。

だからねぇ、今後も、もしかすると女性からのリクエストには応えちゃうかもなぁ〜。
野郎からのリクエストは・・・勘弁だけど。。。。


その曲は 小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」。

1972年4月10日リリース。デビュー4作目のシングルは、デビュー曲「わたしの城下町」以来のオリコン1位獲得。売り上げ74.1万枚は「わたしの城下町」に次ぐ売り上げ枚数と、誰でも認める、小柳ルミ子さんの代表曲ですわ。

兎も角、70年代、この曲歌ってる、おじさん、おばさんって多かったよなぁ。
特に地方に行くほど、この曲ってよく聴いたような印象が強いなぁ。

ウチは、母方のおじいさんが、福島・鏡石町の地主農家の出で、子供の頃は良く遊びに行ってたんだけどさ、宴会が始まると、きまって、この曲を歌う、おじさん、おばさんがいたんだよねぇ。


だからか、どうも、この曲と言うと、田舎のおじさん、おばさんの曲っていう印象が強い。

最近、またシティポップスが流行ってきているけど、それらの曲に対しての完全なアンチテーゼに位置する曲っていうのかなぁ。
地方の大人のための曲と言うイメージがあったんだよね、悪く言えば。

いやだからこそ、日本の広く息づいている、心の中の1曲ということも出来るのだが。。。

でもさ、当時、子供の頃は、特にオヤジは向こうの曲の方が好きだったから、車の中でかかっている曲といえばいつも向こうの曲だったし、 だから、ワタシも「日本の心」的な歌謡曲よりは、外国の匂いのする曲の方が好きだった。

むしろ、田舎の匂いの強いこの曲のような歌謡曲は拒絶していたところがあったかもしれないな。

だから、長年この曲との接点はなかったんだよね。

たださあ、この曲オリコンで1位を取っていたということが分かってからは、ちょっと不思議な感覚があったけどさ。

80年代にオリコンに触れた当時は、オリコン1位って絶対的な曲っていうイメージがあったんだよね。寺尾聡氏の「ルビーの指環」とかさ。 
当時は、この「瀬戸の花嫁」って曲は、田舎臭いかっこ悪い曲っていう頭があったからさ、不思議だったね。 
「えーこの曲が1位だったの?」ってさ。 全く実感がわかなかったよなぁ。

でも、大人になって冷静に考えたら、やっぱ「日本人の心の唄」のような曲に勝る曲っていうのはないんだよな。

特に、70年代前半って、そういう日本人の心に刺さるような歌謡曲が多かったわけだし。 そういう歌謡曲がまだまだ強い時代だったんだよね。

昔、ソース顔、 ショーユ顔っていうのが流行ったけど、まさに、まだまだ「醤油」風味の曲の方が強かったのよ。

向こうの匂いが強いっていう筒美京平氏だって、70年代前半は、まだまだ醤油風味の歌謡曲的な曲が多かったですしね。 前回書いた、いしだあゆみさんの「あなたならどうする」とか、朝丘雪路さんの「雨がやんだら」なんてのは、もろそうだったわけだし。

特に平尾昌晃氏のメロディラインっていうのは、和テイストが強かったんだよね。70年代、平尾氏の曲が時代を席巻していたのも、当時の日本人の心をつかむような歌謡曲だったからなんだろうなぁ。

もっとも、この曲は森岡賢一郎氏の和の匂いが強いアレンジの効果も多分にあったわけなんだけどさ。

それにしても、クラシックの家系に生まれ、若い時にはロカビリー三人男という、向こうの曲かぶれな平尾氏が、和テイストな歌謡曲で時代を築いたというのも、面白い話ではあるんだけども。。。

たださ、「和テイスト」といっても、リズム体を聴くとマンボのリズムのコンガの音色、 いやいや、それ以上にスチールギターが入っていたりして、全く予備知識もなく聴いていると、一体どこの国の曲なの? なんて思ったりも出来たりしてね。

歌謡曲ってさ、日本的なメロディラインをベースに、向こうの曲のいいところを自由に取り入れるところがいいところではあるんだよね。
良く言えば無国籍料理みたいなもの。 その節操の無さが実に日本ぽいのだけれど。。。





これは、1972年、第3回日本歌謡大賞にて この「瀬戸の花嫁」で大賞を獲った時のVTRですね。

そそそ、この曲で小柳ルミ子さんは「日本歌謡大賞」を獲ってるんですよ。

♪瀬戸ワンタン 日暮れ天丼〜♪ なんて気安く歌えないんだよね、本来ならば

このVTRには映ってないけど、1988年の「歌謡大賞特別企画」で放送されたときの話では、大賞を発表される数秒前にバックバンドの「ダン池田」と目が合った時、ダン池田氏が指で「〇」という合図を送って来て「もしかして」と思っていたそうだ。

まあ、デビュー2年目での大賞受賞という快挙ではあったけど、この曲の次の「京のにわか雨」でも連続オリコン1位という時代に乗っていたとしでもあり、大賞受賞も頷けるところか。

ちなみに、第1回の歌謡大賞の藤圭子さん(ヒッキーママ)も、デビュー2年目での大賞受賞ということで、レコード大賞と違って歌謡大賞は比較的デビューからの年数が浅くても、年齢が若くても大賞受賞もありえたんですよね。
それいえ、レコード大賞よりも「権威」と言う点では、若干下だったかもしれないけど。

1983年にトシちゃんが大賞を取ってしまったことで、それが余計あらわになってしまいましたが。。。。。


曲をキチンと聴きたいという方は ↓の動画にて




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旅愁 / 西崎みどり

1974_12_旅愁_西崎みどり


今回の1曲セレクトは、「旅愁」西崎みどりです。

まずはデータです。

・タイトル    旅愁
・アーティスト  西崎みどり
・作詞      片桐和子
・作曲      平尾昌晃
・編曲      竜崎孝路
・リリース日   1974年8月1日
・発売元     徳間音工
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数   58.1万枚
・ベストテンランクイン期間:1974年11月18日〜1975年2月10日付
・タイアップ:朝日放送「暗闇仕留人」エンディングテーマ

前回の五輪真弓「リバイバル」もそうだったけど、ここのところ、初めて聴いたのはいつ、どこで出会ったのか、全く覚えていない曲が続いている。今回の曲もそうだなぁ。

西崎みどりさんの「旅愁」。

この曲、はっきり覚えているのは、1991年〜1992年のナイターオフシーズンに、ニッポン放送で半年放送されていた、「オリコンベストヒット500」で流れた時ですね。

この番組、いつかも書いたけど、1991年夏に当時コンシューマー向けに毎週発行されていた「オリコンウイークリー」の創刊600号を記念してオリコンウイークリー誌上に掲載された、当時のオリコンシングル歴代TOP500と連動した企画のラジオ番組で、半年かけてオリコンシングル売上げTOP500をカウントダウンする「壮大」なランキング番組だったんだけどね。
この曲の売り上げ58.1万枚は、1991年夏の段階でたしか301位〜400位台だったと思う。
(あいまいでメンゴ。あの時のオリコンが手元にあればよかったんだけど、30年分の膨大なオリコンウイークリーの山に埋もれてしまってマス。。。
だから、当然この番組でも放送圏内だったし、そのとき意識して初めて聴いたわけだ。

でもね・・・。

この間の五輪真弓「リバイバル」と同じなんですよね。 初めて聴いたはずなのに、メロディを聴いたとたん、「あ、これ」とめちゃくちゃ懐かしい気分になった。

初めて聴いたはずなのに、どこかで聴いたことがある。でも、どこで聴いたのかはっきり思い出せないのがもどかしい感覚。

あれから30年近くたっているんだけど、この時の感覚はいまでもはっきり覚えているな。

これは、いまでも変わらないんだけども、この曲を聴いてフラッシュバックしてくるのは、まだ、福島・いわきにいた頃の映像だ。
当時5歳だったころの私が感じていたような画像・色彩。

ということは、やっぱりあの頃(5歳当時)どっかでこの曲を耳にしていたのかもしれない。

この曲は、朝日放送のドラマ「暗闇仕留人」という、「必殺」シリーズ第4弾のエンディングテーマではあったけど、さすがに「必殺」シリーズを見ていたわけではないよなぁ。
「テレビドラマデータベース」というサイトで調べてみると、このドラマは毎週土曜日の22時〜22時50分放送とある。
さすがに5歳で22時過ぎまでは起きてなかったしなぁ。 
当時で覚えているのは、21時前のニュース。福島ではFTV(福島テレビ)ニュースだったけど、これ「うすい百貨店」の1社提供でさ。
ニュースの前に「うすいデパート」のテーマ曲が流れるの。♪デートもうすい 夢のデパート〜♪って曲、当時福島県民だった方、覚えてないかなぁ。 
あの曲が流れると、「寝る時間」っていう頭があったんだよね。そそそ21時には寝てたわけよ。
・・というか、今もあのテーマ曲流れるんでしょうかね  
福島から千葉に越して来て38年。あのテーマ曲は、未だにしっかり覚えてるんだけどね。

あー、話がずれた。。。。

この「旅愁」、いずれにしても、1974年と言う時代を彷彿させるような曲調ではありますよね。
簡単に言えばモロ「歌謡曲」。

ただ、1960年頃までの演歌調の歌謡曲ではない。 濡れているんだよね。
ストリングスをふんだんに使ったアレンジ。 特に間奏部のストリングスによる迫りくるようなトレモロは、もろクラシックを彷彿とさせる。 しかもハープまではさんだりして、至極豪華なアンサンブル。
・・・なんて書くと、いかにもヨーロッパ系のサウンドを思い起こしてしまいそうになるけど、そうじゃない。この曲は、あくまで「ジャパニーズ」スタイルなんだ。

なぜか・・。

やっぱりメロディラインが日本的なんだよね。 あからさまな4、7抜きの演歌調ではないんだけども、和のテイストを感じさせるメロディ。 日本語がメロディに乗るというのは、こういう事なんだろうという見本のような。

先日逝去された、筒美京平氏は、よく洋楽的なサウンドと言われたりするけど、70年代前半頃までは、メロディラインは日本的なものも多かった。 例えば、いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」とかさ、洋楽的なサウンドに小唄調のメロディなんて言われるわけじゃない

そういう和洋折衷、 洋楽的なオシャレなサウンドに醤油をかけたようなメロディ⇒70年代前半の歌謡曲の本流 だと思うのね。

それを考えると、この曲はその本流な曲なんじゃないのかなぁ。

ただ平尾昌晃氏っていうのは筒美京平氏よりも、この「和風テイスト」具合がより強いんだよね。
筒美氏のサウンドはバタ臭いという表現で言われるけども、より醤油風味の強い平尾氏の曲はそんな風には言われない。
だから、今聴くとどうしても「演歌」テイストに聴こえてしまう。 というか、今だったら完全に「演歌」というジャンルに入れられてしまうだろう。
でも、あの時代は、バター風味の強い曲よりも、より醤油風味の強い曲の方が支持された。 そういう時代だったんだよね。

いずれにしても今考えると1974年と言う時代は、そんな和風テイストな「歌謡曲」が最も支持された、いわば歌謡曲全盛の年ともいえるんじゃないのかなぁ。 そもそもオリコン年間ミリオンセラーシングルが4枚も出たのもこの年が初めてだったし、
この「旅愁」が58万枚も売れたのも、歌謡曲系を中心にレコード売れ行きが好調だった、この年ならではの流れだったんじゃないかとも思えたりするんだよね。

ただ、身の丈以上に売れた後は、その反動が来るわけで、翌1975年は一転してレコード売り上げは下がる。
もっとも、この間に「歌謡曲」から「ニューミュージック」へという時代の転換も起きたわけでさ。
身の丈以上の売れ方、つまり一つのジャンルの成熟は、次のムーブメントの始まりでもあるんだよね。
歌謡曲においても、和テイストの歌謡曲よりも、よりバター風味の強い「歌謡ポップス」への転換が進んだ時代。
1974年から1975年でのヒット曲傾向の変化は、こんな転換期をよく表わした現象でもあるんじゃないかなぁ。

この「旅愁」っていう曲は、その転換期端境期の曲であり、つまりは70年台前半の和テイスト「歌謡曲」全盛期の最晩期の曲も言えるんだよね。



西崎みどりさん、この時14歳。中学2年生だって。
・・・ということは、今、まだ60才、還暦を迎えたばかりですよ。
この曲、今から46年前のヒットでもあり、今、すでに70過ぎですか・・なんていう印象もあったりするんだけど。。。。
それにしても、落ち着いていますよね。 落ち着いているというよりも大人っぽいといった方がいいのかなぁ。実家が日舞の宗家で、小さいころから芸能の道に入ったっていうこともあるからかでしょうかね。
そういえば芦田愛菜も、どことなく似たような印象があるなぁ。


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愛よ甦れ / 野口五郎

1978_03_愛よ甦れ_野口五郎


今回の1曲セレクトは、「愛よ甦れ」野口五郎です。

まずはデータです。

・タイトル     愛よ甦れ
・アーティスト   野口五郎
・作詞       藤公之介
・作曲       平尾昌晃
・編曲       船山基紀
・リリース日    1978年2月21日
・発売元      ポリドール
・オリコン最高位   9位
・売上げ枚数   15.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 9位
・ベストテンランクイン期間:1978年3月13日、3月27日

えー、昨日に引き続きいての1曲セレクトです。 えー、今度いつ書くか・・っていうのもちょっと不安なんで、書ける時に書いておこうか・・と思い、連ちゃんで筆を取りましたわ。

今回セレクトしてきた曲は、野口五郎「愛を甦れ」。

この曲ねぇ、ちょっと前に目に留まって、「あ、書こう」・・・と思ってたんだけど、ちょっと間空いちゃったんだよね。その間に「ヒット期間」が進んじゃいまして、今書かないと、ヒット期間が過ぎちゃう・・・って事もありまして、昨日に引き続いて筆を取った・・・っていのうが、一番の理由かなぁ。

うん、今書いとかないと、また来年まで書けないんでねぇ・・・。

なんで、この曲が目にとまったか・・・って言うと、新御三家の一人として、長らくトップアイドルの座についていた野口五郎氏だけど、この頃からちょっとパワーダウンし始めるんだよね。

そのターニングポイントとなった曲が、実は、まさにこの曲だったりするんだよなぁ。

この曲の1曲前が、77年10月にリリースされた「風の駅」って曲。 そそそ、「ザ・ベストテン」フリークだった方には、お馴染みの曲ですな、「ザ・ベストテン」第1回の10位だった曲。 つまりは初めてあのミラーゲートをくぐって歌った曲が「風の駅」だったわけですわ。

あ、ちょっと話が本題と外れてきたね。。。  でね、この「風の駅」まで4年近く、野口五郎氏ってリリースする曲でオリコンベスト5を外してなかったんだよね。
 以前も、何かの折で書いたかもしれないけど、新御三家で一番売り上げが安定していたのは、実は野口五郎氏だったんですよ。

 この辺は、ヒット曲をリアルタイムで経験したのが78年以降なワタシにとっては、ちょっと信じがたい感覚なんだけど、昔の資料からすると事実は事実なんだよね。 個人的な感覚ではヒデキが一番売れてたような感覚があるんだけどさ。

「風の駅」にしても、オリコン最高5位、売り上げが25万枚。

で、そこから次の、この「愛よ甦れ」では、売り上げが15万枚と、いきなり10万枚近くも減。オリコン最高位も9位とベストテンギリギリまで落ちてしまう。
 ちなみに、五郎氏で売り上げ15万枚そこそこだったのは、デビュー3作目の「雨に消えた恋」以来6年ぶりだったわけなんだよね。


なぜに、いきなり売り上げが下がったのか・・・。

 この曲、野口五郎氏にしては珍しく、平尾昌晃氏なんだよな。調べてみると、シングルのA面としては、この曲が初めてなんだよね。 野口五郎氏と平尾昌晃氏の組み合わせは。 野口五郎氏というと、どうしても筒美京平氏と、そのブレーンって言うイメージが強いからさ。

で、本来ならば、新鮮味を感じるところなんだけど、どうも、この曲に関して言えば新鮮味が感じない。

やっぱり曲調なんだろうなぁ。 平尾昌晃氏って、丁度この曲がヒットしている時に、並行して自身が歌った、「カナダからの手紙」が大ヒットしてたんだけども、どうも曲調が78年って言う時代にしてみると古いんだよね。

この時点で、5年前の・・・・っていうイメージだったんだよな。 うん、どうしても70年代前半の匂いが取れないって言うかさ。ポップスではあるんだけども、より「和」の匂いがするっていうかね。 そそそ、より「歌謡曲」の匂いが強いんですよ。 
78年、時代のメインストリームはロック・ミュージックでしたからね。

歌謡曲の匂いっていうのは、ボーカル中心の曲って感じなんだよね。 ちょっと前に太田裕美さんの「雨だれ」の時も書いたんだけども、70年代前半までのヒット曲は「ボーカル中心」。でも、時代を下るごとにボーカル以外のサウンドも重要になりトータルで聴ける音楽が中心変わっていく・・・って書いんだけど℃、そう言う意味では、この曲なんかは、その流れに逆抗して行くような曲だったんだよね。そんな時代の流れどのギャップっていうのが、この曲ではモロ出ちゃったんじゃないか・・・。 そんな印象が強いんだよな。 

ちょうどこの78年の前半って、ヒット曲においては、サウンドの変化の流れがより加速して来ていた時代でしたからねぇ。

 丁度、78年の春ごろの曲って、ここの曲を聴き比べてみると、一時代前のサウンドの曲と、先端サウンド曲の差っていうのが、かなりでかいんだよね。 で、この流れに乗り切れなかったヒトたちは、ヒットのメインストリームからも置いてけぼりを食らってしまう・・・そんな流れが出てきた、ヒット曲って言う側面から見ると結構厳しい時期だったんだよね。

野口五郎氏の他にも、桜田淳子さんも、そんな時代の流れの時流に乗りきれず、人気が後退してきたヒトの一人ですね。



個人的には、この「愛よ甦れ」がヒットしていた時期は、まだ、ヒット曲の世界に足を踏み入れていない。 ほんの少し前ですね。
 だから、実は最近までこの曲、よく知らなかったんだよね。 ま、オリコンなんかで存在は知ってたけどさ、実際に聴いことは無かった。

 で、これを書くにあたって、ちょこっと掘り返して曲を聴いてみたら・・・、 うーむ、本音を言うと、 ↑で書いたように78年って言うイメージじゃないんだよなぁ。 75年って言うか・・・その位のイメージ。

 そそそ、ジュリーがフレンチポッフプスというかヨーロッパ系ノの曲をやっていた頃の・・・って言うイメージなんだよな。 うん、いわいるカンツォーネなんだよね。ひしひしと真面目に歌い上げる形式の。
そこからしてギャップなんだよね。78年っていう色合いとのギャップっていうかなぁ。

 たしかに、この曲のちょっと前に、松崎しげる氏の「愛のメモリー」っていう超絶的なカンツォーネ系の歌い上げる曲が大ヒットしてたりする。
 でも、両者のリリース間隔はたかだか半年くらいだけど、この半年の間でも時代とヒットの色合いっていうのは、大分変わってきてたしな。
 なにより、同じカンツォーネ系といっても、「愛のメモリー」の絶唱とも言える盛り上がりはインパクトの塊だったからなぁ。 この「愛よ甦れ」はそこまでのインパクトはない。 その差が大きいんだよね。
 

とはいうものの・・・これ書くのに何回もこの曲を聴いてたら、どうも引っかかっちゃうんだよな。 耳に残ってしまう。 まあ、個人的にこの手のカンツォーネ系の、いわいる「歌い上げる」タイプの曲って嫌いじゃないからさ。



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わたしの城下町 / 小柳ルミ子

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今回の1曲セレクトは「わたしの城下町」小柳ルミ子です。

まずはデータです。

・タイトル    わたしの城下町
・アーティスト  小柳ルミ子
・作詞      安井かずみ
・作曲      平尾昌晃
・編曲      森岡賢一郎
・リリース日   1971年4月25日
・発売元     ワーナーパイオニア
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  134.3万枚
ベストテンランクイン期間:1971年6月28日〜11月15日付

 ネットニュースでも話題になっていますが、作曲家の平尾昌晃氏が死去されたとのこと。
70年代を中心に数々のヒット曲を飛ばしたし、ゆえに、昭和を代表する大作曲家一人と言う事は間違いない訳で。作曲家別の売り上げを見ると、最も売り上げが高かったのは1974年で、この年の作家別売り上げランキングは、巨人・筒美京平氏の4連覇を阻止すべく、売り上げ1位を記録してたりする。

今回の1曲セレクトは、そんな平尾昌晃氏追悼と言う意味も込めて、セレクトすべきだよな・・・って言う思いが真っ先に頭を駆け巡りーの、本当は90年代の曲を持ってこようと思ってたんだけど、急遽変更・・・。

たださ、正直言うと平尾昌晃氏っていうと、個人的には「一世代前」の作曲家って言うイメージもあるんだよね。
まあ、リアルタイムとして自身と畑中葉子さんのデュエット「カナダからの手紙」があるけど、これは「冬」のヒットだしさ。

それに、筒美京平氏のような完全ポップス系というよりも、少々「和」のテイストがかった「歌謡曲」が多かったからさあ、完全な好みとはちょっとズレでるな・・・って言う思いもある。。
なので、意外と平尾氏の曲って個人的な持ち音源が少ないんだよね。

だからさあ、どの曲にすべーかな・・・と迷ったんだけど。。。

こういうときは、やっぱ直球勝負だよね・・・・。 とセレクトしてきた曲がこの曲。


小柳ルミ子「わたしの城下町」

うわっち、めちゃくちゃ「有名な曲」。 でもさグッドタイミングというか、46年前のちょうど「今頃」、オリコンで1位を獲得、これは書き頃だわ・・・と言うことで、持って来ました。。。。

 まあねぇ、ここまで大ヒットな曲となるとセレクトとは言わないだろうし、だから普通の「セレクター」な方は持ってこないだろうけどさぁ。うむ、セレクターとして恥ずかしいもんな。

But、ワタクシは持って来ますよー。

って言うくらい、誰でも知ってる曲だし、現に売り上げ130万枚強っていうミリオンセラーだもんね。
オリコンでは1971年7月26日〜10月11日付まで12週連続1位なんていう超ロングセラーだったりしてさ。
しかも、これが小柳ルミ子さんの「デビュー曲」だって言うんだからビックリだぁ。

ちなみに、デビュー曲としていきなりのミリオンセラー、ヤマハポプコン系などいわいる「一発屋」と世間で言われる、単発ヒットの方々には他にも居たりするんだけども、その他多数ヒットを持ちしかも長年第一線で活躍してるアーティストとすると、この後、81年のまっち先生の「スニーカーぶる〜す」まで無かったんじゃないかなぁ。

それだけ「スゴイ」ことなんだよね、デビュー曲ミリオンセラーっていうことは。

後に、天地真理さん、南沙織さんとともに「3人娘」として、70年代アイドルのトップバッターを切った小柳ルミ子さんだけど、こと売り上げ枚数だけを見ると、他の2人の比じゃなかったんだよね。

先日天地真理さんの「ひとりじゃないの」の時、70年代アイドルの売り上げは「50万枚」が壁って書いたんだけども、小柳ルミ子さんには、そんな壁なんて心配は全く無用だったわけよ。

その最大の要因は、やっぱ「曲調」なんだろうなぁ。うん「和」テイストの歌謡曲だったって事が良かったのよ。

・・・なんて書くと、80年代以降の「ポップス・ロック」優勢なヒット曲を聴いてきたワタシらの世代には信じられないけどさあ、結局、70年代、特に70年代前半っていうのは「歌謡曲」が絶対的な人気を持っていたって事。

結局さ、ポップス系を支持していたのは当時のティーンエイジャー。 それに対して、それ以上の世代は「歌謡曲」だったってことなんだよね。
 言うまでも無く、当時の歌謡曲の支持は、人口比として圧倒的だった訳さ。

だから歌謡曲路線でひとたび火が付けば、ミリオンセラーもいとわない「超大ヒット」になり得たって事なんですわな。
ま、これは、例えば、72年のぴんからトリオの「女のみち」が300万枚セールスとか、殿さまキングスの「おんなの操」が200万枚近いセールスだったとかを見ても分かる事なんだけどさ。

そんなこともありーの、この「わたしの城下町」がミリオンセラーとなったっていうのも、当時のヒット曲界の「趨勢」をみれば、ある意味では必至だったのかもしれないんだよな。
逆を言うと、この曲のミリオンヒット曲をきっかけに、「歌謡曲」のメガヒットの拡大が加速したとも言えるかもしれないけどさ。

まあ、それだけじゃなく、当時の「ワタナベプロ」の力が巨大だったとも言えるんだけどさ。
元ワタナベプロの「番頭」格だった松下治夫氏の「芸能王国渡辺プロの真実」によると、兎に角、小柳ルミ子さんは、ナベプロ総帥の渡辺晋氏の「お気に入り」だったとのこと。

そんな小柳さんのデビュー曲ということは、力の入れようもハンパじゃなかったと思うしさ。
アイドルというカテゴリーに入れながら、ポップスではなく「和テイスト」の歌謡曲路線だったのは、そんな渡辺晋氏の思い入れの部分が相当強かったからなんだよね。

そんなデビュー曲な訳だから、まあ売れないわけがない・・っていうのも確かにある。
なんせ、当時の渡辺プロの力があまりにも巨大だったため、この曲の翌年に日テレの「スター誕生」が生まれたっていうくらいだからさ。

ただし、等の小柳ルミさん本人は、この曲のような「歌謡曲路線」には抵抗があったよう。
なにせ当時19才のティーンエイジャーだったわけで、歌謡曲よりもポップスだよな・・・とも思うし、なにより宝塚音楽学校出身という経歴からして、もっと華やかなミュージカル風の曲が歌いたかったとのこと。

ま、そこは、巨人・渡辺晋氏のまえでは口が裂けても言えなかった訳でさ・・・。
後年、派手派手な路線に行ってしまったのは、この当時からのうっぷん晴らしもあったようですね。


ちなみに、当時、小柳ルミさんはワーナーパイオニア所属。
外資のワーナーが、なぜにこんなあからさまな歌謡曲路線? っていうのもちょっと不思議だったんだけどさ、ま、それは日本法人設立の際、渡辺プロが出資したからなんだわな。
ま、それは、ナベプロ「自身」のレーベル「SMS」が設立するまで続く訳だけど、当時のワーナーパイオニアが「歌謡曲」色が強かったのは、当初のそんな所からの「文化」が引き継がれていったんだろうね。



ウーム、ながながとした文章をかいたけど、この曲の「説明」は、この動画を見てもらうだけで十分かも。。。。


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カナダからの手紙 / 平尾昌晃 畑中葉子

1978_03_カナダからの手紙_平尾昌晃畑中葉子








今回の1曲セレクトは、「カナダからの手紙」平尾昌晃 畑中葉子です。

まずはデータでする。

・タイトル    カナダからの手紙
・アーティスト 平尾昌晃 畑中葉子
・作詞      橋本淳
・作曲      平尾昌晃
・編曲      森岡賢一郎
・リリース日  1978年1月10日
・発売元    ビクター
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数 70.0万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 2位
・ベストテンランクイン期間:1978年2月13日〜5月1日付

カラオケも今や、完全に日本の「文化」に溶け込んでしまいましたね。 
「しまいましたね」っていうのは、大げさかもしれないけど、今や、余程、自分で歌う事に自信が無い方以外は、ボックスや、スナックなんかの飲み会で、1回はマイク握ってるるんじゃないですかねぇ。
まあ、「ここ」みたいな音楽系のブログを覗きに来られるくらいの方でしたら余計ですよね。

今は、カラオケボックスとか、ゲーム機、はたまた着うたサイトにまでカラオケが入ってくるらいだから、めちゃくちゃ手軽に楽しめるようになったけど、昔、まだまだカラオケの黎明期は、飲み屋に行かなきゃ、専用機がなかったんだよね。
 最初は、酒のお供だったんだよね。 それから「8トラ」(8トラック)の家庭用カラオケ専用機が出てきて・・・って感じだったよなぁ。

 かくいうワタシもね、初めて「カラオケ」と言うモノをやったのは、この8トラの家庭用カラオケ機でしたねぇ。うん、友達の家にあったんだよね、これが。
たしか、1977年か、1978年の頭だったと思う、うん。まだ小学2年生だったことは覚えてるから。

でもね、当時は、まだカラオケというと、「宴会」とか飲み会の余興って感じだったから、オジさん、オバさん用の曲がほとんどでさ、若者向けのポップスのカセットはほとんどなかったんだよなぁ。


 今回の1曲セレクトは、そんな「ワタクシ」がはじめてカラオケをやった頃のヒット曲をセレクト。

平尾昌晃 畑中葉子「カナダからの手紙」

いやあ、この曲もカラオケでは、長年すっかり「お馴染み」の曲だよなぁ。「デュエット」曲としては超定番だよね。

そんな感じの曲だから、今となっては、「演歌・歌謡曲」っていうイメージが強くなってしまった、この曲だけど、リリース当時は、全然そんな感じじゃなかったよなぁ。
 サウンド的にも78年当時の他のポップスと変わりなかったし、歌謡曲特有の古臭さを感じなかったんだよな。
だから、完全にポップスっていうイメージでしたよね。

まあ、確かにあれから38年経っている訳で、今聴くと、流石に古いよなぁ・・・って感じだけどさ。

サウンド以外に古臭さを感じなかったっていうのは、この曲のシチュエーションだよね。
「カナダからの手紙」ということだから、今でいう長距離恋愛ですわな。そのシチュエーションが当時としては、一歩進んているように思えたんだよね。まあ、当時も長距離恋愛」してた方いっぱい居ただろうけど、まだエンターテメント的にクローズアップされていなかった時代だし。

ちなみに、遠距離恋愛っていうシチュエーションもあってか、平尾氏と畑中さんがバラバラな場所で歌うってこともあったよなぁ。
 その一番のハイライトは、「ザ・ベストテン」で、平尾氏がGスタ、畑中さんが「甲子園球場」っていう初の2元中継での歌唱っていうのが話題になりましたよね。
 今でこそ、特段な技術ではないけど、当時は、別々な場所で歌って音を合わせるっていうのは大変な事でしたから。


あ、話がずれた。。。
 それと、「カナダ」って地名だよね。この曲がリリースされる2年前に、カナダのモントリオールでオリンピックがあったんだけど、まだ当時は、大多数の方にはカナダってよく知られてなかったような気がするなぁ。
ただ、時折テレビで放映される、カナディアンロッキーの大自然って言うイメージが強かったのは確かだけど。。。だからね、カナダって言うと「きれいな大自然」っていうイメージだったよな。

そんな大自然のカナダと、せせこましい大都会東京どの恋愛って言うシチュエーションからこれまた途方もなく遠距離に感じちゃったりして、この曲をより一層ドラマチックに感じされちゃったんじゃないですかねぇ。

・・・ってか、そんな風に受け止めた方が、多かったんじゃないかなぁ。
・・じゃなきゃ、オリコンで1位取るほどの大ヒット曲にはならなかったんじゃないかな。

うん、当時のオリコン1位の重みは、現在の比じゃなかったですからね。それじゃなくても「ピンクレディー」っていうモンスターが人気絶頂の時代ですから。。
 その時代に、オリコン1位をもぎ取るっていうのは、それこそ大変な時代だった訳ですからねぇ。

ちなみに、この曲の大ヒットお陰で、このすぐ後、カナダブームが来た・・・って覚えてるんですが・・・。
まあ、個人的な記憶の中なので、定かじゃないけど。。。。


ところで、畑中葉子さんは、この曲がデビュー曲となる訳だけど、もともとは平尾昌晃ミュージックスクールの生徒だったヒト。
 そそそ、デュエット相手の平尾昌晃氏のお「弟子」さんですわね。 
wikipediaで調べてみると、1959年生まれとあるから、ワタシと丁度10才違いですわね。・・・ということは、ヒット当時は18才〜19才・・・と高校卒業の頃だわなぁ。
 それにしては、オトナっぽいよなぁ。ウタもしっかりしてるし。やっぱり、当時の歌い手さんは早熟な方が多かったんだよね。
  まあ、だからして、その後20才そこそこで脱いじゃったりしても全く違和感が無かったのかも・・・な



 
どーでもいいけど、やっぱ「夜ヒット」の演奏は、「お粗末」なんだよなぁwwww。
エレキギター、どうにかならなかったんでしょうか。。。
ダン池田氏も「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」なんて暴露本書いてる場合じゃなかったんじゃなかったんじゃないですかねぇ。そんなことしてる間にバンドの練習して欲しかったよね。。。。。。


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赤い絆〜レッド・センセーション〜 / 山口百恵

1978_01_赤い絆_山口百恵








今回の1曲セレクトは、「赤い絆」山口百恵です。

まずはデータでする。

・タイトル     赤い絆〜レッド・センセーション〜
・アーティスト   山口百恵
・作詞       松本隆
・作曲       平尾昌晃
・編曲       川口真
・リリース日        1977年12月21日
・発売元      CBSソニー
・オリコン最高位 5位
・売上げ枚数   21.5万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 6位
・ベストテンランクイン期間:1978年1月16日〜2月6日付
・タイアップ:TBS系ドラマ「赤い絆」主題歌

 山口百恵さんの曲も、ワタシがリアルタイムで聴いてた、70年代終盤〜引退までの曲はすでに大体書いたんだよね。
 なので、今年は、リアルタイムで聴いてた78年から以前に遡ることになるのなぁ。
まあ、78年以前は現時点でも、あんまり聴いてないんでね、どこまで書けるかはちょっと不安だけど。。。

・・ということで、今回は、まだ、リアルタイムでは聴いてなかった、78年の今頃のヒットを持って来ますか。

赤い絆〜レッド・センセーション〜。

TBSで放送されていた大映ドラマ「赤いシリーズ」の第6弾、同名タイトルの主題歌ですわね。
ま、改めて書かなくても、ワタシらの世代くらいまでは覚えてる方も多いんじゃないかなぁ。

今、調べたら、平均視聴率29.5%だって。すんごいですねぇ。。。今は、単発でも30%近いドラマなんて皆無だもんなぁ。いかに当時の百恵さん主演のドラマ、うんにゃ「赤いシリーズ」が人気があったか・・・ってのが分かりますよね。

・・・といかにもワタシも見てたぞ・・・風に書いてたりするけど、スミマセン、ワタシ見てなかったです。。。。

なので、これ以上ドラマのことは語れないんだけどさ。。。


でも、この曲は、これまで大分聴いてきたよなぁ。

この曲と言ったら、なんと言っても、番組開始時の「ザ・ベストテン」だろうなぁ。 

初めてのベストテンを発表した1978年1月19日放送分では11位。 
僅かにベストテンから漏れてんですよね。それでいて、出演拒否だった中島みゆきさんの「わかれうた」は4位にランクインされていて、この事で、当時の若手ディレクターたちは、上からこっぴどく怒られたそう。

当時の正直から言えば、ランキング操作してでも、数字がとれる山口百恵を入れて、出演拒否の中島みゆきさんは落とすのが通例・・・と言う事なんですよ。 しかも同じTBSのドラマの主題歌だもんね。

でも、ランクをきちんとしたからこそ、その後の「ベストテン」として成り立ったのだから、これでよかったんだよね。

ま、「ベストテン」には、次の1月26日放送分には、晴れて8位にランクイン。
「ベストテン」では、その次の2月2日放送分が一番の話題だったろうなぁ。

この時は、5位が桜田淳子さん「しあわせ芝居」、そして4位が「赤い絆」と、淳子&百恵が並んでランクイン。
先日、桜田淳子さんの「はじめての出来事」を書いた時、二人での1位争いは、その時1回だけ・・・と書いたけど、「ベストテン内」に範囲を広げると、さすがに結構、二人並びでのランク争いはあったんだよね。

で、この時の「セット」が話題になったよねぇ。 淳子さんの「しあわせ芝居」が衣装の青に合わせた白い部屋のセット。そして歌が終わった直後、天井が反転して、赤い階段が現れ、一番上に山口百恵・・・って言う構図のセット。
 ま、文字で書くとこんな感じなんだけど、実際、動画で見てみると

 ↓ コレ
http://v.youku.com/v_show/id_XNTE1MzU5NDk2.html

今見ると、それほど大掛かりではないようにも見えるけど、当時としてはかなり大がかりなセット反転ということで、話題になりましたよねぇ。
 これも、当時、「全員集合」での「盆回し」と言われたセット反転技術があったTBSだからこそ出来た「技」でしたよね。


ところで、この曲、作詞は、松本隆氏なんだよねぇ。 山口百恵と言えば、前半は千家和也氏、後半は阿木耀子女史というイメージが強かったわけで、松本隆−山口百恵っていう印象は全くないんだけどねぇ。
実際は、シングルのタイトル曲としては、この曲と、80年のやっぱり今頃のヒット、「愛染橋」の2曲を書いてたりする。
 まあ、どちらの曲も、山口百恵としては、「低レベル」な売り上げだったからなぁ。印象に薄いんだろうね。
70年代の松本隆氏といったら、どうしても太田裕美っていうイメージが強いし、やっぱり80年代の松田聖子の松本ブランドが強力だったからなぁ。

その前に、歌詞云々というより、山口百恵ってヒトの存在感がでかすぎましたね。
さしもの松本隆氏のネームバリュームも吹っ飛んでしまった・・・って感じで。

ただね、この曲、ドラマの高視聴率に対して、売り上げが低レベルだったのは、テレビではTBSでしか歌っていなかった・・・ってのが大きかったみたいね、やっぱり。
 さすがにTBSのドラマの主題歌、他の局じゃ歌えないもんなぁ。だから「夜ヒット」でもこの曲は歌っていないし。
当時は、テレビの「歌番組」が売り上げを左右するって言うほど、歌番組の影響力は大きかったですからねぇ。




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カリフォルニアコネクション / 水谷豊

1979_07_カリフォルニア・コネクション_水谷豊







今回の1曲セレクトは、「カリフォルニアコネクション」水谷豊です。

 まずはデータです。

・タイトル    カリフォルニアコネクション
・アーティスト  水谷豊
・作詞      阿木耀子
・作曲      平尾昌晃
・編曲      鈴木茂
・リリース日   1979年4月21日
・発売元     フォーライフ
・オリコン最高位 3位
・売上げ枚数   65.6万枚
・ザ・ベストテン最高位 1位
・ザ・ベストテンランクイン期間:1979年7月12日〜9月27日放送分
・タイアップ:日本テレビ系ドラマ「熱中時代(刑事編)」主題歌

 その時代時代を感じる曲ってさあ、絶対にあるよね。まあ、ここでもこれまでも何回も使いまわした言葉だけど、今回引っ張ってきた、曲もそんな曲の中の一つなんだなぁ、ワタシにとっては。

 カリフォルニアコネクション /水谷豊

 この曲聴くと、79年の夏の事が鮮明に思い出される。いやいや、因果なもんですよ。
 みなさんにもないですか? あの曲聴くと、あの日あの時を思い出すって言う曲。

 どういうことなんかねえ、この曲とゴダイゴの「銀河鉄道999」を聴くと、79年のあの暑い日を思い出す。
 
 そうそう、はじめてブルートレインに乗って博多へ行ったけっけ・・・。あの時の中洲地区のネオンサインの凄さと、帰りに京都に寄った時のうだるような暑さ・・・・。

 ついでに定番の宿題、「夏休みの友」を一ページも手をつけなかった当時のワタシを思い出す。
(あー、これは、1ヶ月夏休みの宿題で苦しむなら、半日廊下で正座させられた方がマシと、当時マジで考えたからあせあせ・・・・大物だったね当時のワタシは。。。。あせあせ

・・・うーん、まあ、いろいろあった夏だったな・・と。

 きっと、あの頃、自分の頭の中でグルングルン、エンドレステープのようにこの曲と、ゴダイゴの「銀河鉄道999」の曲が鳴ってたんだろうね。
 
 いやいや、曲としては、何てこと無い曲なんですよ。ほんとに。
これが、あの水谷豊があの独特の歌い方で歌うから面白いんだよね、この曲。

♪ ジグザグ ぎどおっだ〜 どがいの〜 まぢなみ゛〜 ♪

って感じ? 

うんうん、「熱中時代」のなかそのまんまな雰囲気だったからよかったのよね。

・・・・といいつつ、「熱中時代」の本放送は見てなかったんだけど・・・(再放送で見たけど)

 でもさ、それまでも水谷豊ってシングルは何枚かリリースしてて、そこそこ売れてもいたんだよね。

 じゃ、なんで、この曲だけ、こんなに売れたのか? ・・・ってことなんだけど、どうなんだろ?

 やっぱり曲のおもしろさなのかなぁ・・・。それと、熱中時代事態視聴率がすんごく良かったって言うこともあるだろうね。

 うん、今のトレンディドラマとヒットの関係と同じことよ。

 ただ、あの時の水谷豊人気はすさまじかったからさぁ。「ザ・ベストテン」では、この曲で4週1いを獲得してるけど、その原動力となったのはハガキリクエストだからさぁ。
 4週の1位のうち3週はハガキでトップをとってるんだよね。あの時代、西城秀樹への組織票がいちばんだったけど、そんな時のハガキ1位だったわけだから、当時の人気がわかるよなぁ。

 まあ、それだけ、今でもこの曲を懐かしく思ってくれてる人も多いんじゃないかなぁ。


ところで、36年前の「熱中時代」も刑事役だったけど、今、水谷豊氏の刑事役といえば、なんつっても「相棒」シリーズだろうよ。
 で、その第4代相棒役が、この間のネットニュースに流れてましたな。
反町隆史が、今度の相棒役・・ということで、どうなるんでしょうね。 まあ、こうご期待と・・と言うところでしょうかねぇ。





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