かじやんのヒット曲&チャートレビュー

ヒット曲を聴き続けて40数年! かじやんがお送りする、「今」のヒット曲&ヒットチャートから、「あのころ」のヒット曲&ヒットチャートまで、ヒット曲について幅広くご紹介するブログ。 自主チャートサイト"THE HITCHART NOW AND THEN"の支店ページという位置づけにいたします。

小田和正

言葉にできない / オフコース

1982_02_言葉にできない_オフコース



今回の1曲セレクトは、「言葉にできない」オフコースです。

まずはデータです。

・タイトル    言葉にできない
・アーティスト  オフコース
・作詞      小田和正
・作曲      小田和正
・編曲      オフコース
・リリース日   1982年2月1日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 37位
・売上げ枚数   3.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 33位

BSフジで放送された「輝き続けるオフコース」を見た。

1982年に開催された、武道館10daysライブの時の映像をふんだんに使用した、番組内容は、なかなか面白かったですね。

でもさ、ここでは、これまでも何回か書いたと思うんだけども、オフコースが全盛期だった1980年前後、個人的には、どうも、今一つ刺さらなかったんですよ、オフコースって。

生理的に合わなかったわけではない・・とは思うんだよね。いつも、どこかで気にはなっていた。

あれから40年以上たった今でもそうなのよ。 気になる気になると思いながらも、今一つ刺さり切れない。

何でなんだろうね。。。 その理由が知ることができるかもしれない・・

この番組を見た最大の理由はそこだったわけなんだけども。。。。



オフコースに刺さり切れなかった理由の一つとして、テレビに一切出なかった・・・・ということは、まあ、大きいだろうな。

あの頃、個人的にヒット曲の情報源としてはテレビがすべてだったからさ。 そそそ「ザ・ベストテン」ですね。

オフコースは当時「ベストテン」だけではなくテレビには一切出なかったんでね。曲を聴きたい、知りたいと思っても知りようがなかったわけで。。。。

でも、オフコースに刺さらなかったのは、テレビに出なかったという理由だけじゃなかったことは、ラジオというメディアを聴きだしてわかるんだよね。

初めてラジオというメディアに興味を持ち始めたのが、1981年の年末だったと思うな。
新聞のラ・テ欄を見てたら、TBSラジオの21時〜21時40分「ザ・ヒットパレード・毎日がベストテン」という文字が目に入っちゃってさ。聴きだしたら、これが面白い。

それからほどなくして、この「言葉にできない」がランクインしてきたのを覚えてるな。
月曜日の「ニューミュージックベストテン」だったと思う。

でも、刺さらなかったのよ。。 ・・というか、この曲の世界には入り込めなかったんだよ。


なんで、この曲の世界に入り込めなかったのか?

今回の「輝き続けるオフコース」で、盟友・財津和夫氏が語っていたコメントに、ハッとさせられたな。

「普通、僕らは、具体的な映像が浮かぶような詞を書きたがるんだけども、小田君の詞は抽象的なんだよね・・・」

そうだ、これなんだ。。。

オフコース、うんにゃ小田和正っていう人が作る詞の世界って、はっきりとした風景が見えない。温度感も感じない。 まるで抽象画的な感覚なんだよね。

片や曲想ははっきりしているのよ。コード進行にしても実に計算されているんだよね、論理的というか左脳的というか・・・。

すくなくとも、感情のままに綴られた右脳的なメロディではないと思う。

あたかも、コードという設計図の上に論理的に建築されたようなち密な音楽・・・という印象が強いのよ。無駄というか、遊びの部分を一切感じない。

wikipediaを読むと、小田和正っていう人は、オーバープロデュースが嫌いだったようだ。

余計な言葉、 余計な音はいらない。

言ってみれば隙間が多いサウンドということなんだろうけど、そういうった隙間⇒行間は、聴く人各々の感性で好きなように埋めて(感じて)もらえばいい。

この「言葉にできない」って曲は、その典型のような曲だと思うのよ。

必要最低限の音しか入っていない。 サウンドも歌詞も無駄が一切ない。 まさに極限までそぎ落とされたような曲。

それだけに、音と音の隙間、行間が多い。リスナー側にいろいろと考えさせるような音楽。

さすがは、早大大学院の建築科を出ている小田氏。音楽に対してもスマートなんだろうね。

偏差値が高い音楽というか。。。

そういう音楽が好きだっていう方には、オフコース・・・いやいや小田和正氏の曲は刺さったんじゃないのかなぁ。
とりわけ当時、オフコースのファンに外観からも知的とわかる女性ファンが多かったのは、そういう所もあったんだろうな。
女性は、こういう知的な音楽が好きな人が多いですから。1980年前後、当時はそういう傾向が今よりも強かったんじゃないかなぁ。

当時のオフコースのサウンドが洋楽っぽかったのも、行間が多い音楽だったっていうところが強かったんだろう。


逆に個人的に刺さらなかったのは、そこなんだろうな。

未だにそうなんだけども、もっと:下世話で頭悪そうな猥雑な音楽が好きだからさ。 サザンが好きなのも多分にそういう理由が大きいんだろうな。

何より、あの頃は「行間の隙間を埋める」ような音楽が好きだったから。

そそそ、この「言葉にできない」とは逆のような曲。

筒美京平氏が言われていたような、メロディとメロディの間の隙間を面白い、キャッチーなフレーズで埋めるような曲。

まあ、あの頃のアイドルの曲が主なんだけども、ニューミュージックにしても、ヒット曲は、そういう曲が多かったですからね。

こういう、行間を感じる曲っていうのは、あの頃は、個人的に理解できなかったんだよね。






なんか、大分固く、まじめに書いた割には、実際、この曲のチャート成績を見ると、「なんでぇ、こんなもんなんかい?」と思われるかもしれないな。

オリコン最高位 37位 売上げ枚数 3.6万枚

この間の「輝き続けるオフコース」でも言われていたことだけども、この「言葉にできない」は、前年12月にリリースされたアルバム「over」からのシングルカットされた曲ですわ。
シングル盤の方の売り上げが↑の程度に甘んじたのは、その影響なんだよね。
ちなみにこの曲が収録されている、アルバム「over」は、アルバムチャートで1位 売上げ41.4万枚(LP)の大ヒット。 

ほとんどの方はアルバムで買ってる・・ということで、シングルは伸びなかったわけですわ。

その前の「We are」もアルバムチャートで1位 売り上げ46.2万枚。 

アルバム20万枚セールスで大ヒットと呼ばれた時代。これだけを見ても、当時のオフコースの人気がいかにすごかったのか、人気絶頂だったのか・・というのとともに、いかにアルバムアーティストだったのかというのが分かりますな。

「We are」に続いてのアルバムが「over」。 つづけると 「We are over」   となり、これはオフコース解散を指しているんではないかと騒がれ始めていた頃。

「言葉にできない」というシングルリリースがその疑惑をより大きくさせ、にわかに真実味が出てきたように思えたのが、ちょうど41年前の今頃だった・・・ような気がするな。

実際は、オリジナルメンバーである鈴木康博氏の脱退が、このころすでに決まっており、それが、このタイトルにつながったようではあるんだけどね。



よろしかったらポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村



Yes-No / オフコース

1980_7_Yes No_オフコース


今回の1曲セレクトは、「Yes-No」オフコースです。

まずはデータです。

・タイトル     Yes-No
・アーティスト   オフコース
・作詞       小田和正
・作曲       小田和正
・編曲       オフコース
・リリース日    1980年6月21日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位  8位
・売上げ枚数    35.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 7位
・ベストテンランクイン期間:1980年7月28日〜9月8日付

今週末は大雨で大変でしたね。
まあ、梅雨の時期なので雨続きと言うのは当たり前なのかもしれないけど、今年は天候があまりよろしくない日々か続きますね。このまま、長雨続きの夏になるんですかねぇ。。うーむ。

長雨続きと言えば、個人的には1980年、 1982年、1988年、1993年あたりの夏を思い出すなぁ、いずれも「寒い夏」だったんだけどね。ぐずついた日が続き、雨も多かったんだよな。
今年も、今んところは、↑に書いたような年の天候と似てるなぁ・・・と思ったり。。

・・・ということで、今回の1曲セレクトは、そんな天候不順な夏だった1980年夏のヒットを持ってきますか。

オフコース  Yes-No

この曲、多分、1980年のヒット当時って聴いてなかったと思う。

いつぞやも書いたけど、あの頃、ヒット曲の情報源と言ったら、「ザ・ベストテン」が全てだったわけで。 でも、オフコースは、当然のようにベストテンには出演しなかったからなぁ。
ベストテン入りはしてましたけどね。確か最高位9位で、ベストテン入りぎりぎりだったような記憶があるけど。。。

でも、出演しかなかった・・という規定路線だったわけでさ。 

だから、当然曲も聴いてなかった・・・ハズなんだけど。。。

でも、なぜか知ってたりしたんだよな、この曲。

後年、きちんと、この曲を聴いたとき 確かにAメロ、Bメロは記憶になかったけど、

件の ♪ 君を抱いていいの 〜 ♪ というサビを聴いたとき、 この曲か・・・とピンときたからさ。当時どっかでは聴いてたんだよね。

もっとも、サビの部分を聴いてもタイトルが「Yes-No」とは出てこなかったし、ドラマの主題歌で聴いたような気もしたり、どうも、違う曲とごっちゃになって覚えていたような気がする。


あの当時、オフコース同様、チューリップも好きじゃなかったんだよね。 理由は、どちらもテレビに出なかったから・・

まあ、当時、小学生らしいめっちゃシンプルな理由からだったんだけども、後年、レコード音源として、きちんと、チューリップもオフコースも聴くようになってからも、オフコースはどうも苦手なんだよなぁ、個人的に。チューリップは、好きになったんだけどね。

きっちりと計算されているメロディライン、サウンドがどうも生理的に合わないのかなぁ。
チューリップの、財津さんの紡ぎだすメロディラインってどこか優しいでしょ。人間的というか・・。
バントとしてのサウンドからしてそうなんだけども。有機的と言うかさ、親しみやすいじゃん。

それに対してオフコースっていかにも計算されてる音楽だなぁ・・・って感じるんだよね。
サウンドからしてスッキリしてるし、無駄がないし。。。メロディラインもしかり。
さすがは理系出身の小田和正氏だけあるけど。ただその分、無機的でちょっと冷たいようなイメージが個人的にはあったりするんだけどね。

特にこの「Yes-No」って曲はそんなイメージが強かったなぁ。

たしかに、ウレセンでキャッチーなメロディラインであるとは思う。 けど、サウンドを含めて全体的な印象としては、そんな無機的なイメージが強いんだよな。

まあ、イントロのシンセの音色からそういうイメージがあるのかもしれない。。。 いや、やっぱり曲全体からだな。

当時、1980年夏。 方や、Y.M.Oが大ブレイクし、テクノサウンドが世間を席巻し、シンセサウンドが急激に広まった頃。

この「Yes-No」は、決してテクノではないんだけども、無機的なイメージからテクノに近いようなイメージはあったな。

そそそ、きっとね、生理的にダメだったのは、そのせいかもしれない。 

テクノとかニューウェイブ系の無機的な音って、どうも苦手だったからさあ。80年代の頃は。

無機的なサウンドという面では、今はやりのシティポップスに近い「音」であるかもしれない。
さすがにチューリップはシティポップスとは言われにくい音だしなぁ。

ただね、オフコースでも、「さよなら」とか「Yes-Yes-Yes」は好きだったのね。確かにコード進行とか計算して作ってるな・・という印象はあったけどサウンドは有機的だったからさ。





それにしても、当時、この曲、どこで聴いたんだろ? 謎だ。。。。

考えると、夜も寝れなくなる。。。

・・・それは、この当時大流行していた、春日三球・照代の「地下鉄漫才」ですわ。。。


よろしかったらポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へ
にほんブログ村

君が嘘をついた / オフコース

  1984_06_君が嘘をついた_オフコース


今回の1曲セレクトは、「君が嘘をついた」オフコースです。

まずはデータです。

・タイトル    君が嘘をついた
・アーティスト  オフコース
・作詞      小田和正
・作曲      小田和正
・編曲      オフコース
・リリース日   1984年4月21日
・発売元     ファンハウス
・オリコン最高位 2位
・売上げ枚数  31.6万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 4位
・ベストテンランクイン期間:1984年4月30日~6月4日付

長い事キャリアを持つアーティストをずっと聴いてくると、時々「虚」を突かれることがありますよね。
アーティストって、常に変わりたいっていう願望が本能的に持ってたりするから、「保守的」になることを嫌う傾向が強い訳で、だから、時々、聴き手のこちらが予想もしなかったような曲をリリースする事があるんだよね。

まあ、最近は「保守的」な傾向が昔以上に強くなってきたんで、新曲で「虚」を突かれるようなことも少なくなってきたんだけどさ。

今回は、そんな「虚」を突かれた1曲をセレクト。

オフコース「君が嘘をついた」。

1982年6月、武道館10days Liveから、暫く活動休止していたオフコースが、2年ぶりに活動再開・・・ということで、復活第1弾シングルがこの曲でしたね。

活動休止中に、オフコース結成時メンバーだった鈴木康博氏が脱退し、4人での再スタート・・・ということで、「新生」オフコースなんて言われてたよなぁ。

そんな「新生」オフコースの復活第1弾は、果たしてどんな曲になるのか? ・・・っていうのは、当時大分話題になりましたね。

でもねぇ、実際、この「君が嘘をついた」が出てきた時は、個人的にはめちゃくちゃ戸惑いましたね。
正直、初めの頃は全く受け入れらけなかった・・と言うかねぇ。

やっぱり、活動休止以前のオフコース像って言うのが脳裏には色濃く残ってたしさあ。
ま、その前に、個人的にオフコースを受け入れけら他のが、休止直前にリリースされた「YES-YES-YES」からなんだよね。 それ以前の曲は、もちろんリアルタイムで聴いてた曲もあったけど、正直良く分かんなかったんだよね。
 でも、「YES-YES-YES」はいい曲だと思った。 だからね、また、この曲のようなコーラスワークと、ソフトタッチな曲を期待していたんだよね、新生オフコースにも。

そしたら、思いっきり期待を裏切られた・・・って感じだったもんなぁ。

まさかね、デジタル系な手触りのハード路線で来るとは思わなかったしな。。ってか、それ以前にここまでハードで硬質な感じの曲って無かったじゃん、オフコースって。
1980年の「YES-NO」が「硬質感」と言う意味では近いところもあるけど、ここまでハードじゃなかったし、なによりデジタルじゃなかった。

そういう、それまで全くなかったモノを出してきた・・・ってところに戸惑ったんだよな、当時は。

ま、そこは、立ち止まることがキライな小田和正氏の「狙い」だったんだろうけどね。「新生」に相応しく、それまでにはなかった新しい面を前面に出そうって言う狙い・・・って言うのかなぁ。

ちなみに、この曲がリリースされる数か月前に、それまでのベスト盤「YES-YES-YES」がリリースされたんだけど、それは小田氏が承知しなてところでのリリースだったらしく、リリースを知った時はかなり激怒したらしいですね。

それは、リリースを承知していない所で、リリースされた・・・と言うよりも、これから「新しい一面」を魅せようとしているのに昔のイメージを甦られることが心外だったようですね。
それだけ、この曲で魅せてきたような「新しい」オフコースを魅せる事を考えていたようですわ。

でも後になって考えると、このイメージチェンジは、成功だったと思いますねぇ。

この曲、どことなくニューウェイヴ系の匂いがする訳だけど、84年ってニューウェイヴ系が台頭した年だったしな。そう言う意味では充分、時代の波に乗った曲だったとも言えるんだよね。

個人的に、当初、この曲を受け入れられなかったっていうのは、そんなニューウェイヴ系の匂いを感じたたから・・・ってのもあったんだろうな。 なにせ、ニューウェイヴ系に弱い、私なんで・・・

いや、弱い・・・っていうより、昇華して自分の中に取り込まれるまで時間がかかるんだよな、この手の曲って。

もちろん、今じゃ、全然受け入れられてますけどね。 逆に、この手の曲は1984年の匂いをプンプン感じてますよ。






よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

愛を止めないで / オフコース

1979_03_愛を止めないで_オフコース








今回の1曲セレクトは、「愛を止めないで」オフコースです。

まずはデータです。

・タイトル     愛を止めないで
・アーティスト   オフコース
・作詞       小田和正
・作曲       小田和正
・編曲       オフコース
・リリース日    1979年1月20日
・発売元      東芝EMI
・オリコン最高位  31位
・売上げ枚数   9.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 33位

ここのところ、自分にとって冒険的な曲が続いているけど、今回セレクトしてきた曲も、かなり冒険的な曲なんですよね。

オフコース「愛を止めないで」。

冒険的っていうのは、正直言うとこれまであまりきちんとは聴いてきていない曲って事ですね。
事実、今回セレクトしてきた「愛を止めないで」は、音源持ってないんですよ、ワタシ。

・・・なんて書くと、「え?」って思われるかもしれないけどさ。。
自称「ヒット曲ウォッチャー」と言っている割には、なんてお粗末様な。。。とかさ。。。

だよね、オフコースの中でも人気が高い曲だもんなぁ。 そんな曲の音源すら持っていないとはね。。。
・・・と言われても仕方ないよな、確かに。

ま、そんな状況なんで、もしかすると「的外れ」な事を書いちゃうかもしれないけど、そこは予めご了承いただければ・・・と思いまする。


じゃ、なんでオフコースの中でも人気が高い、この曲の音源を今まで持っていなかったか
まあいくつか理由があるんですけど、一番の理由は単純にオフコースの曲、全体的に、個人的にはあんまり「刺さらなかった」から・・・なんだろうね。

オフコースの曲・・・・というか小田氏の曲って理詰めなんですよね。 キチンと計算されているように感じるんだよなぁ。整然としたフレーズが並んでいて、そこに計算されたコード進行があって・・・って言うイメージなんですよ。
ま、その辺りは、流石に「理系」の小田氏らしい音楽だな・・・とは思うんだけどさ。何分パッパラパーな性格なワタシには(自分も理系のクセして)、「キチンとし過ぎる」ような音楽に感じるんだよね。どうもその辺りが刺さらず、逆に頭が拒否しちゃってたのかもしれない。
 サザンとかは、パッパラパーな音楽じゃん。音楽らしい音楽っていうのかな。文字通り単純に音を楽しんでる。そういう音楽の方が、聴いてて楽だし、自然と入ってくるよね。
だから、オフコースはずっと素通りだったんだろうな。

唯一、大ヒットになった「さよなら」は、自分でシングル買ったりしたんだけどね。うん、この曲だけはよかった。コーラスワークが素晴らしかったんで。。。

それと、このヒトたちも当時・・・というか今もそうだけど、ほとんどテレビの歌番組には出演拒否していたってのも大きいよな。 
 ここでは何度も書いてるように、当時、個人的な音楽の情報源は、ほとんどテレビが全てだったからさあ。テレビに出ない・・・というだけで、ほとんど耳に入ってこなかったからなぁ。


でもね、一度「ベスト盤」は買おうと思ったことはあるんだけとね。

82年の武道館10daysの後、活動休止に入っちゃったじゃない? で、その翌年にベスト盤である「YES-YES-YES」っていうアルバムがリリースになったんだけど、それ買おうと最初は思ってたんですよ。
 82年のシングル「YES-YES-YES」は好きだったしさ。だから、それをきっかけに過去の曲を掘り下げたいと思ってたんだよね。
 でも、結局はそれを買わないで、他のアルバム買っちゃったんだよな。 それ以来、接点がつかめず今に至る・・・って感じなんだよな。

まあ、そんなことで、未だにこの「愛を止めないで」の音源はワタシの手元には、まだ無い・・っちゅう訳ですわ。


もちろん曲は知ってますよ、この曲。
・・・とは言うモノの、キチンと曲を聴いたのは、かなり後年になってからですけどね。
おそらく、1991年元日深夜に放送された「19××スペシャル 僕らの青春のメロディ」だったと思う。 これで、例の82年の「武道館10days」の「愛を止めないで」が流されましたからね。
 そそそ、未だによく、この時のVTRは見かけるし、現にYOU TUBEなどの動画サイトにも上がってるしね。

だからねえ、リリースから10年以上後になりますね、きちんと聴いたのは。

うん、やっぱりいい曲だと思った。初めて聴いたはずなのに、不思議と「1979年」っていう時代感を感じたしさ。
やっばり、サビの ♪ 愛を止めないで〜 ♪ の部分のインパクトは強いよね。 否が応でも曲に引きずり込まされてしまう。 ま、それ以前にAメロからキャッチーなんだけどさ。

じゃ、なんで、もっと早く音源買わなかったの? って感じなんたけどさ。しつこい様だけど

でも、考えるに、これは「売れるため」の手段として、ここまでキャッチーになったんじゃないかな。

当時、アリスの谷村氏も言ってたことだけど、自分たちがやりたい音楽と、「売るため」の音楽は違うって事なんだよね。
 兎に角、「クサッ」と思うくらい、インパクトがあり、分かりやすいメロディに徹すること。これが売るための最低条件なんですよ。いわいる「ウレセン」のメロディって事なんだけど、アリスでは、ブレイク曲となった「冬の稲妻」がそうですね。 この曲は、それまでのアリスの曲とは全く違う、最初から売れるために書いたと谷村氏は言ってたしな。

そんなアリスの「冬の稲妻」と同じ立ち位置であったのが、オフコースでは、この「愛を止めないで」だったんじゃないかな? なんて思う訳ですわ。
だから、それまでのオフコースの曲とは、この曲は雰囲気かなり違うしな。
ウレセンと言うところもそうだけど、メロディラインがポジティヴというかさ。

まあ、そう言う感じになったのも、この曲から「正式」に5人体制になったってことが大きいのかもしれない。

そそそ、初めオフコースって小田氏と鈴木氏の2人だったんだよね。 デュオでの完全なフォークタッチの曲をやってたわけですわ。
 でも曲によってはバンド形式の曲もあった訳で(1975年の「眠れぬ夜」など)、それらの曲の際は、ゲストアーティストによるバンド編成にしてたんだよね。
 で、1976年にドラムの大間氏、ギターの松尾氏、ベースの清水氏が加わったものの、あくまで「ゲスト」と言う枠組みだった訳ですね

そんな感じで3年余りやってきた訳だけど、この「愛を止めないで」で正式メンバーとして、5人体制のバンドとして再スタートを切った訳ですわ。
 
なぜ、そんなことが言える? 

まあ、確かにネットを見ても、公式な見解はなかなか見当たらないんだけど、この曲のジャケ写から「5人」で写ってるんですよね。
これは、「5人」でやって行こう・・・と正式に決意が固まった現れなんじゃないのかなぁと思う訳ですわ。
 
そういう状況だったから、流石に頭の固い小田氏も、是が非でも売りたいと思ったんじゃないのかなぁ。それが、こういうキャッチーな曲になった最大の理由だと思いますよ。



で、やっぱし動画は82年の「武道館10days」の時のになっちゃう訳ね。


よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村

今だから /松任谷由実 小田和正 財津和夫

1985_06_今だから_松任谷由実 財津和夫 小田和正






今回の1曲セレクトは、「今だから」松任谷由実 小田和正 財津和夫です。

 まずはデータです。

・タイトル   今だから
・アーティスト 松任谷由実 小田和正 財津和夫
・作詞     松任谷由実 小田和正 財津和夫
・作曲     松任谷由実 小田和正 財津和夫
・編曲     坂本龍一
・リリース日  1985年6月1日
・発売元  東芝EMI ファンハウス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  36.7万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1985年6月17日〜8月5日付
・タイアップ:ALL TOGETHER NOWテーマソング

 今でこそライブに頻繁に行くようになったワタシだけど、でも、ライブに行くようになったのって、意外と最近なんだよね。
 某C社に入って、野外フェスに誘われてからかなぁ。まあ、C社では仕事柄、付き合いでライブに行くっていうのも結構あったからねぇ。
 だから、30過ぎてからなんだよね、ライブに行くようになったのは。これが。。

 うーん、意外だったかなぁ。

 でも、もちろん、高校の頃から、ずっと行きたい行きたい・・とは思ってたのよ、ライブにはさあ。 まあ、そこは、腰が重たいワタシの事だから、行きたい行きたい・・とは思ってても、なかなか、行動に移せなかったのもあるな。
 いや、あの頃にインターネットっていう便利なものがあったら、行動できたかもしれない。あの当時は、わざわざ「ぴあ」の店頭までいってチケット買わなゃいけんかったからなぁ。

 そんな、腰の重いワタシが一度だけ、行動に移したことがある。

 それが、1985年6月に行われた、「ALL TOGETHER NOW」っていう当時のビッグイベント。

 うん、詳しく書くと、1985年6月15日・・・っていうから、あれから、ちょうど30年経つんだよなぁ。国立競技場で行われた、当時のニューミュージック、ロックの超ビッグネームが一同に介して行ったライブイベントだよね。

 吉田拓郎氏が総合司会って形で仕切り、南こうせつ、さだまさし、オフコース、チューリップ、武田鉄矢、アン・ルイス、イルカ、後藤次利、高中正義、高橋幸宏、加藤和彦っていうサディスティックミカバンドの面々、もちろん、松任谷由実、坂本龍一、細野晴臣といえば、Y.M.O・・・・といった70年代組。
 佐野元春、サザンオールスターズ、山下久美子、白井貴子、ラッツ&スターといった80年代組
 前座が、チェッカーズ、バックコーラスに渡辺美里

 一番の目玉が、大滝詠一、細野晴臣、松本隆、鈴木茂・・といったら、はっぴいえんど 

・・・・なんていう、空前絶後の超豪華メンバーを一同に介したライブでしたわ。

 いや、これが見たくてねぇ。。

 でも、このイベントを知るのが遅くてさぁ、すでにチケットは完売だったよな、たしか。

 で、しょうがなく、オリコンウイークリーの「掲示板」コーナーにあった、チケット売りますに応募したんだっけ。

 で、あえなく撃沈したわけさwww

これ学校サボッてでも絶対行きたいと思ってたのに、これが悔しくてねぇ・・・。いや、いまでも悔しいよなぁ、思い出すと。 日本のロック&ニューミュージック界にとっての歴史的現場に居られなかったっていうのはさあ。

この間も「東京ららばい」の時に書いたんだけども、松本隆作詞生活45周年記念コンサートのチケット取得にゃ撃沈してしまったワタシですが、昔、同じように、超巨匠たちが一堂に冠した記念ライブのチケット取得に失敗のと同じですわ。

 どうも、日本の音楽シーンの「歴史的現場」には悉く縁がないワタシですわ。。。。


 で、今日引っ張ってきたのが、その「ALL TOGETHER NOW」のテーマソングだった、「今だから」。

 歌は、もちろん、このイベントに出演していた、松任谷由実、小田和正、財津和夫の3人。 アレンジが坂本龍一氏っていう、これまた、超豪華な布陣だったよなぁ。

 でもさ、「ALL TOGETHER NOW」に参加できなかった悔しさからか、正直、当時から、この曲ってほとんど聴いてなかったんだよなぁ。
 うん、音源すら持っていない。 当時、オリコンで2週連続の1位、売上げ36万枚もあった、この曲なのにさあ。

 まあ、イベントに参加できなかった悔しさだけでなく、どうも、この曲がイマイチわかんなかったからもある。わかんなかった・・というより、刺さらなかった・・って言うほうがいいかなぁ。

 どうもねぇ、この曲スマート過ぎるんだよね。曲調からしてもサウンドからしても。
 今聴けば、ああ、いかにも85年だよね・・・っていうスマートさなんだけどさ。 ひと言で言えば「都会的」なスマートさっていうのかなぁ、機能的っていうのかなぁ・・。

 まあ、ともかく、「ダサダサ」でイモな曲が好きだったワタシには、まったく刺さらなかったっていうのが、本音なんだよなぁ。
 ちょうど、当時、逆に時代を遡って聴き始めてた頃でさあ、当時のワタシとしては70年代初頭〜中盤の音が「ナウ」なったんだよね。




よろしかったら、ポチッとしてね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

YES-YES-YES / オフコース

1982_06_YES-YES-YES_オフコース






今回の1曲セレクトは、「YES-YES-YES」オフコースです。

まずはデータです。

・タイトル    YES-YES-YES
・アーティスト  オフコース
・作詞      小田和正
・作曲      小田和正
・編曲      オフコース
・リリース日   1982年6月10日
・発売元     東芝EMI
・オリコン最高位 6位
・売上げ枚数   19.4万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 5位
・ベストテンランクイン期間:1982年7月5日〜8月2日付

 いやー、今回の1曲セレクト、唐突にオフコースの「YES-YES-YES」を持って来ちゃったんだけど、マクラをどう書けばいいのか、迷っちゃってたりするんだよね。
 「さて、今日は何を書こうかな」・・と思ってたら、なにげにこの曲が浮かんで来ちゃったんでさ、持ってきたんだけど。。。

 ただ、6月も終わりに近づくと、なぜかこの曲が浮かんでくるんだよなぁ。なんでだろ?

 この曲、福島から千葉に出て来るときに丁度ヒットしてたんだよね。うん、丁度、いまの季節。

で、あの時も梅雨の最中で、曇天の梅雨空っていうと、あの時の光景がいまだに頭に浮かぶんだろうなぁ。
 いやいや、全くのデジャヴですよ。

 オフコースってさ、本来、あんまり興味がなかったんだよね。うーん、曲が好き嫌いではなくて、テレビに出なかったじゃん、オフコースって。だから単純に曲を聴いたことなかったの、ほとんど。
 だから、正確には曲知らなかったって行った方が正しいのかな。

 でもさ、千葉に出てきたでしょ。この曲、初めてまともに聴いたんだよね、オフコースの曲では。
 
 で、単純に感動したの。うーん、オフコースってこんなにいいの? って始めてしまった曲がこれですね。

 まあ、確かにあのころの自分の生理的な心境に合ってたのかもしれないけどね。

 この曲って、例の武道館10Daysコンサートを控えて急遽リリースされた曲ですよね。
 たしか、直前まで全くリリースの予定がなかったんぢゃなかったんだっけな?
 臨発もいいところで、たしか工場をフル稼働して10日程度でリリースまでこぎつけたんだよね。
 ジャケ写もきちんと撮影したものではなくて、時間がなかったので、コンサート会場で一人一人急遽撮ったものですよね。

 だから、6月10日なんていう、当時のオフコースとしては、かなりヘンテコリンなリリース日になっているんだよね。

 それだけ、曲としていい曲ではなったんだけどね。

 ただ、内容が内容だけに、オフコース解散か? っていう尾ひれまで付いて回ったよね、あのころ。

♪ 振り返らないで 今 きみは素敵だよ 僕の行くところへ あなたを連れて行くよ 手を離さないで〜 ♪

っていう、感動的なサビもさ、取りようによっては、そのままサヨナラっていう解釈も出来るんだよね

 まあ、実際、この曲から、オフコースとしては約2年間の活動ブランクを作ったわけだから、まあ、あたりにも遠からず・・・っていう状況ではあったけどさ。

 いずれにしても、オフコースっていうグループの曲を認識させてくれた曲が、この曲だったなぁ。ヒトによって好き嫌いはある曲調ではあるけどさ。


本当は、ここで動画・・・っちゅうことで、動画リンクを持ってくるところなんだけど、この曲の動画って落ちないんだよね。
 で、しょうがないんで、音だけをリンク

 http://www.pideo.net/video/youku/7b4d603b316b5de9/

海外のサーバーなんで、もしかしたらうまく繫がらないかもしれないですが、ご了承くだされ。




よろしかったら、ポチッと押してね
にほんブログ村 音楽ブログ 懐メロ邦楽へにほんブログ村

ラブ・ストーリーは突然に /小田和正

1991_02_ラブ・ストーリーは突然に_小田和正






今日の1曲セレクトは、「ラブ・ストーリーは突然に」小田和正です。

 まずはデータでーす。

・タイトル    ラブ・ストーリーは突然に
・アーティスト 小田和正
・作詞      小田和正
・作曲      小田和正
・編曲      小田和正 
・リリース日  1991年2月6日
・発売元    ファンハウス
・オリコン最高位 1位
・売上げ枚数  258.8万枚
・THE HITCHART HOT30最高位 1位
・ベストテンランクイン期間:1991年2月18日〜5月27日付
・タイアップ フジテレビ系ドラマ「東京ラブストーリー」主題歌


 ヒットチャートってやつを40年近く見てくると、何度も「時代の変わり目」に遭遇することってあったんだよねぇ。
 それが、目に見えるところであったり、いつの間にか節目を迎えていたり、いろいろなんだけど、この「ラブ・ストーリーは突然に」との出会いは、目に見えすぎるくらい強烈な印象に残ってるなぁ。

 あれは24年前の冬の日・・・。うにゃ、ちょうど今頃だよね。いつものように、「オリコンチャート研究会」のリーダーと真夜中の長電話。
 っていうか、次の週のチャート予想・・・あのころはチャットとかなかったからねぇ、電話でやりとりしてたんだよね・・・。

 たしか、ワタシは、一も二もなく、光GENJI「風の中の少年」を1位に出したんだよね。

 そしたら、すかさず、「小田和正の「ラブストーリーは突然に」がどこ行っても品切れなんだよね・・・」との返事。

 またまたぁ・・・うまいんだから・・・  

としか、思い浮かばないワタシ・・。 そう、その時点では、ワタシノ中では、小田和正が1位取ることは、まーったく、「蚊帳の外」だったんだよなぁ。
 確かに、89年ごろから、ソロ活動が盛んになってきてた小田和正。今回は「フジテレビのドラマの主題歌」ということで、若干の目玉にはなっていたんだけど、それまでの実績を考えると、せいぜい5位止まりがいいところ・・・と読んだんだよね、ワタシは。

 今でこそ、フジの「月9」なんていう呼び方が定着してるけど、たしか、あのころは、まだ、そんなに定着してなかったし、なにより「月9」の主題歌だからと言って、まだ、絶対的に「売れる」っていう時代ではなかったからねぇ。。

 だから、リーダーが言ってた「どこ行っても「売り切れ」」って言う言葉は、あんまり信用できなかったんだよね。
 たまたま、売り切れのお店ばっか回ってたんだろう・・。そんな感じにしかとらんかったワタシ。

 そうこうしてた、1991年2月18日付 オリコンチャート

1位 ラブストーリーは突然に 小田和正   740,830枚
2位 風の中の少年      光GENJI   92,090枚
3位 愛は勝つ        KAN   77,640枚
4位 歌えなかったラブソング 織田裕二    68,470枚
5位 ぼやぼやできない    工藤静香    30,230枚




 「!!!」 なにーーーぃ!? 1週間で74万枚!!???

あっけにとられるワタシ・・・・。

 時代が変わった。。。。

 最終累積セールス258.8万枚。それまで直にみたこともないような売上げ枚数。。。。


 うーん、正直、このころ、ワタシ、時代に取り残されていたっつうか、時代に折り合いが付いてない頃だったんだよね。

 88年〜89年にかけて、浪人生活で、ほとんど音楽を聴いてない生活だったでしょ。 90年になんとか大学にもぐりこんで、ようやく、音楽を聴ける環境に戻ってきたんだけど、浪人してた2年間で、ヒット曲の状況がかなり変わってたんだよね。
 たしかに浪人時代も音楽は聴いていたけど、如何せん、じっくり、深くは聴いてなかったんですよ。

 だから、例のバンドブームにも乗り遅れた。いかてんは後半しか見なかったし、しかも、いかてん出身のバンドは、どうも、生理的に合わなかったんだよね。
 まだ、「90年代」の音楽の空気に順応できてなかったっつうかねぇ。それが、まだ、「ラブストーリー」のころも続いてた気がするなぁ。

 曲もね〜、なんで、こんなに「売れる」のか全く、理解できなかったんだよね。これも、90年代の流れについていけなかったからだと思うけど・・・。
 いや、もともと、生理的に、小田和正っていうヒトの音楽が
好きではなかったってのもあるかもしれん。
 オフコースの頃はよかったんですよ。でも、ソロになってからはダメだったんですよね。 なんていうのかなぁ、真っ直ぐなところがダメというかね。。。

 だから、余計、これだけ売れてのが理解できなかったなぁ。。
 いや、あれから24年たった今でも理解できないんだよなぁ。。。

 ・・と言う感じで、時代と折り合いが付かないまま、ワタシの90年代は始まったって感じだったかなぁ・・。
 ようやく、90年代の音楽の空気になじんできたのは、これから数ヵ月後、丁度、槇原が「どんなときも」でブレイクしてきたころですね。
 ここから、ようやく、ワタシの90年代が始まった気がするなぁ。
  
 まあ、いろんな意味で、考えさせられる曲でしたよ。この曲は。

 しかも、以来、1位で20万枚、30万枚セールスって、当たり前の前のようになり、いわいる「メガヒットの時代」⇒ヒット曲バブルの時代 がやってきたわけです。
 経済のバブルは、まさに弾けようとした頃に、音楽界はバブル期に突入したんだよね。


 ときに・・・ワタシャ 未だに「東京ラブストーリー」は1度も見たことがありませぬ!
 うーん、どうもね〜、興味が沸かないんだよね。。。

「月9」を初めてまともに見たのは、このあとの「101回目のプロポーズ」だね。
 これも、「能動的」に見た訳ではなく、テレビつけっぱなしでウトウトしてて、目が覚めたら、これ、やってたんで、ついついみちゃった・・・ってクチなんだよね。。。。

ちなみに、イントロ出足の♪トゥクトゥーン♪っていうリフのギターは、松たか子のダンナになった佐橋佳幸氏ってのは、もう、有名な話だよね。

https://www.youtube.com/watch?v=o0_hjv9niaM

※2006年2月に書いたオリジナルに、若干、修正を加え再掲載しました。

記事検索
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
livedoor プロフィール

かじやん